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> くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。 「三つ隣の305号室に、つい最近越してき」 て、 「引っ越し蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚づつ渡してまわっていた」 昔気質らしい くま と散歩に川原に行くところから始まる。
> くまの匂いがする。(略)思ったよりもくまの体は冷たかった。 くま は言う。 「熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」 。
> くまにさそわれて、ひさしぶりに散歩に出る。 少し太ったり、息が以前より荒くなったりして成長したようにも見える くま は 「わたし」 に、先日北の方へ 「ともだちに譲ってもらったセコハン」 の車で里帰りしたことを話す。
ずっと、帰っちゃうの。「ずっとです」こちらには、もう。「来ません。故郷に落ち着くつもりです」遊びにも、来ないの。「たぶん」。 この 「抱擁しなかった」 理由も、もしかしたら くま の 「気遣い」 だと思うとなかなか切ない。
たぶん、と言ってから、くまはわたしの肩を軽く叩いた。「そんなお顔なさらないでください」。
そんな顔、と言われ、自分の口が開かれ眉が寄せられていることを知った。
「でも、どうして」と問う「わたし」に、「結局馴染みきれなかったんでしょう」と目を細めて、くまは答える。
わたしも馴染まないところがある。そう思ったが、それも言えなかった。
やがて雨がやって来る。かみなりも鳴り始める。いなびかりから雷鳴までの時間がせばまってくる。
くまは傘を地面に放り、体でわたしを包みこむようにして地面にうずくまった。
雷鳴はますます大きくなる。次の瞬間、いなびかりと雷鳴はまったく同時で、からだ全体にどん、という衝撃が走った。くまごしに、大きな衝撃が走った。
くまは衝撃が走ると同時にわたしから身を離し、大きな声で吠えた。おおおおお、と吠えた。どんな雷鳴より大きな声で、くまは直立して空に向かって吠えていた。
くまは何回でも、腹の底から吠えた。こわい、とわたしは思った。かみなりも、くまも、こわかった。くまはわたしのいることをすっかり忘れたように、神々しいような様子で、獣の声をあげつづけた。
かみなりがおさまり、雨が止んだ。
「熊の神様って、どんな神様なの」わたしは聞いた。
「熊の神様はね。熊に似たものですよ」くまは少しずつ目を閉じながら答えた。
「人の神様は人に似たものでしょう」。
そうね。
「人と熊とは違うものなんですね」目を閉じ切ると、くまはそっと言った。
「故郷に帰ったら、手紙書きます」くまはやわらかく目を閉じたまま、わたしの背をぽんぽんと叩いた。
帰っちゃうのね。彼方を向いたまま言うと、「さようなら」くまも彼方を向いたまま言った。
さよなら。今日はおいしかった。くまの世界で一番の料理上手だと思う。手紙、待ってるからね。
くまはこのたびは抱擁しなかった。わずかに離れて並んだまま、くまとわたしはずっと夕陽を眺めていた。
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