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DEGUTIさん
の 93日目
は 関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊)
でした。
明治を舞台に描いた昭和の作家といえば、やはり 司馬遼太郎
ということになりますが、実在の人物を調べつくしたうえで、例えば 「竜馬がゆく」(文春文庫)
のように、自分好みのヒーローとして描き、壮大で、ひょっとしたらインチキな(?) 司馬史観
のメンバーとしてライン・アップした面白さが持ち味ということでしょうか。
司馬遼太郎
の史実に対して、仮定法で挑んで唖然とさせてくれたのが 山田風太郎
ですね。まあ、ぼくの勝手な見立てですが、 もしも少年塩原金之助が樋口夏という少女と会っていたら
というような、夢のような舞台をしつらえたのが 山田風太郎の奇想の天才性
で、 「幻燈辻馬車」(ちくま文庫)
以来の 開化もの
には、そういう場面があふれていて面白いわけですね。
だというのが、このマンガとの、それぞれ、共通しているところといえるのではないでしょうか。
つまり、この 「坊ちゃんの時代」
では、 関川夏生
が、 司馬遼太郎的史実性
を調べ尽くしたうえで、あるかもしれない場面を仮想し、そこに登場する人物たちに、 谷口ジロー
が、いかにもリアルな表情を与えることで、ウソの壁を悠々と乗り越えて、 山田風太郎的な奇想の世界
をさもあった世界としてマンガ化した傑作といっていいのではないかと思うのですが、問題はバトンですね。(笑)
つけ筋は 「ウソとマコト」
、あるいは 「文豪」
ということで、何とかご容赦いただきたいのですが、紹介するのは 大江健三郎「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)
です。
まあ、 94日目
です。あと 2回
、
「今回はちょっと大物を!」
と思っていたら、なんと、亡くなってしまうという事件(?)もあって、 4月7日
にバトンを受け取った時から決めていたようなものです。
実は、昨年の秋、偶然、手に取った 「大江健三郎自選短篇」(岩波文庫)
で 「奇妙な仕事」
から 「飼育」
という始まりの作品を読んだことで、ぼくにとっては40数年ぶりの 大江ブーム
に火がついていまして、 「雨の木を聴く女たち」(新潮文庫)、「新しい人よ眼ざめよ」(講談社文庫)、「河馬に嚙まれる」(講談社文庫)
と、ヤメラレナイ、トマラナイ状態で、 「静かな生活」(講談社)
を読んでいる最中に彼の死が報じられるという事件がありました。
で、これまた、偶然ですが、4月のはじめに、4年ぶりの帰省の機会がありました。実家の本棚には、その昔、読み捨てるようにして送っていた 「懐かしい年への手紙」(講談社)
以降の大作単行本群が並んでいました。まあ、それが用事での帰省なのですが、片付けを促されている棚を眺めながら
「死んじゃったんだから読みなおそうか。」
という気分になってしまったんですね。仕方がないので担いで電車に乗って帰って来て、 「懐かしい年への手紙」(講談社)
を読み始めたところに DEGUTIさん
からのバトンでした。
で、 100days100bookcovers
での紹介はどれにしようか迷ったのですが、 「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)
です。結果的に 昭和、平成の
文豪
(この言い方あんまり似合わないけど) 大江健三郎
の 最後の作品
になった小説です。
もし、もう一度読んでみようかとお考えの方がいらっしゃるなら、今度はお終いから始めてみませんかというような気分の紹介です。初めての方には、少し難渋かもしれませんが、後期の 大江
得意の自作引用が山盛りなので、過去の作品についての興味を促す、 呼び水
的な働きも期待できるかなとも思いました。
題名が 「オリエンタリズム」(平凡ライヴラリー)
で有名な エドワード・サイード
の遺作 「On Late Style晩年のスタイル」(岩波書店)
に由来していることは、 大江自身
が本書の中で繰り返し語っています。 大江
独特のディレッタンティズムが題名からも匂ってきて、めんどくさいのですが、内容は、案外、素直でした。
2013年の発表
当時、 78歳
であった 作家自身
も自らの遺作としてこの作品を考えていたのだろうか、というのが読み始めたボクの疑問でしたが、実際に遺作となった 「最後の仕事」
なのですが新しい工夫(まあ、いつものことながら、これは少しめんどくさいのですが)に満ちた傑作だとボクは思いました。
目次
前口上として 9
余震の続くなかで 12
三人の女たちによる別の話(一) 22
空の怪物が降りて来る 34
三人の女たちによる別の話(二) 47
アサが動き始める 57
三人の女たちによる別の話(三) 88
サンチョ・パンサの灰毛驢馬 97
三人の女たちによる別の話(四) 114
カタストロフィー委員会 121
死んだ者らの影が色濃くなる 151
「三人の女たち」がもう時はないと言い始める 174
溺死者を出したプレイ・チキン 190
魂たちの集まりに自殺者は加われるか? 219
五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽 258
私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。310
どう紹介していいのかわからないので、とりあえず 目次
を載せてみました。それぞれの章の題名の後ろの数字はページ数ですが、たとえば 第2章
から繰り返し出ている 「三人の女たち」
というのは、ここまで 大江の作品
に繰り返し登場した 「アサ」、「千樫」、「真木」
で、 アサは妹、千樫は妻、真木は娘
です。この作品の 特徴の一つ
は、 その三人
が、それぞれ、自らの言葉と文体で、自分たちが登場させられてきた作家の作品のウソを暴くという構成です。
二つ目の特徴
は、一つ目の方法をとる限り当然の成り行きなのですが、作家の旧作が次々と引用され、参照されることです。その結果、たとえば、 ギー兄さん
と名付けられて彼の過去の作品では重要な役柄を担った人物の謎解きとか、 「空の怪物アグイー」(新潮文庫)
で登場した 「アグイー」
という怪物と、本書では 「アカリ」
と名付けられている 長男
との関係のリアルな描写とか、 大江健三郎
の小説世界の謎解きのようなエピソードが新しい語り手によって語られ、新たな物語が進行します。
後期の代表作が執筆された 1990年
当時の流行言葉に 「脱構築」
という哲学用語がありますが、この作品では 作家大江健三郎
が自ら作り出したウソの物語世界を 「脱構築」
しているかに見えるスリリングな展開なのですが、 「個人的な体験」(新潮文庫)
あたりから 大江
をとらえ続けてきたのは 「死」への不安
、あるいは 「生」への懐疑
という主題ではないかと、まあ、ボクは勝手に疑ってきたわけですが、それを 「生き直し」の可能性
という超積極的な主題へと一気に 宙返り
させる結末へ、いかにつなげていくのかという真摯なあがきこそが、この作品のすごさといっていいと思います。
「この項つづく」
とうそぶきながら、書き続けてきて後期高齢者の年齢に踏みこんだ 作家
の 「最後の仕事」
のテーマが 「生き直し」
だという驚きもさることながら、 「私」
ではなくて 「私たち」
という主語で語って見せる、まさに、
戦後民主主義者の祈り
を輝かせようとする、時代にあらがう力技に驚きをこえた何かに胸打たれるの、ボクの年齢のせいなのでしょうか。
とか、なんとか、なんだかわけのわからないことを書き連ねています、まあ、とりあえず印象に残ったところを抜き出してみますね。
パパはずっと以前、私に翻訳とペーパーバックの原書を合わせて「トムは真夜中の庭で」をくれた時、「もう時間がない」“Time no longer” という言葉を覚えておくようにと、いった。それから幾年もたって、この前行ったのと同じ意味でエリオットの一句も大切なんだ、やはり二つの組み合わせで覚えるといい、といった。「時間です どうぞお早くねがいます」“Hurry up please it`s time”と書いたカードを渡して…(P179)
「三人の女たち がもう時はないと言い始める」 という章にある 真木 のセリフです。小説上では 父親 の
圧制をやり返す罵声を発する
娘
の発言の、かなり長いエピソードの一節として書かれているのですが、ボクの引用の理由は、ここに出てくるのが、このブックカバーチャレンジの 81日目
、 SODEOKAさん
によって紹介されたあの本だということです。どうです、ちょっと気になりませんか?
続けてもう一つ引用です。
「いつも長江さんはチガウ言葉でいいます。私のいうことは、全然聞きません。そして私のいったのとチガウ言葉でいいます。それが、全然ダメです。真木ちゃんも、ママもそういっております。」
この小説では アカリ
と名付けられている長男の言葉です。 「個人的な体験」
以来、 大江作品
の主題を担う人物として、登場し続けてきた 長男
はこの時 50歳
です。その 長男
が 「長江さん」
と呼びかけています。うまく言えませんが、決定的な発言が書き込まれている印象です。
というわけで、平成の ノーベル文学賞作家
の 「最後の仕事」
は、どんな結末を迎えるのか、ちょっと気になりませんか?
本書の最終章には、 「詩」
を断念したはずの作家の、100行を超える詩が記されています。 第1連の冒頭
と 最終の2連
を引用します。
生まれてくること自体の暴力を
乗り超えた、小さなものは
まだ見えない目を 固くつむっている。
初孫に 自分の似姿を見て
近づける 顔の気配に、
小さなものは泣き始める・・・・
(中略)
否定性の確立とは、
なまなかな希望に対してはもとより、
いかなる絶望にも
同調せぬことだ・・・・
ここにいる一歳の、無垢なるものは、
すべてにおいて 新しく
盛んに
手探りしている
私の中で
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに 老人は答えたい、
私は生き直すことができない。しかし
私たちは生き直すことができる。
これが、 大江自身 が小説の結末として 残していった 、彼の
全作品の最後の言葉
です。できれば、それぞれの方が、それぞれ、手に取って確かめていただければいいなと思います。
それでは YAMAMOTOさん
、 95日目
よろしくね。
SIMAKUMA・2023・04・23
追記
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