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「いやー、そこまで書きますか!?」 と70歳を迎えることにビビっている、前期高齢者のシマクマ君がひっくり返りそうな率直さで、10年ほど前に亡くなった配偶者 、河野裕子さん との出会いから結婚までの思い出をつづっていらっしゃる 「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社) です。
あけっぴろげ! とはこのことですね、文書に書かれている当事者が、すでにいらっしゃらないので、まあ、文句をつける人はいないのかもしれませんが、ボクが、もし、同居人との出会いを、こんなふうに赤裸々に描きこんで公開するというと、ボクの場合は、まだ、生きている当事者である同居人が許さないでしょうね。
あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでもおれの少年 で、それに対応して乗せられているのが
永田和宏『メビウスの地平』
こう詠ったのは、一年程も前のことだったろうか。自らの幼さを呪詛するように 「畜生!」 と吐き出した少年は、そのはるかに遠かった胸にようやく到達した。 (「わが愛の栖といえば」P196)
ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり これは 自伝 なのか、 回想 なのか、はたまた、 告白 なのか、まあ、よくわかりませんが、 新潮社 のPR誌 「波」 に2020年1月号から2021年6月号まで連載されていた 「あなたと出会って、それから…」 というエッセイ(?)の単行本化されたもののようです。
河野裕子「森のように獣のように」
「えっ?あなたと、あなたの奥さんの実話?」 というわけですからね。短歌どころではない内容で、やっぱり、のけぞりましたね(笑)。そのまんま書き残していること自体が「若気の至り」とでもいうほかない、若き日の経験ということが、まあ、誰にでもある気がしますが、それを50年後に人目にさらすというのがすごいですね(笑)。
愛する人を失った時、失恋でも、死による別れでも、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからだけではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのでもある。私は2010年に、40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今ごろになって痛切に感じている。 本書の 「おわりに」 の章で 「知の体力」(新潮新書) という、ご自身の著書からの引用ですが、 「愛する人」 とか、真っ向から口にされると、まあ、チョットのけぞるのですが、著者の誠実な生き方が告白されていることは疑いないですね。
二人の現代歌人の青春記! 好き嫌いは別れそうですが、やっぱり読みごたえはありますよ。
追記
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