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内田樹「図書館には人がいないほうがいい」(アルテスパブリッシング) あのー、ですね、40年近く高校の国語の教員をやってきて、最後の数年、図書館長という、まあ、そういう役職名はないんですが、勝手にそう名乗る仕事になって、如何に、よりたくさんの生徒さんが図書館に来るかということ目標にして仕事をしました。 手製の看板やチラシを作ったり、特集コーナーを作ったり、大工仕事を請け負っていただいた校務員さんともども、悪戦苦闘というか、まあ、実際は楽しい日々だったのですが、まあ、しかし、高校の図書館に生徒さんを呼ぶのは至難の技でした。 で、あれから、10年ですね。先日、市民図書館の新刊の棚に内田樹の「図書館には人がいないほうがいい」(アルテスパブリッシング)という本を見つけて、書名の過激さに、思わず借りてきました(笑)。 で、ご案内です。 図書館にはね、本来、人が集まって、ワイワイやる機能はないの、誰もいない、本だけ山盛りあるのが正しいの。それでいいの! まあ、そういうご意見です。で、あれこれ苦労したことをすっかり忘れて、ナルホド! と納得でした。 とりあえず、この本ができた経緯について内田さんが語っています。少し長いですがお読みください。もうこれだけで「読書案内」ですね(笑)・ 日本語版のためのまえがき というタイトルを見て驚く方がおられると思います。そうなんです、これは「韓国語版」がオリジナルで、それを翻訳したのがこの「日本語版」という本なんです。 最初に少しこの本の出自についてご説明します。 僕は10年くらい前から毎年韓国に行って講演旅行をしています。最初のうちは教育関係の講演依頼が大半でした(『先生はえらい』や『街場の教育論』が僕の著書の中では比較的早くに韓国語訳が出たせいです)。でも、そのうちに僕の他の分野の著作もどんどん訳されるようになりました(これまでに40冊くらい訳されたそうです)。『レヴィナスと愛の現象学』や『レヴィナスの時間論』のような「難物」まで訳されているのです。 これはひとえに本書の企画をしてくれた朴東燮先生という献身的かつ超有能な翻訳者のおかげです。 朴先生は「世界でただ一人の内田樹研究者」を自認されるほどの内田フリークで、僕の著作は当然、ブログに書いたものも、SNSに書いたものも、誰も知らないような媒体に寄稿したものまで、ほぼ網羅的に蒐集しているという奇特な方です。最初にお会いしたころはヴィゴツキー心理学を専門にする大学教員だったんですけれど、大学を辞めて「独立研究者」になり、以後は好きなことを研究したり、本を書いたり、セミナーを開いたり、こうして僕の書き物や日本のさまざまな書物を韓国の読者に紹介する仕事をしておられます。 日韓の文化的な相互理解のために朴先生ほど尽くされている人は他になかなか見出し難いので、ほんとうなら日韓両政府から「日韓の相互理解と相互信頼の醸成のために大きな貢献を果たした」といって勲章をもらってもいいくらいのご活躍をされています。残念ながらいまの日韓両国政府には「日韓市民が相互理解を深める」ことを外交的なポイントにカウントする政治的習慣がありません。安全保障のことを真剣に考えたら、こういう仕事こそODAや合同軍事演習よりずっと価値があると思うんですけれど。まあ、愚痴を言っても始まりません。 とにかくその朴先生のおかげで僕の本が韓国語にどんどん訳されて、おかげで「内田というのは、なんだかいろいろなことを書いているらしい」ということが韓国内で周知されるようになりました。そしてついには「韓国で企画された、韓国オリジナルの内田本を出したい」と考える出版社まで登場してきたのでした。これには僕もびっくりしました。 3年前にソウルに行ったときにその出版社の方とお会いしました。熱心に企画をお話しくださるのですが、僕は、ご存じのようにだいたいいつも同時並行に数冊の「文債」を抱えていて、「まだかまだか」と編集者に責められて青息吐息というのがデフォルトなので、とても新規の書き下ろしは無理ですと申し上げました。それでも、「内田先生の本を待望している韓国の読者のためにぜひ」と熱心に懇請されて、僕もふらふらと心が動いて、「じゃあ、みなさんから『内田に訊きたいことがある』というご質問があれば、それを伺って、それに僕がご返事をするというかたちで書くことにしましょう」とご返事をいたしました。 そうやって朴先生と往復書簡のやりとりが始まりました。それが1年ほど続いて、なんとか一冊の本になりました。でも、それはこの本じゃないんですよ。間違えないでくださいね。それは韓国では『内田樹の勉強論』というタイトルで出版されました(そのうち日本語版も出るはずです)。 本書も韓国語版がオリジナルですけれど、コンテンツは日本語の「ありもの」コンピレーションです。本書の骨格になったのは僕が2023年夏に図書館司書たちの集まりで講演をしたその講演録です。講演録そのものは学校図書館問題研究会の機関誌に掲載されたのですが、機関誌ですからあまり読者が多くない。せっかくだからと僕のブログに上げました。するとそれを読んだ朴先生が「図書館と書物を主題にして一冊作る」というアイディアを思いつかれたのです。 そうして、僕がこれまでに書いた「図書館と書物」についてのエッセイを片っ端から集めて一冊作り、それを韓国語に訳して、『図書館には人がいないほうがいい』というオリジナルのコンピレーションを作りました。 その本は今年(2024年)の春に刊行されましたが、驚くべきことに、僕の本としては初めて韓国でベストセラー入りしました(ほぼすべての主要メディアが書評に取り上げてくれました)。内田本としては過去最高の売り上げを記録中だそうです。すごいですね。これは朴先生の企画力の勝利という他ありません。 その日本での出版を朴先生がアレンジしてくださり、こうしてアルテスパブリッシングから出ることになったのが、この日本語版です。 朴先生は韓国語版のために長文の「内田樹論」を書いてくださいました。李龍勲先生も韓国の図書館文化にとって本書が持つ意味を明確な言葉で語ってくださいました。この場を借りてお二人のご厚意にも感謝申し上げます。 先に書いた通り「ありものコンピレーション」ですので、たしかに韓国の読者にしてみたら、どれも「初めて読むテクスト」ですけれども、日本人読者にとってはそうではありません。収録されたテクストの大半は僕のブログにすでに掲載されていて、今でも読めます。図書館司書さんたち相手の講演録は、半分弱に縮めて、『だからあんなに言ったのに』(マガジンハウス新書)に採録しました。ですから、そちらをお読みになった読者が本書をぱらぱら読んでいるうちに強い既視感に囚われて「ああ、オレはデジャヴュを経験しているのだろうか」と頭がくらくらしても、病気じゃないから大丈夫です。ほんとに「同じ話」を読んでいるんですから。 図書館司書さんのための講演以外にも、「これ、どこかで読んだぞ」というものが散見(どころじゃないです)されると思いますが、これはもともと日本で既発のものを韓国語に訳して出すという企画ですから、「日本で既発のもの」については既読感があって当然なんです。 ですから、この「まえがき」で読者のみなさんに警告しておきますけれど、中身を読まずに買っちゃだめですよ。まずぱらぱらと立ち読みして、「既読のもの」と「未読のもの」の比率が……そうですね、3:7くらいだったら、買ってもいいと思います。既読が4割超えてるなと思ったら、書棚にそっとお戻しください。でもほら、好きなミュージシャンのベスト・アルバムを買うときって、「ほとんどの曲はもう持ってるけれど、これとこれはこのアルバムにしか収録されていないからなあ……」と悩んだ末「えいや」と買うっていることあるでしょう。あの気合ですよ。 さて、以上でこの本の成り立ちと「警告」はおしまいです。 この本の中味について少しだけ解説しておきます。 これは図書館と書物に関する本です。僕は本が大好きです。今読んでいる本も、これから読む本も、たぶん読まずに生涯を終える本も、読んだけれどすっかり内容を忘れてしまった本も、あらゆる本を僕は深く愛しております。その形態が紙であれ電子書籍であれ、ベストセラーであれ a selected few のための本であれ、あらゆる書物に神の祝福が豊かにあることを僕は願っております。 僕がこの本で言いたかったことはとりあえずは二つです。一つは、書物の歴史は資本主義の歴史より長いということ。もう一つは、書物はたとえそれを手に取る人が100年間一人もいなくてもそれでもアーカイブされる価値があるということです。 僕がそう思うようになった理路については本書を徴されてください。 僕がその意を強くしたのは『ジョン・ウィック:チャプター2』(2017年)を観た時です。本書にも書きましたが、あの中でニューヨーク中の殺し屋に追われる身となったジョン・ウィックはニューヨーク公共図書館に逃げ込みます。ひとけのない書架の奥の方にある厚い書物をくり抜いて、そこにジョンはたいせつな宝物を隠していたので、それを取りに行ったのです。もちろん宝物はちゃんとそこにありました。彼がその本を前に書架に戻してから後、どれくらいの歳月が流れたか知りませんが、誰一人その本を開かなかったのです。僕はその場面を観て、「図書館はこうじゃなくちゃ」とつい呟いてしまいました。そうなんですよ。そこが図書館の「すごいところ」なんです。 図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、書物であれ、美術品であれ、音楽であれ、アーカイブされた場所にはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触れることができる。 この本はそういう「変なこと」をなんとか読者のみなさんに分かってもらおうと思って書てくれました)。 では、最後までどうぞお読みください。また「長いあとがき」でお目にかかります。 いかででしょうか。 ボクが、本書を読み終えてポイントだと思うのは 図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、書物であれ、美術品であれ、音楽であれ、アーカイブされた場所にはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触れることができる。 ですね。 「アーカイブ」っていう流行言葉が使われていますが、直訳すれば、「保存する」ですね。ご存知でしたか?そうなんです、図書館は「本の置き場」 なのです。 教員生活最後の数年間、ボクは開架書棚と奥の倉庫にある5万冊を越える蔵書の表紙にバーコード・ラベルを貼り、PCの蔵書目録にデータを記入し、貸し出し可能な蔵書化するのが仕事でした。 本好きの教員には、夢のような仕事だったのですが、気づいたことが一つだけあります。PCで、データ化された本と棚に並べた本はちがうのですね。 迫力というか、リアリティというか、影響力というか、何かが違うのです。 それから、もう一つ、つくづくと実感したのは、まあ、ちょっと古いとはいえ、県立高校の、たかだか5万冊程度の蔵書を触って、40年近く教員をしてきた自分の読書量の少なさでした。教員面の割に、大した本を読んできたわけじゃあねえな! まあ、その時感じたのは、そういう気分でしたが、で、この本で、内田さんがおっしゃっていることは、多分そういうことです。図書館で大切なことは棚を見上げた人間に「おまえは大した奴ではないね!」 と教えることなんです。 まあ、そのあたり、著者の語り口の面白さも含めていかがでしょう。本好きな人には、特におすすめですよ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.09
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糸井重里「ボールのようなことば。」(ほぼ日文庫) なんだか久しぶりの糸井重里です。「おいしい生活」とか「不思議大好き」とか、いまとなってはどこの、なんのキャッチコピーだったのかわからないのですが、「彗星のように登場した、元ペケペケ派!コピーライター。」として知ったのが40年前です。「コピー・ライター」という職業名を普通名詞にした人というのが、シマクマ君の定義なのですが、詩人で評論家の吉本隆明が、今から10年ぐらい前に亡くなった前後、彼の生前の講演を、音源のままCD化してヒット商品に仕立て上げるという離れ業には、感心した記憶があります。 で、最近、松本大洋の「ルーヴルの猫」、「かないくん」と、立て続けに糸井重里がらみで出会って、気になって手にしたのが、この本、「ボールのようなことば。」(ほぼ日文庫)でした。2012年に出版されている文庫本ですが、「みっつめのボールのようなことば。」(ほぼ日文庫)まで出ているようですから、ヒットしているのでしょうね。 これが裏表紙ですが、ネットで見ると、三冊とも表紙、挿絵は松本大洋のようです。 で、内容はというと、全編、糸井重里の、まあ、箴言集です。だから、糸井重里的「ことば」が嫌いな人は「きらい」が凝縮されていますから、たぶん無理です。ぼくは、ついていけるような、いけないような、中間地帯の人です。世の中はね、男と女とコロッケしかいないんだから、仲良くしなきゃだめだよ。 こういうのに出会うと、うまいもんだと感心しますね。でも、たとえばこんなのもあります。「わからないですね」って、しっかり言える人って、ぼくはやっぱりかっこいいと思うんですね。吉本隆明さんの口からも、よく、「わからないですね」ということばを聞きます。一昨日、原丈人さんにお会いしたときにも、すっと答えそうな質問に、「わからないですね」ということばが返ってきました。このおかげで、別のさまざまな答えに、逆に真実味が増したという気がします。ぼく自身のことを思い出してになすと、この「わからないですね」を、ちゃんと言えるようになってから、まだ10年くらいのような気がしています。自分のことだから、かっこいいとは言えないけれど、言えるようになってよかったじゃないか、という気持ちはあります。「わからないですね」が言えるようになると、ものすごくいいです。なにがどういいのか、うまく言えないんですが、とにかく息がらくになると思います。(P148~P149) なんというか、吉本隆明と原丈人と、ご自分の糸井重里を並べている、ちょっと考えつかない、このバランス感覚がすごいと思いますね。 ちなみに、原丈人というのは、「公益資本主義」とかっていってて、アベとかキシダとかいう人達のブレーンしてる人ですね。団塊世代より後の世代のトップ・ランナーとかの一人でしょうね。 吉本=戦後、糸井=団塊、原=団塊以後という並びです。で、おっしゃっていることとは別ですが、この並べ方に、ぼくは、なんだかアザトさを感じたりしちゃうわけです。なんか、お商売がお上手っていうか。 でも、その次に、こんなふうなのがあるんです。原爆が落とされたおかげで戦争が終わった、などという理屈が、ちょっとでも正しく聞こえたとしたら、「それはもう、とてもおかしいことなんだよ」と、ぼくは言いたい。いや、仮にその理屈が正しいとしたって、ぼくは正しくない側にいるつもりだ。(P245) とか憶えていようと思ったわけでもないのに、忘れないことは、いっぱいある。なんでも、こんなに憶えているもんなんだと知っていたら、もっと丁寧に生きてこられたかもしれない。(以下略・P275) とかね。 で、こういうのに出会うと、「まあ、いいか」と思うわけです(笑) この本の表表紙と裏表紙を並べるとこんな感じになりました。この人間関係というか、ここにいる人たちが、ぼくには、なんだかとても遠いですね。知っているようで知らない。本のなかの「ことば」が、彼等に「消費」されるということが、たぶん「よくわからないんです。」 まあ、それにしても、松本大洋の表紙も、挿絵も、とてもいいですね。売れるはずです(笑)
2022.05.12
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高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書) 今日の案内は、高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書)です。2021年5月30日に出版されたようですから高橋源一郎の最新刊でしょうね。 チッチキ夫人が通勤読書で読んでいたようで、コンサートかなにかのチラシでカヴァーされた本が食卓の「積読」書の小山の上に乗っていました。カヴァーをとってみると、幅広の腰巻に作家の写真と、キャッチコピーが印刷されています。本冊は純白です。 で、コピーの文句を見て気になりました。いやはや、簡単に釣られる客ですねえ。 「《否定の『ことば』》ってなんやろう。」 腰巻の裏表紙側を見ると、こんなことが書かれていました。 かつて、ツイッターは、中世のアジール(聖域)のように、特別な場所、自由な場所であるように思えた。共同体の規則から離れて、人びとが自由に呼吸できる空間だと思えた。だが、いつの間にか、そこには現実の社会がそのまま持ち込まれて、とりわけ、現実の社会が抱えている否定的な成分がたっぷりと注ぎこまれる場所になっていた。 「ハアー、またもやツイッターか。」 ツイッターで詩を書いている詩人もいらっしゃいますが、高橋源一郎はすでに、ツイッター形式で「今夜は独りぼっちかい・日本文学盛衰史・戦後文学編」という小説を書いています。ツイッターの形式でページが埋まることに最初は戸惑いましたが、今では、左程こだわりません。それより「否定のことば」といういい方が気になりました。 ページを繰るとすぐにありました。 高橋源一郎は、開巻早々、最近はやっているらしいカミュの「ペスト」という小説からこんな引用を載せています。面白いので、全文孫引き引用しますね。 読み返すのは、ほぼ半世紀ぶりだった。最初に読んだ頃には、「ペスト」とは、この小説が書かれる直前に終わった「第二次世界大戦」、「戦争」の比喩である、そう読むのが普通だった。 しかし、今回は、もっと別の箇所が、目覚ましく浮かび上がってくるのを感じた。おそらく、著者が最も読んでもらいたかったのは、この箇所だったのだ、と思えた。 登場人物のひとりタルーが、主人公のリウーに、こう告げるシーンだ。「時がたつにつれて、僕は単純にそう気が付いたのだが、他の連中よりりっぱな人々でさえ、今日では人を殺したり、あるいは殺させておいたりしないではいられないし、それというのが、そいつは彼らの生きている論理の中に含まれていることだからで、われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つなしえないのだ。まったく、ぼくは恥ずかしく思い続けていたし、僕ははっきりそれを知った―われわれはみんなペストのなかにいるのだ、と。…中略… ぼくは確実な知識によって知っているんだが、(そうなんだ、リウー、僕は人生についてすべてを知り尽くしている、それは君の目にも明らかだろう?)、誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ、なぜかといえば誰一人、まったくこの世の誰一人、その病毒を免れているものはないだろうからだ。 そうして、引っきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。自然なものというのは、病菌なのだ。 そのほかのもの―健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志はけっしてゆるめてはならないのだ。 りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、けっして気をゆるめないようにしていなければならんのだ」(アルベール・カミュ、宮崎嶺雄訳「ペスト」新潮社) 人間はみんな、「ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまう」。このとき吹きかけられる「息」とは、「ことば」に他ならない。「ことば」こそが、人間たちを感染させ、殺してゆく元凶だった。(「言葉に殺される前に」P18) カミュは、国籍を問われたとき、こう答えた。 「ええ、ぼくには祖国があります。それはフランス語です」 カミュの名を世界に知らしめたのは、デビュー作『異邦人』だった。主人公ムルソーは、どこにいても、自分が「異邦人」であると感じる。 どんな国家にも、どんな民族にも、所属できない。どんなイデオロギーや倫理や慣習にも服従することができない。どんな正義も、それが「正義」であるだけで、彼は従うことができないと感じるのである。 そんなムルソー=カミュが、唯一、生きることが可能だったのは、その作品の中、フランス語という「ことば」が作り出した束の間の空間だった。その空間だけが、彼を「等身大」の人間として生きさせることができた。 フランス語という「ことば」が作り出した、束の間の、「文学」という空間。「文学」はあらゆるものでありうるが、自らが「正義」であるとは決して主張しないのである。 「ことば」は人を殺すことができる。だが、そんな「ことば」と戦うことができるのは、やはり言葉だけなのだ。(「ことばに殺される前に」P22) これらは、「ことばに殺される前に」と題されて、本書の冒頭に収められた文章の引用ですが、本書を読み終えたとき、引用したこれらの発言が、ムルソー=カミュ=高橋源一郎と自らを規定し、「日本語」を祖国とすること、「日本語」が作り出した「文学」という空間に生きることを宣言した文章だと気づきました。 本書をお読みになれば、すぐにお分かりいただけると思いますが、高橋源一郎は「正義」を振りかざしして「人を殺し」始めている国家やイデオロギーの攻撃に対して、または日常的で小さな、一つ一つの事象に広がっている戦線において、実に丁寧に、戦いを挑んでいます。この戦いに「勝利の日」が来るのかどうか、それは、いささか心もとないわけですが、しかし、誠実であることによってしかなしえない「闘争」に終わりはありません。 闘争現場については。本書をお読みいただくほかありませんが、いかんせん、闘争記録が、ほぼ十年前のものであることだけが、少々惜しまれます。
2021.08.31
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高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その3)」(NHK出版) せいぜい100ページ余りの「読むって、どんなこと?」を案内するのに、えらく手間取っています。単なる偶然ですが、引用されているテキストのほとんどがぼくの書棚にもあることがうれしくて読み直しているとかしているわけでもありませんが、案内し始めると立ち止まってしまって、やっぱりこれも書いておこうという感じなのです。 だからと言って、ここに書いていることに意味があるとか言いたいわけではありません。でも、例えば今から案内する6時間目のテキストの詩なんて、やっぱり考え込んでしまうわけです。 で、(その3)は6時間目の紹介です。テーマは「個人の文章を読む」ですが、国文学者で、詩人の藤井貞和の詩がテキストです。 とりあえず詩を引用します。高橋先生は「いい詩だ。」と言い切っていますが、いかがでしょうか。 雪 nobody さて、ここで視点を変えて、哲学の、 いわゆる「存在」論における、 「存在」と対立する「無」という、 ことばをめぐって考えてみよう。 始めに例をあげよう。アメリカにいた、 友人の話であるが、アメリカ在任中、 アメリカの小学校に通わせていた日本人の子が、 学校から帰って、友だちを探しに、 出かけて行った。しばらくして、友だちが、 見つからなかったらしく帰ってきて、 母親に「nobodyがいたよ」と、 報告した、というのである。 ここまで読んで、眼を挙げたとき、きみの乗る池袋線は、 練馬を過ぎ、富士見台を過ぎ、 降る雪のなか、難渋していた。 この大雪になろうとしている東京が見え、 しばらくきみは「nobody」を想った。 白い雪がつくる広場、 東京はいま、すべてが白い広場になろうとしていた。 きみは出てゆく、友だちをさがしに。 雪投げをしよう、ゆきだるまつくろうよ。 でも、この広場でnobodyに出会うのだとしたら、 帰ってくることができるかい。 正確にきみの家へ、 たどりつくことができるかい。 しかし、白い雪を見ていると、 帰らなくてもいいような気もまたして、 nobodyに出会うことがあったら、 どこへ帰ろうか。 (深く考える必要のないことだろうか。) 高橋先生は「nobodyがいたよ」という言葉が生まれる場所について「あちらの世界とこちらの世界」を行ったり来たりする「すきまの世界」だといっています。そして、そういう場所にしか存在しえないものとして「個人」という概念を持ち出してきました。 で、その話の続きで引用されるテキストが詩人荒川洋治の「霧中の読書」(みすず書房)というエッセイ集からウィリアム・サローヤンの「ヒューマン・コメディ」(光文社古典新訳文庫)の紹介である、「美しい人たちの町」についてという文章でした。 5時間目の「審判」の主人公は「故郷」から旗を振って送り出された兵士が「帰るところ」を失った話だったといってもいいかもしれません。藤井貞和の詩に登場する小学生は、あっちの「故郷」とこっちの「故郷」の間に立って友だちをさがしています。サローヤンが描いた、「イサカ」という美しい町は戦地で死んだ青年の戦友が、友だちの話に憧れてやってくる町でした。 気付いてほしいことは、それぞれの登場人物たちが、それぞれ「一人」だということだと高橋先生いっているようです。 さて、やっとたどり着きました。「おわりに」の章は、「最後に書かれた文章を最後に読む」というテーマで批評家加藤典洋の「大きな字で書くこと」(岩波書店)から「もう一人の自分をもつこと(2019年3月2日)」というテキストの引用でした。 鶴見俊輔の文章もそうでしたが、このテキストも加藤典洋の遺稿といっていい文章です。「読む」ということを考えてきた授業の最後に高橋先生が取り上げたのは、批評家が書き残した「キャッチボールの話」でした。ボールは言葉だなんていうことを言ったわけではありません。「一人」で生きてきたことを自覚していた批評家が何故、最後の最後にキャッチボールの思い出を書いたのか。そこを考えることが「読む」こととつながっていると高橋先生はいいたかったのかもしれません。 なんだか、ネタをばらさないで書こうとした結果、最後まで意味の分からない文章になりました。 多分図書館で借りることができる本だと思います。「読む」だけなら半日もあれば大丈夫です。興味を引かれた方は是非読んでみてください。まあ、考えはじめれば「尾を引く」かもしれません。少なくとも、子供向けで済ますことはできない話だろいうことはわかっていただけるのではないでしょうか。 いや、ほんと、ここまで読んでいただいてありがとうございました。(その1)・(その2)はこちらからどうぞ。
2021.03.04
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高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その2)」(NHK出版) 高橋源一郎「読むって、どんなこと?」の(その2)、「つづき」ですので、裏表紙を貼ってみました。時間割と「テーマ」が読み取れるでしょうか。 それぞれの授業で、学校の教室の勉強では「読めない」テキストが使用されています。 1時間目は「簡単な文章を読む」というテーマの授業ですが、テキストはオノ・ヨーコ「グレープフルーツ・ジュース」(講談社文庫)です。ぼくがこれまでに燃やした本の中でこれが一番偉大な本だ。ジョン・レノン 1970年 という言葉で始まる本だそうですが、オノ・ヨーコさんの「簡単な文章」の例はこうです。「地下水の流れる音を聞きなさい。」 これに対して、学校でならう詩の中で、ある時期、まあ、今でもかもしれませんが、代表的な人気を誇った黒田三郎さんのこの詩が対比されます。 紙風船 黒田三郎 落ちて来たら 今度は もっと高く もっともっと高く 何度でも 打ち上げよう 美しい 願いごとのように 二つの詩、あるいは詩(のような文章)と詩が比較されて論じられますが、興味が湧いた人はこの本を探して読んでみてください。学校の先生は、何故、オノ・ヨーコの文章を教室では扱われないのでしょう。 そういう問い方を高橋先生はするのですが、おわかりでしょうか。 2時間目は「もうひとつ簡単な文章を読む」時間です。テキストは哲学者の鶴見俊輔、「もうろく帖(後編)」(編集グループSURE)からの引用です。 お読みになる前に(その1)で引用した「そのときの人ぶつのようすや気もちを思いうかべながら読みましょう」という、小学生2年生に対する読み方の指針を思い出してみてください。2005年11月4日 友は少なく。これを今後の指針にしたい。 これからは、人の世話になることはあっても、人の世話をすることはできないのだから。2011年5月20日 自分が遠い。2011年10月21日 わたしの生死の境に立つとき、私の意見をたずねてもいいが、わたしは、わたしの生死を妻の決断にまかせたい。 最後の10月21日の文章が、鶴見俊輔の絶筆だそうです。この文章を書いた6日後、脳梗塞を発症し、「ことばの機能」を失い、「書く」ことや、「話す」ことができなくなった老哲学者は「読む」ことだけはできたそうです。最後の数年間、2015年7月20日に93歳でなくなるまで、ただ「読書の人」であったようです。 高橋先生はそんな鶴見俊輔の姿を思いうかべながら「読む」ことについて問いかけています。この「文章」を「そのときの人物」になって「読む」とはどうすることでしょう。最後まで本を手放さなかった哲学者を思いうかべて考えてみてください。 またしても長くなっていますね。ここからは、できるだけテキストだけ紹介します。 3時間目は「(絶対に)学校では教えない文章を読む。」というテーマです。テキストは永沢光雄「AV女優」(文春文庫)から、刹奈紫之(せつなしの)さんという人のインタビュー。 はい、間違いなく学校では教えません。初めてお読みになる方は「アゼン」となさるんじゃないかと思います。しかし、なぜ、学校では読まないのでしょう。 ぼくは読んだことがありますが、そこには「本当のこと」が書かれていて、きちんとお読みになれば、実はすごいインタビューだということはわかるのですが、教室で読もうという発想にはなりませんでした。なぜでしょう。 4時間目は「(たぶん)学校では教えない文章を読む。」というテーマですが、テキストの坂口安吾「天皇陛下にささぐる言葉」(景文館書店)は、授業で扱うには、かなり度胸がいることがすぐにわかります。同じ作家の「堕落論」を教室で読むことはあっても、この文章を教室に持っていくことはためらわれます。なぜでしょう。 ぼくは、もし、高橋先生がこの話をテレビかラジオであっても、実際に話したことをNHKが放送したのであれば、NHKを見直します。 3時間目の文章と4時間目の文章には、「私たち」の社会が隠そうとしている「なにか」について、本当のことを書いているという共通点があります。そのことを思いうかべてながら5時間目のテキストを読むと高橋先生が語ろうとしている「なにか」が見えてくる気がします。 5時間目のテーマは「学校で教えてくれる(はずの)文章を読む」です。テキストの武田泰淳「審判」(小学館)は、手紙形式の告白小説ですが、「そのときの人ぶつの気持ち」になることがまず可能な作品であるかどうかと考え込んでしまいました。 夏目漱石の「こころ」の第三部も同じ形式の告白小説ですが、あの「先生」の気持になることは可能なのかどうか、と考えられればおわかりだと思いますが、実は、限りなく難しいわけです。 その上、この作品は戦場で人を殺すことが平気になった男の告白なのです。戦後文学には、他にも同じような「告白」がありますが、本当に「読む」ことができているのでしょうか。 この辺りから高橋先生の「考えていること、語ろうとしていること」が見え始めたような気がしました。とりあえず、今日はここまでで、(その3)につづきます。 (その1)・(その3)にはここをクリックしレ下さい。
2021.03.01
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高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その1)」シリーズ「学びのきほん」(NHK出版) 小説家の高橋源一郎がNHK出版の「学びのきほん」というシリーズの1冊として書いた「読むって、どんなこと?」という本を読みました。表紙をご覧になってもお気づきだと思いますが、小学校の高学年から中学生、高校生ぐらいを読者として想定した「ふり」で書かれている本ですが、読み終えてみると「ふり」だということを痛感します。 まず、「はじめに」と題されて、「誰でも読むことができるって、本当なんだろうか」と副題された章で引用されているのはリチャード・ブローティガンというアメリカの作家の「ロンメル進軍」(思潮社)という詩集に載っているこんな詩です。1891―1944 高橋源一郎の解説によれば、ロンメルというのは人名で、ナチスドイツの将軍だった人のようですが、この詩は、そのロンメルの生没年の数字だそうですが、この詩には、この「題」はあるのですが、本文がない、白紙なのだそうです。 高橋源一郎は、この詩について、幾通りかの読み方を解説していますが、最後にこう言います。では、そもそも「読む」っていうのは、どういうことなんでしょう。 で、小学校の国語の教科書の引用が続きます。「だれが どんな ことを したかを かんがえて よむ。」 これが1年生の始まりに教えられる「読む」ことの目安です。つづけて2年生ではこんな指針があります。「そのときの人ぶつのようすや気もちを思いうかべながら読みましょう」 で、3年生、4年生、5年生は端折って、6年生ではこんなふうな指針が教えられます。 自分の考えを広げ、深める わたしたちはさまざまな文章を読むことによって、ものの見方や考え方を広げ、自分の考えを深めることができます。 小学校1年生から6年生までの習う「読む」ということについての内容がここまで引用されて、その教科書が教える「読む」ことについて高橋源一郎はこうまとめます。 いいことをいっているな、と思います。正直にいって、わたしだって、こんなふうに読んでいます。まあ、そうじゃないときもあるけど、だいたいはこう。これ以上付け加えることは、なにもない。そんな感じさえします。ふつうは、ここまで真剣に読んだりしないんじゃないでしょうか。 そして、この読み方をきちんと習った上で、試験を受け、社会のことばを立派に使いこなせるようになるのです。 いかがでしょうか。教科書の引用を大幅に端折りましたから、わけがわからないと思われる方といらっしゃるかもしれませんが、「国語」の教員だったぼくの目から見れば、引用した、小学校1年生の「読み方」の指針から始まり、6年生の「考え方」の指針のゴールまで、「国語」の時間に教員が考えていることは、ある意味、これですべてなのです。 高校生になっても「国語」の授業の基本はこんなものだと思います。高橋源一郎も触れていますが、「試験」というゴールが露骨に意識されるようになるのが違うくらいなものです。 で、高橋源一郎はこんなふうに続けます。 ところが、です。 こうやって、学校で(ということは社会で)、「読む」ということを習ってくると、おかしなことが起こるのです。 簡単に言うと、「読めない」ものが出てくるのです。 ん? というわけで、この本では、学校の優等生には「読めない」文章をどう読むのかという「テーマ」で1時間目から6時間目まで高橋先生の授業が始まるというわけです。 簡単に紹介するつもりが長くなってしまいました。高橋先生の授業で使われた「読めない」テキストについては「つづき」ということで、今日はここまでとします。 (その2)・(その3)はこちらからどうぞ。
2021.02.28
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「橋本治 最後の挨拶」追悼総特集「橋本治」(文藝別冊・KAWADEムック) 作家の橋本治が亡くなって2回目の1月29日がやって来ます。2020年の3月25日に書き始めました。新コロちゃん騒ぎに火が付き、「愚か」というしかいいようのない人物が、花見をめぐって嘘八百を垂れ流しながら、怪しげなマスクを、何百億もかけて配って人気取りをしようしていた世相にうんざりして、「そうだ橋本治なら何て言うだろう」と思い付いての所業でした。「今日3月25日は橋本治の誕生日です。」なんていう書き出しでブログの記事を書き始めてから10カ月もの間、下書きコーナーで眠っていた記事ですが、とうとう2021年になってしまいました。 橋本治 最後の挨拶 みなさん今晩は、橋本治です。今日は多分お寒い中を、私のためにおいでいただいきまして、ありがとうございます。 私は今年、七十歳になりました。平成年間中、悩まされ続けた悪夢のようなローンの返済も終わり、明治の文豪が胃癌で中絶させたままの小説のリライト版も完成させ、「草薙剣」も刊行できました。どこかから、「よかったね」の声が飛んできてもいいはずなんですが、この六月に飛んできたのは、「癌ですね」という医者のあっさりした声でした。 それで私は、十六時間の手術と四ケ月の入院生活を経て、十月二十五日に退院いたしました。「退院だから元気になっただろう」というのは全く嘘で、私の体は「退院」の声を聞くと不安になってガクガクになるようです。そんな退院後四日目に、野間文芸賞を戴き、家の中で素っ転んで顔を切りました。 そして、「やっぱりへんだな」と思っていた通り、体の中にはまだ癌細胞が少し残っているというので抗癌剤の導入をはじめ、それがどう転がってか嚥下性の肺炎ということになって、このようなていたらくでございます。いいのやら悪いのやら。 実は「草薙剣」の版元である新潮社の編集者から、「よろしければ私たちの方からもお祝いの品をお送りしたいが、何がよろしいでしょうか?」というお言葉をいただいたそうで、それを助手から聞いて、「うーん。なにがほしいって、べつになんにもないな」と言ってしまいました。欲がないのじゃなくて、ほんとになにもほしいものがないのです。 「もらえるのなら、原稿用紙かな」――するとそれを聞いた助手が「そりゃいいや」と言いました。「お前は俺を殺す気か!」とは思いませんでしたが、少しそういう気分にもなりました。 実は私は、まだ学生だった二十代の前半から、真っ新な原稿用紙を五百枚買うと幸福になる人間でした。 小説を書くというのではなく卒論を書くための紙ですが、折り目のない白い原稿用紙が五百枚、茶色いパックの中に納まっているのを見ると胸がドキドキしたのです。 それだけではなくて、その原稿用紙が文字で埋められて終ると、広げられた原稿用紙の上に両肘を載せて静かな息を一つ吐き、「ああ、終わった」とつぶやくのです。 私の人生は、初めから終わらせることを目的にしてスタートしたみたいで不思議ですが、「ああ、終わった」の一言が幸福をもたらしてくれるのは事実でした。 今でこそ原稿用紙は助手に買いに行かせますが、「ちょっとしんどいな」と思うことはあっても、書き終えた幸福感は変わりません。だから今、二千枚の原稿用紙をもらったら重荷でしょうが、五百枚や千枚の原稿用紙なら「なんとかなるかな」とは思います。 「書く内容まで決まっている」というとプレッシャーになるので言いませんが、「もういい年で立派な賞をもらったんだから、無理して続けるのはやめなさい」でもなく、「これを一歩としてもっと頑張りなさい」でもなく自分の目の前に原稿用紙が見えたら、成り行きでその上を一歩一歩歩いて行こうと思います。 成り行き任せな私には一番ふさわしい行き方です。それで最後まで行けるのか行けないかはわかりませんが。そういう宛どのない生き方が自分にはふさわしいんじゃないかと思います。ちなみに、次に書く小説のタイトルは「正義の旗」です。 あ、言っちゃった。もうやめます。 今日は本当にどうもありがとうございました。「生きるか死ぬか」の話を続けると後の方がやりにくくなるので、年寄の話は終わりにして、未来のある方へマイクをお譲りします。(文藝別冊・KAWADEムック) 小説「草薙剣」が野間文芸賞を受賞した際、受賞者の謝辞の挨拶として代読されたらしい原稿で、彼の絶筆ということになった文章です。 文中にある、明治の文豪のリライトというのは「黄金夜界」(中央公論新社)という作品ですが、尾崎紅葉の「金色夜叉」の翻案小説で、彼の死後出版されています。 橋本治という人は「桃尻娘」(講談社文庫)という怪作で、40年前に大学生だったぼくの前に登場した人ですが、晩年は「書きに書いた人」という印象がすべてです。 評論であろうが、小説であろうが、「金太郎あめ」のようにどこから舐めても、どこを齧っても橋本治でした。ぼくのようなファンにはそこがこたえられないところなのですが、「金太郎あめ」なんていうのは性に合わない人にはついていけない人だったかもしれません。 それにしても、受賞の記念品で「原稿用紙」を欲しがるなんていうのですから、まだまだ書くべきことや、書きたいことがあったに違いありません。 まあ、そこのところこそ読んでほしい一心で、こうして引用紹介しているわけです。 新コロちゃん騒ぎの昨今の世相に、彼なら何を言ったか、フト、そんなことを考える時がありますが、「ああ、終わった」とつぶやく橋本治はもういませんし、彼に代わる人は見当たらないのが現実です。 橋本治がいかに橋本治であったか、つくづくとさびしい今日この頃です。 今年も1月を迎え、月末には「モモンガ―忌」がやって来ますが、彼の作品を順番に「案内」したいという、ぼくの野望(?)も、このままだと夢で終わりそうですね。今年こそは何とかしよう。それが、2021年、シマクマ君の「年頭の誓い」ということで、今年もよろしくお願いいたします。追記2022・02・01 橋本治案内の野望というか年頭の誓いは何一つ実現されないまま、2021年は暮れて、2022年の1月も行ってしまいました。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」 子供のころ、そんな言葉をおじいちゃんからだったでしょうか、聞かされたことがあって、納得したことを覚えていますが、「行く」は「去ぬる」だったかもしれません。 まあ、そんなことはともかく橋本治です。今年の1月の末にチッチキ夫人と橋本治の命日について話していたちょうどその頃、作家の保坂和志がフェイスブックとかツイッターで、橋本治のことに触れていて「ああ、彼も、あの頃橋本治だったんだ」と思い出したりしました。 興味のある方は保坂和志のブログに追悼文が載っていますから、そちらをお読みになればいいのですが、ぼくが、ちょっとドキドキしたところを引用してみます。一九八四年、私は二十八歳になったところだった、橋本治はたった一人で男として生まれた男の子の生き方を切り拓いていた、私はあの頃、全身で橋本治に心酔してたからこういう風に言葉にできてたか、わからないがそういうことだ。「ほら、こんなに広い!」 と、橋本治は大草原なのか原野なのか、私たちに予感させた、たぶんそれは完全に見せてくれたわけではない、それはひとりひとりが自分のパフォーマンス、意図実現力によって見なければならない。いや、意図でなく願望か? 私が橋本治から教わったことは、まず願望すること、願望を持つこと、願望に正直であることだった。 まあ、大した願望ではないかもしれないぼくの野望を今年こそ何とかしようということを、もう一度「年頭の誓い」にしようと、旧正月に思っていますが、さて、来年の1月は少しは笑えるのでしょうか。それより何より、2023年の1月を無事迎えられるように、なるべく人とは会わず、こそこそ暮らしたいと思います(笑いたいけど笑えない)。追記2023・01・15 コメントとかとは縁のないシマクマ君の日々ですが、あたたかいコメントをいただいて、2022年の「年頭の誓い」を思い出しました。 2022年には、夏の終わりに、無事(?)コロナに感染して、隔離の最中に父方の叔母が亡くなるという体験がありました。葬儀に駆け付けることもままならないまま、何をどう考えていいのかわからないぼんやりした生活をしていましたが、暮れに、今度は一人暮らしをしていた義母が倒れました。意識不明の昏睡が続きましたが、コロナの世相の中で面会もままならない二週間の時が経ち、年明けに亡くなりました。どちらかというと、人の生き死ににあまり心を動かさない、薄情な人間なのですが、ショックでした。葬儀を終えて、どうして、こんなに哀しいのかわからない哀しみというほかない気持ちを引きずったまま10日が経ちましたが、コメントをいただいてホッとしました。 読んできた本を1冊づつ紹介したとして、何冊紹介できるのか、そんな気持ちで始めた「読書案内」ですが、初心に帰ってやり直そうと思います。まずは橋本治からですね。2023年の「年頭の誓い」です。 立ち寄ってくださっている皆様、今後ともよろしくお願いします。
2021.01.05
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高橋源一郎「日本文学盛衰史」(講談社文庫) 高橋源一郎の代表作の一つといっていいでしょうね、「日本文学盛衰史」(講談社文庫)を読み直しました。2001年に出版された作品で、これで何度目かの通読ですが、やはり、間違いなく傑作であると思いました。何度かこの「読書案内」で取り上げようとしたのですが、どう誉めていいのかわからなかったのです。 彼は、近代文学という「物語」を、新しい「ことば」の生成とその変転として描いているのですが、近代文学のコードから限りなく遠い「文体」で描こうとしていると言えばいいのでしょうか。そこが、感想のむずかしいところだと思います。 近代日本文学の「小説言語」は、その時代の、その言葉づかいであることによって、傑作も駄作も、おなじコードを共有し、この小説に登場するあらゆる文学者たちは、そのコードをわがものにすることで、日本文学の書き手足り得たとするならば、この小説は、そのコードを棄てることで、新しい小説の可能性を生きることができるというのが高橋源一郎の目論見なのかもしれません。 文庫本で658ページの長編小説です。第1章が「死んだ男」と題されて明治42年6月2日に行われた二葉亭四迷こと長谷川辰之助の葬儀の場に集う人々の描写から始まります。 新しい日本語で、小説という新しい表現形式に最初に挑んだ二葉亭四迷の葬儀の場には、我々がその名を知る明治の文豪たちが勢ぞろいしています。お芝居の前に、役者たちがずらりと並んで挨拶している風情ですね。そういう意味で、この場面が、この作品の巻頭に置かれているのは必然なのでしょうね。 その葬儀で受付係をしていたのが、誰あろう石川啄木でした。作家は、その場に居合わせた啄木についてこんなふうに語って、この章段を締めくくっています。 すでに訪れる者も尽きた受付で、退屈しのぎに啄木は歌を作っていた。歌はいくらでも、すらすらと鼻歌でも歌うようにできた。そして、歌ができればできるほど啄木の絶望はつのるのだった。あほやねん、あほやねん、桂銀淑(ケイウンスク)がくり返すまたつらき真理をハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまりシステムにローンに飼われこの上は明ルク生クルほか何があるぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで 啄木に二葉亭の葛藤はなかった。だが、二葉亭の知らない葛藤を啄木たちは味わわねばならなかったのである。 断るまでもありませんが、ここに登場する「啄木」は高橋源一郎の小説中の人物であり、引用された「短歌」は「啄木歌集」のどこを探しても見つけることはできません。 現代の歌人穂村弘の「偽作(?)」であることが、欄外で断られていますが、第2章「ローマ字日記」では、高橋自身の手による「ローマ字日記」の贋作が載せられています。穂村弘も「いくらでも、すらすらと鼻歌でも歌うようにでき」るでしょうかね。 この作品には、第1章の二葉亭四迷を皮切りに、漱石、鴎外をはじめ、北村透谷と島崎藤村、田山花袋などが主な登場人物として登場します。近代日本文学史をふりかえれば、当然の出演者と言っていいのですが、なぜが、啄木がこの小説全体の影の主役のように、折に触れて姿を見せるのです。 彼の有名な評論「時代閉塞の現状」は朝日新聞掲載のために執筆されたにもかかわらず、漱石によって握りつぶされたというスキャンダラスな推理に始まり、「WHO IS K」と題された、漱石の小説「こころ」の登場人物Kをめぐる章では、Kのモデルの可能性として石川啄木が登場するというスリリングな展開まであります。 何故、啄木なのでしょう。作家高橋源一郎が近代文学の相関図を調べ尽くす中で、文学思想上のトリック・スターとして啄木を見つけ出したことは疑いありません。にもかかわらず、いまひとつ腑に落ちなかったのですが、今回、読み返しながら、ふと思いつきました。「啄木は家族と暮らしながら、どんな言葉でしゃべっていたのだろう?」ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 啄木の、あまりにも有名な歌ですが、この言葉遣いはどこから出てきたのでしょうね。あるいは、近代日本文学は、いったい誰の口語で書かれていたのでしょうと問うことも出来そうです。「言文一致」と高校の先生は、ぼくも嘗ては言ったのですが、作品として出来上がった「文」は、いったい誰の「言」と一致していたのでしょう。生活の言葉を棄てた架空の日本語だったのではないでしょうか。 「ふるさとの訛」を捨て、「口語短歌」に自らの文学の生きる道を見出した啄木の葛藤の正体は、どうも只者ではなさそうですね。 高橋源一郎が、そういう問いかけを持ったのかどうかはわかりません。彼が、幾重にも方法を駆使して描いている「近代日本文学」という物語の一つの切り口にすぎないのかもしれないし、単なる当てずっぽうかもしれません。しかし、何となくな納得がやって来たことは確かです。 さて、「きみがむこうから」と題された最終章は、詩人辻征夫のきみがむこうから 歩いてきてぼくが こっちから歩いていってやあと言ってそのままわかれるそんなものか 出会いなんて!(辻征夫「きみがむこうから・・・」) という、引用があり、北村透谷以下、樋口一葉、尾崎紅葉、斉藤緑雨、川上眉山、国木田独歩というふうに、当時の新聞に載った死亡広告が引用されています。 斉藤緑雨は「死亡広告」を自分で書き残し、川上眉山は自殺でした。夏目漱石の死亡広告は次のようだったそうです。夏目漱石氏逝く現代我が文壇の泰斗昨日午後七時胃潰瘍の為に大正五年十二月十日朝日新聞 こうして、二葉亭の葬儀の場で始まった、ながいながい「日本文学盛衰史」は、近代文学という物語の終焉にふさわしく、登場人物たちの「死」で幕を閉じます。 このあと、作家自身の、いわば覚悟を記したかに見える結末もありますが、そこは、まあ、読んでいただくのがよろしいんじゃないでしょうか。 何だか、最後には近代文学、戦後文学のコードに回帰していると思うのですが、高橋源一郎らしいと言えば、カレらしい結末でした。 是非にと、お薦めする一冊ですが、ブルセラショップだかの店員の石川啄木や、大人向けのビデオの監督の田山花袋も登場しますが、くれぐれも、お腹立ちなさらないようにお願いいたします。
2020.12.19
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加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)(その1) 文芸評論家の加藤典洋が昨年、2019年の5月に亡くなりました。その時に手元にあった岩波書店の「図書」の四月号に彼が連載していた「大きな字で書くこと」というコラムを引用した記事をブログに書きました。それから半年後、11月に岩波書店から「大きな字で書くこと」という題の本が出版されました。 2017年の一月から「図書」に連載されていた「大きな字で書くこと」というコラムと、信濃毎日新聞に2018年の四月から、月に一度連載されていた「水たまりの大きさで」というコラムが収められています。 巻頭には「僕の本質」という詩が配置されている小さな本です。連載の二回目に当たる記事にこんな文章を見つけました。 私は何年も文芸評論を書いてきた。そうでない場合も、だいたいは、書いたのは、メンドーなことがら、込み入った問題をめぐるものが多い。そのほうがよいと思って書いてきたのではない。だんだん、鍋の中が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。 それが、字が小さいことと、関係があった気がする。簡単に一つのことだけ書く文章とはどういうものだったか。それをわたしは思い出そうとしている。 私は誰か。なにが、その問いの答えなのか。 大きな字で書いてみると、何が書けるか。 ここで何が意図されているのか、本屋さんで配布されていた「図書」で「大きな字で書くこと」を読んでいた当時も、この本を手にして、この記事にたどり着いた時にも、ぼくにはわかりませんでした。 読み続けていると、「父」と題されたコラムが数回続きます。そこでは、戦時中、山形県で「特高」の警察官だった父親の行跡がたどられ、青年加藤典洋の心の中にあった父に対するわだかまりが、そっと告白されていました。 ここまで読んで、ようやく、いや、やっとのことで気づいたのでした。加藤典洋は「私は誰かと」と自らに問いかけ、小さな自画像を描こうとしています。それは「死」が間近にあることを覚悟した批評家が、自分自身を対象に最後の「批評」を試みていたということだったのではないでしょうか。 しかし、2019年の7月号に載った「私のこと その6 テレビ前夜」が最後の記事になってしまいました。 小学校4年生の加藤少年は、山形市内から尾花沢という町に転校し、貸本屋通いの日々、読書に熱中しながら、家にやって来たテレビに驚きます。 この年、私は町の貸本屋から一日十円のお小遣いで毎日一冊、最初はマンガ、つぎには少年少女世界文学全集を借りだしては一日で読み切るため、家で読書三昧にふけったが、なぜ講談社の少年少女世界文学全集を小学校の図書室から借りなかったのか、ナゾである。小学校によりつかなかったのだろうか。 マンガでは、白戸三平の「忍者武芸帳」。こんなに面白いマンガを読んだのは初めてで、興奮して眠れなくなった。つげ義春、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロなどのマンガも独力で発掘した。マンガがなくなると、少年少女世界文学全集に打ち込んだ。「点子ちゃんとアントン」「飛ぶ教室」などのほか、「三国志」「太平記」まで大半を読破し、教室で、今の天皇は北朝ではないか、など先生を困らせる質問をした。 この年、「少年サンデー」と「少年マガジン」が発売される。毎週、本屋に走ったが、マンガが週間単位で詠めるのは、信じられない思いだった。 このあと、テレビが家に入ってくる。そしてすべてが変わる。自宅の居間で「鉄腕アトム」を見ながら、なぜこれが無料で見られるのかどう考えても理解できなかった。電波がどこから来るのかと思い、テレビの周りに手をかざしたのをおぼえている。(「私のこと その6 テレビ前夜」) これが、31回続いた連載の最終回、生涯の最後まで「私は誰か」を探し続けた批評家加藤典洋の絶筆です。 ご覧の通り、この文章の中で、彼はまだ問い続けています。テレビが家に入ってきてすべてが変わったことは次回に語る予定だったに違いありません。 自画像としてのエッセイとしても、描き始められている顔の半分は白いまま残されています。 テレビが象徴する経済成長の戦後史が始まったところです。中学生、高校生だった加藤少年について、まだ「大きな字で書くこと」がたくさん残っていたはずなのです。無念であったろうと思います。それ以上のことばはありません。 ただ、この本の案内としては「水たまりの大きさで」と、冒頭の詩について言い残している気がしています。それは(その2)として書いておきたいと思っています。 追記2020・03・11 脈略のない追記ですが、今日は東北の震災の日です。コロナ騒ぎで追悼行事が中止だそうです。あったからと言って、遠くでニュースとして見るだけなのでしょうが、何だか、とても哀しい気分になりました。 「加藤典洋の死」という記事はこちらからどうぞ。追記2021・09・03 加藤典洋のテレビの話を読み直しながら、彼が6年生だった時に幼稚園児だった自分のことを思い出しました。小学校の3年生くらいになったころ近所の家でもテレビが購入され始めましたが、我が家にはありませんでした。現在、2021年、ほとんどテレビを見ない暮らしをしていて、何の不便も感じませんが、40軒ほどの集落で、一番遅くテレビが購入され、家の茶の間に設置された思い出はかなり鮮やかに覚えています。 あれから、半世紀以上のときが立ちましたが、テレビが1930年代の「映画」とか「ラジオ」とかとは、また違った迫力で、ある種の「全体主義」を作ってきた道具だったことにようやく思い当たるうかつさを感じでいます。 最近スマホをいじるようになってテレビの時代が終わりつつあることを実感していますが、テレビよりもずっと便利で手軽ですが、かなり危ない道具であることは間違いなさそうです。 加藤典洋が、「テレビの思い出」で語り始めていることの先に、テレビの時代を論じた「敗戦後論」があると思うのですが、「便利」という言葉が作り出している「スマホの時代」のことを、彼ならどう考えるのでしょうか。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.03.11
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橋本治「草薙の剣」(新潮社) 2019年という年は、橋本治といい、加藤典洋といい、今の時代をまともに見据えていた大切な人を立て続けに失った年でした。少しづつでも遺品整理のように「案内」したい二人の文章はたくさんあります。 たとえば橋本治の小説群です。その出発からたどるなら「桃尻娘」(ポプラ文庫)、最後からさかのぼるなら「草薙の剣」(新潮社)ということになるのでしょう。 「草薙の剣」(新潮社)という橋本治が最後に残していった作品について、内田樹が「昭和供養」というエッセイで論じているのを追悼特集「橋本治」(文藝別冊)で読みました。 内田樹は橋本治のこんな文章を引いています。 時代というものを作る膨大な数の「普通の人」は、みんな「事件の外にいる人」でたとえ戦争の中にいても、身内が戦死したり空襲で家を焼かれたり死んだりした「被害者」でなければ、「自分たちは戦争のの中にいた当事者だ」という意識は生まれにくいでしょう。だから日本人は、戦争が終わっても、戦争を進めた政治家や軍人を声高に非難しなかったのでしょう。ただ空襲のあとの廃墟に立って、流れる雲を眺めている―それが日本人の「現実」との関わり方なんでしょう。(橋本治「人のいる日本」を描きたかった「波」2018年4月号) この文章を読んで、橋本治の小説の登場人物たちが、「桃尻娘」の榊原玲奈ちゃんや醒井涼子さん、木川田源ちゃんから始まって、「草薙の剣」の6人の男性に至るまで、ここで橋本治がいう「普通の人」達であったことに思い当たります。 「草薙の剣」という作品で名前を与えられている登場人物は昭生(あきお)、豊生(とよお)、常生(つねお)、夢生(ゆめお)、凪生(なぎお)、凡生(なみお)の6人です。「桃尻娘」ではみんな高校生でしたが、この人物たちの年齢について、橋本治自身がこういっています。 二〇一四年に三十一歳になる酒鬼薔薇世代を軸にして、その年に六十一、五十一、四十一、二十一歳になる五人の人間を設定して、私の持っている一年刻みの年表に嵌め込んで、人間の造形をしました。「事件の外の人間」なので、それは当然「機械的に選ばれた任意の五人」でしかないわけですが、彼等の両親、あるいは祖父母がいつ生まれたのかという条件を同じ年表に嵌め込むと、日本人五人の興味深いプロトタイプが出来上がってしまいました。 そういう準備を終えて二〇一五年に書き始めようとしたら、中学生になったばかりの男の子が冬の河原で仲間に殺されるという事件が起こったので、一年明けて十二歳になる人間も必要だなというので、登場人物は六人になり、その時点でまだポケモンGOは存在していませんでした。(橋本治「人のいる日本」を描きたかった「波」2018年4月号) こうやって書き写しながら、作品を読んでいた時の動揺の理由を再確認しています。高度経済成長の昭和から平成にかけて、就職し結婚して、子どもを育て、定年を迎えたぼくは「昭生」そのものであり、二つの大震災を経験して大人になった「夢生」と「凪生」は私の子供たちそのものだったのです。 そして、読んでいた時と同じ疑問に突き当たります。ぼく自身や、ぼくの家族のような何の変哲もない「普通」の男たちを並べて見せたこの小説が何故面白いのだろう。ぼくをつかんで離さないどんな工夫がこの作品にはあるのだろう。そんな疑問ですね。 誰もが口にしそうな答えの一つは「時代」を書いているからだというものです。たしかに、時代という背景が浮かび上がってくる所に橋本治の作品の面白さの一つはあります。 しかし、何となく腑に落ちなかったのです。以前の「リヤ家の人々」にも共通する印象が説明できていないという感じでしょうか。ある種の「哀切」感に引っ張られるように読んでしまうのは何故なのでしょう? 過ぎ去った「時代」への懐かしさをくすぐるような、ちょっと楽しい「幸せ」な感じとは違います。終わってしまったどうしようもなさがもたらす「空虚」が、また別の顔をして、どうしようもなさだけが、同じように積み重なっていくのを見ている哀しさとでもいうべきでしょうか。 で、「昭和供養」に戻ります。さすがは内田樹ですね。スッパリと言い切っています。 橋本さんは自分のことを「普通の人」だと思っていた。普通の人の言葉づかいで「事件の外」の人生を描くことに徹底的にこだわった。けれども、それだと作品は恐ろしく退屈で無内容なものになりかねない。橋本さんが作家的天才性を発揮したのはこの点だったと思う。橋本さんはこの放っておくと一頁も読めば先を読む気を失うほどに「退屈で無内容な普通の人の独白」に読みだしたらやめられない独特のグルーヴ感を賦与したのである。(「昭和供養」文藝別冊「橋本治」) 普通の人はただ大勢に無抵抗に流されるしかない。ただし、橋本さんはこの「流される速度」に少しだけ手を加えた。加速したのである。数行のうちに一年がたち、頁をめくると十年がたっている。(「昭和供養」文藝別冊「橋本治」) 「普通の人」の人生を領する散文的で非絵画的な出来事を高速度で展開することによって、橋本さんは「普通の人の人生」を絢爛たるページェントに仕立てて見せた。空語と定型句を素材にしてカラフルな物語の伽藍を構築して見せた。(「昭和供養」文藝別冊「橋本治」) 「流される速度」があっという間に加速され、「空語と定型句」で「無内容な」ことばをはき続けている「普通の人」の姿が鏡に映っています。ぼくが感じた「哀しさ」の理由は、多分ここにあるのでしょうね。 橋本治の恐ろしさはそれを描いて、その当人に面白く読ませるところなのでしょう。本人がどう思っていたかは、あるいは定義としてはともかく、「普通の人」のなせることではありません。スゴイんです、やっぱり。 定年をむかえて5年たった「普通の人」は、丘の上から青い海を望み、冬の雲を見あげながら、時折飛んでくる飛行機を心待ちにして一服するのです。もちろん時間は後ろのほうから流れてきます。追記2022・02・02 1月29日の「モモンガ―忌」から、橋本治について案内した投稿を整理し直して再投稿しています。世間には、彼の作品を全作読み通そうとなさっている方とかもいらっしゃることがわかったりして、ちょっと嬉しくなりました。 難しいことはともかく、若いころに「ああ、面白い」と思った詩人や作家、哲学者で、亡くなるまで面白かったという、いや、ついていけないほどあれこれ仕事をされて、でも、何とかついていこう、読み続けて最期を見届けてやろうと思わせつづけてくれた人が、ぼくには何人かいらっしゃいます。 吉本隆明、鶴見俊輔、石牟礼道子、先年亡くなった古井由吉や加藤典洋、その作品と出会って夢中になっている最中に世を去った中上健次や石原吉郎、といった人たちで、たいてい年上です。ご存命の方の名前はあげません。 橋本治はぼくにとってはそういう人の一人だったのですが、もう少し生きていて、驚かせてほしかったということをつくづくと思います。彼も年上の人でしたが、リアルな同時代の人でもあったわけで、彼の仕事に対する驚きは叱咤激励のようなところがあって、他の団塊世代の人に対してとは少し違っていたからです。 だからどうだといわれそうですが、まあ、そういうふうに読んだ人というのは彼ひとりかもしれません。そこが彼のすごさだとぼくは思っています。ボタン押してね!ボタン押してね!橋本治 橋本治とは何だったのか? (文藝別冊) [ 橋本 治 ]
2020.02.04
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保坂和志「自分という反―根拠」追悼総特集「橋本治」(文藝別冊・KAWADEムック) 今日は一月二十九日。作家の橋本治が亡くなって一年がたちました。今、ここで「案内」している「追悼特集『橋本治』」(KAWADEムック)の中に、作家の保坂和志が橋本治の死に際して「群像」という文芸誌に書いた「自分という反 ― 根拠」という追悼の文章が載っています。 その文章の冒頭で、彼はこんなことを書いています。 橋本治さんの通夜、告別式の会場のお寺は、なんといま私が住んでいる家から歩いていけるところにあった、私はグーグルの地図をプリントして歩いていった、私は橋本さんとは最近全然連絡とってなかった、昨年末、橋本さんが「草薙剣」で野間賞になったから会場で久しぶりに会えると思っていたが当日橋本さんは体調不良で出られなかった。「もうずうっと会ってなかったですね、―― 」「うん、一家を構えるとはそういうことじゃないの?お互い向く方向が違ってるのがはっきりするから、しばらくは会わなくなるものだよ。」 私は通夜の会場まで橋本さんと話しながら行った、でもその橋本さんの通夜に向かっているのだと意識すると、そのたびに脚の力が抜けかけた。通夜以前、野間賞で会えると思った時、私が思う橋本さんは昔の橋本さんで、今の橋本さんの写真を見たりして、この橋本さんと会うのかと意識したときも少し脚かどこかの力は抜けた。 あの頃の橋本治はすごかったのだ。 ぼくは、ここまで読んで、通夜の会場まで話しながら歩いている、橋本治と保坂和志の後ろ姿を思い浮かべながら、二人ともを「本」というか、それぞれの作品でしか知らなということに気付いて愕然とするのです。 ぼくが思い浮かべている、夕暮れの道を歩いて行く二人は、いったい誰なのでしょうね。これが保坂和志の文章だということだけは確信できるのですが、読んでいるぼくの足だか、背中だかの「力が抜けて」いくのを感じます。 保坂和志は「脚の力が抜けて」しまうのをこらえるようにして、あの頃の橋本治が書いた「革命的半ズボン主義宣言」(河出文庫)を引き合いに出し、その「すごさ」を語りつづけます。 橋本治は全共闘世代だったが全共闘は嫌いでひとりの闘いをはじめた、だから橋本治に揺さぶられた若者たちは一人の闘いをすることになった、‥‥‥ いや、そういうことじゃないか?橋本治は何かを語る、訴える、そうするときに、自分以外に根拠を持たないというすごいやり方を実行した。 自分を語るのではない、そこをカン違いしたらだめだ、橋本治は客観的に妥当なものを根拠とせず、自分なんていうまったく客観的でなく妥当性もないものを根拠にして、言い分を強引に押し通して見せた。 人が何か言うということはそういうことなんだと、誰にでも拠り所になりそうなものを拠り所にしてはいけないんだと、拠り所こそ自分で考え、自分のパフォーマンスでそれを拠り所たらしめろと、私は橋本治から教わった。 これが、保坂の結論であり、別れのことばですね。生涯「革命的半ズボン主義」者だった橋本治の仕事のすごさは、一見、互いに、似ても似つかない、「向く方向が違っている」保坂和志の作品群が生まれてくる拠り所を支えていたことに気付づかされたぼくは、ここでもう一度愕然としながらも、思わず膝を打って座り込んでしまうのでした。 「客観的な妥当性」をなんとなくな根拠にしながら、さまざまな作品を読みたがる、ぼく自身の「読み」というパフォーマンスを抉られる言葉だったのです。しかし、一方で、ぼくにとって、面白くてしようがないにもかかわらず、どうしても面白さの説明ができなかった、この二人の作品の「読み」の入り口を「案内」してくれているていかもしれない言葉でもあったのです。 本当は、所謂、命日に、橋本治の最後の文章をさがしていたのです。彼の命日は「モモンガ忌」というそうです。が、まあ、そのあたりは次回ということで。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.01.31
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高橋源一郎「非常時のことば」(朝日新聞出版) 市民図書館の棚を徘徊していて、なんとなく手に取って、読み終わって気付いた。 「いつだったか、一度、読んだ本ですね、これ。」 東北の震災から9年の年月が流れました。昨年亡くなった加藤典洋さんが「震災後」という時間で論じたことがありましたが、このエッセイ集は、まさに「震災後」の渦中に書かれた文章です。 収められた三つのエッセイは、2011年夏季号から冬季号まで、「小説トリッパー」という雑誌に連載された「文章」を単行本にしたものらしいですが、今では朝日文庫という文庫版で読むことができます。 さて、本書、第一章「非常時のことば」はこんな文章で始まります。 とても大きな事件が起こった。ぼくたちの国を巨大な地震と津波が襲った。東日本のたくさんの街並みが、港が、津波にさらわれて、原子力発電所が壊れた。たくさんの人たちが亡くなり、行方不明になり、壊れた原子力発電所から、膨大な量の放射性物質が漏れだした。 高橋源一郎さんはこの文章に続けて、戦後66年間忘れていた「言語を絶する体験」ということが、実際に起こった結果、人々が感じた「ことばを失う」ということに論及してこう書いています。 少なくとも、同じテーマについて、これほどまでにたくさんのことばが産み出された経験は、ぼくたちにはない。それにもかかわらず、ぼくたちの多くは、「ことばを失った」と感じているのである。 震災をめぐって、途方もない量のことばが、人々の口から、あらゆるメディアから、吐き出され続けている世界を前にして、ある疑いを口にします。「どんどんことばが出てくるなんておかしいんじゃないだろうか。」 そして、鶴見俊輔のこんな文章を引用します。 庭に面した部屋で算術の宿題をしていると、計算の中途で、この問題は果たしてできるのだろうかと疑わしくなる。宿題をする時だけでなく、一人でただ物を考えている際にもこの感じがくる。 ひとりで物を考えるのは、へんなことなので、もうひとり別な人がそばに立って「それでいいのだ」と言ってくれなければ、確かでない。ひとりで考えて行って、それでやはり皆の落ち着くところに行けるかしら。考えている途中で「へんだ」と思うときがある。ビルディングの非常はじごを一足ずつ降りるが、あるところで一寸止まって下を見廻し、急に恐ろしくなり、めまいを感じる。そのめまいに似た感じだ。「私に地平線の上に」 人々の口から吐き出されてくることばが、鶴見俊輔の言う「一人で考える」時に感じる「めまい」を失っていないか、という疑いです。 「ことばを失う」ほどの現実に向き合った人間が、ことばを取り戻すときに、ことばのどんな姿にたどり着くのでしょうか。 批評家加藤典洋の「3・11死神に突き飛ばされる」、「恋する虜 パレスチナへの旅」を残して死んだジャン・ジュネの「シャティーラの四時間」、そして石牟礼道子の「苦界浄土」という文章を読み返しながら、高橋源一郎さんは最後にこう叫びます。「そうだったのだ、この場にかけていたのは祈祷の朗誦だったのだ」 えっ、朗誦って何?「ことばはなんのために存在しているのか。なんの役に立つの。ことばは、そこに存在しないものを、再現するために存在しているのである。」「ジャン・ジュネ」 うん、それはわかる。うーん、でも、ようわからん。 水俣病の患者は、国や会社によって、この社会によって。殺されたのである。あるいは、徹底的に破壊されたのである。 だが、人間が、徹底的に破壊されるとは、ただ殺されることではなく、忘れ去られること、そのせいに意味など無かったとされることではないだろうか。 そのことを知って「あねさん」は、これらの「文章」を書いた。そして生涯「文章」などとは無縁だった「坂上ゆき」は、「あねさん」の「文章」の中で、蘇ったのである。その生涯が、どれほど豊かであったかを、証明するために、その文章は書かれたのだ。 それは死にゆく「坂上ゆき」への「祈祷の朗唱」でもあっただろう。 なるほど、「祈り」であり「音楽」であることばの姿か。「非常時のことば」というこのエッセイで引用されている三人の文章に対する高橋さんの読みの展開が、ここに来るとはと、うなりました。 中でも、文中で「あねさん」と呼ばれている石牟礼道子が「苦界浄土」のことばを生みだしていく描写は、このエッセイの白眉ともいうべき文章で、読んだはずなのに忘れていたとは、と、情けない限りです。 本書には、「ことばを探して」・「2011年の文章」という、あと二つのエッセイが収められています。特に「ことばを探して」では、川上弘美の「神様」という小説ついての文章が、目からうろこでした。それは「神様」の案内で書きたいと思います。追記2020・02・14「神様」・「神様2011」の感想はこちらをクリックしてみてください。 ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 非常時のことば 震災の後で 朝日文庫/高橋源一郎(著者) 【中古】afb
2020.01.22
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内田樹・鷲田清一「大人のいない国」(文春文庫) 鷲田清一と内田樹、少なくとも関西では「リベラル」の代名詞のお二人というべきでしょうか。そのお二人が、これは見取り図というのがいいのでしょうね、総論的な「大人学のすすめ」という対談で始めて、新聞や雑誌に掲載された、それぞれの評論を各論として配置し、お二人共通の得意分野から現代社会について論じた話が面白い本です。ハヤリというか、話題になっている事象を「身体感覚と言葉」というポイントでまとめた本ですね。 表題は「大人のいない国」というわけなのですが、とりあえず、「大人って?」という疑問に答えるべく、「成熟と未熟」というプロローグで鷲田さんがこんなことをおっしゃっています。 働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること。おしえること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆく上で一つたりとも欠かせぬことの大半を、人々はいま社会の公共的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受け取るのである。これは福祉の充実と世間では言われるが、裏を返して言えば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。 近ごろの不正の数々は、そうしたシステムを管理しているものの幼稚さを表に出した。 ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにしたはずなのである。それでもまだ外側からナイーブな糾弾しかない。そして心のどこかで思っている。いずれだれかが是正してくれるだろう、と。しかし実際にはだれも責任をとらない。 この本は2008年に出版された単行本の文庫化です。したがって、ここで「不正」と呼ばれているのは、東北の震災以前の出来事を指しています。震災以降の被災者の救済や援助、原発事故や放射線被害をめぐっての問題や、最近の小学校の新設や花見の名簿の話ではありません。 にもかかわらず、政治権力の中枢、大企業の経営責任者、高級官僚、マスメディア、果ては司法に至るまで「だれも責任をとらない」社会は、証拠隠滅、被害者のメディアからの隠蔽という「恐怖社会」の様相を呈して広がっています。 震災直後、話題になった「てんでんこ」という言葉を思い出しますが、どうも「何とかの耳に念仏」であったようで、社会全体の「幼稚」化、「大人のいない国」の症状はとどまるところを知らないかのようです。そういう意味で、この本は全く古びていませんね。 詳しい内容なお読みいただくほかありませんが「なるほど」と納得したところはたくさんあります。 が、中でも、第4章「呪いと言論」と題された章にある内田さんのこんな言葉でした。 私が言葉を差し出す相手がいる、それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信念だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信念からしか言論の自由な往還は始まらない。「まず場における正否真偽の査定の妥当性を保証しろ」という言い分を許したら言論の自由は始まらない。 ネット上に蔓延する「ヘイト」をめぐっての論考の結語ですが、ぼく自身「ブログ」などという方法で、誰が読むのかわからない「言論」をまき散らしているわけです。しかし、この案内にしてからがそうなのですが、書いている当人は「カラスの勝手」というわけではなく、「誰か」に向かって書いているわけで、その「誰か」の確定は結構難問なわけです。 とりあえず、内田さんのこの言葉は、一つの灯りのように思えたというわけです。小さな本ですが、考え始める契機になることもあると思いますよ。追記2022・02・06 内田樹と鷲田清一という二人の哲学者の著書には紹介したいものが多いのですが、落ち着いて1冊づつという構えができていません。コロナ騒ぎは収まりそうもありません。どうせ家の中に閉じこもっているのですから、古い本を読み直すいい機会かもしれません。できれば、今年はお二人の足跡をたどり直してみようかと思っています。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.14
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橋本治「桃尻語訳 枕草子(上・中・下)」(河出文庫) 高校の古典の授業で「枕草子」をお読みになりましたね。教員の立場から申し上げますと、高校生の古典との出会いというのは「説話集」があって、「徒然草」とか「方丈記」、女もしてみんと偽った「土佐日記」、そこから「枕草子」とやってきます。 で、宮廷生活のものおもいを描く「枕草子」まで来ると、この国の文化の一つの核心に触れつつあると感じてほしいのですが、そんな時代の社会や制度について何も知らないし、知らないことに何の抵抗もない、もちろん、関心なんてはなからないという無知で無恥なのが高校生というものだというのは、今に始まったことではありませんね。 で、当然、眠くて退屈な時間が、向こうの方を通り過ぎてゆくということになります。マア、自分自身もそういう高校生だったから人のことは言えません。 教員も教員なんですね、品詞分解とかで押しまくり、果ては「助動詞活用ソング」などという意味不明の歌を歌わせる方までいて、ノンビリ寝てもいられない。 しかし、考えようによれば、このあたりで「なるほどそうか」と、興味が持てれば、この国の古典文学とか、古典文化の「面白さ」のほうにすすんでいける所にやってきているともいえるわけです。 優等生で頑張りたい人は図書館にある岩波書店の「古典文学大系」とか新潮社の「古典文学集成」とかを参考書になさるのがよろしいでしょうね。ただ、寝るのを趣味にしている高校生を起こすには、少々難しすぎるかもしれません。図書館の棚の前で寝てしまうかもしれません。 そこで案内するのが橋本治ですね。「桃尻語訳 枕草子(上・中・下)」(河出文庫)。今では文庫で読めますが、単行本の初版が1987年です。今から30年も前に出た本なのですが、今でも河出文庫ではロングセラーを続けているようですね。 要するに「枕草子」の現代語訳です。ただし、その訳語が80年代当時、その辺にいたかもしれない、10代後半の少女言葉。それが桃尻語訳と名づけられているのは橋本治のデビュー小説「桃尻娘」(講談社文庫)-最近(?)ポプラ社文庫から文庫版が復刊されているようです-の主人公、高校生榊原レナちゃんの、小説中のニックネームが桃尻娘です。彼女のしゃべり言葉で現代語訳されているというので、桃尻語訳というわけなんですね。マア、小説の方は、語り始めると長くなりそうなで、ともかくとして、こっちの方は例えばこんな感じです。 春って曙よ!段々白くなっていく山の上のほうが少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!夏は夜よね。月の頃はモチロン!闇夜もね・・・。蛍が一杯飛びかってるの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりポーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。 書き写していて、笑ってしまいますが、お分かりですね。なんか真面目でないような感じがするでしょ。 この本が初めて出た当時、学者さんからは評判が好くなかったらしいですよ。お馬鹿な少女言葉の使用は、社会学的アプローチとして考えると、かなり高度な言語理解の上に成り立っていると思うのですが、それが古典文学を汚すかのように考えたのが、まじめな国文学者も方たちだったのかもしれませんね。 お読みになればお分かりいただけるかもしれませんが、実はこの訳文、イイカゲンそうに見えて文法的、語彙的にはキチンと抑えられていて、受験古文的な一対一対応にはどうかという面も、あるにはあるのですが、古典理解としてはかなり、いやおおいに信用できると思います。 なんといっても、このお気楽な訳文は、岩波の全集にはない「面白さ」を漂わせています。それがまず第一のおすすめポイントですね。 二つ目のポイントということですが、この本の素晴らしさは注釈・解説にあるというのがぼくの、ちょっと偉そうですが、評価ですね。例えば「殿上人」の解説はこういうふうです。 まァさ、宮中にね「清涼殿」ていうのがあるのよ。帝が普段いらっしゃるところでさ、いってみれば「御殿の中の御殿」よね。広い所でさ、ここに「殿上の間」っていうのがあるの。ここに上がるのを許されることを「昇殿」て言ってさ、それが許された人達のことを「殿上人」って言うのね。「殿上の間の人達」だから殿上人よ。これになれるのが、位が五位から上の人、そしてあと六位でも「蔵人」っていう官職についている人ならいいの。だから殿上人っていうのはエリートでさ、言ってみれば本物の貴族の証明ね。 そしてその次に来るのが「上(かん)達(だち)部(め)」。「上達部」って、見れば分かるでしょ?「上の人達」なのよ。殿上人は五位以上だけれども、その中で更に三位以上の位の人たちを上達部って言うのね。メンドクサイかもしれないけど、こんなもんどうせすぐに慣れますから、あたしは全然気にしません。なにしろ上達部は偉いんだから!三位以上の位の人たちがどういう官職についているかっていうとね、これがすごいの。関白ね、大臣ね。大納言、中納言、それから、多分これは「上院議員」とかっていうようなポストになるんじゃないかと思うんだけどね、参議―あ、あなたたちの「参議院」ってこっちから来てるんでしょ?以上の方達をひっくるめて「上達部」とお呼びするのよ。日本の貴族のことをさ、お公家さんとか公卿って言うでしょ?その公卿が実に上達部のことなんだなァ。貴族の中の貴族というか、エグゼクティブで上層部だから上達部なのよ。分かるでしょ?覚えといてね。 とまあ、こんな調子ですね。こういうことが、面白がって、いったん頭に入ってしまうと、文法とかも、さほど気に気にならなくなるはずなんだと思うのですが、どうして教員は文法に走るんでしょうね。 この本では、こういう口調の、柔らか解説が、身分や制度だけではなくて、当時の宮中での日常生活の描写に表れる、あらゆる事象に及んでいるんですね。服装、食事、調度、エトセトラ。 ただね、詳しすぎて、少々くどいんです。橋本治さんの性格なんでしょうね、きっと。調べ始めたらやめられない人っているでしょ。だから、真面目に読んでいるとくたびれる。そこが玉にキズかな。(S)発行日 2010/09/14追記2019・10・19 以前、高校生に向けて「案内」したもののリニューアルなんですが、こうして記事にしてみると誰に向かって書いているのかわからないですね。そこが、ちょっと困っているところです。 橋本治さんの「古典」ものには「案内」したいものが山ほどあります。でも、読みなおすのも、案外疲れるんですよね。追記2022・02・01 最近「失われた近代を求めて」(朝日選書)を読み直しています。二葉亭四迷にはじまる、この国の近代文学を論じた(?)評論ですが、言文一致を橋本治がどう考えていたかというあたりで、ここに案内している「桃尻語訳 枕草子(上・中・下)」が書かれた意図のようなものが、ボンヤリ浮かんできてとてもスリリングな読書になっています。 まあ、ぼく自身が高校生にこの本を紹介していたころの薄っぺらさに、ちょっと気付くところもあって、それはまた「失われた近代を求めて」の感想で触れるのでしょうが、実は松岡正剛が「日本文化の核心」(現代新書)で紀貫之の「土佐日記」から「枕草子」をはじめとする宮廷女性たちのかな日記に至る「仮名」表現の意味を論じているところがあって、それも相まってちょっとドキドキしていますが、今のところうまく言えないので、また今度という感じなのです(笑) それにしても「桃尻訳」は1988年、30代の終わりの橋本治の作品ですが、後の「源氏物語」、「平家物語」へのとば口にある仕事でもあるわけで、面白いですね。ボタン押してね!にほんブログ村桃尻語訳枕草子(上) (河出文庫) [ 橋本治 ]
2019.10.20
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内田樹「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」(新潮社「考える人」) 「考える人」という新潮社が出している季刊雑誌がありました。その雑誌の2010年・春号で「はじめて読む聖書」という特集を組んだことがあります。その中に哲学者で武道家の内田樹の「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」というインタヴュー記事があります。そこで、彼が、語っていることにうなってしまいました。 ホロコーストの後、生き延びたユダヤ人の多くは信仰の揺らぎを経験しました。なぜ神は私たちを捨てたのか。民族の存亡の時に介入しないような神をどうして信じ続けることが出来るだろうか、と。多くのユダヤ人がユダヤ教から離れてゆきました。 その民族宗教の危機のときに、レヴィナスは若いユダヤ人たちにこう説きました。 では、いったいあなたたちはどのような単純な神をこれまで想定していたのか、と。 人間が善行すれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意志によって、好きなように左右することが出来るようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。 神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在の時でも。神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証し立てる。 神は、幼児にとっての親のように、つきっきりで人間のそばにいて、人間たちの正しい行いにはいちいち報奨を与え、誤った行いにはいちいち罰を下すのでなければ、ことの理非も正邪の区別も付かないような人間しか創造し得なかった―そう言い立てる者は、神をはじめから信じていないのである。 神は、神抜きで、自力で、弱者を救い、病者をいたわり、愛し合うことができ、正義を実現できるような、そのような可能性を持つものとして、われわれ人間を創造した。だから、人間が人間に対して犯した罪は、人間によってしか贖うことができない。神は人間にそのような霊的成熟を要求するのである、と。レヴィナスはそう告げたのでした。 人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。世界に不義と不正が存在することを神の責めに帰すような人間は霊的には幼児である。私たちは霊的に成人にならなければならない。レヴィナスはそのように述べて、崩壊の瀬戸際にあったフランスユダヤ人社会を再構築したのです。 ぼくは異教徒ですけれども、このレヴィナスの「霊的な成人のための宗教」という考え方に強い衝撃を受けました。 ナチス・ドイツが600万人を超えるユダヤ人をはじめとして、障害者、同性愛者など1000万人以上の人間をホロコースト(焼き尽く)した歴史事実についてはご存知でしょうね。エマニュエル・レヴィナスは、自身も家族や友人をホロコーストされたユダヤ人で、フランスの宗教哲学者(?)です。 「なぜ神はユダヤの民を救ってくれなかったのか?」という素朴で哀切な、生き残ったユダヤ人たちに共通した問いに対して、ユダヤ教の信仰を基礎づけよう=信仰にあたいすることを証明しよう=とした人だと思います。 エマニュエル・レヴィナスは難解きわまる論考で有名な人ですが、内田樹はその論考の日本への、ほぼ最初の紹介者の一人です。ぼくにとっては彼が訳した、レヴィナスによるユダヤ教のタルムードの講義を手に取ったことが、内田樹という名前との初対面でしたが、全く歯が立たなかったことだけ覚えています。1980年代のことです。 さて、内田樹がここで話している神はユダヤ教の神のことです。では、ぼくのような無神論者が「倫理」ということを考える時の基準としてユダヤ教の神のことを考えることは出来ないのでしょうか。そう考える事が出来れば、「人間とは何か」という問いに、もっとも積極的な答えの一つがここにあるのではないでしょうか。 例えば、ぼくが長年働いてきた、学校という場を想定してみることも可能なのではないでしょうか。あまりにも単純な連想ですが、「生徒諸君は教員という監視者の元においてモラルを育てるのではない」 というふうに。 ぼく自身は「校則とかルールとかで「道徳心」とかが育つのではないのではないか」と疑い続けながら、とうとう、退職してしまったわけなのですが、生徒も教員も、もう一度、「人間」という場所に、お互いが戻ることができれば、それぞれが生き方として成熟を目指すことが響きあうということもありえるということではないでしょうか。 共通する、あるいは共有する神に対する信仰がないことが前提ですから、とてもむずかしいことだとは思います。しかし、「人間である」ということの可能性が「人間」にはあるのではないでしょうか。 あんまり興奮して、こういうことを言うと妄想ということになってしまいそうなので、これ以上は書きません。それにしてもレヴィナスという名前、心に残りませんか?(S) 初稿2010・06・09( 改稿2019・10・18)追記2019・10・18 教員が教員をイジメていたという事件の報道がありました。災害の最中、「ホームレスお断り」の看板をあげた公共の避難所があったという報道もありました。暗然としました。次には、きっと「人間として」を枕詞にした反省の言葉がきっと報道されるのでしょう。「人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。」ということを受け止めるが、それほどたやすいことだとは、ぼくには思えない出来事が続いています。皆さんはどうお考えになるのでしょうか。 ああ、それから「考える人」は、ネットで探せば、今も続いています。内田さんの上記の記事が、単行本で読めるかどうかは、ちょっとわかりません。追記2022・04・13 上記の記事は、その昔、高校生に向けて本や著者を紹介していたときのものです。読んでくれていた高校生たちは、若い人でも、ほぼ、20代を通過し始めているのですが、新たな戦争や虐殺を目前にして、どんなふうに考えていらっしゃるのでしょうか。70歳を目前にした老人は、結局よく分からないままです。ただ「考えることをやめるのはイヤだ。」 という、いつまでたっても子供のような、ありは、まあ、コケの一念のようなものにうながされ、こんな記事を投稿しています(笑)。ボタン押してね!にほんブログ村他者と死者 ラカンによるレヴィナス (文春文庫) [ 内田樹 ]【中古】 レヴィナスと愛の現象学 文春文庫/内田樹【著】 これです!懐かしい。この解説が、助けでした。
2019.10.18
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橋本 治「知性の転覆」(朝日新書) 今、生きている社会に「なんか釈然としねーな」 という人は、実は、たくさんいると思う。ぼくもそうだけれど、まあ、そっぽを向いていればいいかというのが実感だ。そういう人には、ちょっと胸のすく一冊かもしれない。 橋本治を読みなれているひとなら、そこは当たり前というかもしれない。独特のウネウネと増殖する語り口が、実にいい。 当然のことながら本書のテーマである「反知性主義」を語り始める。 「自分は反知性主義者か?」と自問して、「そうじゃないだろう」と思う。私は反知性主義が下品で嫌いだが、しかし私の中には「知性なんか嘘臭ェ」と思う気持ちも歴然とある。 私の中には「勉強なんか嫌いだ」と思う子供もまだ健在だから、私は「ヤンキー」でもあるし「反知性主義者」でもある。 堅気面している反知性主義者より、不良が入ってる分だけ「ヤンキー」のほうがましだと思うが、しかし私は「ヤンキー」だって好きじゃない。 いきなり、こういう調子、まあ、いつものことだけど。いったいどこに着地するつもりなのですかね。読みながら、妙にニヤついてしまう。いつもの橋本治だ。 私にとって「ヤンキー」とは「経験値だけで物事を判断する人たち」である。この「ヤンキー」に対するものは、「経験値を用いずに、すべてを知識だけでジャッジする人」で「経験値を用いる」ということをしないのはそもそも「経験値」に値するようなものを持ち合わせていないからなのか、あるいは「自分の経験値」を知識に変換する習慣を持たないのか、どちらかだろう。 そういう人たちを何と呼ぶのかと言えば「ヤンキー」の反対側であることによって、「大学出」とでもいうのだろう。 とりあえず、「ヤンキー」とは何かを説明しながら、勢いに乗って、世間を「ヤンキー」と「大学出」の二つに分けてしまった。「それって、みんなバカなんだってことじゃありませんか。そうなると「反知性主義」もへったくれもなくなっちゃいませんか?たしかに、まあ、なんというかその通りではあるんですけどね。」 なんて、読みながらひとりごとをつぶやいていると、やっぱり、という展開です。 マンガの配信サービスをする会社のCMコピーで、「難しい本読んでれば、マンガを読むよりエラいんですか?」というのがある。 別に私は「えらい」とは思わないのだけれど、挑戦的なコピーの割に絵柄はずいぶん弛緩していて、会社の休憩室と思しいところで、女子社員と思しい人間たちがマンガを読んでいる―そこへ上司と思しき男がやってきて、本で軽く一人の頭を叩く。 これで、よぼよぼのジーさんが「若きウェルテルの悩み」なんかをもってきたら、「えらくなんかねーよ」ははっきりするんだろうけれど、やってくるのは三十がらみの若い男で、もってくるのは文庫サイズのビジネスのノウハウ本だから、これが「難しい本」だとすると、彼女たちは「会社員失格」になってしまうようにも思うが、そんなこととは無関係に、更に先には哀しいワンシーンが待っている。 ワンルームと思しい狭くて奥行きのないごたごたとした、ものの多い部屋の中で、体よく言えば、「部屋着姿」の、「若い」という時期からは離れつつある女が一人、ベッドに寄りかかってマンガを読み、「ナハハ」という哀しくてだらしのない笑い声を口の端から漏らす。 よくできた現代風俗の哀しい一断面ではあるけれど、一昔前ならこんなシーンはストーリーを引っくり返すオチのために使われた。つまり、この情景はそのまま肯定されるものではなくて、何らかの批評性を生み出すワンシーンとして登場した。でも今はそうではない。 閉鎖状況でもあるようなこのシーンをネガティヴにとらえず、ありのまま丸ごと肯定して、「私たちはこんなあなたを否定しません。あなたのためにサービスを提供しているのです」という訴え方をしている。 「それでいいのかよ?」と私は思うが、「こういう私のあり方をよく思わないんでしょ?」とどこかで感じている人々をそのまま非難をせずに描くことで、彼等を救ってもいる。 「どういう救いなんだ?」と、私なんかは思うけれども。 悪い言い方を承知で言うと、馬鹿な人間の方が、数は多い。これに対して批判めいた接し方はせずに、その在り方を全面的に肯定してしまえば、肯定された方はどうともならないが、肯定したほうはそれだけ多くの顧客を獲得できる。 これくらいの引用で十分だろう。 社会は閉塞している。経済の見通しも行き詰っている。その結果、「バカ」をそのまま肯定して「立派な消費者」を作り上げる。「バカ」でも金は使うのである。あらゆる局面で「経済がひとのバカさを促進する」エンジンになっている。 既成のマスコミであれ、ネット上であれ、そこをにぎわす政治はもちろんのこと、教育も、芸術も、何よりもそれを伝えるコミュニケーションの道具そのものが、しっぽをかむ蛇のようにこのエンジンを搭載している。 そうなると、ぼくたちが、今、出会っているのは、誰もが内的な反省の契機を失った「反省しない社会」であるということになる。それは「日本人は」でくくれる現象などではない。 しかし、彼は最後にこう言う。 それでも、「なんか釈然としねーな」と思う人間は、自分なりの真実を探そうとする。最早「知性」というものは、そういう試行錯誤からやり直すしかないところまで来ているんじゃないか。「うん、まあ、知らん顔して、自分でやるしかないね。老い先は短いし(笑)」 というのがぼくの結論。皆さんはいかが?(S)2018/06/19(画像は蔵書の写真です)追記2020・02・16 政治家さんたちの様子を見ていると、橋本さんの言う「知性」とは、まあ、程遠い様子です。彼ら自身が「ヤンキー」でしかなかったことから抜け出す機会を、見つける能力そのものが、ハナから無かった印象ですね。 そういう人が「改革」とか、「対応」とかいうのって、どんな耳で聞いたらいいのか、困惑します。インフルエンザが拡がっていますが、収まりそうもないですね。追記2022・02・02 昨日、「太陽の季節」を中学生のときに読んだ石原慎太郎という作家がなくなったニュースが流れた。田舎の中学の数学教員の書棚にあった本だった。それだけで、その当時(昭和30年代のはじめころ)、その書籍がどれくらい話題になったのか想像できる気がする。内容は、今思えば「反知性主義」の謳歌のようで、何がおもしろいのか、今でもそうだけれど当時もわからなかった。 彼が有名な俳優の兄で人気の(?)作家であるということで、全国1位の得票で国会議員になったのをみて「これはなんなんだ」と思った記憶がある。今思えば、たぶん「反知性主義」現象を目の当たりにした最初の経験だった。 本人が実際どうだったかは知らないが「反知性主義」という言葉が出て来たときに「ああ、あの人のことだな」と思った。そういう意味で亡くなったというニュースを感慨深く見てしまった(笑)。 そろいもそろって親の七光りという言葉を思い出してしまう子供たちの安物のタレントぶりを笑うのは偏見だと思うが、公共のメディが、ぼくよりも、ずっと若い政治家たちがヨイショとしか思えない言葉を撒き散らしているのは、ちょっと見るに堪えない気分になった。 実際、「反知性主義」がどんなふうにまき散らされていくのか目の当たりにさせられると「うん、まあ、知らん顔して」というのがなかなかむずかしいできごとだった。 「橋本治が生きていれば何というだろう?」 ふと、そう思ったが、たぶん知らん顔をするだろうなと思い直した。にほんブログ村ボタン押してね!思いつきで世界は進む ──「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと【電子書籍】[ 橋本治 ]知性のテン覆 日本人がバカになってしまう構造【電子書籍】[ 橋本治 ]
2019.09.24
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橋本治「勉強が出来なくても恥ずかしくない①~③」(ちくま新書) 入学したての中学生や、高校生にとって、一学期の中間テストは結構緊張を感じる出来事であるかもしれませんね。高校によっては、結果が順位となって示されるということもあって、不安な出来事でもあるでしょう。 個人的な感想をいえば、実はたいしたことではありません。考えたり、感じたりする能力は本来は全く個人的なもので、他の人と比べて評価できるようなことではないでしょう。しかし、一方で、学校という所の評価ということは他者との比較以外に方法が無いという事情もあるのでしようがないともいえます 教員が一人で生徒が一人しかいない場にだって比較はあるのです。おそらく、絶対的に新しい考え方や理論が生まれるところにだって比較はあるにちがいないとぼくは思います。 全く個人的で自分だけのものという、世界そのものが不可能なのかもしれません。そこのところを突っ込んで考えるのはどうも大変な気がするし、大変を抱え込んでしまって苦しんでいる人に出会ったこともあります。 それならば考え方で対処すればいいと思うのですが、これがなかなか難しいのです。 亡くなってしまった橋本治が書いた「勉強が出来なくても恥ずかしくない①~③」(ちくま新書)という不思議な小説があります。 題名の通り勉強が出来なくても恥ずかしくないんだよ、という「メッセージ小説」かというとそういうわけではないのです。それぞれの本に巻いてある腰巻広告のコピーは「学校、好きですか?」「『あそび』は『まなび』」「学校の外で学ぶこと」となっています。読んでみると小説の内容とかなり違うのですね。出版社というのは社会的風潮に迎合して客寄せのキャッチコピーをつけるのであるなと、つくづくそう思う腰巻です。 小説は学校が苦手で、皆が大騒ぎしている受験とかテストとかが苦手で、「何で、今日、本当に楽しいことを素直にやってたら駄目なんだろう」と考えてしまう少年が主人公です。 他者との比較と既成の価値観の世界で「何で」と苦しむこと。立ち止まって進めなくなること。周りの大人たちから「おさなさ」として扱われ、それ故に、本人にとっても「おさなさ」にしか見えない煩悶を、それぞれ、どうしたらいいのかって、少年や少女達は苦しむことがあると思うのです。 この作品は、やがて大人になった少年が、あの頃の少年に向かって「だいじょうぶだから、そのまま歩いて来いよ」って呼びかけるのがこの小説だと思いました。「大学での勉強は、『自分の考えたい事をきちんと考える』というものでした。ケンタくんには、考えたいことがいくらでもありました。『世の中は、どっかおかしい』とか『どうしてみんな、大学に行くんだろう?』とか、『なんかへんだな』と思うことは、いくらでもありました。『自分の考えたいことを考える』ということがわかって、ケンタくんは、『小学校や中学校や高校の勉強は、そういうことができるようになるためにするもんなんだな』ということもわかりました。そして、『今頃そんなことわかっても、遅いかな』とも思いました。」 大学生になった主人公がこんな述懐をするのですが、実はここで主人公が『自分の考えたい事をきちんと考える』といっている「考えたい事」とは何か、それはどこからやってくるのか、という大切なポイントは小説には書かれていません。そこが、この小説の不思議の所以なのです。 ぼくはこの小説を読みながら、哲学者の鶴見俊輔が書いた「読んだ本はどこに行った」(潮出版社)の中でこんなことを言っていることを思い出しました。 私は、森喜朗前総理大臣の『日本は天皇を中心とする神の国であるぞ、それを国民に納得していただく』という発言を聞いた時に、これ前に聞いたことあるぞ、と思った。梅棹なんだ。ただし、彼が日本は神の国であるという場合、考えているのは八百万の神、アニミズムなんですよ。だから意味が違う。もちろん『天皇を中心とする』とは言わない。森さんが言ったのは、戦前の軍国日本と手を切らない方向でしょ。梅棹は似たことを言っても、やおよろずの神なんです。柳田國男も同じで軍国主義には行かなかった。だから高野長英あり、柳田國男あり、武谷三男あり梅棹忠夫ありという風に考えていけば、日本には日本流のプラグマティズムがある。実はこの千年来の日本の大衆思想は、プラグマティズムなんです。それを退けているところに日本の大学の哲学がある。それとプラグマティズムとが相容れないのは当然だ、というのが、私の感想ですネ。『思想は論じるものではなく、使うものである』という梅棹の考え方は、フランクリンに似ている。 急に人の名前がズラズラ出てきて何のことかわからないと思うのですが、要するに橋本治の小説の主人公は鶴見俊輔がここで言っているプラグマティックなことを考え始めていたに違いないということなのです。 「プラグマティズム」というのはアメリカで生まれた哲学ですが、直訳すれば「実用主義」です。で、鶴見俊輔が説明しているのは生活の方法としての実用ということだと思います。 たとえば、入試やテストに合格したいから勉強しますというのは、ちょっと違うと思います。それは勉強のウォーミングアップのようなことであって、問題はその後にやってくる本当の勉強にあるのです。自分が暮らしてきた生活の中から生まれてきた「考えてみたい」ということがあるかどうか。「考えてみたい」ことを生み出していく、そんな生活をつくりだすことこそが実用ということじゃないでしょうか。 小説の主人公ケンタくんは作家自身をモデルにしているようですが、橋本治という作家が、ある時はイラストレイター、編み物デザイナー、小説家、美術史家、またある時は古典文学研究者と、マルチな興味の世界でオリジナルな活躍を続けてきた人物でした。 この作品は彼の、このオリジナリティは「学校」という集団生活の中での、評価という既成の価値の押し付けをものともせず、自分の中に生まれる疑問や興味を殺さず育てた強さの中で生まれたものだと宣言する回顧録のような小説です。 「ひらがな美術史シリーズ」(新潮社)、受験界を仰天させた「桃尻語訳枕草子」(河出文庫)をはじめとする数多くの仕事が、過去二十年にわたって大学出の専門家や頭のかたい高校教員達によって、黙殺を持って迎えられ、評判に唖然した上で、ようやく、お追従のように評価された理由は、彼が「興味を持って考えてみたいこと」を徹底しているとことにあるのです。 中途半端な結論ですが、新しい学校にやって来た今、興味さえ湧けば、読むべき作品は、山のように並んでいます。「興味を持って考えてみたいこと」は読むことから見つける手もあると思うのです。いかがでしょう、始めてみませんか? ところで、高野長英は幕末の洋学者、柳田國男は民俗学の創始者。武谷三男は戦後を代表する物理学者、梅棹忠夫は「文明の生態史観」の文化人類学者。忘れられつつありますが、どの人物の「オリジナリティー」も一読に値しますよ。(S)2006・05・19追記2022・02・01 高校の教室で配布していた「読書案内」の記事です。1年生に向かって書いているのですが、今読むと、ぼく自身の力んだ気持ちばかりが暑苦しく伝わったことでしょうね。それにしても、スマホやネットという何でもすぐにわかってしまう気がする新しい媒体の世界で、ノンビリと「興味を持って考えてみたいこと」を手にすることが、あの頃より、もっとむずかしいのだろうと、よけいなしんぱいをしています。 この本は、案内を書いた当時、「ちくまプリマー新書」で書き下ろされた三部作でしたが、今ではちくま文庫で1冊のまとめられて再刊されているようです。もう古い本なのですね。橋本治か何者か知らない人が読むと、あっけにとられるような話です(笑)。 にほんブログ村にほんブログ村文明の生態史観 ほか (中公クラシックス) [ 梅棹忠夫 ]原子力発電 (岩波新書) [ 武谷三男 ]
2019.09.23
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「批評家加藤典洋の死」 文芸批評家の加藤典洋さんが亡くなりました。訃報を作家の高橋源一郎さんのツイッターで知ったぼくが「加藤典洋が死んじゃったよ。」と口にすると、同居人のチッチキ夫人が「これ、ほら。」と言って数冊の「図書」の「大きな文字で書くこと」というコラムのページを開いて渡してくれました。 2019年2月号から「私のこと」と題して子供の頃の思い出が書きはじめられている記事を4月号まで読んで、涙が止まらなくなりました。 周囲の人やブログを読んでくれている人に、どうしても読んでほしい。そう思う気持ちが抑えられないので、ここに引用します。「私のこと その3 勇気について」 新庄でしばらくすると、引っ込み思案同士の友達ができたが、やがてもう一人を加えたやはり転校組の三人が、二、三人の手下を従えたいじめっ子に、執拗にいじめられることになった。 イジメは一年半から二年くらい続いただろうか。 ある時、私が建物の裏で、そのいじめっ子になぶられているのを見た兄が、家で、そのことを話した。しかし私は、そのことを何でもないことだといって否定した。 私はこのときのことがあり、長い間、自分には勇気がないのだと考えてきた。今もそう思っている。 ここで相手を殴り返そうと、思う。夢にまで見る。しかしそれができないまま、ある日、雨が降っているとき、それは私たち転校組が、また、転校していなくなる少し前のことだったが、私より少しだけ早く、同じいじめられっ子仲間のO君がかさを投げ出しかと思うと、グイっと、いじめっ子の襟首をつかみ、相手をなぎ倒した。 それで、イジメは終わった。 この同じ新庄という場所で、もうだいぶ経ってから、一九九三年、転校してきた子が、集団でイジメに遭い、死亡するという「山形マット死」事件が起きた。いじめっ子らは、罪を認めたが、その後、七人中六人までが申し合わせたように供述を翻し、彼らの家族もこれを後押しし、人権派弁護士たちが自白偏重を批判するなどして、介入した。そのため、この新庄氏のイジメ致死事件は、死亡した子の両親を原告に、刑事裁判に続き、民事裁判を争われることになった。二〇〇五年、最高裁で元生徒七人全員の関与が認められたが、今も全員の損害賠償金の支払いは、なされていない。 事件の翌年、私は、山形県教育センターの雑誌「山型教育」に寄稿を頼まれた際、この事件が、似た経験をしたものとしてかなり悪質な出来事であると思えると書いたが、この原稿は、裁判係争中を理由に、掲載されなかった。勤務していた大学に雑誌の関係者が二人菓子折りをもってやってきて、この原稿を取り下げてもらいたいと言ってきた。没にするなら、自分で没にされたという事実とともに別の媒体に発表すると、返答し、私はそうした。 自分には勇気がないと、私は心から思っている。勇気のある人間になりたい。それが今も変わらぬ私の願いなのだ。(「図書」岩波書店2019年4月号所収) ぼくにとっての加藤典洋という人は、その著書と出会っただけの人であって、本人を知っているわけではありません。 しかし、彼は上記のような文章を「図書」とかに書いていて、「ふと」出会う人であり、一方で「アメリカの影」(講談社文芸文庫)、「日本という身体」(河出文庫)以来つぶさに読み続けてきた人でした。 例えば村上春樹の作品ついて、ぼく自身、もういいかなと思った頃があったのですが、彼の作品をまっとうに評価した批評で、引き戻してくれたのは彼と内田樹の村上春樹論でした。 加藤典洋といえば「敗戦後論」(ちくま学芸文庫)が話題に上がるのですが、ぼくには「さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて」(岩波書店)、「3.11死に神に突き飛ばされる」(岩波書店)も忘れられない本でした。彼は、ぼくにとっては、あくまでも現代文学を論じる文芸批評家でした。ただ、文学を論じる根底に社会があることを、横着することなく考え続けた人だったと思うのです。 大江健三郎の「取り換え子」(講談社文庫)に始まる「おかしな二人組三部作」にかみついて、執筆中の作家を逆上させたという「勇気」も印象深い思い出なのですが、その後の作品「水死」、「晩年様式集」(講談社文庫)に対して「きれいはきたない」という短い書評(「世界をわからないものに育てること」岩波書店所収)で、「晩年のスタイルは、いま自分のありかを発見したところである。えもいわれぬ肯定感はそこからくる。」 と言い切って称えているのを読んで、さすが加藤典洋!と納得したりしていたのです。しかし、その言葉が、今となっては、大江健三郎の作品に対する、彼の最後のことばになってしまったのだと思うと、何の関係もないのですが、なんだか感無量になってしまうのです。 話は少しずれますが、この時期以降、大江健三郎の作品群に対して、加藤典洋のほかに、誰がまともに論じているのでしょう。近代文学の終焉とかいう、流行りの言葉をもてあそぶ人をよく見かけますが、今ここで書いている作家に対して、今を生きている批評家が論じるのは、また別のことだと思うのですが、近代文学批評もまた終焉のようですから、まあ、仕方がないのかもしれません。しかし、そこには、加藤典洋の死によって、ポッカリ空いた穴のような喪失感が漂っていると感じるのはぼくだけでしょうか。 橋本治といい、加藤典洋といい、今の時代をまともに見据えていた大切な人を立続けに失っってしまいました。「今日」のこの出来事に彼らがなんと言っているのか さがしても見つけることは、もう、できないのです。 いずれ、遺品整理のように語りたい二人の文章はたくさんあるのですが、今日はこれまでとしようと思います。(S)追記2019・05・24 加藤典洋の上記の記事の後、「図書」五月号に同じ連載コラムが掲載されているのを、チッチキ夫人が探し出してきてくれました。 題は「私のこと その4 事故に遭う」。彼は警察官の息子だったのですが、子供のころ、道路に飛び出して軽トラックにはねられるという事故に遭います。事故を知った母親が狂ったように走ってくる様子と、寝ている少年に「警官の息子が」と苦い顔をした父親の様子の二つが「正直な感想だろうが、横たわる私には、母に愛されていることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。」というのが結語でした。最後に、ご両親のことを書かれていることに「あっ!」と思いました。あらためて加藤典洋のご冥福を祈りたいと思います。追記2019・06・18「図書」6月号には、加藤さんの初恋の思い出がつづられています。こういう原稿は、どこまで先行して書かれているのかということが、加藤さんの死を知ってしまっている、ぼくのような読者には、もう笑い事ではありません。 他者の死を悼むということの大切さから、社会を考えることを主張した加藤さんの最後の原稿を、まだまだ続くことを心待ちにしながら、湧き上がってくるやるせなさをかみしめています。追記2019・09・13今日は、13日の金曜日ですが、ブログのカテゴリーの整理をし始めました。亡くなった加藤典洋さんと、活躍を続けていらっしゃる内田樹さんをセットでカテゴライズします。お二人とも、ぼくにとっては大切な人です。追記2020・05・15 加藤典洋、橋本治がなくなって一年が過ぎたのですが、コロナウィルス騒ぎの世相は一気に「不穏な社会」へと転げ落ちそうな空気にみちています。予感が実感へ変わっりそうな「愚劣」な「空気」が一気に噴き出し、いやなにおいをまき散らし始めています。 彼ら二人が生きていれば何といっただろうと、ふと考えますが、ないものねだりですね。追記2021・09・01 ブログのカテゴリーの「加藤典洋と内田樹」に、作家の高橋源一郎さんを加えて「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」とします。加藤典洋は1948年生、内田樹は1950年生、高橋源一郎は1951年生、共通しているのは68-69体験だというのがぼくの見立てです。敗戦後論 (ちくま学芸文庫) [ 加藤典洋 ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)言わずと知れた。3.11死に神に突き飛ばされる [ 加藤典洋 ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)東北大震災の後、原発について、彼のきっぱりとした発言。言葉の降る日 [ 加藤典洋 ]価格:2160円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)死を巡って、鶴見俊輔、吉本隆明に対する追悼文他どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。 幕末・戦後・現在 (岩波ブックレット) [ 加藤典洋 ]価格:626円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)彼自身による、彼自身の歴史観の要約ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.22
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