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少し前の事になります。1/16に初めて専門医師に【医学検査が無ければ極めて自閉傾向が強いと言えます】そう言われた翌日、診断を受けた3歳5ヶ月の息子の報告と入園用品購入の為、姉の通う幼稚園へ出かけました。(息子ソウは4月から未就園クラスという在園児弟妹対象のクラスに月に1.2度行っています。 担当してくれている主任先生からは、今年4月から年少さんに入園可能とお話を頂いています)主任先生は教室で2人きりで話す時間を設けてくれました。(先日も設けていただいたのですが・・・恐縮です!)昨日の保健所での話をしました。●ソウが【医学検査の異常がなければ、自閉傾向極めて強し】と診断された事。●今後療育施設の面談をし、療育に通うことになる事。●医学検査を受けること。主任先生は、「そうですか、わかりました。 担当の保健婦さんと相互連絡を取らせていただいてもいいでしょうか? 色々連携を取りながら、園でもどうすれば彼に一番いいのか考えます。 大丈夫ですよ。年少は担任が2人いますし、ソウ君についていられます。 彼に一番良い様に、皆で考えながらやって行きましょうよ、お母さん! 4月から彼の様子を見せていただいています。 療育に通う年少のお子さんも何人かいるんです。 お子さんやお母さんの無理の無い様に、療育の日は休んだり、早退したり また決めていきましょうね。」少し前の事で、はっきりと覚えているわけではありませんが、こういうった内容の事を言っていただきました。障害を抱える子供を幼稚園で預かって頂くのは、難しい事を私も知っています。本当に感謝で一杯で、また涙が出てきました。私の住む近隣は、殆どのお子さんが3年保育。ソウの2歳年上の姉が就園時期になり、当時よく行っていた公園のママさん達と話す時期になりました。何かと行事が多い幼稚園。余り遠く無い距離で考えると3つの幼稚園が候補に挙がりました。・教育に力を入れているA幼稚園。 →発表会の時、楽器が上手く吹けない子供に先生が「拭かないようにしてね」と 言っていたのを友人から聞き却下。・伸び伸び幼稚園で、公園お友達の殆どが通うことにしているB園。ただ学区が違う。 →説明会に行くも可も不可もなく帰宅。園児の様子は普通だった。・現在娘が通う幼稚園。知り合いはいく予定なし。学区内。 でもうちは転勤族。小学校まで現住所に住める可能性はきわめて低い。 →説明会に行った時、バスの運転手さんや先生と楽しく遊んでいる。 なんと園児が娘や私に自発的にお茶を持って来てくれる。本当に驚きました。 娘もベビーカーの息子も含めてすごく可愛がってくれる。そして私はこの説明会をきっかけに、今娘が通う園への通園を決めました。主任先生にその話をしたのですが、「不思議なもんです。自発的に子供達は自分でするんですよ。 幼稚園がお子さんに関われる事はそんなに多くはありません。 きっと親御さんがおうちでしっかり教えてくれているんでしょうね。」私は「いえ、先生。私は子供にとって、幼稚園がどんなに大事なところか経験上知っています。」実は私の実家は、私が2歳、弟が生後1ヶ月で、自宅が全焼しました。父は養子で、家を新築するまでの1年間、市内の父の兄のお宅に家族6人でお世話になりました。(既に父の両親は他界)火災保険にも入ってなかった為、新築した家のローンを返すため、家族は昼夜無く働きました。食事時以外家族が誰もいない生活。喧嘩が絶えない両親。かまってもらえない寂しさで一杯の幼少期でした。夜小さい私達を寝かせに、敷地内の工場から母が来ます。保育所に通う小さな私達姉弟は、すぐに寝付かない私達に母がイライラしているのを感じていました。私達は寝たフリをし、工場に再び音が響きだすのを聞いて「お母さんまた働きに行ったね・・・」「うん・・・」そういった会話を毎日繰り返していました。保育所から帰宅した私くらいしか弟に話しかける相手はいません。3歳の通園までその生活が続く弟は、発達も遅く、おねしょをよくしていました。弟も保育園に通いだし、少しの時間の昼寝の後のおもらしは毎日です。おせっかいな私と同級生の女の子が、わざわざそれを私に知らせに来ます。弟の様子を見に行くと年少の弟が大勢の先生に囲みこまれ、睨まれて怒られていたり、押入れに閉じ込められていました。当時年長の私は、かわいそうで見ていられませんでした。弟の保育所時代は惨めなものでした。私は自分の経験を話し、主任先生に子供にとって幼稚園がどれ程大事な場所であるかここの園児の優しさは幼稚園の先生やいつも遊んでくれる運転手さん、皆さんの力が大きいと思う事を伝えました。主任先生は今まで見た事のないような笑顔でした。たまたま選んだ幼稚園。娘は一度も幼稚園に行くのを嫌がった事がありません。私は幼稚園に行くと園児とよく遊ぶ一風変わった母親です。私は娘の通う幼稚園の園児が大好きです。そしてこの園で息子を受け入れてくれる事、それが何よりありがたく嬉しいのです。担任が1人になる年中になって通い続ける事ができるのかは、わかりません。だからこそ、来年度の1年間を大事にしたいと思います。
2008.01.29
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前のブログでの楽友さん全員に送った最後の日記です。1/17今日で日記のこの更新は終わりにしたいと思います。自閉症・・・昔よりは認知されてきた障害ですが、よりして知って頂きたい。そしてこの障害を理解していただきたい。私が同じだった用に同じ障害や他の障害や病気のお母さんが私のブログを読んで励まされること、気付くことがあるかもしれません。私の願望ですが。そして書くことにより、何より自分の気持ちに正直に向き合えるんです。助け、助けられ、励まし、励まされ、そういったブログになればと思い新しいブログを立ち上げます。お手紙を書けなかった楽友さん、本当にごめんなさい。そして暖かいコメントや箱メ、沢山送ってくれてありがとう。この日記が皆さんへの最後のお手紙です。今まで本当にありがとう。感謝以外ありません。ソウの名前は【そら】です。京都は今日は空が青いです。辛い時ついうつむきがちになりますが、ソウの名前の空を見上げて、できるだけ沢山笑って過ごせるように家族みんなで支えあって生きていきます。また泣いちゃったよ・・・。でも泣くことも必要。ストレスや不安を解消する手段です。でも心は結構前向きですよ。【追記】この日記の翌日だったと思います。私は前のブログを閉鎖し、このブログを始めました。自分の中で息子の自閉症を確信し(自分で勝手になのですが・・・)、診断を受け始め(まだ1回ですが)、療育施設の面談も1回受けました。その時の様子も後日UPしたいと思っています。(自分自身がすぐ忘れそうなのでww)
2008.01.21
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この日記は、保健所にて専門医の診断を初めて受けた翌日。このブログ前にしていたブログに掲載したものです。1/17昨日日記がUPできずごめんね。UPが無い事で色々心配おかけしました。昨日私実母に来て貰い、ネネのバスお迎えをお願いし、昼からソウの診断を受けに行ってきました。地域担当の保健婦さんも来てくれ、最初にソウの様子などの調書聞き取りをしてくれた女性も、診断してくれたお医者様も本当にいい方でした。脳波などの医学的検査を済ませなければ、何か病気が潜んでいるかはわからない。でもそれで何も異常がなければ、極めて自閉傾向が強いといえます。最後にそう医師は私たちに告げました。これは私達夫婦に覚悟が出来ていると言う事、そして息子と自閉症と真剣に向き合おうと考えていること、それを医師が感じてくれたからだと思います。こちらが「自閉症ですか?」という質問が無いにも関わらず、1回目の診察で医師が自発的に言ってくれることは少ないようなので。今日ソウの幼稚園で制服販売会があるので、出向き明日は早速養育の園に相談に行くことができるので、週明けから怒涛の大忙しです。ソウのようにある程度の年齢になった自閉症の母親は、診断が下るとホッとしたような安心したような気持ちになると読みましたが、私もそうでした。これまでずっと霧の中にいて身動きが取れなかったのが、進んでいく方向が見えたからだと思います。主人はやはり前向きに考えてくれてはいますが、動揺している面が私より多くあります。それも正直に彼は話してくれました。当たり前です。前の日記にも書きましたが、私はおかしいと感じ始めてから2年近くたってるんですから・・
2008.01.21
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引き続き、このブログ以前の私のブログに書いた日記です。ネネ=5歳姉 ソウ=3歳弟(自閉傾向極めて強しと診断。今後何度か診断予定)1/15今日は朝からネネの幼稚園の参観でした。ソウを連れて行きましたが、パニックを起さないか心配しながら向かいました。歩いていこうと思ったのですが、いつも行くスーパーへ行こうとするソウ。パニックになりそうだったので、自転車で幼稚園に向かいました。途中で出会ったお母さんは未就園のママさんでした。私から声をかけることは今まであまり無かったけど、いつも元気に声をかけてくれている方。きっとソウの事を心配していてくれたのでしょう。『おはよう』は言い返せるけど、表情はあまり無いソウ。私たちの事を心配してくれているのを実は感じていました。ソウが自閉症らしい事。明日初めて専門家に行く事を話しました。泣かずに話せました。時に笑顔で話すことが出来ました。彼女は「保健婦さん大げさに言うよ!!」って言ってくれたけど、ソウの事を色々話すと、「1人で抱え込まないでよ、協力するし、話くらいはいくらでも聞けるんだから」と言ってくれました。色々話すうちに涙ぐみそうになる私の隣で同じく涙ぐんでくれる彼女がいました。私は恵まれています。そう感じました。元気にお友達と遊ぶ園児や楽しそうにお話しする園児。ソウはネネと以外遊べません。1人で遊んでいます。帰りに自転車の後ろにソウを乗せ、高台から園庭を眺め私は泣いてしまいました。ソウは「やいやい」と優しく言いながら、私の頭をなぜてくれました。いつも泣いたり、泣くまねをしたらしてくれます。彼が何か考えてしているのか、ただの習慣なのかはわかりません。でも泣き止めました。私はこの子を愛しています。明日初めて専門家の元を尋ねます。最終的な判断は先の事だろうけど、主人が昨日から不安定になっています。長くソウは障害があるのではないか?と思ってきた私。連日の深夜帰宅で接する時間が少なく、同じ年の子供がどうなのかわからず、しゃべるのがかなり遅かった主人の姉の息子も普通にしゃべるようになったんだから…そう考え、現実を受け入れられないようです。私はすごく時間がかかったもんね。パパ、急に認めろって無理だよね・・・認めたくないよね、聞きたくないよね。何日もすごく落ち込む私に無理して頑張ってくれたんだよね。支える側に回ってくれた主人に、今度は支えてよっからせてお互いを支えていく事になりそうです。全部の方に日記UPできそうにないかもしれません。ごめんね。日記を閉めるときは必ず前もってお知らせしますので。
2008.01.21
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引き続き、自閉症と気づいてからの私が書いていた前の日記のコピーです。主にその時の楽友さんへ送っているような内容です。1/12こんばんは。今日もメソメソしながら一日過ごしていました。昨日同じマンションの2歳くらいのお子さんがお母さんとシャボン玉をしていました。ちょうど車で帰宅した所でした。シャボン玉が好きなソウは何も言わず、遊ぼうとシャボン玉の道具を取りました。『勝手に取っちゃ駄目だよ』と手を離させました。すると『あそぼ』とソウが言いました。表情は一切無かったし、感情もこもってないけど、そう言ったことがとても嬉しかったのです。感情表現があまりできないソウにとって、私には想像できないことでした。ネネと遊ぶ中(誘導されてるだけに近いんですが)で、状況的に言っただけなんですけどね。ソウは驚くほどあっさり止めて私たちは部屋に入りました。どうしてもしたいという程でも無かったんですね。でも私にはとても大きな一言でした。すごく嬉しかったんです。今日近くのスーパーに行って、自閉症の本を探しました。一番欲しいと思っていた『光とともに・・・』という自閉症児とその家族などを綴った漫画。光とともに…(1)この本の最新刊だけが置かれていました。本屋のおばさんとは顔見知りなので、1巻が無いか聞いてみると、引き出しにどうやら全巻あったようでした。1巻を買って帰り、先程読み終えました。あまり小さい頃のソウと当てはまるのかは正直余り覚えていませんが、主人公の男の子がソウに近い年齢の頃の事は、驚くほど当てはまっていました。先程怪我をしたソウは、かつて無かったほどパニックになり、私たちが何をしても『いたい~!!!』と泣き叫び続けて、コタツの中に入り込み、泣き続けながら寝てしまいました。ここまでの事は今までなかったので、すごく困惑しました。でも自閉症はこういう物だと、少しずつ勉強です。今後色々な困難な事が待ち受けています。日々悩み、傷つき、その中に喜びもあるのでしょう。今まで楽友さんにすごく良くして頂いて申し訳ないのですが、息子の自閉症を主にしたブログを始めたいと思い、少ししたら今のブログを閉鎖することに決めました。私は何故か障害や病気について、若い頃から人より知りたいという欲求がありました。自閉症の特徴も個々によってかなり異なります。私はある方のブログを読んで、息子の自閉症に気付けたし、その他の方のも色々読ませて頂いて勇気や心構えをもらいました。悩んでるのは自分だけじゃない。もっと理解してもらいたい。知ってもらえるだけでもいいんです。そうやっていきたいと思うことも、私なりの前向きな考えなんです。なにより、これから生まれてくる自閉症児のお母さん、お父さんの力に少しでもなりたいんです。私がそうしてもらったように・・・・どうか理解してください。自分勝手なお願いです。ごめんね。最後に、ソウの自閉症を告白してからコメや箱メを頂いた方に私からの手紙を書きます。箱メに書ききれそうに無いので、他の人も読めて申し訳ないんだけど、日記で。お時間があったら読んでみてください。少しずつ書き終えて、全てが終わったら、この日記は終わります。また新しいブログを見つけてくれる人もいるかと思います。また声でも掛けてくださいww最後に・・・今の私は、『かわいそうだ』『気の毒だ』と健常者の周りの方が思うのは普通のことだと思っています。それを悪いことだとは思わないで下さい。経験しないことを色々わかれないのは、何に関しても同じですからww私たちの声に耳を傾けてくれるだけで充分です。本当にそれだけで・・・それが今の私の切なる願いです。ソウ、今なんだか寝ながらパニック起してますよ~どうしようも無いんですけどね。では。【追記】この時は本当に前向きですね。主人が前向きさに疲れていたのがよく分かります・・・真逆に週末はえらく荒れて、落ち込み家族に当り散らしていた私・・・酷いもんでした _| ̄|○ 非常に疲れやすくなっている(欝はすごく疲れやすいんです。)のに、行動的に先週は無理をしすぎて、自分を悪化させてどうするんでしょう・・・反省の多い週末でした。無理はしないと心で何度も唱えていますww
2008.01.21
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一つ前の日記に書いた、前のブログの日記の同日残りがありました。心配してくれた楽友さん。私頑張ります!(うつに頑張るは禁句なんだけどww)やっぱりソウもネネも変わらず愛しています。以前以上に大事な存在になりました。主人と付き合いだした頃、大学内で友達で話していると目の見えない方が杖を付いてこちらに向かってきました。ちょうどでこぼこの目印の進路の上に私たちが立っていて、私は何も言わず、さっと目印のない所に移って、そのまま話し続けました。主人を含め他の面子は正直どうしていいのか戸惑っていました。そのときの事を主人は結婚してから私に話しました。『あの時こいつすごいな~。普通に障害者に接せれる』と話してくれました。私はその時のことをもう忘れていました。障害者の方の親御さんが何処かに書かれていました<普通に接して欲しいんです。でも生きるうえで不便なことは事実です どうか困っている時は助けてあげてください>なにかの本で書いていました。<障害のもつ子供は、自分を受け入れてくれる親のところを選んで生まれてくる>私は強い人でもありません。今も鬱になってるし。でもこの言葉を信じてやっていこうと思います。まだまだこれを書きながらも泣いています。でも前向きにやっていこうと思います。まだコメ返しも難しい状態です。皆さんが色々励ましてくれるのがありがたくって、本当にブログをやっていて良かった、いい人にめぐり合えて良かった本当に感謝の言葉以外ありません。また結果が出たら報告に来ます。楽友さん、みんな愛しています♪本当にありがとう。
2008.01.21
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本日2回目の日記です。(家族構成:主人・私・姉5歳半・自閉症3歳5ヶ月(診断過程中))私は先日まで全く別の内容で同じ楽天ブログをしていました。楽友さんも沢山できて、子供服や日々あったことを書き綴っていました。1個前に書いた緑字部分は、以前のブログの日記です。それを読んで多くの楽友さんから励ましのコメントや箱メを頂きました。本当に感謝しています。そして以下が、自閉症と気づいた翌日の日記です。1/11みんなありがとう。本当にありがとう。コメや箱メ読ませていただきました。昨日ちょうどソウより1ヶ月前の3歳児半健康診断がありました。無理行って担当地域の保健婦さんに時間を取ってもらい、旦那にも休みをとってもらって保健センターに出かけました。出かける前、幼稚園未就園クラスに行けなくなった、ソウを保健センターに連れて行くことをネネに伝えました。『ソウお話できるようになるの?』と聞かれた時、必死に我慢しましたが涙が出そうになりました。ものすごいネネは敏感な子供です。なんとか涙を見せず、バスを見送れました。見送る時『ネネ、本当にごめんね・・・』と心でつぶやく自分がいました。保健センターで保健婦さんに色々話をし、来週専門医に見ていただくことになりました。何度か見ていただかないと、最終的な判断もできず、療育も待機が多く、いつ通えるのか不透明との事。療育希望のかたはやはり多いんですね。保健センターで相談が終わった後、以前通っていた精神科を受診しました。経験者だから分かってたけど、完全にうつ病に逆戻り。やっぱ結構重いしww薬を処方されて幼稚園に行きました。未就園の担任でもある主任先生と話すためです。今日保健センターで話し合ったことを伝えました。『一緒に頑張っていきましょう。なによりソウ君が楽しめるように。 色々ソウくんにとって困難なこともあると思います。 でも全力でバックアップしますから。お母さんも元気を出して前向きに行きましょう ひよこクラブでも彼は楽しそうにしてますよね』出来ないことは一杯あるけれど、彼はすごく楽しそうです。先生の言葉に、また感謝の涙が出てきました。保健センターの方も言っていました。『ひよこクラブが無かったら、お母さんもソウ君のこと気付かなかったかもしれません』そうです。園が未就園クラスを用意してくれたからきちんと気付けたと思います。こんな状況の中旦那は全てを受け入れてくれています。私が昼寝をしている間、自分で色々自閉症のサイトを調べてくれていました。本当にありがたかったです。来週の診断にも旦那が付いてくれるとの事です。うつの薬が効いてくるまで10日ほどかかるのを経験上知っているので、それまでは自分の感情との戦いだな、と思っています。【追記】現在娘のネネ(息子は姉をそう呼んでいます)に対して申し訳ない気持ちが無いかと言えば嘘になります。でもあまり考えすぎないようにしています。彼女が素敵な女性に育ってくれるよう、ソウ同様大切に育てていきます。
2008.01.19
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前回の日記に書きましたが、私が息子が自閉症だと気づいたのは、1/10夜にブログを徘徊している時でした。ある自閉症児のお母さんの専門医による診断の基準が全部当てはまっています。生育過程も載せて下さっていたのですが、それを見ても当てはまることばかり。私はどうしようもなく震えました。私はうつ病経験者だったので、このままだと自分が自殺だってしかねないと思いました。もう主人や子供達は寝ていました。寝入ってしばらくした主人を起し、私の気持ちを話しました。主人は話を聞いてくれていましたが、私はもうパニックです。呼吸困難などの症状が出たりもしました。でも主人は本当に優しかったです。のちに主人は言いました。「俺も怖かった。でも自分より状況が悪い人がいたら逆に冷静になれるやろ? それやったと思う。 それに、お前は物事を一番悪い底を考えてから動くタイプ。 悪く考えすぎてるんじゃないの?ってまだ俺も信じられなかったしね」結局私は一睡も出来ないまま、朝を迎えました。以前やっていたブログで、その朝私が書いた日記です。1/10眠れないままあさを迎えてしまいました・・・ブログを徘徊していて、ある所で目が留まりました。自閉症の男の子の息子と同じ年の時の記録。診断基準の行動は息子に全部当てはまりました。沢山のサイトをみました。自閉症特有の行動が、殆ど息子の行動に当てはまります。オウム返し、多動など10個以上当てはまってる。やっぱり自閉症なんだ・・・やはりショックで眠れませんでした。来月に予定されていた発達相談を待つ余裕は私にはありません・・・元々鬱をわずらったことのある私は、通院しないとやばい感じがしています。ごめんなさい。日記が普通に書けません。娘、息子ごめんなさい。
2008.01.19
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本日2回目の日記です。うちの家族は、【主人・私・5歳姉・3歳5ヶ月自閉症の息子】の4人家族です。息子の1歳8ヶ月検診で、別途保健婦さんに呼ばれ、話をしました。今思えば、『なんとなくこの子は他のお子さんと違う』そう感じていたような気がします。色々保健婦さんは話をしてくれたのですが、姉の幼稚園バスのお迎え時間を理由に、そそくさと帰ってしまいました。後日2.3回お電話を頂きましたが、私が電話に出ることも無く、連絡をすることもありませんでした。そのうち私がかなり重いうつ病になり、1週間は寝たきりで自殺願望もかなり強い状態でした。1年少し前の話です(息子がちょうど2歳になってすぐ位です)幼稚園に娘はもう通っていましたが、そういえば姉がいなくても息子は大人しかったな。結構1人で遊んでいたし、テレビやビデオを大人しく見てくれてた。(今頃気づいたのですが・・・)それから半年ほどたち、他のお子さんは話し出し、一向に話す気配の無い息子について、発達障害を疑いだしました。主人に相談したり、実家の母にも話しましたが、主人の姉の息子が言葉がかなり遅かったことや、私の弟もかなり言葉に関して遅かったので『男の子はしゃべるの遅いもんだよ』その言葉に、『そうかもしれないな』と思うようになっていました。3歳を少し過ぎて、1語が出だし、姉も話し出すと怒涛のおしゃべりが始まったので、少し安心したのを覚えています。でも、数ヶ月前からオウム返しが多くなり、やはり奇声を上げることも多く、急に不安になりました。言葉も1語だけ。2語が出ません。娘の幼稚園の未就園クラスに春から通いだし、普通に話しているお子さん。皆が座って先生の話を聞いている。もしくはお母さんにべったり。でも息子は走りまくっています。以前息子に対して自閉症の疑いを持っていた時期があったので、自閉症のかなりの特徴に符合する部分があるのを認知していました。1/10子供の就寝後、楽天ブログを徘徊中にある自閉症児のお母さんのブログに出会いました。3歳の時に診断を受けられた時の当てはまる項目。息子は全てに当てはまっていました。それから、自閉症の特徴を次々とネットで調べました。驚く程息子の行動が自閉症の項目に当てはまっていました。あまりにも沢山当てはまっていて、10以上項目が当てはまる。疑いようがありませんでした。そして、私は息子が自閉症である事を理解したのです。その時の私の葛藤などは、また後日にUPします。良かったら、また読んでくださいね♪【追記】私が自覚してからまだ1週間強。再び精神科に通い、薬に頼りながらですが、前向きに生活して行っています。泣く事もありますよ。でもそれも大切。泣くことってストレスを解消してくれますよね。
2008.01.18
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