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先日、山奥へ行ったときのエントリーで、いろいろ食べた中に、いたちの仲間と紹介されたのが気になって、麗君に漢字でどう書くの?と聞くと、「穿山甲」という。ウィキで調べると、センザンコウという希少種。鱗を持つ唯一の哺乳類だそう。 中国では漢方として珍重されてるらしいのだけど、肉は臭みが強くて一口しか食べませんでした。しかし、麗君はそのとき、「蟻を食べるやつだよ、ほらワニみたいでさあ!」という禅問答のような説明しかしてくれず、まあ変わった動物なんだろうな、とはおもいましたけど。。ワニと言われてもねえ(笑) 果子狸(ハクビシン)も食べたけど、あれも臭かった。白テンもハルビンで食べたけど、鶏舎の匂いがする。基本、内臓系の臭いものは好きなんだけど、いたち系の生き物は、外敵から身を守るために、肉が臭くできているんだろうね、本能的にのどを通りにくい。それでも希少なものはよく漢方薬にされるんだけど、本当なんだろうか?ただ珍しいからという気がしないでもない。 ところで、中国の地方へ行くと、その地域住民のみが狩猟を赦されてる動物がいて、チチハルではオオカミの肉を食べたことがある。今回も、山奥の林業関係者が業務上駆逐を赦されているものを、特定の人間で食べるという範囲でオーナーがやっているらしい。北京上海の大都市では味わえない愉しみだね。浜松のずっと山奥へ行くと、そこでも熊や猪が食べられます。これらは、スーパーに売ってる豚や牛とは違う、格別の「臭み」と出会える。たまりません。中国の羊肉は、ぼくの感覚では半分はニセモノだけど、西安ではとびきりの羊肉に出会える。
Jul 1, 2011
つづきです。前回必要なものはなくならないについて書きました。リゾートなど必要性の低いものへの投資は補助的にと。同じ補助的にとぼくが考えるものには、4,5年後完成にむけ分割払いのプレビルド投資もある。本命にすべきものと補助的なもの。どう分けたらいいのかぼくなりの考えと、集中と分散については、おもに株の話を例に書いてみます。 まず本命と補助について。ぼくの考えでは、プレビルド投資は補助的にしたほうががいい。それはぼくの考える集中投資とは、スピード感を優先するものでまとめているから。本命とはもっとも確証があると信じてやるのだから、集中投資。4、5年先に完成するプレビルドはスピード感でいえば遅い。だから本命として集中させる資金とは別の勘定にしてます。 そもそもなぜまとめる(集中投資する)のがいいのか?そのほうが効率が良いとは分かっていても、なぜか考えたことがあるでしょうか。 ぼくの出した答えは、集中投資の要諦が “ 時間軸をそろえる ” 点にあること。投資には出口があり、そのピークアウトをひとつにまとめる。その効果は、次のチャンスにまとめて乗れるということです。 反対の分散投資について考えてみるとよくわかるので、分散派のかたには心苦しいのですが書いてみます。 株式投資で、あれもこれも銘柄を欲しくなるかたがいるけども、分散投資は資産を増やしにくいのにははっきり理由がある。ぼくの考えだけども、資産を増やすには増やしたお金を再投資しなきゃいけない。いちばん膨らんだタイミングで次に移るのがいいに決まってる。 しかし分散投資ではこのタイミングをはかりにくい。分散した投資商品のピーク時期はバラバラだからね。ここに問題がある。 ようは、どのタイミングで儲かるか、読めないかたが、バラバラの長所に投資をする。分散投資の欠点は、機動力に欠けるということなんだ。 そのぶんリスクを分散することを投資の最優先におく。バラバラに出口をむかえるのは、よくもわるくも分散投資の真骨頂だから。 分散投資のかたの多くはピークをスルーする。というより分散したひとつのピークだけ獲ってもたかが知れるし、全体がもっと上がることを漠然と夢見る傾向がある。中には、じぶんのポートフォリオについて、「消費系A株は調子いいのに、製薬系B株はだめだ」と嘆くひともいるけど、ピークと出口がバラバラなのが分散投資なんだから、言ってることとやってることが矛盾してる。もし、どれも同時に調子よくさせたいのなら集中投資しかない。 分散して流れに身をまかせるかたは、もともとが明確な動機で入口と出口を持たないものだから、情緒的に売り買いを繰り返して、3年に1度の暴落で放り出す。本人は長期投資をしたくとも、つねに最適化・最大化に欲があるひとはむつかしい。効率を上げようとする創意工夫は長期投資のじゃまになってしまう。最適最大化を獲りたいひとはピークをまとめるしかない。株式はとくにピークのあと下降がはっきりしてるから、分散なんてしたら、ピークの最適出口もバラバラになり、次の乗り換えも意思決定がブレること間違いなしで、結局、「思考停止してすべて長期投資」という不思議な結論に達するかたも多い。 まとめると、集中投資の良さは機動力にある以上、それはピーク(出口)の近いものでまとめるべき。短期でも長期でもいいけれど、出口をそろえて集中投資することがぼくの考える効率に適う。また投資対象が複数に分散していても、出口がまとまっていれば、ある意味集中投資とおもう。株だって5銘柄持ってても、セクターでまとめれば集中投資だ。集中投資は外してはいけない。だから必要なものなくならないものを選び、長期で夢見ることをせず、取得時からすでに利益が出てるものを狙う。短期間で確実に利益出しをする。逆にいえば、そうでないものには遊び銭でしか投資できない。
Jun 7, 2011
ぼくは「ゼロにできるひと」が好きだ。つくったものを捨てるのって勇気のいることだけど、捨てることができるひとは、また同じものをつくる自信があるんだ。このときゼロにするパワーやマインドは、あたらしいことに注がれるんだから素敵なことだよね。 あたらしいことをやれるひとが、今を白紙にできる力も持っている、そうかんがえると、ぼくの周りを見たときに腑に落ちる。退却、転進、突破、どれも潔くできるかたの思考は、ベースがゼロなんだなあとおもう。 ちなみにこの思考の特徴は、マイナスという概念がないこと。凹んだものすべてゼロとかんがえる。ようは何もなかったと。マイナスをひきずることはよくないからね。ゼロは気持ちがいい。あたらしいことが何でもできる。 広告代理店時代、能力の出し惜しみはこっぴどく注意された。すべて出し切って仕事をしろと。たとえば今月必要以上に契約があがったら、 翌月に「保険」として確保したくなるもんです。毎月コンスタントに契約をあげたほうが一見スマートにみえるから。余力を残したほうが、急な仕事を頼まれても受けれるしね。でもすべて出し尽くして、空っぽにしてしまえ、と教わった。 これ、今ならよく判りますね。小さな成果を守るひとに、成長する機会は与えられないんだ。失うことを恐れず、ゼロにしてしまうと、もう次が始まっている。何かやらなきゃいけない。 新入社員にかぎらず、誰でもそうですね。今を守るということは、新しい出会いから目をそむけること。古いものを捨てないと、新しいものは入ってこないんだから。中身の入れ替えもしないひとは、器の大きさもたぶんそのまま変わらないんじゃないかな。いちどゼロにして、空っぽにして、こんどはどれくらい中身を詰められるかやってみる作業は、とっても愉しいのにね。いろんなモノが入ってきて出てゆくことを繰り返すと、失うことが怖くなくなるし、溜めこんで澱むほうが生理的に嫌になる。 ぼくは、動かないもの、変化しないものが嫌いで、完成してしまうとじぶんで壊したくなってしまう。そのプロセスのほうが好きで、終了に関心がないのだとおもう。
May 26, 2011
ぼくは時間が自由にできるほうなので、 ビジネス書だけでなく小説もたくさん読む。でも会社員のときは今ほど小説に時間をかけられなかった。どうしても小説よりも仕事に関する本を優先した。 じっさい、小説は生産的ではないと考えるかたもいるので、大の小説読みとしては、前のエントリーにつづき、ふたたび小説の効能について考えてみます。 まず小説の定義は、物語であるということ。舞台設定があり、人物設定があり、ストーリーがある。読み手は、ストーリーに波長をあわせる。しだいにじぶんは空気のような存在になり、登場人物の思考とじぶんの思考は、ときに一致し、ときに否定し、できごとを予測し、想像し、振り返り、賛同し、よろこび、悲しむ。このときじぶんの軸をどう保つかが、そのひとの価値観となってゆく。だから、多くの小説を読むことで、いろんな思考を知り、いろんな行動を知り、人物を知ることで、平準化と一般化が繰り返される。経験値が多いほど思考の軸は太く重くなる。 PCゲームではこれはできない。ゲームの目的は攻略が主体なので、負けてはいけないからだ。小説には勝ち負けもなく、そこから自己をつくってゆく。大切なものはなんだろう?という問いかけに、ゲームでは勝つことしか答えが用意されてないからね。 たとえば、ぼくの好きな釣りもそう。あれも釣果が多いことが勝ちじゃない。おなじゲームでも勝ち負け以外の価値観を学べるものは、こころを豊かにする。 話をもとにもどすと、小説とは、じぶんとちがう状況設定に身をおくことで、ひとの思考がどう変化するのかを体験する「哲学」なんだ。たとえば、SF小説は、ルールが変わるとひとはどう変化するのかをたのしむ。推理小説は、与えられた条件から想像や飛躍をたのしむ。 いま、会社員が優先して読んでいる、業界知識やトレンド分析もの、ノウハウものなどは、必要な知識の底上げになるかもしれないけど、ほとんどが、"すでに誰かがやったこと"の解説だ。ありがたい知識でも、後追いの情報だよね。今年はこうなる的な読み物も、別に否定しないけど、今年なることを知って行動しても、大勢のひとたちが頑張ってやってる域から出てない。みんながやってることは大切なことで知る必要があるけど、じぶんがとる行動は、おなじじゃだめでしょ。 小説の効能はもうひとつあって、ことばが豊かになること。語彙の数だけ思考があるわけで、あたらしい表現を発見したときに、ぼくはこの小説を読んでよかったなあ...と感動する。ことばは武器なんだから、たくさん持ってたほうがいい。ひとがまず最初に使う武器はことばなんだから。
Apr 23, 2011
週末なので、久々にかるい話題を。 司馬遼太郎の国盗り物語を読むのは2回目。ぼくは、これまで歴史上の人物で、「なるほどこんな生き方をしてみたいな」と影響をうけたひとが二人いる。高杉晋作と斉藤道三。 どちらも、大義を完成させた位置にはいない。高杉のあと、使い走りの伊藤博文が、道三のあと、娘婿の織田信長が、あたらしい時代をつくった。大志を持ちつつも本人はいかにも、(功績を成すのは後代だろう…)という風で、歴史上重要な仕事をやり遂げたにもかかわらず、とてもさっぱりした生き方をした。 いろんなことを考え、つくり、あっと言わせて、「あとはもういいよ」というかんじがいい。たぶん、リアリストだったんじゃないかな。それでいて、感情の量はぜったい多いはずだ。二人とも、熱狂的な仲間に支えられていたんだから。ひとに好かれる臭みもないと、こうはならない。 ぼくがいちばん共感するのは、二人は、人生をなんどもリセットするところだ。これまでを、ぽいっと捨てることができる。身軽になって、いつの間にかもっと大きなことをやっている。いいね。男ならこうありたい。 ぼくは、過去のことをほとんどかんがえない。懐かしむときはあるけども、それで未来の行動が引っぱられるのがいちばん嫌いだ。だから、あたらしいことをやろうとするのに、過去は切り離してかんがえる。今から未来へむかう線上でかんがえると、できない理由も…たいがいなくなる。NOをたくさん言うひととは長くつきあえない。 この国盗り物語には、斉藤道三がでてくる。彼の身のこなしは、ほれぼれする。窮地におちいると、悲観するより、さっと白紙にしてしまう。何をいわれても気にしない。次にやればいいじゃん、とおもってるので、退却するときは退却する。特にここが気持ちいい。 人生って、いろんなことがあるけど、繋げてゆくと、ひとつの線なんだから、途中の嘆きや患いなんて、はやく過去に置いてきたほうがいい。ぼくも、離婚や親の死別を経験してきたけど、それがどういうものなのか、かんがえることに意味はなく、因果だとおもうようになった。 もちろん悲しいときは悲しいし、感情が極まることもたくさんあるけど、その事象の是非を疑わないというか、まあ受け入れる。受け入れたうえで、感情のままに生きてる。そんな生き方をしていると、おそれ多いけど彼らの処し方って、じぶんの自信になる。 歴史って、もう結果のでていることなんだよね。だからこそ、講談中の人物が「どうだこうだ」やっても、どう収束するのか、ぼくらは結末を知っている。無常だなーともおもうし、こうして大義を成すのか!と感動もする。人間のすることだから、運もあり、めぐり合わせなんだ、としかおもえない。こうして大局観ってつくられるんだとおもう。 ちなみに高杉晋作の生き方は、司馬遼太郎の「世に棲む日日」がいいですよ。いろんなことがあまり気にならなくなる。人生で何度も読める本だとおもう。
Mar 18, 2011
ひきつづき点描、雑記など。あいかわらず、麗君とその周辺は騒がしい。日本へ行くの止めるの、つなひきだ。 麗君の友人で、桜を見に日本へいく予定だったひとは、ことごとくチケットキャンセル。日本から中国へとぶ便に予約が殺到し、通常の5倍で取引されてるというのも拍車をかけている。とにかく、騒ぐときはみんなで大騒ぎするのが中国流。太古から政変にすぐ反応してきた血が騒ぐのか。自分が置いてかれる…ということを執拗に回避する。日本人は起きてしまったことを粛々と受け入れる。 ************** 西安商業物件2号ファンドは声掛けして、4日ほどで口数が埋まり、締め切った。そして、入金依頼をかけてるときに、この震災。しかもほとんどは首都圏在住。でも。みんなきっちり入金をしてくれた。。これには麗君も驚愕!「東京は地震なのに、日本人はすごい!」しかも予定より1日や2日遅くなるだけで、きちっと報告してくれる。どんなときにも、ひとに迷惑をかけてはいけない…のだ。こんな民族、世界に日本だけだ。 ************** ZiZiプレイヤーはとても重宝してたのだが、ときどき日本のテレビ局だけがアクセスできなくなる。中国が遮断する理由はなく、日本の地デジ側が、アク禁にしてるのか??速報性のある情報は、テレビ局のHPでリアルタイムで見られるようにすべき。もちろん映像でね。文字速報ならヤフーでもどこでも代替できる。 で、その他の番組作品は、せめて次の日から、オンデマンドで局のHPで公開してほしい。どっちみち、YoutubeやYoukuで垂れ流しされるのなら、オンデマンド放映を別媒体として広告料をとればいい。オンデマンドなら、関連性の高い視聴者へ訴求できる。グーグルWayを学ぼう。 ************** 中国での災害救助ニュースには特徴がある。何をやったかより、誰がやった・・・・・かが大きく取り上げられる。たとえば、四川の大地震のときも、連日寄付金番組が放映されたんだけど、放映内容は、寄付をするひとが画面にあらわれ、「わたしは〇〇元を、被災地に捧げます!」と、叫ぶ。そして、高らかにその寄付金を頭上にかかげ、カメラの前でポーズ。日本人から見たら、なんだかなぁ~というかんじだ。 被災地では、誰がどうすばらしい行為をしたということが、中国では耳目を集めるのか、本人も誇らしいのか、英雄譚が大好きな国民性だ。
Mar 17, 2011
ビジネスマンなら伝記ものってよく読むとおもう。立志伝中のひとを知っておくのは、日本ではある意味たしなみ的なとこもあるしね。でも、意外に真実は違ったりする。ぼくの知ってる範囲でおもうことをちょっと書いてみます。週末なんで軽くおつきあいください^^ ぼくの実家のある浜松周辺は、浜松商法と呼ばれるように、いろんなものを受け入れ、前向きにチャレンジする風土がある。こまかいことは気にしない。瑣末にこだわることを嫌う風があり、こだわらないよ!という意味で、ぼくらはよく、「とんじゃかない」 と言う。頓着ない、という語からきてるのかな?分からない。 浜松地域は不思議と創業者が多い。ホンダ、ヤマハ、カワイ、スズキ、浜松ホトニクス…トヨタの創始者佐吉翁も実はそう。人口2,30万だった時代にこんな騒々しい町は他にない。おもしろいのは、浜松でものづくりをするひとは、浜松を市場にかんがえてない。本田宗一郎も浜松でバタバタをつくって全国へ売りながら、東京に事務所をつくって、もっと売ってやろうとかんがえた。まあNo.2の藤沢武夫は中央志向があって、その影響もある。 その藤沢武夫。世間では藤沢さんなくしてホンダはなかったと言われている。宗一郎はバイクづくりしかわからず、実質、藤沢さんが社長だったと。まあ、ある部分はそうかもしれないけど、浜松市民はこの話にちょっと違和感がある。どこに違和感があるのか? まず浜松人の感覚が全般的に、 藤沢武夫をあまり認めたがらない。浜松人の感覚でいくとおそらくこうなる。「彼はものづくりをして成功したわけじゃないでしょ」と。藤沢武夫でなく本田宗一郎に絶対的な愛着があるのは、その「ものづくり」の成功者という点がひとつ。 もうひとつは、藤沢武夫の人間性。こう書くと、「すばらしい経営者じゃなかったの?」と言われそうだけど、功罪あったひとだった。たとえば、もう知るひとは少なくなったけど、じつは、藤沢は宗一郎と対立していた。浜松では、その伝聞はいろいろ残っている。たとえば、藤沢は資金運営を一手にまかされ、草創期の宗一郎を救ったことはまちがいない。でも藤沢というひとは、じっさい功名心が非常に強く、その功績を吹聴してまわった。浜松人はこういうのを好かない。 藤沢は「人殺し以外なんでもやった」と本人が言うくらいだから、当時はそうとう苦労した部分もある。もともと個人で闇ブローカーをしていたひとだから、その時代の逸話もかぶって語られてちょっと損してるとこもある。宗一郎の知らないとこで、そうとう苦労したのだろうけど、世間の人気は宗一郎へむかう。だから、宗一郎信仰が、藤沢の現実の行動も屈折させたんだろうね。藤沢はとちゅうから、宗一郎をひきずりおろすことを画策するようになった。宗一郎へ露骨に、社長を交代するように迫りはじめた。この確執はホンダの古い社員ならみんな知っている。 確執という表現はちょっと違うかな。。じっさいには、藤沢が宗一郎に屈折した感情を持っただけで、宗一郎は藤沢と仲たがいしたとはおもってなかったようだから。でも、そんな権力志向の藤沢を、うまくコントロールしたのは宗一郎だったとおもう。だから、宗一郎はただのバイクづくりのおやじじゃなく、意外に高級なモティベートができたのかな。 宗一郎の頑固さに反発して辞めるひとも多かったようだけど、人づきあいが不器用では決してなく、宗一郎は分かっていて、創業者精神というフィルターにかけて、現場育成をしたんじゃないかな。向かないひとは去って行った。ぼくは創業期にはこれが非常に大切だとおもっている。宗一郎の理念では、次の社長は現場からという意思があり、機械バカのふりを一身にしつづけて、藤沢との距離を絶妙にコントロールした風がある。陽性でからっとした性格は、多くのひとに好かれた。経営にタッチしなかったけれど、創業者の使命はよく理解していたとおもう。つまり、社長の使命は後継者を決めること。 宗一郎には、藤沢にはぜったいに継がせてはいけない、という意思があった。だから、二人そろって退陣、という美談には、いろんな意味があった。締めをきっちりできたことは、宗一郎のもっと評価されていいとこだとおもう。 宗一郎は、本田技研をつくる前に、従業員1000人くらいのピストリングの会社をつくったこともある。じきにトヨタへ売ってしまい、その資金で技研をつくった。ヤマハへも技術協力した。この時期の浜松は、こんな「とんじゃかない」風土だった。経営感覚のないひとが、1000人の会社をつくれないはずだから、宗一郎は技術屋としての才能と、組織運営としての天才的なカンも持っていたんだとおもう。 ひとつ完成すると、リセットすることになんのためらいもない。また自由な環境であたらしいことに集中する。宗一郎は技研でものづくりに専念したけれど、本来、経営者としての天賦のものは持っていたんじゃないかな。ある時期は、藤沢という人間と歯車が合い、ともに同じ方向へ成長できたことはまちがいない。 浜松では、ぼくのおやじ世代のかたは、いまでもバイクのことをポンポンと呼ぶ。おなじ地元のヤマハやスズキであっても、小型のバイクはみんなポンポンだ。宗一郎の同時代を知るひとはみないなくなり、それを伝え聞いたひとも少なくなって、いつしか浜松のものづくり産業は静かな時代に入ってしまった。宗一郎がポンポンを走らせた市内の坂道はいまも残っていて、いまは静かなオフィス街になっている。宗一郎がかよった花街は、もうない。
Mar 6, 2011
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