パクス・ジャポニカ Vol.2

パクス・ジャポニカ Vol.2

PR

プロフィール

たけB777

たけB777

コメント新着

たけB777 @ Re:お初天神(露天神社)(大阪・大阪市)(02/20) 掛川城の記事、興味深く拝見しました。 棋…
ヴェルデ0205 @ Re:お初天神(露天神社)(大阪・大阪市)(02/20) お久しぶりです。 コメントありがとうござ…
たけB777 @ Re[1]:烏山城(下野国)~その1(02/04) araiguma321さんへ 与一温泉ってあるので…
araiguma321 @ Re:烏山城(下野国)~その1(02/04) 参考にさせて頂いてます。 ありがとうござ…
背番号のないエース0829 @ Re:首里城(琉球王国)~その2(12/10) 「沖縄summitから20年」に、上記の内容に…
たけB777 @ Re[1]:巾着田曼殊沙華まつり(埼玉・日高市)(09/27) 灰色ウサギさんへ 満開の時期に行かれたの…

お気に入りブログ

青しそご飯 & 島原納… New! Belgische_Pralinesさん

新光明寺で紅葉狩り☆ New! ヴェルデ0205さん

庭の雪囲いも完了し… New! よっけ3さん

ドレスコード 月の卵1030さん

ふたえの虹 araiguma321さん

南足柄絵手紙展 矢… マキ816さん

日々の出来事など しなの1707さん
京都観光をご案内し… スマイルフェイス8971さん
swang blog swangさん
ナンのこれしき観戦記 ナン65さん
2013/07/24
XML
テーマ: 城跡めぐり(1258)
近隣他県に比べて山梨県内には戦国城郭が極端に少ないのですが、武田信玄の時代には甲斐の国内に築城する必要がなかったことの表れかも知れません。

信濃や駿河などには武田流の築城術が見られますが、甲斐の国内ではなかなかお目にかかることもありませんでした。


そんな甲斐の国内にあって、武田氏によって新たに築かれた城が新府城です。

夏場は戦国城郭、とりわけ山城についてはシーズンオフにしているのですが、せっかくなので 甲府 から韮崎へとさらに足を延ばしてみました。


韮崎駅から小淵沢寄りに1駅行ったところに新府駅があり、無人駅ながら新府城への最寄駅となります。

桃畑から振り返ると八ヶ岳、、、ではなく別名「ニセ八ヶ岳」と呼ばれる茅ヶ岳が見えていました。
新府城茅ヶ岳 (1) (500x375).jpg



新府駅を降りて案内の矢印に従いながら行くと、やがて急斜面の階段と藤武稲荷神社の鳥居に辿り着きました。

新府城搦め手藤武稲荷神社 (500x375).jpg
急斜面のずっと上の方まで階段が続いています。


階段を登り切ったところに神社の拝殿があり、ここが新府城の本丸のようです。
新府城本丸藤武稲荷神社 (500x375).jpg


縄張り図を見てみると、登って来た階段のある急斜面は、新府城では搦め手となるようでした。
新府城縄張り図 (500x374).jpg
南側の緩斜面に沿って曲輪が配されており、武田流築城術の三日月堀や丸馬出などもあるようです。

新府城本丸(2) (500x375).jpg
比高50mの地点にある本丸

新府城馬出 (500x375).jpg
本丸大手方向にある馬出の跡

本丸周囲には帯曲輪が配されていたようで、曲輪と土塁の跡も受けられました。
新府城二の丸帯曲輪 (500x375).jpg


夏場を戦国山城めぐりのシーズンオフとしている理由の1つに、夏は草木に覆われて縄張りや遺構がわかりづらいということがあります。

新府城二の丸 (500x375).jpg
二の丸の曲輪跡

周囲に土塁が残っているように見えます。

途中で土塁が切れてわずかに枡形になった場所があったのですが、ここは二の丸の虎口跡かも知れません。
新府城二の丸虎口 (500x375).jpg


新府城の各曲輪は周囲を土塁で囲まれていたものの、特に空堀跡などは見当たりませんでした。
新府城西三の丸土塁 (500x375).jpg
西三の丸の土塁


新府城西三の丸 (1) (500x375).jpg
西三の丸の曲輪

縄張り図を見る限りでは、西三の丸の大手口に武田流築城術の三日月堀や丸馬出の跡があると思われます。
新府城西三の丸 (500x375).jpg
やはり草に覆われて判然としませんでした。


新府城西三の丸馬出 (500x375).jpg
冬場のオンシーズンならば近くに寄って探索出来るのですが、夏をシーズンオフにしているもう1つの理由、大の苦手のヘビやトカゲなどの爬虫類がいるので全く近寄れません。

新府城南大手門 (500x375).jpg
新府城の大手、南大門跡
おそらく枡形だと思うのですが、私には遠目に眺めるしか方法がありませんでした。



新府城は正式には新府中韮崎城といい、1581年に武田勝頼が甲府の 躑躅ヶ崎館 から本拠地を移すべく、新たに築かれた城です。

織田信長の侵攻に備えて築かれた城で、真田昌幸の縄張り普請によって、わずか8ヶ月で完成しています。

それでも織田信長・徳川家康連合軍の攻勢と家臣の離反が激しく、武田勝頼は自ら新府城に火をかけて、新府城も放棄せざるを得ませんでした。

家臣小山田信茂の 岩殿城 へと向かう途中、小山田信茂の離反にも遭い、 天目山 の山中で自刃の最期を迎えています。

新府城から見ると、雲間に南アルプスの気高くも気品のある山容が見えており、そんな戦国絵巻が余計に遠く感じました。
新府城甲斐駒ケ岳 (500x375).jpg
一番奥に見えるピークが甲斐駒ヶ岳です。



甲斐違い。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013/07/27 07:52:55 AM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(山梨・長野編)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: