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京阪・交野線の河内森駅は、JR学研都市線(片町線)河内磐船駅との乗り換え駅です。改札口(ラチ内)階段を下りると、地下に改札口。改札はこの1ヶ所だけです。改札口(ラチ外)乗り換え駅にしては狭いと思います。とくに朝は通勤通学客で集中してごった返します。工事の告知バリアフリー化工事のお知らせが掲示されていました。3月末までに、3ヶ所にエレベータを設置するようです。乗り換えの案内出口(東側)上の写真は、JR河内磐船駅に近い側の出口です。右側の踏切の向こう側にも出口があります。(下の写真)出口(西側)乗り換え経路上の写真は、駅の案内に書かれていた「歩道を右側」に曲がったところです。ただし、写真を撮ったのは車道上です。歩道は右側の柵で区切られています。この先、横断歩道のあるところが「一筋目を左に」入るところです。曲がると下の写真のような風景が見えます。JR河内磐船駅へ少し下りぎみの狭い道です。朝の通勤時間帯には、大勢の人が河内森駅から河内磐船駅に向かって歩いています。JR河内磐船駅乗り換え所要時間は速い人で5分、通常は7分くらいです。不慣れな場合は10分くらい見ておいた方がよさそうです。
2010年02月28日
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京阪本線の鳥羽街道駅には、改札口は1ヶ所しかありません。上の写真は下り(淀屋橋方面)ホームです。ホーム南側の階段を降り、地下通路を通って上り(出町柳方面)ホームにある改札口を利用します。エレベータやエスカレータもなく、まだバリアフリーには対応できていません。上り(出町柳方面)ホームの改札近くに、下り(淀屋橋方面)への地下通路の入口があります。改札口(ラチ内)改札口(ラチ外)鳥羽街道駅 駅舎改札口は南側の道路に面しています。南側の踏切から撮った様子です。左側が上り(出町柳方面)ホームで、左端が改札口です。右側は下り(淀屋橋方面)ホームで、地下通路で左側のホームと結ばれています。
2013年08月17日
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京阪電気鉄道の牧野駅から南東に1キロメートルほどの地点に、穂谷川に架かる橋があります。地図上には「二千年橋」と書かれています。なんとなく気になって、現地に行ってみました。穂谷川二千年橋同上同上同上少し検索してみると、2000年橋と名の付く橋が、鹿児島県南さつま市や福岡県久留米市にもあるようです。いずれも2000年に竣工しています。同上竣工は平成13年3月。正確には2001年ですが、まあ「2000年度」ということですか。「2000年度橋」ではなんだかね(笑)。同上この橋と、橋に続く道ができて、この付近はずいぶん走行しやすくなりました。
2010年06月18日
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京阪の丹波橋駅南改札口は橋上にあります。ホームからは階段2ヶ所のほか、エスカレーターとエレベーターが設置されています。とくに通勤時間帯は多くの乗客で込み合います。近鉄線との乗り換えに多くの乗客が利用するので、橋上駅舎はかなり大きく、ホームにのしかかるような雰囲気です。ホームから上がると、駅舎の構内には、「水嶋書房」や「ジューサーバー」、銀行のATMなどが置かれています。そば・うどん店の「麺座」は、ラチ内外どちらからでも入れます。南改札口(ラチ内)南改札口(ラチ外)改札機が並んでいる様子は壮観です。平成19年(2007年)に設置された「けいはんインフォステーション」です。平成9年(1997年)にコンコースが拡張され、その後、ラチ外にもコンビニ「アンスリー」、ドラッグストア「マツモトキヨシ」、ベーカリーや洋菓子などの店舗ができました。宝くじ売り場もあります。平成12年(2000年)には特急が終日停車するようになりました。
2012年11月19日
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京阪電気鉄道の大和田駅は、昭和7年(1932年)10月4日開業となっています。古川橋駅と萱島駅の間に新たに造られた駅です。その後、1980年に高架複々線化が完了し、現在の駅舎になりました。高架化される前は、待避線のある島式2面4線の駅だったそうです。駅名標淀屋橋方向京都方向全体的に曲線部分に造られた駅で、とくに下り列車の戸閉めには気を使っています。車掌さんは、いったんドアを閉めた後、列車から3メートルほど離れて前方を確認してから戻って発車の合図を送っています。淀屋橋方向京都方向とくに淀屋橋側のホームの端で三脚を立てて撮影している人をときどき見かけます。線形が列車の撮影にちょうどいいようです。ただ、背景の大きなマンションがちょっと気になるときもあります。
2009年05月22日
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近畿日本鉄道京都線 伏見駅京都府京都市伏見区深草柴田屋敷町近鉄・伏見駅は、近鉄丹波橋駅と竹田駅の間にある駅で、優等列車は停車しません。丹波橋で近鉄に乗り換えて京都駅に行くことはあっても、たいていは急行か準急を利用するため、あまり伏見駅には馴染みがありませんでした。 現在の近鉄京都線の京都~伏見駅間は、かつては国鉄奈良線でした。大正10年(1921年)、東海道線の東山トンネル(山科~京都駅間)が開通します。それまでの東海道線は、膳所から現在よりも南寄り、ちょうど名神高速道路の付近を通り、現在の奈良線・稲荷駅を通って京都駅へとつながっていました。つまり、現在の奈良線・京都~稲荷駅間は、かつては東海道線だったわけです。では奈良線はというと、ほぼ、現在の近鉄京都線の京都~伏見駅辺りを通っていました。しかし東海道線のルート変更と同時に、京都~伏見駅間は廃止、伏見~桃山駅間は貨物線となり、旧東海道線の京都~稲荷駅を通って桃山駅に至るルートに変わりました。やがて貨物線の伏見~桃山駅間も廃止されます。跡地は近鉄京都線の前身、奈良電気鉄道に払い下げられ、昭和3年(1928年)に京都~西大寺駅間の営業が始まります。現在の伏見駅もこのとき営業を開始しました。旧奈良線の伏見駅と現在の近鉄・伏見駅には、直接のつながりはありませんが、場所はほぼ同じだったようです。近くでは、昭和45年(1970年)まで、京都市電伏見線と交差していました。伏見の鉄道にも、いろいろと変遷があったようです。
2013年01月30日
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朝から怪しげな天気でしたが、出雲市駅を出たころから、とうとう雨が降ってきました。暗い雲に空が覆われ、ザーッと強めの雨がしばらく降ったかと思うと、西の空が明るくなって日の光が差してきました。虹が出現(車窓より)↑東へ向かっている列車の前方は、まだまだ黒い雲に覆われていますが、そこに突然現れた鮮やかな虹。夕方の日の光が列車の後方から差してきたようです。線路の向こうに虹が↑車掌さんが車内を巡回したあと、運転席側に入りました。次の駅の改札が前方にあるからでしょうか。ねえ、虹を写真に収めたいんですけど‥‥。車掌さんも虹に見とれているのかな?↑宍道湖に架かる虹です。特別に大きな画像にしました。よく見ると、虹が二重になってますよね。はっきり見える虹の外側に、もうひとつ虹が。しかも、色の順番が反対になっています。いわゆる二重虹。ふたつの虹の間は、周囲より暗くなるのだそうです。そういえばなんとなく、暗いかな。
2007年12月06日
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日暮里・舎人ラインの見沼代親水公園駅から折り返し、熊野前駅まで戻ってきました。ここは都電・荒川線との乗り換え駅であります。熊野前駅 駅舎上の写真は、日暮里・舎人ラインの熊野前駅です。「04」の駅番号が付けられています。右側に見える高架橋(熊野前陸橋)は尾久橋通り(都道58号台東鳩ヶ谷線)で、都電およびその併用道路と立体交差しています。「熊野前陸橋」都電「熊野前」駅同上早稲田方面の駅は道路内にあります。三ノ輪橋方面の駅は、尾久橋通りをはさんだ反対側にあります。7000形7500形7000形と7500形は、吊り掛け駆動方式です。ラッピング車両9000形上の写真、あせって撮ったので、はみ出してしまって失敗作品なんですけど、9000形(9001、宝くじ号)という希少価値のある車両ですので、載せることにします。レトロなイメージで新造された車両です。7022号車7000形ですが、平成17年に、昭和50年代の塗装を復活させた車両です。現在ではこの車両だけになったそうです。今年から導入された8800形には出会えませんでした。新しいデザインを楽しみにしていたのですが、少し残念でした。その一方で、7500形は2011年度までに8800形に置き換えられる予定だそうです。古いものを大切にしながら、いつまでも走り続けて欲しいものです。
2009年12月13日
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お久しぶりです。久々の東京方面への出張。出張がないとネタがなくて、ここが寂しくなってしまいます。22日、予定より1本早めの「のぞみ」で新横浜に到着。今回は新横浜から桜木町に向かいました。例によって駅撮り中心の写真であんまり変わりばえしませんけど、お付き合いください。現在、横浜線は205系だけしかいないようで、快速がたまに来ること以外、あまり変化がありません。行き先表示幕の地色が緑色なのが、特徴的です。↑すぐにホームに入ってきたのが205系桜木町行き普通電車。素直に乗り換えればほとんど待ち時間なく桜木町に向かえたのですが、そんなことはまったく考えず、さっそくデジカメを取り出してまず1枚。桜木町行きを見送って、次の電車を待つことに。横浜駅のひとつ手前、東神奈川駅までが横浜線です。その先、京浜東北線に乗り入れているのですが、次の電車は残念ながら(いや、幸いながら)東神奈川駅止まりでした。そこで、東神奈川駅でも合間にパチリ。↑東神奈川駅で折り返すために停車中の205系、八王子行きです。↑八王子に向け、出て行きました。京浜東北線はATC、横浜線はATS-Pなので、出発信号の下に、切替の指示が表示されています。やがてやってきた京浜東北線の209系に乗車。↑横浜、桜木町、と2駅だけ乗って下車。桜木駅のホームで209系(磯子行き)を見送りました。横浜から先は、京浜東北線ではなく根岸線なんですけど、行き先表示の右側は「京浜東北線」の表示のままです。京浜東北線(大宮~横浜)は全線ATC(南浦和~鶴見間はデジタルATC)ですが、桜木町から先は、ATCを装備しない貨物列車が交じるので、自動閉塞式になっています(ATC装備車はATCでバックアップ)。↑こちらは、桜木町で折り返す八王子行き快速です。「横浜線」と入っているところが赤い「快速」の表示に変わっています。↑は桜木町からパシフィコ横浜に向かう途中にある横浜ランドマークタワー。高さ296mは日本一とか。69階(タワーは70階まである)に展望台があるのですが、いつも横を素通りしてしまいます。↑は「よこはまコスモワールド」の観覧車と、「日本丸メモリアルパーク」の帆船「日本丸」です。さて、そろそろ仕事に向かいます。続きはまたのちほど。
2006年11月23日
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JR奈良線 桃山駅京都市伏見区桃山町鍋島京阪本線・伏見桃山駅/宇治線・観月橋駅より徒歩9分JR奈良線の桃山駅は住宅地の一画にあります。幹線道路と接しておらず、うっかり通り過ぎてしまうところでした。桃山駅は、島式と2線と単式の1線、合わせて3線の地上駅です。単式ホームに駅舎と改札があり、島式のホームへは跨線橋を渡らなければなりません。いまは小さな駅ですが、かつては明治天皇陵である伏見桃山陵の最寄駅として、かなりの規模だったようです。明治天皇の柩は列車に乗せられ、桃山駅まで運ばれたそうです。京都市内の駅ですから、市内制が適用されます。奈良線のラインカラー、茶色が使われています。上の写真の左側、ホームの無い線路が見えていますが、かつてはこの辺りにもホームがあったそうです。さらにその左側には改札口もあり、伏見桃山陵へ参拝する人で賑わったということです。大きな屋根があり、かなり立派なホームです。
2012年04月08日
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京阪の淀駅のホームから見た京都競馬場です。淀競馬場とも呼ばれます。 京都競馬場歩行者用デッキ淀駅の臨時改札から高低差無しで歩ける歩行者用の通路は、競馬場の2階入口とつながっています。2階入口「ディープインパクト」の像入口手前の通路脇に、馬の像が置かれています。ディープインパクトという競走馬の名前は、競馬ファンでなくても聞いたことがあるくらい有名です。2005年のクラッシック三冠馬(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)で、生涯の獲得賞金は14億5455万円というからすごいですね。ステーションゲート同上駅に近い入口ということで、「ステーションゲート」と呼ばれています。2階建てで、1階からでも2階からでも入場できます。
2011年03月23日
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法住寺 法住寺には、サザエさんの作者でお馴染みの漫画家、長谷川町子さんの遺骨が安置されているそうです。長谷川さんが生前に、法住寺を訪れて先代の住職とお話された縁だとか。また、法住寺には赤穂浪士四十七士の小さな木像が安置されているそうです。討ち入り前、大石内蔵助は京都の山科で過ごしていたころ、法住寺で討ち入り成功を不動明王に祈願したと言われています。毎年12月14日の討ち入りの日には「義士会法要」が開催されています。
2014年03月01日
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Farmer-kさんに促されて(笑)、ホームの幅について調べてみました。原則としては、ホームの両側を使用する、いわゆる島式ホームでは2m(中央部は3m)以上、片側を使用するものは1.5m(中央部は2m)以上となっています。(道路上の駅を除く)まず、鶴見線浜川崎駅ですが、2.8mほどの車体幅と比較して見るかぎりでは、ホーム幅は5m前後はありそうです。ホームの幅としては最低限の規格は満たしています。もちろん乗降客の数が問題ですが、残念ながら朝夕のラッシュ時の様子を知らないものですから、なんとも言えません。ホームの構造に関しては、利用する乗降客数に対する決まりはないようです。通勤客で溢れる都心の駅のホームは、数分おきに電車がホームに進入してくるわけで、危険度はかなり高いと思います。私の身近の京阪電車の例では、停車駅のホームの手前で警戒速度(45km/h)以下と決められているようですが、JR東日本などを見ていると、12両とか15両とかに対応したホームでは、先頭車両がホームにかかるあたりではかなりの速度が出ているように思えます。ホームの手前から減速すると運転本数が増やせなくなるんでしょうけど。「日本一狭い島式ホーム(両側を使用するホーム)」と言われていたのが阪神電鉄の「春日野道駅」。当初は3mだったのですが、車両の幅を広げるためにホームを削ったので、幅が2.6m(規格を満たしていない!)になってしまったそうです。もともと地下化に際し廃止される予定だったのが、工場へ通う人などが反対したため地下部分に無理やりホームを作ったと聞いています。2004年に相対ホームが新設され、現在はこのホームは使用されておりません。ほかに規格以下のホームが残存するかどうか、具体的に見つけることはできませんでしたが、ホーム中央部はともかく、端部が狭くて1mもないホームは見かけますね。ホームの狭さで話題になっている駅としては、阪急中津駅などがあります。規格(3m)ぎりぎりなのではないでしょうか。(参考)以下、法律関連を調べた結果をまとめます。軌道法に関連する規定としては「軌道建設規程」(大正12年12月29日内務省・鉄道省令第1号/最終改正:平成14年3月8日国土交通省令第19号)が、鉄道事業法に関連する規定としては「普通鉄道構造規則」(昭和62年3月2日運輸省令第14号/最終改正:平成6年10月4日運輸省令第47号)があります。また、いずれにも共通して、両側を使用するものは2m(中央部3m)以上片側を使用するものは1.5m(中央部2m)以上と決められているようです。ただし、路面電車の道路上のホームなどはカッコ内は除外されています。また鉄道については、ホームにある跨線橋口、地下道口、待合所等とホームの縁端との距離は、1.5m以上ただしホームドア等が設置されている場合は1.2m以上、乗降に支障がない箇所は0.9m以上新幹線については、「新幹線鉄道構造規則」(昭和39年9月30日運輸省令第70号/最終改正:平成12年11月29日運輸省令第39号)に規定があり、両側を使用するものは9m(曲面に沿うホームの端部については5m)以上片側を使用するものは5m(曲面に沿うホームの端部については4m)以上柱類とホームの縁端との距離は、2m以上(注)ホームにある跨線橋口、地下道口、待合所等とホームの縁端との距離は、2.5m(列車が通過する側は3m)以上(注)(注)列車に対し旅客を防護する設備を設けたホームについては、適用しない。となっています。
2007年06月10日
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京浜急行電鉄 本線 金沢八景駅神奈川県横浜市金沢区瀬戸2面4線の島式ホームを持つ駅です。「地上駅」となっていますが、写真のように、改札口を入って階段を上ったところにホームがあります。逗子線の分岐駅です。金沢八景の駅名は、近くにある史跡、金沢八景に由来しています。歌川広重が描いた「金沢八景」などにみられるように、古くから風景が美しいところとして知られていました。
2012年02月16日
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京阪の寝屋川市駅の近くに、もうひとつ商店街があります。アドバンスロード商店街寝屋川市駅の北側から東に向けて、府道18号線沿いにあるのが「アドバンスロード商店街」です。早子町交差点から東方向を見る府道18号線を東に向かうとすぐ、早子町交差点から先は西行き一方通行になっています。路線バスも西行きだけがこの道を通り、東行きはひとつ北側の広い通りを通っています。寝屋川高校商店街を東に通り抜けた辺りに、寝屋川高校があります。同上「2010 祝 創立100周年 定時制60周年」と書かれた板が目に飛び込んできました。
2009年08月03日
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米原15:08発の八日市行き普通電車は、定刻どおり15:50に八日市駅に到着しました。するとここで乗務員が交代し、客扱いをしたまま近江八幡行きの快速に。 八日市駅にて乗務員交代窓には「快速」の表示実は、事前にケータイの検索サイトで時刻を調べていたのですが、そこには「近江八幡行き快速」と書かれていたのでした。ところが、米原駅に来てみると、「ん? 普通? あれ? 八日市行き??」と、ちょっと混乱(苦笑)。あとで調べたら、近江鉄道のホームページの時刻表には、近江八幡行き(八日市から快速)と書いてあります。要は、八日市~近江八幡間だけが快速運転なんですよね。八日市駅に着いてようやく理解できましたが、初めて乗った者にも判るように、表示はどちらかに統一しておいて欲しいですね。
2007年04月30日
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京阪の萱島駅から800メートルほど東、萱島南団地というバス停の辺りに、「からくる親水公園」という公園があります。公園の入口ちょっと面白くて、でも不思議な名前ですね。公園入口の右側に目を転じると、やっぱり居ました、鉢かづき姫。鉢かづき姫の案内板寝屋川市の駅の辺りから萱島の東まで、現在の京阪・寝屋川車庫や木田小学校などを含む一帯は、囲い堤防で囲まれた輪中でした。説明によると、堤防の高さは3.6メートル、幅は3.6~6メートルもあったと言われます。輪中の内部には水路が縦横に通じ、昭和30年ごろまでは、三枚板舟(さんまいだふね)が重要な交通手段になっていました。輪中の内だけでなく、寝屋川を通って八軒家(天満橋)まで出て交易をしていたということです。囲い堤防の内外には水位差があり、これを通過するために閘門(こうもん)が設けられました。昔は手動でしたが、機械のようなしかけから唐繰(からくり)といいました。その「からくり」をなぞって「からくる公園」と名づけられたということです。現在は機械化されています。囲い堤防も無くなり、水路もかなり埋め立てられて、当時の面影は薄れてしまったということです。
2009年07月11日
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嘉祥寺(深草聖天)京都市伏見区深草坊町京阪本線・深草駅より南東へ徒歩12分平安時代の嘉祥4年(851年)、文徳天皇は清涼殿の建物を移築し、年号をとって嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。当時の嘉祥寺は、現在の位置よりもう少し南寄り、深草瓦町辺りにあったと言われています。名神高速道路をはさんで、仁明天皇陵のすぐ北側です。先帝・仁明天皇の菩提を弔うために建てたのだそうです。当時は広大な寺域を持った大きな寺でしたが、平安時代末には衰えて、仁和寺の別院となりました。鎌倉時代中期には藤原道基が再建を図り、安楽行院と名付けられます。しかし、室町時代の応仁の乱により、一部を除いて焼亡してしまいました。江戸時代の寛文年間(1661~73年)に再建された際には、安楽行院とともに聖天を祀って嘉祥寺も再興されました。嘉祥寺の本堂には歓喜天(聖天)を祀ることから「深草聖天(ふかくさしょうてん)」と呼ばれ、開運招福祈願の信仰を集めています。この聖天は、日本で最初のものだと言われています。
2013年06月08日
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6月は超多忙のため、ブログ更新が滞ってしまいました。少しでも進めたいと思います。深草駅の改札周辺を載せるのを忘れてました。忙しいとはいえ、うっかりしてました。深草駅改札口(ラチ外)深草駅の駅舎は橋上にあります。改札口は1ヶ所だけです。深草駅 西口西側の入口です。右側はスロープになっていて、通り抜けするために自転車を押して上がる人もいました。東側は階段ではなく、スロープになっています。東側は、線路に沿って琵琶湖疏水が流れています。駅を出たらすぐに、疏水に架かる橋があります。
2013年06月23日
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京阪本線 深草駅京都市伏見区深草ススハキ町深草駅は、2面4線の島式ホームを持つ地上駅です。明治43年(1910年)4月15日、京阪本線開通と同時に営業を開始しました。開業当初は「稲荷駅」でしたが、同年12月16日に「深草駅」と改称されました。同じ日、「稲荷駅」の名称は、隣の「稲荷新道駅」に引き継がれました(現在の「伏見稲荷駅」です)。ホームの京都寄りに階段があり、改札は橋上にあります。上の写真は出町柳方面のホームで、左側のスロープは、改札から西口に続く通路です。橋上駅舎は下り淀屋橋方面のホームと結ばれており、改札を出て東口へもつながっています。出町柳方面に向けてホームを出てすぐ、線路は左に大きくカーブしています。R436mのカーブで、時速60kmの制限がかかります。
2013年06月02日
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京阪・丹波橋駅には、北口と南口の2ヶ所に改札口があります。まずは北口へ行ってみましょう。地上のホームから降りたところに北口の改札口があります。かつては地上にあって、構内踏切も存在したそうです。昭和62年(1987年)、8両編成に対応するためホームを延長するときに廃止されました。シンプルな改札口です。ラチの外側は自由通路になっていて、線路の両側に出られます。
2012年11月15日
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京阪の寝屋川市駅の周辺を流れる寝屋川を上流へとたどっていくと、寝屋川浄化ポンプ場の辺りから右に180度カーブして南に向きを変えてから、東へと進んでいきます。川の右側(左岸)を、さらに上流に向けて歩きました。寝屋川交通安全協会府立高専の向かい辺りに、交通安全協会の建物がありました。土曜日の昼下がり、静かでした。安全橋交差点同上さらに東に進むと、国道170号(外環状線)に出ました。この日は8月8日(土)で、もう帰省ラッシュが始まっているのか、かなり渋滞していました。安全橋のたもと寝屋川下流方向上の写真は安全橋の上から、寝屋川の下流方向を写したものです。右手が府立高専、左手には安全協会、正面のクレーンは官舎の建設現場です。それにしても、なぜ、安全橋という名前が付いたのでしょう? ある人は、近くに交通安全協会があるからじゃない?なんて言ってましたが。。。。寝屋川警察署安全橋に隣接して、寝屋川警察署があります。だれかが、交通安全を祈念して付けた名前でしょうかねえ。少し調べてみましたが、いまのところ分かりません。名前の経緯はともかくとして、ほんとうに交通安全はみんなの願いです。安全橋の名前を聞くたびに、安全運転の意識が少しでも高まるのであれば、これほど相応しい名前はないと思います。
2009年08月11日
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深草駅にはかつて深草車庫が併設されていましたが、昭和55年(1980年)に、その機能は淀車庫へと移りました。淀屋橋方面(南側)の様子です。ホームの有効長は7両分で、南側は跨線橋があり、北側は階段のため、これ以上の拡張は難しいようです。ホームの南端から出町柳方向を見たところです。ホームの端はかなり狭いことが分かりますね。橋上駅舎から南方向(淀屋橋方向)を見たところです。左側の線路にはホームがありません。ここは留置線です。8両に対応しているそうです。かつてはもう1本あったようですが、ホーム幅の拡張に伴って無くなったようです。
2013年06月03日
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京阪電気鉄道・古川橋駅の東に、関西電力・古川橋変電所があります。古川橋変電所門真市の資料を調べていると、「古川橋変電所の完成(大正11年)」という記述を見つけました。1922年のことです。当時は大同電力の古川橋変電所でした。大同電力は「木曽電気興業」「大阪送電」「日本水力」が1920年に合併してできた会社です。木曽電気興業は名古屋電燈という会社が設立した特殊鋼製造会社ですが、木曽川水系に発電所を建設して電力源とし、かつ名古屋方面への電力供給も目指していました。しかしその後、京阪電気鉄道の当時の社長とともに大阪送電を設立し、関西方面への電力供給へと目標を変えたということです。京阪電気鉄道の歴史を見ると、1911年(明治44年)、大阪地区で電気供給事業開始とあります。大正期には「安威川水力電気」「和歌山水力電気」「日高川水力電気」などの会社を合併するなど、電力事業にも積極的だったことがうかがえます。京阪の歴史の中には大阪送電という名前を見つけることができませんでしたが、当時の社長が大阪送電の設立に関係している以上、大同電力の古川変電所が京阪沿線に建設されたことはうなずけます。古川橋変電所電車に乗っていてもはっきり見える変電所の巨大な鉄塔群。電磁波の影響があるのではないかと言われ、これまでに何度かマスコミに取り上げられたこともあります。電磁波測定機を持ち出して取材された記者さんもいらっしゃいます。電磁波が通常より高い値を示しているのは事実だと思います。たしかに、私たちがPCの前で浴びている電磁波より大きな値です。ただ、どれくらいの電磁波でどんな影響があるのか、いまだにはっきりしていないようです。影響があるという報告もたくさんあるし、影響はないという報告もあるそうですが、「立証されていない」ため、法律的な規制もなされていないということです。私はこの話を出すべきかどうか、少し迷っていました。なぜなら、ここに住む住民のみなさんは不安を感じながらもそこに住んでいらっしゃいます。マスコミに騒がれて、最近ようやく沈静化してきた、もうそっとしておいてほしい、というのが本音なのかもしれません。私たちの周りには多くの変電設備や送電線があり、みんな、電気の恩恵を受けているはずです。知らなかったでは済まされない気がしています。不安が解消されることを願っています。
2009年05月21日
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京阪の守口市駅には、東西2つの改札口があります。東改札口まずは、メインとなる東改札口です。ここは2階、ホームが3階になります。東改札口北側東改札口から階段を下りると、南北両側に向いて出口があります。東改札口南側南側にはバスやタクシーのロータリーがあります。上の写真の「エル守口」と書かれたあたりから右側が入口になります。停まっているバスは京阪バスで、関西空港行きのリムジンバスです。
2009年04月13日
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京阪の萱島駅のもう一つの改札、西口改札です。西口改札(内側)東口にはバスやタクシー乗り場があるのですが、改札口は西口のほうが大きいようです。西口のほうが駅前の商店街にも近く、利用者も多いのかもしれません。西口改札(外側)西口南側出入口西口の南側には、飲食店やパチンコ店、高架下にも薬屋などが入り、狭い通路ですが、買い物客や通行人もけっこう多いようです。道路は西から東への一方通行になっており、自動車は歩行者や自転車に神経を使いながら、徐行して通っています。西口北側出入口上の写真、歩行者用信号機の向こう側は門真市域になります。萱島駅のホームは一部門真市にも入っています。
2009年07月08日
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香里団地の一画、香里ケ丘3丁目の辺りに「こもれび水路」があります。ピーコックストアの東、けやき通りに沿うように東に延びて、途中から北に曲がっています。こもれび水路案内図案内図には、次のように書かれています。「この水路は、香里中央雨水幹線を整備暗渠化し、併せてその上部に自然と親しみ、水と緑のまちづくりをめざす一環として下水道水緑景観モデル事業を実施、せせらぎ水路、遊歩道等を設けて憩いの場、潤いの場となるような水辺をつくりました。なお、ここ香里ケ丘は当市における公共下水道発祥の地でもあります。」同上日暮れが早くなってきました。西日を受けて、私の影が水路にうつってますね。夏場になると、小さな子どもが水遊びや水浴びをしている光景も見られます。同上「語らい」「語らい」という題の像が置かれています。ここにもまた、ハトという平和のシンボルを通じて、平和へのメッセージが込められています。「平和のメッセージ」
2009年11月23日
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大阪府水道局の磯島取水場の取水口を見た後、淀川左岸の堤防を上流に向かって歩きました。舗装された道が堤防上を続きます。サイクリングロード地図を見ると、「北河内自転車道」と書かれてました。興味を持ったので調べてみると、大阪府のHPに、北河内サイクルライン(北河内自転車道線)として説明が載っていました。「鶴見緑地を起点にして大阪中央環状線の自歩道や淀川・穂谷川の河川敷及び第二京阪道路を利用して、再び鶴見緑地に戻る延長45.5kmの周遊自転車道として計画したもの」なのだそうです。全体を示した地図が載っていましたので、ご参考までに。→別窓で開きますコースは「鶴見緑地~大阪中央環状線~淀川~穂谷川~第二京阪道路~鶴見緑地」となっています。途中、「淀川河川公園」「山田池公園」「寝屋川公園」「深北緑地」などを結んでいるということです。地図上で整備中となっている部分のほどんとが第二京阪道路沿いです。「平成22年春完成予定」と書かれていましたが、「完成した」という情報はまだ見ていません。多少遅れているのかもしれません。そういえば交野の近くで、第二京阪道路の脇に「北河内サイクルライン」という表示を見た気がしますので、完成間近かも。ところで、この自転車道は「大阪府道804号北河内自転車道線」という、自転車・歩行者専用の一般府道なんだそうです。
2010年05月14日
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京阪・枚方市駅の東改札口です。東改札口(外側)コンコース東改札口も駅舎の2階にあります。中央改札口ほどではないですが、まずまずの広さのあるコンコースです。駅の北口と南口、どちらにでも出られます。FMひらかた改札口の正面には、枚方市に本社があるコミュニティFM局「FMひらかた」のサテライトスタジオ「ミルキーウェイ・スタジオ」、略してミルスタがあります。ときどき生番組を放送しています。ちょうどいま、生放送中なんですけど、立ち止まって聞いている人がいませんねえ。ミルキーウェイとは、天の川のこと。近くを流れる天野川だけでなく、枚方市から交野市にかけては、おり姫やひこ星にちなんだ地名や伝説(?)があります。北河内周辺に住んだ渡来人との関係も指摘されています。サービスセンターミルスタの左隣には、枚方市役所の「市民課サービスセンター」があります。ここは土日も開いていて、住民票の写しとか印鑑証明などを発行してくれます。市民ふれあいセンターミルスタの右隣は、「市民ふれあいセンター」です(というか、ミルスタが間に割り込んでいるだけで、中でサービスセンターとふれあいセンターはつながっているんですけどね)。ここは枚方文化観光協会が管理運営しており、中ではオリジナルグッズや観光マップなどの販売もしています。枚方といえば「くらわんか」。淀川を行き来する三十石船に小さな船(くらわんか船)で近付いて、乗っている旅人に「餅くらわんか、酒くらわんか」と呼びかけたところから、「くらわんか」=枚方の代名詞のようになっています。このふれあいセンターのHPを見ていたら、「くらわんこ」という犬のゆるキャラが載っていました。うーん、知らないなあ。ふれあいセンターの右には、京阪ザ・ストアの2階入口があります。吉野家コンコースの北寄りに、吉野家があります。高架化されて現在の駅舎が出来た当初は、ここには立ち食いそばの店、「比叡」があったと記憶しています。東改札口(ラチ内)上の写真は、改札内から外側を見たところです。アンスリー改札内には、こちらにも「アンスリー」があります。店の規模は小さめです。
2009年10月15日
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京阪電気鉄道・京阪本線 藤森駅京都市伏見区深草極楽町昭和43年(1910年)、京阪本線の開通と同時に開業しました。陸軍第十六師団の駐屯地があり、開業当時の駅名は「師団前駅」でした。司令部の庁舎は、現在、聖母女学院の本館になっています。昭和16年(1941年)9月に駅名が「藤森駅」に変わりました。軍事施設の所在を知らしめるのは良くないという理由からです。10月には東条内閣が発足、12月には真珠湾攻撃により太平洋戦争へと進んでいった時期でした。京阪本線の藤森(ふじのもり)駅は、相対式2面2線の地上駅です。優等列車は通過します(停車は普通と準急のみ)。ホームは8両に対応していますが、停車するのは7両編成です。ホームの真上を名神高速道路が通っています。ホームの北寄りから南向き(淀屋橋方面)に撮った写真です。北側の道路から撮った写真です。右側の建物はダイエーです。
2013年04月26日
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京阪電気鉄道 宇治線 観月橋駅京都市伏見区豊後橋町観月橋駅は、大正2年(1913年)、宇治線の開通と同時に開業しました。名前はもちろん、駅のすぐ南側、宇治川に架けられた観月橋に由来します。2面2線の相対式ホームで地上駅です。上の写真、左側が中書島方面ホーム、右側が宇治方面ホームです。ホームの左側を宇治川が流れています。線路を横切っている高架橋は国道24号で、観月橋北詰交差点を跨いでいます。写真の左端、高架橋の下に観月橋が見えています。高架橋に接近したのが上の写真です。ちょうど高架橋辺りに改札口があります。ホームごとに改札口があり、ラチ内でホームを行き来することはできません。観月橋北詰の踏切からホームを撮ってみました。高架橋が頭の上にのしかかるようで、威圧感があります。
2012年04月10日
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近鉄澱川橋梁近畿日本鉄道京都線 桃山御陵前駅~向島駅間京都市伏見区このトラス橋は、昭和3年(1928年)に建設されたもので、中間に橋桁の無い構造をしています。単純トラス橋としては日本最長の164.6mです。完成してから80年以上が経つ今もバリバリの現役です。2001年には、国の登録有形文化財として登録されました。頭の上を近鉄特急30000系が通過していきます。ビデオに収める人、自転車に乗って振り返って見ている人。やはり特急車両には華があるということでしょうか。ここは宇治川のハズですが、鉄橋の名前は「澱川橋梁」となっています。「澱川」=「淀川」です。宇治川は淀川の本流であり、「淀川」が正式な名前なんだそうです。ところで、橋の建設時には陸軍がすでにこの場所を演習場として使用していました。川の中に橋脚を建てると演習に支障が出るとの理由で許可が出なかったそうです。やむなく、中間の橋脚を無くしたトラス橋にしたため、相当な費用がかかったということです。
2012年04月16日
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↑ 東京駅京葉線地下ホームにて、出発前の205系。右は快速、左は各駅停車で、どちらも蘇我行き。京葉線海浜幕張駅にて、205系各駅停車東京行き。この日は台風並みの低気圧の通過で、千葉方面でも運転見合わせや遅延でダイヤが乱れていました。ホームに着いてドアが開くたびに、雨が電車の中まで入ってくるのには閉口しました。海浜幕張駅での写真、ホームの端からなので、傘を差しての撮影です。風が強くて難儀しました。
2006年10月08日
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京阪の萱島駅と寝屋川市駅の間には、寝屋川車庫があります。寝屋川車両工場が併設されています。寝屋川車庫下り線(淀屋橋方向)に乗っていると、高架線の東側に広がる車庫の全容がよく見えます。上の写真、車両の列の奥に見えるのが車両工場です。寝屋川と京阪本線高架線を挟んで、車庫の西側を寝屋川が流れています。西側から見た車庫近くに見えるのですが、撮影するには、かなり柱が邪魔ですね。毎年11月ごろ、京阪グループの感謝祭という位置づけで、車庫が一般公開されていましたが、昨年は中之島線の開業時期と重なったこともあり、一般公開はありませんでした。もう公開はなくなるのでしょうか?昔、ひらかたパークのジェットコースターの点検も寝屋川工場でやっていると聞いたことがあるのですけど、ごぞんじでした?
2009年07月15日
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難波駅を出発した特急サザンは、その名前の通り、南へ向けて走ります。堺駅に停車新今宮、天下茶屋(てんがちゃや)に停車したあと、難波から約10分で堺駅に到着。和歌山市行きの普通電車を追い抜きました。泉佐野駅堺駅から、岸和田駅、そして泉佐野駅に。ここから関西空港へと向かう空港線が分岐しています。大阪湾、そして遠くには淡路島尾崎駅を過ぎた辺り、右側の車窓に大阪湾が広がってきます。大阪湾の向こう側、遠くに見えているのは淡路島の島影です。一路、特急サザンは和歌山を目指します。
2008年04月13日
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内部駅 駅名標 内部線の起点・あすなろう四日市駅から終点・内部駅まで駅数で8つ、距離にして5.7km、所要時間17分を一気に乗り通しました。駅間が最大でも1.1kmしかなく、表定速度にすると20.1km/h。のんびり走っているように思えるのですが、カーブや勾配が多く、直線部分でも首を振るように横揺れして、ちょうど昔の路面電車に乗っているような感覚でした。残念ながらあまり速度が上がらないので、やかましいほどの唸りはありませんでしたが、釣り掛けのモーター音はうれしいですね。車両の色は、7つあるそうです。平成16年から20年ごろにかけて、全14両の塗装を変更したということでした。残念ながら、短い時間ではすべてに出会うことは難しそうです。内部駅 終端部内部駅のホームは1面1線。かつてはここから先に延長する計画があり、一部は工事に着手していたんだそうです。かなり昔の話なんでしょうね。260系車両の下、線路とホームの間にATS(自動列車停止装置)の地上子(地上側の機器)が設置されています。地上子は、レールとレールの真ん中に置くのではなく、どちらかのレールに寄せます。上り列車と下り列車で位置を変える必要があるからですが、レールの幅(軌間)が狭すぎるため、読み取りミスがないよう、レールの外側に設置することになったそうです。内部駅 外観内部車庫黄色の車両が駅に隣接する車庫にいました。内部車庫です。ここで内部・八王子線のすべての車両の点検整備をしています。ただし定期検査を行う設備はありません。
2015年05月24日
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