日本版レコンキスタ宣言   旅立った孫と子孫への私の人生卒業論文

日本版レコンキスタ宣言 旅立った孫と子孫への私の人生卒業論文

2022.09.27
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カテゴリ: 世相について
日経ビジネスより

安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、日本の憲政史上、殺害された現職・元職の首相は7人になってしまった。悲劇を繰り返すまいと、警察庁は要人警護の強化に乗り出した。ところが警察がいくら守りを固めても、首相らの殺害率は変わらないことを暗示する、驚くべき理論が存在する。首相をはじめ、多数の要人を警護してきた元警視庁セキュリティーポリス(SP)の話を交えて、労働災害や製品事故など、企業の不祥事防止にも生かせる新たなリスク管理術を探る。

 1932年5月15日、夕刻の首相官邸──。犬養毅首相(当時)はいきり立つ若い将校や士官候補生を連れて、日本間に入った。座卓の前に腰を下ろし、たばこ入れから1本を取り出すと、拳銃を手に立ったままの若者らを見上げて「君らもどうだ」と勧めた。

 ふと足元に目をやると、全員軍靴のままだ。「まあ、靴でも脱げや。話を聞こう」

だが、遅れて部屋に駆け込んできた将校が叫んだ。「問答いらぬ。撃て、撃て」。パンパンパンと乾いた銃声が官邸に鳴り響いた。

 官邸に侵入した9人の若者をはじめ、海軍の青年将校が中心になって実行した「5.15事件」は、現職の首相が暗殺されるという、最悪の結果に終わった。

 犬養、伊藤博文、原敬、浜口雄幸、高橋是清、斎藤実──。

 1885年に初代首相が誕生してから、1945年に終戦を迎えるまでの60年間に、現職と元職を合わせて歴代首相6人の命が奪われた。「10年に1人」という極めて高い殺害率だ。

 戦後は一転して社会が安定し、現職の首相や、首相経験者がむやみに討たれることはなくなった。しかし、戦後77年となる2022年7月8日、安倍元首相が奈良県で参院選の応援演説中に銃撃され、歴代7人目の殉職者になってしまった。

民主主義を守るためにも、どうしたら、首相たちの殺害を防ぐことができるのかを、改めて考えねばならない。

交通事故から発展した理論
 歴代首相の殺害率は、彼ら自身の「リスク許容度」によって決まっている──。そう示唆するリスク分析理論がある。「リスク・ホメオスタシス(RH)理論」と呼ばれており、交通事故の研究から発展した。

 曲がりくねった危険な未舗装路をクルマで走行する時、一般的に運転は慎重になる。一方、路面を舗装し、カーブを減らすと、今度は安心してしまい、以前よりもスピードを出すなどして、運転が大胆になる。

 ドライバーには一定のリスク許容度があり、どんな道路を走行しようとも、その許容度に合わせるように運転する。結果的に道路が安全であろうと、危険であろうと、事故率は大して変わらない。事故率を決定しているのは、道路の危険度ではなく、あくまでもドライバー自身のリスク許容度だとする。

この斬新な考え方を、戦前・戦中の歴代首相に当てはめてみれば、彼らが戦後の歴代首相よりもはるかに「危険な道路」に直面していたと見なすことができる。要人に対するテロが横行するような物騒な時代だった上、警察による要人警護も、わずか9人の将校らの官邸侵入を防げないほど手薄だった。

 とはいえ、そんな危険な環境に身を置いていたとしても、戦前・戦中の首相たちが慎重に行動していれば、決して「10年に1人」という高い頻度で命を奪われることはなかったはずだ。しかし、当時の首相の多くは「危険な道路で危険な運転をする」ことをいとわない、非常に高いリスク許容度を持ち合わせていた。

 まずは犬養ら戦前・戦中の歴代首相たちの、無謀ともいえるほど高いリスク許容度の背景を探ろう。彼らの許容度を「基準点」として押さえておけば、続いて安倍氏ら戦後の歴代首相のリスク許容度を「計測」する際に、大いに役に立つ。

青年将校らが発砲する数分前──。犬養は息子である健の妻、仲子らと食堂前の廊下で夕食の準備が整うのを待っていた。健は仲子から聞いた話として、事件後、次のように書き残している。

 「年若い巡査の村田君が駆け込んできて、『総理、大変です。暴漢が乱入しました。早くお逃げなさい』と叫んだ。私の妻は、直ちにその場を去るべくしきりに促した。しかし父は、『いや、逃げない』と言った。また『あいつたちに会おう。会って話せば分かる』と言った」(『中央公論』=1932年8月号=に掲載の手記「追憶」)。

 犬養は警官や仲子の懇願に逆らって避難しなかっただけではなく、侵入者と直接面会するという非常に危険な選択をしている。犬養の極めて高いリスク許容度がうかがわれる。犬養が岡山藩の武家で生まれ育ったことと無関係ではないだろう。

「武士道というは死ぬことと見つけたり」

 これは江戸中期に書かれた武士の修養書『葉隠』に載っている、武士道精神を説く一節だ。犬養はこのフレーズに象徴される「滅びの美学」を幼少から身につけており、高いリスク許容度につながっていたのではないだろうか。

 警官や仲子の勧めに従って逃げ回れば醜態をさらすことになる。だからこそ犬養は逃げないのだと、仲子はその時、直感していた(「追憶」から)。後年、評論家となった仲子の娘、道子は、自伝的エッセー『花々と星々と=増補版=』(中央公論社)で「ああ、へたに逃して見つかって引きずられでもしたら──お祖父ちゃま(犬養)はそれを好まぬ、と母(仲子)は感じて言葉を失った」とつづっている。

吉良上野介のぶざま

逆に、命を惜しみ、襲撃者から逃げ隠れしたのが、吉良上野介だ。

 江戸中期の1703年1月31日未明、大石内蔵助ら四十七士が江戸・本所(現・東京都墨田区)の吉良邸に乱入した。四十七士は約2年前に主君が切腹させられた原因が吉良にあると信じており、復讐を誓っていた。

 就寝中だった吉良は邸内の騒ぎを聞きつけ、家来2人を連れて炭や茶具を保管する物置に逃げ込んだ。

 大石らは邸内を探し回ったものの、吉良はなかなか見つからない。諦めかけたその時、物置に潜む吉良を発見し、やりで刺し殺した(『赤穂義人纂書 補遺』=国書刊行会=に収録の『江赤見聞記』から)。

 その後、江戸ではこの襲撃事件を題材に、「忠臣蔵」などの題名で、多数の芝居が上演された。切腹を覚悟していた四十七士とは対照的に、生き残ることに必死となり、逃げ隠れした吉良は、武士道精神にもとるぶざまな姿で描かれた。

吉良邸の近隣に住む武士たちは、騒ぎに気づいていたが、あだ討ちを黙認し、誰も吉良を助け出そうとしなかった。これに対して犬養の場合、官邸内のどこかに隠れて、時間を稼いでいれば、警察の応援が駆け付け、生き残れた可能性がある。それでも犬養は逃げることを、潔しとはしなかった。

 犬養に限らず、戦前・戦中の歴代首相のほとんどは武家出身であったことを忘れてはならない。29人いた首相のうち、武家出身者は25人にも上る(武家制度廃止後の旧武家を含む)。彼らのリスク許容度は総じて高かったはずだ。

 水沢藩の武家出身の斎藤実は、「2.26事件」が発生した1936年2月26日には、すでに首相を退き、内大臣を務めていた。

昭和を代表する政治ジャーナリストの戸川猪佐武氏によると、警視庁は事前に軍部の不穏な動きを察知していた。当時の警視総監は、かつて斎藤内閣で書記官長を務めていた柴田善三郎に対し、「斎藤が住む私邸は危ない。青年将校たちが何かしそうだ」などと忠告していた。

 2.26事件の約2週間前の2月10日に、柴田は議員会館で開かれたイベントで斎藤と会い、警視総監の忠告を伝えていた。戸川氏の著書『近衛文麿と重臣たち』(講談社)によると次のような会話が交わされた。

 「『あなたの私邸は路地にあって、あぶない。内大臣官邸に移られたらいかがですか』と(柴田は)いった。
 『なあに、殺されるときは、どこにいたって殺される』と、斎藤はいってのけた。
 『それにしても大事をお取り下さい』と、柴田が重ねていうと、斎藤はこう答えた。
 『殺されてもいいじゃないか』」

 これ以上ない最大級のリスク許容度だといえるだろう。結局、斎藤は警備の難しい東京・四谷(現・東京都新宿区若葉)の私邸に住むリスクを甘受し、妻の目の前で機関銃の砲火を浴びた。

 当時の武家出身の首相たちは、在任中に殉職できれば名誉だと捉えていたようだ。土佐藩の旧武家出身の浜口雄幸は、1929年7月に首相に就任すると、「国家のために倒れるはむしろ本懐とするところだ」として、家族にも覚悟を求めていた(浜口雄幸著『随感録』=講談社=から)。実際、就任2年目の30年11月に東京駅で銃撃された際には、介抱を受けながら「男子の本懐だ」と周囲に漏らした。この時のけががもとで9カ月後に死去し、本懐を遂げた。

 昭和に入るころには、武士道精神は、平民を含めて愛国者全員

に求められる道徳観となり、軍国化を進める国家への忠義を正当化した。浜口、斎藤、犬養ら昭和の首相には、国のトップとして国民に模範を示したいという思いもあったのかもしれない。

 今どき、襲撃者から逃げ隠れすることが恥だと認識している現職や元職の首相はいないだろう。安倍氏の銃撃時には全く実践できていなかったが、本来は銃声が鳴ったら、身辺警護員たちが警護対象者を取り囲み、そのまま現場から連れ去ることになっている。避難を促す警護員に、現代の首相が「いや、逃げない」などと拒む場面は想像できない。

安倍氏を守れなかった反省から、警察庁は防弾シェルターなど、新たな防弾機材の導入を計画している。銃声が聞こえたら、警護対象者をシェルターに押し込んで守る。その様子は、物置に逃げ込んだ吉良と重なる。

 それでも、やはり現代の首相が、「醜態をさらしたくない」などの理由で、シェルターに入るのを拒否することは考えられない。首相をはじめ、多数の要人を警護してきた警視庁警備部警護課の元セキュリティーポリス(SP)で、現在は警護術を教える身辺警護SP学院(さいたま市)の副学院長を務める伊藤隆太氏も、「新たな防弾機材を現場で使うことに反対する警護対象者はいないと思う」と語る。

敗戦で価値観がガラリ
 現代の価値観は、戦前・戦中当時から激変した。そのきっかけは、言うまでもなく敗戦だ。

第2次世界大戦に大敗したことで、戦後の国民は、武士道を精神的支柱とした軍国主義を嫌気した。加えて、GHQ(連合国軍総司令部)が忠臣蔵の上演を禁じるなど、軍国化につながった武士道精神を社会から徹底的に排除した。戦後の歴代首相たちはそうした時代の変化に合わせて、自らも武士道から距離を置くようになったと考えるのが自然だ。

 滅びの美学は失われた。戦後の歴代首相は皆、吉良になり、リスク許容度は劇的に下がった。無謀な行動に出ることはほとんどなくなり、「10年に1人」などという高頻度で命を落とすことはなくなった。

 もちろん戦後の民主化政策により、言論を暴力で封殺するような物騒な時代は終わりを告げた。さらに警察の要人警護も段階的に強化されていった。このように、歴代首相を取り巻く環境が格段に安全になったことも、殺害がストップした大きな要因である。

安倍氏の「パフォーマンス」
 残念ながら2022年7月8日に、安倍氏が街頭演説中に銃撃され、戦後77年で殺害ゼロの記録更新はストップしてしまった。遠い将来に振り返らねば、戦後の歴代首相の殺害率は正確には分からない。それでも今までのところ、「77年に1人」という殺害率が暫定値として国民に示された。

 この殺害率は果たして高いのか、低いのか、それとも妥当な水準なのかを、検証せねばならないだろう。当然ながら未来永劫(えいごう)、首相が1人も犠牲にならないところまでリスク許容度を下げるのが理想だ。しかし、ゼロリスクが現実的ではないことは、リスク分析の世界の常識だ。

 殺害リスクを限りなくゼロに近づけようとすれば、首相になった者を生涯にわたり国民から隔離するなど、およそ非現実的な手段を取らねばならない。普通に政治活動を行おうとすれば、必ず一定程度のリスクを負う必要があるのだ。

 安倍氏も無意識のうちに、自ら設定したリスク許容度の範囲内で政治活動をしていた。銃撃される10日前の6月28日には、事件現場となった近鉄大和西大寺駅北口とは正反対の、南口のロータリーで参院選の応援演説を行っていた。

安倍氏は話し終えると、駅構内に向かった。駅を利用する地元住民の間を練り歩いて、四方八方から殺到する握手やサイン、写真撮影の求めに応じた。警察の警護員が「パフォーマンス」と呼ぶ、演説後の地元住民との触れ合いの時間だ。

元SPの伊藤氏は、「安倍氏のパフォーマンス時に、捕まる覚悟を持った者が駅構内に居合わせれば、間近に警護員がいても、襲撃を防ぐのは極めて難しかった」と解説する。それでも安倍氏は自ら許容し得るリスクの範囲内にあると判断して、駅構内に入っていった。

 日本の治安はほかの先進国に比べて突出して良好である。駅構内に入ることは予告しておらず、襲撃者が待ち伏せしていることもないはずだ。警護員たちも近くにいる。よし、行こう──。安倍氏は無意識に、そんな計算をしていたに違いない。

 おかげで安倍氏はきたる参院選に向けて、駅構内でより多くの有権者に強い印象を残すことができた。このように人が一定のリスクを負ってでも行動を起こすのは、そこから何かしらの恩恵が得られるからである。

 国民側から見ても、現職の首相や、首相を経験した有力政治家がめったに表に姿を現さない状況など、好ましいはずがない。演説や視察などの形で定期的に国民の前に直接現れてもらわないと、政治と国民の距離は離れていくだけである。

 国民の支持がなくとも最高権力者の座に居座ることができる北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記や、「欧州最後の独裁者」と称されるベラルーシのルカシェンコ大統領ですら、国民と直接対話する姿勢を演じていることを考えれば、日本の政治指導者らが保身のために国民から姿を隠すなどということはあり得ない。

問題は現職や元職の首相がリスク許容度をどの程度の水準に設定するかだ。公人である以上、国民が求めるリスク許容度に合わせるのが望ましいのではないだろうか。国民の求める水準を超える許容度を設定し、大胆に行動し続けた結果、襲撃に遭ってしまっては、「軽率」とのそしりを免れない。

 今回、安倍氏が死去したことで、暫定値ながら「77年に1人」という殺害率につながる、戦後の歴代首相たちのリスク許容度が明らかになった。SNS(交流サイト)に、安倍氏を守れなかった警察に対する批判があふれ返っている状況を考慮すれば、やはり首相たちにはリスク許容度をもっと引き下げてもらう必要がありそうだ。

米大統領をまねてはならぬ
 警察庁は要人警護を強化すべく2023年度の予算で、防弾シェルターのほか、防弾ガラス製のついたて、防弾壁、監視用ドローンなどの機材を購入する。ただ新しい機材を導入しても、警護対象者たちがリスク許容度を下げなければ、安全になった分、行動が大胆になるだけだ。伊藤氏は、「従来は実施を控えていたような場所でも演説するようになるかもしれない」と予想する。

 例えば警察庁が導入を予定している防弾ガラス製のついたては、公衆の面前でスピーチする米大統領を囲むために、すでにシークレットサービス(米大統領警護隊)が装備している。

日本でも導入するのだったら、これまで二の足を踏んでいたような、大群衆が取り巻く中でも演説したいという誘惑に、首相やそのスタッフがかられても不思議ではない。実際に米大統領は防弾ガラスの中で、数千人の大群衆に取り囲まれているような格好でスピーチしている。

 戦後の歴代首相の殺害率を下げたいのなら、米大統領のまねをしてはならない。安全になったとしても、引き続き安全に行動する必要があるのだ。

自民党にも責任あり
 警察庁は装備の充実のほか、警護員の訓練強化策などを打ち出した。こうした警察による再発防止策を待たずとも、現職の首相や首相経験者、その周辺の関係者たちには、殺害率の低下に向け、すぐに改善できることがたくさんある。その筆頭として、「警察による警護の準備に時間的な余裕を与えること」が挙げられる。

 今回、事件現場となった大和西大寺駅北口近くの路上で、安倍氏を招いて演説会を開くと、自民党奈良県連の関係者が奈良県警に通知したのは、前日の午後4時半~7時にかけてだった。元SPの伊藤氏は、「『急だな』というのが率直な感想だ。警察にはもっと前に知らせるのが望ましい。残念ながら今回のような直前の通知は珍しくない」と語る。

本来なら、自民党の関係者が数日前には通知し、早速その翌日ぐらいには警察の警護員と一緒に現地を見て回るのが理想だ。現地では演説の実施場所や実施方法について調整し、警察はそれを踏まえて警護員の人数や配置場所を盛り込んだ警護計画書を作成する。

 しかし、今回は具体的な演説場所を知らされたのが前日の夜だったこともあり、現地での事前調整がないまま、奈良県警は警護計画書を作成した。全く同じ場所で2週間前に茂木敏充・自民党幹事長が演説しており、奈良県警はその時に作った警護計画書をほぼそのまま流用した。

 事件後、安易な前例踏襲に批判が集中したが、伊藤氏は「前回の計画書をそのまま使わないと間に合わなかったはずだ」と同情する。警護対象者やその関係者は今後、直前に警察に通知することのないよう、もっと早くから予定を決めておくべきである。

 伊藤氏は「警護対象者の中には、警護員を遠ざけようとする者もいる」と明かす。「赤の他人である警護員が食事中もトイレに行く時も常に付いて回る。それなりにストレスがかかっているはずだ」と語る。それでも我慢してもらうほかない。

「殺されてもいいじゃないか」などと、リスク許容度の高さを誇示したところで、現代の価値観では「無責任だ」と批判されるだけだ。

 首相らが守らねばならないのは自分の命ではない。自分の命が体現する民主主義である。

労災や製品事故を減らす意外な方法
 労働災害や製品事故を防ごうと、多くの経営者が安全対策に注力する。だが「安心・安全」を強調しすぎると、逆効果になりかねないケースも想定される。

 例えば重いものを運ぶ現場で起きがちな労働災害に、腰痛がある。現在、工場や物流倉庫、建築、介護、農林水産業などの作業現場では、腰を守る目的で、アシストスーツの導入が進む。肩から腰、膝辺りにかけて装着し、モーターや空気圧で身体の動きを補助する装置である。

 メーカーは「腰への負担が最大40%軽減される」などと宣伝する。経済産業省や国土交通省、厚生労働省、農林水産省など、関係する省庁も、こぞって開発や導入を支援してきた。

 ただ官民がいくら普及に力を入れても、アシストスーツを装着する作業員たちの腰痛に対するリスク許容度が変わらなければ、より重いものを持ち上げ、腰に以前と同じぐらいの負担をかける恐れがある。結果として、腰痛の発症率は大して変わらないなどということになりかねない。

 労災を減らしたいと本気で考える経営者は、アシストスーツを導入するだけでは不十分かもしれない。作業員に対し、「頑張って重量物を運ばなくてもよい」と伝え、腰痛の予防が導入の目的だということを周知徹底したほうがよさそうだ。

自動ブレーキで事故は減る?

 経営者にとっては、製品の安全対策も、やり方を間違えると事故率を減らせない厄介な課題だ。

 かつて米政府は、鎮痛剤のメーカーに、子供では開けるのが困難なふたの装着を義務化したことがあった。誤飲を防ぐためである。

 しかし、「セーフティーキャップ(安全なふた)」という名称も手伝って、親が安心してしまい、子供でも簡単に手の届く場所に鎮痛剤を置くようになった。そのため、誤飲防止の効果が得られなかったばかりか、逆に誤飲が増えたと報告されている。

 セーフティーキャップと同じように、ともすると逆効果になりかねないのが、自動車に搭載されたさまざまな安全装置だ。現在、自動車メーカー各社が特に宣伝に力を入れているのが、「衝突被害軽減ブレーキ(自動ブレーキ)」である。子供の急な飛び出しや、前方の車両への急接近などをセンサーで検知すると、自動でブレーキをかけ、衝突を回避する。

 だが、自動ブレーキを搭載していることで、ドライバーが安心してしまい、以前よりも運転時の注意が散漫になることは十分に想定できる。実際、ブレーキをかけた時のスリップを防ぐ「アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)」の普及が進んだ1980~90年代に、「ABSを搭載することで、運転が雑になる」との研究結果が各国から相次いで発表された。自動ブレーキでも同じ現象が起きている可能性はある。

 自動車メーカー各社は今後、自動ブレーキの宣伝を一切やめて、装備していることを知らせぬまま搭載車を販売するほうが、もしかしたら事故率は下がるかもしれない。

ーーーーーーーーーーーーーー私の意見ーーーーーーーーーーーーーー

リスクマネージメント、どうリスクを軽減するか、0リスクはあり得ないわけで、私の経営の師匠は常に最悪の場合をシミュレーションして業務にあたれと教えてくれた。最悪というのは、事故や売上ダウン等のあらゆる場合を想定して、経営せよということである。どう軽減していくのか当然金に糸目はつくので、限られた予算でどうリスクをコントロールしていくかが手腕となる。今回の安倍さんへの暗殺は、警備における緩みでしかない。徹底的な検証をしてどこに問題があったかはあらゆる局面から検証し、再発防止していくしかない。

今日国葬で世論は二分されているが、今はテロに向けてどう回避していくのか本来は議論していくべきだろうと私は思う。一番の問題は再発防止でしかないのではないか、それが一番の優先事項ではないのかなと私は思う。

リスクマネージメント力が今問われているのではないかなと思う。

 安心・安全を実感した分だけ、思い切った行動に出る。人にはそんな性質があることを、企業の企画・設計・宣伝の担当者は知っておくべきだろう。





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最終更新日  2022.09.27 07:19:40
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