売り場に学ぼう by 太田伸之

売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.05
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私は繊研新聞の社員でニューヨークに派遣された特派員だったと思っている業界人が少なくありません。が、私は自分の意志でニューヨークに渡ってから現地で契約を交わした通信員、収入が安定した正社員ではありません。あくまでも同業他紙には記事を書かないフリーランスの立場、男子専科やファッション販売にも寄稿しますし、バーニーズニューヨークのコーディネーター、NAMSB見本市の日本担当ディレクター、メンズデザイナーの合同展示会デザイナーズ・コレクティブ顧問も引き受けました。

繊研の松尾武幸さん(のちに編集局長)が私との面談希望者をある程度絞ってくれたおかげで、ニューヨークで会わなくてはならない日本からの出張業界人は一般企業の駐在員ほど多くはありませんでした。でも、「こんな人なら時間の無駄だった」と言いたくなる面談や会食は何度もありました。

私との面談を繊研に申し込んでくれる読者たちは、会社に出張報告を出さねばならず、日頃の取材活動から得た情報を得るための指名でした。それでも良いんです、利用してもらえるなら喜んで情報を提供しました。が、ヒアリングされるものと思って出かけたら自社の自慢話を延々と聞かせる大手企業役員、こういう出張者にはまいりました。同席した駐在員が後日詫びの連絡をしてきたケースもあります。某百貨店幹部でしたが、これ以降この会社の出張者との面談は断りました。

逆に最も記憶に残る出張者も百貨店マンでした。阪急百貨店紳士服部長の松田英三郎(ヒデサブロウ)さんは婦人服部長から紳士服に異動した直後のニューヨーク出張でした。「いまニューヨークで見ておくべき百貨店の紳士服売り場を教えてください」と言われたので、「いま百貨店で見るべき紳士服売り場はありません。しかし、小さなブティックにはヒントがあると思います。回ってみますか」と答えました。

中心街から外れたダウンタウン8番街西18丁目にあったゲイピープルに人気のカムフラージュ、ブティックやレストランの開店が続くアッパーウエスト地区に数店舗を構えるシャリバリやニュートラッド感覚のフランクステラ、アッパーイースト地区レキシントン街のサンフランシスコなど、8店舗のブティック名と場所をメモ書きして渡しました。松田さんは「明日の晩飯も付き合ってもらえませんか。このリストの店を全部回って、どうして太田さんが勧めたのか、自分が感じたことを聞いて欲しい」。

翌日も日本食レストランで待ち合わせ。しかし約束の時間から30分経過しても松田さんは店に現れません。たぶんタクシーが渋滞に巻き込まれていると我慢強く待っていたら、汗を拭き拭き45分遅れで到着。案の定渋滞に巻き込まれました。「8店舗のうち7つは見てきましたが、最後の1つは時間が足りませんでした」。普通の出張者なら2つ、3つショップを視察して出張レポートを書くでしょうが、松田さんは8分の7、なぜ私が視察を勧めたのか、自分なりのブティック所見を話し始めました。

当時ニューヨーク出張に来る百貨店の紳士服部長たちは、ブルーミングデールズ、メイシーズ、バーニーズニューヨークなど大型店とブルックスブラザーズ、ポールスチュアートなどトラッド専門店を回るのが定番視察コース、革新的なデザイナーブランドを揃える小型セレクトショップや新しいトラッド感覚のブティックだけを回る人なんてほとんどいなかったでしょう。松田さんは私がリストアップした小さな店をまわり、しかも自分が感じたことが正しいか否かを確認する、こんな熱心な百貨店部長は初めてでした。

帰国後しばらくして松田さんは京都四条河原町店の店長に。開店時間直後、向かい側の高島屋京都店の売り場を歩き、阪急百貨店が見えるカフェで休憩、そこでよく顔を合わせる高島屋ファッションコーディネーター福岡英子さんに「ニューヨークのオオタヒロユキさん」、と何度もニューヨーク出張時の思い出話をしていたそうです。元子役の俳優「太田博之」の名前と勘違いしたまま私のことを覚えていてくれました。

松田さんはその後阪急百貨店の社長に就任。下馬評では別の役員が有力とされていましたが、指名されたのはあの松田さん、対抗馬も立派な方でした。社長人事が発表されたとき、売り場をよく歩く人が就任したので嬉しかったです。





私が社長を務めたクールジャパン機構は2014年、阪急百貨店の中国プロジェクト寧波市の新規出店に多額の出資をしました。このときの代表取締役CEOは椙岡俊一さんでした。椙岡さんを社長に推挙したのが松田さん。椙岡さんのことをよく知る友人のアパレル経営者から「あの人は銀行、取引先とは会食をしたがらない。きっと気が合うと思うよ」と勧められ、二人だけで会って意気投合しました。松田さんが社長に引き上げた人と一緒に仕事をする、何かのご縁です。

阪急寧波店はブランド交渉が難航したりコロナウイルスの影響を受けたりと開店は何度も延期になりましたが、2021年春にやっとオープンしました。コロナ禍で海外に出られない近郊富裕層の消費欲にも助けられ、全館では予算比200%と驚異的な数字を叩き出し、1年を終えました。





華僑発祥の地、中小企業経営の富裕層が多く700万人も暮らす都市なのにこれといった百貨店がなく、立地条件としては絶好の場所。日本からの遣隋使、遣唐使がたどり着いた港町でもあり、日本とは歴史的つながりもある特別な都市です。ラグジュアリーブランドをしっかり導入し、日本の食文化や生活様式、アニメはじめコンテンツをガツンと紹介すれば必ず現地消費者は反応してくれる、私たちはそう信じて大型投資をしました。初年度の業績が素晴らしいからずっと続くとは限りませんが、このまま順調に営業すれば機構はそれなりのリターンを得られるはずです。

クールジャパン機構発足前、まだ私が松屋常務執行役員だったとき、大阪本社の椙岡さんから電話が入りました。「今日の午後松屋の事務所にいますか」、と。それから数時間後、生産が限定的で入手困難だった日本酒「獺祭」をぶら下げて椙岡さんは銀座に現れました。とても気さくな人でしたね。

写真:2021年春開業した阪急寧波店





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Last updated  2022.09.06 16:00:03
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