売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.06
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ペリー・エリスが亡くなった翌年、CFDA(米国ファッションデザイナー協議会)はその年度に活躍した米国デザイナーに贈るCFDA賞に新人若手部門「ペリーエリス賞」を新たに設置しました。最初の受賞者は マーク・ジェイコブス 、パーソンズを出たばかりのピカピカの新人でした。マーク・ジェイコブスをデザイナーとしてデビューさせたのはオンワード樫山の米国法人、その支援なしにこんなに早く有名にはなれなかったでしょう。

翌1988年、マーク・ジェイコブスは25歳の若さでペリーエリスブランドのクリエイティブディレクターに就任します。私は就任直後にオフィスを訪ね、京都、大阪、神戸3都市が共同開催するWFF(ワールド・ファッション・フェア)のために来日し、ペリーエリスのファッションショーをやって欲しいと打診。大阪商工会議所会頭だった佐治敬三さん(サントリー社長)に頼まれ、私はロンドンとニューヨークのデザイナー招聘交渉を引き受けていましたから。


(WFF'89レセプションにて)

上の写真は1989年11月、WFF'89のために来日してくれたマーク・ジェイコブスと私、このときマークは26歳でした。パリからはソニア・リキエルとカール・ラガーフェルド、ミラノからはジャンフランコ・フェレとミッソーニと大御所デザイナーが参加でしたから、ロンドンから招聘したジャスパー・コンラン(30歳。英国育ちながらニューヨークのパーソンズ出身)とニューヨークのマーク・ジェイコブスは際立って若い次世代デザイナーでした。

ホテルのロビーで目の前をソニア・リキエルが通りかかったときでした。マークは冗談まじりに「あの大きな鼻をかじってみたい」、と。ソニアはその立派な鷲鼻が特徴でしたが、マークはソニアご本人に鼻のことを言いそうな気配、私はマークから目が離せませんでした。現在のマークはまるで大学教授のようなインテリ風貌ですが、あの時は「悪戯坊主」そのものでした。

1992年マークはペリーエリスで「グランジファッション」を打ち出して注目され、CFDA賞婦人服部門で最優勝賞(Designer of the Year)を贈られ、トップデザイナーの仲間入りを果たします。デザイナーとしての評価は上がりましたが、ペリーエリスの顧客層にグランジスタイルは賛同を得られなかったのでしょう、その後コレクションブランドとしてのペリーエリスは消滅しました。ペリー・エリスへの思い入れが強い私はブランド廃止を知って、「やっぱりあの悪戯坊主には無理だったんだ」と思いました。創業者が作り上げた世界観を守りつつ後継者が新しさを表現するのは容易はありませんが、マークが手がけたペリーエリスもビジネスとしては成功とは言えません。

ところが、1997年ビッグニュースが飛び込んできました。フランスのルイヴィトンがクリエイティブディレクターに米国人のマーク・ジェイコブスを指名、これにはびっくり仰天でした。ルイヴィトンはマークを迎えて初めてプレタポルテの製造販売にも乗り出す、ペリーエリスのことがあったので率直に言って「無理じゃないか」と思いました。

が、マークはフリーハンドでクリエーションができたからでしょうか才能全開、伝統あるバッグブランドに新しい息吹きを吹き込みました。新作プレタポルテのみならず、村上隆さんやスティーブン・スプラウスとのコラボは悪戯坊主だからこその柔軟な発想、本領発揮でした。

ちょうどその頃、百貨店の研究所長だった私は銀座店の大改装を計画していました。マークを迎えてプレタポルテに着手し、バッグや靴のバリエーションも増えたルイヴィトン、ダイナミックにトータル展開するブランドとしてはベストと判断、日本でも最も品揃えのいい大型店の導入交渉を社長に提案しました。もしも大改装計画時点でマーク・ジェイコブスの就任とプレタポルテの発売がなかったら、私たちは別の選択をしていたかもしれません。マークのルイヴィトン就任はまさしく我々にはグッドタイミングでした。


(松屋の壁面をフルに使ったルイヴィトンのプロモーション)

銀座中央通りに大型のルイヴィトンがオープンしたあと、2001年マークはニューヨークのスティーブン・スプラウスとコラボしてグラフィティーロゴのバッグを発表、続く2002年には村上隆さんとの長期間コラボがスタート、ありがたいことにマークがリードする新生ルイヴィトンは大ヒット、我々の予想をはるかに上回る売上でした。

2011年3月11日の東北大震災と原発事故の直後、私たちは全館チャリティーイベントを企画、3月20日に世界各国のお取引先やデザイナーの皆さんにオークションへの出品や特別商品の提供をお願いしました。パリコレが終わったばかりのマークはルイヴィトンのパリオフィスでこの連絡を受け取り、パリコレで発表したばかりの1点もの新作サンプルに自筆サインを入れて送ってくれました。

さらに、ニューヨークに戻って今度はマークジェイコブスのバッグにも自筆サインを入れて送ってくれましたが、その連絡がニューヨークから入ったとき私の部下たちの目には光るものがありました。あのときの悪戯坊主は大化けして天使の如き存在になっていました。WFF'89の交渉人だった私がチャリティーオークションを依頼した企業の幹部とは知らずに送ってくれたのですが、不思議なご縁を感じます。





(2012年秋冬マークジェイコブス)

近年のマークは若手デザイナーを発掘、チャンスを与える業界メンターでもあります。昨年度「毎日ファッション大賞」を受賞したトモコイズミ(小泉智貴さん)の名を世界に知らしめたのもマークでした。ネットで小泉さんの仕事に注目したマークは場所を提供するからニューヨークでコレクション発表をやってみないか、と小泉さんに声をかけました。米国を代表するデザイナーが声をかけた日本の新人デザイナーとなれば当然メディア関係者は注目します。カラフルなラッフルを多用したトモコイズミは一躍高い評価を得、有名女優やアーチストから衣裳製作の依頼が急増、ブランド企業からはコラボの話が来るようになりました。すごい影響力、脱帽しかありませんね。


(Wikipediaより抜粋)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Marc_Jacobs





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Last updated  2022.09.29 17:22:27
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