売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.06
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前項で書いたペリーエリスのデザイナーだったマーク・ジェイコブスさんの来日は、WFF(ワールド・ファッションフェア)を主催する実行委員会からの要請を受け、私が直接交渉したものでした。実行委員会は京都、神戸、大阪の商工会議所、3都市、3府県、関西のファッション業界を統括するトータルファッション協会の幹部で構成されていました。今日はこのWFFに関する交流について書きます。

今年もNHKスペシャルはインパール作戦。第二次大戦で最も無謀と言われた日本軍の作戦、戦死者3万人の多くはイギリス軍との戦闘ではなく撤退時の餓死と病死でした。私の父は奇跡的に帰還できましたが、戦友はたくさん亡くなりました。部隊は三重県久居と京都市の兵隊で構成され、戦後しばらく現地収容所で捕虜暮らし、このときミャンマー人が食糧などを提供してくれて助かり、戦後恩返しのつもりで京都大学のミャンマー人留学生を父たち元捕虜は支援していました。


ワコールの創業者である 塚本幸一 さん(1920年〜1998年)もインパール作戦の生き残り、おそらく父たちの部隊と同じ命令系統の師団の所属だったと思います。帰還した塚本さんは畑で進駐軍に乱暴されている女性を目撃、日本の女性のために社会貢献しようとワコールを設立したと聞いています。

塚本幸一さんが京都商工会議所ファッション部会委員長に就任した際、ニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムで開催されていた20世紀初頭のコスチューム展「インベンティブ・クローズ1909〜1939」をそのまま招聘してはと三宅一生さんに勧められ、塚本さんらは1975年にこれを招聘、京都国立近代美術館で「現代衣服の源流展」として開催しました。

大学生のファッション研究団体を主宰していた私はこの展覧会を見るため二度京都に足を運び、マドレーヌ・ヴィオネ、ポール・ポワレ、エリザ・スキャパレリ、ココ・シャネルの服を初めて見ました。ヴィオネの展示室にあったステッチの歪んだ古いドレス、遠くで見れば彫刻のように美しい、近くで見れば色褪せた布切れ、この誤差の間に意味があるのではと釘付けになり、男子一生の仕事としてファッションの世界で働いてみようと決めました。大袈裟に言えば私にとって「運命の服」でした。

1983年京都商工会議所13代会頭になった塚本さんと初対面のとき、自分の進路を決めた運命の服は塚本さんが招聘した展覧会のヴィオネ、展覧会の緑色のポスターはいまもはっきり覚えています、と伝えました。若かった私の人生を変えたくらい服の展覧会にはファッションショーとは別のパワーがありましたから。

ワコールが所有する南青山スパイラルビル上層階にあるゲストルーム、ここで大阪商工会議所会頭の佐治敬三さん(サントリー社長)と京都商工会議所会頭の塚本幸一さんと初めて会いました。両会頭の要件は、京都、神戸、大阪の商工会議所、市役所、府県が計画していたWFF’89の協力要請でした。

会談の冒頭「ワシら、実は仲悪いんですわ」と佐治さんが切り出し、呼び出された私はこのストレートなものいいに戸惑いました。京阪神はそれぞれ歴史があり、対抗意識も強く、決して仲が良いわけではないと佐治さんは正直におっしゃる。「どうやらみんなが個別にあなたのところに相談に行っている。あなたが助けてくれたらWFFはうまく行く。面倒みてくれませんか」。佐治さんが「大阪がね」と発言するたびに塚本さんは「佐治さん、大阪やない、京阪神と言いなはれ」と忠告、なんともおかしな協力要請でした。

京都ではオープニングイベントとして1800人が入場可能な大規模シンポジウムを企画。当初塚本さんの頭の中にはパリ、ミラノ、ニューヨークから有名デザイナーが参加する華やかなシンポジウムと、派手なパフォーマンスのオープニングパーティーがあったようです。華麗なファッションショー以上に地味な展覧会が観る人々に感動を与えることがある、それが言いたくて私は塚本さんが招聘した「現代衣服の源流展」がいかに自分の心に響いたかを説明し、プログラム編成は任せてもらいました。

最終的にシンポジウム案は基調講演と討論会の二部構成。一部の基調講演は西武セゾングループ代表の堤清二さんにセゾングループ発展の軌跡をお願いしました。講演の中で堤さんが何度も「サイカ」と発言、終了後記者団が楽屋に来て「サイカ」はどういう漢字なのかと質問がありました。これからはますます「際化」が顕著になるというお話だったのを覚えています。

二部、ものづくりとクリエーションを考えるデザイナーの討論会でした。ものづくりという点で突出しているイタリアからは3Gのビッグネームではなく当時伸び盛りのロメオ・ジリさんを、イタリアを目指してモノづくりで成長著しいスペインから若手成長株シビラ・ソロンドさんを、東洋のものづくりの拠点香港からはレイジェンス・ラムさん、そして香港のような繊維立国を目指すインドからアシャ・サラバイさん、開催国として日本は代表格の三宅一生さんが登壇する企画でした。

この企画書を手渡したとき、三宅さん以外の名前をご存知ない塚本さんはご自身の考えと異なる企画にキョトン、でも説明したら納得してくれました。



次にレセプション、「現代衣服の源流展」では同展覧会のプロデューサーであり元ヴォーグ名物編集長だったダイアナ・ヴリーランドさんの前に現れた大きな箱の中からお相撲さん二人が登場し、来日した彼女を喜ばせたと聞いています。が、今度は「利休」をコンセプトにしますと塚本さんには事前に伝えました。この年は千利休の映画が2本封切りされたので「利休」としました。準備のため会場となった京都宝ヶ池の国際会議場には東京コレクションの舞台美術を担当するシミズ舞台工芸のスタッフと共に何度も足を運んでさまざまな実験をしました。

当日の夕暮れ、シンポジウムが終了する直前、国際会議場の池のまわりには映画撮影所などから借りてきた松明を燃やす台座100台に一斉点火、炎が水面にユラユラ舞う、なんとも古都らしい幻想的な光景でした。特別な照明、レーザー光線、音響の演出はいっさいありません。料理は全て和食(国際会議場オープン以来和食オンリーは初めて)のフィンガーフード、これならお皿も箸も不要、参加者間の会話は弾みます。ドリンクは透明なもののみ、ペリエ、白ワイン、冷酒だけを用意、ビールもウイスキーもあえて提供しません。ロングスカート姿のコンパニオン女性ではなく、サーブするのは白シャツ、黒パンツの男性ウエイターでした。

このとき塚本さんから「利休の意味がよくわかりました。京都のメンツが立ちました、ありがとう」とものすごく感謝され、実行委員長のキング山田幸雄社長ら京都の企業幹部たちもかなり喜んでくれました。

そもそも通商産業省が繊維ビジョンでうたったイベントのWFFとハコモノのFCC(ファッション・コミュニティーセンター)構想には反対だった私、結局WFFをお手伝いすることになりました。父同様インパール作戦から帰還した人というだけでどうしても特別な思いになり、現代衣服の源流展に感化された私としては塚本さんに恩返しをという思いもありました。が、東京に先行してWFFを開催した京阪神をサポートしたことで、東京の財界関係者からは恨まれました。

WFFの準備のため毎月1、2度京都出張しましたが、塚本さんには祇園のあるバーによく連れて行ってもらいました。ここで何度も顔を合わせたのが京セラ創業者の稲盛和夫さん(塚本さんのあと京都商工会議所14代会頭に就任)でした。創業数百年企業がたくさん存在する京都にあって、塚本さん、稲盛さんの会社は新興企業の部類、伝統を重んじる京都財界では窮屈な場面もあったのでしょうね。新興勢力のお二人が古参経営者たちから隠れてストレス発散することができるアットホームなお店、塚本さんは滅多にできない経験をさせてくれました。

現在の京都商工会議所会頭は17代目塚本能交さん、お世話になった塚本幸一さんのご子息、ワコールホールディング会長です。塚本会頭には父上が手がけたようなファッション分野での文化的啓蒙運動をしてほしいです。

参照:https://www.kci.or.jp

   https://ja.wikipedia.org/wiki/塚本幸一





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Last updated  2023.08.27 14:06:41
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