売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.06
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8月18日田園調布のカトリック教会で 山縣憲一 さんの葬儀があり、参列させていただきました。このブログを読んでくださっている三越OBから連絡があり、11日午後病院で亡くなったことを知りました。祭壇のご遺影を眺めながら、三越本社での最初の出会いからニューヨーク駐在時代、三越本社、そしてパロマピカソ、グッチ、ロロピアーナ時代のことをあれこれ思い出し、涙が出てきました。1週間前のオフクロの死に涙は出なかったのに。

告別式のお知らせを読んで、45年間私は大きな勘違いをしていたことが判明しました。帰国以来ずっと「山懸憲一」と思って年賀状や手紙を送ってきましたが、本当は「山縣」でした。三越本社で紹介された半年後、三越の初代ニューヨーク駐在員との名刺交換は英語、考えたら日本語の名刺をもらったことがなく、勝手に「山懸」だと思い込んでいたようです。「太田、違うぞ」と言ってくれなかったので45年間気がつかず、葬儀当日に間違いがわかるとは皮肉なものです。


葬儀で繊維商社香港支店で鳴らした弟さんがご遺族挨拶の中でもおっしゃっていましたが、山縣さんはいつも人に媚びることなくマイペース、自分が納得しないことには動きません。だから山縣さんのメールアドレスはmyway-charlie@だったとか。

三越事件で世間を騒がせた岡田茂社長(当時)とその愛人だった「三越の女帝」竹久みちの要求に屈しなかった山縣さん、彼らに追放される寸前に社長の解任と特別背任罪逮捕があって間一髪助かりました。ニューヨークオフィスの買付商品を竹久の会社オリエント交易を通さなかったので目をつけられ、それが理由で帰国命令が出たときに繊研新聞ニューヨーク通信員でもある私に詳しく話してくれました。もちろん記事にはしませんが、三越はとんでもない状況になっているとこのとき知りました。

名古屋三越の店次長だったときも、セミナーで出張した私と早めのディナーに合流、心配して「お店は大丈夫なの」と訊いたら、「今日は休みにしたよ。嫌いな役員が本社から来るからさ」。岡田天皇にも三越の女帝にも屈しなかった、上司にゴマスリできない性分を知っているから三越の部下や取引先ブランド企業にも慕われていました。

帰国して三越本社のファッション部隊に配属され、国内のDCブランド導入に奔走した話は以前ブログで書きましたが、この頃のエピソードをもう一つ。

ビギ、ニコルをはじめ多くのブランドを導入しはじめた山縣さんにとって最も交渉難航したのが某デザイナー企業でした。パリの有力メゾンで修行中だった若きデザイナーに当時ブランドと提携関係にあった三越のパリ駐在員は、三越のスタッフでもないのに「明日までにコレクションのスケッチを(大量に)描け」と命じるなど、極めて横柄な態度で接したそうです。将来自分のブランドを立ち上げたら絶対三越とは取引しない、若きデザイナーはそう決心するくらい駐在員は酷かったとか。

山縣さんと交渉するこの企業の営業担当は山縣さんの人柄もあって三越との取引を進めたかったようですが、パリ修行時代に嫌な思いをしたデザイナーご本人の了解はなかなか得られません。東京ファッションデザイナー協議会発足直後、山縣さんは「太田から話してくれないか」。デザイナーの気持ちはよくわかりますし、もし私がその立場なら嫌な会社からの話は断るでしょう。しかし、アニキ分から頼まれた私はタイミングを見計らってお願いしました。「友人の山縣は三越らしくないいい男なんです、一度話だけでも聞いてやってくれませんか」、と。

恐らくいきなりコレクションブランドというわけにはいかなかったのでしょうが、別ブランドで三越との取引は始まりました。その後三越仙台店長だった中村胤夫さん(のちの三越社長)が一生懸命後発ブランドの導入交渉をするなどして三越との関係は密になり、いつの間にか三越は国内で重要な取引先になりました。山縣さんと当時の営業担当や役員たちの信頼関係があったからこそ実現したことです。

弟さんのご遺族挨拶でもう一つ謎が解けました。グッチジャパンに転職する経緯です。バーニーズジャパン初代社長の田代俊明さんが伊勢丹の小柴社長に辞表を提出した日、私は田代さんを荒木町の日本酒居酒屋に誘い、三越の山縣さんも交えて会食しました。このとき田代さんがグッチジャパン社長に就任することは決まっていたようですが、紹介した山縣さんを田代さんがグッチに連れていった思っていました。が、三越を退職してから次の職が決まっていなかった山縣さんにグッチから誘いがあった、どうやらこれが真相のようです。

また、その後グッチ本社の社長の推薦があって山縣さんはロロピアーナ日本法人の社長に就任、ほかにもアメリカのいくつかのブランド企業から日本法人社長を打診されていました。長いものに巻かれない性格、ニューヨーク駐在の経験もあったので外資企業からは誘われない方がおかしいでしょうね。

私がブランド企業の社長を退任する際に八雲茶寮で慰労会を開いてくれたのが山縣さん、バーニーズで田代さんの部下だった有賀昌男さん(エルメスジャポン社長)、デザイナーの皆川明さんと私の教え子たち、ありがたい業界仲間です。山縣さんとはニューヨークでも東京でも何度もご馳走になりましたが、葬儀でご遺影を眺めながらなぜか八雲茶寮の慰労会のことを思い出しました。いまはただご冥福をお祈りするのみ、山縣さん長い間ありがとうございました。





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Last updated  2022.09.29 17:20:31
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