売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2024.06.08
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私の生まれ故郷は三重県最北の桑名、歌川広重の東海道五十三次に描かれた歴史ある港町です。江戸時代東海道は参勤交代やお伊勢参りで利用される日本の大動脈でしたが、江戸から41番目の宮(名古屋市の熱田)と42番目の桑名の間だけは船に乗って渡るしか方法はありませんでした。伊勢湾にそそぐ木曽川、長良川、揖斐川の大きな三川で遮断されていたので静岡の大井川のようにはいきません。


歌川広重が描いた桑名宿

想像するに、雨が降ったり強風が吹いたら名古屋と桑名間の船は運行できず、桑名港で足止めくらった旅人たちは地元でとれる蛤を焼いてもらって恐らく船が出るまでチビチビやっていたのでしょう。「その手はくわなの焼き蛤」というフレーズはきっと東西からの旅人が広めたと思われます。

江戸初期は関西方面の反幕分子への備えもあって徳川四天王の一人本多忠勝が初代桑名藩主に任命されました。桑名と陸路を結ぶ彦根の初代藩主は同じ四天王の井伊直政(人事異動の多かった中で井伊家は幕末までずっと彦根藩主)ですから、幕府は豊臣方の残党を非常に気にしていたのでしょう。桑名藩主はその後本多家から松平家に引き継がれ、幕末の藩主松平定敬(さだあき。最後の京都所司代)が実兄松平容保(かたもり。京都守護職)と共に薩長の官軍に抵抗、両藩の武士は新撰組土方歳三と共にに函館五稜郭で最後まで戦いました。悪く言えば、時代の流れを読めなかった殿様のおかげで多数の藩士が命を落としました。

学生時代、私は地元選出の衆議院議員木村俊夫さん(佐藤栄作内閣で官房長官、田中角栄内閣で外務大臣を務めた政治家)と対談したことがあります。そのとき木村さんから「太田くん、明治以降桑名の人間は政府に登用されたことはないんだよ」と教わりました。木村さんは運輸省官僚時代の上司が長州の佐藤栄作さんだった関係で佐藤さんに閣僚重用されましたが、それまでは会津藩、桑名藩出身者は中央政府で冷遇されていたようです。


養老町にある平田靫負像

私は小学6年生の文集「最も尊敬する人」で、江戸中期の薩摩藩家老だった平田靫負(ゆきえ)の名をあげました。宝暦3年(1753年)幕府の命令で薩摩藩は木曽三川の治水工事を無理やり担当させられ、平田靫負はその普請奉行として現場を指揮、難工事で莫大な費用がかかり、多数の死者が出たことの責任をとって工事完成時点で切腹した(病死説もありますが)と郷土史で習いました。多額の工事費のために薩摩の人々は苦しい思いをした、平田は藩主に切腹をもって詫びたかったと教わりました。だから私にとって尊敬できる人は平田靱負なのです。

いまも桑名には宝暦の治水工事で命を落とした薩摩義士を祀る海蔵寺があり、平田靫負の像もここにあります。近隣の養老町にも平田の像があり、私たちは学校の社会見学で訪れたことがあります。桑名の住人は江戸時代から今日まで宝暦の治水工事をしてくれた薩摩藩の恩を忘れていませんが、不幸にも幕末に藩主が京都所司代だったこともあって桑名藩士は戊辰戦争の最後の最後まで薩長軍と戦うことになってしまったのです。


昭和13年に建立された治水神社


さて、私の母校桑名市立光風中学校のすぐ裏には桑名市庁舎があります。現市長はわが桑名高校の後輩である伊藤徳宇(なるたか)さん。現在は桑名市民でもないのに、私は東京でも桑名でもたまに伊藤さんと会食することがあります。なぜなら不思議なご縁があるからです。


桑名市長伊藤徳宇さん

伊藤さんは桑名高校を卒業して早稲田大学政経学部に進学、フジテレビに就職。テレビ局では番組編成や報道部門ではなく営業部門に配属されましたが、5年後故郷に貢献したいと上司に辞表を出し、生まれ故郷にUターンしました。2006年に桑名市議会議員選挙立候補、初陣ながら当選して市議会議員を務めます。

が、市議会議員の権限に限界を感じた伊藤青年は市議会議員を辞め2008年の桑名市長選挙に立候補。現職水谷元市長(1996年から2012年まで市長を務める)の壁は厚く、伊藤さんは選挙に破れて職を失いました。

落選後は名古屋の生命保険会社に一時的に勤務したのち2010年再び桑名市議会議員に復帰、そして2012年再び現職水谷市長に挑戦、今度は見事に当選を果たしました。ちなみに17年間桑名市長の座にあった水谷元さんは桑名高校で私の2年後輩、しかも彼の義兄は私の祖母方の親戚であり、私の弟の結婚式では媒酌人をお願いした関係です。

ずいぶん前に故郷を離れた私は、水谷元さんが長く市長であったことも、フジテレビを退職した伊藤さんがベテラン市長に勝ったことも知りませんでした。しかしながら、不思議なご縁があるのです。

私の幼稚園時代からの友人中澤康哉くんは地元桑名信用金庫理事長であり、最近まで桑名商工会議所会頭でした。私がクールジャパン機構社長に就任した直後、中澤くんから「今度市長と一緒に東京に行くので紹介したい」と連絡がありました。中澤くんが連れてきた市長は30代、わが故郷にもこんなに若い市長が登場したのかと驚きました。が、もっと驚いたのは、伊藤さんが辞表を出したフジテレビの上司はなんと私のパートナーであるクールジャパン機構飯島一暢会長(サンケイビル社長)、これにはもっとびっくりでした。

松屋銀座内のカフェで面談して別れてすぐ、ちょうど買い物にいらっしゃった飯島さんに松屋1階で遭遇、「さっきまで桑名の伊藤市長とお茶してました」と言うと、「伊藤はやっと市長になれたんですか、良かった。落選して職を失って奥さんは苦労したんですよ」。飯島さんは元部下が市長選に落選したことはご存知でも当選したことはご存知なかった。次回上京の際は3人で会食しましょうとなりました。ここから故郷の市長との交流が始まったのです。

桑名には全国的に有名なすき焼きの「柿安」(デパ地下の柿安ダイニングで知名度高い)、蛤料亭の「日の出」もあり、うどん屋「歌行燈」は近隣県からのお客様でいつも賑わっています。最近は地元のタケノコが名産品だそうですが、桑名は肉も魚も格別美味しい場所。長島温泉(織田信長が一向宗徒を制圧するため島ごと焼き払ったことで有名な長島にある一大レジャーランド)もあれば、大型アウトレットパークもあります。しかし観光地としての魅力にいまひとつ欠けるのです。

伊藤市長は桑名の魅力をもっと外に向けて発信したい、近年急増するインバウンド客も取り込みたい、とクールジャパン事業に携わる私を市のアドバイザーにしてセミナーを開催しました。年に一度は関東圏に住む桑名ゆかりの人間を集めた懇親会を都内で開いています。毎月市役所からは市民便りのような冊子が届き、めったに故郷に帰らない私たちに桑名情報を届けてくれます。故郷を離れて半世紀、でもこの冊子のおかげで故郷は身近な存在となりました。


ZUMAドバイ店

数年前帰省したとき、伊藤さんから紹介したい人物がいると出産のため帰国中のアラブ首長国連邦ドバイの高級レストランZUMA(ズーマ)の日本酒ソムリエと会食しました。ZUMAはロンドン在住の日本大好き英国人がロンドンでおしゃれな居酒屋を開業、香港、シンガポール、ニューヨークなどにも支店がある有名店。ロンドン1号店開業直後私は英国人オーナーと会い、当時社長をしていたアパレル企業の服を受付係のユニフォーム用に数セットプレゼントしたことがありました。また、クールジャパン機構の出資先候補のリサーチのためドバイ店を訪ねたこともあり、私には馴染のお店なのです。

ドバイZUMAで働く女性ソムリエは市長の実家のご近所なので紹介されました。女性ソムリエは「飲んでいただきたい日本酒があります」と私たちにZUMAオリジナル日本酒をプレゼン。なんとそのオリジナル酒は和歌山県九重雑賀のもの。九重雑賀はお酢で有名な会社、上質なお酢を生産するために自社の田んぼで有機米を栽培、それから純米酒をつくって酒粕を活用してお酢をつくる一貫生産の超真面目な会社、私も醸造現場を視察したことがあります。彼女は九重雑賀のものづくりにこだわる姿勢に惚れ込み、ZUMAオリジナル純米酒を委託したと聞きました。


赤酢が美味い九重雑賀HPより

開業時にユニフォームをプレゼントしたお店、そのドバイ支店のソムリエが同郷、しかもプレゼンされた純米酒は前職クールジャパン機構時代に工場見学したお酢メーカー醸造と何から何までつながっていたのです。不思議なご縁の市長からこれまた不思議なご縁をいただきました。

世間は狭いと言いますが、ほんとに狭いなあと思います。私の仕事のパートナーに辞表を出して故郷にÙターンした若者、すでに市長3期目ですが47歳とまだまだ若い。この先県知事なり国会議員に打って出る日が来るのか来ないのか私にはわかりませんが、伊藤さんにはわが故郷の発展にもっと尽力して欲しいと願っています。できれば広重の東海道五十三次にあるように港のそばにお城を再建したら観光客を取り込めるのに....。





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Last updated  2024.06.09 00:01:31
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