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タイのノンカーイの3回目だ。昨日は違う話題を挟んだが,今日は,あちこちで目についたものだ。 トゥクトゥク,ロングボディ版。 この三輪は??運送用のようだ。 運転席。真ん中レバーは,前後進のギアか? 写真付きの屋台だ。これも,時代か? ミーチャイ通り。車や人通りは多い。 歩道にある屋台。 学校(右)前にも,屋台がある。 ソンテウで帰る。 メコン川沿いのリムコーン通りを,東からアーケード方向へ歩くと,何やら見えてきた。 屋根の上に,仏像が川(ラオス)を向いて座っている! こんな裏通りも,ちゃんと?ある。 先ほどとは別の学校の前を通ると,声がかかる。後ろから先生もやって来た。怒られるのかな??…「撮ってあげて!」だった。 夜の路地裏。 通り沿いの夜の屋台。 ノンカーイは,1泊しか滞在していないが,短い時間でいろいろ撮れた! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/31
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「タイのノンカーイを歩く」の3回目の予定だったが,急遽変更して便乗企画の第2弾だ。相互リンクしていただいている,豊年満作さんのブログの7/29の日記に見事な夕焼けの画像が載っているのを見て,自分で撮った夕陽の画像の中で,きれい目なのを集めてみたくなった。あんまり意識して撮ったことはなかったが…すでにUP済みのものがほとんどだが…(撮影機材は,全てSONY製。) でも,豊年満作さんの画像には,とてもかなわない!! カンボジアのアンコールワットの中央塔から,17:48。向こうは,ジャングル。(DSC-P1 '00年12月) 18:00ジャスト。(DSC-P1 '00年12月) インドネシア,バリ島のジンバラン。(DSC-P10 '03年8月) VTR(ミニDV)の静止画でも,きれいに撮れた。SONYのDCR-TRV950だ。3CCD機だが,まだ今のようにビデオの静止画があまり重視されていない時だと思う。('03年8月) ミャンマー,モウラミャインのタンルウィン川。(DSC-W5 '06年1月) ミャンマー,ピイのエーヤワディー川。(DSC-W80 '07年12月) ミャンマー,モッタマの手前。(列車の車窓より)(ハイビジョンVTRのHDR-HC1静止画 '05年12月) ラオス,バンビエンのナムソン川。(DSC-P1 '01年12月) スリランカ,コロンボの街で。これも,VTR(SONYのDCR-TRV950)の静止画。('04年1月) カンボジア,シソポンの町で。(DSC-W5 '06年8月) タイ,ノンカーイのメコン川。(DSC-W50 '07年8月) タイ,ムクダーハーンのメコン川。ラオスのサワンナケートの町が,夕方の西日を受けて黄金に輝いている!詳しくは,'07年8/5の日記の現地からのレポートで。(DSC-W50 '07年8月) 上の続き。サワンに雨が降ったのだろう,夕方に虹まで架かった!(DSC-W50 '07年8月) さらに,こんなになった!(DSC-W50 '07年8月) マレーシア,クアンタンの町で。これだけは,朝日だ。夕陽は多くあるが,朝日は…(VTRのDCR-TRV900よりキャプチャ=3CCD機 '01年8月) ほかにも,夕陽は意外とあちこちで撮っている。しかし,朝早いのが苦手な私に朝日の画像など,ほとんどないのだ…(^_^;)本当は,もっと朝日も撮ってみたいのだが… これからは,もっと「夕陽を追いかけて」いきたいと思う。そういえば,チューリップの曲にこんな題の歌があったな。しみじみとした歌だが,じつは時々歌うのだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/30
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一昨日に引き続きタイのノンカーイだ。3日連続の予定だ。 '07年11/11の日記でも書いたように,アーケードのあるリムコーン通りを横に行くと,メコン川沿いの遊歩道に出る。まあ,店の裏側が川(遊歩道)ということだ。遊歩道と店には高低差がある。 店員たちが,くつろいでいた。 店の裏側は,質素なものだ。 欧米人向けの,レストラン&バー。1階のようで2階でもある。 地元人兼外国人用の食堂に見える。 田舎の町ブンカンでも見かけたが,アニメのキャラを書いたり,白い人形に自分で色を塗ったりできるようだ。子どもが集まってくる。 川を見ると,養殖場のようなものがあった。 夕方になると,遊歩道には人が集まり出す。 また出ました!街角でダンスだ!!それも,そこそこの年配の方々が乗りのいいダンスミュージックで踊っている!'06年11/28の日記や'07年6/29の日記などでも紹介しているが,タイ,ラオス,カンボジア,ベトナムでも見かけた。 アーケードを通り過ぎて,東の方へ進んでいくと,ふつうの川沿いになってくる。一応整備はしてあるが,階段を下りると草だらけでどうしようもない…ごみも捨ててあるし。 僧侶も,ちょっと一息。 夕方5時過ぎ。屋台の準備。 ここは,席の準備完了? テーブルの真ん中が四角く開けてある。ブンカンの町でも,穴を開けたテーブルを見た。'07年12/2の日記参照。 こうなる。ラオスで言う「シンダート」と言う焼肉とタイスキを合わせたような鍋に似ているが,どうなのだろう?? 参考までに,これがラオスのサワンナケートの友人宅での夕食。シンダートだ。(薄い方のオレンジ色の服が私) 鍋の丸くなった上の部分で肉を焼き,下の溝の部分にはスープが入っていて野菜を煮るのだ。上からは肉汁も加わる。 ノンカーイの続きは,明日か明後日にUPする。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/29
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タイの東北部のノンカーイ。メコン川対岸のラオスへ渡る人が集まる町だ。通過する人もいるが,町に外国人が結構いる。私は,小さな国境の町ブンカンからバスで行った。2時間半かかった。昨年の8月だ。 地元人専用のイミグレだ。対岸のラオスへ渡るのだ。 たくさんの荷物が車から降ろされる。 舟に積み込まれる。タイとラオスの交流は盛んなのだ。 目の前はラオスだ。 ラオス側の船着き場(イミグレ)だ。ヴィエンチャン郊外になる。 イミグレ横だ。屋根もあるのだが,暑いので誰もいない… 向こうに,タイ・ラオス友好橋が見える。旅行者は,この橋を通ってラオスと行き来する。タイ~ラオスは,ここを通ることが多いが,天の邪鬼な?私は,ここからそう遠くないがどちらもかなり田舎のパークサン(ラオス)~ブンカン(タイ)へと渡ったのだ。国境越えについては,'07年8/23の日記と8/25の日記で書いている。 先日,この橋を初めて列車の試運転があった。まもなく,ラオスに初めての鉄道が走るのだ。タイのバンコクからの直行列車が走るのも時間の問題だろう。ただし,ラオス側はまだ1駅(ターナーレーン駅)しかない。 川沿いのリムコーン通りの一部にはアーケードが架かっている。'07年11/11の日記で,このアーケードにあった食堂へ入ったことを書いている。 アーケードは進むにつれて狭くなっていく。 みやげ物屋も多くある。中国,ラオス,ベトナムなどの雑貨が並ぶ。 タイ王室の色イエローの服が多数売られている。王室のエンブレム付きだ。 イエローの服を着ている人は,たくさんいるのだ。王室は,国民からたいへん敬われているのだ。 夕方6時を過ぎると,一気にこのようになってしまう… 食堂は,ちゃんと開いている。通りはメコン川と並行しているので,店の裏の川沿いの遊歩道と,つながっている。 UPする画像を整理すると,たくさんになってしまった。3回ぐらいに分けてUPしていこうと思う。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/27
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今夏は,ミャンマー(ビルマ)へ行く。かなり前に決めていたのだが,今日,旅行会社からミャンマーのビザが無事に下りたと連絡が入った。昨秋以来,許可が下りないことも結構あるのだ。これで,正式に行けることになった。 昨年の事件以来,ビザの申請書類が多くなったが,今回は昨冬よりもさらに明細な書類が必要になった。 昨年末に申請した時に必要だったのは,パスポートのほかに,ビザ申請用紙,Report of arrival,カラー写真3枚,在職証明書(年金手帳や保険証などのコピーで可),旅行日程表(英字)が要った。 今回も,基本的に同じで,日程表は日本語でも可になった(英字にしておいた)。同じ書類を旅行会社を通して提出したが,すぐには不可だった…源泉徴収票が必要とのこと。追加で提出し,今日に許可されたのだ。18日間ほどかかった。もし下りなかったら,急遽変更しなければならないところだった…《パテインの街角》 この前にも書いたが,今回は,ヤンゴンのほか,サイクロンが襲ったエーヤワディー管区のパテインを約9年ぶりに訪れてみたいと思っている。さらに,'05年に行ったモウラミャインを再訪してみようと思う。以前と違って,対岸の町からの橋に鉄道も通るようになっているからだ。《モウラミャインのレストランで一緒に飲んだ従業員と=私は左側》 今回は,仕事上の都合で例年よりもやや短い日程で行くことになる。さらに,帰国翌日に祖母の四十九日だ。それまでの法事は十分に出られないが,祖母なら笑って許してくれるだろうと都合よく信じている。(^_^;)(現在の私を十分に知らない親戚の中には,顔をしかめるお方もいるかも知れない…古い家系なのだ。) ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/26
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京都北部の京丹後市への出張から帰ってきた。昨年と一昨年は天気も悪くて寒いぐらいだったが,今年はたいへん天気も良く暑かった。しかし,晩は雨が降った。 ここ網野町の浜詰は,年々リゾート化している。以前は,ほとんどが民宿だったのが,今はきれいなホテルが続々と増えている。 周りの農園では,スイカやメロンなどがたくさん植えられている。これがまた甘くておいしいのだ!冬は,カニで賑わう。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/24
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ミャンマーのピイの町。1月の帰国後に何回もUPしている。今日は,民家編だ。文は少なめの画像中心にする。 市街地は,人も車も,それなりに多く賑やかだ。 しかし,脇道に入って丘を少し進むと,こうなる。 小さな食堂になりそうだ。 煮炊きしている。 案内されれば別だが,あまりにも奥まで深入りしすぎることはない。 針金や有刺鉄線が張り巡らしてある。 ちょっと贅沢な家か?? レンガ造り。 お菓子を売っている。 ここにもある。 井戸で洗濯をしている。 これは何??線香のようなものが多数干してあった。 気がつくと,少年が不思議そうにこちらを見ていた。 恥ずかしながらも,声をかけてくる。 町なかに近づく。 日常の一コマ。 お菓子は,そこら中で売っている。流通がどういうシステムか,いまだにわからない… 石を削って置いてあるが,なんだろう?奥では,別の作業が… 歩いていると,みんなに注目される。でも,ただ歩いているだけでも十分におもしろいのだ!!今後も,あちこちの町をフラフラと歩くことになるだろう。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/22
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明日から,毎年恒例の出張だ。京都府北部の京丹後市網野町浜詰へ行く。夕陽ヶ浦だ。昨年も,UPした。 画像は,昨年のもの。ビーチ沿いの旅館では,タイのトゥクトゥク(ミゼットベースの三輪タクシー)を所有しているところがある! ここには,ライブカメラがある→ 浜詰ビーチサイドブース ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/21
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縁あって,京都南部の井手町の商工会青年部が主催する「井手町のウワサ」検証会に参加した。井手町ふるさとボランティアと青年部の方々の案内とともにバスで回るのだ。小学生~年配の方々までの参加だ。(私は井手町民ではないが,ほとんどが井手町民だ…と思う。) 地福寺にある,橘諸兄の墓(右側)。奈良時代に聖武天皇とともに国政を担った人物だ。井手町を拠点に活動していた。旧趾も残っている。 最近,その石塔の調査で発掘された石碑だ。 小高い山の上にある玉津岡神社の本殿。 その本殿の両側にはめずらしい彫刻がある。カエルだ。これは,左側。 右側のカエルは,口が開いている。 その少し下ったところにある地蔵禅院。しだれ桜で有名だ。春には,多くの人で賑わう。このしだれ桜は,京都市の円山公園のしだれ桜の兄弟木なのだ。 小野小町塚だ。小町塚は日本各地にあるが,ここは古文書にも書かれているという。周りは民家だが,平成17年までは,塚の部分だけ国有地だったそうだ(現在は町有地)。 その横には,弘法大師(空海)が書いたとされる碑だ。ちなみに,私の母親方は真言宗だ。 町を流れる玉川の上流に行けば,川沿いに「左馬」と呼ばれる大きな岩がある。以前は,もっと山の上にあったそうだが,昭和28年の南山城水害(大きな被害が出た)で現在の位置に流された。(人は,ぼかしてあります。) 岩の右下に入り,見上げてみると… 馬の彫刻があるのだ。 万灯呂山(正式名は「大峰」で,地図ではこの名前しか載っていない)に登った。木津川が流れる。さらに右の方を見ると,京都タワーもかすかに見えるのだ。 この頂上では,京都の大文字・五山の送り火に対抗して??8/16に電気で「大文字」が灯されるのだ。数年前に,「探偵ナイトスクープ」(ABC系)で,紹介されている。 昼食時にいただいた,「琴渓弁当」。町内の6つの仕出し屋さんが集まって考案されたとのこと。体にやさしいおかずを詰めている。 ほかにも,町内各所を回った。 この後,商工会館に場所を移し,「井手町のウワサ」検証ということで,様々な意見が出された。 太古の昔~現在までの町の記憶を残しておこうと,立ち上がった井手町商工会青年部の面々。やる気十分で活気があり,おもしろかった。お疲れ様でした!!編集作業,がんばって下さい! ↓ その「井手町のウワサ」は,ここで編集中だ!http://d.hatena.ne.jp/ide-seinennbu/ 日本六玉川の1つ,井手の玉川だ。春になると,このように桜が咲き,桜祭りが実施される。期間中には,5万人もの人々が訪れて賑わうのだ。(ちなみに,町の人口は9,000人弱。) 同時に,上記の地蔵禅院にも多くの人々が訪れる。「地蔵禅院」で検索すると,すばらしいしだれ桜の画像が多く見られる。 機会があれば,ぜひ訪れて下さい!! P.S:あの中坊公平氏は,この町の出身。私の母方の祖祖父は,井手町上井手出身の中坊と言う。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/20
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愛知県まで行き,生まれて初めて大相撲観戦をした。愛知県体育館が名古屋城内にあることを初めて知った。別に大相撲ファンと言うわけでなく,相撲は長い間見ていなかったので,力士がほとんどわからなかったが,朝青龍が休場したことは知っていた。 愛知県体育館は,結構古く感じた…(帰りに撮影) 満員だった!階段状の客席を,鉄パイプやコンパネで組んであるが,客の重さを合わせた重量で床が抜けないのか!?と心配になった。 高見盛が大人気だ!!取組以外に,入退場のときも大いに盛り上がっていた。懸賞は,やはり永谷園が出てきた!これだけでも盛り上がる。永谷園は,もとは京都の宇治田原町の出身の永谷氏が始めた会社だ。先祖の永谷宗円氏は日本緑茶を初めて作ったと言われている。(諸説はあるが…) 見事に,寄り切りで勝ち! 弁当だ。2.800円もするが,特筆する味でもない…ご飯が,もっと欲しい! 売店でグッズを売っていたが,もっといろいろな種類があってもいいと思った。座布団を飛ばすことは,なかった(^_^;) たまに,行くのもいいもんだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/19
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カンボジアのバッタンバン。そのときに,あちこちを案内してくれたドライバー兼ガイドのスウィニー君は,何度か紹介してきた。訪カンボジア直後の'06年8/29の日記(詳しく書いてます)の夕食の部分の拡大編になる。先に読んでいただいた方が,わかりやすいと思う。 最初の日に,スウィニー君と一緒にレストランへ行った。料理は,おまかせにした。待っている間,厨房を案内してくれた。たぶん外国人も来るだろうレストランだったが,ふつうの服だ。 この人も,ふつうの服だ。 雑然としている。その雑然とした中で,料理が鍋から皿に盛られる。 牛の丸焼き??下にも何かあるな。 バンチャエウ(カンボジア風お好み焼き)。オムレツのように見えるが… 中には,もやしと挽肉が挟んである。上に置いてあるのは,カエルの唐揚げだ。 向こうに見える葉っぱなどで巻いたりして… 手で掴んで食べるのだ。(スウィニー君) カエルの唐揚げ。鶏肉のような感じで,おいしい! サイッコーチャークルアン(牛肉といんげんの香味炒め)。 私も手で食べる。郷に入っては郷に従えだ!ただ,横にティッシュ(たいてい,トイレットペーパー)やお手ふき,水などが置いてある時はいいが,何もない時は手が油などでベタベタになって大いに困る… ガイドを雇ったりドライバーをチャーターすると,かなりお金がかかる。基本的に1人で動くことが多いが,状況次第でお世話になることがある。ツアーのガイドと違い,その場で交渉するので,地元人やローカルな店に連れて行ってくれることも多い。 これからも,リニューアル編や続編なども混ぜながらUPしていく予定だ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/16
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ブルネイ・ダルサラーム(略してブルネイ)は,石油・天然ガスが豊富にあり,経済的にたいへん豊かな国である。天然ガスの90%は日本への輸出だ。石油と合わせても,40%ほどが日本向けらしい。 この国は,周辺国と比べて生活の水準が違う。物価も高い。しかし,個人に対する所得税はないらしい。 陸上に住宅があるのは当たり前に思われるだろうが,水上住宅(カンポンアイル)が多数あることは何回かUPしてきた。'07年3/18の日記の画像補足編だ。前の日記を読まれてからの方が,わかりやすいと思う。以前は,コメントを多くいただいた。'01年8月だ。 船着き場だ。ボートが並ぶ。 向こう側のカンポンアイルまで,ボートは全速力で走る。本当に速い! ボートに乗って見に行ったが,この辺りはコンクリートや鉄製の橋などがあった。住宅の前には,庭などもある。こんなところに緑がある。 以前もUPしたスタンド。水上にあるのだ。浮いているのではなく,足場は下に固定してある。住宅なども,足場はちゃんと固定してある。他国にある船上の住宅とは違うのだ。 陸地と直接つながっているところもある。右側は小学校。 くつろいでいる住民がいた。勝手に押しかけている外国人にも愛想良く話しかけてくる。この人たちには,紅茶をもらった。 その住民と。見かけは強面の人が多かったが,優しくておもしろい人ばかりだった。 足下の川からカニを捕っていた人。足下で漁とは,おもしろい。 そのカニだ。 子どもたちが元気に遊んでいるが,家の前以外は手すりがない!慣れているとは言え,怖い感じがする。 造りかけの橋だ。この両側には,また家が増えるのか??政府は,かなり前から陸上に移転するように勧めているようだが,なかなか思うようにいかないようだ。やはり,水上がいいらしい。 バンダルスリブガワン(首都)市内。ちゃんと陸地も多くある。 東南アジアで裕福なのは,ブルネイとシンガポール。通貨も互換性がある。互いの国で,そのまま使えるのだ。 この国で困るのは,イスラム教の関係でアルコールがないこと。しかし,裏ルートはあるようだ。ホテルで,小声で「ビールはどう?」と言われたが,このときはまだ海外ではあまり飲んでいなかった。今だったら,即飛びついただろう。同じくイスラムの国のバングラデシュでも,裏ルートでビールを飲んだ。どこにでも抜け道はあるようで…('06年9/18の日記と'07年2/24の日記で書いている。) 裕福とは言え,いずれ枯渇する地下資源に備えて,政府はいろいろな対策をしているらしい。まあ,しばらくはゆっくりといけるだろうが。 葬儀後の疲れもあり,また数日職場を離れていたので,いつものペースに戻れなかった。何か,宙を歩いている感じだった。まあ数日で戻るだろうが… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/14
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一昨日に引き続き,今日はラオス南部のターケーク~パークサンのバス移動編だ。 ターケークもパークサンも,以前はただの通過点だったが,このとき('07年8月)は,どちらも立ち寄った。どちらの町も,すでに何回もUPしている。 ターケークに,バスターミナルは2カ所ある。まずこの画像は,タラートラックサームバスターミナルだ。町なかからトゥクトゥクで5~10分だが,周りは家や商店が多数あり賑やかだ。 さて,大きい方のバスターミナルは,町なかからトゥクトゥクで15分ほどかかる。20,000キープ(約250円)。こちらは周りには,何もない。敷地は,だだっ広い。 ターケークバスターミナルの待合所。料金の表示は,ラオ語・英語・ベトナム語が併記されている。 横には,売店などが並ぶ。簡単な食事もできる。 ターケーク発ヴィエンチャン行きのバスだ。パークサンで途中下車する。バスは,運転手以外に乗務員が必ず乗っている。終点まで乗るのなら問題ないが,途中下車する時は運転手や乗務員にパークサンで降りることを何回も確認しておく。自分を覚えてもらうのだ。バスは,たいてい途中から満員になり乗り降りが激しくなって忙しくなるのだ。 バスの車内。エアコンはあっただろうが,とうの昔に壊れている。 バスチケット。30,000キープ(約375円)。 通路には,補助席用のイスが重ねて倒してある。人が増えれば,これが並べられるのだ。 8:35にゆっくりと走り出して約20分後。給油だ。田舎でも立派な?スタンドがある。 こんな給油機もあった。大丈夫なんかな?? 横には,スターマートがあった。ラオスでも,あるんや!ちょっと驚いた。 バスの車内からでも,日常生活が見える。乗客は,バス停など関係なしに乗ってくる。(おおよその目安はあると思うが…) トイレ休憩だ。だいたい2時間前後ぐらいの間隔だ。以前も書いたことがあるが,ドライブイン以外は,このように何もないところで止まる。茂みの中で用を足すのだ。女性は,奥の方に入っていく。 あちこちで乗り降りがあるが,ときどき売り子が乗ってくる。次に止まるまで,しばらく乗ったままのときもある。乗車賃は要らないようである。 車窓より。車内では,外の風景を撮影しているか寝ているかのどちらかだ。隣の人と話している時もある。 雨季で天気が悪い。 高床式。横には水が増水している。 家が水に浸かっているが,高床式なので問題ない。小舟も,ちゃんと用意してあるのだ。おそらく,乾季は小川か何もないかのどちらかだろう。 カディン川(だと思う)。大きな川なので,ここを通ったことのある人は,わかると思う。簡単な検問所があり,以前は役人か警官が乗ってきて検査していたが,このときはなかった。 これは,乾季のときのカディン川だ。ほとんどの川の色が年中茶色の中,めずらしく青い!この周辺で思わず降りて写真を撮りたくなるようなところなのだ。 これを見れば,雨季は水量が増えて濁ることがわかるだろう。 パークサンに近づいてきた。乗務員が,私に声をかける。ちゃんと覚えていてくれた。止まったのは,バスターミナルではなく,国道沿いのマーケット横だ。「あれ??」降りたのは,私1人だけ…ふつうのバス停で止まる感じで,私が降りたらすぐに発車だった。 着いたのは,13:30。5時間ほどかかった。 パークサンは小さい町なのでバスターミナルがなく,国道沿いで乗り降りするのだ!正確には,マーケット横にバスターミナルがあるが,ソンテウステーションの趣だ。'07年9/29の日記で紹介している。 パークサンからバスに乗ろうと思うと,国道沿いで走ってくるバスをつかまえなければならない。係員など当然いない。まあ,人が立っていれば止まってくれるとは思うが。今度挑戦してみようと思う。 昨日,無事に告別式が終わった。一通りが終わってからは,食事だ。親族や隣組の人々も入り,酒の席だ。疲れて,いつもより早い目に寝てしまった。 しばらくは,いろいろと法事などが続く。いつどんな法事があり,何をしなければならないなど,ほとんどわからない… 案外,仕事をしている時よりも,空いている時間があったりもする(このおかげで??いつもよりもブログを書く時間が妙にあった)が,かなり疲れた。明日から,ちゃんと激務の仕事に復帰できるかが… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/13
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ラオス南部のサワンナケートから北へヴィエンチャン方向に行くと,ターケークの町がある。バスの道中のバスターミナルでの物売りの様子を,'07年9/4の日記で書いているが,今日はその兄弟編というところか?サワンナケートからターケークまでをUPする。 サワンナケートのバスターミナルだ。ここへは,タイのムクダーハーンから第2メコン友好橋を通っての国際バスが乗り入れている。('07年8/31と9/1の日記で,2日続いて書いている。さらに,ベトナムのハノイ,フエ,ドンハー,ダナンなどへも出ている。 ヴィエンチャン行きのバスに乗ることになった。途中下車するのだ。韓国製だが,なぜかフロントにはバルボリン(オイルメーカーだが…)のエンブレムが… 車内だ。日本の長距離バスの快適さなどは望むべくもない。でも,もっとひどいバスは多くある。エアコンなどは,もちろんない!この後,人は溢れるぐらいに増えた。 バスチケット。2,5000キープ(約310円)だ。席は,自由席。 途中でいつも止まるバスターミナルの物売りたちを別角度から。バスが着くと,一斉に走り寄ってきて大騒ぎだ!前にも書いたように,アジア各国では日常の光景だ。 道路を挟んだ向こう側には店が並ぶ。ドライブイン的だが,果たして儲かっているのか?? 最近は国道が整備され,雨季は乾季に比べて時間がかかるが,大きく遅れることはなくなった。 横を走っていたトラクター車のエンジンを拡大してみた。クボタ製だ!しかも,新しい。→トラクター車(クリック) 途中には,検問所がいくつかある。以前は,バスの乗り込んできて検査をしていたこともあった。 ターケークバスターミナル。少し町外れにある。10時に出て13時に着いた。 チケット売り場だ。あれ?サワンナケート行きは,20,000キープ…なんで値段が違うんや??「地球の歩き方」にも,同じように書いてある!しかし,最新版を見ると,同じ料金(25,000K)に変わっていた。ベトナム行きのバスも通っている。 ターケーク~パークサン編もあるので,また次回に! 今日は,通夜だった。昼の間に,死に装束をし身体を棺に入れ旅立ちの準備をしたのだが,いろいろな思いが頭をよぎり,さすがに笑顔というわけにはいかなかった… そして,お焼香の間は1時間ほど立ってお辞儀のしっぱなしだった。それはいいのだが,礼服が15年以上前に買ったもので,ウエストが全く合っていない…無理矢理ベルトで止めているので,苦しいことこの上ない…(*_*)買った頃の体重60kgほどから,今や75kgもあるので当然か!! 明日は告別式で,さらに明後日も何やら儀式があるらしい…(@_@)月曜日にダウンしてなければよいが…(^^;)日頃の激務から一時的に解放されて気が緩み,そこへいつもとちがった忙しさや気疲れも相まって疲れがどっと出ているのだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/11
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チャイナタウンは,アジア各国にある。もちろん,日本にもある。華僑パワーはすごい。世界中を見ても,あちこちにあることは,みなさんご存じだろう。 さて,シンガポールのチャイナタウン。今や,この国でチャイナタウンの雰囲気を感じるのは,この街だけとなってしまったようだ。しかも,再開発で多くの建物が取り壊されて新しくなっている。きれいな建物が多く並んでいる。小ぎれいなショップも多い。チャイナタウンの雰囲気を残してあるが,やはり不自然だ。なんとも,残念な感じがする。古い建物など,ほとんど残っていない。 '06年9/26の日記の続編的なものである。 クラブ・ストリートを歩くと,新しい建物に混じって,古い建物も少しだけ残っている。しかし,封鎖されている。('04年) シンガポールは,'04年3月と'06年3月の2回行っているが,同じ場所を比較してみた。 '04年。ポツンと残っていた建物。囲いがしてあるということは,すぐにでも取り壊しか?と思ったが… '06年に,再び訪れてみると…まだ,そのままだった!囲いが壊れかけている。 その建物から少し歩いたところに,囲いがしてある一筋があった。古い家を取り囲んでいるようだ。ホテルができるとか聞いた。('04年) 古い家の戸が見える。 手前の7-11は新しそうだった。 '06年に来てみると,ホテルではなく,きれいなショップ群になっていた。 このように,ショップが並んでいる。 '04年,7-11裏の工事現場。 '06年だ。 シンガポールは,高層ビルが建ち並び,きれいで洗練された街だが,少し行くと,チャイナタウン以外にも,まだ昔ながらの面影がわずかに残っている。しかし,その古き良きものも時間とともに消えていく… 定番の地やショップ巡りも良いが,こういった街角をぶらりと歩いてみてはいかが? 葬儀後のために,部屋の片付けをしているが,かなりの散らかりようで,なかなか進まない…私が住んでいる家が,先祖代々の親族の本家になるので,みんな集まってくるのだ。朝方までかかりそうだ… なに?通夜や告別式前にブログを書いている場合ではない??そうかも知れない。でも,書いた!祖母も,悲しんでいる私より,元気に生きている私を望んでいるだろう。いやいや,そういう問題やなくて…あっ,そうか!書いてる間があるんなら,早く片づけて寝ろと!?(^_^;) ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/10
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我が家の斜め前に,家から隠居していった親族の家がある。祖母の従姉妹が長年住んでいたが,数年前に死去して,いろいろあって今は第3者の手に渡ってしまっている。 その家を業者が整地し売りに出すために,こぼつ(取り壊す)事になった。私が小さい頃からの馴染みだった家だ。時代の移り変わりとはいえ,かなり寂しい思いがする。記念・懐古(回顧)の意味も込めてUPする。 今年2月に雪が降った時に,たまたま撮ったもの。我が家の築130年には及ばないが,かなり古い家だ。もっと,たくさん撮っとけばよかった… 先々週,解体が始まった。古い家はたいていそうだが,土台の柱は地面に置かれた石の上に乗っているだけだ。 複雑な思いがこみ上げてくる… 梁,大黒柱,土壁・番傘,古い電灯… 3日ほどで母屋が壊され,離れと蔵が残った。 さらに2日後には,ほぼ消滅した。 10日もしないうちに,更地になってしまった。この地面同様,何か心にポッカリと穴が開いてしまった感じだ… ここは売りに出され,買った業者または個人が家なり何かを造ることになるだろう。昔からの古い町内なので,新しいものができると何か違和感があるのは確かだ。 さて,今日の早朝,それを追うかのように祖母が天国に旅立った。96歳だった。一つの時代が終わった…私には,両親・兄弟はいるが別居で,長年祖母と二人暮らしだった。最後は,ホームに入っていたが,何やかんやと祖母には多大なる世話になったのだ。文句を言うことが多かったが,大いに感謝をしなければならない。 今日から3日間仕事を休み,お見送りの準備だ。悲しいと言うより,大往生で笑顔で送り出す方がいいと思う。家の片付けが,たいへんだ!暦の関係で,通夜・告別式は,金・土になる。日程に余裕がある関係で,ブログは時間があれば更新するつもりだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/09
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スリランカのシーギリヤ。ジャングルの中に,突然大きな岩山がある。シーギリヤ・ロックと呼ばれている。まあ,岩山自体はめずらしくない。しかし,今から1500年前,この切り立った岩山の頂上,つまり地上195mの高さに,たった11年間,王宮があった。狂気の城とまで言われる。詳しい史実を書き出すと,長くなってしまうので割愛する。 1875年にイギリス人が1400年間眠っていた中腹にある壁画を発見したらしい。'03年12月に行った。 '06年10/12日の日記のリニューアル版だ。画像と文の増強のリニューアル版は,久しぶりになる。すでに,以前にはコメントをいくつかもらっている。 こんな岩山の頂上にあったのだ。首が痛くなるような高さ。この上に,登るだけでもたいへんだ。ましてや建築の資材を運ぶとなると… 登り口だ。大きな岩の下に,石の階段がある。 岩肌にへばりつくように急な階段がつけてある。しかも,強い風が吹き付け,かなり疲れる。人の大きさから規模を想像していただきたい。断崖につけてある通路を歩くのはスリルがある。 場所によっては鉄製の螺旋階段(画像真ん中)もある。1938年にイギリスが付けたらしい。その前は竹のハシゴだったらしい。もっと昔はこんな階段などなかったはずだ。岩を削った急な階段があるのみであったようだ。 中腹には,美女のフレスコ画という壁画がある。 もとは,500人ほどが描かれていたらしいが,今は18人しか残っていないらしい。 さらに上がると,意外や広場になっている。ちゃんと飲み物も売っている。ここまで運ぶのもたいへんだろう!後ろの岩からさらに上がるが,ここはライオンの入り口と言われる。岩が,ライオンの足になっている。もとは,頭などもあったらしい。 ここには,猿もいた。一生,岩山から降りないのではないか??風とともに生きているだろう。 エサをもらう。人には慣れているようだ。 頂上に辿り着くと,宮殿跡がある。風化して,建物は残っていない。こんなところに住んでいたのだ。身を守るためとは言え,ふつうでは考えられない王だったのだ。 王のプール。こんなところにも,ちゃんと水があるのだ。 頂上から見たところ。下に見えるのは,水の広場。王の淋浴場がある。周りはジャングル。 地平線まで見える。 トカゲがいた。草など緑はあるが,先祖代々住み着いているのか? カメレオン?? 急な階段の連続,どこへ行っても強い風。かなり疲れた…でも,めずらしいものを見られて,よかった! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/08
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連日の重労働?と気疲れと遅い帰宅で,家に帰るとフラフラだ…何もする気が起きない。休日も然りだ。大好きな酒も進まなくなった。おまけに,27年来の“大親友”の腰痛君に加えて,身体のあちこちが悲鳴を上げ始めた… いきなり,悲観的な書き出しだが,泣き言を言っている場合ではないのだ。するべき事が山積なのだ。 さて,5月中旬頃に,居間の蛍光灯がチカチカし出した。「あ,もう寿命かな?」取り付けてから10年以上が経っている。目が痛くなるので,豆球に切り替える。しかし,いきなりリモコンが効かなくなった…「なんで,同時に??」10日間ほど,面倒くさくて暗いままで過ごす。 6月上旬にやっと電機屋へ行き,交換用の蛍光灯を買う。M下製のTパルックとかいうやつで,100Wで¥3,800もする!念のために同じリモコンも買う。¥2,000だ。 家に帰って付け替える…が,点かない?古いリモコンと新しいリモコンの両方を使うが点かない…(*_*)本体そのものが故障したのか??または,ネズミが線を噛みちぎったのか?? 忙しいこともあったが,また面倒くさくなり,さらにそのまま1ヶ月が過ぎてしまった…隣の部屋の灯りで過ごしていたが,真っ暗よりはマシという程度だ。暗い中でTVを見たりPCをしていた。キーボードが見えない…しかも,こんな状態では目に悪い。ただでさえ,0.1ほどしかない視力なのだ。案の定,この頃急にものが見にくくなってしまった…〈人生も,よく見えてないが…(^^;)〉これは,マズい… 昨日,やっと重い腰を上げ再び電機屋へ。本体そのものを買い替えに行ったのだ。「えっ??」同じサイズのものは1番安いのでも,値切って¥1,5000近くもする!けど,仕方なく買った。 家に帰って,古いのを取り外す。簡単に外れた。 買ったばかりの電灯を取り付ける。「点いた!」1ヶ月半ぶりの灯りだ!!もっと早く替えとけばよかった…と喜んでいたら…ガシャン!「なんや!?」本体が丸ごと見事に墜落した。アダプタの取り付けのロックが甘く,落下してしまったのだ。「大丈夫か??」 もう1度つけ直す。すぐに原因がわかったので,今度は成功。最後に傘を付けようとすると…「うわっ!」傘の一部が割れている!!(*_*)「あ~あ…」買ったとこやのに… 都合¥20,000以上もかかった。自転車操業状態の私にとって,これは痛い出費だ!しかも,新品から壊れてヒビだらけ…最初に買った蛍光灯とリモコンは遊ばせることに… 部屋は久しぶりに明るくなったが,心は暗かった…(^^;) ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/07
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ラオスのルアンパバーン。'95年に町全体が世界遺産に登録された。昨日,NHKで放送されたので,今日は以前に行った時の画像を紹介する。なお,ルアンプラバーンという旧称を使うこともある。 このときは,友人に引き続き弟と行った最後のときだったのだ。つまり,この後から1人旅になったのだ。 初ラオの'00年8月に,この町を訪れた。多くの寺院があるが,寺院の紹介はあちこちのサイトで見られると思うので,私なりの気まぐれで紹介する。 このときは,デジカメを持っていなかったので,全てVTRキャプチャ画像だ。 ヴィエンチャンから空路で行った。プロペラ機(ATR-72)だ。ルアンパバーン空港で。空路は速いが風情はない。バスや,舟(スローボート,スピードボート)でも行ける。 ルアンパバーン空港だ。このときは工事中で,飛行機を降りてバスに乗り,いったん空港外?のデコボコ道に出てから空き地を走り抜け,さらに一般の家々を抜けてターミナルに行った。妙な感じだった。 昨日も載せた,ワット・シェントーン。ラオスの寺院の中で最高の美しさを誇るそうだ。 境内にいた子どもたちに,折り紙を教えてあげた。日本から持参したのだ。最初は,遠巻きに見ていた子どもたちだが,最後は集まってきて熱心に折っていた。 ワット〈寺院〉が,数多くある。こういった様式が多いが… こんな形のもある。別名,すいか寺である。ワット・ビスンナラートだ。 町の横を,メコン川が流れる。 町を流れるカーン川がメコン川に合流する地点だ。 こんな舟がいっぱいあったが,沈まないのか?? プーシーと言う小さな山から。328段の階段を上る。頂上には,機関銃の残骸もあった。左に見えているのは,カーン川だ。 小学校があった。前では,店開きをしている。おやつや雑貨があった。休み時間になると,子どもたちが買いに来ていた。日本では,考えられない… 小学校だと思ったが,午前は小学生,午後は中学生か高校生が勉強していた。 バスターミナルだ。帰りはバスで南下して,バンビエン(2回紹介した)に行った。7時間ほどかかった。 ターミナル周辺は… バンビエン経由ヴィエンチャン行きだ。客は,ほとんどが外国人だったが,同時にもう1台もっと古いバスが出発した。そこには地元の人ばかりが乗っていた。なぜかな?と思ったが,途中で検問所があり,地元人だけが荷物の検査を受けていた。その関係だったようだ。当時,多発していた爆弾テロ対策のように見えた。 バスのチケットだ。私の名前だけは,英語で書いてあった。 山中で故障した。車軸をかなりいじっていた。ギアが入らないような時が多くあった。めずらしいことではないが,ルアンパバーン~バンビエン間は武装強盗や山賊が結構出ているので危ないのだが… 途中で何回か止まる。野外のトイレタイムもあれば,ドライブイン(と言っても,たいへん質素だが)のときもある。子どもたちが子守をしていた。東南アジアではよくある風景だが,一昔前の日本でも当たり前に見られた光景だ。 ドライブインでの食事だ。ミー・クア〈焼きそばのようなもの〉と肉じゃがのようなものだ。 ここに来る欧米人は多い。日本人も結構多く来る。しかし,町はメインストリートはかなり欧風化されてしまっている。今は,もっとそうなっているだろう。いいのか悪いのか…旅行者が押し寄せるこの町に,次に行く機会があるかないか… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/06
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今,NHKで,ラオスのルアンパバーンをやってます! ワット・シェントーン '00年8月 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/05
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マニラのLRT・ライン1の先北端のモニュメント駅の2つ手前のロメロ・パパ駅。何でもないふつうの駅だ。'07年4/4の日記で書いた続編だ。 駅の横を流れる小川。非常に汚く,ごみだらけで色も灰色だった。悪臭も少ししていた。両脇は,民家だ。 ふつうの住宅街といった感じだが,貧困層が圧倒的だろう。以前も書いたが,わざわざここへ来る人はほとんどいないだろう。 路上にテントを張って?仕事を。横では,親子が遊ぶ。 井戸水で洗濯だ。 あちこちに,井戸水のポンプがあった。なんとも懐かしい感じがする。 懐かしいダットサン(日産)の車。この形は,ブルーバードか?? 建築中。建築については,6/1の日記でも触れている。 電柱が,傾いているような… 駅の東側階段すぐ横には,民家が迫る。 あちこちで見かけるが,路上や階段で寝ている家族や少年たちが多くいる。これが現実だ。やはり,テレビの映像で見るよりも,目の前で見る方がインパクトが強い!いろいろと考えさせられる…(ぼかしています) マニラは,3月に行く予定だったがアクシデントでキャンセル。さらにGWも予定していたが,これも事情あって行かなかった。 次に行くのは,11月か来年3月のつもりだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/05
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ソウルからしばらく走ると,北朝鮮と国境を接する烏頭山統一展望台に着く。行ったことがある人は多いと思う。'00年8月だ。 途中の道路は,片側2車線の一直線だ!有事には,戦闘機などが離発着できるように,そうなっているらしい。 川沿いには,フェンスが張り巡らしてあり,監視所もあちこちにあった。緊張感が,否が応でも伝わった。 入り口には,警備の兵士がいた。 臨津江(イムジン河)向こうに北朝鮮が見える。あいにく霧で,はっきりとは見えなかった…確か,非武装地帯では最短距離で国境を接していると思う。 晴れていると,はっきりと見えるらしい。残念だった… 館内のカメラ画像では,北朝鮮の画像がはっきりと見られた。見える範囲は,韓国を意識した宣伝村とのことだが,人々は実際に住んでいるらしい。 教室の再現もあった。 金日成と金正日の写真だ! 南北朝鮮が握手した日の画像が飾られていた。金大中氏と金正日氏らだ。 北朝鮮から贈られたという犬。異様に元気がなかったが,今も生きているのだろうか?? 何かと騒がしい北朝鮮。「なに考えてんねん!!?と思うことは多々ある。なんとかならぬものか… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/01
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