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ミャンマー(ビルマ)には,日本の超古い中古車が多数走っていることは,以前に何回もUPしてきた。 今回の旅で,新たに撮影した。いろいろ撮ったので,車種別などに分けて小出しにしていく。今日は,マツダK360とB360だ。昭和30年代~造られていた車だ。同じような画像を何枚も並べていく。 モウラミャインで見た,マツダK360だ。モウラミャインとバゴーでよく見るが,他の都市(と言っても,ヤンゴン,ピイ,パテイン,タチレク,ミャワディぐらいだが…)では見たことがない。 '07年2/22の日記(ミャンマーの超古い日本車 再び)で紹介している。 運転席だ。丸ハンドル。 マーケット前には,様々なオート三輪タクシーが並んでいる。 K360は,'05年~'06年に行ったときは多数見かけたが,今回は激減していた。'07年5/12の日記(アジアのオート三輪)でも紹介した。 後ろの方に写っている,三井精機のハンビーは,相変わらず多数あった。後日特集する。 続いて,マツダB360。日本の戦後賠償の現地生産車だ。雨季は,両サイドのシートが下ろされる。これも,モウラミャインで。 そこら中を走っている。 停車中を,正面から。 走行中。同じように見えるが,微妙に違うことに気づくだろうか?? ここからは,ヤンゴンでの様子だ。 どの車も,フェンダーミラーは明らかに違う。 連なっているときも,結構ある。 各画像をよく見てほしい。現地生産なのに,右ハンドルと左ハンドルがある。右ハンドルは,日本からの中古の輸入か?? 色違い発見。 車,トラックは,あちこちで多く撮ってある。連続でUPするか,飛び飛びでUPするかは考え中だ。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/09/09
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中国の暴挙は目に余るものがある。この前から,いろいろ書いているが,決して全てが悪いとは思っていない。どこの国でも同じだろうが,いい人も悪い人もいる。 今日は,もう11年前になるが,'99年に行った中国での出来事だ。この内容は,すでに細切れで3回UPしているが,この機会に?3つをまとめてみた。画像は,少し増やした。 ※ミニDVからのキャプチャ画像なので,粗い。 このときは,まだ弟と一緒に行っていた。もともとは,友人と一緒に行っていたのだが,諸事情で行けなくなり,しばらくは弟と一緒に行っていたのだ。 広東省の広州に滞在後に,海南島(海南省)へ入った。まず,北部の町,海口に泊まった。その後,南部の町,三亜へ行くバスを予約しようと旅行会社に行った。そこで「観光をしながら行きませんか?」と勧められ,中国人のツアーに参加してみることにした。 翌日,十数名の中国人と一緒にバスに乗り込んだ。ガイドもいた。…と,全て中国語。日本語はもちろん,英語も全く通じない。なんにもわからない!中国人用なので当然なのだが。 あちこちを回りながら,三亜の町に向かった。言葉はわからなくても,それなりに楽しめた。そのうち,2人の中国人と仲良くなった。わずかな英語と筆談でやりとりした。1人は,画像のおじさん。ハルピンの交通局に勤めているという。 ハルピンさんは,マラソンの選手もしているということであった。また,南京大虐殺について(諸説あるが)熱く語っていた。「日本人は大好きだが,昔の日本軍がしたことは許せない。」らしい。「はい!はい!はい!」と日本軍のかけ声?を,いつも真似して言っていた。 海口~三亜間の途中のどっかの町で見たバイクタクシー。 どっかの小さな動物園の趣の施設に寄った。わざわざ寄る意味がわからなかった…何かめずらしい動物でもいたのだろうか?ツキノワグマ?気は荒かった。 途中で昼食だ。何テーブルかに分かれた。なお,中華テーブルは,昭和初期に日本在住の華僑が考案し,逆に中国にも広がったようだ。 いろいろな料理が出てくる。得体の知れなものもあるが,だいたいはおいしい。 海口~三亜まで途中の町で1泊し,2日間一緒だったので,食事も同じだ。見ていると,骨や殻,食べられないものは,みんな次から次へとテーブルの上に捨てていた。食後はこの通りだ!もっときたなくなることも多かった。でも,これが普通のようで,テーブルクロスは店員が食後に客が去ってから毎回ふつうに取り替えてた。 この習慣が,海外へ行ったときにみなに驚かれるようだ。他国のホテルの従業員にも困った話を何回か聞いたことがある。 バスは,山中に入った。 インドネシア村らしい。中部の山中に,いきなりあった。ミャオ族だとか猫苗族だとか,よくわからなかった。私たちが,どこまで正しく認識できたか定かでない。はっきりとわかるのは,観光スポットらしいことだけ。妙な帽子を被せられての撮影だ。左が私で右が弟だ。 民族のショーだ。 民族の伝統的な踊りだろう。 闘鶏あり。 コブラ!?もいる。合図に合わせて動いている。 さらに,鼻からふつうのヘビを入れて,口から出すというショーもあったが,やってる本人は,えずきっぱなしで見ていられなかった… 民族衣装? 説明はあるのだが,言葉が全くわからない… 村全体が,公開されている感じだ。撮影も自由だ。 仲間?になった,中国人2人。ハルピンの交通局のおじさんと新疆ウィグル自治区で石油を掘っている青年だ。私と弟を加えたガイド泣かせの言うことを聞かない迷惑4人組だ! この都合4名,ガイドの後をゾロゾロついていくのがイヤで,あっちへフラフラこっちへフラフラ行っては,他のみんなに探され,迷惑をかけまくっていた。それでも,他の客は怒らず,みんな寛大だった。 このときは,途中で1泊したホテルの部屋へ遊びに来ていたのだ。ホテルは,エコノミー~中級の3段階あったようで,それぞれの場所は離れていた。私と弟は,グループの中では1番いいホテルのようだった。距離が離れたホテルに泊まっていた中国人2人は,わざわざタクシーか何かでやって来たのだ。 言葉は,ほんのわずかの英語とあとは筆談。右がハルピンさんで,左がウイグル君だ。この画像は,中部の地図がないので,どこの町か不明だ。 どっかの植物の研究施設?の敷地で。妙な薬がいっぱい置いてあった。このときも,見学に飽きて,4人で勝手に抜け出して,ここでくつろいでいた。 かの中国人2人。ウイグルくんは,猛暑の中,ずっと長袖のカッターとスラックスで通していた。荷物の大きさからして,着替えはほとんどないと思われる。おまけに革靴。おとなしいが,いつもニコニコしていた。 そう言えば,新疆ウィグル地区も,中国国内では,微妙な情勢やな。 三亜手前のビーチで途中下車。たいへん青くて,きれいだった。 みんな,バスから外へ出るたびに傘をさしている。しかも,日傘じゃなく雨傘だ…これはハルピンさん。なんと,海に浸かって歩いているときも傘をさしたままだった。さらに,この傘にはキティちゃんのマークが入っている。こんな人,初めて見た! よく見ると,周りにも同じように傘をさしてビーチを歩き回り,そのまま海に入っている。ウィグルくんも海を歩いたが,裾をめくり上げているものの,長ズボンは濡れていた。さらに,濡れたままでまた靴下と革靴を平気で履くのだ。信じられん!! 天涯海角。浜辺に多くの奇石があるのだ。岩に文字が彫られている。海南島は,以前は流刑地だったそうだ。じつは,ここで以前にサントリーの烏龍茶のCM撮影が行われ,放送されていたらしい。'99年のようなので,ちょうど行った頃になるかも。 迷惑4人組に女性が1人加わって,記念撮影。私は右端,弟は左から2番目。 三亜の西40kmにある南山寺にある仏像。この寺は,奈良時代に律宗を日本にもたらし唐招提寺で晩年を過ごした,かの鑑真が5度の渡日に失敗し流れ着いた際に建てたという 鑑真に関係があるということを,じつは2年前に初めて知ったのだ…(>_アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/11/03
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普段とは全く違う話題。FBでは,サッカーや野球のことは書いている。サッカーは京都サンガ,野球は阪神タイガース。 じつは,このブログを始めた2006年5月の3回目の投稿で,当時の京都パープルサンガの松井大輔選手について書いている。最後は,京都に帰ってきてほしかった…京都サンガの練習場は,私の家から車で3分ほど。 今日は,そうじゃなくて,一言言いたくなったので… ※ネットより引用 ご存じキングカズ。三浦知良選手。私の学年1つだけ下になる。私にとっては,今やオッサンの希望の星だ!若い頃は,まあいろいろ思ったこともあったが,際だった存在だったことは誰もが認めるところ。この歳になっても若手に負けずストイックにやってるところが,すごい。超人だ。 ここ数年は,いろいろ批判が多い。特に,今は批判の嵐…それは,わかる。しかし,私はそうは思わない。いいじゃないか!1人ぐらい,ここまで現役にこだわる選手がいても!!ボロボロになるまでやってもいいじゃないか。みんな何でもっと寛容にならんのか??ここまでがんばる人はいないんやで!やろうと思っても,できない。そこを普通にやっている。日本人は,いつからそんなに冷たくなったのか?? そら,いろんなチームに2人も3人も同じような選手がいるのは良くないかも知れない。でも,Jを始め全チームで,たった1人やで。その1人のために登録枠が1つ無駄になると言うが,それを越えられない若手はどうなん??本当に実力があれば,そんなこと関係なく試合に出られるはずだ。 京都人としては,おこしやす京都で,京都パープルサンガ以来に京都に戻って来てほしかったが,それは仕方ない。 それは,タイガースからドラゴンズに移籍して活躍した福留選手も同じ。彼も応援しています! ここまで,とことんやるなら,あっぱれ!別にハリーファンじゃありません。最後まで応援しています!! ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2022/01/14
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ホーチミンにある,戦争証跡博物館。ベトナム戦争で使われた戦闘機や戦車や遺物,数々の写真が展示してある。行ったのは,'98年12月なので,ずいぶん前になる。 今も展示物が同じなのかは,わからない。しかし,戦争の悲惨さが十分に伝わってくる展示品ばかりであった。日本人が撮影し続けた写真もたくさんある。 再現された監獄やギロチンもあった。これは,もちろん人形だが,牢屋だけでもたいへんなのに,こんなつながれ方をされたら,たまらない。 これは,戦争中に使われた枯れ葉剤の影響によって生まれてきた奇形児のホルマリン漬けである。このような赤ちゃんが多く生まれてきたのである。 この画像を,本サイトで挙げたときに,掲示板に「精神的虐待をこうむる可能性はないんでしょうか?私は16歳ですが はっきりいって ショックを受けました。私よりも年齢の幼い人がみたら きっとショックを受けると思います」と書いてきた女子高生がいた。 確かに,ショックかも知れない。しかし,私は,ただ楽しいだけのサイトにしたくないことと,現実を知り,いろいろと考えてほしいという旨のことを,掲示板を通してではなく,個人的にメールで送った。 何にしても,戦争は悲惨なものだ。こうしている間も,中東の方では騒然としている。本当に平和な世界は来るのであろうか? 8/4~カンボジアへ行く。向こうから書けるか未知数であるが,場合によっては,長期間空くかも知れない。携帯から書くかも知れないが,携帯では画像が表示されないので,文字だけになるかも知れない。下記の本サイトの掲示板には,何とか書き込むつもりである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/31
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ミャンマーネットは昨日に復旧したが,まだ調子が悪いときがある。地区によっては,まだ全くダメなところがあるようだ。そうなると,もう5日目やな。他社もダメになったが,2日ぐらいで復旧…と思ったら,また昨晩からアウトで,今日の午後に繋がったらしい。 ミャンマーネットは,ミャワディともう1カ所で停電やファーバーケーブルの損傷??などで,かなり時間がかかったようだ。しかし,ミャワディってヤンゴンからかなり遠いが,そんなのが関係するんやな…地区ごとに復旧時期が違うということは,ミャワディとは関係ないと思うけど,それはどうなんやろ?他社とも何か関係があるのか,よくわからん。 この前,質素でおいしくなさそうな料理を上げたが,相変わらず質素な食事で,量も少ない。外でも家でもよく食べていた頃から比べると,激減かな。別に体を悪くしたわけではない。 ご飯なしで,これだけの時も多い。野菜は,ほぼ残り物を保存したものを未だに使っている。栄養価は落ちているだろうが…よって,買い物代は,ほとんどなし。少しのハムやソーセージぐらいか。 でも,ほとんど痩せない。あっ,ビアは飲んでいるし買っている。でも,外食するよりはかなり少ない。 外に出ている人はゼロじゃないが,極端に少ない。デリバリーをやっている店も,かなり少ないようだ。まあ,デリバリーでも,人づてに来るからね。そして1番気になるのは,デリバリーの兄ちゃんたちがそれぞれに店の前やあちこちに多く集まって話しているのをよく見る。ノーマスクも結構いる。みんながそうじゃないだろうが,それもどうかと思う。 ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2021/08/04
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ここしばらく,バテバテだ…さらに,現在左足骨折中。今年になって,3回も大きなケガをしている。ほかにも… ネットはロクにできていない。自分のブログのUPだけで,アップアップで…(^_^;) いつもなら,目から栄養で食べ物だが,今日は1枚だけ。ラジカセだ!これは,以前に2回UPしたものだが。 私は,これを見るだけで元気が出てくる。A猪木氏の「元気があれば…」じゃないが! これは,パイオニア「ランナウェイ」。数年前にヤフオクで買った。子どもの頃は,絶対に買ってもらえなかったラジカセ…大人になり,30年来の夢を買ったのだ!!これは,後期型のSK-95だ。前期型のSK-70も好きだった。 今さらCDもMDも付いていないラジカセを??と思われるかも知れないが,過去に果たせなかった夢を果たしたのだ。だから,これで大満足なのだ!! ラジカセは,劇的に進化した。カセットが付かない現在は,もはやラジカセとは言わない。しかし,当時の迫力あるボディと大音量,本体内蔵マイク付き,LRの外部入出力端子,乾電池OKのラジカセに比べると,今のラジカセはかなり物足らない… まあ,今やネットなどでデータでやり取りするようになり,USBメモリなど超小型のもので持ち運べるし,小さなもので十分だが,大音響にはならない。(近所迷惑な大音響じゃなくて…)やはりラジカセはラジカセだ!! あっ,もう1台,同年代のビクターのラジカセも,どっかに置いてたが… あのシャネルズの「RUNAWAY」に乗ってCMがあった。 ブログ,プロフィールともに,コメントや返事の遅延があり,人様のブログへの訪問もできていないことも多いが,今後ともよろしくお願いします!! 夜中に,うだうだ書きました(^_^;) 早朝に,目が覚めて,修正… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!人気ブログランキングへにほんブログ村 アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/07/27
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7
バングラデシュのバスは見事にボコボコだ!他国のバスとは,印象が大きく違う。'06年11/16の日記のリニューアル増強版だ。以前は,いろいろなコメントをいただいた。 首都ダッカ市内の路線バスである。車体はボコボコ。どっかで擦ったあとだけではない。止まったときに,車掌らしき人が周りに向かって大声で声をかけている。行き先を連呼しているようだ。その手には棒。その棒で,車体を叩きまくっている。なんなんだろう?うまく撮影でいたのは,ないのだが… どのバスも,かけ声は同じようにやっている。 バスは,次々と来る。 大通りの真ん中だ。バス,ベビータクシー,リキシャ,乗用車,通行人(私も,その1人)…こりゃ簡単に擦りもするわ… どのバスもボコボコだ。東南アジアでは,フロントガラスの割れたままのバスは多く見たが,こんなボコボコのバスは見たことがない。同じ南アジアのスリランカでも見なかった。 アバビルナバナ??これは,日本に留学した営業担当者の関係で,日本語の表示をしているようだ。アバビル社のバスだ。日本製もどきのバスを使っている。 呼び込みや車掌など,複数の係がいる。 次々と声をかけてバスに押し込んでいく。すごい勢いだ。 しかし,この姿を地元の人は,ふつうだと思っているのだろうか?? 屋根には,荷物置きが付いていることが多いが,近距離では置いていないようだ。 しかし… こんな2階建てバスもあるのだ。傷は,なぜかほとんどない。イギリス植民地の関係なのか?2階建てバスは,ほかにシンガポールでしか見ない。 何台も走っているな! 南部のコックスバザール~テクナフ間。雨季で雨が降り続いているが,この窓は…このときは小雨だったが,上に人が乗っている。 こちらは,長距離バス。ダッカ~チッタゴン間を乗った。エアコン付き。なぜか長距離バスは,きれいだ。 チッタゴン~コックスバザール間を乗ったバス。エアコン付き。これも,比較的きれいだ。 と思ったら… 見事な?バスが,毎日街を走り回ってるのだ! トラックや車編は,2/22の日記でUPしている。トラックと車は,未UPがまだ少しある。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/11/26
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一昨日,TVの2時間番組でカンボジアのことをやっていた。カンボジアと言えば,地雷で有名だ。また,残虐なポル・ポト政権でも有名である。 首都プノンペンには,もとポル・ポト政権の刑務所であったトゥール・スレン大量虐殺博物館がある。行かれた方も多いと思う。 じつは,以前にトゥール・スレン虐殺博物館をUPしたのだが,残虐な画像をUPするのはどうかと思い,控えめにした。しかし,現実に起こった悲劇なのだ。2度とくり返してはいけないという意味を込めて,そのままを伝えることが大事かと思い,今日は少々残虐な画像も入れて,'06年9/16の日記の増強版として紹介する。 骸骨や死体の画像があるので,こういうのが苦手な方は見ない方がいいかも知れない。 訪れたのは,'06年8月なので,2年半ぐらい前になる。ここには,'00年12月にも来館している。2回も訪れる必要があるわけではなかったのだが,また来てしまった。 以前もそうだったが,今回もセントラルマーケット付近から約40分かけて歩いてきた。前は,乾季なのに帰りに突然大雨が降ったが,今回は雨季だが雨に遭わなかった。おかしなものだ。 ここは,ポル・ポト政権時代に,政府に反対する人々を「反革命分子」として,ことごとく捕らえ,残忍な拷問をくり返したあげく処刑していったS21刑務所である。少しでも疑わしい者は全て収容され,家族も子どもを含めて全て収容され拷問・処刑され,カンボジアの人々には,たいへん恐れられていた。 訪れる観光客は多い。 もとは,高校の校舎らしい。約2万人の収容者のうち,生還したのはなんとたったの8人だ!当時の残忍な行為を伝えるために,博物館として整備され,公開されている。当時の独房,雑居房や,尋問室のベッドなどが,そのまま残されている。 入って左側の建物A棟は尋問室だ。部屋に残されたベッド。もちろん,手足の自由はない。部屋は,いくつもある。 実際の写真も飾ってある。遺体だろう。 この状態で尋問されるのだ。この刑務所は,クメール・ルージュが撤退したあとに初めて発見されたが,これらの写真は,残されていた遺体と思われる。 B棟には,収容された人々の膨大な量の写真などが展示してある。処刑は,ここから約12kmのキリング・フィールドでされたが,左側の写真の多くは息も絶え絶えか,拷問のときに既に息絶えているようにも見える。 これは,子どもたちの写真。家族もろとも捕らえられたので,この子たちは収容された家族なのかと思っていたが,番号札を下げていないので少年看守ということらしいが,どうなんだろう? 人々が着ていた服。 掘り出された遺骨。最初は,ここで処刑し裏手に埋められていたが,処刑場は,のちにキリング・フィールドに移された。セットとも言うべきキリング・フィールドへは,なぜかまだ行っていない。次回行った時はぜひ訪れたい。キリング・フィールドには,9000体近い遺骨が安置されている C棟には,金網が張り巡らされている。 独房だ。レンガの壁が倒れないように鉄鋼で支えてある。 これが,工事前の'00年の画像だ。ほぼ同じ場所だ。意識したわけでないが,同じ人間が撮ると,6年開いても同じところを撮るようだ。 部屋は,本当に狭い。排泄は,房内の箱でしていたらしい。 こちらは,木製である。どちらにしても,かなり狭い。畳1畳分ぐらいあるかないかだろうか。 拷問の道具だ。拷問の様子が描かれた絵も飾ってある。 水を使った拷問の道具が多く残されているが,電気ショックを使った拷問も多くされた。 拷問の様子を描いた絵。右の柱も,敷地内に残されている。 雑居房だ。 こんな感じで収容されていたらしい。これも,ひどい。 左は,処刑された人々の遺骨である。以前は,骸骨を使ってカンボジアのどくろ地図がつくってあったが,物議を醸し,現在は棚に置かれてまつられている。右は,そのときの写真をパネルにして飾ってある。 拡大した。これが,以前は実際に飾ってあった。 これは,'00年に実際に見て撮った,どくろ地図だ。触れる状態にあったと思う。 左の棚の拡大だ。 ポル・ポト軍によって,プノンペンの住民は全て農村部に移住させられ,一時はゴーストタウンと化してしまった。1979年にベトナム軍によって,プノンペンが解放されるまでは,秘密主義により,この収容所の存在が国外には全く知られていなかった。発見後すぐに,ベトナムによって全世界に公開されている。最初は政治宣伝用だったようだが,その後すぐに虐殺博物館として公開されている。現在も公開時とほぼ同じままで展示されている。 この博物館や,ポル・ポト派の残虐行為については,詳しく書かれたサイトが多いので,もっと知りたい方は探されたら,すぐに出てくると思う。 遠い昔のことではない。まだ30年ほど前のことだ。当時はプノンペン陥落などの様子がニュースなどでよく報道されていた。その頃小学生~中学生だった私は,たいへん恐ろしい町だと思っていた。いまだに,そのときのイメージは残っている。 こういうのが苦手な人には,この博物館は,かなりきついかも知れない。しかし,現実に行われた残忍な行為の事実は消えない。 前回UPした時は,控えめだったが,やはり多くの人々に“歴史の事実”を知ってもらう方が大事だと思った。 実際に行くと,画像で見るよりも遥かにインパクトが強い。機会があれば,ぜひ行ってほしい。 なお,'07年11/18の日記では,ポル・ポト派が最後まで抵抗したバッタンバンでの痕跡もUPしている。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/11
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9
ヤンゴンに激増したコンビニ。地区にもよるが,ちょっと歩けば何軒もある。それも,同じチェーンのが…しかも,近くにはライバル社の店が。特に「abcマート」と「CITY EXPRESS」。賃貸料が高いか,ダウンタウン中心部では見ない。端に行けばあるが。 「abcマート」。1番大きいのではないか?と思う。 フリーペーパーの買い物ガイド「ミャンガイ」にも載っているのだ。おやおや?1番下のフレーズ…どっかで聞いたことあるな(^_^;)熱帯なので,さすがに「アイス」と併記してるがね(^O^) 「CITY EPRESS」も,同じぐらいある。 これは,「Union」。何軒か見た。 他にも多くの店がある。今日は,「g&g」。この店も,いくつかある。 「grab&go」と言うことらしい。摑んで行く?ぶんどっていく??よくわからん。意訳で,ちゃんとした意味があるのか? この店,今までの店と違って,脇が甘いのか気が利かないのか,店員が寄ってこない。他店では,混んでない限り,ずっと店員が横にいる。手にいっぱい取ると,レジまで運んでくれる。警備とサービスを兼ねているような…だいたい,どこも日本のように買い物カゴは,めったにないし。 だから,わりあい撮影しやすかった。たぶんNGだろう。防犯カメラは,ちゃんとあった。 いつも行く店よりも面積は広いが,アルコールなどの飲み物の品数は少ない。その代わり,1品当たりの数は多いが。あちこちの店にある,タイのビアはないな… 上2段は,ほぼタイのエナジードリンクやな。大正製薬のリポビタンDもある。タイでは,古くから売られている。 裏の倉庫。日本のコンビニのように,飲料を裏側から補充することはない。店員が,表から入れている。 日用品やちょっとした工具などは,こちらの方が揃ってる感じだった。それぞれに特徴があるんやろな。赤い服は,店員やったかな(^_^;) レジでは,どこの店でも,ふつうにミャンマー語で金額を言われる。レジの上に表示があるときはいいのだが,ないときは,「んん?」という顔をすると,外国人だと気づき,すぐに電卓を取り出して,見せてくれる。 近所のコンビニは,よく行くので,いつも笑顔で迎えてくれるが,アルコールをよく買うので,酒飲みと思われると困るので,2軒+他店をローテーションして行くようにしている。 なに?そんなこと気にせんで,ええやん!って??そうかも知れんねんけど(^_^;) ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!海外旅行(アジア) ブログランキングへミャンマーの生活情報のカテゴリーにも参加始めました!にほんブログ村 ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2014/07/04
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産油国で豊かな国ブルネイ・ダルサラーム。行ったのは5年前。 この国には,カンポンアイルという大規模な水上集落がある。ブルネイ川の上に水上住宅が大量にあるのだ。学校や商店も水上にある。その間を多数の高速のボートがぬうように走っている。かなりのスピードだ。一部,陸地から通路がつながれているところがあるが,ほとんどはボートでしか行けない。家同士は,木造の通路で結ばれていて,一度上がってしまえば,ある程度は歩いて回れる。 ボートで回ったが,エンジンはヤマハ,スズキ,ホンダなどの日本製である。ガソリンスタンドも水上にある。ボートをつないで給油するのだ。ボートからものを買うときは,上からひもでつったカゴを下ろしてもらい,受け取ったり支払いをした。妙な感じだった。 さて,滞在中に火事が起こった。すごい煙が上がっている。木造のため火が回るのが速いようだ。どうやって消すのだろうと思っていると,どこからかホースのついた消防船が何艘も現れた。川の水を汲み上げて放水しているようだ。このときは,陸地から見ていたが,多くの人々が心配そうに見つめていた。 その晩,TVのニュースで,その模様が流されていた。数日通った食堂で夕食を食べながら,知り合った人々と「ちょうど見ていたけど,恐いねえ…」などと話した。そこで知り合った人の車に乗せてもらい,後日,油田や魚の養殖場などを案内してもらった。もらった魚は,あとで料理してもらった。おいしかった。陸地に住んでいる人もいる。豊かな国といいながらも,アジアの雰囲気もちゃんと漂っていた。モスクは多数あった。ここは,敬虔なイスラムの国である。酒類はなかった…↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/06/22
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「地球の歩き方 バングラデシュ編」出版記念?として,チッタゴン郊外にあるバティアリの船舶解体場を再々UPする。画像大幅増のリニューアル版だ。未公開の画像がいっぱいなので,多いがじっくりと見てほしい!! 世界には多くの大型船舶やフェリーがあるが、老朽化した船体は,どこの国で多く解体しているかをご存じか?昔は日本などでもたくさん解体されていたが,じつは現在ではそのほとんどをインドやバングラデシュで解体しているのである。今の日本でも工場があるが,こちらとは全く違うシステムだ。解体場には,世界中から引退した大型の船舶が運ばれてくる。この船舶解体場の問題は,私が行った'04年当時と,あまり変わっていないようだ。 チッタゴンから,車で何十分か走るとバティアリの町に入る。大型船舶のエンジンや部品が多く並べて売られている。海岸に向けて狭い通りを入っていくと, 向こうに大型船舶が見えるが,前には鋭い眼光の人々が… にわかに怪しい雰囲気になる。 何社かの解体場が並んでいる場所がある。その前の通りには,小さな食堂などが並んでいる。しかし,雰囲気はかなり悪い。「あまり関わらない方がいい。治安が悪いので気をつけて!」とガイド役のバングラ人は言う。 本来,一般人は解体場の中には絶対に入らせてもらえない。立ち入り一切禁止だ。さらに,ジャーナリストやマスコミ関係は極端に敬遠されるらしい。ガイドが言う「カメラを隠せ!」。そして,固く閉まった門の前で交渉をしている。「アカンかな…」 しばらくして,「OKだ!」門が開き,中に入る。事務所の兄ちゃんが案内役になった。事務所の建物を過ぎ,死角になったところで,「カメラは,どこでもOK。でも,事務所から見えるところではNGだ!」と言う。 大型船舶の残骸が,あちこちにある。 大きな船体が,こんなになるのだ。よく,あんな巨大な船舶を大きな重機もなくバラしていけるなと思う。 その事務所の兄ちゃんがガイド役でついてきた。この兄ちゃん本人の「撮影はOK」ということだった。喜んで写っていた。でも,やはり「事務所から見えないように!」と言う。 人が小さく見える。 しかし… 切り分けた鋼板。 ここは,船のどの部分やろ? 引き潮で干潟状態の浜にバラバラの船体が。 流れないように,ワイヤが掛けてある。 こんな大きなフェリーが解体されていく。労働条件は劣悪で,危険極まりない。十分に抜かれていない燃料の海洋流出。さらに,バーナーを使っての解体で引火の恐れがある。また,多数の有害物質、アスベストなど多くの問題があるのだ。 これは,もはやどこかわからない。 部品は,それぞれに分けて売られるのだ。 あちこちを歩く。 バーナーの火が見える。 香港の潜水艇「ASIAN TIGER」。 この管は,どこの部分やろ? このガスボンベは何??? 長靴の人もいるが,ほとんどがサンダル。または,裸足のままだ!! 人々は,陽気にポーズを取ってくる。 ガスバーナーで,管を切る。 バラしたパーツが,バラバラに散乱している。バーナーで焼き切っている。焼くところをわざわざ見せてくれたりもした。さらに,この周辺を軽装で歩き回っているのだ。給料も決して高くない。年間何百人も亡くなっているらしい。それでも黙々と働く人々である。 喜んで写る。暗い雰囲気はない。 バラした綱板を,みんなで運ぶ。肩に乗せて歌を歌いながら運んでいる。かなり重そうだが,大勢で歌いながら運び,重さを感じないようにしているようだ。こうやってバラしたパーツやエンジンなどを表通りの多くの中古パーツ屋で売っている。ダッカにも運んで売っているそうだが,ここで買う方が安い。リサイクルとしては,かなり効率がいいらしいのだ… 解体場は,いくつもの会社がある。 干満差を利用して,この大型のウィンチを使って,船舶を引き上げるのだ。 きちんとした作業服もなく,はだしで歩き回っている人さえいる。考えられないことだ!ささくれ立った金属の鉄板やパイプ,破片などが多数散らばっているのだ。ケガはしないのか!? 最後に,ボーイのガイドが「チップ!」と言った。案内してくれた兄ちゃんにやれと言うことだ。一種の賄賂だ。本来は立ち入り一切厳禁の上に,撮影まで密かに認めてくれたのだ。これは仕方ない。 いくらかは忘れたが,日本の価値で言えば少額である。貴重なものを見せてもらった。しかし,これでいいのか?と考えてしまう光景だった… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/10/25
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マニラ首都圏にあるケソン市。もともとフィリピンの首都であった。ここは,第2次大戦後に計画的に作られた人工都市だという。 確かに,広く整然とした道や緑も多い。昨日に書いた大きなショッピングセンターがあり,さらに巨大なショッピングモールが建設中であった。しかし,味気ない街か?といえば,そうでもない。 ケソン・アベニュー駅から見た様子だ。大きな街に見える。車の通行も多い。人も多くいる。 LRTのケソン・アベニュー~ノース・アベニューの間では,一瞬こんな光景が目に入る。これは,ふつうの民家なのかスラム化した住宅街なのかはわからない。周りの風景とは異彩を放っている。 これが,その住宅だ。ここは,以前の日記でも紹介した。来るのは2年ぶり2回目なのだ。奥へ入る道がいくつもあるが,舗装はされていない。中に入ると路地は細くなる。どう見ても一介の旅行者が入るところではない。路地裏を見てみたい気はするが,様子を詳しく知らない者が入るのは危険だと思いやめた。前回も,そうだったのだ。 洗濯物が並び,表には老若男女問わず,いろいろな人がいる。子どもは遊び回っている。大人は,洗濯をしている人,ただしゃべっている人,座っている人様々だ。日常の生活そのものだ。 2年前には気づかなかったが,大通りを隔てた別の一角でも,こんな民家があった。しかし,なんでこの地域は水色の家が多いのかが不思議だった。 撮影していたら,横から声がかかる。見ると,信号待ちのジプニー(ジープニー)の助手席から兄ちゃんが手を振っている。人相は悪かった(失礼!)が,笑顔でサインを送っていた。 この前も書いた,ニノイ・アキノ公園の入り口だ。入場料が若干いる。しかし,中は家族連れや若者がいっぱいだった。緑がいっぱいで,小さな動物園もある。池もあって,くつろげるのだ。 しかし,小さな子ども同士で遊んでいる姿も多く見るのだが,この子たちはお金を払ってまで入っているのだろうか?? もう少し先に行くと,メモリアル・サークルがある。ここも緑が多くてくつろげる公園だが,ここには2回とも行っていない。その手前で,力尽きて?辿り着いていない。いずれ,行ってみたいと思う。 このように,大きな街でありながら,意外と庶民的な部分もあるのだ。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/04/03
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一昨日の日曜日,タムエに新しくできた自動車販売・整備工場の「Golden JDA Auto Service Center」さんのオープニングセレモニーに行ってきた。カンドーヂ湖東側の「United Living Mall」横である。 どんなセレモニーかと思っていたが,なんか大きい。 整備・メンテナンス工場。知り合いの日本人が多数招かれてました。 設備は全て日本製。それも,日本でも高価なものが!このリフトもそうらしい。 工具は,我が京都・久御山のKTC! オイルは,この4L缶でないとダメらしい。交換の時に客の目の前で開けるそうだ。粗悪品が横行しているから誰も信用していないのだとか。しかし,大きなタンクから適量をジョッキに取って入れるのと違って,割高になるし半端が出るし,たいへんなようで… コーティングもやっている。ミャンマーでは,あまり意識されないようで,やっている工場も屋外や半屋外ばかりで,塵や埃が入る心配があるとか。ここでは,完全にシャットアウトした室内で,乾燥も短時間でできるようになっている。コーティング剤も一流メーカーものの日本製。 この看板というか横断幕の女性は,ミャンマーで有名なモデルさんらしいです。 チーフの水谷さんが,ミャンマーのテレビ局MRTV-4の取材に答える。夜,放映されたんかな? 多数のモデルたち。テープカットなんだが,来賓がまだ来ない!ミャンマーのイベント会社が進行してるんだが,日本と違って,ゆるゆるの流れ…開会式の予定時刻から30分過ぎても始まらないし(^_^;) やっとテープカット 来賓は,なんと政府の大臣でした。何人か来ていて工場を見学。交通整理に来た?警察官も見学。写真も撮っていた。部下たちは道で交通整理。 テントで挨拶が始まる。最前列には,来賓とモデルたち。テレビ局は,ずっと撮影していた。 代表取締役の田上氏の挨拶 整備スタッフは,たいへん信頼のおける水谷さんと下平さん。(左から)私は,お2人とは以前からおつき合いがあります。ほとんどをミャンマー語でスピーチ!そして右はミャンマー人スタッフ。 さらに,ミャンマーの「SAT」のCEO山口氏による挨拶。ミャンマー初の24時間ロードサービス会社だ。「JDA」さんと提携されてます。日本で言う「JAF」です!車に乗っておられる日本人のみなさん,ぜひご加入を!!→ 「SAT JAPAN Road Service」さん(クリックでジャンプ) セレモニー終了後は,食事のサービス。 右は,L Lunn War(L ルンワ)と言うミャンマーで超有名な歌手のお父さんバウワーさん(MAJA役員)。お姉さんと娘さんも歌手という音楽一家。さらに,確か政府大臣クラスの親戚もおられます。以前,水谷さんも一緒に深夜3時頃までカラオケ屋2軒をハシゴしたことがあります。 左は,「ミャンマー歳時記」,「ファイブスクウェアズ育英会」でお馴染みの田口大先生。2人とも,私のお友達です。 さっそく,GT-Rが来た!日本でも軽く1000万円以上はするんじゃないかということです。個々のパーツを見ると,HKS,ブレンボ,ピレリの335タイヤ等々!!何台もないと思う。大富豪か軍人さん関係かな。 エンジン音がすばらしい。点検後,ものすごいバンピーな路面のヤンゴンを疾走!!おいおい(^_^;) 昼を過ぎ,終了したかと思いきや,主催者に誘われて近くのタイレストランで宴会を?十数人が集まった。誰がいるかと思えば,多くが前からの知り合いだった。夕方まで,楽しく話して飲んでました! ここまで来るのに,約1年。その間,かなり苦労された。しかし,勝負はここからである。信頼できる整備士,そして機械,工具,消耗品等全て日本の一流メーカー製。完璧なジャパンクオリティを実現したこのファクトリーを応援を,よろしくお願いいたします!! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ以前からの,アジア旅行のカテゴリにも参加を続けています。にほんブログ村 ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2015/09/22
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私のブログのミャンマー(ビルマ)編で,ときどき登場するmasaさん。ネットで知り合ったヤンゴン在住の方だ。そして最初に会ったのは,昨年の8月だった。このときは,2回連続でミャンマーを訪れていた。長井さん射殺後,サイクロン後の2回連続だったのだ。 そして,次はラオス?カンボジアにしようか??政府の規制で行けなかったサイクロン被災地に行きたいので,またミャンマーにしようか???…と迷っていたのだが,結局引かれるように??3回連続で訪れることになった。 日本食を運んだことについては,1/15の日記で書いている。 空港にはmasaさんたちご一行がお出迎えをしてくれた。ありがたいことだ!その後,家へ向かった。 着いて早々に,ビルマ人の兄ちゃんが食事を買ってきてくれた。地元の食事だ。どれもおいしかった!しかし,量が多いので残すと,後は兄ちゃんたちが全て食べた。 これは,ビルマ人の兄ちゃんたち。 しばらくゆっくりとした後,ご一行と一緒にホテルまで行き,チェックインした。荷物を置いてすぐに外出。焼肉屋へ行った。ボージョーアウンサンマーケットの垂直方向の前の通りにある。この通りは何回も通っているが,店があることを知らなかった… この前,日本料理屋には入ったことがないと書いたが,日本系という意味では,この店が初めてになる。 看板もそうだったが,メニューにも「焼肉」と漢字で書いてある。英語で日本式と書いてある。しかし,この絵は… 中を開くと,日本語も併記してあった。牛刺しやユッケもある。私は生レバーを含め生肉が大好きだが,この国の衛生状態では,いくら店舗でも食べるのは怖い… 表示の値段を日本円に換算しようとすると,だいたい0.09をかけたぐらいだ。2000チャットだと180円弱ぐらいになる。 肉が来た。日本とは切り方や見た感じなどが少し違った。味は,日本で食べる方が良いとは思ったが,おいしかった。ただ,タレが韓国式?かビルマ仕様で,masaさんはエバラ焼肉のタレを持ち込んでいた。いつもそうするらしい。店員がイヤな顔をする時があるらしい。でも,やはり日本のタレがおいしい。聞けばよかったが,経営は日本人ではないようだ。 もっと食べたかったのだが,その前に食事をいただいていたので,お腹がすぐにいっぱいになってしまった。しかし,みんな食欲旺盛で,よく食べるわ! 日本酒も置いてある。 一緒に食べたメンバー。事情により??(^_^;),masaさんは,ぼかし&加工をしてある。 おごっていただき,ありがとうございました!!(^O^) 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/05/06
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アジア各地には,バイクや車のいろいろなタクシーが走っている。そのなかでもオート三輪と呼ばれる車が多い。国によって型が違うし,同じような車でも呼ばれ方が違う。日本でも,昔は多く走っていた車だ。 今日は,各地のオート三輪を紹介する。2/22の日記(ここをクリック)でも一部を書いている。すでに,以前にUPした画像もある。 三輪と言えば,まずはタイのトゥクトゥクだ。これは,たいへん有名だ。もとは,日本のダイハツミゼット前期型だ。ハンドルは丸ハンドルではなく,バイク型だ。タイは,日本と同じ左側を走る。客の昇降は左側になっているが,両側から昇降できるチェンマイ型もある。 これはアユタヤ型だ。これは,丸ハンドルになった日本のミゼット後期型そのものだ!今はタイの車屋などによって模倣してタイ製として造られていることも多い。後ろの車は角目になっている。これは新型車だ。 同じトゥクトゥクでも,ラオスではこんな型になる。バイクに座席をくっつけた形だ。一体型になっている。 これは,カンボジアのトゥクトゥク,ルーモーだ。正確には三輪ではない。これが増えてきている。 画面はぼけているが,ラオスのトゥクトゥク同様に,バイクと座席が一体化したルーモーだ。雨季なので,横の幌が下げられている。 今度は,ミャンマーだ。日本のマツダK360。日本では,昭和34年~44年まで販売された。ここでは,まだまだ現役だ!各地で走っていた。 オレンジ色の車は,現在はトヨタグループであるが工作機械のメーカーの三井精機のハンビーだ。これも,昭和34年に販売を開始した。この会社は,オリエントというトラックも造っていた。 両サイドにある青い車は,マツダの現地生産車である。これも古い。戦後補償で造られた車だ。 ミャンマーのタチレク(タキレイ)だ。タイのメーサイとの国境付近だ。こんなタクシーもある。ここ以外では,見なかったが… これは,スリランカのスリーウィラーだ。インドを中心に走っているオートリキシャーだ。いろいろな色の塗装があった。タイのトゥクトゥクよりも,やや小ぶりに見えた。 これは,バングラデシュのベビータクシーだ。これもインド系だろう。これは,4サイクルエンジンである。以前は,2サイクルエンジンの煙をもうもうと巻き上げる車が走っていたそうだが,首都ダッカでは今はない。規制されたようだ。車体には,CNGと書かれている。天然ガス車なのだ。昔の大気汚染された街の面影は少なくなったようだ。バングラでは,意外とタクシーでも天然ガス仕様が多いのだ。 その2サイクルベビーだ。ダッカから追い出されて,各地にある。(もとからあっただろうが)地方では,まだまだ活躍している。でも,チッタゴンでは,4サイクルの新しいのが走っていた。 ベビータクシーには3人ぐらいまでしか乗れるスペースがないが,これはテンプーと言って10人ぐらいまで乗れる。チッタゴンで見た。 他国には,まだまだいろいろな三輪が走っていると思う。見ているだけでも,楽しい。 ↓ どんどんクリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/05/12
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いろいろ苦しいことは多いけど,決して下を見ずに前を向いて歩こう。本サイトは2001年3月,ブログは2006年5月から始めたが,ブログでは時々笑顔のUPをしてきた。同じ画像になるが,世界が重苦しいときもUP。今日も少し。以前に上げたものばかりですが。 まずは,ミャンマー。日本語ERINクラス。いろいろな日本語スピーチコンテストで活躍。今や,ERINクラスからは日本へ30人以上が行って住んでるんじゃないだろうか。 「隠れ家 川蝉」開店時のメンバー サンチャウンダイニング時代のスタッフ。今も一緒のスタッフもいます。 かつてのパン屋さん ミャンマーだけでも十分にたくさんあるが,いまはアジア一帯でもコロナが猛威を振るっているので,アジアの他国も。 インドネシアのバリ島で ベトナムのダナンで ラオスのサワンナケートで 東ティモールのディリで フィリピンのマニラで バングラデシュのチッタゴンで カンボジアのコンポンチャムで ブルネイ・ダルサラームのバンダルスリブガワンで タイのナコーンラーチャシーマーで スリランカのアヌラーダプラで 台湾の台北で マレーシアのコタキナバルで 中国の海南島の三亞で 1994年~2021年の中から。初期の頃はVTRが主体でデジカメは持ってなかったというか,まだ売ってもいなかった。笑顔の写真自体はたくさんある。全部出すと,すごい枚数になるやろな。数えたことはないけど。 今もいろいろと動きがあるが,日本ではほとんど報道されてないんやろな。マスコミはオリンピック一色か?開会前は,あれだけ開催を批判しておいて,今は… まあ,アスリートたちはこれにかけてきた人ばかりなので,選手を応援するのは当然だと思う。ミャンマーからも選手が出ている。 ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2021/07/26
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飲食店をやっていると,他店との繋がりも多くある。日本ではどうかは知らないが,こちらでは日系や日本食屋同士で結構仲良くしていることが多い。みんながそうかというと,わからないけど。日本食屋が山のようにあるタイのバンコクと比べても,また違うと思う。「隠れ家 川蝉」に,「川島チャンピオン」のスタッフが来店。 「川蝉チャンピオン」です!(^_^;) スタッフの一部とは過去に同じ飲食店で勤務と,私にとって馴染みがある。日本人店長とは,2014年に部署違いの同僚。オーナーも2014年からの知り合い。 ヤンゴンでよく見るのは,1度日本食店で仕事をすると,以降はキッチン,ホールを問わずあちこちの日本食店で勤務をするということが多い。 まずは,ホールスタッフ。キッチンスタッフも,後日に来店予定。 これは,うちのスタッフが「川島チャンピオン」に行ったときのもの。全員が揃ってないけど。スタッフ同士も元同僚で交流あり。私も何やかんやで,両店で4年半以上で3店舗に渡り付き合いになるスタッフが多い。 こちらは,バー「東京ラブストーリー」のスタッフが来店。マネージャーとは,2015年開店のカラオケ店「franc franc」(移転して,現サクラクリスタル)以来の知り合いだ。→「日本の曲1万曲のKTVオープン!inヤンゴン」(クリックでジャンプ) これは,スタッフの寮にお邪魔したときのもの。「東京ラブストーリー」は,営業中。ぜひ行って下さい! 10月19日~21日は,ダディンジュの火祭りで3連休。日本のお盆みたいな感じかな。 ロウソクを点す。日々の感謝と平和へのお祈り。 ミャンマー在住の日本人,かつての3000~4000人から一時は200人程度になったかと思っていたが,今は500人ほどはいるらしい。今月の臨時便4便で700人ぐらいまでに回復するようだ。撤退の残務処理の方々も多いようなので,どうなっていくかは不明だけど…撤退にも,多くの労力と時間,費用がかかるんです。 ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2021/10/23
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日本では,今も電力の問題が多くある。以前に,アジアの電気事情を,’11年5/28の日記で「東南アジアの電力」(ここをクリックでジャンプ)としてUPした。 今日は,電線特集だ。以前のものも再UPする。 ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン。masaさんの前の前の家から。周囲に一気に増えた新築マンションのおかげで,電線があちこちに無理に分岐されている。ただでさえ供給量が少ないのに,少ない電力の取り合いになるのか。 もと首都のヤンゴンでさえ,電力はたいへん不安定だ。停電は,日常茶飯事だ。 ベトナムのホーチミンの街角だ。この大量の電線は何や??どの線がどこに行っているのか見当もつかない… フィリピンのマニラにあるチャイナタウン。左側の電線は,やはりゴチャゴチャだ。 ここまでは,以前にUPしている。今回は,ここからだ。 この前のタイのパタヤー。すごい数の電線が! タイの電線は,スクムビットさんのブログでもUPされている。「スクムビット ソイ16の路地にアジアを発見」(クリックでジャンプ) 東南アジアでは先進国になるタイで,こんな感じだ。 ずっと延びている。 しかし,高圧電流が流れている電線を巻いていても大丈夫なのか??例えば,家庭用の電気コードの延長ドラムを巻いたまま使うと発熱して危ないのだが… こんな手の届くとこにも降りてきて絡んでいる…(^_^;)誰かが切ったら,どうするんや?? このメーターは,何を示しているんやろ? こちらは,ミャンマーのヤンゴン,レーダン地区。 なんじゃこれは!??ほんまにゴチャゴチャだ!!縮れ麺みたいになっている。何かあったときに,ほんまに修復できるんか?? タイの電線もゴチャゴチャだが,一応それなりに?整然としているが(^_^;) マンションの電気メーター。 小さなホテルだと,こんなセーフガードが部屋ごとに置いてある。アジア諸国の電圧は220~240Vだが不安定だ。急な過電流で電気製品が故障することが多々ある。それを防ぐためなのだ。 masaさんの家には,これだけの機器が設置してある。過電圧で家電が故障しても,何の保証もない。日本みたいに,ていねいなアフターサービスなんて全くない。契約していても反故にされることが当たり前だ。よって自己防衛だ。停電時に備えて,トラック用のカーバッテリーまである。 アジア各国へ行く方々,電線もよく見て下さい!! ↓他社では味わえない個性的なツアーや緊急のミャンマー観光ビザ発給などしてくれます。 ホテル宿泊料の高騰により,そこそこのホテルは以前の4~5倍ほどに跳ね上がっています。どこも最新の「地球の歩き方」掲載価格よりもさらに高くなっています。ホテルの予約をお願いするときは,希望の詳細を伝えた方がいいと思います。(エアコン,ホットシャワーの有無,トイレ,冷蔵庫,朝食など) 「Golden Diamond Dragon社」(日本人専用サイト版) 英文サイト→「Golden Diamond Dragon Travels & Tours」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/02/25
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すでに,あちこちで話題にはなっているが,みなさんは「地溝油」をご存じか?ここしばらく中国で問題となっている食用油のことだ。 中国料理は多くの油を使う。排水溝や下水溝に溜まった油を採取し,濾過,精製し,再び食用油として使うものである。「下水油」とも言われている。一晩で処理でき,価格も安いので,多くのレストランや屋台で使われている。 → ウィキ「地溝油」 → 中国国内報道 ほか,多くのサイトに掲載。 しかし,有害物質を多く含み,とんでもない油である。その油が,中国全土の食用油の年間使用量の約1割を占めているという。計算上は,誰でも10回に1回はその油を使った料理を食べているという。観光客も例外ではない。 詳しくは,他サイトなどを参考にしていただきたいが,恐ろしいことだ。当然,中国国内では問題になっているが,なかなか解決できないという。政府も対策を打ち出しているようだが… レストランには,自ら食用油を持ち込んで料理を頼んでいる客もいるらしい。レストランも油代が浮くので,断ることなく使うと言う。 ところが,日本のマスコミは意外とほとんど取り上げていない。私がたまたま見たのは2番組だったが,それだけのようだ。中国国内では報道されているし,もっと取り上げても問題はないと思うのだが…毒ギョーザや農薬漬け野菜については,激しく報道するのにな。 調べてみれば,昔の日本も同じようなことがあったらしい。1960年代に起こったが,「日本政府の主導下で地溝油の回収・利用に全力を挙げた」ので,すぐに根絶されたらしい。日本でもあったことが驚きだが,対策のほかに日本人のモラルが高かったということのようだ。やはり,道徳教育というのは,たいへん大事だと言うことではないか。 工業用に回せば,ある意味すごいエコになる。ところが,工業用には何かと複雑な手続きが数多くいるし,たいへんのようだ。レストランや屋台だと,何の手続きもなくすぐに売れる。当然,楽な方に流れる。 ほかにも,インスタント食品や加工食品の工場など,あちこちにも流れているようだ。こうなると,日本も人ごとではなくなる。本当に詳しいことはわからないが,どうなっていくのだろう?? 私は,人間が大好きだ。でも,不正行為は大嫌いだ。悪くは言いたくないが,本当に心配だ。 本文とは関係ないが,食事風景。'99年8月,中国の海南島で突然参加した中国人ツアーで昼食。いい人ばかりだった。'08年8/5の日記のほか,何回かUP。食事の仕方には閉口したが…(^_^;) ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/05/16
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「隠れ家 川蝉」は,小さな店なので,置いているお酒の種類は少ない。しかし,ミャンマーでも希少なお酒を置いてます。シャン州のラーショーで作られているお酒だ。常連さんには,ご存じの酒である。開店時から出しているが,ここ数ヶ月は… 開店時から置いているのが,左の白い陶器の瓶。米から作ったお酒。これは,まるで焼酎やな。泡盛のような感じでもある。5年間,地中で寝かせている。要するに5年もの。45%で,500mL。 しかし,ここ数ヶ月以上に渡りパッタリと入荷がなくなった。なぜか?と聞くと,容器である陶器と箱は中国製。これが,全く入ってこなくなったそうだ。困った…予約していただいているお客様もいるのに… もし再開の場合は,大幅に仕入れ値が上がると言うので,自動的に値上げになる予定。 で,さらに聞くと,1年ものならあるという。右の黒い陶器の瓶だ。う~ん,これもめずらしいのだが,5年ものを知ってしまってるし。とは言え,やはり何かあった方がいい。さっそく入荷した。こちらは,28%で,500mL。 ところが,これも1ヶ月ぐらいで入荷できなくなった。おいおい(@_@)やはり,容器が…これも,再開後は値上げになりそうで(^_^;) 要するに,上の2つの陶器製の瓶は品切れです… で,これがあった。中身は黒い陶器の瓶と同じという。つまり,1年もの。同じというのに,なぜかアルコール度数は32%である。どういうことやねん??同じ500mLだが,価格は安い。と言うことは,上の2つは瓶代が結構してるということやな。考えようによっては,こっちの方がお得なんやろか?? まだ,試しに入れたばかりなので,店の在庫は少ない。これは陶器製に比べると多くあると言うが,本当かどうかわからない…言ってることと実際が違うことが多々あるのが,ここのお国柄(^_^;)そもそもの生産量が少ないはずなので,またすぐに無くなる可能性は否定できない。 店での売値は,陶器製よりも大幅に安くなります。来週から出します。好評なら,多く仕入れます。酒蔵に,どのぐらいあるのかは,不明やけど…(^_^;)※ じつは,シャンに行ったら,いっぱいあったりして…(^_^;)「隠れ家 川蝉」 営業:11時半~14時 (LO 13:40) 17時 ~22時 (LO 21:30) ※14時~17時は,閉めます。定休日:日曜日099-70473066No. 26/B, Room 6, Ground Floor, Yaw Min Gyi Street, Dagon Tsp, Yangon ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2022/07/22
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この2日間,退職のことを書いたら,ありがたいコメント多数。アクセス数も,ふだんの1.5倍以上になった!少ない日の2倍だ。ブログランキングのクリックも多く押してもらい,ポイントが増えた。感謝です!!今後も続けてお願いします(^O^)まあ,人気ブロガーさんに比べたら,何十桁も違う慎ましやかなレベルの話だが… でも,急に増えたみんなはどこでここを知って,やって来られるんだろう??何か不思議だ。もちろん,エイプリルフールネタでは御座いませんので! で,このいい流れを断つのも何なので,今日もミャンマー(ビルマ)にした。ヤンゴンの路線バス(市バス)だ。 ヤンゴンというか,ミャンマーのバスは,ほとんどが日本製の中古バス。あとは,韓国製の中古バス。これは,かつて私の家の前を走っていた「京阪宇治交通バス」 名古屋市営バスの「お絵かきバス」も何台か走る。廃車のはずが,ここで未だに生きてるんです! この英国統治時代の名残の味のあるバスは,’09年~’10年頃に引退したようだ。 こんな中国製の新車バスが大量に導入されたからのようで。やはり??故障が多いと聞く…実際に,道端で立ち往生しているのを何回か見た。 シュエダゴン・パゴダ裏から乗ったバス。スーレー・パゴダ付近までで,50チャット(約5円)。乗車時間10分間弱。 左ハンドル。韓国製かな。 なんか,すごいな。 この水は,飲料用か?ラジエーター用か??エンジン冷却用か??? 車掌が呼び込む このバスでした。日野のエンブレムがあるが,違うやろ。 これも,同じ路線のバス。50チャット 車内 日本語が,そのまま。 シートが,こんなことになっている… 別の路線のバス 右ハンドル。ちなみに,ミャンマーは右側通行です。 ブザーを押してみた。「鳴るやん!!」点灯もする。しかし,止まらない。当たり前だ,使われてない。この後,点灯したままだった… 故障しました。みんなで,ふつうに押してます。よく見る光景です。まあ,周辺国でも多いけど。 ブレブレだが,ラインターヤから乗ったバス。 シートのレイアウトが思い切り変えられている… やはり日本語 これも路線バス。何回か乗っている。 路線や乗り方を覚えたら,こんなに安くて便利なものはない。わからなかったら,周りの人に聞けばいい。何か考えてくれる。言葉?適当な雰囲気だ(^O^)まあ,なかなか乗るのを躊躇してしまうけどね(^_^;) ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!海外旅行(アジア) ブログランキングへにほんブログ村 ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2014/04/03
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15日は,私の誕生日だった。もう40才を過ぎた頃からあんまりうれしくなかったけど,祝ってもらうということは大変ありがたいので,大いに感謝だ。 ありがたいことに,日本で小学校教師の時は毎年のように担任の児童が祝ってくれた。それは学校を異動しても同じだった。 以下の2枚の画像は,日本で15年以上前のもの。 2校に渡り,毎年の誕生日には朝に教室に行くと,こんな感じで祝ってくれた。普段は,黒板にチョークで落書きは禁止だったが,この日は暗黙の了解でOKだ。学校で使うチョークは普通は白,赤,黄色,青ぐらいだが,私は自腹でオレンジ,ピンク,紫,茶色,黄緑などを買っていたので,カラフルになる。 本来は食べものを学校に持ってくるのはダメなのだが,保護者や一部の先生の協力によりケーキも持って来てくれた。給食の時間や放課後にみんなで食べた。プレゼントもくれた。当時でも異例だったかな(^_^;) ケーキの写真があったはずなんやけどな。で,いまヤンゴンで… 昨日にUPしたが,日本へ行く2人が15日は日本にいるので前倒しで数日前に祝ってくれた。全く予想してなかったので,ビックリした! 2人は,バンコクのスワンナプーム空港で無事に乗り継ぎ日本へ到着。大変心配だったので,乗り継ぎについて写真や動画を用いて何回か教えていた。東京で,介護の仕事をがんばっている。 ミャンマーの習慣?で,誕生日の人が全員にケーキを食べさせるという儀式がある。で… そして,まさかの2回目! 15日は祭日なので,14日に。 学校で2回ももらうことになるとは思わなかった。1回目は日本へ行く2人から,2回目は先生たちからだということだった。いやいや全く想定外だった!またビックリ。 食べさせる他に,誕生日の人がみんなに食べものを買ってきたり奢るというのもある。 先生だけじゃなく,その場にいた生徒にも。それと… これは,15日に個人でもらったもの。そして… 「川島チャンピオン」さんから巨大なケーキが! Facebookで投稿してくれた画像をそのままケーキにプリント!ビックリした。 ありがとう!! ※ 甲斐さん提供の写真が何枚か入ってます。ありがとうございます。 ミャンマー人スタッフと。FacebookでもUPしてます。 お約束の? 女性スタッフ1人1人からもらいました。本当に,ありがとう!! みなさん,本当にありがとうございました!!来年は,還暦だ(@_@) ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2024/11/18
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道路があれば,標識や信号機がある。今日は,ラオスの標識と信号機だ。思いついた時に撮っているので,そんなに多くの種類があるわけではないが… まずは,南部のサワンナケート。左折禁止の上は,なんやろ?一旦停止?? 信号機がほとんどないサワンだが,この交差点で必要なのかは,??だった。 サワンのバスターミナル前。信号機はあるが稼働していない。この標識は,ロータリー?一歩通行??(タイからの国際バスより撮影。) 同じく南部のターケーク。ここはT字路。また,この標識だ。やはり,一旦停止か? 道路は凸凹道で,横断歩道などないので,学校ありの印かな?横には学校があった。 信号機は,稼働していた。まあ,この町にも信号機は1つか2つしか見なかったが。 南部でヴィエンチャン寄りのパークサン。ゲストハウスなど,いろいろな標識も混在している。あの「一旦停止?」の標識もある。 北部のルアンナムター。交差点あり?でも,小さい小道だ。こんな小道は無数にあったが,他のところには標識がなかったが… こういった石の標識も多い。~まで何キロという表示だ。 地名表示は,英語併記だ。たいていの国で,英語併記だ。ミャンマー(ビルマ)も英語併記だった。ただし,小さな標識には英語はない。 最後に首都ヴィエンチャン。一方通行で進入禁止だ。 クラクション禁止??横には,病院がある。 Uターン禁止だ。右側通行なので,日本とは矢印の向きが反対だ。 これは,なに?? ヴィエンチャンの信号機は,さすがに新しい。LED式か?と言っても,そんなに多くあるわけではないが。 歩行者用。こちらも,LED? 歩行者用のボタンまである。しかし,わざわざ押さなくても,みんな勝手に渡っていた。と言うより,歩行者は信号機にあまり関係なく好き勝手に歩いている… 日本とは違った表示で妙な感覚になる。他の国でも撮影しているが,それぞれに味があっておもしろい。 しかし,アジア32カ国を横断し,欧州につながる高速道路の「アジアハイウェイ」では,どこの国でも標識は統一されているはずだ。この「アジアハイウェイ」,8本あるルートのうち,1号線(AH-1)の東の起点は東京であることをご存じか? 東京から高速道路で福岡まで行き,博多から釜山までをフェリーで行く。韓国~北朝鮮をはじめ,カンボジア,タイ,ミャンマーなどを通過し,トルコ・ブルガリア国境までつながる総延長20,710kmの高速道路である。詳しくは,ここをクリック→「アジアハイウェイ(ウィキペディア)」 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/11/10
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中国政府は,なに考えてんのか!!信じられん… そっちこそ,内政干渉や!!日本は,中国の属国ちゃうで。 → msnニュース 「世界ウイグル会議 中国の抗議は内政干渉だ」(クリックでジャンプ) → zakzakニュース 「中国ふざけるな!大使“恫喝文”に自民有志が抗議へ」(クリックでジャンプ) 議員の“大先生方”!ほんまにキッチリと抗議するんやろな??これを機会に,今後も本気で怒ってくれ!! 中国国民には,心ある理解者も多いけど,政府は… 当然だが,ブログ友の陳澤民さんも怒っておられる。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2012/05/19
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この時期になると思い出す。2月のことだが,あの事故と,あの歌を… 当時中学生のあのとき,京都市伏見区の塾に通っていた。当時は,塾に行っているのは,クラスで2人ぐらいのときだった。京都では有名なS学園。 昔は,まじめで勉強はできる方だったが,塾をサボって遊びだした頃でもある。その後,我が人生は迷走を始める。詳しくは書けないけど…(^_^;) ’80年2月20日。京阪電鉄置石脱線事故が起きた。→ wiki(ここをクリックでジャンプ) 私は近鉄電車で通っていたが,京阪電車で通っている友人は多くいた。その帰宅直前に起こった事故。死者はいなかったと言うが,負傷者104名の大事故だ。もう少し遅ければ,私の友人たちも巻き添えになったところだ。 後日,友人たちに聞くと,帰宅は深夜になったらしい。 この事故は,いつまでも忘れない… 他サイトより引用。 → http://jijiganko.web.fc2.com/keihansyowa10.html これも,他サイトからの引用。 このときに,家に帰ってから,ラジオのニュースで知った。当時は,近畿放送(現KBS京都)の「ハイヤングイレブン」「ハイヤング京都」,MBS「ヤングタウン」,朝日放送(現ABC)の「ヤングリクエスト」,近畿放送(ネット局でニッポン放送)「オールナイトニッポン」を毎日聴いていた頃だ。 その日,帰宅してから聴いていたのは,ABCの「ヤンリク」だった。かかっていた曲は,あの海援隊の「贈る言葉」。その中で,番組を中断して事故のことが伝えられたのだ。 ちょうど,この時期によくかかる曲だ。だから,この曲を聴くたびに,この事故を思い出す。 私前後の世代の大多数の人は,TVの金八先生や卒業式の歌として認識していると思うが,家の決まりでTVを一切見ることができなかった私は,全く別の意味で印象深く残っている。 ちなみに,SPレコードを持っている。 ↑海援隊「贈る言葉」 ちなみに,私の幼少の頃に,近所で国鉄が脱線して止まってしまっているのを見に行った記憶があるのだが,どこを調べても出ていない…夢だったのか??国鉄奈良線だが,昭和45年頃かな? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/03/11
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疲れて眠たい…新しい日記を書く元気もなく,昨日の日記に過去の日記のリンクをつけた。昨日の日記を,今一度ご覧ください! 何度かUPした画像。'99年8月,中国の海南島(海南省)南部の三亜(サンヤー)の海岸で撮影。右端が私。左から2番目は弟。あとは,中国人だ。なぜか突然に参加した中国人対象の2日間のツアーだった。'06年6/9の日記と'06年12/19の日記ほかでUP。 ちなみに,海南島は,以前に米の偵察機が不時着して没収??されたり,最近では米へのハッカー攻撃の起点になった事などで有名だ。 そう言えば,過去の日記を紹介するときに,'07年前後にUPのものが多いような気がする。ストックも豊富で,余裕があった??からか? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/07/14
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一昨日に引き続き,今日はラオス南部のターケーク~パークサンのバス移動編だ。 ターケークもパークサンも,以前はただの通過点だったが,このとき('07年8月)は,どちらも立ち寄った。どちらの町も,すでに何回もUPしている。 ターケークに,バスターミナルは2カ所ある。まずこの画像は,タラートラックサームバスターミナルだ。町なかからトゥクトゥクで5~10分だが,周りは家や商店が多数あり賑やかだ。 さて,大きい方のバスターミナルは,町なかからトゥクトゥクで15分ほどかかる。20,000キープ(約250円)。こちらは周りには,何もない。敷地は,だだっ広い。 ターケークバスターミナルの待合所。料金の表示は,ラオ語・英語・ベトナム語が併記されている。 横には,売店などが並ぶ。簡単な食事もできる。 ターケーク発ヴィエンチャン行きのバスだ。パークサンで途中下車する。バスは,運転手以外に乗務員が必ず乗っている。終点まで乗るのなら問題ないが,途中下車する時は運転手や乗務員にパークサンで降りることを何回も確認しておく。自分を覚えてもらうのだ。バスは,たいてい途中から満員になり乗り降りが激しくなって忙しくなるのだ。 バスの車内。エアコンはあっただろうが,とうの昔に壊れている。 バスチケット。30,000キープ(約375円)。 通路には,補助席用のイスが重ねて倒してある。人が増えれば,これが並べられるのだ。 8:35にゆっくりと走り出して約20分後。給油だ。田舎でも立派な?スタンドがある。 こんな給油機もあった。大丈夫なんかな?? 横には,スターマートがあった。ラオスでも,あるんや!ちょっと驚いた。 バスの車内からでも,日常生活が見える。乗客は,バス停など関係なしに乗ってくる。(おおよその目安はあると思うが…) トイレ休憩だ。だいたい2時間前後ぐらいの間隔だ。以前も書いたことがあるが,ドライブイン以外は,このように何もないところで止まる。茂みの中で用を足すのだ。女性は,奥の方に入っていく。 あちこちで乗り降りがあるが,ときどき売り子が乗ってくる。次に止まるまで,しばらく乗ったままのときもある。乗車賃は要らないようである。 車窓より。車内では,外の風景を撮影しているか寝ているかのどちらかだ。隣の人と話している時もある。 雨季で天気が悪い。 高床式。横には水が増水している。 家が水に浸かっているが,高床式なので問題ない。小舟も,ちゃんと用意してあるのだ。おそらく,乾季は小川か何もないかのどちらかだろう。 カディン川(だと思う)。大きな川なので,ここを通ったことのある人は,わかると思う。簡単な検問所があり,以前は役人か警官が乗ってきて検査していたが,このときはなかった。 これは,乾季のときのカディン川だ。ほとんどの川の色が年中茶色の中,めずらしく青い!この周辺で思わず降りて写真を撮りたくなるようなところなのだ。 これを見れば,雨季は水量が増えて濁ることがわかるだろう。 パークサンに近づいてきた。乗務員が,私に声をかける。ちゃんと覚えていてくれた。止まったのは,バスターミナルではなく,国道沿いのマーケット横だ。「あれ??」降りたのは,私1人だけ…ふつうのバス停で止まる感じで,私が降りたらすぐに発車だった。 着いたのは,13:30。5時間ほどかかった。 パークサンは小さい町なのでバスターミナルがなく,国道沿いで乗り降りするのだ!正確には,マーケット横にバスターミナルがあるが,ソンテウステーションの趣だ。'07年9/29の日記で紹介している。 パークサンからバスに乗ろうと思うと,国道沿いで走ってくるバスをつかまえなければならない。係員など当然いない。まあ,人が立っていれば止まってくれるとは思うが。今度挑戦してみようと思う。 昨日,無事に告別式が終わった。一通りが終わってからは,食事だ。親族や隣組の人々も入り,酒の席だ。疲れて,いつもより早い目に寝てしまった。 しばらくは,いろいろと法事などが続く。いつどんな法事があり,何をしなければならないなど,ほとんどわからない… 案外,仕事をしている時よりも,空いている時間があったりもする(このおかげで??いつもよりもブログを書く時間が妙にあった)が,かなり疲れた。明日から,ちゃんと激務の仕事に復帰できるかが… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/07/13
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ラオスの民家をちょっと載せることにした。ラオス3連発だ。最近,3連発ものが多い… ラオスに限らず,田舎の民家は高床式が多い。木造や椰子の葉?などで造ったものなどがある。コンクリート式もある。街になると,高床式はほとんど見られず,植民地時代のフランス風などが多くある。 まずは,北部のシェンクワン県のポーンサワンだ。市街地にある家。工事中だった。こんな感じの家は,他の都市でも中心部には多くある。 街からしばらく歩くと,家が少なくなってくる。郊外の家だ。街なかとは感じが異なる。この画像は,5月にもUPしている。 街からかなり行くと,このようになる。近くには,高床式の建物もあるのだ。 家は,なんとなく懐かしい感じがするが,横に止まっている車も懐かしいコロナだ!私が,小学校低学年ぐらいの時に祖父が乗っていた型だ。しかし,コロナのトラックってあったのか?? ついでに,'00年に撮影したヴィエンチャンのタクシー。コロナだ。 ここは,首都ヴィエンチャン市内,’00年1月。ヴィエンチャンは,世界で最も小さい首都の1つとも言われている。高層ビルなんて,ほとんどない。 このぐらいの高さの建物がほとんどだ。でも,まあ街だ。 ヴィエンチャンでも,街なかを外れると,このようになる。これは,中心部~タイ国境の間の集落だ。バイクで走った。 南部のサワンナケートの友人宅。高床式だが,比較的立派な家だ。右側には平屋もある。 友人宅は,中心部からバイクでしばらく走ったところにある。大通りから,細いデコボコ道を入ったところにある。途中は細くて,車は入れない。この家に車はない。125CCのバイクとホンダ・ウェイブ125(カブ式クラッチ)の2台だけだ。 その友人宅で昼食。高床の下の部分だ。こちら向きが私だ。 その昼食だ。なんでも食べられるわけでない。パパイヤのサラダは苦手だ…合わない味付けのものもある。 これは,バスの車内から撮った田舎の民家。外で煮炊きをしているようだった。 高床式が多いのは,いろいろな理由があると思うが,雨季に備えてということもあると思う。 これもバスの車内から撮ったものだ。雨季で水が溢れている。高床式の家の下には舟があり,雨季はこの舟で出入りをするのだ。乾季は,ちゃんと地面が見えていて,ふつうの大地なのだ。 田舎の家を見るのは大好きだ!上でも書いたが,こんな感じの家は,周辺国でも多く見かける。国境があり文化も違うが,こんなところには国境がないような気がする。家にしろマーケットにしろ,画像だけを見ていれば,どこの国かはわかりにくい。※ ここしばらく,疲労で,なかなか自分のサイト以外にコメントが書けていない。訪れるだけということも多い。サボっているわけではありませんので,ご理解を!! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/26
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カンボジア北西部のバッタンバン。バイタクの兄ちゃんスウィニー君に,あちこちを案内してもらった。'06年8月だ。スウィニー君は,'06年8/29の日記で紹介している。 今日は,その中の1つ,ワット・エク・プノンだ。バッタンバンから北へ約10kmのところにある。 11世紀頃に建てられたらしいが,保存状態は悪い。 今にも崩れてきそうだ。上には,カンボジアの旗。 倒れそうな門 あ~… 原形をとどめていない… 裏側。牛が,ふつうにいる。 木が浸食してきている。まあ,アンコールワット近くのタ・プロームのような巨大なものではないが。そういえば,タ・プロームなどのアンコールワット周辺の遺跡のUPは,ほとんどしていない…有名なので,あちこちで目にすることも多いが,いずれUPする。 中に入り,上を見上げたところ。今にも大きな岩が落ちてきそうだ! これも,見上げたところだが,こちらはもっと怖い!微妙なバランスで乗っているだけだ。落ちたら,ひとたまりもない!ブルーシートなんて,何の役にも立たないだろう… レリーフも,ちゃんとある。 崩れた岩にもレリーフが少しある。(右下) この辺りは,ポル・ポト時代に刑務所に使われたらしい。その関係で,遺跡のすぐ横に後から寺院が建てられている。 大仏も造られていた。 以前もUPしたが,前の店。みんなのんびりと寛いでいる。 放ったらかしで崩壊し,荒れ放題の遺跡は多い。なかなか手が回らないようだが,何とかならぬものか。今現在はどうなっているがわからないが,ガイドブックなどを見る限りは,そのままのようだ。そのままと言うよりも,一層進行していると言った方がよいか?? もっとひどく崩壊した遺跡(プラサット・バサット)は,'06年10/28の日記で,UPしている。こちらは,かなり悲惨だ… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/10/11
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ミャンマー(ビルマ)国鉄には,日本の中古車輌が多数走っている。JRをはじめ,名鉄や伊勢鉄道などの私鉄車輌も走っている。 ヤンゴン環状線をはじめ,ヤンゴン近郊路線では,日本の車輌を結構見ることができる。電車ではなく,気動車だ。 私は,鉄道ファンというわけではないが,各国で列車だけでなくトラック,バス,自動車などで,日本の遙か懐かしい車両を見るのは楽しみである。 ミャンマーでは,列車や駅舎の撮影は許可証がなければ禁止だ。かなり無理をして急いで撮っているので,きちんと撮れていない画像ばかりだ。 ヤンゴン環状線については,'08年8/31の日記より6回シリーズでUPしている。コテコテの地元の列車なので,まだ見られていない方はぜひ!! RBE5004=モウラミャイン~ヤンゴンへ列車に乗ったときに,バゴー駅より東へ2時間ほど手前のところで見た。('08年8月) RBE5000番台は,JR東日本から譲渡されたキハ58・キハ52ということである。ファンの方なら,画像を見ただけでわかるんやろな。私がわかるのは,せいぜい国鉄キハ20・35・45ぐらいだ。キハ20は,確か,ドアを自分で開けなければならなかったはずだ。郵便貨物用に半分に仕切られた車輌があったはずだ。 RBE5011=ヤンゴン中央駅手前30分ほどのところ。('08年8月) RBE5018=5001の最後尾車輌。日本の車輌は,前後の2両のみだ。 中間の車輌は,ミャンマー製・韓国製などの車輌だ。使いにくそうな窓だ。日本車輌は,機関車の役割がある。('08年12月) これなんか,窓が取っ払ってある。('08年8月) RBE5015=5011・5018に近い時刻に。 RBE5017=ヤンゴン中央駅手前('08年8月)画像を拡大加工している。 RBE5016=ヤンゴン環状線('08年12月) ここからは,私鉄だ。 RBE2505=名鉄キハ25。インセイン車輌工場に置いてあった。この地区の住民は,公安関係が多いらしい('08年8月) RBE2537=のと鉄道?伊勢鉄道??ヤンゴン中央駅横。上の道路から撮影。 RBE2514=のと鉄道NT100。ヤンゴン環状線。('08年8月) RBE2550=新しいので,データなし。ヤンゴン環状線。('08年12月) RBE2500番台か?=バゴー駅周辺。('08年8月) これも,RBE2500番台か?=バゴー駅より東。('08年8月) 私は見たことがないが,DD51も走っている。機関車も列車も,ミャンマーの規格に合わせて,低屋根化されて屋根が削られている。エアコンなども撤去されているようだ。 しかし,各方面で言われているが,このまま行けば,ミャンマーは日本の一昔前の鉄道博物館と化しそうだ!!※ ヤンゴン環状線は,撮影禁止です。(駅も基本的に撮影禁止です)撮影する時は,事前に「撮影許可証」を発給してもらう必要があります。代理取得してくれる旅行会社があるようです。ただし,全て自由とはいかないようですが。('08年から規制がかなり厳しなっているようです。) 私は許可なく勝手に撮っていたので,危険なことです。場合によっては,軍や警察にカメラの取り上げや抵抗すれば最悪拘束されることもあります。強制退去もあり得ます。コンデジなら少々大目に見てくれることもあるようですが,許可証無しの撮影はお薦めしません。一般市民も,お金めあてに密告することがあるようですので,要注意。 私は,相当の覚悟を持って行動していますが,軽い気持ちでの軽率な行動は絶対に慎むべきです!日本の常識は通用しません!! 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/05/07
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ミャンマーでは,日本の中古車がたいへん多い。韓国製もある。超古い乗用車もあるし,最近のやつもある。バスは,日本語がそのままのものが多い。なぜ消さないのだろうと思っていた。どうやら,日本語が入っていた方がいいらしい。日本製の高品質は世界で有名である。その日本製ということを示すためにわざわざ残しているらしい。車体や車内の広告なども,そのまま残してある。乗っていると,日本にいるようだ。 しかし,'99年に行ったときと,昨年行ったときでは,微妙に違っていた。昨年行ったときは,日本車は相変わらず多くあるものの,日本語を消してある車両を結構見かけたのである。この変化は何なんだろう?たまたま,そうだっただけなのか? しかし,ミャンマーは日本と違い右側通行である。だが,ハンドルは右ハンドルのまま。走行中は,追い越しをしょっちゅうするのだが,対向車が見えない。そこで,必ず横にもう1人いる。その人が,時にはドアから体を乗り出して対向車を見て追い越しの合図をしているのである。 車内は,ボロボロになっていることが多い。エアコンも,とうの昔につぶれている。シートもガタガタ。さらに,日本では路線バスだったものが,長距離用として走っているものもある。 ヤンゴン市内で見かけたこの路線バス。なんとなく懐かしい…あっ,京都市バスだ!このバスは,文字が消してあったが,別の場所で見た市バスには,ちゃんと「京都市交通局」という文字が残っていた。 なぜか多い名鉄バス。これも,もとは路線バスだが,長距離用として使われていた。これは,'99年に南西部のパテイン~ヤンゴンまで乗ったもの。名鉄バスは,昨年もあちこちで見た。 こんな楽しみも,ミャンマーにはある。また,トラックは戦後間もない頃のようなすごいのも多くある。また,後日紹介する。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/09
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かなり前に,バンコク「竹亭」さん(クリックでジャンプ)に,中国人について聞かれたことがある。その答えにもなる。すごい間が開きましたが… 以前のをリニューアルしてUPする。全てVTRからのキャプチャ画像だ。 ’99年8月,海南島北部の海口から南部の三亞に行こうと思い,ホテルに相談すると,なぜか中国人のローカルツアーに入ることになってしまった。当然中国語オンリー。ガイドはもちろん,20名近くの客も英語は一切ない。弟と2人で参加した。 途中のどっかの街で見た,バイクタクシー。 どっかの小さな動物園の趣の施設に寄った。わざわざ寄る意味がわからなかった…何かめずらしい動物でもいたのだろうか?このツキノワグマ?気は荒かった。 このおじさん,ハルピンの交通局に勤めているという。マラソンの選手もしているということであった。また,南京大虐殺について(諸説あるが)熱く語っていた。「日本人は大好きだが,昔の日本軍がしたことは許せない。」らしい。「はい!はい!はい!」と日本軍のかけ声?を,いつも真似して言っていた。でも親日家なのだ。 どっかの植物の研究施設?の敷地で。妙な薬がいっぱい置いてあった。左が新疆ウイグル自治区の兄ちゃんで,右がハルピンのおっちゃんだ。私と弟を加えたガイド泣かせの勝手な行動ばかりする迷惑4人組だった。全く話を聞かずに,いつも勝手にあっちへフラフラこっちへフラフラ行っていた。それでも他の客は一切怒らず,みんな寛大だった。 途中で昼食だ。何テーブルかに分かれた。なお,中華テーブルは,昭和初期に日本在住の華僑が考案し,逆に中国にも広がったようだ。 いろいろな料理が出てくる。得体の知れなものもあるが,だいたいはおいしい。 海口~三亞まで途中の町で1泊し,2日間一緒だったので,食事も同じだ。見ていると,骨や殻,食べられないものは,みんな次から次へとテーブルの上に捨てていた。食後はこの通りだ!もっと汚くなることも多かった。でも,これが普通のようで,テーブルクロスは店員が食後に客が去ってから毎回ふつうに取り替えてた。 バスは,山中に入った。どこか,さっぱりわからない。 インドネシア村らしい。中部の山中に,いきなりあった。ミャオ族だとか猫苗族だとか,よくわからなかった。私たちが,どこまで正しく認識できたか定かでない。はっきりとわかるのは,観光スポットらしいことだけ。妙な帽子を被せられての撮影だ。左が私で右が弟だ。 猫苗族(ミャオ族?)と書いてあったような気がするが,ハッキリしない。以前はネットで調べてもわからなかったが,少し前に調べてみると,三亜から120キロで海口からは220キロに位置する,万寧市の興隆町にあるらしいことがわかった。 民族の伝統的な踊りだろう。 闘鶏もあった コブラ!?もいる。合図に合わせて動いている。 さらに,鼻からふつうのヘビを入れて,口から出すというショーもあったが,やってる本人は,えずきっぱなしで見ていられなかった… 村全体が,公開されている感じだ。撮影も自由だ。 民族衣装? 説明があるのだが,言葉が全くわからない… 三亞の西40kmにある南山寺にある仏像。この寺は,奈良時代に律宗を日本にもたらし唐招提寺で晩年を過ごした,かの鑑真が5度の渡日に失敗し流れ着いた際に建てたという。 鑑真に関係があるということを,後日,初めて知った… 仲間?になった,中国人2人。ハルピンの交通局のおじさんと新疆ウィグル自治区で石油を掘っている青年だ。私と弟を加えたガイド泣かせの言うことを聞かない迷惑4人組だ! この都合4名,ガイドの後をゾロゾロついていくのがイヤで,あっちへフラフラこっちへフラフラ行っては,他のみんなに探され,迷惑をかけまくっていた。それでも,他の客は怒らず,みんな寛大だった。 このときは,途中で1泊したホテルの部屋へ遊びに来ていたのだ。ホテルは,エコノミー~中級の3段階あったようで,それぞれの場所は離れていた。私と弟は,グループの中では1番いいホテルのようだった。距離が離れたホテルに泊まっていた中国人2人は,わざわざタクシーか何かでやって来たのだ。 言葉は,ほんのわずかの英語とあとは筆談。 天涯海角。浜辺に多くの奇石があるのだ。岩に文字が彫られている。海南島は,以前は流刑地だったそうだ。じつは,ここで以前にサントリーの烏龍茶のCM撮影が行われ,放送されていたらしい。'99年のようなので,ちょうど行った頃になるかも。 迷惑4人組に女性が1人加わって,記念撮影。私は右端,弟は左から2番目。 三亞のビーチ。たいへん青くてきれいだった。 キティちゃんの傘を差して,海に入る!! さて,そうこうしているうちに三亞に着いた。他の客はというと,さんざん迷惑をかけたにもかかわらず,親切にしてくれた。みんな,別れを惜しみながらのサヨナラだった。降りる場所は,それぞれに違ったのだ。ホテルごとに降りたのだ。 今後,中国へ行くことはしばらくはないと思うが,このときは楽しい思い出として残っているのだ!
2014/03/04
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みなさんは,センチリットル(cl)という単位をご存じか?日頃使っているヨーロッパなどでは,知っていて当たり前かも知れないが…と言うフレーズで,'06年9/29の日記でUPした。 今日は,まず以前の日記を,ほぼそのままUPする。 これは,'98年にベトナムで飲んだビールのラベル。もとはフランスのビールのライセンス生産だが,今は事情が違うらしい。とにかく欧州系,65clの文字が見える。これは,650mlのことである。8年前(今だと12年前…)に,初めてこの単位を生で?見た。変に感動した。 1リットルの10分の1が1dlだ。1000分の1が1ml。つまり,その間の100分の1が1clである。日本では,日常的に使われることがまずないと思う。学校でも基本的に習わない。 逆に,10倍=デカリットル,100倍=ヘクトリットル,1000倍=キロリットルとなっていく。 変なところで,算数・数学の学習になる。こんなところにも,旅の楽しさが潜んでいるのだ!まあ,堅いと言わずに探してみては?? フィリピンで買った,パインジュースにも表示があった。24cl=240mlの缶だ。ほかにも,探せばなにかおもしろいものがあるかも知れない。 …で,その後。 '06年,同じBGIビールのラベルを見ると… 画像を拡大してみた。あれ?mlになっている!! これは,「ビア・ハノイ」。 これも,切り取って拡大してみた。やはり,mlだ。 これは,大正製薬の「リポビタン」。ml表示だ。 フィリピンの「リポビタン」も,ml表示だ。 cl表記はなくなったのか??もっと探せばよかった… みなさんも,ちょっと視点を変えて,旅の中で探してみては?? ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/07/06
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日本にいる方が,更新できてない!ネット環境は,こっちの方がいいはずなんやけど(^_^;)でも,そういう問題ではない。 まあ,ボチボチ行きます。 蛇足だが,ミャンマーから出た途端に,アクセス数やランキングが下がった。ブログをやっている限りガックリとくるが,それだけミャンマーは注目されてるんやな!と思うようにしている。 今日は,ミャンマーで食べたスナック菓子など。 かっぱえびせんもどきは,本家のアジアのカルビーの他に,模倣品が各国にある。エビの殻が結構残っていて,引っかかるときがあった。おおざっぱな味かな(^_^;) ミャンマーで作られているようだが,会社は中華系マレーシアか?裏には,中国語,ベトナム語,マレー語,インド語?などアジア各国の文字が入っている。あちこちで売ってるんやろな。 こういったポテチが多い。チリソース系が付いてるのが多い。味は,素朴だが,いい悪いがある。 こういう袋が多いんやけど,手で開かへんもんが多い。ハサミとか要るやん。買い食いしにくいな…KS550とあるのは,550チャット(約55円)。 これは,よく買う。見たままの豆スナックだ。 日本には,かつて豆スナック「ジャック」というのがあったな。渡辺正行のCMがあったと思う。似たようなスナックは,タイにもある。タイの方が,「ジャック」にそっくりだが。 小さな粒は,トウガラシ。少し辛い。 こっちは辛くない。日本のスナックよりも,油は多めに残っている気がする。600チャット。 あんまり印象に残ってない…薄味だったかな。 このポテチ,パッケージでは「サッポロポテト バーベQあじ」風のカット。しかし… 中味のカットが違うがな!ノーマルと,ギザギザの2種類になってるし…味は,おいしかった! これは,ベビースターラーメンの大型版の味を薄くした感じだ。まあ,淡々と食べられる。 エビチップ。他にも種類があったと思う。いかにも練って揚げたという味。口に入れると,よく溶ける。薄味だが,ついまた買った。 こういう袋に入ったポテチでは,これが1番うまかった。量も少し多いが,値段も高い。1050チャット(約105円)もする!おいしいけど,高いので,あまり買っていない。量が多いし高いだけかな(^_^;) スナックは,コンビニでも,店頭に置いてあることが多い。毎日雨ばかりの今の雨季だけでなく,カンカン照りの乾季でも同じだ。 これも,外に置いてある。雨季で雨ばかりと言っても,熱帯なので,決して涼しくない。今の日本よりはマシだが。 まあ,日本の夏でも常温で置いてるから,変わらないんかな?案外,盗られることも少ないように思う。 もちろん,店内にも多くある。 こちらは,完全に現地に特化のもの。ビーフジャーキー風のもの,ドライフルーツ風やヒマワリなどの種,よくわからないものなど多数。 これらは,どこの店でも店内のいい場所を陣取っている。 コンビニは,最近のことだが,ふつうは万屋や小さな店で吊って売っている。 小袋で売っていることが多い。これは,ミャンマーだけの話ではないが,小さな袋にすると値段を安くできる。決して豊かでない人々が,少しでも買って食べることができるようにということの配慮だと聞いたことがある。 もちろん,スナックなどのジャンクフード頼みではいけない。でも,つい買ってしまうんやな。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ以前からの,アジア旅行のカテゴリにも参加を続けています。にほんブログ村 ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2014/08/11
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日本では絶滅状態のオート三輪。今日は,ミャンマー(ビルマ)を走るマツダK360に続いて,三井精機のハンビーだ。9/9の日記のオート三輪の部の続編になる。9/9の日記でも書いたが,今までに何回もUPしてきている。 ハンビーは,三井精機工業(今は,工作機械メーカー)が1959年に製造を始めた三輪車である。ミャンマーでは,軽トラックの荷台を客席にしたピックアップタクシーになっている。 '08年8月現在の様子だ。たくさん走っているので,とにかく延々と画像を並べていく。 元気に走る! かなりくたびれている。登り坂を四苦八苦だ。 ゼイジーマーケットの横は,ピックアップ乗り場になっており,多くのオート三輪もある。 ズラリと並ぶ。 客席横のシートが乾季のように掛けられていない。 屋根のシートの掛け方は,様々だ。 運転席。バイク式のハンドルだ。きれいだ。 このように,くたびれている方が多い。ちなみに,真ん中にシフトレバーがある。 斜め前から 客がいる 横から 後ろから 手入れをしっかりとしているのか,補修しているのか,新しく造っているのか?? かなりボロボロだ… 荷物が中心か? オレンジ・朱色系だけではない。 街にも走っていた。 庶民の足となっている。 もう1種類,調べても車種がわからないクルマがあった。また,今後UPする。 ハンビーは,確か日本では数台ほどしか動態で残っていないと思う。後は,残っていても動かないと思う。ところが,モウラミャインでは多くが元気に走り回っている。他の都市では,見たことがない…ほかにも走っている町はあると思うが,なぜこの町に多いのかは謎だ。 マツダK360は,バゴーなど他の町でも見られる(ヤンゴンでは見なかった)が,モウラミャインでは以前よりも激減したように見えた。ハンビーまで減ってほしくない。このような貴重なクルマはいつまでも走り続けてほしいものだ。それと同時に,いつまでも大切に使い続けるビルマ人の人々の心意気がうれしい。また,その補修技術は素晴らしい。“もったいない”使い方をする日本や先進国の人々が見習うところがあるのでは?? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも! ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/09/21
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ビルマ人の知人宅やアジアの建物関係を2回連続してUPしたが,じゃあ普通の民家はどうか?どの国も貧富の差が激しく,家も実に様々だ。まあ,そんなこと言ってしまえば,日本でも同じだけど… ビルの耐震性などが心配と思われた方は多いだろうが,民家になるともっと心配になる。 今日は,質素な庶民の家々だ。 ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン対岸のラインターヤ地区。ビルマ人コービー君の家だ。雨季には,水がいっぱいになるだろう。 →「ヤンゴン市内外れの集落へバスで行くVol.1」~(クリックでジャンプ) 病気で寝ていた母親(真ん中)は,残念ながらこの後,亡くなられた。 裏のトイレ。周囲はそれぞれ別の家だ。 同じくラインターヤ地区のスラムが広がるところ。 奥の家に行く。 この少年の家だ。 隙間の大きい屋根。このときは乾季だったが,雨季はどうなってるんやろ?? この家の少年,まだ小学校中学年ぐらいだが,働いている。 バゴーで,サイカードライバーの家にお邪魔した。 真ん中は私だが,現地の家族ではございませんので(^_^;) ラオスのルアンナムターで。全て,竹,ニッパヤシ,木造りだ。壁は,上のミャンマーの家々と全く同じだ。 壁はあるのか??ラオスのパークサンで。 ベトナムのカントーで。メコン川にある民家。 カンボジアのコンポンチャムで。貧困層の集落。 同じくコンポンチャム。メコン川の水上住宅。 フィリピンのマニラ首都圏。これは,塀にシートと板を立てかけているだけだ。何人もが住んでいる。 この家の基礎は,どうなっているんやろ??こんな家は多い。 見るからに心配… これは,別の地区。スラム地区の近く。※ スラム地区への,おもしろ半分な気持ちでの立ち入りは厳禁です。 こちらは,マニラ首都圏ケソン市のスラムの民家。 上から見ると,こんなに家々が密集している。何年か前に,ケソン市のスラムで大火事があり,多くの家が焼けてしまった。ここだったかは定かではないが…→「マニラ首都圏ケソン市のスラム街で大火災発生!」(クリックでジャンプ) いろいろな民家をUPしてきたが,地震よりも火事や倒壊が怖い気がする。ニッパヤシの家は,傾いているのをよく見る。 ちなみに… もちろん,こんな家も多くある。ラオスのターケークで。 マンションも多くある。ミャンマーのヤンゴンで。 金持ちの家は立派だ。カンボジアのプノンペンで。 ラオスのターケークで。 生活は決して豊かではないけど,人々の心は豊かだ。家だけで判断するのは,いささか乱暴になる。 最貧国と言われる国は多い。しかし,基準がおかしい。それは,先進国から見た勝手な基準だ。豊かな自然の恵みで,ちゃんと生活できている人々は多いのだ。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。 ぜひぜひお願いします!人気ブログランキングへにほんブログ村 アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2013/04/28
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先日,日本の定期路線で引退したYS-11。日本の誇る唯一の飛行機である。7/19の日記でも紹介した。 引退を機にもう一度紹介する。日本では引退したが,この前に話題になった機は,フィリピンで余生を現役で活躍するようだ。まだまだ海外では活躍できるのだ。 以前に紹介した画像の10秒後である。プーケットエア,バンコク~メーソット便であった。しかし,この機はその後,離陸か着陸時に事故を起こしてしまった。さらに,この会社は今,倒産状態で動いていない…どっかの国で,離陸前に差し押さえられたこともあると聞く。 メーソット空港。今,この空港に離着陸するのは,いったい何便あるのだろうか?? 技術が世界トップレベルで進んでいるニッポン。航空機のパーツやロケットも造れるのだ。B777も,日本の技術が生きていると聞く。航空機ぐらい,自前で造ってはいかがか!!?↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/09
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昨日,フィリピンのマニラ首都圏のケソン市にあるスラム街で大規模な火災が起こった。600戸が焼失,7,000人が家を失ったという。 → FNNニュース「フィリピン・マニラ郊外のスラム街で住宅およそ600戸を焼く大規模火災」 → AFPBB News「フィリピンのスラム街で火災、600棟焼失」 → MSN産経ニュース「比スラム街で3百棟焼失」 マニラ首都圏では,あちこちに多数スラムが点在する。何カ所かには,それに近いところには行っている。以前にも何回かUPしている。 今回は,その中でケソン市のスラム?をまとめてUPする。今回の火災現場が,このスラムかどうかはわからない。注意していただきたいのは,決して興味本位やおもしろ半分でUPするのではない。感想は自由だが,現実の姿だ。('07年4/3の日記などで,一部をUPしている) ただ,私は本当の姿を知っているわけではない。もっと詳しい方は多くおられるだろう。知ったようなことは書けないので,一介の旅行者が撮ったものとして見てください。 ケソン市にあるスラム?だ。トタン屋根の家々が密集している。スラム?としているのは,どの基準を持ってスラムと言うのかをわかっていないからである。ふつうの住宅街かも知れない… まずは,'07年3月の画像だ。スラムは,むやみに立ち入るところではない。治安の問題もあるが,一介の旅行者が訪れることは住民感情を逆撫ですることにもなる。 大きなスラムとしてはマニラ市のトンド地区があるが,近くには行ったが中には入っていない。 ずらっとUPしていく。 家は,密集しているばかりでない。 水がそのまま流れているところもある。 店もある。 木の端やトタンだけでなく,コンクリートブロックを使っている家も多い。 3階建ても,無理矢理感がある。 少し離れたところに,この家。こちらは,もっと不安定な3階建て。 ここからは,'05年3月。じつは,少し入った。溝が無く,道路の真ん中を排水が流れていた。中まで電線があるので,不法占拠している地区ではないのかな?? 人は多くいる。 ブロックも使っているとは言え,火災には非常に弱い。 建て付けは,手作りだけあって適当だ。 みんな注目してくる。この地区は,'05年と'07年の2回行っているが,'05年のときは私が警戒してしまって,デジカメ画像は撮れなかった。 戸締まりは,きちんとできないだろう。 溜めた水で,皿洗い。 アイスクリーム売りの台車か? 看板もあるな! 生活感がにじみ出ている。2階へ上るのは外階段だ。 これらの画像を見て,どう思われるかは自由。しかし,人々は逞しく生きていることは間違いない。 マニラ市内にも,このような家々があるところが点在するのは,'09年4/3~のシリーズでもUPしている。こちらは,途中から多くの人々と触れ合っている。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/04/26
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タイ東北部の町,コンケーン。○球の歩き方には,コーンケンと書いてあるが,この言い方では全く通じなかった。ピッサヌロークから,ノンエアコンバスで5時間40分。137バーツ(約411円)であった。'05年8月である。 昼前に,町外れの湖まで歩いた。ブン・ケン・ナコーン湖だ。市民の憩いの場になっている。のんびりとした雰囲気だが,ほとんど人がいない。湖の中にはレストランがあったので,そこで昼食をとろうと敷地に入った。と,誰もいない…なんでやろ??少し待っていると,数名がやってきた。しかし,客のようではない。作業服を着ている。工事中?戸が開くので入ってみた。店員らしき人がいた。「今日は,閉まってるよ。」空腹のまま歩き回った… その後,湖畔でゆっくりと座っていた。周りでは,何人かがのんびりと休んでいた。お腹?もちろん空いているが,近くに店がない。それより,歩き回っていたので疲れたのである。やっと立ち上がる。少し歩くと,消防車が止まっていた。よく見ると,日本語が書いてある。 「中伊豆町消防団 第二分団」とある。その下には,タイ語が書いてある。おそらく,日本では引退した消防車が,ここまで運ばれて使われているのだろう。タイでも,日本の中古車は見かけることがある。工事の重機もよく日本語が書いてある。中伊豆町(合併して,伊豆市になったようだ)の消防団の関係者の方々は,おそらく廃車になったと思われているかも知れないが,こんなところで余生を過ごしている。まだまだ活躍しているのだ。 少し歩くと,たくさんの消防車が止まっていた。さらに横の建物に放水している。何かの訓練かデモンストレーションのようだ。TV局のカメラも来ていた。たくさんの人々が集まって見ていた。 湖は小さいとは言え,結構広い。休んだり寄り道したりしている間に夕方になった。最初に入った地点まで戻ってきた。おっと,いつの間にか人が増えていっぱいいる。さらに露店も出ている。昼間とえらい違いだ。やっと食べ物にありつけた!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/16
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もと中国の人が書いたコラムだ… → MSN産経ニュース 【石平のChina Watch】「開き直り大国」の恐ろしさ ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2010/04/29
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ご存じ,中国の高速鉄道の大事故…起こるべくして起こったと言うことだ。無茶な計画,手抜き工事,不正,汚職,賄賂,等々。さらに,日独の技術を我が技術のように言って特許を申請しようという厚かましさ。 当局者が,「安全性よりも速度世界一を優先させた…」なんて言っている。技術者も,「怖くて自分も乗らないし,友人も招待できない」って,もうムチャクチャだ!! 停車中の列車に後続車が追突って,安全装置は??いちいち落雷で停車なんて言ったら,これからも何回も止まるで!! 同じく高速鉄道のある台湾では,こんな事故は起こっていない。日本の技術を導入しても盗用なんてアホなことをすることもない健全な大人の“国”だ。 「中国独自の技術」と,子どもでもわかる明らかな嘘を言っているが,もしかしたら事故を機に,じつは日本の技術だったからアカンかった!なんて言い出さんやろな… 時事通信社のサイトより引用 → 時事ドットコム 「中国列車事故 写真特集」(クリックでジャンプ) ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへにほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2011/07/24
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世間からミャンマービアが消えて久しい。軍が関わっているから。あるところにはあるようだけど。あれだけあったものが一気に消えるというのも何とも言えないところだが,そんなもんなんやろな。 じゃあ,今は?? この前もUPしたもの。これは,コンビニなど街角で売っている。このほかにも,いくつかあるが。ミャンマービアとキリンビアは全く見なくなった。 で,急速に増えてきているのが,これじゃないだろうか。「ビアチャン(チャンビア)」。言わずと知れたタイのビールである。数年前は,違法に入ってきていた。しかも,安かった。今は正式なんやろな。缶にミャンマー語も書いている。でも,価格は今でも安い。 開いてない店も多いが,飲食店ではビンのビアチャンを多く置き始めている。ビアサインでは,生もある。いつの間にか,生も来てるんや。 このタイミングで,シェアを大きく伸ばしそうな感じだ。じゃあ,ビアシンも来ないだろうか?20年ほど前の濃厚なビアシンが好きだったけど。 ハイネケンも多くなっている。こちらは少し高いが,そうは言ってもこれしか置いてない店もある。何?店内が開いてる??ローカル店のいくつかはね…と言っておこう。言われなくても,在住のみんなは知っている(^_^;) これも,今現在の生の情報なので,「こんな時に飲んでるんかい!」なんて,堅いことは言わずに…むしろ,飲まずにやってられるか!という人の方が多いし。 ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2021/04/06
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3月に,ヤンゴンのラーメン屋さんについて書いた。その時に,かつてあった店のラーメンも載せてみようかな…と書いてそのままだった。ということで,今日は今はなき懐かしい店のラーメンおよび麺類を書いてみよう。→「ヤンゴンでラーメンを」(3月24日) ミャンマーに10年以上おられる方は懐かしく,新しい方はめずらしいかな。 「山小屋ラーメン」さん。かつて,シゲさんが2014年頃にバハンでやっており,閉店後かなり経ってから全く別系統の店がダウンタウンにできたが閉店。ヤンゴン空港内にもでき何年間かはあったが,コロナ後に並びの飲食店とともに閉まったままかな… 「チャンチャンラーメン」さん。その前は,ダウンタウンで「平和なラーメン」さん。ボヤニュラン。ヨーミンジーランの近く。 豚骨。 家から近いので,ちょくちょく来ていた。コロナの時は,日本からの食材も買っていた。 「風鈴」さん。サンピャ映画館の近く。横のボンジーランから,今はダラーに渡る橋の工事が行われている。 担々麺。旨かった。 「大ラ王」さん。ここにいたKISHOさんは,このときのメニューを進化させたものも含め,「スカイスターホテル」内の「SORA」さんでがんばっておられる。 初期の天下二品。 台湾まぜそばなどの麺も食べたが,あえて天下二品を2回分載せよう。 「麺蔵」さん。ボヤニュランにあった。その後2020年に,私はその通りの奥に引っ越して住んでいた。 つけ麺。 豚骨白。 「しあわせ寿司」さん。ここもボヤニュラン。ナワディランの北側。ボヤニュランは,「チャンチャン ラーメン」さん,「麺蔵」さん,「みよしラーメン」さんもあったので,ラーメン屋が集まりやすいということになる。「天理スタミナラーメン」さんも短期間だが,この横にあった。 現在は,「川島チャンピオン」さんになっている。 今は,2階席があるが,当時は天井は上まで繋がっていた。 寿司屋なのだが,ラーメンも凝っていた。具はかなりたくさん。 醤油,豚骨,味噌,塩など何種類もあった。写真では,見分けが付かない(^_^;) ボヤニュランの店舗は閉店したが,ダウンタウンの方の店は開いてると思います。たぶん。 「Ramen Bar」さん。シュエゴンダイン。この前まであったKTV「VOIX」さんのすぐ近くにあった。 豚骨ラーメン。不思議な味だった(^_^;) 味噌ラーメン。 「わびさび」さん。スーレースクエアの裏側の通りにあった。 オーナーは,「YOKOZUNA」さんから独立したミャンマー人だ。 「藤の坊」さん。シュエゴンダインにあったチェリーヒルズホテル内。今は,ホテルの名前も変わっている。担々麺。川崎シェフがいた頃。 「勝」さん。アウンサンスタジアム周りにあった。 有名だった,長崎ちゃんぽん。 皿うどんも有名だった。 「ASAGIRI」さん。ジャンクションスクエアの北側。その後に「KOSAN ASAGIRI」になったけど,今は?これは,カレーとランチセットのミニサイズ。 最後は,「あじさい」さん。ここだけは,私が住む前の旅時代の2010年に行ったときのもの。2回行っている。ダウンタウンのマハバンドゥーララン沿いにあった。 行った時はご不在だったが,当時の経営者は日本人だった。その後,場所を移してミャンマー人経営の店に変わったかな。 豚骨系だったかな。詳しくは,こちらで書いている。→「ヤンゴンのジャパニーズヌードル店」 他にも食べているが,画像を探すのが大変なので,ここまでとします(^_^;) 10年ぐらいずっとこだわったラーメンをやってるのは,「鯉昇」さん(蓮グループ)ぐらいなんだろうか?「横綱」さんも長いですね。 かつては,なんちゃっても含めると150~200軒も入れ替わってあると言われた日本食屋は,コロナ以降は大激減。今後は,どうなっていくかな?新たな店も増えてます。 ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2024/07/23
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「UME日本語学校」から,2人が日本へ行きました。学校で面接をし,特定の介護で東京の施設で働きます。 1人は,かつての「隠れ家 川蝉」そして「UME日本語学校」で一緒に働きました。学校では生徒というよりも先生でした。もう1人は,これもかつての「焼き鳥ヤンゴン」で一緒に働きました。当時は,まさかこうやって日本へ行くことになるとは思ってもいませんでした。 日本へ行く人が写真を撮る定番の場所で。 先生たちと お見送りの家族親戚の人たちと。お見送りをそのままミャンマー語に訳すとよくないらしいですが。日本語でもそれを使いますが,別の意味になるようで… それぞれに記念撮影。 生徒たちも見送りに来ました。 初めての日本で前日ギリギリまであれもこれもと悩んだ挙げ句,2人とも重量オーバーのようで(^_^;)日本語の勉強を続けてするので書物が多かったです。残りは,後日私が日本へ持って行きます。 エレベーターで,イミグレーションへ。お別れです。 見送りが終わり… 家族や親戚たちは帰りましたが,お腹が空いたので…空港内のKFCで。 見送りの人は,2番入り口で手続をして,ここから入ります。 人でいっぱいです。多くが日本へ行く人の見送りでした。中でもあちこちで記念撮影が。 その時の動画を作っております。ぜひ!→「日本へ出発!介護でミャンマー人2名」(クリックでジャンプ) 日本でがんばれ!!UME Japanese Language CenterNo. 73, 1st Floor, Shwe Hlaing Street (Nya Zay), Kyeemyindaing Township, Yangon, Myanmar📱 09768323783,09768323966✉ ume.jpnlgschool@gmail.com☆ 日本の登録支援機関の理事もしております。よろしくお願いいたします。一般社団法人 国際経営開発支援機構(登録支援機関)〒124-0011 東京都葛飾区四つ木1-13-5 03-5654-9901 info@imds.or.jp ↓ はげみになります。 クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。よろしくです。 にほんブログ村ミャンマー(海外生活・情報) ブログランキングへ ※ 画面が完全に出るまでに消すと,カウントされないことがあります。↓ こちらは確認用ですので,見たいときだけ,どうぞ。アジア旅行のカテゴリの順位がわかります。にほんブログ村海外旅行(アジア) ブログランキングへクリックで,本サイトへ!本サイト
2024/11/15
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北朝鮮情勢が不安定だ。日本では,金正日後継者問題やミサイル発射で大騒ぎだ。でも,いざというときに日本は,どう行動するのだろう??海外のしたたたかな動きに対応できるのだろうか? 平和ボケ日本とよく言われる。平和なのは,大いにいいことだ。しかし,海外に目を向けると,レベルは様々だが,常に緊張状態にある国が多い。街角に兵士や武器を持った警察は,ふつうにいる。日本では,まずお目にかからない光景だ。 既出の画像と記事がほとんどだが,ほんの一端として視点を変えてUPする。 韓国と北朝鮮国境の統一展望台入り口には,銃を持った兵士が立つ。('00年ソウル郊外) ソウルから統一展望台へ行く途中だ。川沿いには柵が張り巡らされている。北朝鮮からの侵入者を防ぐためだろう。兵士も各所に待機していると思われる。この道路は広くて直線部分が多く,中央には街灯や分離帯がない。なぜかというと,有事の際には戦闘機の滑走路になるためらしい。 長年内戦状態だったスリランカ。先日,政府の掃討作戦で敗北宣言をしたLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が分離独立をめざして武装闘争をしていた。 街角の兵士だ。('04年アヌラーダプラ) バングラデシュでは,テロに備えてライフルを持った警官が街のあちこちに多数いた。デモ(ハルタルやホッタールなど呼び方は様々)に備えているのかも知れないが…('04年ダッカ) これは私服警官になるのか?? 軍の兵士もいる。撮影すると,ちゃんと構えてくれた。 このときは,あちこちで野党の集会が開かれていた。 野党アワミ党の集会だ。私が訪れた2週間後に,同じこの場所で集会中に手榴弾が投げられ爆発し,多数の死傷者が出たのだ。これに怒った人々が暴動を起こしたようだ。一歩間違えたら危なかった… 同じく,バングラデシュのこの港は立ち入り・撮影禁止だった。ミャンマー国境近くだったからなのだろうか? 交渉して入れてもらったが,門にはライフルを持った警備員?がいて,ずっと私の横についていた。('04年コックスバザール~テクナフ間) テクナフの町の横の貧しい集落。後ろと左側にライフルを持った兵士がいる。この辺りはブラックマーケットが広がっているということだが,兵士や警官は賄賂をもらって見逃しているという。イスラムの国では,飲酒は違法だ。酒など無い。しかし,裏では密輸で入ってくる。バングラ人の勧めで?裏ルートで隠れながらビールを買った。まるで犯罪者になったような気分だった。(外国人の飲酒は合法です。) 川向こうはミャンマーで,地元人は越境できる。私も賄賂を払えば特別に一時越境できると聞いたが,雨が激しく断念した。惜しかったな…('04年テクナフ) バングラ空軍の輸送機?('04年チッタゴン空港) ミャンマー(ビルマ)の兵士。交差点や各所に,ふつうにいる。撮影が見つかれば,デジカメ取り上げか最悪拘束だ。この画像は,某建物からの撮影なので,見つかる確率は低い。('08年ヤンゴン) 今度は,近距離撮影だ。ピンホールカメラでもスパイカメラでもない。ふつうのデジカメで一瞬だ。だから,ブレている。これは,命がけだったと言っても過言ではないだろう。('08年ヤンゴン) ヤンゴン環状線は,庶民の足だ。外国人は,めったに乗らない。多くの荷物を積み込む人がいるが,警官が賄賂をせびりにやって来る。つまり,悪質なかつあげだ。後ろ姿で見えないが,まさにお金を巻き上げていた。 フィリピン,マニラのリサール公園にある,リサール・モニュメント。この像を警官か兵士が警備している。ライフルを携えているのだ。これは,交代の式の時だ。 フィリピン海軍の施設周りには,いくつもの展示のようなものがある。 カンボジアのバッタンバン郊外の山の中に残っている。ポル・ポト政権時代の名残だ。ソ連製やったかな?('06年ワット・プノン・サンポー) これは,ベトナム戦争時のものだが,ミグ戦闘機だ。('07年ハノイ空軍博物館) 戦闘機の残骸。 これも,ベトナム戦争時の戦車。('06年ホーチミン戦争証跡博物館) 日本では,のんびりと?平和がどうやとか戦争がどうやと言っているが,海外の現実を見ると(と言っても,私が知らないもっと厳しい現実の国が多数あるが),う~ん…と考えてしまう。 じゃあ,在日米軍は??…ある意味必要とは思うが,日本は米の属国ではない!同盟国なら,もっと対等にしなければ…日本は,あまりにも弱腰である。米の横暴は目に余るものがある。難しいところだ… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/06/12
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