テントウムシの幼虫を発見。
蛹もありました。
見つけた場所は、花園中央公園の片隅にある桃の木。
虫は見るのも嫌いというお方はスルーして下さい。
幼虫の姿からはテントウムシのあの愛嬌のある可愛らしい姿は想像できない。何やら獰猛な生き物という感じである。動き回っているのは未だ若い幼虫。じっと動かなくなっているのは、間もなく蛹に変態するのであろう。
蛹になると、テントウムシの姿に近くなる。
成虫は盛んに動き回るので撮りにくい。カメラを近づけると葉の裏や枝の反対側に隠れてしまう。成虫を撮影するのは、気温が低い早朝がいいでしょう。気温が低いと虫は動き回ることができないから、じっとしている。
ナミテントウは最も普通に見られるテントウムシ。ナナホシテントウが赤地に七つの黒斑を持っているのに対して、ナミテントウは星のない無地のものから20個も星のあるものまで色々。地が黒で星が赤という反転タイプのものも居る。
ナナホシテントウが七つ星の模様の伝統的様式を頑なに守っている保守派なら、ナミテントウは自由主義者、好き勝手な模様の衣装をまとう革新派ということになる。
保守派も革新派も、そしてその成虫も幼虫も肉食派にて、アブラムシなどの小さな虫を捕食する。樹液や葉を齧る採食派は害虫ということになるが、この害虫を捕食する肉食派の虫は益虫ということになる。従って、テントウムシは益虫である。
子供の頃は、害虫は悪者で駆除されるのが当然、益虫は正義の味方で大切に守られるべきものと考えていたりもしましたが、益虫もその食料たる害虫が居なければ生きて行けない。正義は悪があることによってのみ存在し得るではないが益虫は害虫が居ることによって成立するのである。そもそも益虫・害虫も、この場合で言えば樹木や花や果物、野菜などを栽培する人間様の都合による分類に過ぎない。それぞれの虫がこの地上の生態系を維持する上でそれぞれの役割を担っているということであれば、ヒト様の都合でこれを攪乱してはいけないのである。
さて、このテントウムシたちが居た桃の木であるが、実が生っていました。
桃の実は邪を祓う霊力があると信じられていたのでしょう。イザナギが黄泉の国へイザナミを訪ねて行き、逃げ帰る際に、追いかけて来る鬼女に対して投げつけたのは桃の実であった。鬼退治をするのは桃太郎であって、栗太郎や柿太郎でないのも同じ理由である。
桃の実はその表面に無数の細かい毛がある。これは虫の侵入を防ぐという機能もあるのでしょう。万葉では「毛桃」と呼ばれてもいる。
わがやどの毛桃の下に月夜さし 下心よしうたてこの頃(万葉集巻10-1889)
(わが家の毛桃の下に月光がさして、何やら心の中が楽しい。益々この頃は)
一つだけ赤く色づいている実がありました。
自然に熟したものか、中に虫が侵入してまだその時でないのに赤くなってしまっているのかは、見ただけでは分からない。芳香を発しているのだろうか、蝿だか虻だか小さな虫がとまっている。
桃の木の近くに欅の木があった。
何気なく見上げると沢山の実。はてさてケヤキの実はこんなであったのだろうかと近付いてよく見ると、それは虫こぶでありました。
これは、ケヤキフシアブラムシの虫こぶである。一つ割ってみたが成虫も幼虫もいないもぬけの殻。白い綿毛のようなものがあるばかり。もう孵化して外の世界へ飛び立ったよう。
それにしてもすごい量の虫こぶ。何万匹のアブラムシが生まれたのでしょうか。丹念に探せばまだ虫がご在宅の虫こぶもあるのでしょうが、ゴマ粒よりも小さいアブラムシですから、撮影するのは困難。ブログの役には立つまいと「むしこぶ」割は3個で止めました。
アブラムシはテントウムシの食べ物。アブラムシが大量に発生するケヤキの木の傍らの桃の木にテントウムシの幼虫が沢山居るのも首肯できるというもの。
しかし、それなら何故このケヤキそのものにテントウムシの幼虫が居ないのだろう。ケヤキそのものに卵を産み付ければ、孵化した幼虫は食べ物に不自由しないだろうに、と思うのだが、テントウムシの孵化の時期とアブラムシが孵化して虫こぶから出て来る時期とが違っていて、うまくないのかも知れない。
それに、このケヤキフシアブラムシは虫こぶを出るとスグに他へ飛んで行ってしまい、ケヤキの木にとどまるということはしないのだろうから、餌場としてはむしろ不適切なのかも知れない。
葉の裏に産み付けられたアブラムシの卵が出す何らかの物質の作用で葉がこのように変形して虫こぶとなるようだが、ケヤキはケヤキフシアブラムシの言わば保育園みたいなものですな。
以上、銀輪虫散歩でありました。
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