不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2009/11/30
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カテゴリ: 日本旅行記
◇甲府方面へ戻る途中に鳥居があり寄ってみると 浅間神社 でした。
拝殿は、東向きに建てられていて、桁行7間、梁間3間の一重入母屋造で、正面中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮茸の上に銅版を被せている。
正面を意識した美しい造りの平安時代の建築で、いかにも甲斐第一宮としての格式にふさわしい拝殿といえる。

雰囲気はある所でした。
それほど、これって思える物はなかったですね。
信玄縁のある所ではあるらしいですけど、書物だけみたいでした。

帰り際に 甲斐国分尼寺跡 (かいこくぶにじあと)の看板があるのでよりました。
741年、聖武天皇は全国に国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。
国分尼寺は女性のためのお寺で、聖武天皇の后であった光明皇后の希望によって建てられました。

数台停めれる駐車場がありました。
説明看板と礎石があるだけです。
金堂と講堂の跡だけしかわかったないみたいです。
国分尼寺の跡は初めてですね。
全国と書かれていますが、あまり聞きませんでしたね。
訪れている人が一人いました(笑)。

甲斐五山の一つの菩提寺があるので、最後に 法泉寺 へ訪れました。
南北朝時代の初期に、武田氏中興の祖といわれる甲斐国守護武田信武が開基となり、月船周勲がその師である夢窓国師を開山に迎えて建てたのが法泉禅寺です。
信武の死後は、その菩提寺になりました。
武田信玄は、先祖ゆかりの法泉寺を甲府五山のひとつに加え、手厚く保護を与えて境内の整備を行いました。
勝頼とその子信勝は天目山で自害し、その首は京都に送られて四条河原にさらされました。
武田家より厚い帰依を受けていた京都妙心寺の南北和尚は、この首をもらい受けて、同寺にある信玄の墓の脇に手厚く埋葬しました。
この時、法泉寺の僧が同席しており、勝頼父子の歯髪をもらい請け、法泉寺へ持ち帰り葬りました。
勝頼は生前に墓所を定めていなかったため、徳川家康は本寺を勝頼の菩提寺と定めるとおもに、快岳和尚を中興開山に位置づけたと伝えられています。

少し山沿いの住宅街にあります。
駐車場もありました。
境内の少し入った所に「勝頼の墓」があります。
説明看板が何箇所かあります。
首の持ち帰った経緯は、二通り書かれていました。
夕暮れ時でしたので、早めに帰りました。
山梨l1法泉寺

甲府駅に戻りレンタカーを返却しました。
信玄像のライトアップを見て、信玄そば?を駅で食べて宿へ移動しました。
山梨旅行は、これで終わります

●今回の旅行で訪れた所
2009夏旅行3静岡&奈良
2009夏旅行2山梨
2009夏旅行1 静岡へ

2009夏旅行2山梨 で訪れた所
山梨旅行(一)信玄像
山梨旅行(二)武田神社
山梨旅行(三)武田信玄公御墓所
山梨旅行(四)大泉寺
山梨旅行(五)甲府五山
山梨旅行(六)甲斐善光寺
山梨旅行(七)清白寺
山梨旅行(八)大善寺
山梨旅行(九)景徳院
山梨旅行(十)祝橋
山梨旅行(終)は、このページです





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Last updated  2009/11/30 09:16:10 PM
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