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ヒルタ島の南端部。その先端の崖。で、これはその先端の先にあるダン島。左奥の水平線にも別の海食柱が見えていますね。スタック・レヴェニッシュ(Stac Levenish)です。さあ、そろそろ帰る時間です。船はスカイ島へと目指して帰路に就きます。さようなら、セント・キルダ。(続く)
2024.07.31
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午後3時半ごろ。再びライフジャケットを装着して、桟橋からゴムボートで船に乗り込みます。その桟橋からの風景。こちらはその桟橋。離れたところに浮かんでいるのが、目指す船です。やはり2回にわけて、乗り込みました。大型のクルーズ船も停泊していますね。大型のクルーズ船に乗って上陸する観光客もいれば、スカイ島からではなく、ハリス島やユーイグ島からセント・キルダに来る人もいます。スカイ島からは4時間ですが、ハリス島やユーイグ島からだと、2時間半くらいです。ただし、ハリス島やユーイグ島に行くのに、スカイ島から1時間半かかります。旅の日程に合わせて、どの港から出航するか決められるといいと思います。船に乗り換えて、出発。上陸に使ったゴムボートは船尾にくくりつけられています。スカイ島に帰る前に向かったのは、こちら。ヒルダ島に隣接するダン島です。(続く)
2024.07.30
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余りにも暑くて、ちょっとお休みしておりました。さて、セント・キルダ の滞在時間も残り少なくなってきましたが、ちょうどナショナルトラストの現地ガイドで働く人の中で、親戚がセント¥・キルダに暮らしていたという地元の女性がおりました。時間もまだあったので、ちょっと話を聞いてみました。彼女自身はセント・キルダの生まれではありませんが、彼女の祖父母が最後の住民としてこの島に残っていたそうです。ながらくセント・キルダとは無縁の生活をしていましたが、定年退職した後、ガイドを募集していることを知って応募したところ、採用されたのだといいます。ですから、博物館の資料写真を見ると、当時暮らしていた多くの人と面識があり、懐かしく思い出されたと話していました。また、彼女の旦那さんがマールボロ大学出身らしく、キャンパス内にあるマーリンの丘について話が盛り上がりました。コナチェアの山頂に雲がかかっていますね。それにしても本当によく晴れています。後はゆっくりと、ボートの出港時間を待つことにしました。(続く)
2024.07.29
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羊の王国には若い世代が育っています。王国ですから、誰か人間が管理して育てているわけではなく、羊は野生のまま育っています。そして、こちらには・・・左奥に大砲があるのが見えます。第一次世界大戦の際に、島がドイツの潜水艦に攻撃されたことから設置されたと書かれていました。ダン島のほうに砲身が向けられていますが、一度も軍事利用されたことはなかったそうです。第一次世界大戦後、よりよい暮らしを求めて若い男性のほとんどが島を去り、残った男性も4名が1926年にインフルエンザで亡くなるなど、島民は1928年には37人に激減します。そして、先に紹介したメアリー・キリーズさんが1930年に病死したことをきっかけにして、残された36人も1930年8月29日にスコットランド本島に避難することになったとのことです。村の全景。現在は、ミサイルレーダー基地を維持するために、軍事関係者が常駐している以外は、この島を寄贈されたナショナルトラストのガイドら自然保護関係者が春から秋にかけて暮らしているだけとなっています。(続く)
2024.07.27
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ヒルタ島の人間の居住区の風景。こうして並んだ一軒一軒にそれぞれの歴史が刻まれているわけですね。そのうち一軒が博物館に改装され、村の歴史を知る貴重な資料を展示しておりました。こちらは人間の居住区から見た羊の王国の風景。19世紀に観光と宗教で脚光を浴びるようになったセント・キルダは、第一次世界s大戦中にイギリス海軍の信号所が設置されました。上の写真は、現在の島で働く人たちの居住棟です。(続く)
2024.07.26
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それにしても、見事に晴れ渡りました。この辺りでこれほど晴れ渡るのは、本当に珍しいことです。上の写真の説明をすると、中央をくの字型に走っている構造物は、人間の居住区と羊の王国の境となる石壁です。そしてその石壁に平行して右にくの字型に並んでいるのが、人間の居住区の住居跡です。まだ1時間半くらい時間があったので、住居跡や村の博物館を見学することにしました。住居跡の一軒一軒には表札が立っております。「No.15」 「Anne Cillies(アン・キリーズ)」「+son John(息子ジョン)」「+grandson Norman(孫ノーマン)」番「From No.10(10番から)」「1930」と書かれています。「アン・キリーズが10番から引っ越してきた息子ジョンと孫のノーマンと共に1930年まで暮らしてい」という意味だということが後でわかります。その住居跡の日陰でのんびりしている現在の居住者。こちらはNo.11の住居跡。クリスティーン・マックイーンさんが1930年まで暮らしていたと書かれています。次はアン・キリーズさんの息子ジョンが引っ越す前に暮らしていた10番。1930年当時はだれも住んでいなかった。ジョンとメアリー(1930年に死去)・キリーズが息子ノーマンと暮らしていた。メアリーが亡くなった後、15番へ引っ越した。と書いてあります。家の一つ一つに歴史があるわけですね。セント・キルダには約2000年間にわたって人が住み続け、多いときは200人近くの人が暮らしていたとされていますが、1851 年以降は人口も100人を切り、1930年には4島(ヒルタ、ソアイ、ダン、ボアレイ)のうち唯一の有人島であったヒルタから住民全体が避難しました。どうしてそうなったかいついては、次回以降に説明します。(続く)
2024.07.24
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最高峰のコナチェアを右手にみながら、島の北西方向に進みます。上り坂なのでちょっとしんどいですが、その代わり見晴らしはよくなります。遠くにギャップが見えますね。最高峰のコナチェア。山裾まで来ると、見上げるような急峻な山であることがわかります。そこからの風景。遠くに村を見下ろします。人間の居住区は本当に小さいことがよくわかります。(続く)
2024.07.22
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村の教会です。この礼拝堂の隣の部屋は無人の売店になっていて、Tシャツやマグなどのお土産物を購入することができます。私たちは記念にポロシャツを購入しました。島のトイレも教会に隣接した場所にあります。教会がまさに村の中心というわけですね。再び外に出ます。かなり晴れ上がってきましたね。正面の山が最高峰のコナチェアです。こちらは風向計。風の強さと方角を測ることによって、上陸や着陸が可能かどうかを判断するのだそうです。島の西の方にも足を延ばします。青空が広がっていますね。左奥の山がオイスヴァルです。こちらはそのオイスヴァル(右)とコナチェア(左端)に挟まれたギャップ。遠くに見える窪みのところが、先に訪れたギャップです。(続く)
2024.07.21
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遅れましたが、これがヒルタ島の全景地図写真です。①The Village(村)のそばのJetty(船着き場)から上陸して、右上の②Th Gapに行って村に戻ってきたわけです。それで大体2時間。あとの2時間は村を探索することにしました。人間の居住区の建物の影で休む羊たち。そしてこちらは・・・私たちが乗ってきたボートを見張ってくれている羊。・・・ではなくて、ただ草を食べている羊ですね。親子の羊でした。(続く)
2024.07.20
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ここが人間の居住区と羊の居住区の境界です。手前が羊の王国。そしてこのゲートを通ると・・・人間の居住区に入ります。こちらが人間が住む家です。こちらが羊が暮らす家。・・・と、明確にわけられていた時代もあったのかもしれませんが、今では人間はほとんど住んでおらず、人間の居住区にも羊が暮らしています。境界は消え去ったことになりますね。(続く)
2024.07.18
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ギャップから見た風景です。ちょっと右へ回り込んだら、ボアレイ島だけでなく、海食柱もよく見えてきました。手前にスタック・リー、左奥にスタック・アン・アーミンが見えています。右手方向にはオイスヴァルの崖。米粒のような大きさですが、崖のそばを歩いている人がいますね。しばらく豪快な景色を楽しんだ後、再び今来た道を戻って、人間の居住区に戻ることにしました。今度はひたすら下りです。居住区が見えてきました。ここまでが、お昼の休憩時間を入れて上陸してから2時間弱くらいでしょうか。多分午後1時頃になっていたと思います。(続く)
2024.07.17
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随分高い所まで登ってきました。もう人間の居住区も見えませんね。登って行くと、左手には最高峰のコナチェアが見えます。山頂はちょっと霧の中です。そして、右手にはオイスヴァル。その二つの峰に挟まれたギャップに到着。やはり縁には怖くて近づけません。その崖の向こうには・・・船で訪れたボアレイ島が見えていました。(続く)
2024.07.16
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羊の王国をさらに登って、ここまで到着しました。30分は登ったと思いますが、見晴らしがよくなってきました。そこで水分補給も兼ねて、ここで持参したお昼をとることにします。。座りやすい岩を見つけて、そこに腰掛けます。そこからの風景はこちら。眼下に見える、石壁の囲いは、まるで幾何学模様のようでした。 ハートマークにもみますね。ここで、すでに崖の上まで言ってきたという、別の船の二人組に出会います。上は、ここよりもはるかに見晴らしがよいようです。ただし崖の際まではいかない方がいいと、言っていました。その二人は、私たちが登って来た道を降りてゆきます。その時の写真。このとき取ったお昼は確か、スムージーかなにかとフルーツバー、ビスケットくらいだったと思います。紅茶も作ってペットボトルに入れておりました。正午を30分すぎたころだったでしょうか。上を目指して出発します。(続く)
2024.07.15
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羊の居住区をさらに上へと進みます。羊の王国にお邪魔している感じです。人間の居住区を見下ろすと・・・下々の人間が暮らす村がはるか下の方に見えますね。「羊の王宮跡」に到着。開けた場所にありますね。正面が、コナチェアとオイスヴァルに挟まれたギャップ(裂け目)という場所です。その場所を目指します。まだまだ遠くの方にあります。振り向くと・・・台地の奥まで来ていたので、人間の居住区が見えなくなっておりました。湾とダン島が辛うじて見えています。(続く)
2024.07.14
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気配を感じたのか、写真を撮っていたらこちらを向いてくれました。コアラ顔の羊君。この石垣は、人の居住区と羊の居住区をわけているようです。もちろん、手前が羊の居住区。左奥がダン島。ここまで登ると、ヒルタ島との間に隙間があることがわかりますね。上の写真では、右側が羊の居住区です。羊の居住区の写真がこちら。羊小屋。雨風をしのぐ避難小屋みたいなものですね。(続く)
2024.07.13
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ヒルタ島を歩くと、すぐに遭遇するのが羊たちです。非常に古い種類の羊で、新石器時代のソアイ種の生き残りなのだそうです。その中で私の目を引いたのは、上の写真の左下の岩で休んでいる子羊君。一見すると、コアラのように見えます。拡大すると・・・i 色も佇まいも、まるでコアラです。遠い昔にはかなり近い種同士だったのかもしれませんね。羊小屋もあります。みな、のんびりと草を食んでおりました。私は見分けられませんでしたが、鉄器時代のボーレー種の生き残りも混在しているようです。(続く)
2024.07.12
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セント・キルダ最大の島、ヒルタ島に上陸したのは、たぶん午前11時すぎくらいです。を島に暮らす学芸員から簡単な説明を受けた後、自由行動となりました。滞在時間は約4時間。もらった地図を参考にして、探索します。どうやらこの昔の集落跡をすり抜けてゆくと、見晴らしの良い場所に行くことが出来そうですひたすら登って、開けた場所で簡単なお昼を取ることにしました。(続く)
2024.07.11
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オイスヴァルを西に回り込むと港が見えてきます。左の裾の先にあるのがボートの発着場です。オイスヴァルの左奥には、コナチェアがそびえています。ネズミ対策上、船から直接上陸することは禁じられていますから、ゴムボートに乗り換えてヒルタ島に上陸します。第一陣はこちら。ガイドを除く乗客は全部12人ですから、二回にわけて上陸するわけです。同様にして、第二陣としてゴムボートに乗り込んで、無事に上陸。陸からの湾の風景です。左端に見えるのが、ヒルタ島に隣接するダン島です。こちらがヒルタ島の風景。正面奥に見えるのが、最高峰(標高430メートル)のコナチェアです。(続く)
2024.07.10
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ミナ・スタックとヒルタ島の間の狭い海峡を通り過ぎた後の写真。ちょっと離れただけで、海食柱とヒルタ島は一体化して見えます。上を見上げると・・・そこもやはりヒルタ島の絶壁。セント・キルダ全体の最高峰(標高430メートル)であるコナチェア(Conachair)の崖です。イギリスで最も高い海食崖だそうです。この岸壁に沿ってヒルタ島の南に進みます。l右端に見える半島のように見える部分はミナ・スタックです。完全に島と一体化していますね。やがて島の南東にあるオイスヴァル(Oieval)という峰(標高290メートル)が見えてきます。この峰を回り込むと、ヒルタ島に上陸できる湾が見えてきます。(続く)
2024.07.09
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目の前に出現した海食柱ミナ・スタック。船はこの柱にどんどん近づいていきます。上陸を拒むような岸壁です。見上げると・・・垂直の崖がそびえたっています。その崖を通り過ぎると・・・遠くにボアレイ島がみえています。間近で見る海食柱の絶景でした。で、ボートがどのようなルートを通ったかがわかるのが、こちらの写真。中央がミナ・スタック。そのミナ・スタックの左にある狭い海路をすりぬけて来ました。結構、スリルがありました。海が静かだからできた芸当で、私たちはとてもラッキーでした。(続く)
2024.07.08
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セント・キルダの最も大きい島ヒルタの岸壁です。崖の下にはいくつかの洞窟があり、やはりアシカたちの住処になっているようでした。波間のところどころにアシカが顔をだしておりました。崖の下には洞窟が見えますね。振り返ると・・・いちばん奥にソアイ島が見えています。そして進行方向を見ると・・・別のスタック(海食柱)が見えてきました。中央の島です。右の崖がヒルタ島。ちなみに奥に見えるのが、10分ほど前まで見学していたボアレイ島とふたつのスタック(海食柱)です。目の前にヒルタ島のスタックが見えてきました。大きいですね。ミナ・スタック(Mina Stac)です。(続く)
2024.07.06
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海食柱の集合写真。スタック・リー(中央)、スタック・アン・アーミン(左)。奥には右からソアイ島、ヒルタ島、ダン島が見えています。ここから、ボアレイ島に沿って南西に進路をとり、ヒルタ島に向かいます。スタック・アン・アーミン(左)とボアレイ島の岸壁(右)が見えます。.途中、ボアレイ島のアシカの洞窟を見学。奥にアシカが寝ているのが見えました。ほどなく、ヒルタ島の北西沖にそびえるソアイ島に到着。相変わらず、頂上は霧の中です。そしてこちらがヒルタ島。セント・キルダで一番大きな島です。(続く)
2024.07.05
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南から見たスタック・アン・アーミン。ナイフのように切り立った崖の島という感じですね。その次に向かったのは、スタック・リー。お結びのような形の島です。その奥がヒルタ島。左の島がボアレイ島。船が揺れるので、水面が傾いています。空を見上げると・・・そこには無数の海鳥が舞っています。スタック・リーとボアレイ島の間に、ヒルタ島に隣接するダン島が見えています。スタック・リーのそばに到着。高さ172メートルの海食柱です。まるでタケノコの皮のようにユニークな構造をもっているように見えます。(続く)
2024.07.04
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梅雨の晴れ間に散歩。紫陽花と田んぼがきれいでした。多分明日から再びスコットランドの旅ログを再開します。
2024.07.03
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セント・キルダの島々の形を紹介しましょう。ボアレイ島を北から見た形。そのボアレイの北端の目と鼻の先にあるスタック・アン・アーミン。高さ196メートルの海食柱です。このような針のような島にも、コロニーがあります。昨日紹介したウミガラスのコロニーですね。そして、ボアレイ島のすぐ西にあるもう一つの海食柱がこちら。スタック・リー。その奥がヒルタ島です。そのヒルタ島の北西(上の写真でいうと右端の彼方)にあるのが、霧に包まれることが多いソアイ島。写真中央。左の島はヒルタ島の北西端部分。この日も、ソアイ島の頂上は霧に覆われておりました。(続く)
2024.07.01
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ボアレイ島の続きです。こちらにも海鳥のコロニーがありますね。どの海鳥かがわかるように、拡大してみましょう。色や模様はペンギンに似ていますが、Guillemotと呼ばれている鳥です。邦名だとウミガラス。パフィンと同じウミスズメ科の海鳥です。次はアザラシがよく休んでいる洞窟。 奥にそれらき影が見えましたが、写真には撮れませんでした。肉眼では泳いでいるアザラシや陸地で休んでいるアザラシを何度か目撃しました。急峻な崖が続きます。そして、島の北東の端を過ぎると・・・地図でいうところの18と17が見えてきます。18が右の三角形の島で、Stac an Amin (スタック・アン・アーミン)。 中央奥の五角形の島が Stac Lee(スタック・リー)です。そして、さらにその奥には、右から15のSoay、上陸する予定の 13のHirta、それに隣接する 14のDunが見えています。ちなみにスタックとは、海食柱(海によって岩盤が侵食されて形成された、急峻な斜面を持つ柱のような形状の岩)のことです。(続く)
2024.06.30
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この日は本当に恵まれていて、湾を出た外海でもとても静かで、快適でした。ガイドの人も、「こんな日は滅多にない」と話していました。出港して3時間ほど経ったころでしょうか。水平線にセント・キルダがみえてきました。うっすらと島影が見えます。それから30分ほど進むと、もっとはっきりしてきます。最初に向かったのは、セント・キルダの一番東にあるボアレイ(Boreray)です。 見づらいとおもいますが、下の地図の丸く囲った中の一番右にある16番の島です。非常に急峻な島です。シロカツオドリの生息地としても知られています。たくさん休んでいますね。みんなシロカツオドリです。(続く)
2024.06.29
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5月21日早朝。集合時間より10分早い午前6時40分には集合場所に到着しましたが、すでに7人ほど先着者がおり、説明を受けておりました。ここで、このツアーについて説明しておきましょう。スカイ島のステインから出航するツアーで、定員はわずか12名です。ほかに船の操縦士とガイドがいて、総勢14人がすでにご紹介した船に乗り込みます。ハリス島とユーイスト島のi間を通り抜けて片道4時間。セント・キルダに到着して、島い4時間滞在して、その後、周りの島々をめぐりながら、4時間かけてスカイ島に戻ってきます。つまり12時間のツアーです。もらったパンフレットの一部をご紹介しましょう。赤い点線がボートの航路。右の島がスカイ島で、ハリス島のそばを通って、その西のかなたにあるセント・キルダへのルートが描かれています。全員ライフジャケットを着用して乗船。船の簡単な説明を受けて、午前7時には出航しました。スカイ島に朝日が当たって綺麗です。水しぶきに虹が架かっていますね。スカイ島を後にします。船の中からの風景。左の方がガイドさんですね。いろいろ丁寧に教えてくれました。操縦しているのは、地元スカイ島出身だと話しておりました。 甥っ子にちょっと似ておりました。(続く)
2024.06.28
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翌日のセント・キルダへの一日冒険旅行の前に、もう一カ所だけ行くところがありました。何しろ、食料は自分で調達しなければならないうえ、午後7時ごろに戻ってきた後の夕食のことも考えておかなければならないからです。そこで、ステインの船着き場からもっとも近い町であるダンベガンで、翌日夕飯がとることができるかどうかをチェックしに行きました。ここがダンベガンの町の入り口。ダンベガン城で有名な町です。スカイ島を支配していた一族であるマクラウド家の居城として13世紀ごろに建造されたお城です。そのお城へは、初めてスカイ島を訪れた2010年に一度だけ訪れた記憶があります。ジーパンを履いて入場したら、「なんでそのような労働者の作業着を着ているのか」と、目に見えないおばあちゃんに怒られたことを覚えています。マクラウド家とは前世で関係があった可能性があるようです。このような入り江のある町です。駐車した車には、猫が涼みにきておりました。レストランが何軒かあり、午後9時くらいまでやっていることを確認。翌日はここで夕食をとることに決めました。(続く)
2024.06.27
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再びスコットランドの旅ログです。5月21日に訪れた絶海の孤島とはこちらです。セント・キルダ。イギリスの世界遺産になっている島ですね。上の写真は前日(20日)、ポートレーの町の本屋で購入した島のガイドブックの表紙です。まさに絶海の孤島。その本屋の店主も昨年、セント・キルダに行ったと話していました。21日は、スカイ島のステインという波止場から、片道4時間かけてこの島に上陸することになっています。集合時間が午前6時50分と早いので、道を間違えないように前日に下見に行くことにしました。ここがそのステイン。宿屋も並んでいます。ここがボートの発着場である桟橋。 沖合に泊めてあるボートに乗ってゆくわけです。これがそのボート。果たしてどのような冒険の旅が待ち受けているのでしょうか。(続く)
2024.06.26
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23,24の両日、秋山氏の呼びかけに応じてUFOを呼んでみましたが、今回は一枚もUFOと思われる写真は撮れませんでした。その代わり撮れたのは、こちら。何とも鮮やかな夕焼けでした。24日の午後7時15分ごろです。富士山もこのようになっておりました。頂上に傘雲がかかっていましたね。 そして24日夜のUFO観測で撮影した写真がこちら。満月から二日ほどたった月です。発売日にあわせて、美しいものをみせてもらいました。
2024.06.25
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今日は見事に梅雨の晴れ間が広がっておりました。まるで梅雨明けの真夏日のような日差し。ところで、新刊『万物の霊性と共鳴する日本人の呪力』は、大きい書店では本日辺りから書店に並んでいるようです。明日には全国の書店で発売の予定です。そして秋山氏のイベント企画では、23,24日の夜10時から翌午前2時まで、UFO記念日に合わせてUFOを呼ぼうと呼びかけていますね。是非、ご参加ください。詳しくはこちら。
2024.06.24
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今日はスコットランドの旅ログはお休み。梅雨入りしたこともあり、紫陽花の写真をご紹介します。全部ガクアジサイですね。それぞれ名前がついていますが、忘れました。本当にいろいろな園芸種がありますね。今日は梅雨の季節の花をご紹介しました。
2024.06.23
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5月20日。この日は、オーバンから北上し、カイル・オブ・ロハルシュ(Kyle of Lochash)の大橋を渡って、スカイ島に上陸。この島には二泊します。スカイ島では、北東部にあるポートリ(Portree))という町で、食料を調達します。これがポートリーの街中。港に近い町で、高台からは海が見えます。ここで食料を調達したのは、実は翌日の「絶海の孤島ツアー」のためのお弁当の材料を買い込むためでした。孤島では飲料水を含め食料品は手に入らないからです。宿泊先のチェックイン時間にはまだ時間があったので、二日後にフェリーに乗る予定の港まで足を伸ばします。岬の中ほどに見えるのが、スカイ島の北の港ユーイグ(Uig)です。綺麗な緑と青ですね。右端に見えているのが、港です。(続く)
2024.06.22
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オーバンは大きな港町で、面白いお店がたくさん並んでいます。そこで2時間くらいショッピングを楽しんでいたら、結構つかれてしまい、ゲストハウスに戻ってからは部屋でのんびりすることにしました。窓から見える風景を観賞。上の写真はたぶん午後5時半ごろです。次は午後9時15分ごろ。ようやく日が陰ってきましたね。午後9時45分。ようやく夕暮れ時になりました。そして、朝です。午前5時半ごろですね。それから1時間たった午前6時半ごろ。もうすっかり昼間のように明るくなっておりました。5月のイギリスは、いつもこのように昼間が長いわけです。(続く)
2024.06.21
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キンタイア半島に到着。この半島の先端にあるキンタイア岬(Mull of kintyre)は、1977年にウィングス名義でリリースされたポール・マッカートニーの曲「Mull of kintyre (夢の旅人)」でよく知られていますね。Mull of kintyre Oh mist rolling in from the sea, My desire is always to be here Oh mull of kintyre当時ポールの農場があったそうです。旅に疲れたら、いつでも帰りたくなるような魂の故郷というような意味でしょうか。スコティッシュ・ワルツ風で、バグパイプも登場します。今回もそちらの方に寄っている時間はなくて、ひたすらこの日の目的地であるオーバンに車を走らせました。島から半島に渡ったのは、そのほうがアードロサンに戻るより、時間を大幅に節約できるからです。90分ほどのドライブで、目的地のオーバンに到着。オーバンの街中です。港の風景。 以前、ここからマル島にわたったこともありました。地図の右側側にある赤い点がオーバン港。中央の大きな島がマル島です。これは以前オーバンで泊まったホテル。海に面したホテルでなかなかした。しかし今回は、高台のゲストハウスに宿泊しました。そこからのオーバン港の風景がこちら。見晴らしのいいゲストハウスでした。(続く)
2024.06.20
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そうこうしているうちに、フェリーがロクランザの港に入ってきました。最初のころは緊張しましたが、しょっちゅうフェリーに乗り込んでいますから、ずいぶん慣れてきました。乗り込むとすぐに出航。といっても対岸のキンタイア半島は見えています。すぐそこですね。30分で対岸に到着します。上の写真では、左がアラン島で、右がキンタイア半島です。船から南を見ています。海峡の名は、キルブラナン海峡(Kilbrannan Sound)。間もなくキンタイア半島に上陸します。(続く)
2024.06.19
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向かった港は、アラン島に来るときに使ったブロディックの港ではなく、北のはずれにあるロクランザの港です。アラン島の北側は初めてだったのですが、自然が豊かできれいなところでした。45分ほどのドライブで、ロクランザに到着。フェリーの出発時間(午前10時45分)までにはまだ一時間以上あります。すでに先着の車が4台ほどあったので、その後ろに駐車します。時間があるので、車を置いてロクランザを散策。のんびりした小さな港町です。ロクランザ城。元々は13世紀に建造されたお城で、王家の狩りのための宿泊所だったとか。残存している建物は16世紀のものだと書かれています。港には小さいボート用の桟橋もあります。湾の対岸から来た老夫婦が、ボートで戻って行きます。「スコットランはいつもこんな天気だよ」と冗談を言っておりました。すぐそばには、マガモ君が泳いでおりました。(続く)
2024.06.18
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5月19日。窓から見た朝の風景。海岸には犬の散歩をしている人が見えます。曇っていますが、まずまずの天気ですね。雲間から日が差し込んできました。出発する前にちょっと散歩をします。すると、すっかり晴れてきました。 赤い縁取りの屋根の建物が、宿泊したゲストハウスです。白い車が借りたレンタカー。田舎では路上に駐車します。この日は移動日です。アラン島からキンタイア半島にフェリーでわたり、北のオーバンという港町を目指します。(続く)
2024.06.17
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アラン島に着いたのが午後1時半で、オウケンカールの立石とマクリー・ムーアの巨石群を見たら、もう午後3時半か4時ごろになっていたと思います。この時間から次にどこの遺跡に向かうかです。事前に下調べしてあった巨石群は、次のように地図に書き込んでおきました。本当は、最近ほぼ完ぺきな形で見つかった、西海岸のドラマドゥーンの遺跡群もみたかったのですが、この時間からでは行っている余裕はなさそうです。大幅に割愛して、島の南東の遺跡群を目指しました。その途中で立ち寄ったのが、この立石。キルドナンの立石(Kildonan standing stone)です。お結びというか、三角形の立石ですね。なぜこのような形になっているかというと、その答えは、上の写真の中央の水平線にあります。三角形の島が見えますよね。おそらくこの島の形を模したのだと思われます。富士山を模した富士塚のようなものですね。アルサクレイグ島(Ailsa Craig)という名前の、自動灯台のある無人島で、カーリングで使用されるストーンの原材料・ブルーホーン花崗岩は、この島で採石されるそうです。再び東海岸に戻ってくると、ホーリー島が現れます。この日はこの島が見える海岸のゲストハウスに宿泊しました。部屋からは目の前に海が見えます。(続く)
2024.06.16
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駐車場への帰り道。違った角度から写真を撮ります。他の訪問客が寝そべってくつろいでいる様子と巨石。こちらは立石の前で調べている観光客。そしてこちらは、行きには気づかなかった、道標としての立石。r写真中央、丘の上に立っています。おそらくこれが7号基と呼ばれている立石で、5号基と10号基を結ぶ線の中間に立っています。最後に、行くときには気づかなかった8号基。ちょっと南に外れたところにありますが、5号基や7号基とセットになっているように思われました。駐車場から、最東部にあるマクリー・ムーア巨石群の11号基までが約2キロ。ですから往復4キロとなり、ゆっくり歩くと1時間かかる計算ですね。もちろん途中、写真をとったり、調べたりしながら歩くわけですから、90分以上歩き回っていたことになります。ここだけで約1万歩は歩いたように思われます。この日はほかいも歩き回ったので、後で歩数計を見ると2万歩を超えておりました。(続く)
2024.06.15
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昨日、新刊『万物の霊性と共鳴する日本人の呪力』(河出書房新社)の見本が送られてきました。14日に届いたということは、13日にはもう出来上がっていたということですね。昨日は早速、秋山氏がYouTube「新刊紹介・日本人の呪力」で紹介しておりました。約100冊分の本の情報と、秋山氏の体験と哲学が詰まっていますから、かなり読みごたえのある本になっていると思います。是非、お手に取ってお読みください。発売は今月25日の予定です。
2024.06.15
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この日は本当によく晴れて、空はすごく青く見えました。この遺跡から見える場所にも、別のストーンサークルがあります。マクリー・ムーア1号です。で、この1号基の左奥に見えるのが、11号です。これがその11号基。遠くの山もよく見えますね。世界中、どこでも同じですが、高い山と山を結んだ場所には宇宙のパワーが宿ります。つまりパワースポットができるわけです。こうしたストーンサークルは、そのパワーの増幅器のようなものです。もちろんカレンダーの役割も果たし、同時に季節ごとの祭祀場として使われていたと思われます。そして、どの方角にどの山があり、どのように進めばいいかを示す地図および道路標識でもあったわけですね。ストーンサークルは、非常に役に立つ世界共通の多目的巨石建造物といえるのではないでしょうか。(続く)
2024.06.14
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マクリー・ムーアの5番から見えた立石はこちらです。マクリー・ムーア3番の立石です。高さは高さは4・3メートルもあります。元々は9つの立石からなるストーンサークルだったのですが、立っているのはこの一本だけ。幾筋もの縦の溝が彫られていることがわかりますね。この溝に水を流すことによって、大地に雷を誘導したのではないかとの説もあります。この場所からも次の巨石遺構を見渡すことができます。こちらは、マクリー・ムーア2番のストーンサークル。元々は7本か8本からなるストーンサークルだったとされていますが、現在は三本の立石しか残っていません。三本以外は、上の写真のように、根元の残骸だけが残っています。(続く)
2024.06.13
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駐車場のある場所から1キロ弱ほど歩くと、目の前に現れるのがこちらのストーンサークルです。マクリー・ムーアの5番のストーンサークルです。遠くに見える山が、標高512メートルの「Ard Bheinn(アルド・ベイン)」。ほぼ真東にある山です。春分や秋分の日にはここから太陽が昇るわけです。しかも、あの山の向こうにホーリー島があります。このサークルにはいくつか面白い石があります。自然に十字にひびが入ったのかもしれませんが、もしかしたら春分・秋分の日の出方向を示した「方位石」あるいは「カレンダー石」です。上の写真の「方位石」の右手前の石は、伝説の巨人戦士フィンガルが巨大な愛犬ブランを繋いでいたといわれる穴が彫られた石とされ、このストーンサークルの別名「フィンガルの大かまど台座石」の由来となとなっています。アラン島の名物ウィスキー「マクリー・ムーア シングルモルト」のデザインには愛犬ブランが描かれているとか。このサークルからは、他の巨石群を見渡せるようになっています。こちらの方角(北東)には、立石の間から遠くに別の立石が見えています。そちらに向かってゆきましょう。(続く)
2024.06.12
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マクリー・ムーアの巨石群の散策コースで、最初に出てくる遺跡はこちらの遺跡です。Moss Farm Road (モス・ファーム・ロード)と書かれています。ここにはかつて直径23メートルほどのストーンサークルに囲まれた墳墓(ケアン)がありました。4000年前の墳墓とみられていますが、石を利用するため破壊されてしまったようです。その後再建されて、辛うじてストーンサークルの痕跡が再現されました。「マクリー・ムーアのサークル10」とも呼ばれています。それではメインの巨石群に向かいましょう。まだまだ先にあります。黄色く甘い香りのするゴースがきれいに咲いておりました。(続く)
2024.06.11
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オウケンカールの立石の後は、以前にも立ち寄ったマクリー・ムーアの巨石群を見に行きました。車を駐車場に止めて、ゲートを超えて「羊の王国」に入っていきます。どこまでも羊の牧草地。そこを永延と歩きます。振り返ると、遠くにキンタイア半島が見えています。アップダウンが比較的少ないので、ハイキングや犬の散歩コースになっています。(続く)
2024.06.10
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ホーリー島の話でしたね。この島は長らく、癒しの泉が湧き出る聖なる場所であるとみなされてきたそうです。6~7世紀にこの島で暮らしていたとされる聖モレーズの洞窟もあり、13世紀の修道院の跡もあります。16世以降、何度か所有者が変わりましたが、1992年に熱心なカトリック教徒だったケイ・モリスが夢のお告げで、チベット仏教徒(ラマ教徒)に譲るように促され、比較的安値で売却したとのことです。今では観光客が訪れる人口30人ほどの島として知られています。同じラマ教徒で知られるリチャード・ギアも時々、島を訪問するのだと、アラン島の人が話していました。アラン島に到着して最初に向かったのは、港の反対側の西海岸。車を止めます。今回は白のアウディでした。アラン島の西海岸。遠くにキンタイヤ―半島が見えます。のどかな風景が広がっております。最初の目的地はこちら。オウケンカールの立石です。日差しが強いので立石の日陰で羊が休んでいますね。のんびりしていいい感じです。(続く)
2024.06.09
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旅行中、すっかり秋山氏と夢の設計社に校正をお願いしてあったのですが、結局私も帰国後に最終校正に参加。ゲラ校を受け取らず、メールだけのやり取りで13カ所直してもらいました。これで終了。印刷所にもう持っていったそうですから、来週後半には見本が出来上がるのではないでしょうか。写真はアラン島の風景。羊のいるのどかな風景ですね。明日からまたスコットランドの旅のブログを再開します。
2024.06.08
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北緯55度ーーこの緯度上には、面白いことに二つのホーリー・アイランド(聖なる島)があります。一つは巡礼地として観光名所になっているイングランド北部の東海岸二キロ沖にある島。別名リンディスファーン島で北緯55度40分にあります。もう一つは、スコットランドの西海岸クライド湾にあるアラン島のラムラッシュ湾の中にある島で、北緯55度32分にあります。イギリス北部の東と西をまるで門番のように、二つの聖なる島でガードしているわけですね。その西の聖なる島が、昨日紹介した、アラン島にのそばのホーリー島というわけです。二つの聖なる島を配置したことは、単なる偶然と思われるかもしれませんが、霊的には非常に大きな意味を持つように思われます。それを象徴するように、このホーリー・アイランドはアラン島を人の頭と見立てたときに、口の先にあります。右端やや下方にある島がそうです。今にも食べようと口を開けている横顔の口の先にある食べ物のように見えますね。これにも象徴的な意味があるように思われます。 (続く)
2024.06.06
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