全11件 (11件中 1-11件目)
1
「オーヴェール・シュル・オワーズの教会 後陣」1890年 カンヴァス 94x74.5 原田マハ著「リボルバー」の「Ⅴ オルセーの再会」の中でパリのオークションハウスに勤務しゴッホとゴーギャンの研究家である小説の主人公「冴」がこの絵の前に立ち「オルセー美術館が所蔵するゴッホの作品の中で白眉の一作、描かれているのは教会であって教会ではない。隅々まで力がみなぎり自分がここにいるんだと叫んでいるそれは、まるで画家の化身だ。これを描き上げた数週間後にゴッホはこの世を去るわけだが、冴にはそれが不思議でならなかった。何度見ても、まもなく自殺を遂げる人物が描いたものとはとうて思えない・・」と綴られる箇所があります。 2006年と2014年にオルセー美術館を訪問した際に見ているはずだけれど記憶に残っていないこの絵を画集で見直しても実際に見る絵と迫力が違い過ぎるのか原田マハ氏のようにゴッホの強い生命力のようなものが中々伝わりません。ただゴッホの他の絵のサイズと比較してみると、カンヴァスは「星月夜」の72.5x92よりも大きくそれだけゴッホにとっても意欲作だったのかなぁと想像します。 私にとって今でも「自殺する人が描く絵だろうか?」と思うのはサン・レミからオーヴェールに移ってから弟テオの子供の誕生を祝って描いた「花咲くアーモンドの枝」でこの絵を見ると平安で穏やかな気持ちになる事が出来ます。「花咲くアーモンドの枝」のようにゴッホが描いた日本風の植物の作品には彼自身の人生観が込められているとも言われているようです。 サン・レミの病室 1889年 サン・レミ時代の絵の1枚「サンレミの病室」が「オルセー見学ガイド」に下記の解説付きで載っていてこれも興味深い内容です。 『生前にヴァン・ゴッホの絵画について唯一発表された研究書の中で、アルベール・オーリエは「まるで戦闘中の巨人たちのようなねじれた木々...。彼の作品のすべてを特徴づけているのは、過剰な力、過度の苛立ち、過激な表現といった度を過ぎたものである』 ねじれを生命力と感じるか苛立ちと考えるかは見る側よって正反対にもなるのかなぁと思います。「オーヴェールの教会」を描いた数週間後に世を去ったゴッホの葬儀をこの教会で行う事を教会側から拒否されたのはとても皮肉な感じがします。
2023.10.05
コメント(0)
先月久々に日本産の養殖生牡蠣を食べた時はワインはロワール産のソーヴィニヨンブラン100%を合わせました。本当は「神の雫」お薦めのルイ・ジャドのシャブリに合わせたかったのですが、思っていた以上に値上がりしていたためです。 漫画「神の雫」の「シャブリと生牡蠣を大検証」のページにはシャブリ地区は「キンメリジャン」という牡蠣の貝殻が無数に含まれている土壌に覆われているため貝殻の成分であるミネラルが葡萄に溶け込んでいて牡蠣との相性が良いと説明があります。そして高価な長期発酵物や樽発酵より肉厚ではない格下の村名シャブリの方がさっぱりとしていて牡蠣に合わせやすいと書かれています。何はともあれ安価な方が相性が良いというのは嬉しいことですが、ルイ・ジャドは私にとっては高級品です。 生牡蠣とワインでフランス旅行で2回食べた生牡蠣の事を、そう言えばそのどちらもシャブリに合わせなかった事を思い出しました。 2007年2月にボルドー市内を観光中にたまたま牡蠣の専門レストランを見つけ、1ダース(これが最少の注文数)の生牡蠣をあっという間に「シャンパン」と完食しました。一応「シャブリ」と言ってくれるかと思ってお薦めを聞きましたが、あっさり「シャンパン」という答えでした。私なりにシャンパンとのマリアージュは満点でしたが・・。そして名前だけで憧れの一品「フォアグラ」にはシェリー酒がお薦めでした。 牡蠣を12個も一気に食べて流石にお腹のことがちょっと心配でしたが、フランスの生牡蠣は貝毒が溜まりにくい海域で育つためあたりにくいということを後で知り、勿論食べた翌日は全く問題がありませんでした。 2014年の5月「オペラ座」近くの普通のレストランの店頭で牡蠣が売られていて、こちらも美味しく頂きました。グラスワインで選択肢が限られていましたがお薦めはシャブリではなくソーヴィニヨンブランだったと思います(メモするのを忘れていました) 改めて本当に生牡蠣にはシャブリが合うのだろうか考えてしまいますが、根拠となる理由もしっかりあるのだから次回福岡産の生牡蠣が運良くまた購入出来たら迷わずにルイ・ジャドを試そうと思っています。
2022.04.13
コメント(0)
昨年NHKでイタリアとスイスに国境を接するフランスの「サヴォア地方」のアルプス山脈を望む雄大な景色とそこでチーズ造りをしている人達を紹介する番組を見ました。そしてこの地方がかつては「サヴォア公国」として独立した国であることを知りました。 公国と言えば、パリからTGVで東へ1時間半ほどの街「DIJON(ディジョン)」がかつての「ブルゴーニュ公国」の首都であったことを2006年に訪問した時に知りました。14~15世紀のころ栄えたブルゴーニュ公国は英仏の100年戦争の趨勢に影響を与えるほどの絶頂期を迎え、当時は宮殿で毎晩のように大宴会が催された歴史からディジョンは「食通の街」としても知られているということでした。ワインの銘醸地「ボーヌ」へ向かう中継地としか考えていなかったのですが、1泊でも滞在出来て良かったと今も思っています。 パリの「エトワール凱旋門」は1806年に皇帝ナポレオンが即位の2年後に建設の命令をしパリの観光スポットになっていますが、ディジョンの小ぶりな凱旋門「ポルト・ギョーム」を見て「ここにも?」と驚きました。いつ建設されたのか調べても詳細が見つけられず未だに私には謎の凱旋門ですが、美しくライトアップされた姿に見とれました。 13世紀に建てられたノートルダム教会です。教会のシュエット通りの壁にあるのが「幸福のふくろう」の彫刻です。通りかかった女学生に「ふくろうの左側にある金製を右手で触り、左手でフクロウを触ると幸福が訪れますよ」と説明を受けてしばらく触り続けました。大阪の通天閣の「ビリケンさんの足」のように表面はたくさんの人に触られてツルツルになっていました。街中の道路にも「ふくろう」のデザインの金属板が取り付けられていてブルゴーニュ公国とふくろうの関係も謎です。 晩御飯は「地球の歩き方」に載っていたレストランでディジョン名物の「エスカルゴ」も食べました。食べ慣れていないため本当に美味?でしたが、初めて食べたウォッシュタイプのチーズ「エポワス」には感動に近いものがありました。常温で程よく溶けしかも円やかな味わいでワインも進みました。今ではシンガポールでも比較的簡単に購入出来て好きなチーズの1つです。 一日あれば十分観光を堪能が出来る街の広さにも大満足で、翌日はバスでワインの銘醸地「ボーヌ」へ向かいました。
2022.01.23
コメント(0)
街全体が世界遺産に登録されているボルドー右岸「サンテミリオン」には2007年2月に行きました。元々予定にはなかったのですが、パリからボルドーに着いた翌日に参加した「ワインとチーズの会」で出会った日本人女性から「もし時間があったらサンテミリオンに行ってみて!」と電車の時刻表を託されたのがきっかけでした(彼女は電車の曜日が合わず次の目的地に向かいました) 持参した「地球の歩き方」で調べると、サンテミリオン駅は街の中心から離れていることとタクシーがないので、Libourne(リブルネ)駅で降りてタクシーに乗るのが便利と書かれています。ボルドーからリブルネ駅まで電車は毎日運行されているわけではないので要注意です。因みにサンテミリオン駅は無人駅です。 駅はひっそりとしていてホームの木の前に「Saint Emilion」の掲示板が掛けられているだけです。 ボルドー地方右岸を代表するワインの銘醸地サンテミリオンでは5つの村で主に赤ワイン造りが行われていて、その葡萄畑や中世の佇まい残す街並の景観で世界遺産t登録は1999年です。 坂の多い街と説明がありましたが、滞在するホテルへも坂道を上りました。オフシーズンのせいかタクシーは一台もなくひたすら歩きました。何故か坂の上に男性が2人いてこちらを見ているので写真を撮ると、この後「ようこそサンテミリオンへ」のように抱きしめられて街に歓迎されているような錯覚に陥りました(今でも意味はよく分かりません) 途中にはおしゃれなカフェやマカロン専門店も。 そしてこの街の観光スポットの1つは地下の石灰岩をくり抜いて造った「モノリス(一枚岩)教会」です。8世紀にブルターニュの修行僧「聖エミリオン」が隠遁生活を送るための洞窟を掘ったのがこの街の始まりで街の名前の由来になっています。ツアーに参加して説明を聞きましたが目に見えるところに頭蓋骨があったりで結構ヒヤリとしました。今でも本物なのか謎です・・。 翌日は訪問を許可してくれたシャトー「Cadet Piola(キャデット・ピオラ)」でティスティングをしたり、市内にある「カーブ(ワイン蔵)」をのんびり見学したりしました。 そろそろボルドーに戻る電車に乗ろうとリブルヌ駅に行くつもりが葡萄畑の景色に魅せられせいか道に迷いサンテミリオン駅に到着。そして無人駅であることを知りました・・。 待ちに待った電車も無事やって来てまた40分ほど揺られボルドー駅に着きホテルに戻るボルドー市内のキラキラした街並みを見て、そうまるで中世の街から戻ってきたような不思議な気持ちになっていました。
2021.09.28
コメント(0)
金曜日の「お家ご飯」の時にA氏から「高いワイングラスで飲むとワインはやっぱり美味しいのかなぁ?」と言われ、グラス繋がりで思い出したことがありました。 2007年にボルドー左岸のシャトーを3つ訪問し、そのうちの1つマルゴー村にある「ChateauPrieure Lichine(シャトー・プリュレ・リシーヌ 格付け4級)」でのワインティステイングで使われていたワイングラスです。 どうしてワイングラスの話になったのか記憶がないのですが、赤3種類と白2種類のティステイングの際に使われたグラスを「これなかなか割れないんですよ」と応対してくれたスタッフがカウンタ―に何度か打ち付けて証明してくれました。 ボルドー駅からバスで50分ほど。オフシーズンでたった一人の訪問者に丁寧な対応をしてくれました。 カウンターに並べられたワイングラス。このカウンターにグラスを打ち付けて・・・。 割れないグラスというのが何とも不思議で「MIKASA」のカタログをもらい、シンガポールに戻ってから多少高くても割れないのであればといくつかワイングッヅコーナーで探しましたが、結局見つけることが出来ませんでした。 MIKASAという名前から日本製ではと思ったりもしましたが、14年経って調べてみるとMIKASA陶器の創業者はアメリカ生まれの日本人「ジョージ・荒谷哲夫」さんでした。1957年アメリカで「ライフタイム・ブランズ社」の一部門として創業し、その4年後には有名な音響機器メーカー「ケンウッド」も創業し、1988年に特に慈善事業が評価されて日本政府から叙勲を受け、2013年に95歳で亡くなっていました。 さらに検索すると「メルカリ」でMIKASAのグラスが出品されていました。購入して「本当に割れない?」を試してみたいですが、冷静に考えて敢えてグラスを打ち付けるということをする人っていないんじゃないかなと・・。 赤ワイン用、白ワイン用のグラスがあるように「グラスでワインの味は変わる」のだと思いますが、果たして「高いグラスで飲んだら・・」というのにはどんな答えがあるのだろうと思います。 ただそれほど高価でなくてもクリスタルグラスの繊細な薄さ、乾杯した時の涼やかなグラスの音だけでもワインがワンランク美味しくなる気がします。 因みに私が現在使っていて気に入っているのがフランス製の「Baccarat(バカラ)」のグラスです。「高い!」というイメージですが、シンガポールのフリーマーケット(お役たちサイト)で破格の値段で購入しました。 2個のうち1個は割ってしまったのですが、その時の割れ方が粉々で「どうしてバカラのグラスは粉々に割れるのか」というのもA氏が車に使われるガラスを例えにした解説があって(既に酔ってしまっていて詳細が思い出せませんが・・)なんだかんだとワイングラスの話も「お家ご飯」を盛り上げてくれました。フット・プレート部分にBaccaratと刻印があってちょっと自慢できます。
2021.09.26
コメント(0)
2014年のフランス旅行はパリのドゴール空港から直結の高速電車に乗りまずアルザス地方へ向かい、そこからランス、パリへと戻る計画を立てました。 ランスでは何と言ってもシャンパンメーカーの訪問が第1の目的です。と言っても「この泡のきめ細かさが・・」とか正直その魅力が良く分かっていません。特別なお祝い事がある時はシャンパンがお洒落というぐらいの感じです。 滞在したホテルのフロントで調べてもらったところ「POMMERY(ポメリー)」が見学可能ということでバスでの行き方を教えてもらい、翌日向かいました。 バスを降りてからちょっと迷いましたが何とか見学が始まる時間前に到着し、集合のロビーに向かうと20名ぐらいの人達が集まっていて、ガイドさんの後についてちょっと薄暗いカーブの中に入りました。 カーブ(蔵)の入り口 シャンパンのディスプレイ 薄暗いながらも照明の効果が鮮やかで、上手く見せるなぁと感心します。ガイドさんはポメリー 社の歴史について説明を始め、あまり聞き取れないのでカーブに置かれている展示物に意識を集中しました。 そして古いシャンパンが並べられているコーナーでは造られた年に目が釘付けになりました。 手前の右側にあるのが1874年のシャンパンで、最後尾の左右に1941年と42年物が置かれています。 ガイドさんから「第二次世界大戦中もシャンパン造りをしていました」と説明があり「今でも飲めますか?」と質問が出ました。そういえば沈没船から80年とか200年前のシャンパンが発見され、色合いといいフレッシュさといい全く問題がないというニュースを見ましたが、海の中という保存に最適な環境もさることながら、それだけの造り方をしているのだと思いました。 1668年、修道院の倉庫係をしていた僧のドン・ペリニョンが偶然発砲性のワインが出来たことに気づいてから約350年、様々な改良が加えられ現在のシャンパンへと進化し、これからますます進化していくのかと想像します。 訪問後にネットで調べたのですが、ポメリー社 は1836年創業で当時流行だった甘口ではなく食前酒として初めて辛口(ブリュット)を造り出したメーカーだそうです。ポリシーは「シャンパンを造ることは芸術である」。また出ました!「Wine is Art」の言葉。芸術の国フランスはすべてが芸術に繋がっているのだと・・ 見学の最後にシャンパンティスティングです。グラスから泡が溢れたりするハプニングも(受け狙い?)カウンターに残る泡をしっかり写真に撮りました。 シャンパンの街「ランス」への高速電車と「ポメリー社」
2021.09.15
コメント(0)
原田マハ著「ロマンシェ」で小説家「ハル」さんの友人として登場する「ムギ」さんはパリ在住でフランス人の夫が経営する「ブルゴーニュ・ワインバー」をサポートしながらも本職は美術関係という設定です。 小説の後半でハルさんを凄腕プロデューサーの追跡から守るため、ムギさんが運転する車でフランスの高級リゾート地「ドーヴィル」に向かい、そこにあるレストランで食事中に「ワインはアート!」と叫ぶシーンがあります。「何故アート?」の問いにムギさんは「アートもワインも人を幸せにする!」と答えます。 同じ言葉をもう14年前の2007年に「サン・テミリオン」のカフェで聞いたことを思い出しました。 サン・テミリオンの白ワイン「Chateau Monbousquet(シャトー・モンブスケ)」とコムテ。 訪問を予約していたサン・テミリオンのシャトーに徒歩で向かっている時に、偶然立ち寄ったカフェ「Essentiel wine & cheese」で働く女性の印象的な一言でした。 グラスの白ワインだけを注文した私に「サービスでコンテチーズを」と出してくれました。私にとっては初コンテでした。彼女は美術を専攻している学生さんで正しく「Wine is Art!」と言っていて、私はその時は「何故?」と聞く余裕も無かったのですが、今はなるほどと思います。 こんな風に偶然出会ったチーズにワインショップでのワインテイスティンで出されたスペインの「マンチェゴチーズ」があります。スペインでは「Queso Manchego(ケソ・マンチェゴ)」と呼ばれていて17世紀に「セルバンテス」が書いた「ドン・キホーテ」にも登場する歴史あるチーズのようです。 実は私はこのチーズが羊乳で作られているというのを最近知ったのですが、やっぱり私は牛も羊も味が分からないほどの「味音痴」なのかとちょっと凹みました。 そして最近テレビの番組を通して知ったフランス「サヴォア地方」の牛乳のチーズも偶然の出会いのようなチーズです。早速購入してヒマラヤの景色を思い浮かべながら食べるサヴォアのチーズは最高の味でした。サヴォアのワインに合わせたいのですが・・。シンガポールで見つけるのはちょっと難しそうです。 ワインがアートならチーズはアートを造り出す画材・・なんか違う気がします。もっとピタッとくる言葉が浮かぶと良いのですが。
2021.09.03
コメント(2)
漫画「神の雫」と「マリアージュ 神の雫 最終章」の中に登場した絵画の中で印象深いのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」、ブラマンクの「赤い木のある風景」そしてミレーの「晩鐘」です。 「オルセー見学ガイド」の画像から。 ミレーの「晩鐘」は「マリアージュ~」25巻目で神咲雫が「シャトー・ムートン・ロートシルド(メドック格付け1級) 1982年」の表現のために使っています。この絵から実際に聞こえてきそうな「鐘の音」も漫画の中に描かれていて「キー・ワード」のようになっています。 2006年にボーヌで「冬の葡萄畑を見るツアー」に参加し「ロマネ・コンティ」「コルトン・シャルルマーニュ」や「エショゾー」の畑の前で車から降り人影もない畑をずっと眺めていたのを思い出します(勿論試飲はありません・・💦) 因みにフランスを代表する偉大な白ワイン「コルトン・シャルルマーニュ」は西暦800年に西ローマ帝国の皇帝になったシャルルマーニュ(英語読みはカール)大帝がこの畑を所有していたことに由来しているようです。 そしてある日大帝が赤ワインを飲んでいると髭が赤く染まってしまい怒った大帝が「私の葡萄畑から赤ワインを造ることは一切許さない」と命令を下し、それが現在に引き継がれているという歴史の長さには驚きます。 ボーヌからパリに戻り美術館通いを再開させ、まずは「オルセー美術館」に行きました。お目当ての「印象派絵画」へと急ぎ足状態でしたが、途中のミレーの「晩鐘」の前で釘付けになりました。ボーヌで葡萄畑を見ていなければ「あぁ~、あの有名な絵画」とちょっと見るだけに終わっていたと思います。 「土地の恵み」「天気」「一日の労働を無事終えられたこと」などなど様々な感謝の気持ちを教会の鐘の音に合わせて祈る「真摯」で「敬虔」な姿は本当に美しいと思いました。 ミレーの絵に描かれているのはジャガイモ畑ということですが、作物が何であれワイン造りにも使われる言葉「天・地・人」への感謝をこんなに的確に描いた絵というのは数少ないのではと勝手に思っています。そして見れば見るほどこの絵の奥深さを知りたくなります。 偶然の出会いから貴重な一枚になる絵は結構あると思います。「晩鐘」や「原田マハ」氏著の「楽園のキャンヴァス」で知ったアンリ・ルソーの「夢」という一枚も今は私にとっては貴重な一枚です。
2021.07.27
コメント(0)
「マリアージュ 神の雫 最終章」25巻ではワイン対決をしている「神咲雫」と「遠峰一青」がついにフランスで13本目になる「神の雫」を見つけ飛行機で日本へ戻るところで終わっています。 奇しくも同じ飛行機に乗り合わせ一青からキャビン・アテンダントを通して白ワインの振る舞いを受けた雫は匂いだけで、「うっひゃー、このワインやばいッスよ!!白ワインのキングと言っていい造り手の・・ほんとこれすごいワインですよ」と「コント・ラフォン家のムルソー」であることを当てます。 ドミニク・ラフォン氏 同席に誘ってくれたラフォン氏の友人 2006年にボーヌを訪れ、偶然コント・ラフォン家の4代目当主「ドミニク・ラフォン」氏と小さなレストランで彼の友人を含め4人と一緒のランチに同席させてもらったことは今でも人生最高の思い出です。 当時はコント・ラフォンどころかムルソーさえよく知らず、シンガポールに戻ってから彼がどんなに凄いワインの造り手であるか知った次第です。 それから7年後の2013年8月にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でドミニク・ラフォン氏と老舗鰻店の「野田岩店主」の「金本」氏が一緒にテレビに出ているのを見て本当に驚きました。 金本氏はお店で提供するコント・ラフォン家のワインを直接買い付けているため、表敬訪問のような形でドミニク・ラフォン氏を訪ね、お互いのワインについての思いを熱く語っていた場面もありました。 すぐに金本氏にボーヌを旅行した際の出来事も書き添えたファンレターを送ったところ、是非「鰻の白焼き」に合わせてムルソーを飲みに来てくださいと丁寧な返信を頂きました。 運良くその2ヵ月後に野田岩東京店に行くことが出来ましたが、ムルソーはやはり当時の私には「高値の華」過ぎて手が出ませんでした。リベンジでいつかはといつも頭の片隅にあります。そしてその時にパリに唯一の海外店があることを知りました。 その翌年、これもたまたま3度目のフランス旅行に行くことになって野田岩パリ店訪問が実現した次第です。今思えばどうして「鰻の白焼き」と「コント・ラフォン家のムルソー」を提供しているのか聞かなかったんだろうと悔やまれます。お店に無事到着したこと、金本氏からのウェルカムの「鰻の煮凝り」が一品目としてすぐに出されたこと、鰻のかば焼きにお薦めの赤ワインを頂きそれだけですっかり満足してしまったのと、ちょっと舞い上がっていたのかなぁと思います。 鰻の煮凝りにはお薦めのシャンパンを合わせて。 鰻にはお薦めのブルゴーニュの赤で。 漫画「マリアージュ~」の中で「人生最後のワインを選ぶとしたら~」という箇所があって、コント・ラフォン家の「ムルソー」というのも私にしては何だか恰好良いなぁと思っています。 ワインショップ「エノテカ」のホームページにドミニク・ラフォン氏の目指すムルソーについて「パワーよりもエレガンスやバランスを求めている」と説明がありました。
2021.07.15
コメント(0)
ボルドー左岸にあるシャトーをワインティステイングのためバスを乗り継いで回っていた時、たまたま見つけたカフェです。 ポーリャック地区のシャトー「クロワゼ・バージュ」へ向かってバス停から歩いていると、外観の色合いが何ともお洒落なカフェに出会いました。残念ながらこのカフェは休憩時間のため閉まっていたので、隣にあるカフェに入りました。 こちらもランチタイムは終わっていて何も料理が出せないと言われたのですが、あまりの空腹で何でもいいからとお願いしてフランスパンとオリーブ、ナッツ類と赤ワインを出してもらって、まずは一気にワインを飲み干してしまいました。スタッフの人達は本当にフレンドリーでホッと一息という感じでした。 こちらはボルドー右岸サンテミリオン滞在時に2回行ったカフェです。カフェ・クレーム(この呼び名の方がカフェ・オレより一般的だそうです)を注文すると名物のパイ菓子「クイニーアマン」が付いてきました。オフシーズンのサンテミリオンのこのカフェに最初に行った時、私以外にいたお客さんは日本から大学の卒業旅行で来ていた数人の男子学生のグループだけで流石にちょっと驚きました。 「カフェ文化」の国としても有名なフランスですが、コーヒーが伝わったのは17世紀だそうです。最初はアルコール好きの国民に受け入れらなかったコーヒーも18世紀のフランス革命後に思想や政治の議論の場となったカフェが増え、現在のようなカフェ文化の確立となったようです。 ホテルでも朝ごはんには必ず大きなカップでカフェ・クレームが出てくるし、観光で歩き疲れた時には本当にタイミングよくお洒落なカフェに出会いました。もう少し余裕をもってカフェで1時間くらいはぼうっとしている時間が持てていたらと今は思います。
2020.10.06
コメント(0)
ディジョンからバスで1時間ほどかけてボーヌに到着しました。電車より葡萄畑が良く見えるのではと思ったのですが思ったほど葡萄畑の景色は堪能出来ませんでした。 ちょうどお昼時に着いたのでホテルにチェックインする前にバス停近くのレストランを何軒かチェックして一番混んでいるお店に入りました。 混んでいる理由は料理の味だけでなくビュッフェ形式でチーズが食べ放題ということにあったようです。ラッピングされているチーズはしっかりホテルでの部屋飲み用にお持ち帰りしました。 ホテルにチェックイン後、まずはブルゴーニュワインの試飲のためにMarche Aux Vins(ワイン市場)へ向かいました。ディジョンと同じく小さな町なので大体どこでも徒歩圏内です。 Marche Aux Vins 試飲リストと試飲盃 受付で入場料を払うと左のワイン試飲リスト(この時は赤13種類・白3種類の合わせて16種類)と右の試飲盃を渡されました。「ワイン試飲盃を持った騎士団」でも有名なこの試飲盃はお土産としてもらえます。 中は照明が落とされカーブもあり何か中世時代のような雰囲気でした。ワイン樽の上に「何杯でもご自由に!」という感じで試飲のワインボトルが置かれていています。 まずは白の「Meursault(ムルソー)」を試飲です。シャルドネ種100%と思えないほど酸味が抑えられまろやかな味わいのムルソーは今でも私の中では白ワインのナンバー1です。 以前にシンガポールの中華料理店へ「上海ガニ」のためにお店に持ち込みましたが、私としてはクリーミーな「上海ガニ」とムルソーの相性は抜群だったと思います。 赤ワインは「Fixin(フィクサン)」から試飲を始めました。田崎真也氏がブルゴーニュを最初に旅した時はフィクサンが最北の栽培地でしたが、今は「Marsannay(マルサネ)」が最北地になっていて、ここの白だけでなくロゼも私は好きですが、シンガポールで見つけるのはちょっと難しいです。 全てを試飲して結局、赤の「Pommard(ポマール)」を購入しました。そしてこの1本を大事に抱え葡萄畑を回るツアーの集合場所に向かいました。 白ワインの特級畑「コルトン・シャルルマーニュ」や赤の特級畑「フラジェ・エシェゾー村のエシェゾー」そして人生最後のワインは「ロマネ・コンティ」かなと思うほどの憧れの畑にも行くことが出来ました。正直に言うと畑より実際にワインを飲むことが出来たらと思うのですが・・・・。
2020.08.27
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1