1
アルゼンチンの国土の1/16の小さな国です。 5月9日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインのテイスティングで店主から最近注目を浴びている産地「ウルグアイ」のワインの紹介もありました。「ウルグアイはどこ?」と思いましたが「アルゼンチンの隣の国ですよ」と言われ、アルゼンチンの隣国であれば美味しいワインを造っているはずとまずは白のソーヴィニヨン・ブランを購入しました。「COLINAS DE URUGUAY] 2022年、アルコール度数は12%です。初日は思ったより酸味が際立っていましたが、翌日には酸味も落ち着いてソーヴィニヨン・ブランらしいほろ苦さもありました。ただ正直に言うとチリやアルゼンチン産の手頃な値段のソーヴィニヨン・ブランで十分かなぁという感じもありました。 そしてもう1本ショップにあったウルグアイの赤も気になって先週行って来ました。葡萄品種は「TANNAT(タナ)」で「ウルグアイの代表的な品種で果実味豊かなタナの味わいをストレートに表現」と説明があります。2021年、アルコール度数13%です。店主から「赤身の肉に合いますよ」とアドバイスを貰い最近嵌っている「鯨ユッケ」を用意しました。開栓して一口飲むと果実味というより深いコクのあるワインで甘みは全くなくそれが鯨肉とも最高のマリアージュでした。後で葡萄品種「タナ」を調べてみるとフランス原産で語源は「TANNIN(タンニン 渋み)」だそうですが、2021年でも渋みは程よく抑えられ円やかさもあり私には「高級ワイン」&「コスパ最高」という感じでした。
2024.05.21
閲覧総数 147
2
昨日放送のNHK「歴史探偵」の「清少納言と枕草子」は楽しみにしていましたが、期待以上の内容でした。まず形容詞が多く使われている枕草子の中でも特に登場頻度の高い言葉を大きな文字で、そしてポジティブな意味合いが赤色、ネガティブが青色として表示がありました。 特に「をかし」については中宮定子が宮中にいた時には「優れている」「素晴らしい」であった意味が宮中を去ってからは「趣がある」と変わって行った事に触れていました。そう言えば「紫だちたる雲」って見た事がないと気付きました💦 枕草子冒頭の「春は、あけぼの」についてそれまでは春と言えば「桜」や「梅」「ウグイス」等と結び付けられていたのに対して「あけぼの」と結びつけるところに清少納言の「センスの良さ」が光っているという解説に納得です。 続く「やうやう白くなりゆく山ぎわは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」の中の「紫だちたる雲(紫がかった横雲)」について、もともと「紫雲」というのは目出度い印とされ念仏行者の臨終などにあたって阿弥陀仏がこの雲に乗って御来迎するという事から紫雲を「中宮定子」と重ね合わせ「定子絶賛」から随筆が始まっているのではという事でした。 随分前に田辺聖子著の「むかし・あけぼの」を読んだ時は「随分自我自賛の人だなぁ」という感想でしたが、番組内で中宮定子の人柄、漢文や万葉集などの優れた知識を絶賛するために書かれた随筆という事に改めて納得でした。 大河「光る君へ」では「ファーストサマーウイカ」さんがイメージ通りの機転が利く清少納言を好演していて今後が益々楽しみです。最後に番組内で清少納言と紫式部が直接言葉を交わす事は無かったと推測する理由の一つに「紫式部日記」を挙げていました。その日記に書かれた清少納言への痛烈な批判「大した漢文の知識も無いのに(自分に比べて)素敵とか立派とかただ浮かれて書いている・・」は中宮定子が父道隆の死後、道長の娘彰子に追い立てられるように宮中を去った後も依然として宮中にあった「中宮定子への称賛」に激しく嫉妬したためではないかという推測は説得力があります。 もし2人がお互いの作品を読んだ上で言葉を交わしていたら「あなたの才能って、いとをかし」と絶賛し合ったのかもしれません。 ずっと気になっていた清少納言のその後については定子が住まいを構えた近くに定子の死後も住み続け穏やかな生涯だったと番組で結んでいて紫式部日記での予測とは違っていて何だかほっとしました。
2024.05.16
閲覧総数 135
3
今朝起きてカーテンを開けて空を見上げるとここ2~3日の曇り空から一転、青空が広がっていました。やはり天気が良いと気持ちも良いものです。そして朝のNHKのニュースで「140年前(1884年 明治17年)の6月1日に日本全国の予想をたった1つの文で表現した日本初の天気予報が掲示された日」と情報があり「どの観測所による情報なのか気になる人はネットで調べてみて下さい」との事でした。 画面に映し出されたたった1つの文は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ(全国的に風向きは特に決まらず、天気は変わりやすいですが雨になりがちでしょう」で東京の派出所等に掲示されたそうです。 調べてみるとこのざっくりとした天気予報の原因は当時全国に22(現在は約1300ヶ所)の観測所があったものの海上などのデータも無く、得られるデータがかなり少なかった事にあるようです。そしてざっくりながらこの天気予報が可能になったのは1800年代にイギリスで「電報」が開発され情報伝達がほぼリアルタイムになり、その技術が日本に伝わったためという事です。 確かにそれ以前は「ツバメが低く飛ぶと雨になる」のような信憑性はあるけれど「言い伝え」が庶民の間に浸透していた事を思い出します。 天気の事を考えていてふと「テルテル坊主」の事を思い出しその起源は?と調べると発祥は中国という記事がありました。中国の「掃腫娘(そうせいじょ)」という少女が晴れを祈る中国の伝説とあり、日本には江戸時代に伝わったようですが、何故女の子から坊主になったのかは髪が無くお坊さんのようだからなのでしょうか?今の時代「明日は楽しみな行事があるから」と言ってテルテル坊主を吊るす子供がどれだけいるかなぁと思いながらシンガポールに20年住んで「天気の事をあまり気にしない(雨が降るか降らないかだけで一年中日中の気温は30度ぐらい)」生活から天気予報の情報が頻繁に流れる国に戻って来て情報は有難いとは思いながら時々情報過多かなぁ・・とも思ったりします。
2024.06.01
閲覧総数 23
4
「1個のリンゴでパリを驚かせたい」と言っていた「セザンヌ(1839-1906)」はその言葉通りに「静物画」というジャンルでは「唯一無二」の存在に上り詰めました。当時リンゴは一番安く、そして腐りにくい果物だったそうです。「リンゴとビスケット」 1879-80年 「オランジュリー美術館」蔵 セザンヌの静物画を初めて見たのはいつだったのか覚えていませんが、大げさに言うと胸をギュッと掴まれ涙が出そうになったのを覚えています。実はセザンヌの静物画は画集で見ても、今でもそういう感情になるのが不思議です。 ピカソ(1881-1973)はセザンヌを「私たちみんなの父」と形容するほど尊敬しセザンヌの絵画技法(左右対称な構図)の影響を受けています。 「トランプをする人たち」1890-1895年 「水浴する男たち」1890-1892年頃 「水浴する男たち」を見るとピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」がセザンヌの影響を受けていることが分かります。ただ人物画だけでなく晩年に多く描いたセザンヌの風景画を見ても涙ぐむような感情が起こることは私にはありません。セザンヌが死の直前に手紙で「私はいつも自然を研究しているが、少しずつ進歩しているようである」と書いていても・・。 故「池田満寿夫」氏がテレビの絵画ドキュメンタリー番組で『マティスの絵を見ると心の平安を、ピカソの絵を見ると闘争心が湧き、セザンヌの絵を見ると尊敬の念が湧く』と言っていたのが印象的でした。「リンゴとオレンジ」1895-1900年頃 「オルセー美術館」蔵 気になってセザンヌの静物画について検索してみると、ピカソは構図という技法だけでなくキュビズム(4次元)に繋がるアイデアをセザンヌの静物画にも見つけていたとありました。 そう言われて絵をよく見てみると中央の果物皿は正面から見ているのに、左下のお皿は上から見ているようにも見えます。 オランジュリー美術館ガイドからの抜粋です。 『セザンヌの絵には人目を引く光ではなく明暗のコントラストがあり、水のきらめくような反射に代わって鋭く強烈なフォルムが支配する。また肖像画は荒々しく官能性が乏しくて、静物画は硬く実存感が希薄である』 「セザンヌ夫人」 1890年頃 「オランジュリー美術館」蔵 確かに肖像画に関しては頷けますが、静物画を見て胸をギュッと掴まれそうになる感情が「実存感の希薄」にあるからなのかどうか、これは興味深々というところです。
2021.12.16
閲覧総数 485
5
「国立西洋美術館」の礎を作った松方幸次郎が「モネ」の絵画を購入するために「ジヴェルニーの森」のモネの家を訪ねた際にモネが愛飲するワイン「ナポレオン」を手土産にしたという記事を見つけました。 松方幸次郎の心遣いに飛び上がるようにして喜んだモネはコレクターには売らないと決めていた何点かの絵を快く譲ったようです。ワインだけでなく私利私欲ではない絵画を愛する心と後進のためにという思いがモネの心を動かした大きな要因とは思ってもワイン好きには嬉しいエピソードです。 ただワイン「ナポレオン」は私には馴染みがなく、ナポレオンとワインではブルゴーニュ地方の「ジュヴレ・シャンベルタン村」のワインが有名で、戦いの時はいつも持参したというエピソードが強く印象に残っています。面白いのは「弘兼憲史」著「フランスワイン入門」には実際にはナポレオンはワインを飲まなかったという説が書かれてあり、ブルゴーニュが「神に祝福されたワインの王様」と古くから呼ばれていることに縁起担ぎのように闘いの場に携えたのかなとも思います。 ネットで調べるとイタリアの高級葡萄品種「ネッビオーロ」100%で造るドナス地方の「NAPOLEON(ナポレオン)」が出て来ました。 1800年ナポレオンがイタリアに遠征した時にドナスに滞在しこの地方のワインを飲んで非常に気に入ったという史実に基づき、その200年目を祝うために2000年に造られたワインなので、これはモネが愛したワインとは時代的にも違います。そして史実の中でナポレオンがワインを飲んだと書かれていることも興味深いです。 もう一つ喜劇王「チャップリン(1889-1977)」のエピソードも「フランスワイン入門」で紹介されています。ボルドーの「シャトー・マルゴー」をこよなく愛していたチャップリンは77歳の時、ビンテージ1893年のマルゴーを飲んで「私より少し若いところが良い(チャップリン生誕4年後の葡萄)」と言ったそうです。実際に愛娘に「マルゴー」という名前を付けるほど愛していたシャトーで、こういういうエピソードを聞くと「たかがワイン、されどワイン」と嬉しくなります。 余談ですが、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」で流れた曲「SMILE」がチャップリンの作曲と知ってからこの歌がもっと好きになりました。後に「ジョン・ターナー」と「ジェフリー・パーソンズ」によって詩が作られました。 コロナ禍に始まってロシアのウクライナ侵攻など暗いニュースの多い中、この歌を聴く機会が増えた気がします。『笑顔さ。泣いてたって仕方がない。きっと分かるさ人生まだ捨てた物じゃない。ただ笑顔でいれば』
2022.07.26
閲覧総数 377
6
昨日のNHK「あさイチ」でダイソーの観葉植物の上手な育て方を紹介していました。本帰国してダイソーに小さい鉢ながらサボテンや観葉植物のコーナーが充実しているのを見て、以前はダイソーに植物は売っていなかったのでは?と思いラベルをじっくり見てみると「水やり」とか「置き場所」とか大体同じ事が書かれていて「上手な育て方は?」と思っていました。 番組ではまず3つの観葉植物「オーガスタ」「サンセベリア」「アスプレニウム」が紹介され、クイズ形式でそれぞれは「明るい所が好き」「乾燥に強い」「暗いところでも耐えられる」のどれでしょうか?の質問にMCの華丸・大吉さんは2回目で正解となります。乾燥については葉を触ると分かるそうです。ちょうど見栄えのする丈が高くて玄関の近くのあまり陽が当たらない所にぴったりの観葉植物はないかなぁと思っていたので「暗い所でも~」の情報はとても重宝です。ダイソーで何種類の植物が売られているのかは分かりませんが、一冊の本に纏めて欲しいぐらいです。 そしてこれらの植物はほぼ海外で育てた物が日本に輸入されているため植物も「旅疲れ」があるそうです。その旅疲れを癒す方法として購入してすぐにプラスチックの箱にコップ一杯の水を置き2週間くらい鉢を入れた後鉢替えをするのが良いそうです。これもためになる情報です。暗い所と言っても「読書できるぐらいの明るさは必要」という事でした。 最初は小さな植物も成長に従って鉢を替えて育てると物によっては1m以上にもなるという朗報です。花屋さんで丈のある観葉植物を見てみましたが思っていた以上に高額で1万円以上の物もざらにあります。早速ダイソーにアスプレニウムを探しに行くと「1鉢300円」で確かにありました。 シンガポールも「DAISO」は大人気で出店数もかなり多いですが、高層住宅が多く日本のようなガーデンニングは各家庭では難しいので当然DAISOでも園芸グッヅは限られています(ドンキで小さい盆栽が売られていてこれには驚きました。シンガポールで盆栽は結構人気です) 先月、札幌で雪解け宣言が出てお向かいさんの庭に綺麗なチューリップが咲き始めた頃夕方に点灯する庭のランタンを見て「お帰りなさい」と言って貰えてているようで温かい気持ちになりました。ランタンは高そうに見えるしどこで買えるのかな?と思っていたらこれもダイソーにありました。200~300円で酒類も結構あってソーラーなので配線の必要も無く電池を装着するだけとは優れ物です。ガーテンニングを愛する人達の間では既に必須アイテムだと思いますが、私も遅まきながら1個買って陽が落ちてから花と同様に灯りの癒しを貰っています。
2024.05.25
閲覧総数 106
7
初戦が雨で中止になった交流戦「日ハム対阪神」の残り2試合は日ハムファンでも期待以上の2連勝で、ネットの記事には虎党からの厳しい声として「見所の無い試合だった」「ボコボコにやられた」「山崎福也を相手にしたらあかん。正直、山崎福也が嫌いになった」「山崎福也>>>>>阪神野手陣」等などがありました。公式戦で観客動員数が常にトップの阪神タイガースなので気になって昨日の観客数を見てみると42,614人と6試合中トップでした。その多くが地元の阪神ファンだと思うと痛いほど気持ちが分かります。個人的に興味津々のソフトバンク対巨人戦の昨日は41,502人で2位でした。 各球場の収容できる広さもあるので調べてみると下記の数字があり、4万人以上収容できるのが3つの球場のみで日ハム対阪神戦の動員数が約98%という数字に改めて阪神ファンの熱い思いが伝わります。各球場収容人数1位:東京ドーム(巨人)46,000人2位:甲子園球場(阪神)43,508人3位:PayPayドーム(ソフトバンク)40,122人4位:バンテリンドーム(中日)36,370人5位:京セラドーム(オリックス)36,146人6位:エスコンフィールド(日ハム)35,000人7位:横浜スタジアム(DeNA)34,046人8位:マツダスタジアム(広島)33,000人9位:メッツライフドーム(西武)32,725人10位:神宮球場(ヤクルト)31,805人11位:楽天生命パーク(楽天)30,508人12位:千葉マリンスタジアム(ロッテ)30,508人 ところで各球団の交流戦のネットの記事の中に29日の「ロッテ対ヤクルト戦」の始球式で登場した女優の「内田有紀」さんの事が写真付きでありました。29年前の始球式で伝説に残るユニフォーム姿で投げた事と今も当時と変わらぬ美しい姿等など激賞でした。さて29日の神宮の観客数はと見てみると27,034人で87%の入りでした。 因みにエスコンフィールド元年の昨年、日ハム対阪神の交流戦第2戦では32,558人(93%)で3月のオープン以来の最高となって「蒙虎襲来」という言葉も出るほど阪神の高い人気を見せつけてくれました。ただ試合結果は日ハムが2勝1敗で勝ち越しています。交流戦に強い日ハム・・昨日の試合で順位が1位となりファンとしては「3日天下」でもいいのでという気持ちながら引き続き熱く応援を続けます。
2024.05.31
閲覧総数 37
8
パリのオペラ座ガルニエの「天井画」を描いたのは「シャガール」というのは有名ですが、以前にひょんな事から天井画を描くことになったと聞いて、改めて調べてみました。 歴史的にはオペラ座建設は19世紀半ば「ナポレオン3世」による計画で、匿名によるコンペを制した「シャルル・ガルニエ」の名前を取ってオペラ座ガルニエとなったようです。当時の天井画は「ジュール・ウジェーヌ・ルヌヴー」による「昼と夜のミューズの時間」でこの絵は1872年から1964年までオペラ座の天井を飾りました。 およそ90年後の1960年に当時の大統領「シャルル・ド・ゴール」と文化大臣「アンドレ・マルロー」がオペラ座で海外からの代表団とバレーを鑑賞していた時、退屈したマルローが天井画を見上げ「なんて時代遅れの絵・・」と思ったのがきっかけのようです。 バレーの舞台美術の監督を任されていたシャガールはマルローとは長い付き合いの友人で、すぐに彼に新たな天井画の依頼をしたようです。ただこのアイデアが公表されると批判が殺到して隠れるようにして7ヵ月で絵を完成させたそうです。 そして1964年無事オペラ座にシャガールの天井画が登場します。 2014年に初めてオペラ座ガルニエでバレー「Orfeo ed Euridice(オルフェオとエルリディ―チェ)」を見た時は天井画の歴史を全く知りませんでした。 開演前に最初に見上げた時はまず想像以上に雄大な絵に圧倒されるという一言でした。その後もバレーを見つつも何度も見上げました。 バレー鑑賞後、オペラ座の中を散策しましたが荘厳としか言いようがありません。 オランジュリー美術館蔵「ルノワール」の「(Bouquet dans une loge(桟敷席の花束」は私の特に好きな絵の1枚で、1878年~1880年の間に描かれた作品です。 深紅の椅子を見るとオペラ座を思い出します。実際に自分が座った席のことはよく覚えていないのですが(汗)
2022.02.12
閲覧総数 641
9
原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。
2023.10.16
閲覧総数 1439
10
先日「チ・カ・ホ(札幌駅前通地下広場)」を歩いていたら「苗物マルシェ(NPO法人グリーンライフ主催)」の出店があって賑わっていたので覗いてみると野菜の苗物だけでなく、ハーブ、花と様々な植物が並んでいました。その中でたわわになっているバジルを見て、以前スーパーで鉢で買ったバジルが数枚食べた後すぐに元気がなくなって枯れてしまったのを思い出しました。手に取って見ているとスタッフが声を掛けてくれたので「すぐダメになってしまって・・長く上手に増やしていくコツは?」と聞くと「葉をちぎってるでしょ」と図星で「葉の下の方を見て芽が出ていれば茎の所からハサミで優しく切るように」とのアドバイスでした。リベンジでバジルは今種から育てていて芽が出たばかりなので初めての「シソ」を選びました。1鉢180円の購入に上手な増やし方(基本的にはバジルと同じ)の講義付きで本当に有難い気持ちになりました。 鉢は新聞紙で作った手提げバッグ(持ち手もしっかりしています)に丁寧に入れてくれて、嬉しかったのはその後買い物で立ち寄ったデパートの店員さんに「素敵ですね。その新聞のバッグどうやって作ったんですか?」と聞かれた事で、私もなかなか良いアイデアでお洒落と思っていたので苗物マルシェの事も結構詳しく伝え会話も弾みました(^^♪ 早速2鉢に分けて トマトソーズをかけ過ぎて下のハンバーグ(牛・豚・鳥合いびき)が見えません💦 スタッフからのもう1つのアドバイス通り15本入っている1鉢を土をたっぷり入れた2鉢に分けて、早速晩御飯のハンバーグ&トマトソーズに下の芽を確認しながらハサミで優しく切って乗せました。個人的には料理に赤色と緑色があるだけで色どり鮮やかで幸せな気持ちになります。シソは初めてなので調べてみると葉だけでなく「芽」や「花」も刺身のつまや薬味として食べられるようなので、このシソがもう少しして花が咲くのかどうかとても楽しみです。
2024.05.30
閲覧総数 20
11
昨日(10日)のエスコンでの交流戦「日ハム対阪神」の第2戦の観客数が32,558人(最大で35,000人収容)で今年3月のオープン以来最高となり改めて阪神タイガーズの高い人気を痛感します。 9日(金)の初戦は28,838人の観客が応援する中、今年阪神から移籍した「江越大賀選手」のホームランも飛び出し日ハム、阪神両チームのファンから大きな歓声が送られドラマのような映像に目頭が熱くなりました。 昨日の試合で決勝打を打ったアメリカ育ちの加藤豪将選手のコメントに「虎党のヤジも耳に届かない。関西弁は分かるけど聞き取れない(松井さんがNYでブーイングされた時に嬉しかったと言っていたが、それと同じです)」には笑ってしまいますが、ヒーローインタビューでは先制のヒットを打ったマルティネス選手が日本語で「やりました!」の第一声を受けて加藤選手が英語で「We Did It(やったぜ!)」とその場を盛り上げてくれました。 清正の虎退治(朝鮮出兵時 1592年らしい) 元寇(1274-1281) ところでネットの記事を見て見出しや言葉遣いが上手いなぁと感心させられる事しきりです(海外に住んでいるから特にそう思うのかもしれませんが)初日の時は鎌倉時代の2度のモンゴルの襲撃「蒙古襲来」を引用して「猛虎襲来」を使い、襲ってくるような勢いで観客数が増えたことを表現しています。 そして日ハムの2連勝となった昨日は史実に基づく加藤清正の「虎退治」をそのまま引用です。阪神に勝った時に何度も使われる言葉ですが、改めて調べてみると日本で虎を退治したのではなく豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮に多く生息していたシベリア虎を退治した(実際は銃を使って)その勇気を讃えるお話です。ただ虎退治をした武将は他にも何人もいたそうで(黒田長政もその1人)どうも秀吉が虎の皮や肉がお気に入りという噂が流れそのために行ったという説や、実際には皮や肉の貢ぎ物が多過ぎて秀吉が困惑してしまったという話もあるようです。 蒙古襲来は2回だけ、虎退治は何人も行っているようですが果たして今日の第3戦はどうなるのか2時間後に試合開始です。まさか3連勝しても新庄監督に「皮や肉」が貢がれるという事にはならないと思いますが・・💦日ハムサポーターが掲げる応援グッヅ。ほっこりします。 『追記』今日の試合は「🐯の子の1点を守り抜き阪神が勝利」戦評もなかなか上手です!
2023.06.11
閲覧総数 292
12
シンガポールに20年間住んで住みやすさを実感する1番目が「安全性」です。政府が「犯罪が少ないというのは決して犯罪がゼロではない」とビルや住居のセキュリテイの質を年々向上させています。そして2番目は「ゴミの分別がなくいつでも捨てられる快適さ」です。 12月に入り本帰国を控えて処分する大型の家具の事で不動産屋さんに確認すると4人掛けの食卓テーブル(椅子4脚)、ソファ、机はコンドミニアムの1階にあるごみ置き場には捨てられないので業者にお願いするしかないということで3つ合わせて100ドル~300ドル(1万円~3万円)くらいと言う事でした。不動産屋さんが業者を手配してくれるので問題ないのですが、政府系の住宅(HDB)に住む友人からHDBではどんな大型の家具でもゴミ置き場に捨てたり無料で回収をお願い出来ると聞き驚きました。住宅の種類によって粗大ごみの扱いが違うようですが、それでも日本に比べると手軽に捨てられるという感じです。 シンガポールのフリーペーパー「SingaLife」に「コンドミニアムの場合テーブル、椅子、戸棚などの粗大ごみは粗大ゴミ置き場に置いておくと契約している収集業者が回収してくれます」とあるのでもし費用が発生しても貸主の負担かなと思い、不動産屋さんに相談する前にこの記事を見ていたら無駄な出費が無かったのかなと後悔です。 粗大ごみは別として普段家庭で出るごみに関してはシンガポールは全く分別せずに各階にある「ダストシュート」にポンと捨てるだけでこの生活を20年間続けると帰国してからの事が大袈裟ではなくかなり心配になります。 検索すると日本では各地方自治体によって違いがあり、またダイオキシンを発生させない高額な焼却炉がある自治体はそんなに分別のルールが厳しくないというのもあり統一できないものなのかなぁと考えます。別の記事には分別が嫌であれば直接ゴミ焼却炉へ持って行く手もある等と書かれていますが、車が無い場合まさか地下鉄やバスに乗ってというのはあり得ないだろうなぁとか・・。各自がゴミを増やさない工夫をしながらも少しでも分別の負担を軽くするある程度国内で統一した方法を政府には是非検討してもらいたいです。 「追記」2024年2月28日 本帰国してほぼ2ヵ月が過ぎゴミの分別やごみ捨てのルールを少しずつ学んでいるという感じです。最初はきちんと出来るのだろうかという不安ばかりが大きかったのですが、意外に何だか人間らしい生活をしているような感じです。ゴミを減らすために極力食べ残しや捨てる食材を減らす事、不必要な包装はしてもらわない琴など考えさせらる事が多いです。 何でも楽しんだ者勝ちかなと思ってニトリの「分別ゴミ袋スタンド」をネットで見つけて購入しました。550円という安さも人気の秘密で品切れがで数日待って今日受け取りました。早速3種類のポリ袋をかけてみましたが、なかなかお洒落でこれからの分別も楽しくなりそうです(^^♪
2023.12.19
閲覧総数 497
13
「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
閲覧総数 6668
14
「原田マハの印象派物語」副題は「(美しき)愚かものたちのセブン・ストーリーズ」を図書館から借りて読み始めました。エピソード1の「モネの物語」で始まり、エピソード7の「ゴッホの物語」まで7人の男性画家、2人の女性画家が登場します(7人がフランス人画家)どのエピソードも興味津々ですが、モネの物語の最初の1行目にまず驚きました。「その日の夕刻、クロード・モネはセーヌ川に身を投げた」・・1868年初夏、セーヌ川のほとりで絵を描いている最中に絵を描き続ける事がこんなに苦しいならいっそセーヌに抱かれて死んでしまおうと発作的に身を投げたとあります。 自殺未遂の1年前27歳のモネが渾身の力を込めて描き上げた大作「庭の女たち」が官展(サロン)に落選し、しかも選考委員たちから「絵筆の跡があらわであまりにも嫌だ」「未完成じゃないか」とこき下ろされ事がそれ以前にサロンに入選した経験のあるモネには耐え難い屈辱だったのかと思います。「庭の女たち」の落選の後、絵が売れずパンも買えないほどの極貧生活と自殺未遂は何となく私が抱いていたモネの印象とは違っていました。 その後、サロンの入選、落選が続き1874年の第1回印象派展で「印象 日の出」を出品します。この絵も当初はかなりの酷評を受けたようで古い絵画の伝統を守ろうとするサロンとの戦いがいかに大変だったのかと想像します。やっと作品が売れるようになったのは自殺未遂から12年後(この年にサロンに入選)の40歳になってからです。 画家の自殺と言えばやはりゴッホの拳銃自殺ですが、同氏の著書「リボルバー」でゴーギャンも愛娘が亡くなった知らせをタヒチで受け、自殺を図った事を知りました。モネもゴーギャンも共に未遂で済んだので、結局は現代に残る名画を多く残していますが、もし未遂で済まなかったらと考えると・・やはりゴッホが37歳以降にどんな絵を描いただろうという思いに駆られます。
2024.03.10
閲覧総数 109
15
来月2日まで「道立近代美術館」で開催中の「琳派(細見美術館所蔵品を含む)xアニメ」展は初回はさっと見ただけで2回目の昨日、館内入口のそばに設置されたスクリーンの「細見美術館館長 細見良行」氏の「琳派を語る(15分)」を見てから展示室で絵を見ると何倍もその絵が楽しめるという分かりやすく興味深い解説でした。 原画は「尾形光琳」の「富士三壺図屏」 原画は鈴木基一の「藤花図」 1600年代の江戸時代に俵屋宗達によって平安時代に描かれ始めた大和絵に金・銀・墨を多用し、より美しい絵を描いた画風はその100年後の「尾形光琳」の登場よって名前の1字を取って「琳派」と名付けられ、現代に至るまで長く引き継がれるその画風はおよそ100年ごとに天才絵師が登場しているそうです。今回の琳派とアニメのコラボについて、京都の桃山時代から続く工房「豊和堂(株)」が琳派の絵の模写になじみの深いアニメのキャラクターを加えて全く違和感が無いのは「手塚治虫」の絵自体が大和絵に通じるものがあると解説しています。 そして一番興味を引いたのは1800年代に登場の「酒井抱一(1761-1828)」で実は姫路城城主の次男(大大名)だったそうです。評判を呼び絵の注文が殺到しても大名としての仕事も忙しくなかなか絵を描く時間も取れず、苦肉の策として今や「琳派の天才絵師」と呼ばれる「鈴木基一(1796-1858)」を弟子として雇ったそうです。ただ純粋な意味の弟子ではなく酒井家の家来として雇われたため、鈴木基一としてはもし「殿の気に入らない絵を描いてしまったら切腹ものかも・・」と命がけで描いたというエピソードには笑ってしまいました。 酒井抱一「墨梅」 鈴木基一「月に葛図」 そう言われると「殿の絵」を模倣している感があります。そして転機となったのが酒井抱一の死で、その後鈴木基一はしがらみから解放され自分の描きたい通りの絵を描き海外で琳派と言えば「鈴木基一」と言われるほどの絵師になったようです。 個人的には初めて琳派という言葉と鈴木基一を知ったのは8年前に一時帰国をした時で、たまたま立ち寄ったサントリー美術館で展覧会が開催されていました。生憎時間がなく「朝顔」のパンフレットを持ち帰っただけですがシンガポールに戻ってからもずっと長く記憶に残る絵でした。作家の原田マハ氏の言葉を借りると正に「美術館での一期一会」で、今回鈴木基一の人となりの一端を垣間見る事が出来たのはとても幸運だったと思います。
2024.05.27
閲覧総数 49
16
ロシアのウクライナ侵攻が始まって1ヶ月が過ぎ、ロシアのサンクトペテルブルグにある「エルミタージュ美術館」を訪れる人は現在どのくらいいるのかと考えます。 2011年に3日間エルミタージュ美術館に通いながらも、ロシア革命前にマティスのパトロン的存在だった「セルゲイ・シチューキン」が鬼集した印象派の絵画を直に見ることが目的だったため、膨大な所蔵品の中の有名な絵画もさっと見た程度の物がかなりあったと思います。 そして今でも忘れられない絵がオランダ人画家「レンブラント 1606-1669」の「ダナエ」です。レンブラントは「光と影の魔術師」と称され、「フェルメール 1632-1675)」とほぼ同時期に「バロック芸術(17~18世紀、それまでの宗教画に代わり傑作と言われる肖像画や風景画が描かれた時期)」の巨匠と呼ばれた画家です。1636年 ちょうどこの絵の前に立った時、日本語で解説する声が聞こえ振り向くと日本人の団体ツアーの方々がいました。「この絵には硫酸がかけられて~」の説明が聞こえ「えっ・・」と思ったのですが、じっくり見ることなく写真だけ撮って次の絵に進んでしまったことが今でも悔やまれます。 昨年遅まきながら「ギリシャ神話」に興味を持ち「ダナエ」が神話に登場する女性であるということを知りました。ダナエの父であるアルゴス王の「アクリシオス」は「孫によって殺される」と予言を受けたためダナエを幽閉するものの全能の神「ゼウス」に見初められ黄金の雨に姿を変えたゼウスと結ばれ子を宿すことになります。 ダナエの右手の横にゼウスの姿が暗い色調で描かれているのとは対照的にダナエの裸体は喜びで光り輝くような色彩で描かれています。子は成長して英雄「ペルセウス」となり怪物「メドゥーサ(三姉妹の3女)」を退治したことで有名ですが、予言通りにダナエの父を殺してしまいます。 「ダナエ」の硫酸事件ですが「エルミタージュ見学ガイド」には『1985年6月15日、この日はオランダの巨匠の作品「ダナエ」の最後の日になるところであった。絵に硫酸がかけられ、2ヵ所にナイフの傷を受けた。早急に「レンブラントの部屋」に呼ばれた修復の専門家たちは、キャンバス上に部分的に泡状になった絵の具を見た・・」とあります。 修復作業は約12年間続けられ、完全な修復は叶わなかったものの再び鑑賞者の前に姿を現すことになりました。ネットで調べてみると犯人は「精神疾患を抱えた青年」とありますが、敢えてこの絵を選んだのには何かそれなりの理由があったのかと考えてしまいます。もっとじっくり絵を観賞していたら完全な修復が出来なかった箇所が分かったのかなぁと今更ながらに思います。 ・
2022.04.03
閲覧総数 985
17
原田マハ著「モダン」の2篇目「ロックフェラー・ギャラリーの幽霊」はMOMA(ニューヨーク近代美術館)で監視員として絵画を守るスコットの「現実に起こったかのような」経験を描いています。 閉館間際のある寒い日、この美術館で「最も高価」で「最も価値がある」と上司から言われれている「アヴィニョンの娘たち」について絵画にはほとんど興味がないスコットが正直な気持ちを心の中で呟きます。勤務中は絵画を見ることはほとんどなく観客の動きに全神経を集中するけれど、観客が1人もなく静まり返った「ロックフェラー・ギャラリー」でふと気が緩んでしまったからです。「醜い絵の中のひどく歪んだ顔つきのヌードの5人の女。険しく、醜い顔は人間にはほど遠い。一番右にしゃがんでいる女は、背中を見せているのに、顔は正面を向いていて、その上、どこか未開の地で彫られた呪術用のマスクを連想させる。いや、これが人間の女であるものか、宇宙人と言った方がずっとしっくりくる・・」 そしてその呟きに呼応するかのように「絵」の前に佇む青年が突然目に入ります。その青年は食い入るように絵をみつめ、閉館時間を告げるスコットに「どう思いますか?この作品」と尋ねます。 翌日も閉館間際に現れた青年は「アルフレッド・バー」と名乗り昨日より少し長い会話をスコットと始めます。昨日の質問の答えを・・と思った矢先モニターを見ていた上司から「観客との長い会話は禁止」と無線が入ってしまいます。 気になったスコットは彼が通うバーの常連客で絵画好きの1人から1939年に開催された「パブロ・ピカソ回顧展(ゲルニカを展示)」の図録を借り、そこに挟まれていた新聞の切り抜きからアルフレッド・バーはMOMAの初代館長で1981年に亡くなっていたことを知ります。 世界初のピカソの展覧会を企画したアルフレッド・バーは「ゲルニカ」をスペインのファシズムから守るために回顧展の後もMOMAでの保管をピカソから依頼され、1981年にスペインに戻すまで忠実にその約束を守り抜きます。 図録の「アヴィニョンの娘たち」を見ながら実物がいかに優れているかに気付いたスコットはこ絵についてこう呟きます。 『彼女たちが体現しているのは、人間の心の奥深くに潜む闇だ。真実だ。ピカソ以前の芸術家たちが、決して目を向けようとはしなかった、人間の本質だ。人間は汚い。ずるい。醜い。だからこそ「美」を求める。醜さを超えたところにある本物の「美」を求めて、アーテイストはのたうち回って苦しんでいるんだ』 今思えば、アルフレッド・バーの死から15年後にMOMAでこの絵と対面出来たことをこの小説のお陰で懐かしく思い出しました。不思議なのは絵の周りには私以外の観客はいなくて(他の観客が目に入らなかったのかもしれません)絵の前に置かれたベンチに座って「この絵が持つ意味」に思いを馳せることもなくただボーっと絵を眺めていたことを思い出します。勿論監視員の視線の記憶もなく今、第3者的に自分の行動を振り返ってあの特別な空間がとても懐かしく感じます。
2021.10.19
閲覧総数 344
18
ウクライナで平和を象徴する花が「ひまわり」とニュースで聞いて、思い出すのはやっぱり映画「ひまわり」です。まだ米ソ冷戦(1945-1989)が続く1970年公開のイタリア、フランス、ソ連、アメリカ4か国による合作映画です。 エンディングで地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑のシーンは圧巻で、改めてあのひまわり畑のロケ地はと調べるとウクライナ南部の「ヘルソン州」でした(ヘルソン州はロシアに占領されているとの記事があります)最近ニュースで何度も目にする東部「マリウポリ」の西側に位置する州で首都キーウから南へ500キロほどです。 戦争によって引き起こされた悲劇がロシアのウクライナ侵攻と重なり、現在日本で半世紀を経て「ひまわり」の上映もされているようです。シンガポールの映画館で上映があればじっくり見直してみたい映画です。 そしてネットの記事に1982年6月の「オフコース」の武道館公演で「言葉にできない」の曲の後半に大きなスクリーンに映画「ひまわり」の中のひまわり畑が映し出されたというのを見つけました。これは何かで何回か見た記憶があり「ひまわり」の壮大だけれど何か切なさもある映像をすぐ思い出すことが出来ます。私の記憶が正しければ小田和正さんがまるで楽曲の台詞の1つのように涙を流し歌えなくなったシーンも印象的でした。 現在の状況は正に多くの人が「言葉にできない」という思いだと思います。7月にはヘルソン州で咲き渡るひまわりが本当に「平和を象徴する花」として咲き誇ってくれることを願うばかりです。 数年前に日本から持ち帰ったひまわりの種が開花して小さなひまわりがシンガポールの我が家のベランダに咲いた時は本当に幸せな気持ちになって元気をもらいました。【続報】昨日(7月2日)の夜NHKで「伝説の武道館ライブ オフコース」が放送されて、ちょっと驚きました。特にひまわりがスクリーンに映し出される「言葉にできない」を小田和正さんが歌うシーンは食い入るように見てしまいました。私が覚えていた以上に涙を流し歌えなくなる場面は数回あり、改めてこの曲の素晴らしさと40年の時を超えて「平和」を強くアピールする楽曲という思いを強くしました。
2022.04.04
閲覧総数 2134
19
昨日のネットの記事で2025年開催「大阪・関西万博」で商用運航を目指す「空飛ぶクルマ」のパイロットによる初テストフライトの記事を見ました。 米国企業開発の「ヘクサ」 ちょうど朝ドラ「舞い上がれ」の着地点が2025年の万博からその2年後である事を知って、舞ちゃんが夢だったパイロットデビューをこの「空飛ぶクルマ」でするのかなぁと・・。早速今朝の回で万博の話題が出ていました。 昨日のテストフライトは万博の会場まで「空飛ぶクルマ」を運航する事業者の1つに選ばれた商社「丸紅」等によって大阪城公演で行われたようです。大阪城とのツーショットを見ると現実味が増します。 実は私はアニメに現れたような円盤系に近い簡素なデザインの空飛ぶクルマを想像していたのですが、それは未だ未だ先の話のようで、「ヘクサ」にプロペラが18枚も付いているとちょっと物々しい感じです。全長4.5m 高さ2.4m 重さ221㎏で1回の充電で10㎞飛べるそうです。 テストフライトはプロペラが回り始めると機体は8mほどの高さに上昇し、上空で50m四方で前後左右に移動したり旋回した後着陸したと記事にあり、初フライトは無事成功だったようです。 「舞い上がれ」のクランクアップは先月10日なので、舞ちゃんがこれと同型の空飛ぶクルマを運転するシーン(大河内教官の指導の下✈もちょっと期待)は撮影済みと推測しますががこのシーンが出てくるのは来週?それとも最終週?と今から期待で一杯です。 そしてドラマではなく現実世界で今から2年後にクルマが空を飛んでいる・・・。未だ未だ私には実感が湧かないですが、取りあえずはドラマの中で一足先の疑似体験をと楽しみにしています。
2023.03.15
閲覧総数 148
20
先週放送の朝ドラ「らんまん」の中で田中哲司さん演じる徳永助教授の株がぐんと上がるシーンがあって上手な脚本だなぁと感心しきりでした。 夕顔の邸を訪れる「光源氏」 ネットの画像から 小学校中退の万太郎に嫌味を言ったり冷たい態度を取っていた徳永助教授が田邊教授の万太郎の会報誌発行のための努力に対して冷徹な言葉を聞いた後、万太郎への同情を抑えられず大学の庭に咲く朝顔と昼顔を眺めていた万太郎に「朝顔、昼顔、夕顔で種類が違うのはどーれだ?」と話しかけます。万太郎が「夕顔です」と正解を言うと「自分は文学が好きで源氏物語の登場人物では夕顔が好き💓」と初めて万太郎に素顔を見せ自分の事を話します。 源氏物語を彩る女性達の中で「夕顔が好き」というのは私には意外で、それは夕顔は光源氏に愛されながらも「六条御息所」に嫉妬から呪い殺されてしまった・・というちょっと暗くて儚すぎるイメージがずっとあるからです。 日本にいた時に田辺聖子著「新源氏物語」と大和和紀氏の漫画「あさきゆめみし」を読みましたが、記憶が薄れているのでウィキペデイアで夕顔を見てみると、光源氏の従妹であり友人、そして最初の正妻「葵の上」の兄である「頭中将」の側室で「玉鬘」という子供をもうけていました。その美しさから正妻の嫉妬を買い、頭中将の前から姿を消しひっそりと夕顔が咲き乱れる邸で暮らしている所を光源氏に見初められ逢瀬を重ねますが、今度は六条御息所の嫉妬で短い生涯を閉じます。ウィキペデイアの解説では夕顔を「佳人薄命を絵に描いたような女性」と締めくくっています。 徳永助教授はこういう女性がタイプなんだぁと、何だか普段は見せない「繊細な心」を垣間見たようで数分のシーンでいきなりかなりの好人物に!田邊教授の冷徹さを見せるシーンとの相乗効果も相まって、やっぱり上手な脚本だなぁと・・。明日からの寿恵子との結婚への準備や果たして竹雄の恋の行方は?と展開がとても楽しみです。 余談ですが、来年のNHK大河「光る君へ」は源氏物語の作者「紫式部」の生涯なので楽しみにしていますが、源氏物語に登場する女性達のエピソードは語られることはあるのかなぁと・・。因みに紫式部は「空蝉」という女性に自分を投影させているというのを読んだ事があります。光源氏に強く魅かれ言い寄られながらも上手にそれをかわす「超・理性的」な女性。やっぱり徳永助教授はこんな女性はあまりタイプではないんだなぁと、ちょっと嬉しい気持ちです。
2023.06.18
閲覧総数 348
21
美術館新館開館40年を記念しての所蔵品展の案内の中の「恋をしなくちゃいい絵は描けない」「恋する画家の陶酔ざんまい」の言葉に惹かれて先週の日曜に「北海道立三岸好太郎美術館」行って来ました。画家と恋というとすぐピカソが浮かんできますが、果たして三岸好太郎(1903-1934)も31年という短い生涯で「恋ざんまい」だったのかと思うと、この言葉は妻であり同じく洋画家の「三岸節子」へ掛けた言葉とパネルに説明がありました。「俺が死んだらなぁ、お前、恋をしなくちゃいい絵が描けないぞ」 かねてから「自分は30歳で生涯を終える」と言っていた三岸好太郎はその予言の1年後に亡くなっています。この言葉がいつ言われたのか謎ですが画家三岸節子への応援の言葉であり揺るぎない永遠の愛情を感じます。 「ヒマラヤ杉と蝶」1934年 「オーケストラ」1933年 短い生涯で描き上げた220点ほどの作品がこの美術館に寄贈され「蝶と貝殻シリーズ」や「オーケストラ」は特に高い評価を得た作品です。 パネルの説明を読み進んで行くと「恋」に関しては妻の三岸節子を悩ます事も多かったようですが、「陶酔」に関しては「中国やヨーロッパに陶酔」「美女に陶酔」「音楽に陶酔」「悪魔的境地に陶酔」の他に「せっちゃん(三岸節子)に陶酔」もあってこれにはほっこりさせられます。 じっくりとパネルも読みながら作品を鑑賞して、帰り際に隣の敷地にある「北海道知事公館庭園解放」のお知らせが目に入りました。公館内の見学も出来きるようで、ちょうど再来週辺り満開になるはずの🌸を見るのに絶好の場所と開花がとても待ち遠しくなりました。市の中心部ながら雄大さも感じられる自然に触れ合えるのは北海道ならではとちょっと誇らしい気持ちです。
2024.04.16
閲覧総数 82
22
昨日北海道の札幌と函館で桜の開花宣言がありました。ちょうどジムへ向かう途中にある「倉式珈琲店(今年2月末で閉店)」のほぼ敷地内にある樹木に咲き始めた花があまりに可憐で写真に撮りました。 4月18日 3月28日(閉店から1か月後) 北海道では梅と桜が同時期に咲くため見分けるのが難しく検索して調べてみましたが白とピンクの花は多分桜かなと思います。ふと菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひ おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」が浮かびました。菅原道真が左大臣の圧力によって京の都から大宰府に左遷させらた時(901年)に詠んだ歌で、大河「光る君へ」と同じ平安時代ですが1100年以上の時を経ても花に対する愛情がひしと伝わる名句だなぁと思います。 本帰国して1か月後ぐらいに倉式珈琲店を見た時は何て大きな看板と建物と広い敷地だろうと思っただけですが、その後2月末に閉店と分かり、閉店間際に滑り込みで行って来ました。 運よく窓際の席が空いていて珈琲とお勧めのスイーツを注文してからゆっくりと店内を見渡したり、窓外の樹木や雪景色を眺めました。徐々に外も暗くなって来て全くライトアップされていない外の景色は却って神秘的な感じがしました。珈琲の味わいも店内の落ち着いた雰囲気も申し分なく、このお店が閉店するのは何とももったいないなぁと思いました。 ところで樹木の花はここ数日立ち止まって写真を撮る人達を見かけるようになり、すぐ隣の敷地にあった「ベーカリー レストラン サンマルク」も昨年2月に閉店の張り紙をドアにしたままの寂しい状態になっています。主(お店やお客さん)がいなくなっても春を忘れないでこれから更に花々が咲き乱れるのかなぁと思いますが、この景色に見合うような素敵なカフェがまた誕生して呉れる事を切に願います。
2024.04.19
閲覧総数 119
23
何故「今日がアイスクリームの日?」と検索すると「東京オリンピックの開催年の1964年、アイスクリームのシーズンとなる連休明けの今日をアイスクリームデーと決め祭典を開催、それ以降毎年アイスクリームの日として角地でイベントが行われている」とあり、今年この事を初めて知りました。 アイスクリームの画像でよく登場するのがコーンタイプの「ソフトクリーム」でどんな違いがあるのかこれも検索すると「ソフトクリームはー6°C前後で機械で空気を含ませて柔らかく仕上げた物、アイスクリームはー18°Cで凍らせていてカチカチな状態からゆっくりと溶け感を楽しむ物」とありなるほどです。 そしてソフトクリームで思い出すのが昨年のNHK「チコちゃんに叱られる」の「なぜアイスクリームはコーンに乗っているの?」です。コーン誕生の歴史については20世紀初頭に遡ります。アメリカの街中の屋台で最初はガラスの器に入れて売っていたアイスクリームが、ある酷暑の日にバカ売れしてガラスの器が追い付かなくなり、ふと隣を見ると暑い日に温かいワッフルを売っている屋台は閑古鳥が鳴いています。たまたま売れ残っているワッフルにアイスを挟んで急場をしのぎ、その後現在のコーンの形に改良されたというストーリーです。何がきっかけで長く後世に引き継がれる物が作られるか分からないものだなぁと感心して、記憶に残る回でした。 ふと日本でアイスクリームが登場したのはいつだろうと調べてみると明治2年(1869年)で横浜の馬車道通りに開店した「氷水屋」でした。勿論コーンではなくガラスの器で出されたはずですが、何と今の値段に換算すると8千円という超高級品だったそうです。「たい焼きソフトクリーム(コーンではなく紙です💦)ネットの画像から。 北海道は特に昨日は冷え込み今日も外でアイスクリームを堪能する気温までは上がらないようですが、20°を超える予想の今週末に前からちょっと気になっていた「たいやき工房」のたい焼きソフトクリームを食べに行こうと思っています。【追記】5月11日 今日は札幌も気温が上がってアイス日和となりました。620円のたい焼きソフトクリームをお店の外のベンチに座って美味しく頂きました。 ソフトクリームは初めて食べるほうじ茶とミルクのミックスで、クリスピーなたい焼きの皮(羽の部分は特に)とソフトクリームは絶妙なマリアージュでした!
2024.05.09
閲覧総数 84
24
昨日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインのテイスティングは6本のうち3本がヴェノト州で「アマローネ」、ピエモンテ州の「バローロ」と予想を裏切らないワインが続きました。そして前回と同じ最後のスペシャルサービスの1本はブラインドテイスティングで店主からこれは「バルバレスコ?」それとも「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ?」と聞かれ参加者15名の挙手となりました。私はどちらも飲んだことがない上に2本のワインの知識もなく「降参」と思いましたが、隣の席の参加者がかなりのワイン通で「このワインはサンジョベーゼに間違いないですよ」と教えてくれたので、ちゃっかり私もブルネッロに挙手して正解となりました(笑)ポデーレ・ブリッツィオ ブルネッロ・ティ・モンタルチーノ 2018年 売値12,800円 トスカーナ州で造るサンジョヴェーゼ・グロッソ100%のワインでブルネッロとも呼ばれるこの葡萄品種がサンジョベーゼのクローンである事を初めて知りました。サンジョベーゼと言えば軽いキャンティのイメージが強すぎてしばらく飲んでいませんでしたが、やはりブルネッロがイタリアワインの女王と呼ばれるのに相応しいいと実感です。売値が12,800円とパネルに出て参加者からちょっと溜息が出ましたが、ワインも特に5月からじわじわっと値上げの状況だそうです。 6本の中で個人的に嬉しかったのは先日日記に書いたシチリアの白と同じ葡萄品種GRILLO(グリッロ)があった事で参加者から「シチリアの白ってあまり聞かないですね」の声もあり、すかさ携帯の画像を自慢げに見せてしまいました💦 ディ・ジョヴァンナ ヘリオス グリッロ 2019年 左がテイスティングのグリッロで売値も3,580円と私がJUPITERで購入した右のワインの3倍でそれだけふくよかでコクのあるワインでした。ただただ味の比較が出来ただけでも運が良かったなぁと・・。 そして今回のイタリアから一本買ってと思っていたのですが(参加者は10%引きです)店主の話の中で「余談ですが実は今ウルグアイのワインって注目を浴びているんです」を聞いてウルグアイ産の「ソーヴィニヨンブラン」を購入してしまいました。何に合わせようかなと思案中でこれもまた至福の時です。
2024.05.10
閲覧総数 31
25
今朝のネットの記事に地方銀行の1つ「北海道銀行」の窓口経由で同銀行の口座に振り込む際の手数料220円(3万円未満)と440円(3万円以上)を今年7月から統一して880円に値上げするとあって驚きました。そのすぐ後のNHKのローカルニュースでもう1つの道内の地方銀行「北洋銀行」と北海道銀行の3月期の決算について詳細がありました。 北洋銀行は純利益で前期比23億円増の128億円と22%のアップに対して北海道銀行は前期とほぼ同じ2.3%増の85億円に留まったそうです。北洋銀行の増益の理由について個人向けの住宅ローンが堅調だった事、有価証券の利息配当が増えた事などを挙げています。 一方で北海道銀行は株高の恩恵があったものの低い伸び率になった理由を今年4月にオープンさせた「道銀の新ビル」の新築や移転費用がかさんだ事を挙げています。振り込み手数料の値上げの理由なのかなと推測します。そうだとすると納得いかないのは来期に向けて純益を少しでも伸ばすために利用者の負担増というのはいかがな物かなぁという事です。例えば電気・ガス代のように世界情勢で原材料費の高騰があって値上げと目に見える理由があれば別ですが、果たして「新ビル」を望んだのは利用者ですか?と聞いてみたいです。新ビル建設を企画した人達は将来的にこのビルのテナントから受け取る収益等も試算しているはずですが、そういう事が現状に反映されていないと感じます。 更に振り込み手数料についてインターネットバンキングを利用した場合は値下げで無料になるそうです。日本での高齢者のインターネットバンキングの利用率は分かりませんが、またしても高齢者に優しくない「改悪」かなと思います。新ビルで立派な銀行になったけれど「振り込み等で窓口にはあまり来ないで下さいね」という事なのかなぁと。 昨年まで住んでいたシンガポールの銀行には「DBS」という政府系の銀行があり(子供が生まれた時にすぐこの銀行に口座が開かれるシステムになっています)もし納得いかない値上げがあったら利用者は即政府にクレームすると思います。1院制で独裁政治の印象が強いシンガポールですが政権維持のためには広く国民の意見に耳を傾け対策を講じる国です。日本でももっと声を上げていいのでは?という気になります。私たちは利用者ではなく「お客様」なのだから。 余談ですが本帰国後一番難儀しているのが「証券会社」です。1月から何度か連絡しましたが店頭での対応は予約が必要で、4か月経ってやっと来週の月曜に予約が取れました(電話では人員不足で💦という事でした)全ての証券会社がこうではないとは思っても疑問が大いにあります。
2024.05.15
閲覧総数 82
26
日刊スポーツのネット版に図解でフォースボークの説明がありました。 今週の水曜にエスコンで行われた日ハム対西武の試合は日ハムのホームラン3本もあり12対3と圧勝でしたが、2回裏「新庄トリック」と呼ばれた奇襲「Force Balk(フォースボーク)」を私は初めて見ました。一塁ランナーのスティーブンソン選手が二塁へスタートした時は「無謀な盗塁💦」と思いましたが、一、二塁間で挟まれれいる間に水野選手が生還して1点!その時は運が良かったと思いましたが、後でネットの記事を見るとこの奇襲も選手がキャンプの時から練習をしてきた事と監督のある読みで今季初めて実行し成功したことを知り「監督、いい仕事してるなぁ」と思いました。そもそも初めて聞くフォースボークを調べてみると下記の説明がありました。「野球で、一・三塁にランナーがいる時に一塁走者が敢えて塁から大きく離れ、投手が一塁に牽制球を投げようとした際に三塁走者が本塁に進塁する素振りを見せることで、意図的に投手のボークを誘発させる戦法のこと。投手がプレートを外さずに一塁への牽制を中断し、本塁に送球した場合、ボークと見なされるというルールを利用したものである。フォースボークが成功した場合、一塁走者と三塁走者にそれぞれ安全進塁権が与えられ、1点と二塁への進塁が得られる」 監督の読みは「一塁を守っているのがルーキーの村田選手なのでピッチャーからの牽制球を経験が少ないルーキーであれば間違いなく二塁に投げるだろう」という事でごれがピシャリと当たってしまいました。選手の起用について監督の采配が当たったとか外れたというのはよく聞きますが、数少ない幸運とも言えるシチュエーションでの「監督の読み」には良い仕事してるなぁと。一日空いて昨日のロッテ戦でも何か奇襲が・・と期待しましたがこちらは残念ながらそれはなく延長12回で引き分けでした。令和の怪物と言われる佐々木朗希投手先発の試合での引き分けもやっぱり「アッパレ!」と拍手を送ります(マルティネス選手の足がもうちょっと速かったらなぁと💦)
2024.05.18
閲覧総数 111
27
今朝のNHK「あさイチ」のコーナーで岩見沢市にある農場「北海道ウィングファーム」で生産する「フランス鴨の卵」を紹介していました。鶏卵よりちょっと大きめで殻が硬いので割る時に力を入れる必要があるそうです。割った卵は「オムレツに?」と思っていたら日本のソールフード「卵かけご飯」が映し出されました。クリーミーで甘みもあり一味違う美味しい卵かけご飯が味わえるようです。 プリン等のデザートも試作中だそうです。 良好な環境と良質なエサで1日300個ぐらい産卵。 この農場で飼っている鴨は「バリバリー種」というフランスで一番好んで使われる品種で鴨の中でも最も大型だそうです。肉質が柔らかく臭みやクセが少ないようなので卵以外の製品にも興味深々です。 与えるエサのこだわりについては美唄市産の玄米を入れたり、長沼町で作る「おから」にカルシウムを増やすために温泉水を混ぜているという事でした。気になるお値段は1個100円で希少価値の卵にしては安いと思いましたが10個だと1000円なのでやっぱり高級卵です。早速「北海道ウィングファーム」のホームぺージにアクセスしましたが残何ながら50個入り、22個入り共完売でした。産卵は夏までという事なので運よく今年食べられるかなぁと・・。やっぱり卵かけご飯とフランス起源のオムレツを作ってみたいものです。 ふとオムレツは本当にフランス起源?と思って調べると「古代ペルシャ説」が有力のようです。ただ現代に近いオムレツはやっぱり16世紀フランス発祥だそうです。フランス語の「Omelette」から日本語のオムレツだからやっぱり当然です。因みに日本では6月2日が「オムレツの日」でした。これはフランス語の「オム→6」「レツ→2」の語呂合わせだそうで「日本シュリンク包装卵協会」が「オムレツを通して健康を育む日にしたい」という想いから制定したそうです。色々考えるものだなぁと🥚出来れば6月2日にフランス鴨の卵のオムレツにフランス産の美味しい白かロゼワインを頂きたいものです。
2024.05.20
閲覧総数 74