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今年4月にニューヨークの「メトロポリタン美術館」でボランティアスタッフとして勤務する眞子さんが「山田真山」の絵画について実名で解説文を書いた事が話題になりました。 その後について気になっていたところ、昨日のネットの記事で「ご先祖の至宝が自分の将来を守ってくれるか・・」というネットの記事を見つけました。 記事は『菅前首相が官房長官時代から「皇室財産(三の丸尚蔵館収蔵品)」の「観光資源化政策」を推し進めていた』で始まっています。皇室財産を「国宝」に格下げすることによって地方美術館や海外の美術館への貸し出し(展示)で観光客を集めたり収益を得るという目的のためで、少なくても数百の国宝が新たに生まれる可能性があるそうです。 そして昨年の9月には「伊藤若沖」の絵画や「蒙古襲来絵詞」等5点が皇室財産から国宝に既に指定されていました。 「蒙古襲来絵詞」 ネットの画像から。 ちょうど「塩野七海」著「男の肖像」の一篇「北条時宗(元寇の時の執権)」と「百田尚樹」著「新版 日本国紀」の「第四章 鎌倉幕府~」で侵攻を受けた国々の中で唯一日本だけが「元」に侵略されなかった事、御家人達が時宗の指揮の下いかに勇猛果敢に戦ったのかを初めて知りました。確か学校の教科書では「大暴風雨によって~」と強調されていたと思うのですが、それも百田氏は朝廷が武士団の功績を過少評価するための作られた「神風信仰」になったのではと考えています。そして時宗の功績が正しく評価(従一位を追贈)されたのは約600年後、日本が日露戦争に突入した年だったそうです。 記事はこの国宝の観光資源化が眞子さんがメトロポリタン美術館で勤務を続ける「追い風」になり「ご先祖の皇室が自分の将来を守ってくれるという希望を抱いているだろうか・・。」で締めくくられています。確かに「皇室財産」級の「国宝」が眞子さんのツテでメトロポリタン美術館で展示というのは「運も実力のうち」を感じさせます。
2022.06.05
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「夢」1932年 130x96.5㎝ モデルの「マリー・テレーズ・ワルテル 1909-1977」 ピカソの「夢」は1990年出版の同朋舎「週刊グレートアーティスト ピカソ」で初めて見ました。その時は絵のモデルについてもほとんど知識が無く、ただ強く印象に残る絵として一目惚れし、その時から「一番好きな絵は?」と聞かれると「ピカソの夢」と答えてしまいます。 絵の下には「ニューヨーク ・ヴィクトール・W・ガンツ夫妻蔵」、絵の説明には「ピカソは一定の距離を置きながらもシュルレアリズム(意識下の心の動きを取り出して見せようとすること)に関心を抱いていた。夢はシュルレアリストの好むテーマである。顔は横顔と正面から見た顔が一つに合わさっており月の位相を暗示しているようだ」と書かれています。 改めて「夢」について検索すると「おそらく下が横向きのマリー・テレーズで上側が横向きのピカソで、キスした状態を表現している」という解釈もあるようです。私は単純に顔の中央に使われた黒という色、顔の左右の微妙な肌色の違いに現実と夢の間を行き来するような謎めいたところに魅かれています。 ガンツ夫妻はこの絵を1941年に7千ドルで購入、1997年にガンツ夫人が亡くなった後、競売にかけられ、ウォルフガング・フロットル氏が購入するも彼の経済的理由で2001年に6千万ドルでラスベガスのカジノ王「スティーブ・ウィン」氏に売却しています。 まだガンツ夫妻蔵であった1996年にニューヨークのMOMAに行きました。ピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」を直に見て美術の教科書に載っていた絵が見られたことに満足しましたが、やはり「夢」が気になり美術館のスタッフに「夢がここで展示されたことはあった?」と聞くと、あっさり「この前まで~」と答えが返って来て、私の英語が通じていないんだなぁと思ったのですが、その後ギフトショップに行くとレターセットの箱に「夢」が使われていてすぐ購入しました。 そして2006年スティーブ・ウィン氏は1億3千9百万ドルで「スティーブ・A・コーエン」氏に「夢」の売却を決めます。ところが最後のお披露目に招待した親しい知人達の前で絵について解説していたウィン氏が眩暈を起こし肘で絵に穴を開けてしまうというハプニングが起きました。それから数年間に及ぶ絵の修復があり無事2013年に1億5千万ドル(高くなっています!)でコーエン氏の手元に届きました。 高価な絵が決して大傑作とは言えないと思いますが、私の中ではこれだけこの絵に対して個人蔵に拘る理由がほんの少し分かるような気もします。そして出来れば修復された絵であってもいつかこの絵を直に見てみたいものだと思います(MOMAでの展示があったかどうかは原田マハさんにファンレターを書いて質問という手もあるのかなと・・) 明日はパリの「ピカソ美術館」について書きます。
2022.03.30
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先週は小室圭さんのNYの司法試験不合格のニュースが流れ、自分自身の今思えばとるに足らないような多くの落ちた試験の事を考えて、ここまで「時の人」になってしまった人の「不合格」の通知、発表の重たさを考えて胸が痛くなりました。 そんな時に昨日NYへの移住が現実化した後の眞子さんの仕事についての記事を見つけました。以前から仕事をしたいという記事は見ていましたが、具体的に書かれていたのは初めてです。『在ニューヨーク邦人によると、眞子さんは渡米後、現地の有名美術館「メトロポリタン美術館」で学芸員として勤務する見通しで、その場合の年収は約1500万円とみられている』 絵画、美術館好きとしては嬉しいニュースです。メトロポリタン美術館所蔵の日本画などを中心に研究を行っていくのかなと想像します。 メトロポリタン美術館の所蔵作品を検索すると江戸時代の「鈴木其一」の「朝顔図屏風」が出てきました。2016年東京ミッドタウンのサントリー美術館に立ち寄った際に、その画家の名前を初めて知りました。黄色、緑、深い青色のコントラストが深く印象に残る作品です。 かなり以前に1度だけメトロポリタン美術館を訪問したことがありますが、記憶にあるのは入場料が本人の希望額で戸惑ったこと、あまりの広さに館内で迷子状態だったこと、そして一番印象に残る絵はゴッホが亡くなる前年に療養所の生活の中で描いた「アイリス」です。 「ゴッホ週刊美術館」には「スケッチをしに外に出ることも容易に出来ない窮屈な環境の中で、そこの小さな庭の中に絵画への意欲を再び掻き立ててくれる題材を見つける。その1つがアイリスでした。そしてひまわりの情熱に対してアイリスは静寂を表している」と書かれています。ギフトショップで買った絵葉書 何枚もこの絵葉書を買ってアメリカ旅行の感想を書いて友人達に送りましたが、書き損じのあったこの1枚だけが残っています。 窮屈な環境というのが少し眞子さんにも繋がって・・。絵画により深く接して、絵画を通して多くの癒しが得られることを願っています。
2021.11.01
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2020年の10月に書いた日記と今年の後日談です。ネットからの画像 「夢」1910年 ニューヨーク近代美術館(MOMA)所蔵 原田マハ氏の著書「楽園のカンヴァス」の表紙にも使われている絵です。私が知っている「夢」というタイトルではピカソ、マティスに次ぐ3枚目の夢です。 もし「楽園のカンヴァス」を読まなかったら画家「アンリ・ルソー」の絵に興味を持つことはなかったと思います。 この作品はヤドヴィガというポーランド人女性をモデルにした、アンリ・ルソー制作最後の作品となっています。 初期の作品は画家仲間からも不評で、この絵を深く理解してもらうために「夢のための銘刻」と題した自らの詩を添えたそうです。 『美しい夢のなかのヤドヴィガはやさしく眠りにおち、善意の<ヘビ>魔法使いが奏でる、リード楽器の音が聞こえる。月が川<または花>、樹に映るにつれ、野性のヘビは楽器の楽しくなる音に耳を貸す。』 「楽園のカンヴァス」はアンリ・ルソーの人生を描きながら、伏線となったこの絵のモデルヤドヴィガと彼女の夫がキーパーソンとなる素晴らしい絵画ミステリーで話の中に引き込まれていくうちにアンリ・ルソーの絵にも興味を持つようになりました。 原田マハ氏はニューヨーク近代美術館(MOMA)のインターナショナルプログラムに所属していた時期もあるので、この絵を直に見て小説の構想を得たのかなと想像します。 今年1月、NHK「あさイチのプレミアムトーク」に原田マハ氏が出演して、この「夢」について解説するという私にとっては珠玉の時間がありました。やはりMOMAでこの絵を見て触発され初めての小説を書いたそうです。そしてもう一つ小説を書くきっかけがダン・ブラウン著の「ダヴィンチ・コード」で、「ここまで書いていいんだぁ~」と小説を書くための背中を押してくれたと説明がありました。 一度だけ行ったMOMAで残念ながらこの絵を見た記憶がありません。私にとっての1枚目の「ピカソの夢」のことばかり考えていて、館内のスタッフに「夢の展示はありましたか?」と聞いて「この前まで~」の返事はもしかしてルソーの夢のことだったのかなぁと今更ながらに考えています。
2020.10.22
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