プロフィール

ひるゆめ

ひるゆめ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.06.27
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
全ては自分の後に続くであろう世代のため、だったそうです

 碩学って言葉があります。
 深く高い知識を持っている人のことを碩学者なんて言い方をすることがあります。
 要するに「知識の塔」って事です。

 ふと思い立ちまして、今日は小学校時代の恩師が全校朝会にて語った「日本に於ける漢学最高の碩学者」の足跡、少しだとは思いますが触れに行って来ました。



大漢和辞典の編纂者、諸橋轍次先生の功績を伝える記念館です。

 中学校や高校には時々、大学では割と多いんじゃないかと思いますが大漢和辞典と言う分厚い全13巻+索引書1巻からなる14冊構成の辞書群。
 収録文字数は50,000字を数え、それを細かく解説するために費やされた文字は実に500,000字になるという今以て日本国内での漢和辞典では最高峰にある辞書になります。
 その編纂を行ったのが諸橋先生になります。
 その事業、「舟を編む」のを秒で通り越して「宇宙船を編む」に値するのではないでしょうか。
 況してや1巻の刊行は活版印刷で行われていたと言います。先生の手による編纂だけでなく、担当していた活版職人たちからも悲鳴が上がっていたのではないでしょうか。
 更には東京大空襲によって印刷所が焼け、組み上がっていた13巻分の活版組が全て焼失したことさえありました。
 それでも折れず挫けずに編纂と研鑽を重ね、漢和辞典製作の依頼を受けてから実に30年の時を経て全14巻構成の大漢和辞典は世に放たれました。
 そして、放たれた直後に更なる磨きをかけていったと言います。
 自分のように中国語を勉強したことがある人は勿論、単純に読み方や意味を調べるだけだとしてもこれ以上の資料になるものは無い。………それが諸橋轍次先生の大漢和辞典なんです。



 解説対象の50,000字をただ並べただけでも眩暈を覚えるようなパネルが出来るんですが、それを解説するために更に500,000字を使われている、とか。
 一度全ての原稿が焼けていることや活版印刷に代わる新技術があったとしても膨大の言葉すら生ぬるい事業であったことは自分にだって想像できます。
 それでも先生が生涯を掛けてでもやり切った理由は只1つ。

全ては自分の後に続くであろう世代のため

 中国へ2年の留学経験を持つ先生が感じた事の1つに「時間が勿体無く、つまらない」と感じられたことがあるそうです。
 と言うのも当時の留学生活は「1日の4分の一を漢字の意味を確かめるのに使われていたから」。
 どうにかしないといけないと感じられたそうです。
 大学で教鞭を執り、折を以て皇室にも知を揮った先生はそれでも、何処までも腰の低い人だったとも言います。
 そんな先生の足跡、膨大な資料とともに辿るのは楽しくも圧倒された2時間でした………。













 諸橋先生は碩学に合わず、謙虚な人だったと言います。
 教育者の家庭に生まれ、西遊記などを好んで読み、そして何より人と地元を愛した方だったと言います。
 諸橋轍次記念館はそんな先生の人と為り、そして功績が目と肌で感じられる素晴らしい記念館でした。

 「百里を行く者は九十を半ばとす」と言う諺の語源が史書の1つ『戦国策』からの出典だったのはちょっと驚きでした。
 そんな不意の出逢いもありました。
 残念ながら真偽を確かめる術が余りありませんが、自分がうっすら見聞きしていた限りで希薄に不思議な縁があるらしい郷土の知の巨人。
 実は大漢和辞典に触れるのは今日が初めてで、それでも途轍もない気遣いの為された辞書であることに衝撃を受けました。
 大漢和辞典は最終的に教え子さんや多数の協力者の手があって成立したものですが、構成や内容、並べられた資料の数々をまとめていたのは諸橋先生になります。
 深く高い知識とそれを裏打ちできる膨大な資料があってできた偉業であるのは確かで、そんな人の足跡を訪ねると言うのはいつも面白いです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.06.27 22:12:48
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: