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謎に満ちたフェルメールの生涯、謎に満ちた「青いターバンの少女」この少女はいったい誰なのか?(前回のブログの続きです)リュウちゃんの「俄かフェルメール極め」のブログ、後半に入ります。冒頭に掲げた「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」は、このブログの2番目(全体で22番目)に正式に(!)再登場しますが、今回のブログではアイキャッチとして冒頭に登場してもらいました。前回のブログでもちょっと書きましたように、リュウちゃんがフェルメールという画家の名前を知ったのは、多分(?)平成12年(西暦2000年)です。恐らく20世紀には、一部専門家を除いて、一般にはフェルメールの名前は殆ど知られていなかったのではないでしょうか?リュウちゃんが中学生だった昭和30年代、中学校に美術の教科書には、17世紀オランダの画家としては、レンブラントがただ一人掲載されていた筈です(当時の美術の教科書には、確かレンブラントの代表作「夜警」の写真が掲載されていたという記憶があります)21世紀に入って、急にフェルメールの名前は日本でポピュラーになりましたが、現在でもフェルメールはリュウちゃんも含め、大半の日本人にとりましては「謎の画家」なのではないでしょうか?よし、それでは著名なレンブラントとフェルメールの年譜を併記して、フェルメールの謎に迫ってみよう!ということで、やや煩雑になりますが、本題に入る前に2人の「年譜」を以下に書いてみます。<フェルメール(◎)&レンブラント(★)年譜>★1606年、アムステルダムに近いライデンで生まれる(家業は製粉業)★1620年、14歳でライデン大学に入学するも、同年又は翌年に退学、歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフ(英語版)に弟子入りして絵画をの道に進む。★1624年に18歳の時、当時オランダ最高の歴史画家と言われたアムステルダムのピーテル・ラストマンに半年間師事した。★1625年(19歳)、実家にアトリエを構え、処女作とされる「聖ステバノの殉教」を製作。(レンブラントの処女作「聖ステバノの殉教」)★1628年(22歳)、初めて弟子を取る★1630年(24歳)工房をアムステルダムに移す。◎1632年、ヨハネス・フェルメール、オランダの中都市「デルフト」で生まれる。父の本業は絹織物職人、傍ら、父はパブと宿屋を営んでいた(この時、レンブラントは26歳、レンブラントはフェルメールよりも26歳年上だった)(現代のデルフト)★1632年、出世作であり代表作の一つである「テュルプ博士の解剖学講義」を製作。(テュルプ博士の解剖学講義)★1634年、裕福なサスキア・ファン・オイレンブルグと結婚、この結婚により多額の持参金とアムステルダムの富裕層へのコネクションをレンブラントにもたらし、正式にアムステルダム市民として承認されると共に、オランダの画家のギルドである「聖ルカ組合」のメンバー(親方になる)の一員になった(28歳)★1642年、代表作の一つである「夜警(フランス・バニング・コック隊長の市警団)」を完成(36歳)(夜警)★1642年、妻のサスキア死去、莫大な遺産を受け継いだが、この頃からレンブラントの人生は暗転し始めた。◎1653年、カタリ―ナ・ボルネスと結婚(21歳)、結婚後、しばらくしてカタリ―ナの大変裕福な母親、マリアの実家で生活、カタリ―ナとの間に15人の子供が生まれた。またこの年、デルフトの「聖ルカ組合」に親方画家として登録、◎1654年頃(22歳)、現存する最初期の作品「マリアとマルタの家のキリスト」制作、★1656年、浪費癖により破産、無一文となり、豪邸から貧民街に移住、しかし彼の芸術探求の意気は衰えなかった。◎1657年(25歳)生涯最大のパトロンであるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンの知遇を得る。このパトロンはフェルメールを支え続け、彼の作品を20点所持していた。彼の援助があったからこそ、仕事をじっくり丁寧にこなすことができ、年間2、3作という寡作でも問題なかったと考えられる。◎1662年から2年間(30~32歳)、最年少で聖ルカ組合の理事を務め、また1670年からも2年間同じ役職に就いている。2度にわたって画家の組合である聖ルカ組合の理事に選出されるのは大変珍しいことであり、生前から画家として高い評価を受けていたことが窺われる。◎1665年頃(33歳頃)、代表作「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」制作、★1669年、死去(享年63歳)◎1672年(40歳)、第三次英蘭戦争が始まり、オランダ本土は荒廃、加えて最大のパトロンだったファン・ライフェンがこの頃死去「不遇の時代」に入る。◎1675年(42歳か43歳)、死去。レンブラントは大きな工房を運営し、多数の弟子を持っていましたが、フェルメールは弟子を持たず、一人で制作に励んだようです(「フェルメールの弟子」をネット検索しましたが、全くヒットしませんでした)。このことがレンブラントとフェルメールの生涯制作点数(レンブラント:700~1000点、フェルメール:30数点)という差になったのかな?とリュウちゃんは思っています。それでは前回に続き、フェルメールの作品の紹介をしていきます。<フェルメール作品一覧(2)>(21)「赤い帽子の女」制作年代:1665年〜1666年頃、(技法:板、油彩)、サイズ:22.8×18cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー(来日履歴):1回(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)「他のフェルメール作品に比べて例外的にサイズが小さいこと、カンヴァスでなく板に描かれていることなど異色の作品であり、フェルメールの真作であるかどうか疑問視する意見もある。絵の前面には、フェルメールの絵にしばしば登場する、背もたれに獅子頭の飾りの付いた椅子の飾りの部分のみが見えている。絵の各所に見られる、フォーカスがぼけたような表現や点描風の描き方は、カメラ・オブスクーラを利用して作画したためではないかと言われている。エックス線写真によって、この作品は男性の肖像を描いた別の絵を塗りつぶして描かれたことがわかっている」この「女」、一見したところ、男性のように見えますね。(22)「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」制作年代:1665年 - 1666年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44.5×39cm、所蔵:マウリッツハイス美術館(オランダ)(来日履歴):5回(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成24年)、「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)「少女の謎めいた雰囲気から「北方のモナリザ」とも呼ばれ、フェルメールの最も有名な作品の一つである。他の多くのフェルメール作品と異なり、この作品には物語性や教訓性はなく、無地の暗い背景に少女の上半身だけが描写されている。修復時の調査により、下塗りには場所によって黄土、赤、クリーム色などさまざまな色を使い分け、微妙な階調を出していることがわかった。少女の衣服の襟の白色がイヤリングに反映しているところも的確に描写されている。修復の結果、唇の両端に白の点を置き、唇の濡れている感じを表していることもわかった。この作品は、トレイシー・シュヴァリエが2000年に発表した小説『真珠の耳飾りの少女』およびそれを原作とした映画によって一段と有名になった。小説ではフェルメール家の女中がモデルとされ、画家と女中の間に淡い恋物語が展開するが、無論これはフィクションで、実際のモデルは誰だったか(そもそも特定のモデルがいたのかどうか)は不明である」(フェルメールの死後の来歴)「この絵は、注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのか、という事も不明である。その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。その後、1881年まで所有者は転々としたが、1881年、ハーグで開催されたオークションで、デ・トンブ(A.A. des Tombe)によってわずか2ギルダー30セント(およそ1万円!)でこの絵を落札した(当時この絵は極めて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった)。デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。1882年には補修が行なわれ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる」リュウちゃん、先週レンタル店から2003年に公開された映画「真珠の耳飾りの少女」のDVDを借りて来て観ることが出来ました。 <映画「真珠の耳飾りの少女」予告編>この映画は、アメリカの女流小説家トレイシー・シュヴァリエ(1962~)が2000年に発表した小説「真珠の耳飾りの少女(原題:Girl with a Pearl Earrng)」を2003年に映画化したもので、 フェルメールの絵のモデルになったのは、フェルメール家の女中だったという設定になっています。この設定は上述のように歴史的な根拠はないようですが、無理のない設定で、一番有力な設定ではないかとリュウちゃんは思いました。設定は仮説だが、映画で描かれた17世紀のデルフトの街並み、当時の風俗、全編フェルメールの絵のようなフェルメール家の内部の描写、モデルの女中を演じたスカーレット・ヨハンソンの魅力、素晴らしい映画だ!下、この映画のスチル写真を2枚貼り付けます。(余談)リュウちゃんがフェルメールを認識した平成12年、この絵は確か「青いターバンの少女」というタイトルで日本に紹介されたと記憶しています。結局リュウちゃんは現在まで本物を観たことはないのですが、展覧会のポスターのこの絵を観た時、特にターバンの青色に魅かれました。 このターバンに使われた青色は俗に「フェルメールブルー」と言われており、西アジア原産のラピスラズリ(瑠璃=12月の誕生石)という宝石から作った非常に高価な絵の具を用いたものだそうです。ウィキペディアにも「ともとこのターバンが人々の目を引き、『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』と呼ばれて来た」と記述されています。そのタイトルが「真珠の耳飾りの少女」に変わったのは、この映画(平成15年公開)からなのかな?(23)「合奏」制作年代:1665年 - 1666年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:72.5×64.7cm、所蔵:イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(アメリカ合衆国)(来日履歴):なし、(1990年に盗難、現在も未発見)「画面奥に楽器を演奏する人物を配する点は『音楽の稽古』と似るが、この絵では女性が2人になっている点が異なっている。左の女性が弾く楽器はチェンバロ(クラヴサン)(※)で、蓋の裏面には田園風景の絵が描かれている。こちらに背を向けた中央の男性は斜めに置かれた椅子に腰掛けてリュートを弾き、右の女性は右手で調子を取りながら歌っている。背後の壁に掛けられた絵のうちの1枚は、フェルメール家の所蔵品であったディルク・ファン・バビューレン作『取り持ち女』である。これは売春婦と客、その両者を取り持つ「取り持ち女」を描いた絵であり、リュートを弾く男性の関心が音楽以外のところにもあることを暗示している。本作は1990年3月18日に所蔵先の美術館から盗まれた。フェルメールの作品は1970年以降相次いで盗難に遭ったが、本作品のみが現在も未発見であり、FBIが捜査中である」(※)(チェンバロ):ルネサンス・バロック期に使用された大型の撥弦鍵盤楽器、形状は現代のグランドピアノに似ている(小型の撥弦鍵盤楽器であるヴァ―ジナルは現代のアップライトピアノに似ている)映画「真珠の耳飾りの女」にも、この絵に描かれた蓋の裏に田園風景が描かれたチェンバロが出て来ましたよ!(チェンバロ)チェンバロが弦をはじいて(撥いて)音を出す撥弦鍵盤楽器であるのに対して、ピアノは弦をハンマーで打って音を出す打弦鍵盤楽器です。形は似ていますが、音の出し方が全く違っています。ピアノは打弦機能によって小さな音(ピアノ)から大きな音(フォルテ)まで、自由に音量を出せるようになり、オーケストラに匹敵する楽器になりました。(24)「フルートを持つ女」制作年代:1665年 - 1670年頃、()技法:板、油彩)、サイズ:20×17.8cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー(来日履歴):なし、「この作品は保存状態が悪い上に出来映えも他のフェルメール作品に比べて劣ると評価され、フェルメールの真作とは見なさない研究者が多い。所蔵先の美術館でも「伝・フェルメール作」と表示している。フェルメールの描いた未完成作を彼の死後に他の画家が補筆したものだという説もある。フェルメール作とされる絵画のうち、板に描かれているのは本作品と『赤い帽子の女』のみである」板で描かれた2作品、(21)「赤い帽子の女」と本作品に描かれた女性はよく似ていますね。でも、リュウちゃんにとりましては、魅力薄な作品です。(25)「絵画芸術」制作年代:1666年 - 1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:120×100cm、所蔵:美術史美術館(オーストリア、ウィーン)(来日履歴):1回(平成16年、東京都美術館、神戸市立博物館)「こちらに背を向け、イーゼルに向かう画家とモデルの少女とが表されている。この作品は単なるアトリエ風景の描写ではなく、「絵画芸術」そのものをテーマとした寓意画と見なされている。青のローブと黄色のスカートをまとったモデルの少女は月桂冠をかぶり、名声を象徴するトランペットと歴史を象徴する分厚い本を手にしている。通説ではこの少女は歴史のミューズであるクリオであり、画家(一説にはフェルメール自身と解釈されている。)は「歴史画」を描いていることになる。「歴史画」とは、聖書や古代の神話、古典文学、歴史上の事件などを題材とした絵画のことである。描く画家にも一定の教養と構想力が要求される「歴史画」は、西洋においては「風俗画」「肖像画」「静物画」「風景画」などの他のジャンルの絵画よりも一段高いランクの絵画と見なされていた。背景の壁にかかる地図は、カルヴァン派(新教)の北部諸州(オランダ)とカトリックの信仰を守った南部諸州(後のベルギー)に分かれる以前のネーデルラントの地図である(ただし、地図の中央にある大きな折りじわが南北両地域の境に当たることが指摘されている)。天井から下がるシャンデリアには過去の支配者であるハプスブルク家の紋章(双頭の鷲)が表されている。これらのモチーフは、フェルメールのカトリック信仰の表明とも見なされている(フェルメールは新教徒の家に生まれたが、結婚の際にカトリックに改宗したと推定されている)。しかし、画面中央にフェルメールの名前が刻まれていることから、後世の見る目のない批評家、美術史家の解釈を含めた作品、それらを超える作品であると言える。なお、第二次世界大戦中、ヒトラーのためにナチス・ドイツに接収された」(26)「少女」制作年代:1666年 - 1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44.5×40cm、所蔵:メトロポリタン美術館(来日履歴):なし、「『真珠の耳飾の少女』と同様、無地の暗い背景に少女の上半身のみが描かれている。しかし、『真珠の耳飾の少女』ほど評価は高くなく、絵全体の印象もかなり異なっている。『真珠の耳飾の少女』同様、実在のモデルを描いたものかどうかは定かではない」(27)「婦人と召使」制作年代:1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:90.2×78.7cm、所蔵:フリック・コレクション(来日履歴):なし、「女主人と女中、そして手紙というモチーフは他の作品(『恋文』『手紙を書く婦人と召使』)にも共通するものだが、本作品では背景を黒で塗りつぶしている点が他と異なっている。女性が着ている、毛皮の縁のついた黄色の上着は他のいくつかの作品にも登場するものである」この作品では、右側の「婦人」の着ているドレスの「黄色」が鮮やかです。(22)「真珠の耳飾りの少女」でもターバンのブルーとイエローの対比が鮮やかですね。この鮮やかな「黄色」は、「フェルメール・ブルー」に匹敵する重要な色で、「フェルメール・イエロー」というべきものだと思われます。「フェルメール・イエロー」の黄色い絵の具は、実は「インディアンイエロー」というインド・ベンガル地方の特産品で、マンゴーの葉だけを食べさせた牛の尿(おしっこ)を集めて乾燥させたものなのだそうです。(28)「天文学者」制作年代:1668年、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:50×45cm所蔵:ルーヴル美術館(フランス、パリ)(来日履歴):1回(平成27年、国立新美術館、京都市美術館)「フェルメールの現存作のうち、作者のサインとともに制作年が記された数少ない絵の1つである(他に制作年が記載されているのは『地理学者』、『聖プラクセディス』、『取り持ち女』のみ)。本作品は『地理学者』とサイズがほぼ等しく、両者は一対の作品として構想されたとするのが通説である。モデルについては確証はないが、フェルメールと同年の生まれで、同じデルフトの住人であった科学者アントニ・ファン・レーウェンフックではないかと言われている。フェルメールの死後、レーウェンフックが遺産の管理にあたっていることなどから、2人の間には何らかの交流があったと考えられている。天文学者は天球儀に向かっている。その手前にあるのはアストロラーベという、天体の角度を測る器械である。机の上の本は研究者のJ・A・ウェリュ(J. A. Welu)によってアドリアーン・メティウス著『星の研究と観察』という書物であることが指摘され、その本の何ページが開かれているかまで解明されている。壁の絵は『モーセの発見』であり、ユダヤの民を導いたモーセは地理学・天文学にも縁のある人物だと解釈されている」(29)「地理学者」制作年代:1669年、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.6×45.4cm、所蔵:シュテーデル美術館(ドイツ、フランクフルト)(来日履歴):2回(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成23年、豊田市美術館)「『天文学者』と対をなす作品とされる。フェルメールの作品のうち、男性単独像は本作と『天文学者』の2点のみである。モデルは長髪や鼻の形が『天文学者』の男性と似ており、同一人物のように見える。地理学者は日本の綿入はんてんのようなローブを着、手にはコンパス(またはディバイダ)を持っている。背後のたんすの上の地球儀は、『天文学者』に描かれている天球儀とともにヨドクス・ホンディウス(1563年 - 1612年)の作になるものである」(30)「レースを編む女」制作年代:1669年 - 1670年頃、(技法:カンヴァス(板の裏打ち)、油彩)、サイズ:23.9×20.5cm、所蔵:ルーヴル美術館(来日履歴):1回(平成21年、国立西洋美術館、京都市美術館「フェルメールの作品には小品が多いが、中でも本作は『赤い帽子の女』『フルートを持つ女』とともにサイズの小さい作品の1つであり、(板でなく)カンヴァスに描かれた作品の中ではもっとも小さい。手紙のやりとり、楽器の演奏、飲酒といったテーマから離れ、生産的活動に努める女性を単独で表している点で、他のフェルメール作品とは異なっている。絵の各所に見える焦点のぼけたような描写(特に女性の手前の赤い糸に顕著に見られる)はカメラ・オブスクーラを用いて作画したことの影響と見なされている」(31)「恋文」制作年代:1669年 - 1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44×38cm、所蔵:アムステルダム国立美術館(来日履歴):4回(平成12年、愛知県美術館、国立西洋美術館 )(平成17~18年、兵庫県立美術館)(平成19年、兵庫県立美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」大阪市立美術館)「本作品では、手紙を受け取って当惑顔の女主人と、訳知り顔の女中が描かれ、物語の細部は鑑賞者の想像にゆだねられている。女主人が手にしている楽器(ここではシターン)は恋愛と関係の深いモチーフである。また、背後の壁に掛かる海景を表した絵は、女性の揺れ動く心を象徴している。洗濯物の入った籠や画面手前に見える箒は、恋に落ちた女性が(17世紀当時の価値観では女性の義務であった)家事をおろそかにしていることを暗示している。女主人と女中の描かれている長方形の空間を「鏡」であると見なす研究者もいる」(32)「ギターを弾く女」制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:53×46.3cm、所蔵:ケンウッド・ハウス(イギリス、ロンドン)(来日履歴):なし、「フェルメールの晩年(と言っても30代後半から40代前半であるが)の1670年代の作品には、明らかな画力の低下が見られ、この時期の作品は一般にあまり高く評価されていない。本作品も1660年代の最盛期の作品に比較すると表現が平板で単調になっている点は否めない。この作品は1974年2月23日に盗難に遭った。犯人からは絵の返却と引き換えに政治的な要求が突き付けられ、その内容からIRA系の人物の犯行と推定された。要求が通らない場合は絵を燃やすとの声明もあったが、盗難から2か月半後の5月6日、匿名の人物からの電話通報により、絵はロンドン市内で無事発見された」(33)「手紙を書く婦人と召使」制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:71.1×60.5cm、所蔵:アイルランド国立絵画館(アイルランド、ダブリン)(来日履歴):3回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館))(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)「フェルメールの作品には手紙をモチーフにしたものが多く、本作品もその中の1つである。女主人と女中を描いた作品は他に『恋文』と『婦人と召使』があるが、これら2作品が女中が女主人に手紙(おそらくは男性の愛人からのもの)を渡す場面を描いているのに対し、本作品では女性が手紙を書き、女中はその手紙が書き終わるのを待っているという構図である。女中は窓の外を見やっている。テーブルの前の床には印章と封蝋(手紙に封をするためのもの)が転がっている。背後の壁の絵は『モーセの発見』(※)をテーマにしたもので、『天文学者』の背景にも描かれている」(※)「モーセの発見」;エジプト王ファラオは全国民に「生まれたヘブライ人の男子は一人残らずナイル川に投げ込んで殺せ」、レビー族のある夫婦の間に男の子が生まれた。夫婦は三ヶ月間隠しておいたが、もはや隠し切れず、パピルスの籠を用意して、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みに置いた(出エジプト記2章1~3節)嬰児殺害を命じたファラオの娘(王女)は、水浴びをしようとして川へ入り、そこで籠に入れられたモーセを発見、ヘブライの子と知りながら王女は男の子を助け、彼をモーセと名付けた(出エジプト記2章4~10節)「モーセの発見」は多くの画家によって描かれました。以下にルネサンス期ヴェネチアの画家ヴェロネーゼの作品を貼り付けます。(ヴェロネーゼ「モーセの発見」)(34)「信仰の寓意」制作年代:1671年 - 1674年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:114.3×88.9cm、所蔵:メトロポリタン美術館(来日履歴):なし、「この作品より数年前に描かれた『絵画芸術』と同様、寓意をテーマにした作品であり、部屋の様子も『絵画芸術』のそれと似ている。片足を地球儀の上に乗せ、片手を胸に当てる女性は信仰の寓意像であり、手前の床に転がるリンゴと血を吐く蛇は原罪の象徴である。女性の視線は天井から下がるガラスの球体に向けられているが、この球体は信仰を受け入れる人間の理性の象徴とされている。女性の服装を含め、画中の道具立てはペルージャ出身のチェーザレ・リーパが著した寓意画像集『イコノロギア』に基づくものであることが指摘されている。背景の画中画はキリストの磔刑図で、ヤーコプ・ヨルダーンスの作とされている。オランダでは建国以来プロテスタントが支配的で、フェルメールの住んだデルフトも例外ではなかったが、本作品に見られるキリスト教のモチーフはカトリック的であり、カトリック信者からの注文と思われる(フェルメール自身は、結婚時に新教からカトリックへ改宗したと推定されている)。本作品については、細部はよく描かれているものの、女性の身振りが芝居がかっていて品位に欠ける点、女性の身体把握(特に右脚の位置)に不自然さが見られる点などから、現代の美術界ではあまり高い芸術的評価は与えられていない」(35)「ヴァージナルの前に立つ女」制作年代:1672年 - 1673年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.8×45.2cm所蔵:ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)(来日履歴):なし、「似た主題の『ヴァージナルの前に座る女』とともに晩年の作品と見なされている。左方の窓から光の入る室内という設定はおなじみのものだが、この作品では、室内全体が明るく照らされていることと、女性が光に背を向けて立っている点が他の作品と異なっている。背景の画中画はトランプの「1」のカードを持つキューピッド像で、女性の愛がただ一人の人にのみ向けられるべきものであることを意味している。同じ画中画は『中断された音楽の稽古』にも見られる。室内の壁の一番下、床との境目の部分には白地に青の模様の入ったデルフト焼きのタイルが貼られている。これは壁のこの部分が掃除の時などに傷むのを防ぐためのものである」(36)「ヴァージナルの前に座る女」制作年代:1675年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.5×45.6cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー(来日履歴):なし、「『ヴァージナルの前に立つ女』やヤン・ミーンス・モーレナール作の『ヴァージナルを奏でる女』(アムステルダム国立美術館所蔵)とテーマが似ている。前者とは画面のサイズもほぼ等しいことから対の作品として描かれた可能性がある。ただし、本作品は『ヴァージナルの前に立つ女』に比べても一段と画力の衰えが見られ、フェルメールが43歳で没する直前の最晩年の作と考えられている。画力の衰えは、背景の画中画の額縁の簡略な描き方や、ヴァージナルの側面の大理石模様の描写などに端的に見られる。画中画は『合奏』の背景にも描かれていた、ディルク・ファン・バビューレン作『やり手婆あ』(娼館の情景を描いた絵)であるが、この画中画が絵のテーマと密接に関係しているかどうかは定かでない」(37)「ヴァージナルの前に座る若い女」制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:25.5×20.1cm、所蔵:個人蔵(来日履歴):1回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)「本作品はベイト・コレクション旧蔵で、文献で初めて紹介されたのは1904年であるが、長年模作または贋作と見なされていた。専門家による鑑定の結果、キャンバスと絵具が17世紀のものであることが明らかとなり、フェルメールの真作と見なされるようになったのは2004年のことであった。そして同年のサザビーズのオークションに出品されて33億円で落札され、一般に知られるようになった。2008年の東京におけるフェルメール展の監修者であるピーター・C・サットンは、この作品のカンヴァスの組織が『レースを編む女』のカンヴァスとほぼ同一であり、両者は同じ布から裁断されたと推定されること、本作品と『レースを編む女』のモデルの髪型がほぼ同じであること、本作品にはフェルメール特有の画材である、高価なラピスラズリが使用されていることなど、作風、技法の両面から、本作をフェルメールの真作と断定している。一方、小林頼子のように本作を真作と認めるにはなお検討を要するとする立場の研究者もいる」以上でフェルメールの作品の紹介は終わりです。このブログの冒頭で、「謎に満ちたフェルメールの生涯」というキャッチコピーを書きましたが、全ての作品を紹介し終わっても、「謎」は深まるばかりです。まあ、ズブの素人のリュウちゃんが俄かに「フェルメール極め」をしようと思っても「全く無理」であることが痛いほど判ったことが「収穫」だったのですね。「フェルメール極め」は奥が深い、謎は益々深まる!これが今回の結論なのでした。このブログの最後に、日本で公開されたフェルメールの絵画につきまして時系列で確認しておきます。<来日した作品一覧>(下記のナンバーは、本文のナンバーと違い、来日順です)(1)「ディアナとニンフたち」(昭和43~44年、国立西洋美術館、京都市美術館 )、(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)<計4回>(2)「窓辺で手紙を読む女」(昭和49年、国立西洋美術館、京都国立博物館)(平成17年、兵庫県立美術館、国立西洋美術館)<計2回>(3)「真珠の耳飾りの少女」(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成24年)、「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計5回>(4)「手紙を書く女」(昭和62年)、(平成11年、国立西洋美術館 )(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 上野の森美術館、大阪市立美術館」<計4回>(5)「聖プラクセディス」(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)<計1回>(6)「天秤を持つ女」(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)<計1回>(7)「リュートを調弦する女」(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館<計3回>(8)「地理学者」(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成23年、豊田市美術館)<計2回>(9)「恋文」(平成12年、愛知県美術館、国立西洋美術館 )(平成17~18年、兵庫県立美術館)(平成19年、兵庫県立美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」大阪市立美術館)<計4回>(10)「絵画芸術」(平成16年、東京都美術館、神戸市立博物館)<計1回>(11)「牛乳を注ぐ女」(平成19年、国立新美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計2回>(12)「マリアとマルタの家のキリスト」(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)<計2回>(13)「小路」(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)<計1回>(14)「ワイングラスを持つ娘」(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)<計1回>(15)「手紙を書く婦人と召使」(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館))(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)<計3回>(16)「ヴァージナルの前に座る若い女」(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)<計1回>(17)「レースを編む女」(平成21年、国立西洋美術館、京都市美術館<計1回>(18)「青衣の女」(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)<計1回>(19)「天文学者」(平成27年、国立新美術館、京都市美術館)<計1回>(20)「水差しを持つ女」(平成28年、福島県立美術館、京都市美術館)<計1回>(21)「紳士とワインを飲む女」(平成30年-31年、「フェルメール展 」 上野の森美術館)<計1回>(22)「赤い帽子の女」(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計1回>(23)「取り持ち女」(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館、大阪市立美術館)<計1回>果たしてリュウちゃんは生きているうちに「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」の実物に巡り合うことが出来ますことやら?
2019年07月09日
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初めて観るフェルメールの珠玉の名品、大感激!今年3月、大阪市立美術館で開催された「フェルメール展」を女房殿と2人で観に行ってきました。 <「フェルメール展」(大阪市立美術館)のHP>今回開催された「フェルメール展」は、過去日本で開催されたフェルメール展の中で最大規模の展覧会であり、東京・上野の森美術館では9点、大阪市立美術館では6点のフェルメール作品が一挙に展示されたのです。以下、展示された作品を列挙してみます。<上野の森美術館>★『牛乳を注ぐ女』、★『マルタとマリアの家のキリスト』、★『手紙を書く婦人と召使』、★『紳士とワインを飲む女』、★『手紙を書く女』、★『赤い帽子の女』、★『リュートを調弦する女』、★『真珠の首飾りの女(青いターバンの少女)』、★『取り持ち女』(以上9作品)<大阪市立美術館>★『マルタとマリアの家のキリスト』、★『手紙を書く婦人と召使』、★『手紙を書く女』、★『リュートを調弦する女』、★『取り持ち女』、★『恋文』(大阪会場のみ)(以上6点)ありゃ、大阪会場には、お目当ての「真珠の首飾りの女(青いターバンの少女)」が出品されていない、残念!リュウちゃんが「フェルメール」という画家の名前を知ったのは、多分、平成12年(西暦2000年)です。この年、大阪市立美術館で、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」という、日本で初めてのまとまった「フェルメー展」が開催されました。この時に展示されたのは以下の5点です。★『聖プラクセディス』、★『天秤を持つ女』、★『リュートを調弦する女』、★『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』、★『地理学者』(以上5点)この時、リュウちゃんは大坂に勤務していて、奈良から大阪市立美術館のある天王寺を経て、梅田(大阪)にあるオフィスに通勤していたのですが、残念ながら展覧会には行きませんでした(返す返すも残念!)ただ、この展覧会のポスターに使われた「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」の残像が後々までも強烈に印象に残り、いつか本物の「青いターバンの少女」を見たい!と思うようになりました。残念ながら今回もその願望は果たせなかったのです。現存するフェルメールの作品は、真作かどうかの疑問のある作品も含めて僅か37点、内、今回の展覧会でリュウちゃんが観ることの出来た作品は僅かに6点、よし、それではブログで、フェルメールの全作品を極めてみよう!と思って今回のブログを書いています。とは言いましても、ズブの素人の悲しさ、どのような方法でフェルメールの全作品を紹介すのがベストなのか?で、以下のような方法で全作品を紹介することにしました。(1)フェルメールの全作品の画像をネットからお借りしてブログに貼り付ける。(2)説明文もネットからお借りして貼り付ける。(3)説明文に出てくる聞き慣れない用語や作品履歴、来日履歴などは別途調べて説明文に適宜追加する。(4)フェルメールの経歴、時代背景などもブログのどこかに挿入する。尚、全作品の画像および説明文は以下のサイトから全面的にお借りしました。 <「フェルメールの作品」のウィキペディア>また、フェルメールの経歴、時代背景などは、主として以下のサイトを借用しました。<「ヨハネス・フェルメール」のウィキペディア>それでは、これから「フェルメール極め」の旅に出ます。<フェルメール作品一覧> (1)「聖プラクセディス」制作年代:1655年、(技法::カンヴァス、油彩)、サイズ:101.6×82.6cm、所蔵:個人蔵(日本)(来日履歴):日本所蔵、平成27年より国立西洋美術館で常設展示「フェルメールの真作であるかどうかについては意見が分かれる。真作とすればもっとも初期の作。聖プラクセディスは2世紀頃の人物で、処刑されたキリスト教信者の遺体を清めることに努めたという。彼女は殉教者(絵の背景に見える)の血を含ませたスポンジを絞っている。本作品は、フェリーチェ・フィケレッリ(1605年 - 1669年?)というイタリアの画家が10年ほど前に描いた『聖プラクセディス』の写しと思われる」「著名なフェルメール研究者である美術史家アーサー・ウィーロックが、『聖プラクセディス』はフェルメールの真作であると主張し始めたのは1986年からである。2014年7月8日に、ロンドンで大手オークションのクリスティーズで競売にかけられた。落札価格予想は600万ポンドから800万ポンドだったが、結局624万2500ポンド(10億8600万円)で落札され、売上の一部がバーバラの出身地ポーランドの自閉症研究施設の支援にあてられた。新たな所有者からこの作品の寄託を受けた日本の国立西洋美術館は、2015年3月17日よりこの作品を常設展示している」(2)「マリアとマルタの家のキリスト」制作年代:1654年 - 1655年頃(、技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:58.5×141.5cm、所蔵:スコットランド国立美術館(スコットランド、エディンバラ)(来日履歴):2回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)「現存するフェルメール作品のうち、サイズの点では最大のもの。画題は『ルカによる福音書』10章のエピソードに基づく。キリストはマルタとマリアという姉妹の家に招待された。マルタはキリストをもてなすため忙しく働いている。一方で、マリアは座り込んだままキリストの言葉に耳を傾け、働こうとしない。マリアをなじるマルタに対してキリストはこう言った「マルタ、マルタ。あなたは多くのことに心を配り、思いわずらっている。しかし、大切なことは1つしかない。そしてマリアは良い方の選択をしたのだ」。マリアの頬に手を当てるポーズは図像学的にはメランコリーを意味し、マリアが裸足であるのはキリストへの謙譲を意味する」(3)「ディアナとニンフたち」制作年代:1655年 - 1656年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:97.8×104.6cm、所蔵:マウリッツハイス美術館(オランダ、デン・ハーグ)(来日履歴):4回(昭和43~44年、国立西洋美術館、京都市美術館 )、(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)「現存するフェルメール作品のうち、神話の登場人物を題材にした唯一のもの。多くの研究者がフェルメールの真作とするが、小林頼子のように疑問を呈する研究者もある。一番手前の人物がディアナ(頭上の三日月の飾りとウエストに巻いた動物の皮からそれと分かる)。ニンフの一人がディアナの足を洗っているのは、キリストが弟子の足を洗ったエピソードを思わせる。他にも前景の水盤(純潔の象徴)、アザミ(受難の象徴)などのキリスト教的シンボルが目につく。ディアナの隣のニンフが自分の足をつかんでいるのも、十字架に足を釘付けされたキリストの受難を暗示する。画面左端の犬(スプリンガー・スパニエル)は、現存するフェルメール作品に登場する唯一の犬である」★この作品は、昭和43~44年、フェルメールの作品として初めて日本の展覧会に登場しました。(4)「取り持ち女」制作年代:1656年、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:140×130cm、所蔵:アルテ・マイスター絵画館(ドイツ、ドレスデン)(来日履歴):1回(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館、大阪市立美術館)「フェルメールが描いた最初期の風俗画、売春宿の情景が描かれた作品である。描かれている女性二人のうち、左側が取り持ち女と呼ばれる娼婦と客との仲介をする女性で、男性二人のうち左側の人物はフェルメールの自画像だと考える研究者もいる。『天文学者』、『地理学者』とともに、フェルメール自身の署名と制作年が記されているわずか3点の絵画の一つである」(5)「眠る女」制作年代:1657年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:87.6×76.5cm、所蔵:メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国、ニューヨーク)(来日履歴):なし、「室内の女性を描いた作品のうちもっとも初期のもの。画中にあるライオンの頭部の飾りのついた椅子、東洋風の絨毯、白いワイン入れなどは、以後のフェルメールの作品にしばしば登場する。テーブルの上の2つのワイングラス(1つは倒れている)は、女が酒に酔って眠り、家庭の主婦としての勤めをおろそかにしていることを暗示している。テーブルの上の果物の鉢も性的な堕落を示唆するものである。女の背後の壁に掛けられた絵は、暗くてよく見えないが、キューピッドが仮面(虚偽の愛)を踏み付けている様子がわずかに見える。女の背後の開けっぱなしのドアの向こうには隣の部屋が見える。X線写真によると、絵のこの部分には犬(やはり性的なものを示唆する)と、一人の男が描かれていたが、後に画家によって塗りつぶされたことが明らかになっている」(6)「窓辺で手紙を読む女」制作年代:1657年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:83×64.5cm、所蔵:アルテ・マイスター絵画館(来日履歴):2回(昭和49年、国立西洋美術館、京都国立博物館)(平成17年、兵庫県立美術館、国立西洋美術館)「左方から光の入る室内にたたずむ女性というフェルメールの典型的作品のうち、もっとも早い時期のものとされる。女性の手前にはリンゴ、桃などが盛られた果物鉢が見える。傾いた鉢からこぼれるこれらの果物は堕罪や許されざる愛を暗示し、開かれた窓は外界への憧れを暗示する。X線写真によって、背景の壁には当初キューピッドの絵が掛けられ、画面右手前にはワイングラスが描かれていたが、後に塗りつぶされたことがわかっている。キューピッドやワイングラスは、画中の女性が読む手紙が不倫相手からのものであることをさらに強く暗示する」(7)「小路」制作年代:1657 - 1658年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:53.5×43.5cm、所蔵:アムステルダム国立美術館(オランダ、アムステルダム)(来日履歴):1回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)「フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は『デルフトの眺望』)。デルフト市内のどこで描かれたかについては諸説あり、特定の場所を描いたものではないとする説も有力である」(8)「士官と笑う娘」制作年代:1658年 - 1660年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:50.5×46cm、所蔵:フリック・コレクション(アメリカ合衆国、ニューヨーク)(来日履歴):なし、「ワインを飲む女性と男性というテーマの作品は他に2点ある(『紳士とワインを飲む女』、『ワイングラスを持つ娘』)。女性の服は『窓辺で手紙を読む女』の女性の服と似ている。女性に比べ、手前の男性が不釣合いに大きく描かれているのは、作画にカメラ・オブスクラ(※)を利用したためと言われている。背景の地図はウィレム・ヤンスゾーン・ブラウが1620年に出版したホラント州と西フリースラントの地図で、『青衣の女』にも描かれている」(※)カメラ・オブスクラ→「暗い部屋」の意味。写真の原理による投影像を得る装置で、実用的な用途としてはもっぱら素描などのために使われた。写真術の歴史においても重要で、写真機を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来する。最初に「カメラ・オブスクラ」という言葉を用いたのはヨハネス・ケプラーとされる。(カメラ・オブスクラの原理)(9)「牛乳を注ぐ女」制作年代:1658年 - 1660年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:45.4×40.6cm、所蔵:アムステルダム国立美術館(オランダ、アムステルダム)(来日履歴):2回(平成19年、国立新美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)「『デルフトの眺望』『真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女』とともに、フェルメールのもっとも著名な作品の一つ、この作品には、簡素な部屋の中でメイドが、牛乳をテーブル上のずんぐりとした陶製の容器に丁寧に注ぎ入れている情景が描かれている。さらにテーブルの上にはさまざまなパンが描かれている。メイドは若くがっしりとした身体つきの女性として表現され、ぱりっとしたリンネルのキャップ、青いエプロン、しっかりした肘まで捲りあげた分厚い作業着を着用している。背景の壁の床との接地面にはデルフト陶器のタイルが嵌めこまれている。左のタイルにはキューピッドの、右のタイルには長い棒を持った人物の装飾画があり、さらにタイルの前面の床には四角い足温器が置かれている。画面左側に描かれた窓からは日光が射し込んでいる[[壁、パン、籠、陶器などの質感描写が高く評価されている。画面右下の箱状のものは足温器。フェルメールの作品には女性像が多いが、働く女中を単独で表したものはこれ1点のみである」(10)「紳士とワインを飲む女」制作年代:1658年 - 1660年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:65×77cm、所蔵:絵画館(ドイツ、ベルリン)(来日履歴):1回(平成30年-31年、「フェルメール展 」 上野の森美術館)「邦題は『ぶどう酒のグラス』とも。室内の男女、ワインを飲む女性というテーマは明らかに男性から女性への誘惑を意味している。椅子に置かれた楽器(シターン)も恋愛と関わり深いモチーフである。男性の手はテーブルの上のデカンタの取っ手をつかみ、女性にもっとワインを飲ませようとするかに見える。窓の色ガラスには片手に直角定規、片手に馬の手綱とくつわ(欲望の統制を寓意する)を持つ「節制」の寓意像が表され、女性の行為に警告を発している」(11)「ワイングラスを持つ娘」制作年代:1659年 - 1660年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:77.5×66.7cm、所蔵:ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館(ドイツ)(来日履歴):1回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)「邦題は『2人の紳士と女』とも。室内の男女とワインという道具立ては『紳士とワインを飲む女』と似ているが、もう一人の男性が加わることと、女性の仕草にワインを飲むべきかためらっている様子の見えることが異なっている。男性2人の関係はあいまいで、女性に飲酒を勧めている男性は、後方に腰掛ける男性と女性との間を取り持っているとも見られている。窓ガラスの「節制」の寓意像は『ぶどう酒のグラス』と同じ。背景の画中画に描かれた男性の視線はワイングラスを持つ女性の方に向けられ、この場のなりゆきを見守るかのようである」(12)「中断された音楽の稽古」制作年代:1660年 - 1661年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:39.3×44.4cm、所蔵:フリック・コレクション(来日履歴):なし、「音楽は恋愛と関連の深いモチーフである。左上の壁に掛けられた鳥篭は、家庭の主婦に期待される貞節を暗示する。背景の画中画は黒ずんでよく見えないが、片手にカードを持つキューピッドの像で、「真実の愛はただ一人の人のためにある」という寓意を表すとされる。全体に画面の損傷が大きい」(13)「デルフトの眺望」制作年代:1660〜1661年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:96.5×115.7cm、所蔵:マウリッツハイス美術館(来日履歴):なし、「運河と市壁に囲まれた都市デルフトを市の南端にあるスヒー川の対岸から眺めた図。中央にスヒーダム門、右にロッテルダム門が描かれ、スヒーダム門の時計から、時間が朝の7時過ぎであることがわかる。2つの門の間からは新教会の塔がひときわ明るく照らされているのが見える。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に言及されていることで著名な作品である。『失われた時を求めて』で重要なモチーフになっている「黄色い壁」はロッテルダム門の左に見えるが、実際は「壁」ではなく屋根であると思われる」(14)「音楽の稽古」制作年代:1662年 - 1664年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:74×64.5cm、所蔵:ロイヤル・コレクション(イギリス、バッキンガム宮殿)(来日履歴):なし、「女性が弾く楽器はヴァージナル(※)で、その蓋には「音楽は喜びの伴侶、悲しみの薬」というラテン語の銘がある。ヴァージナルの上に掛かる鏡は女性の姿を正しく写しておらず、鏡の中の女性の顔は音楽教師の男性の方へ向けられている。鏡の中には画家のイーゼルの一部も写りこんでいる。エックス線写真によると、当初は男女の距離はもっと近く、女性の頭部は男性の方に向いていた」(※)ヴァ―ジナル→チェンバロ属の小型撥弦(はつげん)鍵盤楽器、ルネサンス、バロック期に家庭用鍵盤楽器として広く愛用された。(フランドルのハンス・ルッカースのスピネット型ヴァージナル(1583年)<現代製ヴァ―ジナルによるバッハの演奏> (15)「青衣の女」制作年代:1663年 - 1664年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:46.6×39.1cm、所蔵:アムステルダム国立美術館(来日履歴):1回(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)「フェルメールの画業の最盛期である1660年代半ばに何点か描かれた、室内の女性単独像の1つである。画面向かって左から光が差す点は他の作品と共通しているが、他の作品と異なり、窓そのものは画面に描かれていない。女性は妊娠しているように見えるが、この当時の女性のファッションはふくよかなシルエットが好まれ、厚手の綿の入ったスカートをはいているために妊娠しているように見えるのだという説もある。この点は、『天秤を持つ女』『真珠の首飾りの女』にも共通する」(16)「天秤を持つ女」制作年代:1664年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:39.7×35.5cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー(アメリカ合衆国、ワシントンD.C.)(来日履歴):1回(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)「左から光が差す室内に立つ女性というテーマはおなじみのものだが、本作品では閉じられたカーテンを通してわずかに光が差すのみである点が他の作品と異なる。テーブルの上には宝石箱と真珠のネックレスが見え、光を反映している。女性が右手に持つ天秤は真珠か金貨を量っているように見えるが、実際には天秤の皿の上には何も乗っていない。女性の背後の絵は「最後の審判」、つまり、人間の魂が秤にかけられ、天国と地獄に振り分けられる様を表している」(17)「水差しを持つ女」制作年代:1664年 - 1665年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:45.7×40.6cm、所蔵:メトロポリタン美術館(来日履歴):1回(平成28年、福島県立美術館、京都市美術館)「左から光が差す室内に立つ女性という、おなじみのテーマである。女性は右手を窓枠にかけ、左手でテーブルの上の水差し(純潔や節制の象徴とされる)の取っ手をつかむ。窓の外に水差しの水を捨てようとしているかに見える。テーブルの上の宝石箱は虚栄を表すモチーフである。女性は「節制」を捨て、「虚栄」に走るべきかどうかの岐路に立っているのであろうか」(18)[リュートを調弦する女」制作年代:1664年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.4×45.7cm、所蔵:メトロポリタン美術館(来日履歴):3回(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)「題名は『窓辺でリュートを弾く女』とされることもあるが、画中の女性はリュート(※1)を弾いているのではなく、調弦していている手をふと休めたところである。このことは右手の構え方や、右手が触れている弦と左手が触れているペグ(糸巻)が異なっていることから判断できる。女性は窓の外を見つめ、誰か(おそらくは恋人)のやって来るのを心待ちにしている風情である。本作品は保存状態が悪いために傷みが激しく、また画面の暗さのため分かりづらいが、画中にはもう1つの楽器<ビオラ・ダ・ガンバ(米2)>があり、向かって右には空席の椅子があることも、やがてやって来る来訪者のあることを暗示している」(※1)リュート→左手で抱えて右手で弦を弾く撥弦楽器(はつげんがっき)の一種、ルネサンス期からバロック期にかけて広くヨーロッパで愛用された「リュート属」の楽器の一つ(ギターもリュート属の楽器です)(ルネサンスリュート)<バッハ:リュート組曲第3番~リュートによる演奏> <レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲より「シチリア―ナ」~つのだたかしのリュート演奏> (※2)ビオラ・ダ・ガンバ→「ビオラ」はヴァイオリンなどの擦弦(さつげん)楽器の総称、「ビオラ・ダ・ガンバ」とは「脚のビオラ」の意味で、楽器を脚で支えることに由来する(これに対して「ビオラ・ダ・ブラッチョ(=腕のヴィオラ)」と呼ばれたのがヴァイオリン属)。ヴァイオリン属のチェロに似ているが、全く別系統の楽器である。(ビオラ・ダ・ガンバ)<小池香織さんのビオラ・ダ・ガンバ演奏> (19)「真珠の首飾りの女」制作年代:1664年頃m、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.2×45.1cm、所蔵:絵画館(ドイツ、ベルリン)(来日履歴):1回(平成24年、 「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館)「左から光が差す室内に立つ女性という、おなじみのテーマである。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレスに付けたリボンを持ち上げ、左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石などのモチーフは伝統的に虚栄を表すものである。背景は白い壁のみだが、エックス線写真により、当初は壁にネーデルラントの地図が掛けられていたのを後に塗りつぶしたことがわかっている。女性の着ている毛皮の縁のついた黄色の上着は『手紙を書く女』『婦人と召使』など、他のいくつかの作品にも登場するもので、フェルメールの死後に作成された財産目録にはこの上着に該当すると思われる「白の縁取りのついた黄色のサテンのコート」が記されている」(20)「手紙を書く女」制作年代:1665年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:45×39.9cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー(来日履歴):4回(昭和62年)、(平成11年、国立西洋美術館 )(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 上野の森美術館、大阪市立美術館」「画中の若い女性は、羽ペンを持って手紙を書く手を止めて鑑賞者の方へ視線を向けている。手紙を書いていた女性が何かに気を取られ、優雅に振り向く情景が描かれている。女性が身につけている首飾りには10個の、イヤリングには2個の真珠が、それぞれあしらわれている。白い毛皮の縁のついた黄色い上着、テーブルの上の宝石箱とリボンのついた真珠のネックレスなどのモチーフは他の作品にも使われているものである。フェルメールの作品の多くは、自身が住んでいた父祖伝来の屋敷の屋内を背景として描かれている。女性の上着、テーブルクロス、真珠の首飾りなど、この作品に描かれているものが、他のフェルメールの作品にも繰返し描かれている。これらはフェルメール本人かその家族が実際に所持していたもので、描かれている人物像もフェルメールの近親者だった可能性が指摘されている。フェルメール自身はモデルを雇いたかったが、財政が逼迫しており妻子に平穏で豊かな生活を与えるだけの金銭的余裕もなかったということが、その作品に暗示されているとする説もある」以上、やっと20作品を紹介することが出来ました。残るはあと17作品、この17作品は次回のブログ「初めてのフェルメール展(大阪市立美術館)(下)」で一挙に紹介する予定です。今回の「フェルメール極め」のブログ、無事に完結出来ますことやら?<以下、「初めてのフェルメール展(大阪市立美術館)(下)」に続きます>
2019年06月27日
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世界一の漫画の巨人・手塚治虫、その全体像を知る記念館に訪問した。8月18日(土)、以前から行きたいと思っていた「宝塚市立・手塚治虫記念館」に行って来ました。この記念館は、兵庫県宝塚市で約20年間を過ごした手塚治虫(1928~1989)の生涯を称えて、没後5年目にあたる1994年(平成6年)に宝塚市によって設立されました(ちなみに手塚治虫は宝塚市の名誉市民なのです)以下に、入場した時にもらったパンフレットの設立趣旨の文章を貼り付けます。手塚治虫は、5歳から約20年間をこの宝塚市で過ごしました。宝塚市立・手塚治虫記念館は、手塚治虫が唱え続けていた「自然への愛」、「生命の尊さ」をテーマに、青少年の夢と希望を未来に拡げていく施設として設立されました。外観はヨーロッパの古城をイメージしてデザインされており、手塚治虫のエッセイ「ガラスの地球を救え」をモチーフにしたガラス製の地球シンボルとなっています。館内では、手塚マンガの1ページを再現した空間の中で、手塚治虫のゆかりの品や数々の作品を見たり、実際に作品をいつくる体験などをしてお楽しみいただけます。手塚治虫の心、そして世界を見て、触れて、感じて・・・おもしろいこと、嬉しいこと、ふしぎなこと、たくさんの発見をして下さい。<外観>「手塚治虫記念館」は、阪急宝塚駅から徒歩約10分、宝塚大劇場の前を通る「花のみち」が尽きるところ、宝塚音楽学校前の交差点のはす向かいにあります。西洋のお城を模した記念館の前には、手塚治虫を代表する「火の鳥」の像が出迎えてくれます。<館内><1F>★エントランス、★手塚治虫グッズ展示コーナー、★手塚治虫漫画年表、★リボンの騎士王宮ホール、など、下の写真は、エントランスから拡がる「リボンの騎士王宮ホール」です。天井には、「鉄腕アトム」、をメインとした「キャラクター・ステンドブラス」があります。床は、リボンの騎士のサファイア王女や手塚治虫の自画像にイラストが描かれ、「手塚治虫ワールドに入って来た」というムードを演出しています。<手塚治虫グッズ展示コーナー>上の写真のように、透明な円筒形のカプセルの中に手塚治虫の様々なグッズが展示されています。下の写真は、学生時代に描かれた手塚治虫の自画像です。まだ後年の自画像に見られる「団子っ鼻」は強調されていない!<手塚治虫は本当に「団子っ鼻」だったのか?>下の写真は、手塚治虫の晩年(?)の写真です。確かに、ちょっと「団子っ鼻」だ!以下は後年の手塚治虫本人のイラストです。確かに本人の写真とよく似ている、やはり「団子っ鼻」は手塚治虫のトレードマークだったのだ!手塚治虫の「団子っ鼻」キャラは、本人の役で出演する「バンパイヤ」の他に、「鉄腕アトム」のお茶の水博士、「火の鳥」に登場する「猿田彦」などがあります。(お茶の水博士)(猿田彦)<「リボンの騎士」のサファイア王女のモデルは誰なのか?>下の写真は、皆様よくご存じの「リボンの騎士」のヒロイン、「サファイア王女」です。ショートヘア、お目々パッチリ、丸顔、これは後年の傑作「三つ目がとおる」のヒロイン、和登千代子さんと同じだ!(「三つ目がとおる」の和登千代子さん)「リボンの騎士」は、手塚治虫が24歳の時に宝塚市から東京に移り住んだ直後の昭和28年、月刊少女漫画誌「少女クラブ」1月号から連載開始、初期の作品としましては、月刊少年漫画誌「少年」の昭和27年4月号から連載を始めた「鉄腕アトム」と並ぶ初期の大ヒット作品になりました。手塚治虫は5歳から24歳までの19年間<1933年(昭和8年)~1952年(昭和27年)>宝塚市で暮らしました。幼い頃は母に連れられて宝塚歌劇をよく観に行ったのだそうです。その頃のご贔屓は手塚より4歳年上の淡島千景(1924~2012)や6歳年上の月丘夢路だったようで、公的には淡島千景がサファイア王女のモデルと云われています。(月丘夢路)(淡島千景)しかし、淡島千景は面長のうりざね顔、サファイア王女は丸顔、ちょっと違う?モデルは別にいたのではないか???手塚治虫が宝塚市で歌劇団を観ていた時期、大体、昭和13年から昭和27年頃に宝塚歌劇団に在籍したスターの中で、サファイア王女のイメージにより近いスターを何人か挙げてみます。(1) 音羽信子大正13年生まれ(手塚より4歳年上)、宝塚歌劇団27期生(月丘夢路、腰地吹雪と同期)、昭和12年~昭和25年まで宝塚歌劇団に在籍、戦後に再開された歌劇団でトップ娘役を務め、淡島千景と人気を二分した。(2) 高千穂ひづる昭和7年生まれ(手塚より4歳年下)歌劇団35期生、昭和23年~昭和27年まで歌劇団に在籍、高千穂ひづるさん、リュウちゃんが生まれて最初にファンになった女優さんなのです。それは昭和29年から30年にかけて公開された東映チャンバラ映画「紅孔雀」(5部作)のヒロイン、「久美」役だったのです。(3) 八千草薫昭和6年生まれ(手塚より3歳年下)、歌劇団34期生、昭和22年~昭和32年まで歌劇団に在籍、丸顔、ショートヘア、お目々パッチリ、八千草薫様こそは、正にサファイア王女なのだ!(4)「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーン宝塚のスターではありませんが、上掲の「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーン、正にサファイア王女そのものですね!この映画でヘプバーンが演じたのは、「アン王女」、上掲の写真は、秘かに城を抜け出したアン王女がローマ市内の美容院でロングヘアを切り、ショートヘアにした瞬間のシーンです。映画好きだった手塚治虫は、「リボンの騎士」の連載開始時点で「ローマの休日」を観ていたのか?「リボンの騎士」の連載第1回は「少女クラブ」の昭和28年1月号に掲載されました。ということは、少なくとも昭和27年の秋にはサファイア王女のキャラは出来上がっていた筈ですね。映画「ローマの休日」の日本公開は昭和29年4月(アメリカ公開は昭和28年8月)ですから、完全に「リボンの騎士」連載開始よりも後のことになります。結論を言えば、手塚治虫が「リボンの騎士」のサファイア王女にキャラを決定した昭和27年の秋には、手塚治虫は「ローマの休日」を観た筈は無いことは明らかです。しかし、「ローマの休日」の撮影に入ったのは、昭和27年6月、この時点で、「製作ニュース」の写真が日本にも配信されていれば、昭和27年秋の時点で、手塚治虫が上掲のヘプバーンの写真を見ていた可能性は微かに残っています。しかし、この考え方もちょっと無理筋ですね。いや、これは逆に考えればいいのかな?「ローマの休日」の監督に指名されたウィリアム・ワイラーは、当初、アン王女の役に指名されていたエリザベス・テイラーを、様々な理由から、当時全く無名であったオードリー・ヘプバーンに変更しました。この変更は、昭和26年7月のことでした。ウィリアム・ワイラーは昭和26年7月の時点で、上掲の八千草薫のポートレートを見ていた!???いけない、話が段々、横道にそれてしまいました。今回はこの辺で終りにします。次回は何故リュウちゃんが手塚治虫記念館に行ったのかを書いてみたいと思います。乞う、ご期待!(以下、「宝塚市立・手塚治虫記念館訪問(2)」に続きます)
2018年09月01日
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ポール・ドラローシュ<レディ・ジェーングレイの処刑>正に斬首刑に処せられようとするイングランド初代女王ジェーン・グレイ、観る者を凍りつかせる「怖い絵」だ!9月2日(土)、神戸市にある「兵庫県立美術館」に「怖い絵」展を観に行って来ました。<「怖い絵」展HP、7月22日~9月18日>http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1707/index.htmlリュウちゃんがこの展覧会を「観たい!」と思ったのは、ブリューゲル「バベルの塔」展を観たあと、大阪駅の構内で、冒頭の<レディ・ジェーン・グレイの処刑>の巨大なポスターに釘付けになってしまったからです。何と「怖い絵」なのだ!実物はどんなに凄い絵なのだろう?誰が描いた絵なのだろう?この絵だけでも実物が観たい!という訳で、9月2日に神戸に出掛けたという次第です。PM2時、「兵庫県立美術館」に到着、チケット売り場は長蛇の人の列、こりゃ、この前の「バベルの塔」展よりも混んでいる!結局、チケット売り場に並んでから会場に入場するまで、1時間も掛かってしまいました。この展覧会は、ドイツ文学者・西洋文化史家でエッセイシストの「中野京子」氏の監修による特別展覧会です。中野氏は2007年に「怖い絵」という美術エッセイを出版しました。<中野京子「怖い絵」>このエッセイのコンセプトは以下です(出版社のキャッチコピーをそのまま貼り付けます)<だれもが知っている西洋名画の数々。見慣れた名画には、驚くべき怨念や冷酷や非情や無惨が込められている。一読すれば、以後、平然と絵の前を通り過ぎることができなくなること請け合い。親切でやさしく「怖いもの見たさ」の感情に強く訴える美術エッセイ>このエッセイは評判を呼び、現在まで3巻が刊行されています。以下に、全3巻で取り上げられた「怖い絵」全60点を紹介したYou-Tubeを貼り付けます。<中野京子「怖い絵」掲載画集>https://www.youtube.com/watch?v=IS0E6mioZM4今回の展覧会は上記の掲載画集に準拠してはいるのですが、古今の名画を一堂に集めるのは不可能です。「怖い絵」として有名なベックリンの「死の島」やジュリコーの「メデュース号の筏」も展示されていますが、残念ながら「模写」なのです。しかし、中野氏の「怖い絵」を味わう上で、妨げになっているとはリュウちゃんには思われませんでした。さて、会場に入ります。今回のブログでは、展示されている「名画」に加えて、関連する作品もネットから拾ってみました。これは、リュウちゃん版「怖い絵」なのだ(苦笑)<第1章「神話と聖書」><ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「オデュッセウスに杯を差し出すキルケ―」>古代ギリシャの長編叙事詩「オデュッセイア」から題材を取った作品です。英雄オデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後、凱旋する途中、10年にも及ぶ漂流をします。「キルケ―」はアイアイエー島に住む「魔女」で、キルケーの住むアイアイエー島にたどり着いたオデュッセウスの部下たちは、キルケーの差し出す食べ物を食べて豚に変えられてしまいますが。オデュッセウスのみは、魔法の力で豚に変えられませんでした。キルケは魔法が効かない相手に屈して部下たちを元の姿に戻します。オデュッセウスはキルケーの魅力にとりつかれ、1年間キルケーとともに過ごしました。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849~1917)は19世紀イギリスの「ラファエル前派」の影響を受けた画家で、ギリシャ神話やアーサー王伝説などに基づいた絵で有名な画家です。<ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー「オデュッセウスとセイレーン」>長編叙事詩「オデュッセイア」の中で最も有名なエピソードを題材にした絵です。「セイレーン」は海に住む怪物で上半身は人間の女性、下半身は鳥又は人魚、美しい歌声で人間を誘い、誘われてセイレーンの島に近づいた人間はセイレーンに食い殺されてしまうという恐ろしい話です。セイレーンの甘美な歌声は、ドビュッシーの管弦楽曲「夜想曲」の第3楽章「シレーヌ(セイレーン)」で聴くことが出来ます。<ドビュッシー「夜想曲」第3楽章「シレーヌ」>https://www.youtube.com/watch?v=-QMAlGAoiuQ&t=81s画家のハーバート・ジェイムズ・ドレイパー(1863~1920)はイギリスの「ラファエル前派」の一人で、やはり神話や文学を題材にした作品を多く残したようです。「オデュッセイア」の「セイレーン」のエピソードは特に19世紀イギリスの「ラファエル前派」の画家たちを刺激したようで、幾つかの「名画」があります。<ジョン・ウィリアム・ウオーターハウス「セイレーン」><デドワード・バーン=ジョーンズ「セイレーン」>リュウちゃん、10年ほど前、澁谷Bunnkamuraで開催された「ラファエル前派展」を観に行ったことがあります。この時に見たミレイやバーン・ジョーンズの絵は、「怖い絵」という括りでリュウちゃんの心の中に定着したのでした、この時、印象に残った絵を3点挙げます。「ポーの一族」などで著名な女性漫画家、萩尾 望都はラファエル前派の影響を受けているとリュウちゃんは勝手に想像しているのです。<ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフェーリア」><エドワード・バーン=ジョーンズ「廃墟の中の恋人」><ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「プロピルセナ」>会場にはもう一点、セイレーンの絵が展示されていました。こちらのほうが「怖い絵」ですね(かな?)<ギュスターヴ=アドルフ・モッサ(1883~1971)「飽食のセイレーン」><第2章悪魔・地獄・怪物><アンリ・ファンタン=ラトゥール(1836~1904)「聖アントニウスの誘惑」>「聖アントニウス」は3世紀にエジプトで生まれたとされる伝説の聖人です。敬虔なキリスト教徒だったアントニウスは20歳の頃、両親と死別、両親の財産を貧しい人々にすべて分け与え、自らは長年に渡りナイル河畔の沙漠に籠り、苦しい修行を続けたとされています。沙漠での修行中、様々な悪魔や魑魅魍魎の怪物たちが彼を堕落させようと「誘惑」します。悪魔の誘惑に苦闘する聖アントニウスの姿は、古今、恰好の絵の題材になりました。以下に、幾つかの「聖アントニウスの誘惑」の名画を挙げて見ます。<ヒエロニムス・ボス「聖アントニウスの誘惑」><ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」><マルティン・ショーンガウアー「聖アントニウスの誘惑」><マティアス・グリューネワルト「聖アントニウスの誘惑」><マックス・エルンスト「聖アントニウスの誘惑」><サルバドール・ダリ「聖アントニウスの誘惑」>う~ん、正に魑魅魍魎、百鬼夜行の世界だ!<ギュスーヴ・ドレ~ダンテ「神曲・地獄編」>フィレンツエ生まれの詩人・哲学者・政治家だったダンテ・アリギエーリ(1265~1321)は、代表作である叙事詩「神曲」(1321年完成)で著名です。<「神曲」のあらすじじ~ウィキペディアより転載>「ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄を遍歴して回る。煉獄の山頂でウェルギリウスと別れたダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する」1861年~1868年にかけて、フランスの挿絵画家・ギュスターヴ・ドレは140点近くの「神曲」の木版画の挿絵を描きました。今日ではオリジナルの「神曲」よりも、ドレの挿絵のほうが遥かに有名になっています。「地獄編」、「天国編」、「天国編」とありますが、何と云っても「地獄編」の迫力は圧倒的なのです!<ビアズリーの「サロメ」>サロメは「新約聖書」に登場する女性、イエス・キリストが布教を始めた頃のイスラエルの王であった「ヘロデ・アンティパス」の姪、義父ヘロデ・アンティパスの愛人となり、酒宴の席で踊った褒美に、イエス・キリストを洗礼した「洗礼者ヨハネ」の首を所望したというエピソードがある少女(?)です。<リヒャルト・シュトラウス・楽劇「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」>https://www.youtube.com/watch?v=wlU13Y7Oe9o上掲のビアズリーのイラストは、1893年に初演されたオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵です。サロメに関する絵画は多数ありますが、以下に有名な「サロメ」の絵画をもう2つ挙げます。<ルーカス・クラーナハ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」><ギュスターヴ・モロー「サロメ」>女性が男性の首を斬るという話で、もう一つ有名なのは旧約聖書外典の一つ「ユディト記」に登場するユダヤ人の若い女性「ユディト」です。「ユディト」をテーマにした絵画も多数存在しますが、以下に代表的な2点を挙げます。<カラバッジョ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」><ルーカス・クラーナハ「ユディト」><第3章「異界と幻視」><エドヴァルト・ムンク「死と乙女」>「叫び」で有名なノルウェー出身の画家エドヴァルト・ムンクは「怖い絵」の巨匠ですね。今回展示された「死と乙女」は鈍感なリュウちゃんはあまり怖くないのですが、以下にリュウちゃんが「怖い!」と感じているムンクの代表作を1つ挙げます。<ムンク「思春期」><第5章「孤高の風景」><アルノルト・ベックリン「死の島」>今回展示されているのはマックス・クリンガーによる模写ですが、ここではオリジナルのベックリンの絵を挙げます。この絵はリュウちゃんも以前から「怖い」と思っていました。19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの大作曲家、セルゲイ・ラフマニノフは、この絵に触発されて暗い交響詩を作曲しました。う~ん、この音楽は暗過ぎる!<ラフマニノフ;交響詩「死の島」>https://www.youtube.com/watch?v=-6HwU3QQzmw<第6章「歴史」>再掲<ポール・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」>いよいよ最終章の<第6章「歴史」>です、ここにお目当ての「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が展示されています。少し長くなりますが、今回の「怖い絵」展のプロデューサーである中野京子氏の説明文を以下に紹介します。「イングランドの歴代女王といえばメアリ1世、エリザベス1世、アン、ヴィクトリア、エリザベス2世(現女王)、の6人とされているが、正確にはもうひとりいる。メアリ1世よりも先に即位し、イングランド最初の女王を宣言したジェーン・グレイだ。但し、玉座に座ったのは僅か9日間、追われて半年後に処刑されてしまう。まだ16歳と4か月、花の盛りだった。シェイクスピアの生まれる10年前、1554年のことである。以来、ジェーンの処刑シーンは数多く描かれてきたが、300年後のロマン主義吹き荒れる中、フランス人画家ドラローシュが異国の歴史画として描いたこの絵が一番の人気作となっている。ロンドン留学中の夏目漱石も魅了され、小説「倫敦塔」に反映されたことは広く知られているとおり。極めて演劇的な、計算され尽くされた画面、左に巨大な円柱があり、宮殿の一角とおぼしき場所で処刑が行われようとしている。その円柱にしがみつき、背中を見せて泣く侍女と、失神しかける侍女、後者の膝に置かれたマントと宝石類は、直前までジェーンが身に付けていたものだ。斬首の際、邪魔になるので脱がなければならなかった。若き元女王は新しい結婚指輪だけを嵌め、サテンの艶やかな純白ドレスは花嫁衣裳のようでもあり、自己の潔白を主張するかのようでもある。目隠しをされたため、首を置く台のありかが判らず手探りするのを中年の司祭が包み込むように導こうとしている。台には鉄輪が嵌められており、動かないように鎖で床に固定されている。ジェーンの身分を考慮した房つきの豪華なクッションが足元にあり、ここに腹這いとなって首を差し出すのだ。床には黒い布が敷かれ、その上に血をを吸うための藁が敷かれてある。若々しく、白い肌のこの少女は、一瞬後には血まみれの首無し死体となって長々と横たわっているのだ。そこまで想像させて、この残酷な絵は美しく戦慄的である」この絵の前に立ったリュウちゃん、上記、中野京子氏の解説文を一瞬のうちに感じ、暫く凍りついてしまいました、この絵はリュウちゃんの生涯で2番目に怖い絵になったのだ!リュウちゃんの生涯で一番怖いと思った絵は、勿論、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」なのです。皆様の「一番怖い絵」は何でしょうか?兵庫県立美術館の「怖い絵」展は9月18日で終了しますが、10月7日から12月17日まで、東京の「上野の森美術館」で同じ展覧会が開催される予定です。<上野の森美術館「怖い絵」展の御案内>http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=226東京藝大の大学院に通われているブログ友の「踊るひつじ」さん、是非、この展覧会を観に行って下さいね!
2017年09月10日
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雲を突き抜け、天に伸びる「バベルの塔」ブリューゲルの大傑作、24年ぶりの来日、先日、大阪・中之島にある「国立国際美術館」で開催されている<オランダ・ボイマンス美術館所蔵・ブリューゲル「バベルの塔」展~ネーデルランドの至宝=ボスを超えて=>という展覧会を観に行って来ました。<ブリューゲル「バベルの塔」展公式HP>http://babel2017.jp/ピーテル・ブリューゲル一世(1525年頃~1569年)の「バベルの塔」につきましては、その壮大で細密な画面に昔から憧れていました。何と凄い細密画なのだろう!実物は更に凄い絵に違いない、実物を観たい!大阪の「国立国際美術館」に足を運ぶのは、今年3回目です。1回目は1月開催の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展、初めて見るティツィアーノ、ティントレットの宗教画に魅了されました。2回目は4月に行った「クラーナハ」展、腰のくびれたヴィーナスや妖しいオーラを放つ「ユディト」に魅せられました。<ルーカス・クラーナハ「ユディット」、1530年ウィーン美術史美術館蔵>午前10時30分、美術館入場、アチャ―、大混雑だ!お目当ての「バベルの塔」、ちゃんと観られるかな?お目当ての「バベルの塔」は、展示会場の最後のフロアにありました。ここまで進むのに、約1時間、「長い道程」でした(苦笑)やっと「バベルの塔」が展示されている最後の会場に到着、ここも大混雑、ありゃ、実物の「バベルの塔」は実に小さい絵なのだ!後で調べましたところ、今回展示されたブリューゲル晩年の「バベルの塔」のサイズは<縦59,9cm、横74,6cm>、キャンバスの号数はだいたい20号です。このサイズ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」<縦77cm、横53cm>より画面面積で10%大きいだけの細密画だったのです。ブリューゲルは生涯に3点の「バベルの塔」を描いたとされていますが現存するのは今回展示のものと、後1点、1563年の「バベルの塔」の僅か2点です。参考のため、1563年の「バベルの塔」の画像をUPします。<ブリューゲル「バベルの塔」、1563年、ウィーン武術史美術館蔵>上の1563年の「バベルの塔」画像の細密度から見れば今回展示の<1568年頃の「バベルの塔」よりも細密度において劣るように見えます。しかし、こちらのサイズは<縦114cm、横155cm>、画面の面積比では今回展示の「バベルの塔」の約8倍もあるのです。1562年の「バベルの塔」の僅か1/8のサイズの今回の「バベルの塔」、尋常ならざる細密画なのだ!以下の図は、今回展示の「バベルの塔」の部分図です。あの小さいキャンバスに無数の人が働いている。このキャンバスには、何人の人が描かれているのか?「バベルの塔の高さは何メートルなのか?会場の出口近くに、東京芸術大学COI拠点が製作したオリジナルの「バベルの塔」を縦横各3倍(画面面積9倍)に伸ばした複製画が展示されていました。その複製画の横に、以下のように書かれたパネルがありました。「今回展示されているバベルの塔の実物の人物の身長は大体3mm,、これらの人物の実身長を170cmとすると、ここに描かれている「バベルの塔」の高さは510mになる。この絵には、約1400人の人物が描かれている。」約20号のキャンバスに、何と1400人の人物が描かれている!塔の高さ510mとは、東京タワーよりも180mも高い!やはり凄い細密画なのだ!ブリューゲルの細密画の例として、1562年に制作された「サウルの殺害」を以下に貼り付けます。この絵、<縦33,5cm、横55cm>、9号キャンバス相当、画面面積では「バベルの塔」の約40%に過ぎないのだ!会場の外に、「AKIRA」や「童夢」などの細密漫画でしられる大友克洋(かつひろ)氏が描いた「バベルの塔」が展示されていました。う~ん、こちらも面白い!<大友克洋「インサイド・バベル>「バベルの塔」は旧約聖書に出てくる話で、古代から様々な絵画が存在しますが、細密に描かれた絵画はブリューゲルが原点のように思われます。以下に、幾つかの「バベルの塔」の絵画を紹介します。<Frans Francken2世 , Joos de Momper2世 , 共作- の「バベルの塔」~1610年頃 ベルギー王立美術館蔵><ルーカス・ヴァン・ヴァルケンボルク 『バベルの塔』(1594年)、ルーブル美術館><ヘンドリック・ヴァン・クレーヴ「バベルの塔」><ギュスターヴ・ドレ「言語の混乱」~18655年>以上のバベルの塔は絵画における想像上の建築物ですが、現在の実際の建築物は、絵画の想像を遥かに超えていますね。現在、世界で一番高い建築物はドバイの「ブルジュ・ハリファ」」で、高さは828mです。<ブルジュ・ハリファ>かって日本には「東京バベルタワー」建築の構想があったようです。<「東京バベルタワー構想図>「東京バベルタワー」の想定データをウィキペディアから転載します。• プロジェクト名:東京バベルタワー• 提案者:尾島俊雄(早稲田大学教授)• 提案期:地球サミット(1992年)• 建設地:東京• 地上高:10,000m• 居住数:3,000万人• 総面積:山手線の内側すべて• 建設費:3,000兆円• 基底面:110km²• 総床面:1,700km²• 鋼材量:10億トンこの構想はバブル絶頂期に提案されたようですが、バブルがはじけた現在から考えますと、余りにも馬鹿馬鹿しい構想ですね。人間の欲望は旧約聖書の古代も現在も全然変わっていない。人間の「永遠の業」なのかな?
2017年08月27日
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