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真冬の万博記念公園、「太陽の塔」の下、8000本のアイスチューリップ咲く!先日、関西のテレビ・ローカルニュースで、「万博記念公園の太陽の広場に、8000本のアイスチューリップが見頃」という報道が伝えられました。アイスチューリップ???初めて聞く名前だ。どんなチューリップなのだろう?と思ってネット検索しました所、以下の記事がヒットしました(以下の記事はクリックして見ることが出来ます)<冬に咲くアイスチューリップとは?>上掲の記事によりますと、「アイスチューリップ」とは、〇普通のチューリップの球根を冷蔵施設で一定期間、低温で管理した後、自然の冬の環境に戻すという処理をしたチューリップ。温室ではなく、自然の環境で真冬に開花するチューリップ。〇普通の「春咲きチューリップに比べると、花は小ぶりだが、その代わりに開花期は長く、約一ヶ月位、一つの花が開花している「長持ちチューリップ」。花の少ない真冬に8000本のチューリップが観られる!よし、万博記念公園に行ってみよう!1月19日、午前10時30分、家を出発、リュウちゃんの家から「万博記念公園」までの経路は以下です。JR法隆寺駅~(25分)~JR天王寺駅~(乗り換え)~地下鉄天王寺駅~(30分)~千里中央駅~(乗り換え)~モノレール「万博記念公園駅」、午前11時30分、「天王寺駅」到着、ちょっと早いが、「天王寺」で昼食を摂ろう。という事で、地下街にある行きつけの(といいましても、行くのは年に数回なのですが)大衆海鮮料理店(酒場)に立ち寄り、早い昼食、プファ~、ビールが旨い!ツマミは魚のアラ煮と寿司定食、元気をつけて真冬の万博記念公園を歩いてみよう。午後1時過ぎ、「万博記念公園駅」に到着、駅前から、公園のシンボル、「太陽の塔」が間近に見えます。この日は午前中は「曇り」だったが、午後からはほぼ快晴、チューリップ日和になった!以下のマップは「万博記念公園」のアイスチューリップの咲いている場所を示しています。アイスチューリップは、「中央口」を入った目の前の「太陽の広場」に咲いているのだ!「中央口」から入場します。おお、以下の写真では、アイスチューリップは全く見えない!アイスチューリップは「太陽の塔」の近くには植えられていなく、「中央口」の正面と左右に、見た目では「ささやかに」植えられています。8000本といえども、広大な「太陽の広場」の中では、「ほんの一握り」にしか見えない(ちょっと残念!)「太陽の広場」をチューリップで埋め尽くす為には、少なくとも10万本が必要のようだ。<寒咲き菜の花>この時期、アイスチューリップ以外に、公園で咲いている花はあるのか?と思って、入場口のお姉様に問い合わせましたところ、下図の2カ所で「寒咲き菜の花(カンザキナノハナ)」が見頃を迎えています」とのこと、で、「太陽の広場」の右横にある「菜の花園」に行って見ました。寒咲き菜の花、まだちょっと早かったようだが、「早春」を体感出来た。「菜の花園」の脇にある「赤い実」のなる木、何という名前の木なのだろう?<パンパスグラス>「菜の花園」を更に右側に進みますと、大きな「樅の木」の向こう側に、数株の「パンパスグラス」を見ることができました。パンパスグラスの「花穂」、これも立派な「冬の花」なのだ!<松竹梅梅林>「万博記念公園」の「自然文化園」には、約120種600本の「梅林」があります。この梅林には、「梅」の他に、「黒松」、「竹」が植えてあるので、「松竹梅の梅林」と呼ばれています。1月中旬なので、開花は期待せずに立ち寄ったのですが、以下の7種類の開花を確認することが出来ました。通常の年の開花は2月上旬、暖冬の為、今年は開花が早いのかな?<八重寒紅><初雁><雪山枝垂><冬至><白加賀><大盃(おおさかずき)><名称不明の紅梅>「梅林」から見上げた「太陽の塔」です。「太陽の塔」は、文字通り「万博記念公園」のシンボル、園内のどこからでも、見ることが出来るのだ!
2024年01月31日
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日本最大級の温室「咲くやこの花館」オオオニバスの花、初めて観た!2月3日(節分の日)4年ぶりに大阪の鶴見緑地公園の中にある「咲くやこの花館」に一人で出掛けてみました。花の少ないこの季節、日本最大級の温室で、熱帯植物を中心とする多彩な花を楽しもうという趣向です。4年前の2月、初めて「咲くやこの花館」に行った時には、花の少ない真冬に、こんなにいっぱい花が咲いている場所がある!よし、これから毎年、冬に「咲くやこの花館」に行って見よう!と思ったのですが、その後の新型コロナ禍で、3年間も行くことが出来ませんでした。今回、久しぶりに行こうと思ったきっかけは、テレビのローカルニュースで<「咲くやこの花館」に「節分草」という珍しい花が2月3日まで展示されている>ということを知ったからです。「節分草」???初めて聞く名前だ、どんな花なのだろう?よし、「節分草」を観に、久しぶりに「咲くやこの花館」へ行ってみよう!下の図は「咲くやこの花館」の案内MAPです。上掲の図、文字が小さく、読みづらいのですが、右中央部の「入口」から入場し、順に「熱帯雨林植物室」~「水生植物室(ロータスガーデン)」~「熱帯花木室」~「乾燥植物室(サボテン室)」~「高山植物室」と巡り、最後に上図の中央部にある「ある「フラワーホール」に至り、散策終了になります。それでは順路に沿って、この日撮った花・植物を紹介します。<熱帯雨林植物室><ガジュマル(雨の木、絞め殺しの木)>熱帯雨林を代表する植物の一つです。鹿児島県以南の熱帯地方の低木や岩の下に自生し、低木の下に自生したものは、その木の周りに複雑に絡み合った気根を延ばし、その木を絞め殺してしまいますので、「絞め殺しの木」という別名があります。<栗生(くりお)神社のガジュマル>「鹿児島県の巨樹」というサイトを見ましたところ、昨年末のブログで紹介した「日本一の巨樹・蒲生の大クス」より幹周の太い巨樹として、屋久島にある「栗生神社のガジュマル」が紹介されています。幹周28m!「蒲生の大クス」よりも6mも太い!この巨樹を観るために屋久島に行きたい!(栗生神社のガジュマル:この写真はネットからお借りしました)<蘭(ラン)の仲間>「熱帯雨林室」のこの時期の花の主役は「蘭(ラン)」です。以下、何枚か「蘭」の花の写真を貼り付けます。<バンダ>別の木の幹に着生している蘭です。<アングレクム・セスキペダレ>この蘭は、「ダーウィンが注目した蘭」として知られています。1862年にこの花を入手したダーウィンは、この花の20~35cmもある非常に長い「距」(きょ:花の萼や花冠の基部近くから突出した部分)に着目し、1862年の著書「蘭の受粉」の中で、<「距の奥の蜜腺まで届くほど長い口吻を持った送粉者のガが自然選択されている」と推察した>のだそうです。「蘭」の仲間は全部で25000種類くらいあるようですが、この時期に「熱帯雨林室」で観られる蘭は50種くらいのようです。それぞれ、聞き慣れない長い名前のプレートが花の傍に付けられていますが、ここでは花の名前は省略して、写真のみを何枚か貼り付けます。「熱帯雨林室」の蘭の花正に百花繚乱(蘭)なのだ!<水生植物室(ロータスガーデン)>「ロータス・ガーデン」と呼ばれていますが、ここには「蓮(ハス)」は植えられておらず、「睡蓮」のみのガーデンのようです。英語の「ロータス」と言葉は、「蓮」と「睡蓮」の総称ですが、「蓮」は「ヤマモガシ目、ハス科、ハス属」の水生植物、「睡蓮」は「スイレン目、スイレン科、スイレン属」の水生植物で、系統が全然違う植物なのだそうです。<オオオニバス>「オオオニバス」は漢字では「大鬼蓮」と書き、最後に「蓮」という字があてられていますので、「ハス属」の植物と混同されますが、れっきとした「スイレン属」の植物なのです。今日のロータス・ガーデンは、水が澄んでいて、水底まで見え、オオオニバスの全体像を初めて観ることが出来た!<他のスイレン>ロータス・ガーデンには10種類ほどの「熱帯スイレン」を観ることが出来ますが、以下に本日撮影出来たスイレンの写真を名称を省略して貼り付けます。野外のスイレンの花は初夏にしか観られないが、ここでは真冬に観られるのだ!<熱帯花木室>熱帯植物初心者のリュウちゃんにとりましては、「熱帯雨林植物」と「熱帯花木」がどう違うのか、サッパリ判りませんが、ここで撮った花を以下に紹介します。<アカバナブラシマメ><カリアンドラ・ハエマトケファラ><パポニア・グレドヒリイ><ムセラ・ラシオカルパ(地沸金蓮・雲南金蓮)>この花、リュウちゃんの家の近所にある「馬見丘陵公園」で見ることが出来るのですが、馬見の花は立ち入り禁止区域に咲いていますので、近くに寄って撮影することが出来ません。初めて真上から撮ることができました。尚、以下のサイトにこの花のことが詳しく書かれていますので、興味のある方は以下のサイトをクリックしてご覧下さいね。<地沸金蓮(チユウキンレン)とは?><バナナ>たわわに実っていました。実る前の「花」を観て見たかった!(バナナの花・この写真はネットからお借りしました)以下、この室で咲いていた花を幾つかUPします。<ハイビスカス><カエンカズラ><ベニヒモノキ><ブラジルディゴ><ブーゲンビリア><乾燥植物室(サボテン室)>この「サボテン室」、バラエティに富んだサボテンの花を観ることを楽しみにしていたのですが、残念ながら本日はサボテンの花は殆ど観ることが出来ませんでした。僅かに2種類だけ、開花が観られたのです。<名称不明・マミラリア属の一種><金鯱(キンシャチ)><高山植物室>「乾燥植物室」までは、気温が28℃位に保たれている「温室」なのですが、ここは室温が大体10~15℃くらいに保たれている「冷室」なのです。小さく可憐な高山の花、生命の力を感じる!<プリムラ・デンティキュラータ><ミヤマアズマギク><ミヤマオダマキ><クロユリ><チシマルリオダマキ><ムスカリ・ボウルゲイ><エーデルワイス>映画「サウンド・オブ・ミュージック」でポピュラーになった花です。日本名は「西洋薄雪草」、ヨーロッパアルプスの標高2000m~3000mの石灰岩地に咲く花です。<カナダオダマキ>約1時間半ほど館内を散策し、中央部にある「フラワーホール」に降りてきました。あれ、当初の目的の一つだった「節分草」どこに咲いているのだ?改めて案内のお姉さんに問い合わせしましたところ、「高山植物室」のガラスケースの中にあります」とのこと、再び「高山植物室」に引き返し、ガラスケースを覗きましたが、残念ながらケースの中にには節分草らしき花を見つけることが出来ませんでした。しょうがない、また来年、出直すことにしよう。帰路、京橋駅で降りて遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!来年に節分草を観る楽しみが出来た。ささやかな楽しみだが、高齢者のリュウちゃんにとっては貴重な楽しみなのだ!
2023年02月10日
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広大な敷地に咲き誇る77700株のアジサイ、奈良人リュウちゃん、初見参!6月17日。またまた女房殿の運転する車の助手席に乗って、三重県津市にある広大なアジサイ園「かざはやの里」に行って来ました。実はリュウちゃん、三重県に「かざはやの里」というアジサイの名所があることを知ったのは、先月(2022年6月)に「矢田寺」にアジサイを観に行った直後なのです。テレビの旅番組のミニ特集で、初めて知ったのです。リュウちゃんの生まれ故郷の三重県に、こんな凄いアジサイ園があったなんて!こりゃ、行って見るしかない!「かざはやの里」の住所は、三重県津市戸木町4096-5,、場所は津市から伊勢市を結ぶ高速道路「伊勢自動車道」(通称:伊勢道)の久居(ひさい)インターチェンジを下りて車で5分の所です。久居IC、リュウちゃん夫妻が奈良から故郷の伊勢に帰る時、いつも利用するICだ!奈良のリュウちゃんの家からは2時間弱で行けそうだ。午前9時、奈良を出発、「久居IC」に着いたのが午前11時過ぎ、「かざはやの里」に行く前に、ICの近くにある回転寿司店でちょっと早い昼食、プファ~、ビールが旨い!広大なアジサイ園に、期待が高まる!正午ジャスト、「かざはやの里」に入場、アジサイ園の入り口にも、いっぱい咲いている!アジサイの「花手水」です。園内に入ります。信楽焼のタヌキと、河童がお出迎え、先ず最初に、「かざはやの里」の今年のアジサイまつりのYou-Tubeを貼り付けます。<かざはやの里 アジサイまつり2022><「かざはやの里」について>★「かざはやの里」は2004年に社会福祉法人「生寿会」の職員と利用者の障がい者の皆様との共同作業で開園された日本で初めて園芸福祉を取り入れた福祉と環境を融合した花園です。★周囲約4キロメートルの「風早池」のほとりに、約8万㎡の広大な、すり鉢状の丘陵地に、アジサイが37種77700株、「藤」が、10種1800株(!)、「梅」が56種555本植えられています。★約8万株のアジサイは、リュウちゃんの行きつけの京都府宇治市の「三室戸寺」の2万株の約4倍の株数です。リュウちゃんが調べた限りでは、日本一のアジサイの株数を誇っているのは、静岡県下田市にある「下田公園」の15万株、次いで京都府舞鶴市にある「舞鶴自然文化園」の10万株、「かざはやの里」の約8万株は、株数だけで比較しますと、日本第3位になるようです。園内のすり鉢状の丘陵の全面に咲くアジサイ、正にアジサイの大パノラマだ!すり鉢の底のメインストリートの突き当りの坂を登り、上部に向かいます。登り坂の途中から見下ろしたすり鉢の底部、赤い橋の辺りが、「かざはやの里」の「銀座通り」に当たっているようです。上部の山道を右側に向かいますと、そこは、1800本の「藤」が植えられている広大な「藤園」なのです。「藤園」の近くに「足湯」がありました。この「足湯」、いいロケーションだ!「足湯」の横手から、すり鉢の底に降りる曲がりくねった小道が続いています。ここは白い手まりのような「アナベル」の楽園なのだ!再び、すり鉢の底に降りてきました。ここから、赤い橋のあるところへ向かいます。赤い「つどい橋」、やはりここは「かざはやの里」の中心部なのだ!「つどい橋」から「アナベルの楽園」と反対側の丘に登って行きました。反対側から見下ろしたすり鉢の底の風景、一番向こう側に「アナベルの楽園」が霞んでいます。反対側の斜面の一角には「夏コスモス」が咲いていました。反対側の丘の上に、タチアオイと夏コスモスが咲いていました。反対側の丘の上も、アジサイの楽園なのだ!「矢田寺」と違い、「かざはやの里」のアジサイは、カラフルな「手まり咲き」の「西洋アジサイ」が多いようです。以下、「かざはやの里」のパンフレットに記載されていた20種類のアジサイの名称を貼り付けます。★青てまり、★マリンブルー、★青顔、★サンガイヤ、★ピンクてまり、★カスラリンピンク、★サンドラ、★ツカサブルー、★サブリナ、★ウズ、★セリーナ、★城ケ崎、★シャローナ、★セルマ、★チャプリット、★レッドセンセーション、★アナベル、★シエラ、★ダイアナピンク、★白てまり、やはり「矢田寺」と違って、カタカナ表記のアジサイが多い!以下に、この日に品種名が確認出来たアジサイを貼り付けます。(1)「パープルン」(紫アジサイの妖精)(2)「ブルーニャ」(3)「ガクタン」この日確認出来たアジサイの品種、「アナベル」を含め、僅か4種類だけだった!しかも、確認出来た3種類は、パンフレットには掲載されていない。何故なのだ???約2時間、園内を散策して、帰途につきました。最後の写真は、帰路の途中で観た巨大な「藤棚」です。よし、来年の春には、ここの「藤の花」を観に行くぞ!(「かざはたの里」の藤、この画像はネットからお借りしました)
2022年07月10日
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「馬見丘陵公園」に咲く100種3万株の花菖蒲、今、「見頃」を迎えた!6月5日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、行きつけの「馬見丘陵公園」に「花菖蒲」を観に行って来ました。リュウちゃんの家から「馬見丘陵公園」までは、車で10分位で行けるのです。家で昼食を終え、午後1時に家を出発、午後1時10分頃に「北エリア」の駐車場に到着、泰山木の白い花がお出迎え、もう初夏爛漫だ!花のメインスポットの一つである「集いの丘」の斜面は、チューリップが終わり、ネモフィラが終わり、「ひまわり」の種蒔きを待っているところです。ひまわりの種蒔き、もう終わったのかな?従いまして、きの時期の「北エリア」には、メインとなる花は無いのです。<ハナザクロ>泰山木と共に、この時期の「北エリア」に咲いている数少ない花です。「北エリア」から短いトンネルを抜けて、「花菖蒲園」のある「中央エリア」に向かいます。「中央エリア」は、緑一色だ!「中央エリア」にポツンと咲いていたガウラ眩しい白だ!「花菖蒲園」に入ります。おお、花菖蒲は、ほぼ5分咲き、でも、殆ど「見頃」だ!以下に、「馬見丘陵公園」のHPを貼り付けます。このサイトによれば、ここの花菖蒲園には、100種3万本の花菖蒲が咲いているとのことです。<花菖蒲~馬見丘陵公園のHP><「花菖蒲」についての俄か蘊蓄>リュウちゃんは花音痴人間なので、「花菖蒲」に関しての知識は殆どありません。本ブログを更新するに当たり、ネットで俄か調べして分かったことを以下に書いて見ます。★花菖蒲はアヤメ科アヤメ属の多年草である。アヤメ属の花は世界では150種、日本では9種(内、自生種は7種)ある。日本のアヤメ属の花は、「花菖蒲」の他に、「シャガ」、「ヒメシャガ」、「ヒオウギ」、「イチハツ」、「アヤメ」、「カキツバタ」、「ヒオウギアヤメ」、「キショウブ」(帰化種)、がある。★「花菖蒲」は現在、約5000種ある。以前は「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」の3系統に分類されていたが、昭和27年、以上の3系統の元とされる品種が山形県長井市で発見された。この品種は「長井古種」と称された。現在の研究では、江戸時代に東北地方の「長井古種」が江戸に持ち込まれ、これを元に園芸品種としてさまざまな系統の品種が生まれたとされている。なので現在では「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」に加え、「長井系」の4系統に分類されている。★昔のことわざに「いずれアヤメかカキツバタ」とあるように、「花菖蒲」、「アヤメ」、「カキツバタ」の3種の花は非常によく似ていて、素人には見分けが難しい。以下のサイトに3種類の見分け方が書いてありますが、リュウちゃんにはよく分かりませんでした(トホホ)<花菖蒲(ハナショウブ)の花言葉とは?見頃の季節や種類・品種は?>―閑話休題―例によりまして、この日撮った「花菖蒲」の写真を「ミニ図鑑」として貼り付けて見ます。<品種ミニ図鑑>(1)「出羽娘」(長井系、紫)(2)「花の雨」(江戸系、薄いピンク)(3)「稚児化粧」(肥後系、白に薄い紫の筋)(4)「水の光」(江戸系、白に花芯が黄色)(5)「潮来(いたこ)」(江戸系、濃い紫の筋)(6)「金冠(きんかん)」(7)「波乗舟」(江戸系、紫に白い筋)(8)「東鹿子(あずまかのこ)」(江戸系、縁が薄紫、中心が白、中心から黄色い筋)(9)「大観」(肥後系、薄紫に濃い紫の筋)(10)「乙女」(伊勢系。白)(11)「紬娘(つむぎむすめ)」(長井系、薄紫にやや濃い紫の筋)(12)「不知火(しらぬい)」(伊勢系、薄紫)(13)「夕霧」(伊勢系、紫)(14)「乙女の夢」(江戸系、白)(15)「遊君(ゆうくん)」(江戸系、白)(16)「乙女鏡(おとめかがみ)」(江戸系、薄いピンク、花の縁が縮れている)(17)「宿の桜」(江戸系、薄いピンク、、花の縁が縮れている)(18)「駒繋(こまつなぎ)」(肥後系、薄いピンク、、花の縁が縮れている)(19)「紅半夏(べにはんげ)」(江戸系、濃い紫、中心は白)(20)「白鴎(はくおう)」(白、花が三角形)(21)「喜久鳥」(肥後系、薄紫に白筋のゴージャスな花)(22)「蛇の目傘」(江戸系、清楚な白、中心部が薄紫)(23)「大和姫」(肥後系、薄いピンク、ちょっとボケてしまいました)(24)「万里の響」(白に薄紫の筋)(25)「葵形(あおいがた)」(江戸系、「万里の響」に似ている)(26)「涼夕(りょうせき)」(肥後系、清楚な白)(27)「野辺の桜」(薄いピンク)(28)「長井秀峰」(長井系、縁が紫。中心が白)(29)「千早城」(肥後系、紫、中央が白と黄色)(30)「沖の白波」(肥後系、白、中央が黄色)(31)「碧玉」(江戸系、鮮やかなブルー)(32)「春眠」(伊勢系、白)(33)「古希の色」(江戸系、淡い紫、中央から白い筋)、(34)「艶小町」(江戸系、赤紫、中央から白い筋)(35)「待賢門」(36)「美吉野(みよしの)」(伊勢系、薄~~いピンク)(37)「原里」(江戸系、ブルー)(38)「栄紫(さかえむらさき)」(江戸系、華麗な赤紫)(39)「春の小川」(肥後系、薄い紫と白、中心は白と黄色、華麗な菖蒲)(40)「小雪路」(江戸系、純白)フ~!全100種類中、40種類を撮影することが出来ました。花菖蒲園を取り囲むように、キンシバイの黄色い花の垣根がありました。花菖蒲の和風の渋い花色に比べ、キンシバイは目も覚めるような鮮やかさだ!<アジサイロード>ナガレ山古墳に近くに、4000株のアジサイが咲く「アジサイロード」があります。ここのアジサイ、これまで「見頃」の時期に行ったことが無かったのですが、今回も残念ながら、早咲きのカシワバアジサイを除き、「2分咲き」くらいでした。「アジサイロード」の満開のアジサイ、何時になったら見られますことやら?
2022年06月23日
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大阪湾の浜辺の100万株のネモフィラ、空の青、海の青、ネモフィラの青、青一色の別世界だ!5月3日、大阪の舞洲(まいしま)で行われていた「ネモフィラ祭り」を観に行って来ました。舞洲に行くのは、2016年に、ここが「ユリ園」だった頃に行って以来、5年ぶりの訪問になります。(5年前の「ユリ園」)「舞洲ユリ園」には、250万輪のユリが咲いていたのですが、2018年の台風により壊滅的な被害を受けた為、「ユリ園」は閉鎖され、代わって2019年に「100万株のネモフィラ」をベースとする「大阪まいしまシーサイドパーク」に生まれ変わりました。<2022年ネモフィラ祭りHP>舞洲ユリ園は2回行ったが、ネモフィラ園は今回が初めてなのだ。例に拠りまして女房殿お手製のおにぎり弁当と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時、法隆寺の家を出発、電車・バスを乗り継ぎ、午前10時30分、「まいしまシーサイドパーク」に到着。入場口から、凄い人波だ!本来なら、入場料1200円なのですが、本日は入場無料、何故、入場無料になったかといいますと、4月下旬の暴風雨の影響により、花数が激減し、本来のネモフィラブルーが見られなくなっているためなのだそうです。入場無料は嬉しいが、本来のネモフィラブルーが見られないのは悲しい。以下に「園内マップ」を貼り付けます。(園内マップ)上掲の「案内マップ」の、赤い矢印の順路に従い、ネモフィラ園を一周します。う~ん、ネモフィラが疎らなのは残念だが、雰囲気だけは味わえる。大阪湾には、船やヨットが浮かんでいます。対岸の山並みは「六甲山系」、「六甲山系」が尽きるあたりには、「五大港」の一つである「神戸港」があります。また下の写真の右側には、これも「五大港」の一つである「大阪港」があります。ネモフィラ園の前の海は、船の「銀座通り」なのだ!「上の道」から、海辺の「下の道」に降りて行きます。ここからは、「見上げるネモフィラ」の道なのだ!「MAISHIMA」のオブジェの近くの「海岸通り」の片隅にビニールシートを敷き、昼食、プファ~,ビールが旨い、空も、海も、ネモフィラブルーなのだ!暴風雨の影響で、ネモフィラが激減したのは残念至極、来年は入場料1200円を払う時期に観に行こう!<関西のもう一つのネモフィラの名所「馬見丘陵公園」>「舞洲ネモフィラ祭り」に行った翌々日の5月5日、近所の「馬見丘陵公園」に女房殿の運転する車の助手席に乗って出掛けて見ました。この時期の「馬見丘陵公園」は、チューリップ祭りが終わって、チューリップの花が取り除かれ、下草として植えてあったネモフィラが、チューリップに代わって、「主役」に躍り出る時期なのです。下の写真は、昨年5月15日に撮った「馬見丘陵公園」の「集いの丘」のネモフィラです。(昨年の「集いの丘」)今年の「集いの丘」はどうなっているのか?アチャ~今年の「集いの丘」まだ、ネモフィラは疎らだ!今年の「馬見」行きは5月5日、昨年より10日早かったので、チューリップの「茎」の撤去は、まだ行われていなかったのですね。「茎」の撤去が行われた後に、本格的なネモフィラの季節が来る。ということだったように思われました。気を取り直して、「馬見丘陵公園」を一周して来ました。今の時期、「馬見丘陵公園」には、どんな花が咲いているのかな?<中央エリアのミニ・バラ園>下の写真は、「北エリア」から「中央エリア」に抜ける短いトンネルを出た所にある「蔓バラ」です。中央エリアの一角にある小さなバラ園でも、幾つかのバラが開花していました。<ゴールド・バニー><ラヴィアン・ローズ><ザ・フェアリー><ラブ><アンナプルナ><レッド・ピノキオ><うらら><菖蒲園>菖蒲は、茎と葉が成長してきましたが、開花はこれからのようです。「下池」の水際の黄色い菖蒲、開花していました。<カリヨンの丘>ここもネモフィラの見所の一つです。<なんじゃもんじゃの花>「カリヨンの丘」の道筋に、白く細い花を付けた木の小さな並木がありました。この花、何という花なのかな?後で、中央エリアの「公園館」に行って調べましたところ、この花木は、「なんじゃもんじゃの木」だということが分かりました。「なんじゃもんじゃの木」って、なんじゃもんじゃ???「ナンジャモンジャ」のウィキペディアには、以下のように記述されていました。<ナンジャモンジャは、特定の場所に生えている見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々である。「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占いや神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないか、とみる説などがある。一説では、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなんじゃ」と聞いたところ、地元の人が聞き取れず「なんじゃもんじゃ」と返答して、木の名前だと勘違いして広まったという話がある>う~ん「馬見丘陵公園」の「なんじゃもんじゃ」は、ヒトツバタゴなのか?それともニレ、イヌザクラ、ボダイジュなのか?やはり「何じゃもんじゃ???」なのだ。(※)上掲の「なんじゃもんじゃの花」、ネット調べをしましたところ、「ヒトツバタゴ」であることが分かりました。(ウィキペディアに掲載されていた「ヒトツバタゴ」の花)<上池のほとり>ナガレ山古墳の近くの「上池」のほとりに、何本かの針葉樹が生えていました。この木はラクショウ(別名:沼杉)で、他の木が育たないような湿地でも、地上に「呼吸根」を出し、平気で育つ変わり者、北アメリカの原産です。「上池」がちょっと神秘的に見えるのは、ラクショウのためのようだ。公園を一周し、再び北エリアのトンネルの前に戻りました。トンネルの近くに「クレマチス」がひっそり咲いているのを発見!「馬見丘陵公園」には、クレマチスの花も咲いていたのだ!初めて知った!クレマチスの横手に、一本の葉の付いていない木があり、その木の枝に2輪だけ、黄色い花を付けていました。この木は通りがかりにいつも見ている筈なのですが、花を付けているのを見るのは今回が初めてなのです。不思議な花だ。何という花木なのだろう?樹木標識には以下のように書かれていました。<イペ>高さ5m以上になる落葉性中高木で、ブラジルの国花。3月下旬から4月中旬頃、ラッパ状の鮮やかな黄色い花を咲かせます。満開時には木全体が花に覆われ、遠くからでも人目を惹きます(ノウゼンカズラ科)「イペ」の花、初めて観た。「馬見丘陵公園」は、珍しい花木の宝庫なのだ!(満開の「イペ」、この写真はネットから拝借しました)
2022年05月27日
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2021年8月27日ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」累計180万アクセス突破。(今回の写真は、リュウちゃん行きつけの馬見丘陵公園で6月初旬に撮影した花菖蒲などの写真です)2021年8月27日、ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」の累計アクセス数が180万回を突破しました。例に寄りまして、開設以来のブログデータを書いてみます。★開設日:2009年6月5日(開設以来12年と83日)★開設日数:4466日、★総アクセス数:180万アクセス、★ブログ記入数:686件、★ブログ記入率:15%、★1日平均アクセス数:403アクセス★ブログ1回当たりのアクセス数:2624アクセス、(乙若丸)(蛇の目傘) 因みに、170万~180万アクセスの間のブログデータは以下です。★達成日数:216日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:21回、★ブログ記入率:9,7%、★1日平均アクセス数:463アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数:4762アクセス、<駒繋(こまつなぎ)><栄紫(さかえむらさき)>更に前回の160~170アクセス時のブログデータは以下です。★達成日数:215日、★総アクセス数:100000アクセス、★ブログ記入数:19回、★ブログ記入率:8,9%、★1日平均アクセス数:469アクセス、★ブログ1回当たりのアクセス数:5263アクセス、<原里(はらさと)><翠映(すいえい)>(峰紫)<初紅(はつくれない)>前回に続き、ブログ記入率は10日に一回更新(月3回更新)を守ることが出来ませんでした。また、「半年(183日)で10万アクセス」という自主目標も大きく割り込んでしまいました。目標未達成、やはり、「寄る年波」なのかな?(春眠)(古希の色)<艶小町(つやこまち)>リュウちゃん、今年の6月に75歳になってしまいました。いわゆる、「後期高齢者」の仲間入りです。6月からhさ医療負担額も1割負担になりました。元来、医者嫌い人間で、かれこれ20年くらい、歯医者の他には医者に行ったことのない人間なので、毎年、支払っている医療保険代は「払い損」になっているのです。しかし、最近、ちょっと足腰に変調!立ち上がる時に足腰が少し痛む!リュウちゃん、生まれて以来、足腰に痛みを感じたのは今年が初めてです。リュウちゃんより6歳年下の女房殿は、しょっちゅう、「足が痛い、腰が痛い」などとのたまっているのですが、足腰に痛みを感じたことのなかったリュウちゃんには、女房殿の言葉にまったく共感できませんでした。しかし、最近の足腰の変調で、ほんの少しだけですが、女房殿の言葉に共感出来るようになりました。足腰の変調は確かに辛い!一度、医者に行ってみようかな?リュウちゃんのブログのメインテーマは「お散歩フォトブログ」です。出来るだけ車や公共交通を使わず、「歩いてなんぼ」、足で稼ぐブログです。足腰の変調で、歩けなくなったら、お散歩ブログもお終いだ!(シモツケ)昨年の春から始まった新型コロナ禍は、もう1年半以上も続いています。昨年春、リュウちゃんは以下の誓いを立てました。<誓い>★新型コロナ禍が終息するまで、他県には行かない。★県内の散歩でも、原則として公共交通は使わない。★たとえ近所でも、飲み屋やカラオケ屋にはいかない(行くと、「プファ~、ビールが旨い!」となってしまい、抑制が効かなくなるからです)幸いといいますか、今年6月、リュウちゃんは新型コロナワクチンの2回接種を終えました。やれ一安心、これで昨年春からの<誓い>は御破算だ。飲み屋にもカラオケ屋にも行ける!しかし、2年に及ぶ新型コロナ禍のため、行きつけだった飲み屋もカラオケ屋も廃業!アチャ~、何のためにワクチンを接種したのだ!情けない!しかし、ワクチン接種が終わったことにより、今秋からは、公共交通を使って、県内のみならず。京都や大阪にも足を運んでみたいと思っているのです。現在のところ、足腰の変調は「立ち上がる時」だけなので、長距離の散歩は今のところは、差支えない状態のようです。今年の秋は2年ぶりに、他府県にも足を運んでみよう!(泰山木)ーーーー<将棋・藤井総太2冠、いよいよ竜王戦挑戦者に決定!>(藤井総太2冠)藤井総太2冠の勢いが止まりません。8月30日、豊島将之竜王への挑戦をかけた「竜王戦挑戦者決定戦3番勝負第2局」が行われ、藤井2冠は対局者の永瀬拓矢王座に77手という短手数で快勝、将棋界最高のタイトルである「竜王戦」の挑戦権を獲得、10月8日から豊島竜王と「竜王戦7番勝負」を戦うことになりました。(豊島将之竜王・叡王)2021年4月1日から始まった今年のシーズンは、藤井2冠と豊島2冠の対決の年だ!昨シーズンまでの藤井2冠は、豊島2冠を最も苦手としていまして、通算成績は1勝6敗でした。今シーズンは先ず6月29日から始まった藤井2冠の持つ「王位」戦に豊島2冠が挑戦者として登場、「王位戦七番勝負」を戦いましたが、8月25日、藤井2冠が4勝1敗で見事、「王位」防衛を果たしました。また豊島2冠の持つ「叡王」に藤井2冠が挑戦、「叡王戦5番勝負」を戦っています。現在、第4局まで終わりましたが、成績は2勝2敗、9月13日に行われる「第5局」に勝ったほうが「叡王」を獲得します。藤井2冠が勝てば、「棋聖」、「王位」と合わせ「3冠」達成、逆に豊島2冠は竜王のみの「1冠」になる。「竜王戦7番勝負」は10月8日から12月18日まで、全国各地で開催されます。今シーズン、藤井2冠は豊島2冠と、「王位戦」が5局、「叡王戦」が5局、「竜王戦」が最大7局、タイトル戦計最大17局を戦うことになります。昨シーズンまでは藤井2冠は、対豊島2冠に1勝6敗と、「大の苦手」fだったのですが、今シーズンはこれまで、「王位戦」、「叡王戦」合わせて6勝3敗、完全に苦手意識を払拭してしまいました。藤井2冠が、「叡王戦」第5局と「竜王戦」に勝てば、藤井2冠は藤井4冠に、逆に豊島2冠は「無冠」になってしまう!今シーズンの藤井2冠の8月末までの通算成績は、24勝5敗、勝率8割2分8厘、5敗の内、3敗が豊島2冠との対局で喫したものです(あとは稲葉 陽八段、深浦康市九段に各1敗を喫しています)今シーズンの藤井2冠、殆ど「無敵」なのだ!藤井2冠は何故、こんなに強いのか?以下は、最近、講談社+α新書に「藤井総太論・将棋の未来」を上梓した谷川浩司九段(十七世名人資格者)による藤井2冠の強さの本質に迫った言葉です。(谷川浩司九段)「藤井2冠は相手によって作戦を変えることはなく、相手の得意戦法を外すこともしません。対戦相手と戦っているのではなく、将棋盤と対峙しているのです。子ども時代の将棋教室で培われた集中力と長時間考え続けられる力から来たのでしょう。普通は1時間も考えていたら、考えるのを休みたくなりますが、彼は公式戦でも相手の手番の時間帯も休まず考え続けます」 「彼は強い相手と将棋ができることが純粋にうれしいのでしょう。将棋の真理を追究することを実現するためには相手が強ければ強いほどいい。きっと初防衛戦で渡辺さんと豊島(将之。竜王・叡王)さんが挑戦者になったことさえも喜んでいると思います。普通は『大変なことになったな』と思うものですが」藤井2冠は、対戦相手と戦っているのではなく、将棋の神(真理)と戦っている!藤井2冠は「神の領域」に近づいているのか?<最年少名人への道>「竜王」と並ぶ将棋界最高のタイトルが「名人」です。「名人」以外の7つのタイトルは、その棋戦で勝ち続ければ、1年で取ることが出来ます。藤井2冠はデビューしてすぐに29連勝しましたが、仮に100連勝したとすれば、「名人」以外の7タイトルをすべて獲得し、15歳で「7冠」になることが出来たのです。しかし、「名人」になるためには、「順位戦」を勝ち上がっていく必要があります。「順位戦」は下から「C級2組」、「C級1組」、「B級2組」、「B級1組」、「A級」と5つのクラスのリーグ戦があり、各リーグで1年間戦い、上位2人だけが一つ上のクラスに昇級するというシステムになっています。そして一番上のクラスの「A級」で優勝すれば、晴れて「名人戦」の挑戦者になれるのです。「C級2組」からスタートし、毎年昇級したとしても、名人挑戦者になるのには最低5年も掛かるのだ!藤井2冠は現在、「B級1組」に在籍していて、8月末時点の成績は3勝1敗です。今シーズンの「B級1組」には、13人の棋士が在籍していて、来年の3月まで各1回の総当たり制で12戦を戦います。藤井2冠が2022年3月に「A級」に昇級し、更に2023年3月にA級で優勝し、名人戦7番勝負で先に4勝して2023年6月に「名人」になると仮定しますと、その時点の藤井2冠の年齢は20歳11か月ということになります。これまでの「名人」の最年少記録は、谷川浩司九段の21歳2か月、順調に行けば藤井2冠は谷川九段の記録を更新出来る!これからも藤井2冠の対局から目が離せないリュウちゃんなのです。ーーーーーー<暗雲立ち込める東京五輪(5)>8月24日から始まった東京パラリンピックは、案の定、連日、35℃に迫る酷暑の中で行われています。心配していた「学校連携観戦」、東京都では当初、13万8000人の動員を目論んでいましたが、各自治体の反対が強く、結果的には、2万3000人くらいの動員に留まるようです。千葉県では、幕張メッセで、ゴールボール他、4競技が開催され、熊谷知事は、千葉市、市川市などから23000人の児童生徒の動員を目論んでいました。ところが、8月25日に千葉市の市立貝塚中学校の生徒55人を引率してゴールボールを観戦に行った男性教師2人が新型コロナに観戦していたことが判明、貝塚中学校では、他に4人、計6人の教師の感染が確認されました。貝塚中学校の学校連携観戦の引率教師のコロナ感染により、これまで、「プロ野球やJリーグなども観客が入っている。学校観戦は問題ない」と主張していた熊谷俊人千葉県知事も、8月30日、一転して千葉県の学校連携観戦を中止してしまいました。恐れていた学校連携観戦で、コロナ陽性者が出てしまった。新型コロナ感染大爆発の最中の学校連携観戦、このような事態が起こる可能性は充分予測出来た筈だ。にも拘わらず学校観戦を強行した小池都知事、熊谷千葉県知事などは、危機意識ゼロ、知事失格だ!(熊谷俊人千葉県知事)このブログの最後に、朝日新聞のオンライン・メディアである「AERA dot.(アエラドット)」に掲載された東京オリンピックを総括した2つのコラムをコピペして貼り付けます。興味のある方は読んでみて下さいね。(1)<東京五輪閉幕、日本人が莫大な授業料を払って学んだ「負の遺産」>(社会学者;上野千鶴子)(上野千鶴子氏) 東京五輪は巨大な負の遺産を残して終わりました。 東京五輪開催の主催者だった5者に対する信頼はことごとく崩れました。IOCの商業主義があからさまになり、JOCの無力さがみえすき、五輪組織委の寄せ集めと無責任体質がはっきりわかり、政府の独善と強引さ、東京都の無策が伝わりました。 五輪の開催期間中にコロナ感染者は都内で1日あたり5千人超、全国では1万人を超え、死者の累計は1万6千人近くに達しました。東日本大震災の死者数と同じです。これがもし1年半にわたって続く災厄でなく、短期間に起きた災害なら、五輪開催はあったでしょうか。医療現場はすでに「災害医療現場なみ」と言われています。東日本大震災の時と同じように、ありとあらゆる医療資源を現場に動員しなければならない時期だと思います。それなのに、コロナ感染者が自宅療養を強いられる事態に。医療先進国だった日本の医療の脆弱さと政府の無策に開いた口がふさがりませんでした。「医療崩壊の危機」どころではありません、医療崩壊そのもの、コロナ感染が陽性と判定されても何の治療も受けられない「棄民政策」を政府が堂々と口にするとは。国民はもっと怒って当然です。 スポーツ界やアスリートに対する反感すら生まれたように思います。さかのぼれば森喜朗オリパラ組織委会長辞任に際してのスポーツ界の沈黙は不気味でした。現役アスリートたちが、利権と金にがんじがらめになっていることがわかりました。アスリートは五輪に人生を賭けてひたすらストイックに鍛錬に励んできた人々、彼らを責めるのは筋がちがう、という声は多く聞かれましたが、メダル獲得後に彼らが口にしたのは、五輪開催にこぎつけた主催者とそれをサポートしたひとたちへの感謝だけでした。同じ時期に自宅療養を強いられるコロナ患者や、疲弊した医療者への配慮や同情は聞かれませんでした。人工呼吸器をつけてコロナと闘っている患者や医療者が、アスリートから「勇気と感動を与えたい」と言われても、素直に受けとれるでしょうか。「アスリート・ファースト」とは、アスリートのエゴイズムかとすら思えます。 五輪開催による政権浮揚策は、失敗に終わりました。五輪閉幕後の菅政権の支持率低下がそれを物語っています。この「翼賛体制」に協力した文化人、芸能人、タレントたちの総括も聞いてみたいものです。参加者全員がマスク着用で登場した開会式と閉会式、五輪史上異様なその映像をドキュメンタリーに制作する役割を背負った映画監督の河瀬直美さんが、この問題だらけの大会をどんなふうに記録するか、興味があります。 五輪の虚構がこれだけあきらかになった日本が、この先の将来、ふたたび五輪を誘致することは二度とあるまい、と思います。莫大な授業料を払って日本と日本人が学んだのはそういう負の遺産でした。(2)<カネよ、カネよの東京五輪、スポーツが企業やメディアの食いものに>(前衆議院議員:亀井静香)(亀井静香氏) 東京五輪を一言でいえば、雨がざーざー降りの墓場で、酒を飲まないで宴会をやったようなもの。コロナというざーざー降りの雨のなかで経済が打撃を受け、外出自粛とか活動が極めて制限をされて、酒が飲めない墓場のようなところで、やるべきではなかった。五輪で飯を食っている巨大な利権集団、金をもうけるための集団がある。今の五輪はスポーツの祭典ではなくなっている。メディアまでがこれに乗っかかり、飯のタネにしている。 昔は五輪に意味があった。種目ごとに世界大会を開催する機会がなく、五輪という形で、多くの種目が一緒に祭典をする意味があった。いまはほとんど全種目で世界大会を開催していて、わざわざ五輪を開催する意味が薄れてきている。 今回の五輪はコロナのときで、3密の最たるものになった。選手たちは触れ合い、声を上げ、抱き合った。こういうときでないときに、開催するべきだった。 しかも、無観客で開催した。本来は観客と選手たちが一体となってやることに意味がある。観客と遮断して、選手たちに一生懸命にやれといってもうまくはいかない。 五輪は時期を選んで開催すればよかったが、商業化されてしまい、スポンサーとの関係で自由にやれなくなっている。テレビ放送のスケジュールとかに、がんじがらめになっている。純粋なスポーツの祭典ではなくなっている。スポーツが食いものにされている。メディアの都合のいいときにやり、利権に動かされている。 戦後の高度経済成長のなかで、スポーツが宣伝に使われるようになってしまった。もう直らない。商業スポーツとして見ればいい。選手も使われている。選手は企業のお抱えで道具である。資本主義経済のもとの姿だ。社会主義国家は、自分の力を大きく見せるために使っている。選手には、それぞれのヒモがついている。純粋さがなくなっており、今後もこのままいくのだろう。カネよ、カネよ、カネよ、の時代になった。選手も道具にされて、かわいそうなものだ。昔の選手は国の栄誉だった。いまは企業の宣伝を背負っている。変わってしまったものだ。人間の社会はどんどん変わっていく。 コロナが収束しても、別のウイルスが出てくるかもしれない。コロナよりもっと強力なものが出てくると覚悟しないといけない。人類はいろいろなものと闘ってきた。国が基礎科学研究にもっと予算を組まないといけないが、いまは応用研究ばかりになっている。五輪よりも、第二のコロナにどう対応するのか、国がもっとお金をつぎ込んでいかないといけない。
2021年09月02日
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花菖蒲が終わった滝谷花菖蒲園、でも、夏の花がいっぱいなのだ!6月29日、久々に奈良県宇陀市にある「滝谷花菖蒲園」に行ってきました。<「滝谷花菖蒲園」HP>→ここをクリック今回も女房殿の運転する車の助手席に乗ってのお出掛けです。「滝谷花菖蒲園」は「三室戸寺」とは違いまして、園内で食事が出来ますので、女房殿手作りのおにぎり弁当と、リュウちゃん手作り(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時に法隆寺の自宅を出発、約1時間後の午前10時過ぎに「滝谷花菖蒲園」に到着しました。リュウちゃんの自宅から「滝谷花菖蒲園」までは三室戸寺とほぼ同じ時間で着くのだ!午前10時過ぎに入園、アチャ~お目当ての「花菖蒲」は完全に「終わり」なのだ!<園内MAP>園内の総面積は約1万坪(33000平方メートル)、前回のブログで紹介した三室戸寺の庭園の約2倍です。「花菖蒲園」という園名のように、5月下旬~7月上旬に「見頃」になる600種100万本の「花菖蒲」がメインですが、4月の「桜・枝垂れ桜」、4~5月の「芝桜」、5月の「てっせん園」、「つるバラ園」、そして6~7月の「アジサイ」(7500株)、7~9月の「ブルーベリー」、秋には「コスモス」、「紅葉」と、四季折々、山里の花々の風景が楽しめる「癒しのスポット」になっています。 以下、「滝谷花菖蒲園」のHPからお借りした花の写真を幾つか貼り付けます。<桜・しだれ桜><芝桜><てっせん園><つるバラ園:ファンタジア><花菖蒲>上掲の花菖蒲は上記HPからお借りした写真ですが、以前リュウちゃんが撮った写真をあと2枚貼り付けます。 やはり見頃の花菖蒲が見たかった! <合歓の花>園内の入り口近くに、「ネム(合歓)の花」が咲いていました。(合歓の花に因む歌)(1)<「ねむの花」、詞:壷田花子、曲:中田喜直>https://www.youtube.com/watch?v=mprUbeSVg1c (2)<「ねむの木の子守歌」、詞:美智子上皇后、曲:山本正美>https://www.youtube.com/watch?v=VIEzTvIvHoo この詞は、昭和40年11月、秋篠宮文仁殿下ご誕生に合わせて作曲された子守歌です。詞は上皇后美智子さまが高校時代に書かれたものです。作曲者の山本正美は、「男はつらいよ」の音楽などで著名は山本直純氏の妻です。昭和41年に吉永小百合の歌唱でレコード化されました。残念ながら吉永小百合の歌唱のYou-TubeはネットにUPされていませんので、別の歌唱を貼り付けました。歌い出しの歌詞は以下です。♪~ねんねのねむの木眠りの木 そっとゆすったその枝に 遠い昔の夜(よ)の調べ ねんねのねむの木子守歌~♪<睡蓮>園内には大小2つの池がありまして、「大池」に当たる「水連池」には、水面一面に「睡蓮」が生い茂っていました。花はまだちょっと少なかったのですが、以下に「水連池」の写真を何枚か貼り付けます。上記<園内MAP>では「池」とだけしか記されていない「小池」には、「ハスと睡蓮」のコラボが見られました。<アジサイ> 「滝谷花菖蒲園」のアジサイは、主役の「花菖蒲」の周辺一面に植えられています。いわば、「筆頭脇役」なのですが、この「筆頭脇役」、なかなか隅に置けない存在で、ここは奈良県屈指の「アジサイの名所」なのです。<ブルーベリーの丘> 「小池」の上の山裾に「ブルベリーの丘」があります。ブルーベリーのシーズンは7月中旬からですので、本日のブルーベリーはまだ「青い果実」でした。もうお昼時、お腹が空いた!で、「水連池」の傍のベンチで昼食、プファ~、ビールが旨い!山里の澄んだオゾンも美味しい!<「滝谷花菖蒲園」から「馬見丘陵公園」へ> 「滝谷花菖蒲園」は、奈良県屈指の古刹「室生寺」の近くにあります。本来ならこの2つの名所はセット行くのですが、今回は室生寺はパスして帰路につきました。行きつけの「馬見丘陵公園」は帰路の途中にあります。行きつけの「馬見丘陵公園」、今の季節、どんな花が咲いているのかな?<馬見丘陵公園>午後2時頃、「馬見丘陵公園」到着、以下は「馬見丘陵公園」のHPです。<「馬見丘陵公園」HP> 本日はちょうど「花の端境期」で、北エリアの「花見茶屋」の周辺も閑散としていました。<泰山木>北エリアの駐車場の傍に、何本かの「泰山木」が植えられています。「泰山木」の花、リュウちゃんのブログ初登場なのだ!「泰山木」はモクレン科の常緑高木で、5月~7月に白い大きな花を咲かせます。 「泰山木」の原産地は中国?「泰山」は中国・山東省泰安市にあるユネスコの世界遺産にも登録されている標高1545mの名山です。(泰山)「泰山木」の原産地は「泰山」?リュウちゃん、これまで「泰山木」の姿及びその名称から、なんとなく中国原産の木だと思っていたのですが、改めてネットのウィキペディアで調べてみましたところ、以下の記述がありました。「泰山木はアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。ミシシッピ州は、州内に泰山木が多いことから、泰山木の州 (Magnolia State) という愛称がある。また、ミシシッピ州の州の木である」何と!「泰山木」はアメリカ原産だったのだ!ちょっとビックリ、泰山木が日本に初めてもたらされたのは、明治12年(1879年)6月、アメリカの第18代大統領だったユリシーズ・グラント夫妻が世界旅行の途中に日本に立ち寄り、グラント夫人が植樹したものが最初だと云われていますが、異説もあります。いずれにせよ、明治初期にアメリカからもたらされたことは間違いが無いようです(泰山木談義、これにて終了)<百日紅(さるすべり)>園内では、紅白の百日紅の開花が始まっていました。<つるバラ> 北エリアからトンネルを抜けた中央エリアの入り口に紅いつるバラが咲き残っていました。このバラ、名前は何でしたっけ?<アガパンサス> 中央エリアの「バラ園」の隅に、100株程のアガパンサスが一列に植えられていました。別名ムラサキクンシラン、南アフリカ原産、ヒガンバナ科アガパンサス属の多年草です。花音痴のリュウちゃん、この花を見るようになったのは最近のことでしたので、てっきり平成時代に日本に渡来した新しい花だと思っていたのですが、ネットで調べましたところ、明治時代中期に渡来した花なのだそうです。 アガパンサスもリュウちゃんのブログ初登場なのだ!<シモツケ>バラ科シモツケ属の落葉低木です。下野(しもつけ)の国(栃木県)で発見されたので、この名前がつけられたのだそうです。 <ノウゼンカズラ>中央エリアの「菖蒲園」の端に、棚造りに植えられた美しいオレンジ色の花を見つけました。う~ん得も言われぬ美しくトロピカル花だ!この花の名前は「ノウゼンカズラ」です。中国原産の蔓性落葉低木で、日本へは平安時代に渡来した花なのだそうです。 う~ん、この花の下でビールを飲みたかった!暫し馬見丘陵公園の夏の花を楽しみ、午後4時頃に家に帰りました。 「滝谷花菖蒲園」の入場料は大人1人900円(リュウちゃんは障害者手帖を持っているので入場料はタダ)、花菖蒲が終わっていたので、気をきかせたのか、女房殿には来年4月の招待券が頂けたのです。来年4月、桜の季節に行ってみよう!新型コロナ禍、来年まで続いているのかな?
2020年08月03日
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下界の新型コロナ騒動が嘘のように今年も吉野の桜が咲いた!4月5日、法隆寺・三室山の桜が満開、例年なら、吉野の桜の見頃は、法隆寺の桜の満開の一週間くらい後に満開になる筈なので、4月10日過ぎに満開になる筈でした。 4月10日頃に吉野に行こうかな?と、漠然と考えていたのですが、、、4月7日の夕刊の「桜便り」を見ましたところ、アチャ~吉野は「上千本」まで既に満開だ!遅かったか?ということで、急遽、4月8日に吉野の桜を観に行くことにしました。例年ならば公共交通を使って吉野に行くことが多いのですが、今年は新型コロナウィルス禍のため、公共交通は絶対使わないと決心しています。やはり女房殿の運転する車の助手席に乗って行こう、カアちゃん、頼んまっせ!例によりまして、女房殿お手製のおにぎり弁当と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時ちょっと前、法隆寺の自宅を出発、例年なら吉野の手前の国道は、花見客の車で大混雑し、大体、リュウちゃんの自宅から吉野までは2時間以上掛るのですが、今年は渋滞も全く無かったため、1時間20分位で吉野に到着しました。新型コロナ禍のおかげで1時間も早く吉野に着いた!<吉野神宮>車で吉野に行く時は、これまでは中千本にある「如意輪寺駐車場」に駐車することが殆どでしたが、今回、吉野の玄関口にあたる「吉野神宮」の横に小さな無料駐車場を発見、そこに駐車して、桜の写真を撮りました。鳥居の左手のピンクのしだれ桜が見事だ! 鳥居の手前に以下のようなパネルがありました。ここから下千本の入り口である「下千本駐車場」まで1,5km、アチャ~リュウちゃん一人だったらOKだが、女房殿同伴では、ちょっと遠過ぎる!という訳で、車を「下千本駐車場」に移動、駐車料金1500円!ちょっと高いが仕方が無い。幸いなことに、新型コロナ禍の中でも駐車場は営業していまして、かなり多くの車が駐車していました。前方に「下千本」の桜が見えて来ました。 おお、これぞ「吉野の桜」、来て良かった!<大橋> 「下千本」の入り口に「赤い橋」があります。以下の写真は、橋の横手に立っている「立て札」です。 これは「太平記」の世界だ!<黒門> 「大橋」から吉野山の入り口にあたる「黒門」に至ります。「黒門」を潜ったところに、華やかなピンクのしだれ桜が咲いていました。<蔵王堂> 「黒門」から徒歩約10分で、「蔵王堂」に着きます。ありゃ、蔵王堂の前の桜は、半分「葉桜」だ!<吉野朝宮址>「蔵王堂」の左下に、リュウちゃんの好きな吉野の桜スポットである「吉野朝宮址」(後醍醐天皇の南朝宮址)があります。昨年はここで、プファ~、ビールが旨い!とやったのですが、今年は上記の写真を撮っただけで、ひたすら「上千本」に上り続けたのです。 <東南院>今年も「東南院」のしだれ桜は「葉桜」だった(残念!)「東南院」の近くの展望所から「下千本」、「中千本」、「上千本」の写真を撮りました。 「下千本」、「中千本」は半ば「葉桜」遅かった!ちょっと残念だ! <桜本坊>ここは「八重桜」の名所、付近のヤマザクラが「葉桜」になった頃、ここの「八重桜」が満開になるのですが、今年の「八重桜は、まだ「咲き始め」でした。ピンクの「しだれ桜」は「満開」だったのです。 <中千本>「桜本坊」から急な坂道を上って行きます。途中、何か所かで薄紫の「ミツバツツジ」が美しく咲いていました。<上千本> いよいよ「上千本」です。「上千本」のトイレ(写真右)です。新型コロナ禍の中ではありますが、少し人出がありました。<さくら咲競プロジェクト>の立て札> 下の「立て札のある所は「上千本の頂上」です。ここからの眺めは「正に絶景!」なのです。もう午後1時ちょっと前、 お腹が空いた!ここでちょっと遅い昼食だ。プファ~、ビールが旨い!下界のコロナ禍が嘘のような天国だ!<花矢倉展望台> 昼食を終え、すぐ上にある「花矢倉展望台」に上りました。ここからは下千本の「蔵王堂」まで一望出来る。正に絶景絶景!<吉野水分(みくまり)神社> 「花矢倉展望台」から徒歩5分の所に、本日の最終目的地である「吉野水分神社」(標高590m)があります。おお、ここのしだれ桜は満開だ! <下山>午後2時頃、下山開始、改めて「下千本駐車場」から「吉野水分神社」までの距離・標高差を書いておきます。★「下千本駐車場」:標高250m、★「吉野水分神社」:標高590m、★標高差:340m、★「下千本駐車場」から「吉野水分神社」までの距離:約5km、下山は、上って来た同じ道を一直線に下りますので、大体。1時間位で、「下千本駐車場」に着きます。でも、ちょっと「道草」、「中千本」の道脇の土手に、「わらび」を発見!久々の「わらび摘み」、今回の吉野行の最大の成果なのだ!
2020年05月14日
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世界最古の木造建築と若い桜法隆寺は桜の花がよく似合う!?(法隆寺五重塔と桜)4月4日に女房殿の車の助手席に乗って「藤原宮跡~安倍文殊院~長谷寺の桜」見物をした翌日の4月5日、今度は「法隆寺~三室山」の桜を徒歩で見物して来ました。新型コロナウィルス禍の中での「お花見」、リュウちゃんは、公共交通を使わず、徒歩か女房殿の運転する車の助手席に乗って行くという「原則」を立てたのですが、今回は徒歩による「桜見物」を実践したという訳です。リュウちゃんの家から法隆寺までは徒歩約4分、法隆寺は絶好の徒歩お花見スポットなのだ!下の写真は、国道25号線から「南大門」まで、約350mの「松並木の参道」の間に、ただ1本だけある桜なのです。松並木の中の1本桜、緑の松とのコントラストが眩しい!「松並木の参道」を抜けると、法隆寺の玄関にあたる「南大門」が見えてきます。リュウちゃんの自宅から南大門までが徒歩4分なのです。「南大門」から「西院伽藍」を見上げます。平時であれば、見物客で賑わっている境内も、殆ど人が居ません。以下の図は「法隆寺伽藍配置図」です。(法隆寺伽藍配置図) 上の図で、★法隆寺の玄関である「南大門」は、図の左下にあります。★「南大門」から直進した眼前に、「金堂」、「五重塔」が並んでいる「西院伽藍」があります。★「西院伽藍」の右上に、「百済観音」や「玉虫厨子」などの国宝が納められている「大宝蔵院」があります。★図の右側に、「夢殿」のある「東院伽藍」があります。尚、法隆寺の由来や歴史などに興味のある方は、下記のサイトを参考にして下さいね。 <「法隆寺」に観光に行くなら知っておきたい歴史>→ここをクリック<「中門」と桜>「西院伽藍」の玄関ともいえる「中門」と桜のコラボです。やはり法隆寺の主役は松の木、「桜のコラボ」は、ささやかなのだ。<「五重塔」と桜> 「法隆寺の桜」のハイライトは、「五重塔」とのコラボなのだ!「西院伽藍」に入場します。 入場料は、何と、1500円、高い!しかし、リュウちゃんは古希を過ぎた斑鳩町の町民ですので、入場料が唯(タダ)なのです。「西院伽藍」は、周囲をエンタシス型の柱を配した「回廊」に囲まれ、南側に「中門」、北側に「大講堂」、中央に「金堂」と「五重塔」があります。「西院伽藍」には、桜の木は2本しかないのだ!「西院伽藍」を出て、「夢殿」のある「東院伽藍」に向かいます。 途中の休憩所には、数人の観光客がいました。「西院伽藍」と「東院伽藍」を区切る「東大門(とうだいもん)」(国宝)と桜です。「東大門」から見た「東院伽藍」の眺めです。写真奥のお堂は「夢殿」です。「東院伽藍」に入りました。ここは、「夢殿」の周囲に紅白2本の「しだれ桜」があり、もう1本、「山桜」があります(計3本)「東院伽藍」の桜の一番の見所は、「夢殿」とピンクのしだれ桜のコラボだったのですが、 アチャ~、ピンクのしだれ桜の周辺は工事中、「夢殿」とのコラボが撮れない(残念!)「東院伽藍」から帰途につきます。境内の「大通り」を直進し、出口の「西門」に向かいます。「大通り」から見える五重塔と桜のコラボです。以上、ご覧頂きましたように、法隆寺のソメイヨシノやしだれ桜は、殆ど樹が若く、小さいのです。リュウちゃんが法隆寺の近くに引っ越してきたのは、平成8年(1996年)、今から23年前なのですが、多分、この頃に植えられたのではないかと思っています。法隆寺の桜は何時植えられたのか?御存じの方があれば教えて下さいね。<三室山・竜田川の桜>法隆寺を出て、そのまま徒歩で三室山(みむろやま)に行きました。三室山と、その下を流れる竜田川(たつたがわ)は、法隆寺と並ぶ斑鳩町の桜の「2大名所」なのです。法隆寺から三室山までは徒歩20分、三室山と竜田川は、「紅葉の名所」として全国的に有名で、三室山の麓には、以下の2首の百人一首の碑が立てられています。 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは(在原業平)あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり(能因法師)<竜田川の桜>先ずは三室山の麓を流れる竜田川の土手の桜です。写真左手奥の山は「生駒山」です。「三室山」に登ります。麓のピンクのしだれ桜ほぼ満開だ!「三室山」は標高82mの小山です。聖徳太子の時代から、この小山は「神の鎮座する山」とされていて、「神南備山(かんなびやま)」という別名があります。 麓から頂上まで徒歩10分、明日香村の「甘樫の丘」と似ている!?麓から頂上までは、コンクリートで舗装された道が続いています。 もう「散り始め」だ!山頂付近の桜です。ピンクの八重桜が開花し始めていました。山頂には古代の庵(いおり)を模した休憩所があります。 この庵、能因法師の庵を模したものなのかな?暫し山頂の風景を楽しみ、下山しました。 下界のコロナ騒動が嘘のようにのどかな光景だ!三室山の麓は「県立竜田公園」として整備されています。 ここは新型コロナ禍の中でも、絶好の「お出掛けスポット」なのだ!(以下、「令和2年、新型コロナ禍の中の桜紀行(3)~吉野の桜」に続きます)
2020年05月04日
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約100品種の梅と数多い蝋梅(ロウバイ)、大阪城梅林、今正に「見頃」2月11日(火)、新聞の「梅便り」に誘われて、大阪城梅林を散策してきました。 天気は快晴絶好の梅観日和だ!以下の図は「大阪城梅林マップ」です。梅林は大阪城の外堀と内濠に囲まれた天守閣直下の東側にあります。(大阪城梅林マップ)上掲のマップ、かなりオリジナルを拡大しましたので、ちょっとボケています。以下、この図について補足説明をさせて頂きます。★梅林に行くための公共交通の駅は8つあります。(!)JR大阪環状線「森ノ宮駅」、(2)大阪地下鉄(Osaka Metro)中央線「森ノ宮駅」、(3)JR大阪環状線「大阪城公園駅」、(4)大阪地下鉄谷町線「谷町四丁目駅」、(5)大阪地下鉄中央線「谷町四丁目駅」、(6)大阪地下鉄谷町線「天満橋駅」、(7)京阪「天満橋駅」、(8)大阪地下鉄長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」、<参考のため、下記に交通マップを貼り付けます>(大阪城周辺交通マップ)★上掲マップの上部、「大阪ビジネスパーク駅」という表記がありますが、この表記で、「大阪」の表記のある場所が「桜の通り抜け」で有名な「大阪造幣局」がある場所です。大阪城と、「桜の通り抜け」で有名な大阪造幣局は至近距離なのだ!さて、リュウちゃんは午前10時過ぎにJR「森ノ宮駅」から大阪城公園に入場しました。公園の入り口から大阪城の天守閣が見えています。「森ノ宮駅」から15分くらい歩きますと、「梅林に到着」します。梅林入り口の石碑、石碑の横の白梅は、「紀州みなべの南高梅」の商標登録でも有名な「南高梅」(なんこううめ、なんこうばい)です。 (南高梅)大阪城梅林の総面積は約1,7ヘクタール(17000平方メートル)、そこに約100種・1270本の梅の木が植えられています。この「梅林」が開園したのは昭和49年3月、大阪府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22品種、880本を大阪市に寄付した事で開園されたのだそうです。午前10時30分、梅林に入りました。<梅林の写真>以下、梅林内で撮った写真を何枚かアップしてみます。幾つかの梅の木の枝に、ミニチュアの兎やリスがとまっていました。う~ん、可愛い!心が和む。<蝋梅>梅林には「蝋梅」がいっぱい咲いていました。 大阪城梅林の「蝋梅」、素晴らしい!<大阪城の天守閣と梅の花> 大阪城梅林は背後に天守閣が聳えていますので、インスタ映えする梅と天守閣のコラボ写真を撮ることが出来ます。以下、コラボ写真を何枚か貼り付けます。梅と天守閣のコラボ最高だ!<大阪城梅林の梅の品種>ネット調べによりますと。梅の品種は現在約500種類なのだそうです。大阪城梅林の品種は、全500種類の内、約1/5の100種のようです。約100種もの品種がある梅林ちょっと凄い!?リュウちゃん、例によりまして出来るだけ品種の写真を撮りました。以下、この日に撮りました品種の写真をアップしてみます。<思いのまま>野梅系の遅咲き品種。別名「輪違い(りんちがい)」、その名のように、一本の木に紅と白の色違いの花を咲かせる不思議な梅なのです。上の写真は、まだ「咲き始め」のためか、殆ど「白梅」ですね。 以下にネットでお借りした写真を2枚貼り付けます。(おもいのまま)何と、1つの花で「2色」の色違い、摩訶不思議?(思いのまま~ひとつの花で色違い)<鹿児島紅(かごしまこう)>大阪城梅林の中でも、一際目を惹かれる鮮やかな紅梅です!<古城(こじろ)> 大正時代後期、和歌山県田辺市長野の那須政右ヱ門により発見された果実梅です。別名「青いダイヤ」、梅酒として漬けこんだだ時に実崩れが少なく、エキスがよく出るのだそうです。<白加賀(しらかが)> 梅の品種で、一番多いのが、入り口の石碑の横にあった「南高梅」ですが、「白加賀」は「南高梅」に次ぐ生産量第2位の梅です。大阪城梅林には多くの「白加賀」があります。<白滝枝垂れ(しらたきしだれ)> 満開になりますと、滝が流れるように見えるところから、この名が付いたようです。<白玉(しらたま)> 「これぞ白梅!」という感じがする5弁中輪一重咲きの白梅ですね。<筋入鶯宿(すじいりおうしゅく)> 「鶯宿」の「鶯」はウグイス、「梅にウグイス」ということわざにもありますように、梅の花はウグイスが似合いますね。尚、「筋入」とは、若い枝に筋が入る品種なのだそうです。<名古屋紅梅(なごやこうばい)> 鮮やかな濃いピンクの八重の紅梅です。<一重野梅(ひとえやばい)> 原種に近い梅のようです。大阪城梅林ではポピュラーな品種です。香りが良く、花付きも良いので、盆栽にもよく使われるそうです。<傅粉(ほふん)> 薄いピンクの「お椀」型の花が可愛いですね。命名の由来は不明です。珍しい品種のようです。<本黄梅(ほんこうばい)> 花びらが細く小さく、内側の雌しべの黄色が目立つ、ちょっと不思議な梅です。これも珍しい品種のようです。<道知辺(みちしるベ)> 豊後系の紅い一重咲きのピンクの大輪の梅です。大阪城梅林では最も華麗な梅でポピュラーな品種です。<武蔵野(むさしの)> 豊後系・豊後性の淡い紅色をした八重咲きの大輪の梅です。まだ「咲き始め」でした。<八重海棠(やえかいどう)> 野梅系・紅筆性の白い八重咲きの中輪の梅です。<八重唐梅(やえとうばい)> 緋梅系・唐梅性の紅色をした八重咲きの中輪の梅です。花弁には赤い筋が入り、下向きに咲くようです。<八重野梅(やえやばい)> 野梅系・野梅性の白い八重咲きの大輪です。<緑萼(りょくがく)> 野梅系・青軸性の白い一重咲きの中大輪の梅です。萼が黄緑色になるので、この名が付けられたようです。。 フ~、やっと17種の梅をUPすることが出来ました。本当は30種類くらいの写真を撮ったのですが、品種名が確認出来ませんでした(ちょっと残念)梅の花は、「早咲き」と「遅咲き」の時間差が大きく、本日開花していた梅の殆どは「早咲き」だと思われます。この日はまだ全体の1/3くらいの梅は、まだ「蕾」だったのです。3月初旬に、もう一度「遅咲きの梅」を観に行こう!大阪城梅林の品種は約100種類と云われますが、以下のサイトに全ての品種名と美しい写真が1品種につき3枚づつUPされています。 <大阪城梅林2020>→ここをクリック上掲サイトに掲載されている梅の品種は97種対岸の「大阪造幣局の通り抜けの桜」よりちょっと少ない!昨年、「大阪造幣局の通り抜けの桜」全134種類を4回に渡るブログで紹介しましたが、「大阪城梅林の梅の品種」も全97種類全てを紹介したいという意欲が湧いてきました。しかし、今年は準備不足でちょっと無理です。来年は全97種類をブログで紹介するぞ!約2時間の梅林散策を終えて、大阪城の天守閣に上りました。天守閣から見下ろした「梅林」です。広い梅林がまるで「箱庭」だ!もう午後1時、お腹が空いた! で、大阪城から徒歩でJR京橋駅に移動、駅傍の繁華街にある海鮮居酒屋で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!梅の残り香とマグロの刺身がおツマミなのだ!
2020年02月17日
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全国的にも珍しいバラの寺「霊山寺」、「霊山寺のバラ図鑑」第4弾!前回の「奈良の古刹、霊山寺のバラ図鑑2019(3)」を更新したのが9月29日、もう2ヶ月近く経ってしまいました。 我ながら更新のペースの遅さには呆れ返る!でも、何とか頑張って更新する次第です。バラの紹介に入る前に、気に掛っていました「バラの花の形」の用語につきましてまとめておきます。リュウちゃんはバラの素人なので、以下のサイトから写真と説明文をお借りして紹介させて頂きます。 <はなはなショップ・バラの用語の説明><花の形>◎「丸弁」花びらの縁が円い。◎「剣弁」花ビラの先が尖っている。◎「波状」花びらが波うっている。◎「高芯咲き」咲き始めに中央が高くなる。◎「カップ咲き」横から見るとカップのような花。◎「ディープカップ咲き」「カップ咲き」より深いカップ。◎「ロゼット咲き」クシュクシュと花びらが広がる。<霊山寺のバラ図鑑2019(4)>(61)「ブルグント81」作出国:ドイツ(12981年、作出者:W・コルデス、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き。ビロード掛った真紅のバラ、「これぞバラ!」ですね。 <セファルディー「バラが花開く」、歌:ビクトリア・デ・ロス・アンへレス> (62)「レッドライオン」作出国:イギリス、作出者:サムエル・マグレディ、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き。 (63)「芳純」作出国:日本(1981年)、作出者:鈴木省三、四季咲きハイブリッドティー、半剣弁高芯咲き、調香師からも高い評価を受けている香りの高いバラです。 (64)「ハーモニー」作出国:ドイツ(1981年)、作出者:W・コルデス、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き、強い芳香あり、 (65)「ディオレサンス」作出国:フランス(1984年)、作出者・デルバール、四季咲きフロリバンダ、カップ咲き, ディープ・カップ咲き、フランスの香水、「クリスチャン・ディオール」に因んで命名されたバラです。その名の通り、強い芳香があります。 (66)「高尾」作出国:日本(1975年)、作出者:岡本 勘次郎、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き、岡本 勘次郎氏が高尾山の紅葉をイメージして作出したバラのようです。黄色いバラが花弁の先端から朱色に変化するバラです。 (67)「ステファニー・ドゥ・モナコ」作出国:フランス(1971年)、作出者:メイアン、四季咲きハイブリッドティー、半剣弁高芯咲き、モナコ公国のスティファニー公女に捧げられたバラです。この時、彼女は6歳でした。スティファニー公女は1965年、レーニエ大公とグレース王妃の第3子として生まれました。1982年、母グレース王妃の運転する車に同乗中、転落事故に遭遇、母のグレース王妃は死亡しましたが、ステファニーは命を取り留めました。1985年歌手デビュー、1986年に発売されたシングル盤「恋はセンセーション」はフランスで大ヒットしました。<スティファニー公女「恋はセンセーション」> 以下はスティファニー公女のポートレートです。母のグレースは金髪なのに娘のスティファニーは黒髪、ちょっと不思議?(スティファニー公女) (68)「鶴見90」作出国:日本(1990年)、作出者:京阪園芸、四季咲きハイブリッドティー、半剣弁高芯咲き、1990年に大阪の鶴見緑地公園で開催された『Expo '90 国際花と緑の博覧会』の記念のバラです。 (69)「ドフトツァーバー84」作出国、:ドイツ(1984年)、作出者:コルデス、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き、肉厚の真紅のバラです。「ドフトツァーバー」とは、「香りの魔法」の意、別名「ロイヤル・ウィリアム」、イギリスのウィリアム王子(1982年~)に捧げられたバラです。ウィリアム王子は現在37歳、エリザベス女王の孫で父のチャールズ皇太子に次ぎ、王位継承順位第2位の地位にあります。(ウィリアム王子) (70)「花嫁」作出国:日本(1970年)、作出者:岡本勘治郎(京阪園芸)、四季咲きハイブリッドティー、剣弁高芯咲き、淡いピンク色の清楚なバラです。枝のトゲが多いバラで、「清楚な花嫁は心の奥に鋭いトゲを宿している」ということなのでしょうか? (71)「オマージュ・ア・バルバラ」作出国:フランス(2004年)、作出者:デルバール、四季咲きフロリバンダ、丸弁抱え咲き、フランスの女性シャンソン歌手・バルバラ(1930~1997年)に捧げられたバラです。(バルバラ)以下に彼女のライブ映像を一つ貼り付けます。 <バルバラ「いつ帰ってくるの?」> (72)「サラバンド」作出国:フランス(1957年)、作出者:メイアン、四季咲きフロリバンダ、高芯丸弁咲き, 半二重咲き、(受賞歴)バガテルバラ新品種国際コンクール金賞、ローマ国際コンクール受賞、AARS受賞、ジュネーブ国際コンクール受賞他、多数の賞を総なめしている世界中で認められた名花です。「サラバンド」とは、バロック音楽の3拍子の荘重な舞曲のことです。 <バッハ「管弦楽組曲第2番」の「サラバンド」> (73)「エルグランタイン(マサコ)」作出国:イギリス(1994年)、作出者:デビッド:オースチン、イングリッシュ・ローズ、返り咲きシュラブ、先般、皇后になられた雅子様のご成婚を記念して作出されたバラです。エグランタインは「セーブ・ザ・チルドレン基金」というチャリティー団体を設立したエグランタイン・ジェブ女史にちなんで名付けられました)(雅子皇后) (74)「夢乙女」作出国:日本(1989年)、作出者:徳増 一久、一季咲き、ポンポン咲き、つるバラ、ミニチュア、「霊山寺」のレストランの壁一面に咲いています。素敵なミニバラですね! (75)「ロサ・ムリガ二―」作出国:中国・ネパール、1919年に発見されtら原種、一季咲き、一重咲き、このミニバラも「夢乙女」と並んで、レストランの壁を飾っていました。 (76)「キュー・ランブラー」作出国:イギリス(1912年)、作出者:キュー・ガーデン、一季咲き、一重咲き、つるバラ、ランブラー、「ランブラー」とは、「オールドローズの系統の一つ。匍匐(ほふく=地面に這うように成長する)させることを主に作出された。テリハノイバラ、ノイバラ、クリムソンランブラーなどを交配したもの」なのだそうです。でも、霊山寺の「キュー・ランブラー」は這っていませんでした。 (77)「ジュピレ・ドゥ・プリンス・ドゥ・モナコ」作出国:フランス(2000年)、作出者:メイアン、四季咲きフロリバンダ、半剣弁高芯咲き、(受賞歴)2003年AARS受賞、グレース王妃の夫である元モナコ公元首国故レニエ3世の即位50周年に捧げられたバラです。赤と白の交わった花弁、モナコ公国の国旗を象徴しています。(モナコ公国国旗) (78)「プレイガール」作出国:アメリカ(1986年)、作出者:ムーア、四季咲きフロリバンダ、一重咲き、本来の「プレイガール」は溌剌としたバラなのですが、霊山寺の「プレイガール」は「しおれかけ」ですね(残念!) (79)「つるアンジェラ」作出国:ドイツ(1984年)、作出者:コルデス、返り咲きフロリバンダ、半八重カップ咲き、(受賞歴)1982年ADR受賞、中輪のピンクの花をいっぱい付ける人気のバラです。作出年よりADR受賞が2年も早い???、これは量産体制やバラの育成上、作出年よりも先にコンテストなどで受賞することがあるのだそうです。 (80)サハラ98作出国:ドイツ(1996年)、作出者:タンタウ、四季咲きつるバラ、シュラブ、丸弁平咲き、イエロー、オレンジ、ピンクと花の色が変化する大輪のつるバラです。名前の由来は「サハラ砂漠」、サハラ砂漠の美しい砂の色に因んだ名称のようです。 フ~、やっと80種類のバラを紹介することが出来ました。あと1回で春に撮った霊山寺のバラの全てのバラを紹介出来そうですが、年内にラストブログを更新出来ますことやら?
2019年11月21日
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境内に咲き誇る120種300鉢のハスの花ここは隠れたハスの古刹なのだ!7月12日、奈良の隠れたハスの寺、「生蓮寺(しょうれんじ)」に行って来ました。 リュウちゃんがこの寺の存在を知ったのは、7月5日にNHKローカル放送「ぐるっと関西お昼前」で、このお寺が紹介されたのがきっかけです。「奈良のハスの名所」といえば、リュウちゃんがこれまで知っていたのは、(1) 藤原宮跡、(2) 西ノ京エリアの、「喜光寺」、「唐招提寺」、「薬師寺」の4カ所だけだったのです。(昨年(2018年)から、(2)の3つの寺に「西大寺」を加えた4つの寺を「ロータスロード」と呼び、夏の奈良市観光の売り物の一つにしています)奈良の新しいハスの名所を発見!?何やら嬉しい。<生蓮寺について> 「生蓮寺」につきましては、リュウちゃんも今年の7月5日にその名前を知ったばかりです。以下、少し紹介してみます。<場所>「生蓮寺」の住所は、奈良県五條市二見7-4-7、JR和歌山線「大和二見駅」から徒歩約10分の所にあります。リュウちゃんは、この日は「JR王子駅」8時6分発の和歌山行きに乗り、9時15分「大和二見駅」で下車、9時30分頃に「生蓮寺」に着きました。(創建)伝承によれば、安時代初期、嵯峨天皇が皇后の安産祈願のために参議小野篁(おののたかむら)に命じて地蔵菩薩像を安置したのが起源、嵯峨天皇の在位期間は809年~823年ですから、創建は、平安時代の初期、西暦820年頃ということになりますね。小野篁は歌人としても秀でた人物で、小倉百人一首にも、以下の和歌が選定されています。わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(『百人一首』11番)その後、空海(774年~835年)が来山し、地蔵菩薩像を刻んで本尊胎内に安置したと伝えられています。生蓮寺のある奈良県五條市は、京都・奈良から高野山に向かう道筋にあります。ひょっとすると空海は、京都から高野山に向かう旅の途中に、生蓮寺に立ち寄ったのかも知れませんね。<生蓮寺のハス和尚:高畑公紀(たかはたきみのり)さん>(高畑公紀さん)「生蓮寺」の寺名を分解すると「生きたハス(蓮)の寺」となります。この寺が寺名のように「ハスの寺」になったのは、比較的最近のことのようで、「ハス和尚」の異名がある「高畑公紀」さんが住職になってからのことのようです。(高畑公紀さんのプロフィール)1977年、五條市生まれ、筑波大学生物学類卒業後、京都大学大学院生命科学研究科卒業(生命科学博士)、大学院時代は「植物版IPS細胞」の研究を行っていたが、その後、「生蓮寺」の住職となり、境内に120種のハスを植え、ハスの研究を行っている。2018年にハスに関する著書「五感で楽しむ蓮図鑑 見る、育てる、味わう」を刊行した。(著書の写真)以下は「生蓮寺」のHPです。<「生蓮寺」のHP>このHPの中に、高畑公紀さんのハスに関する動画が幾つかUPされています。以下に動画の一つを貼り付けます。<蓮の種 発芽・育て方 蓮和尚 生蓮寺>また、高畑さんは独自に「はす茶」を開発し、インターネットで販売しているようです。(開発した「はす茶」を持つ高畑さん)ハス博士が住職の生蓮寺、きっと境内のハスは名前と由来が表示されている筈だ?という期待をもって生蓮寺を訪れたのですが、アチャ~、ハスの由来はおろか、ハスの名前も全く表示されていない、残念!仕方がないので、当日「生蓮寺」で撮影したハスの写を、花の色別に幾つかUPして観ます。<白、薄いピンクのハス><黄色いハス> <ピンクのハス>実は上記HPには、16種のハスの品種名が写真と共にUPされています。以下、その16種のハスを全て貼り付けます。お彼岸過ぎまで咲くハスがいっぱいある! (1)「生蓮寺蓮(しょうれんじれん)」(紅色一重 中型)(生蓮寺での蕾と花の時期):6月21日~10月16日生蓮寺で生まれたお彼岸以降も花が咲く品種 花に光が差し込んだ時は光輝く。(2)「生蓮寺華蓮(しょうれんじかれん)」(紅色一重 中型) (生蓮寺での蕾と花の時期 ):6月11日~10月8日生蓮寺で生まれたお彼岸以降も花が咲く品種 大変花上がりも良く、おススメ 淡いピンクが何とも言えない。(3)「紫重陽 (しじゅうよう)」(紅色八重 大型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月21日~9月10日3倍体の色が濃い一重の蓮です。花期が長いです。(4)「艶陽天(えんようてん)」(紅色一重 大型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~9月17日3倍体の色が濃い八重の蓮です。花期が長いです。(5)「大酒錦(たいせいきん)」(斑八重 大型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月14日~9月2日八重の斑です。(6)「祇園(ぎおん)」(白~ピンク 八重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~9月23日花期が非常に長いです。(7)「桃紅小碗蓮(とうこうしょうわんれん)」(紅一重 小型)(生蓮寺での蕾と花の時期):6月27日~8月9日(8)「緑風(りょくふう)」(白一重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):7月14日~10月12日(9)「火炬(かきょ)」(紅八重 中型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月21日~9月10日(10)「一天四海(いってんしかい)」(斑 一重 大型) (生蓮寺での蕾と花の時期):?(11)「エンジェルウイング」(白 一重 中型) (生蓮寺での蕾と花の時期):7月5日~9月2日(12)「紹興紅蓮(しょうこうこうれん)」(白~ピンク 一重 大型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~8月15日(13)「 八重茶碗蓮(やえちゃわんれん )」(紅 八重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~9月10日(14)「喜上眉梢(きじょうびしょう)」(紅 一重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~8月15日(15)「祝福(しゅくふく)」(紅 八重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月14日~9月10日(16)「紅小町(べにこまち)」(紅 一重 小型) (生蓮寺での蕾と花の時期):6月4日~7月24日う~ん、リュウちゃんの撮った写真と、「生蓮寺」のHPでUPされた品種名がリンク出来ない(残念!)「生蓮寺」のハス和尚殿、出来れば全てのハスの鉢に品種名と由来を書いたプレートを付けて頂ければ、有り難き幸せなのですが、、、約1時間ほど「生蓮寺」の散策を終えて、次の目的地である「二見の大ムク」を観に行きました。<二見の大ムク>「生蓮寺」から「大和二見駅」の踏切を通り越して10分位歩いた個人宅の土塀の内側にあります。この巨樹は樹齢1000年の椋(ムク)の木です。幹回り8,5m、樹高15mの堂々たる巨樹です。下の写真の土塀の外側の道に、「国指定天然記念物」の石碑が建っています。奈良県の巨樹で「国指定の天然記念物」に指定されているのは、この「二見の大ムク」の他には、宇陀市にある「八ツ房杉」の2樹だけなのです。(八ツ房杉) 念願の「二見の大ムク」を観られてよかった!もうお昼時、持参したおにぎり弁当、どこで食べようか?いろいろ探しましたが、適当な食事場所は見当たりません。この辺りには小さな公園も無いのです。仕方がないので、JR大和二見駅(無人駅なのです)に戻り、駅のベンチで遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!初夏の涼風が心地良い!
2019年08月09日
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いよいよ今年の桜行脚の最終章果たして何種類の桜をカメラに収められましたことやら?(前回のブログの続きです) 4月15日に終えた「大阪造幣局の通り抜け」の桜のブログの紹介も、やっとゴールに到達できました。足掛け2ヶ月に渡るブログ、リュウちゃん、頑張ったのだ!例に寄りまして冒頭に、「通り抜けのMAP」と、参考にしたサイトを貼り付けます。<造幣局 : 桜の通り抜け(大阪)> <このはなさくや図鑑(阪造幣局・通り抜けの桜情報大 2019年)>それでは早速、ゴールへ向かってスタートします。<大阪造幣局の通り抜けの桜図鑑(4)>(90)<寒桜>「寒緋桜と山桜の雑種といわれ、花は一重の淡紅色で、3月上旬に他の桜に先駆けて咲き始める」早咲きの桜なので、当然この時期は「葉桜」、なのでネットからお借りした写真を以下に貼り付けます。(91)<祇王寺祇女桜>「京都祗王寺にある桜で、「平家物語」の祗王祗女にちなみ、この名が付けられた優雅な桜。花は淡紅色で少し芳香があり、花弁数は15枚程ある」 (92)<桐ケ谷(きりがや)>「鎌倉桐ケ谷にあった大輪の花で、紅色の一重八重の美しい品種である」 (93)<八重曙(やえあけぼの)>「花は淡紅色で、花弁数は11~17枚あるが、部分により濃淡がある。芳香に富んでいる」 (94)<江戸>「江戸に多く植栽されていたので、一名「あづま桜」といわれている。花は淡紅色で、花弁数は15枚程あり、大輪で多数密生し、やや垂れ下がって咲く」 (95)<都錦(みやこにしき)>「京都御所にあった桜で、花は淡桃白色で、花弁数は20枚程である」 (96)<松前紅紫>「北海道松前町の浅利政俊氏が「江戸」と里桜を交配育成した桜である。花の蕾は濃紅紫色で、開花後に紅紫色となる。花径4.5~5.5cmの大輪の花が枝に鈴なりに付き、下向きに咲く美しい桜で、花弁数は35~45枚である」 (97)<緋桜>「花は大輪濃紅色で、花弁数は30枚程ある」 (98)<二度桜>「1本の木に、一重、八重、二段咲きの花があり、二段咲きでは、外側の花が開花し、内側の花が遅れて開花するので、二度桜という」 (99)<数珠掛桜(じゅずかけざくら)>「新潟県京ケ瀬村の梅護寺にある桜で、花は淡紅色黄桜系で、親鸞聖人が桜の枝に数珠をかけられたという故事から、この名が付けられた。花弁数は200枚程である」 (100)<黒田百年>「京都府京北町の黒田神社境内にあった名桜で、佐野藤右衛門氏によって、接木し育成され、明治100年を記念する意味も含め、この名が付けられた」 (101)<伊豆最福寺枝垂(いずさいふくじしだれ)>「静岡県伊豆市の最福寺にある桜。枝は垂れ下がり、花は開花すると白色になる。花は大きく、その昔、満開の頃には、対岸の清水方面から見えたとの話がある」 (102)<雨情枝垂(うじょうしだれ)>「詩人の野口雨情氏の邸内(現在の宇都宮市鶴田町)にあったところから、その名が付けられた。花は淡紅色で、花弁数は20~26枚ある」 (103)<御殿匂(ごてんにおい)>「花の色は紅紫色。蕾は濃紅紫色で開花とともに花弁の内側から淡紅紫色となり、弁端は紅紫色が残る。花弁数15~20枚である」 (104)<雨宿(あまやどり)>「東京荒川堤にあった桜で、葉かげに垂れて咲く形があたかも葉かげに雨をよけているようにみえるのでこの名がある。蕾は淡紅色、花は白色、花弁数は10~15枚ある」 (105)<日暮(ひぐらし)>「東京荒川堤にあった品種。花は外側の花弁の先端と外面は淡紅紫色内側の花弁はほとんど白色である。花弁数は約20枚」 (106)<麒麟(きりん)>「東京荒川堤にあった里桜で、花は濃紅紫色で、花弁数は30~35枚の気品の高い品種」 (107)<松前>「北海道松前町の浅利政俊氏が「糸括(いとくくり)」の実生から選抜した美しい里桜である。花は蕾濃紅色、開花後紅色、花径5~5.5cmと大輪花で、花弁数は35~42枚である」 (108)<思川(おもいがわ)>「栃木県小山市の修道院にあった十月桜の種から育成された桜である。修道院の下を流れる川の名にちなんで、この名が付けられた。花は淡紅紫色で、花弁数は6~10枚ある」 (109)<養老桜>「直径3cmの白色の花で、花弁数は5~8枚の一重八重桜である」 (110)<林一号>「仙台の植木屋林氏が初めて育成した新しい八重桜で、花弁数は25~30枚ある。花は淡桃色で楊貴妃に似ている」 (111)千里香(せんりこう)>「東京荒川堤にあった桜で、芳香があるためこの名が付けられた。花は大輪白色である」 (112)<不断桜(ふだんざくら)>(葉桜でした)「三重県白子町寺屋(現在の鈴鹿市)の白子観音境内にある有名な桜で、10月から翌年4月下旬まで開花する。特色は寒中でも葉が落ちないことで緑葉と紅葉が混じり、また若葉が絶えず出る。花は一重咲きの白色である」「葉桜」でしたので、下記にネットからお借りした「不断桜」の写真を貼り付けます。(113)<胡蝶>「京都御室仁和寺に元々あった桜とされている。花名は、満開時に蝶の舞い集う趣による。淡紅色の一重咲又は八重咲で、花弁数は5枚ないし10枚程である」 (114)<玖島桜(くしまざくら)>(まだ「蕾」でした)「長崎県大村公園(玖島城跡)発祥の桜で、1本の木に咲く花の約半数が二段咲きである。二段咲きとならない花は普賢象に似るが、花弁数は約40から50枚である」以下に開花した「玖島桜」の写真をネットからお借りして貼り付けます。(115)<有明>「淡紅色の花で、八重と一重が混じって咲く大島桜系の里桜で、芳香に富んでいる」 (116)<千原桜(ちはらざくら)>「淡い緑を含む白色の花弁は、染井吉野の1.5倍と大きく、1本の小枝に一重と八重とが咲き乱れる様は、誠に見事である」 (117)<心田(しんでん)>「京都嵯峨野の天龍寺にある塔頭慈済院の玄関脇の桜で、御所の御車返の一種である。慈済院の管主稲葉心田の名前から、この名が付けられた」 (118)<兼六園菊桜>「金沢兼六園にある有名な桜で、花弁数は多いもので300~350枚あり、日本で花弁数の最も多い珍しい桜で、原木は天然記念物に指定されていた。花は淡紅白色」残念ながら、1枚だけ撮った写真がピンボケでしたので、ここではネットからお借りした写真を貼り付けます。(119)<水晶>「花は、白色で小輪ではあるが気品が高い。花の外側はわずかに淡紅色を帯び、散る間際になると中心が紅色を帯びる。花弁数は20~50枚で、先端に切込みが多く変化に富んでいる」 (120)<八重紅枝垂>「仙台の伊達家にあった桜で、明治初年仙台市長の遠藤氏が植えたため「遠藤桜」とも呼ばれている。花は真紅の八重で花弁数15枚程あり、極めて美しい」 (121)<渦桜(うずざくら)>「東京荒川堤に元々あった桜とされている。花名はしわのある花弁が渦を描くように、ややらせん形に並ぶことによる。淡紅色の八重咲で、花弁数は30枚程度である」 フ~!リュウちゃんが2日間に渡り、6往復して撮った桜は121種で終りです。「大阪造幣局の通り抜けの桜は、134種あった筈、「完璧な作戦」だった筈が、13種類も見落としてしまった!見落とした原因は、いろいろ考えられますが、要は、「作戦が完璧ではなかった」ということですね。どうすれば完璧になるのかな?以下、見落とした13種類の桜を、ネットからお借りした写真を使って紹介させて頂きます。<見落とした13種類の桜>(1)<天城吉野(あまぎよしの)>「大島桜を母、江戸彼岸を父として交配した桜で、花は一重で、白色の大輪である」(2)<貴船雲珠桜(きぶねうずざくら)>「京都洛北の貴船にある雲珠桜で、明治初年鞍馬寺から拝領したものと伝えられている。一重で淡紅色の清楚な桜である」(3)<小手毬(こでまり)>「大手毬と同様であるが、花は小さい手毬の状態となるところから、この名が付けられた」(4)<枝垂桜(しだれざくら)>「彼岸桜の突然変異品で、幹の高い所から枝が横に広がりそれより細い枝が長く垂れ下がって誠に優美である。花は一重の淡桃色である」(5)<十六日桜(じゅうろくにちざくら)>「松山市の龍隠寺(廃寺)にあった桜で、桜花を見ずに死ぬのは心残りという病父の望みをきいて、孝子吉平が桜に祈念したところ、旧暦正月16日というのに桜を咲かせたという伝説のある桜。花は、白色で一種の里桜である」(6)<仙台屋(せんだいや)>「高知市内の仙台屋という店の庭に植えられていた桜で、牧野富太郎氏が名付けたと言われている。花は一重、淡紅紫色である」(7)<染井吉野(そめいよしの)>これは自前の写真でOKだ(苦笑)「江戸末期頃、駒込染井村の植木屋が初めて出した品種と伝えられる。成育が早く接木が簡単なため、急速に日本各地に伝わった」(8)<類嵐(たぐいあらし)>「東京荒川堤にあった桜で、花は白色の一重で、花弁数は5枚程である」(9)<長州緋桜(ちょうしゅうひざくら)>「東京荒川堤で栽培された園芸品種である。花は大輪の半八重咲きで花びらは紫紅色、外縁がやや濃い色になっており、その数は5~10枚である」(10)<名島桜(なじまざくら)>「金沢市の旧制第四高等学校(現在の金沢大学)にあった桜。花は淡紅色で、花弁数は100~200枚」(11)<平野寝覚(ひらのねざめ)>「京都平野神社境内にある桜で、花は白色である」(12)<弥彦(やひこ)>「新潟県弥彦神社にある菊桜系で、花弁数は100枚程あり、二段咲きをする」(13)<山越紫(やまこしむらさき)>「典型的な山桜系の桜で、花は濃紅色の一重である」ネットのおかげで、やっと大阪造幣局の通り抜けの134種類の「完璧な桜図鑑」を作ることが出来ました。来年、「通り抜け」に行く時は、ゆったりとした気分で、桜見物をしよう!ーーーーーーーーーーーーー(おまけ)<桜の基礎知識>リュウちゃんは桜については門外漢なので、以下のサイトを参考にしながら書いてみます。<参考サイト1>(「サクラ」のウィキペディア) <参考サイト2>(「サクラの一覧」のウィキペディア) <参考サイト3>(「さくらの基礎知識」~公益財団法人日本さくらの会) <参考サイト4>(さくら図鑑) (A)「桜の分類・分布」サクラは、バラ科モモ亜科スモモ属(サクラ属)の落葉樹の総称です。サクラは主として北半球の温帯に広く分布、美しい花の咲く種類はアジアに多く、なかでも日本列島に多くの種類が集中しています。(B)「桜の原種」日本では固有種を含んだ11種の基本の野生種を基に、これらの変種を合わせて100種以上の自生種があり、さらにこれらから育成された園芸品種が200種以上あり、分類によっては600種ともいわれる品種が確認されているようです(上記、参考サイトでも、原種数はサイトによって違いがあります。<参考サイト1、2>では原種数は10種、<参考サイト3>では9種、<参考サイト4>では11種としています。ここでは<参考サイト4>の11種を紹介してみます)(C)「11種の桜の原種」(1)「エドヒガン(江戸彼岸)」「桜の原種の一つ。樹高はおおよそ15m~25m。葉は楕円形で長辺が5~10cm。花は薄紅色から白で花弁は5枚で一重。名前の通り春の彼岸ごろに花を咲かせる。サクラの中では非常に長寿の種であることが知られており、樹齢2000年を超えるといわれる神代桜や樹齢1500年を超える淡墨桜、樹齢1000年と言われる樽見の大桜、その他にも樹齢300年を越える石割桜などが有名である」 (2)「オオシマザクラ(大島桜)」「多くの園芸品種を生み出したサクラでもあり、ソメイヨシノやカワヅザクラ(河津桜)の片親でもある。伊豆大島北東部の山中にある本種の株は、1952年に、特別天然記念物に指定されている」 (3)「ヤマザクラ(山桜)」「日本の野生の桜の代表的な種で「吉野の桜」とは、本来この山桜を指す。尚、「吉野のヤマザクラ」は、シロヤマザクラと呼ばれることが多いが、この名称はヤマザクラの別称のようである」 (4)「カンヒザクラ(寒緋桜)」「釣り鐘状の花が特徴。花の色は白から濃い桃色まで様々の個体差がある。おおよそ1月から2月上旬にかけてが開花期となる。主に沖縄県で野生化し、沖縄で「桜」と言えばこのカンヒザクラを指す。早咲きで有名なカワヅザクラ(河津桜)の片親である」 (5)「マメザクラ(豆桜)」「富士山近辺やその山麓、箱根近辺等に自生しており、フジザクラやハコネザクラとも言う。マメザクラ(豆桜)の名が表すように、この種は樹高が大きくならず、花も小さい.花弁は五枚一重で色は白から薄紅色」 (6)「チョウジザクラ(丁子桜)」「花は白からやや薄紅色。五枚一重であり、花びらは小さく花全体で大きくても2cm前後。花は180度近くまで平たく開き、萼筒も長く、このとき横から見ると丁字のように見えることが名前の由来。本州の東北以南の太平洋側に見られる。また、九州にも一部で見られる。山地を好んで分布し、谷川の近くのような岩石の多い部分でも生息できる。石灰岩地にも生息する」 (7)オオヤマザクラ(大山桜)「花は直径3-4.5cm。色は淡紅色だが、ソメイヨシノ等の白い種と比べるとしっかりと色がつく。開花時期は、4月下旬」 (8)カスミザクラ(霞桜)「北海道、本州、四国に分布、ヤマザクラに似た桜、別名ケヤマザクラ、開花期はヤマザクラよりもずっと遅い」 (9)タカネザクラ(高嶺桜)「北海道、本州中部以北の亜高山帯に分布する高木の桜、別名ミネザクラ(峰桜)」 (10)ミヤマザクラ(深山桜)「北海道にに多い桜、南は九州まで見られるが、南下するにつれて亜高山帯に移って行く。開花期が遅く、花の付き方が他の桜と違い「総状花序」である。別名:シロザクラ」 (11)クマノザクラ(熊野桜)「クマノザクラは2018年、日本国内の野生の桜としては100年ぶりに新品種と確認された。田辺市本宮町を中心にした熊野地域の山間部や、串本町、那智勝浦町の海岸部などに自生、ヤマザクラより早い2月下旬から4月中旬にピンクの花を咲かせる」 (D)一重咲き、八重咲き(一重咲きの桜)ソメイヨシノに代表される5枚の花弁を持つ桜、(八重桜)花弁が6枚以上ある桜を八重桜という。さらなる咲き方の小区分として、6枚から15枚の咲き方を「半八重咲」、5枚の花と6枚から10枚の花が一木中に混合している咲き方を「一重・八重咲」、20枚から70枚の咲き方を「八重咲」、100枚以上の咲き方を「菊咲」と区分している。日本で最も多い花弁を持っている桜は、(118)で紹介した「兼六園菊桜」で、花弁数は300~350枚である。(E)日本三大桜(1)<山高神代桜>「山梨県北杜市武川町山高の実相寺境内にあるエドヒガンザクラの老木、国指定の天然記念物、樹齢は約2000年」 (2)<薄墨桜>「岐阜県本巣市の根尾谷・淡墨公園にある一本桜。樹齢1500年以上のエドヒガンの古木である」 (3)<三春滝桜>「福島県田村郡三春町大字滝字桜久保に所在する、樹齢推定1000年超のベニシダレザクラの巨木。国の天然記念物」日本三大桜、死ぬまでに一度は見たい!
2019年06月15日
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やっと2列目、2列目にはどんな桜があるのでしょうか?<2019年の桜行脚(5)~大阪造幣局の通り抜けの桜(2)の続きです> 4月15日に終えた「大阪造幣局の通り抜け」の桜見物、遂にブログ公開が夏に突入してしまいました。リュウちゃん、自分のブログ公開のテンポの遅さに呆れるばかり!でも、頑張って最後までやり遂げるつもりです。お付き合い頂ければ幸いです。例に寄りまして、以下に<大阪造幣局の通り抜けのMAP>を貼り付けます。 また、前回と同じく、参考にした2つのサイトを以下に貼り付けます。<造幣局 : 桜の通り抜け(大阪)><このはなさくや図鑑(阪造幣局・通り抜けの桜情報大 2019年)> それでは早速、前回のブログの続きの桜を紹介していきます。<「大阪造幣局の通り抜け」の桜図鑑(3)>(61)<鐘馗(しょうき)>「東京荒川堤にあった桜である」 (62)<静香>「北海道松前町で「天の川」と「雨宿」を交配から選出育成された桜。花は白色で、花弁数は15~20枚あり、芳香がある」 (63)<林二号>「林一号に続き育成された八重桜で、花弁数は15~18枚ある。花は淡紅紫色をしている」 (64)<高遠小彼岸桜>「長野県高遠町の高遠城址にある県天然記念物に指定されている桜。花はやや小ぶりの一重桜、花の色は濃い紅色で、枝が見えなくなるほど花を付ける」上記の写真は、4月9日に撮ったものです。4月9日の時点で、ほぼ開花は終わっていたようです。 (65)<紅南殿(べになでん)>「京都の佐野藤右衛門氏が栽培していた桜。花は紅紫色」 (66)<楊貴妃>[昔、奈良地方にあった桜で、つぼみは紅色であるが、開花時には淡紅色となり、花色も優れ豊満なので、中国の楊貴妃を連想して世人が名付けた。花弁数は、20枚程である] 「楊貴妃」という名称から、てっきり中国産の桜かと思いましたが、奈良産の桜だったのですね。ちょっとビックリです。(67)<春日井(かすがい)>「奈良春日山の麓にあった桜を京都市の佐野藤右衛門氏が接木育成した桜。花は淡紅色で、花弁数は15~20枚の里桜」 「春日井」というば愛知県の市だと誰もが思う筈ですが、これも奈良の原産の桜だったのですね。(68)<紅時雨(べにしぐれ)>「北海道松前町で、「東錦」の実生の中から選出育成された桜である。紅色の豊な花が垂れ下がって咲くことから、この名前が付けられた。花は濃紫紅色で、花弁数は28~40枚ある」 (69)<高台寺>「京都洛東高台寺の玄関口にある桜で、花は淡紅白色、花弁数は10~15枚の優雅な大輪の桜である」 (70)<芝山>「東京荒川堤にあった一重の桜で、つぼみは極淡桃色で、開花後白色となり少し香りがある」 (71)<白雪>「東京荒川堤にあった里桜系の名花で、花は白色の一重で、花つきが多い優美な品種である」(72)<市原虎の尾>「京都洛北市原にあった桜で、その咲く有様は虎の尾のようで、花は淡紅白色で、花弁数は30~40枚ある」 (73)<南殿(なでん)>「チョウジザクラと里桜との間に生じた桜と推定され、花は淡紅色で、花弁数は14~20枚ある」 (74)<白妙(しろたえ)>「東京荒川堤に移植された大島桜系の里桜の一種で、花は白色の大輪で、花弁数は10~15枚ある」 (75)<簪桜(かんざしざくら)>「佐野藤右衞門氏が東北の旅の途中、見つけた桜で、花が婦人のかんざしに似ているところから、この名が付けられた。花は淡紅色で、花弁数は14~31枚」 ◎佐野藤右衞門氏について、佐野 藤右衛門(さの とうえもん)は、庭師の名跡。京都・嵯峨野にある造園業「植藤(うえとう)」の当主が襲名する。藤右衛門は、天保3年(1832年)より代々、仁和寺御室御所の造園を担ってきた。 当代の第16代 佐野藤右衛門(1928年(昭和3年) - )は、日本の造園家、作庭家。祖父である第14代藤右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し、「桜守」としても知られる。「簪桜」を発見した佐野藤右衞門氏、14代なのかな?(76)<福禄寿>「東京荒川堤にあった大島桜系の里桜で、花は淡紅色で、花弁は波打つようなしわがある。花弁数は15~20枚あり、大輪として代表的なものである」 ◎「荒川堤の桜」について(ウィキペディアからの抜粋)桜の品種改良は平安時代頃から行われていたと考えられており、江戸時代後期には品種が250種類近くが存在していた。これらの多くは大名屋敷や神社仏閣に植えられていたが、明治維新後、旧大名や社寺の権威が下がると共に桜が植えてある敷地は荒廃し、所有者が変わることで多くの桜が近代化に伴い伐採された。駒込の植木職人だった高木孫右衛門は、このような桜を惜しみ、自宅に多種多様な桜を集めて保存を行っていた。1885年(明治18年)に荒川の堤防が改修される時に、堤防上に桜を植えてはどうかという周辺住民の要望によって、桜が植えられることになった。戸長だった清水謙吾はありふれたソメイヨシノではなく、サトザクラ類の優れた品種を植えたいと考え、旧知の仲だった高木と交渉を行い、彼が集めていた78種3225本の桜をそっくり堤防上に植えた。もしこのとき入手しやすかったソメイヨシノだけを植えていたら、現在見ることのできる江戸時代の品種はもっと少なかっただろうと言われている。(77)<奈良八重桜>(残念ながら、「枝」でした)「日本で最も古くからある八重桜で、昔より歌にも詠まれている有名な桜である。花は淡紅色で、開花が進むにつれ白色となり、花弁数は20~50枚ある」いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな<伊勢大輔(いせのたいふ)>上記、百人一首第61番目の短歌で有名になった桜です。しかし、2度の「造幣局の通り抜け」訪問では、2度共、「枝」でした(残念!)この桜の開花期は4月下旬から5月上旬、従いまして、「造幣局の通り抜け」の開催時には、絶対、開花が観られない桜の一つのようです。以下にネットからお借りした写真を2枚貼り付けます。(78)<作並山>(残念ながら、「枝」でした)「淡紅色の八重咲き、花期は4月下旬とかなり遅い」この桜も造幣局の通り抜けの開催時には見られない桜のようです。以下にネットからお借りした写真を貼り付けます。(79)<箒桜(ほうきざくら)>(残念ながら、「枝」でした) 「「ヤマザクラ」と「シナミザクラ」との間に生じた桜と考えられる。竹箒を逆さに立てたような樹形を作る。花径3cm程の花は淡紅色の長楕円形で、花弁数は20~30枚である」この桜もネットからお借りしたものを以下に貼り付けます。(80)<衣笠(きぬがさ)> 「京都平野神社境内にあった一重桜で、花は淡紅色である。神社の後方には、衣笠山と呼ばれる山があり、発祥地との説もある」(81)<御座の間匂(ござのまにおい)>「東京荒川堤にあった品種である。花に香りがあり、花弁数は10~15枚である」 (82)<墨染(すみぞめ)> 「東京荒川堤にあった桜で、花は淡紅白色、直径は大きく4cm、一重の里桜。若葉の色がやや暗い感じがするところから、この名が付けられた」(83)<浦和>「浦和の桜愛好家が育成した品種で、花は淡紅色である」 (84)<笹賀鴛鴦桜(ささがおしどりざくら)>「原木は長野県松本市笹賀地区にあり、百瀬氏が自宅で栽培していた大島桜の種子より育成選抜されたという桜。葉や花の特徴から、大島桜にオシドリザクラが交雑したものと推定され、花は淡紅色で、花弁数は50~60枚ある」 (85)<塩竈桜(しおがまざくら)>「仙台塩竈神社にあった八重桜で、大輪の花が密生して咲く。花は淡紅色で、花弁数は35~50枚で縦しわがあり、先端は切れ込みが多く、雌しべが緑色葉化している」 <3、4列目>(86)<松前薄紅九重>「北海道松前町の浅利政俊氏が「ココノエ」と「カスミザクラ」との交配から育成した桜で、花は淡紅色で花つきが良く、花弁数は12~15枚である」 ◎松前町の「桜守」、浅利政俊氏浅利さんは元小学校教諭で、昭和20年代後半から八重桜のルーツ解明や苗木の育成に取り組んだ。松前松城小学校勤務時代の1957(昭和32)年、当時の佐々木豊松前町長が掲げた「町教育植物園構想」で、桜の園づくりを依頼された。 昭和30年当時、松前神社の左右に八重桜や山桜を中心に300本ほどしかなかった松前公園の桜を、現在では250種1万本の「桜の名所」に育て上げた。自らも「桜博士」として105種の桜を育成、平成17年、財団法人「日本さくらの会」から北海道ではただ一人、「桜守」に選ばれた。北海道の「松前公園」、大阪造幣局の約2倍の桜の品種があるのだ!行ってみたい!(87)<須磨浦普賢象>「平成2年4月、兵庫県神戸市の須磨浦公園において「普賢象」の枝変わりとして発見された。花色が黄緑色に変化したもので、開花終期には花弁の基部から赤色に変色する」 (88)<糸括(いとくくり)>「江戸時代から知られている桜で、花は淡紅色、花弁数は10~15枚ある」この桜、素晴らしい! (89)<笹部桜>「水上勉氏の小説「桜守」のモデルとなった笹部新太郎氏が、実生の中から選出育成した桜。直立高木で成長が速く、花は淡紅色で、花弁数は14枚程度の中輪である」 フ~!やっと89種を紹介する事が出来ました。次回のブログでゴールインしたいと思っていますが、どうなりますことやら?(以下、「2019年の桜行脚(7)~大阪造幣局の通り抜けの桜(4)」に続きます)
2019年06月05日
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大阪造幣局の通り抜けの今年の桜「紅手毬」数ある桜の中でも、一際華麗!(前回のブログの続きです) 前回のブログで、大阪造幣局の通り抜けの桜を30種類紹介させて頂きました。今回も前回と同じく、続きの30種を紹介したいと思います。今回も前回と同じように、大阪造幣局のHPを以下に貼り付けます。リュウちゃんの拙い説明で満足出来ないお方は、こちらも併せてご覧下さいね。 <造幣局 : 桜の通り抜け(大阪)>以下は<大阪造幣局の通り抜けのMAP>です。来場者はMAPの左側の入り口から入場し、560mを通り、右側の出口に「通り抜け」ることになります。上記マップが掲載されていたサイトも以下に貼り付けます。 このサイトも素晴らしい!<このはなさくや図鑑(大阪造幣局・通り抜けの桜情報 2019年)><「大阪造幣局の通り抜け」の桜図鑑」(2)> (31)<九重(ここのえ)>「大島桜系の里桜で、花は淡紅色で、内側も外側も花びらが同色の美しい桜である」 (32)<御信桜(ごしんざくら)>「京都の佐野藤右衛門氏が作出した桜で、西本願寺元門主の大谷光瑞氏が命名したという。花は淡紅色で、花弁数は30枚程ある」 (33)<萬里香(ばんりこう)>「東京荒川堤にあった桜で、香りが良いのでこの名が付けられた。花弁数は20~25枚ある」 (34)<平野撫子(ひらのなでしこ)>「京都平野神社境内にあり、花弁に撫子の花のように切り込みがある。花は大輪の淡紅色で、花弁数は40枚程ある」 (35)<紅華(こうか)>「北海道松前町の浅利政俊氏が実生の中から選出した桜で、濃紅色の花が密生して咲き、咲き方が華やかであるとことから、この名が付けられた。花弁数は30~40枚ある」(36)<紅手毬(べにてまり)>「小手毬と同様であるが、花が赤い手毬の状態となるところから、この名が付けられた」この「紅手毬」、毎年、一種だけ選定される「今年の花」なのです。(37)<八重紅大島(やえべにおおしま)>「花は淡紅色の八重咲き、大島桜系の一品種で、花弁数は26~35枚、少し香りがある」 (38)<永源寺(えいげんじ)>「滋賀県の永源寺の境内にあった里桜でこの名がついた。花は香りがやや強く淡紅色から白色に変わり、大輪で下垂する」 (39)<幸福(こうふく)> 「北海道松前町法幢寺 (ほうどうじ)にあった八重桜の種子から誕生した桜。花は淡紅色で、花弁数は15~20枚ある」(40)<松前琴糸桜(まつまえこといとざくら)>「北海道松前町の浅利政俊氏が、昭和34年北海道松前町で毬山家の庭にあった無名の八重桜の種子から作り出した桜。花弁数は40~45枚ある」 (41)<東錦(あずまにしき)>「東京荒川堤にあった大島桜系の里桜で、花弁数は15~20枚の大輪の優雅な品種。花は淡紅色で、つぼみは濃紅」 (42)大白(たいはく)>「日本で品種がなくなり、昭和5年イギリスの桜の収集家イングラム氏から接穂が寄贈され、佐野藤右衛門氏が接木育成したもので、一重白色大輪の名花である」 (43)<妹背(いもせ)> 「花は濃淡になった紅色で、時に一つの花に実が二つ、対になってつくことから、この名が付けられた。花弁数は30枚程あり、二段咲きが見られる」(44)<紅玉錦(べにたまにしき)>「北海道松前町で、「八重霞桜」と里桜の交配から選出育成された桜で、つぼみが紅の玉のようになり、花が球状になる。花は淡紅色の大輪で、花弁数は40~50枚」 (45)<手弱女(たおやめ)>「京都平野神社境内にある桜で、花は淡紅色で中輪。花弁数は15~20枚で、内に抱えるような形となり美しい桜である」 (46)<鬱金(うこん)>「古くから知られた桜で、江戸時代に京都知恩院に植えられていたといわれ、樹姿は直立高木で、花は淡黄緑色のショウガ科のうこんの根の色に似ていることから、この名が付けられた。花弁数は10~15枚ある」 一昨年の「今年の花」です。上記説明文と重複しますが、一昨年の「今年の花」の説明文を以下に貼り付けます。「造幣局では、皆さまが「桜の通り抜け」に親しみを持っていただくため、数多くの品種のうちから、一品種を選び、今年の花として毎年ご紹介しています。今年の花「鬱金」は、古くから知られた桜で、江戸時代に京都「知恩院」に植えられていたといわれ、樹勢は直立高木で、花は淡黄緑色のショウガ科のウコンの根に似ているところから、この名が付けられました。花弁は10~15枚あります。この「鬱金」は、「桜の通り抜け」を記念して販売されている硬貨セット及びメダルのデザインにも使用されています」(47)<日吉桜(ひよしざくら)>「滋賀県坂本の日吉神社境内にある赤茶芽の山桜。花は淡紅色で、直径3.5cm、花弁数は30枚程ある」(48) <早晩山(いつかやま)>「東京荒川堤にあった里桜で、花は大輪、花弁の先端に深い切り込みがあるのと花弁の中央に紅の縦線が入るのが特徴で、花は淡紅味を帯びた白色」 (49)<鎌足桜(かまたりざくら)>「千葉県君津郡鎌足村(現在の木更津市)に古くからある桜で、花弁数は30~40枚あり、花弁の先が細く屈曲して鎌形をしている。花は淡紅色」 上記のい写真のように、「通り抜け」最終日の時点では「まだ蕾固し」、開花は「通り抜け」が終わったあとの4月下旬のようです。これじゃ、大阪造幣局の「通り抜け」では永久に鎌足桜は観られない!で、ネットから拝借した「鎌足桜」の写真を以下に貼り付けます。(鎌足桜)(50)<一葉(いちよう)>「東京荒川堤にあった里桜で、花芯から1本の葉化した雌しべがでるのでこの名がある。花は淡紅色で、花弁数は25枚程あり満開時には白味がかる」 (51)<花染衣(はなぞめい)>「北海道松前町で育成された桜。花見時の衣装である花染衣(ハナゾメゴロモ)にちなみ、この名が付けられた。花は淡紅色の八重咲き、直径は4.5cmの大輪で、花弁数は40~60枚ある」 (52)<黄桜(きざくら)>「樹姿は直立形、花は黄色で花弁数は10~15枚を有し、花径約4センチメートルもある大輪の八重である」 「黄桜」といえば関西の左党(酒好きな人)には、黄桜酒造(現:黄桜株式会社)のテレビCMを思い出すのではないでしょうか。小島功の色っぽいカッパの動画と、かっての「CMソングの女王」、楠トシエの溌剌とした歌声が今でもリュウちゃんの耳の奥に残っているのです。<黄桜カッパCM> (53)松前八重寿(まつまえやえことぶき)> 「北海道松前町で浅利政俊氏が「糸括」と里桜との交配から選出育成した桜で、花は淡紅紫色で外側の花弁の先端や外面は濃い。花弁数は13~20枚である」(54)<大提灯(おおぢょうちん)>「球形の大輪の花が提灯のようにぶら下がって咲く。花は淡紅色を帯びた白色である」 (55)<手毬(てまり)>「古くからの桜で、江戸期の園芸書「花壇網目」に記述があるとされている。花がまとまって付き、てまりの様になる。淡紅色の八重咲で、花弁数は10数枚である」 (56)<伊予薄墨(いようすずみ)>「松山市西法寺に原木のある桜で、花は淡紅色で、花弁数は10~20枚あり、小輪咲きの優雅な里桜」 (57)<牡丹(ぼたん)>「大島桜系の里桜で、花はふっくらした牡丹の花を思わすような淡紅色の優雅な大輪で、花弁数は15枚程ある」 (58)<紅笠(べにがさ)>「北海道松前町で、「糸括」の実生の中から選出育成された桜である。花は淡紅色で、直径5~6cmもある大輪で、花弁数は50~60枚ある」 (59)<大島桜(おおしまざくら)「伊豆七島などに自生する桜で、花は大きく一重の白色で芳香がある。潮風煙害に強い」 (60)<夕暮(ゆうぐれ)>「花は大輪の淡桃色で、夕暮に美しいといわれ、花弁数は10枚程ある里桜で、芳香がある」 ここでやっと「一列目の桜」の撮影終了、大川(淀川)のほとりのソメイヨシノの満開の下で昼食、プファ~、ビールが旨い!造幣局の通り抜けの外で飲むビール、最高だ!(以下、「2019年の桜行脚(6)~大阪造幣局の通り抜けの桜(3)」に続きます)
2019年05月15日
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大阪造幣局の通り抜けに咲き誇る134種の桜、今年は「完全制覇」を目指したが、、、、?2019年の「大阪造幣局の桜の通り抜け」は、4月9日~15日の日程で開催されました。 リュウちゃんの「大阪造幣局の桜の通り抜け」行脚は、一昨年から始めました。昨年は、計50種の桜をブログで紹介する事が出来ました。よし、今年は全134種の紹介にチャレンジしよう!しかし、このチャレンジは大変です。何故、大変かといいますと、(1)「大阪造幣局の桜の通り抜け」の開催期間がわずか一週間と短く、すべての桜の開花を見ることは望みが薄い。(2)「大阪造幣局の桜の通り抜け」の「お花見のルール」は、造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)への距離約560メートルの一方通行、ルールに従えば、後戻りも出来ないし、3列ある桜並木を横断することも出来ない(一回「通り抜け」ただけでは、1/3しか桜を見ることが出来ない)う~ん全種類の桜をカメラに収めることは大変な難問なのだ!そこでリュウちゃん、予め、以下のような「作戦」を立てました。<リュウちゃんの大作戦>(1) 開催日の最初と最後、2日に渡り、足を運ぶ。(2) 一日で3回、「通り抜け」を行う。(3) 確認出来た品種名は、「咲いている」「咲いていない」に関わらず、すべてカメラに収める。う~ん、この作戦、完璧だ!?で、2日間に渡り、「通り抜け」を6回往復、約1000枚の写真を撮ってきました。これから数回に渡り、「大阪造幣局の通り抜け」の桜を紹介させて頂きます。紹介に入る前に、リュウちゃんがこのブログを書くに当り、参考にさせて頂いたサイトをひとつ貼り付けます(各品種の説明文も、このサイトからお借りしました)<造幣局 : 桜の通り抜け(大阪)><「大阪造幣局の通り抜け」の桜図鑑(1)>(1)<関山(かんざん)> 「明治初年東京荒川堤の桜として有名になった桜で、花は濃紅大輪で、花弁数は30枚程度です」「関山」だけで、「大阪造幣局の通り抜け」には62本もある!ダントツのポピュラーな桜なのだ!(2)<八重紫桜>「紫桜の重弁の品種。三好 学氏が小石川植物園において紫桜の実生を栽培したところ、重弁のものが生じたので、この名が付けられた」 (3)<法明寺>「京都府美山町の法明寺境内にあった名花を、佐野藤右衛門氏が接木育成し、命名した。花は淡桃白色である」 (4)<蘭蘭(らんらん)>「北海道松前町で、「白蘭」と「雨宿」との交配から選出育成された桜。北海道松前の子供たちが上野動物園のパンダ「蘭蘭」の死を悼んだことと、花が密集して咲き、その付き方がふくよかでパンダの毛並みに似ていることから命名した。 花は白色に近く、花弁数は15~20枚ある」 (5)<八重紅虎の尾>「古くから京都で栽培されていた桜といわれ、その咲く有様は虎の尾のようで、花は淡紅色である」 (6)<大沢桜>「京都嵯峨野の大覚寺境内にある大沢池畔にあった非常に美しい淡紅色八重で、花弁数は15~18枚の優雅な里桜である」 (7)<関東有明>「関東にあった有明桜で、淡紅白色の大輪の優美な花である」 (8)<二尊院普賢象>「京都嵯峨野の二尊院にあった由緒ある名桜。親木は枯死したが、佐野藤右衛門氏の接木により後継樹が残っている。花は菊桜系で濃紅色で、花弁数は80~150枚ある 」 (9)<平野妹背>「京都平野神社境内にあった桜。花は紫味を帯びた淡紅色で、開花につれ淡紅白色になる。花弁数は22~25枚で、花は横向き又は下向きに咲く」 (10)<奥都(おくみやこ)>「咲き始めは淡紅色であるが、満開時には白色となる。直径4~4.5cm、花弁数は20枚の八重桜である」 (11)<帆立>「花は白色で、雄しべの1~2本が花弁化して、帆を立てたような形をしているところから、この名が付けられた」 (12)<泰山府君>(まだ蕾)「東京荒川堤にあった桜。花が散るのを惜しんで泰山府君(中国の泰山の神)を祭り、花の命を長らえたという故事から、この名が付けられた」(13)<紅提灯>「花の色は淡紅色。蕾は濃紅色で咲きはじめは紅色となり開花が進むと紅色から淡紅色となる。花弁数30枚前後である」 (14)<松月(しょうげつ)>「東京荒川堤にあった名桜で、平野神社の平野撫子に似ている。花は最初淡紅色で、次第に白色となり、花弁数は25枚程で、葉化雌しべがある」 この桜は構内に10本あり,「大阪造幣局の通り抜け」では、「関山に次ぐポピュラーな桜」です。(15)<大手毬>「多数の花が枝の先に密生して咲き、大きい手毬の状態となるところから、この名が付けられた。花は、中輪の淡紅色で花弁数は20枚程である」 (16)<花笠>(まだ蕾)「北海道松前町で、「福禄寿」の実生から選出育成した大輪の美しい桜で、雌しべが葉化し、その形状が花笠に似ているので、この名が付けられた。花は紅色で、花弁数は30枚程ある」(17)<御車返(みくるまかえし)>「京都御所にあった里桜の一種。後水尾天皇がこの花の前を通られたところ、花が余りにも美しかったので、再びお車を返してご覧になったという故事により、この名が付けられた。花は淡紅白色」 (18)<駒繋(こまつなぎ)>「親鸞聖人が駒をつないだと言い伝えられている有名な桜で、花は白色帯紅の大輪一重で、太白に似ている」 (19)<御室有明>「京都御室の仁和寺にある代表的な里桜で、足もとから淡桃白色の花が咲き、低木状をなしている。一重八重の優雅な品種である」(20)<普賢象>「室町時代から京都地方にある有名な桜で、花の中から葉化した二つの雌しべが突き出し、その先端が屈曲する。その状態が、普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているので、この名が付けられた。花は淡紅色であるが、開花が進むにつれ白色となる。花弁数は20~40枚ある」 この桜は構内に11本、やはり「通り抜け」では、ポピュラーな桜です。(21)<六高菊>(蕾)「花は淡紅白色で菊桜の系統である。旧制第六高等学校(現在の岡山大学)の校庭にあつたところから、この名が付けられた」(22)<園里黄桜>「長野県須坂市豊丘町梅ノ木地区で羽生田郁雄氏が発見した普賢象の枝変わり品種で、黄緑色に緑の筋が入った花を咲かせる。旧村名にちなんでこの名がつけられた」(23)<佐野桜>「京都の佐野園において、山桜の実生約1万本中より八重の優秀な花が咲いたので、牧野富太郎博士がこの桜を佐野桜と命名した。花は開花が進むと白色となる」 (24)<朱雀(しゅじゃく)>「昔、京都朱雀にあった有名な桜で、直径約4cm、花弁数は10枚程あり、花は淡紅色で、外弁はやや濃紅、やや垂れ下がって咲く」 (25)<菊桜>「花弁数が100~200枚と非常に多く、菊の花に似た優雅な桜である。花は淡紅色であるく」 (26)<琴平(ことひら)>「香川県琴平神社境内にある山桜系の桜で、花は微淡紅色で、のちに白色となる。花弁数は6~15枚である」 (27)<滝香(たきかおり)>「東京荒川堤にあった桜で、つぼみは淡紅白色、花は白色で芳香がある。時には旗弁がある」 (28)<御衣黄(ぎょいこう)>「花は黄緑色で、開花が進むにつれて花弁の中心に紅色の縦線が現われる大変珍しい品種で、花弁数は15枚程度である」 (緑の桜)ギョイコウは、黄色・緑色の花を咲かせるサクラとしてウコンとともに古くから知られていた。その2品種の他にも、1990年代以降スマウラフゲンゾウ(須磨浦普賢象)、ソノサトキザクラ(園里黄桜)、ソノサトリョクリュウ(園里緑龍)の3品種が発見されている(ウィキペディアの記述)緑色の桜、5種類あるのだ!(29)<紅豊(べにゆたか)>「北海道松前町で育成された桜。花は濃紅色で豊かな重弁(花弁数は15枚程)の桜となったので、この名が付けられた」 (30)<天の川>「東京荒川堤にあった里桜で、樹姿がほうき状となり、淡紅色の花が上向きに咲く珍しい品種である。花弁数は10~20枚ある」フ~!やっと30種の桜をUPすることが出来ました。でも、まだまだ「序の口」、リュウちゃんの「完璧な計画」、どこまで「完璧」だったのでしょうか?(以下、「2019年の桜行脚(5)~大阪造幣局の通り抜けの桜(2)」に続きます)
2019年05月09日
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上千本から見下ろす吉野の桜ここは吉野随一の「インスタ映えスポット」だ!4月12日、夕刊の「桜便り」で、「吉野中千本の桜」が「七分咲き」になりました。 中千本が七分咲き、待ってました!よし、明日、吉野に行ってみよう!「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」が信条の奈良人リュウちゃん、ほぼ毎年、桜の季節には吉野に行っているのですが、一昨年、昨年と2年続けて「奥千本の満開の時期」に吉野行を決行したため、最も華やかな「中千本」の桜はちょっとご無沙汰していました。それで今年は中千本の満開の時期に吉野に行こうと思い、時期を狙っていたのです。4月13日の天候は「曇り」まあ、仕方がない。例に寄りまして、女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前8時に法隆寺を出発、午前10時、近鉄吉野駅に到着、下の写真は、近鉄吉野駅前です。さすが吉野、駅前は大賑わいだ!下の図は「吉野山観光マップ」です。「奥千本」に行く時には、往路はバス、復路は徒歩なのですが、今日は上図右上の「上千本」にある「吉野水分(みくまり)神社」が最終地点なので、往復共、徒歩で行くことにしました。 以下に近鉄吉野駅から吉野水分(みくまり)神社までの標高差、距離を書いてみます。吉野駅:標高207m 吉野水分神社:標高590m標高差:383m距離:約5,5キロ寄り道をせずに歩くと、1時間半の「行程」<七曲坂>吉野駅前から「七曲坂」を上って行きます。ここが「下千本」なのです。 「七曲坂」の途上の景観です。「七曲坂」の紅枝垂れ桜が美しい!<黒門>吉野山の「総門」である「黒門」です。「黒門」の前に以下のような説明パネルが立てられていました。「金峯山(きんぷせん)」って、吉野山から大峰山に至る「峰続き」のことだったのだ!初めて知った。 <蔵王堂>「黒門」から軒を連ねる土産物店街(吉野山のメインストリート、吉野銀座?)を10分位上がっていきますと、金峯山修験本宗(修験道)の本山である「金峯山寺(きんぷせんじ)」に至ります。「蔵王堂」は、金峯山寺の「本堂」、吉野山のシンボル的存在なのです。久々に蔵王堂の前の桜を観た!<吉野朝宮址(妙法殿)>「蔵王堂」の手前の急な石段を降りた所に、桜に囲まれた見事な「塔」があります。 この「塔」、吉野山観光マップに載っていない!一体、何なのだろう?「塔」に近づきましたところ、塔の前に「吉野朝宮址」という石碑が立てられていました。ここが後醍醐天皇の「南朝宮址」だったのだ!(後醍醐天皇)建武3年(1336年)足利尊氏によって京都を追われた後醍醐天皇は、吉野に入り、この地に南朝の宮である「吉野行宮(あんぐう)」を建設します。これがいわゆる「南北朝時代」の始まりです。南北朝時代は1336年(建武3年)から1392年(南朝:元中9年、北朝:明徳3年)の57年間ですが、その内、吉野に行宮が営まれたのは、約20年ほどであったとされています。<余談>4月30日に今上天皇が退位され、5月1日には年号が「令和」になります。新しく即位される天皇は初代神武天皇から数えて126代目の天皇になります。「南北朝時代」には同時に2人の天皇が存在していましたが、それらの天皇は何代目の天皇だったのか? という疑問をリュウちゃんは以前から持っていました。ここでその疑問を解き明かしてみたいと思います。(1)「南北朝時代」の直前の天皇は、第95代「花園天皇」、(2)「南朝」の天皇は以下です。★第96代(南朝初代)「後醍醐天皇」~★第97代(南朝2代)「後村上天皇」~★第98代(南朝3代)長慶天皇~★第99代(南朝4代)「後亀山天皇」、(3)「北朝」の天皇は以下です。★(北朝初代)「光厳天皇」~★(北朝2代)「光明天皇」~★(北朝3代)「崇光天皇」~★(北朝4代)「後光厳天皇」~★(北朝5代)「後円融天皇」(4)「南朝」が絶えた直後の天皇は、第100代「後小松天皇」、(5)現在の天皇家は「北朝」の子孫、あれ、現在の天皇家の祖先である北朝5代天皇は、皇統126代に含まれていない?何故なのだろう???この問題を追及するとキリがありませんので、ここでは「新たな疑問」として留めておきます。興味がおありの方は、下記のサイトをご覧ください。 <「天皇家の正統が「南朝」なのはどうして?」~Yahoo知恵袋>←ここをクリック(余談終り)下の写真は、「吉野朝宮址」の前の石段の下から見上げた「蔵王堂」です。「蔵王堂」と桜のコラボ、この角度が一番迫力がある!もうお昼、お腹が空いた。で、上の写真の石段の下のベンチで昼食。プファ~、ビールが旨い!一瞬の晴れ間のヤマザクラが美しい!<東南院のしだれ桜>昼食を終えて、中千本のメインストリートを上って行きます。 先ず最初に入ったのが、役行者が開祖と云われる1300年の歴史を持つ「東南院」、このお寺の「多宝塔」(昭和12年に移築)の前の「しだれ桜」は、隠れた吉野の桜の名所なのです。あれ、もう東南院のしだれ桜は終わりかけだ残念!<吉水(よしみず)神社>ここも役行者開祖とされる神社、かっては「吉水院(きっすいいん)」と言われた寺院で、後醍醐天皇が一時、ここに行宮を置いたところです。 下の写真は吉水神社の参道から「蔵王堂」を撮ったものです。吉水神社から見た上千本、これは「絶景」なのですが、カメラが不調で写真がピンボケになってしまいました。残念! 口直し(目直し?)にネットからお借りした同じ構図の写真を以下に貼り付けます。<桜本坊>「伝承によれば、天智天皇から逃れた弟の大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身である日雄(ひのお)離宮にとどまっていた。ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が役行者の高弟・日雄角乗(ひのおのかくじょう)に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせです」と答えた。その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所(日雄離宮)に寺を建立したとされる」「文禄3年(1594年)に行われた豊臣秀吉の花見の際には、関白・秀次の宿舎となった」(以上、ウィキペディアの記述です) 現在。「桜本坊」は、遅咲きの「八重桜」の名所ですが、この日は八重桜はまだ蕾」、ピンクのしだれ桜だけが咲いていたのです。<竹林院群芳園>「竹林院」は聖徳太子が開祖と云われる古刹、その後、弘仁年間(9世紀初頭)に空海が入り、寺号を改めました。庭園の「群芳園」は千利休が作庭し、細川幽斎が改修した庭園で「大和3庭園」の一つとされています。この庭園には、樹齢数百年とされる「天人之桜」というしだれ桜があります。「天人之桜」は太閤秀吉が吉野の花見で立ち寄った時に植えられたもので、だとすれば樹齢約440年、「吉野の桜」の中では最も長寿の桜のようです。実はリュウちゃん、今回、「中千本」の桜の満開の時期に吉野に来た目的の一つは、、満開の「天人之桜」を観ることだったのですが、残念ながら今回も「ほぼ終わり」でした。満開の「天人之桜」、何時になったら観られますことやら? 寺社仏閣の立ち並ぶ中千本のメインストリートは「竹林院」で終り、「竹林院」からは眼下に上千本を見下ろしながら急な上り坂が続きます。<花矢倉展望台周辺>標高約580mのところにある「さくら咲競(さくら)プロジェクト」の標識があります。ここから見下ろす「吉野の桜」は正に天下一!「月ヶ瀬梅渓谷」の「見下ろし茶屋」からの眺めに匹敵する「インスタ映えスポットだ!「さくら咲競プロジェクト」の標識のすぐ上に、公式的には「吉野随一の願望の場所とされる「花矢倉展望台・子守茶屋」があります。 ここは見物客でいっぱいだ!ここから見下ろす「蔵王堂」の眺めも天下一品なのだ! 以下にネットからお借りした動画を貼り付けます。 <吉野山・桜の見所完全ガイド「花矢倉展望台周辺」>←ここをクリック<吉野水分(みくまり)神社>「花矢倉展望台」から100mほど道を辿ったところに、本日の最終到達点である「吉野水分神社」があります。一昨年、昨年と、奥千本の満開の時期に合わせて吉野を散策した時にも、吉野水分神社のしだれ桜は咲き残っていましたが、中千本の満開に合わせて訪れた今年、果たして、しだれ桜は咲いていることやら?と思いながら水分神社に入りましたところ、おお、吉野水分神社のしだれ桜、満開だ!<如意輪寺>午後2時30分、下山開始、復路は中千本のど真ん中にある「如意輪寺」経由で下山しました。 以下の写真は、「如意輪寺」への途上の「中千本」の光景です。60段くらいの石段を上がって、如意輪寺に入ります。「如意輪寺」の境内には、「後醍醐天皇陵」があります。松尾芭蕉は、如意輪寺の後醍醐天皇陵の前で以下の句を詠みました。 御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草午後4時ジャスト、無事に近鉄吉野駅に帰還、今年の吉野桜行脚、竹林院群芳園の「天人之桜」の満開に逢えなかった。よし、来年こそは「天人之桜」の満開の時期に吉野に行くぞ!
2019年04月30日
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3月27日「さくらの日」天理教本部横の河津桜(?)が満開!別席場の巨大しだれ桜も開花が始まった!3月27日は「さくらの日」、東京ではこの日はソメイヨシノが満開だったようですが、関西では、東京より約一週間遅れで各地のソメイヨシノが開花した日でした。よし、「さくらの日」に今年の「桜行脚」を始めよう!といいましても、ソメイヨシノは奈良県ではまだ「蕾」、「さくらの日」に桜行脚を始めようと思ったリュウちゃんの頭の中には、天理市の中心部にある「天理教本部周辺の早咲き桜」を観に行こうという思いがあったのです。天理の早咲き桜、今、見頃の筈だ!例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前8時、自宅を出発、JR法隆寺駅から電車に乗って天理に向かいました。JR郡山駅で途中下車、郡山城跡に立ち寄りました。おお、東隅櫓の前のしだれ桜、満開だ!郡山から近鉄電車に乗り換えて天理に向かいました。近鉄天理駅に着いたのが午前10時30分、天理教本部周辺の早咲き桜は、天理駅から行きますと、本部の手前にある天理教が運営している<よろず相談所病院「憩いの家」>からはじまります。この病院の裏手に、小さい公園があります。ここも「早咲き桜」のビュースポットなのです。この桜「寒緋桜」なのかな?この「小公園」の東側に広大な天理教教会本部の建造物群が並んでいます。以下は本部神殿の西側と正面付近のl「早咲き桜」です。いよいよ「天理教本部の早咲き桜」の中心部である「東側別席場」の前の庭園に出ました。ここでは数種類の「早咲き桜」が楽しめます。庭園の寄せ植えの花壇越しに、お目当ての一つ、「河津桜の並木」が見えて来ました。おお、ここの「河津桜」は満開だ!さて、もう一つのお目当て、「東側別席場」前の3本の「巨大しだれ桜」です。 <一本目>「別席場」の入り口にあります。「一本目」は満開に近いがしだれの垂れ下がり具合がイマイチだ。<2本目>「1本目」の奥手に、2本の「巨大しだれ桜」があります。上の写真で、向かって右手が「2本目」、向かって左手が「3本目」になります(「2本目」は言い換えますと「真ん中の」、です) 「2本目」は、ほぼ満開、「枝垂れ」の垂れ具合も良く、迫力満点だ!<3本目>この巨大しだれ、外観はまだ「開花前」だ。近寄って見ると、少し開花が始まっている。<「東側別席場」の奥の早咲き桜>3本の「巨大しだれ桜」のあるもう一つ奥手にも、見事な「早咲き桜」が咲いています。ここは、天理教本部の「早咲き桜」の終着点だ!本来なら、ここら辺りの桜の下で、「プファ~、ビールが旨い!」とやりたい処ですが、ここは「天理教の聖地」なので、誰も桜の下でビニールシートを敷いてお花見をしている人はいません。桜の下を通り過ぎる人達の殆ども、法被を着た天理教の信者の皆様なのです。なので、天理市の「桜の観光スポット」としての情報も乏しく、この辺りの桜の由来や品種名も実際は殆ど情報がないのです。 このような見事な早咲き桜は何時、どうして植えられたのか?「河津桜の並木」というが、本当に河津桜なのか?3本の「巨大しだれ桜」品種は何なのか?樹齢は何年なのか?どうしてこんなに巨大な桜に成長したのか?実のところ、以上のようなリュウちゃんの疑問は、これまで全く解消していなかったのです。それで今回、「天理教本部周辺の早咲き桜」につきましてネット検索しましたところ、以下の動画(You-Tube)に巡り合いました。<天理の桜・四季旬彩/天理教道友社>↑ここをクリック 上記の動画は、天理教の「営繕部造園課顧問」という肩書を持つ長谷川佳孝氏の「語り」を中心に構成されています。以下に長谷川氏の「語り」のポイントを書きだしてみます。★天理教本部周辺で見られる桜は、現在13種類です。およそ2万本の桜の木があります。最も早咲きのアタミザクラから4月中旬に咲く八重桜まで、約2か月間、様々な桜が観られます。★(一般的に「河津桜の並木」と見られていた桜並木は、河津桜ではなく)アタミザクラの並木です(東筋のアタミザクラ)(リュウちゃん注)アタミザクラは、ウィキペディアによりますと、「明治4年にイタリア人によってレモン・ナツメヤシと共に持ち込まれたインド原産の品種とされるが、花粉の分析などによってカンヒザクラ(寒緋桜)とヤマザクラ(山桜)の雑種であると推定されている」「例年の開花時期は1月下旬〜2月中旬であり、最も有名な早咲き桜であるカワヅザクラ(河津桜)より1ヶ月ほど早く、沖縄のカンヒザクラ(寒緋桜)や、伊豆市土肥のトイザクラ(土肥桜)などと共に、日本において(年明け後の)最も早咲きの桜の一種とされる」これまで河津桜だと思っていたが、実はアタミザクラだった!目からウロコ!★3本の「巨大しだれ桜」は秋田県・角館(かくのだて、秋田県仙北市)の信者から寄進されたもの、樹齢は70~80年、花の色はやや異なるが、品種は同じ、枝を支える棚組は毎年修正を加えて、あのような巨大な桜を生み出した。「あの種類(原種に近い種類)で、あれだけ背が高くなっている桜はあまりない」少しずつ「天理の桜の秘密」が判って来ました。天理教の聖地に植えられている早咲き桜が、こんなにも素晴らしくなった訳は、長谷川佳孝氏を始めとする天理教の皆様の弛みない努力があったのですね。天理教本部周辺の素晴らしい早咲き桜、あだや疎かには見られないのだ!そろそろお昼時、お腹が空いた。でも、天理教の聖地では、「プファ~」は出来ない。で、天理教本部から徒歩20分のところにある「石上神宮(いそのかみじんぐう)」に移動、ここで神鶏と遊びながら昼食を摂りましたプファ~、ビールが旨い!神鶏ちゃんも元気いっぱいなのだ!
2019年04月13日
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「見下ろし茶屋」からの名張川の光景ここは「月ヶ瀬梅渓」随一の「インスタ映えスポット」だ!3月20日、やっと「月ヶ瀬梅渓谷」に行くことが出来ました。 本当は3月15日あたりに行きたかったのですが、天候不順の日が続き、行く機会が20日にズレ込んでしまったのです。新聞の「梅便り」では、まだ満開だが、本当に満開なのかな?例によりまして女房殿お手製の「おにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰めて、午前8時半に家を出発、JR奈良駅9時10分発の月ヶ瀬行きのバスに乗りました。以下は「月ヶ瀬ウォーキングマップ」です(全体マップ)上のマップの中で、一般的に「月ヶ瀬梅渓」として観光名所とされている所を拡大したのが以下のマップです。(拡大マップ)リュウちゃんもいつもは下の「拡大マップ」の所しか行かないのですが、今回は上掲の「全体マップ」の左端にある「龍王の滝」から歩いて「拡大マップ」の所に行こうという計画を立てていましたので、「拡大マップ」の梅林の始発点である「尾山」バス停のかなり手前の「太郎谷」バス停で下車、先ず「龍王の滝」に行ってみました。 <龍王の滝>落差約10mとされていますが、この日見た限りではせいぜい落差5m以下、「小滝」です。でも、この滝の周囲はちょっとした「深山幽谷」、伝説によれば,かの修験道の始祖「役小角」(えんのおずぬ=役の行者)がここで修業したとされています。<龍王梅林> 「龍王の滝」のすぐ近くにある小梅林です。<谷崎潤一郎の歌碑>「龍王梅林」の中に、谷崎潤一郎の歌碑があります。リュウちゃん、歌碑の文字は殆ど読めないのですが、歌碑の下に「釈文」が書かれていましたので、以下に歌碑に刻まれている短歌を書いてみます。わが宿の梅のさかりをよそにして訪ねてぞ来し月ヶ瀬の里 この歌は昭和4年3月に、谷崎が月ヶ瀬梅渓を訪れた時に詠まれたものだそうです。この歳の秋、谷崎は改造社から刊行された「日本地理体系」近畿編の月ヶ瀬の写真に対して、以下のような文章を寄稿しています。「名所というものは行ってみると、さほどでもないところが多い。けれど昔から吉野と並び称される月ヶ瀬の梅ばかりは、まことにその名にそむかない。いつから有名になったのかはよく知らないが、恐らく頼山陽や斎藤拙堂の詩文によって、一層著聞するようになったのであろう。あの五月川(名張川のこの辺りを五月川と呼ぶ)の水を挟んで延々一里に余る渓谷に、真珠の粒をばらまいたような萬朶の花(ばんだのはな=多くの花)の香る景色を、私は毎年早春頃になると思い出す。今年も行ったし、二、三前にも行ったが又、来る年も来る年も、暇さえあれば何時でも行きたいと思う」リュウちゃんのモットーは「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」、谷崎のモットーも「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」リュウちゃんの感性は谷崎と同じなのだ!(苦笑)<白鬚の梅>土産物店「湖畔の里・つきがせ」の入り口にある梅の古木です。樹齢約400~500年、奈良県指定の天然記念物です。<奥の谷梅林>「龍王梅林」に続く小さな梅林です。<コケ石梅林>この梅林も、「奥の谷梅林」から続いている小さな梅林です。「月ヶ瀬梅渓」という名称は、この辺りの梅林の総称で、実際には、このような小さな梅林が複数存在しているのです。<松尾芭蕉句碑>名張川に面した「コケ石梅林」から道路を隔てた対面の急な山道を登ったところに「芭蕉句碑」があります。上記の句碑には、以下の句が刻まれています。 春もやや けしきととのふ 月と梅松尾芭蕉は、月ヶ瀬に隣接する「伊賀国」(現在の三重県伊賀市)の出身です。伊賀国から月ヶ瀬までは直線距離で、大体20キロ以内なので、上記の句は当然、芭蕉が月ヶ瀬で詠んだ句だと思われるのですが、芭蕉が月ヶ瀬を訪れたという確証はなく、それどころか、この句が「芭蕉の句」であるという確証もないのだそうです。 何となく、句のムードで建立したのかな?<宮之芝梅林>「月ヶ瀬梅渓」のシンボルの一つである「月ヶ瀬橋」の横手にある小さな梅林です。ここの梅はほぼ終わっていた、残念!<月ヶ瀬橋>「龍王梅林から「宮之芝梅林」まで県道沿いに続く「下の梅林」散策を終えて、「月ヶ瀬橋」を渡り、尾山地区にある「上の梅林」に向かいます。「下の梅林」は殆ど終わっていたが、「上の梅林」はどうなのかな? 下の写真は、「月ヶ瀬橋」から「上の梅林」がある「尾山」に上って行く途上で、名張川の対岸の梅を見下ろしたものです。この梅林の眺め、素敵だ!今回も行けなかった、残念!やっと「上の梅林」の起点である「尾山地区」に到着しました。上の写真の石碑の横にある店は「小谷商店」という土産物店です。<小谷商店の裏庭のしだれ梅> おお!ここのしだれ梅は満開だ!紅白のしだれ梅+山茱萸(サンシュウ)の「黄」のコラボが素敵だ!<真福寺>小谷商店の前の急坂を10分位上ると、そこは「上の梅林」の頂上部の「真福寺」です。創建は治承2年(1178年)、「月ヶ瀬梅林発祥の地」と云われている古刹です。真福寺の庭も、しだれ桜と山茱萸のコラボが美しい!<姫若の梅>真福寺の本堂の左手にある梅の老木です。この老木の手前に、由来を書いた碑が立てられています。「1331年(元弘元年)後醍醐天皇が難を逃れて笠置山に身を寄せられた折、女官の一部が月ヶ瀬方面へ逃げ、その1人姫若が園生(そのう)の森で倒れていたところを村人に助けられ、「真福寺」に近い「姫若塚」付近に住まわせてもらい滞留しましたが、姫は村人に感謝し、ここに梅の木を植え、その熟れた梅を用いて口紅を作る技(わざ)を村人に教え、また青梅を乾かして燻製(くんせい)にした墨梅(すみうめ)、つまり烏梅(うばい、紅染めの媒染剤、薬料)を作り、京都へ売りに行って、儲けさせたと云われ、1640年代(正保年間)村が梅の里になりました」「碑」には「梅若の梅」の樹齢は書かれていませんが、後醍醐天皇の時代に植えられたとしますと樹齢約700年になりますね。樹齢700年だとすれば、「梅若の梅」は日本一長寿の梅だ!?<一目八景・見下ろし茶屋>「真福寺」から、ほぼ真下にある「見下ろし茶屋」に向かいます。ここは正に月ヶ瀬梅渓随一の絶景スポット、随一の「インスタ映え」スポットだ!リュウちゃんはインスタグラムはやらないのですが、インスタグラムをやっておられる皆様、「月ヶ瀬」に来られたら是非、ここからの絶景をインスタグラムで公開して下さいね。<帆浦梅林>「帆浦梅林」は「真福寺」本堂の下の斜面に広がる大きな梅林です。もう午後1時だ。お腹が空いた。で、「帆浦梅林」の中腹部にある休憩所で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!梅の香がゴージャスな「ツマミ」なのだ!<梅林公園>ここには2階建ての大きな展望所と「品種園」のある憩いの場所です。「天神梅林」に続く赤い小橋と梅のコラボが美しい!「品種園」の石碑の前の「呉羽枝垂」が美しい!<天神梅林>いよいよ「上の梅林」のゴール地点である「天神梅林」に到着しました。 実はリュウちゃん、「月ヶ瀬梅渓」の中では、この「天神梅林」が一番好きな梅林で、いつもはこの梅林の下で「プファ~、ビールが旨い!」とやるのですが、今回は「下の梅林」から散策しましたので、「プファ~!」は手前の「帆浦梅林」でやることになったのです。今年も梅の間に「蝋梅」が咲いていた!いけない!もう午後2時過ぎだ。午後3時12分「尾山バス停」発の奈良行き最終バスに間に合わない!で、天神梅林から急いで尾山に引き返しました。な~んだ、15分で尾山に着いた。で、昨年行った茶店で、草餅の「お焼き」で一服、この店の看板娘が今年も笑顔で出迎えてくれました。時間がありましたので、尾山バス停近くの公衆トイレに立ち寄りました。このトイレ、何と、ヴィバルディのイ短調のヴァイオリン協奏曲がBGMとしてハイファイのきれいな音で流れていました!<ヴィバルディ「ヴァイオリン協奏曲イ短調Op3-6/イ・ムジチ合奏団>↑ここをクリック 「月ヶ瀬梅渓」とヴィバルディ、素敵なコラボなのだ!
2019年04月05日
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「乾燥地の植物」エリアのサボテン群「サボテンの花」もいっぱい咲いていた!(前回のブログの続きです) 「熱帯植物エリア」から「乾燥地の植物エリア」に入りました。例によりまして、ここで見た植物を順番に紹介させて頂きます。<奇想天外>京都府立植物園の「観覧温室」でも見ましたが、こちらのほうが「立派」ですね。<アロイデンドロン・ディコトムム>原産地はアフリカ南部、ススキノキ科の植物です。館内の説明パネルによれば、この植物は、「アロエから系統的に分離」した植物のようです。<サンゴアブラギリ>原産地は熱帯アフリカ、トウダイグサ科の植物です。<ハナキリン>マダガスカル原産、トウダイグサ科の植物、トゲがいっぱいあるので、サボテンの一種だと錯覚しますが、サボテンとは違う系統の植物です。これは日本でもポピュラーな植物ですね。<金鯱>京都の植物園でもいっぱいあった巨大な球形のサボテンです。こちらの「金鯱」には、小さい花が咲いていました。<ノトカクタス・ヘルテリー(照姫丸)><ブラジリカクタス・バゼルベルギー(セッコウ・雪晃)<ハクリュウマル(白竜丸)>原産地はメキシコ北部、メキシコ原産のサボテンの名前が「白竜丸」とは!??? 「白竜丸」の学名は「Mammillaria compressa」、サボテンにはいろいろな和名が付けられています。「照姫丸」、「雪晃」、「月宮殿」、「大仏殿」、「幻楽」、「月世界」、「海王丸」、、、、これらの和名が付けられたのは、二つ「訳」があるようです。一つは日本の作出者による命名、もう一つは、海外原産のサボテンを日本で販売するにあたり、難しい学名そのままでは、親しみが持てないので、親しみが持てるような和名を付けて販売したようです。<カルメナエ>メキシコ原産のサボテンです。このサボテンも可愛い花が咲いていた!ここでサボテン初心者リュウちゃんの「サボテンの疑問」を幾つか挙げてみます(解答はネットから拾いました) <サボテン初心者のリュウちゃんの疑問>(疑問1)サボテンの原産地は?(解答)サボテンの原産地は、数種のアフリカ原産種を除き、99%以上が、南北アメリカ大陸及びガラパゴス諸島のようなアメリカ大陸周辺の島が原産地である。(疑問2)サボテンの種類はどれくらい?(解答)「原種」だけで1500~2000種、亜種・変種・園芸品種などを加えると、その数は膨大で、「バラ」の品種にも匹敵するようです。(疑問3)日本への伝搬は何時?(解答)日本には16世紀後半(江戸時代中期?)に南蛮人によって持ち込まれたのが最初のようです。彼らがウチワサボテンの樹液を石鹸(シャボン)のように使い、衣服を洗っていたことから、サボテンは当初「石鹸体(シャボンテイ)」と呼ばれていたようで、これが転じて「シャボテン」と呼ばれるようになりました。この呼称は昭和30年代まで使われていたようです。(疑問4)全てのサボテンは花が咲くのか?花の咲かないサボテンはあるのか?(解答)はい、サボテンは種子植物なので、すべてのサボテンは花が咲きます。但し、殆どのサボテンは開花期が短く、なかなか開花を観ることが難しいですね。そうだったのか!すべてのサボテンには花が咲くのだ!リュウちゃん、この「当たり前の事実」に大感激!これは凄いことなのだ!以下、ネットからお借りした「サボテンの花」を幾つか貼り付けます。<月下美人>ナデシコ目サボテン科クジャクサボテン属の名花です。夏から秋にかけて一晩だけ花を咲かせます。<クジャクサボテン>サボテン科クジャクサボテン属の花です。中南米原産、リュウちゃんも3鉢栽培しています。以下は名称不明のサボテンの花です。正に千変万化(花)百花繚乱!<リュウゼツランの花>宮部みゆきの初期の傑作短編ミステリー「サボテンの花」のラストに登場するリュウゼツラン、この植物はサボテン科ではなく、「キジカクシ科」の植物です。数十年かけて成長し、最後に花を咲かせ、枯れてしまいます。不思議な花ですね。(リュウゼツランの花)<高山植物室>ここには、熱帯植物ではなく、寒い北国の植物や高山植物を展示しています。ここは「温室」ではなく、「冷室」だ。<メコノプシス・ベトニキフォリア>ヒマラヤ山脈に咲く「青いケシ」です。<クロユリ(黒百合)>日本の中部地方以北の高山、北海道、千島列島、ロシア、北アメリカに分布しています。別名「エゾクロユリ」、黒百合といえば、懐メロ大好き人間のリュウちゃんが思い出すのは、昭和28年に公開された松竹映画「君の名は第二部」の主題歌「黒百合の歌」です。<織井茂子「黒百合の歌」>←ここをクリック (おまけ)実は「君の名は第二部」の主題歌はもう一つあります。これは岡本敦郎と岸恵子によるデュエット曲で、リュウちゃんの「お気に入り」の歌なのです。岸恵子の歌唱が聴けるのは、この歌だけなのだ!<「花のいのちは」(岡本敦郎・岸恵子のデュエット)>←ここをクリック <チングルマ>バラ科ダイコンソウ属の可憐な花です。脚本家の田中澄江さんが昭和55年に上梓した髄質集「花の百名山」で、「黒部五郎岳」を代表する高山植物として紹介しています<「花の百名山」のウィキペディア>↑ここをクリックリュウちゃんは新田次郎の山岳小説「雪のチングルマ」でこの花の名前を知りました。 <アキレア・トメントサ>ヨーロッパ原産のキク科の高山植物です。<ヘレボルス・フィティドゥス>ヨーロッパ原産、キンポウゲ科の高山植物です。ヘレボルスとはクリスマスローズのことです。 このクリスマスローズ、葉と花の色が同じだ! <ザンセツソウ(残雪草)>ニュージーランド原産、キク科の多年草です。 <エーデルワイス(西洋薄雪草)>ヨーロッパ原産、キク科ウスユキソウ属の多年草です。「エーデルワイス」といえば、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の歌で有名ですね。この映画、リュウちゃんは52年前に70mmの大スクリーンで観て大感激しました。でも、この映画には実際のエーデルワイスの花は出て来ませんでした。<映画「サウンド・オブ・ミュージック」より「エーデルワイス」)←ここをクリック 以前、女房殿とスイスに行った時、この花を見ようと思ったのですが、残念ながら見ることは叶いませんでした。自生しているエーデルワイスは希少で、スイスでも殆ど見ることが出来ないようです。 「咲くやこの花館」で初めて見ることが出来、リュウちゃん大感激!でした!<カカオの木>館内を一周し、ゴールの「フラワーホール」に入りました。ここに「実のなったカカオの木」があった!「カカオの実」の中には20~60個ほどの「種」が入っており、この「種」がココアとチョコレートの原料となる「カカオ豆」です。 実のなる前には花が咲く「カカオの花」ってどんな花?以下はネットからお借りした「カカオの花」です。ありゃ?一房に小さい花がいっぱいなのだ。(カカオの花)上の写真のように、幹から直接咲くいっぱいの花の中で「カカオの実」として結実するのは、たった一つの花だけなのだそうです。花から実になる競争率は100倍以上、物凄い競争社会なのだ!「カカオ」のウィキペディアの記述で悲しい実態を知りました。カカオ豆の最大の生産国は西アフリカのコートジボアールですが、カカオ豆の国際価格はロンドンとニューヨークの「商品先物市場」が握っていて、常に非常に安い価格に設定されています。なのでカカオ農場で働く農民(児童・奴隷を含む)の賃金は極端に低く、全農民の約60%が「極度の貧困状態」にあるのだそうです。甘いチョコレートの生産は悲惨な児童奴隷によって支えられている!華やかなバレンタインデーには、心してチョコレートを贈りましょう!約3時間に及んだ「咲くやこの花館」を後にして、「鶴見緑地公園」に出ました。公園の一角に「河津桜」などの「早咲き桜」の植えられている場所がありますので、そちらに行ってみましたが、残念ながら、まだ「蕾固し」でした。公園の入り口にあるメタセコイア並木の近くのパンジーの寄せ植えここだけが野外の「真冬のトロピカル」なのだ!
2019年03月25日
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初めて実っているバナナを見た!(前回のブログの続きです) 前回に続き、「咲くやこの花館」で見た熱帯植物を紹介して行きます。<トーチジンジャー>京都の「観覧温室」でも見た華麗な熱帯の花です。こちらの花のほうが京都よりも開花が進んでいました。<ネぺンテス(ウツボカズラの一種>東南アジアに広く分布しているウツボカズラの一種です。ウツボカズラ属は約150種あり、食虫植物の代名詞になっています。葉の先端が袋状になり、袋の上部から蜜を出し、虫を集めます。<カリアンドラ・ハイマトケファラ>南米ボリビア原産、カリアンドラとは、ギリシャ語で「美しいおしべ」のことで、化粧パフのようなオシベの集合体の花は英語では「パウダーパフ」と呼ばれているのだそうです。 <バナナ>やっと有名な熱帯植物が出て来ました(笑)「バナナ」はツユクサ類ショウガ目バショウ科バショウ属の内、果実を食用とする品種の総称なのだそうです。高さが数メートルにもなるので「木」だと思われがちですが、実は「草木(そうほん)」なのだそうです。数メートルにも伸びる「茎」は、実は「偽茎」(ぎけい、地下茎から伸びた葉が幾重にも重なって茎のように見えるもの)で、本物の「茎」は地下にあるのだそうです。 さて、ここでリュウちゃんの「バナナの疑問」を書いてみます(解答はネット調べして書きました)(疑問1)バナナの「房」は一房に何本の実を付けるのか?また「何層の房」になるのか?(解答)種類によっても異なりますが、一本の木に12~15房ほどが形成され、1房には15~20本のバナナがなるので、一本の木に最大で約300本のバナナがなる計算です(ヤフー知恵袋から転載)(疑問2)「バナナの花」、リュウちゃんは見たことが無いが、どんな花なのか?(解答)以下の写真は、「バナナ」のウィキペディアからお借りした「バナナの花」の写真です。実と同じように、トロピカルだ! ウィキペディアの記述によれば、「花(花序)は偽茎の先端から出て、下に向かってぶら下がる。花序は1本の果軸に複数の果房(果段)がつき、各果房には10本から20本程度の果指から成っている。大きな花弁に見えるのは苞葉で、果指の部分が本当のバナナの花である。果指一つ一つが一本のバナナに成長し果房がバナナの房となる。なお、開花は一本の偽茎につき一回のみで開花後は株元から吸芽を出して枯れてしまう」のだそうです。う~ん、専門用語が多すぎて、植物音痴のリュウちゃんには難し過ぎる!(疑問3)バナナには果実の中に「種」がない、何故なのか?本当に種が無いとすると、どうやって「木」を増やすのか?(解答)元々、バナナの果実には小さい種がありました(現在でも一部の原種には種があります)元々、種があったバナナに種が無くなったのは「突然変異」によるものです。突然変異によって生まれた「種なしバナナ」は遺伝子の染色体が3本づつある「3倍体」です(「種のあるバナナ」は2倍体です)3倍体の植物の果実は種が出来難いか出来ないのです。広く食用に栽培するためには「種なしバナナ」のようが消費者に好まれるため、現在流通しているバナナは全て「種なしバナナ」になったのです。それでは「種なしバナナ」はどのようにして木を増やすかといいますと、茎(偽茎)の根元から出てくる「芽」を「苗」として育成し、木を増やしていきます。フ~!バナナの蘊蓄に手間取ってしまいました。先を急ぎます。<トックリヤシ>マスカレン諸島原産のヤシ科の植物です。<グズマニア・ディシティフローラ>中南米原産のパイナップル科の植物です。<バウヒニァ・プルプレァ(ムラサキモクワンジュ)>原産地は東南アジア、マメ科の植物です。 <パロボラッチョ(酔っ払いの木)>原産地は南アメリカ中南部、アオイ科の落葉高木です。日本では「トックリキワタ」と呼ばれています。パロボラッチョはスペイン語で「酔っ払いの木」の意味です。 「トックリキワタ」は別名「南米桜」と呼ばれ、10~12月にピンク色の花を咲かせます。(トックリキワタの花1)(トックリキワタの花2)「トックリキワタ」は、花を咲かせた後、長さ10センチほどのアボガドのような楕円形の実を付けます。(トックリキワタの実)「トックリキワタ」は漢字で書くと「徳利木綿」、その名のように実が熟すると「カポック綿」という「綿」を出します。(トックリキワタのの「綿」)う~ん、面白い植物だ!えっ?何故「トックリキワタ」が酔っ払いの木なのかですって?多分、ビア樽のように膨らんだ胴体からの連想なのでしょうね。呑兵衛のリュウちゃん「同病相哀れむ」なのです(苦笑)<シロバナソシンカ>原産地は中国南部、ミャンマー、インド、マメ科の落葉高木です。<カエンボク> 西アフリカ原産の常緑高木、ノウゼンカズラ科の花木です。「ジャカランダ」、「ホウオウボク」と合わせ、「世界三大花木」と呼ばれているようです。(ジャカランダの大木) (ホウオウボクの花)<カッシア・ディディモボトリア>原産地は熱帯アフリカ、マメ科の植物です。別名「ポップコーンの木」、葉をこするとポップコーンの香りがするそうです。 <トリプラリス・クミンギアナ>原産地はパナマ~ペルー北部、タデ科の植物です。<クレドデンドルム・クァドリロクラレ>フィリピン原産、クマツヅラ科の植物です。京都の「観覧温室」でも咲いていた華麗な花です。<アラビアコーヒー>やっとまたポピュラーな植物が出て来ました(苦笑)原産地はエチオピア、キク類・リンドウ目・アカネ科・コーヒーノキ属の被子植物なのだそうです。コーヒーが菊の仲間だとは!コーヒーが竜胆(リンドウ)の仲間だとは!ちょっとビックリですね。コーヒーの実から飲料のコーヒーを作るためには、果実から果肉と種子の外皮を取り除いた「豆」の状態にして消費地に輸出、消費内では、この「豆」を焙煎して飲物のコーヒーにするのだそうです。 以下はネットからお借りした「コーヒーの花」です。真っ白な可憐な花ですね。(コーヒーの花)<キバナイペー(コガネノウゼン)>原産地はアメリカのフロリダ州及びブラジル、ノウゼンカヅラ科の華麗な花です。<パッシフローラ・ミニァ>トケイソウ科の華麗な花です。<コエビソウ>原産地はメキシコ、キツネノマゴ科の植物です。<ブラジルディゴ>原産地はブラジル南部、マメ科ディゴ属の落葉小高木です。ディゴ属の「ディゴ」は沖縄県の「県花」として有名ですね。(ディゴの花) 日本のロックバンド「ザ・ブーム」が1992年に発表した「島唄」の1番の歌詞は以下のように始まります。♪~ディゴの花が咲き風を呼び 嵐が来た~♪(「島唄」~THE BOOMライブ」)↑(ここをクリック) 「島唄」を作詞作曲した「ザ・ブーム」のリーダー、宮沢和史(かずふみ)さん、てっきり沖縄県の出身だと思っていましたが、山梨県出身だったのですね。ちょっとビックリしたリュウちゃんなのでした。(以下、「真冬のトロピカル(5)~「咲くやこの花館」に咲く花(3)」に続きます)
2019年03月13日
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日本最大の温室「咲くやこの花館」館内は正に真冬のオアシスだ!2月下旬のある日、女房殿と2人で「咲くやこの花館」に行って来ました。 「咲くやこの花館」は平成2年に開催された「国際花と緑の博覧会」(通称<花博>)の、大阪市のパビリオンとして設立され、現在は京都府立植物園の「観覧温室」と並ぶ「日本最大級の温室」として多くのファンを集めています。京都の「観覧温室」の延べ床床面積は4700平方メートル、「咲くやこの花館」の延べ床面積は6900平方メートル延べ床面積だけの比較では、「咲くやこの花館」が日本一の温室なのだ!下の写真は「咲くやこの花館」の外観です。京都の「観覧温室」とよく似ている! 下の写真は館内に掲示されていた「案内マップ」です。上の写真、ちょっと見にくいので、以下に「咲くやこの花館公式ホームページ」をリンクしておきます。このホームページの中に「植物MAP」というコーナーがあり、このコーナーには、順に「熱帯雨林植物室」、「熱帯花木室」、「乾燥植物室」、「高山植物室」、「外部庭園」の5つのコーナーが図示されていまして、コーナーの代表的な植物の写真が掲載されています。 時間が許せば、以下のリンクも覗いてみて下さいね。「咲くやこの花館」HP←ここをクリック 館内の中央には広大な「フラワーホール」があり、観覧の順路は、このフラワーホールの周囲を一周するように作られています。(フラワーホール) それでは京都の「観覧温室」のブログと同じように、観た花や草木を順に紹介していきます。<デンドロキルム・コッビァヌム(別名ライスキッド)>「熱帯雨林植物室」の入り口で料亭の「縄のれん」のように出迎えてくれる花です。一見、「藤の花」のように見えますが「ラン(欄)」の一種なのです。<フィロデンドロン・ギガンテウム>写真左側の大きな葉の植物です。原産地は西インド諸島、サトイモ科の常緑多年草です。宮崎アニメ「となりのトトロ」に出て来た植物なのだそうです。<バンダ(別名:翡翠花)>大きな紫色の花を付けるランの一種です。原産地は熱帯アジア、着生種(土壌に根を下ろさず、他の木の上や岩盤にを張る植物)です。約25000種ある「ラン」の内、70%が着生種なのだそうです。このラン、花菖蒲に似ている!いずれアヤメかカキツバタかバンダか???<シンビディウム・インシグネ>原産地は東南アジアの高地、シンビディウムの「交配親」として重要なランの原種のようです。<シンビディウム・インシグネ・セイデンファデニー「ロザ」>上記「シンビディウム・インシグネ」の交配種の一つのようです。<コブラオーキッド>南アフリカ原産、コブラの頭部のように見える細長い茶色の部分は花ではなく、「花茎」なのだそうです。「花」はこの「花茎」の中央部を縦に走る「ボツボツの突起部分」なのだそうです。これは奇妙なランだ!以下に名前の確認出来なかったランの写真を2つ貼り付けます。「ラン」の花にお詳しい方、名前が判りましたらコメントして下さいね。お待ちしています。 <水生植物室(ロータス・ガーデン)>「熱帯雨林室」の一角に独立した「ロータス・ガーデン」がありました。このコーナーは非常に充実していて、多数の水生植物(殆どスイレン)を見ることが出来ました。以下に名前を確認出来た水生植物を紹介致します。(紹介する前に、以下に出てきます用語を整理します)★ロータス→「ハス」の英語名、ギリシャ語由来の言葉で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」を指す言葉だったようです。「ハス」はヤマモガシ目、ハス科、ハス属、ハス種の水生植物だそうです。★ニンファエア→スイレン属の学名です、「スイレン」はスイレン目、スイレン科、スイレン属の水生植物です。 ★ハスとスイレンの違い→ハスは水面の上にう花を咲かせますが、スイレンは水面に花を咲かせます。見た目はよく似ていますが、分類上は全く系統の違う植物のようです。<ニンファエア・レッドフレア>「赤い炎」のスイレンです。夜咲く花のようですが午後にも咲いていました。<ニンファエア・アンタレス>やはり赤いスイレンです。<ニンファエア・ミ久ランタ(アルバ)>原産は中央アフリカ諸国、日本唯一のスイレンの原種「ヒツジグサ」によく似ていますね。 <ニンファエア・ブルズアイ><ニンファエア・イミュタビリス(ディープブルー)>原産地はオーストラリア、白い花びらの先端が淡いブルーの美しいスイレンですね。<ニンファエア・マリアンストロウン><ニンファエア・ジャックウッド><ニンファエア・ブルーアスター><ニンファエア・ヨックアイサム>タイで作出された園芸種、花弁の先端が淡いブルーの繊細なスイレンですね。 <ニンファエア・トロピックサンセット>淡いピンクの花びらが熱帯のサンセット(日没)のように美しいですね。 <ニンファエア・紫式部>やはり花びらの先端が淡いブルーの美しいスイレンですね。「紫式部」というう名前なので、日本で作出されたスイレンなのかな?<オオオニバス>やっと有名な水生植物が出て来ました! オオニバスはアマゾン川原産、水生植物中、最大の「浮葉」を持っていて、その浮葉の上で人間が乗れることで非常に有名になりました。「浮葉」の最大のものは直径3mにもなるのだそうです。「オオオニバス」という名前から「ハス科」の植物だと思ってしまいますが、れっきとした「スイレン科」の植物なのです! 皆様、「オオオニバスの花」を見たことがありますか?かく言うリュウちゃんも、これまで「オオオニバスの花」は見たことがありません。といいますか、このブログを書き始める直前まで、「オオニバスの花」があることを全然知りませんでした。「オオニバス」もスイレンの一種だから、当然、「花」はある筈だ!どんな花なのだろう?浮葉の内側に咲くのだろうか?、それとも外側か?何時咲くのだろうか?という疑問が一気に沸いてきました。それで「オオニバス」のウィキペディアを調べましたところ、以下のようなことが判りました。(1)「オオニバスの花」は直径20~40cm(花も巨大なのだ!)(2)夕方に開花、朝になると花を閉じる(まるで月下美人だ!)(3)「オオニバスの花」の寿命は僅か2日、1日目は香りのある白い花を咲かせ、2日目は香りの殆どないピンクの花に変身する(正に「花の命は短くて」なのだ!)(4)花は浮葉の横の水面に咲く(葉の上に咲くのではないのだ!あたりまえか)以下、ネットからお借りしました「オオニバスの花」のイラスト及び写真を何枚か貼り付けます。<イギリスの植物画家Walter Hood Fitchによる1851年のイラスト>アマゾン河の月明りの下で咲くオオオニバスの幻想的な光景を夢想するリュウちゃんなのでした。(以下、「真冬のトロピカル(4)~「咲くやこの花館」に咲く花(2)」に続きます)
2019年03月06日
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「世界最大の花」ラフレシアが真冬の京都に咲いていた!?2月初旬、久々に京都府立植物園に行ってきました。今回の植物園訪問の目的は、これまで一度も入場したことのない「観覧温室」に入ることです。 花の少ない真冬にいっぱい花を見られるのは温室だ!午前10時過ぎ、「北山門」から植物園に入場、いつも、いっぱいの季節の花が出迎えてくれる入り口も冬は閑散としています。上の写真の右手の径を辿りますと椿園、梅林があり、梅林を抜けると、目的の「観覧温室」があります。 椿園の周辺では、あちらこちらに山茶花が咲いていました。椿園には、250種600本の椿が植えられています。椿の見頃は3月ですので、まだ殆ど開花していませんでした。 以下に、開花していた「椿の花」を幾つかアップします。まだ小さい花ばかり、ちょっと淋しい。<蓬莱><白角の倉><菊冬至><紅侘助>椿園に曲がる入り口のところに「スノードロップ」の群生しているところがあります。真冬に咲く可憐で清楚なスノードロップ正に植物園の冬のオアシスだ!<観覧温室>スノードロップの咲いているところからまっすぐに進んだところに、今回の目的の「観覧温室」があります。この「観覧温室」は、★延べ床面積:4700平方m、★高さ:約15m、★展示植物:約4600種、25000本、 京都府立植物園の「観覧温室」、日本最大級の温室なのだ!この「観覧温室」は以下の7つのゾーンに分かれています。入場者は以下の順に熱帯植物を鑑賞する事になります。(1) ジャングル室:色鮮やかな熱帯花木や、ヘルコニァ、ヤシ類などが生い茂り、熱帯、亜熱帯の植物を体験できる。(2) 有用作物室:生活に関係の深いバナナ、パパイア、マンゴーなどの熱帯果樹の他、コーヒー、カカオなどを展示、(3) 冷房室:夏は冷房、冬は暖房を行い、低温性ランや高山性の食中植物を展示、(4) 砂漠サバンナ室:「サボテン」「奇想天外」、「バオバブ」、「金鯱」などの乾燥地帯の植物を展示(5) 昼夜逆転室~ナイトフラワーガーデン:昼に夜の空間を作り出し、「月下美人」、「月見草」、「ヨルガオ」などの「夜咲く花」を展示(6) 高山植物室:高温時には冷房を行い、世界や日本の高山植物、京都の希少植物などを展示(7) ラン・アナナス室:グリーン・インテリアとして注目されているアナナス類を岩山、疑木などを活用して展示、また、世界のランを原生地別に展示。さて、「ジャングル室」ゾーンから順番に咲いている花を見て行きましょう。<ジャングル室>「観覧温室」の約半分の面積を占める「ジャングル室」、舗装された通路の周りは文字通りのジャングルです。以下、「ジャングル室」で撮った花を順番に紹介いたします。 <リュエリア・コロラタ>和名は「火焔花」、南米、ペルー、エクアドル原産の花です。 <リュエリア・マクロフィラ>メキシコ原産の花だそうです。 <アカサンゴバナ>南米原産の花のようです。温室のプレートには、「ガイアナ(南米の小国)原産」と書かれていました。 <ケコンロンカ(毛崑崙花)> 中国の長江以南に分布する常緑低木です。ちょっといアジサイに似ていますね。<ベニヒモノキ>西インド諸島原産の常緑低木です。 <ニンファエア・イミュタビリス>オーストラリア原産の熱帯睡蓮です。 このややこしい名前、舌を噛みそうだ(苦笑)<クレドレンドルム・クアドリロクラレ>フィリピン原産のシソ科の花なのだそうです。英名「fireworks(花火)」から、「冬花火」とも呼ばれているようです。この花の名前、何回聞いても覚えられない!<トーチジンジャー(ピンクフラワー)>東南アジア原産の「ショウガ科」の花です。フラダンスのレイ(花の首飾り)の素材としても使われる花のようです。 上記リュウちゃんが撮影した写真のトーチジンジャーは、まだ開花する前の花のようですが、以下にネットからお借りした「開花したトーチジンジャー」の写真を貼り付けます。開花したトーチジンジャー正にトロピカル!<オオベニゴウカン(白色)> 南米ボリビア原産、漢字で書くと「大紅合歓」(大きな赤い合歓の木)です。こちらは白い花です。見た目から「ホワイトパウダーパフ」とも呼ばれているようです。<オオベニゴウカン(赤色)>こちらは名前の通り、紅い花です。 オオベニゴウカンちょっとゴカン(語感)は良くないが、やはりトロピカルな花だ!<アンスリウム>熱帯アメリカ、西インド諸島原産、和名はオオベニウチワ(大紅団扇)、花に見える部分は「苞葉(ほうよう)」といいまして、「葉」の変化したものなのだそうです。 フー!やっと11種類の熱帯の花を紹介できました。あと20種くらいの熱帯植物を撮ったのですが、その紹介は次回に回します。えっ?冒頭の「ラフレシア」は何処に咲いていたかですって?それは次回のお楽しみとさせて頂きます。(以下、「真冬のトロピカル~京都府立植物園観覧温室の熱帯植物たち(下)」に続きます)
2019年02月20日
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始点・藤の木古墳。終点・法起寺、奈良・「斑鳩コスモス街道」巡り、今年も決行(始点:藤の木古墳のコスモス)(終点:法起寺三重塔付近のコスモス)11月2日(金)、通称「斑鳩コスモス街道」巡りに行ってきました。「斑鳩コスモス街道」といいましても、この名称はリュウちゃんが勝手に付けた名称なので一般的に知られた名称ではありません。が、この名称が一般化することをリュウちゃんは望んでいるのです。午後3時、自宅を出発、約10分で始点の藤の木古墳に到着、わあ、藤の木古墳の周り一面コスモスなのだ!ここで「斑鳩コスモス街道」のコースを紹介させて頂きます。下記の「斑鳩の里案内マップ」をご覧下さい。上記マップで、「斑鳩コスモス街道」は以下です。 (1) 藤の木古墳(2) 斑鳩文化財センター周辺の業平道(上図に記載なし)(3) 法隆寺参道横(4) 斑鳩神社裏(5) 斑鳩神社から法輪寺に至る小道(6) 法輪寺周辺(7) 「岡の原」(聖徳太子の皇子、山背大兄王の墓所があるとされる小山)周辺(8) 法起寺周辺、尚、「法隆寺」には五重塔、「法輪寺」、「法起寺」には三重塔があり、この3つの塔を総称して「斑鳩三塔」といいます。法隆寺観光では、「斑鳩三塔巡り」が人気のコースなのです。参考のために、以下にもう一つマップを貼り付けます(こちらのマップでは、最初のマップに記載されていなかった斑鳩神社が記載されています)(2)業平道のコスモスここのコスモスの撮影場所、リュウちゃんの家から徒歩3分なのだ!前方に法隆寺参道の松並木が見えて来ました。(3)法隆寺参道横のコスモスここのコスモスはちょっと「ささやか」なのです。「南大門」から法隆寺境内に入ります。残念ながら、法隆寺の境内には一輪のコスモスも咲いていないのです。(4)斑鳩神社裏のコスモス法隆寺境内を抜けて斑鳩神社に向かいます。下の写真は斑鳩神社です、「斑鳩神社」は、平安時代の938年、菅原道真公の後裔だった当時の法隆寺別当、湛照(たんしょう)僧都によって創建されたと伝えられる道真公を祀る小さい神社です。 下の写真の上部の「杜(もり)」が斑鳩神社の裏側になります。ここは「斑鳩コスモス街道」の中間点なのだ!(5)斑鳩神社から法輪寺に至る小道のコスモス斑鳩神社から法輪寺に向かいます。 上の写真を撮った場所から、法輪寺が見えてきます。この辺りの小道の傍には、以前はもっと背の高いコスモスがいっぱい咲いていたのですが、昨年あたりから背の高いコスモスの姿は見られなくなりました。でも、柿の木やホウキグサなどとコスモスのコラボが素敵な場所なのだ!(6)法輪寺周辺のコスモス下の写真は「法輪寺三重塔」です。この前にもコスモススポットがあります。(7)「岡の原」周辺のコスモス法輪寺から法起寺に向かいます。この道の右手に、「岡の原」という小山があります(上記「斑鳩三塔マップ」では、「法輪寺」の右下の円形で描かれた緑の森が「岡の原」です)(岡の原)この辺りのコスモスは花は小さいのですが、ススキとのコラボが素敵でしたよ。<山背大兄王(やましろのおおえのおう)の墓所>「岡の原」の上に、「富郷陵墓地」(とみさとりょうぼち)と呼ばれる直径20mほどの円墳があります。この円墳が聖徳太子の皇子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)の墓所だと伝えられています。山背大兄王は、聖徳太子の没後、蘇我入鹿に攻められ、斑鳩寺(当時の法隆寺)に籠りますが、ここで一族諸共自害して果て、ここに聖徳太子の血統は断絶してしまうのです(643年)その蘇我入鹿も、聖徳太子一族を滅ぼした2年後の645年に「乙巳(いっし)の変」により暗殺され、ここに蘇我氏本宗家は滅亡してしまうのです。正に盛者必衰・諸行無常ですね。(「唐本魚影」、向かって右側が山背大兄王だと云われている)(8)法起寺周辺のコスモスもう夕暮れ時です。前方に法起寺三重塔(国宝)が見えて来ました。法起寺周辺のコスモスは斑鳩町の秋の観光ポスターに採用され、斑鳩の里の秋を代表する観光スポットです。 実は、ここで夕焼けの写真を撮りたいと思ったのですが、今回は夕焼けを見ることが出来ませんでした(残念!)全体に暗い写真になってしまいましたが、以下の「法起寺周辺のコスモス」をお楽しみ頂ければ幸いなのです。来年こそは「夕焼けに映える法起寺のコスモス」の写真を撮るぞ!法起寺のコスモス畑にハロウィンの大型犬登場!この犬の群れ、何だ何だ何だ何~~~~~んだ????でも、可愛いワンちゃんに癒されたリュウちゃんなのでした。
2018年11月17日
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京都府・亀岡市の「夢コスモス園」800万本のコスモスで秋爛漫10月22日、初めて京都府・亀岡市にある「夢コスモス園」に行って来ました。奈良のコスモスの名所は大体踏破した。近畿地方No1のコスモスの名所は何処なのだろう?と思ってネットの「近畿地方のコスモスの名所」というサイトを調べましたところ、花の数が一番多いのが、この「夢コスモス園」だったのです。<「夢コスモス園」概要>◎開園:平成10年、今年で開園満20年、◎面積:約4,5ヘクタール(約r45000平方メートル)◎株数:約800万本、奈良で一番大きなコスモスの名所は藤原宮跡、ここの株数は約300万本、「夢コスモス園」のコスモスの本数は、藤原宮跡の2,7倍!間違いなく近畿随一のコスモス園だ!? 例に寄りまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前8時過ぎに法隆寺を出発、午前10時30分、JR亀岡駅到着。JR亀岡駅から「夢コスモス園」までは市バスで約10分、歩いて行こうかと思ったのですが、初めての場所で方向音痴のリュウちゃん、歩くと必ず道に迷ってしまう。バスで行ったほうが確実だし無難だ。午前11時少し前、コスモス園の傍のバス停で下車、バス停のすぐ近くにあった入場口(後で判ったのですが、この入場口は「裏口」でした)うわ~、眼前全てコスモスだ! 広大なコスモス園を暫し散策、 園内では、「創作かかしコンテスト」が開催されていました。「ピコティ」という品種、初めて品種名が一つ判りました。単に「コスモス」ではなく、れっきとした品種名があるのだ! <チョコレートコスモス>地植えのものはありませんでしたが、鉢植えのチョコレートコスモスを見ることが出来ました。どうも販売用オンリーのようでした。1鉢900円、高いのか安いのか?長い園芸用パイプハウスが何列かありました。パイプハウスの両側に植えられていたのは、<千日紅><ラベンダー・セージ>やっと「セージ」という花の名前を覚えた! これまで、リュウちゃんの「花遍路ブログ」では、花の品種名にこだわって、出来るだけ品種名を紹介することを心掛けてきましたが、コスモスだけは、これまで品種名を紹介することが出来ませんでした。何故なら、コスモスの品種名をきちんと表示したコスモス園が無かったからです。しかし、この「夢コスモス園」には、品種名を紹介出来るコーナーがあったのです。以下、ちょっと間接的ではありますが、「夢コスモス園」のコスモスの品種名を紹介させて頂きます。<コスモスの種類>これまでリュウちゃんは、コスモスの種類としては、(1) 普通のコスモス、(2) キバナコスモス(3) チョコレートコスモスと、アバウトに3種類のコスモスしか知らなかったのですが、「夢コスモス園」の正面入り口近くに、以下のようにコスモスの種類がパネル写真で掲示されていました。以下、掲示されていた写真の写真をそのまま貼り付けます。(1)黄花コスモス・サンライズ、(2)ピコティ(3)ダブルクリック(4)サイケ(5)オータムビューティ(6)レッドベルサイユ(7)ベルサイユ(8)黄花コスモス・マンダリン(9)ハッピーリング(10)パイドパイパーレット(11)シーシェル(ホワイト)(12)シーシェル(ピンク)(13)オレンジキャンパス(14)イエローキャンパス(15)黄花コスモス・ディアボロ(16)センセーション・ダズラ(17)センセーション・ホワイト(18)センセーション・ピンキー(19)センセーション・レッド(20)ソナタ(21)チョコレートコスモスネット上にある「トリビアの花」というサイトには、以下のようにコスモスの種類が纏められていました。◎コスモスの種類は以下の3種類である。(1)オオハルシャギク(大春車菊)普通のコスモス、品種としては、「センセーション」、「ダブルダッチホワイト」、「シーシェル」、「イエローガーデン」、「ピコティ」、「オレンジキャンパス」、などがある。コスモスは秋の花なのに、正式名称が大春車菊とはこれ如何に???(2)キバナコスモス→品種としては、キバナコスモスの中では一般的な「サニーオレンジ」と「サニーイエロー」、他に日本で開発された赤いキバナコスモス「サンセット」、半八重咲きの朱色の「ディアボロ」、「フライトライト」、赤・黄・橙混合の「サニー」がある。(3)チョコレートコスモス→品種としては、普通のチョコレートコスモスである「コスモス・アトロサンギネウス」、キバナコスモスとの交配種である、深い赤色の「ノエル・ルージュ」、キャラメルのような褐色がかったオレンジ色の花を咲かせる「キャラメル・チョコレート」、花がやや大きく、春から夏は鮮やかな赤、秋は黒紅色や赤紫色の花を咲かせる「ストロベリーチョコレート」がある。ふ~、コスモスの品種名に関する蘊蓄はこれで終わります。しかし、相変わらず現物のコスモスを見て、正確に品種名を当てるのは至難の技なのだ(トホホ!)約1時間半、園内を散策、お腹が空いた、もう12時半だ。で、正面入り口を出た所にある「休憩所」で昼食プファ~、ビールが旨い!やはりコスモスは素敵だ!家に帰ってから、一つの疑問が沸いてきました。その疑問とは、「夢コスモス園」は本当に近畿随一のコスモス園なのか?という疑問です。改めてネットの「近畿地方のコスモスの名所」というサイトを再見しましたところ、「夢コスモス園」より遥かに大きなコスモス園を発見!それは、福井県福井市にある「宮ノ下コスモス広苑」その規模は以下です。(1) 面積:17,5ヘクタール(「夢コスモス園」の約4倍!)(2) 株数:約1億本!!!(「夢コスモス園」の約12倍!!!)(宮ノ下コスモス公苑)よし!生きているうちに、「宮ノ下コスモス広苑」に絶対行くぞ!!!
2018年11月05日
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晴天の明日香村に咲く彼岸花盛りはすぎれども、尚、華麗!9月28日、遅まきながら、明日香村に彼岸花を観に行ってきました。本来なら、彼岸花の見頃の秋分の日(今年は9月24日)前後に行きたかったのですが、連日の「秋の長雨」のため、行くチャンスがありませんでした。やっと9月28日に「一日だけの晴天」になりましたので、出掛けてみたという次第です。彼岸花は終わっていても、晴天の明日香村ハイキングは魅力的なのだ!以下は明日香村のハイキングマップです。以下は本日のハイキングの事前の行程予定です(上のハイキングマップを参考にしながら読んでくださいね)近鉄吉野線「壺阪山駅」(スタート地点)~キトラ古墳~於美阿志神社(檜隈寺跡)~文武天皇陵・高松塚古墳~欽明天皇陵・吉備姫王墓~鬼の雪隠~天武・持統天皇陵~亀石~橘寺~石舞台古墳~稲渕地区~飛鳥寺~蘇我入鹿首塚~甘樫の丘~藤原宮跡~本薬師寺跡~近鉄京都線「畝傍御陵前」駅(ゴール地点)多分、全長20キロメートルほどの行程、う~ん、ちょっと欲張りな行程かな?例に寄りまして、奥方お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、朝7時半少し過ぎに家を出ました。スタート地点の「壺阪山駅」に着いたのが午前9時40分、乗り換えに手間取り、法隆寺から2時間も掛ってしまった!近鉄「壺阪山駅」は明日香村の隣町の「高取町」にあるのですが、駅から500mほど歩くと、明日香村に入ります。明日香村の入り口近くの小山の上に、「秋の雲」が悠々と泳いでいました。「秋の雲」を撮った辺りの道端に、彼岸花が咲いていました。う~ん、ちょっと終わりかけだ。前方に「キトラ古墳」が見えてきました。古墳の周辺には、彼岸花は全くさいていませんでした。「キトラ古墳」の出土物を展示する「四神の館」です。今回はハイキングが目的なので、「四神kの館」には入場せず、先を急ぎました。リュウちゃんが何故、今回のハイキングのスタート地点を「キトラ古墳」にしたのかといいますと、歴史公園として整備が進んでいるキトラ古墳の周辺は明日香村屈指の彼岸花の名所だからなのです。しかし、今年も、ここでは「盛りの彼岸花」は見ることが出来ませんでした(残念!)<キトラ古墳~於美阿志神社(檜隈寺跡)>途上には点々と彼岸花が咲いていました。★竹と彼岸花★柿と彼岸花★途上から葛城山と金剛山が見られました。画面右側が葛城山(標高959m)、左側が金剛山(標高1125m)です。<於美阿志神社(檜隈寺跡)>昨年までのハイキングでは、ここは通り過ぎていたのですが、今回はちょっと立ち寄ってみました。神社の周辺には、キバナコスモスや彼岸花が咲いていました。尚、於美阿志神社は「おみあしじんじゃ」と読みます。この表記は「万葉仮名」ですね。<檜隈寺(ひのくまでら)>7世紀後半、中国からの渡来氏族である東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺として建立されたとされる幻の寺院です。東漢氏の子孫として有名な人物としましては、平安時代初期に征夷大将軍として、東北地方のアテルイを征伐した坂上田村麻呂がいます。<文武天皇陵>文武天皇は第42代天皇です(在位:697年~707年)、祖母である第41代・持統天皇より譲位され、僅か14歳という先例のない若さで即位し、24歳で没しました。文武天皇の治世に「大宝律令」が公布され、その中で日本の国号を「倭(やまと)」から「日本(やまと)」と、表記を変更したようです。ブログ友の「踊るひつじ」さん、また文武天皇陵に来て下さいね!<高松塚古墳>文武天皇陵の裏手に「高松塚古墳」があります。ここは以前はリュウちゃんの明日香村ハイキングの終着点だったのですが、数年前に初めてr」キトラ古墳まで足を延ばして以来、「終着点ではなく通過点」になったのです。古墳の近くに「高松塚壁画館」があります。昨年、修復された「飛鳥美人」の壁画(国宝)が展示されている筈ですが、今日のハイキングの目的と外れますので、入館はパスしました(ちょっと残念!)なので、以下にネットからお借りした「修復された飛鳥美人」の壁画を貼り付けます。壁画館の横手に「白い彼岸花」の咲いているスポットがあります。今年も白い彼岸花を見ることが出来た!しかし、段々花の数は減ってきているようだ。高松塚古墳から近鉄「飛鳥駅」に行く道沿いに、やっと「盛りの彼岸花」を発見!キトラ古墳周辺の「枯れる寸前の彼岸花」と違い、ここの彼岸花はまだ「盛り」なのだ!彼岸花の蜜を吸うアゲハチョウ、動体視力の弱いリュウちゃん、花と蝶のコラボ写真、初めて撮った!<欽明天皇陵周辺>下の写真は「欽明天皇陵」の前の畑の土手に咲く彼岸花です。この辺りは明日香村屈指の彼岸花スポットなのだ!「欽明天皇陵」の傍の道端にある「糸杉」(?)この木、ゴッホの絵の糸杉によく似ている!(ゴッホ「二本の糸杉」)<天武・持統天皇陵の下の蕎麦畑>ここも、いつも通る定番の場所です。明日香村唯一(?)の蕎麦畑、柿の木とコスモス、蕎麦の花のコラボが美しい!今年も「亀石」の下に彼岸花が咲いていた!<「橘寺」周辺>「亀石」を通り過ぎると、前方右に「橘寺が見えてきます。「橘寺」は聖徳太子建立七大寺の一つで、聖徳太子生誕の地とされている古刹です。この辺りも彼岸花スポットです。もう時期が過ぎたので、一部は刈り取られていました。午後1時半、やっと「石舞台古墳」前の休憩所に到着、到着予定時間よりも1時間も遅れてしまった!足はクタクタ、お腹が空いた。休憩所のベンチで遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!ハイキングの疲れが吹っ飛ぶ!昼食を摂っている時に、人懐っこい黒猫がリュウちゃんの足下にスリ寄ってきました。お腹が空いていそうなので、リュウちゃんのおにぎり弁当の中から、「おかか」(鰹節のおにぎり)を食べさせてやりました。で、昼食を摂っている間じゅう、リュウちゃんの横でまったりと寛いでいたのです。この黒猫ちゃん、「クロタン3号」と勝手に命名したのでした。(以下、「明日香村・彼岸花散策2018(後編)」に続きます)
2018年10月07日
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薬師寺の食堂(じきどう)と大講堂、間の参道に咲く数百鉢のハスの花、ここは正に極楽浄土!(前回のブログの続きです)午前10時、「双頭蓮」の咲く喜光寺を出発、次の目的地である「唐招提寺」に向かいました。喜光寺から唐招提寺まではだいたい徒歩20分くらいです。下の写真は唐招提寺に向かう道の脇に建つ道標、(左)垂仁天皇陵、(右)安康天皇陵垂仁天皇陵はお馴染みだが、安康天皇陵がこの近くにあったことは知らなかった!家に帰ってから、奈良市にある天皇陵について調べてみました。★開化天皇(第9代、油坂町)、★垂仁天皇(第13代、山稜町)★安康天皇(第20代、宝来4丁目)、★元明天皇(第43代、奈良坂町)、★元正天皇(第44代、奈良坂町)、★聖武天皇(第45代、法蓮町)、★称徳天皇(第48代、山稜町)、★光仁天皇(第49代、日笠町)、★平城天皇(第51代、佐紀町)、奈良市内には天皇陵が9つもある!さすが「まほろばの地」道標から徒歩数分で、垂仁天皇陵が見えてきます。あれ?陵の後方に白い鳥が群れている、この鳥、「サギ」なのかな?垂仁天皇陵から徒歩10分弱で唐招提寺に至ります。以下に唐招提寺の伽藍図を2種類アップします。<伽藍図1><伽藍図2>唐招提寺は喜光寺や薬師寺と違い、<伽藍図1>のように非常に緑の樹木や花の多い寺で、平地に建立された古刹であるにも関わらず。山寺のように「緑の樹木に覆われた寺」なのです。唐招提寺のハスは以下の5か所に咲いています。以下、その5か所で撮ったハスの写真をアップしてみます。(1) 南大門右手の「休憩所」裏(2) <伽藍図2>の中央上の「地蔵堂」の境内(3) <伽藍図2>の左側の「戒壇」の前の地植えのハス→残念ながら、全く開花していませんでした(残念!)(4) 「戒壇」下の空き地→ここのハスは品種名が記された鉢植えで、さながら「品種園」なのですが、残念ながら開花は数輪のみでした(またまた残念!)(5) 「金堂」前の鉢植えのハス「唐招提寺金堂」とハスの花のコラボ、なかなか素晴らしい!<伽藍図1>の右上に唐招提寺の開祖者である「鑑真和上御廟」があります。リュウちゃん、唐招提寺にはよく行くのですが、今回、初めて「鑑真和上御廟」に立ち寄ってみました。下の写真は「御廟」の門の外から撮ったものです。参道の右手には、見事な「苔の絨毯」が観られます。小さい橋を渡った前方に鑑真(がんじん)の墓所が築かれています。墓所の横手に「天平の甍」の石碑が建てられていました。「天平の甍(てんぴょうのいらか)」は、昭和32年に刊行された井上靖の小説で、昭和55年に熊井啓監督によって映画化されました(下は映画のポスターです)リュウちゃん、この小説は学生時代に読んだのですが、当時、感激した記憶が残っています。この小説の主人公は第9次遣唐使として唐に渡った奈良時代の日本の僧・普照(ふしょう)、普照は天平5年(733年)に入唐、唐に滞在10年目(天平15年、743年)に鑑真に巡り合い、、日本への渡来を要請、以後、4回に渡り日本渡航を試みるも悉く失敗します(第4回目の渡航を試みた際、鑑真は疲労のため、両眼を失明したのです)鑑真の来日が成功したのは、天平勝宝5年(754年)、普照が入唐してから21年目、、鑑真が日本渡来を初めて試みてから、何と、11年目のことでした。鑑真は来日してから5年目の天平宝字3年(759年)に唐招提寺を創建し開祖になりました。鑑真と共に帰国を果たした普照は東大寺に住し、その後、唐招提寺の近くにある西大寺の高僧として生涯を終えたようです。井上靖の「天平の甍」によって鑑真は日本に渡来した大陸の高僧の中では、一番ポピュラーな存在となり、現在でもこの「御廟」を訪れる人は少なくないようです。もう午前11時だ!急がないと薬師寺のハスは閉じてしまう!唐招提寺を午前11時に出発、今日の最終目的地である薬師寺に向かいました。唐招提寺から薬師寺までは徒歩約10分、午前11時10分に薬師寺の南側の境内に入りました。<薬師寺南側伽藍図>薬師寺のハスは、今年は冒頭の写真のように、「食堂(じきどう)」と「大講堂」の間の広い通路に200鉢位咲いていました。冒頭の写真の右側が食堂、左側が大講堂です。「薬師寺」は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願で飛鳥の「藤原京」に建立されましたが、都が平城京に遷都した後、8世紀の初頭に現在の「西の京」に移転しました。その後、戦禍や火災で、創建当時の伽藍は、国宝の「東塔」のみとなってしまい、他の伽藍は殆ど近代になってから再建されたようです。ハスの花を挟む右側の食堂は、2017年再建、左側の大講堂は2003年の再建、21世紀に再建された両伽藍、新しい朱塗りの建物とハスの花のコラボが美しい!下の写真は1981年に再建された「薬師寺西塔」です。奈良時代から唯一残っていて、明治時代に「凍れる音楽」と称された国宝の「薬師寺東塔」は?残念ながら大修理中で、完成は東京オリンピックの行われる一か月前になるようです。早く東西の塔が観たい!もう正午、お腹が空いた。近鉄「西の京」駅から奈良駅に行き、東向き商店街にある行きつけの割烹店で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!頭の中は極楽浄土だ(苦笑)
2018年07月23日
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蓮の1本の茎に2つの花を付ける「双頭蓮(そうとうれん)」100年に一度の吉兆花、喜光寺で開花!6月25日の夕方のテレビのローカルニュースで、「奈良の蓮の寺として知られる喜光寺で、100年に一度しか咲かないと云われる双頭蓮が咲きました」と伝えられました。双頭蓮、初めて聞く言葉だ、はて???以下、ネットで調べた「双頭蓮」について書いてみます。「双頭蓮(そうとうれん)」とは、冒頭の写真のように、1本の茎に2つの花を付けるハスの花のことです。仏教の教えに「1茎1花」とありますように、通常は1本に茎に1つの花しか付けないハスの花ですが、2万分の1位の確率で1本の茎に2つの花を付けるのが「双頭蓮」です。これは突然変異で、ハスの花の種類には関係がないようです。中国では「吉祥のハス」として大変珍重され、喜ばれるようです。(付録)「並てい蓮」(へいていれん)「双頭蓮」とは逆に、1つの花に2つの花托があるハスの花です。こちらは「「双頭蓮」より珍しい突然変異で、約10万分の1位の確率で発生するようです。<上越市高田公園の「並てい蓮」>この写真は「上越タウンジャーナル」からお借りしました。6月25日の夕方のテレビのローカルニュースでは、喜光寺の住職が「双頭蓮の花の命はあと2、3日です」と話されていました。あと僅か2、3日の花の命!よし、26日の朝に喜光寺に行って見よう!午前7時30分、法隆寺を出発、午前8時30分、喜光寺の最寄り駅の近鉄京都線「尼ヶ辻」駅に到着、駅から徒歩15分で喜光寺に到着、下の写真は「喜光寺」の全景です。<喜光寺>養老5年(721年)、行基菩薩により創建、古くは「菅原寺」と呼ばれていましたが、天平20年(748年)、聖武天皇が当寺に参詣した際、ご本尊より不思議な光明が放たれ、それを喜ばれた聖武天皇より「喜光寺」という寺号を賜ったのだそうです。行基菩薩は東大寺造営にあたり、「喜光寺」の本堂を参考にされたことから、喜光寺は「試みの大仏殿」とも呼ばれています。仏教にゆかりの深いハスの花は、平成7年(1995年)から境内で育てられるようになり、現在では80種250鉢が整然と鉢植えにされています。お目当ての「双頭蓮」の前はテレビの取材クルーと見物客で賑わっていました。100年に一度しか咲かない双頭蓮、さすが!以下は喜光寺の境内に咲く「ハスの花」です。仏教ゆかりのハスの花、古刹がよく似合う!本堂の裏手に、「弁天堂」があります(下の写真)「弁天堂」の周りの池は、スイレンの池です。まだ開花時期尚早なのか、花があまり見られなかったのがちょっと残念でした。ここでリュウちゃんの長年の疑問、ハスとスイレンはどう違うのか?<ハス>(分類)ヤマモガシ目・ハス科・ハス属・ハス種、(日本の古名)はちす(花托の形状がハチの巣に似ているところから来た名称)(開花状態)水面よりかなり高い位置で開花する。(開花時間)早朝に開花し、昼頃に閉じる。<スイレン>(分類)スイレン目・スイレン科・スイレン属・品種多数、(日本の古名)ヒツジグサ(未草)→「未(ひつじ)の刻」(午後2時を中心とした約2時間)に開花することから来た名称のようです。(開花状態)水面スレスレに開花する。(開花時間)★「昼咲きスイレン」:朝から夕方にかけて開花、★「夜咲きスイレン」:夜から翌朝10時頃まで開花、★ヒツジグサのような例もあり、品種によってまちまちなようです。スイレンといえばフランスの画家クロード・モネ(1840~~1926)、モネは還暦に近くなってからスイレンの絵を描き始め、死の直前まで200点以上のスイレンの絵を残しました。ここでは、最初期の「睡蓮」の絵をネットからお借りして紹介させて頂きます。<クロード・モネ「睡蓮」(1897~98年)、ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵)約1時間の喜光寺散策を終え、次の目的地である「唐招提寺」に向かいました。唐招提寺と薬師寺、どんなハスが咲いているのかな?(以下、「奈良・西ノ京三寺ハス巡り(2)~「唐招提寺と薬師寺のハス」に続きます)
2018年07月12日
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長居植物園「バラ園」の「バラ図鑑」第2弾、前回のブログで、19種類の人名に因むバラをい紹介しました。まだ100種類のバラを紹介しなくてはいけない!かなり悩みましたが、これからは個々のバラに注釈を付けずに、バラの名前と写真のみを紹介させて頂きます。<長居植物園「バラ園」の「バラ図鑑」(2)>(20)「桜貝」(21)「サプライズ」(22)「ブルー・バユー」(23)「シティ・オブ・バーミンガム」(24)「ゴールドマリー84」(25)「シュネーヴィトヒエン」(26)「ルスティカーナ」(27)「ラーヴァグルート」(28)「チャールストン」(29)「マガリ」(30)「ナイト・タイム」(31)「フリージア」(32)「黄金」(33)「タイガー・テ―ル」(34)「ブラスバンド」(35)「マイン・ミュンヘン」(36)「マリーナ」(37)「ホワイト・ライトニン」(38)「シンプリシティ」(39)「リビア」(40)「サラバンド」(41)「ファビュラス!」(42)「ホワイト・アロー」(43)「ブライダル・ピンク」(44)「ガルテンツァウバー84」(45)「桜霞」(46)「フレンチレース」(47)「万葉」(48)「緑光」(49)「八千代錦」(50)「早春」フ~!これでやっと50種紹介することが出来ました。 あと残り70種、先は長いですが、ブログ更新のテンポを少し早めて、撮って来たバラを全て紹介したいと思っています。乞う、ご期待(ちょっと苦笑)
2018年06月08日
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八重桜の海の下を歩く見物客、見物客はさながら「回遊魚」だ。昨年に続き、今年も「大阪造幣局の通り抜け」の桜見物に行ってきました。今年の「通り抜け」の開催日は4月11日~4月17日の一週間、昨年と同じです。今年は桜の開花が昨年より10日位早い、昨年と同じ開催日でいいのか?昨年は終了日の1日前、4月16日に行ったのですが、まだ「蕾」の桜が多かったのです。今年は昨年より10日位早いだろうと予測して、開催日初日の4月11日の朝一番(午前10時開館)に入場しました。おお、今年は昨年と違い、満開だ!開館初日の朝一番であり、場内は上の写真のように大混雑、入場者は入り口から出口までの560mの道をひたすら直進します。桜並木の道は3列あり、全部の桜を丁寧に鑑賞するためには、3回入場する必要があるのですが、リュウちゃんは少しズルしまして、3列を縦横に歩き回り、写真を撮ったのです。2018年の通り抜けの桜データは以下です。(桜の本数):349本。(桜の種類):134種類、(今年の花):大提灯(おおじょうちん)あれ、昨年よりも本数が一本少ない???(今年の花:大提灯)昨年の「造幣局通り抜け」のブログでは、134種の桜の内、28種類の桜を紹介させて頂きました。今年も出来るだけ多くの桜を紹介すべく、いっぱい写真を撮りまくりました。以下、今回撮った桜を全て紹介させて頂きます(この日の天候は午後から雨、曇り空の下で撮りましたので、ちょっと暗い写真が多くなってしまいんました。少し残念!だったのです)(1)「東錦(あずまにしき)」(2)「普賢象(ふげんぞう)」(3)「須磨浦普賢象」(すまうらふげんぞう)」珍しい緑色の花弁を持つ八重桜、「御衣黄桜」、「鬱金桜」と共に、「緑色の桜」の三羽烏のようです。(4)「開山(かいざん)」華麗なピンクの大輪、「通り抜け」には多数の「開山」の木があり、一番目立つ八重桜でした。(5)「鬱金(うこん)」2017年(昨年)の「今年の桜」、数少ない「緑色の桜」の一つ、(6)「林二号(はやしにごう)」(7)「静香(しずか)」(8)「法明寺(ほうみょうじ)」(9)「蘭蘭(らんらん)」(10)「松月(しょうげつ)」(11)「二尊院普賢象」(12)「奥都(おくみやこ)」(13)「平野撫子(ひらのなでしこ)」(14)「楊貴妃」(15)「一葉(いちよう)」(16)「八重紅虎の尾」(17)「大手毬(おおてまり)」(18)「御衣黄(ぎょいこう)」緑色の桜のエース、江戸時代、京都の仁和寺で栽培されたのが始まりと云われています。奈良・春日大社の「萬葉植物園」にも一本植えられています。(19)「松前紅紫(まつまえべにむらさき)」いわゆる「松前系の桜」の一種、「松前系の桜」とは、北海道・松前町の「松前公園の桜守」として知られる浅利政俊氏が作出した100種余りの桜なのだそうです。20)「天の川」(21)「緋桜(ひざくら)」(22)「八重曙(やえあけぼの)」(23)「大提灯(おおじょうちん)」(今年の花)(24)「数珠掛桜(じゅずがけざくら)」(25)「六高菊(ろっこうぎく)」(26)「園里黄桜(そのざときざくら)」(27)「松前琴糸桜(まつまえこといとざくら)」(28)「伊豆最福寺枝垂」(29)「菊桜」(30)「朱雀(しゅじゃく)」(31)「糸括(いとくくり)」(32)「紅時雨(べにしぐれ)」(33)「九重(ここのえ)」(34)「雨情枝垂(うじょうしだれ)(35)「夕暮れ」(36)「林一号(はやしいちごう)」(37)「千里香(せんりこう)」(38)「幸福」(39)「簪桜(かんざしざくら)」(40)「福禄寿」(41)「奈良八重桜」 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔)百人一首の和歌で有名な八重桜です。奈良に住んでいながら、リュウちゃんも現物を観るのは、これが初めてなのです。(42)「妹背(いもせ)」(43)「春日井(かすがい)」(44)「手弱女(たおやめ)」(45)「箒桜(ほうきざくら)」(46)「鎌足桜(かまたりざくら)」(47)「御信桜(ぎょしんざくら)」(48)「花染衣(はなそめい)」(49)「白妙(しろたえ)」(50)「紅笠(べにがさ)」フ―!計50種類を紹介することが出来ました。残念!全134種類の内の50種類しかUP出来なかった!UP率37パーセント、「通り抜け」の全桜制覇は程遠いぞ、よし、来年は 100種類UPを目指そう。結局、2時間くらい通り抜けの桜の下を散策し、正午頃、通り抜けました。もうお昼、どこで昼食を摂ろうか?結局、天王寺まで戻り、行きつけの鮮魚割烹店で「寿司定食」を食べました。プファ~、ビールが旨い!今年の桜の海は深かった!
2018年05月05日
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鬱蒼とした山奥にひっそりと咲く山桜、吉野奥千本、今満開。和歌山県の紀三井寺に桜紀行した3日後の4月7日、待望の吉野の桜を観に行って来ました。平年なら吉野の桜の「見頃」は4月中旬、今年の春は高温続きとは云え、平年の見頃より一週間早い4月7日では、確実に「見頃」の筈だったのですが、、、例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前8時前に家を出発、午前10時過ぎに近鉄吉野駅到着、駅前で開花状況を聞きましたところ、前日の春の嵐で上千本まで殆ど散ってしまった、との事、アチャ~、去年と同じ「葉桜見物」だ!しゃ~ない、今年も奥千本まで行ってみよう。(因みに昨年は、4月20日に吉野に吉野に行ったのです)下の図は「吉野山観光MAP」です。上記「観光MAP」のデータを書いてみます。★近鉄吉野駅~奥千本西行庵までの距離:約6,5km、★(吉野の最低標高地点)近鉄吉野駅の標高:207m、★(吉野の最高標高地点)金峯神社の標高:756m、★標高差:549m、昨年は往路はすべてバスで行きました。バスは吉野駅から金峯神社までの直通では無く、中千本の竹林院の下で乗り継ぎをして、奥千本に行くという次第です。今年も、吉野駅から竹林院までバスで行きましたが、奥千本行きのバスに乗るためには1時間20分待ち、アチャ~、この待ち時間を使えば、歩いて金峯神社まで行ける、よし、ここから歩いて奥千本に行こう!ということで、標高412mの竹林院前から344mの標高差のある小道を歩いて登ることにしました。<吉野山・桜展示園>登り始めてすぐの所に、「吉野山・桜展示園」がありました。この辺りは、中千本と上千本の中間点なので、吉野の桜スポットなのですが、今日はすべて「葉桜」、アチャ~桜展示園から見上げた「上千本」、おお、上千本は少し桜が咲き残っている!<甘味カフェ「花錦」の八重桜>桜展示園から少し登りますと、前方左側に見事な白い八重桜が見えてきます。八重桜と云いましたが、本当に桜花なのかな?この辺りには、ミツバツツジも清楚に咲いていました。<上千本>「花錦」から更に登ると、「上千本」の桜が眼前に見えてきます。う~ん、上千本の桜はまだ散り残っている。<さくら咲競(さくら)プロジェクトの標識>ここからの眺望、吉野随一なのだ!<花矢倉展望台から吉野水分(みくまり)神社へ>「さくらプロジェクト」の標識から少し上に上りますと、「吉野全山一望」が出来るとされる「花矢倉展望台」があります。ここは実際には茶店で、そこの崖っぷちから見る眺望が「吉野一」とされる光景なのです。「桜プロジェクト」の標識からの眺望と似ている。「花矢倉展望台」から「吉野水分神社」までの短い道沿いには急に満開の桜が観られるようになって来ました。<吉野水分(みくまり)神社>吉野上千本の到達点です。ここの「しだれ桜」、まだ咲いていた!<高城山展望台>吉野水分神社から約400m登りますと、上千本と奥千本の中間点に当たります「高城山展望台」に至ります。以下は高城山の由来の看板です。ここだけでも通常であれば「桜の大名所」なのだ!<金峯(きんぷ)神社>奥千本の中心をなす「金峯神社」の鳥居前に到着しました。ここから「拝殿」まで、長い急坂を上ります。急坂の左側の崖下の桜、ここの桜は奥千本のハイライトだ!「金峯神社」の拝殿の上の桜です。この桜も風情がある!<西行庵>「拝殿」の裏の小道を更に辿ります。5分位歩きますと、修験道の道である「大峰奥駆道」が遠く熊野まで続く大峰山脈の眺望が眼前に広がります。ここは吉野の壮大な裏山だ!下の写真の右側にあるような急傾斜の山腹に作られた小道を降りて行きます。この写真からは「危険」と感じませんが、高所恐怖症のリュウちゃん、何時足を滑らせて転落してしまうのかと、ヒヤヒヤしながら「西行庵」に降りて行ったのです。午前10時40分、竹林院を徒歩で出発、「西行庵」に辿りついたのが午後1時、登り道2時間20分の「桜紀行」になりました。(西行庵)お腹が空いた!「西行庵」の前にビニールシートを敷いて遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!大峰山脈からの歴史の風が頬をよぎる。下の写真は「西行庵」の近くに建てられていた「碑」です。ありゃ、ここが奥千本なのか???ということは、金峯神社の周りの桜は「上奥千本」なのかな???
2018年04月29日
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京都府で一番大きい青谷梅林、1万本の梅の木、今、満開!3月上旬、俄かに気温が上昇、各地で急に梅が満開になりました。例年、この時期になりますと、今年は何処へ梅を観に行こうか?と悩むリュウちゃん、今年は、これまで行ったことのない梅の名所に先ず行くことに決めていました。リュウちゃんの家の比較的近くで、まだ行ったことの無い梅の名所、それは青谷(あおだに)梅林だ!<青谷梅林データ>★住所:京都府城陽市名中★梅林総面積:20ヘクタール、★梅の木の本数:約1万本、★約50軒の農家が営む生産用梅林(殆ど白梅)、★梅の実の年間生産量:約125万トン、梅の木の本数だけで比較すれば、奈良人リュウちゃんの最愛の梅スポット、「月ヶ瀬梅渓」とほぼ同じです。これは期待出来そうだ!さて、問題は公共交通によるアクセスです。青谷梅林って、どう行けばよいのだろう?ネットで調べましたところ、JR奈良線「山城青谷駅」から徒歩20分とのこと、リュウちゃんの住んでいる斑鳩町の最寄り駅、「JR法隆寺駅」から普通切符で片道500円、乗車時間約30分、これだと「月ヶ瀬梅渓」より遥かに近い、最短時間で行ける梅林なのだ!例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰めて午前8時半に家を出発、本来なら午前10時頃に梅林に到着する予定だったのですが、方向音痴のリュウちゃん、「山城青谷駅」から梅林とは逆方向に行ってしまい、ほぼ1時間ロス、梅林の入り口に着いたのが午前11時頃になってしまいまっした(トホホ!)以下の写真は梅林の入り口付近の光景です。ここら辺りはほぼ満開だ!梅の香りが一面に漂っている。本命の場所だと思われる「梅まつり会場」に行く前に、ちょっと脇道に逸れて「堂山見晴台」に行ってみました。ありゃ、ここの梅はちょっと淋しい。梅林の横には、幾つかの竹林があります。「松竹梅」ならぬ「竹梅」だが、風情があるな。あちらこちらとい回り道をして、やっと正午に「梅まつり会場」に到着、流石、京都府随一の梅林、ここは正に「梅のオアシス」だ!本日の気温22℃、ポカポカ陽気、青空の下のベンチで昼食、プファ~、ビールが旨い!梅の香りと白い雲が身に沁みる!午後1時、「青谷梅林」を後にしました。まだ時間はたっぷりある。そうだ、奈良公園に行って見よう!(以下、<「2018年の梅行脚」(2)~奈良公園>に続きます)
2018年03月18日
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「大阪府立花の文化園」の約20本の蝋梅、只今ほぼ満開。(前回のブログの続きです)「水仙の丘」を正午過ぎに後にして、次の目的地である「大阪府立花の文化園」に向かいました。「花の文化園」は「水仙の丘」の最寄り駅である近鉄長野線「富田林(とんだばやし)駅から5駅先の「河内長野駅」下車、バスで10分弱で、最寄りの「上高向(かみたこう)」バス停下車、「高向」と書いて、「たこう」と読む、難読地名だ!実はリュウちゃんの故郷、三重県伊勢市にも「高向」という地名があり、こちらは「たかぶく」と読みます。高校の同級生にも、高向(たかぶく)さんという姓の美少女がいました。「高向」姓の有名人といたしましては、飛鳥時代に小野妹子の遣隋使に同行し、「隋」に渡った学者「高向 玄理(たかむこ の くろまろ)」がいます。こちらの姓の読み方は「たかむこ」、因みに、ネットの「名前サーチ」で「高向」姓を検索しました所、この姓の読み方として、以下の7種類が挙げられています。「たかむかい」、「たかむき」、「たかむく」、「たかむこ」、「たこう」、「こうきょう」、「たかぶく」、そして、「高向」姓の推定人口は、上記の読み方を全て合わせても210人くらいなのだそうです。高校時代の同級生の高向さん、貴女は全国でも希少な苗字の持主だったのだ!閑話休題「上高向(かみたこう)」バス停から「文化園」に向かいました。下の写真は、バス停から坂を下りた畑から「文化園」を見たものです(この時、一瞬ですが雲が厚くなり、暗い写真になってしまいました)写真中央にあるピラミッド状の建物は、文化園のシンボル「大温室」です。もう午後1時、お腹が空いた。で、文化園の前にある「奥河内くろまろの郷」で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!早春の微風が心地良い!文化園の手前の道沿いに立派な蝋梅を発見、この蝋梅を見られただけでもここ迄来た甲斐があった(苦笑)さて、「文化園」に入場します。下の図は「大阪府立花の文化園の園内MAP」です。下図の右側上部の「大温室」の周辺、「あじさい園」及び「もみじ谷」の周辺に蝋梅が咲いています。入場してすぐの所にある「装飾花壇」、やはりこの時期は葉ボタンとパンジーが定番ですね。「大温室」の近くに「シナヒイラギ」が赤い実を付けていました>「大温室」直下の蝋梅、文化園の園内の「初蝋梅」だ!以下は「あじさい園」と「もみじの谷」の周辺の蝋梅です。2月中旬、ここの蝋梅はほぼ満開だ!蝋梅の周辺や「梅林」の梅の花も一部開花していました。もう「春近し」なのだ!午後3時頃、文化園を出ました。昨年、文化園を訪れた時には、河内長野駅まで往復、バスで行ったのですが、実は河内長野駅から文化園までは約3キロの道程、この距離ならば徒歩で往復OKだ!しかし、稀代の方向音痴のリュウちゃん、往路を徒歩で行くと、迷ってしまう可能性がありますので、やむを得ず往路はバスにしたのですが、復路は当然、徒歩で河内長野駅に向かったのです。下の写真は復路の道沿いの個人宅の庭に咲いていた蝋梅です。植物園の蝋梅より、個人の庭や畑の蝋梅のほうが美しい(苦笑)
2018年02月26日
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大阪府唯一の村、千早赤坂村「水仙の丘」の5万本の水仙、今開花2月10日、リュウちゃんの近隣で一番の水仙の名所、大阪府千早赤坂村の「水仙の丘」に行ってみました。奈良人リュウちゃんにとりましては、千早赤坂村は「近くて遠いところ」という印象をずっと持っていました。つまり、「直線距離は近いが、奈良からは「金剛・葛城山系」の向こう側にあるので、山系を迂回しなければならず、行くのはかなり時間が掛かる」しかし、この度、「水仙の丘」へのアクセスを調べましたところ、近鉄長野線「富田林(とんだばやし)駅」から金剛バス「金剛山ロープウェイ」行きの乗り換え、「千早赤坂役場前」下車、徒歩15分、とありました。近鉄長野線を使う手があったのだ!これだと、リュウちゃんの家からは、JR法隆寺~JR柏原~近鉄柏原~近鉄道明寺~近鉄富田林、と、トータル駅数10駅、正味乗車時間約30分で近鉄富田林駅に着く、これまで全然気づかなかった(苦笑)例によりまして、女房殿お手製の「おにぎり弁当と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時、家を出発、午前11時過ぎ、「水仙の丘」に無事到着、下の写真は、「水仙の丘」の「登山口」です。先ず、まっすぐに丘の頂上に向かいました。頂上には、下の写真のような「楠木正成(くすのきまさしげ)」の巨大な「奉建塔」が建っていました。塔の高さ43尺(約13m)、この塔は楠木正成(楠公)600年祭記念のモニュメントとして建立されたようです。43尺という塔の高さは正成が「湊川の戦い」で自刃した時の年齢(43歳)を表しているのだそうです。楠木正成と云いましても、現代の人は殆ど知らないと思います(戦後生まれのリュウちゃんも殆ど知りませんでした)、彼は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将で、後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し「建武の新政の立役者」の一人です。戦前は、彼のことを「天皇の忠臣」として修身の教科書でも取り上げられ、戦前の教育を受けた人には楠木正成の名前はポピュラーだったようですが、戦後は殆どの教科書から彼の名前は消えてしまったのでした。下の絵図は有名な「千早城の戦い」です。元弘3年/正慶2年(1333年)2月以降、正成は赤坂城や金剛山中腹に築いた千早城で幕府の大軍と対峙し、ゲリラ戦法や落石攻撃、火計などを駆使して幕府の大軍を相手に一歩も引かず奮戦したのでした。千早赤坂村は「楠木正成生誕の地」とされています。「水仙の丘」の手前に下の写真のような碑が建てられていました。さて、水仙です。「水仙の丘」には、丘の周辺に約5万本の水仙が植えられています。蝋梅と並ぶ冬の花水仙、早春の清々しい花なのだ!例年なら今は満開の時期なのですが、今年は少し遅れていて、この時は「3分咲き」位でした(ちょっと残念!)「水仙の丘」の向こう側に「金剛山」が見えます。金剛山の麓に、上図の「千早城」があるのです。丘の向こうには、棚田が広がっています。ここは典型的な「山里」なのだ!正午頃、「水仙の丘」を後にして、次の目的地の「大阪府立花の文化園」に向かいました。帰路、道の駅の「楠公生誕の地」の石碑のすぐ傍の農家の庭に、1本の蝋梅を見つけました。蝋梅の下に水仙が咲いていました。千早赤坂村でも蝋梅を見ることが出来た!リュウちゃんの「蝋梅求めの旅」はまだまだ続くのだ!ーーーーーーーー<特報>羽生敗れる!中学生棋士・藤井聡太六段、「朝日杯」で見事優勝!(藤井聡太新六段)2月17日、平昌冬季オリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生 結弦と宇野 昌磨がワンツーフィニッシュ、日本中を興奮の坩堝に巻き込みました。同じ日に将棋の藤井聡太は、全棋士が参加する「朝日杯オープン戦」の準決勝・決勝を戦い、準決勝で先日、国民栄誉賞を授与された最高実力者の羽生(はぶ)善治竜王(永世7冠)を、決勝でバリバリのA級棋士である広瀬章人八段を破り、見事、史上最年少で棋戦優勝を果たしました。優勝賞金750万円!オリンピック金メダルの報奨金より250万円も多い!アマチュア・ヘボ将棋二段のリュウちゃん、以下のサイトで棋譜を見ましたが、対羽生竜王の準決勝、対広瀬八段の決勝共、序盤から終盤まで終始藤井が危ないところのない圧勝のように感じました。<第11回朝日杯将棋オープン戦>http://www.asahi.com/shougi/asahicup_live/?ref=jsa因みに、今年の佐藤天彦名人の挑戦者を決める<第76期A級順位戦>では、現在、羽生竜王は6勝4敗、広瀬八段は5勝4敗、共に名人挑戦の可能性を残しています。現在、トップを走っているのは、順位9位の久保利明王将、順位10位の豊島将之八段の2人で共に6勝3敗、3月2日の最終戦で、この2人が共に敗れ、広瀬八段が勝てば、A級在位11人中、何と6人が6勝4敗で並ぶ可能性があります。こうなれば、正に空前の混戦ですね。羽生竜王はもちろんのこと、広瀬八段も現在、名人挑戦の可能性があるトップ棋士なのだ!(羽生善治竜王)(広瀬章人(あきひと)八段)「朝日杯」準決勝・決勝が行われた翌日・2月18日の朝日新聞の朝刊に<一般棋戦優勝の年少棋士ベスト5>という記事が掲載されました。(1位)藤井聡太六段:15歳6ヶ月(朝日杯オープン戦)(2位)加藤一二三・四段(当時):15歳10ヶ月(六・五・四段戦)(3位)谷川浩司四段(当時):16歳10ヶ月(若獅子戦)(4位)羽生善治四段(当時):16歳11ヶ月(若獅子戦)(5位)森内俊之四段(当時):17歳ジャスト(新人王戦)、しかし、この記録は、1位の藤井聡太六段の棋士全員参加の「朝日杯オープン戦」に比べますと、いずれも六段以下の「下位棋士」だけの参加の棋戦であり、全員参加の棋戦のの記録としては、藤井六段の記録が唯一なのです。棋士が全員参加する棋戦での最年少優勝記録、これは藤井聡太六段がダントツなのだ!これで今期(2017年4月1日~2018年2月17日)の藤井六段の公式戦対戦成績は56勝11敗、勝率8割3分6厘。現在、以下の将棋大賞表彰部門でトップを独走しています。(1)(対局数)1位:藤井聡太六段(67局)、2位:三枚堂達也六段(54局)、(2)(勝数)1位:藤井聡太六段(56勝)、2位:大橋貴光四段(38勝)(3)(勝率)1位:藤井聡太六段(8割3分6厘)、2位:大橋貴光四段(7割7分6厘)(4)(連勝:前期から継続):1位:藤井聡太六段(29連勝)、2位:永瀬拓矢七段(13連勝)、尚、藤井六段は29連勝の後にも、11連勝を2度記録、現在も2度目の11連勝を継続中なのです。将棋界のレジェンド・羽生善治永世7冠をして、「とてつもないこと、空前絶後」と言わしめた藤井聡太六段、来期にはどんな「とてつもない活躍」を見せてくれるのでしょうか?藤井聡太六段の今後の活躍から益々目が離せなくなったリュウちゃんなのです。
2018年02月19日
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一万坪の広大な敷地に咲き誇る600種100万本の花菖蒲、今、華麗に満開。今年の奈良はどうやら「空梅雨」で終わりそうです。この時期の花といえば、何といっても「花菖蒲」と「紫陽花」、紫陽花はリュウちゃんの家の庭にも5株植えてありますので、庭に植えていない「花菖蒲」に無性に会いたくなります。奈良の花菖蒲の名所は何といっても「滝谷花菖蒲園」です。冒頭の「キャッチコピー」に書いたように「花の郷・滝谷」の一角に花菖蒲園があり、この「花菖蒲園」だけでも面積一万坪、600種100万株の花菖蒲が咲いている関西屈指の花菖蒲園なのです。<「花の郷・滝谷」のHP>http://www.takidani.net/index.html実はリュウちゃん、一昨年の6月、女房殿と車で、この花菖蒲園に行きました。<「奈良・滝谷花菖蒲園と室生寺散策(1)>https://plaza.rakuten.co.jp/0511katutyan/diary/201506150000/今回は女房殿が都合で行けないので、リュウちゃん一人で近鉄電車で「三本松」駅まで行き、そこから徒歩で「滝谷花菖蒲園」、それと「室生寺」方面まで行こうという計画です。「滝谷花菖蒲園」から「室生寺」への道、車でも迷ったのに、徒歩で行きつくことが出来るのかな?下の写真は近鉄「三本松」駅付近の山並み、う~ん、いい雰囲気だ!★「海(かい)神社」海の無い奈良の山奥に「海神社」があるとは奇怪千万!?何故なのだろう?(この謎解きは次回のブログでする予定です。乞う、ご期待)「海神社」から約1キロで、無事、「滝谷花菖蒲園」に辿り着きました(やれやれ)全体の一割程しか開花していなかった一昨年に比べ、今回は全体的には7分咲といった所です。例によりまして、この日撮った写真で「ミニ花菖蒲図鑑」を作ってみました。尚、400品種程写真で紹介した「花菖蒲図鑑」がネットにありましたので、以下にURLを貼り付けます。興味のある方はこちらをご覧くださいね)<玉川大学花菖蒲図鑑>http://www.tamagawa.ac.jp/agriculture/teachers/tabuchi/dictionary/<リュウちゃんの花菖蒲ミニ図鑑>★小町娘★雛桜★初夢★寒紅梅★白鷺★里桜★深山の色★千代田城★七彩の夢★火祭★花紺青★神代の昔★紫雲台★伊那小町★花の雨★弁慶★夢吹雪★紅葉山★曙光「花菖蒲園」の周囲には色とりどりの紫陽花が開花期を迎えていました。花菖蒲と紫陽花、両方共、「雨の咲く花」だ。紫陽花の中の「変わり者」、カシワバアジサイ、園内の至る所に咲いています。園内の中央部にある「水連池」、こちらも「見頃」を迎えています。クレマチスはほぼ終わりになりました。ここでは「てっせん園」と表示されていますが、「大阪府立花の文化園」で知ったように、正確に言うと「クレマチス園」ですね。以下、咲き残った「クレマチス」の写真をUPします。もうお昼時だ!「クレマチス園」の近くにある「ヤマボウシ」の並木の下のベンチで持参したおにぎり弁当と缶ビール(2缶)で昼食、プファ~、ビールが旨い!山の涼風と花の香りが心地良い!(続きます)ーーーーーーー<特報>将棋界に彗星のごとく現れた藤井聡太四段、連勝記録はどこまで伸びるのか!!!(藤井聡太四段)ここのところ、将棋界に彗星のごとく現れた天才棋士・藤井聡太四段の28連勝達成が一大フィーバーを巻き起こしています。連勝が伸びる度に、テレビニュース、新聞で大きく取り上げられ、将棋を知らない一般の人までを巻き込み、彼の一挙手一投足が大きくメディアで取り上げられ、空前の将棋ブームが起ころうとしています。最近、将棋から遠ざかっていたリュウちゃん(以前はアマチュア二段でした)、久々に彼の将棋のネット中継にハマっています。ネット中継のみならず、四段になってからの「棋譜」もネットで幾つかみましたが、20連勝を達成した時の「対沢田真吾六段」戦を除き、ほぼ「ぶっちぎりの快勝!」凄い棋士が現れた!かってのヘボ二段のリュウちゃん、「棋譜」の深い意味は全く解らないのですが、ヘボ二段の目から見た藤井四段の将棋の印象は、(1) 終始、圧倒的な「攻め将棋」、駒損をものともせず、「肉を斬らせて骨を斬る」、最短距離で勝つ将棋、(2) 「詰将棋解答選手権大会」3連覇の「詰棋力」に裏打ちされた終盤の正確無比な「読みの力」による「光速の寄せ」(今年開催された「第14回詰将棋解答選手権大会」の記事のURLを下記に貼り付けます)https://www.shogi.or.jp/event/2017/03/14_9.html藤井四段が解く「詰将棋」は、新聞に掲載されているような「易しい詰将棋」ではありません。一例として、江戸時代の贈・将棋名人・伊藤看寿の「寿(ことぶき)」という作品の図を掲げます。この詰将棋、何と詰めるまでに611手も掛る!恐らく藤井四段はこんな難解な詰将棋を駒を並べず、頭の中で解いてしまうのだ!将棋は音楽や数学とも共通点があると云われています。その意味では、藤井四段は、音楽のモーツアルト、数学のガロアなのだ!明日(6月26日)、前人未踏の29連勝をかけた「竜王戦本戦トーナメント」が行われます。前人未踏の29連勝成るか?ヘボ二段のリュウちゃん、興味津々なのです。
2017年06月24日
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「大阪府立文化園」のバラ園の白い椅子とテーブルここはまさに「バラのオアシス」だ!(前回のブログの続きです)「クレマチス園」の近くで、プファ~、ビールが旨い!の儀式(笑)をやってから、隣の「バラ園」に向かいました。下の写真は「バラ園」の、「ほぼ全景」です。周囲を垣根仕立て、アーチ仕立てのつるバラが取り囲んでいます。写真右上の黄色いテントは、「喫茶店」です。下の写真は「クレマチス園」側から撮ったバラのアーチです。「バラ園」の上部に「大温室」があります。「大温室」には、「バラ園」を出てから入場しました(このブログの後半で紹介します)「バラ園」の中央部にある小さな池、もう水連が咲いている!さて、「バラ園」です。例に拠りまして、この日咲いていたバラを出来るだけ紹介させて頂きます。<「大阪府立花の文化園」のバラ>★スーパースター★ブラザーカドフェル★アンジェラ★ローズマリー・ヴィオー★アルベリック・バルビエ★ブルーバユー★ファーストレディ★メイクイーン★メアリーローズ★ヘルムート・シュミット★スプニール・ド・アンネ・フランク★オフェリア★正雪(マサユキ)★バレンシア★テキーラ★ラバグルート★ルイ14世★シュネーヴィチェン「バラ園」散策を終えて、「大温室」に向かいました。お目当ては入場口で大々的に宣伝していた「マドンナ・リリー」「マドンナ・リリー」は、昨年の夏、大阪湾岸の「舞洲(まいしま)ユリ園」に行った時、説明パネルのみ見たのですが、残念ながら実物は終わってしまっていて、観ることが出来ませんでした。<「舞洲ユリ園」のHP>http://yurien.com/マドンナ・リリーを観る、昨年の「舞洲ユリ園」のリベンジだ(苦笑)下の写真は、「大温室」の中に掲示されていた「マドンナ・リリー」の説明パネルです(「マドンナ・リリー」につきましては、この説明文を参照して下さい)このパネル、昨年、舞洲ユリ園で見たパネルと同じだ!さて、実物の「マドンナ・リリー」です。リュウちゃんのような素人が見れば普通の白ユリだ!19世紀に日本から入った「鉄砲ユリ」に駆逐された理由が何となく判る気がする。残念ながら今日の「大温室」には、「マドンナ・リリー」の他には、トロピカルな花は全く咲いていませんでした(時期が悪かったのかな?)下の奇妙な植物は、「大温室」の入り口に植えられていた「ビカワシダ」の一種です(「ビカワシダ」に関しましては、下記のサイトを参照して下さい)https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-454う~ん、面白い植物だ!最後に、「大温室」の外の珍しい植物を2点紹介します。★スモークツリー★ブラシの木「大阪府立花の文化園」、素敵な植物園だ!また機会があれば行ってみよう!
2017年06月18日
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クレマチスの女王ジョセフィーヌ、この世のものとは思えない神秘の花。(この写真はブログ友「きらら♪」さんのブログから了解を得て拝借しました。「きらら♪」さんにつきましてほ本ブログの後半で紹介させて頂きます)5月31日、ブログ友「きらら♪」さんのブログに、「クレマチスの女王と思われるクリスマス☆ジョセフィーヌ」というフォトブログがUPされました。https://plaza.rakuten.co.jp/kilala/diary/201705310000/このブログには5枚の「ジョセフィーヌ」の写真がUPされていますが、5枚共、見事な写真で、リュウちゃん、時間を忘れて見とれてしまいました。何と神秘的なクレマチス!花音痴のリュウちゃん、これまでクレマチスは「脇役の花」だと思っていたが、これは「主役の花」だ!「きらら♪」のブログを拝見して、俄かにクレマチスを観たくなりました。関西のクレマチスの名所、何処にあるのだろう?と思ってネットで検索しました所、出てきたのが大阪府・河内長野市にある「大阪府立花の文化園」です。<「大阪府立花の文化園」公式サイト>http://gfc-osaka.com/よし、ちょっと遠いが、行って見よう!ということで、6月上旬の晴天の日に、例によりまして奥方お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、お出掛けしました。JR、南海高野線、南海バスを乗り継いでAM10時30分、「大阪府立花の文化園」に到着、以下は「大阪府立花の文化園」の案内図です。右下の「バラ園」の隣に「クレマチス園」があります。下の写真は、「バラ園」から撮った「大温室」です。「大温室」には数々の珍しい熱帯植物が植えられています。さて、「クレマチス園」です。「クレマチス園」の入り口には、以下のようなパネルが掲げられていました。う~ん、多少クレマチスのことが分かったかな?ここで「クレマチス」のウィキペディアを参考にして、以下に「クレマチス」の基礎知識をまとめてみます。<クレマチスの基礎知識>★クレマチスはキンポウゲ科センニンソウ属(別名クレマチス属)の花の総称、「蔓性植物の女王」と称される。★クレマチスの原種は、北半球を中心に約300種存在している。内、日本産のものは「ボタンヅル」、「センニンソウ」、「ハンショウヅル」、「カザグルマ」等がある。★クレマチスの異名としても使われる「テッセン(鉄仙)」は中国原産、1670年頃日本に伝えられたクレマチス属の一種である。★現在、2000種類ほどの交配種がある。★クレマチスの「花びら」、実はクレマチスは花弁を持っておらず、花弁に見えるのは「萼(がく)」である。さて、「クレマチス園」で撮った写真を以下に貼り付けます。今回はクレマチスの品種の名前だけを説明なしに掲載しますが、興味のある方は以下の「クレマチス図鑑」を参照して下さいね。果たして、女王ジョセフィーヌに出逢えますことやら?<214種のクレマチス図鑑>http://unyako.pekori.to/clematis/clema_frame.htm<大阪府立花の文化園のクレマチス>★白麗(はくれい)★アーネスト・マーカム★ジャックマニー★インスピレーション★ヴェスタ・プラッテ★さくら★フェアー・ロザモンド★エトワール・バイオレット★プリンセス・ケイトクレマチスというよりも、百合の花だ。★トリカトレイ★うるる★ペルル・ダジュール★ダヌータ★白妙(しらたえ)★なべくら★ヴェスタプラッテ★フルディーン★日光のカザグルマ★白万重(しろまんえ)クレマチスというよりも、菊かダリアのような「八重咲」だ!★ダイダイ★エクストラ★バイオレット・エリザベスこの八重咲きのクレマチスも素敵だ!★ブルースカイ★ユートピア★はやて★カシスこれも八重のクレマチス、凄い!★ホノラ★テッセン(鉄仙)これがテッセンだったのだ!花音痴のリュウちゃん、初めて花の名前と実物が一致した(苦笑)★ミニベル「ゾラベル」何とも珍しい釣鐘型の花を持つクレマチス、この花、とてもクレマチスとは思えない!★バルバラ★マルチブルー★レッドスター★野尻う~ん、残念ながら「ジョセフィーヌ」には出逢えなかった!なので、最後の「ジョセフィーヌ」はまたまた「きらら♪」さんのブログからお借りして写真を貼り付けます。★ジョセフィーヌ(撮影:きらら♪さん) やはり「きらら♪」さんの写真は抜群だ!ここで改めて「きらら♪」さんのブログを紹介させて頂きます。<HANA魔女日記(by「きらら♪」)トップページ>https://plaza.rakuten.co.jp/kilala/「きらら♪」さんは、殆ど毎日、自宅のお庭のバラを一種類づつ、素敵な写真と丁寧な文章で紹介されています。以下に、6月9日公開のブログで取り上げた「ジュリア」というバラの写真を貼り付けます。きらら♪のブログ、写真が素晴らしい!残念ながら、リュウちゃんの写真は足元にも及ばない。きらら♪さんの6月9日までのブログ・総アクセス数は何と、もうすぐ512万アクセス!リュウちゃんの「お気に入り」に入れたブログではダントツなのです。また「日本ブログ村」の「バラ園芸」のランキングにも参加されていて、現在のランキングは総参加者986人中、10位なのです。きらら♪さんのブログ、いつ訪問しても、ため息がでる程美しい!皆様もきらら♪さんの「HANA魔女日記」ワールドをお楽しみ下さいね。「クレマチス園」でじっくりとクレマチスを楽しんでから、近くの休憩所で昼食、プファ~、ビールが旨い!花の香りが心地よい!昼食を終えてから、改めて「バラ園」、「大温室」他の散策に向かったリュウちゃんなのでした(続きます)
2017年06月10日
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大阪造幣局桜の通り抜けの「今年の桜」は緑のウコン桜、青春時代の憧れが蘇る。4月16日(土)、久々に「大阪造幣局桜の通り抜け」に行ってきました。関西では毎春、桜の季節になりますと、このイベントが大きな話題になり、関西のテレビ局の殆どがこのイベントを中継します。関西の桜ファンは毎春、このイベントに気もそぞろ、、、リュウちゃんもミーハー人間なので、「大阪造幣局桜の通り抜け」に行かないと春が明けない、という思いにとらわれてしまうのです。(このイベントの来歴等につきましては、下記のサイトを参考にして下さいね)<大阪造幣局の桜の通り抜け。2017年の日程と見どころは?>http://afun7.com/archives/3447.html事前のテレビ報道によれば、今年のイベントは、(桜の木の本数):350本、(桜の種類):134種類、(2017年の桜):「鬱金(ウコン)」なのだそうです。「桜の通り抜け」の中では、★一方通行で逆戻り出来ず、文字通り「桜の下を歩いて通り抜け」するだけ、★見学のみで、ここでは飲食不可、桜の下での宴会はもっての外、リュウちゃんの一番苦手な桜見物のパターンなのだ(苦笑)なので、家で予缶ビール(2缶)を飲んでから、ホロ酔い気分で、午後から出掛けました(苦笑)午後1時過ぎ、大阪造幣局の最寄り駅の地下鉄谷町線「天満橋駅」到着、駅から北に向かいますと、まもなく大川(淀川下流、旧:淀川)に掛かる「天満橋」を渡ります。ここから既に交通規制が掛かり「橋の上では立ち止まらないで下さい、写真は撮らないでください」と交通整理の警官から絶えずアナウンスがあります。下の写真は「天満橋」の上から撮った(苦笑)大川左岸の風景です。橋を渡り切った所で右折し、そこから10分ほど進みますと、「大阪造幣局桜の通り抜け」の入り口です。入り口から出口までの距離は560m、「通り抜け」の中は下の写真のような状態です。一つ一つの桜をゆっくり見物する時間はありませんので、「先ず桜の花を素早く撮影し、次に桜の名前のプレートを素早く撮影する」という方法で、以下の写真を慌ただしく撮影したのです。以下、この日に撮った桜の種類を紹介致します。この日は、桜の写真と種類をシンクロしただけですので、その桜がどんな由来の桜なのか。一部、説明文の立て札が設置されている桜を除いては、サッパリ判りません。桜の由来につきましては、下記のサイトを参考して下さいね。<このはなさくや図鑑:日本の桜>http://www7b.biglobe.ne.jp/~cerasus/cera-a/c-omuro.html<紅笠><法明寺(ほうみょうじ)><関東有明><平野妹背><笹部桜><紅南殿(べになんでん)><祇王寺祇女桜>(説明文)京都「祇王寺」にある桜で、「平家物語」の祇王祇女にちなみ、この名がつけられた優雅な桜で、花は淡紅色で、少し芳香があり、花弁数は15枚ほどある。<桐ケ谷><平野撫子><大提灯><楊貴妃><紅手毬><一葉(いちよう)><永源寺>そして、全134種の中から、「今年の桜」に選定された「鬱金」です。<鬱金(ウコン)>(説明文)造幣局では、皆さまが「桜の通り抜け」に親しみを持っていただくため、数多くの品種のうちから、一品種を選び、今年の花として毎年ご紹介しています。今年の花「鬱金」は、古くから知られた桜で、江戸時代に京都「知恩院」に植えられていたといわれ、樹勢は直立高木で、花は淡黄緑色のショウガ科のウコンの根に似ているところから、この名が付けられました。花弁は10~15枚あります。この「鬱金」は、「桜の通り抜け」を記念して販売されている硬貨セット及びメダルのデザインにも使用されています。(リュウちゃん追加説明)「緑色の桜」は、「鬱金」の他に「御衣黄(ぎょいこう)桜」、「黄桜」の3種が知られています。リュウちゃん、「ウコン桜」の名前は、学生時代に愛聴した「中田喜直女声合唱曲集」のレコードに収録されていた「ぶらんこ」(詞:安西冬衛)という合唱曲で、名前だけは親しい存在でした。以下に1番の歌詞を紹介します。(「ぶらんこ」詞:安西冬衛)ひっそりとぶらんこが 花の樹かげです鬱黄桜(うこんざくら)の匂う 夜ふけですぶらんこは可惜(あたら) 春の風流(すさび)おけしおく稚児は 今ゆめじですこの合唱曲、You-Tubeで紹介したかったのですが、残念ながらYou-TubeにはUPされていませんでした。2分弱の短い曲なので、歌われる機会が少ないからなのでしょうね、少し残念な思いです。<駒繋(こまつなぎ)><御室有明(おむろありあけ)><関山(かんざん)><二度桜>(説明文)山桜系の桜で、一重、八重、二段咲き(花の内側にも蕾が出来る咲き方)の花が見られ、二段咲きで、内側の花がやや遅れて咲くことから、この名が付けられた。<蘭蘭(ランラン)>(説明文)上野動物園のパンダ「蘭蘭」の死を悼んで、昭和55年の子供の日に北海道松前町の子供達が命名した。花は白色に近く、花弁は15~20枚ある。(リュウちゃん)「ランラン」といえば、昭和49年に「恋のインディアン人形」でデビューした双子の少女ユニット「リンリン・ランラン」を思い出します。当時レコード会社の営業にいたリュウちゃん、彼女たちのキャンペーンに付き合ったことを懐かしく思い出しました。(「恋のインディアン人形」(リンリン・ランラン)https://www.youtube.com/watch?v=Jpd5_sSSlfs「ランラン(Lang Lang、郎朗)」という人気ピアニストがいますね。彼は、かの「のだめカンタービレ」で、上野樹里のピアノ演奏を全て吹き替えたのだそうです。(モーツアルト「トルコ行進曲」演奏:ランラン)https://www.youtube.com/watch?v=uWYmUZTYE78<朱雀><大手毬><雨情枝垂(うじょうしだれ)>「通り抜け」でほいぼ唯一のしだれ桜です。<紅豊(べにゆたか)><山越紫><雨宿(あまやどり)>(説明文)東京・荒川堤にあった桜で、葉かげに垂れて咲く形があたかも葉かげに雨をよけているように見えるのでこの名がある。蕾は淡紅色、花は白色、花弁数は10~15枚である。<日暮(ひぐらし)><思川(おもいがわ)><白雪>全長560mの「桜の通り抜け」、1時間と少しで出口に達しました。今日は最終日の2日前だったのですが、八重桜が多いせいか、まだ半分程の桜が「蕾」状態、大阪造幣局様、是非、公開期間をあと一週間程延長して、全部の桜の満開を見せて下さいね。「通り抜け」の外に出れば、そこは大川土手の満開のソメイヨシノと屋台の列、リュウちゃんの好きな世界です。屋台に入り、おでんをツマミに缶ビール(2缶)で改めて「お花見」を楽しみました。プファ~、ビールが旨い!大川土手の満開の桜が眩しい!下の写真は帰路の大川川岸・天満橋の上から撮りました。まるで滝廉太郎の唱歌「花」の世界!春のうららの 隅田川のぼりくだりの 船人が櫂(かひ)のしづくも 花と散るながめを何に たとふべきhttps://www.youtube.com/watch?v=8G1EKV9ASjUついでにもう1曲、「大川」に因んだ美空ひばりの名曲です。(美空ひばり「大川ながし」)https://www.youtube.com/watch?v=dX2QFydDXTE東京の隅田川下流も、江戸時代には「大川」だったのだ!
2017年04月30日
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今年の大和郡山城、屋外のしだれ梅も盆梅もダブルで満開だ!(前回のブログの続きです)「大和民俗公園」を出たのが午後3時頃、当初はそのまま家に帰る予定だったのですが、まだ日暮れまで少々時間があります。よし、これから「大和郡山城の盆梅展」を観に行こう!ということで、また女房殿の運転する車の助手席に乗り、大和郡山城に向かいました。「大和民俗博物館」から「大和郡山城」までは車で10分位の距離です。リュウちゃんのイメージでは、「リュウちゃんの家」、「大和民俗公園」、「大和郡山城」は正三角形の3つの頂点なのです。午後3時過ぎ、大和郡山城に到着、城内の駐車場、空いていてよかった!例年、ここの盆梅展を観に来る時には、盆梅展の会場の外にある「しだれ梅」は「まだ蕾」か「咲き始め」のことが多いのですが、今年は外のしだれ梅もほぼ満開、こりゃ、ゴージャス、ダブルで梅が楽しめる!大和郡山城の「追手門(梅林門)」の周囲には、30本ほどの「しだれ梅」が植えられています。まだ若い梅の木なのですが、若いだけrに花に勢いがあって花も大きく、見応えがあります。若いって素晴らしい!暫く屋外の「しだれ梅」を楽しみ、「盆梅展の会場に入りました(入場料400円)こちらも今が満開、いい時に来た!「盆梅」は、屋外の華やかな「しだれ梅」とは違い端正に整えられた梅の老木が静謐な佇まいを見せています。以下、幾つかの「盆梅」の写真をUPします。以下は作品名が付けられた盆梅です。<飛天>一本の木に紅白2色の梅の花が咲いています。<春の淡雪>今回の盆梅展最大の大作、この盆梅も少しピンクの花が混じっていますね。<順慶>大和郡山城の開祖、筒井順慶に因んだ「盆梅」です。下の写真は、盆梅展のメイン会場の光景です。あれ、毎年展示されていた一番の大作「大納言」が展示されていない!何でやねん???暫し「盆梅展」を楽しみ、屋外のイベント会場に出ました。出迎えてくれたのは「猿回し」のお猿さん、お猿さんも仕事が終わり、晴れやかな顔をしていましたよ。---------------------------------★ブログ<リュウちゃんの懐メロ人生>累計80万アクセス突破、(挿入した写真は全て3月11日にリュウちゃんの家の庭で撮ったものです)2017年3月11日、リュウちゃんのブログが開設以来、累計80万アクセスを突破しました。例によりまして開設以来のブログデータを公表します。(1) 日数:2837日、(2) 総アクセス数:80万アクセス、(3) ブログ記入数:517回、(4) ブログ記入率:17,6パーセント、(5) 1日平均アクセス数:282アアクセス(6) ブログ記入1回当たりの平均アクセス数:1547アクセス、因みに、70万~80万アクセスに達したデータは以下です。(1) 日数:119日、(2) 総アクセス数:10万アクセス、(3) ブログ記入数:19回、(4) ブログ記入率:16,0%、(5) 1日平均アクセス数:840アクセス、(6) ブログ記入一回当たりのアクセス数:5263アクセス、前回の60万~70万アクセスの時のデータは以下です。(1) 日数:99日、(2) アクセス数:100000アクセス、(3) ブログ記入数:14回、(4) ブログ記入率:14.1%、(5) 1日平均アクセス数:1010アクセス、(6) 記入1回当たりのアクセス数:7143アクセス、前回の60~70万アクセスの時よりも、1日平均アクセスがかなりダウンしました、ずっと右肩上がりで来た1日平均アクセスの初のダウン、こりゃ、「バブル崩壊」かな(苦笑)年内100万アクセスを目指し、頑張ります!
2017年03月12日
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2017年初の梅行脚,大阪城梅林はまだ5分咲きだ。今年も新聞の「梅便り」が始まりました。2月末の現時点では、和歌山の南部(みなべ)梅林、岩代梅林などは「満開」、しかし、奈良の3大梅林(賀名生(あのう)梅林、広橋梅林、月ヶ瀬梅渓)はまだ「咲き始め」、和歌山の梅林と奈良の梅林では、満開時差が一か月くらいあるのだ!京都や大阪の平地の梅林は五分から七分咲き、1月8日に行った大阪城梅林公園もほぼ七分咲き、よし、今回は大阪城梅林を中心に、大阪の梅行脚をしよう。ということで、先日、以下のコースを「梅行脚」して来ました。「道明寺天満宮」(藤井寺市)~「大阪城梅林」~「大阪天満宮」~お初天神こりゃ、「天神さん」巡りだ!午前9時、近鉄南大阪線「道明寺駅」到着、駅から道明寺天満宮までは「徒歩3分」とのことですが、方向音痴のリュウちゃん、少し迷ってしまい、駅から天満宮まで20分近くの掛かってしまいました(苦笑)入場料金300円を払って梅園に入場、道明寺天満宮の地は、菅原氏・土師氏(はじ)氏の共通の祖先にあたる「野見宿禰(のみのすくね)」の所領地で、平安時代には菅原道真のおば「覚寿公」が住んでいて、道真もよくこの地を訪れたそうです。道真が大宰府に左遷される途中に立ち寄り、おばの覚寿公と別れを惜しんだとされています。道明寺天満宮の梅園には、80種800本の梅が植えられています。この日はまだ「五分咲き」ほぼ満開の梅もあれば、まだ「蕾」の梅もあり、全体的に「梅の花園」とはなっていませんでしたが園内全体に馥郁たる梅の香が漂っていました。下の写真は梅園の外側にある「しだれ梅」、道明寺天満宮で一番の梅の木だ!事前の下調べで、この近くに「応神天皇陵」があると判っていましたので、近くまで行って見ました。<応神天皇陵>★正式名称→誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)★全長425メートルの前方後円墳(堺市の「仁徳天皇陵」(486メートル)に次ぐ全国第2位の規模を誇る巨大前方後円墳)下の写真は「応神天皇陵」の側面、前方に見える山並みは葛城山系です。しかし、横から見る「応神天皇陵」は味気ない!天皇陵と判っていなければ単なる森だ。宮内庁さん、陵の一部だけでも一般に公開して欲しい!道明寺天満宮と応神天皇陵の往復に1時間位掛かってしまいました。再び道明寺駅に着いたのが午前11時過ぎ、終点の「阿部野橋駅(天王寺)」に着いたのがちょうどお昼時、あべのハルカスの下のいきつけの魚料理店で昼食、プファ~、ビールが旨い!海鮮丼のネタが新鮮だ!昼食を終え、大阪環状線に乗り、森ノ宮で下車、大阪城梅林はまだ「3分咲き」だ!?「大阪城梅林公園」には、約100種、1270本の梅が植えられています。上記写真で見た感じでは、「一見3分咲き」でしたが、園内に入りますと、かなりの木が満開に近い状態でした。うん、なかなかの「見頃」だ!この日、梅林で見た唯一の「蝋梅」、他の蝋梅はもう終わってしまったのかな?梅林散策を終え、再び環状線に乗り、「天満駅」下車、ここは全長2,6キロもある「日本一長いアーケード商店街」の「5丁目」です、目指す「大阪天満宮」は「2丁目」、アーケードの上に天満宮の象徴である「鳥居」の飾られた商店街を延々と歩きました。天満駅から約20分で大阪天満宮到着。<大阪天満宮>901年に菅原道真が藤原時平により大宰府に左遷させられた時、道真は現在の大阪天満宮の地にあった大将軍社に参拝、2年後に道真が大宰府で没した直後から、道真を「天神さま」とする「天神信仰」が始まりました。道真の没後約50年後、村上天皇の勅名により、この地に大阪天満宮が創建されたようです。京都の北野天満宮と違い、大阪天満宮には殆ど梅はない、何でやねん?ちょっとガッカリ、以前来た時はもっと梅があったように記憶しているのですが、、何故なのでしょうね。気を取り直し、最終目的地、大阪駅の近くにある「お初天神」に向かいました。ここは、「梅の名所」ではないのですが、大阪天満宮から大阪駅に歩いて行く道の途上にありますので、「ついでに立ち寄り」したという次第です。<お初天神>★正式名称は、露天神社(つゆのてんじんじゃ)、創建は西暦700年頃、★菅原道真が大宰府に左遷される前、やはりこの神社に立ち寄り、以下の歌を残したとされています。露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば★この神社が「お初天神」と呼ばれるようになったのは、元禄時代の近松門左衛門の人形浄瑠璃「曾根崎心中」の大ヒット以来です。「曾根崎心中」のヒロイン、遊女「お初」は、幼馴染みの手代「徳兵衛」と道ならぬ恋に落ち、この神社の裏手で心中を遂げます。「曾根崎心中」の大ヒット以来、露天神社という正式名称は、殆ど忘れ去られてしまったようです。下の写真は「お初天神」の境内にあった若干の梅です。お初天神は「恋人の聖地」なのだ!?でも、70歳を超えたリュウちゃんには、もはや「無縁の聖地」なのでした(トホホ!)
2017年02月26日
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蝋梅のトンネルを抜ければ、そこは妙義山だ!1月23日夕刻、孫ちゃん4姉妹の住む沼田に到着、沼田はずっと雪が降っていました。沼田滞在中は平日だったので、上の孫ちゃんたちと「雪遊び」も出来ず、暇を持て余すことは必然でしたので、沼田に行く前に調べておいた群馬県安中(あんなか)市にある「ろうばいの郷(さと)」に行ってみることにしました。リュウちゃんが「蝋梅」に魅かれるようになったのは比較的最近のことなのです。真冬に咲く可憐な黄色い花、これは「春告花」だ!それで奈良及び大阪の「蝋梅巡り」を試みましたが、「梅」や「桜」のように、「蝋梅が一面に咲き誇る」ような場所を見出すことは叶いませんでした。どこか、「見渡す限り一面の蝋梅」が観られる「名所」はないのか?と思い、ネットで「全国蝋梅の名所」を検索してみました。以下のサイトがヒット、<日本全国蝋梅の名所>http://www.87spot.com/link/hsp@robai.htm上記サイトには全国88か所の「蝋梅の名所」が記載されています。内訳は以下です。★北海道:0か所★東北:4か所★関東:33か所!★北陸・甲信越:4か所★東海:13か所★関西:16か所★中国:4か所★四国:6か所★九州:8か所★沖縄:0か所以上計88か所、しかし、蝋梅は「脇役の花」である場合が多く、以上88か所の内、蝋梅がメインで、栽培面積、栽培本数の両方が記載されている名所は以下のようになります(尚、それぞれの名所の下に掲載した写真は、上記ネットからお借りしました。私的なブログからお借りした写真は、ブログ名を掲載しました。お許し下さい)◎東北地方:無し、◎関東地方★「上永野(かみながの)蝋梅の郷」→4000坪(13200平方メートル)の園内に、約5,000本の蝋梅園。(11月下旬~3月)、素心(12月~3月)、基本種(1月~3月)、原種(唐ロウバイ)、日本最多の4種の蝋梅が楽しめる。(住所)栃木県鹿沼市上永野273 ★「(安中市)ろうばいの郷」→3.2ヘクタール(32000平方メートル)の園内に、1200株12,000本のろうばい。(住所)群馬県安中市松井田町上増田3677(この写真、「ろうばいの郷のHPに掲載されていた写真です。リュウちゃん、安中市の「ろうばいの郷」に行ってみたくなった要因はこの写真に魅せられたからなのです)★「ろうばいの里こもち」→雙林寺所有の山、約3,000坪(9900平方メートル)にロウバイ320株(住所)群馬県渋川市石原6番地1★「四阿屋山(あずまやさん)ロウバイ園」→奥秩父山域北東部に位置する標高771.4m 四阿屋山にある約300平方メートルのロウバイ園。素心、満月、和蝋梅の3種約300本。(住所)埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄(「かたつむりの気まま日記」さんのブログより転載)★「長瀞宝登山(ながとろほうとざん)臘梅園」→標高497m、宝登山山頂一帯約10,000平方メートルの敷地に2,500本の臘梅、(住所)埼玉県秩父郡長瀞町(「FIX-UP宇賀治ブログ、店長ACミラジの奮闘記」のブログより転載)★「松田町寄(やどりき)ロウバイ園」→宇津茂地区南斜面に地元の中学生や地域の皆さんが植えた1,000本以上のロウバイが咲きます。(住所)神奈川県足柄上郡松田町宇津茂地区◎北陸甲信越地方:無し◎東海地方:無し◎関西地方:無し◎中国地方:無し◎四国地方:無し◎九州地方:無し何と、88か所の「蝋梅の名所」の内、「蝋梅だけの名所」はたったの6か所、しかも全て関東地方に集中している、蝋梅に関しては関東地方がダントツなのだ!以上6か所の中で、面積1位は「(安中市)ろうばいの郷」(32000平方メートル)、蝋梅の本数1位も「(安中市)ろうばいの郷」(12000本)「(安中市)ろうばいの郷」は面積、本数共にダントツの全国1位なのだ!さて、1月24日、雪の降りしきる中、女房殿と2人で「ろうばいの郷」に出掛けました。沼田市から「ろうばいの郷」までの経路は以下です。JR上越線沼田駅~高崎駅=(信越本線に乗り換え)~JR信越本線西松井田駅~(タクシーで10分)~「ろうばいの郷」高崎駅で、高崎市在住の妹夫妻と合流、「ろうばいの郷」に10時過ぎに到着、(「ろうばいの郷」のHP)http://roubai.com/HPの写真と違い、雪は少ししか残っていませんでしたが、見渡す限りの丈の高い蝋梅また蝋梅、ここは正に「蝋梅天国」だ!この「ろうばいの郷」は、30年ほど前から地元農家の皆さまが遊休農地に植え始め、徐々に栽培面積を増やしていったのだそうです。その後、地域内外の有志の皆さまが協力し「郷づくり」に取り組み、現在では32000平方メートル(甲子園球場のグラウンド面積(13000平方メートル)の約2,5倍という「日本一の蝋梅園」になりました。西松井田駅から「ろうばいの郷」に行く道すがらの農家の庭には、必ずといっていい程、蝋梅が植えられているのです。 ここで「蝋梅」に関する俄か蘊蓄を一席、★蝋梅はクスノキ目・ロウバイ科・ロウバイ属の落葉低木、(よく似ている「梅」はバラ目・バラ科・サクラ属、全く系統の違う花なのです)★原産地:中国、日本へは江戸時代の初期、後水尾天皇の時代に朝鮮経由で日本にもたらされたようです。明治初期でも「珍木」として大切にされていたようです。★品種:「梅」と違って、そう多くは無いようです。「原種」、「基本種」、「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」、「マンゲツロウバイ(満月蝋梅)」、「トウロウバイ(唐蝋梅)」(殆どはソシンロウバイとマンゲツロウバイのようです)、「和蝋梅」、他に初夏にチョコレート色の花を咲かせる「アメリカロウバイ(クロバナロウバイ)」もあるようです。(アメリカロウバイの画像)さて「ろうばいの郷」で名称の札が付けられていた蝋梅の品種の写真を以下にUPします。◎「原種」:もう花は殆ど終わっていましたが、黄色い花ではないようです。◎「ソシンロウバイ」◎「マンゲツロウバイ」この日の安中市の最高気温は5℃(沼田市の最高気温は0℃)、寒い!ということで園内にあるビニールハウス(竹ハウス)の囲炉裏で暖を取りました。竹ハウスの中はポカポカだ!竹ハウスの売店で「エゴマの実」を購入、健康食品のエゴマを家で楽しめる、ラッキー!「ろうばいの郷」は冒頭の写真のように、妙義山の近くにあります。このブログの最後に「妙義山と蝋梅のコラボ」の写真を2枚UPします。今度群馬に来る時は、妙義山に行ってみたい!
2017年02月05日
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明日香村・八釣地区の蝋梅青空の下、黄金色の花が春を呼ぶ「花遍路」を続けているリュウちゃんにとりましては、1月、2月は鬼門の月です。暦では10月のことを「神無月」といいます。これは10月には八百万の神が皆、出雲に集まるので、出雲以外の神社では神様が不在になるという伝説から来ていますが、1月、2月はリュウちゃんにとりましては「花無月」なのです。「花無月」の「花遍路」、何の花を観に行こうか?一昨年から「冬の花」としまして、1に「蝋梅」2に「寒牡丹」、「冬牡丹」を観に行くようにしました。「蝋梅」と「寒牡丹」が一挙に観られるスポットとしましては、奈良県葛城市にある「石光寺(せっこうじ)」がありますが、「寒牡丹」は早くも終了、ここを諦め、まだ一度も行ったことのない長谷寺の冬牡丹」を観に行くことにしました。奈良の蝋梅の名所はは明日香村の八釣(やつり)地区しか無い。という訳で、八釣地区の蝋梅と長谷寺の「冬牡丹」を一日で観るという少し無理がある計画を実行したという次第です。午前10時ジャスト、明日香村への起点である近鉄「橿原神宮前」駅に到着下の写真は「橿原神宮前」から徒歩10分の所にある「孝元天皇陵」(前方後円墳)です。孝元天皇陵、ここは明日香村の入り口なのだ!明日香村に入って、これまで行ったことのない「雷丘(いかづちのおか)」に足を運びました。ここの住所は明日香村大字雷(いかつち)、住所の読み方は濁点がないのだそうです(ちょっと不思議?)下の写真は「雷丘」の近くで撮った大和三山の一つ、「畝傍山」です。畝傍山の右後方に霞んでいるのは「二上山」です。「雷丘」から徒歩20分位で「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」に到着、この神社の石段横に蝋梅が咲いてました。この蝋梅、「切り枝」なのかな?「飛鳥坐神社」の裏手に、藤原鎌足生誕の地とされる「大原神社」があります。「大原神社」の前の道を左に曲がって5分ほど歩きますと、奈良一番の蝋梅の名所、「八釣地区」に到着、ここは私有地で、観光用に整備されていないが、やはり蝋梅は見事だ!八釣地区を後にして、今回リュウちゃんが初めて行く奈良県最大の前方後円墳である「見瀬丸山古墳」に向かいました。「見瀬丸山古墳」は近鉄吉野線の「岡寺駅」の近くにあります。もう午後1時を過ぎた。お腹が空いた!という訳で、岡寺駅の近くにある中華料理店で餃子と炒飯とビール(中瓶2本)で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!初めて行く巨大古墳に期待が膨らむ。昼食を終えたのが午後1時40分、古墳はこの店から近い筈ですが、念の為、店主に聞いてみました。リュウちゃん「見瀬丸山古墳に行きたいのですが、どう行ったらいいのですか?」店主「見瀬丸山古墳はうちの店の裏側ですよ、徒歩3分です」いい店に入って良かった!下の写真が中華料理店から徒歩2分の場所から撮った「見瀬丸山古墳」の後円部です。(「見瀬丸山古墳」のデータ)★全長318mの前方後円墳、奈良県1位、全国6位の巨大古墳★全長28,4mの横穴式石室(全国最大の石室!)、石室内には大小2基の石棺が納められていた。★被葬者は誰か?→(1)天武天皇と持統天皇の合同陵説、(2)欽明天皇とその皇后・蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)の合同陵説、(3)蘇我稲目説、リュウちゃん、「見瀬丸山古墳」の存在を知ったのは、今年に入ってからです。何故、奈良県最大の前方後円墳の存在を今まで知らなかったのか?一つは、この古墳が明日香村ではなく、橿原市にあるということで一般的に観光地として宣伝されていないこと、一つは天皇陵として治定されておらず、周辺の整備もされていないこと、等々の原因から、これまでリュウちゃんの貧しい視野に入ってこなかったのですが、古代史ファンとしては迂闊でした。もう午後2時半だ、急いで長谷寺に行こう!近鉄長谷寺駅に着いたのが午後3時過ぎ、長谷寺に着いた時には、もう夕暮れが迫ってきていました。長谷寺の冬牡丹、少し盛りを過ぎていましたが、ちょっと無理してでも来て良かった! 長谷寺にも若干の蝋梅が咲いていました。最後は素戔嗚神社の「初瀬の大イチョウ」、秋に来た時は境内一面に「黄金の絨毯」が敷かれていましたが、真冬の今は絨毯は無くなり、砂地の境内になっていました。よし、今年の春は長谷寺に桜を観に行こう! ーーーーーーーーーーーーー<特報>1月8日、群馬の娘、女児出産!孫ちゃん4姉妹になりました。風邪をこじらしてしまい、「孫を訪ねて群馬行き」が遅れてしまいましたが、明日(1月23日)に群馬に行くことにしました(1月26日夜、奈良に帰る予定です)「のぞみちゃん」、誕生おめでとう!爺ちゃんももうすぐ群馬に行くから、待っててね!
2017年01月22日
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大阪城天守を借景に大阪城梅林の梅咲き始める、蝋梅は如何?新春の1月8日、「大阪城梅林公園」と「うめきたガーデン」に行ってきました。2017年の「花遍路」のスタートです。「大阪城梅林公園」は、梅の花ではなく、「蝋梅」を観るのが目的です。「うめきたガーデン」はブログ友「Huちゃん」が昨年暮れにここを訪れ、彼の素敵なフォトブログ「Huちゃん写真日記」(以下のURL)に連載中です。http://plaza.rakuten.co.jp/husan/大阪城梅林公園、蝋梅は咲いているかな?うめきたガーデン、日本で一番早いとされるクリスマスローズが観られるのかな?今回は午前中に大阪城公園を散策し、「京橋」の行きつけ(?)の大衆割烹店で昼食(勿論、メインは「生ビール」です!)、午後、JR大阪駅の北側にオープンした「うめきたガーデン」に行くという計画です。午前9時半、JR大阪環状線の「森ノ宮」駅到着、噴水のある入り口から「玉造口」を経て梅林に入りました(以下に大阪城公園のMAPを掲載します。外堀と内堀に挟まれたピンク色の所が「大阪城梅林公園」です。「森ノ宮」駅から徒歩10分少々で「梅林公園」に到着、ありゃ~、一望したところ、蝋梅は全然無い!リュウちゃん、新春から狼狽だ(苦笑)公園内で先ず目に飛び込んで来たのが、梅の木の下に咲く水仙です。可憐で凛々しい水仙、新春を代表する花だ!大阪城梅林公園には、100種1270本の梅の木が植えられている関西でも屈指の「梅の名所」ですが、さすがにこの季節は殆どが「つぼみ固し」、しかし、10本程の梅の木は開花が始まっていました。もう開花が始まっている!今年は梅の「見頃」が早いのかな? 梅林内を2周しましたが、お目当ての蝋梅は何処にも見当たりません。思い余って、梅林の梅の木のデータを一本づつ確認されていた管理人と見受けられる中年の男性に質問しました。リュウちゃん「この梅林に蝋梅が咲いていると聞いて観にきたのですが、蝋梅は何処に咲いているのですか?」管理人さん「ああ、蝋梅ならいっぱい咲いていますよ、そこにある黄色い葉の木が蝋梅です」実はリュウちゃん、梅林を2周した折に、約1,5m程に選定された黄色い葉の付いている木の株を幾つか見ていたのですが、これが全て「蝋梅」だったという次第、「蝋梅は葉が無く、小さく可憐な黄色い花だけが付いているもの」という予見は見事に外れたという次第です。接近して見れば、確かに「蝋梅」はいっぱい咲いていました。もうちょっと大きい蝋梅が観たかった!蝋梅の花が小さすぎて、大阪城の天守閣とのコラボ写真は撮れませんでしたので、以下に天守閣のみの写真をUPします。天守閣から裏側にある「大阪城ホール」を経て、JR・京阪の「京橋駅」まで歩きました。京橋駅の近くの「飲み屋街」の大衆割烹店で昼食、プファ~。生ビールが旨い!新鮮なネタのにぎり寿司が腹に沁みる!午後1時過ぎ、JR大阪駅に到着、ここから「うめきたガーデン」までは徒歩10分弱、以下は「うめきたガーデン」のHPです。http://umekita-garden.com/index.html「うめきたガーデン」の概要をHPから引用します。「JR大阪駅の北側、都会の真ん中に花と緑があふれる庭園が誕生、国内外で活躍する庭園デザイナー、石原和幸氏が手がける2つの庭園や10万株の花畑、植物の壁で囲まれた小径など、さまざまな花と緑が楽しめます」下の写真は入り口のフラワーリングです。フラワーリングの右奥に、このガーデンのシンボルである「丸木小屋カフェ」が映っています。「丸木小屋カフェ」の前面には、今、パンジー(ビオラ)、葉ボタン、スノーボール、キンギョソウ、デージー、イベリス、ベチュニア、ノボタン、クリスマスローズなどが咲いている「花畑」があります。下の写真は「葉ボタン」の花畑、葉ボタンもこれくらい集まると壮観ですね。リュウちゃんが「うめきたガーデン」に行ってみようと思った主な理由は、普通この季節には見られない「クリスマスローズ」がいっぱい咲いているということを知ったからです。以下、ここで見かけたクリスマスローズの写真を何枚かUPします。真冬のクリスマスローズ、やはり心が明るくなる!丸木小屋カフェの裏側に「菜の花」が咲いていました!菜の花の周りには、何と、コスモスが咲いていた!リュウちゃんの住んでいる斑鳩町では、コスモスは初夏から12月上旬まで、ほぼ半年間、開花が楽しめるのですが、新春に咲くコスモスは初めて見ました。真冬のコスモス、新年最初のサプライズ!うめきたガーデンに来て良かった!最後の写真はうめきたガーデンの近くの「梅田スカイビル」の階下の庭園の「残り紅葉」です。まだ紅葉が残っている!梅田北エリアは素敵な「花遍路」のスポットだ!ーーーーーーーーーーーーー<少し遅れた特報!>リュウちゃんの畏友アッちゃん、神田の蕎麦屋でトム・ハンクスに遭遇、トム・ハンクス自撮りの写真、SNSで全世界に拡散!上記の写真、昨年、映画「ハドソン川の奇跡」のプロモートのために来日したハリウッドの名優トム・ハンクスが9月16日の夕方、神田の老舗蕎麦屋「まつや」で、自撮りして、SNSに拡散した写真です。この写真はその後、フジテレビの「とくダネ!」、TBSの「あさチャン!」「王様のブランチ」にも取り上げられたそうです。写真左下が自撮りしたトム・ハンクス氏本人、2人おいて左手で大きく「パー」のサインを出している矢沢永吉に似たオジサン(ピコ太郎にも似ている?)がリュウちゃんの畏友「アッちゃん」なのです。アッちゃんはこのトム・ハンクスとの遭遇について、「カプリネット」という小さなレコード会社のHPで連載しているコラム「クラシック 未知との遭遇」の2016年9月26日公開の「奇跡の夜~トム・ハンクスと遭遇の顛末」というコラム(以下のURL)で、詳細に書いています。http://caprinet.e6.valueserver.jp/temp3.html#20160926このコラム、大変面白いので、一部の文章を下記に貼り付けます(全文は上記URLでお読み下さいね)~~「ハンクス氏は「何その会社っ?」ってな感じだったので、「エルヴィス・プレスリーの会社だ」とハッキリ言ったところ、「Oh Elvis!Nice!」ときた。そして、いきなり「Love me tender love me true ・・・・・」と歌い出すじゃありませんか。おやおや、実に気さくで乗りがいい! なんだか盛り上がってきたぞ。 ハンクス氏に同行の青年が大仰なカメラでパチパチやっている。なかなかの男前。なんとなく声を掛けたくなって、私「Your camera is LEICA?」とやってみた。青年「No, This is Nikon」。判ってますよ。で、さらに私、「No No It’s LEICA」とやったあと、「Like a bridge over troubled water I will lay me down」と「明日に架ける橋」のサビを歌っちゃいましてね。青年はキョトン。ところがハンクス氏、ここで「When you’re weary feeling small・・・・・」と頭から歌い始めるじゃありませんか! サビしか知らない我々は、ハンクス氏に合わせなぞりつつ、サビにきたら「ライカ ブリッジ オーバー トラブルドウォーター・・・・・」と大合唱(でも小音量)。場は一気に盛り上がり、日米親善の輪はいきなり最高潮に達したのであります。 こうなると、気さくなハンクス氏はさらにヒート・アップ。「スキヤキを歌おう」ということに。手持ちのスマホにローマ字の歌詞を出して、クルーにかざしながら「ウエヲ ムウイテ アールコオ」と歌い出す。この国民的歌謡曲なら歌詞大丈夫な我々は自然に唱和、再度大合唱に(やはり小音量)。歌い終わって「この歌が全米第1位に輝いたのは1963年でした」と私。Tくんも負けずに「この歌のメロディーはベートーヴェンのピアノ・コンチェルト『皇帝』とソックリなんですよ」と一蘊蓄。ハンクス氏はただニコニコ笑っている。本当にいい人だ。今度はSP氏、Hくんを指さして「あなたは『タクシードライバー』の俳優みたいだ」。えっ、「タクシードライバー」といえばロバート・デ・ニーロでしょ。本当かなあ? 何かの勘違いにしても、悪い気はしないHくんでした。 そんな流れの中、ハンクス氏、やおらスマホを取り出し自撮りを。「後ろの人たち内に寄って」ハイ、ポーズ。まさかこの写真が数日後にエライことになろうとは!」~~アッちゃんはリュウちゃんより一歳年上、今年72歳になります。万年青年のアッちゃん、いや、兄貴!これからもご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。
2017年01月14日
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奈良県屈指のフラワーパーク「馬見丘陵公園」初冬に咲く皇帝ダリア、気高くも清楚今年の紅葉狩りを終えた12月中旬、最近、気に掛かっていました「皇帝ダリア」を観たいという願望がムクムクと沸いてきました。リュウちゃんが皇帝ダリアを気に掛けるようになったのは、比較的最近のことです。「ひまわり」のような丈の高い幹の上に桔梗を大きくしたような格調高い清楚な花をつける不思議な花木、最近、リュウちゃんの住んでいる斑鳩の里でも、よく見かけるようになった不思議な花木、これ、何という花なのだろう?そう、リュウちゃんが、この不思議な花木の名称が「皇帝ダリア」だと知ったのは、一昨年のことだったのです(相変わらずの「花音痴」ですね、トホホ!です)近所で「皇帝ダリア」のビュースポットはないのだろうか?と思っていました所、テレビのローカルニュースで、<「馬見丘陵公園」の「北エリア」の橋のたもとに、100本ほどの皇帝ダリアが植えられて、来場者の目を楽しませている>と報じられました。良し、善は急げ、「馬見丘陵公園」に皇帝ダリアを観に行こう!リュウちゃんの家から「馬見丘陵公園」までは車で約15分、前回のブログの「信貴山・朝護孫子寺」より少し近いのです。今回は午後から女房殿の運転する車の助手席に乗り、「馬見丘陵公園」に出掛けました。実は10月中旬にも、馬見丘陵公園の「ダリア・フェスタ」を観に行ったのですが、ブログを公開する機会を逸していましたので、今回、先ず「ダリア・フェスタ」で撮ったダリアの写真を公開し、その後で「皇帝ダリア」の写真をUPしたいと思います。<「ダリア」のウィキペディアより>花音痴のリュウちゃん、例によりまして「ダリア」の基本的な知識をウィキペディアで俄か調べしました。以下に幾つか羅列してみます。★<分類>キク科ダリア属の多年生草本植物の総称、バラやチューリップと並び、最も標色の変化に富んだ花、まだ青色、緑色のダリアは無い。★<和名>テンジクボタン、★<原産地>メキシコ、★<ヨーロッパへの伝播>1789年、スペインに伝播、★<日本への伝播>1842年(天保13年)、オランダから長崎に持ち込まれた。★<皇帝ダリア>別名「木立(キダチ)ダリア」、メキシコ原産のダリアの「原種」の一つ、ヨーロッパには1863年に紹介されたが、伝播の時期は不明、日本への伝播も不明、う~ん、「皇帝ダリア」は未だに「謎の花」なのだ!さて、10月中旬に撮ったダリアです。「アメリカ・ダリア・ソサエティ」では、ダリアの「花容」を16通りに分類していますが、ここでは以下に紹介するダリアの「花容」のみを紹介します。(1)フォーマル・ディコラティブ(幅広い花弁の万重咲き)(2) インフォーマル・ディコラティブ(花弁に変化のある万重咲き)(3) ストレート・カクタス(細花弁の万重咲き)(4) インカーブド・カクタス(細花弁が内側に彎曲したもの)(5) セミ・カクタス(ディコラティブとカクタスの中間)(6) ポンポン(管状の花弁が球状に万重咲きになったもので大きさが5cm程度)(7) コラレット(花弁のもとに副花弁があるもの)以上でリュウちゃんが知っていたのは「ポンポンダリア」だけなのだ(苦笑)<馬見丘陵公園のダリア>(1)「ケノラ・ワイルド・ファイアー」(L:セミ・カクタス):(ここの「L」は花のサイズを表します。一番大きい花は「G」、以下、大きい順に「L」「M」「S」となります。「S」は一番小さい花なのです)(2)「ロマンス」(M:カクタス)(3)「ねむの雨」(M・L:セミカクタス)(4)「エルマ・エリザベス」(M・L:デコラティブ)(5)「曙(あけぼの)」(M:デコラティブ)(6)「光炎(こうえん)」(M:デコラティブ)(7)「あけぼの」(M:デコラティブ)、(5)の「曙(あけぼの)」とは全く違う種類ですね。(8)「レッド・スター」(M:ポンポン)、やっとリュウちゃんが唯一知っていた「ポンポンダリア」の登場です(苦笑)(9)「淑女」(M:カクタス)(10)「奈々」(タイプ:コラレット)朱色の花弁に囲まれた黄色い「ひまわり」、今回のダリアでリュウちゃんの一番の「お気に入り」のダリアなのです。(11)「フィダルゴ・ブラッキー」(S:フォーマル・ディコラティブ):安倍文殊院で見た「チョコレート・コスモス」に似たダリアです。(12)「銀鱗」((M・L:ディコラティブ)(13)「エモリー・ポール」(G:ディコラティブ)今回唯一のGサイズの大輪です。(14)「ゾロ」(L:ディコラティブ)(15)「クロイドン・エース」(L:フォーマル・ディコラティブ)(16)「大正浪漫」(L:ディコラティブ)このダリアも素敵だったので、2枚の写真をUPします。う~ん、ダリアの種類もほぼ無限のようだ!<皇帝ダリア>「馬見丘陵公園の皇帝ダリア」は高い陸橋の下に植えられていました。ご承知のように皇帝ダリアは背丈が通常5mを超えますので、その花は空を仰ぎ見るように見上げることになりますが、陸橋の下に植えることによって花が人の目線と水平になるように工夫されたという次第です。最近に観る皇帝ダリアの花、素晴らしい!最後の写真は帰路の途中で撮った大和川と近くの「枯れススキ」です。大和川の向こうに霞む山並みの頂点は、前回のブログで紹介しました朝護孫子寺のある「信貴山」なのです。リュウちゃんも「枯れススキ」の年代に入って来ました。少し「トホホ!」なのです。
2016年12月24日
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樹齢1500年!聖徳太子生誕の100年前に芽を吹いたカヤの神木時代の星霜を見つめ、今もここに立つ新聞の「紅葉便り」も終わった12月上旬、昨年と同様にリュウちゃんの家の近所にある紅葉の名所、「信貴山・朝護孫子寺(しきさん・ちょうごそんしじ)」に行ってみました。最近、仕事で信貴山に行く機会が多くあり、新聞の「紅葉便り」と違い、まだ紅葉は「見頃」であることを自分の目で確認していたのです。それと、今年のリュウちゃんの紅葉狩りのもう一つの目的、「巨樹探訪」の一環としまして、「信貴山の2本の巨樹」を改めて観たいと思ったからです。昨年は約2時間掛けて徒歩で行ったのですが、今年は午後から女房殿の運転する車の助手席に乗って信貴山に登りました。リュウちゃんの家から、「信貴山・朝護孫子寺の駐車場まで約20分今回はおにぎり弁当・缶ビール持参無し(少し残念)、「信貴山・朝護孫子寺」は伝承によれば聖徳太子が推古2年(594年)に創建したとされていますが、確実な史実では、平安中期の延喜2年(902年)、醍醐天皇が「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の名称が付けられたとされています。戦国時代には木沢長政によって信貴山山頂に「信貴山城」が築かれましたが、天正5年(1577年)、「信貴山城」(城主:松永久秀)は織田信長によって攻められ滅亡、その際、「朝護孫子寺」も焼失しまさいたが、豊臣秀頼によって再建されました。現在見られる「本堂」などの伽藍は全て江戸時代以降に建てられたもののようです。以下にネットから拾った「信貴山・朝護孫子寺の案内図」を貼り付けます。下図で朝護孫子寺の紅葉の見所は、(1)入り口の「世界一の大寅」の手前の「納経所」の裏手、「剱鎧護法堂」に至る赤い鳥居の並ぶ辺り、(2)「千手院」の左側、「十三重石塔」の周囲、の二か所です。ここの紅葉は「本堂」に続く参道から俯瞰した眺めも絶景なのです。下の写真は、上記(1)の「納経所」付近の紅葉、ちょっと淋しいですね。朝護孫子寺のシンボル、「世界一の大寅」です。福寅の頭上に「本堂」が見えます。ここは朝護孫子寺定番のビュースポット、大寅はいつも微笑ましい!「大寅」を通り過ぎて、「赤門」から「本堂」に続く参道の右側は「一面の紅葉の世界」です。少し「見頃」を過ぎているようだがまだまだ充分に「見頃」だ!十三重石塔の辺りから「本堂」の石段を上ります。この辺りから観る紅葉も中々素晴らしい。下の写真は、舞台造りの「本堂」の上で撮りました。この「本堂」からの眺めは絶品で広く大和平野が一望出来るのです。京都の清水寺、奈良・桜井市の長谷寺、朝護孫子寺はリュウちゃんの「三大舞台」なのだ!舞台からの眼下に「お堂」が見えます。このお堂、何なのだ???後で調べましたところ、上掲のお堂は「剱鎧護法堂(けんがいごほうどう)」、平安時代、醍醐天皇の病気平癒にご利益があったとのことで、現代でも信仰が続いているのだそうです。今度朝護孫子寺に来る時には、「剱鎧護法堂」に行くぞ!◎朝護孫子寺の2大巨樹(1)~千手の公孫樹(イチョウ)・仏手白果(ぶってはっか)十三重石塔に付近に1本だけ生えているイチョウの古木です。特に「巨樹」という訳ではないのですが、今回初めてこのイチョウの近くに立てられているパネルを見て、このイチョウが全国でもたった2本しかない「仏手白果」という珍しい種類のイチョウであることが判りました。以下、パネルの文面をそのまま文字起こし致します。<千手の公孫樹(イチョウ)・仏手白果(ぶってはっか):樹齢500年>木の枝ぶりが千手観音の手に似て、又、銀杏の形が仏の合掌される両手に似ているところから千手の公孫樹、仏手白果と名づけられた。中国産の品種で、日本では宮崎高千穂の岩戸神社の境内にある一本だけとされていたが、昭和58年7月、学者により偶然発見された。日本で2番目の極めて珍しい巨木である。◎朝護孫子寺の2大巨樹(2)~「朝護孫子寺」の神木、樹齢1500年の榧(かや)の木、榧はイチイ科カヤ属の常緑針葉樹、日本では最高級の碁盤・将棋盤の材として珍重されています。歌好きリュウちゃんにとりましては、以下の「かやの木山の」という歌曲で親しい樹木なのです。歌曲「かやの木山の」(詞:北原白秋、曲:山田耕作)https://www.youtube.com/watch?v=wu1kYr_STBUかやの木山のかやの実はいつかこぼれて拾われて山家(やまが)のお婆さはいろり端粗朶焚き柴焚き燈(あかり)つけかやの実かやの実それ爆ぜたこんやも雨だろ もう寝よ眠よお猿が啼くだで 早よお眠よフォトブック「奈良の巨樹たち」によりますと、この神木は樹齢:1500年、樹高:24m、幹周:4,0mこの神木の下に、下記の文面の紹介文が記されていました。<神木 榧(かや)の木、樹齢1500年>今を去る1500年の昔、日本の国は氏族制度で蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るために争っていた時代である。時にこの地に一粒の榧(かや)の実から若芽が誕生したのである。それはこの榧の木であった。それから百年後、蘇我馬子は仏教の普及に努力せんとしたが、物部守屋はこれに反対し、双方の対立抗争はついに長く苦しい激戦となった。この時、聖徳太子は守屋討伐のため、自ら陣頭に立ってこの地に進み毘沙門天を感得され、そのご加護で物部軍を降伏させ、日本の仏教の栄える礎を築かれたのである。以来、樹齢1500年の神木榧の木は世の有為転変を語らんとするや、ひたすら黙して語らず。う~ん、幹周4メートルは「巨樹」とは言い難いが、樹齢1500歳の貫禄は圧倒的だ!最後の写真は、榧の神木の近くにある聖徳太子像です。この像は「長崎平和記念像」で有名な彫刻家・北村西望により制作されました。朝護孫子寺の聖徳太子像と長崎平和記念像は兄弟だったのだ!
2016年12月18日
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神武天皇が植えたとされる八ツ房杉、八方に幹を延ばし、雄大!今年の春、奈良のテレビ・ローカルニュースで、<奈良カエデの郷「ひらら」>が何回か紹介されました。(奈良カエデの郷「ひらら」プロモーションビデオ)https://www.youtube.com/watch?v=LQ9r8jnKC-Qこれらのニュースによりますと、★「ひらら」は奈良県宇陀市菟田野(うたの)にある旧・宇太小学校の敷地と木造校舎を利用して、2013年にオープンした。★「ひらら」には、16000平方メートルの敷地に、1200種3000本のカエデが植えられている。これはカエデの種類としては世界一の収集である。★「ひらら」の膨大なカエデは、写真家でありカエデ研究家である矢野正善氏が寄贈したものである。(矢野氏を紹介した「まほなび」のサイト)http://mahonavi.narakko.jp/nature/ids/001836.html1200種3000本のカエデ(紅葉)!これは凄そうだ。よし、今年の紅葉狩り事始めは「ひらら」に行こう!例によりまして奥方お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、朝8時に法隆寺出発、法隆寺から「ひらら」までの行程は以下です。JR法隆寺~JR大和郡山~(乗り換え)~近鉄郡山~近鉄八木~(乗り換え)~近鉄榛原(はいばら)~乗り換え)~奈良交通バス榛原~奈良交通バス古市場水分(みくまり)神社下車、徒歩3分。午前10時、「ひらら」の入り口に到着、「ひらら」の正式名称は「ワールドメイプルパーク・奈良カエデの郷・ひらら」なのです。「ひらら」に変身した旧・宇太小学校は明治7年開校、平成18年、小学校の統廃合により132年の長い歴史を閉じ、平成25年に「ひらら」として生まれ変わりました。今も昔と同じように3棟の古い木造校舎が現存していて、2本の大きなイチョウの木がシンボルのように天に向かって伸びています。校舎の中では、地元のNPO法人によってさまざまなイベントが開催されています。リュウちゃんが行った時には「木造校舎現代アート展 WSMA」というイベントが開催されていました。さて、カエデ(紅葉)です。園内の1200種類のカエデは、まだ開園して間もないせいか、殆どが苗木に近い幼木です。全てのカエデの木の下に、カエデの名称が書かれたプレートが掲げられています。以下、幾つかのカエデの写真をUPしてみます。(1) イロハモミジ:;通常、私たちが「紅葉狩り」で、一番よくお目にかかる紅葉です。名所の紅葉の大半はこの紅葉です。よく人間の小さな手のことを「モミジのような手」と形容しますが、人間の手は5本指であるのに対して、イロハモミジの葉の指は5本(5裂)~9本(9裂)あるのだそうです。このモミジの名称は葉裂(指の数)を、「イロハ二ホヘト、、、」と数えたところに由来するそうです。イロハモミジの指は5本から9本もあるのだ、ちっとも知らなかった!(2) 紅色宮様(3) 柳生の里(4) 青雲閣(カエデの蘊蓄その1:カエデの語源)カエデの名称の由来は、葉が蛙の手に似ていることから古来「カエルデ」と呼ばれていて、それが転化して「カエデ」と呼ばれるようになったようです。でも、カエルの手(前肢)の指は4本!、昔の人は観察が甘かったのかな?(5) 雅錦(6) 貴宝錦(カエデの蘊蓄その2:カエデの種類)カエデは「バラ類ムクロジ目ムクロジ科カエデ属」の樹木の総称なのだそうです。英語ではメイプル、カナダを代表する木である「サトウ(砂糖)カエデ」の葉は「メイプルリーフ」と呼ばれ、カナダの国旗や「メイプルリーフ金貨」にデザインされていることで有名ですね。世界には150種位のカエデの原種があるようで、その内、日本産のカエデは29種と云われています。(日本のカエデ29種を紹介した「ムクロジの仲間たち」のサイト)http://mten.ifdef.jp/kaede.htmlしかし、「ひらら」のカエデは1200種、原種の数より遥かに多い! 何でやねん?これ、多分、「ひらら」のカエデは殆ど原種から生み出された園芸品種だろうとリュウちゃんは勝手に解釈しています。。(7) 紅司枝垂(8) 新珠(カエデの蘊蓄その3:カエデ、モミジ、紅葉(モミジ)、紅葉(こうよう))大半のカエデは秋に紅葉(こうよう)しますが、中には常緑樹のカエデもあります。また、ドウダンツツジのように見事に紅葉(こうよう)するカエデではない紅葉(モミジ)もあります(秋の桜の葉の紅葉(こうよう)もそうですね)、つまり紅葉(こうよう)イコール紅葉(モミジ)ではない!?!?何だか話がややこしくなって来ましたので、俄か蘊蓄はこの辺で止めにします(苦笑)(9) HUBB‘S RED WILLOW(10)赤葉実生実はリュウちゃん、「ひらら」で20種類以上のカエデの写真を撮ったのですが、余りに煩雑になり、カエデ素人にリュウちゃんにとりましても区別がつきませんので、ブログの写真のUPはこの辺で打ち止めと致します。「ひらら」のテレビニュースによりますと、ここのカエデの一番の見頃は大方の予想に反して「春」なのだそうです。よし!来年の春には、「ひらら」に一番の見頃のカエデを観に行くぞ!★桜実神社の八房杉「ひらら」を出たのが午前11時半、国道の傍に「宇陀市観光地図」を見つけました、その地図で、リュウちゃんが予てから観たいと思っていた奈良県屈指の巨樹、「八ツ房杉」のある桜実(さくらみ)神社が近くにあることが判りました。念願の八ツ房杉、こんな所にあったのだ!よし、これから歩いて八ツ房杉を観に行こう!「宇陀市観光地図」には距離が書かれていませんでしたが、目分量で大体30分位歩けば桜実神社に着くだろうと勝手に判断し、国道166号線を南下しました。しかし、歩いても歩いても桜実神社に着かない、何処まで歩けば桜実神社に着くのだ???結局、桜実神社に着いたのは午後1時少し前でした。「ひらら」から1時間20分近く掛かってしまいました(やれやれ!)(桜実神社のHP)http://www.geocities.jp/engisiki/yamato/html/031013-01.htmlおお、ここの紅葉、素晴らしい!お目当ての「八ツ房杉」は、社殿横の石垣の上にありました。社殿横に「八ツ房杉」の由来が書かれたボードが設置されていました。ボードには、以下のような記述がありました。八ツ房杉(天然記念物)その昔、神武天皇が大和平定の際、菟田の高城(うだのたかぎ)に陣営を張られた時、植えられたものと伝えられる杉の巨木です。八ツ房杉とは八幹からなる意味で大小八つの幹が巨大な株状を成しています。樹形は極めて奇態、ひとつの株から伸びた八本の幹が互いにからみ合い、ある幹は途中で一本になり、再び分かれるといった極めて珍しく目をひきます。樹皮は普通の杉とは異なり、美しい赤色をしており、枝は大きく天を覆っています。昭和7年4月25日に国の天然記念物に指定されています。★最大樹高:14メートル★樹幹周囲:9メートルう~ん、聞きしに勝る凄い巨樹だ!幹の後ろ側はどうなっているのだろう?リュウちゃん、興趣に駆られて石垣の上に上り、幹の周囲を一周しました。後ろ側は深い谷、落ちたらイチコロです。幹の周囲に張り巡らされた鉄柵に掴まりながら、おっかなびっくりの一周でした。えっ?昼食はどこで摂ったかですって?昼食は桜実神社の近くの山の中にある、神武天皇の城跡(日本最古の城跡)とされる「菟田の高城(うだのたかぎ)」で摂ったのです。プファ~、ビールが旨い!古代ロマンが身に迫る!
2016年11月25日
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根元一本、花数1500輪!特作花壇日本一に輝く三色千輪咲き特作花壇の逸品(前回のブログの続きです)(4) 小品盆栽花壇:小菊のミニ盆栽を組み合わせて花壇として構成するものです。構成する鉢の数は奇数なのだそうです。★小品盆栽花壇日本一!、(作者)山上三二氏(大阪府)(5) 盆栽花壇:小菊を木付け、岩付け等にして造形する花壇、5鉢(木・岩など)で構成されるようです。★和泉市長賞、ニュージーランド大使館賞受賞作、★財務大臣賞受賞作、★外務大臣賞受賞作、★大阪市長賞受賞作、★京都府知事賞受賞作、★明石市長賞受賞作、あれ?盆栽花壇日本一が無い!本当に無かったのか? それとも見落としたのか?(6) 特作花壇:菊花展で最も豪華かつ華やかな部門です。大菊小菊、大小さまざまな菊花を使い、一本立、三本立、懸崖作り、盆栽作りなどのさまざまな菊仕立てを組み合わせ、一つの大きな世界を表現するもの、いわば菊花の総合芸術です。伝統的な「菊人形」もこのカテゴリーに入るのかも知れませんね。(特作花壇会場風景)★和泉市議会議長賞受賞作、★タイトル「天空の城・越前大野城」、大阪府知事賞受賞作、★衆議院議員賞受賞作、★タイトル「里の秋」、貝塚市市長賞受賞作、★和泉商工会議賞受賞作、★「宝船」、衆議院議員賞受賞作、そして、前回及び今回の冒頭の写真の、★「三色千輪咲き特作花壇」:特作花壇日本一!、内閣総理大臣賞、日本菊花全国大会会長賞、オランダ大使館賞受賞、(作者)遊佐美徳氏(福島県二本松市)、作者の遊佐美徳氏、どんな人なのか?少しネットで検索しましたところ、以下の2つの記述に出会いました。(1)(二本松菊人形展の3色千輪咲きのブログ記述:2010年11月)「三色千輪咲き」は栽培に1年2カ月を費やした労作だ。説明書きによると、外国産のヨモギを台木にして赤、白、黄の菊を接ぎ木するんだそうだ。まず、前年の8月下旬か9月にヨモギのタネを播き、翌年の2〜3月に配色を考えて接ぎ木をする。その後、芽を摘む摘心を繰り返す、、、簡単に言えばこういうことなんだけど、並みのことではないんだろう。「世界初」だそうです」(2)(平成26年の二本松市市長のHPより)「第31回日本菊花全国大会の特作花壇の部に出品した二本松菊花愛好会副会長遊佐美徳さんの「千輪咲き」が内閣総理大臣賞を受賞しました。二本松菊花愛好会会長の今福正さん、副会長の伊東勝夫さんと来庁し、喜びの受賞報告となりました。「二本松伝統の“千輪咲き”で、次回は全部門で一位相当となる高松宮妃記念杯受賞を目標に精進したい」とのお話しをいただきました」以上2つのネット記述を総合しますと、「遊佐美徳氏は福島県二本松市の菊花愛好会副会長をされている菊花作出家で、平成23年に世界で初めて「三色千輪咲き」を作出、「二本松菊人形展」に出品した。一昨年の第31回日本菊花全国大会にも「三色千輪咲き」を出品、今回と同じ内閣総理大臣賞を受賞したが全部門の1位相当となる「三色千輪咲き」は今年も受章出来なかった」ということになります。遊佐美徳様、来年こそは素晴らしい「三色千輪咲き」で高松宮妃記念杯賞を受賞して下さいね!
2016年11月23日
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根元一本、花数1500輪、大阪府和泉市・国華園で開催されている菊花展の華、正に華麗!11月6日、生まれて初めて大規模な「菊花展」を観に行って来ました。開催場所は大阪府和泉(いずみ)市にある大規模園芸店「国華園」、(以下のサイトは「国華園オンラインショップ」のサイトです)http://www.kokkaen-ec.jp/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=下記のサイトは国華園で開催される菊花展の風景です。キャッチフレーズは「30万本の菊が咲き誇る日本最大級の菊花の祭典」http://www.kokkaen.co.jp/kikka/hukei.htmリュウちゃん、昨年の今頃、このサイトを見て、来年は絶対、国華園の菊花展を観に行くぞ!と心に誓ったのでした。何故、こんな辺鄙な場所で、日本最大級の菊花展が開催されているのだろう?国華園は「国の華(花)」である菊の品種改良並びに販売を事業の中心として昭和2年に創業、昭和55年、1000余の菊花団体の県代表者が一同に集い、会員15万人の「日本菊花会」を結成、その事務局を国華園内に設け、結成の数年後に第1回日本菊花全国大会を開催、今年で33回目の開催になるのだそうです。ふ~ん、そんな歴史があったのか、少し納得!この菊花展は以下の7部門に分かれて毎年11月5日にコンクールが行われます(部門の名称は以下です)(1) 福助花壇、(2) 三本立単体、(3) 三本立花壇、(4) 小品盆栽花壇、(5) 盆栽花壇、(6) 切り花・ダルマ,(7) 特作花壇、リュウちゃんが行った日はコンクールの翌日で、各部門の受賞作が発表されていました。能書きはこれ位にして、部門別に菊の花を観て行きます。(1) 福助花壇:一輪菊5鉢を縦に並べて展示、花丈は鉢底から花頂まで50cm以下、5鉢共、異種の菊で出品されます。★参議院議員賞・ニュージーランド大使賞受賞作、(菊の種類は上から、「荘厳」、「越山」、「金山」、「強大」、「紅葉」です)★大阪府市長賞受賞作★福助花壇日本一!、国土交通省受賞作、(作出者)兵庫県・加藤吉和氏、(菊の種類は上から「国華理想」、「国華越山」、「国華金山」、「国華聖者」、「太平紅葉」です。頭に「国華」と付く菊は、国華園で作出された菊だと思われます)★大阪府都市整備部長賞受賞作、花弁が管状の菊のみで構成されています。(菊の種類は上から「泉郷五色」、「泉郷微笑」、「泉郷明星」、「清見白由来」、「清見由来」です)★大阪府議会議長賞受賞作★大阪府医師会賞受賞作、★読売新聞社賞受賞作、(2) 三本立単体:「三本立」とは、一本の苗を摘心し3本に分枝させ、3輪の花を咲かせる菊のことです。この部門は個々の受賞作品をきちんと撮影出来ませんでしたので、目についた作品の写真のみを以下に何点か紹介します。(3) 三本立花壇:大菊三本立単体を横3鉢、縦4段、計12鉢、36の菊花で構成したもの、配色は各行・各列に赤・白・黄色の厚物を組み、12品種すべて異種の菊花で構成します。★朝日新聞社賞受賞作、以下にこの作品の種類を紹介します。<上段>「国華思想」・「国華石舞」・「国華新世界」<2段目>「国華公爵」・「新興右近」・「国華上善」<3段目>「国華金山」・「国華雅楽」・「国華越山」<下段>「国華強大」・「国華霧島」・「国華開祖」★産経新聞社賞受賞作、★明石市長賞、アメリカ領事館賞受賞作、★毎日新聞社賞受賞作、★三本立花壇日本一!高松宮妃記念杯・日本菊花全国大会会長賞受賞作、(作出者)京都市・岩下友行氏、う~ん、こうやって写真をい並べると、皆、素晴らしく見え、菊の素人には優劣が判らないですね、なので少し退屈に感じます(贅沢な悩み)。えっ、冒頭の「根元一本、花数1500輪」の菊はどこで出てくるかですって?それは次回のお楽しみとさせて頂きます。※尚、この菊花展は11月23日(水)で終了です。観に行きたいと思われた方はお急ぎ下さいね。(以下、「国華園・第33回日本菊花全国大会(下)」に続きます)今回でブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」が500回になりました!
2016年11月19日
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ブログ「リュウちゃんの懐メロ人生」、累計70万アクセス突破!(※伊勢神宮・内宮神苑の菊花展より、この写真及び以下の写真は11月14日、法事で女房殿の実家に行った時、早朝の散歩で伊勢神宮・内宮界隈で撮ったものです)2016年11月11日、リュウちゃんのブログが累計70万アクセスを突破しました。以下にブログ開設日(2009年6月5日)から本日までのブログデータを公表します。(1)日数:2717日(2)総アクセス数:70万アクセス、(3)ブログ記入数:498回、(4)ブログ記入率:17,6%、(5)1日平均アクセス数:258アクセス,(6)ブログ記入1回当たりの平均アクセス数:1406アクセス因みに、50万~60万アクセスに至った2016年4月13日から2016年8月4日までのブログデータを紹介します。(1)日数:114日、(2) アクセス数:100352アクセス、(3) ブログ記入数:19回(4) ブログ記入率:16,7%、(5) 1日平均アクセス数:880アクセス、(6) 記入1回当たりのアクセス数:5282アクセス、更に、60万~70万アクセスに至った2016年8月5日から2016年11月11日までのデータも紹介します。(1) 日数:99日、(2) アクセス数:100000アクセス、(3) ブログ記入数:14回、(4) ブログ記入率:14.1%、(5) 1日平均アクセス数:1010アクセス、(6) 記入1回当たりのアクセス数:7143アクセス、遂に1日平均アクセス数が1000を超えた!これまで10万アクセス毎の平均アクセス数はどんどん上がってきたが、そろそろ限界かな?、中期目標の100万アクセスまで、あと30万アクセス、この調子で行けば、あと一年位で達成出来ることになるのですが、どうなります事やら?-----------(おまけ)11月14日撮影、伊勢神宮・内宮界隈の写真
2016年11月15日
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斑鳩のコスモスの里法起寺に、煙たなびき秋深し11月3日(文化の日)、昨年と同様にリュウちゃんの近所にある「斑鳩コスモス街道」を女房殿と2人で歩いてみました。今年は夏が猛暑続きで、コスモスの開花も例年に比べて早いなと感じていましたので、11月に入った時点で斑鳩のコスモスも終わったかなと思っていたのですが、11月2日に藤の木古墳に行ってみましたところ、まだ、ほぼ満開!コスモスの盛りは長いのだ!ということで、翌日の11月3日に昨年と同じ「斑鳩のコスモス街道」を、今年は女房殿と2人で歩いてみたという次第です。「斑鳩のコスモス街道」という命名は、昨年、リュウちゃんが勝手に名付けたものです。その道筋は以下です。(スタート)藤の木古墳~業平道沿い~法隆寺参道横~斑鳩神社裏~斑鳩町墓地から法輪寺~岡の原~法起寺(ゴール)このコース、「斑鳩三塔」+「藤の木古墳」なのだ!それでは上記道順にそって「斑鳩の里コスモス街道」を紹介させて頂きます。(1) 藤の木古墳のコスモス藤の木古墳は昭和60年から6回にわたり発掘調査が行われ、石室からは大量の馬具類・武器・武具類などが発掘されました。また昭和63年の石棺内部調査では、2体の人骨と、太刀5口、剣1口、金銅製の冠、金銅製の靴、銅鏡4面、1万点以上のガラス玉など、大量の副葬品が発掘されています。ここの出土品は平成16年、国宝に指定され、現在、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で保管・展示されています。尚、上の写真で藤の木古墳の背後に見える山は右側が二上山、左側の高い峰が葛城山です。藤の木古墳は20世紀の後半に相次いで発掘され、大きな話題を呼んだ明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳と共に「奈良の3大円墳」と云えそうですが、高松塚古墳、キトラ古墳は7世紀後半から8世紀の初め(天武・持統天皇の時代)の古墳と推定されるのに対し、藤の木古墳はそれよりも約1世紀早い6世紀の終わり頃、推古天皇・聖徳太子の時代に造られたと推定されています。3円墳共、被葬者は不明ですが、古代ロマンの夢に誘う古墳ですね。(2) 業平道沿いのコスモス藤の木古墳から徒歩3分の所にある「業平道」沿いのコスモスです。平安時代の貴族・歌人で、美男でプレイボーイと云われた「在原業平」が河内国(現在の八尾市高安)に住む茶屋の娘・梅野に恋して、奈良の櫟本(いちのもと、現在の天理市)から八百夜も通い詰めたとされる「業平道」、ここも古代ロマンを感じる道ですね。(3) 法隆寺参道横のコスモス、松並木が300m程続く法隆寺参道の横に小さいコスモス畑があります。下の写真は、このコスモス畑から見える「法隆寺五重塔」です。ここが唯一、「法隆寺五重塔」とコスモスのコラボが観られる場所なのだ!(4) 斑鳩神社裏のコスモス法隆寺・南大門から寺内に入り、中門の前を右折、東大門~夢殿~中宮寺を経て北に向かいますと、丘の上に法隆寺の鬼門(北東)を守護する斑鳩神社があります。この神社の裏手が、「斑鳩の里コスモス街道」の重要スポットですが、今年はコスモス畑が少し小さくなった。(5) 法輪寺付近のコスモスと柿法輪寺は聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)が太子の病気平癒を祈願し、推古30年(622年)に建立されたとされています。シンボルである国宝に指定されていた三重塔は、昭和19年の落雷により焼失(避雷針は太平洋戦争の金属供出で撤去されていたのだそうです)、焼失した三重塔は昭和50年、西岡常一棟梁の手により再建され、斑鳩三塔(法隆寺五重塔・法輪寺三重塔・法起寺三重塔)の一塔として名誉を回復しましたが、国宝指定は果たされず、世界遺産にも含まれていないのです(残念!)(6)「岡の原」付近のコスモス法輪寺から法起寺に至る約600mのの道の途上に、下記の碑が立てられています。(伝)山背大兄王の墓所(富郷陵参考地)地元で岡の原と呼ばれているこの丘陵地は、聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所と伝えられ、現在、宮内庁の富郷陵参考地となっています。山背大兄王は法輪寺・法起寺を建てられたとされ、太子の後継者として皇位継承をめぐって田村皇子(のちの舒明天皇)と争われたといいます。京極2年(643年)11月に斑鳩宮が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、太子一族は滅びました。大化の改新の2年前の出来事でした。う~ん、斑鳩三塔巡りは聖徳太子・山背大兄王親子を偲ぶ道なのだ。(7) 法起寺(ほうきじ)周辺のコスモスいよいよ「斑鳩の里コスモス街道」の終着点、法起寺です。法起寺建立は臨終に際した聖徳太子が子の山背大兄王に託したもののようです。完成したのは山背大兄王の死後約60年後の706年頃と考えられています。法起寺のシンボル、「三重塔」は、高さ24m、やはり706年頃の創建で、現存する三重塔としては日本最古のもので、国宝および世界遺産に登録されています。やはり法起寺のコスモスは素晴らしい。斑鳩の里コスモス街道の「大トリ」なのだ!リュウちゃん夫妻が法起寺を散策中、冒頭及び以下の写真のように「野焼き」が始まりました。今年のコスモス街道散策、昨年を比べ、少し時期が遅かったが、「野焼き」に烟る法起寺は風情があった!スタートからゴールまで約2時間弱、女房殿の万歩計で約1万2千歩、今年も「斑鳩の里コスモス街道」を散策出来たことに大満足のリュウちゃん夫妻なのでした。もう法隆寺の紅葉も色づき始めています。これから「秋本番」なのだ!
2016年11月05日
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