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憲法記念日に学んだことから条文 第77条(内乱)国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。 一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。ツイッターを使って偽の世論を形成して、政権を転覆させようと企図とした首謀者は内乱の罪に問われないのかな?それとも、偽計業務妨害罪?刑法233条、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」 「その業務を妨害」する犯罪のことを業務妨害罪と呼び、次の234条の「威力を用いて人の業務を妨害」する威力業務妨害罪と区別して「偽計業務妨害罪」と呼ぶ。いずれにしても昨今の集団ヒステリー状態の影には犯罪の匂いがする。
2020年05月11日
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日本は戦争中、「配給制度」をとっていた。米、味噌、醤油、砂糖などの食料、調味料からマッチ、石鹸、ちり紙などの日常品までが、配給されていた。各家庭に、あらかじめ人数分だけの引換券(切符)が配布され、これを商品と引き換える方式。こうした商品を配給以外の手段で手に入れることは法律違反。 ちなみに、このころはライターはなく、ガスコンロにも自動着火装置などついていなかったから、マッチは生活必需品だった。ティッシュペーパーなども存在していなかった。敗戦とともに、この配給制度はマヒした。米の配給はわずかで、さつまいもやとうもろこしなどの「代用食」が配給になったが、それも遅配や欠配が続いた。 人々は配給を頼っていては、食べるものを手に入れることができなかった。配給に頼れない国民は、法律違反とわかっていても、「闇市」と呼ばれる市場で食料などを手に入れるしかなかった。特に都会の住民が食料を手に入れるのは困難で、しばしば農村に買い出しに行くことになった。それでも現金を持っている人はいいが、現金がない人は、衣類を売って現金を手に入れ、その金で生活物資を買っていた。着ているものを次々に脱いで食べ物に換えていく様子が、まるで食用のタケノコの皮を一枚一枚はがしていくようだったので、「タケノコ生活」と呼ばれた。 このころ、日本の国民にショックを与える事件が起きた。1947年(昭和22年)10月、東京地方裁判所の山口良忠判事(34歳)が、栄養失調のために死亡した。法律違反の闇市で食料を買うことを拒否し、正式な配給の食料だけで生きようとしたため。山口判事本人は、闇市で食料を売ったり買ったりしている庶民を「食糧管理法」違反で裁く立場にあった。 法律を守る立場から、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考えた。逆に言えば、当時の日本人は配給だけでは生きてゆけず、ヤミの食料に手を出さなければ死んでいた。 山口判事は、「たとえ悪法でも、法律である以上、裁判官の自分は守らなければならない」という意味のメモを残していた。命か法か。日本国民を粛然とさせる出来事。最後まで読んでくれてありがとう。この人は立派だけど、命より大事なものはないから、正義はふりかざすより、胸にしまっておく方が良いという事だと思う。
2020年05月10日
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