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「人は午後7時に何をしているのだろう」NO4「瑞垣山荘・・・・感動の結末」 瑞垣山荘では、食事の支度の追われる。山荘の主人の藤原さんがケガをしたため、山本さんが腕をふるう。見ていた藤原さん「すごいですね、良くできますね」「はあ、私・・山菜料理を研究しているのです」「研究?」「はい、今生活習慣病が蔓延している日本かつて野の草や実を食べていた時代には糖尿病の人がいなかったでしょう」タラノ芽の天ぷらを揚げながら話をする。「山菜は野菜の原型だと思います。その原型を研究することで何か生活習慣病を減らしていくヒントを得たいんです」・・山本さんは独自の研究で内外に知られている医師である。中国の医食同源に感動し、世界中をまわり食生活の研究をする。「日本人ほどいろいろな物を食べる人はいませんよ」今度は蕗の薹を素揚げしている。「このノビル見て下さい」藤原さんも山菜のことならまかせておけの山菜取り名人である「しっていますよ、ヒルっていうのはネギのこと。野に生えるネギ」説明によるとこのノビルがネギの原型とも言われている。冬を越え春になって芽を出すその生命力、畑で丁寧に(過保護に)育てられた野菜とは違う。肥料もないし、害虫の駆除もない。でも毎年私たちの舌を楽しませてくれる。ここ富士北麓も山菜の宝庫だ。藤原さんの住む奥秩父、そしてその近くに広がる八ヶ岳連峰の麓も山菜の宝庫である。山本さんの活動は1月~5月特に3月4月がピークである。1月の芹をわき水のコンコンと湧く池に取りに行く。2月早くも土を少し持ち上げる蕗の薹が出てくる。そして3月4月南に行くほど早いがこの富士北麓では4月中旬から5月のゴールデンウィークの終わる頃までが朝が待ち遠しい。タラの芽 ふき こごみ わらび 三つ葉 うど 山椒 この7種類は必ず取る。朝早くから、リュックを背負い、軍手を持ち。飲み物を持ち、タオルを持ち・・・持ちが続く下手な文章になるほどもう興奮している(何しろ3月21日なのだらか)タラの芽の天ぷらはうまい。しかし私は天ぷらがダメなのであまり食べない。至る所でとれるのだが、人が入るような所ではとれない、山に分け入り、手をタラの木でひっかきながら、取るのである。この道22年である(私)遠くは浜名湖の方まで行く。自分しか知らない場所を3カ所持っている。ふきは足和田山の麓にものすごく群生しているところがある。コゴミは西浜中学校の上の山、熊穴団地の近くの森にある。ワラビは演習場である。さらに勇輝とは富士山子どもの国付近まで取りに行く。勇輝が中学2年の頃。ワラビの採る量はものすごい物である。業者にも負けない。三つ葉は浅間神社の近くとパインズパーク。ウドは大室山の麓にたくさんある。山椒は青木ヶ原樹海から西湖側に入った所に山椒だけの山がある。私の山菜取りパターンは朝早く起きて、5時頃 ・・目的地まで行き1時間程採って、学校へ行く・・。春の5時はまだ薄暗い。でも山菜がまっているとなると必ず起きる。20代は山に登ってから学校へ行ったものだ。コンビニでおにぎりと飲み物を買い。一仕事すると景色のいいところに座り、朝食だ。山の中で、河原で、池のほとりで、峠で、樹海の中でしばしくつろぐ気持ちがいい。その15分のぜいたくな食事。そして1日が始まる。冬に食べ過ぎ運動不足の体を3月4月で取り戻そうとしている。そんな感じがする。採った山菜はほとんど人にあげる。採るのが楽しいのである。瑞垣山荘の夕食は「うまい」「おいしい」「にがみがいい」「来た甲斐があった」の会話で持ちきりでした。藤原さん思わず「ありがとうございました」「まだ半月お世話になります」「料理もしてくれましか」「もちろん」「じゃ宿泊費なしで・・」「やられたな」春の山々に2人の笑い声がいつまでも響いた。
2006年06月30日
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「人は午後7時に何をしているのだろう」NO3 大学4年2月の日記2月1日・・今日から2月・自分のスケジュール表を見ると「宴会」「コンパ」「約束」で一杯だ。11時までゆっくり寝て近くを散歩する。国分寺まで歩こうということで、とぼとぼ歩く。見慣れた風景。よく言った喫茶店。同じメニューを頼んだ定食屋。なんかすごく気持ちのいい午後でした。しかし夕方から仲間と飲む。2月2日 私の親友が「向山、ちょっと相談が」共に厳しいときを過ごした仲間と飲む。なぜか泣けた。2月3日 この日は忘れない。自分が委員長をした、学園祭のメッバーのひとつ下の3年生と飲む。酒の量もすごい。でもそれ以上に思い出がすごい朝の5:00まで飲む。2月4日 激しい二日酔い。酒はもう2度と飲まない決意が夕方の5時30分に崩れる。また飲んだ。2月5日・・大学でお世話に立った教授と飲む。飲めばただの人。2月6日~9日 一人で東北旅行へ出かける。なぜ東北?確たる理由はない。3泊4日………ものすごく飲んだ。 場所は会津若松2月10日・・・埼玉の仲間と飲む。いいやつだ。2月11日・・・千葉の鎌ヶ谷へ行く、泊まりで飲む。2月12日・・鎌ヶ谷の帰りに新宿で仲間と落ちあい北の家族で飲む2月13日・・2つ下の2年生と飲む4年生は3人。3年はいない。2年生が8人大学の私の部屋で飲む。このころから大学へ泊まり込むことが増える。2月14日・・この日のことは覚えていないが、とにかくすごかった2月15日~学生運動をしてきた仲間と飲む。「これからの教育」「今の政治」について朝まで話をする。自分の下宿に帰りたい。2月16日 この日、卒業する4年生の仲間と飲む、久しぶりの人もいる、入学してから4年でリタイアした人は一人もいない。就職も決まる。8割が教師だ、小学校がほとんど数名が中学校の教師となる。なじみの店に行く。留年組の数名いる。このころはやり出したカラオケに行く。2月17日 仲間と1日、なんか楽しく過ごした。授業もそろそろなくなる。2月18日 後輩と新宿のウェストパークへ行く。ジャズを聴いた。2月19日 後輩と新宿の良く行く店に行く(もう来ないような気がした)2月20日 下宿の片付けを始める。たまりに溜まった本は手伝いに来た後輩にあげた。 福井の友だちが車を出してくれることになり、ドライブへ行く2月21日 大学祭の仲間の追い出しコンパ2月22日 自治会の仲間の追い出しコンパ2月23日 学生時代最後の誕生日2月24日 お世話になった教授らと飲む2月25日~しばらく、大学へ行かずに都内のいろいろな仲間の所へ行く5泊はしたかな
2006年06月29日
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「人は午後7時に何をしているのだろう」NO2「武蔵小金井駅 北口」大学4年1月の日記 7:19分東京都武蔵小金井北口居酒屋「みつや」。カウンター席8席。無口な店主。地味な服装でたばこをふかす。決して何にしますかとか、今日はいい天気で、社長景気いいですかなんてことは言わない。こちらが何か言うまでは何も言わない。一度大学生が金がないときに120円のオニオンスライスでビールを飲み2時間過ごしたときも何も言わない「ありがとう、まいど」でこの店は実在する。妻の初音も一度連れて行った。自分は大学3,4年の頃は一番通った店だ。なにしろ無愛想な主人が一人で切り盛りしている。8つの席が一杯と言うときもあったが、がらがらの時の方が多かった。金がないけど暇がある学生は開店の5時にはそこにいた。実入りのいいサラリーマンが来ても8席が私の友人で一杯なら「すみません、満席で」つまみは一番安い物、日本酒をキープしてガンガン飲む・・あまり儲からない。学生が話をするのをニコニコして聞く。21歳22歳の頃の私がそこにいた。言い合いもした。ケンカもした。殴り合った。意気投合した。その時間が本当にうれしかった。誰もが持つ大学への未練、思い、就職への不安、抵抗。大学4年の1月1日からの日記を見てみた。1月1日・・大学最後の正月。吉田の実家で過ごす。あと3ヶ月半でここへもどることになる。山梨県の採用試験に合格し、中学校社会科教師として帰ることを自分はうれしいが、まだ大学で研究したいという思いもあった。東京都の小学校合格から大学院合格その2つを蹴って選んだのは安定感か・・1月2日・・今日妹と弟と初詣に行く。妹は短大をこの春卒業する。スイミングの先生になると内定している。弟は今年大学受験、まあサッカーで過ごした高校生活はいろんな意味で良かったと思う。1月3日・・東京にもどる。1月4日・・4年生がぞくぞくと故郷からもどる。採用試験で合格した人、そうでないひとも一同に会し新年会をする。この日から3月8日の引っ越しまで1日を除いて毎日飲む事になる。1月5日~8日・・同じ社会科の仲間と旅行する。大学が始まるのは10日なので気ままに旅行する。死ぬほど飲む1月9日・・友人と過ごす日々を楽しく思うようになる。別れが寂しく感じる。夕方5時に銭湯へ行く小平南にある下宿から自転車に乗って行く。みなれた風景。三河屋のおじさん。近所の中華料理屋のおばさん。銭湯のおじさんとは顔見知り「へえ卒業か、早いものだね」小平の下宿に引っ越してきて3年。はじめの小金井の下宿を追い出されてここへ来た。四畳半をキッチントイレ。長屋の様に横に広がり4部屋いあった。風呂はない。銭湯へ行く。1回200円くらいだったと記憶している。その下宿には庭があり、縁側もあった。10時に愛知のみっちゃんが来る。朝まで飲む。1月10日・・大学が始まるが週に2回ぐらい来ればいい。このところ卒論に追われている。朝から国立国会図書館に通い、レポートの資料をコピーする。夜、社会科の仲間と乱れて飲む1月11日・・久しぶりの授業。教師になるための授業だそうだが、なかなかピンとこない。まだ大学生したいという気持ちがある、午後三鷹オスカーに映画を見に行く、そのあと吉祥寺で仲間と飲む。1月12日・・卒論提出が16日である。あともう少しで終わる。この単位落としたら就職もパーである。しかし、卒論がない仲間が「いまさら何格好つけて書いている」といったので2人で飲みに国分寺へ繰り出す。1月13日・・同級生の友人から電話ある。就職が内定したとのこと、遅い内定であったなんかありそうだけど誘いを断れず大塚まで行く。最終電車にまにあって良かった。1月14日・・「向山このままだと卒論書けないぞ」という福井の親友アドバイスで東京脱出する。伊豆の網代の民宿で卒論を仕上げる。友人の計らいで部屋に10時間こもる完成したのは12時を過ぎていた。待ち疲れた友人を起こして飲み始めたのは1時頃。初めて酒を飲まない1日がそこにあった。しかし日の出まで飲んだ。1月15日・・成人式、2年前を思い出す。大学の自治会室で飲む1月16日・・卒論提出。単位は全てOK。卒業確定。そのパーティがひどかった思い出したくない。1月17日・・アルバイトへ行く。新宿の下落合学生援護会で日雇いのアルバイトを見つける。引っ越しのバイトだ。日給7500円。よくここで日雇いのバイトを見つけた。世の中はバブルの時代だったので仕事はたくさんあった。50種類以上の仕事を下と日記には書いてある。ここでは省略する。1月18日・・下宿のおばさんに「3月19日にここを出る」と名言。そうすると無性にここが恋しくなる。夕方から鍋をやる。仲間が三々五々集まる。飲んで騒いで少し泣いた。1月19日・・先輩追いコンしたいのですがと、大学の生協で飯を食べているとき立て続けに後輩がやって来た。1月23日・・社会科で。1月24日・・ゼミで1月25日ワンゲルで1月26日…自治会でということ全て無料と言うことで参加する。良くダブルブッキングしないと思う1月20日・・「みつや」に行く1月21に・・国分寺の「大将」夜7;301月22日・・国分寺のザックバランで体育科の仲間と1月23日~26日・・・上記の宴会で・・ダウン1月27日・・風邪をひいて寝ていると。夜10時仲間が来て「風邪は卒業してからにしろ」と強引に飲み屋へ行く。 1月28日 信じられないが、ケンカしていて絶交していた友人が下宿へ来る。意気投合ししっかり飲む。1月29日・・新宿のウェストパークで飲む。ナベサダの生演奏が聴けた。1月30日・・授業のあと映画に行く。「就職したら映画も見れないぞ」の留年している先輩のアドバイス。池袋でゴットファーザー2を見る。夕方新宿で仲間と待ち合わせ、もう1本映画を見てから飲む。その日帰った覚えはかすかにある。1月31日・・ひさいぶりに一人で「みつや」で飲む。しかし、12時過ぎコンパを終えた仲間の一団がきて、静寂を破られた。
2006年06月28日
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「人は午後7時に何をしているのだろう」NO1「バリのテロ事件を思い出す」 人間が一番活発に動いてる時間かもしれません。テレビはゴールデンタイムに入ります。この7時の各局の選りすぐった番組の中でビデオリサーチ社の視聴率ベスト10に入るのがNHKの7時のニュースです。見ている人いるんですね。この視聴率によって、番組を作る人の人事が決まり、その番組が局の広告宣伝費の価値を下げるとまで言われています。NHKのニュースを真剣に見ている人はたくさんいます。自分に関わること、自分の関わりやすいことについては人間は真剣になります。あれは9月11日の事です。私も10時のNHKニュースを見ていました。アナウンサーの背後にニューヨークの世界貿易センターが映りました。背後は青い空、その時です。まるで映画の撮影かと思うことが目の前で起きました。アメリカの同時多発テロです。そのあとも何度もそのシーンは見ましたが、目に焼き付いて離れません。世界中を震撼させた事件でした。 7:10PMのことです。共同通信社のフリーの記者である。坂本 郁美さんは「神々の島」、インドネシアのバリで、久しぶりの休暇を楽しんでいました。その日は中心地クタから離れたサヌールという田舎町のガゼボコテージでの1週間の休暇の最後の晩でした。「明日から、ベトナム入りをするんですよね、ロイターからベトナム戦争でなぜベトナムの民衆はアメリカを破ったかというリポートを女性の視点でもってまとめ今月末まで出せと矢の催促、ほとんど完成しているがあともう少し、自腹だもんね取材費。世界のロイターさんも日本の共同通社に東南アジアでは負けているものね」聞いている相手はクタで日本料理店を経営している田所 敏也さん「そうか、じゃあ今日が最後の晩だね、クタの店に行って飲み直そうか」海に沈む夕日を見ながら夕方から飲んでいる2人、深いイスに体ごと埋めてトロンとしたバリの空気を楽しみながら冷えたビールをかなり空けている。ナシゴレンを食べながらゆっくりと過ごしている。「そうしますか」「でもあのでかいオーストラリア人がわんさかいるんでしょ」「ああ」「ま、いいか」。その数時間後彼の店の隣のナイトクラブで爆破事件が起きる。バリのテロ事件として世界に報道される。その現場に居合わせた坂本さんは、手に負傷しながらも懸命に取材を続ける。田所さんは、店の厨房で家屋の下敷きになりながらも自力で脱出する。自分の店が完全に崩壊したことを目の当たりにするが、休業日であったことでほっと胸をなで下ろした。坂本さんの休暇は仕事に変わり、右腕の治療も後回しにし、この平和なヒンズー教の島のテロ事件の様子をその後1ヶ月あまりかけ、最新の映像と地元の人の怒り。亡くなった人たちの遺族の思い。また、インドネシア政府の事故調査委員会の調査の動向。などを毎日記事にして送った。ガゼボコテージをその発信地とし、ロイターが1か月彼女の宿泊代から取材費を持つという条件出してきた。田所さんも、店の再建を現地スタッフにまかせ彼女の取材をバックアップした。「テロの事実をきちんと伝えなきゃ」「血だらけで倒れていた人、自分のちぎれた片腕を持ちながら立ちつくしていた人、家族の楽しいディナーが、全員死亡という形で終わったこと、・・・声なき人の声を伝えなきゃ・・彼女は不眠不休で仕事を続けた。
2006年06月27日
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6時38分のことだ。山梨県の須玉町の瑞垣山の山荘で珍事が起きる。山の雪が消え、沢の水が温かくなりかけていた4月23日事。近づくゴールデンウィークを前にご主人の藤原 一さん(39歳)は忙しく働いていた。そこへ本当に山男見たいなひとりの男の人がやってきた。1ヶ月くらい泊めて下さい。とのこと、それも「お構いなく」で寝てご飯が食べられればいいとのこと。「何をするのですか」「山の畑を歩くのです」「え!」「じゃあお休みなさい」次の朝一さんが起きるとすでに山本 一哉さんは出かけていた「こんな早いのに」時計を見ると朝の6時過ぎたばかり、「いったい何をしている人なんだろう」。朝食ができる8時頃ようやく帰ってくる。「おはようございます」背中のリックはだいぶふくらんでいる。「どちらへ」「いや気持ちがいいもので少し歩いてきました、この辺いいところですね。「はあ」・・的を得ない答えに少し困惑したが「山の好きな人は朝早いんだ」とぐらいにしかとらえなかった。こんな事が毎日続いた。朝早く出かけて、帰ってくるとゆっくり朝食をとり、部屋に戻り本かなんか読んでいる。ここは携帯が圏外なので外の人と話須子とはないけど、時折部屋から何か聞こえてくる誰かと話しているような感じの話だ。4月28日からの連休が始まると一さんはてんてこ舞いになる。親類のいとこの高校生に手伝ってもらっているが今日の中高年も山ブーム、連日満員部屋数は10あるのだが、とにかくどこでもいいからと食堂にシュラフ(寝袋)を持ち込む始末。「まいったなあ」 5月の連休のまっだなか一さんは裏に積んである薪をおろしてた。その時「がががが」と薪の山が崩れてきた、さっと身をかわしたが、右手に傷を負った、かなり深い傷で、結局15針縫うことになる。病院から帰ってきた一さん「困ったと頭を抱えた」その日の泊まり客はなんと40人。連泊する客なのでキャンセルはできない。掃除や片付けなどは元気な高校生恵美ちゃんと悦子ちゃん(名字は藤原 一さんの姪達である)で大丈夫。問題はこの瑞垣山荘の名物の「料理」である。調理師の免許を持っている一さん、この周辺の数ある山荘の中でこの山荘を選んでくれるのは。彼の自慢の料理「山菜料理である」しかし、右手がうまく動かないので料理は無理である。食堂のテーブルで腕組みをして悩んでいた一さん。「あ、ちょっといいですか?」と山本さん。「はあ、実は・・」夕食の時間は7時からである。近くの山々からもどってきた客、車で到着した客。4時頃から山荘はごった返してきました。
2006年06月25日
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「人は午後6時に何をしているのだろう」NO1苦労人 小山英樹の生き方・・・1午後6:12分区立の中学校の勤務を終え帰宅途中の小山英樹さん(47歳)が下落合のマンションに着く。そのあとすぐに着替えて西武新宿線で新宿へ向かう。大学の時の同窓会が新宿のサンパークであるのです。少しわくわくする。駅の近くには学生援護会があり、その日その日のアルバイトを大学生に提供している。 ふと昔を振り返る。3歳の頃子どものいない父の実弟の養子として新宿で暮らした小山さん。福井県福井市で1959年に生まれる。やさしい実弟の両親のもと何不自由なく毎日を過ごす。しかし都立富士高等学校2年生の時。貿易関係就いていた父は、その時ちょうど母との30周年の結婚記念日に当たると言うことで、2人で休暇もかねてパキスタンのカラチに向かう。綿花の買い付けを担当していた父は、そこで大量の綿花の買い付けを行うはずだった。ビーマンパキスタン航空のあの事故は、航空界最大の事故の1つとなっている。22年前のことだ。日本からカラチに向かう直行便が、地図で見てわかるように、中国上空を抜け、高度10000mを順調にカラチに向け最短距離を進んでいた。乗客205名乗務員15名。イスラマバードの航空監視センターのレーダーからその機影が消えたのは午後6時23分(現地時間)日本時間・・午後10時23分である。すぐにアメリカ軍南西アジア艦隊から探査専用の軍用機が発進する。ソビエト側からも最新鋭のミグが現在のカザフスタンから緊急発進をする。イスラマバードの監視センターに日本大使館の担当官が着いたのは6時35分。「今の現状は?」すでに監視センターに来ていた日本から来ていた江藤道夫さん。パキスタン国防省に勤務し、国防省の青年幹部候補生を教育する立場にあった。「たぶん高度調整を間違ったものだと思います」「どういうことだ」防衛担当官臼井重信氏は、自分でもだいたい予想はつくがあえて冷静を保つために若い江藤さんに状況を聞く。「結論から言うと、エベレストにぶつかったのです」「何!」「中国上空を飛んでいたビーマンパキスタン空港R203号機は、世界の屋根を通過中にコンピュータの誤作動で3分早く高度を下げてしまったのです。8000m級の山々が連なるヒマラヤ山脈。通過時の高度は10000m、真下にヒマラヤ山系を見れるコースはこの会社の売り物でした。通過後すぐに高度を7500Mに下げるのです。3分後にね。それが3分前に高度が下がってしまったのです。そして・・・」「日本人は?」「成田に問い合わせていいます。未確認ですが、カラチの空港で待っている現地スタッフからの情報で東京の新宿にある住友商事の子会社 杉野商事の社長夫妻が乗っていたとの確かな情報があります・これがパスポートの写しです。「本当か?」「残念です」
2006年06月23日
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人は午後5時に何をしているのだろう。「10年ぶりの出会い、新宿・メキシコ・・」5:40分都心の駅はものすごい人です。西武新宿駅 本川越発の準急が駅に滑り込んでくる。各駅停車より20分も早く着く列車はいつも混んでいる。さかのぼること40分、5時の本川越の駅。川越の商家に生まれた新谷さん、この列車に乗らないと、大変なことになる。「すみません」「すみません」と人混みの中を分け入る。大学時代の友人が海外の勤務を終え久しぶりに日本へ帰国。明日成田からまた30時間かけて南米に旅立つ。昨日晩メールが来た「会えるか」。新谷里佳さん38歳。子どもも2人。一番上は川越女子高付属小学校に通っている。かつて自分が全てを捧げた人が1週間だけ日本にもどる。独身の彼は実家の品川で3日間過ごし、再渡航に必要ないろいろな手続きをするのにの準備で3日間かかる。今日は最後の晩である。「6時まで待つ」列車の到着時刻は5時48分。祈る気持ちでいつも会っていた場所へ、「友人なんかじゃない」とつぶやきながらその場に座り込む。「ありがとう」キヨスクでコーヒーを飲んでいた。彼はそのまま改札口に向かおうとしていた「清彦さん」10年ぶりである。「おお、里佳か」・・・・10年の時間が一瞬で流れる。大使館に勤務を初めて頃、ちょうどメキシコの大使館だった。その時五条清彦さん25歳。メキシコの古代文明の研究で留学していた、斎籐さん(現在新谷さん)彼女は3つ下の22歳。大学4年生。 密林の中の遺跡を調査してたとき、反政府テロリスト「マヤ解放の虎」に誘拐される。5人のグループで調査していた。反抗したメキシコ人の学生2人はその場で射殺される。あとの3人は、日本人である。大学の教授1名、学生は3年生ひとりと彼女である。すぐに要求のメールが届く。「メキシコ、メヒコ刑務所にいる、同士2人の即刻釈放、さらに海外逃亡のための車と飛行機を24時間以内に準備、またすでに使われている紙幣をドルで50万$をケイマン諸島の次の口座に24時間以内に送金。警察を呼んでもかまわないが、それは死者は増えることを意味する。」明快な文章、ぬかりない脅迫、「手慣れた奴らだ」日本大使館に防衛庁から派遣されていた五条さんはさっそく本国との情報をほ交換しながら指示を待つ。「人質はVIPである。時期ノーベル賞候補の城島教授だ、50万$は政府が出す。即刻救出チームを編成すること」さらに「メキシコ政府との交渉は、大使に一任する。アメリカのCIAについては内閣調査局の来生が、すぐに現地へ飛ぶ」南米ではこのところ構造不況が深刻化し、現政権のアメリカ寄りの政策に国民が嫌気がさしてきた。中南米の小国ニカラグア、エルサルバドルではかつての軍事政権が復活する兆しが見えてきた。映画「遙かなるサルバドール」でのあの凄惨な虐殺も南部の密林地帯でまた起きていると聞く。アメリカンフルーツという巨大な会社がある。中南米のバナナをほとんど独占しているといってもいい。企業が政府の転覆をしてしまうこともある。またCIAもアメリカの政策に反対の儀を唱える政治家は資金を出して、対抗馬を出し、買収などを平然と行わせ、傀儡政権を維持するとも言われている。アイルランド系の初めての大統領ケネディは、ダラスで暗殺される前、CIAやFBIの内部捜査を行い上官を片っ端から左遷したことで有名だ。彼の演説で国民に向かって「今必要なことは国があなたたちに何をしてあげるのでなく、あななたちが国のために何ができるか・・という考えなのだ」長引くベトナム戦争に国内の世論は疑問を持ちかけ、ソ連によるキューバの共産化、さらにアメリカののど元であるその国に、ミサイル配備がされているという事態を打開するために司法長官の弟とアメリカの情報担当は苦渋に立たされる。映画13ディズは、決断に追い込まれるケネディ大統領、司法長官ロバート、ケビンコスナー扮する情報担当の心の葛藤、大統領としての責務、思い重圧、軍部からの突き上げ、軍部と密着した軍事産業界の思惑。全ては一人のアメリカの、いや世界一の権力者である大統領の手にゆだねられている。彼はキューバのカストロ政権転覆を謀ったCIAの「ビックス湾事件」の事で真っ向からCIAとぶつかる。内容は革命キューバ政府の大して、現地のキューバ人を集め、即席の軍隊を作るためにCIAの秘密工作員が潜入し、軍事訓練を行っていたのをカストロが察知し、軍隊を全滅させようとしたところで、CIAは、キューバのビックス湾に海軍を派遣し、救出しようと大統領に要請したが「CIAの独断で決めた件については許可出来ない」として、許可しなかった。そのことが互いの間に大きな亀裂を作った。さらに、黒人への差別撤廃、ベトナム戦争の終結をにらんだ縮小化、つまり軍事費の削減なども堂々と行った。ダラスで倒れたとき黒人は「あんないい人が」差別主義者は「黒人を甘やかせた」と毒づいた。ダラスのバーでその事件を知った軍の判事は、その後も暗殺事件を追い、再調査に再調査を重ね。事実に近づくと、不自然に死んでいく重要参考人。さらに、そのケネディのあとを引き継いだジョンソン副大統領は「ベトナム戦争」に軍事費をつぎ込み軍事産業を潤した。また、国内の反対勢力に対しても、一斉に人権を無視して逮捕拘留するという動きを見せた。まさにケネディが邪魔だったものが諸手をあげて喜んだ。その後ご存じのように小国ベトナムに破れ、多くの戦争後遺症を持つ人が帰国後、犯罪に染まったり、自宅へ引きこもったりして社会問題を起こす。シルベスタースターローンのシリーズ「ランボー」でも、ベトナム戦争帰還者への白い目が鮮明に描かれている。CIAはその後も、世界の共産化を恐れ、また企業の利潤つながる件についても、何らかの形で関わっているということをよく聞く。イラクへの攻撃に際しても最前線で情報を収集したことは有名である。 メキシコの日本大使館は誘拐に対して特別チームを編成した。各国の情報機関にも協力を求めた。崩壊したソビエト連邦は多くの民族が寄り集まってできた大国である。力でねじ伏せ、従わせようとしたスターリンの時代に多くの民族は強制移住させられたり、投獄させられたりした。今世界でもテロリストを多く輩出しているチェチェンでも、そのことを起きた、少数のロシア人を優遇し、先祖以来の土地を追われたチェチェン人の憎しみはその時から始まる。記憶に新しい、北オセチアで起きた。学校占拠事件。モスクワでの劇場立てこもり事件。などはいずれもチェチェンの独立を要求したものである。その時に情報を集めるのがKGBである。秘密警察である。これはナチスドイツの秘密警察ゲシュタボを模範としていると聞く。アメリカのCIAに唯一対抗できる組織として現在に至っているがソビエト崩壊後は表にはあまり出てきていない。独裁国家を支えるのはこういった秘密警察の情報収集能力である。反対派、反政府組織などの情報をいち早く入手し、非合法的に逮捕監禁できる権利を持っている秘密警察の横暴ぶりはつとに有名である。イギリス、フランス、イタリアなどにも情報機関がある。しかし、まわりを全て敵国に囲まれていると言っていいアラブの敵イスラエルには、その全貌さえも明らかにされない、「モサド」という情報機関がある。イスラエルを支える重要な機関だ。ユダヤ人の「大虐殺」ホロコーストに関わったナチスの高官を遠くアルゼンチンで拉致し、法廷で死罪を言い渡し、即刻処刑したこともモサドのやったこと。アメリカをアラブ側の「石油」という軍事的道具から引き離し、アラブの敵イスラエルの同盟国としていることに全精力を使って日々暗躍しているのは紛れもなく「モサド」である。世界各国にその情報網を広げユダヤ資本から莫大な資金を得ているモサドは今日もイスラエルを敵と考える全ての組織に目を光らせているのである。DVDで25巻全て見たアニメ「モンスター」は旧東ドイツの秘密警察が計画的に子どもを作り、洗脳し、国家のために動く人間をつくりあげていくのだが、その中で人の心も読みとり、恐怖を埋めつけていくと言うことができる双子のうちの少年のことが描かれていく。是非一度読んでもらいたい。 24時間以内に・・・という要求の1つ身代金については日本国政府がケイマン諸島の特別名義の口座に送金された。その所から犯人の目星をと考えたが、複雑な金融体系をうまく使った誘拐犯は数時間後50万$を手にする。トランク一杯になる紙幣を約30の金融機関からほぼ同時に引き落とす。それだけ国内にはシンパ、仲間がいると言っていい。アメリカとメキシコの国境近くにある町に、誘拐された彼女らはいた。オレンジへ農薬散布する軽飛行機で運ばれてきた。大事な人質なので危害は与えないとの指令だが、24時間という期限があと5時間でやってくることとすでに2人殺していると言うことで犯人も「こいつらも・・・」と密かに話しているのを3人は聞いていた。そのころCIAの情報部員から特定された地域を指定してきた。見かけないメキシコ人が東洋人を連れているとのことである。なぜわかったかというと犯人の目星をつけたCIAが通信衛星を駆使して、彼の持つクレジットカードが使用された場所を瞬時に見つけたことと、携帯電話の傍受である。期限間まであと1時間を切ったとき、農家の馬小屋に監禁されていた3人を無事救助し、納屋で本部と通信をとっていたテロリストたちを逮捕した。逮捕時に青酸カリのカプセルを飲もうとしたが、一歩手前で取り上げることができた。パソコンの押収にも成功し、メキシコ有数のテロ組織の全貌が明らかになる、壊滅的打撃を与えることに成功した。その時に陣頭指揮を執っていた一人が五条さんであった。その後交際が続き結婚まで考えた二人だったが仕事柄いつ命を失うかという状況にいつもある五条さんは、結婚を考えずこのままの状態で行こうとメキシコの空港で切り出した。1年あまりの調査を終えて帰国の途につく新谷さんは当然なんらかのアプローチをしてくると思い心待ちにしてた。「今度日本に帰国するのはずっと先だと思う、この先この中南米の国にいて日本人を守る仕事に就く「結婚のことは考えていない、許してくれ」この1年間の楽しい思いが一瞬にして瓦解した。同行していた教授も「この子のことをどう思っているんだ、弄んだだけでポイか」いつもは冷静な教授もこのときばかりはおさえきれなかった。メキシカン空港のジャンボが、見えなくなるまで彼は見送り続けた。その後の10年間。コロンビアのメレジンカルテルの壊滅参戦の関わり、ペルーの日本大使館立てこもり事件にも関わる。さらに情勢が不安なアルゼンチンなどでは、CIAと共に日本の企業のトップの護衛にあたる。日本からの国会議員の視察があると必ず、いつでも体を張れるところにいた。そのシーンを何度もテレビで見ていた斎籐さん。「待つ」つもりでいたが親の薦めもあって断れずに28歳の時に結婚した。午後6時09分二人は再会した。「じゃ行こうか」明日のフライト時間まで2人話し続けた。 夕日が沈む。いよいよ夜の到来だ。6:00が始まる。
2006年06月22日
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人は午後5時何をしているのだろうNO4「これはおもしろい、富士山フリーターム創刊秘話」 「すみません、社長飲んでますか・・」「ああもうぐたぐた。店長あっちはもりあがっているなあ」「はいまあ」と気のない返事「どうした」「え!なんでもないすよ、さあどんどん飲んで下さい。」「こちら初めて」包丁でしめさばを切りながら仲間さん「・・ああ紹介するよ今日から内で勤めることになった健二さん、日本一の貧乏ルポライター」「いいんですか、採用で、いいさよでもさっき話頼むよ」肩をたたいて木下さんは少し涙ぐんだ「もしかして、廃刊免れるかも」 健二さん1ヶ月前に静岡入りをし、富士山周辺をまわっていた。行く先々で「富士山フリータイム」の話を聞く。沼津駅前のパソコン喫茶「M2」で「これいいんだわ、よく知っているねこの人たち」「値段300円で、この情報最高、うちも載せてくれないかなあ広告を」「そうそうあそこの民宿この雑誌の広告に載ってから客が増えたそうね」次の言葉が気になった「CATVの作った会社でしょ、テレビで宣伝したら」それはもうやっている「違う違う雑誌に広告を乗せた所をサービスでCATVで流すのよ。」「それとさあ、インターネットで流すのもいいよね」とっくに流している。「ちがうちがう、雑誌を買った人だけに情報を流れるようにするの」「え!」「こうするの」話しているのは高校生だ、聞いているのは健二さん。ホームページは誰にでも見られるけど「会員のページ」を作るのよ。と言う。パソコン喫茶でパソコンを動かしながらこういう。ほら見てこのホームページ。ここまではどなたでも。この先は・・・ほら何かを入力しなければ画面変わらないの。これをさあ面倒くさいけど買った人にしわからない、知らされないコードを作るの。そうすれば・・さあ買うんじゃないの。「でもさあ」クリームソーダをチューチューとすすりながら高校生たちは言う。「おおって会員が喜ぶようなものがなきゃね」 新富士駅前のパソコン喫茶「G2」で。「これみて、カード20枚はあるよ」「ええすごいじゃんでも私も、これから新幹線に乗って東京の大学に通う2人の女子大生。大学では現代経済学を学ぶ。サークルはなんと「得するクラブ」である。このクラブいかにして得するかを考える現実的なクラブである。「低料金で泊まれるホテル一覧」「割引券をゲットする」「年会費、入会費無料でどこまで得するか」「閉店間際をねらえ」「福袋必勝法」「試食で旅する貧乏旅行」「タイへ行こう1週間2万円の旅行」「グアムはうまくいけば毎週いける」「成田で待つだけで30%割引」「沖縄冬の旅、30000円で2泊3日」「オフシーズンを楽しむ旅行、ヨーロッパ半額」「暇人にお勧め、船で行く台湾・・それも貨物船」「さらに暇人の教える、シベリア鉄道2週間の旅」「京都、極楽1泊1500円の宿」「ここなら寝られるJR深夜の寝床」「ホームレスのおじさんに聞く1か月1000円の食事」「インドで暮らそう、1か月3000円で大邸宅に住む」「朝の築地、時価のエビが市価の半値」「マクドナルドの100円マックを利用しよう」「得だね情報、このホームページから割引券をゲット」「旅行の予約をすることを代行しちゃう手数料1件で1000円、難しいことはありません」「社内食堂を使用しよう、実は各省庁の食堂も利用出来る」「大学の生協を活用しよう、一般客でもOK]「格安ツアーひとり8000円でどれだけのことができるか」「この先一ヶ月の開店の店紹介、開店時にサービスは花開く」「観光キャンペーンを利用しよう。いろいろな得点があるよ」「人脈紹介、山梨に旅行の達人がいる。Mさんへのアクセス方法はこれだ」「楽天の無料ホームページを活用して、情報を得よう」「大黒屋さん情報格安新幹線乗車券、本日締切は80%オフ」「24時間営業の店を紹介、ここなら泊まれる」「日帰り温泉をこう活用した。日本一周日帰り温泉の旅35泊で何とお金が3万5000円。24時間の日帰り温泉攻略法」「無料、ただ、フリーを一挙に集めたこの1冊」「得するクラブ」はいままでそんなリポートを出していた。いろんな所で紹介されるが、別に営利目的ではない。自分たちが楽しむためにやっているんだそうだ。彼女たち4年生。就職活動が苦手、「どこかありませんか」もう秋になっていた。ほとんどの仲間が就職が決まっている。その後彼女らが「FUJIYAMA 」の勤めるとはこのとき思っていなかった。これ私たちサークルのメールいつでも連絡して下さい。とのこと。 山梨に入り、富士急行線に乗る。大月で取材をしたあと河口湖へ向かおうとしているのだ。午後5時を過ぎた。車中に「葭池温泉」金、土の番は9時まで営業。本日は開湯150周年記念で休憩室無料開放。途中の駅で降り感じのいい葭池温泉に向かった。駅がそのまま葭池温泉前という駅なので初めてだけどすぐわかった。休憩室には地元の人が何人かいた。5時20分。はじっこのテーブルに陣取る。荷物は多い。主人がなにやらお茶を持ってやってきた、「どこからですか?」「徳島です」「あれ」「そりゃあえれいこと」「まあゆっくりして」「お湯は入れますか」「はいはいどんどんはいってください。こじんまりした湯殿。黒い石が良く磨かれている。しかし熱い。「熱いけ」「はい」「しょうがねえなあ、水いれるから」「いいんです、熱いの好きですから」「そうけ」「あんた徳島からだって、さっきここのおじいさんと話していたじゃんか」「あ、そうです」「今日はどこへ泊まるのさ」「はい決まっていません、河口湖辺りの民宿でも」「今からか?」「はい」「無理無理」「え!」「今日から河口湖でブラックバス釣りの世界大会をするんだどうだ」「おおそうそう」仲間のお爺さんが入ってきた「プハアーいい湯だ」「おめえ河口のうちがあるずら」「おうそうよ、今日はすげえひとだで、げーにいたなあ。富士急なんて臨時列車何本もだしてたど」「ほうけ、」「たしか世界20カ国から1000人。ふんでもって日本からは1000規模でくるんだそうだ」「へえ、すげえなあ。」「旅館ホテルもういっぺえだ」「この人そっちへ泊まるんだって」「無理ずら」「そうですか」。熱いお湯だけど慣れると気持ちがいい。「いいことあるじゃん」と突然おじいさんが立ち上がった。「うち来いよ」「え!」「ここから歩いてすぐの所にあるさ」「おめえのところ広いしな、この前まで機を織っていた工場がからっぽだもんな」「ああまいったさそれには・・」「今はこのあんちゃんの家、だまってろバカ」「へえい」「いいんですか?」「おお今日おかあが無尽の旅行で箱根行ってるさ、だから俺もこの温泉に来てゆっくりしていたところ」「酒飲めるか?」「はい」「おうおういい酒が手に入ったさ」「ゆっくり話ししべえ」熱いお湯の中、心まで熱くなった。勝俣さんの家でずいぶん御馳走になった。その夜健二はなかな寝付かれなかった。健二は沼津と富士で取材したことが気になっていた。寝ころびながら考えた。結婚のこと、仕事のこと。「年寄りの楽しみは仲間と酒飲んで、旅行して、風呂へはいること」「でも、不便な宿ばかり」「ツアーも安いがきついよ年寄りには」「あんなたくさん食べられない」「10時追い出されてもいくところあまりないし」「ゆっくりしたいねえ」「しずかで」「くつろげて」「おめえさん全国旅しているんだろう」「はあ」「そういう宿さがしてくれんかな」・・・そのことも気になっていた。枕元に雑誌があった。「富士山フリータイム」「どうせおきまりの、雑誌でしょ」しばらく読んでみた。座り直した。「これいいなあ」翌日、富士吉田駅まで行き。バスで御殿場に向かった。そして今「路花」で飲んでこのことを話した。紙に書いてみた。1/インターネットで追加情報を読者に2会員制の雑誌販売。年間3600円3得だねクラブ・・東京学芸大学教育学部社会科有士のクラブとの提携4老人に焦点をあてた企画御殿場の夜は盛り上がった「FUJIYAMA」と「イラク派遣送別会」・・。人生いろいろある。
2006年06月21日
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地雷のことは、私も勉強した。世界でのものすごい数の地雷が今なお埋まっているそうだ。ベトナム含めた東南アジアには今世紀中には完全除去は無理だと言われる数の地雷が埋められている。そのため肥沃な土地が目の前にあるのに「立ち入り禁止」とその下にドクロマークがある立て看板を多く見つけることができる。ベトナム、カンボジア、などでは毎日のように地雷を踏んで足を失い人もいると聞く。さらに多いのはアフガニスタンはじめとする列強の国々と真っ正面で戦った国。アフリカではアンゴラ、ソマリア、スーダンといった不安定要素を持つ国。ヨーロッパでもユーゴの内戦中にたくさんの地雷を敷設したとハーグ国連裁判所で供述した人は50人にも及ぶ。この地雷、簡単に敷設出来るし、価格も100円から買える。中国製、ロシア製が多い。灰皿のような大きさで。地中に埋めてそこを通る人間が踏むと「カチ」という音がする。その時、爆破しない。その足を話した瞬間に爆発する。殺傷能力はかなり低い物が多い。もちろん跡形もなくしてしまう強力な物もあるが、ほとんどは片足を奪うためという。アメリカ軍を追い出したソマリアの解放戦線の兵士がトウモロコシの粉を練っただけの食事をしながらこう言った「殺しても次々に代わりが来るんだ。子どもなんかカラシニコフを持たせればすぐに兵士さ、だから地雷で死んでもすぐに代わりがいると言うことだ。だから考えた、片足をねらうんだ。そうすればその兵士は生きているわけだけど使い物にならない。その兵士は一生不自由な生活をする。みせしめだよ。もし片足で戦いに出ても役に立たないからね。生かしておいて相手に恐怖を与えるんだ。細かい話だけど。生かしておくとお金がかかる、治療代や義足代この貧しい国では大変な額になる。それもねらいさ。ほらここにも地雷が山のように積んであるだろ」草原の難民キャンプの中に密かに作られた基地の一室。地雷が木箱の中にぎっしり入っている。「中国製が多いのさ、あそこは平気で武器を売るよね」「だけど不良品が多く設置して土をかぶせただけで爆破して、もう20人ぐらい死んだよ。」「こっちはどこだと思う」「?」「アメリカ製だよ」「え!」「あいつらここを出て行くときに置いていったんだ、性能は最高さ、普通は地中15センチの所に埋めるんだ、でもそうするとすぐに探知機に見つかってしまう。こいつは30センチの所に埋めるからなかなか見つからない殺傷能力も・・ほれこのスイッチで調節できるんだぜ、100%はばらばら、70%は下半身を麻痺させるね。50%は片足。30%は足首まで・・。また半永久的に効果があるらしい100年は地中でじっと待っていることできるんだそうだ。」 「それで私に何か・・・これ見てくれ・・」「はい」「遺書だ」「はい」あまり驚かない。海外派遣される自衛隊員は全員義務で遺書を書かされる。これは日本だけではない。その遺書は、死んだときに家族に渡される。死を覚悟して派遣されるのだ。「そこで頼みがある」死んだあとのこと、残した家族の事、不動産のこと、いろいろなことを仲間にたのんだ。「息子は今中学1年生だ。この前生まれた娘はまだ2歳にもなっていない。親戚も実はすくなくてなあ。私の上司も「あとはまかせろ」と言ってくれるのだけれどどうも心から信頼出来ない。おまえだけだ。頼むぞ」肩を落とす松本さん、信じられていることの喜びとすごいことを頼まれたことの恐ろしさに似た感情が一気にわき上がる。「わかりました」その時連れが入ってきた「隊長遅くなりました」「おお来たか」さっきの表情は今はない。「イラクはイスラム国だ酒は飲めないぞ、帰国の予定の2年後の分まで飲んでおけ」「はい!今日は俺のおごりだ、仲間ありったけの物もってこい」目配せでOKと出した松本さんの表情は「頼むぞ」という感じにあふれていた。
2006年06月20日
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人は午後5時何をしているのだろうNO1「富士山フリータイムいよいよ・・・イラクへの派遣・・」5:00PM この時間を待ち望んでいる人も多いでしょう。5時は終わりの時間。といってもこの世の中みんな5時に終わるわけではない。5時から始まるところもある。5時からが本番の所もある。「富士山フリータイム」の社長と森谷さんが路花(ろか)ののれんをくぐったのは5時少し過ぎたところ。「はい、いらっしゃい」社長の木下さんが足繁く通うところ店主の仲間学さん沖縄出身。ここ御殿場に来たのは18歳で陸上自衛隊に入隊し、東富士演習場で訓練を受けるために10年前に来た。しかし、慣れない勤務や持病の腰痛であえなく除隊。沖縄には戻らずここに店を構える。奥さんは山梨県の人。あまりそのことは語らないところを見ると少し訳ありかな。部隊長の松本さんは仲間さんの直属の上司だったことになる。いろいろと相談にのってくれる、今の店を開店するまでも本当のお世話になった。本名・松本隆史さん(42歳)は兵庫県の出身。大学は文学部、でもどういうわけか自衛隊に入隊。海外勤務も多い。一時期PKOの派遣で、カンボジアの選挙の監視団の一員としてプノンペンに駐留したこともあるし、その後のカンボジア国内の地雷除去の責任者にもなった。訓練中は厳しいが、部下思いで、みんなから信頼を得ている。「ああ松本さん」仲間さんの顔がほころぶ「おおいよいよ来週からイラクだ、休暇は5日だけ。兵庫に明日一番で帰るから、今日はとことん飲むぞあとから5人ばかり来る、よろしく」「はい」「ああ・・そうだちょっといいかな・・」「はい、おい「美智子」2人を頼むぞ」「はい、社長さんごめんなさい、私がお相手します」「はいはいじゃあいつものね」 「さあ話して」はい、健二さんは話を始めた梶原さんとの結婚のこと、自分の身の振り方、今の日本の旅行会社への批判、「はいおまちどうさま」焼き鳥の追加が来た。生ビールは2人とも3杯目だ。「わかった・・でもさっき言ったとおりうちの雑誌・・」「これですね」と3冊の雑誌をだす。10月11月12月号だ。「まあ買ってくれたの」「300円ですから」「安いでしょ」「はい、価値ある300円だと思う」ビールをぐいとあおり「そうでしょ、そうなんだよ」声が大きくなる。「さあ飲もう飲もう酎ハイセットでね」「水でいいですか」「いつもの通り」「はい」奥の2人が気になる美智子さん「おい仲間頼みがあるんだ」「はい、今度の派遣かなりきついことはおまえでもわかるだろ」「はい、連日イラクでは爆弾テロが起こり兵士ばかりでなく多数の市民も巻き添えを食っていると聞きます。隊長はサマワですか」「いや違う、実はアメリカ軍からの要請でバクダットへ行く」「ええ!」「テロのまっただ中へ」「そうだ、アルカイダと関係のあるテロ組織・・イラク自由連合・・が地雷を主要な国道に敷設しているという確かな情報を得て、地雷除去の専門家を派遣してくれという要請が防衛庁に来たんだ」「アメリカ軍にもいるでしょ地雷除去の専門家が」「ああいる、でも今回の地雷は私たちが今まで見たことのない地雷でいままで開発してきた地雷発見の機械ではとうしてもみつからないのだそうだ。」「え!あれでもですか」仲間さんも松本さんに地雷除去の方法をしっかり教えられた。3年間の訓練でたいていの地雷を発見出来るようになった。センサーで発見できる地雷。特殊な装置で発見出来る地雷。手っ取り早く巨大な装甲車で地雷を爆破させてしまうと言うところまで知っている。「ではどうしたら」「感だとよ」「え!感?」「センス」かな。まったく非科学的である。特殊な装置にも反応しない地雷。それしかないのだそうだ。
2006年06月19日
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人は午後4時に何をしているのだろうNO8ジモティーとは地元出身の教師と言うことである。この「富士山フリータイム」は富士山周辺のCATVが出資してできた出版会社「FUJIYAMA」が出す雑誌です。今毎月1万部部の発行、1冊300円という値段。ページ数は100ページにもなる。広告も入れると130ページにもなる。これにはおもしろい企画がある。まず情報源が全て地元の人である。さらに協力者として小中学校の先生を活用していると言うところである。広告収入はレストラン、食事どころ、ペンション、民宿、旅館、ホテル。まあこれは当たり前の事です。別に広告主はこんなところが多いでしょう。でも向こうから「今度2月号に載せて下さい」とお願いしてくる会社もそうないでしょうと語る「FUJIYAMA」社長木下さん。(45歳)4時50分から企画会議の席上「2004年10月に始まった。この月刊誌富士リータイム発行の現在の状況を企画部長から発表してもらいます。」「はい、お手元の資料をご覧下さい。発行部数は10000万一冊300円ですので、300万円の収入となります。10月創刊号より全て完売になっていますのでこの数字は変わらないでしょう。決算書を見て下さい。この半年の間の決算書です。設備投資代や印刷代、人件費、紙代、その他を含めると1回の発行で200万円は軽く超えます。従業員の給与(スタッフ5名。社長兼営業課長 部長兼企画部長 発行責任者兼印刷担当 専属カメラマン1名 雑用スタッフ2名)の月額給与はゆうに200万は超えてしまいます。それほ補填するのが我が社の存続を左右する広告収入です。発刊当初は、社長の人脈や地元の人たちの「はじめだから」というご祝儀広告で支えられ広告収入が200万円を超えたのですが。11月号12月号は150万 120万と減っております。発行するために200万給与が200万円では差し引き赤字となっています。みなさんも2か月間給与0という悲惨な状況はご存じだったでしょう。しかしそれがあの男のアイディアで何と・・・」熱弁になる、ハンカチで涙をぬぐっている人もいる。社長も回転いすを窓の方に向け、富士山の勇姿を見ながら「ありがとう」とつぶやいた。その男は12月の中頃寒い夜、この「FUJIYAMA」のプレハブ社屋の戸をたたいた。彼こそが渦中の人森谷健二さんでした。「ここの雑誌読ませてもらいました、是非専属の・・」「まあ入って」赤字続きのこの会社の出資者CATV各局からの激しい問い合わせ、企画への注文、営業努力を正月返上で・・・・その対応に社長は追われていた。「やめようか」とまで真剣に考えていた。地元の山中湖出身で、東京の大手の観光会社が発行する雑誌をいくつ手がけた木下恵里さん。「木下の軌跡」と呼ばれた大きな雑誌の復活。そのことは出版界の伝説となっている彼女の救った雑誌「ディスカバリー」今は月刊50万部の発行。資本金3億円 純利益 半期で5億を超えている。彼女はその会社にはもういない。会社のカリスマ社長交代劇で反対派にまわると、社の中にいられない激しいパッシングを受ける。他の会社への転職を考えたが、出版界のドンに逆らった女ということでどこも芳しい返事をしない「軌跡の木下」だからどこの会社もほしい、けど売り上げより今の立場を守りたい保守派によってついに、東京から追い出される。しばらく地元の山中湖の実家のペンションで働いていたが、納得出来ないもんもんの日々が続く。ある日、お客さんと暖炉のそばでコーヒーを飲みながら話をしていた時のこと・・・「まったくまいっちゃいました。予約を入れたホテル、ひどいのなんのって、お湯は出るけど温度調節が利かず、部屋の掃除がしていないのかたばこ臭さも抜けず、食事もどこかの定食屋の方がまし、値段だけは人並みなんだから」「情報ほしいわね、正しく、親切な」「そうそう地元のおじさん、そこのセブンイレブンのおじさんに聞いたらさあ今、あのホテルの昼食のビュッフェにワカサギ料理が出ているんだって。それもね今朝とれたやつ」「雑誌よりおじさんね」「まだあるのよ・」次々と雑誌を批判する。そんな様子を見て木下さんはひらめいたことがあった。食事の片づけをし部屋に戻る。まずすることは、東京のフリースクールに通っている息子にメールを打つことである。不登校やひきこもり、虐待を受けた子が通ってくるところである。木下さんの息子 靖くんも小学校5年生の時から不登校になり、この3月に中学校で一人だけの卒業式をやり一応私立の高校に席があるがほとんど行っていない。その学校には名田さんという人がいて「新宿を知りつくした男」として名が知られていた。彼が一番目をかけたのが靖くんだった。コンピューター技術は抜群で、大人顔負けであった。ホームページの立ち上げも彼の手によれば朝飯前の話である。「靖元気・・お母さん今日いいことがあった、現実的な話だよ。こっちの方で雑誌作ってみないかと言う話があるの、地元のCATVが出資して作った旅行関係雑誌を作る会社「FUJIYAMA」と言うところに来てくれないかというの。二つ返事で引き受けたの。」すぐに返事が来た「大丈夫東京の力及んでいない?」「大丈夫よ、こんなちっぽけな会社全然気にしていないみたい」「ふーーーん」「それでね靖に手伝ってもらいたいことがあるの・・」「何・・」 ここまで話した所で健二さんが「わかりました」「そうわるいわね」「ここに勤めます」「はあ廃刊になるかもしれないのよ」「いいじゃないですか僕だって今つきあっている人とダメになりそうなんです・・」「なんかいろいろありそうね、場所を変えましょうか?」「はい・・」社員に別れを告げて、町に出る。まだ5時前だけど酒好きの多いこの町開いている店は多い、部類の酒好きでも有名な木下さん。行きつけの店に行く「路花」である。5:00は、もうすぐ近い。木下さんと健二さんそれに木下さんの息子靖さん。この3人が今や全国の地方旅行雑誌の中で発行部数最高を誇る「FUJIYAMA」の富士山フリータイム・その発行部数は40万部を越え毎月増刷、増刷。しかしスタッフは1名増えただけ。特別企画部長 木下 靖さん20歳だ。いったい路花でどんなことが話されたんだろう。もうすぐ5:00。
2006年06月17日
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人は午後4時に何をしているのだろう。NO7「いよいよ雑誌を発行する 富士山フリータイム」森谷健二さんから長い手紙が来た。「梶原さんとようやく結婚することにしました。」彼女はその後、介護施設をやめ彼と一緒に全国をまわるいよいよ雑誌を発行する 富士山フリータイム」旅に出た。仕事も兼ねているので真剣である。でも今までの雑誌の紙面を埋めるだけでなく。テーマを決めて、記事を書くことにした。テーマは「老人が元気な町」「老人に学ぶ」「老人力を感じる町」そうだ。でも収入がはいらないと困るので。3つの月刊誌に記事を送っている。その一つが「富士五湖フリータイム」ジモティーがすすめる富士山周辺である。 ジモティーとは地元出身の教師と言うことである。この「富士山フリータイム」は富士山周辺のCATVが出資してできた出版会社「FUJIYAMA」が出す雑誌です。今毎月1万部部の発行、1冊300円という値段。ページ数は100ページにもなる。広告も入れると130ページにもなる。これにはおもしろい企画がある。まず情報源が全て地元の人である。さらに協力者として小中学校の先生を活用していると言うところである。広告収入はレストラン、食事どころ、ペンション、民宿、旅館、ホテル。まあこれは当たり前の事です。別に広告主はこんなところが多いでしょう。でも向こうから「今度2月号に載せて下さい」とお願いしてくる会社もそうないでしょうと語る「FUJIYAMA」社長木下さん。(45歳)4時50分から企画会議の席上「2004年10月に始まった。この月刊誌富士リータイム発行の現在の状況を企画部長から発表してもらいます。」「はい、お手元の資料をご覧下さい。発行部数は10000万一冊300円ですので、300万円の収入となります。10月創刊号より全て完売になっていますのでこの数字は変わらないでしょう。決算書を見て下さい。この半年の間の決算書です。設備投資代や印刷代、人件費、紙代、その他を含めると1回の発行で200万円は軽く超えます。従業員の給与(スタッフ5名。社長兼営業課長 部長兼企画部長 発行責任者兼印刷担当 専属カメラマン1名 雑用スタッフ2名)の月額給与はゆうに200万は超えてしまいます。それほ補填するのが我が社の存続を左右する広告収入です。発刊当初は、社長の人脈や地元の人たちの「はじめだから」というご祝儀広告で支えられ広告収入が200万円を超えたのですが。11月号12月号は150万 120万と減っております。発行するために200万給与が200万円では差し引き赤字となっています。みなさんも2か月間給与0という悲惨な状況はご存じだったでしょう。しかしそれがあの男のアイディアで何と・・・」熱弁になる、ハンカチで涙をぬぐっている人もいる。社長も回転いすを窓の方に向け、富士山の勇姿を見ながら「ありがとう」とつぶやいた。その男は12月の中頃寒い夜、この「FUJIYAMA」のプレハブ社屋の戸をたたいた。彼こそが渦中の人森谷健二さんでした。「ここの雑誌読ませてもらいました、是非専属の・・」「まあ入って」赤字続きのこの会社の出資者CATV各局からの激しい問い合わせ、企画への注文、営業努力を正月返上で・・・・その対応に社長は追われていた。「やめようか」とまで真剣に考えていた。地元の山中湖出身で、東京の大手の観光会社が発行する雑誌をいくつ手がけた木下恵里さん。「木下の軌跡」と呼ばれた大きな雑誌の復活。そのことは出版界の伝説となっている彼女の救った雑誌「ディスカバリー」今は月刊50万部の発行。資本金3億円 純利益 半期で5億を超えている。彼女はその会社にはもういない。会社のカリスマ社長交代劇で反対派にまわると、社の中にいられない激しいパッシングを受ける。他の会社への転職を考えたが、出版界のドンに逆らった女ということでどこも芳しい返事をしない「軌跡の木下」だからどこの会社もほしい、けど売り上げより今の立場を守りたい保守派によってついに、東京から追い出される。しばらく地元の山中湖の実家のペンションで働いていたが、納得出来ないもんもんの日々が続く。ある日、お客さんと暖炉のそばでコーヒーを飲みながら話をしていた時のこと・・・「まったくまいっちゃいました。予約を入れたホテル、ひどいのなんのって、お湯は出るけど温度調節が利かず、部屋の掃除がしていないのかたばこ臭さも抜けず、食事もどこかの定食屋の方がまし、値段だけは人並みなんだから」「情報ほしいわね、正しく、親切な」「そうそう地元のおじさん、そこのセブンイレブンのおじさんに聞いたらさあ今、あのホテルの昼食のビュッフェにワカサギ料理が出ているんだって。それもね今朝とれたやつ」「雑誌よりおじさんね」「まだあるのよ・」次々と雑誌を批判する。そんな様子を見て木下さんはひらめいたことがあった。食事の片づけをし部屋に戻る。まずすることは、東京のフリースクールに通っている息子にメールを打つことである。不登校やひきこもり、虐待を受けた子が通ってくるところである。木下さんの息子 靖くんも小学校5年生の時から不登校になり、この3月に中学校で一人だけの卒業式をやり一応私立の高校に席があるがほとんど行っていない。
2006年06月16日
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人は午後4時に何をしているのだろう・・・NO6「山の遭難、経験したことありますか?」 午後4時30分を過ぎた。大きな木の下に5人はいた。まず風を防ぐことだ。いいか持っている服を全て着るんだ。そして、気をつけたいのは汗をかいているところはきちんと拭くこと。それが凍ると凍死するぞ。「凍死?まさか」日本陸軍がソ連との戦いに備えるため、青森県と岩手、秋田にまたがる八甲田山で、陸軍の冬季演習が行われた。通常ならきちんとした幕営地があり、山川他の大きくした建物だが、寒さはしのげる。寒さは体力をどんどん消耗させていく。その小屋へ到着したときのことだ。その小屋が吹きさらしの小屋になっていたのだ。先客が寒さのため壁や床をはがして燃してしまったんだ。そこから体力は消耗し歯が強い雪と嵐の中で死んでいく兵士。汗をかいていた兵士は胸をかきむしり死んでいく。急激な気温の低下で汗が凍ってしまったのだ。みんなは汗を拭いた。そこへ新聞紙を入れるんだ。この方法は私も知っている。重ね着はその服の間にある空気が暖まるのだ。そして外気と差が出るのである。次ぎに手足の先を冷やさないように。体温を維持するには手先を足先を冷やさないと言うことだ。手袋、靴下、襟巻き、毛糸の帽子は大切なのだ。「それに、ホッカイロあればなあ」人間は熱量を出し、36度までもっていく。加熱するには何かが必要なのだ。後藤さんは今朝の事を思い出した。娘が「何度も言っている富士山だけど雲行き良くないよ、ホッカイロ持っていけば「何いってんのよ大丈夫、山小屋は今ストーブでホッカホカ、それに荷物多くなるとね」「もう・・・」「あれ、ザックのサイドに手を入れてみた。「ホッカイロだ」「ほらねやっぱ必要でしょ」とまみがはさんであった「ありがとう」ホッカイロが12袋あった」「助かるなあ」「じゃあ」「まってそれは最後に使おう・・夜は零下20度以上になるぞ」5人は顔を見合わせた。「お腹空いたなあ」「それだよ。問題は」一番若い森さん。「どうした食糧の予備買ってきてあるんだろ」「じつは重たかったのであまり持ってこなかったんだ。」「でもザック重たいと嘆いていたんじゃないか」「でも・・・・」ザックを開ける町田さん「あれ・・ワイン、焼酎、日本酒のパックだらけ」「おいおい」「すみません」「いいんじゃないか」と町田さん。体の中から暖めると言うことである。これは有効である。アルコールはすぐに燃焼して体を温める。その上緊張をほぐしてくれる。何か食べるものないか。とりあえずある物を出してみよう。「それにしても寒くなった」着ぶくれで大きくなったみんな。手袋、襟巻き、などみんなしている。酒も飲んでいる人もいる。「何これだけ・・」お米、缶詰、チョコレート、砂糖。だけである。「仕方がない今夜は山小屋だったものな」でも彼らは助かったのである。想像してみて下さい。リーダーの村田さんの的確な指示。酒を持ってきたこと。そしてカロリーの高い食料があったこと。「チョコレート」である。
2006年06月15日
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午後4:00山梨県の富士登山のグループが下山時刻午前11時を過ぎても下山が確認出来ず。捜索願が出る。11月下旬のこと。愛知県一宮市の山岳同好会「岳」(がく)のグループだ。5人。リーダーは、村田さん(49歳)サブは後藤さん(38歳)食事係が三島さん(40歳)テント係りが、町田さん(45歳)あと連絡通信係が、森さん(25歳)である。後藤さんと三島さんは女性。村田さんは山岳暦25年のベテランである。あとの5人は2~3年の経験しかない。その三島さんが林道から数メートル滑落し、運悪く右足を骨折したのは。11月23日午後4時ちょうどくらい。富士山の4合目辺りしかしよくわからない。雪が降ってきた。富士山は100メートル上に行く事に1度気温が下がるという。真夏の頂上でも0度近くなるのだ。私の住んでいるこの富士吉田も、ちょうど富士山の傾斜の所に住んでいるので。私の勤務校も標高が800Mにもなる。だから私の家から見る富士山は、2900mになるという計算だ。つまり29度違うと言うことになる。ではチョモランマ(エベレスト)は8000越えているから、すごいねえマイナス50度くらいになるなんて言う人はこの際無視したい。グループのリーダー村田さんは決断した。今から助けを求めに行っても、この雪の中だ道に迷うと言うことも考えらら留。携帯も圏外なので、ここはここで幕営しよう。幕営とはここで一晩を過ごすと言うことだ。体感気温はすでにマイナス10度を超えている。装備は簡単にしてきた。今頃は麓の河口湖の温泉に入っていることだろう。暗くなり始めてきた。そこで村田さんが指示したのは寒さから身を守ると言うことになる。寒さは人間の神経を麻痺させ、うとうと眠りの陥らせてしまうのだ。私が日本で2番目の高峰、北岳に登ったとき、3192m。こんな話を聞いた。ここからそうだなあ100M先に亡くなった人がいる。断言して言うその先生は何度この北岳を昇るが真冬だけはものすごく慎重に登るそうだ。頂上近くになると。3000Mを越えればなおさらだか「胸先八丁」と言うところがある。もう少しで頂上に着くと言うところで急にまわりに何もなくなり。樹木も、岩も、・・・自分の体がさらけ出すようなところがある。そこで急に突風が吹くのである。これは私も体験した。何でもないような所だ、前を見ると仲間のザックが見える。でも自分の所に突然横殴りの風が吹き付けるのだ。5cmぐらい浮き上がるようになる。びっくしする、柔道で背負い投げをまともに喰らった時のような感じである。その時は霧であった。その霧が急に晴れたとき目の前の墓標を持てたじろいた。1992年ここに死す。享年・・・歳。さらに先生は話を続けた。「あれは確か北アルプスの燕での出来事だ。真冬の登山で、猛吹雪のために矢もなく雪を掘り、大きな横穴を作り、寒さを防いだ。しかし、ものすごい吹雪で雪がすぎに穴の中に入ってくる。山に入って5日目体力もだいぶ消耗し、食糧も残り少なくなっていた。火を起こそうにも燃料の白灯油がない。寝袋の中でがたがた震えていた。ごおおおごおおおとものすごい吹雪が耳をつんざいた。その時だ、寝ていたかと思った一人の仲間が急に「暑いなあと」なんでもいいながら、服を脱ぎだしたではないか。「おい」「おい」と言っても聞かない。「ああまさか」その時の体長はエベレストの登山隊の一団が吹雪の中、遭難した。その時の捜索隊が3日後に見た物は、素っ裸になって死んでいる一団であった。「恐怖のため、に気が触れるのです。これは医学的にも解明されていません。ただ極度のストレスが生むといことだけです。わかっているのは」そのことを本で読んでいたリーダーは思いきり顔面を殴った、何度も何度も殴った。「ああああ」と気がついたのは10分後。もしその時一人でいたら・・・」「先生その人は助かったのですか?」「ああそれは私だからな」
2006年06月13日
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人は午後4時に何をしているのだろうNO5「いろいろお世話になった青木さんのこと」 東南アジア各地からメールで詳しい生活感あふれる情報がスリランカの大使館情報担当の青木さんの所に来る。私の親友である。「大丸デパートで夏物を安く売っている」「納豆が1パック100円で購入出来る」「ごぼうが買える」「伊勢丹でハローキティの最新バージョンが発売、2つおさえておく」「日本の雑誌が安く手に入るルートをつくる。週刊朝日が原価で」生活感あふれる。青木さんは明日シンガポールへ行くという日に家に遊びに来た。コロンボ7区に私の家はあった「何飲む?」「もちろんライオンビアーでしょ」ビール大好き人間の青木さん奥さんと結婚をひかえ「私結婚するんですけど、大丈夫かなあ」東京都立川生まれイギリスで英語を勉強し外務省に入る。電信部門専門でスリランカに来たのが最初の海外勤務。何しろ豪快な人だ。テロがあろうとなかろうと、ビールがあればいい。ビールがあればテロの発生地域でも兵器で行く。まるで「地獄の黙示録」で敵の砲弾が飛び交う中「いい波だ」といって部下にサーフィンさせるといった感じの人。数ヶ月後奥さんになった人は千代子さん。防衛庁で働きあのペルーの人質事件の時には日本でペルーの情報をまとめたセクションにいた。茨城出身なのに納豆が食べられない。いい人っていうのが一番あっている。 スリランカ国産のこのライオンビアー「こくがあってうまい」と言う人もいるが「1本1本味が違う」という人もいる。勝手に言わせておく。何しろビールを手に入れるのに3時間ドライバーは店の前に並ぶのだ。まずいなんて言えない。「そうそう明日シンガポールに行くんでしょ」「ああそうだ何がほしいものありますか」「いいんですか部外者に」「本当はだめだけど私からのプレゼント」と言うことにすればいい。「何があるんですか」「何でもあるよ」妻は「あの化粧品で日本製あります。こっちの化粧品あわなくて」「ありますよ」と妻の言うことをメモする。「ぼくはねえはねえ」5歳になった息子は「小学1年生」日本から持ってきたビデオのCM通りに「ぴかぴかの1年生」と歌っている。あるでしょう紀伊国屋に。「わたしはねえ」これが一番恐い。「ペンギンのぬいぐるみ」ならまだいい。一度シンガポールに言ったときに、約束通り買ったおもちゃが大きすぎて、そのまま持ち歩きタイのバンコク、チャンマイ、メーホーソンを一緒に旅をした。機内持ち込みでも大きすぎて客室乗務員が抱えていたほどだ。「なにほしいの」「ペンギンの本とキャラメルコーン」「はあ、いいよあるだろう」「先生は」「悪いけど椎名誠の本買ってきてくれないか」「ああそういう写真集」青木さん咳払い。「あれはまあいいか」衝撃的な写真集が日本で発刊と2日遅れで届く朝日新聞に載っていた「たしかなんとかりえっていったなあ」・・こんな感じであった。次の日午後4:10のフライトでシンガポールに行く。
2006年06月12日
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人は午後4時に何をしているのだろうNO3「歴史クイズ王選手権・・・さすがです」午後4時45分・・テレビ東京の人気番組テレビチャンピオンの「歴史クイズ王」の収録控え室に5人のメンバーがやってきた。大学生、大学教授、塾の講師、中学校の社会の先生、郷土史家というその道を究めた人が集まった。ものすごく詳しくいろいろなことを知っている。マニアである。収録後テレビチャンピオンになった人を祝おうと、近くのホテルで「朝まで話そう」ということになる。緊張がとれたせいか、お互いに酒も入ったせいもあり饒舌になっていた。最後のあの問題きつかったなあ。と言うところから話は始まる。「クロワッサンはなぜ月形をしているか」である。決勝戦で争った大学教授と中学の先生。最後の解答したのは中学の教師、山口さんだった。直感でわかったんだが・・という塾講師井上さん。「月形だから、イスラムに関係ある」「だれでもわかること」という大学生小林さん。「俺は、パンというところに着目して。アジアでなくヨーロッパに関係あるとおもった。」「私もそうだが、かつて私はシルクロードを旅したことがある。」と郷土史家の流石(さすが)さん。「へえ」と酒を飲む手が止まる。「そうもう10年くらい前になるが、中国の西安・・つまり以前は長安と言われたところ。シャカに説法だが。8世紀頃に作られ始めたアジアとヨーロッパの交通路である。」歴史マニアの目が光り出した。この話は朝までになりそうだと言うことで風呂を浴びてから再開ということになる。 シルクロードの道は一本と言うことはなく、何本もあった。陸路だけでも「絹の道」「草原の道」があり、海にも「海のシルクロード」ができた。その壮大なシルクロードをNHKが放送したときは「シルクロードブーム」まで起きた。今もNHKでさらに取材をすすめて新シルクロードを放送している。歴史家にとってはあこがれの地である。流石さんは2ヶ月かけてシルクロードを東から西に進んだ。西安まで飛行機で行く。そのあと陸路で一団を組総勢10名車3台で出かけた。車は世界の砂漠地帯、草原地帯で抜群の人気があるトヨタのランドクルーザーである。とにかく悪路に次ぐ悪路、故障したら命にかかわる。地図帳があれば広げると話が早い。西安から西へ進むとゴビ砂漠がどーーんと広がる。ここはすでにシンチャンウイグル自治区である。人口の92%を占める漢民族のこの国には約8のは少数民族が住む。少数民族と言っても1億人以上いるのだから、さすが中国である。少数民族のベスト7は中国南部に住む、チョワン族。北部に漢民族と混じり合って住む満州族。黄河の源流近くに住むホイ族。南部に分散して住むミャオ族。西部の広い地域に住むウイグル族。モンゴルを取り囲むように住むモンゴル族。7位はチベット高原に住むチベット族。漢民族は中国の沿岸部から内陸にかけて住み。古代の王朝の勢力範囲に住んでいることがわかる。今経済成長と叫ばれているのも漢民族の住む範囲に限られている。その民族のうち満州族とミャオ族以外は自治区を持っている。コワンシーチョワン族自治区、ニンシャホイ族自治区、シンチャンウイグル自治区、チベット自治区、内モンゴル自治区である。シンチャンウイグル自治区にはウイグル族が住みイスラム教を信じている。敦煌までは人もたくさんいるがその先はひたすら砂漠地帯が続くのであるタクラマカン砂漠が近づくもうう「死の世界」である。彼はカシュガルまで行きそこからパキスタンに入る。シルクロードの幹線道路から離れたのである。フンザへ行きたかったのである。・・「そうですか」彼もシルクロードの旅の話は3時間も続く。マニアは食事を取りながらも目と頭はそちらを向いている。「で・・どこでクロワッサン」と「それは私が話をする」眠るのも忘れているチャンピオン山口さん。先に聞きたいのだが・・流石さんウイグル族はどうでした「それはきれいな子ばかりでした。日本に連れてきてテレビへ出せば一躍人気者になるでしょう。」黒髪で凛々しい眉毛、黒い瞳。・・思い出すように言う。何食べてました「はい、麺類とか、パンとか」「歴史ってこの食べるもの、着る物、住むところなどが基本じゃないでしょうか。宗教もその地域の風土にあったものに育っていくのですね。イスラム教は砂漠の宗教、仏教は米作地帯の実りの多い所に生まれた宗教。キリスト教は・・・ここが難しいのだが・・「宗教のこと話をすると1ヶ月ぐらいかかるから・・またあとで」「そのパンのこと」「おおようやくクロワッサンか」話はオスマントルコ帝国の時代にさかのぼる。「トルコ族最大の種族オスマン族の国ですね。第一次世界大戦終了の時まで続いた国ですね」「そう、かのヨーロッパの強国も恐れた国です。何しろウィーンの近くまでせまったのですから。その時です。ウィーンのパン職人を密かに母国に連れて帰り、パンを作らされたのです。ヨーッロッパ人が恐ろしいのは「月」なのです。そうクロワッサンはその月の形を表しているのです。パンの形でもヨーロッパ人を震撼させていたのです。それを知らずに食べていますね・・。こんな話が朝まで続いた。 私(筆者)は中学に進みさらに社会が好きになっていった。社会科も好きになる。歴史の人物を覚えるのに教科書にない人名をどんどん覚えた。歴代の天皇を覚えたり、世界の王家の名前を覚えた。おっとここで健二さんの話をつづけよう・彼のような存在を海外のホテルではコンコルジェなんて言っていた。コンコルジェは、有名なホテルには必ずいて、お客の様々なニーズに応える。見識も深く情報にも鋭いシンガポール「ブルーバードホテル」中堅のホテルだがホスポタリティの面ではシンガポールに駐在している日本人がお勧めだ。特に大使館の人がすすめてくる。各国にある大使館は、お互いに周辺の国と情報を共有している。スリランカでは週に一度情報を収集してくると言うことと食材を求めてくると言うことで有給でシンガポールのに来る。
2006年06月11日
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午後4時人は何をしているのであろう・・NO2「教師として生きる・・・」人生はほんのちょっとしたきっかけで決まる・そのころ自分は実は教師になりたいと思っていた。それは小学校の4年生の社会の授業の時のことだ。先生が唐突に「日本地図かける人いますか?」と聞いていた・・無理だろうねと言う顔をしていた。なんだか知らないけどその時は「やってみるか?」という気持ちになり手を挙げた「お!向山君やってみるか?」と手招きで前に読んだ。後ろの視線を感じながらへたくそな日本地図を書いた。「うまい」と先生に言われた。こんなうまい日本地図初めてだと褒めてくれた。うれしかった。なんだかとってもいい気持ちになった。それ以来、地図が好きになった。今と変わらない帝国書院の地図だ。それ以来暇さえあれば地図を見ていた。都道府県を覚えたり、いろいろな町を覚えたりした。次第の興味が広がり、世界の地図を書くようになった。たくさんの国があるんだなあと感心して、アフリカの小さな国がどんな国かなあと想像したり、カリブ海のトリニダートトバコって何でこんな名前が付いたんだろう。なんて考えた。この「国」という概念は、唯物論の中でショウペンハウワーが1つのまとまりかけた形態であるが進化の途中であると言っている。まだ進化中なので、国境も変わるのかな・・と言うことではない。私たちも日本という国に住んでいて、日本人であると自覚している人が多い。しかし、自分がどこの所属しているのかをあまり自覚していない国の人もいる。中国とインドの国境にあるカシミールは、インドとパキスタンの抗争の火種になっている。そこの住んでいる人はかつてはマハラジャ・・藩主によって治められていた。インドの大きな国が1つにまとまるというのはとても難しい。人種、民族、宗教の違いがある。そのころもものすごい数の藩主国がインドに存在していた。貧富の差は激しく、藩主を目で見てはいけない人もたくさんいた。カシミールもその藩主国の1つであった。国と言うより、藩主の治める所という感じがあった。中国の王朝もそうだ、中国史を学ぶときの基本だが、中国を歴代の王朝にきちんと分けると言うことを考えているがなかなかそうはいかず、殷、周、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清などの一文字の王朝、春秋戦国、五胡十六国、三国、など苦し紛れに年表作成のために作った名前もあるような気がする。もちろんその当時、どこの国がどこにあり、どんな人が治めているなんてしっかり規定している物はないし、そんなに必要はなかった。ヨーロッパでも・・ゲルマン民族の移動によってできた国を覚えて記憶のある人もいるでしょう。私も世界史と日本史を選択して大学受験したのですから、相当その辺は覚えた記憶がある。イスラムが出てくるとまあいろいろなところに国ができた。帝国という名前。たとえば、オスマントルコ帝国、ムガール帝国。さらに第一次大戦までのヨーロッパではハプスブルク家、ロマノフ家などが治めていたところもあった。国とは「人が自分の居場所とするにふさわしい形態のひとつなのである。未来は世界統一国家ができるかも。
2006年06月09日
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午後4時 人は何をしているのだろう「様々な生き方・・・旅で生きる」4:00PM4:00の時報をラジオで聞く。NHKの午後のロータリーを滋賀県長浜市にある養護施設「やすらぎの苑」で聞く介護士の梶原 知子さん(28歳)徳島県出身。彼女は今大きな悩みを抱えている。私が彼女と会ったのはその悩みをそろそろ解決しなければならない様な日だった。決断が近づいていた。それは自分の結婚のこと、相手は旅行ルポライター肩書きはいいが、フリーで働き、自分の好きなところへ言ってはエッセイを書き。旅行会社に売り込む。「旅の手帳」「旅行読売」「旅」などのメジャーでもたまに専属の作家が規定のページを埋めることができないときもある。そういうときにこのフリーの人たちが紙面を埋める。時には実名がでるが、ほとんどが匿名である。1つの記事で3000円くらいである。休憩室にある自動販売機から大好きな午後の紅茶を選ぶ「しまった冷たい方を選んじゃった」季節は12月。琵琶湖の見えるこの施設。湖面にびっしりと霧がかかる日が増えた。故郷池田町に彼が戻るのは年に数回。幼なじみで高校まで一緒だった。高校時代は休みを見つけては全国を旅行していた。土日、長い休みの時は音信不通となった。名前は森谷(もりたに)健二さん(28歳)特技は寝だめできること、同じもの1週間食べても大丈夫事。列車なら5日間ぶっつづけでも乗れること。「今はどこ?」という私の問に、午後の紅茶で一息入れた後「さあ、絵はがきでは北海道になっている」京都が好きな梶原さん何から何まで一風堂さんのカバンである。鉄の球を入れても破れない生地、シンプルな作り。京都の修学旅行へ行くと必ず引率の先生が居残りの先生に頼まれるカバンである。そのトートバックからファイルを取り出す。「もう2冊目です。」「ええじゃあ500枚以上・・」「ハイまだ整理していないのが家にあるから、1000枚近くになります。」彼が本格的なフリーのルポライターのなったのは25歳の時。それまでは京都の嵯峨野近くの民宿「大覚寺道」で働いたり新京極に歩いて1分にある「京都セントラルイン」に勤めていた。ここは京都の四条河原町近くにあり、とても交通の便がいい。祇園まで歩いて10分くらいである。ここは私も京都の定宿にしている。1泊8000円で朝食付き朝食はそのホテルの1階にある24時間営業のコーヒーショップなので、朝早くからうまいコーヒー付の朝食が食べられる。京都へは何度も行きました。一番好きな町の1つです。 健二さんはフロントの観光案内係です。私の旅の原点も京都にあると断言してもいい。修学委旅行へ初めて行ったのは中学校3年生の時。中学校の修学旅行はたぶんあの当時から、内容はほとんど変わらないと思う。大きな学校だったので、前団、後団に別れて行ったほどだ。それにしてもまわるところは全体では二条城、清水寺、金閣寺、銀閣寺、三十三間堂、東寺というところですかね。「さあ早く早く」「静かに」「遅いぞ」「お土産を買う時間は20分」「係り会議は5時15分から」「消灯を守れよ」「お変わりは自由」などとずっと行っている間に言われたと思う。
2006年06月08日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO11 タイのバンコク・・私の大好きな街です。ドムファン空港に着くとむっとするあの臭い・・香辛料の香りです。コリアンダーの香りです。空港タクシーと言うのがあって、650バーツでバンコクのホテルならどこでも送ってくれます。それがベンツです。また運転手がとばすのです120キロぐらいでどんどんとばします。どうしてはバンコクに近づくとわかりました。渋滞なのです。すごいものです。ですからとばせるところはどんどんとばします。ホテルは気に入っている。アマリウオターゲートホテルです。なぜここの気に入ったかというと、ホテル自体よりその周辺がおもしろいのです。朝はまず屋台です。6時頃散歩をします。昨日の晩は何もなかった空き地やビルの谷間・・歩道までびっしりと屋台が並びます。数えませんでしたが200以上はあったでしょう。その屋台を覗いて少しづつ食べるのが楽しみです。通勤途中の人たちが屋台いに群がる前に・・下見探検をします。どんな屋台があるかというと1・おかゆの屋台・・その場で食べる人もいれば、ビニール袋におかゆと好きな香辛料、野菜、いろいろなたれなどを入れてもらいます。弁当だそうです2 ・麺を売る店・・バーミーと言います。これがとてもおいしいのです。1杯は日本のご飯じゃ椀ぐらいのです。麺が小麦物とお米の物があります。3 ・果物の屋台・・いろいろな果物がカットされて売っています4.焼きバナナの屋台・・かなり人気です。5.竹の筒に入ったチャーハン・・うまいです。6.葉っぱにくるまった餅米のようなもの・・柏餅みたいです。7.お菓子や甘いお菓子をその場で揚げて売っています。8.揚げ物や中が何かわからないけれど魚のすり身のようなものをどんどん揚げています。揚げたてからどんどん売れていきます。9.えたいのしれないジュース。緑やピンクオレンジなどのジュースがビニール袋に入れられ中に氷を入れて、こぼれないようにゴムできゅっとしばり、ストローで飲む。。。甘いの何のって9.ようかんみたいなお菓子。10.いろいろなものをはさんだパン・・サンドイッチとはちがう11・海産物の串焼き・・朝から食欲旺盛のバンコクの人 イカ、魚、買いなどをどんどん焼きます。わしわしと食べます。12・焼きトウモロコシ・・日本の昔のトウモロコシです13・アイスクリーム・・自転車の後ろにアイスボックスみたいなものつけた・・日本でも昔ありましたね。14.まさかと思ったが・・・ドリアンありました。朝から食べる人いるのでしょうか?15.トムヤンクンもありました・・おいしいのです。辛くて酸っぱいのですがホテルで食べるよりずっとおいしい。16.そして私のお目当ては地鶏の焼き鳥です。うまいのなんのって・・・10本くらいあっとです。朝の屋台は食べ物中心です。昼と夜もすごいかずのの屋台です。その中に似せブランド品の屋台があります。靴、シャツ、サングラス、時計、指輪、化粧品、・・あらゆるブランド品が本物の10分の1くらいで売っています。まあずけずけとという感じです。しかし、店の人は売るという気持ちがあまりありません。タイの人は朝は早いのです。元気がいいです。昼になると暑くて眠くて・・ついついうとうとと昼寝です。ぐーぐー寝ています。客が来ても寝ています。まったく無防備です。夕方また通勤帰りの人が家に急ぎます。今度はその屋台で食べるという人よりおみやげに何か買っていきます。タイの一般の家を見せてもらいましたが。台所らしきものはありません。調理をしている感じではありません。床に座ってご飯を大きな皿に盛り。外で買ってきたおかずを並べ好きなだけご飯と一緒に食べます。香辛料や香菜などは庭にたくさん生えています。それをつまんできてはぱらぱらかけて食べます。日本や先進国のように冷蔵庫に保存しません。好きなときに好きなだけ買ってきて・・・とびきり新鮮なもの・・家で食べるのです。朝は屋台昼は屋台で買った弁当、夜は屋台で買ってきたものをおかずにして家族で食べる・・こんな感じです。私も子供をつれて屋台を歩くと「とうさんお祭りみたいだね」といいます。まるで縁日です。でも高くありません。最初に行った16品全部食べても200バーツにはなりません600円はいきません。夜風に吹かれながら、屋台のいすに座って焼き鳥と串焼きを買って・・200円。10本で・・大好きなシンハビールを飲んで・・しめて500円。ビールは大瓶3本おまけにレタスやなにやらいろいろくれる。そばで洗い物をしている奥さんかな?そのそばで遊んでいるたくさんの子供〔タイはこだくさんです)あまりしゃべらずに黙々と焼き鳥をやくおとうさん。彼らはこの屋台で生計を立て。屋台をしまう路地をねぐらとしています。場所どりもたいへんです。朝4時頃から場所をとります。夜もなるべく人通りの多いところをねらいます。1本10円の焼き鳥夜の8時頃だったでしょうか・・いい気分になってホテルへ戻ろうとすると暗がりに光るいくつかの目。ストリートチルドレンです。屋台を遠まきにして、客の残したものをねらっています。主人も知って知らん顔です。その代わり道に落ちているゴミなどもきれいに片づけてくれます。マッサージも気持ちがいい。ぼきぼきとなるのです。やみつきになりそうです。1時間600円くらいかな。また足の裏をもんでくれるところもあります。もうたまりません。それもホテルでは高いので屋台の裏にある雑居ビル・・。それの外から見えるオープンの店がいいですよ。バンコクへ行ったらホテルにこもってばかりいずに外へ出よう。何しろ飽きません。セブンイレブンもあります・・イセタンもあります・・そごうもあります・・けどやっぱり屋台です。行ってみてください。今、私の横に海外へ行ったことのない人がいます。ヨシモトさんという人です。このホームページを見て是非海外へ行ってみてください。おすすめはベトナムタイスリランカインドネシアニュージーランドマレーシア北部中国の四川省です。
2006年06月06日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO10 海外へ行くときに、こんなもの持ってきてまったく。というのがたくさんありませんか、またなぜ持ってこなかったんだというものありませんか。持ってこなくてもいいシリーズからはいります。1・大切なものを腹に巻いてとられないようにする。服や下着これはいりませんね。実際に「パスポートとられるとか現金取られるとか」言われて買っていく人いますが、パスポート取ってなんのためになるかと一度海外の先輩に聞いたことありますが。。別になにもない・・ということです。偽造して売るということも考えられますがリスクが高すぎて・・どうしようもないです。中国ではそんなことすると死刑になる人もいます。また現金を入れておく人もいますが蒸れて蒸れて仕方がありません。私は鞄の中に入れて起きホテルではセキュリテイボックスに入れます。入れるのはパスポートと現金です。TCを換金するときぐらいパスポートを使いますがそれ以外は使いません。もちろん空港では使いますが。2・水実は持っていく人が多いのです。日本の水でなければお腹をこわすと思っている人が多いので「日本のおいしい水」を鞄に詰めていく人もいます。もちろん持っていってもかまいませんが、現地でもかならず売っています。エビアン、ボルビックなどを買って飲んでいれば大丈夫です。現地の人が飲んでいるミネラルウオーターを飲んでも大丈夫です。どんなことをしてもお腹をこわします。ひとつは水のせいでお腹をこわす人より精神的にこわす人の方が圧倒的に多いです。そこで正露丸がなぜきくかというと。この精神的トラブルに利くのです・・つまり正露丸はそういうときに飲めば治るという「精神的に心を安らかにする」効果があるそうです。また腸内細菌は2週間で全部入れ替わります。ですから一般の海外旅行の間に腸内の細菌は必死にその現地の事情にあわせて変えていくのです。大変のことです。そのときににも飲み慣れない水などが入ってくると不調を起こします。ではひどい下痢になったらどうするのでしょうこれは私が海外で3年間熱帯のスリランカですごした経験ですが。2日くらい続きます。そのときに水分を十分とることです。飢餓に陥ったアフリカの人たちの一番の死亡原因は「下痢」です。そしてそのときに安全な水を十分取らないことです。ですから一番いいのはポカリスウエットに少々塩を入れて人肌くらいに暖めたものを飲み横になっているのが一番です。病院にいても十分休んで、水分をとるのだよ言われません。3・余計な薬熱帯に行くととにかくいろいろな「蚊」がいます。すごい数です。また以外に多いのが蝿です。さらにアリなどが異常にいます。ですから虫さされをたくさん持っていきます。でもその中で一番なのはキンカンです。そして傷薬は「キズドライ」です。キズドライは画期的です。切り傷のところにはすぐに「蝿」が群がります。すごいものです。軟膏を塗ってもきます。卵を産み付けにくるのです。しかしキズドライになって乾燥してしまうときません。じゅくじゅくしているときます。さらにアリにかまれると痛いです。大きいアリばかりではありません小さいアリでも必死に肉に食い込みます。一番やっかいなのが木に巣を作るアリです。袋状になっていますのでそこに何かぶつけると「わっ」というくらい茶色いアリが落ちてきます。それが背中に入ったら大変です。まず服をすべて脱ぎ、下着も脱ぎます。そしてアリを手で払っても頭だけまたは口だけが残ります。それを引き抜くと血だらけになります。調度釣り針がひっかかった時と同じです。その後は蝿がきます。すぐにキズドライを吹き付けます。その前にきちんと針を抜きます。消毒はいりませんキズドライがします。カットバンではだめです。ぐじゅぐじゅなります。ですから私は宣伝しているのではありませんがキンカンとキズドライを進めます。また熱が出たときに解熱剤は自分のお気に入りを持っていくこと私はジキニンです。これききますよ。以上3つぐらい例を挙げました。どんなものを持っていくのがいいかと聞かれたら次の10点です1・パックのふりかけ、日本茶。永谷園のお茶漬けのもと・・これは食欲なくなっても大 丈夫です。2・口内炎の薬・・野菜不足になるととたんに口内炎が出てきます。3.日本手ぬぐい・・これは日本が誇る優れものです。風呂敷もいいです。4・耳かき・・海外でこれを探すのは大変です。5・100円ショップのTシャツ・・捨ててもいいもの。どこでも必要です。6・チャックができる透明な小物入れ・・100円ショップ外から中身がわかることが重要です。7・ウエットテイッシュ・・これ役に立ちます。8・きちんとかけるボールペン・・現地ものもはなかなか書けません。9・折り紙・・折ってやると喜びます。 シンガポール経由で、シドニーへ行ったとき長いフライトなので暇をもてあまし沙樹が折り紙を折りました定番の鶴です。これが喜ばれます。客室乗務員や近くの席にいる外国人にあげていました・ほしいほしいと来るので大変でした。その後当然のように私たち家族のサービスは格段によくなりました。10・小さなパック・・きちんと閉められるもの。パックもいいですね。なにかと重宝します。食べかけのチョコやビスケットを入れて起きます。蝿がくるので。
2006年06月05日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO9 飛行機のビジネス、エコノミー、またファーストの違いを少し話します。実は私1度だけファーストに乗りました。コロンボからモルジブのマレまで時間は1時間と少しだったでしょう。一生の一度の思い出として乗ってみました。料金は通常の2倍です。ビジネスは1,5倍・・航空各社で違いますではエコノミーさんとどう違うかというとまず。チャックインが30分前でよいということぎりぎりの登場でも大丈夫です。次に搭乗待合室にいてものすごく混んでいても・・その前にラウンジでゆっくり休めます。飲み物自由もちろんアルコールもあります。簡単な食事もあります。寝ていてもいいです。起こしてくれます。映画も見れます。猫バスのようなシートです。そして最優先で機内に入れます。入り口がエコノミーと違います。トイレも違います。食事の内容もぜんぜん違います。サービスは常にそばに客室乗務員がいて、何にしますかといいます。シートが違います。足が完全に伸ばせます。雑誌もたくさんあります。お土産も暮れます。ブランケットも違います。まあ至れりつくせりです。荷物も一番初めに出てきます。まあ一度はファースト乗ってください。ビジネスもいいですよ。日本航空のビジネスはもう日本ですね。エアニュージーラドのビジネスは広かったです。いろいろな思い出作りありますね。でもエコノミー症候群と言われてからどうもビジネス客が増えました。さてさて免税品・・DUTY FREEこれは行かなくては!買わなくては症候群になりますね。実はこれ海外旅行のもうひとつのお楽しみです。特にタバコ、酒、化粧品類はここで買わなくてはという感じです。国内線では味わえない!!いやいや沖縄だけは国内線でもあるのです。免税ですから税金が免除されます・つまり出国前と入国前ですね。海外では空港以外にもありますね。その国の事情でしょう。ではどのくらい安いのか知っていますか?タバコを例にしますとケント ワンカートン 2500円が・・1500円になります。セブンスターのワンカートン2500円が・・1500円になります。キャビンマイルドワンカートン2600円が・・1700円になります確かに安いですね。タバコの安売りって国内ではあまり聞いたことがありませんから。高級ウイスキーにおいては半額近いものもあります。シーバイスリーガル12年物4440円が2200円になりますワイルドターキー12年もの7000円が3800円になります。ブランデーはカミュのXO SP 700mlが23900円が9500円になります。時計やサングラスも安くなります。グッチのサングラス38000円が28000円になります。それも事前にインターネットで予約しておくのです。代金を払うだけです。まま化粧品とバックは・・あえて載せないようにしておきましょう。男性は・・この点は安くおさまると思います。モルジブのマレの空港ではスリランカからこの免税品だけを買い付けにバイヤーが来ます。信じられないくらい多くのタバコを仕入れて、すぐに戻ります。合法なので別の大丈夫ですがそのすさまじさはすごいものです。インドのある空港では、あらかじめ連絡を取って。携帯なので免税品を買って来てくれればその差額、現地の価格と免税品の価格の差にあわせてお金をもらえる仕組みになっています。私もどこかの空港でこれ買ってくれお金やるから・・つまり買う限度(持ち込み料)がありますので、私に頼んできました。もちろん断りましたが・・・。いろいろな人生も見える空港です。みなさんもいいたびを、いろいろな情報
2006年06月03日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO9 飛行機のビジネス、エコノミー、またファーストの違いを少し話します。実は私1度だけファーストに乗りました。コロンボからモルジブのマレまで時間は1時間と少しだったでしょう。一生の一度の思い出として乗ってみました。料金は通常の2倍です。ビジネスは1,5倍・・航空各社で違いますではエコノミーさんとどう違うかというとまず。チャックインが30分前でよいということぎりぎりの登場でも大丈夫です。次に搭乗待合室にいてものすごく混んでいても・・その前にラウンジでゆっくり休めます。飲み物自由もちろんアルコールもあります。簡単な食事もあります。寝ていてもいいです。起こしてくれます。映画も見れます。猫バスのようなシートです。そして最優先で機内に入れます。入り口がエコノミーと違います。トイレも違います。食事の内容もぜんぜん違います。サービスは常にそばに客室乗務員がいて、何にしますかといいます。シートが違います。足が完全に伸ばせます。雑誌もたくさんあります。お土産も暮れます。ブランケットも違います。まあ至れりつくせりです。荷物も一番初めに出てきます。まあ一度はファースト乗ってください。ビジネスもいいですよ。日本航空のビジネスはもう日本ですね。エアニュージーラドのビジネスは広かったです。いろいろな思い出作りありますね。でもエコノミー症候群と言われてからどうもビジネス客が増えました。さてさて免税品・・DUTY FREEこれは行かなくては!買わなくては症候群になりますね。実はこれ海外旅行のもうひとつのお楽しみです。特にタバコ、酒、化粧品類はここで買わなくてはという感じです。国内線では味わえない!!いやいや沖縄だけは国内線でもあるのです。免税ですから税金が免除されます・つまり出国前と入国前ですね。海外では空港以外にもありますね。その国の事情でしょう。ではどのくらい安いのか知っていますか?タバコを例にしますとケント ワンカートン 2500円が・・1500円になります。セブンスターのワンカートン2500円が・・1500円になります。キャビンマイルドワンカートン2600円が・・1700円になります確かに安いですね。タバコの安売りって国内ではあまり聞いたことがありませんから。高級ウイスキーにおいては半額近いものもあります。シーバイスリーガル12年物4440円が2200円になりますワイルドターキー12年もの7000円が3800円になります。ブランデーはカミュのXO SP 700mlが23900円が9500円になります。時計やサングラスも安くなります。グッチのサングラス38000円が28000円になります。それも事前にインターネットで予約しておくのです。代金を払うだけです。まま化粧品とバックは・・あえて載せないようにしておきましょう。男性は・・この点は安くおさまると思います。モルジブのマレの空港ではスリランカからこの免税品だけを買い付けにバイヤーが来ます。信じられないくらい多くのタバコを仕入れて、すぐに戻ります。合法なので別の大丈夫ですがそのすさまじさはすごいものです。インドのある空港では、あらかじめ連絡を取って。携帯なので免税品を買って来てくれればその差額、現地の価格と免税品の価格の差にあわせてお金をもらえる仕組みになっています。私もどこかの空港でこれ買ってくれお金やるから・・つまり買う限度(持ち込み料)がありますので、私に頼んできました。もちろん断りましたが・・・。いろいろな人生も見える空港です。みなさんもいいたびを、いろいろな情報
2006年06月03日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO8 「国際線のサービスは」 さて国際線の飛行機の中ではどんなサービスがあるか知っていますか?知っていてもでなかなか言えないですね。特に英語しか変えない所では、まず飲み物はいつ頼んでもいいのですよ。そう利用書には書いてあります。また絵葉書などもただでもらえるんです。傷薬や胃薬ももらえるんです。また開いている席があったら一言、言えば変えてくれます。私の子どもはそうして広々と乗ります。またこれは難しいですが。エコノミーからビジネスに少しのお金で変更することができます。向こうとしてはビジネスの席を空けておくより少しでもお金を取りたいという思惑があります。これはなかなか難しいですが。挑戦してみてください。また赤ちゃんには粉ミルクの用意や紙おむつの用意もあります。電話をかけられるシステムもあります。免税品を買えるシステム知っていますか。行きの飛行機で申し込んでいて帰りのフライトでもらうのです。料金は先払いで不安ですがその証明書があれば大丈夫ですこの機内の免税品が一番安いと言われています。また到着地でも観光の案内のパンフレットももらえます。こちらは料金を払っているのですから大丈夫自信を持ってカタコト英語で話しましょう。 飛行機の中のサービスを十分使って機内食もすべて食べて・・いい気持ちで海外を回りましょう。途中出てくる入国検査の紙はパスポートの内容を間違えなければ大丈夫です。ただし注意はひとつ最後のところに最近南アフリカなどへ行ってきましたかという質問があります・・ここはノーに必ずチェックしてください。あと税金に関してはすべてにノーのところにチェックすれば大丈夫。機内はとても乾燥しています。夜飛行して翌日着く路線では真夜中に、飲み物どうですか?と何回も客室乗務員が回ってきます。私はよくもらいます。ではおさらいをしましょう。まず時間までに飛行機に乗り込みます。何かの都合で遅れると乗れないことがありますのでご注意を。席に着く時に荷物を上の戸棚に入れます。かなり入りますが。早くのった人が荷物を置く場所を取ってしまいます。また一杯で入らないときは乗務員に言うと預かってくれます。飛行機を降りるとききちんと言わないとそのままになってしまいます。またスーツなども掛けてくれます。途中で上から荷物を取るのは面倒くさいのであらかじめ、手元や前の人の座席の下に置いておいておくのがいいのは、次のような物があります。パスポート チケット 筆記用具 飲み物 ガム 機内で読むマンガや雑誌など、小さなカバンを持っていくと便利です。そんなことしているうちに定刻よりだいたい遅く離陸をします。その前に必ず非常用の用具について説明があります。テレビでの説明直接乗務員がテレビに合わせて実演するところもあります。テイク オフとアナウンスが流れると離陸が始まります。ぐんぐん上がっていきます。体がのけぞります。その時は前のテーブルもイスも倒しては行けません。高度10000メートル具体になり水平を保つと、シートベルトの着用のランプが消えます。そうしたら、前のテーブルを出したり、イスをリクライニングにしたりします。その時に後ろに人がいたら一言声をかけましょう。「イスを下げていいですか」でも外人なら「CAN I リクライン」でいいです。そこでダメ!という人はいません。出も食事中急に下げるとテーブルの上の飲み物がこぼれるときがあるので要注意、つぎにウエルカムドリンクがやってきます。そして厚いおしぼり。しばらくヘッドフォーンで音楽を聴いたり、ゲームを楽しんだり、ビデオを見たりします。そして大騒ぎの食事が始まるのです。日本からパースへ行くときには、夜出て翌朝ついたのですが。乗ったらすぐに夕食、朝は6時頃に朝食でした。2回から多きときで3回食べます。四角いジュラルミンの箱を手で押してまわってきます。エコノミーの食事はビジネスやファーストと違います。サービスもまずファースト次ぎにビジネス、そしてエコノミーです。食事の前にまず飲み物が配られます。ビール、ワイン、ミネラルウォーター、コカコーラ、ミルク、オレンジやアップルジュースです。私は迷わず行く国のビールを頼みます。タイならシンハビアー、シンガポールならタイガービール、オーストラリアなだVB(ビクトリアビールです。沖縄ならオリオンビールではい乾杯。つまみもその時に配られます。だいたいピーナッツです。それがなぜだが美味しいのです。ビールを飲みながら、さて食事、英語でガンガン聞いてきます。まずメインは給食のトレーと同じような大きさの上にまずアルミフォイル包んであるメイン。このメインを何にするかが問題です。2者選択制です。肉なら「牛か豚どっち?」英語では「ビーフ オア ポーク」または鳥もある時は「チキン」を入れます。フィッシュという時もあります。魚です。私は基本的にポークかチキンですね。やっぱりうまいです。ただ空港会社によって味に差が出てきます。スリランカエアーのカレーはうまいです。ニュージーランド航空のポークも絶品。中東のアラブ首長国連邦の国営のエミレイツは、宗教上のこともありチキンが一番です。シンガポールエアラインは何でもうまいです。オーストラリアの国営カンタスは、でっかい乗務員のお姉さんが「さあ食え」のごとく持ってきます。何しろ量が多いです。日本へ帰るときは日本食ですね。そのメインも決まりトレイがテーブルの上に並びます。サラダ、パン、ケーキ、プリンなど・・それにきちんと包んであるフォーク、ナイフ、スプーン、金属製で光っています。紙ナプキンもついています。そうそうジャムは必ずフルーティな物とバターなどが付きます。スリランカへ戻る旅行の時は、家族あわせてこのジャムを家に持って帰った物です。「父さんこれね」といって勇輝が集めるのです。子どもはどこの国でも優遇されます。まず乗るときに「ええ小さなお子さんの居るファミリーはどうぞ」とハンディキャップのある人の次ぎに機内の入れてくれます。また、小さい子にはおもちゃが付きます。子どものおかげで助かりました。エミレイツは必ずラクダのぬいぐるみをくれます。8つも集まってしまいました。カンタスは小さなザックをくれました。これも6つもあります。さて食事中に必ずパニックが起きます。ビールを飲み過ぎたのか水を飲みすぎたのか気持ち悪くなったのか「トイレ」に行きます。これが大変通路側に席があるときはいいんですが、中央の真ん中に座ったら大変。食事中なのでみな前のテーブルを出して真剣に食べています、そこをどいてとは言いにくいです。是非、トイレは食事前に行くことをすすめます。食事が終わるころコーヒーか紅茶がやってきます。ほっと一息です。あとはゆっくり寝ましょう。フライト時間が9時間~12時間はざらでしたので全くよく寝ました。寝る子は、次の日にものすごい元気です。
2006年06月02日
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午後2時・・人は何をしているだろうNO7日本出国 海外へ 国際空港をもっと利用しよう成田を出る時、思いませんか?時間通り出発してほしいと。だいたい10分から20分遅れれますよね。飛んでいる間に調節すると思ったらしっかりと同じ時間遅れますよね。さて沖縄行きの不思議羽田から沖縄へ行くときには3時間はかかりました。しかし帰りは1時間50分です。進路が違うのでしょうか?ある人は「時差」と言っていました?まったくわからないことが多いです。どのくらい荷物を積めるのかと聞いたら「飛行機の重量と同じ」と言っていました。本当でしょうか?さて空港大きな東南にアジアの空港はシンガポールのチャンギ、バンコクのドムファン空港、クアラルンプール、香港、ジャカルタあと私が利用したのはコロンボ、インドネシアのジャカルタおよびテンバサール(バリ)メーホーソン(タイ北部)チェンマイ(タイ北部)北京、上海、南京、台北、ベトナム、ホーチミン、アメリカのコロラドスプリングス、デンバー、シアトル、サンフランシスコ、モルジブのマレです。オーストラリアのメルボルン、シドニー、ブリスベン、パース。ニュージーランドのオークランド、ウェリントン、ダニーデン、クライストチャーチ。 この中で皆さんもいくつかお世話になっているでしょう。またはこれからなるでしょう。一番きれいで最新なのはなんと言ってもシンガポールのチャンギ空港ですね。ここに元気寿司という回転寿司があります。海外で暮らしているとここは天国です。それから中華はじめさまざまな料理が食べられます。またここで乗り換える人たちも多いのでびっくりするくらい店がたくさんあります。雑貨から免税店まで日本円ですべて買えます。ここは待合室の床がほとんど絨毯です。ここで9時間待ちをしたことがあります。町に出てもよかったのですが空港で過ごしました。広いので迷子にならないように。ゲームコーナーには最新のゲームがあります。インターネットもできます。免税店でシンガポールエアラインの制服が売っています。体にぴたっとした制服です。シンガポールエアラインは国を上げて世界一のサービスを目指していて同じ路線でもSQ(シンガポールエアライン)を選びます。サービス、機内の施設は最高です。エコノミーでもテレビゲームつきの個人用のデスプレイがあります。機内食もおいしいです。チャンギ空港もそのつもりで作りましたので、いたるところに親切なところがあります。休むところ、荷物を預ける大きなロッカー、清潔なトイレ、安い雑貨や私などがお金がないので安い雑貨屋で、タイガービールと豆を買って絨毯の上で寝転んで飲んでいます。 タイのバンコクのドムファン空港・・・ここも異常に広いですが。楽しむところは少ないです。大変なのはバンコク市内までの交通が・・渋滞になることです。ホテルに少しぐらい遅く着くのはいいのですが、空港に遅く着くと大変です。そんなときは少々高くてもベンツのホテルタクシーを使いましょう。あれは速い、ぶつかっても普通車より安全です。この空港は熱気がすごいです。においもコリアンダーのにおいです。なぜかこのにおいをかぐと気持ちよくなって眠たくなります。地下の食堂へ行くとさまざまな料理が食べられます。私は屋台の料理のほうがうまかったですが。ジャカルタはちょっと暗いですが、何しろ物が安いです。びっくりするくらい安いです。今建設中なのでバイジョンアップしたら言ってみてください。 バリのデンパサールやインドネシアのジャカルタでいいのは、足をもんでくれるところがあります。気持ちがいいです。利用してみてください。クアラルンプールはですね・・ここはおっとりしています。「そんなに急がないでも大丈夫」という感じの空港のようです。香港はここはあまり長く滞在したことがありませんが、地形的なことで離発着では一世界一難しいところだといわれています。ここはキャセイのビジネスファーストで行くとものすごくもてなしを受けます。もちろん私は1度だけ行きましたが・・ビジネスルームのサービ最高です。あとタイの地方の空港はまあ平和です。荷物も少ないので・・手でポーターが機内から運んできます。あ!荷物が来たというのわかります。平和です。コロンボはテロのおかげで(最近は減ったようですが)一刻も早く出たい空港です。空港も何回も利用すると面白いことが発見できます。 オーストラリアの空港ではどこでも注意したいのは入国の時に持ち込む荷物です。動物は厳禁、花の種や植物も厳禁でした。機内で出されたパンもチェックされました。パースへ青山さんを訪ねていったとき、「ええよくこんな物持ち込めましたね」 ・・それは梅干しでした。本来なら取り上げ没収されます。注意しましょう。ニュージーランドの空港はどこもきれいでこじんまりしています。中国の空港は今、巨大化の一途をたどっています。オリンピックや経済発展に支えられ近代的な空港に様変わりしています。
2006年06月01日
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