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本日は八幡信仰の2回目です。 景行天皇→日本武尊→仲哀天皇(后は神功皇后)→応神天皇先ず、仲哀天皇が大和から九州に向かって出発されたのは17歳の時です。祖父の景行天皇の時、父親の日本武尊が熊襲を一度平定していますから、大和で豪族間の抗争が多少あっても、この遠征の先頭に仲哀天皇が立たれたのは、当然のことでしょう。このとき、帝は異母姉にあたられるヒコノイラズメ(24歳ぐらい)と、その守り役で、仲哀天皇と同じ土師部一族の出である、建内宿祢(たけしうちのすくね)を同行されていました。ヒコノイラズメは、帝とよく似ておられたので、男装をして天皇の影人として同行されたのです。この遠征の目的は、次の二点にありました。当時はまだ成立して間もない大和朝廷は、近隣の豪族と、抗争をくり返していましたが、これに対処するための新しい武器(鉄器)を多数手に入れること。しかも、当時の一大貿易センターであった北九州の地を支配下においていた熊襲族を征服することによって、それを手に入れ、同時に朝廷の威力を示そうというものでした。 山陽道を通り、門司に着かれた帝は、ここで新羅系の巫女妻に、熊襲族との戦いの結果と朝鮮出兵についての占いを、ご自分が審霊者となって行わせておられるのです。この占いの最中に月食がおき、仲哀天皇は大きなショックを受けたうえに、亀甲の占いは凶と出て、その計画は取りやめられたのでした。しかも、仲哀天皇は若松付近で病に倒れられ、熊襲族と戦う前に亡くなられてしまったのです。 そこで、建内宿祢は、仲哀天皇の死を秘密にして、ヒコノイラズメを総大将に立て熊襲との戦闘に入りますが、建内宿祢が工作をして、クマソタケルとヒコノイラズメとの間の和解を成立させ、戦闘状態を終結させます。熊襲との同盟を成立させた大和軍は、約二年間九州の宇佐にとどまり、熊襲軍の援助により戦陣を再編成しました。その間に、ヒコノイラズメが男子を出産し、カルノミコト(後の応神天皇)となずけられます。そして、このカルノミコトを皇太子として、その後見人にクマソタケルがなり、渡来の新しい武器を持った大和遠征軍と熊襲の連合軍が、大和をめざして帰路につくことになるのです。しかし大和では他の天皇を擁立する動きがあり、応神天皇に対する強烈な拒否反応が存在することになり、遠征軍が簡単に大和の地に入ることが不可能である現実があったようです。その為、応神天皇をたてた大和遠征軍と熊襲族の連合軍は、難波に着き、大和に入るための工作をするのですが、それ以上、大和へは進軍することが出来ず、七年間の月日を費やしています。さらに、九州から出発した応神軍がたどった道筋を見てみますと、山陽道を通ってはいないのです。これは、神功皇后をおまつりした神社の所在を追ってみるとわかるのですが、他のルートを通っておられ、のんびりと凱旋帰国するのではなく、秘密裏に、しかも早急に大和へと向かわなくてはならない理由が応神軍にはあったようです。それは、応神天皇を立てたヒコノイラズメとクマソタケルのいわゆる騎馬民族系部族による軍事クーデターであったようです。さて、足止めを受けている間にも、応神軍は河内周辺の豪族を征服して、そして、やはり新羅系の秦氏の王の娘を后として迎え入れております。その勢力で周りを取り囲まれたあと、応神天皇は大和にお入りになり、そのあとふたたび難波に戻られ、難波に都をつくられたのです。 また、仲哀天皇には、大和に后を残されておられたのですが、その方は巫女として一生を終えられております。こうしたことからも、ヒコノイラズメが神功皇后として伝えられた人であったことがわかり、神功皇后が仲哀天皇の死後すぐに天皇に即位されなかったという謎も解けてくるのです。「古事記」には、神功皇后が新羅系の血を引く人であることが記されていますが、それは応神天皇にもその血が流れていることを意味しています。ヒコノイラズメには守護神としてアマノウキメネノ命が、応神天皇にはヤマトタケツチ命が守っておられました。 以上のような次第であると、教えていただいております。お分かりになられたでしょうか。八幡神の祭神を応神天皇、神功天皇に擬して祀ったこと、しかも天皇の人格神として日本で始めて祀ったことは、騎馬民族の末裔であった熊襲族の並々ならぬ誇りがそこにあったのだと考えられます。 もともとの八幡信仰の本質は紀元前後、日本の各地で悲惨な戦争が行われた(倭国大乱)ことを、再びこの地で繰り返さないようにと発生した信仰だそうです。つまり、不戦の神の性格を持ちます。それが、後の時代のおいて、戦いの神のようになってしまったのは、祀る人々の都合と、政治的な駆け引きなどにより変容してしてしまったのは皮肉なものです。
2007.09.15
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長らくご無沙汰しておりましたが、本日はayamomoさんのリクエストに応えて八幡信仰について私が知っている範囲でお答えさせていただきます。八幡様をお祀りする神社は、日本国中で3~4万社もあるとされます。これは、なんと全国の神社の3分の一にあたるそうです。八幡とは、神をまつる多くの旗が、ハタハタとはためくという意味です。この旗に神が降りてきて、パタパタとたなびく様子から、託宣を告げた古代朝鮮のシャーマンの儀式から来ているという説もあります。そして、八幡神の本源は九州大分の宇佐八幡宮です。国の行く末を案じた時には、宇佐八幡宮にお伺いを立てるのが古い慣わしだったようです。 さて、この八幡信仰の総本宮である宇佐八幡宮ですが、祭神は八幡大菩薩宇佐宮、ヒメ神社(字が違っていますがスミマセン)、大帯姫廟神社の三座とされています。そして、祭神のそれぞれを応神天皇と母親の神功皇后、后神としています。 果たして、本当なんでしょうか。宇佐八幡宮は、神殿が営まれる以前は、御許山(みこそやま)の山頂の三大石を神体としていたのですが、それは南熊襲族によってまつられた、古代というよりは原始時代からの信仰のあった日の神で、天之宇満都留之命(あめのうみつるのみこと)と申し上げる、大変位の高い龍神であったのです。この神こそが、八幡信仰の本当の神様なのです。この神は、旧族の宇佐氏、新羅系の辛島氏、さらに大賀氏と三氏の氏神の統合神としてまつられることになったのです。 それが時代とともに祭神を応神天皇、神功皇后に凝して祀ったことには深い意味があるのです。ここで、神功皇后とは日本武尊の子供である、仲哀天皇の皇后です。そして、応神天皇はその二人の間に生まれた御子です。これだけでも、応神天皇、神功皇后の母子が祀られているのに、どうして、仲哀天皇を祀らないのかも不思議ですよね。 その前に、先ず古事記に記されている、仲哀天皇と神功皇后の話を紹介しましょう。≪仲哀天皇が、熊襲を討つために香椎宮におられた時、皇后の神功皇后が神がかりになられ、「西方に国がある。そこには金銀財宝が沢山ある。その国をお前に与えよう!」という。そこで天皇が西方を見ると、海しか見えない。「あなたは嘘つきだ!」というと、神は大変立腹され、天皇の命を奪ってしまう。神功皇后は、妊娠中にもかかわらず朝鮮半島へ出兵、新羅遠征が終わらぬうちに産気づくが、石を服の下につけて、帰国してから応神天皇を出産する、、、、≫これは、本当は次のようなことだったようですよ。次回に続く。
2007.09.13
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これまで、人間が亡くなってからの死後の世界をかいつまんで見てきましたが、本日はその最終回です。仏界まで上がり、心が浄化された多くの霊魂は、仏界である時間を過ごしたあと、この世にふたたび生まれ変わるべき運命を持っています。やはり、人間の一度の人生ですべてが学べるのは難しいものです。そこで、何度かの人間界への再生を経て、その霊魂が学ぶべき学習(修行ともいえますが)の為に何度も転生することとなるわけです。これも神様の御心といえるのです。どうしてなのでしょうか。それは、霊というものを限りなく地上に転生させることによって、神界と相似したユートピア的な世界を、この世にお造りになろうと考えられたものと言えます。もう一つの側面は、宇宙というのは絶えず進化しています。それにつれて、人間界でも魂の向上が促されることになるわけです。 ■では、生まれ変わった時、前世の記憶がなぜないのでしょうか。それは、生命が誕生するときには、それまで肉体がなかった霊魂が、ポンと肉体に入り込むのですから、波長が早くなります。そのショックで、前世の記憶がパサッと抜け落ちてしまうからです。たまには、人によっては前世の記憶が時として甦る人もいますが、一般的にはこのような原理なのです。だって、また新しい修行をするのに前世の事が出てきたらややこしくて、学習になりませんものね。また、一からやり直しで、他の分野で学習するところに意義があるわけです。 ■では、どういう所へ生まれ変わるのでしょうか。一般的なことを申しますと、前世において、良い心を持ち、貧しさにも負けず、お金があっても決しておごることなく、神仏に、人に感謝して、善行を重ねてきた人は、当然恵まれた暖かい家庭へ生まれ変わることになるでしょう。反対に、ろくでもない心を持って生きてきた霊は、もう一回、地上で苦労してから来なさいということで、苦しい環境に生まれ変わるはずです。しかし、はじめに一般的にと言ったのは、すべての場合に当てはまらない時もあるからです。というのは、いくら素晴らしい行いをした霊魂でも、その霊魂が望むなら、自分からかなり過酷な立場で生まれ変わることもあるからです。つまり選択が出来るという事です。普通なら、楽な恵まれた環境の方がいいと思いますが、霊魂の学習として捉えた場合逆に苛酷な環境の方がいいからです。そういう霊魂もあるということです。いずれにしても、霊は限りなく転生していきます。そして、地球上に住む人間の肉体の中に閉じ込められ、誕生から死に至るまでの時間を人生として過ごしていくのです。
2007.09.06
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前回は、高度約20万メートルほどの高さにある燦明界(さんめいかい)の所までお話しましたが、浄化を進めた霊魂はその上にある浄空界、さらに浄岸界へと進むことになります。 この位相の世界は、地上約30万メートルから40万メートルの高さにあります。この浄空界に入った霊体はもはや、ほとんど現世の垢を落とした清らかなものばかりです。その為、死んだ直後のエクトプラズムは60~80グラムの重さですが、このあたりまで来ると、ほぼ10グラム近くになっています。ごく稀なことなのですが、素晴らしく心のきれいな人は、薄暮界ばかりでなく、燦明界も通り越して、いきなり浄空界やそのすぐ上にある、浄岸界と一気に到達することもあります。浄岸界というのは、浄土の一歩手前の世界を指します。 これより上の世界は、いわゆる浄土と呼ばれる世界に行くことになります。高度約50万メートル以上の世界です。浄土と呼ばれる所は、菩薩界、仏界であります。すなわち、観音様や如来様のおられる世界に入ることになります。人間の霊魂が行くことの出来る最高の世界であるのが菩薩界、仏界であるわけです。菩薩界とは、地蔵菩薩様、観音菩薩様などの菩薩様がおられる世界です。仏界はその上にある世界で、高度にして50万~100万メートル上空にあります。ここは、霊がきれいさっぱり生前の念やホコリを洗い流した者だけが上がってくることのできる世界で、神々しく清らかに澄み渡った美しいところです。いわゆる極楽浄土で、キリスト教で言う天国にあたります。この仏界には、大日如来様や釈迦如来様がおられます。 霊が浄土界へとたどり着くには、心のきれいな霊では7年から、10年かかります。地上に未練を持っていると100年も、150年かかってもたどり着かれない場合もあります。あの世でも心が大切ということですね。 なお、菩薩様や如来様などの仏様は、この世で悩み苦しんでいる者のところへ姿を現して、あるいは悩める人の先祖霊をお使わしになり、人を導かれます。そして、神様が御力を貸されて、軌跡を引き起こしたり、人を救済されるのです。
2007.09.01
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今日は霊界のことはお休みさせていただき、本日朝にNHKのBSを見ていたら、シンガーソングライターの徳永英明さんが出ておられましたので、そのことを書いてます。デビューする前、自分で作ったデモテープを音楽会社に売り込みに行ったことなどを紹介されてました。中々決まらなかったようですが、一社から良い返事を戴いたそうです。それで歌手の道が開いたそうです。 この徳永さん、信仰心があるのかデビュー曲の「レイニー・ブルー」が出た時に明治神宮へ参拝し、絵馬を書いてヒットするように願ったそうです。そうしたら、見事この曲がヒットして、軌道に乗ったそうです。しかし、やっと軌道に乗ってしばらくした頃、今から7年前にモヤモヤ病という病気になり、一年半も仕事ができなかったそうです。いろいろと苦労されてきたようですね。つい最近は、今までの女性歌手が歌ってヒットした曲をカバーしたアルバムを出されたそうです。関西でも活躍されていて、ハスキーな声で私も昔から好きです。今回の曲は、バラード風な曲が多いのでよく売れているそうですよ。 それで、今回も明治神宮に参拝して絵馬を書いてお願いされている場面が紹介されてました。繊細な感性の持ち主なので、神様と感じる所があるのでしょうね。今回の絵馬の文面は、「世界へ翔く(はばたく)」と書かれてました。拝殿から真剣に拝んでおられる姿が写されてました。徳永さんと明治神宮、よく似合ってました。きっと、今回も神様の応援もありうまく行かれると思いますよ。 私は、明治神宮には行ったことが無いのですが、明治天皇をおまつりしてあり、初詣なんかには日本一になる所ですよね。明治天皇の残された足跡は偉大なものがあります。本当に日本のこと、国民のことを思って生きられたようですね。神道の関係の所でも、今も明治天皇のことは別格扱いにされてますね。明治天皇が残されたお歌(御製:ぎょせい)の中から私の好きなのを少し紹介しましょう。「目に見えぬ 神のこころにかよふこそ 人のこころの誠なりけれ」「ひはやふる 神のまもりによりてこそ わが葦原のくにはやすけれ」「おほぞらに そびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる道はありけり」 等です。 ところで皆さん、神社に行ったら、絵馬って書かれますか。これも神様のご祈願の一つなんですよ。ただ願い事を書いて吊るしておくだけとお思いでしょうが、神様はちゃんと人々の願い事を見ておられます。本当に、絵馬の所にも眷属の神様がおられたりもします。もしそうでなくても、神様は必ず見ておられますから願いを届けてくださるのですよ。
2007.08.29
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本日も引き続き死後の世界をご紹介しましょう。大体、死後49日頃には、自分が死んだということを理解し、死後の世界へと旅立つことになります。幽明界で死を理解した霊は、霊の波長が早くなり、上のほうに引っ張られていき、高度800メートルあたりで、一度次元差の壁を通り抜ける衝撃を受けてから、暗く長いトンネルを通り、地上から2000メートル位の所にあるほの明るい所に出ることになります。そこが薄暮界と呼ばれる所です。ここで、俗に閻魔大王様と呼ばれる神様(天上ヶ原の龍神)が、霊魂の選別、つまり地獄行きか天国行きかの裁判が行われるのです。閻魔大王様はそのご神力により、生前の数々の事実を突きつけながら、霊を審問し、その反省度やその後の心の改め方によって、霊の進むべき世界をお選びになるのです。心の穢れた霊は、瞬時に地獄界へ落とされ、他のものは、薄暮界へしばらくとどまり、自分の過ごしてきた人生への反省と瞑想・・・・・・・つまりは、心のホコリを取り去る精進を開始することになるわけです。皆さんこのようなことは嘘だとお思いかもしれませんが、本当にこれが真実なのですよ。如何に現世で心正しく生きることが大事であるかということですよね。 回り全体が薄ぼんやりとした薄暮界のかすかな光の中にとどまって、生まれてから死ぬまでの自分の行いを、何度も繰り返して反省した霊は、心が軽くなるに従って、波長が早くなり、次の段階である燦明界という所へと上昇して行くことになります。ここは、地上から約20万メートルの高さの所です。とどまる時間に決められたものはなく、霊の厳しい自己精進と遺族からの供養によって、その速度は早められることになります。なお、生前に善行を重ねて、心にホコリをためることのなかった人は、まっすぐ燦明界に行くことが出来ます。 ねっ、生前に良い行いをしている人や、心の清らかな人はやはり浄化のスピードも速いのですね。それと、先祖供養をすることもご先祖さんの浄化を早めることになるわけですよね。この燦明界にたどり着いてからも、心の修行が続くこととなります。現世である人間界での修行も厳しいものですが、死後の世界での修行も中々厳しいものがありそうですよ。だから、現世で与えられた修行というのは自分を磨くものですし、必ず乗り越えられるものですから、勇気を出して乗り越えないといけないことが解りますね。つまり、死んだらお終い、楽になるという考えは間違っているということですね。 人生全般の諸問題におけるご相談とご祈願(ご祈祷)の受付を行っております。無料ですから、ご遠慮なくお申し込みください。トップページ(上の画面)からどうぞ。
2007.08.25
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続きで死後の世界を少し紹介しましょう。人間が死ぬと、体内にあるエクトプラズム(霊魂)は頭の後ろの方からスーッと肉体を抜け出します。そして、地上から2~30メートルの間をふわふわと漂います。よく生きている時に起きる人もいますが、幽体離脱と言うのと似ています。このときはもっと高度高く上がることもできますが。いずれも霊魂だけが肉体から抜け出し漂いますから、自分が横たわっている姿を上から見ることになります。死後に訪れる、この間の世界を幽明界と呼びます。いわゆる幽霊が出るの次元の世界ですね。 すでに希薄状態ですから、壁でも天井でも通り抜けることができますが、地上に念が残っているので、エクトプラズムが重く、それ以上の高さには行けないのです。それに、まだ自分が死んだという感覚が薄いために会いたかった友達の家へ訪ねたりする霊もいます。しかし、一般的には49日といわれていますが、亡くなってから大体35日もすれば、自分が死んだということを理解し、現世に未練を持つことを観念するものです。所で、よく浮遊霊や未成仏霊とかいわれますよね、こういう霊はこの世に対する念が残り、この世界にいつまでもとどまって中々上にいけない霊なのです。時には人に障害を与える霊もいます。また、突然の事故などで亡くなった人は、自分が死んだことに気がつかない時も多いものです。こういうときは、自分が亡くなったのだよということを教えて、早く霊界へ行くことを諭してあげる必要があるわけです。
2007.08.21
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京都では16日に五山の送り火の行事がすみ、お盆も終わりました。今年も用事があって見に行かれなかったのですが、NHKでテレビ中継があったので見てました。良かったですね。お盆の13日にご先祖様を家にお迎えし、この五山の送り火でご先祖様が帰っていかれる行事を今も面々と続けられているのですね。こういうのを見ていると、本当にお盆というのはご先祖様に想いを馳せる特別な期間なのだということをあらためて知らされますね。こういう行事、風習はいくら時代が変わろうが引き続けていただきたいものです。昔から、お盆の時期は地獄の釜も開くといわれています。マア、地獄界だけではなく霊界からの扉が開かれるのは本当のようですよ。 所で、人間は死ぬと何処へ行くのでしょうか。肉体はもはや存在しないのですが、霊魂(エクトプラズム)は残ります。霊魂は死とともに、体から抜け出し、幽明界(ゆうめいかい)と呼ばれる、地上から2~30メートルの世界を浮遊します。その後、次元差の壁を超えて、薄暮界(はくぼかい)と呼ばれる霊界に入ります。さらに、燦明界(さんめいかい)、浄空界、浄岸界という場を経て、一般に浄土と呼ばれる菩薩界、仏界へと浄化の旅を続けることとなるわけです。 死後の世界とは、それぞれの霊魂が生きている時に身につけた欲や妬み(ねたみ)、あるいは心の汚れなどの人生のホコリとも言うべきものを、すべて洗い流し、広い愛の心に満ち溢れた純真無垢な魂を取り戻すための長い修行の場であるのです。死んだ直後の人間の霊魂の重さは、60~80グラムぐらいですが、修行を重ねることにより、地上からの高度にして50万~100万メートル上空にある仏界にたどりつきます。その時の霊魂の重さは10~15グラムの軽さになっているそうです。これは、簡単に言えば、生きている時に身につけた欲望や執着などといった心のホコリや垢をすっかり払い落とすことができたために、波長が早くなり、仏界という最高位である位相にまで昇ることができたというわけです。今、流行っている「千の風になって」の歌と同じですよね。
2007.08.18
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(東本願寺の阿弥陀堂です)昨日は、朝から東山区にあるお墓にお参りに行きました。わたしは、お彼岸とお盆、お正月にはお墓参りをしています。この日はお盆のさなかで大勢の方がおまいりに来られてました。その後実家へ行ってお仏壇にお参りです。わたしの家は浄土真宗なので、お念仏は南無阿弥陀仏です。この宗派は面白いですね。基本的には位牌も無しで、ご先祖さまの記録が載っている過去帳があるだけです。あくまでも阿弥陀様が主体なんですよ。だから、お仏壇も阿弥陀様をおまつりするものとして捉えるようです。それだから、ご先祖様の供養にしても阿弥陀さまにお願いするわけです。だから、お寺さんによっては同じお仏壇で、本日は父方の供養、あるときは母方の供養をお願いしてもいいわけです。だから、この宗派は一家に一つお仏壇を置いて阿弥陀様をおまつりしてくださいと薦めます。わたしはこの考えにとても賛成です。神棚も大事ですが、仏様を司る阿弥陀様を祀るお仏壇が家にあるということはとてもいいことだと思います。そして、そこにご先祖様とのつながりも出来るわけですから。お仏壇のおまつりの仕方ですが、出来れば神棚と別の部屋がいいです。やはりご先祖様が気を使われますから。それと、宗派ですがご先祖さんが信仰されてきた宗派で引き続きおまつりされたほうがいいです。だって、ご先祖様が南無阿弥陀仏でいいところへいけると思って亡くなられているのに、違う宗派の南無妙法蓮華経では戸惑いますものね。 帰りに本山の東本願寺に行きました。誰でも自由に阿弥陀堂に上がってお参りすることが出来ます。真ん中に大きな阿弥陀様がおられます。自分の心で先祖の供養を阿弥陀様にお願いしました。ほんと、合わせている手が明るく感じました。阿弥陀様のお光かなと嬉しくなりました。ここは若い人も大勢お参りに来られてましたよ。良かったです。 最近はどこの宗派でも先祖供養をお願いすることが出来ますが、代理でお願いするだけでは、、、と思っています。どこにお願いされても構いませんが、自分の心からもよく先祖の供養を願わないといけませんね。やはり、ご先祖様に一番通じるのはその子孫の心ですから。その心を喜ばれて良いところへいかれるのですから、この基本は大切にしたいものです。尚、15日にはお寺さんがお参りに来てくれます。
2007.08.14
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最近はいろいろと忙しくって中々、ブログが書けなくなってきました。お許しください。さて、いよいよお盆の季節に入りました。関東では7月の15日に行われる所もありますが、全国的には8月の15日が多いようですし、この期間は休日になる所が多いですから感覚的にお盆という感じがしますね。お盆について、Wikipediaで調べてみました。やはり、日本には仏教が伝わる前から、一年に二度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて、交流をする行事があったそうです。初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭事となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して仏教の行事として行われるようになったそうです。そして、日本では八世紀には夏に祖先供養を行うという風習が確立されたそうです。13日の野火を迎え火と言って、故人を家に迎えます。そして、僧を招いて読経して供養します。盆が終わる16日の野火を送り火と呼び、故人を彼岸に見送ります。京都の大文字の五山の送り火は代表的な送り火として有名です。このように書かれていました。そうです、もともと日本では習俗的にというか、神道的にお正月と八月のこの季節に祖先の供養が行われていたようですね。 お釈迦様が天の神様のお力を得られて、仏界を造られたのですが、その仏界を守られているのは天の神様です。閻魔大王様も天の龍神様ですものね。本日言いたいことは、この季節にだけ先祖の供養をするわけではないのですが、最低でもこの季節には先祖様に感謝を捧げ、供養する気持ちを持たなければいけないという事です。私達は偶然にして、今のご先祖様から生まれてきたわけではありません。みんな何かのご縁があって生まれてきているのですよ。ご先祖様は木に例えると根であり、幹であります。そして、私達はその木の枝であり、葉でもあるわけです。そして、きれいな花や実を結ぶには、根や幹がしっかりしてないといけませんよね。その為というわけではないのですが、ご先祖様の供養をすることはひいては私達の幸せにもつながってくるのです。お墓参りや、仏壇に手を合わせてご先祖をしのんで感謝を捧げましょう。どうしてもできない人なら、家でご先祖様に対して手を合わせるだけでもいいと思います。近くの阿弥陀様をおまつりするところでお参りしてもいいですよ。ご自身で、ご先祖の供養を願いましょう。こういう心がご先祖に伝わります。そして、浄化されます。もちろん神道でも先程申しましたように、先祖供養はされます。元の神仏はみんなつながってますから。お盆には冥界との扉が開くとされます。ご先祖様を偲び、ご先祖の供養の祈りを捧げましょう。
2007.08.09
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神社にはいろいろな呼び方があります。例えば、氏神様、産土(うぶすな)神社、鎮守の神様、一の宮神社などです。そのなかで、本日は氏神様のことを少し説明いたします。現在では氏神様といえば、住んでいる地域の近くの神社、あるいはその地域の代表的な神社であると解釈されていますよね。だから、引越しなどすればそこの新しい地域の神社が氏神様になるわけです。実は、本来の氏神様の考え方とは大分変わってきています。と言いますのは、古代では氏神様というのは、その土地に入植した一族が信仰していた神様のことを指したものです。つまり、一族の大元祖であり、一族の先祖にあたる神であったりしたわけです。 一例を見てみますと、藤原一族は春日大社を氏神としています。もともと奈良の三笠山には春日尊様という神様が一言主命様(大国主命のこと)と共にお祀りされていたのですが、藤原氏の権力を確固たるものとするために藤原氏のもともとの守り神である鹿島神宮のタケミカヅチ命と香取神宮のフツヌシノ命を三笠山に勧請したものと言われます。また、京都の下賀茂神社はこの地方に住んでいた賀茂一族の祖先、すなわち氏神様ということになります。同じく、京都に住んでいた秦(はた)一族は伏見稲荷神社をその氏神としてきました。 このように、本来の氏神というのはその一族が信仰してきた神であり、神社であるということが出来ます。昔は今のようにそんなに引越しもなかったでしょうし、一族が同じ集落にずっと住んでいたので氏神様への信仰は強かったものと思われます。しかし、今の時代は引越しや勤め先が変わっただけで移転があるわけですから、なかなか同じ所に住むということが少なくなってきました。その為か、現在では住んでいる地域の神様が氏神様と称して信仰されているわけです。それに自分の先祖が何族の子孫になるとかは解らなくなってきていますから仕方ないですよね。また、解った所でその氏神がどこの神社になるのかは中々解明できないと思います。 私的には、現在の氏神様の解釈で構わないと思います。氏神様はその地域を守る神様として信仰すべきでしょう。そして、その氏神様の土地に住まわせてもらっていると思ったほうがいいでしょうね。そして、変な言い方ですが出来るだけ氏神様との接点を作ったほうがいいと思います。例えば引越して、家を建てたりする時は基本的には氏神様に地鎮祭をお願いした方がいいでしょうね。どうも住んでいると嫌な感じがするようなときがあれば、氏神様に頼んで、祓ってもらうことも大事だと思います。 人生全般の諸問題におけるご相談とご祈願(ご祈祷)の受付を行っております。無料ですから、ご遠慮なくお申し込みください。トップページ(上の画面)からどうぞ。
2007.08.05
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(出雲大社)京都の八坂神社で行われている祇園祭ですが、本日の疫神社(八坂神社の摂社)にての夏越祓いの行事が終わると終了となります。とても長い期間の御祭りですね。 ところで、スサノオノミコト様は出雲系の神々の長であられます。このスサノオ様は元々、高天ヶ原系の天照大尊(天照大神様の父)様の弟君であるのですが、先日ご説明したように人間界での修養をされたわけで、その後は天界にお戻りになられて、神界と他の霊界の調和に尽くされました。そして、天照大神さまのお力添え(おとりなし)により、雲上ヶ原(神様の行政組織)の許しを得られ、出雲族として独立されたのです。すなわち、出雲系の神々とは、高天ヶ原系の分流ということになるわけです。すごいですね、こんな神様の魂を持った方でも人間界でのお役目というか、厳しい修行を与えられるんですね。確かにスサノオ様はすごく男性的な神様なのですが、天照大神さまを非常に大切にされ、慈しんでおられます。人間界でいう愛に深く、筋道に厳しい神であられます。 現在、出雲系の神は大国主命様に長の位置をお譲りになられています。その行政の補佐はアマノ命様という神様が、そして、統括はスサノオ様のお后ある、クシナダ姫命様が、そして、その補佐をアメノ命という神様が担当しておられます。スサノオ様の御神徳は、もちろんどんなことでもお持ちなのですが、特に勝運や開運、技術向上、開発発展などの方面にお力をお持ちです。 確かにスサノオ様や、その弟君のイワタケ命様が通られた所には出雲系の神々が祀られていたり、名残が残っています。奈良の三輪神社の大物主命様も実は大国主命様のことです。私が伊勢に行ったときもこの地方では、家の門に蘇民将来(そみんしょうらい)と書いた注連縄をしてあるのを見ましたが、これもスサノオ様の勢力がこの地方にまで及んだということなのでしょうね。
2007.07.30
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前回、須佐ノ男尊さまの事を紹介させていただきましたが。本日はその続きです。 28歳より32歳の間に、出雲での権力を一手に握った尊は、出雲一帯の統治を、娘の婿養子であった大国主命にお任せになり、中国地方一帯、さらには九州への大進攻を始められました。このとき尊は、みずから部族の半数をひきつれ中国地方の各部族と同盟関係を結びながら、ホコ先を西へと進められました。中国地方を支配していた部族国家は、朝鮮半島から出雲を経て散在した騎馬民族の部族が多く、この西への進軍はそのため順風にのったようにスムーズに実現されました。それではどうして、九州に目を向けられたのでしょうか。当時の日本文化の中心は、大陸→出雲ルートとは比べようもないほどに安全な航路が北九州地方にあったのです。つまり浅瀬だったのです。その為この地方を制圧すれば大陸との交易利権を得られ、大出雲帝国の建設が完成されるというわけです。さらに北九州を支配していた倭国は勢力争いによる戦乱状態にあったのです。 須佐ノ男尊が西へと進まれるとともに、弟君のイワタケ命には草薙の剣を尊の代わりとしてつかわされ、東へと軍を進めることを命ぜられました。イワタケ命は、出雲から山陰を通って福知山、綾部、大原、桂と京都を南下され、摂津、難波、秦氏大国の河内さらに大和の三輪、葛城氏を傘下におさめ、伊勢を経て、名古屋、静岡、相模原、山梨へと出雲国の勢力圏を一気に関東まで広げられたのです。しかし、現在の横浜あたりに軍を進められたときに、不幸にしてイワタケ命は戦死されたのです。遠征軍は、出雲へと引き返したのですが、イワタケ命の媛は夫をしのんで東国に別れを告げることが出来ず、草薙の剣を奉じて名古屋の熱田の付近に住みつかれたのです。その後、あの日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの剣を剣を持って東征に向かわれたことは、皆さんご存知のとおりです。 さて、須佐ノ男尊は、下関から、当時はまだ潮流がゆるやかであった関門海峡を船で四国に渡られます。そこから海岸線に沿って愛媛を経て、大分に渡っておられます。大分から門司、小倉、博多と進まれ、各地を勢力下におさめられ、ふたたび大分から宮崎に入られました。卑弥呼が阿蘇の麓にはいられた日向の都城を基地にされ、延岡から五ヶ瀬川をたどってさかのぼり、高千穂を経て邪馬台国に進まれ、背後から内乱に揺れる邪馬台国を討たれたのです。時期は、邪馬台国の壹与が死に、倭国に内乱が起こって間もない時で(AD300~302年ごろ)尊が34歳になられた頃のことです。倭国は三つの勢力に分かれ、約30の部族が対立をしていましたが、外部からは狗奴国の熊襲族が倭国圏に侵入し、さらに出雲族が侵略を始めたのです。須佐ノ男尊を長とする出雲の軍勢は、数年をかけて邪馬台連合国を征服されましたが、その後の隼人族との戦いにおいて、宮崎県の都城付近でお亡くなりになられたのです。尊が40歳の時でした。 尊がお亡くなりになられてから、出雲族の勢力は狗奴国(くなこく・熊襲族の国)の巻き返しにより破れ、九州全体を狗奴国が支配することになったのです。熊襲族も、もと出雲族と同じく大陸から日本にやってきた騎馬民族であったのです。 出雲には須佐ノ男がおまつりしてある神社はごくわずかです。だからこそ須佐ノ男尊は外来の神であると言われています。確かにそのとおりなのですが、尊は約15年間、出雲の地に留まっておられますが、実際頭角を現されたのは、27,8歳から32歳までの数年間に過ぎません。出雲においては、戦争によって民衆から敬われるというより、恐れられたのかもしれません。その為、尊が九州を制覇するために出発されたあと、出雲の国づくりを見事に完成された大国主命に対して、民衆からしたわれ、出雲の祭神として祀られたことは当然のことかもしれません。しかも尊は九州に入ってから四十歳まで戦いと九州の統一に力を注がれ、出雲へ凱旋されることもなかったわけですから、やむをえないこととも言えるでしょう。 須佐ノ男様が御祭りされている神社を見ると、京都から北九州にかけて祇園社などの神社が、そして尊の九州への進攻の跡を物語るように山陽路に沿って存在しています。須佐ノ男尊が統治されていた頃の出雲の中心は、肥の川あたりだったですが、大国主命の代になって、現在の出雲大社のある位置に移っていっておられます。
2007.07.27
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先日の20日に産土神社である八坂神社へご祈祷を受けに行ってきました。私ではないです。87歳になる父と、86歳になる母の健康を願ってのご祈祷です。私でもご祈祷を受けに行くんですかって?そりゃー私だって自分でも拝みますが、ご祈祷も受けます。勤めていた神社でも何かあると受けてましたよ。それもご祈祷料の社員割引もナシで。やはり自分達のことでもお金を払って神様にお願いすることによって、それだけ自分の願いがどれだけのものか神様に通じる訳ですからね。それに自分の因縁というか垢(あか)、穢れを取ってもらうのにはご祈祷は必要だと考えます。”神さんの仕事をしている者は必要ではない”ではないと思います。皆さんもお参りだけではなくて、何か特別の願いがあったならご祈祷を受ける方がいいですよ。 ちょうどご祈祷を受けに行ったときは、八坂神社では祇園祭の期間でして、鉾の巡行のあとの17日から24日の還幸祭までの間は四条寺町にあるお旅所に御みこしが飾られます。 ご祈祷は清め祓いあと大祓詞、祈願文奏上、玉串奉奠と続きました。そのあと神主さんからの説明があり、17日から24日までのこの期間は八坂の神様のお力が一年で一番強い時とおっしゃいました。うわー良い時に来たんだと嬉しくなりました。スサノオノミコト様有難うございますです。 そうです、神社では御祭りというのが一番大事な日になるのですよ。多くの神様がご降臨されたりもします。勤めていた神社でもすごい数のご眷属の神様がご降臨されました。いやご眷族だけでなくてずっと位の上の神様もです。失礼しました。そういうものなんですよ。御祭りは人間がご祭神様に対して感謝を捧げる日でもあります。神を敬う姿をご照覧いただくための特別の日といってもいいと思います。 昨年も母のことでご祈祷を受けお陰さまで一年長生きさせていただきました。これからも少しでも心身ともに穏やかな日が過ごせますようにと願っております。
2007.07.23
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昨日の7月20日より、立秋前日の8月7日までの間は夏の土用にあたります。土用とは古代中国の五行思想(万物は木、火、土、金、水の気からなるとする説)に基づくものです。春を木気、夏を火気、秋を金気、冬を水気とし、それぞれの季節のつなぎ目には土の気が入り季節の変わり目の役目をするとされています。土用とは立春、立夏、立秋、立冬の前日のそれぞれ約18日間を指します。この期間は土の気が大変強い時とされます。つまり年に4回あるわけですが、一般的に土用と言うと立秋前のこの夏の土用のことを言ったりします。 この土用にまつわることで昔から言われていることをご紹介しましょう。先ず土用の丑の日に関してです。この土用の丑(うし)の日にウナギを食べると夏バテや食欲減退防止になると言われています。これは江戸時代からの風習のようです。確かにこの時期は大変暑い時期で、体も疲れます。丑の日の「う」ですからスタミナのつくウナギ(頭にうがつく)を食べて縁起を担いだのかもしれませんね。ウナギには実際ビタミンB類が多いようです。今年は7月30日がその日です。満月の日でもありますね。ウナギには可愛そうですが、この日にウナギを食べてみては如何でしょうか。 また土用に関することでは、この期間は土の気が強くなるので動土や穴掘り等の土を犯す作業や殺生はしてはいけないとされます。ただ、土用に入る前に着工して、土用中も作業を続けることは差し支えないとされています。本当にこの期間の家の基礎工事や動作には気をつけたいものですね。逆な発想としては、風水的には家の中に土のついた植物などを取り入れてみるのはいいかもしれませんね。 神社でもこの土用のことは気にかけます。実際土地には沢山の神さんがいます。目には見えませんが、その土地を守る地主神とか道祖神とか、水神、金神、鬼門神など沢山の神様がおられます。そして、土や石には念が入りやすいのです。昔からのいわれには先人の生きた知恵があります。大切にしたいものです。
2007.07.21
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昨日のF.T.Gは如何でしたか。私は、あるブログで行われた7時30分からの祈りの会にも参加して、中越地震で被害にあった人達の無事を祈りました。そして、いよいよ8時11分になり、私は祈るのが専門なので先ずはいつも拝んでいる神様にこのF.T.Gが成功しますように、そして地球の今後のこともお願いしました。そうすると、いつもと違うすごい神様が来られたようで、体に感じました。「ようし、解った」という感じです。 全世界では何百万人、いや一千万人以上の人が参加されたようですね。すごいエネルギーが地球を包み、それが地球の奥底にまで愛が送られたことでしょう。その一人として参加できたことに喜びを覚えました。 こういうみんなの愛のエネルギーがこれからの世界を作っていくのですね。本当に世界が変わるのだという感じです。 2012年のアセッションのことがいろいろと言われていますが、こういう愛のある世界が実現すれば、決して地球や人類が崩壊することはないと教えられています。それまでには神様のふるいがあるそうですが、、、、本当に素晴らしい地球に住めるように、私達も進化したいものです。
2007.07.18
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皆さんご存知でしょうかすでにスピリチュアルに関係している人の間ではかなり伝わっていますが、この7月の17日の日本時間午後20時11分から地球に愛と癒しを捧げる世界的なイベントが行われます。名前はFire the Gridです。エネルギーの枯渇、地球温暖化による自然破壊、人間の欲望による波長の乱れ、核戦争の危機などの原因で、あと25年で地球は大変なことになるそうです。今、地球は瀕死の状態にあります。それを救うために組まれた大きなイベントです。この時間から一時間の間、祈りや瞑想をして地球に愛と癒しを捧げてください。多くの人の良い波動が集まることにより、この危機から脱出することが出来るそうです。だから一人でも多くの人の参加を呼びかけています。私ももちろん参加します。詳しくはここです。Fire the Grid Be Definedです。Fire the Grid通信にも書かれています。 2012年からアセッションといって新しい時代が来るといわれています。それが良い時代になるのか、悪い時代になるのかは人間次第です。しかし、大きく時代が変わることは確かみたいです。精神性の時代です。 私も神社で教えられました。人間が持っている波長が悪くなるとそれが宇宙にも波及して良くない事が多い世の中になると。本当に今の世の中どうなってるのですよね。そして、かって月にも人類が住んでいたのだが、核戦争で地軸が変わり住めなくなったのだと。つまり死の惑星になってしまったのだそうです。人類が行う行為は宇宙全体にも悪影響を与えます。地球は人類の為のものではありません。多くの生物が互いに生きるための世界です。真剣に考えないといけない時代が来ているようです。
2007.07.15
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京都では17日にいよいよ祇園祭のハイライトである山鉾巡行が行われます。祇園祭は私の産土(うぶすな)の神社でもある八坂神社のお祭りです。もちろんご祭神はスサノオノミコト様です。※産土神とは生まれた所・地域にお祀りされている神社の神様です。生涯その人をお導きされるといわれています。祇園祭は7月1日の吉符入りに始まり、7月31日に境内にある摂社の疫神社で行う夏越祓いの日(八坂神社では本来の旧暦で行われます)までの1ヶ月間行われます。私は鉾が立てられる地域の小学校に住んでいたものですから、子供の頃はこの祇園祭が近づくと浮き浮きしたものです。16日の宵山にはコンチキチンのお囃子が深夜まで続けられ、大変賑わいます。そして、17日の山鉾巡行では動く美術館ともいわれる豪華な胴かけ等をつけた山や鉾がお囃子と共に巡行します。いつ見ても、とても綺麗で圧倒されます。長刀鉾が先頭で疫病のような邪気を祓っていきます。巡行のときに鉾に乗れるのは男性だけです。昔、女性が乗った時に鉾が倒れたそうです。その為、以来男性だけしか乗れません。 さて、この祇園祭ですが、今から1100年ほど前に始まったとされています。平安時代の初期です。この当時は京の都では大変疫病がはやり、それは疫神の障りや、政治的なことから現世で恨みを残して死んでいった怨霊の祟りであると信じられていました。その為、全国の国の数である66の矛を立て、神仏に祈りその祟りを鎮めるために市中を練り歩いた御霊会(ごりょうえ)が始まりとされています。疫病を払う神様としてインドから伝わる牛頭天王(ごずてんのう)という神様は、日本では祇園社(今の八坂神社)でお祀りされているスサノオノミコト様のことだとされています。その為、ここ祇園社でこういうお祭りが行われているのです。スサノオノミコト様のことは3月31日の日記に書いてありますので読んでください。※この続きは後日書く予定です。 この祇園祭は日本三大祭の一つで、今のように華やかになったのは桃山時代からで、応仁の乱で一時中断されましたがその後今のように復活されたそうです。スサノオノミコト様は天上神であられますので、龍神でもあります。その為か鉾の胴かけなどには龍の織物などが多いですね。今年も祇園祭で配られるチマキを買って家の玄関に飾ります。鉾や山が立てられている町内には、それぞれの神様を祀るお社が各町内にあります。今年は役行者(えんのぎょうじゃ)様を祀る山のチマキを買おうかなと思っています。皆さんも機会がありましたら、是非お越しになってください。 昔からこの鉾の巡行の日の朝によく雨が降ります。これは清めの雨だよと聞いてきました。京都では、この鉾巡行が終わると梅雨も明けて夏本番を迎えます。今年は大型台風の4号が近づいており心配です。被害の少ないことを祈っております。
2007.07.13
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最近日本でも、欧米並みに離婚件数が増え、何分に一組もあるそうです。若い人ばかりでなく、何十年も連れ添った熟年離婚も結構多いと聞きます。どうしてでしょうか。どうしてもやむをえない場合(暴力を働くとか、お金を入れないとか)は仕方ないとして、簡単に離婚を考えすぎているのではないでしょうか。 そもそも夫婦になるというのは、みんな何かのご縁があるからなのですよ。私も神社でいろいろと見てきました。そのご縁を探ってみますと、先ず第1にご先祖さまが導いている場合が結構あります。つまり先祖的な繋がりがどこかにある人ですね。探っていけば本当に古い先祖的な繋がりのある人も居ます。第2に同じような因縁というか、同じようなレベルの者どうしが惹きあうようです。一方がすごくレベルが高くて、片方がとても低いということはほとんどありません。昔から言われるように、似たもの夫婦が多いのはこの為でしょうね。そして第3には、赤い糸に結ばれる者どうしです。前世でも夫婦だった人は合った瞬間に何か感じるはずです。文字どうり赤い糸です。それは恋人だったかもしれませんし、兄弟や家族であったかもしれませんよ。 もちろん他の条件もあるでしょが、以上の3条件を考慮して、今生においては大体3人ぐらいの結婚候補者があるようですね。そして、根本的にはお互い相性というか、同じような波長を持つ人に惹かれるようです。こうして考えていくと、夫婦になるというのは何かのご縁があるわけですよね。こんな広い世界で大勢の人がいるのにたった二人ですもの。しかも偶然じゃないのですよ。何かのご縁によって惹かれているとしか考えようがありませんね。 そして、夫婦というのも大事な魂の磨き合いの関係であるということがいえます。今の流行の言葉では学びですよね。これが根底にあるということを理解すべきです。自分本位な考えをとうしては、うまくいかないですよね。育ってきた環境も違うのだから当たり前ですよね。それでもお互いが尊重し、認めあうことによって、明るい家庭を築くことが出来ます。強いては自分の魂の向上にもつながるわけです。昔の人はよく言われてました。夫婦はお互い辛抱だって。それぞれが言いたいことを言ってたのでは家庭はうまくいきません。子供を育てて、お互いを尊重して明るい家庭を築くこと、本当に沢山の学びがありますね。これも神様に感謝です。こういう環境を与えてくださったのですから。 熟年離婚なんて格好いいものではありませんよ。年をとると一人では寂しいものです。実際してみて、後悔している人も多いと聞きます。ご注意を。
2007.07.09
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今日は本当に神道かいなって言うような内容で恐縮なのですが、、、、。私3日ほど前から、めいぼ(物もらい、目ばちことも言います)が出来まして、大分上まぶたが腫れてきて、痛みも出てきて不愉快な感じです。肩の凝りからもなるそうですし、マアいつものおまじないと思い早速今回も実行しました。 トイレに行って、便器を人差し指で指差して、「めいぼが出来たら、ババつける」です。(注:本当にババをつけるのではなく、指をそちらに向けるだけです)そう、ババとはうんちのことです。このまじないの呪文を唱えて便器に向けた指を、今度はめいぼの所にそっと当てるのです。これを3回繰り返します。 その甲斐あって、今回も病院へ行こうかなと思っているうちに治ってしまいました。スッキリ!です。(^^♪このまじないは母方の祖母から教えられたものでして、それが母から私にと伝わっています。このおまじない本当に効きますよ。ババとは汚いようですが効果抜群だす?一日に何回しても構いません。昔からの言い伝えには良いものがありますよね。皆さんもめいぼの時は是非やってみてください。 昔のトイレは汲み取りだったので、ウンチが一杯あったので実感できましたが、今はそれがありません。それでもOKです。出来たら、自分の用を済ましたときにやると良いですよ。汚いな、、って、そんなことはありません。真剣勝負です。だって自分の体から出たものじゃないですか、これだって生命体ですよ。 所で、トイレの神様ってご存知ですよね。そう、うすしま(うすすま)明神さまです。トイレにもここを守っておられる神様がおられます。私の実家では大晦日の夜にトイレや井戸にも神様がおられるのでお灯明をともしています。井戸の神様は水神様です。このおまじないもきっとトイレの神様のご利益かもしれませんね。だからって言うわけではありませんが、人間が一番お世話になっているトイレですから、きれいにすることは当たり前ですし、そうすることで気分もすっきりして良いことがあるのかもしれませんね。
2007.07.03
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昨日30日に夏越祓いに行ってきました。京都は芽の輪くぐりも行っている神社はかなりあるのですが、穴場なんですが昨年に続き実家の近くの恵美須神社へ行きました。ここは1月10日にあります初えびすで賑わいます。実家が商売をしていたので小さい時からよくお参りに行きました。今でも時々お参りしています。ここはえびすさまをおまつりする三大神社の一つです。西宮の恵比寿神社、大阪の今宮戎、そしてこの京都の恵美須神社です。えびす様は、七福神の一人です。大国主尊のお子様である事代主命(コトシロヌシノミコト)であるとか、イザナギの命の第三子である蛭子尊(ヒルコノミコト)であるとか、夷なので外来の神であるとも言われています。 それはともかくとして、昨日の様子を報告いたしましょう。午後6時に始まったのですが、参加者は地元の町内会の人等含めて4~50人程度です。先ず神官が出てきて、拝殿にて神事が行われます。もちろん大祓詞(おおはらいのことば)という祝詞(のりと)も上げられていました。それが終わってから、神官を先頭にして芽(ち)の輪をくぐるのですが、やり方があって、八の字に三回くぐります。一回目の輪をくぐったら、左へ回ります。そして、二回目の輪をくぐると今度は右へ回ります。そして最後の三回目の輪くぐりで終わりです。神官のお祓いの後、このように全員がくぐりました。このぐらいの参加者なのですが、結構時間がかかります。そのあと、ご神酒授与が行われ、チガヤ(実際は萱ですが)を戴きました。このチガヤは家の玄関のところに飾っておきます。邪気除けです。今年も半年の罪穢れが沢山あります。不安や怒り、自分よがりであったりして、なかなか解っていてもつい自分の中にある神性を穢してしまいます。マア、それでも本当の心の中まで穢してなかったらいいかとも思っています。六根清浄です。心に諸々の不浄を思いて、心に諸々の不浄を思わずです。 ところで、大祓いの儀式が始まったのは理由は、国民全体の罪や穢れを祓ったのが始まりなのですが、今は個人のことばかりになってきているようですね。地球温暖化などで地球の危機が伝えられています。人々の波長が悪くなると本当に宇宙にも広がるそうです。それが地震や洪水、異常気象などにつながっています。人間のおごりこそ、大きな人類全体の罪穢れのように思います。元々の大祓いの原点に戻って行うことが、神の国である日本の役割であると思います。
2007.07.01
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6月30日に全国の神社で夏越祓いの神事が行われますが、この時に水無月というお菓子を食べる風習があります。そのいわれを少しご紹介したいと思います。そもそも、旧暦の6月1日は「氷の節句」とも言われまして、室町時代には幕府や宮中での年中行事の一つとして、この日に「氷室」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。氷室とは冬の氷を地下深くに保存した施設で、ここで夏までその氷を保存する所です。言わば、昔の冷蔵庫のような場所です。当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないなどということが信じられていたそうで、宮中などでこのような儀式が行われていたようです。 しかし、庶民にとっては夏の氷などは簡単に食べられるものではありません。そこで、宮中での貴族に習って、氷を形どった三角の白いウイロウの生地に、邪気を祓うとされる小豆を載せたお菓子が考え出されました。それが、水無月です。当時の人にとって、夏はとても過ごしにくく死と隣り合わせの恐ろしい季節でした。特に京都は盆地でその暑さは厳しく、疫病なども流行しました。それだけに半年の健康を栄養価が高くて、邪気を祓うとされる小豆をあしらった水無月を食べて、難を逃れるという願いがあったそうです。 所で、奈良の春日大社の近くに氷室神社という神社があります。ここは氷の神様をお祭りしてあるそうです。私も以前に偶然でしたが、ここの神社のお祭りの日に行った事があります。氷柱に魚が入れてあり、それがいくつも拝殿の前などに並べられておりビックリしました。そして、全国から氷の業者が参拝されたり奉納されたりしていました。 皆さんも暑い夏を無事に過ごせるように、水無月を夏越祓いの日に食べてみては如何でしょうか。昔からの風習は大事にしたいものです。
2007.06.27
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夏越の大祓いを受けましょうもうすぐ6月30日です。この日は各地の神社では夏越(なごし)の大祓いの神事が執り行われます。大祓いというのはこの夏越の祓いと年末の年越の祓いがあります。半年毎に行われるもので、人間が知らず知らずの内に犯した罪や穢れを祓う神事です。元々の起源は飛鳥時代の701年から、宮中で行われていたものです。この日は朱雀門前の広場にて親王や大臣、官僚が集まり大祓いの詞(おおはらいのことば)という祝詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓う儀式です。それが全国の神社でも行われるようになったものです。 罪とは本来人間が持っている神性な心を包み隠すもの、穢れとは気が枯れた状態とも言われています。そうですよね、人間というものは知らず知らずの内に我欲が出たり、自分中心的な考えになったり、また、気が枯れたような状態となり落ち込んだり、活力をなくしてしまうことがありますよね。こういうのを祓ってしまいましょうというのが、この大祓いの神事であるわけです。 神社によって夏越の祓いには、芽の輪(ちのわ)くぐりというのが行われる所もあります。芽萱(ちがや)という萱(かや)の種類の草を大きな輪にしてそこをくぐるというものです。この芽萱には、邪気を祓う霊力があるとされるからです。最近はなかなかこの芽萱が採れないので、萱を代用している所が多いそうです。「水無月(みなづき)の夏越の祓へする人は 千年(ちとせ)のいのち 延ぶというなり」という歌を歌いながら、3回まわるとされます。こういうことから、この夏越の祓いは延命長寿の神事でもあるわけです。そして、現在では暑い夏を健康に過ごせますようにと、神様にお願いする儀式だと考えてもいいでしょう。 神社によっては人型の紙を体にこすり、それで各自の罪穢れがこの紙に乗り移ったとして、それを川に流す神事をされる所もあります。もうすぐこの夏越の祓いが各地の神社で執り行われますので、是非神社へお参りしてご参加ください。その時は必ず神社の本殿でもお参りして、神様へのご挨拶も忘れないようにしてくださいね。感謝を捧げ、無事をお願い致しましょう。こういう神と共に歩む習慣を大切に致しましょう。
2007.06.25
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先日の19日に伊勢神宮へ参拝できました。伊勢には毎年、年始めに参拝してますが今年はなかなか行くことができずで、6月になってやっと行くことが出来ました。前日は雨だったのでこの日にしたのですが、この日の天気予報も曇り後雨の予報だったのですがお陰さまで、外宮に着いたときから晴天に恵まれました。感謝です。もちろん伊勢神宮の参拝は豊受大神様をお祭りする外宮からです。ここでの参拝を済ませてから、今年は家の神棚のお社を新しくしたいので、近くの神具店でいろいろと買い揃えました。ここで買ったお陰で内宮まで神具店の車で送ってくださいました。感激です。 いよいよ内宮です。 何度行っても良いですよねここは。私が始めて伊勢神宮へ行ったのは、小学校の時です。遠足で行きました。この時、参道にあった亀の形をした石を拾って持って帰ったのを覚えています。何故か神棚に上げてました。内宮のご祭神はもちろん天照大神(あまてらすおおみかみ)様です。現在は第一線から退かれて、高天ヶ原系の補佐のお役目をされておられます。高天ヶ原系のことは先日のブログに書きましたとおり、現在は天照国照大尊様が統率されています。私が神社に勤めていた時、宮司さまは私を呼んで、天御中主神様と天照国照様を別々にお呼びしなさいと言われましたので、そのようにしたのですが、天照国照様をお呼び出しした時のみ頭がしびれるようになりました。そのことを報告すると、宮司様は「そらそうだ。高天ヶ原系は現在この神様が統率されているからな」と教えてくださいました。このような不思議な体験をさせていただいたことがあります。 所で、この女神様(天照大神様)は天上ヶ原系のとても位の高い神様とご結婚をされておられます。実は私が勤めていました神社のご祭神様がその夫神様なのです。神族には五つの神族がありますが、決して対立したりはされません。それどころか、綿密に交流されておられます。神様は調和ですものね。だから、親族の違う神様同士でもご結婚されるのですよ。 それと、神様の世界では位階が歴然として存在します。申しましたように決して神様同士で対立などはされないのですが、位階だけははっきりしていないとやはり統率できませんものね。神様という以上、すべて大きなお力をお持ちでしょうが、特にこういう位階の高い神様のお力は偉大なものをお持ちのようです。 今回も感じたことですが、天照大神様はとても暖かいお心・愛をお持ちで、本当に太陽神です。太陽のような暖かい愛で包み込んでくださいます。それでいて、とても威厳のある神様です。私は、いつもですがお参りする時には必ず家の神棚にどこどこの神様にお参りに行ってきます。どうぞお守りくださいと言ってから出かけます。そうすると、もうその時から、その神様のお働きが現われるようです。今回も晴天に恵まれましたし、神具店の人にも親切にして頂きました。それと嬉しかったのは気づかなかったのですが、この日は旧暦の端午の節句の日だったのです。神具店の人から教えてもらいました。この日は邪気が生じやすい日とされますよね。それで神様に無事をお願いする日でもあるわけです。内宮のおかげ横町のお店の屋根に厄除けの菖蒲があげてあるのも見かけました。折りしも、こういう日に行けただけでも不思議です。やはりお導きがあったようです。 心がとてもすがすがしくなり、嬉しい気持ちになりました。これが神様の神気なんですよね。ただ拝んでいる時にだけ感じるだけではなくて、お参りに行った時の心もちというか、感じたものがその時に神様から与えられた神の神気なのですよ。今回は本当に暖かい愛というか太陽のようなお心でずっと帰るまで見守っていただきました。有難うございました。神様のご縁に感謝です。
2007.06.23
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弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)様のこと神社での体験と題して書いても良かったのですが、実は私がまだ神社へ勤めだして間がない頃でしょうか、本殿とは別のご神前へお給仕(神さまへの毎日のお供え)をしに行ったときです。どういう訳か、このオトタチバナヒメノミコトというお名前が浮かんでくるのです。それが数日続きましたので、すっかりお名前を覚えてしまいました。言葉に出してみても心地良い響きのお名前ですよね。このとき超能力のある宮司様に聞けばよかったのですが、まあいいやという感じで聞けずじまいで終わってしまいました。その後、この宮司様の出された御本に、高天ヶ原系の位の高い神様であるということが書かれていました。あー、それでと理解できました。実は私の守護神様も高天ヶ原系の神様なのです。 オトタチバナヒメ様は、古代の日本国土を平定し、天皇家の国土支配体制を固められた、武勇に名高い日本武命(やまとたけるのみこと)様のお后になられた人です。ヤマトタケルノミコトは第12代天皇の景行天皇の第二皇子で、仲哀天皇の父とされる方です。このヤマトタケルノミコトが東征を景行天皇から命じられます。奈良を出発され、蝦夷(今の東日本のこと)を目指して東征されます。この当時は、お后である方もついて行かれるのが慣わしだったようで、オトタチバナヒメ様もついて行かれます。 一行は相模国三浦から上総国木更津へ行くとき、走水の海(はじりみずのうみ)を渡航する際、海の中程まで行った所で暴風に遭遇してしまいます。当時は、海上で風波の難に逢うのはその海の神が船中の人、又は物の類を欲するからで、その神の欲する物を海に入れれば風波が静まるという考えがありました。それで、オトタチバナヒメ様は「我が身を捧げて渡りの神(海神)を鎮めましょう。あなたは使命を遂げてください」と言い、自ら海に身を投げて暴れる海を鎮められたそうです。彼女の持っていた櫛は7日後、海岸に流れ着いたそうです。涙の出るようなお話ですよね。夫を支える妻の姿ですね。ホームページを探していると、こんなのがありました。浅野和三郎さんの書かれた霊界通信の本で、「小桜姫物語」にも第36項目目に載っていますからお読みください。この本は日本スピリチュアル史上最高の霊界通信だそうです。 所で、高天ヶ原系の神様の行政機構ですが、伊勢神宮のご祭神である天照大神様の父神様にあたる、天照大尊(あまてらすおおみこと)様を頂点に、統括は天照大神様のご兄弟(長男)である天之常立尊(あめのとこたちのみこと)様が、その補助をニニギノミコト様とワケイカズチノヒメノミコト様がされておられます。また行政は、同じく天照大神様のご兄弟であり、次男の天照国照尊(あまてらすくにてらすみこと)様がなされており、その補助を大山祇之命(おおやまずみのみこと)様と本日の主人公であるオトタチバナヒメノミコト様がなされているのです。そして、全体の補佐として、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)様と天照大神様が、天上ヶ原系からは八雷之命(やくさしいかづちのみこと)様が遣わされておられます。このように、オトタチバナヒメノミコト様はこれらの神様とは大分時代が新しい神様なのですが、やはり元々の神の位が高いお方なのですね。
2007.06.16
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素朴な信仰と四方拝(しほうはい)私が昔、お地蔵さま巡りを朝早くしていた頃の体験なのですが、朝の6時ごろだったでしょうか、家を出たときに目にしたことなのですが、近所のおばあさんがお参りされていた光景が今も記憶に残っています。この方は同じ町内に住まれてますが滅多に顔を合わさない人でした。先ず町内にある神社へお参りをされ、それが終わってから道路に出て、東西南北を向いて順番に拍手を打って拝んでおられました。こんなに朝早くからこういう信仰を続けている人がいることにビックリしたものです。その後も何度かこの光景を目にしましたので、きっと毎日続けておられるのだと思います。多分、町内の神社の神様や方位の神様に感謝の御礼と、今日一日の家族の家内安全や無病息災を願っておられたのでしょう。大分お年をめされていましたが、とても穏やかな顔をされておられたのが印象的でした。 私は、こんな拝み方もあるということをその時はじめて知りました。後で解ったのですが、東西南北の四方を順番に向いて拝みますから、神道でいう四方拝(しほうはい)にあたります。神道ではお正月の元日に、明け方に天を拝し、地を拝して、四方八方の主要神社を遥拝するという行事があります。そして、四方の神々を拝してから、井戸や泉に行って若水を汲む習慣があります。これを四方拝といいます。 東西南北の各方位には神様がおられます。その方位の神様の代表といえば、仏法を守護するとされる四天王がおられます。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天(毘沙門天とも言います)です。そして、四神(しじん)といって中国、朝鮮、日本においては天の四方の方角を司ると信じられた神獣(しんじゅう)がいます。東は青龍、南は朱雀(すざく)、西は白虎(びゃっこ)、北は玄武(げんぶ)です。四方拝はもともと平安時代に宮中で始まったものですが、その後、貴族や庶民の間でも行われ、豊作と無病息災を祈ったものです。 所で、この近所のおばあさんのことですが、どういう家庭環境で生活されていたのかは知る由もありませんが、特に裕福な生活をされていたようにはお見受けできませんでした。でも、こういう素朴な信仰ができる人というのは、何でも神様のことを頭において生活出来る人だと思います。つまり、生かされていることに対し素直に感謝ができる人であり、家族の者が健康で無病息災で暮らせますようにと神様にお願いできる幸せな人だと思います。そして、ものの考え方にもおいても、人間としてやってはいけない事や物事の判断が出来る心豊かな人であるといえます。こういう神と共に歩む生きかたこそ大切にしたいものです。
2007.06.13
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"お福を授かりに”~室町時代の鞍馬寺への参詣(さんけい)文化3年ほど前に地元で上記のタイトルで講演がありました。ちょうど先日ウエサク祭の行われた鞍馬寺のことなので、紹介いたしましょう。 その前に鞍馬寺のことを少し説明いたしますと。ご存知のように鞍馬山には650万年前に、魔王尊(サナート・クマラ)が人類救済のために金星からご降臨されています。それから、長い歳月を経てその霊波を受け取った人がいます。奈良の唐招提寺におられた鑑真和上(がんじんわじょう)のお弟子さんで、鑑禎(がんてい)上人という人が西暦770年に、京都に霊山があるとの夢のお告げを聞き、鞍を負った馬の導きで鞍馬山に辿りつきます。その時、山の中で野宿をしていると鬼に襲われ、危機一髪で毘沙門天に助けられます。で、上人はその毘沙門天をお祀りする草庵を結びました。それから、26年後のこと、都は平城京から平安京に還っています。東寺を造る役目にあった藤原伊勢人(いせんど)という人は、常に観音様をお祀りしたいと願っていましたが、夢告と白馬の案内でやって来た鞍馬山にはすでに毘沙門天が祀られています。自分は観音様をお祭りしたいのにと不思議がっていると、また夢で毘沙門天も観音様もその根源は同じなのだからと教えられます。そこで、毘沙門天を安置する立派なお堂を建て、併せて千手観世音様をもお祀りしました。これが鞍馬寺の始まりで、平安京の北方を守護するお寺になったのです。 ところで、ここ鞍馬寺の狛犬は獅子ではなく、毘沙門天の化身とされる虎が狛犬となっています。ウエサク祭の第3部のめざめの行われる時間も、この虎の刻の始まりである午前3時に合わせて行われました。 このように毘沙門天と鞍馬寺はとても繋がりがあるのですが、本題である室町時代の参詣文化における鞍馬寺の信仰の様子を紹介しましょう。この時代は病気平癒や延命長寿を求める人、体の不自由な人々がその業を祓うために、つまり生きようとする強い力、執念が信仰を生んで、社寺への参詣が隆盛を極めたそうです。毘沙門天は、観音様の33化身の一つとされ(33ヶ所巡りはここから来ています)、衆生に福徳を与える者とされています。室町時代には福を授かる神さまとしての毘沙門天をお参りするために、鞍馬寺への参拝も隆盛を極めます。記録によりますと、多い日には一日に二万人もの人が参拝したとあります。京都市内からも歩いてでは何時間もかかるのですが、この時代の参詣の原則としては、一泊以上籠もって行ったそうです。一夜以上、三日、七日、三十七日、百日とかの期間を決めて、一心不乱に祈念し、満願の日に神仏の示現・夢告・託宣などを期待したようです。 そして、鞍馬寺のお福とは、目に見えないご利益はもちろんですが、目に見えるものも指したようです。具体的には、これも毘沙門天の化身の一つであるムカデ、お守り、扇、箸、絵馬、梨などで、参籠中や参詣路で手に入れた物を神さまからの戴いた福として大事に持ち帰りました。その人にとって必要な物が神様から与えられるという考えがあったそうです。その為、お土産として、生きたムカデを売る店まであったそうです。また、参詣した人はその福振舞(ふくふるまい)として、毘沙門天から授かった福をお裾分けする意味で、知人を招いて酒宴などを開いたそうです。神さまにお供えしたものを分け与えてもらう直会(なおらい)的な意味で行ったようです。 ちょうど室町時代は七福神信仰が生まれた時代でもあります。このように参詣文化が盛んになったのは、貨幣経済が発達し富への希求が増大したことや、庶民にも参詣をする余裕が出来たからとも言われています。そして、最後に次のような言い伝えがあります。鞍馬の神さまは参詣に来られる多くの人のために、毎日沢山の福を用意されているそうです。ところが受け取られないであまった福は、夕方近くになると全部処分されるそうです。面白いお話ですが、これは真実で今でもそうかもしれませんね。折角お参りに行ったのですから、よく拝んで良いお福を戴いて帰りたいものです。 すべては尊天にてまします (祈りの言葉)
2007.06.06
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ぱんぱかぱーん!!抽選発表ですやっとお昼頃、無事に鞍馬寺のウエサク祭から帰ってまいりました。それで、早速お約束のお福のお守りの抽選をしました。まがもさんまでを入れて、間違いなくアミダクジで行いました。(13時で締め切りました) 後日また書きますが、鞍馬寺のお福と言うのは別にお守りでなくてもいいそうなのですが、本日は本筋に沿って尊天様のお守りにさせていただきました。小さなお守りですが、毘沙門天、千手観音、魔王尊(サナート・クマラ)の三身のお力が入っています。一名余分に買いましたので、合計4名に決まりました。次の方です。MKさん、まり子さん、ちゃみさん、ラッキーイングランドさんです。他の方はスミマセンです。送付いたしますので、知っている方もおられますが、念のため送り先をサイドバーのMailの所の”メッセージを送る”からご連絡ください(住所、氏名、郵便番号)。 ウエサク祭のご報告です鞍馬寺は京都市内から少し離れていて、山間部ですから駅につくとすでにひんやりでした。緑に囲まれた、山門をくぐるとケーブル乗り場へと行きます。ケーブルを利用しなくても、杉木立の多い九十九折(つづらおり)参道を歩いて行っても約20分です。この鞍馬山は、約2億6千万年前、海底火山の隆起によってできたそうです。豊かの自然が今も残り、ムササビもいるそうです。鞍馬寺にお祭りされる魔王尊はこの地に約650万年前に金星(明星)より地球の霊王として、天降われたそうです。本殿に着きますと、すでに本殿の前に式典で焚かれる護摩壇が設けられています。六角形ですね。ここからは、南東の方角に比叡山も望めます。本当に空気が良いです。鞍馬寺のご本尊の尊天とは、「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」であり、私達人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギーであるそうです。 そして、ウエサク祭とは五月満月祭と書きます。ヒマラヤやインドでも同じ時に行われているそうです。旧暦の4月15日の満月の時です。しかも太陽が牡牛座から昇る時にあたり、この時は天界と地上との間に通路が開け、一年で一番天界からのエネルギーが大きく降り注ぐそうです。その為、プラスもマイナスのエネルギーを増幅するそうで、この夜は非業悪言を慎み、真実誠心を持って世に尽くす心を持つようにとされます。地上に常に太陽が輝いているように、欲望にとらわれがちな人間も、心の奥にはいつも尊天が輝いているとして、それが本当の自分であり、我欲の衣を脱ぎ捨て尊天に近づくように努力精進する時、心身は大光明に満たされ、安らぎと歓びに全身全霊が甦り、地上に夜明けが来るとされます。また、お釈迦さんが生まれたのも、悟りを開かれたのも、入滅されたのもこの時だそうです(日本では、生まれたのは少し日が違って伝えられてますが)。その為、釈尊のことを祝うお祭りでもあります。 霧雨のようなのが降っていましたが、開始予定の午後7時にはほとんど止み、いよいよ開始です。一部は、きよめの式典です。声明や般若心経が唱えられた後、ご本殿からの聖火が出席者各自が手に持ったローソク(心の灯火)にその火が順番に移されます。この火には一つだけ正しい願いなら託すことができます。必ず叶うそうです。そして、みんなの心が正しくなって、一つになることで、それが大きな輪となって世界平和へと実現するというお祈りを全員でしました。その後、明水といって月光のふりそそがれた水を皆がいただきました。これをもらって帰って来ると、南東の方に満月が出ていました。やったーです。時々、シビシビと小雨が降っていたのに雲の切れ間から、本日の主人公であるお月様の出現です。これですべての条件が揃いましたね。二部のはげみは10時からです。月光を受けながら大地に腰をおろし静かに全員で瞑想します。時々しかお月様は見えませんが、頭上にはいつも月の光がふりそそいでいると瞑想しました。本日もスリランカからのお坊さんも参加され、お話やスリランカの学生さんによる舞踊もありました。最終は午前3時からのめざめです。80歳を超える女管長さんが元気に先導されて、大護摩焚きです。さすが神仏にご奉仕されてますから、かくしゃくとされています。皆で祈りの言葉や般若心経を唱えました。所で、ここはお寺なのに職員は全員袴です。それに礼拝は二拍手されます。まるで神社と同じですね。そういえば魔王尊は神さまですものね。終わってから、少し休憩して明るくなってから下山しました。ここは本当に寒く冬の服装をしてないと辛いです。休憩所はありますがほとんど狭いので体力勝負です。そうですね、大体2000人ぐらいの参加者があったのではないでしょうか。外国の人もちらほら来てました。女性8:男性2位の比率でしょう。若い女性が圧倒的でしたね。近くの人よりも東京とかの遠方からの参加者も多かったようです。そして、最近はスピリチュアルに興味のある方が大変多いそうです。どうしてなんでしょうかね?宗教団体に入っている方なら、ご利益を望む方が多いですが。ご利益もあるでしょうが、スピリチュアルの方は何か不思議な力を求めて来られておられるような気がしました。こういうのに興味を持つことはとても良いことですが、形だけではなく本当に大切なのは人間の心ですよね。このことを忘れずに皆が力を合わせて助け合って生きていける世の中にして欲しいものです。 尊天様、お参りさせていただき有難うございました。本当に良いお徳をいただいたようです。
2007.06.01
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10000アクセス。有難うございます。皆様のおかげをもちまして、やっとここまで続けることができ、アクセスも10000に達しました。本当に感謝です。本当は10000アクセスのときに、記念のプレゼントをしなければいけなかったのですが、機会を逃しました。それでと言っては何ですが、明日鞍馬寺に行ってウエサク祭に参加する予定です。その時、昔からの鞍馬信仰に”お福を授かりに”と言って、とても有難いお守りを受けるために鞍馬山に参拝された慣わしがあります。そのお福のお守りを明日買ってきて、3名の方にプレゼントします。尊天様のお守りです。そう、サナート・クマラ、毘沙門天、観世音菩薩のお力の入ったお守りです。ご希望の方は、この記事のコメントに希望を書いてください。希望者が多いときは、私心をはさまないで選びますので(アミダでもします)、ご安心ください。6月1日の夜に発表します。当たられた方は後ほど私書箱に送り先などを入れてくだされば送ります。明日も良い日でありますように!!!
2007.05.30
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神社での体験その11本日のタイトルは、なんと霊障です。霊障というと何だかおどろおどろしい感じですが、実際にあったことなのでお話させていただきます。 霊的な障害というと、何代か前の先祖が犯したことによるその因果の報いとかが多いのですが、霊による障害はなにも人間によるものばかりではありません。動物霊による霊障というのも結構ありましたよ。やはり一番多いのは、やはり蛇でしょうね。先祖さんなどが蛇を無残な殺し方をしていると、蛇の祟り、霊障はおきやすいです。蛇は執念深いですから、何代も祟る場合もあります。蛇による因果としては、子孫が酒におぼれるとかして、身を持ち崩す人も多かったです。その他に執念深い動物としては、猫もそうです。こういう生き物をむやみに殺したりしてはいけないということでしょうね。 変な意味で、蛇やキツネが取り付くと、少し霊感が出てくる人もいます。こういう動物霊が憑くと、少しぐらいの霊感がでたり、声が聞こえたりしますので、自分には偉い神様がつかれたのだと錯覚してしまう人も多いようです。しまいには鼻が高くなって、自分は偉い神様だ。やれ、しっかり祀れだとか、お供えをしろ等というようになってきます。また、体ごとキツネが取り付いている人もいました。ぴょんぴょんと跳ねたりして。ワニが取り付いた人は這って歩いてましたよ。恐いものです。 珍しい例としては、毛虫、ワニ、ムササビ、夢を食うとされる獏(ばく)、 ナマケモノなどもありました。毛虫に憑かれた人は、体中がかゆくてたまらないといった症状がありました。一匹や二匹の数じゃなくて、大量の毛虫による霊障でしょうね。毛虫の巣になっている木を知らずに切り倒したとか。ナマケモノや獏は面白いでしょう。因果から、子供の登校拒否とかの問題が出ていたように記憶しています。 私達は何もしてないのにと思うでしょうが、自分の過去生においてや、先祖さんがしたのかもしれませんよね。あなたの前世や先祖さんは外国で生まれていたのかもしれませんしね。こういうことから教えられることは、生き物にはみんな魂があり、動物でも何でもその魂を汚すような殺生(せっしょう)や悪いことをしてはいけないと言うことだと思います。確かに人間は万物の霊長ですが、地球は人間だけの世界では決してありません。あらゆる生物が共存して成り立っているのが地球なのです。人間さえ良ければいいという思い上がりがこういうことを産むのかもしれませんね。万物の霊長なら余計にその責任が重くのしかかるはずです。 だから、神さまのお教えである、素直な心、感謝の心、大きな愛の心が大切なのですよ。
2007.05.29
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最近はいろんな事が忙しくなってきまして、なかなか更新が大変になってきました。 今日は先程テレビ「アン・ビリーバブル」を見てましたら、UFOの遭難のことをやってましたので思いつきまして、神社での体験その10として、不思議な体験話をご紹介します。こんなことを書くと何だかいかがわしい神社に勤めていたのだなと思われるかもしれませんが、私は本当だと信じていますのであえて書かせていただきます。本日のアン・ビリーバブルでは、UFOが遭難したんじゃないかという出来事や映像を紹介してました。何でも、1947年アメリカのニューメキシコ州のロズウェルという所で遭難したUFOが見つかって、調べられて、一度は当局がUFOだと発表したのですが、すぐに気象観測用の気球の残骸であると訂正したそうです。宇宙人の遺体もあったそうです。(ロズウェル事件と言うそうです)これって、何か変ですね。例え本当のUFOであっても、当局としてはそのように発表せざるを得ないのでしょうね。本当だと言ったら世の中大変なことになりますものね。 実は神社に勤めてまだ間がない頃、超能力のある宮司さんがこんなことを言われます。「他の星からUFOに乗って地球に来た宇宙人が遭難したので、神社のご祭神さまに助けを求めに来ている」と。いくら超能力があるといっても私らもそんなーと思いましたが、宮司さんは真顔です。宮司さんは神さまとお話ができますから、本当なんでしょうね。遭難した宇宙人は「ここの神社の神さまは天上界の位の高い神さまだから、この神さまなら助けられるから是非助けてください」といったそうです。もちろん、アメリカで遭難した宇宙人とは違いますが(時代も)。こういう例って、時々あるようですよ。宇宙人は、いくら文明が進んでいるといっても、やはり機械の故障もあるでしょうし、操縦ミスもあるでしょうね。その宇宙人はどうしたって。何でも次の日に、神さまがその星へ送り届けられたそうですよ。 神さまと宇宙人、やはり異次元の世界ですから、双方分かり合えるのでしょうね。神様の世界から見ればなんでもないことなのでしょうが、我々の文明から見ればまだまだ不思議な世界です。 私も、妻もこの神社で、数回UFOをハッキリと見たことありますよ。ではでは。
2007.05.24
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神社での体験その9先回の”神さまは見ておられます”の続きのようなことですが、こんなことも教えていただきました。私達は、神社におられる神様は、すべてお社におられると思いますよね。それがそうではないのです。神様はいろんな所におられますよ。例えば、神社の鳥居の所や要所要所の所、またローソク祈願や絵馬などが飾られる祈願所のような所だとかにも神さまはおられて見ておられますよ。鳥居などの所におられて、人間でいうガードマンみたいに巡視をされるお役目の神さまや、祈願所におられる神さまは、そこに書かれたローソクや絵馬の祈願を届ける役目をされたりします。そして、神さまどうしは連絡しあっておられるようですね。どんな人間が来たとかも知っておられるようです。 このように、神社にはご祭神の神さまがご本殿に鎮座されているだけではないのですよ。大きな神社だと、そこの神さまのご眷属の神様も多くおられて、それぞれのお役目をもっておられます。そんなーとお思いでしょうが、本当ですよ。神さまだってお役目があり、そこで修行なさっておられるのですから。 私事ですが、毎年伊勢神宮へ参拝しているのですが、このぐらい大きな神社になると本当にいろんな所に神様が立っておられるようです。連絡もし合っておられます。内宮で礼拝する所にいくと、ご神前が見えないように布が前に垂らされてあります。時々、風が吹くとこの布が前や後ろに上がって、ご神前が見えるようになっています。この布がさっと風に乗ってご神前が見えると本当にありがたいですよね。私は、いつも拝もうとすると風が吹いてきて、布が舞い上がりご神前が丸見えになります。あー、神さまと今年も会えた。喜んでいただいているみたいで、嬉しいーっていう感じです。神さまはいつも見ておられ、知っておられ、その人の願いも聞いておれらることを実感します。これも、神さま同士で連絡がいっているのでしょうかね。きっと、礼拝する所にも神様がおられて、その神さまがどうぞと布を上げられたのかもしれません。それとも、天照大神さまご自身が「よく来ましたね」と喜んでくださって、布をあけてくださったのかもしれませんね。いずれにしてもこういうのは有難いものです。感謝感謝です。
2007.05.21
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神社での体験その8私は神社に勤めていたので、直接そこの神様にお仕えすることになるわけですから、その神様が守ってくださるのは当たり前のようなものですが、こんなこともありました。 私が神社の休みの日に外出してどこかに行ったとしますよね。例えば映画館とかに。そうすると次の日に宮司さんから呼ばれて、昨日はどこどこへ行って、どうこうしただろうと言われます。別に注意されているのではないのですが、どうしてわかるのだろうかと不思議に思います。もちろん宮司さんは超能力のある人ですから、私らの行動を見ようと思えば見えるわけですが。どうして解るのですかと聞きますと、宮司さんは、神様が全部話されるのだよと言われます。ヒェー、神様は何でも見ておられるのだという事がわかりました。私らの行動までも。すごいですね。神様っていうのは丸で親みたいに私達を見守ってくださるのだということがこのとき初めて解りました。そして、神様って本当に優しいんだなーと。 またこんなこともありました。本日は誰々さんが参拝されるだろうなと思っていると、上の天井付近でドンと音がします。そうだよという神様の合図です。本当にこういうときはその人が参拝されました。まあ細かいご配慮です。神様って別に何も言ってないのに私の思いに反応してくださいます。いつもいつもではないのですが、自分にとって大事なことに関してはそういうことがありました。こういう体験から、神様はちゃんと知っておられるのだということが解りました。そうです。神様っていうのはこういうご慈愛あふれるお方なのです。 たとえ、神社に勤めなくても、その神様を信じて何でも神様に打ち明けること、神に願いをゆだねることが大事だということを理解して欲しいのです。そうすれば心もすっきりしますし、もちろん神さまはその願いをお聞きになられ、叶えてくださいます。そう。神様はいつも聞いておられます。だから、素直にお願いすればよいのです。ただ言えるのは、人間がいかに神さまを信じるかだけなのです。 このように神さまというのは、いつも私達を見ておられますし、知っておられますし、聞いておられます。これを信じてください。
2007.05.18
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神社での体験その7長らく休んでましたが、久々に神社での体験談をお届けします。 巫女さん系は独身者が多いって?そんなことホントですかと思われるでしょうが。結構そういう人が多かったですよ。一生独身で過ごす人、結婚出来てもとても晩婚の人とか。巫女さん系とは、前世で巫女をされていた方達です。もちろんこういう人には神さまがご守護されている方も居られます。また、そういうご縁で偶然のようですが巫女さんになられたりする場合もあるようです。 巫女さんも、ある意味では神の世界での修行なんですよね。前世において、修行が未完成だった人かどうかは知りませんが、今世でもこの修行の続きとして、独身をとおし、あるいは晩婚でこの世において魂を磨かれる(学び)ようです。やはり、女性にとっては一人で生きていくということは、かなりきついものがありますよね。これがかえって、学びになるようです。若いときはまだましでしょうが、年をとると淋しいものがあります。まあ、男性でもそうでしょうが。笑 では、なぜ神さまが独身の人生を選ばせるのでしょうか。いいえ、そうではないようです。こういう人達は自分で選んで(承知して)、こういう人生で生まれてくるようです。よくカルマ(因縁)って、先祖や人から押し付けられるように思いがちですが、ほとんどの場合、自分が撒いた種によって起こっているのであって、自分もそれを承知して、今生の修行の糧として生まれてくるようです。だから、本当はどんな人生でもどんな場合でも、何でも感謝なんですよね。 加えて申しますが、巫女さんはみんな独身になると言っているのではありませんのでご安心ください。そういう例が結構多かったということだけですから。
2007.05.15
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先日の連休に、奈良の春日大社へ参拝させていただきました本日はそのときの様子を参拝の仕方と共に、紹介させていただきます。私は毎年のようにこの季節には春日大社へ参拝してるのですが、今年は5月3日に何故か参拝したくなって、晴天にも恵まれて行って来ました。 神社へ到着したら、先ずは手水舎で手と口を清めます。春日大社は、鹿が神さまのお使いですから、鹿の口から水が流れるようにしてあります。ここでの作法ですが1、左手を洗う:右手でひしゃくを取って、水を汲み、左手にその水を注いで左手を洗う2、右手を洗う:ひしゃくを左手に持ち替え、今度は右手にその水を注いで右手を洗う3、口をすすぐ:再びひしゃくを右手に持ち替え、左の手のひらに水をためて口をすすぐ。 ひしゃくに直接口をつけてすすいではいけない4、ひしゃくを立てる:口をすすいだら、もう一度左手に流す。 最後にひしゃくを立てて、残った水で柄の部分を洗うようにしながら、ひしゃくは伏せて 元の位置に戻す。※以上は一回のひしゃくに汲んだ水で行ってください。 これが終わりましたら、この神社には祓戸神社といって、瀬織津姫をおまつりする神社が左手にありますので、ここにお参りして、自身の穢れを祓います。そして、いよいよ、外の鳥居の所へと進みます。連休で、本当に沢山の参拝者でにぎわってました。この鳥居を入ればご神域ということになりますので、ここで一礼をして通ります。参道は結構長いのですが、いよいよご祭神様がおまつりされています本殿の方に進みます。 そして、礼拝にうつります。拝殿の所に行きます。ここには宮司さんの直筆の「神拝所」と書かれてました。先ず、賽銭箱に賽銭を入れます。賽銭は神への供物であり、古くは和紙に包んだオヒネリを献じたり、あるいは米そのものを撒くこともあったそうです。まあ、体の穢れを祓っていただくお礼みたいなものです。この神社には鈴がありませんので省略です。もし拝殿の前に鈴があれば、次に鈴を鳴らしてください。鈴は玲瓏(れいろう)とした音によって心霊を呼び招く一種の呪具的な役割があると考えられます。礼拝の仕方ですが、神前に向かい先ず二礼です。正式には腰を90度に折って礼をします。これを2回です。次に拍手を2回打ちます。両手を胸の高さであわせ、祈りをこめて、右指先を少し下にずらす。肩幅ほどに両手を開いて、勢いよく2度手のひらを打ち合わせる。そして、祈ります。胸の高さに合わせて祈りを捧げる。先ず、ここのご祭神様のお名前を3回お呼び出しします。もし、お名前がわからなければ、○○神社のご祭神様で良いです。次に、自分の名前、生年月日、住所を申します。そして、本日お参りさせていただきましたことに感謝を捧げます。それから、自分の願いがあればお願いすれば良いです。人を恨むとかはいけませんが、素直に願えばお聞きくださいます。この後、神社拝詞(祝詞です。かけまくもかしこき、、、、)や、般若心経などで祈りを捧げます。簡単なものなら、「かみながら」などでも良いです。ご神言なら、8回唱えるとよいでしょう。ご神言はそこの神社の人に聞けば教えてくれます。要は心からお願いすれば良いので、あまり形にとらわれなくてもいいと思います。最後に、もう一度お礼を言って、2拍手・1礼して終わりです。このとき、2拍手をしないところもありますが、私はします。 あー、気持ちがよかった。神さまの気をいただきました。今年も春日尊さまにご守護してもらえそうです。拝殿の前あたりには春日大社の花である藤の花が咲き誇っていました。ねえ、きれいでしょう。砂ずりの藤というそうです。この季節限定ですから。ここの巫女さんも頭に藤の花のかんざしをしていました。 先ほどから、「今日は一言主(ひとことぬし)神社の祭礼です、ご参拝ください」とアナウンスされています。こういうのには興味ありますから、早速行きました。この神社は春日大社の末社にあたるそうです。午前中に祭典があったそうですが、行ったときも神官さんが太鼓を叩いていました。向かいにはおぜんざいの接待もあり賑わってます。私はおぜんざいよりも、お参りが一番なので拝ませていただきました。春日の一言主神社と書かれています。一言主の神、皆さんご存知ですか?何でも、真心こめて、一つだけお願いすれば、必ず叶えてくださるそうです。それに、本日は一年に一度あるお祭りの日だそうです。感激です。しっかり、お願いさせていただきました。そうか、それで今日はとても春日大社にお参りしたいという気になっていたみたいです。こういうのは、神さまのお呼びかもです。こういう気になったときはお参りされると良いですよ。本当に有難うございました。 最後に、春日大社のことを少し。東雲系の神族の長である春日尊さまは、かって奈良の三笠山の頂上におまつりされていた神さまです。春日大社は、奈良時代、藤原氏の築いた権力を確固たるものとするため、一族の氏神としていた鹿島神宮の祭神・武甕槌(たけみかづち)命、さらに香取神宮の祭神・経津主(ふつぬし)命さまを三笠山に勧請してまつったのが最初であるとされています。が、それ以前に、天上界の神である春日尊さまが、大和朝廷が成立する以前からこの地方の豪族によって、三輪山の一言主命さまと共におまつりされていたのです。藤原氏は、奈良時代の終わりに大社の場所を三笠山から現在の場所に移動しています。春日尊さまは春日大社の祖神となってまつられています。東雲系の神属においては、春日尊さまを長にして、行政をキハセリノ命さまが、統括をアメツチホ命さまが行っておられるそうです。 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ このブログでは、皆様からの悩み事の相談や、神さまに願いをお届けするご祈願の受付を行っております。長年の神職の経験をもとに、お応えさせていただきます。無料ですから、ご遠慮なくお申し込みください。トップページからお申し込みできます。
2007.05.13
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先日縁あって、ちゃーみぃさん からレイキの遠隔ヒーリングをうけました。私は、このブログを始めてから、いろいろとスピリチュアルのことを知りましたが、そのなかで、レイキにとても関心があります。小さいときからよく行っていた鞍馬山とも関係があり、何だか神道的でもありますよね。 本日はお誘いを受けたちゃーみぃさんからのレイキ遠隔ヒーリングの体験を書かせていただきます。時間を決めて送ってもらいました。あまりこういうのは経験が薄いので、自分で何も感覚がつかめなかったら失礼になるし、、、と、少し緊張してしまいます。イスに座って、瞑想?をしました。始まる少し前から何だか少し頭が痛いような感じです。しかし、しばらくするとそれは消えていき、逆に頭が軽くなってきました。あら、不思議。その感覚が段々と全身に広がっていき、体全体が軽くなっていきます。そういう感覚がずっと続き、最後のほうは本当に体全体の力が抜けたような生まれてはじめての変な感覚です。イスに座ってたので、眠るわけではないのですが、頭がだらんと下がるほどです。ほんと気持ち良いという感じでした。とても体が癒された時間でした。 ところで、その後届いた、ちゃーみぃさんからの感想メールです。はじめ、たかさんの守護霊さまの声で、「たかあまはらーーー」と祝詞が聞こえました。きっと、場の浄化とご加護をいただいたようですね。開始直後、たかさんの体の周りにあるオーラが30センチくらいの膜だったのが、ヒーリングを始めて5分ぐらいで周りが神さまの光というか、部屋一杯にというか、とにかくオーラの境目が解らない位に、シャンパンピンク色というか、ゴールドに少しピンクを混ぜたようなきれいな色で光っておられました。神の子同士の一体感というか。私のほうも、愛と一体感というか愛の調和をはかりました。途中で、私のほうが集中力が切れたというか、少し雑念が沸き起こったとき、たかさんのほうから、メラメラと炎や龍の頭(龍神さまかなー)みたいなものが見られましたので、ご守護の神さまかなと思われました。その後、私のほうも自分の守護神さまと波長を合わせていただきました。あと、小さなたかさんが出てこられたので、インナーチャイルドちゃんみたいな5歳くらいの男の子が泣いていたので、よしよしと愛で慰めました。恐かったね。大丈夫だよーって。 以上です。ほんとに貴重な体験をさせていただき、とても嬉しい感想まで送っていただき感激ーです。たかあまはらーですから。(^_-)-☆それと、インナーチャイルドですか。私もいろいろあるのですね。ほんとにちゃーみぃさんはすごいですね。とても感性が良いのですね。 ちゃーみぃさんは、レイキのマスターで色彩インストラクターをされています。遠隔は初めてと仰ってましたが、素晴らしいお力です。本当に感謝です。ちゃーみぃさんのブログはここです。応援してあげてくださいね。お願いします。
2007.05.09
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ブログ初めて少し経ちますが、お蔭様で段々とご相談やご祈願(ご祈祷)のお申込みの依頼が増えてきております。有難うございます。私も長年の神社での経験が生かせて嬉しいです。できるだけ早く願いが叶いますように、神さまにお取次ぎをさせていただいております。しかし、問題によってはすぐに目に見えて解決できないこともあります。たとえ、発現してないように見えても神さまのお光は注がれていますのでご安心ください。それと、その後のこと、ご面倒でも報告いただけると有難いです。 本日は、最近お礼のお便りをいただいた方の紹介をさせていただきます。尚、本人の承諾もいただいております。 H子さんは本当に長年バスガイドの仕事をされてきました。この方とは私が神社にいたときからの知り合いで、親しくしており、何かあると私に相談しておられました。仕事柄もあるのでしょうが、とても明るく笑顔の絶えない人で、歌もうまく素適な人です。もう経験豊富なので、フリーで忙しくされていたのですが、バスガイドの仕事もけっこう重労働で体力的にも大変だそうです。それで、本人54歳のときに、いつまでも続けられないので、思い切って自分でバスガイドの派遣会社を作ることを決心されました。そのことで、神社にお願いに来られてましたが、私が辞めてからは個人的に相談に乗っておりました。そうですよね、初めて会社を作ってやるのですから、知らないことばかりで。会社の設立から、バスガイドの確保、派遣先の観光会社の確保など大変です。けれども、少し時間はかかりましたが先日連絡があり、やっと軌道に乗ってきたとお礼の連絡がありました。 この方は大変信仰心の厚い方で、神さまを信じて、自分でも積極的に行動されます。私は神さまのお力で後押しをするだけなのですが、本人の努力もあって軌道に乗ってきたとのこと。良かったです。こういう喜びの話を聞くと嬉しくなります。早速、ご神前に報告いたしました。神さまは人間の喜ぶ姿を見て、とても喜ばれます。H子さんは、これからも健康に働けますようにと願っておられました。 これからも皆さんのお力になれればと思っております。悩み事のご相談や神様にお願いして欲しいことがありましたら、お申し込みください。トップページから、申し込めます。携帯からの人は、サイドバーの”メッセージを送る”から申し込んでください。
2007.05.07
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良かった、5月5日の内に書けて。今日は新暦の端午の節句の日です。家で五月人形を飾っている家庭もおられるでしょうね。私も子供の頃は大将さん(五月人形のこと)や張子の虎や金太郎さんが鯉を釣っている人形を買ってもらってたので、この日が来るのを結構楽しみで、1週間ぐらい前から床の間に飾って嬉しかったのを覚えています。関東では鐘馗(しょうき)様の人形を飾るところもあるそうですね。鐘馗様は、子供を病気や魔から守ってくださり、智慧も授けてくださる神さまとして知られているようです。 本日は、この鐘馗さまのことを少し。言い伝えによると、唐の時代の中国で、玄宗皇帝の夢枕に現れたそうです。皇帝が、マラリアで危ないとき、夢に小鬼が出てきて楊貴妃の大切なものと、帝の玉笛を盗んで逃げようとしたとき、大鬼が現れて、その小鬼を食い殺したので、帝が「お前は何者か」と尋ねました。すると、「私は終南山の鐘馗(しょうき)といいます。官吏になるための採用試験に落第したので、自殺したが、帝の慈悲により官位を賜ったので、その恩を感じて、天下の災いを除く誓いを立てました」と告げました。夢から覚めると帝の病はすっかり治っていました。喜んだ帝は、画家に命じて夢に見た鐘馗を描かせました。それが日本にも伝わっている現在の鐘馗さまの姿だそうです。髭モジャで恐い顔で描かれています。何だか、自殺した霊が神になるのかと不思議ですが、まあそれは語り話だからではないでしょうか? 中国では、その為に端午の節句にはこの鐘馗さまの絵を家の門に飾ったりして、魔よけの神として、信仰されてきたそうです。鐘馗さまは右手に破魔の剣を持っています。これは両刃の剣です。これを模したものとして、菖蒲の葉があります。それで、菖蒲の葉は魔よけの力があるとされたようです。そして、この両刃の剣ですが、もちろん相手の邪や魔を祓うのですが、両刃ですから、自分の邪も祓っています。そうですよね。自分のことは解らないのですが、先ず自分の邪気から祓うことが大切ですよね。そういう意味があるそうです。 では、本当の鐘馗さまのお役目とは、そして、どんな神さまなのでしょうか。私の家に以前この鐘馗さまの掛け軸がありました。その記憶によると、こんな髭モジャの神さまではなくて、白髪ですごく品のあるお顔をされており本当の神さまの雰囲気でした。長身で弓と矢を下に置き、剣は胴にさしてあったと思いますが、男の赤子を両手で抱いているお姿です。こういうなのが日本に伝わった鐘馗さまの本当の神さまのお姿ではないかと思います。髭モジャなのは、魔を払うのを誇張したくて描かれたのではないでしょうか?昔は、本当に栄養状態も良くないので、特に男の子の死亡率が高かったようです。それで、端午の節句に病魔から子供を守る神として、日本では祀られているようですね。 所で、この鐘馗さまですが、京都では中屋根にも飾られて、家の守り神とされています。魔よけや火除けの神さまとして。なんでも、お金持ちが家の屋根に鬼瓦をつけました。すると、それ以降向かいの家の娘さんが病の床に臥してしまいました。困り果てた向かいの人はあまりお金持ちでなかったので、五月人形の鐘馗を鬼退治には良いと考えて屋根に飾ったところ、たちまち娘さんの病が癒えました。それ以降、魔よけとして瓦で作った鐘馗さんを飾る風習ができたそうです。 私は何故かこの鐘馗さまが好きです。我が家では、いつも玄関のところに初めの写真の鐘馗さまを飾っています。旧暦の5月5日はまだ大分先です。旧暦の5月は悪月といって邪気が生じやすい月とされています。機会があれば、皆さんも鐘馗さまの絵を飾って、守ってもらってくださいね。
2007.05.05
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五月の五日は五節句の一つである端午の節句の日です。節句とは、節日(せつじつ)ともいい季節の変わり目を言います。3月3日や、5月5日、7月7日など、奇数の重なる日を選んであります。節句も中国から伝わったもので、奇数は陽をあらわし、その奇数が並ぶと陰になるので、忌み嫌われそれを祓う風習が昔から伝わってます。端午の節句とは、旧暦で午の月に当たる5月の端(最初)の日を指します。旧暦で言うと、6月ですからちょうど夏になる前の季節の変わり目にあたります。昔はこの季節は伝染病などが流行する頃でした。中国の人はこういうのを邪気のせいと考えました。その為、昔の中国では、邪気を祓うとされる菖蒲やヨモギを摘んで、家門に飾ったり、菖蒲酒を飲んだり、邪気を祓う神さまである鐘馗(しょうき)さんの絵を書いて、同じく家門に飾ったりする風習があります。 それが日本にも伝わりました。 江戸時代に入り、菖蒲が尚武(武を尊ぶ)の語呂に似ているので、女の子の節句である雛祭りと対比させて、端午の節句は男の子の誕生を祝い、成長を祈る日とされました。もともとの邪気を祓う日が変化してきたようですね。いずれにしても、日本では端午の節句は男の子の節句として、五月人形や鐘馗さまの人形を飾ったり立身出世を願って鯉のぼりを立てたりするようになりました。 神社によっては、男の子の成長を祈る神事が行われているようですが、菖蒲の節句として邪気を祓う行事として行われるところもあるようですね。男のお子さんをお持ちのご家庭は、初節句には氏神様にでも行って、ご祈祷を受けてください。また、時々でもこの日は、男の子を連れて近くの神社へ行って、神様に元気に育っているお礼とこれからも良い子に育ちますようにとお祈りしましょう。本当に子供は神の子ですから!!!子供の小さいときから、神社や仏様とご縁を作ることは、子供の情操を育てる意味でもとても大事なことだと思います。そして、菖蒲やヨモギを軒先に飾るような風習も大事にしたいものですね。
2007.05.02
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前回の良い因縁、悪い因縁の続きみたいなものですが、最近のニュースといえば、悪いことばかりを何回も報道しますね。どこのチャンネル回しても。殺人、自殺、放火、詐欺、交通事故、イジメ等など。してはいけないよという戒めの意味も出るかもしれませんが、こういうのは、本当に悪い波動ですよね。いくら、人間というのは人が困っているとか、そういう状態に興味を持つことはわかりますが、そろそろ時代も変わってきたのですから、こういう悪いニュースばかりを流すよりも、良いニュースもどしどし流せばいいのにと思います。 悪いニュースばかり流していると、こういうのが社会なのだ、悪いことをしても構わないのだとか、逆にヒーローになった気分になる人もいるのではないでしょうか。人助けをされたとか、イジメはこういう風に克服したとか、良い行いをされたというような良いニュースも最近では少しは報道されるようになって来ましたが、まだまだ少ないです。悪いニュースを流して、こういうことはいけないよと喚起できればいいのですが、そうでもないようです。思い切って、悪いニュースはほんとうに小さく載せて、良いニュースを大々的に報道するようにすれば、良い行いがいかに大切であるかということが社会で理解されるようになるのではないでしょうか。 21世紀は心の時代といわれていますよね。段々と社会でも感動する出来事が報道されるようになったり、江原さんのように精神世界のことを説明されるような時代に入ったようですね。報道やニュースももっと心打つ、感動するような良いニュースを多く流すようにすれば良い波動が出て、もっと良い社会になるのではないでしょうか。
2007.04.30
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神社での体験その6 神社には毎日多くの相談者がありました。宮司さんは、神さまとお話ができる人ですから相談者の悩みの原因も解られます。皆さん因縁と言うと何かおどろおどろしい感じを受けてしまい、悪い方にとってしまいますよね。本当は良い因縁も沢山あるのですよ。 複数の相談者のご先祖さんのことなのですが、生前に良いことをされています。例えば、川で人がおぼれるのを助けられた。人が自殺しようとするところを助けられた。農家にお乞食さんが助けを求めて来られたのを気持ちよく助けられた。少し変わったのでは、自分が信仰していた神社に多額の寄付をされた。などがありましたね。(こういうのは、その神さまがその子孫にまでお徳を与えられますね)こういう徳を積むと言うか、よい因縁を持つ行為を先祖さんがされていると、その子孫はそのお徳を戴く事になり、子孫はうまくいくものです。特に、人の命を助けるという行為は本当に尊いものでして、なかなか出来ない物なのですが、神さまがお徳を授けられるようです。先日もありましたね、韓国の人が電車のプラットホームで人が落ちたのを助けようとして、残念ながら亡くなられましたが。(こういう人はまた早く生まれ変わったりして、良いお徳をもらわれるでしょう)宇宙の法則というのか、神の意思なのか解りませんが、こういうご先祖さんを持つ相談者は現世において信じられないような良いお徳をいただかれます。本当にありましたよ!!やはり良い行いは、良い波動を生み、子孫にまで良い影響を与えるのですね。これが、良い因縁なんですよ。 だからというわけではありませんが、現世で生まれた私達はいかに今の世を人間らしい正しい心を持って生きることが大事であるかということですよね。悪い考えを持って、悪い因縁を作ってしまったのでは、なんのために生まれてきたのか解らなくなります。(魂を磨きにきているのに)こういう話は、何か昔話のようで胡散(うさん)臭いと思うのは間違いですよね。いくら時代が変わろうとも、こういう宇宙の法則、神の意思というは変わりませんから。
2007.04.28
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神社での体験その5私の行ってた神社では、守護神や守護霊に導かれてこられる方が結構多かったです。その人を守っておられる守護神さまや守護霊さまはあちらの人ですから、神社のことはよく解りますよね。自分の子供のように、その人の幸せを願ってお導きされるようです。神仏にご縁のある人でも、今世において、何も問題なく人生を送っておられる人ばかりではありません。自分に問題がなくても子供さんに苦労されてるとか、家族や本人が病気であるとかいう人も結構おられました。やはりこの世での修行なんでしょうね。 なかには神さまの使命を与えられた人もおられました。もう20年ほど前のことですが、その当時で45歳ぐらいの人でしたかね?うどん屋を自営してた人です。急に神様の声が聞こえてきたり、九字を切ったりして神がかりになって、仕事も手につかなくたったと言って相談に来られました。奥さんに聞いてみても、「主人は何も信仰や修行をしたわけではないのですが、不思議です」とのことです。そして、「自分には白山明神さまが守っておられ、天照大神さまの命令でここに来た」と言われます。宮司さんとお話されるときは、その前に結界があるのですがやはりよく解っておられて、「もっと前に来なさい」といわれても、ある線より前にはいけませんと言われます。神さまの位階をよく解っているからこれ以上前にはいけないとのことでした。いろいろと相談されて、宮司さんから「うどん屋を辞めて、ここで修行をして神の道に入りなさい」と言われました。この人、相談する部屋から出て、参道の所で、本殿に向かって手で九字を切っています。なにやら神さまと会話をしている様子です。世の中にはいろんな人がいるものです。しばらく神社で修行されましたが、やはり下界のほうが良かったのか辞めていかれました。商売を辞めるというのも一大決心が要りますものね。神様が導かれても、結局決めるのは人間ですからね。その後どうされたのか解りませんが、今世での修行がある程度終わって、時期が来るとこういう仕事(使命)をしなければならない人もいるようですよ。
2007.04.25
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神社での体験その4本日はお祓い現場での貴重な?体験談をお話しましょう。お祓いは神様が行われるものだと申しましたよね。これは本当です。私の神社では、いろんな神さまがその日によってご降臨されます。その為、お祓いも今日は高天ヶ原の神さまの一団がされるとか、今日は出雲系の神さまがされるとかもありましたよ。ご降臨ついで?にお光をいただけるので有難いことです。 お祓いを受けられる信者さんの中にも敏感な方がおられました。お祓いを受けている間じゅう、当神社では演奏はしていないのに、雅楽の音色がしたとか、鈴の音色がしたという人も時々いました。聞こえる人には聞こえるのですね。また、お祓いのときに拝殿の上から金粉が降っているという人もいました。何も言ってないのにその人には見えるのだから仕方ないですよね。これらは皆、神さまからの瑞祥(ずいしょう)を見せていただいたり、聞かせていただいたりしているわけです。 ある有名な関取がお祓いを受けられたときがありました。その人は神様が守っておられるのか、お祓いの時、龍が見えたと言ってました。こんなの見たのは初めてなのだがーーと。神さまはちゃんと居られるのですよね。こういう話を聞くと嬉しくなります。私もお祓い受けたけどこんなことなかったよと言われるかもしれませんが、ほとんどの人が見えないのですから心配要りません。たとえ見えなくても神さまですから、ちゃんとご神殿の前に立たれて、平等にお祓いされてますよ。 それと、神さまを感じるのに簡単なのは、よく音でお知らせされることがあります。お祓い中に拝殿の天井が、バシッと大きく音がするのです。これは、神様のラップ音みたいなものです。竹を割るような、鋭い音です。これなら、誰でもわかりますよね。こういうのを聞いたら身が引き締まります。神さまが一生懸命力をこめてお祓いしてくださっているのが。もう神様を信じるとか信じないとかの次元ではないのです。そこに居られるのですから。
2007.04.22
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神社での体験その3神さまからの後ろ押しもあって神社に勤めることになったのですが、半年ほどは作業着でお手伝いのようなことをしておりましたが、いよいよ私も袴をはく(着用)ことになりました。やはり袴をはくということは、神職になったということになります。宮司さんから教えていただいたのですが、守護している先祖さんがお祝いに来られているぞといわれました。袴をはくというのは、そういうものなんですね。嬉しかったです。 さて、袴をはいてしばらくすると早速いろんな体験が待ち受けていました。神社に霊というと、変な感じを受けられるかもしれませんが、やはり霊はいます。袴をはくと余計に敏感になってきました。信者さんが拝まれた後に、そのお社に私もお参りするとポコッと霊がお腹に入るのが解ります。お腹が張るような、詰まるような嫌な感じです。また、頭を少し叩かれるようなこともありました。なんだか、霊が私のことを、袴デビューの新米だから、からかってやれとされている感じです。しばらくそのような敏感なときがありましたが、段々と自分でそんな時はどの様にしたら祓えるのかが会得できるようになりました。霊がからかっているのではなくて、神さまからの試練だったのかもしれませんね。そのうち、ボチボチとお祓いにも参加させていただくことができました。お祓いは神さまのお力でよい気を授けていただくものですが、悪い気(霊)との戦いでもあるのです。その為にも、霊にも強くなる必要があります。 ところで、神社の修行も厳しいものですよ。私も7~8年は神社に泊まりきりで修行に励みました。もちろん団体生活です。朝は7時にはおきて、先ずは神さまにお給仕です。沢山の神さまがお祀りされていますから、結構時間がかかります。それが済んだら、拝殿や本殿などのお掃除です。そして、全国から大勢の信者さんが来られるので、昼間はほとんどお祓いに入ります。正座なので痺れは切れるし、声はかれるし、疲れます。お祓いの極意は何ですかと、宮司さんに尋ねたら、己の身を清める行であると思って入りなさいと教えていただきました。ほんとですよね。お祓いは神官がするわけではなくて、神さまがされるのです。神官はそのお手伝いをするだけなのですよ。 お祓いが終わるともう夜です。夕食をいただいた後、再び拝殿などの掃除です。その後しばらくは休憩できますが、夜の12時ごろになると宮司さんが再び神社へ上がってこられて、深夜の2時ごろから、連日の深夜の護摩の火の行が行われます。これが終わると、やっと寝られるのです。ですから、毎日睡眠は4時間あったらいいほうでしたね。よく勤まったものです。でも、本来こういう世界が合っていたのと、神様の存在が感じられるというか自分の子供のように見ておられるのが解るので、続いたのでしょうね。有難い事です。(*^_^*)
2007.04.21
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神社での体験その2霊障からのご縁で神社でお祓いしてもらい、やっとどうしようもない体調から開放されたようです。宮司さんがお手伝いに来なさいと言ってくださるので、行くことにしました。 体調が悪くなるまでは、神さまや宗教には関心がなかったのですが、初めての神社体験です。ここの神さまは、天上ヶ原の神さまで太陽神でもあります。そして、ご本殿のもう片方の神さまは同じく天上ヶ原の神さまですが、お月さまの神様です。太陽は陽、月は陰ですね。そして、神と仏を守護される神仏擁護の神さまです。その為、一般には神社では礼拝のときローソクだけでお線香はつけないのですが、ここは両方つけます。そして、摂社にお祀りされている、応援に来られているご眷属の神さまは日本の神さまだけでなく、中国や朝鮮、チベットの神さまもおられまして、名前も聞いたことないし、神社のことはあまり知らなかったのですがへー、不思議なところやなーと言うのが実感でした。何とかそれでも、こういう雰囲気にもなれ、2~3ヶ月経ちました。いつまでもお手伝いというわけにはいかないし、先輩に相談したら、ここに勤めたらええのにと言ってくれます。そうかなー、どうしようかなー?と思って、もう日が暮れて暗くなった境内の中の鳥居を出たところでタイミングよく、一瞬ピカーと雷も鳴ってないのに光り、お昼のように境内が見えました。これで、あーそうか!!神さまが私たちの話を聞いておられ、神社に勤めなさいと仰っているのだということが理解できました。ほんとにビックリしました。私を導いてくださった弘法大師様も不思議なことに、ここにお祀りされていたことも私の勤める決心を後押ししてくださいました。それから、約30年もの間、元々何ごとも飽きっぽい性格の私が勤めることになったのです。 神社には、全国からいろんな信者さんや修行者が導かれるように来ます。宮司さんから、黒龍や赤龍、青龍とか呼ばれる人も来ます(その人を守護している神さまでしょう)。みんなそれなりに神力があるようです。ここは本当にけったいなとこやなー!!と思いました。それでも、何となく神さまのことが解ってきたような感じです。
2007.04.17
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本日から、私が神社へ勤めていた時の体験を紹介させて戴きたいと思います。第1回目は、神社へ行ったきっかけとなったことをお話お話しましょう!! もう、ずいぶん前のことになりますが、私が大学生のときです。卒業前の記念旅行と思って、沖縄に行きました。一人で船に乗って神戸港から、出かけました。沖縄本島を旅行していたときです。中部の今帰仁(ナキジン)城に行き、そこで何かお墓のような所を覗いたのです。その後5分もしないうちに頭をカナズチで叩かれたように痛くなり、本当に目から火が出ました。こんな頭痛は生まれて初めてで、私は思わずうずくまりました。しばらくしてやっと治まりましたが、それは初めて体験した霊障だったのです。 この為か旅行中、本当に不思議なことが起きました。島の人に不思議なほど親切にされたり、女性と間違えられたり、旅館で変な気配を感じたりで、元々恐がりの私には不思議な感じの旅行となりました。さて、就職してからも1~2年、この変な感じが取れないのです。体調不良というか、ものが覚えられないとか、しまいには平衡感覚がおかしくなったのか、歩いていて、電信柱を避けようと思うのですが避けられずにぶち当たってしまったりするようになり、いよいよ重症の自律神経失調症みたいです。しばらく休養せざるを得なくなり、ついに神社に行くことになりました。そこの宮司さんに相談すると、「沖縄に旅行した時に霊に憑かれたのですね、それも1体や2体の霊じゃなく、付近一帯の霊が合成霊となって憑きましたね。まあ普通の人には憑かないのですが。お祓いしましょう」とのことでした。エー、どういうこと!!と思いましたが、お祓いをしてもらい1回で「霊は逃げていった」と言っていただき安心しました。やはり、何か変だったのはこういうことがあったのだ。霊障ってほんとにあるのだという事が解りました。これが私が神社へ行ったきっかけだったのです。神社へ行くにつけ、神さまの後押しなどがあったのはすでにブログに書かせていただいた通りです。 ところで、沖縄のことで書かせていただきましたがスミマセン。何も沖縄だけを言っているわけではありませんのと、誰でもなるわけではありませんのでご了承ください。旅行というのは、知らない土地に行くことが多いですよね。こういう時って、気持ちが緩むというか、フワッとして、いつもと違う感覚になるようです。こういう時に気をつけないといけませんね。神社にお参りに来る人でもこういう人は結構おられました。いわゆる霊を受けやすい人がおられます。静呼吸波といって、波長が早いために霊の波長を受けてしまうのです。やはり、神社のお祓いには旅行安全というのがあるのがよく解ります。お守り等を持っていくことは大切ですよね。 2回目に神社へ行ったとき、しばらくお手伝いに来ないか。と宮司様から誘われました。私は、しばらくお弁当を持って神社へ行くことになりました。
2007.04.16
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神さまのご神徳には、五穀豊穣や国家繁栄、家内安全などのお役目をお持ちですが、こういう物質的なお役目(ご神徳)ばかりではないようです。私の守護神さまは、努力と忍耐の神であるとお聞きしています。初めて聞いたときは、へーと思いましたが、なるほど神さまだって精神的なお役目があっても不思議ではないですよね。あー、それで私の行(ぎょう)は厳しいのかって(ー_ー)!!しかし逆に、それなら仕方ないな、やるしかないのかなと自覚できました。 考えてみると、夢をかなえるにしても一朝一夕にはいきません。やはりそれなりの努力と忍耐は必要です。そして、このことによって道は開けるのですよね。みんな自分の魂を磨くために、この世に学習に来ているのだからやるしかないのですよ。 努力と忍耐というと、とても堅苦しく感じます。とっつきにくいですよね。今風に言えば、やりたいことや与えられたものを楽しんで精一杯やってやろう。こういう感じになればいいですよね。たとえ、それがうまくいかない時もあるでしょうが、それでもいいのです。その過程が大事ですから。とにかく今できることを頑張ってやりましょう。逃げないでやってみると自分が成長したことがわかると思います。 こういう時こそ、神さまにお願いすれば良いお導きが戴けるかもしれませんよ。
2007.04.13
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般若心経は古くから伝わる経文ですが、本当に力のある経文であります。私もご祈願をするときは必ずとなえます。神前にては宝の御経、佛前にては花の御経というのは本当ですね。 この般若心経には、素晴らしい教えが書いてあるそうです。以前、鞍馬山で買った「鞍馬山勤行儀看」という本に般若心経の解説が載っていました。本日はそれを紹介しましょう。 真智の目覚めの歌(摩訶般若波羅蜜多心経)観音様が「真実の智慧の目覚め」の修行を深くきわめたそのときに、からだも心も万象もみんな空だと観きわめて、苦悩をすべてのり越えた。皆んな、お聞きよ、そのわけを、いま見えている現実の世界はそのまま真実の空なる世界そのものだ。別なところに真実があると思っちゃいけないよ、空の世界は目の前の現実世界そのものだ。現実世界のその中に真実世界を観ておくれ。真実世界は現実の中にしかない、そのことを、真実(ほんと)の智慧で知ってくれ。 からだも心も万象もみんな空だと悟ろうよ。皆んな、ごらんよ、万象の真の相(すがた)は空だから、生まれもしない、死にもせぬ、汚れもせぬし浄くもない、増えもしないし減りもせぬ。そういうわけで空の中、自己と宇宙が融け合って、からだも心もないんだよ。感覚器官もないんだし、その作用(はたらき)もないんだし、まわりの物もないんだし、『われ・わがもの』の自我もなく自他の区別もありはせぬ。迷いも悟りも、苦も楽も、佛の説いた教えさえ、空の中にはないんだよ。教えを知るもないんだし、悟りを得るもないからにゃ、とらわれるようなものはない。とらわれもなく、自我もなく、こだわりもなく、「真実の智慧の目覚め」をきわめんと生きゆく人は、その心さしさわりなく大らかで、恐れげもなく清らかだ。欲と迷いの雲はれて、ついに悟りの月を見る。どんな人でも「真実の智慧の目覚め」をきわめれば、無上菩提の国に入る。だから知ろうよ、「真実の智慧の目覚め」はおおいなるさとりの無上比類なき真言ゆえに一切の苦悩を除く功ありと。嘘ではないよ真実(ほんと)だよ、その真言を説いてやろう。 ガティ ガティ パーラガティパラサムガティ ボウデヒ スヴァハー(覚めた 覚めた みな覚めた真智の目覚めだ 極楽だ)以上が般若心経だ 悲しみや苦しみや、喜びでさえも人間の心が作り出すものである。本来宇宙には、このようなものはなく 、すべてが空(くう)であります。本当の仏の知恵に出あった人は、そのようなものはみんな自分が作り出したものであり、すべては本質のない空であると悟ります。真実の智慧の目覚めを知り、とらわれたり、こだわったりせずに今を生きること、それが般若心経の教えであるといえます。 最後のガティ ガティ -----は、行こう行こう。 真実の世界へ行こう。みんなで共に行こう ほとけの悟りを成就しようという意味でもあります。
2007.04.11
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先日、桜の精とされる木花開耶姫さま のことを述べましたが、もう少し。 この神さまは、大山祗之命(おおやまづみのみこと)の娘神で、天孫降臨で有名なニニギノ命のお妃とされます。富士山にお祀りされており、浅間(せんげん)さまとして信仰されています。全国に数ある浅間神社の総本宮は富士山本宮浅間大社です。その昔、富士山が大噴火したときに、その鎮火を願ってお祀りしたのが始まりとされています。御神徳は家庭円満、安産、子授け等ですが、富士山の噴火を抑えられたので、水徳の神ともされています。また、神話によると、出産の時に産屋に火を放って、その中で三柱の子供を産んだことから、火難消除の御神徳もあるとされています。人によっては芸術の神といわれるかたもおられるようですね。まあ、神さまは全能のお力をお持ちですから。 京都では、わら天神(敷地神社)という神社にこの神さまがお祀りされています。特に安産の神様として、京都の人は昔から信仰しています。私の母も、私を産むときにここへお参りしたと言ってました。それから、なぜ天神さんと云うのかというと、菅原道真のことではなく、天津神のことだとわかりました。また、ワラというのは、ここの安産の御符がワラで出来ており、このワラに節があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるといわれているからだそうです。 ところで、何故、富士山の神様になられたのかわかりませんが、父神である大山祗之命が日本の山の神様の大将なので、娘のこのはなさくや姫に譲られたのかもしれませんね。この富士山ですが、やはり特別エネルギーの強い山であることは間違いないです。ヒマラヤには天上界につながる通路があると聞いてます。日本の富士山にもこういうエネルギーがあるようですね。昨年、私は機会があって、初めて浅間大社に行き富士山を見ました。そして、このはなさくや姫さまのことを思って祈りました。すごく、反応してくださいました。やはりこの山におられるのがよくわかりました。富士山の神さまであるのは間違いないようです。 話は変わりますが、私は大分以前ですが夢を見ました。富士山の真ん中に通路があって、私はそこをエレベータのようなものに乗って、頂上まで上がり上空を飛んでいる夢です。その下には山小屋があるのを見ました(実際には登ったことも、山小屋のことも知らなかったのですが)。何か守ってくださっているような気がして嬉しかったのを覚えています。私以外でも、多くのスピリチュアルな仕事をされている方にも、メッセージを送っておられるようですね。やはり日本の一番高い富士山から、日本の国、世界を見て、心配されておられるのではないでしょうか。
2007.04.07
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明日から、二十四節気の一つの清明の節気です。立春から数えて、15日目にあたり、4月20頃の穀雨(田畑の準備が整い、それに合わせて、春の雨が降る頃)までを指します。万物がすがすがしく明るく、美しい頃という意味があります。 この季節は、いよいよ桜の花をはじめ、いろんな花々が開花し、木々の芽吹きも盛んとなります。まさに自然界の息吹が感じられる頃で、いよいよ本格的な春の訪れです。新しい春の訪れです。今までの嫌なことは忘れ、心機一転で頑張りたいものです。そして、神から与えられた自然の恵み、営みに感謝を捧げましょう。生かされていることに感謝を捧げましょう。 中国では、この日を清明節といい、祖先を祀る日とされ、墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日ともされています。 人間は本当に自然の力には勝てるものではありません。先日も中国からの黄砂が飛んできて、すごい闇のようだったですよね。こんな日が毎日続けば、この世は終わりかと思うほどでした。能登の地震にしてもそうですよね。 人間の波長・波動が乱れると、我々が住むこの地球や宇宙にも悪い影響があるそうです。気をつけないといけませんね。人間はもっと謙虚になって、自然と調和する心を大事にしなければいけませんよね。
2007.04.04
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