シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年09月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間

 前回は、神秘学による、ヒポクラテスの医学の真の理解を簡潔に述べた。その続きを書きたいのだが、その前に、ヒポクラテスの有名な言葉と誓いを神秘学で説きたい。

 「人生は短く、技芸は長い。」という言葉がある、これは、物質的肉体をもつ人生の期間は、短いが、魂の能力を開発する期間は長いという意味にとれる。ヒポクラテスは、けっして病を人生の一時的な通過点のものとして考えたのではなく、魂を鍛える杖のようなもの、もしくは魂の能力を開発する機会として、長期的展望をもって捉えたのである。その根本は、なにより、魂の問題として扱ったのである。

 また、ヒポクラテスの誓いの冒頭にある「アポロン、アスクレピオス」については、アポロンはキリストの象徴の太陽神であり、アスクレピオスは、アポロンの子であり、イエスの存在といえるだろう。現代では、あまりに唯物化し容易に解釈されているので、陳腐であるといえる。

 イエスという名は、「神を通して治療する者」という意味であることは前に述べた。

 権威主義者が解釈するものは、その心がそのまま宿ってしまうので、誤解を生むものになるわけである。文字通り解釈するには、まずは、神のごとき素直な心に立ち返って、権威を捨て去らなければならない。権威というのは、人間の未熟な自我の利己心、エゴからくるからである。エゴから物事を捉えるならば、どのようなものもそのエゴ性を生じるものとなる。

 要するに、心魂を基に、人を癒すというのが基本にある。なぜなら、宇宙に秩序と調和をもたらしえるもの、これを神秘学ではキリスト原理と呼んでいるが、それは心魂の存在そのものを意味する。宇宙に心魂があり、星に心魂があり、そして地球に心魂があり、人に心魂が芽生えるということなのである。心魂と心魂が通じ合うのが、愛であり、そこに調和と秩序が表れるのである。キリスト原理とは、心魂を基にした概念であるといえるだろう。だから、唯物論はその反対にある。

 だから、キリスト原理でいえば、心臓は人体内の上部呼吸律動器官系と下部消化新陳代謝器官系に、調和と秩序を与える統合の感覚器官となる。これが唯物論では、自動ポンプと言うべきものに成り下がってしまうのである。これは、死体を唯物論から解釈する解剖学的知識から派生するからである。

 前置きが長くなったが、前回の続きを述べる。

 前回は、太古の医学では、エーテル体を考えることで、病気の兆候を認識していたことを書いたが、人体の中心を心臓と考え、上部、もしくは下部器官のエーテル体の不規則性が、神経衰弱と、ヒステリーをもたらすことを書いた。

 これが、下部の新陳代謝系の独立性により、ヒステリーの徴候として現れるのではなく、いきなり、物質的な機能として現れ、上部に反作用し、伝染して、特殊な現象として起こり、普通は神経衰弱になるべきものが、結核の素因として現れることがあるという。

 結核は、結核菌により伝播するというのは、その結果であり、原因ではないという。これは、例えば、部屋にハエが集まるのは、ハエが原因ではなく、部屋の汚さや生ゴミの放置に要因があるのと同じであるという。つまりは、人体内に、結核菌を呼び込むような、いわゆる農業でいえば、土壌の問題に例えることができるようなものが真の原因があるという。

 話が脱線するが、悪霊を呼び寄せるのは悪霊のせいではなく、悪霊を招きよせる本人の心魂と精神の問題であるわけだ。心魂と精神に、充分な調和と秩序がないために、悪霊を招き寄せるのである。これは物質的肉体があってもなくても同じである。なまじ、物質的肉体という目に見える存在があるから、誤解しているようなものである。

 だから、結核患者は、お互いの内的な親和性により、感染してしまうわけである。神秘学では、これを霊媒体質と呼ぶが、霊媒体質には、自由意志がないので、克服すべきものとしている。

 結核患者のように、咳の徴候は、一種の人体の生体防御であり、上部の呼吸律動器官が、下部の消化新陳代謝器官のプロセス制御が、困難な場合に、咳や、喉の痛み、四肢の痛みが生じ、外的な侵入を受け入れがたい状態に、人体があることを告知し、上記の咳等のいわゆる生体防御を行っていると考えることができるという。

 またまた、下らないことを述べて長々となってしまったので、次回に続ける。






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Last updated  2006年09月21日 00時37分13秒
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エーテルと気と  
武侯仁従  さん
エーテルは中医学・漢方でいう「気」に似てますね。

一応うちのブログに「気」について駄文書きました。
気については、体感・体験もせずに胡散臭い・オカルト解釈したり、存在しない!と寝言吐かれるのは困った者です。太極拳・気功でもしなさい!と。
まあ「有効な解釈」として十全に生かしてもらいたいですね。

再見! (2006年09月21日 19時09分52秒)

Re:エーテルと気と(09/20)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまは洞察力抜群ですね。
 エーテルは中医学・漢方でいう「気」そのものなんです。中医学は実は、アトランティス時代の叡智に基づいて語り継いだものなんです。中国人(漢民族)はアトランティス時代の栄華を極めた民族の末裔なんです。だから、現代(ポストアトランティス時代)では、進化するのが困難な民族なのです。なぜなら、いまだに集団性から抜け出れていないからです。集団性は権威主義に結びつきやすく、個人を束縛し、自由でなく、自由意志が育まれないのです。 (2006年09月21日 20時14分38秒)

むしろ逆では?  
武侯仁従  さん
>中国人(漢民族)はアトランティス時代の栄華を極めた民族の末裔なんです。だから、現代(ポストアトランティス時代)では、進化するのが困難な民族なのです。なぜなら、いまだに集団性から抜け出れていないからです。集団性は権威主義に結びつきやすく、個人を束縛し、自由でなく、自由意志が育まれないのです。

私自身の感想ですが、それは逆でしょう。「個人」が強すぎて容易にまとめれないから、「社会」はえらく集団性を重視する。李宗悟が「宋学は理で人を殺す」とか「儒教で個人・自己を骨抜きにされた。人民よ、阿斗になるな!」言ってますが、それだけ社会の縛りが強烈だったと。その反面「天子と言えど恐れるに足らず!」とかいう侠の思想や「万物斉同」の老荘があると。

老荘・侠に代表される強烈な「個人」と儒教・国家に現れる強烈な社会・集団性の激突が日常起きているので「現代」に社会が適応しにくくなった要因と感じます。汚職の多さもそれの現れでしょうか。

逆に、台湾・東南アジアやアメリカで華僑が多く成功しているのが、その衝突が、地理的・心理的に減少したからとも言えます。適応能力はいまだ「日本人街」「日本移民」の成功が少ない日本と比べると、いかに優秀かがわかりますが、その適応能力が本土で足を引っ張るていうのは皮肉かな~。

では再見! (2006年09月22日 08時11分21秒)

Re:むしろ逆では?(09/20)  
5dolphin  さん
いかにも、古代中国通の武侯仁従さまのご意見らしいですね。木をみて森をみなければ、日本人にも、個人主義というよりは、我儘でエゴイストな人は沢山います。
 これは比較の問題です。神秘学の歴史では、中国は民族主義から発しています。中華思想も、皇帝の政治も、ここから出ています。現在でも、共産主義のような権力体制を築いているように、やはり中国は、全体主義なんです。家族主義でもあるし、なぜ汚職をするかといえば、血縁に拘りがあるからです。華僑は、中国内の血縁関係を外に持ち込んだ典型といえるでしょう。中国は古くからの血縁関係を、うまく全体主義に用いたのが、中国の古くからの統治の仕方なんですね。これとよく似ているのが、ユダヤ人なんです。ユダヤ人も血縁に拘ります。
 これに対して、西洋文化発祥の地の古代ギリシア人は、血縁よりも、都市の市民の権利というものに拘ったのです。だから、ローマにおいて、所有権ができ、法律が生まれたのです。
 中国は国境を明文化し確定しないほど、民族主義なんです。これは汚職の多さが物語っていますし、法が曖昧だから、汚職している意識さえないのです。民族、家族主義なんです。日本もどちらかというと、この傾向が強いのです。法律よりも、内輪を優先することで、汚職が生まれやすい風土にあります。早くいえば、コネ社会なんです。
 現在には退行現象が至る所でみられ、民族主義を誘発しています。 (2006年09月22日 09時36分02秒)

Re[1]:むしろ逆では?(09/20)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん
> これは比較の問題です。神秘学の歴史では、中国は民族主義から発しています。中華思想も、皇帝の政治も、ここから出ています。現在でも、共産主義のような権力体制を築いているように、やはり中国は、全体主義なんです。家族主義でもあるし、なぜ汚職をするかといえば、血縁に拘りがあるからです。華僑は、中国内の血縁関係を外に持ち込んだ典型といえるでしょう。中国は古くからの血縁関係を、うまく全体主義に用いたのが、中国の古くからの統治の仕方なんですね。これとよく似ているのが、ユダヤ人なんです。ユダヤ人も血縁に拘ります。
> これに対して、西洋文化発祥の地の古代ギリシア人は、血縁よりも、都市の市民の権利というものに拘ったのです。だから、ローマにおいて、所有権ができ、法律が生まれたのです。
> 中国は国境を明文化し確定しないほど、民族主義なんです。これは汚職の多さが物語っていますし、法が曖昧だから、汚職している意識さえないのです。民族、家族主義なんです。 

面白いのが、逆な「法家思想」という法律至上主義な思想が生まれてます。またその「法」をしっかり順法したものは「循吏」として賞賛される。曹操と諸葛亮は中世中国史のなかでの「法家」大家と評価されてます。
血縁の縛りの強すぎのでそれを解放する者にも高い評価を与えるというシブトイ志向。孫子等兵法家は「血縁主義は有害無用」と言ってますからその血縁の害を早く気がついていた。そのくせまだ血縁の呪縛が強固・・・。

また民族主義といっても、「礼を受容したらしたら、それで中華」という文化的民族主義「日本等の血統民族主義ではない。」のが中国の長短両所ですね。
寛容な「血縁主義というか家族主義」が中国の一面でしょうか。

では再見! (2006年09月22日 15時30分36秒)

Re[1]:むしろ逆では?(09/20)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん
>これに対して、西洋文化発祥の地の古代ギリシア人は、血縁よりも、都市の市民の権利というものに拘ったのです。だから、ローマにおいて、所有権ができ、法律が生まれたのです。

古代ローマの市民の権利に似たものが「礼の受容・文化の許容あらば、中華の市民とみなす」礼システム・中華システムでしょうか。
血縁的なものが徐々に礼システム・中華システムよりも、大きくなっていったのが中国が進歩しがたくなった要因なようで。
血縁と文化・人民の概念が太極図のよう双魚のようにバランスが取れれば、安定と周辺地域も安寧ですが、血縁が多き成ると、バランスが崩壊して中国もその周辺も多大な被害を受けると。

その辺は別の地域でも角度が変わっても似たような要素を持っているでしょうね。

再見!
(2006年09月22日 15時42分32秒)

おまけ  
武侯仁従  さん
中国は唐までは、かなり「アトランティック」な傾向があったような。金丹を呑んで死んだ皇帝が唐には5人いたとか。名君の憲宗・宣宗も金丹で死んでますから。まだ唐代も道教も「金丹派」という一派がありました。

唐宋変革と言われる変化で、宋金医学あるいは金元医学は、ベースは後漢末の張仲景・華陀ですが、あらたに現代の中医学の基礎に成ってます。
唐から宋への変革時には、道教も金丹・仙丹から脱して、全真教のような修行・道徳重視なものが生まれます。宋太祖は「不老長生の薬などない!」と言われて満足したり、宋太宗は陳夷希らと面会して自身も「導引」という体操を進めてます。
周辺民族の流入が中国を変質させていったようですね。

再見! (2006年09月22日 17時10分57秒)

Re[2]:むしろ逆では?(09/20)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまは、流石に中国通ですな。このような中国の文化を解析することで、古代アトランテイスの文化を、この中国文化から、理解することができるかもしれません。
 法の概念でいえば、中国の法は、統治に重点があり、個人の所有等の概念がないように思われます。あくまで、法を、何か自然のもの、道徳のように捉えている風があります。ローマの場合は、是とは全く異なり、個人の権利から発しているようにみえます。つまり、中国の法は、法とはいえず、礼や義に近い道徳観念なのです。そういう意味では、ハムラビ法典と同じだと思います。
 ギリシアの法は、個人的で、中国のは家族的、血縁的なんです。ここにも、気の概念がみられます。まりに、中華思想が栄華を極めたので、それを捨てることができず、それ以上、前に進むことができずに、そのノスタルジーを家族、血縁主義に求め、懐古的なところがあるようです。
 要するに、礼と血縁が、家族によって集約されてしまった感があります。中国に個人、独身主義が出てくると変わるかもしれません。 (2006年09月22日 17時23分24秒)

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