シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2018年06月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
毎日忙しい日々なので、このブログも放置状態になってしまっているが、久しぶり書きたい。

 「ほんまでっかTV」は面白いので、毎週大体みているが、この国の道徳教育の紹介をしていたが、あまりにアホ過ぎて呆れてしまった。評論家が指摘していたように、この国では「道」にばかりこだわって、「徳」には無関心というのが、道徳教育のいい加減さを明らかにしていたが、道についても、猿まね物真似でしかない事に気づいていない。

 大体、「道」というのは口伝できないので、態度で示すしかないのだが、態度というのは千差万別で、TPOでとるべき態度が変わるものである。葬式では悲しみを表現しなくてはならないし、結婚式では喜びを表現しなくてはならない。

 喜びと悲しみは同時に表現できないから、道を教えるのは、限られた時間内では不可能である。ましてや、宇宙や社会は日々進化しているのだから、道だって日々進化している。進化しながらも、日々新しく良いものにしていくのが努力の姿勢である。

 しいて言うなら、人間らしい行動をすべきである。人道に反してはならない、法律を守りましょう、と漠然と述べるしかない。

 それに態度が同じだとしても、心が態度と逆なら、嘘や偽りを表現していることで、道徳に反することになる。嘘や偽りがダメなのは、肉体を統治している精神、つまり心と肉体が分離してしまうからである。だから嘘や偽りをついてしまうと、肉体を精神が統治できなくなり、やがて病気になってしまう。

 つまり、自然の流れに沿って、精神を改め、自己を新しくしていかねばならない。日々自己改革していくのが道徳の根本である。

 道徳で重要なのは、精神の向上である。外見ではなく、中身で、感受性の問題である。

 つまり、道徳とは、心を読む事が重要なのである。心眼を獲得する事である。

 昨日の自分とは違い、より宇宙の根源に近づいたというのを自分で表現していかなくてはならない。

 しかし、アホのやることは、その番組で真事にお粗末な例がだされていたが、お辞儀をするときに、「おはようございます」と言って頭を下げるやり方を、道徳教育として強制していたから、パワハラもいいとこで、表現法の画一化を招くアホさ加減なのである。

 このような画一化がこの国のアホさを表現している。

 お辞儀の仕方が問題なのではない。マニュアル通りのお辞儀は慇懃無礼なのがわかっていない。それは型通りのお辞儀は心がこもっていないからで、それならロボットがやった方が目新しくてまだマシである。

 大体、毎度毎度同じ挨拶するのはマンネリ化の最たるものだろう。新しい挨拶をなぜ開発できないのか不思議である。つまり心が成長していない証拠である。挨拶しなくても良い関係というのがあってもいいだろう。それが阿吽の呼吸、挨拶である。

 心がこもっていない、相手の気持ちを察しない、お辞儀は無意味であるばかりか、迷惑である。知らない人にお辞儀されて、あの人誰だっけ、と思いながら、挨拶するのはいい迷惑である。例えば、都会で、見知らぬ、本音では見下している外国人に挨拶されると、大抵の人は逃げるだろう。

 日本社会はどことなくムラの画一差別社会なので、挨拶する人は良い人、しない人は悪い人という中世の無意味な仕来りが残っている。

 相手が忙しいとき、相手にお辞儀を強要するのは、相手に失礼であるし、心がこもらない挨拶をされたらかえって不快で、嫌な人にお辞儀されたら、例えば暴力団に挨拶されたら嫌なのは一般市民なら当たり前である。

 現代社会の現実を教えずに、机上の空論を教えるのは道徳ではなく、パワハラを強要しているだけなのである。

 また、お辞儀に上下関係を持ち出す人がいるが、上下関係は秩序の維持には確かに必要だが、上のようなお辞儀の画一化の強要、つまりパワハラのように単なる上による権力乱用、我儘の強要であってはかえって害となる。

 キリストのように、上が下の世話や進むべき道を示せば、下は自ずと上に従うものである。真実を明らかにすれば、真実に従わない無意味さを改めるはずである。

 どうしてこのように教育が荒廃しているかといえば、アホが政治をしているからである。

 アホと心中国家ニッポンだが、このアホはなんでもお金で解決できると盲信し、自分のカネなら、稼ぎ方の勉強にもなるだろうが、国民のカネを着服しているのだから始末に負えない。

 日本がブラック企業の巣窟で、もりかけすぱアッキード事件や最近巷を賑わせた日大タックル事件など、中世の奴隷封建制度がいまだ根強く残っているのは、八切史観を学べばよくわかる。

 古くからこの国では支配層と奴隷層に分けられ、支配層は大陸進出組が牛耳り、古くからの住人が、奴隷層として虐げられてきた歴史がある。

 部落民問題を学べば、日本史が面白いようにわかる。戦国時代と江戸幕末がなぜ人気なのか? 歴史上の英雄とされた人物のほとんどが創作であり、支配層による奴隷層の洗脳宣伝工作に使われてきたことがわかるからである。

 時代劇はその代名詞で、昭和の爺さん婆さんは、水戸光圀が有名なドラマの水戸黄門のような人物だと信じて疑わない洗脳ぶりだった。水戸黄門を有名にした水戸斉昭はパワハラセクハラの極悪人のような人物で、今では観光名所になっているが、水戸の偕楽園は斉昭の酒池肉林の場だったという。

 そのようなセクハラパワハラの権化のような人物が、なんとか将軍になろうとして、幕末の混乱に乗じて運動したのが、大奥や江戸本家に嫌われて、安政の大獄で、失脚させられ、閉門蟄居しても、牛肉だけは食べさせろと、斉昭が近江から取り寄せていたのを、井伊の嫌がらせで彦根藩が輸出禁止にしたのに腹を立てて、藩士を脱藩させて井伊を暗殺させたのが、桜田門外の変である。

 脱藩者がしでかしたことは知らずと今も続く中世伝統の破廉恥な無責任さは、この国の支配層のお家芸といえるだろう。パワハラ王国ニッポンである。

 現代に続くパワハラぶりをみれば、この国の精神は退化していて、中世と変わっていないのがわかる。

 大陸からきた支配層は変われど、国全体の制度はほとんど変わらないのが、もりかけすぱアッキード事件からわかることである。古代は唐の藤原、藤原氏は、唐を源流にするので、トウゲンから藤原となったそうである。漢字は後付けで、そもそも日本の原住民は漢字を使わなかった。

 Y染色体アダム説からもわかるが、日本列島にはいろんな海流を通じて、多民族が流れつき、多民族国家となっていたそうである。八切史観によると、八つの王国、部落国があったそうである。八つの部落民は、海洋を通じて流れてきたので、特にペルシャ人が多かったので、ペーが「平」と漢字で後付けされ、八は平氏と同化された。

 どうやら、八は、八幡のヤオロズの神からきていて、日ユ同祖論の起源となっている。古代では、日本のことを「ヤハン」と呼んでいたので、まわりまわって、英語のジャパンになったようである。

 部落民は、大きく2つに分けられ、後の平氏の八と、シベリアから馬に乗り、大陸づたいにきたモンゴル民族は、馬の脚の数にちなんで、四と呼ばれ、後の「源(ヤン=ヨン)」と漢字で後付けされた。モンゴルのモンはヨンの発音と似てる。

 つまり、八の平氏と、四の源氏である。八は赤旗を基調とし、四は白旗を基調とする。日の丸は、赤の八の平氏を、白の四の源氏が取り囲む構図となっている。日本列島の地名に、四と八が多いのは、部落民の住居跡といえる。

 八切史観によると、白村江の戦いで、唐が勝利して、郭ムソウが1万2千の坊主の進駐軍を率いて、京都に進出して、身分制度を確立したのが、後の天皇制となる。しかし、明治維新で、部落民の傀儡大室帝が薩長によりまつりあげられて、明治帝となり現在に至る。

 帝を配してフランスのような共和制にするかどうかで、徳川と薩長、土佐がもめて、結局、薩長の王政が、背後のメーソンの世界支配やイギリスの策略で勝ったようである。

 完全議会制を推したのが徳川や土佐の大政奉還で、中世の王政身分制度を残すのが薩長だったのだろう。西郷の西南戦争は、明治帝を廃して薩摩独立を画策したものなのだろう。大久保ら洋行組の西洋王政志向と、西郷のアメリカ議会志向が衝突したものと考えれば、西南戦争は解き明かせる。明治維新は、極悪人伊藤により史実が大きく書き換えられているので、まだまだ探索の余地がある。

 つまり、古代日本の支配層は、白村江の戦い後の、大陸の唐からきた郭ムソウを中心とした坊主からなる進駐軍の朝廷で、明治維新は、英国のメーソン大東社から派遣されたフルベッキらを中心とした薩長で、太平洋戦争後は、米国のロックの外交問題評議会による極東支配に天皇制が利用され、支配層に引き継がれたと考えると、支配層と奴隷層の構図がはっきりとする。

 アホ総理の台頭により、いまや天皇制は風前の灯で、米国の極東支配も、米国債の乱発により、いずれ交代を余儀なくされるわけで、恐らく次に台頭するのは、露中の古いアジア的な体制だろうから、米国盲従では支配層も保身も限界を懐のも時間の問題だろう。

 アホはアホらを連れて地獄に堕ちるだけである。

 さっさと奈落の底に堕ちてほしいものである。

 この国の政治家が地獄に堕ちるのが尤もなのは、この世自体が地獄でもあるからわかるだろうが、地獄の中で、権力を握ろうとするのは、まさしく悪の象徴なのだが、政治家の他にも、この国の宗教者もかなりヤバい状態にあるといえる。

 科学者などは、古代では黒魔術師と呼ばれていたが、現状の精神性が乖離した、つまり霊魂を無視した現代科学などは、机上の空論で、古代の黒魔術師よりも低俗だから、科学者も、宗教者も自分の事しか考えられないので、権力を求めて地獄に堕ちていくのである。

 宗教とは、英語のレリジョン=religion、リジョンは「結び付く」という意味で、レは「再び」という意味だから、「再び結び付く」という意味になる。何と結びつくのかといえば、地獄の地から、天国の天に相違なく、地獄から這い上がって、再び天国と結び付くという意味であろう。

 だから、宗教とは、再び天国、つまり神と結び付く教えであるはずだから、神と結び付く、天国の仕事を、地獄で行わなくてはならない。要するに浄化作業である。

 浄化作業とは、お掃除である。身を粉にしてお掃除しなさい、という事なので、自分の事よりも、他者の事を考えないといけないわけで、他者を思いやり、他者の心を読み解かないといけない。

 というわけで、まず宗教の第一の教えとは、人の心を読み取る心眼を獲得する事なのである。

 さて、人の心を読み解けない宗教者は失格である。人の心を読み解いて、利用しようとするのはもってのほかで、これを黒魔術と呼ぶが、人の心、つまり魂を脳でしか理解できていない科学者は、黒魔術師にもなりえないのだが、とにかく、地獄の一角の狭い世界でしか通用しない話を全てと思いこんでいることを、井の中の蛙、脳のなかの細胞という事をまず自覚しないといけない。

 どんなに統計確率を駆使しても、それは地獄という狭い世界を壁で構築しているにすぎない。

 そういう狭い世界で粋がっている番組を以下に紹介する。私も見たことがあるが、あまりにアホすぎて呆れてしまう番組である。オカルトを否定する番組らしいが、オカルトですらない低レベルなので、幼稚園レベルのオカルト知識を、高校生レベルの科学知識で否定しているにすぎないから、呆れてしまうのである。

 同等の二律背反の問題でなければ、一方を否定したからとって、他方を肯定することにはならない。物質界では、ほとんどの物質の有無が二律背反にはなるが、電子のような素粒子レベルでは、1つの電子軌道には2つの状態があり、ハイゼンベルグの不確定性関係があり、例外もあるからである。

 とにかくオカルトでも中途半端なので、もっと探求してほしいものである。何をやろうが中途半端はダメで、どんなことでも究める事が重要である。

 脳しか探求しなくても、いずれ脳でわからない世界を探求するようになるだろう。米国の脳梗塞から回復した脳科学者のように。

 さて、そのようないい加減さを脱するために、お馴染みのサイトから以下に紹介する。このサイトの管理者の物理屋井口博士は、ちょっと際物ですが、なかなか面白い事を指摘しているので、非常に参考になります。

 ★       ★       ★

もう限界!「と学会」プレゼンツ「幻解 超常ファイル」!?:「と学会」に忖度したNHKの番組だった!?
https://quasimoto2.exblog.jp/238563403/

2018年 06月 05日

みなさん、こんにちは。

いやはや、嫌なことを発見してしまったヨ。

NHKと「と学会」がつるんでいた!

いわゆる「オカルト」「スピリチュアル」「オーパーツ」「超古代文明」こういった話題を、持ち上げて落とす。

 (以下はリンク先を参照してください。)

 ★       ★       ★

 犬HKにもパワハラが蔓延っているようですな。サッカー日本代表にもパワハラが蔓延っているのでしょう。





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Last updated  2018年06月09日 10時58分17秒
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