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ブログの友人に教えられてはじめてレイモンド・チャンドラーを読みました。数日かかって読み終えて思うところがたくさんありました。村上春樹の言い回しにとってもよく似ているところがありました。もちろん彼の訳ですからそれは当然のことなのでしょうけれども。村上春樹に好き嫌いがあるのが少し分かるような気がします。ノーベル賞の発表はまだなのでしょうか。
2007.10.31
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桜島がかすんでいます。霧の出ているところもあったとか温度差が大きく風邪をひくのに最適の季節です。くしゃみ鼻水・・はやっています。
2007.10.30
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若いとその日のうちにと聞きました。若くもなくなると筋肉痛は翌日に出るとか。そして二日目三日目に疲れが出るようになると・・・・歩き通せたことだけで・・・よしとしようと・・・気分は確かに上々でしたから。
2007.10.29
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関ヶ原の戦いで薩摩は西軍につきました。時の大将は島津義弘負け戦を認めた彼は取り囲む周囲の大軍の中から帰ることを決めました。敵将徳川家康の陣・・家康の目の前を強行突破して鹿児島に生還しました。以来鹿児島城下から妙円寺までのおよそ20kmを城下士たちが往復して参拝したことに始まる行事です。伊集院の妙円寺は島津義弘の菩提寺です。現在は誰でも参加できる遠足行事です。妙円寺参り・・・ちょっと解説してみました。
2007.10.28
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あんまり天気がよかったものですから予想していたよりも人出がなかったものですからゆっくりのんびり歩けました秋がそこらに満ちていました。ちょっと贅肉を落とさなければなりません。かなり・・・でした。
2007.10.27
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まるで夏休みの技術家庭科の観察記録のように建物のできあがる様子を眺めています。看板ができあがっていきました。明日は晴れますように。
2007.10.26
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たった一日で看板の用意がはじまったようです。赤い壁そこに文字が入りそうです。つい先日までは数台の車がいるかいないかの広場だったのですが連日たくさんの車が留まっています。むかしむかしこんな安全そうなこんなに広い空き地があったら子どもたちにとっては私たちにはとってはカッコウの遊び場だったのですが・・以前からだれも遊んではいませんでした。遊び場を取られて困った小学生は少なくともいなかったように思います。今の小学生は忙しいのでしょうか。外でどろんこになって遊んでいる子たちをほとんどみかけません。いいことやら淋しいことやら・・・
2007.10.24
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こんなところにドングリがふたつ誰かが大事に置いたのでしょうか子どもたちの誰かが忘れないようにと置いておいたのでしょうかちょっと大きな鳥が子どもたちへのおみやげにと置いたものでしょうかリスが運んでいる途中でちょっと落としてしまったのでしょうか鹿児島の秋ちょっと寒さが足りないような気がします。週末の妙円寺参りどんな服装にしたらよいのか迷っています。脚力と体力は・・・まあ何とかするしかありません。
2007.10.23
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新聞に広告が入りました。少し前には人材募集のチラシも入っていました。今秋オープンとの告知これで11月オープンできるのでしょうか。
2007.10.22
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結局惰性で買ってしまっています。1959年・・・・昭和34年私に確かな記憶なんてありません。かわいいかわいい・・・おぼっちゃんの頃です。ハナタレ小僧の頃です。ハナは垂らしていませんでしたが。この頃の私の写真はオヤツを食べているモノだけです。皇太子ご成婚のニュースはあとになって何回か見たように思います。♪とんとん、とんまの天狗さん♪姓はオロナイン名はナンコウ~どうしてこんな歌を覚えているのかはわかりません。大村崑のCMドラマが始まった年だということです。
2007.10.21
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この街に住む者のだれもがおそらく一度は訪れたことのある神社・・・照国神社。照国神社に祀られているのは28代薩摩藩主島津斉彬・・・・死してただちに神となった男です。その大鳥居の補修工事がはじまっていました。
2007.10.20
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空に飛行機をみつけました。高い空の飛行機が飛行機雲を引かないのはこの季節の空の調子にもよるのでしょうか。ほんの10日くらいの間に空気の香りが変わりました。
2007.10.18
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あちらこちらにクレーンが立っています。大きな重機が動いています。新しい道ができて新幹線が福岡までつながってトンネルがもうひとつ開けられて中央駅の前に大きなビルがあと二つたてらてれて2011年・・・そんなに先の話ではないのだと鹿児島中央から新大阪まで4時間何だか計算が合わないような気分です。大学生の頃帰省するのにつかった寝台特急ブルートレインは22時間もかかりました。故郷は時間をかけて戻る場所でした。東京は遠い遠いところだったのです。
2007.10.17
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朝晩の冷え込みが秋です。温度差が10℃を越えて体調を崩すのに最適な気候です。カネタタキが・・チチチチチチチチチチチチチチチ・・とカネを叩いています。さっきから何回数えても15回です。彼は数を分かっているようです。
2007.10.16
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昭和45年・・大きな出来事がたくさんあった年。けれどもそれはずっとあとから自分の記憶にすり込んだもの後から記憶に加えたものだったのだ・・とページをめくりながら思っています。改めて追認しています。僕らの世界はもっとずっと狭くて大阪や東京は遠い遠い世界で小学校の頃の僕らの世界は校区のはずれの大きな通りまでで自転車で走り回れる場所だけが僕らの領土で中学生になっても市電やバスは大人の乗り物にしか過ぎず飛行機に乗ったことがある友人の父親は僕らのスターだったし大阪万博に行った友人など周囲には一人もいなかったし三島由紀夫を読んでいた同級生などいなかったと思う。
2007.10.13
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一雨ごとにとはよく言ったもので一雨の後の晴天は以前のように激しく照りつける太陽ではありません。少々遠景の桜島です。これでもまだ市内です。これでも車で10分ほどのところです。
2007.10.11
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ちょうど10年前の今頃京都にいました。新しい地下鉄が走る・・そんな日だったように思います。三条で加茂川を眺めていました。加茂の流れ・・夕暮れにゴイサギがじっと佇んでいました。つい先日のできごとのようなずいぶん前のできごとのような時の流れは速いものです。
2007.10.10
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街が変わります。新しい道ができます。新しい建物が建ちます。車の流れが変わります。人の流れが変わります。ココ数年でも大きく変わりました。大きく変わろうとしています。ここからも桜島が見えていたのでした。
2007.10.09
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ロッキー・ザ・ファイナルを見ました。エイドリアンは亡くなっていました。バート・ヤングは相変わらず渋い演技をしていました。単純明快けれどもあの音楽を聞かされるとわけもなく元気が出てきます。娯楽映画はこうでなければいけません。
2007.10.07
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思わず足を踏み込んでしまいました。この建物この部屋で私たちは高校生をやっていたのでした。あの頃の彼がいてあの頃の彼女がいました。不審なおじさんたち・おばさんたちがはしゃぐのを青春たちはやさしく眺めてくれていました。頭の中身はさほど変わってはいません。
2007.10.06
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どんなに稚拙でもいい。どんなに幼くてもいい。自分の頭で考えたものは貴重です。自分で生きた言葉には説得力があります。自分の頭を動かさずに書かれた文章には消化不良の哲学用語が出てきます。難しい言葉が使われています。わけの分からないカタカナ言葉が使われています。
2007.10.05
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アロンさんありがたい挑発に乗って・・・懐かしい話をちょっとだけプラトンの主催する学園アカデメイアにアリストテレスが入ったのが17歳のときで以来彼はプラトンの最も優秀な弟子として死の亡くなるまでの20年間弟子として協力者としてココに留まりその思索活動の基礎を築きました。けれどもその期間中からすでにアリストテレスは思想的には師プラトンに批判的であったと思われます。初期の書物におけるアリストテレスのプラトンのイデア論に対する批判はほとんど揚げ足取りとしか見えない文章です。師を批判しながら生涯師の影響は受け続けていたことは明らかです。さて御指摘のラファエロ『アテネの学堂』の絵はまさしく彼らの分岐点を表しているとされていて・・・・あの絵はとても大きくてその割には展示室があまり大きくないものですから私が撮った写真は斜めになっていて・・全面を写し取れていませんでした。思えばそんな失敗が私が大成できなかった暗示でもあるような気もしますけれども・・・・プラトンのイデアはこの物質的世界から完全に切り離されている故に、物質的世界にどっぷりとつかりきっている我々の知識の対象とはなりえない。我々が経験する事物は個々の具体的な事物である以上、ここから切り離されて存在する普遍的なものがどうしてそれらの原因となりうるだろうか。・・・とアリストテレスは考えたわけです。彼はわれわれが感覚で知覚できる個々のものこそ基本的な実在だと・・・そう主張し始めたわけです。科学と哲学にとって不可欠の真の知の不変の対象を見つけ出さねばならない場所は、他でもないこの個々の物からなる変化する世界だったのです。そして彼は自然学フィジックスから思索をはじめることになります。ただそれを一通り終えて・・さて・・と彼が向かったところは他ならぬ師匠の世界・・メタフィジック形而上学の世界ではあったのですが。久々にこんな言葉を使っています。ありがとうございました。続きはお酒を飲みながら・・・是非
2007.10.04
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難解な文章があります。難解な書物があります。ヘーゲルの難解な文章を前にして血湧き肉躍ると・・・明るい顔で断言した私の恩師は思いっきりの笑顔で私に話してくれました。ヘーゲルは気合いで読めヴィトゲンシュタインは間合いで読むのだ・・・・と。およそ人間の書いたモノで理解できないものなどないのだ・・・と。何かを伝えたくて書かれているものだから・・・・と。謙虚に耳を傾けよ・・・と。彼の書いた書物はかなり難解なしろものです。もはや質問することもできませんが。
2007.10.02
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