全1542件 (1542件中 1501-1542件目)
年末年始のTV番組も、駅伝とラグビーとアメフット(サッカーはなかなか点が入らないというのもあってあまり見ない)ぐらいしか見るものがないのは相変わらず。 ことしの大学ラグビーは、ベスト4に関西勢が2校のこる、近年にない健闘。どっちも準決勝で関東勢に敗れましたが。 大学ラグビーは同志社。高校ラグビーは伏見工業。大学アメフットは京大。楕円ボール(本当は楕円ではないが)については、京都の伝統校をつい応援する私です。さいきん、苦戦してますが。ここは古風?(不思議なもんで、同志社が負けてたら明治。伏見工業が負けてたら秋田工業。京大が負けてたら関学。というように、かわりに出た京産大、成章、立命館といった京都のチームより、よその「かつてのライバル」のほうを応援したくなるのは、ごめんね。) 筋書きのないドラマが一番。 「やらせ」発言で筋書き通りに進むTMしか認めない文科省。甲子園の始球式に来んでもいいぞ。
2007年01月04日
コメント(0)
日本「三名園」のひとつ。岡山・後楽園。 元日は「入場無料」で、駐車場も無料。いまどき太っ腹! (三セク「チボリ」で大赤字出してる岡山県にしては・・・) 丹頂鶴が空を舞う、ということもあり、放鳥前には通路にぎっしりの人。(携帯電話では飛行シーンを追っかけられませんでした。電池も切れるし…) 昔は後楽園ももっと広かったのですが、まわりの建物が景観を壊すということで、「目隠し」の樹木が取り囲むように高くなり、池田の殿様ご自慢の「借景」がほとんど使えなくなっているのが残念です。ここの「借景」は世界的に自慢できるもので、京都の有名庭園(平等院や銀閣寺など)の借景にくらべてもスケールがでかい。 都市計画を、殿様の思い通りにできた時代は「トップのセンス」だけですべてが決まるものですが、民主主義の時代に、「借景」の広い範囲に住む人が、その「価値」を実感できなければ、(もちろん、価値観の問題なので、人それぞれではありますが)全国どこにでもあるホテルやマンションや商業ビルのために、世界で一つの後楽園が「ただの箱庭」化していくのはもったいないなー。 放鳥の様子は、地元新聞ニュースより。 http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/01/03/2007010309092717000.html
2007年01月03日
コメント(2)
年末モネだったから、年始は…やっぱりモネ連作。 実家は田んぼが広がる中の住宅ですが、さいきん、積み藁見ませんね。コンバインが主流で。「積み藁」(朝日)「積み藁」(雪)「積み藁」(夕日) もちろん、フランスだから麦わらです。 ★ 関西方面のみなさん、オルセー美術館展(神戸会場)は、あと1週間ですよー。
2007年01月01日
コメント(1)
「溶けかけのアイスクリーム」と酷評された、モネの「ルーアン大聖堂」連作で。(青と黄金のハーモニー)(曇りの日)(太陽の効果、一日の終わり)やっぱりモネは落ち着きます。マネが「受け狙い」でいろんな挑戦をしたのに比べ、モネは己を極める挑戦?年をとるのも早くなってきたかな。 「一年の終わり」に。
2006年12月31日
コメント(0)
イラクのフセイン元大統領の処刑のニュースがありました。 安倍内閣は、これで安定した政治ができることを願う…とかいう、とぼけたコメントを出していた。 「東京裁判」を、「勝者が敗者を裁いたもの」だとか、「評価は後世の歴史家がきめる」だとかいう彼らのモノサシからいえば、非常にすばやい反応。小泉の空爆支持に続く。 「大量破壊兵器の所有、使用準備」について、当の米軍が「間違いだった」と認めているのに、まだ空爆を反省しない。 クラスター爆弾や劣化ウラン弾の処理費用を、ちゃんと米軍に「民事請求」もせず、新しい基地をつくるのに「思いやり予算」(通常でも2000億円/年ほど)を追加する。 (ミサイルは、古くなって処分するのに、生産コストの何倍もかかるから、廃棄するよりどこかで使用して爆発させたほうが得。湾岸戦争のとき、ガソリンに1円/Lの「協力税」を上乗せして国民全体に協力させたこともある。)湾岸戦争はまだ石油の利権がからんだが、アフガン戦争なんかは旧兵器の在庫一掃と新兵器のデモみたいなもん。 米軍は、日本に兵よりカネを出してもらったほうが得。(指揮系統が複雑な多国籍軍より、単独で戦って、下請けだけポチにしてもらうほうがもうかる) 改憲派の「愛国」って、完全にバカにされたものだという内容を、本人たちが気づいてるのかどうか。
2006年12月31日
コメント(3)
年末ともなると、大掃除。 ただ、掃除の観点だけからいえば、夏のほうが油汚れがやわらかくて落ちやすい。お湯をつかうにも消費エネルギーが少なくてエコ。 新年を迎えるにあたっての「気持ち」として、すっきりと汚れをおとしておきたい、ということはありますが。 「福の神」を迎えるために、なんてことは言わないけれど、本願寺さんでも「すす払い」は年末の行事。空気が乾燥している冬のほうが、ホコリを払うには合理的だ、という考えもあります。汚れの質が昔と今でちがいますね。 とりあえず、「冬向き」の掃除だけはしておくか。
2006年12月30日
コメント(3)
マネがサロンに出品して落選した作品「草上の昼食」(オルセー美術館蔵ですが、今回は来ていません) マネが真似をした元はティツィアーノの「田園の奏楽」(ルーブル美術館蔵)(構図は、ギリシャ神話の「パリスの審判」からとったのですが、原画を拾えませんでした) 「田園の奏楽」の女神の姿は、後ろのおっちゃん達には見えない設定。 マネとしては、3世紀も前の有名な作品を題材にしたわけで、某W田氏のような盗作ではなく、れっきとしたアレンジ。古代神話と有名作品を題材にして、マネとしては、自信満々でサロンに出したらしい。 ただ、「女神」でなく、「生身の女性」をおっちゃん達の中に座らせた、ということで、不道徳だと非難ごうごう。 「印象派の父」たる所以で、鑑賞者が本当に、自ら若い女を裸にしてピクニックに連れて行ったような印象を与えてドキッとさせてしまった…というところ。おっちゃん達のスタイルも、当時の流行の服装だし。 へたくそな絵なら「非現実」ですむものが、マネの才能と、客の感性で「現実の不道徳」に引っ張り込まれた、という皮肉な結末。 しかし、モデルのムーラン。18歳ならもうちょっと若々しく描いてやりゃいいのに…と(「おばさん」呼ばわりした自分の言い訳で)思うけれど、実際のところ、これが皆を「現実の不道徳」の世界に引きずり込んだのだから、そこまで計算ずみならすごい。 ムーランの視線も、「ふっふっふ、あんたも来たわね」と呼びかけるような現実味があります。 【「バリスの審判」の画像を追加します。08.02.19】
2006年12月29日
コメント(7)
おおかたの予想通り、でィープの圧勝でした。(松坂井川にあやかって「ダイ○メジャー」を買ってなくてよかった。まあ、何も買わないけど) かつておおかたの日本人が予想した「ヤワラちゃんの金メダル」を「取れない」と断言したH木K子センセイはどう予想(占い)したんでしょうね。 「年末ジャンボが当たったら、2億円ユニセフに寄付」(買ってないけど)と言ってましたら、「3億のうち1億はフトコロか?」という質問がありました。 「3億」は、あくまで連番で「3枚買って前後賞こみ」の金額。 そもそも、配当率が48%の宝くじ。買えば買うほど「平均」(期待値)どおりに近くなって損をする。(10億円ぶん買えば4億何千万は当たる) どうせ「夢」なんだから、「1枚だけで1等2億円」で十分。3枚買うなら6億円。10枚買って20億円の夢なんかいらんわ。(買ってないけど) それにくらべりゃ、競馬は75%は配当があるし、馬券を買ってなくても楽しめる。 学生時代、馬券を買わずに競馬を見てる友人がいました~もっとも、学生は18歳以上でも馬券を買うのは×だったが~、彼の言うには、「甲子園でH神みたいな弱いチーム(弱かったねー)を応援するのも、淀でお気に入りの馬や騎手を応援するのも同じやんか」 さすが農学部。 宝くじで「番号を応援」はできんもんなー。
2006年12月27日
コメント(0)
前回、マネのモデルが【モリゾは美人っぽいが、「鉄道」などのモデルは普通のおばさん云々】と書きましたが、私が「普通のおばさん」と思ったモデルは、「オランピア」 も 有名な「草上の昼食」も、前にあげた「鉄道」も、同じモデルのムーラン。「オランピア」のとき18歳。「鉄道」のモデルが28歳。おばさん呼ばわりしてごめんなさい! ムーランさん!ただ、サロンの人たちが頭に来たのは、それまでのモデル画が「人間を超えたものの美しさ」としての女体であったのに対し、(マネが真似をした、ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」) あるいは、(ゴヤ「裸のマハ」) マネが「日常の肉体」を描いたため、ロマン派などからみたら斬新すぎた扱い。恐れ多くも、女神と「そのへんの女」を一緒にするな! という、当時の人たちの罵声は聞こえてきそうです。 でも、モリゾとムーランと、描き方が違うのは、モデル自身の雰囲気(まあ、それが「印象」なんでしょうが)なのか、マネの個人的な思い入れなのか…。 ところで、マネはモネの家で絵を描いていたルノアールについて、「彼は才能がないから他の道を選んだほうがいいんじゃないか?」とモネにアドバイスしたとか。 価値観の問題なのか、やっかみなのかは、永遠のなぞ? (私事ですが、中学のとき、転校で美術の先生が3人かわりましたが、評価がバラバラでした。ただ、個人的には、いちばん高い評価をいただいた先生より2番目の評価の先生の絵のほうが好きでした。)
2006年12月25日
コメント(0)
サンタはなぜ「煙突」から入ってくるかご存知ですか? 昔、煙突掃除は子どもの仕事で、オヤジが子どもに「きれいな煙突でないとサンタさんが嫌がるぞ」といって念入りに掃除をさせた、ということです。 キリスト圏では、クリスマスを迎えるのは新年を迎えるのと同じですから、大掃除は丁寧に。 べつに家の仕事をするわけでもなく、ごろごろしてる子どもがプレゼントだけほしがるのはおかしーぞ! 家庭の煙突だけならまったくほほえましい情景ですが、じつは煙突掃除屋の労働者として、スズメの涙の賃金で子どもが使われていた時代があります。キングスレイの『水の子』、あるいはアニメの『ロミオの青い空』でもおなじみです。産業革命当時は石炭が主力エネルギーでしたから、煤のたまるのが宿命。子どもは身軽で小柄だから煙突に入りやすい。 いまならそんな親方や、それを承知で契約してる客(工場主)は「子どもの権利条約違反」で訴えられるところですが、 世界にはまだまだ、教育を受ける権利を侵害されてこきつかわれている子どももたくさんいます。「安い輸入品」の陰には、そういう子が犠牲になってます。東南アジアで、マングローブの林をつぶしてエビの養殖池にされ、「無頭エビ」に加工して日本に輸出する。 現地の人たちは、残ったエビの頭を食べている、という話を聞いて、私は冷凍エビを食べられません。(まあ、体質的にアカンのですが) そういう子どもたちにサンタさんは何か素敵なプレゼントを贈ってやれるんでしょうか。 《2億円当たったらユニセフに寄付するから、宝くじ当ててくれ!》(あ、そもそも買ってないわ…)
2006年12月24日
コメント(1)
HNの由来は、もちろん「ゴルトベルク変奏曲」から。 『稲の旋律』(旭爪あかね)の中で主人公の女性が弾いた曲です。プレッシャーの中でひきこもりになり、好きだったピアノをやめてしまっていた(ピアノ自体がプレッシャーの元でもあり)主人公が、初めて自分のピアノで1人の不登校の少女を感動させることができ、立ち直るきっかけになった曲。 最初のアリアから最後のアリアまで、第30変奏を含めかなり長いピアノ曲ですが、睡眠剤を飲んで(ちゃんと医師の処方で)寝る習慣がついている私には、テンポの遅いところ速いところの入れ替わりの波長があうのか、いい子守唄がわりになります。 演奏会で居眠りする奴は失礼だ、とは思うのですが、解説を読むと、《バッハの後援者の伯爵の不眠を癒すために作曲された…》 ということは、「子守唄がわり」に聴いてる私は『正当な聴衆』なのかも? 日頃、クラシックファンでもない私ですので、もしこの本を読んでいなければ、まずCDを買おうと思わなかったはずで、ご縁をいただいた旭爪さんに感謝する次第です。
2006年12月23日
コメント(0)
最新の近代設備で固めた病院でも、患者さんがいやがるから「・・4」号室が欠番になっていることは多いです。 某葬儀会場で、駐車場の番号の「4」が欠番になってました。お葬式に来る人がわざわざ4番を嫌うとは思わないけどな…(だったら葬式に来ないだろう…) (ちなみに、「13番」はありました。~たまたま私が停めた場所) さて、アリマ記念の馬券。国内無敵の「7冠馬・ディー●インパ●ト」に「天才・タケ豊」が乗れば、ガチガチの大本命。単勝配当オッズは1.1倍? (1万円買って当たって1000円。電車賃のほうが高いんじゃ?) 馬番「4」など誰も気にしてない。(これで負けたら、来年から気にするか?) ※なお、私自身は競馬はしません。ただ、野次馬的にみると、松坂や井川に期待して「ダ○ワメジャー」はいかがでしょうか。(買わないよ) 野球選手の背番号は、日本人が嫌がって空いた「44」やら「49」やら「42」をつけた外国人選手がけっこう活躍しています。 42は年間本塁打記録保持者:西武のカブレラ。44は三冠王:阪神のバース。同じく阪急のブーマー。49は巨人最強の助っ人クロマティ。といった記憶です。 (元メジャー本塁打記録保持者:ハンク・アーロンが「44」だったので、これにあやかる選手も多いようです) そういうことになると、日本人選手も、4を気にするより、大物にあやかって「44」狙いが増えてくる。南海の門田。阪神の関本。 新人で、巨人の大道。ロッテに移籍の早川。 来年、がんばってくれるかな。(※「デ●ープイン●クト」のキーワードに引っかかったか、やたらTBがくるので、伏字にしました。「品格」にかかわるTBは削除させていただきます。)
2006年12月23日
コメント(0)
【楽天ブログ利用規約より抜粋】第4条(著作権) 1. ブログデータ等の著作権は、当該ブログデータ等が公開または投稿された管理サイトの管理者に帰属するものとします。ただし、管理者が、別の著作権者から許諾を受けて公開または投稿しているブログデータ等(投稿者により投稿されたブログデータ等を除きます。)については当該著作権者に帰属します。 2. 投稿者は、管理サイトに投稿したブログデータ等について、その著作権に関する全ての権利(著作権法第27条及び第28条に定める権利を含みますが、次項にて定義される出版等の権利を除くものとします)を、投稿時に、当該管理者に無償で譲渡するとともに、当該管理者及び当該管理者から権利を承継しまたは許諾された者に対して著作者人格権を行使しないことに同意するものとします。 3. 当社は、管理者または投稿者へ通知することなく、本サービスの広告、宣伝を目的として、ブログデータ等の全部または一部を自由に利用(但し、次項にて定義される出版等に該当する利用を除くものとします)できるものとします。 平たく言えば、ここに書き込んだ文章や画像は、管理者の著作権が及ぶけれど、「当社」(=楽天)は、それを自由に利用できます、というルール。 ご自慢の詩や画像を、楽天が広告に使っても文句言わないでね。ということだから、みなさん、パクられて困るほど価値のある作品だと思うものは、出さずにこっそりしまっておきましょう。 ※法律や条例などの文章は著作権に当たらないのですが、 たぶん、「楽天」で「Yahoo!ブログ」などの規約をコピーしたらあかんやろうな。
2006年12月22日
コメント(2)
13日に、京都地裁で「Winny:ウイニー」の開発者に対する有罪判決があった。罰金150万円の実刑判決。(教育基本法のニュースで飛んでたが) 有罪の中身は、著作権侵害の「幇助」。 著作権を侵害した「実行犯」(警察の情報まで流出するということは、警察官がWinnyをインストールして著作権違反の違法ダウンロードをやってた証拠だが)がどれだけの刑罰をうけているのか、実例としてあがっているのを聞かない。普通に考えて、殺人事件の実行犯より幇助犯の刑が重い、などということはありえない。 「これからソフトの違法コピーは150万円以上の罰金刑を食らいますよ」という「見せしめ」だとは思うが、本当に、違法コピーを取り締まるつもりがあるのだろうか? 駐車違反の「民間監視員」制度が始まったが、違法コピーも民間人を使って片っ端から摘発して、その度に150万円以上の罰金を科せば、10件で1500万円以上。1割手数料もらえるなら協力するぞ、なんて人がうじゃうじゃいそう。(そういう自分も名乗り出たい…) 開発者にとって150万円が重いか軽いか、という以上に「犯罪者」「前科者」のレッテルがついて回る重さを、大阪高裁はどう考える?控訴審が楽しみだ。 ダイナマイトのノーベルや、核反応のアインシュタインは、大量破壊兵器の幇助になるのか?というレベルもあるが、 「駐車場つきのビアガーデン」は飲酒運転の幇助をすることにならないのか? 「80km/hも出す能力のある原付スクーター」を製造してるホンダやスズキは暴走の幇助をしてるのではないか? 被害者遺族が告発したら、地検は起訴するんだろうか? 判決を下した地裁も、起訴した地検も、本当に著作権侵害について厳しい態度で臨んでいるのだろうか。Winnyでデータが流出したと届け出た人たちは、著作権侵害の罪の意識を持っているんだろうか? 被害者は、そういう人たちが管理しているデータに登録された一般人であり、損害賠償責任は、流出させたWinny利用者にあるのは間違いない。ただ、「民事」は勝手にやってくれ、刑事は知らんぞ、では通るまい。 私も、日本人の著作権意識の低さを嘆く一人であり、画像のコピーも、モネやルノアールといった「確実に期限切れ」しているものしか手を出さない。(おすすめ本やCDジャケットの画像も、出版社に無断でとりこむのはまずいだろうと思い、出版社へのリンクだけ。) みなさん、いかがですか?
2006年12月21日
コメント(2)
「子どもの権利条約」の批准が論議されたころ。いまでもそうだが、「権利ばかり言って、義務のことを疎かにしている」という主張がずっとある。 これは、「そもそも権利を知らない」のか、あるいは「知ってほしくない」立場の言動である。 たとえば、「義務教育」。これはけっして、子どもが学校へ行く(行かされる)義務ではない。 「教育を受ける権利」は、憲法でも、権利条約でも保障された国民・子どもの権利であって、その権利を、行政や大人は保障する義務がある、という意味である。学校はそのための手段の一つにすぎない。 学校を作って運営するためには費用もいるから、そのために国民は税金を納める義務がある。働く人がいなければ、学校も建てられないし、運営もできない。(教育、納税、勤労の三大義務が、学校にもすべてかかわっている) お互いの権利を保障するために義務があるのであって、権利と義務が別々にあって対立するものでは決してない。「権利ばかり…」という人は、「何のための義務」なのか、という根本を理解していない。独裁国家では、支配者のための義務という中身があるが、国民自身が「権利のための義務」という意識を持たない限り、民主国家とはいえないのではないか。 年末、飲酒運転で捕まる人も多いが、「交通法規を守る」のは、歩行者やほかのドライバーの生存権を守るための義務。単に「違反して罰金とられたり免停処分を受けないため」で義務づけられているわけではない。 ★毎日学校に行ってるのに、ちゃんとした教育が受けられない。むしろいじめなどで権利を侵害されている、というのは、義務教育といえない。子どもの権利条約違反で国際裁判所に訴えてしかるべきだ。分かってるか?伊吹大臣!
2006年12月21日
コメント(4)
好みの問題なので、批判はあるでしょうが、 マネの偉いのは、「美人モデル」にたよらず、「そのへんのおばさんっぽいモデル」で堂々と勝負したこと。(私の好みの「鉄道」は、オルセー美術館展にはありません) しかし、オルセー美術館展のポスターになっている「モリゾ」は、美人っぽい…? (べつに美人系がどうのという訳ではないけれど) ※ちなみに、モリゾの娘が、ルノアールの絵で猫を抱いている、ジュリー・マネ。(マネの姪)
2006年12月20日
コメント(0)
オルセー美術館展の「主役」は、ルノアールなどの印象派の作品ですが、「印象派」の語源となった、モネの作品『印象~日の出』(これはオルセー美術館展にはありません) 「印象」という言葉自体には、「未完」という意味があるのですが、 モネの意図としては「日の出のスケッチ」というような意味で使った(我々の感覚でも、スケッチというのを、『あとでちゃんと絵の具を入れる前の段階』という意味で使うことはよくある)のを、当時のサロンの人たちのモノサシからみれば、「できそこない」という解釈。 担当記者が「こりゃいいや、たしかに『印象』だわ…」と嘲笑したのがそのまま通称に。 印象派の代表選手のように言われるマネは、じつは自分自身はサロンにどうしても認めてもらいたかった。そのために努力を重ねて新しいことを試みるほど、世間は「印象派」の評価が高くなる…、という皮肉な結果に。(わりとありがちな話?) ※「絵画そのものの写真」には、二次著作権は発生しませんが、「考える人」などの彫刻や、奈良の大仏さん、あるいは富士山のような自然であっても、「立体物」を撮影して二次元の作品にしたものには、写真家に新たに著作権が発生しますので、実物が何百年経っていても、人の写真を勝手にコピーしないようにご注意。 ※ピカソや岡本太郎の絵はアウトですよ。
2006年12月20日
コメント(0)
いま、神戸で開催されている「オルセー美術館展」。印象派の画家たちの名作を中心に、なかなか見ごたえがあります。これはお勧め。当日でも「みどりの窓口」で前売券が買えます。プーシキン美術館とちがい、さすがに「地元」の美術館だけに、仲間をモデルにした絵などが何点もありました。「普段着の印象派」というところでしょうか。 ただ、会場の神戸市立博物館が、正直いってしょぼい。オルセーが泣くわ…。狭い階段を上りと下りで共用しながら2階、3階の展示室へ。(日ごろ、おおきな展覧会をしない前提でできてる) 「株式会社神戸市役所」と言われたことがありますが、儲けにならんことに金を使わない基本姿勢がこういうところに現れてる…。 たとえば、倉敷の大原美術館は、利潤追求の資本家(大原孫三郎)でさえ、利益を住民に還元しようと、立派な美術館を建てて世界の芸術を一般の日本人に公開したもの。(同じ資本家の絵画収集でも、バブルのころにゴッホの「ひまわり」を話題性だけで買った某企業とはスタンスがちがう。※さいきんのクラボウが大原の遺志にのっとっているか、大いに疑問だが) 「国際都市」が恥ずかしいぞ。 注)ルノアールの絵は没後70年を経て著作権の期限を過ぎているので、ここに貼り付けは合法。絵画そのものの写真には二次著作権も発生しないので、タレコミ無用。
2006年12月17日
コメント(0)
だいぶ前の話題 某M同盟の街頭署名活動(ヒロシマアピール)をしていたとき、某右翼団体・大日本●●会の街宣車が通りがかりにインネンをつけ、暴力行為に及んできたことがある。 最後、引き上げ際に「お前ら、俺達を右翼だ右翼だというが、右に出るものはない、とかいって右はえらいんだ。お前ら左だろう。左前とか、左遷とか、左はアカンやんか」と吐き捨て。 行ってしまった奴は仕方ないが、「日本の伝統では左のほうが格上」という歴史を、日頃日本の伝統を振りかざすくせに知らん奴らだった。 平安時代には、「右大臣」より「左大臣」のほうが格上。 京都の伝統的な雛飾りでは内裏雛の左側が♂雛なのに、東京では右側が♂雛なのは、単に、明治以後、西洋文化が入ってきて「右が格上」の風習が根付いたから。 (「男尊女卑」の位置付けは、昔からかわっちゃいない。) 西洋カブレのくせに「愛国者」ぶるのが、「伝統」になっている。ほんと、明治以後の「伝統」なんて、連中の言う「世界最古の皇室の歴史」の物差しからみて、伝統でもなんでもない「浅い習慣」でしかないもんだよ。
2006年12月16日
コメント(1)
この時期はやはり「赤穂浪士討ち入り」の話題です。 地元赤穂はもとより、京都の大石神社近辺でも「義士祭」が行われます。 ただ、「仇討ち」というのは正確でない。そもそも、大石の主君・浅野を殺したのは吉良ではなく、徳川幕府。吉良のオヤジに田舎者扱いされてプッツンした浅野が吉良に斬りかかり、「殿中抜刀」という、江戸城の最高タブーを破ったために切腹の沙汰をうけただけ。 大石も、短気なボスのせいで家老の座を失った被害者であり、恨むなら浅野のほう。本当は討ち入りなどせず、「お取りつぶし」を回避して新しい主君の下で家老を続けたかった。(浅野の個人的なプッツンはしかたないが、跡継ぎをたてて浅野家の存続を最後まで訴えている) それを許さず、「討ち入り」させられた(幕府の手先になってそそのかしたやつもいたんだろう)大石も気の毒ではあるが、浅野も吉良もつぶして得をしたのは徳川幕府。戦前に「●●しないやつは非国民」といわれて「国民総動員」に続いたのと、基本的には変わらない。 客観的に見れば、義士もテロリストなんだが…。これをもちあげる風潮は何とかならんものか。
2006年12月14日
コメント(0)
年末、年始、浄土真宗のお寺では、「報恩講」で忙しくされています。 宗祖・親鸞聖人の命日が、旧暦の11月28日で、本願寺派(西本願寺)などでは、太陽暦になおして来年の1月16日。(旧暦の11月28日)大谷派(東本願寺)や仏光寺派などは、そのままスライドでカレンダーの11月28日。福井の出雲路派では、月遅れで12月28日。(年末の12月28日にかけてというのは、たいへんなことだと思いますが。) これがいっせいにどれかに合わせるようだと、全国の末寺までいっせいに動くことになり、たいへんなことだと思いますが、うまく散っているために、たとえば京都の宿泊施設が集中せずにすむ。意図してのことかどうか知りませんが。 七夕を、旧暦スライドで「7月7日」(京都はだいたいそうです)、月遅れで「8月7日」(仙台など) お盆を、旧暦スライドで「7月15日」(京都のお寺で盂蘭盆法話をされるところは多い)、月遅れで「8月15日」(大文字の送り火はこれに合わせて8月16日) というふうに分かれているところはありますが、こっちのほうは太陽暦換算して、旧暦どおりというのはあまり聞きません。(旧暦であれば7月7日は「上限の月」を舟に見立てて「天の川を渡る」とか、7月15日は満月で、盆おどりは炭鉱節の「月が~出た出た♪」のとおり会場に月が昇っていくわけですが、スライドや月遅れでは、そういうのに関係なし。大晦日の「除夜の鐘」や、「おけら参り」(京都・八坂神社)も、旧暦であれば真っ暗のはずで、「祇園祭り」の宵山は十六夜月で明るいはずで、という、民俗文化に基づいた伝統は無視されてます。 正月休みが太陽暦だし、祇園の町は照明で明るいし、月なんか関係ないわ、と言えばそれまでですが、それも寂しいのでは? そのわりに「友引」とか「大安」とか、占いに基づくことにこだわる人が多いのは困ったもんだと思います。
2006年12月11日
コメント(0)
1941・12・08 真珠湾奇襲攻撃。 これを米軍は事前に知っていたが、地元に知らせず、避難も臨戦態勢もかけず、日本軍に攻撃させた。最新の空母艦隊は「演習」という名目で避難させ、旧式の軍艦と残った軍人、一般の民間人は「奇襲」にさらされた。 知らせなかった理由は、1:日本軍の暗号がばれていることを隠しておきたかった。 ということがあるが、 最大の理由は2:これを口実に、日本を徹底的にいためつけ、原爆でも何でも使える。 さらには、やはり、3:どうせハワイはアメリカ本土の属州であって、住民が「多少」犠牲になってもしかたない。 という意識はあったはず。 こういう国に「安保条約で守ってもらっている」と考える日本人がいたら、大マチガイ。 米軍は、日本のことなんか心配しちゃいない。(ハワイはまだ大統領選挙の選挙区だが、日本はよそ者) ただの「イエローモンキー」。 ちなみに、世界最初の被爆者は、広島でなく、米軍がアラモゴルドの砂漠で最初に行った「長崎型原爆」の実験で、爆発後の突撃訓練をさせられた米軍兵士。自軍の兵士でさえ人体実験の材料にする国を、どうやって信じることができよう。
2006年12月08日
コメント(2)
政府側と与党側(のバックにいる人々)が対立しているという「道路特定財源の一般財源」化。 「余っているんなら、財政不足のほうに回してもいいだろう」という安倍内閣の発想だけど、ほんとうに「余ってる」のなら、第二名神の建設などに「地元負担」をおしつけずに、「道路特定財源」の「本来の使い方」でまかなうべきなんじゃないの? という素朴な疑問。 (私は、金さえあれば、環境破壊の道路に賛成する、という立場ではないし、「民営化」された道路公団が「税金」に頼る、というの納得できないが、せめて、筋道のほうを先に通してくれよ…)
2006年12月07日
コメント(0)
有名なホルストの組曲「惑星」は、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星と、地球をのぞく7惑星の名前で構成されています。ホルストの時代には、まだ冥王星が発見されてなかったのですが、さいきん、「親切」なことに、「冥王星」をつけ加えたCDが発売され、その後、冥王星が惑星から外されたので、結局、オリジナルの「ホルストの惑星」組曲でぜんぶ足りることになりました。 新しくつくった「冥王星」は、ついでに「カノン」や「エリス」などを追加して、組曲「わい惑星」になるのかならないのか…。(売れんやろうなあ)
2006年12月06日
コメント(0)
「第二名神」にしろ、栗東の新幹線駅にしろ、「民営化」されたJRやJHが、税金で作ってもらうのはおかしいやろ。本当に需要があるなら、投資家を募って「第二名神」株を買ってもらい、株主優待でETC割引つけたら、買う人はいるんじゃない? たとえば、阪急・嵐山線は、戦争中に「鉄の供出」によってレールを持っていかれたため、複線の敷地をもっているにもかかわらず、現在でも単線で運転している。国策で供出したんだから、公費で復元してもらっても当然かもしれないが、乗客数と維持費を天秤にかけたら、あえて複線にせず単線で運転すればいいわ、ということだろう。 過剰な投資で損をしない、これが民間企業の当然の姿だと思う。 第二名神や栗東新幹線駅は、はじめから利益をあげるほど需要がないのを知りながら、地元に建設費を負担してもらおうという行為。「儲け」だけ資本家へ、「負担」は国民へ。行政は環境破壊の露払い。 そんな民間企業が世界中にあるだろうか。(植民地支配ならともかく)
2006年12月03日
コメント(1)
TVで話題になった「崖っぷち犬」の救出。 一頭の野良犬の救出に大騒ぎする一方で、毎年何万頭の野良犬が「処分」されている。同じ野良犬で、落ちてない犬の命はどうもないのか? (本当は崖の途中に引っかかったのは「崖っぷち」とはいわないんだけど) 全国で問題になっている「いじめ」。自殺した子は、いわば「崖から落ちた」子で、実際には何万の子が「崖っぷち」にいるに違いない。崖からの距離はそれぞれ違うだろうけれど、崖っぷちというのは、反対側は普通の地面に続いている。外から見れば、普通のところを歩いているが、一歩か二歩横を向けば崖の下。 崖の高さは、覗き込まないとわからない。安全なところで、「ファイティングスピリット」で片付けているどこかの知事など、かなりの弱者(子どもに限らず)を崖っぷちに追い詰めているのではないか? 誰かが落ちないとみんなが注目しないから、自分が飛び降りる、というようなことを子どもにさせる社会は、みんなで反省しなくてはいけない。(誰かが落ちるまで「いじめはない」と公言していた教育委員会も) 恣意的に「教育基本法」をいじって目先をかわそうとする政治家など、とんでもない話だ。
2006年12月02日
コメント(0)
前回、教育大学にちょっと触れたが、たとえば京大の教育学部は基本的に研究機関であって、教員養成系ではない。(だから、付属小中学校を持ってない。) 教育心理学などのエキスパートを育てる役割を担っている(はず)。もちろん、教員免許はとれるし、農学部からでも教員免許をとりにいける。 京都教育大学は、師範学校を母体とする、純然たる教員養成系(とくにさいきんの学生募集は養成系しかない)。同じ教育学部でも「住み分け」がある。 じゃあ、医学部でも、研究機関と医師養成機関の分担をして、「町医者養成系」ってないもんだろうか。獣医なみに、とりあえず各科の診療を受け付け、一定以上の患者は専門家のいる病院におくる。 「自治医大」って、かつて無医村の解消のために自治体が協力して設立したはずだが、そこを出てしばらく田舎で医師をしても、そのうちに都会の大きな病院に入り、そこそこ経験をつむと「○○科医院」を独立開業する人も多い。「独立先」が小児科や産婦人科にならないのが現状。 私の年収ほどの月収を用意しても医師が確保できない? 絶対数が少ないのか、そんな報酬は「はした金」でもっと儲かるほうに流れるのか、医師免許をもちながら埋もれている人はいないんだろうか? (教員免許や保育士免許や看護師免許をもって埋もれてる人はたくさんいる) 全国でピンチが続いているとき、立ち上がってくれよ、医学部さん。こればっかりは、素人が手が出せないんだから。
2006年12月01日
コメント(0)
全国で小児科と産婦人科の医師が不足しているという。実際に、医師不足で命を落とした方もいらっしゃるのだから切実なことだ。 ところで、「医師免許」というのは「歯科医」以外は同じ免許。外科医だろうと眼科医だろうと、同じ医師免許で小児科や産婦人科の診察・治療はできないのか?という疑問。 私の頃、情けないことに自分も含め「農学部受験者の最高得点」が「医学部合格最低点」より低かったことがある。それだけ頭のいい人たちが、難関の国家試験をパスしたんだから、そのくらいのことはできるんじゃないか? ブラックジャックは何でもこなすぞ。 ブラックジャックは架空の医師だが、現実の獣医は、内臓疾患も怪我も皮膚病も一人で全科こなしている。子ども以上に動物は言うことを聞かんし、どこが痛いかも教えてくれない。おまけに、犬ネコにとどまらず、インコやら亀やらまで連れてくる。 農学部より「優秀」な医学部さんが(ひがみ根性丸出しで言うが)「人間だけ」を相手にそこまでの融通がきかないんなら、いっそ、医師免許を「外科医師免許」「産婦人科医師免許」「小児科医師免許」などに分けて、本当に産婦人科医や小児科医をめざす学生を別々に募集してはどうだろうか。(農学部には、農業土木も農芸化学も獣医も経済も園芸も水産も、別々に学科がある。教育大学でも小学校と中学校と別に募集がある。教員免許は小中高で別。中高は理科だ社会科だと免許があるが、現場で専門外の授業をしてる教員もいる) まさか、「小児科養成系」が定員割れはしないと思うが…。
2006年11月29日
コメント(0)
クロマグロの資源確保のため、漁獲枠を2割削減するという記事があった。これをみた二男(中学生)が、「1年間、マグロをがまんして獲るのを止めたらいいのに」 なるほど、別にクロマグロを食べなきゃ生きてられないわけでない。ブリでもキハダでも美味い魚はいる。(という前に、我々庶民はクロマグロなんか食べてない) 問題は、2割削減を漁獲量(重量トン)で決めた場合、予想されることとして(実際にサンマなどであったそうだが)、漁船が「枠」をいっぱいに使うために、延縄にかかった「小さい魚」を捨てること。 キャッチ&リリースならば、大きくなれよ、で放流できるが、延縄にかかったようなマグロは生きてられない(常に泳いでないと呼吸できないのがマグロ) 「もぐり操業」を摘発するのにも「全面禁漁」のほうが取り締まりやすい。もちろん、「これはキハダ用の延縄にたまたまクロマグロがひっかかったんだよ」という言い訳もあるから、禁漁地域やらいろんな手続きは伴うとおもうが、 素朴に「1年我慢する」を発想した息子はえらい! という親ばかの話。
2006年11月28日
コメント(0)
茨城県で、白菜が豊作で値崩れ対策に廃棄しているとか。(私が農学部を志したのが、こういうことがあたりまえに行われていていいの?という疑問から)ヨーロッパなみの「生産価格補償制度」があれば、豊作貧乏で食べ物を捨てる なんてことはしなくてすむはずです。 さらに、ミニマムアクセスで輸入が義務付けられた外国米が余っているのを、「バイオ燃料の原料」にするというニュース。バイオ燃料自体は、化石燃料の削減で二酸化炭素の排出を減らすのに役立ちますが、食糧として作られたものを燃料に使うのは、世界中で何億人の子ども達が餓えに苦しんでいる時にやることではない。 かつて(じつは今でも)、植民地支配によりプランテーションでの「商品作物」栽培を押し付けられた国が食糧自給できず、飢餓を引き起こしたと同じことが、にわか「バイオ燃料ブーム」によって再発しているという。 たとえば、ブラジルではサトウキビによるエタノール製造(バブルのころ「粗糖の先物取引」の勧誘電話がいやほどかかってきたことがある)が脚光を浴びているが、本来食糧を生産すべき畑を、自動車燃料のために使うのは、結果として世界の食糧供給を減らし、穀物価格の高騰による飢餓の拡大につながる…。という、「風が吹けば桶屋が儲かる」現象に繋がっています。 世界規模はともかく、少なくとも、日本でおこなわれている飢餓拡大加担政策はやめさせなければ。
2006年11月26日
コメント(2)
(聞きかじりです。) あるホスピスで。闘病に苦しんでいるお年よりの中で、「ポックリ寺というのがあって、そこにお参りしたら苦しまずにぽっくり逝けるらしい」という話題がでて、「じゃあ、みんなで行ってみよう」ということになり、バスを貸しきってツアーをくんだ。 そうしたら、帰ってきて数日後、本当に一人の方がポックリ逝ってしまった。 お葬式がすんで、残った人は、誰もぽっくり逝きたいと言わなくなり、「みんながんばって長生きしような」と励ましあって暮らすようになったとか。 「ぽっくり寺」の意味も、「前向きに生きて天寿を全うしよう」という前向きなもののはずが、「安楽死」に繋がるような伝わり方をしたのでしょうが、本来、仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、「生きること」を大切にしようというのは共通する思想だと思います。 ただ、お寺=葬式のイメージが作られているのは、お寺関係の皆さんがもっと声をあげるべきだと思います。
2006年11月24日
コメント(0)
もともと、十二支に動物の意味はなく、中国やベトナムなどでは日本と動物もちがってます。 中国の戦国時代の「日書」という文献では、たとえば「『子の日』の事件の犯人はネズミっぽいヤツ…」というような記述があるそうです。 時代背景には、「楚」の国で使われていた占いを、「楚」を征服した「秦」が「治安維持」のために使い、それっぽい犯人をでっちあげて「犯人検挙率」をあげる。さらには支配に不都合な人物を「占い」で投獄する、というようなことが考えられます。(「海でむすばれた人々」:門田誠一著 参照) 「血液型」やら「星座」やら、占いばやりの国民性は、支配者にとってはやはり好都合なんだと思います。 「○○は●●ですから△△しましょう」の主張に、「なんで?」という素朴な疑問が出ないのは、ありがたいことでしょう。 「ただの遊び」でも、悪いことに利用したい連中は何でも使うものだということは心しておかねば。 ※「これからの日本を変えていこう!」という若手議員候補者さんのプロフィールに「血液型」やら「星座」やらが「あたりまえのように」掲載されているのを見ると違和感があります。
2006年11月23日
コメント(0)
子どもが、食事の時に茶碗に盛ったごはんに箸を立てていると、「それはお葬式ですることだ」と叱られる場面を見ます。 元々は、箸を突き刺したのでは箸が倒れる。左右違いの箸は食べにくい。さぐり箸は料理が崩れる…。様々な理由があって箸のタブーが生まれているわけですが、あえて、そのタブーを犯すことで、「非日常」をもちこみ、日常の連想を避けようということから始まったのが葬式の習慣です。(したがって「たたり」や「けがれ」を言わない宗派では、そういう習慣はない) 本来の理由をとばして、葬式を連想するから、ということで箸のしつけをするのはおかしいのではないか? 葬式でやることをなぜ日常でやっちゃいけないのか? という疑問にどう答えるか。 そういう理屈では、かつての死体を扱う人々を「けがれ」として差別した時代とかわらない。(ただ、こういうことは「利権」に繋がらないから、某同和団体が問題にしたのを聞いたことがない)
2006年11月22日
コメント(0)
京都や大阪や奈良で問題になっている「同和」をめぐる不祥事。「解同」関係者は「同和行政に誤解のない運動を進める」というようなコメントを出しているようだが、素朴な疑問として、「同和地区に住んでいる人」を「同和住民」(同和行政対象者)というのか、「同和住民が住んでいる地域」を「同和地域」というのか?定義が理解できない。私には、とうぜんながら2人の親がいて、4人の祖父母がいて、8人の曾祖父母がいる(いた)。8人のうち、曾祖母1人は中学生のときになくなり、曾祖父1人は幼児のときになくなり、ほかの6人はまったく知らない。江戸時代までさかのぼれば、16人。32人…。誰がどんな身分か知る由もないが。本人が知らないものを行政が「あなたは江戸時代の『エタ』の子孫ですから同和対象です」と、ご親切に教えてくれるのが同和行政であり、「『エタ』の子孫として誇りを持ちましょう」というのが同和教育か?毎年3万人が自殺する国で、そんなことに公務員をつかうなら、もっとほかに役立つ仕事があるだろうが!
2006年11月21日
コメント(2)
根性があっても、雲には勝てん。前に土曜日に「しし座流星群」ピークがあたった年、くつわ池のキャンプ場にみんなで泊り込んで、流星が見え出したら子供たちを起こして、朝方まで「うわー!」と騒ぎまくったことがあります。断熱シートの上に寝袋であお向けで寝ころがって…。いまから思うと、ようやったわ。
2006年11月19日
コメント(0)
この時期、「しし座流星群」が見られます。8月の「ペルセウス座流星群」にくらべて、外が寒いので、空を見続けるのはたいへんですが、ことしは、月の明かりに邪魔されずに観測しやすいそうです。私はパスしますが、根性のある方はぜひ。
2006年11月17日
コメント(0)
衆院で強行採決された「教育基本法改正案」で、ことさら強調されていることばが「伝統と文化」。(これが「愛国心」に結びつく流れなのだが)そもそも、いま「伝統」といわれているもので、明治以降に「押し付け」で始まったものが多い。(戦後には根拠を失ったものが大半)明治以前の年号は「壬申の乱」や「戊辰戦争」というように「干支」が使われており、天皇制に基いた「元号」は伝統的に使われていない。もちろん「君が代」が行事で歌われる伝統もない。レベルは「迷信」とかわらない。「喪中はがき」は、郵政省が年賀郵便をはじめる前にはありえないし、「友引」に葬式をさけるのも土葬の時代にはなかった。「○○家之墓」も、明治以前にはそもそも「○○家」が庶民にはなかった。「家制度」は、封建社会で家来になる人々だけのもの。「千年の都」といわれる京都ではぐくまれた、長い伝統文化が「まちこわし」で次々に破壊されている中で「明治伝統」だけが「日本の伝統」だという、京都出身の伊吹文相。「日本史」も履修不足だぜ。勉強しなおして来なさい。
2006年11月16日
コメント(2)
先日なくなった、ポール・モーリア氏のニュースで、某TVアナウンサーのことばが「心よりご冥福をお祈りします」ご冥福は祈らんぞ。ふつうのフランス人は…。「冥福」の意味も知らずに勝手に祈ったら失礼やろ…。(11/12「お葬式クイズ」参照)例の世界史履修不足問題で、履修した生徒を「正直者が馬鹿をみないよう…」という扱いの伊吹文相。世界史を履修するのは損なことなの? 履修できなかった生徒のほうが気の毒だと思うけど、「意欲に(1492)燃えたコロンブス」「アヘンはイヤヨー(1840)アヘン戦争」などと、年号覚えに終始する授業では履修した生徒が可哀想ともいえる。冥福も、アヘン戦争も、意味を理解してこそ。コロンブスがアメリカを「発見した」などという思い上がった歴史観も、ぼやっと見逃してはいけない。
2006年11月15日
コメント(0)
不払いが続出している受信料の「義務化」が検討されているという。NHKの「公共性」は認めるが、いったい「公共」とは何だろう。実施が決まっている「地上波デジタル化」で、いまのTVは使えなくなる。TVを見たけりゃ買い替えるかチューナーをつけろ、という。いったい、こんな「公共機関」が存在するのだろうか?かつて、NTTドコモがデジタル化したとき、アナログ電話機は無料で交換してくれた。かつて、大阪ガスが「天然ガス」に変わった時、無料で6C→13Aに器具の調整をしてくれた。(マッチ点火のオンボロ器具を使っていた下宿には、チャッカマンまで貰いました)ドコモや大阪ガスという営利企業でさえ、「公共」をうたう以上は、「いままで使えたものはそのまま使える」ことを保障するのがあたりまえ。NHKも(双方向だとかいう高レベルの機能は自分で選ぶから)「とりあえず大相撲が見られる」だけの保障はしてくれて当然ではないか?
2006年11月14日
コメント(0)
1:弔問の際の不祝儀袋の表書きは『御霊前』にしておけば、宗派にかかわらず無難である。2:弔電の言葉は、『謹んでご冥福をお祈りします』が、宗派にかかわらず無難である。3:香典袋の表書きは、筆ペンでも『薄墨色』を使うのがマナーである。4:位牌がないのに仏壇を買うのは、誰か亡くなるのを待つことになり、失礼にあたる。5:『友引』の日に葬式を避けるのは、仏教の考えから来ている。6:遺骨は、許可を得て『散骨』をするのでなければ、必ず埋葬しなくてはならない。7:仏式では、『喪中』の期間は1年で、『忌中』の期間は49日である(正しいと思うものに○、間違いだと思うものに×をつけてください。)
2006年11月12日
コメント(2)
この夏の国際天文学会議で、冥王星の『惑星からの除外』が決定されました。昔から、教科書にもなじみの惑星でしたが、私の高校生時代から『惑星といえるのか?』という論議はありました。 決定の『決め手』は、最新の望遠鏡や宇宙探査機によって発見された、『新天体』。冥王星より大きい『小惑星』などの扱い。ぜんぶ(いま発見されているので全部という保証はない)格上げするか、冥王星を外すか。 ちゃんとした基準を設けて、その物差しで計ったら、冥王星を惑星と認めたのでは矛盾が起きる。 この理屈は非常に明快です。(教科書の書き換えなどというのは細かいことで、名前よりも太陽系とはこういうもんだという根本の説明が本来の役割) 同じ理屈を身のまわりに当てはめてみましょう。 憲法で保障された『最低限の健康で文化的な生活』。片や、自ら犯罪を起こして投獄されながら、米兵は毎日(日本の『思いやり予算』で)ステーキにデザートが付く食事をしている。(参議院法務委員会にて井上さとし議員の指摘)片や、何も悪いことをしたわけでないのに、生活保護費のカットで、鯖の切り身を三日に分けて食べてる日本人(学資保険裁判の原告)何を『最低の基準』にするか、きちんと示してもらえば、犯罪者の方が優雅な食事をしてる現実は矛盾するはず。 この単純な理屈がわからない(わかっているが認めない?)のが、わが日本政府。これに『愛国心』を持て、というほうがおかしい。 ちなみに冥王星の名前(プルトー)が、原爆の原料の『プルトニウム』の由来です。暗黒の彼方の未知の惑星と、自然界に存在しないはずの放射性元素。仲間といえば、お似合いの仲間かもしれません。 こういう物騒なものも、冥王星とおなじく「除外」したいものです。 さらにおまけ。「冥王星外し」に最後まで反対したのはアメリカの委員。理由は、「9惑星」のうち、アメリカ人が発見した唯一の惑星だから。大国の横暴が通らないのが学術の世界。(…のはず)
2006年11月11日
コメント(2)
全1542件 (1542件中 1501-1542件目)