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まっすぐな道 発達障害とともに(5)
必要としてもらえてる
中学校の教壇に立った2年余りのことを話す時、
真依子さん(26)は少し寂しそうな笑顔を見せる。
「これまでで、いっちばん輝いてた」
2008年春、大学を卒業して教師となった。
初年度は2年生のクラスを担任。
翌年度も、
3年生となった同じ学年のクラスを担任した。
バスケットボール部の顧問も務めた。
広汎(こう・はん)性発達障害の診断はまだ受けていなかったが、
大人は何を考えているかよくわからず、
怖さを感じることも多かった。
一方、子どもの感情はストレート。
生徒とは同じ目線になれた。
部活の生徒らの悩みに真剣に耳を傾け、本音をぶつけた。
「必要としてもらえてるって感じがした。
私の感情の起伏は中学2年と一緒ぐらいなんだと思う。
3年になると、本音と建前を使い分けるところは抜かされてたし」
失敗もあった。
2階の教室の窓をふく生徒に、
外側の出っ張りに立つことを許可した。
先輩教師に「危ない」と怒鳴られた。
いま考えれば、発達障害の特性である想像力の未熟さが原因だった。
大雨の朝に教室の窓を全開にしたことや、
職員会議がある日にいつも通り掃除をしていたことも。
いずれも「習慣だったから」。
優先順位が違うと怒られても、何を優先すべきかわからなかった。
「すべてを出し尽くした」2年間だった。
だがその2カ月後、真依子さんは教師を続けられなくなった。 (朝日デジタル)
■生きづらさ 理由知った
中学卒業目前の学級通信「10年後の私たち」に、
真依子さん(26)はこう書いた。
「笑顔いっぱいの教師になりたい」
中学時代の恩師は、厳しいけど何でも丁寧に教えてくれた。
自分もそうなりたかった。
だが、それから11年後。
真依子さんは中学校の教師を辞めた。
教師となって赴任した中学校にたまたま勤務していた恩師が、
3年目の春、転勤した。
困ったときに相談する相手がいなくなった。
毎朝のように、締め付けられるような頭痛に襲われた。
2カ月後。
「もう面倒なことを考えたくない」。
死にたくなって、家にあった向精神薬26錠を全部飲んだ。
病院に運ばれた。
休職届を出すため、診断書をもらった。
「広汎性(こう・はん・せい)発達障害に伴う抑うつ状態」。
初めてはっきりと、自分に障害があることを知った。
24歳だった。
ほっとした。
「生きづらさの理由がやっとわかった」
教壇に戻るため、3度の復職プログラムを受けた。
でも、失敗。職員室や教室が怖くなった。
陰口をたたかれているような気がした。
1年10カ月休職し、教師を続けるのをあきらめた。
昨年11月、2年間担任した女生徒から手紙が来た。
「社会人になります」。
担任当初は殻に閉じこもりがちだった彼女と、
「生活ノート」で何度もやりとりした。
卒業のとき、別人のように明るく笑えるようになっていた。
「辛かったとき、先生だけはちゃんと見てくれて、
受け入れてくれて、ほんっとにうれしかった」
やっぱり、先生に戻りたい。
「いまは力を蓄えるとき。
戻ろうとしても、理想と現実のギャップに苦しむじゃろうけど」 (朝日デジタル)
私も一度は教職の道を目指し、
大学時代に母校へ教育実習へ行きました。
凄まじいエネルギーを貰うと共に、
やはり常に試されているという視線、
教壇に立つには、
それだけの勇気と心構えが必要なんだと思います。
生きている以上は合う、合わないは、
人間関係、仕事でもついてまわります。
いかに自分のしたい仕事と、
その環境が整うかは、
皆誰もが共通して持ち合わせた悩みでしょうね。
診断を受けて、
また新たな道を真っ直ぐに歩んで欲しいです。
昨日アップした記事の続編2つをアップしています。
お正月気分もすっかり抜けた週末、
今日はセンター試験、全国的に良い陽気のようです。
裕大は、久しぶりに今夜は、井の頭はうす、
宿泊支援です。![]()
