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2024.11.08
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テーマ: 自閉症(498)
カテゴリ: 自閉症関連





自閉症の姉を持ち「発達専門」の小児科医になった女性 
自分の子にも“発達特性”が発覚し決断した「新たな道」



姉が最重度自閉症 だったことがきっかけで、
発達専門の小児科医になった女性がいる。

自閉症への理解がまだ進んでいなかった時代に、
妹としてさまざまな「悔しさ」を感じ、
医師を志して夢を実現させた。

だが今度は、
自身が出産した長男に発達特性があることが発覚する。

現実が受け入れられず、泣きじゃくった日々を経て、
女性は医師として
当事者の母として「新たな道」を歩み始めた。


発達専門の小児科医・西村佑美さん(42)。

仙台市に育った西村さんは、
2歳年上の姉が最重度自閉症だった。

 時代は昭和で、インターネットもない情報不足の世の中。

自閉症への理解もあまり広まっておらず、
逆に「親の育て方が悪い」「愛情が足りない」
などの偏見にさらされることもあった。

西村さんの母親に注がれる視線も、例外ではなかったという。

「大変なお姉さんを持った、かわいそうな妹」

「不幸な家族」

 西村さん自身も、
周囲の大人たちに勝手なレッテルを貼られた。

本人の思いは、真逆だったにもかかわらずである。

「生まれた瞬間から姉と一緒ですから、
私にとってはすべてが当たり前のことでした。

自分がかわいそうだなんて思ったこともありません。

会話はできませんが、
姉はいつも自由にふるまって、キラキラしている。

母が私より姉に目をかけるので、
姉をうらやましいとも感じていました」

 それでも周囲の大人たちは、
「話しても何も分からない子ども」

だと決めつけ、
赤ちゃん言葉で姉に話しかける。

 言い表すことのできない「悔しさ」
を感じていた西村さんだったが、
そこはまだ幼い子ども。

大人たちから、
姉は普通の人とは違うんだと刷り込まれるうちに、
思春期に入ったころには、西村さん自身も
「姉は自分とは違う存在」
と思うようになってしまっていた。

「障害当事者と家族に、寄り添う医師になりたい」

 そう決意したのは高校2年の時のことだ。

 姉が暴れないように、主治医は鎮静剤を処方していた。

眠気が強く出るため、
姉が鎮静剤を嫌がっていると感じた母は、
主治医に治療法を変えるように願い出たが、
聞き入れてもらえなかった。

 キラキラさを失った姉と、
娘を守ることができず
「情けない」
と何度もこぼして苦しむ母の姿を、
目の当たりにしたことがきっかけだった。


■姉はどれほど悔しかっただろうか

2年の浪人生活を経て、医学部に合格。

2011年には大学病院の小児科で勤務を開始し、
発達障害​
の診療について学び始めた。

 自ら選択した道を突き進んでいた西村さんだが、
その時、予期せぬ現実に直面する。  

すでに結婚していた西村さんは、
12年に第1子となる長男を出産した。

その長男が1歳半のころ、ある事実に気が付く。

 言葉の発達が遅い。

自分と目を合わせない。

他の子どもより動き回る……。

医師として、
長男に自閉症
の特性があることを認めざるを得ない状況。

だが、その一方で、ひとりの母親として、
簡単にその現実を受け入れることはできなかった。

「当時の自分がどんな様子だったのか、
まったく思い出せないのですが、夫に聞くと、
寝ている長男のそばで毎日泣いていたそうです」

 だが、そんな西村さんに転機が訪れる。

ひとつは発達支援をする臨床心理士に、
長男への接し方を学んだことだ。  

ほめ方や、叱り方などについて、
使う言葉や態度を少し変えてみるだけで、
長男は驚くほど変わっていった。

できることが増え、
かんしゃくを起こす回数も減った。

 もうひとつは、
重度自閉症の日常をつづった本がベストセラーになった
作家・東田直樹
さんの存在を知ったことだ。

 東田さんは会話はできないが、
文字盤を使って意思表示ができる。

その事実に、西村さんは大きな気付きを得た。

「接し方を変えただけで
成長した長男もそうですが、
言葉を話せない=なにも分からない、
では決してないんですよね。
話せなかったり、
体が上手に動かなくて
意思表示ができないだけで、
ちゃんと分かっているんです」

 思えば、姉こそがそうだった。  

違うと思っていても、言葉で表現できない。
身ぶりでも伝えられない。

主治医から処方された鎮静剤も、
嫌だったけど、伝えられなかっただけではないのか。  

「勝手に『話しても何も分からない人』
にされて、
姉はどれほど悔しかっただろうか。
分かっていることを分かってもらえなくて、
絶望していたんじゃないだろうか。
妹なのに、
そのことを理解してあげられなかった自分自身にも、
悔しさを覚えました」


■「ママ友ドクター」としても寄り添いたい

 その後、
都内の大学病院の小児科で
発達専門外来を担当するようになったが、
当事者の母でもある西村さんは、
次第にジレンマを感じるようになった。

医師は患者のプライバシーに立ち入らない
という​不文律
があり、
診察室で当事者家族と向き合うだけでは、
抱える不安に寄り添いきれていないのではないか。

 専門医として、同じ当事者の家族として、
今よりもっと寄り添いたい――。

医師を目指すことを決意した「原点」への思いが、
さらに強くなった。  

 20年、3人目の子どもの産休に入ったことをきっかけに、
診察室から“旅立つ”決心をする。

自らを「ママ友ドクター」と名乗り、
発達障害
などの子を持つ母たちに寄り添う活動を始めた。  

オンラインや対面で、母親たちとつながる。

「ドクター」ではあるが、医療行為はしない。

専門医として培ってきた知見を生かし、
子育ての仕方についてのアドバイスしたり、
子供が診断を受けていない場合、
受診する必要性の有無を判断し、
信頼できる医療機関を紹介したりするなど、
対応する幅は広い。

「専門医であり、当事者家族でもある自分だからできる、
新たな発達子育て支援サービスをつくる」。

それが西村さんの目指した形だ。

今年10月には
「日本小児発達子育て支援協会」
として社団法人化し、
代表理事に就いた。

 当事者の母親同士は、
初対面でも打ち解けるのは早い。

普段は言えない思いを吐露
し、涙する母親もいる。

西村さんが大切にするのは、
そんな母親の不安に寄り添う姿勢である。  

向き合っている母親が、
何に一番苦しんでいるのか、ていねいに話を聞く。

彼女たちが抱きがちなネガティブな思いを、
前向きな言葉に変換して、視線を上げてもらう。

どうしていいのか分からない、
という不安の壁を少しずつ崩しながら、
一緒に前に進む道を模索する。

 発達特性のある子どもを育てる親は、
より大変なことが多い。

それでも、西村さんはこう話す。

「長男は言葉の成長が遅かったですが、その分、
私に口答えするようになったことですら、
涙が出るほど感動するんです。
私たちの子育ては、とても大変だからこそ、
ほんの小さな成長にめちゃくちゃ感動できる。
大変さに、お釣りがくるくらいだと感じています」  

同じ当事者の母として、なによりも伝えたい思いだ。


AERA dot.


​【YAHOOニュース】​






兄弟児さながらに生きる人生もまた、

輝いていて素敵ですね。









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Last updated  2024.11.17 16:45:09
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