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いやあ、今回のエントリーはですねえ、書いて良いものかどうか、大変、非常に、すんごく悩んだんですよ。もうね、今年で四十ウン歳にもなろうかと言う、既婚の薄毛のおっさんがですね(今日はずっとおっさんでいきます)、こんなんで良いのだろうか?こんな事で会社は安泰なのだろうか?という、そんなグループをご紹介しようかと・・・。(なんのこっちゃ?)しかもマニックスの後に、これかよっ!みたいな・・・。だってね、グループ名がBRIGHTって言うんですもん(←可愛く言ってマス)あ、ちなみに、最近この<可愛く言ってマス>っつーのが、しげどんと勝手に流行ってます・・・・・。えー、そんな事はどーーーーーでもよくてですね、ABをご覧の方々なら、もうお分かりかと思いますが、ここのサイト名は当然ながら、AnotherBrightですね、はい。で、おっさんの会社名が英語表記で、BRIGHTなんすよ。もうちょっと前後に色々英語でくっつきますが、さすがに全部は全部ここでは書けないので・・・ポリポリ。そんな訳で、イヤでもBRIGHTって言葉に反応してしまうわけですな。決してデコがBRIGHTとか、後頭部がBRIGHTとかそういう事で反応している訳ではないのです!!(キッパリ)しかし、書きながらも、まだ、このおっさん迷ってます・・・。どっかから石が飛んでくんじゃねーかとか、「お前って奴は・・・」みたいなたくさんの溜息が一つの固まりみたいになって、それが嵐みたいになって、おいらの貴重な髪を吹き飛ばしてしまうんじゃねーか?とか・・・・ウーム、ウーム、ウーム。ええいっ!おっさんも男だ!書いてしまえっ!って事で本題です。本日、ご紹介するのは、女性4人のアカペラグループです!!って書くのは、ちょっと<大袈裟>という日本古来の言葉が枕となってしまうのですが、一応そう書いておきます。さて、彼女達、今年の、ついこの間の1月16日にかのAVEXからメジャーデビューされました。はい、おめでたいですね。そして、おいら、うっかり、このBRIGHTのCDを購入してですね、それが先ほど届きました、はい。うれしいですね、はい。何でもCDが届くのは嬉しいです、はい。んでっ!この女性4人のグループの超簡単なプロフィールを書くと、メンバーがNAGI 1990年生MI-MI 1990年生MEG 1991年生NANAKA 1992年生きえーーーーーーーっ、全員平成生まれかよっ!!16歳と17歳と18歳ですかっ!!女性っつーか、ギャル?(死語)、っつーか、おっさんからしたら娘?ヒュッ!あ、ごめんなさい、誰か石投げました? (だんだんみゆパパみたいな文体になってきたな)あのー、決しておいらが、若くて、可愛くて、スタイルのいいおねーさんが大好きだからっ!!って事で、紹介してるのではないのですよっ!(キッパリ)〇_ / ∠ (←新バージョン)すいません・・・・ あたくし、嘘をつきました・・・・。若くて、可愛くて、スタイルのいいおねーさん、大好きです!!(奥さん、ごめんなさい)そして、BRIGHTのみなさまのご尊顔がこちらデレーーーーーーーーーーーー、、、、 か、かわええ~~~~~~~。失礼しました。もうね、おっさん、おとーさんの気分ですよ、はい。最近は、若いと言うだけで、可愛く見えてしまいますな。完全にオヤジの領域に突入しております。あ、誰ですか?エロ禿とか言ったのは?どこを、どーして、このグループを知ったのかと言いますと、おっさんが良く聞いております和田昌哉さんと言うアーティストがいらっしゃいます。この和田さん、近日中にご紹介しようと思ってはいるのですが、彼がソングライティング及びヴォーカルレッスンを含めたスーパーバイザーをしているからなんですね。和田さんの書く唄を若い女性4人がどう唄うのかな?と興味があったんですね。そんな事でもないと、なかなかAVEX系の若い女性アーティストを知る機会は多くはないので。まあ、和田さんご本人のアルバムもAVEXから出てますし、もともとデビュー前から、同じレコード会社系のアーティストに楽曲を提供していた方なんで、ここからデビューするBRIGHTに楽曲提供するのも自然な流れなのはわかります。ただなあ、和田さんもなあ、とうとう、モー○とかAK○4○みたいな学芸○のお手伝いすんのかいな?それってどーよ?と辛口にも思ってたのですが、これが、結構違ってましたんですわ。和田さんをご紹介しようと準備の為に、音源探してましたら、BRIGHTさんもセットで表示されてましてね、「ああ、これが次に和田さんのプロデュースするグループね」と思って見てみたら、これがなかなか皆さん歌唱力がありまして・・・。まず、おっさんがうっかり最初に見てしまった音源を、ご覧になりませんか?一般のファンの方が撮影したらしく、映像も音声もグダグダなのですが、耳の良い角輪のみなさんなら、すぐに「あら♪」ってなると思いますよ。♪♪♪ Joyful Joyfulどうして、どうして、皆さんお若いのに、かなり頑張ってらっしゃいますよねえ。まあ、この曲は角輪のみなさんもご存知の通り、ゴスペルの名曲ですね。第九の4楽章主題をモチーフにアレンジされたもので、「天使にラブソングを2」で、メインサウンドとして使用された楽曲です。本場のクワイヤーが、さんざんカヴァーしたり、レコーディングしているので、そちらに馴染んでる方々には、思いっきり軽~く聞こえてしまうでしょうけど・・・。しかし、これってカラオケ世代の特徴って言うんですかね?とにもかくにも、例えゴスペルの表っつらをなぞっているとしても、ここまでまとめてしまう訳ですし、4人が4人ともリードが取れるのは、見事やなあと素直に思っております。これから、数多くのステージ経験や歌い込み次第では、かなりイイ線に行けるグループなのではないかな?と。そう、何故に彼女達を ご紹介しようと思ったかと言えば、そこに「可能性」を感じるからなんだと思います。そして、今日届いたデビューミニアルバムと言うのを聴いてみました。感想は後ほどと言うことにして、そのアルバムのタイトルトラックがこちらです↓♪♪♪ Brightest Star_| ̄|○アチャー、やっちゃいましたよ、そっち方面に行っちゃいましたか・・・・ってのが、最初の感想です。やっぱAVEXになっちゃいましたねえ。っつーか、和田さん、もうちっと何とかならなかったっすかね?笑これだと、解散したSPEEDの皮をかぶったBOAちゃんになっちゃってませんか?これだと、安室ちゃんでも、安良城ちゃんでも、CEYRENでも、DREAMでも、日之内絵美さんでも、極端な話、EXILEに唄って頂いても良いって感じになってしまいませんかね?笑何かもったいないなあ。小節ぶった切りのリレーではなくて、彼女達にしか出来ないコーラスワークをもう少し全面に押し出すとか、アカペラチックなOVERTUREの様なものを曲の中でクロスフェードして頂いたりするとおっさんのハートを鷲づかみにして頂けるのでは無かろうかと・・・。んで、全6曲の中では、やはり和田さんの作曲している3曲が、そこそこ行けるなあという印象です。さきほどのBrightest Starも和田さんの曲でした。ただ、よーくライナーみるとエグゼクティブ・プロデューサーに、松浦さんのクレジットが・・・・_| ̄|○やっぱ、社長がからんじゃってるのね。んだもんで、このサウンドでGOが出ちゃウンでしょうな。(←完全な憶測です)社長さん、そろそろ、現場にお任せにした方が意外とイイものが生まれたりしませんかね?笑デビューしたての方々に、いちいちウザイ小言を書いてはしまいましたが、これからの彼女達の成長っぷりと言うのは、遠~いところから、そっと注目してみたいです。歌詞も書けて、ダンスも上手くて、唄も上手。若いし、可愛いみなさんだし、キラッキラで、ピッカピカでおっさん羨ましいです。でも、おっさんも、若いみなさんに負けないパワーで頑張りますわ。おっさんだって、アナタ方に負けないくらいピッカピカですからっ!そして、何てったって、同じBRIGHTですから♪
2008年01月25日
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Vol.1からの続きです。デビューから様々な物議を呼びつつも、着実にバンドとしての評価、そしてアルバムの売り上げを順調に高めていったマニックスに、もう一つの転機が訪れたのは、メジャーデビューから約4年が経った頃でした。いよいよ世界ツアーに乗りだそうとしていた時に、バンドの中心人物でもあったリッチー・ジェームスが忽然と姿を消します。現在でもその生死は確認されておりません。この前年あたりから、リッチーが強度の鬱病に悩まされていたという風に言われており、精神状態が思わしくなかったのは確かだと思いますが、幼少の頃からの友人でありバンドメンバーが突然いなくなってしまった事実は残されたメンバーにどれほどのショックを与えたか想像に難くありません。当時、かなりの規模で捜索が行われたそうで、自宅のアパートに寄った形跡や滞在していたホテルから数キロ離れたガソリンスタンドで、リッチーが運転していた車が見つかったりと、かなり手がかりはあったらしいのですが、リッチー自身が見つかる事はありませんでした。リッチーのご家族やバンドのメンバーもテレビなどのメディアを使って目撃情報の提供を呼びかけたりもしたそうですが、それでも結果は変わりませんでした。イギリス政府は認定死亡をご家族に打診していたそうですが、未だにご家族はこれを固辞しているようです。当然でしょうね。そして、マニックスも彼らの活動による印税を今でもリッチー分は、ちゃんとご家族に提供しているそうです。ステージ上でも向かって左側がいつも空いています。残された3人は、いつでもリッチーが戻って来れるように、そして戻って来ると信じているのだと思います。リッチーの失踪後、バンドは解散が検討されるのですが、リッチーのご家族の意向も強く、失意の中、バンド活動が継続されます。そして、そこで発表されたアルバム「Everything Must Go」が、UKチャートで2位にランクされます。が、これも、失踪騒動がアルバムの売り上げに一役買ったと揶揄される事に・・・音楽性がどこまで高まっても、デビュー時に背負った十字架をマニックスはなかなか降ろす事が出来ないのです。しかし、それでもバンドは止まる事をせず、曲を作り、ライブ活動に精力を注ぎ、そして5thアルバムの「This Is My Truth Tell Me Yours」で、遂にUKチャート1位になるのです。リッチーが失踪してから約3年後の事になります。3人になってからのアルバムが1位になってしまうのも、このバンドの皮肉な運命なのかもしれません。♪♪♪Everything Must Goバンドとしての地位を不動のものとしたマニックスは、その後、音楽的には、さらに洗練されたメロディへ、そして歌詞だけは、以前と変わらず、或いは以前よりもさらに反体制的、政治的な色合いを強めていきます。象徴的なのは、キューバでライブだったのではないでしょうか?アメリカと敵対するキューバで、初めてのヨーロッパ圏バンドのライブを行った事で、かなり話題になりました。カストロ議長が臨席した事でも有名です。それにしても、反アメリカの急先鋒の国家に乗り込んでのライブというリスクは大きかったのでは無いか?と思うのですけどね。結局ライブは大成功に終わり、さらにマニックスの名を浸透させるのに一役買った事は間違いないでしょうね。昨年も新作をリリースしたマニックス。これからも、熱い信念と固い結束力で、まだまだ突っ走って欲しいバンドです。恐らく突っ走ってくれるでしょう。洋楽に限らず音楽の聴き方って、色々あると思います。メロディ重視だったり、歌詞重視だったり、ルックス重視であったり、アーティストの性格に惚れてって言う人だっていらっしゃると思います。どんな聴き方であっても、聴いている本人が楽しめるのが一番ですよね。人それぞれで良いと思っています。おいらの場合は、発表される楽曲にのみ、注目して聴く事が多いですな。特に洋楽は歌詞の意味が最初はどうしても分かりませんので、自然とメロディ重視になります。歌詞も知らず、音がカッコイイと、「これ、いいよ、いいよ」と聴く事が多いのです。が、マニックスの場合は、メロディの良さで惹かれた部分は大きいのですが、やはりその歌詞に潜むポリシーや心の叫びに惹かれてしまうのです。正直言って、翻訳詩を読んでも難しいんですよ。何回読んでも意味がわからない歌詞も多いのです・笑それでも、もしかしたらこういう事かな?と思いながら聞くのもまた楽しいのですわ。そして、デビューからこれほどの紆余曲折の歴史を持ったバンドと言うことを知ってしまうと、これまたちょっと聴き方に思い入れが加わってしまうのですね。何か、頑張れと応援したくなってしまうのです。ジェームス達にしてみれば、「大きなお世話だ」と言うに違いないでしょう・笑「お前に心配されなくたって俺たちは俺達だ!」とも言うに違いありません。そんな、とんがったまんまの奴らをこれからも応援したいkadoなのであります。いやあ、一つのバンドを2回に分けて、たどるなんつーのは、AB始まって以来っすかね?長々とお付き合いありがとうございました。それでは最後の最後に、解散すると言って解散できなかったデビューアルバムから、「Motorcycle Emptiness」で、今日はお別れです・笑 もしかしたら、この曲、サビだけは、みなさんもご存知かも知れませんよ~。そして、プロモの撮影場所も・・・・笑♪♪♪Motorcycle Emptiness
2008年01月22日
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おいら、頭も寒いヤツなのですが、外も寒いですなあ。本格的に冬っぽいっすねえ。さ、そんな寒々しい毎日ですが、コメント欄も寒々しくしてしまいそうなバンドをご紹介・爆と言うのも、パンクバンドなんで・・・・笑。やっぱり角松ファンのみなさんは、何十年も角松さんを聴いていてその関係で、AOR系や、R&B、ソウルっぽい音楽、さらにはフュージョン、スムースジャズを聴かれる方が多いなあと、おいらの人脈で見るとそう感じる事が多いのですが、如何でやんしょ?おいらも、ご多分に漏れず、そのあたりは大好きで良く聴いている訳なんですが、それにプラスして、ハードロック、ヘヴィメタル、スラッシュ、ハードコアパンク、スクリーモとかいったジャンルが大好きなんですわ。あとテクノ・ハウス系もOK!なのです。でも、どんだけ、色んなジャンルを聴いていて、それらの音楽が好きでも最終的に君臨してるのが、角松敏生ですから、やっぱり彼は凄いのです。笑そういった様々なジャンルを聴く事がまた角松さんを聴く時の勉強と言うか参考にもなるなあと勝手においらが思っているのです。大袈裟に言えばおいらの「角松への道」だとでも思って、お付き合い頂けると嬉しいです。そんな訳で、今年はみなさんに馴染みの薄い(毛じゃないよっ!)音楽をご紹介する事が多いかもしれませんが、ちょっとでも気になるバンドやアルバム、メロディがありましたら、大変嬉しいです。さ、そんな訳で、タイトルのManic Street Preachersです。(以下マニックス)カタカナ読みだと、マニック・ストリート・プリーチャーズと読みます。現在では、イギリスを代表するロックバンドで、メジャーデビューは1992年。今年でメジャー16年目のバンドですね。もう大御所に近いです。メンバーは4人(後に3人なのですが、後述します)Vo,Gt ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドBa,ニッキー・ワイアーDr,ショーン・ムーアGt,リッチー・ジェームス全員が小学生の頃からの幼なじみで構成された仲良しバンドです。みんなもう、39歳~40歳で、ちょうどおいらと近い世代のメンバーです。まずは、例によって、このバンドの素晴らしい所を申し上げますと、非常にシンプルで美しいメロディを紬ぎ出すバンドだと言う事です。パンクバンドという扱われ方をするのですが、確かに初期はゴリゴリの疾走感あふれるラウドサウンドもあるのですが、それよりは歌詞の内容が反体制であったり、世の中の不条理であったり、人種差別を唄うためにパンクバンドと言われる事が多いのです。とにかく逸話に事欠かないバンドで(全て実話なんですけどね)、本国イギリスでは、「全英で最も嫌われたバンド」の称号をマスコミから頂戴し、長くそのレッテルを背負う事になります。何故か?まず、彼らの最初のシングルが大問題だったんです。インディーズレーベルから出した「MOTOWN JUNK」と言う曲の中で、彼らはこう唄います。「ジョン・レノンが銃殺された時は笑ってしまったよ。21年間生きてきた俺にとって何の意味も持たなかったんだ」ひえーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!これはマズいっしょ?笑。すんげー、マズいっしょ?しかもイギリスで・・・・笑マズいのではありますが、ジョンが亡くなったのが彼らが10歳前後の時。これは世の中がどれほど悲しみに暮れたとしても、その偉大さを分からない彼らにとって何の意味も持たないというのは、自分が10歳の時の偉人の死を考えれば分からなくもないのです。本当の意味でのジェネレーションギャップですな。ただ、その後10年ちょっとかかって彼らがデビューするにあたり、もうそのジョン・レノンについて、ビートルズについての素晴らしさはわかっていたハズなのに、この歌詞ですわ。パンカーって正直なのね・・・。もう賛否両論渦巻くのは間違いないですわな。ただね、このシングルは、インディチャートで一位になっちゃうんですよ。爆ここが、音楽のわからない所です。やっぱり彼らに共感してしまう世代というのも多くいるわけですよ。いつまでもビートルズの呪縛から逃れられない大人達をあざ笑う若い世代だっていると言うことです。そして、このインディチャート1位の実績を引っさげて、メジャーデビューの準備が整う訳ですが、ここで、ロック史では有名な「4REAL」事件が起こります。これは、ヴォーカルのジェームスが「30曲入り2枚組のデビューアルバムをチャート一位にして、俺たちは解散する」と宣言する事に始まります。(あーあ、言っちゃった、言っちゃったよ・・・)で、これがイギリスでは大々的に報道され、このマニックスのデビューアルバムがどこまでの順位になるかに人々の注目が集まります。これまた、本人達の意志とそれを理解しない大人たちの間で物議を醸す訳で、その宣伝のやり方に異を唱える音楽誌NME誌の記者がさんざん侮蔑の言葉を浴びせかけると、それに業を煮やしたギターのリッチーがそばにあったカミソリで、自分の左腕に「4REAL」(俺たち4人は本気だ)と切り刻み、17針を縫う大けがをするのです。その時の写真もネット上には、山ほどあるのですが、あまりにエグいのでここでは載せません・笑で、そのアルバムの順位はどうだったかと言うと、惨敗です・・・・。英国本国ではチャート13位、アメリカビルボードでは確か100位にも入らない状態でした。それでも新人バンドのしかも2枚組アルバムとしては、立派なもんだと思うんですけどねえ。まあ、ご想像の通り、マスコミも一般ピーポーも「それ見たことか」「ざまあみろ」のオンパレードっすよ。まあ、仕方ないっすね。だって、普通に考えたって、デビューする新人バンド、しかもパンクバンドが全世界で一位をとって解散するなんて無茶ですわ。ただなあ、ちょっと分かる気がするんですよ、これ。試合前の格闘家が負けること想像しながら試合に臨むなんて事をしませんもんね。夢はでっかく持った方が良いって、普通にみなさん言いますしね。さあ、そこで、惨敗したジェームス達はバンドの真意を*「解散宣言撤回声明」という形で世に発表してバンド活動を続けます。この内容もまたあれこれ言われるのですが、確かに「言い訳」なのかも知れないのです。そりゃあ、無様でみっともないのですが、これが出来る所に、このバンドの大物への布石があったと言っても良いのかもしれません。やはり本人達にしかわからない事がある訳で・・。この事件のおかげで、デビューにしてすでに「マイナスの十字架」を背負って音楽活動を続けないといけなくなったマニックスですが、この「マイナスの十字架」が彼らの内なる叫びとなって、この後に様々な名曲や名アルバムが生み出されます。が、ここでまた一つの大きな事件が起こります。その前に、もう文章長いんで、一曲彼らの曲を聴いてみませんか?これは4年前に出された「LIFEBLOOD」という最近のアルバムからですが、Empty Souls行ってみよう!♪♪Empty Soulsかなり後半の楽曲ですが、大人になった彼らの音、上手いですねえ。さて、もう一つの事件ですが、解散を撤回してから、世の中に嘘つき呼ばわりされつつ、彼らは着実にアルバムをリリースして行き、結果、デビューの13位の後、8位、6位と着実に実績をあげ、その音楽的評価が徐々に高まりつつありました。そして、いよいよ全米でのツアーを始めるぞと言う時に、バンドのヴィジュアル担当でもあり、何よりその唄の世界観を創出する歌詞を担当していたギターのリッチーが失踪します。滞在していたホテルの部屋に荷物一式と「I LOVE YOU」のメッセージを残して・・・。♪♪The Evarlasting----------------------------------------------------------------------------*解散宣言撤回文を別記しておきます。ご興味のある方はどうぞ。(Wikiから転載)Vol2へは、こちらから
2008年01月21日
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もう、既に、みなさんもご存知の事と思いますが、昨年12月18日に、私の大好きなギタリスト:宮内和之さんがガンのため亡くなりました。43歳という若さでした。5年もの闘病生活だったのですが、昨年10月にはベストアルバムやニューアルバムと立て続けに発売されたのですっかり回復傾向にあるんかな?って喜んでたんですよ。そろそろ彼のバンドを紹介してみようと思っていた矢先の出来事で、最初は何が何だか判らず本当にショックでした。年末のドタバタとお正月のめでたい時期もあって、なかなかご紹介出来なかったのですが、おいら自身もこの件では、落ち着いて来たので、ご紹介しようと思います。彼は多くのプロアーティスト、特にギタリスト達からアニキと呼ばれていたので、おいらも文中は僭越ながら、アニキで書こうと思います。それと、今回は音源もなるべく多めにご紹介したいと思っているので、ご存知の方もご存知で無い方も、こういうユニットのこんなギタリストがいたんだという追悼の意もかねてこのエントリーにお付き合い頂けますか?(でも湿っぽくならないようにしますね)アニキは、1990年にICEという音楽ユニットでデビューします。下積みも長く、メジャーデビューも27歳でした。実際、ICEのデビュー後も試行錯誤が続いて、さんざんメンバーチェンジを繰り返すのですが、デビューから3年後の1993年から、メインヴォーカルの国岡真由美さんの加入で、その音楽性が開花します。そこからは、化粧品や宝石関係のCMに楽曲が使用されてあれよあれよで、一躍メジャーアーティストの仲間入りをします。ICEの音楽を言葉で表現するのは、なかなか難しいのですが、クールかつエッジの効いた洗練されたCITYPOPといった感じです(長ぇ~・笑)。なんか、おいらの中で「東京」というキーワードがぴったりくる様なユニットでした。当時、こういった都会派ポップと言うとピチカートファイブが大御所的に存在してましたが、おいらにはICEの方がもっと都会的というか「東京」みたいなイメージが強かったですね。真由美さんの、けだるい様なちょっとサテンにくるまれた様なセクシーヴォイスとアニキのソリッドでシャープなカッティングが絶妙なバランスでとにかくカッコいい音でした。アニキのギターはカッティング大王の名の通り、前に出てジャカジャカ行く時もあるのですが、それよりも控え目なリフの時にしっかりとした抑揚を楽曲に付けていて、聴いていると自然と体が動いてくる・・・そんなギターなんです。本人も「カッティングしかしてねえ」とその口の減らないしゃべり方で(笑)、常々申しておりましたが、いやいやそのカッティングにこれだけ表情があるもんなんだなと教えてもらいました。丁度、ブッチャーと今さんを足して2で割った感もあります。とにかく上手いんですわ。あのギターのギブソン社が、完全エンドースする数少ない日本人という所からも、彼のテクニックが、いかに秀でているかがわかります。でも、たまにフェンダーなんかも使ってたんですよ(笑)。ただ、ギブソンの担当者が、「それでも良し」と許可を出したらしいから驚きですよね?普通、スポンサー側にしてみれば1社提供が当たり前で、最低条件じゃないですか?でも、色んなギターを弾いてもらって、同じテクニックで弾いてもらって、音の違いを鮮明に分からせようとする意図だったらしいと言うところでギブソン社の懐の深さというか、製品への絶対の自信が伺えますね。ちょっと話しはそれましたが、アニキの魅力はそのギターテクニックもさることながら、作詞作曲のセンスにもありました。メロディはキャッチーなサビを多用した、覚えやすいものが多く、歌詞は常に前向きといった感があって、本当に馴染みやすい楽曲が、多かったんですわ。その楽曲センスを買われて、多くのアーティストへの作品提供やプロデュースワークと忙しい日々だった様です。みなさんもご存知のジャドーズの藤沢さん(現・ダンス☆マン)に提供したり、ウルフルズや斉藤和義、Chage、コーザ・ノストラ、最近では倖田來未、MihimaruGTなんかにも作品提供をしてましたね。あ、嶋野百恵さんにも書いてたなあ。ハウス・クラブ系からロック・ポップに至るまで、幅広く楽曲提供していたのが良くわかります。さ、それでは、まずICEの代表曲からまず聴いてみますか?さきほど書いたアニキの控えめなカッティングが絶妙なSLOW LOVEです。中間とラストのエッジの効いたアルペジオ風のカッティングがいい感じですよ。それでは、行ってみよう!(曲のタイトルをクリックしてください)♪♪ SLOW LOVE真由美さん、若けぇ~(笑)。んでもって、アニキかっちょえぇ~。やっぱもたいないなあ(泣)これ出したのが94年だから、えーと、今から14年も前になるんですね。こっちも年取る訳ですわ。でも、やっぱり今聴いてもおしゃれに聞こえてきますな。そんでもって、ここから更に2連発で聴いてみませんか?次が、SLOW LOVEの4年後に出たGET ON THE FLOORです。これはギターがどうのこうのよりも、やはりアニキの作曲センスが光る佳曲です。ファンの間でも人気の高い曲です。♪♪ GET ON THE FLOOR今、クラブなんかで流れてても、まだまだ通用しそうな感じがありますね。この当時は、かなりリミックス版みたいなのも流通していて、DJたちが結構使ってた覚えがあります。そして、連発の最後に、ちょっと記憶が定かではないのですが、彼らの最初のシングルヒットだったか?と思うのですが、94年発売のMOON CHILDです。実はおいら、この曲がラジオから流れて来たのを聴いてファンになった次第です。これね、始めは誰が歌ってたのか、全然分からなかったんですよ。んで、いつもの如く、CDショップの店員の前で歌ってみっか?と思ったのですが、過去この方法で曲名が判明した試しが無いっ!っつーのはABの読者なら皆、ご存知でしょうし(笑)、しかもね、サビの「♪今夜の二人はMOON CHILD」ってとこの「MOON CHILD」が、歌詞を正確に聞き取れなかったおいらには、どうしても「ヌンチャク」にしか聞こえなかったんすわ・爆んで、さすがに、店員さんの前で「♪今夜の二人はヌンチャ~ク~」って歌うには、いかな関西人のおいらでも出来ませんでしたわ。結局、あまり間をおかずにラジオから偶然もう一度流れて来たときにしっかりメモメモした次第です。ヌンチャクがMOON CHILDと分かった時に、「おれは絶対海外には、行けねえな」と確信しましたよ・笑。 元CAだったねーさんに教授してもらおかなあ?笑それでは、おいらがこのユニットのファンになったヌンチャクソングです。♪♪ MOON CHILDなかなかゴージャスなオーケストレーションでウキウキする感じですね。やっぱいいっす・笑なんか、ほんま一人よがりな記事ですいませんです。どうかファンのバカ騒ぎと思って、お許しくだされ。さて、ここまで一気に三曲聴いて頂きましたが、大体ICEの雰囲気、アニキの楽曲の作りをおわかり頂けましたでしょうか?やっぱりこういった楽曲を作り、卓越したテクニックで演奏するアニキには、本当にかっこいい。そして返す返すも、この才能が病魔によって奪われてしまった事が本当に残念でなりません。ミュージシャンからも尊敬を集めていたと冒頭に書きましたが、ウルフルズの大阪ストラットの中でトータスが、「お~い宮内くん」と喋るフレーズがあるんですが、それがこのアニキの事ですし、先日ご紹介した斉藤和義が「飛ばすぜ!宮ニィ」という曲を作っているのですが、それもアニキの事を唄った曲です。音楽関係者のショックもいかばかりかと思います。さらに、ヴォーカルの真由美さんはアニキの晩年、私生活のパートナーでもあったそうで・・・。(これはウィキの情報なので、定かではないです)もし本当にそうだったなら、真由美さんの心痛を考えるといたたまれない気持ちになってしまいます。これからのICEも活動出来るのかどうか本当にわかりません。本当につらい所なのですが、彼が残した作品は、永遠にこの世に残ります。おいらは、それを大事に大事に聴いていきたいと思います。そして、真由美さんが、また歌える日が来るなら、心から応援したいと思っています。それでは、最後の最後に、もう一度SLOW LOVEをライブバージョンにて、在りし日のアニキを偲んで、ご冥福をお祈りしたいと思います。みなさんの記憶の片隅に、宮内和之という偉大なギタリストが居たことを留めて頂けると幸いです。長文にお付き合い頂きありがとうございました。そして、宮ニィ、ありがとう!!♪♪ SLOW LOVE (LIVE TAKE)
2008年01月11日
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ABをご覧頂いている皆様、どもども、改めまして本年も宜しくお願い致します。今年もキラキラのピカmaniaです。違った・・・kado兄でございます。皆様は、良いお正月でしたか?おいらも久しぶりにお正月というものを満喫させて頂きました。元日は弟夫婦と会い、初めて姪っ子に会いましたよ♪2日の会社仲間の新年会も大いに盛り上がりまして、盛り上がりすぎて夜7時から始めて終わったのが朝6時でしたわ・爆凄く充実した2日間でした。で、その後はゆっくり目に仕事しながら、CDやDVDも買うチャンスがあったり、年末から年始にかけて録り貯めた番組などをちょいちょい見ており、それなりに楽しんでおりましたが、今日はその中の一つの番組を取り上げてみますね。---------------------------------------------------その番組は、みなさんも良くご存知の小田和正さんが毎年行っている「クリスマスの約束」です。いやあ、今年の内容も良かったですねえ。と言うか今年に限らず毎年良いのですが(笑)、これだけ良質な音楽番組と言うのも近年では本当に珍しいのではないか?と、おいらは思っております。今回のプロミュージシャンのゲストは宮沢和史さだまさしくるり矢井田瞳佐野元春と、まあいつもの事ですが、豪華でしたねえ。その中でも、今年のイチ押しは、何と言ってもさだまさしさんですわ。元春兄貴も、ピックしたい所なのですが、今回兄貴にしては珍しく大分緊張してませんでした?笑。ちょっとグダグダ感を感じましたが、それでも十分カッコいいんですけどね。んで、さださんですが、おいらもご多分に漏れず小学生の頃、ギターを始めてからハマりまして、ソロデビューアルバムの「帰去来」から7作目の「夢の轍」あたりまでは、とにかく良く聞いておりました。その後はぱったり止まってしまって、テレビやラジオでの活躍を見聞きする程度になってしまってはおります。今ではライブ版も入れると50作を超えるアルバムが出てる訳ですから、まあ息の長いアーティストです。でもね、やっぱり息の長いアーティストは、息の長い理由というのが存在する訳で、まずはやはりあの唄の上手さというか、あの声を今でも出せるその努力というか鍛錬が凄いですねえ~。そりゃあそりゃあ、びっくりしましたよ。下手したら、小田さんより高いトコが出ますもんね。っつーか、二人で小田さんの「woh woh」を唄った時は、どっちが小田さん?と思うくらいでなかったですか?笑あまりの素晴らしさに本当にびっくりし、そして感動させて頂きました。----------------------------------------------------------で、今日は別に番組の回し者ではないのですが(T●Sなのであり得ません・笑)再度この番組の良さについて語って、また今年のクリスマス時期に今度はみんなで見ようではないかと・・・(遠~い~~~~・爆)。或いは、もしご覧になった事のない方がいれば、小田さんの事も含めて是非関心を持って頂きたいと・・・(やっぱ回し者?)先ほども書きましたが、今回も素晴らしい構成だったこの番組ですが、2001年から始まったので、今年でもう7回目になりますね。んで、おいらは全部の回を運良く見る事が出来ているのですが、特に最初の3回が非常に印象に残っております。小田さんの考え方と言うか、番組の趣旨が丁寧に説明されていたので、すんなり番組に入れたと言うのがあります。まず、大前提が、「アーティスト同志が認め合える」と言うことと「良い楽曲は老若問わず認めて紹介する」という事なんですね。おいらにとっては、プロが認めるプロってコンセプトに凄い興味があるんですよ。改めてその紹介されたアーティストをしっかりと聴く機会にもつながりますしね。特に音楽業界で不動の地位を確立している小田和正と言うアーティストが「このアーティストが素晴らしい」「この楽曲は素晴らしい」と素直に認めて、その曲を説明しカバーすると言う、その姿勢に物凄く共感してしまうのですわ。普段何気なく聴いていた曲の、何気なく聴いていた歌詞も、小田さんが、「どうやったらこんな詩が書けるのだろう」と感心されているのを聞くと、やっぱ凄い詩だったんだと、おいらはすぐ感化されてしまうのです・爆もっと正直に言うと、自分が凄いと思っていたアーティストを小田さんという大御所が認めている事で、「おいらの耳もまんざらじゃなかったんだ」みたいな一人自己満足を満たしてくれると言う事なんでしょうね。第一回の放送の時は、小田さんがカバーする予定の楽曲を作ったアーティスト達のほぼ全員に、直筆の手紙を送るという所から始まりました。何故その楽曲を取り上げるのか?何故、この番組で共演したいのか?その趣旨をきちんと説明し、もし共演が叶わないのなら、自分一人で演奏させて頂きますと言うことでした。取り上げた楽曲と手紙を送ったアーティストは以下の方々でした。1.スマップ 夜空ノムコウ2.福山雅治 桜坂3.桑田圭祐 勝手にシンドバッド4.ユーミン ひこうき雲5.宇多田ヒカル Automatic6.ミスチル Tomorrow never knows 7.山下達郎 クリスマス・イブ小田さんが送った内容の手紙は、こんな感じでした。(抜粋)突然、勝手な手紙を出す無礼を許して下さい。TBSから、現在あるものとは違う音楽番組をやらないか、という打診があって考えました。自分の歌を歌えばファンの人は喜んでくれるだろうけれど、それは目指すものではなさそうだ。そして、さらに考えました。この国で僕らのような音楽をやってきた者にとって今大切な事は一体何だろう?で、思ったのです。それは、同じ時代を生きて音楽を作ってきた人たちを認め、愛し、尊敬する事なのではないだろうかと・・・・。ですから、偏見を承知で、非難を覚悟の上で無数にある名曲から一方的に七曲を選びました。で、あなたの一曲を、その一曲に選ばせてもらいました。随分と前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。この曲を一緒に演奏してもらえないだろうか?という、お願いの手紙だったのです。これは、アイツがダメだったらコイツという企画ではないし、もし残念ながら、あなたの不参加が決まったら、自分ひとりで演奏するつもりで望んでいます。アーティスト同士が直に触れ合うことで進んでいける場所がある。音楽としても、音楽という文化の確立としても。そう信じています。それが見ている人に伝わるように全力で尽します。たとえ出演を断られたとしても、あなたへの尊敬の気持ちは些かも変わりません。秋も深まるばかり。風邪などひかぬよう、充実した活動を続けてください。おいらはこの手紙に、小田和正というアーティストの神髄を見る気がします。残念ながらこの回では誰一人ゲストとして登場し共演するという事はなかったのです。やはり手紙を出したのが放送年の10月で遅かった事や、アーティストそれぞれの考え方もそこにはありました。山下達郎氏の返信(抜粋)前略 小田和正様ご丁寧な直筆のお便りを頂き有難うございました。小田さんをはじめTBSのスタッフの皆様方の番組に対するご趣旨は十二分に理解いたしておりますが、いかんせん私はこれまでテレビの番組というものに一度も出演したことがありません。二十年以上前にCMに一度、レコード大賞の授賞式に、二度ほど出ましたのが私のテレビ経験のすべてであります。もともとご縁が無かった上にキャリアが加わって今ではテレビメディアとの関係は完全に音楽的な部分のみとなっており、こうなりましては今さらどうにもなりません。小田さんをはじめ諸先輩が、今なお堂々たる現役としてご活躍されてるという事は、私のような者にとりましては大きな励みであり、目標でもあります。したがいまして、小田さんのおっしゃるアーティスト同士が認め合うという発想にも十二分、共感できますし、できますなら何かお手伝いさせていただければとも思うのですが、こういう時には、いつも申し訳なく感じております。もともとこの曲はオフコースに触発されて作ったものです。青山のアパートの一階がオフコースカンパニーで二階に私の所属事務所があった時代でした。あのころは、私も30歳になったばかりのとんがった盛りでした。バンドで挫折した私にとってオフコースはとても重要なライバルで、敵がバンドのコーラスなら、こっちは一人でとか、そういったしょうもないことを若気の至りでいろいろと考えたものでした。長い時を経て、小田さんにこの曲を歌っていただける時代になったとは本当に感慨無量です。今後とも一層のご活躍を陰ながらお祈り申し上げております。まずは取り急ぎお詫び並びにご挨拶申し上げます。草々、 山下達郎この手紙を読んだ後に小田さんは「もう出てくれたのと同じ事だよ」とおっしゃってましたね。あの、名曲「クリスマス・イヴ」がオフコースに対抗して作られたと言うのも驚きでした。福山雅治氏からの返信(抜粋)小田さんが、この曲を取り上げて下さるという事、感慨深く受け止めました。この曲が今までになく、多くの人に聴かれ、歌われたという事実。それは若輩者の僕にとって、本当に嬉しく、そして、小田さんからのお誘いでその事を再認識することになりました。やはり、この楽曲は僕にとって大切な存在なのだと改めて実感しています。お誘いにお応えする余裕が全くないというのが、今日この頃の僕です。本当に申し訳ありません。残念なお返事をさしあげなければならないことを心苦しく思っています。この手紙は読まれた後にすぐ楽曲の演奏になりました。そして小田さんのカバー曲の練習風景というのも流れたのですが、それはそれは凄まじいものでした。「ここまでするのか」と当時思ったものです。そこには楽曲及びアーティストへのリスペクトを保ちつつ、それを人前で披露できるレベルまで、自分の唄として自分の中へ取り込む事への執念が感じられました。小田さんくらいに成れば、普通に譜面見れば歌えるっしょ?とド素人のおいらは思いましたが、そんな生易しいものではなかった・・。本当に凄い歌手ですわ、小田さんは。翌年の2年目には桜井氏からも手紙が届いた事の報告がありました。「小田さんと言うビッグネームを使って、お祭り的な音楽番組をやるものだと思っていた」という内容でした。しかし番組を見て、考え方が変わったと・・・。そして三年目にして、初めて小田さんと桜井さんの共演が実現したりしました。と言うかゲストが出てくれるようになったのがこの三回目の放送からでした。そこからは、今の様に気兼ねなくゲストが参加してくれる番組へと変化していきましたね。この過程が本当に素晴らしかった。ある意味、音楽家ドキュメント番組の様相を呈してましたね。そうやって様々な困難を乗り越えて、今も続くこの番組は、一年にたった1回のものですが、また今年の冬も楽しみにしたいと思うのです(だから、遠~いーーーー笑)それでは、このエントリーの締めに、おいらが過去7回で最も感動した曲をお送りしておきます。楽曲はスターダストレビューの「木蓮の涙」です。要さんが一人登場し、小田さんとの絶妙なハーモニーが繰り広げられました。音源は映像なしの音声のみですが、ライブの雰囲気が見事に伝わってきます。会場では、目に涙を浮かべて聞く聴衆の画が、さんざん映し出されておりましたよ。良く再放送もあるので、機会がありましたら是非ご覧くださいませ~。♪♪ 木蓮の涙
2008年01月07日
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明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も健康で一年楽しく過ごしたいですね!どんな素晴らしい音楽と出会えるかも楽しみです。それでは、おいらも出かけて来ま~す!!天気が良くて気持ちいいですね。みなさん、良いお正月を!♪♪
2008年01月01日
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