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2020年2月6日の幽界訪問から。 自分の息子は地上にはいないはずなのだが、出てきた。息子は芸能活動をしていてお金が入り始めた。できるだけ使わずに堅実な生活をした方が良いとアドバイスした。子供と肌で抱き合い、スキンシップをして別れた。 幽界に行けば色々な人に会える。亡くなった知人とか会いたい人はたくさんいる。私にとっては大きな楽しみの一つである。
2024.09.10
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2020年の幽界訪問から。 何度か宿泊して世話になった夫婦に気診について話をした。信頼できそうであったので、地上での私の趣味を詳しく話した。原則的なことを理解してもらい相手の対応を見た。どうも理解してもらえそうな態度で聞き入っていた。また、再度訪れた時はもっと詳しく実演しながら説明し、より深い理解を求めたいと思った。 気診は地上においてO-リングのように肉体の筋肉反射を利用して診断する方法だが、当然、肉体のない幽界では使えない方法である。このため幽界で生活する人たちには自分自身が体験できないため理解してもらうのがなかなか難しいと思われる。ただ、理解を示したスピリットに協力してもらえると気診を用いたヒーリングもサイキックヒーリングからスピリチュアルヒーリングに格上げすることができる。この夫婦にヒーリング時にスピリットとしてサポートをしていただけるとありがたいと思ったわけである。
2024.09.01
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2020年2月2日幽界訪問から。 デパートに行った。1階から2階へ上がる時そこは階段であったが、ボール紙のような段ボールを積み重ねていたため足の重みで潰れてしまった。店員のおばさんがこれに気がついて出てきて『ちょっとまずいね』と言った。自分の体に重みがあることを感じて、すいませんと謝った。 肉体のない幽界でもなんらかの質量がある可能性がある。あるいは単なる地上の習慣としての意識の反映か?確かに幽界にも質量があるとすれば波動の性質もあるので量子力学が成立することになる。最近は霊界は量子力学が通用する世界であると言わっているが、これを身を持って経験したことになる。この点は今後も気をつけて観察してみたい。
2024.08.07
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2020年1月31日の幽界訪問から。 この幽界には色々なコースがある。ゴールはお店の2階だったりする。私は快走である。途中で橋が落ちたりしていた。この橋の下は20メールくらいはあるが、川にスッと落ちて助かった。色々なコースを思い思いのペースで走るランナーで溢れていた。 幽界人はマラソンをしないようだが、確かに肉体が無いので当然であろう。一部の生前走る癖のついている霊人は生前のことを思い出し走りたいと思ったりするかもしれないが、多くは私のような地上人が幽体離脱して夜な夜な楽しんでいるのであろう。幽界でのマラソンは肉体の限界を感じないランナーになれるので爽快である。
2024.07.31
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2020年1月22日の幽界訪問から。 幽界にて屋根に登ると美しい夜空だった。目を凝らすと銀河が見えた。色々な星団が美しく輝いている。こんなに目が良かったかと疑うほどだった。 これは明らかに霊視である。視覚が地上の時より何十倍も何百倍も向上する。少なくとも幽界上層に行けば宇宙の果てまで見えるかもしれない。そして、きっとこれが宇宙の本来の美しさなのであろう。地上の言語では言葉に尽くし難い神秘的な体験だった。
2024.07.01
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2019年12月29日幽界訪問から。 船で川を登る旅だ。満席だった。遺跡のようなところへ行った。トイレタイムを入れてから(私は地上では夜中にトイレにくので、肉体的な欲求があったかもしれないが)川を上っていく。地上では見たこともない巨大な建造物や日本の国会に似た大きな円形の施設を見学することになった。ただ、山の中にある。すると近くで火山の爆発が起き、空から石が飛んでくる。火山弾だった。地上で起きるシミュレーションとみることもできる。しかし、特に注意するほどではなく、遠巻きに施設を見て、再び船に戻る。船はエンジンが無く、念力のような力で川を上がって行く。集合時間はあるのだが、点呼を取らないので、船に乗り遅れた人もいるのではないかと気になったら、覚醒した。 幽界の旅は、とても楽しい。スケールが地上とは全く異なり、言葉に尽くせの色合いで、想像を絶する世界が無数に存在する。まさに創造の世界である。時にはハプニングもあるが、地上と関連していると見て良いだろう。地上の出来事は幽界から発すると言われる所以である。
2024.04.04
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2019年12月27日の幽界訪問から。 地上の家とは異なる作りである。床が地上から少し離れている。神社の神明造のような高床式である。全体に夕方のような薄暗さがある。川から離れて建てられているが、徐々に水が押し寄せて浸水してきた。 津波ほどではないが、地球温暖化の影響のような水位上昇が見られた。床下まで来たが、床上までは来ない。地上の干満のような上げ下げを何度か繰り返していた。地上のシミュレーションかもしれない。
2024.03.03
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2019年12月6日の幽界訪問から。 ある歯科医に私が持っていた資料を渡した。大変喜んでいた。それは有名な歯科医師の書いた資料だったが、会場にいた他の先生(T先生)もサブノートを私にくれた。これが無いと診療ができないと言っていた。 私もサブノートはたくさん持っているが、歯科医師として約40年間のまとめを本にしても良いと思ったりしていた。若い先生や後輩に伝えられる内容もあるかもしれない。臨床のヒントである。地上では歯科にあまり関係のないスピリチャルな本は色々書いているが、そろそろ人生の残りの時間をこれに費やしても良いと思う。
2024.02.03
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2019年11月30日の幽界訪問から。 郷里の群馬のある駅で二人の女子学生と会話をする。遅れた電車を待っていた。人懐っこい学生だった。場所は群馬の旧渋川駅か?私の記憶にある。どちらかは今度当院に就職する予定の学生かもしれないと思った。 これも未来の話と結びつく。この時点で当院でちょうど辞められたスタッフがいた。新人による就職は4月以降でないと難しいのだが、まだ決まっていなかった。翌年の4月に結果的に新卒ではないが若いスタッフが入ってくれた。おかげで、ある程度予測して待つことができた。
2024.01.30
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2019年11月24日幽界訪問から。 幽界でS先生は企業の社員として新人教育の指導者をしていた。その彼女が辞めたいと言う。いわば、引き抜きのような他者への就職である。上司が彼女に本当かと詰問していた。ではと、他の社員にも不信に思ったのか、辞めるのかと質問をし始めた。私の番になり、私はそんなことはないと否定した。S先生の件のとばっちりである。 学校で働いているS先生の進退の問題は、実際に起こりうるかもしれない。彼女の居心地は側で見ていても良さそうだとは言えない状況だと思われた。年齢的に定年も近いので、それまで我慢するかどうか?彼女の心の中を見せられた感じだ。色々計算して頑張っているのであろう。今回は彼女の未来を比喩的に見せられた可能性がある。
2024.01.22
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2019年11月14日の幽界訪問から。 カニ工場を見学した。ここでカニを食べながら一杯やろうかと思って中に入る。中ではたくさんの見学者が試食のカニを食べていた。写真を撮って良いかと聞くと係の人にOKと言われたので、何枚か撮ったりした。そうこうしているうちに試食のカニが無くなってしまい、食べることができなくなってしまった。すると工場の社長はタコのような切り身を食べてみないかと言って、お皿に出してきた。しかし、とても硬くて食べられるようなものではなく、味もしない。味気ない不味いものだった。 幽界人は徐々に食べる習慣がなくなってくる。それは肉体が無いためである。排泄もしないし、睡眠を取る必要もない。そのことも影響して幽界の産物は創造の産物なので外観は地上の物とよく似ているが、味については地上人が食べるには味気ない上手くない物が多いようだ。期待しないほうが良いと思われる。
2024.01.06
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2019年11月24日の幽界訪問から。 幽界の家で女性たちが4人で楽しそうに働いていた。中に義母もいた。漬物作りである。他の人たちは誰だかわからなかったが、亡くなった人たちであろう。義母は幽界で元気に生きていた。皆若々しい中年といった感じだった。義母も生前の一番充実した頃の姿だったかもしれない。 幽界では故人に自然に会える。まるで地上で生きている時のような元気な姿で。
2024.01.03
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2019年11月8日の幽界訪問から。 たくさんの人が老人を中心に集まって発表会をやっていた。曲に合わせてダンスをするのだが、衣装が人は下半身が下着姿になる。恥ずかしいのでテーブルに張り付いてごまかす。皆さんダンスが上手い。ジルバやルンバを楽しそうに踊られていた。素晴らしい衣装や歌で大爆笑だった。「Down Town」というシュガー・ベイブの昔の曲を「さんざん」と替え歌にして歌っていた。 ここは地上に近い幽界の介護施設である。まだ死の自覚のないまま皆ここで楽しんでいるようだった。私もそっと仲間入りした。1970年代から1980年代のポップスで青春時代を過ごした私に近い世代である。やがて肉体が地上から離れた事を思い出し、皆どんどん若返って青春時代の姿に戻って山下達郎の若い頃の曲を歌い出すのかもしれない。しばらくどうぞお楽しみください。
2023.12.02
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2019年11月6日の幽界訪問から。 その施設は病院と学校が一体になっている。小中高と大学まである。売店があり、花も売っている。6階建てで長く複雑な施設である。売店の中年の女性が私を気に入ったらしく、案内をしてくれた。私は大学の講義に出ているところだったが、色々見せてもらう。「もう戻らなくても良いのか?」と聞くと「では、とにかく休ませて」と休み時間らしく疲れた顔をして彼女は話していた。地上では見たことのない方だった。 幽界では未来形の施設もよくある。病院と学校が一体というだけでなく、介護施設や保育園や幼稚園もある。揺り籠から墓場まで一貫した集合施設ということであろう。これも地上人へのシミュレーションの一つである。
2023.11.07
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2019年10月12日の幽界訪問から。 見知らぬ町を散歩している。公園に行った。山のような大きな公園。石碑があった。地上の誰かを祀ったものだった。そこから裏山に出ると。素晴らしい景色を臨むことができた。夕方のような感じで幽界上層かと思われる。あまりに綺麗なのでしばらくそこに佇んでいた。ただ、そこから少し歩いて下を見ると斜面になっていた。そこから急な崖になっていて恐怖心が湧いてきて、すぐに公園内に戻った。そこの崖は数百メートルあっただろうか? 美しい景色と高所恐怖を感じる景色と裏腹な世界を同時に経験した。ともに地上では経験できないスケールの景色であった。訪れた公園は異次元へのり口となる公園だったと言えるだろう。
2023.09.03
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2019年10月5日の幽界訪問から。 地上人である二人の女性の話を聞いた。S先生が私の左にいた。右側はI先生だ。心霊的な話になり、S先生が興味をしまた。それが私の趣味だと言って説明したら、感心していた。地上では果たしてどうかわからないが、そういった素質をS先生も持っているかもしれない。非科学に対する関心である。 現実には、こういったスピリチュアルな話に医師で関心を示す人は少ない。心霊的な話は頭から受け入れない医師が多い中で、嬉しい限りである。あくまでも趣味として関心を示してくれれば良いのである。
2023.08.02
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2019年10月3日の幽界訪問から。 宇宙船で未知の世界へ旅に出る。船内は地上からの私と友人と二人。時々揺れて不安になるが、安定して走行していく。外は漆黒の空間である。何か試されているような体験をした。進む道は未知であるが信じるしかない。後戻りはできないと感じた。 幽界は地上より多くの未知の世界が広がっている。より多くのスピリットが存在し、それぞれの生活を楽しんでいるはずだ。ヘミシンクのロバート・モンローは、死後の話として幽界の地図を作成しているそうだが、多くの未知の世界が広がっていることを裏付ける話の一つである。宇宙船での船出は幽界の未知の世界への探検を意味すると思われる。
2023.07.03
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2019年9月28日の幽界訪問から。 私のファンだという学生がいた。聞けば高校三年生だという。公園には多くの人が集まっていた。それぞれベンチで色々語り合っている。数人の仲間たちと談笑していたり、本を広げ勉強している学生もいた。中には先生から講義を受けている学生もいた。私は何か恥ずかしいので直接話をするのは避けて遠くから、この高校生と二言三言話をした。純粋で清潔な感じのする女性だった。そのうちゆっくり話ができることもあるだろう。私の何に興味を持たれているのか?地上生活があるので、しばらくお待ちくださいと言って失礼した。幽界上層の美しい世界にて。 この女子高生は、きっと私の類魂であろう。ならば、私が地上を旅立った時、幽界上層で必ず待っていてくれるはずである。その時は彼女にじっくりと地上での体験を報告することができると思う。
2023.05.28
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2019年7月17日の幽界訪問から。幽界の川で友人と釣りをしていた。釣りといっても食べるわけではない。やがて夕方のような暗い森の中を白い狐が光り輝くように走っていた。その後ろから茶色の狐が我々に近付いて来た。追い返すか少し迷ったが、そのままにしていた。我々に関心を示したようだったが、また森に戻って行った。二匹の美しい狐。夫婦の狐。「また今度来た時ね。待ってるよ」と茶色の狐からインスピレーションを受けた。特に私の行動に興味を持っているようだ。この狐の夫婦も私のガイドかもしれない。今度また、お会いしましょう!!
2023.04.23
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2019年7月16日の幽界訪問から。 川のそばに橋があった。友人とここを渡るか迷った。両側に行けそうな道はない。別の女性と男性がこの橋を慎重に渡ろうとしていた。バランスを取らないと橋桁だけで囲いがないため、落ちると思った。案の定、私が渡り始めて、途中が細くなっており、するりと落ちてしまう。どぼーんと水の中に胸まで浸かった。びしょ濡れになり、苦笑した。思いっきり落ちた瞬間は気持ち良いくらいだったけれども。 幽界の橋から落ちた。落ちた感覚は地上と同じ。あるいは、それ以上に現実感があったというのが正直なところ。幽界では感度がより鋭敏になる。それが水の中に落ちて気持ち良いと感じたのかもしれない。ただ、これも想像の産物であり、地上の体験の延長線上にある。
2023.04.02
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2019年7月15日の幽界訪問から。 幽界にある未知の都市をジョギングしてみる。たくさんの日本人が道路工事をやっていたり、色々なところで働いていた。ここはアップダウンのある日本の都市のようだが、太陽が見えず何度走っていてもなかなか方向がわからない。色々な方向から走ってみる。夕方のような明るさで時間的な変化は感じない。車もたくさん走っているが、私には無関心で機会的である。あるいは、地上人である私の存在がわからないのかもしれない。方向を変化させて走っていると、だんだん、ここの街の構造がわかってきた。肉体のある地上とは違って、全く疲労感は無いので、色々試して頭の中でこの街の地図を作ることができそうだ。また来ようと思う。 本来は幽界の人々は太陽の霊力を糧として生きているので霊界の太陽は常に傍に見えるはずだが、ここは地上によく似た幽界下層の世界のためにはっきりしないのだろう。ここは私には暗く感じられた。
2023.03.05
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2019年7月4日の幽界訪問から。 多くの知人や友人がマラソン大会に参加した。目的は署名である。普段はマラソン大会に参加したことが無い人もフルマラソンやハーフマラソンに挑戦し、ゴールで署名して署名用紙を置いていく。世界平和のためにその熱意を表現する署名だ。地上ではマラソンをやらないはずの歯科医のM先生も笑顔でゴールし、署名した。たくさんの署名が机の上に重なっていく。 この時から4年くらい経つが、相変わらず世界の平和が脅かされている。いやむしろ核戦争の危機の中にいて人類はかつて無い段階に入っている。世界週末時計によると2020年から1分40秒前となり、最も危なかったソ連とアメリカが水爆実験に成功した1953年(2分前)を凌いでいる。かってない深刻度である。本音は人類皆戦争はしたく無いはずなのだが、戦争は地上からなくならない。今後もパンドラの箱を開けないことを心より祈りたい。せめて夢の中では誰でもがきっと熱意を持って署名してくれると思う。
2023.01.22
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2019年5月27日の幽界訪問から。 水が溜まっている上を車がカーブして通る。その時、人が車の下になって溺れかけていた。咄嗟に私は水の中に入って、その女性を抱き抱えた。水がクッションになって、なんとか助かった。しかし、ここは幽界である。死ぬことは無い。 幽界でのシミュレーションと考えると、これは地上での事故への警告と捉えることができる。このような水害時の交通事故だけではなく、気象災害が絡む事故がこれから地上では予想される。年初に当たって是非気をつけたい。
2023.01.04
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2019年5月6日の幽界訪問から。 フルマラソン大会を二日に分ける。前半は全て下り。山を降りるコース。ちょうどスキー場のようなところだ。後半は、上り。前半が終わったところで一泊する。ただ、私は、折り返し地点がよくわからず、途中で止めた。翌日係の人に聞いた。やはり、折り返し地点で休めば良かった。前半はコースを走りすぎて時間がオーバーしてしまった。制限時間は6時間。後半は貯金があまりなかったので、猛烈に追い上げた。全て上りなので間に合いそうもないが、努力してみた。本来は、幽界であれば、一っ飛びのところだが、地上で言えば競歩のように走らなければいけないルールだった。体は疲れを感じず、周囲の景色は春のように美しく、花々が咲き乱れ、青年時代に戻ったかのような感覚だった。 解説が必要であろう。あくまでも地上人向けに考えたレースである。私のように体外離脱した地上人の参加であるので、地上的思考(肉体があるという思考)で走る。幽界の時間は基本的には意識感覚なので、有るようで無いとも言えるが、タイマーを地上時間に設定している。一泊というのは、睡眠から覚めて日常生活に戻り、また夜寝入ってから体外離脱してレースに参加するわけである。このため二日に分けて参加することになる。現在の地上でのフルマラソンの制限時間(一般参加者用)は、6〜7時間が多い。6時間の制限時間は、ハーフが3時間なので、このレースは標準的だと言えよう。
2022.12.13
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2019年5月18日の幽界訪問から。 猫が他の猫を殺してくれと言う。その猫を見ると声が私の頭に浮かんだ。聞こえた人は、その通りに実行せざるを得なくなる。 インスピレーションが成立する世界なので動物とも普通に会話できる。私は地上人なので、できないとこの猫に伝えて、この時は無視したが怖い話ではある。既に肉体は無い世界なので殺生は成立しない。自分が死んだことを自覚していない猫あるいは低級霊による誘惑の可能性がある。
2022.11.07
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2019年5月3日の幽界訪問から。 見知らぬ町を散策している。鄙びた鉄道の線路の反対側に出ようとした。踏切がないので地下道を通りながら町を抜けていく。地上に出ようと試みるが、出口がなかなか見つからず出られそうもない。本来は対外離脱しているので地上へ抜け出るのは自在のはずだが、出口以外から抜けようとすると必ず住人がいて変な目で見られるので、それもできない。更に先の方を歩く。なかなか地上に出られないので、結局、元来た道を戻ることにした。途中で地下道のひび割れた隙間から地上に咲いていた桔梗のような青い花が見えた。鉄道の向こう側は美しい世界が広がっているのかもしてないと、その桔梗にしばし見惚れて、写真を撮りたくなった。意識の美しさと暗さが線路を境に混在しているような町だった。 カメラはもちろん無いので目(霊視)に焼き付けた。うまくすれば写真に焼き付けたかもしれないが、夢の映像を念写できる日がいつか来れば良いのだがと研究者の友人と時々話している。サイキック能力のある方あるいはサイキック能力を鍛えれば、彼は不可能ではないと言う。ワンショットで良いのだ。地上の素材に限界はあるが、一輪の桔梗の花の感動を少しは地上の皆と共有することができることができたら素晴らしいと思う。将来は、覚醒状態(全脳状態)で様々な意識の世界を体験できるヘミシンクの画像を客観的に示せる時が来るかもしれない。これが実験としては一番近道のように体験的に感じる。今回は、夢で見た画像を念写できないかという話の余談を述べさせていただいた。
2022.11.05
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2019年5月2日。 障害のある友人が、会を立ち上げた。そのサポートをすることになった。一人ではなかなか難しかったが、なんとか成立した。夢から覚醒すると、この友人は、消えてしまうが、また夢に入ると友人は、出てくる。 何か今後のことを暗示しているような気がする。私にやって欲しいということか?確かに私の親戚が精神障害者向けの福祉施設をやっているが、そういった影響を受けてはいる。ただ、既に診療所を経営している私が今から福祉施設を立ち上げるのは年齢的にも現実的ではない。今生での仕事の基本は人のためであるが、普段においても個人ができることを色々な形で社会に反映させれば良いと思う。社会に貢献することが地上での人としての役目であるが、あくまでも今できそうなことをやり、無理をすることはない。シルバーバーチの霊訓1=なぜ生まれてきたのか=人のために役立つ「人のために己を棄てる仕事にもいろいろあります。あるものは人目につく派手なものであり、あるものは一目につかない静かな聖域で行われます。いずれにせよ大切なのは人のために役立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません」(P43から)
2022.09.26
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2019年3月1日の幽界訪問から。 韓国に旅行に出た。友人二人と薄暗い山道を歩いていく。小学生も数人歩いていた。彼らに付いて行けば名所のような所へつながると思って、後ろからついて行く。ただ、彼らの言葉(韓国語)がわからないので、黙ってついていく。とても綺麗な青い花が咲いているので写真が撮りたくなり、脇道に行く。すると小学生たちがどこへ行くのかと不思議そうに見ていた。やがて林を抜けると左側に巨大な岩場が見えた。まだ開発中といった感じで工業用のショベルカーがあった。右の方へ行くと、まさに巨大なカルデラが見えてきて写真を撮ろうとするが、暗くて焦点が合わない。やがて目が慣れてきたためか、今度は、あちこちに観光客が見えてきた。更に進むとカルデラの縁に来た。下を見ると足のすくむような高さだった。家に戻ってから地図で場所を確かめるが、よくわからない。地図には全く載っていず謎のカルデラだった。不思議な体験をさせられた。 モンロー研究所のロバート・モンローは、幽界の人になってから幽界の地図を作成していると、霊界通信のような本で読んだことがある。幽界の地図は地上よりも広大であることは、予想が付く。幽界の拡大に伴って新たな地名が日々増えていることであろう。幽界人の意識の基本の一つは「想像は創造」である。消すのも簡単だろうが想像すれば、すぐ形になる世界だからだ。
2022.09.02
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2019年2月24日の幽界訪問から。 この日は、急峻な山々と深々とした森の中を歩いていた。とても綺麗で神聖な雰囲気がして幽界上層の世界かと思われた。白い霧のように見える存在が複数見えた。次第に光り輝いて見えてくる。私を守護する人々(ガイド)だった。深く感謝する。 ガイドの存在がこうして見えることもある。幽界の世界ではインスピレーションで瞬時に察することができる。皆、ガイドの存在を認め、日々感謝することである。
2022.08.12
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2019年2月18日の幽界訪問から。 私の小学校6年生以来の親友であるMが、小学校時代にギターを弾きながら歌っていた。「みんな、愛している」と言う綺麗な曲だった。彼の歌も素敵だった。そのビデオを見ながら私もギターを弾きながら(地上では弾いたことはないのだが)泣いた。そばにいた姪も泣いた。皆愛している。自分が愛されていることを知って、強く生きられると言うことだ。霊界からのメッセージかもしれない。 Mとも会いたい。しかし、彼は東京にいて2022年8月現在このコロナ禍でしばらく会っていない。小学校時代は、彼は透る声で、よく歌を歌っていたが、ギターは弾けなかったはずだ。彼とは同じ高校だったが、高校時代は音楽を選択していたので、弾けるようになったのか?私は美術を選んだので、クラスは3年間別だった。今度、会ったら確認してみようと思った。というのは、面白いことに約50年後、彼は絵を描き、銀座で個展を開いたこともある。教員になったが、大学では美術を専攻したはずだ。全くギターのことは聞いたことがないのである。
2022.08.10
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2019年2月15日幽界訪問から。 私は学生をしている。授業として英語の映画を聞くことになっている。映画館へ行く。友人は、それぞれ離れて、スクリーンの無い立体映画(3D)を見ようと待機している。一般の方もいるが、開幕は無い。いつでも見れる。10種類くらいタイトルがあった。客席を歩きながら、どれを見ようか回っていく。もちろん日本語もある。互いに音のコントロールができる。未来の映画館か? 広いホールの中で空間に現れる画像を第三者として見ている。もう少しすると、地上の映像技術も進んで、このようになるかもしれない。霊界通信によれば、幽界でも映画上映は盛んに行われているそうである。
2022.08.06
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2019年1月16日の幽界訪問から。 大きな地震が起きた。二階建ての家は木造で大きく揺れ、柱が撓むが何とか潰れなった。周囲から火が上がり、それを皆で消した。水道が出たので、すぐ消し止めた。S市の皆(おじやおばや従兄弟)と一緒に生活していた。東日本大震災と同じ揺れだった。隣の家の車に火がついたが、これも簡単に押し倒して消し、類焼を免れた。皆火事場の力持ちといった感じだで頼もしかったが、考えてみればここは幽界である。 東日本大震災と同程度の地震は、震度6弱以上である。調べてみると約五ヶ月後に起きている。#2019年6月18日山形県沖の地震あり。最大震度6強(M6.7で津波を観測)
2022.07.21
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2019年1月10日の幽界訪問から。 S市の親戚宅にいた。昔の感じではないが、心安らぐ場所である。大学生まで、ここで生活させていただいた。平日なので長居はできないと思った。すると、私の存在を知って、この親戚の次男と三男が顔を出した。既に二人は独立して暮らしていたが、この時は二人とも50代くらいだった。今の私より年上なはずだが、とても元気で顔も日焼けしていた。特に次男は、71歳で3年前に亡くなったばかりで、少し驚いだ。これから二人で伊香保温泉に遊ぶに行くと言う。その途中で寄ってみたとわけだ。3男は、健在だが、こうやって時々兄弟二人で仲良く幽界を旅行しているのかもしれない。 次男の元気な様子は私に伝わって来た。そして、50代の頃が私には身近に感じられた。私も30代で充実した社会人となり、よく遊びにも行った。その人にとって一番元気に見える頃の姿で出現するというが、通常20代の姿であろう。ただ、私にとっては50代の従兄弟が一番記憶に残っている。向こう側でそういった配慮をしてくれたのかもしれない。
2022.07.14
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2018年12月13日の幽界訪問から。 米国人でプロテスタント系教会の宣教師であるRさんの英会話教室に出かけた。地上では、4年近く続けている。別のところで、やっているという。5人ほど中年の生徒さんがいた。皆知らない人たちばかりだった。Rさんが、日本語で「明日で終わりだ」と言う。顔が冴えなかった。 確かにRさんは既にここにいない。今は、米国にいるははずだが、その後も日本へ戻っても東京の所沢にいるとのことだった。そのことに気がついた。つまり、幽体離脱して彼と会っていたわけである。
2022.07.12
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2018年12月6日の幽界訪問。 多くの人たちと渋川を歩いた。だんだん人が居なくなり、帰りかけた頃、友人の部屋で休んだ。そこで、気診の話をした。子供や青年たちが多かったが、初めは皆興味を示して私の前に皆集まって来た。胸鎖乳突筋の位置がわからず、これを触ることから練習した。しかし、徐々に関心が薄くなり、皆ゲームをやり始めて、こちらを見なくなった。このため、話すのを辞めた。 考えてみれば、地上の技術である。気の技術であっても筋肉つまり肉体を操るのはあの世では難しいだろう。
2022.07.11
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2018年11月29日の幽界訪問から。 中学の同級会があった。巨大なホテル。旅館のような雰囲気だが、ちょうど宴会の最中で人でごった返している。通路が複雑で一旦、別の場所に行くとわからなくなる。厨房を通って戻ったりする。皆65〜6歳のおじさんやおばさんであるが、昔の顔を思い出す。故人はいなかった。別の棟に行ったら、他のクラスの友人がいた。同じ歳なので明らかに高齢者だったが、声をかけるとそうだと言って反応した。別の部屋でも中学の他のクラス会をやっているので、こちらに顔を出さないかと伝えておいた。また、戻ろうとすると厨房を通って自分の席に戻った。その方がわかりやすい。ただ、この次は厨房を通らず、戻ろうとしっかり順路を確認した。 皆生きている人たちなので、歳を撮っていた。体外離脱してここに集まったのであろう。目が覚めるとまた肉体に戻るが、私と会ったことは覚えているだろうか?それにしても中学時代の懐かしい人たちが沢山いた。
2022.06.30
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2019年5月1日の幽界訪問。 古い良き震災前の町。ここでマラソン大会があった。私は遅れて後から走るが人が一杯いた。一方で皆、祭りの準備もしていた。夕方のような頃合いだった。皆、軽快に走りゴールする。私は遅くてどんどん追い抜かれて行く。それでいて人々はマラソンには、ほどほどという感じだった。祭りの方が気になるようだ。私はもともとここの出身では無いので、親しい友人もいず相手にされない。何となく疎外感を感じていた。やがてマイペースで町内を走り回ることができた。人が多くて混み合っているところは避けながら。 幽界での私の目的はマラソン大会に出ること。祭りはいつも見ているだけだ。もともと診療が忙しくて普段から町内の企画に参加したことはない。その辺を将来的には修正して行かないと精神的な部分で、いつまでも地元の民にはなれないと思う。既に35年以上ここに住んでおり、骨を埋める覚悟はできている。患者さんとしては知っている方は一杯いるのだが、どうも一歩置かれてしまう感じがする。幽界の出来事は、そんなことを教えてくれた。今回は癒の世界で感じた孤独感であった。
2022.06.14
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2019年4月20日の幽界訪問から。 群馬のある町に来ている。渋川のようなところか?約50年前の学生時代と比べると渋川もだいぶ変わったろうと思う。地上では以来じっくり見たことはない。借りた自転車を押しながら友人と坂道を上がっていく。町の中を色々見ながら歩く。町外れに来て、そろそろ帰ろうかということになり、自転車置き場に行こうとするが、見つからない。すると、自転車を預かる家があり、ちょうど小母さんが出てきた所で預かってもらう。人は、たくさんいて、色々な自転車があった。今日は、ここまで。 渋川は坂が多い。有名な温泉地である伊香保までずっと登る感じだ。駅から確か8キロくらいはあるだろう。自転車で駅まで行くには下るので爽快だが、帰りは鍛えられる。2022年現在、コロナ禍で親戚のある渋川へもなかなか行けない。学生時代の懐かしさも重なって、夜な夜な渋川の幽界を散策してみるわけだ。なお、今回は地名を出させてもらった。やはり臨場感が違うと思う。ただし、地上と幽界では、少し景色が違うのはよくあることである。パラレルワールドのようなものだが、古い渋川や未来の渋川を見ることができる。
2022.05.22
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2019年4月13日幽界訪問から。 地上のM市に似た場所。大きなバイクで研修会に出かける。宿泊先で別のバイクを借りて移動するが、戻ると自分のバイクが見当たらない。S市の親戚宅へ行く用をすませて戻ると駐車場に車がいっぱい止まっていた。よく見ると私のバイクもカバーされて置かれていた。宿の人が置いてくれたのだ。カバーしていない別のバイクも運転はできそうだったが、このバイクの動かし方がわからなかった。勝手に操動かすと瞬時に慣れた。 3〜4日後に海外の研修会にも行くことになっていて、かなりハードなスケジュールであった。そちらの準備もしなくてはならない。研修会場でスケジュール表が渡された。研修会はBグループであった。Bondage(絆)という言葉が浮かんだが、絆を大事にしなさいということか? 基本的に幽界ではバイクや車は意念で動かせる。私は学生時代からバイクが好きだったので原付から中型バイクまで色々乗った。今は年と共に乗らなくなってしまったが、幽界で若返ったら、また乗って山河を駆け巡ってみたい。ある意味で好きなことが何でもできるのも幽界の素晴らしいところでもある。Bグループの研修会の仲間には絆を感じたが、きっと私のガイドたちだったかもしれない。幽界でももちろんガイドたちが地上人を助けてくれる。
2022.05.14
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2019年4月12日の幽界訪問から。 歯科医師の泊まり込み研修会。患者さんへの治療が主体。実技研修会で各人行う。根菅治療(根の治療)の必要な歯は一瞬のうちに樹脂のようなもので置換される。一旦壊死した歯髄は生体に近い弾性を持つ別の材料に置き換わるので再生治療というよりもトランスポーテーションに近い。その速さに驚く。もはや歯医者としての根管治療に対する労苦が必要なくなる。 これも未来形である。もちろん歯髄は再生しないけれども歯の治療は一瞬で終わる。しかも予後は今よりも遥かに期待できる。これもまさに夢の治療法である。
2022.05.12
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2019年3月21日の幽界訪問から。 大阪に来ている。研修会場は駅から30分くらいである。研修会が終わり、駅まで歩いていると途中で昨年来た時に忘れた物(バッグ)の中身が出て、目の前に散乱していた。すべて濡れていたが財布も中身もちゃんとあった。そして、懐かしい物がいろいろ出てきた。震災で無くした物。古いお金(紙幣)も出て来て歩いていた子供が覗き込んでいた。こういう形で思い出の品に出会うことができた。地上では、ありえないことだが良く見ておけば良かった。一つ一つ確かめるように。残念ながら、すぐ覚醒してしまったのだった。 肉体を離れ、幽界での生活が始まると徐々に生前の事柄は、全てはっきりと思い出すようだ。ただ、懐かしむのもその時だけであり、執着感は徐々に消え去っていく。なぜならば、肉体にまつわる思い出だからである。
2022.04.25
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2019年3月19日の幽界訪問から。 群馬県のI町から走り出した。自分が住んでいたS市へ向けて。やがて暗くなり祭りが始まった。荷物を取りに出発点へ戻らなければならなかったが、ロッカーに入れたままなので友人に送られて戻ることにした。S市の街中は祭りでにぎわっていて多くの友人達に会うことができた。このため戻るのを忘れてしまった。実は相当に長い距離なので戻るのが面倒になってしまった。50キロくらい走ったろうか?ウルトラマラソンになってしまっていた!! 夏祭りの頃、神輿が出る。お盆のあたりかと思ったが、もうしばらくS市には行っていないので、今はどうなっているかわからない。ただ、子供の頃よく見たので私の懐かしい一つの原風景でもある。
2022.04.19
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2019年3月13日の幽界訪問から。 私は気持ち良く山道の昇りで走者を追い抜いていった。途中で地上時代に有名だった選手に出会った。パラグライダーもやる方で雨の中でもスリムな体を動かしていく。彼は個人で走っているだけでマラソン大会に参加しているわけでなかった。幽界でも素晴らしい競技者として活躍を続けている。私も精神力をいただき、新たな憧れを抱くことができた。それが、私の力強い走りとなった。 故人となってから幽界でマラソンを続ける人は少ないようだ。やはり肉体があっての陸上競技かもしれない。確かにランナーは地上より、はるかに少ない感じがする。ただ、地上時代に競技者だった人、マラソンに凝った人は肉体が無くなっても意識の癖として残る可能性はあるだろう。それが私の場合だ。まだ、地上人なので肉体を持ってマラソンを継続中であり、幽体離脱した状態でも新たに体験を積むことになる。決して悪いことではないだろうが、地上を離れた場合、幽界では徐々にマラソンも飽きてくるだろう。これも地上の垢を落とすことに繋がると思われる。
2022.04.16
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2019年3月10日の幽界訪問から。 簡易ホテルに泊まった。明らかにラブホテルである。眠くてただ休むための目的だったが、早速ベッドに入ると何かある。3〜4個の縫いぐるみだった。部屋の作りは簡単で敷居の扉を針金で閉めて止めるたけだった。そのため隙間が空いていた。そこに見知らぬ夫婦が入ってきた。二階の部屋に上がろうとする途中だったが、私の部屋の中が丸見えだった。私が一人で寂しそうに思ったのか、縫いぐるみを差し入れしようとして中に入ってきた。私は、休みに来ただけなので、ほっといてくださいと少し怒って言うと、すぐ出ていった。縫いぐるみが、また増えた。たぶんこれは持って帰って良いのだろうが、ここ幽界では、きっとすぐに消えてしまうだろう。ただ、殺風景な部屋に似合うと思った。ひと時、心が休まるような可愛い縫いぐるみだった。 幽界でも夫婦愛を確かめる人は、たくさんいるようだ。肉体は無くとも感度は、はるかに勝ると言われる世界である。やがて幽界人になれば、それも徐々に飽きて淡白になっていくはずだけれども。地上の欲は幽界で洗われていく。ただ、多目的に簡易ホテルを利用する人もいると思うので、ささやかだが、地上でもこういう配慮をすると良いかもしれない。
2022.04.14
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2019年3月9日幽界訪問から。 お昼を食べようと生協の食堂に行った。弁当でも買って部屋で食べようと思っていたのだが、Sさん(歯科医師会の事務職員)が、食堂の中にいて声をかけてくれた。三人ほど(中年の男性1人と事務服を着た女性2人)がいて並んでいたが、待ちきれないように身動きしていた。おかずは天ぷらや煮付け物がたくさんあり、おいしそうだった。Sさんが、一緒に食べて行きませんかと声をかけてくれたわけだが、財布を忘れていることに気が付いて結局、今日は失礼しますと言って食堂から出た。実際は財布はあったのだが、やはり弁当を食べようと思って嘘をついたのだ。帰り際に「光の世界」への協力をありがとうございましたと言われたが、その時は、よくわからなかった。 「光の世界」への協力と言われて後で気がついたのだが、地上では時々、私は気診をしながら迷えるスピリットを光の世界へ上げる手伝いをしている。そのことを言われたのかもしれない。Sさんは実は、私のガイドだったのかもしれない。
2022.04.07
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2018年11月19日の幽界訪問から。 デパートに行ってズボンを探そうとした。気に入ったものが見つからず別の店に行ったが、代わりに大きめの縫いぐるみを気に入ったので、これを買った。再びこの縫いぐるみを持ったままズボンを探そうと元の店に行こうとした。ただ、縫いぐるみを入れていた包装紙をはずして持ち歩いていたので、誤解されてはいけないと思い、一旦入ったデパートから外に出た。それから気が付くと下が下着のままで恥ずかしいのでズボンを探すが、誰も気にしないようなので誰にも気づかれない。これにしようとズボンを持って店を出た。店員の応対もなく、そのまま持って帰ってしまった。客の間を抜けたが気づかれなかった。 幽界は不思議な場所である。人がいるようで、いなかったり、お店にものはあるのだが、お金は無くとも良い。地上で言えば、まるで万引きをしているようなものだ。ところが、こちらが意識しないと消えてしまうような世界でもある。死後の世界は量子力学の支配する世界だと言われるが、地上とは明らかに物理法則が異なる世界であると考えると理解できそうだ。
2022.03.25
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2018年10月25日の幽界訪問から。 たまたまバイクが故障した。近くの修理工場で、分解させてもらう。S市へ行きたいのだで直そうとするが、原因がよくわからないまま、エンジンカバーを紛失してしまう。店の男の人といろいろ話しをしているうちに雪がちらほらしてきた。諦めて修理をお願いした。そこの主人も出て来た。とても優しい対応をしてくれた。外に出ると、山の間に家が階段状に立ち並んでいて、とても美しい風景に感動した。ここは、いつもと次元の違う幽界だった。 幽界を旅していると時々美しい景色に出会う。地上では、味わえない筆舌に尽くし難い景色に出会う。そこの住人(霊人)の意識の表れとも言える。意識が利他愛に満ちているほど美しい神的世界を形成するのであろう。
2022.03.23
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2018年9月26日の幽界訪問から。 タイの簡易ホテルに宿泊する。6〜7人で雑魚寝であった。現地のタイ人の家に行った。そこからすぐ近く、棟が繋がっていた。ホテルの中にいた別の日本人にガイドをお願いしていたのだ。わたしは疲れていたので、その日は出かけず、そのまま寝る事にした。私は左側から三番目の列だった。飛行機はシンガポール航空かアシアナ航空だったが、家の近くまで乗り入れる飛行機には驚いた。将来は滑走路もあまり必要としなくなるかもしれない。 近未来のシミュレーションか?私はまだタイには行ったことはないのだが、将来行きたいとは思っている。幽界では、どこへも行けるのでタイへも行っているわけだ。体外離脱した現地人(地上人)と既に会っているかと思うと興味深い。
2022.03.20
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2018年9月17日の幽界訪問から。 T市の父方の本家の近くを従兄弟のIちゃんと通る。折角だから寄って行こうということになった。近くで本家の従兄弟のAちゃんを見かけて挨拶した。彼は若くなってさっぱりしていたが、今は本家には姉のMちゃんしかいないと何となく逃げるように行ってしまう。Iちゃんは友人と先に行ったので私もすぐついていく。すると見る影も無く荒れ果てた本家のS町があった。家は、ほとんど立ち退いて残った家もぼろぼろになり空き地ばかりであった。一面まるで戦火の跡のようで子供や大人が家の後片付けをしたりしていた。私の心のS町は、もう死んでいた。町が消滅した原野というべきか?未来を暗示した心象風景であった。 さて、2022年3月現在の話をしたい。昨年、本家の従兄弟は二人とも病死してしまった。約3年後、本家には誰もいなくなってしまった。後継者がいないので、お墓も永代供養になったと聞く。つまり、本家の墓も無いわけである。私も亡くなった本家の伯父や伯母には子供の頃大変お世話になったので、まさに寂しい限りだ。墓は無くとも供養は必要だと思っている。もちろん町が無くなった訳ではないと思うが、本家の没落を象徴的に暗示したのだろう。もちろん夢で見た未来が現実になることもある。実際コロナ禍が落ち着いたら一度本家のあった場所に行ってみなくてはならないと思うが、我ながら、ちょっとショックな話になってしまった。
2022.03.18
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2018年9月17日の幽界訪問から。 大学の先輩のT先生の診療所の近くへ行った。地上界では、それほど親交があるわけでは無いので、実際は行った事は無いのだが、インスピレションで、この辺だとわかった。すると突然通りに彼は出てきた。診療も止めたようだし、もう地上では会う事はないだろうと思っていたので、お互いに抱き合って涙を流さんばかりにうれしがった。思えば瞬時に会えるとはこのことを言う。地上でも同じだが、目に見えないだけなのだ。 2022年2月時点で今生では既に彼の診療所は廃院になり、診療は、されていないようだ。あとは、大学の同窓会の新年会等でお会いできるかどうかである。年齢的なものもあるだろうが元気でお暮らしいただきたい。最近、かつてT先生から診療を受けていた患者さんが友人の患者さんの紹介でいらした。T先生は特殊な治療をなさるので患者さんの傾向も見当がついていたが標準的に抜歯のケースでも残して欲しいという。メンタル的な要素もあり、私もこういった患者さんには慣れてはいる。それよりも久しぶりにT先生の話が出たことで、今回のテーマのように2年半くらい前に幽界でお会いしたことが思い出され、大変懐かしくなった。幽界の出来事は後で繋がることもあると改めて思った次第である。
2022.03.14
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