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またまたお久しぶりです。先週水曜から村中、イエ電が使えず、我が家からネットにつなぐことができません。(ぴーろぴろぴろぴろ・・・と、まるで宇宙人と会話するかのような、 懐かしの電話回線、平均50kbpsでつないでいるのですよ。 皆様のところになかなかお邪魔できない or お邪魔してもなかなかメッセージが残せないのもそのためです。)同じ敷地にあるカレッジには高速? LANが走っているのですが、大学が料金を滞納しているそうで、去年の年末から使えません。JICA事務所に提出すべき書類も送れず、予定を早めて上京、ようやくネットにつなげられています。昨日は書類を事務所に持参すべく、朝、いつもよりも早く出たのですが、公共交通機関? ミニバスが来ないやむを得ず、空のマイクロバスを止めたところ、近くの町ゾンバにある国会議事堂まで議員を送った帰りの、政府のミニバスが首都まで戻るところだそうで、乗せてくれることになりました。ミニバスより若干、安いお値段で私だけでなく、道中、何度も客を拾っていました。公用車で小銭を稼げてしまうことに、びっくり。月給10,000クワチャ(約12,000円)にも満たないそうですし、小銭稼ぎも黙認されているのかもしれませんね。しかしこのマイクロバス、遅い・・・ミニバスは日本のバンタイプの中古車、年代ものの整備不良の車で、平均時速100kmくらいでびゅんびゅん飛ばすので、途中で止まる回数が少なく、早ければ首都から4時間ほどで着くのですが。このマイクロバスは平均40~60km。さらに道中、眼鏡屋さんや本屋さん、レモンやマンゴー、モザンビークとの国境の村ではモザンビークワインなど、何度も止まり、お買い物。返す返すも、公用車を私的に使えてしまうことにびっくり。ミニバスでは補助席と合わせて3人がけのシートに4人座り、身動きできない状態なのに比べ、ゆったり座れ、風景も見られる。(ミニバスでは、ほとんど車内しか見られません)さらにドライバーからのミニ情報は、今まで何度も通った道なのに知らなかったことも多く、例えば-村に突然、立派な建物があるので、何だろうと思っていた その建物はモザンビークとの国境、イミグレだったこと-見晴らしのいい丘からの眺め、 奥にはマラウイ湖が見えていること-Ntchewでは座位で埋葬するため、お墓が円形などなど、プチ観光気分で楽しかったです。が。首都まであと1時間あまりの町で、「数キロ手前で知り合いの車が故障しているから、 整備士をそこまで連れて行く」と一旦引き返し、さらにドライバーは南部にある、マラウイ1大きな都市ブランタイヤまで戻らなければならなくなったと、その町で降ろされてしまいましたミニバスに乗ろうとしたのですが、通常の1.5倍の料金をふっかけられ、乗らず。たまたま通りかかった首都に戻る自家用車が乗せてくれました。運転手は母親くらいの年代のマラウイアン、ムスリム女性でした。かつてアメリカで看護師の資格を取り、働いていたそうで、今は首都や、南部の避暑地マンゴチなどでご商売をされているそうです。子どもさんのうち3人がアメリカで結婚、生活しており、今週末から4月まで、アメリカの子どもさんのところへ行くのだとか。旅行がお好きで、アメリカには毎年訪れ、昨年末には何度目かのサウジアラビア(ムスリムですから巡礼)、南アやインドなど、あちこち行かれたそうです。「子どもたちも皆、独立して、主人と2人だから 小さな家に引っ越したの」というお宅に連れて行ってくださいましたが、いやいやいやいや、JICA事務所の調整員宅並みの豪邸家財道具も立派で、ただ見惚れるばかり・・・マラウイアンの中にも、こんな富豪がいらっしゃるのね、とマラウイの“マハラジャ”生活を垣間見せてもらった気分。ミルクティーとパンをごちそうしてくださった後、JICAドミトリーまで送ってくださいました。オマーンやイエメンを旅した際にも、たまたま知り合った人や通りがかった家にご招待され、何度かご馳走になりました。旅人? をもてなすのは、ムスリムの習慣なんですかね?結局、いつもの1.5倍ほどの時間がかかり、事務所にも行けずじまいでしたが、なかなか楽しい旅でしたまったり、のんびりからの発見。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 13, 2008
以前、ミャンマーで乗った馬車の御者が、ブラックの女性が黄色い花を耳に飾っているのを見て、「カラードが、カラーをつけている」と笑っていました。先週、職員室に、博物館でしかお目にかかれないような蛇腹式の、かなり年代もののカメラが。生徒が、親に売ってくるように言われたと、学校に持ってきたのだそうです。マラウイでいくらくらいになるのか、同僚に聞いてみましたが、値は付かないそうです。「授業料が払えないから、親にカメラを売ってくるように言われたんじゃないか?」と、同僚たちは笑っていました。マラウイで、セカンダリースクール(日本の中学3年~高校に相当)に通えるのは就学年齢人口の20%程度。学校に行きたくても通い続けることができない、授業料が払えない子どもたちも多いのです。いずれの事例も、私は笑うことができません。そういうことで笑えるか否かで、人としての思いやりの深さの違いを感じ、残念に感じたりします。では、「先進国」の人が思いやりや道徳的に優れているかと言えば、もちろんそういうゆとりのある人たちも多いだろうけど、一概にそうとは言い切れないと感じます。同じ敷地にアメリカ人ボランティアたちが住んでいます。彼らのサイクルは短く、以前、ご紹介した人たちの幾人かはすでに帰国したり、任地変更等で、今は、新しいメンバーも増えています。彼らと接していると、彼らも噂話に翻弄されていたり、人の陰口や批判もありますし、彼らにとってもここでの生活は、ストレスが高いのだろうなと感じます。私も、日本人との関係に消耗したり、傷ついたり、逆に傷つけたり、迷惑をかけてしまったり・・・昨日、学校で、もう一人の日本人ボランティアが担当している学年のある男子生徒から、彼の所在を聞かれました。私 「首都に出張中で、今週の火曜か水曜には戻ってくるよ。 何か教科のことで、質問?」生徒「ううん、I miss him.(=彼に会いたいんだ)」私 「彼を愛してるんだね」生徒「Yes, also you.(=もちろん、あなたのこともね)」私は担当していない学年の生徒で、以前、村で道に迷った時、たまたま会い、学校まで一緒に歩いたことがあるだけなのですが、「also you」、彼のそんな心遣い、優しさが胸に染みました。人に優しくできるか、思いやりをもてるかは、国籍ではなく、おかれている環境や状況に拠るところも大きく、そして精神的なゆとりがあるか否かかもしれません。私も、ゆとりを持ち続けていたいものです。いつも笑顔で、人の素敵なところを吸収していきたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 5, 2008
木曜、先週に引き続き、同僚がカレッジでしている家庭科教育論の授業を見せてもらいました。指導要領を遵守すべき、という内容でした。指導要領を学生各自が持っているわけではないので、教師がその内容を口頭で伝え、筆記することに主な時間が割かれていました。指導要領は1冊約1,000クワチャ(約1,200円)くらいしますから、確かに、マラウイの物価から見ても高いと思います。でも携帯電話や衛星放送の見られるテレビ、DVDプレーヤーなどを買う余裕のある先生たちも多く、授業の基準となる指導要領や、教科書を買うよう指導しても良いのではないかと思います。学生さんも、国からお給料が支払われていますしね。大学の授業で、口頭で伝えられた教科書や指導要領の内容を書き写すことに多くの時間を割くのはもったいないと感じました。私は学生時代、指導要領の時代経過や背景を学び、その問題点を考察する、骨太の指導教官に導いてもらったことを再確認しました。 金曜、SMASSE(中等理数科教員再訓練プロジェクト)の月1回のミーティングがありました。夏に行われる、年に1度の職員研修会に向けた授業案づくりが始まっています。この日は、2件の訃報に対する黙祷から始まりました。1件は、参加者の息子さん。もう1件は、JICAマラウイ教育分野の現地職員Freedomさん。先日、ふとFreedomさんが学校にいらっしゃった時のことを思い起こしていたその日、帰ったら訃報メールが届いており、びっくりしました。天に還られる前、うちの村にも寄ってくれたのかもしれませんね。私にとって、現地職員のなかで唯一、お名前とお顔が一致する方でした。謹んでご冥福をお祈りします。以前にも、この会合の参加者が亡くなったそうですし、同僚は先月、義理の弟と伯父、2件の訃報が続いたそうです。マラウイアンにとって死は特別なことではなく、身近なことなのだと、改めて感じました。さて、ミーティング。参加者が書いてきた授業案に対する、教員養成カレッジの先生からの突っ込みは、なるほどと思わされることも多く、私が突っ込めない、英語の壁を感じました。去年は、文法や単語のチェックにかける時間=授業案の体裁を整える時間のように感じ、その時間が長すぎると感じました。でも、彼らも第2言語ですし、表現を確認し合うことで、考えていることを共有しあっているのかなと、改めて思いました。しかしやはり、もっと授業の中身を議論すべきだと思いました。どういうアクティビティを、授業の中にどのように導入すれば、より生徒の理解を深めることができるのか。残念ながら今回は、そんな話し合いにまでたどり着けませんでした。 1つには、資料があまりにも足らない。カレッジの先生の手元にも専門書がないらしく、参加者が学生時代にとったノートと、私たちが普段使っている教科書を使って書いたようです。最後の全体シェアリングのなかで、参加者から、事務局のインターネットを使わせてほしいという提案があり、使えるようになったのは、1つ前進だと思います。しかし私自身、教材研究をする際、ネットから情報を選び出すだけでも時間も労力もかかりますし、それが正しい情報なのか見極める目も必要ですしね。専門書が不可欠だと思います。また、専門家を講師に招くのも有効だと思いました。参加者が"table setting"など各分野のエキスパートになるよりも、外部資源を活用し、それをいかに授業に盛り込み、生徒の理解を深めるかを考えるのが、我々家庭科教師の仕事だと思うのです。 マラウイ生活もあと8ヶ月となり、残された時間の短さに対する、焦りも感じ始めました。去年もっと積極的に関わっていたら、今年、何かの提案をできたのかな、という後悔も、正直あります。でも悔やんだところで、過去は変えられないですしね。1年目は、日本の家庭科を伝えたいという気持ちが強すぎたのだと思います。さらに日本に捨ててきたものと、マラウイで得られたもののあまりのギャップに、悔やむ気持ちも大きかった。日本で最後に勤めた学校でも1~2年目、かなりしんどかったのは、システムや環境の違いもしかり、失ったものと得られたものの差も大きかったです。それでも3年目にはやりがいを感じ、4年目はラクさせてもらってました。ここでも同様に、環境に慣れ、未練を考えないようにし、仕上げの段階に入ったのかなと思います。ようやく「パートナーシップ」という単語を実感しはじめました。できることから、少しずつ。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 1, 2008
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