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いろんな人から勧められたSalalahだが、数時間で通り抜けることになってしまった。せめて車窓から、街の雰囲気を確認したところ、緑が多く、道路沿いには東南アジアでよく見かけるようなフルーツ屋さんが軒を連ねていた。砂漠の多いオマーンでは、こういうところが好まれるんだろうな。アブダラーさんは途中で、イエメンに運ぶ服や、足の悪いおじさんを乗っけて出発。(道中このおじさんが教えてくれた マーイ=水、ホブス=パン などの 簡単なアラビア語は、その後の旅で何度も使えた。 が、必要以上に手をなでなでされたり、ずっとウィンクをしてきたり、かなりうっとおしかった・・・)1時間ほど走ったところで、最初の検問。軍人さん? 警官?にパスポートを提示。私のオマーンビザの残存期間がまだたっぷりあることから、オマーンに戻ってくるのかどうか、質問された。「戻ってこない」と言うと、「そっか。もったいないなぁ」と言われた。わずか数日で通り抜けてしまったオマーンだが、実はもっと見どころがあるのだろうな。朝から曇っていたが、この頃から小雨がぱらつき始めた。また1時間ほど走ったところで、2度目の検問。再びパスポートを提示。「イエメンに行くの? 気をつけて!」と力強く言われ、やばいとこに行くんだなぁと、今更ながら、少し緊張した。この頃から、霧が出始める。オマーン→イエメンの陸路は、 「海に近いルートの国境越えで見られる海岸線(特にオマーン側)が素晴らしい」とネット情報で知り、今回の旅のメインの1つだったのだが、このまま霧の中だったら、海岸線が見られないではないか・・・。(ちなみにガルフ社のバスを利用した場合、道の良い山側のルートになってしまうようだ。)私の心配をよそに、霧はどんどん深まる一方。さらに1時間ほど走り、国境にたどり着く頃には、視界数mとなっていた。当然、「素晴らしい海岸線」は見られず・・・泣国境にはバーが下りていたが、係官がおらず、アブダラーさんもおじさんもトイレ休憩を始め、のんびりしたものだった。しばらく待ってようやく係官が到着。パスポートチェックの後、バーを上げてもらい、イエメンに入国。深い霧の中での国境越えは、デンゼル・ワシントンの映画『遠い夜明け』を彷彿とさせ、なかなか味のあるものだった。何かから逃げている訳じゃないんだけど^^;イエメンに入った途端、道が狭く、がたがたになった。改めて、オマーンの道がきれいに整備されていたことを知る。数分後、入国審査。建物の中で入国カードを書いている間、係官が Al Ghaydah にあるホテルのパンフレットをくれたり、世間話をしたり、非常に和やかだった。(オマーン側は皆、制服を着ていたが、 イエメン側は皆、私服だったのも一因かな。)荷物検査のため、私のバックパックが部屋に運ばれてきたのだが、私が「シャワーセットでしょ。これは着替え、これはオマニコーヒー・・・」などと2~3見せたところで、「女性の物だから、もういいよ」とあっけなく終了。ここでもサナアのデモの様子を聞いたのだが、「もう終わったよ。日本人は Welcome!」と、えらい軽く、あっけらかんとしていて、ほんまに大丈夫?と不安になるほどだった。しばらく走ったところで、ようやく海が見えてきた!写真の中央にちらっと映っている、この国境近くの村で、足の悪いおじさんとはお別れ。おじさんの奥さんと子どもたちが出迎えていた。国境でおじさんが自分のパスポートを見せてくれたが、オマーンとイエメンを頻繁に行き来していた。オマーンにも別の家族があるのか、どういう事情で国境をまたいで家庭を持ってはるのかわからないが、大変だなぁ。その村のはずれの海岸線に、錆びた戦車が野ざらしに放置されていた。決して peaceful ではないところに来たことを実感。 左手に海を臨み、右手からは岩山がせり出した海岸線をひた走る。まるで映画『猿の惑星』のようだと思った。アブダラーさんは、時に、道を我が物顔で歩く、牛やらくだをフロントガラスのところにおいてある棒で追い払いつつ、途中の町で荷物を渡し、約6時間後に Al Ghaydah 到着。(2005年09月25日 15時05分45秒)
July 31, 2005
バスは途中で乗客を乗せたり、荷物を下ろしたり、食事やトイレ休憩で止まったが、予定通り約12時間後の朝5時頃、Salalah到着。バスの運転手さんに「ホテルは決めているの?」と聞かれ、決めていないと言うと、近くのホテルを指さし、「あそこのホテルがOR10.0(≒3110円)だから」と教えてくれた。そのホテルに行ったのだが、満室のため、チェックアウトの10時を過ぎないと部屋が空かないと言われる。やむを得ず、ロビーで待たせてもらうことにした。ほぼ直立の夜行バスではほとんど眠れず、思わずロビーでうつらうつらしてしまう。するとフロントから人がやってきて、「ここはホテルの入り口だから、寝るな!」(「寝ないで下さい」ではなく、「寝るな!」という語調)と起こされる。でも思わず、うとうと・・・「寝るな!」・・・そんなことを小1時間くり返したのち、「ところで1泊いくら?」と聞いてみた。「OR18.0」「はぁ? バスの運転手もOR10.0って言ってたし、ガイドブックにもOR10.0って書いてあるよ?」と『歩き方』のページを開き、訴えたのだが、「今はピークシーズンだから」の一点張り。ほんまにそうだったのかもしれないし、早朝、ロビーに居座られるのもイヤだったんだろうな。このホテルの対応がかなり不快で、Salalahに滞在するのがイヤになり、この日のうちに、国境越えすることにした。「イエメンに行きたいんだけど、バス停はどこ?」とフロントの人に聞いてみた。「イエメンなんか行くの? 行かない方がいいよ」と言われたので、理由をたずねたところ、「イエメン人はクレイジーだからさ」と言う。思わず、「Salalahはクレイジーにホテル代が高いから、移動するの」と言っておいた。結局、先程マスカットからのバスを降りたところに戻り、近くにいたタクシーの運転手に、イエメン行きのバス会社の場所を教えてもらった。教えられたバス、ガルフ社のカウンターでたずねたところ、明日までバスはないと言う。ここのカウンターもかなり感じが悪く、ますますSalalahに1泊もしたくなくなった。そこで、旅行サイトで紹介されていた「毎日のように荷物を運んで、イエメンを往復しているアブダラーさん」を探して、乗り合いバス乗り場に向かった。そこでは客引きのおじさんが、アブダラーさんに連絡を取ってくれようとしたのだが、携帯の電池切れか、度数切れか、おじさんの電話が使えない。近くにいた人たちに、携帯を持っていないか聞いてくれたのだが、持っていなかったり、貸してくれなかったり。貸してくれない人に対し、おじさんは興奮し、「あの旅行者が困っているのに、どうして貸してくれないんだ! ケチな奴だ!」てな感じで怒鳴り(当然アラビア語などわかるはずもなく、セリフは私の想像)、こづいていた。申し訳ない。「アブダラー、ここ3日くらい来てないんだよね。今日も来るかどうかわかんないな…」と言われ、かなり不安になったが、8時頃、無事アブダラーさんに会うことができた。客引きのおじさんにも「すごいラッキーだね^^」と、自分のことのように喜んでもらった。アブダラーさんにはまず、パスポートをチェックされた。私はビザを持っていたので、乗せてもらえることになったが、スイス人は、ビザを持っていなかったので、断ったという。「国境近くの警官がうるさいんだ」とアブダラーさんは言っていた。「ビザは国境でとれる」という、カタールのイエメン大使館員の言葉を鵜呑みにせず、マスカットでビザを取っておいて良かった。ほ。(ガルフ社のバスを使えば、国境で取得できるのだろうか? 不明。)
July 31, 2005
無事、イエメンビザを入手できたため、イエメンとの国境に近いSalalahに向かうことにした。「Salalahは今がベストシーズン。すごくきれいなところだよ。」とオマーン人のみならず、インド人、日本大使館員など、オマーンで会った人、皆が口をそろえていたため、かなり楽しみだった。バスで12時間程度ということなので、夜7時発のバスを予約しようとしたが、すでに満席。やむを得ず、夕方5時発のバスを予約した。(OR 8≒2500円)RuwiからMutrahまで、いつもはOR 0.1(≒31円)のバスを使っていたが、乗り合いタクシーの乗客から「MutrahまでOR 0.2だよ」と誘われたため、乗った。運転手がバックミラー越しに、やたらウインクをしてきてかなりうざい。(このおっさんはアラブ系)私の泊まっているホテルを聞かれたため、てっきりホテルの前まで連れていってくれるのかと思いきや、ホテルとは対岸の、スークの裏側に連れて行かれた。「ここちゃうやん。『マリーナホテル』って言ったでしょ?」「知らないなぁ、そんなホテル。そこまで行ってほしいなら、OR 1.0(≒311円)」( - _ - メ ;)マスカットでは、最初から最後までタクシーでイヤな思いをさせられた(▼O▼メ)◇マトラフォート Mutrah Fort 予期せぬできごととはいえ、せっかくここまで来たのだから、マトラフォートに寄っていくことにした。 公開はしていないので、ゲートの入り口まで階段を上り、マトラの風景を写真におさめていたところ、 同じように階段で写真を撮っていた白人のおじさんに、韓国語で「韓国人?」と聞かれた。ソウルのクンミン大学の教授で、今は休暇中とのこと。 韓国人に見慣れた白人さんから見ても、やっぱり私は韓国人に見えるのだなぁ。 その白人さんとあれこれ話していたところ、どこからともなく鍵を持ったおじさんが表れ、OR 1.0で中に入れてくれると言う。一人OR 0.5ならいいかと思い、お互いに韓国語でお札を数え^^鍵おじさんに渡したところ、一人OR 1.0、二人でOR 2.0だと言う。「それは高すぎる」と白人さんが交渉してくれたが、バスの時刻も迫っていたので、私はそこで失礼した。◇SalalahへのバスSalalah行きのバスは満席だった。私の隣に座ったのは、お父さんがオマーン人、お母さんがタンザニア人のとてもかわいらしい高校生。「今年から大学へ行くんだけど、経済、コンピュータ、文化……勉強したいことがいっぱいなの」と抱負を語ってくれた。その子にも「Salalahはすごくきれいな、素晴らしいところよ」と勧められた。(2005年09月25日 15時00分28秒 )
July 30, 2005
ビザ申請のための証明写真が撮れるスーパーまで2km・・・。実家から、通っていた高校までが2.2km。(2km以上なら自転車通学が許可される、ぎりぎりのラインだった)歩けない距離ではないのだが、とにかく熱いっ!イエメン大使館の人によれば、 「大体(摂氏)40~50℃くらい。今日は45℃くらいじゃないかな」とのこと。 ・・・熱い・・・ 脇道に入っているためか、タクシーも通らない。意識が朦朧としかけたところ、1台の車が止まってくれた。「どこまで行くの? 乗せてってあげるよ」 ありがとう! 言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人。 この運転手さんも、やっぱりインド人(ケララ出身)だった。スーパーまで送ってくれるのみならず、写真ができた後、大使館まで送ってくれるという。なんていい人なんだ!・泣写真ができあがるまでの間、マクドナルドでおごってくれ、メールアドレスを交換した。 * * * ここ数日の日記を読んでいただいたらわかる通り、ほんまに私、 インド人には もてるんです。初めてインドに行った時、ツアーで一緒になった女子大生にうらやましがられました。「なんであばさん、そんなにモテるん?」と。彼女と一緒に韓国に行った時には、逆に彼女がモテモテ、私は蚊帳の外でしたが・笑私のことを、「Beautiful!」言ってくれるのは、インド人くらいです。彫りが深く、まつげぱっちりお目目に見慣れた彼らにとって、まんまるの円の中に、点と線で書いたような平べったい私の顔は、珍しいのでしょうね。インドのマハラジャさん、何番目の夫人でもいいので、私のこともらってくれませんかね?新聞の結婚相手募集欄に「カースト問わず。日本人でも可」という書き込みがあったら、教えてください。飛んでいきます。>チェンナイじんさん * * * そんなこんなで、午後2時頃、ようやくイエメンビザをゲット。午前中、最初にイエメン大使館を訪れた際、レターと写真が揃っていれば、もっと早く発給してもらえただろう。というより、日本のイエメン大使館で発行してもらった方が、料金的にも安く、時間も短縮できた。が、生まれて初めて大使館へ行き、荷物検査を受け、係員から危険地域であることを念押しされ、署名までさせられたのは、なかなかおもしろい経験だった。ちなみにイエメン大使館にて、渡航目的の欄に「Sightseeing」と記入したところ、通じなかった。「Tourist」と書くのが正しいようだ?イエメン大使館で、サナアのデモや「渡航の是非を検討」地域の治安を尋ねたところ、「もう終わったよ。大丈夫、安全だ。日本人はwelcomeだ!」とのこと。ん~? 日本大使館での情報とのあまりの落差・・・。どっちを信じたらいいんだ?その後、バス乗り場に向かって歩いていたところ、たまたま通りかかったイエメン大使館の人が、バス停まで送ってくれた。ちなみにこの人もインド系だった^^(2005年09月25日 14時37分05秒)
July 30, 2005
◇遠い遠い大使館この日の朝、私はノートにこう記している。「今日のシュミレーション(1)イエメンVISA即日発行 → 夜7時のバスで、Salalahへ向かう(2)翌日以降の発行 → 博物館、オールドマスカットなど観光(3)VISAが取れない場合 → 明日6時半のアブダビ行きバスを予約」どうなることか、ほんまにわからないまま、大使館に向かった。(直接行くより電話で確認しようと思ったのだが、カード式の公衆電話しか見つけられず、そのカードもどこで買ったらいいのかわからなかった。ホテルの人にVISAを発給してもらえるかどうか、大使館に電話で確認してくれないかと頼んだのだが、「それはあなたの仕事であり、私の仕事ではない」と、きっぱり断られた。連日、深夜までカラオケがうるさくて眠れなかったし、2泊めはタオルの交換もルームメイキングもなく、値段とサービスが見合っていないホテルだった)タクシーを数台あたったが、OR 5なかには10と、やはりとんでもない金額を提示される。大使館は空港へ行く途中、脇道に入ったところにあるため、空港行きの乗り合いバスに乗り、近くで下ろしてもらうことにした。「近く」ってお願いしたのだが・・・、そんなお願い初めてだったんだろうな。おそらく5km以上手前で下ろされてしまったような気がする。歩いても歩いても、脇道に入る交差点にすらたどり着かない・・・。たまたま携帯電話で話すため、停車した車の運転手に事情を説明し、交差点まで乗せてくれないかお願いしたところ、大使館まで送ってくれた。ありがとう! 言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人。◇イエメン大使館 デーツ(Nizwaにて撮影)庭になっているデーツ(なつめやしの実)を確かめていたおじさんに、「VISAを発給してもらいたいのですが・・・」とたずねたところ、「こちらへ来なさい」と手招きされた。その後の係員とのやりとりからすると、どうやらとても偉いお人だったらしい^^;VISAの発給には日本大使館のレター、写真2枚、OR 20が必要であり、午後の2時までの受付、1時間ほどで発行してくれると言う。レター! それに写真!!出発間際、わざわざ日本でスピード写真撮っていったのに、その写真をホテルに置いてきてしまった・・・あほや。。。係官が、近くのスーパー(といっても2km先とのこと!)で、写真は撮れると教えてくれた。◇ 日本大使館かなり厳重な警備。門番にまずパスポートをチェックされ、申込書に名前や来館目的等を記入。携帯電話やカメラを預け、さらに荷物のX線検査?(空港と同じやつ)を受ける。(私の場合、電子辞書まで確認された)ペルーの日本大使館人質事件以降、警備が厳重になっているのかも知れないが、自国民をここまで疑わんでも・・・、イエメンのフランクさを見習ってほしいなって、ちょっと寂しくなった。建物に入れてもらったものの、ここでもしばらく待たされる。ようやく20代とおぼしき女性の係官がやってきて、イエメンのほぼ全域が「渡航の延期をおすすめします」、一部地域は「渡航の是非を検討して下さい」になっていることを示す地図を渡され、7/20にイエメンの首都サナアで起こった石油の値上げに反対するデモで死者が出ており、空港へ通じる道が閉鎖され、戦車も2日前に引き上げたばかりであり、できれば今は渡航を避けた方が良いと言われた。係「ここまでご説明申し上げましたが、レターが必要でしょうか?」私「はい」係「では、こちらの書類にご署名お願いします」「係官から、イエメンの危険性について説明を受けましたが、私はどうしてもイエメンに行きたいので、レターを発行して下さい。お願いします」というような文書だった。約1時間半後、12時半以降にレターがもらえるという。写真を取りに、ホテルまで戻ろうか迷ったが、かかる時間とタクシー代を鑑み、イエメン大使館で教えてもらったスーパーで撮ることにした。(2005年09月25日 14時30分21秒)
July 30, 2005
◇Nizwaその後、乗り合いバスにてニズワフォートまで移動。(OR 0.5≒155円)ニズワフォート Ruwiまで戻る、バスの発車時刻がよくわからない。バス停には5時半頃と書かれていたが、日本人の男の子が持っていた情報には3時頃にも1本走っているということなので、バス停でしばらく待ってみた。が、バス停のベンチまでが熱を帯び、座っているだけで体力を消耗しそうな酷暑。金曜日のためか、午前中にはたくさんの出店であふれていた駐車場も閑散とし、こんな炎天下、お外にいるのは我々くらいだった。 ←午前中はここにいっぱい出店が並んでいた。熱さから逃れるように、ニズワフォートの中へ。お土産やのおじさんが、お水をくれて、冷房のある部屋へと招いてくれた。しばらくそこで涼んだ後、ニズワフォートの中を散策。 ←壁画にガラスが覆ってあった。ニズワフォートのなかで、それまで一緒にいた日本人たちとはぐれてしまった。明朝6時発のバスでドバイまで行くため、「バスを待つのはしんどいから、タクシーで帰りましょう」と言っていたし、ニズワフォートのなかには白人男性2人組もいたので、タクシーをシェアして帰ったのかも知れないな。バスの発車時刻まではまだ2時間近くあった。熱さから逃れたかったのだが、お店は軒並み閉まっている。やっと見つけたチャイ屋さんに飛び込み、そこでやはりケララ出身の店員さんと30分ほどおしゃべりしていた。そのお兄ちゃんには「今晩はニズワに泊まっていきなよ」と言われた。「でも荷物がMutrahにあるから・・・」「No problem! 泊まっていきなよ。」「でも、明日の朝、大使館に行かなきゃいけないし・・・」といったやりとりが数回続き、しばらくするとお兄ちゃんが「ちょっと待ってて」と、店の外に出ていった。数分後に戻ってくると、なんと乗り合いバスを見つけてきてくれたと言う。しかもRuwiまで、たったOR 1.3! バスより安いし、待つ必要もない!ありがとう、チャイ屋のお兄ちゃん! 言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人。乗り合いバスは途中で客を拾ったり、下ろしたり、ガソリンを入れたり、渋滞にひっかかったりもしたが、それでも所要時間は行きのバスとほとんど同じだった。ありがとう、チャイ屋のお兄ちゃん! 言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人。(ちなみにガソリン代は、OR 1=8.7リットル。つまり、1リットル≒36円)◇Mutrahの夜お昼間お邪魔したおうちでいただいたオマニコーヒーがとても美味しかったので、スークで探し求めたが、残念ながら見つけられず。黒装束やさんで商品を見ていると、兄弟が、日本人女性と結婚して大阪に住んでいるという親日家のおじさんがおしゃれな黒装束とスカーフOR12を、OR6まで安くしてくれたので購入。この日はアルコールの飲めるホテルのレストランで夕食。2日続けて通ったためか、店員さんには「また明日ね」と言われてしまったが、明日もここにいるのかなぁ?
July 29, 2005
◇ ジャブリン城 Jabrin Castle 『歩き方』には金曜日は午前11時までしか入れないと書いてあり、私たちが到着したのは12時すぎ。中に入れるかどうか不安だったが、入れてもらうことが出来た。 狭い階段や壁など、なんだかミャンマーのパゴダが思い起こされるところだった。装飾品はミャンマーより多いけど^^; インド系の団体さんもやってきていた。窓口で人数を確認され、そのなかの1人が2~3回人数を数え、10人と告げていた。・・・が、あれ? お手洗いにでも行っていたのか、人数確認の時にはいなかったはずの人たちが加わってる・・・。窓口のおじさんは下を向いてチケットやお金を数えるのに必死で、人数が増えたことには気づいていない。・・・ま、いっか・笑見学を終え、しばらくタクシーを待っていたのだが、やって来ない。他の旅行客を見ると、どうやら普通はガイド付きチャーター車で来るところのようだ。やむを得ず、炎天下、アスファルトのきつい照り返しを浴びながら近くの幹線道路まで出たが、3人乗れるタクシーが通らない。徐々に通り過ぎる車の台数さえも減り、このままお昼休みに突入してしまったら、一体どうなるんだ?? ・・・。そんな絶望的な気持ちでいた時、1台の車が止まってくれた。「バハラァフォートに行きたいのですが」「その前に、うちでコーヒーを飲んでいかないか?」思いがけず、オマーン人のお宅にお邪魔することとなった。◇お宅にお邪魔♪ 兄弟4人が入れ替わり立ち替わり挨拶をしてくれたのち、メロンやデーツ(なつめやしの実。ミネラルが豊富らしい)、オマニコーヒー、そしてランチまでごちそうになってしまった。 ここでいただいたのが、最初で最後のオマーン料理^^;以前、大塚製薬にお勤めの日本人を招待したこともあるそうで、おもてなし好きなご家族のようだ。お子さんがそれぞれ6~7人いらっしゃって、今日は甥っ子の結婚式だとおっしゃていた。 食後、兄弟のうちのお一人が陶器工場と市場に連れていってくれたのだが、金曜のためか、お昼休みなのか、いずれもしまっており、残念。バハラァフォートで下ろしてくれた。どうもありがとうございました。言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人。◇バハラァフォート Bahla Fort 世界遺産のバハラァフォートは現在修復工事中のため、中には入れず。外から修復の様子を見ただけだが、どうも原型を留めていないような・・・?いいのか? 世界遺産。(2005年08月20日 11時00分46秒)
July 29, 2005
Mutrah→Ruwiのバスは1時間に数本しかない。1日に2本しかないRuwi→Bahla行きの長距離バスに乗り遅れたらシャレにならないので、Mutrah→Ruwi間は乗り合いバスを利用、OR 0.2。(ホテルのレートでOR1≒311円)この乗り合いバスを下りる際、運転手さんが自分の携帯番号を渡してくれて、私の電話番号も聞かれた。これってナンパ?(この運転手さんインド系)待合室でぼーっとバスを待っていると、隣接のティーショップのお兄ちゃんがお砂糖&ミルクたっぷりのコーヒーをごちそうしてくれた。(このお兄ちゃんもインド系)チケット売り場のお兄ちゃんから、1番乗り場から出発すると聞いていたのに、いつまでたってもバスは来ない。出発時刻の5分ほど前になって、チケット売り場のお兄ちゃんに怒鳴られ、慌ててBahla行きのバスに飛び乗る。お兄ちゃん、1番乗り場って言ったじゃん。1番乗り場じゃないやん・・・。(このチケット売り場のお兄ちゃんはアラブ系)待合室で一緒だった、手話を使うおじいちゃんが、バスの窓の下まで来て、手を振って見送ってくれた^^このおじいちゃんは以前、バンコクに行ったことがあるそうで、東洋人が懐かしいのか、待合室でもあれこれ親切にしてくれた。(このおじいちゃんもインド系)Ruwi→Bahla バス OR 2.4。カタールでもそうだったが、トヨタや日産、現代などの、ぴかぴかのショールームが建ち並ぶ外国はこれまであまり訪れたことがなく、しげしげと眺めてしまった。街中を通り過ぎると、ペルーを思い起こさせる岩山が続く。3時間あまりでBahlaに到着。そこに待っていた乗り合いタクシーを、バスで一緒だった日本人男性2人と、シェアしてジャブリン城に向かうその車中でのこと。 「にーきゅっぱのチケットですか?」と話しかけられた。何のことかさっぱりわからず、きょとんとしていると、彼らは何と、 関空→ドバイ(UAE)29,800円のカタール航空 で来たのだという。 29,800円!? ( ̄□ ̄;( ̄□ ̄|( ̄□ ̄||( ̄□||||カガ゙ガーン!!私のチケットは約10万円。3回往復できますよ・・・。ドバイを検索しなかった私がいけないんだけど、ひどいなぁ。○イクインジャパン。数ヶ月に渡ってあれだけ相談したのだから、こんなお得な情報のこと、教えてくれたらいいのに・・・。・・・この7万円の差額のダメージは大きく、しばらく立ち直れませんでした。あれだけ魅力的だったカタール航空も、片や3万円足らずで乗ってる人がいるかと思うと、10万円も出した自分があほらしく、魅力も半減してしまった。。。(2005年09月24日 22時29分02秒)
July 29, 2005
その後ホテルへ戻り、ぐったりしていたので部屋でくつろぐ。(ホテルの部屋から見たMutrahの夕闇)8時過ぎにお水を買いに一旦、外へ出たところ、そのままふらふらと片道15~20分くらい歩いてしまい、スークへ。スークというのは、商店街あるいは市場とでも訳したらいいのかな?香辛料や民族衣装、香水屋さんなどが軒を連ね、ふらふら歩いているだけでも結構楽しい♪ (中東名物!?くるくる交差点。信号のないこのタイプの交差点が多かった)ホテルに戻り、たまたまエレベーターで一緒になったインド系のおじさんに、「このホテルの最上階のレストラン、眺めがいいよ」と教えられ、物見遊山で行ってみる。なんと! アルコールが飲めるではないか!!旅行中は限られた地区でしか飲めないと、アルコールをあきらめていたので、かなり嬉しかった♪ 500 mlのビールがOR1.4(tax&チャージ込み、OR1≒311円) (レストランから見た夜景)地元のおじさんらしき人たちも、かなりできあがっていた。いいのか? ムスリム。◇今日の感想◇インド系の人たちは温かな視線を送ってくれるけど、アラブ系の人たちは蔑視するか、視線を合わせもしない。「China?」とよく聞かれる。「ここで働いているのか?」と。スークでどこから来たのだと聞かれたので、「Japan. Do you know Japan?」と聞き返したところ、「知らないな」と言われた。ほんまに? ほんまに知らないのだとしたら、何だかうれしい。でもきっと、アラビア語で「日本」て言えば通じたんだろうな。
July 28, 2005
午後3時過ぎに、お昼寝から目覚める。明日はバハラァフォート(城塞)という世界遺産のあるBahlaへ行こうと思い、長距離バスの時刻を確かめるため、乗り場のあるRuwi地区へ向かう。Mutrah→Ruwi間はバスで10分程度、OR 0.1。(ホテルのレートでOR1≒311円) Ruwiの街並みRuwiのバス停にて、「ドバイ!ドバイ!ドバイ!」と声をかけられる。ドバイのみならず、アブダビ(ともにUAE)行きのバスも出ているようだ。もしマスカットでイエメンビザが入手できなかったら、アブダビでは確実に発行してくれるようなので、アブダビまで戻るか・・・。(後で知ったのだが、ドバイの領事館でも発行してくれるらしい)Bahla行きバスの時刻を確認後、Ruwi地区をふらふらしていたところ、たまたま入ったスーパーで、インドでハマってしまったマンゴーピクルス発見!その他にもお豆腐や鯖の缶詰など、商品を見ているだけで楽しく、しばらく長居してしまった。 (お醤油のラベルがアラビア文字)どうやらいつの間にかインド人街に入り込んでいたらしい。やっぱりひかれあっているのね、私たち♪ (同じ場所の昼と夜。夜になるとインド人のてんこ盛り♪)通りがかりの食堂で、「ケララチキン」をオーダー。「ケララ」というのはインド南西部の州の名前で、大変気持ちのいい場所らしい。(私は行ったことないけど)私が勝手に抱いているイメージから、あっさりレモン味のチキンソテーをイメージしていたのだが、・・・・・やっぱりカレーだった・・・。何がどう「ケララ」なのか、さっぱりワカラン。その食堂のテレビで、インドのドラマが流れていた。丸っこい文字にてっきりタミールかと思い、店員さんに聞くと、「ケララ」だと言う。そのお兄ちゃんもケララ出身。ちなみにビデオ屋さんでも、タミールのスーパースター・ラジニカーントの作品は"BA BA"1作品しか見つけられず、インドより西側に来ていることを実感。インドより東側の、シンガポールのインド人街では、ラジニの看板があふれているもの。→チェンナイじんさんの日記旅行会社で「マスカット~チェンナイ、毎日就航」の広告を見かけた。チェンナイに飛んでいきたいよぉ。(2005年09月25日 14時55分01秒)
July 28, 2005
Yinmiaoさんは、朝の6時過ぎから、誰かに電話をしてはった。しばらくするとその電話の相手だと思われる、同じ病院で働いているのであろう中国人の女性がやってきて、おしゃべりしてはった。Yinmiaoさんのお宅の近くにオマーン最大のモスクがあり、そこへ行くといいよと勧めてもらったのだが、時差ぼけ&疲れのためか起きるごとができず、彼女たちの隣でうだうだ居眠り。BGMが中国語だったためか、中国系シンガポール人の友人、Lilingのお宅に遊びに行った時の夢をみていた。(後でガイドブックを見ると、そのオマーン最大のモスクはかなり立派で見応えがあるらしい。行っとけばよかった・・・)彼女にドーナツ&牛乳の朝食までごちそうになり、おいとまする。返す返すも素晴らしい人だ。出逢えて良かった^^その後、VISAの申請のため、イエメン大使館へ向かう。カタールのタクシーはメーター制だったため、交渉もせずに乗り込んでしまったところ、メーターがない!・・・・・オマーンのタクシーは、交渉制だった・・・。YinmiaoさんからはOR1~2で行けると聞いていたのだが、OR4だと言う。(空港のレートでOR1≒334円)すでに乗り込んでしまっているため、分が悪く、値切ってもOR3にしかならなかった。。。ようやくたどりついたイエメン大使館。だが、門に鍵がかかってる!この日は木曜日。アラブでは金曜が休日だと聞いていたが、金曜のみならず、木曜も休日の週休2日制らしい。。。(週末が木金になっているアラブ式カレンダー / イエメン・アデンにて撮影)とりあえず日本大使館に行ってみようと思い、場所を聞くために、イエメン大使館の向かいのアメリカ大使館に行ってみたが、やはり鍵がかかっている。仕方なく立ち去ろうとすると、わざわざ係員が出てきてくれた。なんて親切なんだ、アメリカ大使館!・・・と感激したところ、「No! Camera!」と怒鳴られた。私が地図を取り出そうと、バッグをいじっていたのを疑われたらしい。写真なんか撮ってないっつーの・怒アメリカは、オマーンでもやっぱりアメリカなのである・・・。炎天下、約10kgのバックパックをかつぎ、ようやくたどり着いた日本大使館。が、やはりここも閉まっていた。・・・当然か・・・。仕方なくタクシーを止め、ガイドブックで見繕っていたMutrah地区のマリーナホテルへ。地図で見るとYinmiaoさんのお宅から大使館までと、大使館からMutrahまでは大体同じくらいの距離。なのにタクシーはOR 5と言われ、断ろうとしたのだが、「How much do you pay?」と言われ、「OR 2 or 3」と言ってしまった。当然OR 3となり、またバカ高い金額を払ってしまった。何てアホなんだ、私。(後でわかったのだが、OR 3と言えば、インド人街でサリーが買えてしまうほどのお値段。)熱さは思考能力まで奪うらしい・・・。運転手は鼻歌交じりに運転、超ゴキゲンだった。そりゃそうだよな・・・。ホテルはオフシーズンのため、海側の部屋をガイドブックよりも安く、OR 13にしてくれたが、それ以上安くはならなかった。炎天下重いバックパックを担ぎ、他のホテルをチェックする元気もなく、そのままチェックイン。他のホテルの方がよさげに見える・・・。お洗濯をして、そのままお昼寝。今日は私、一体何時間眠るんだ??( 2005年09月25日 14時53分10秒)
July 28, 2005
1泊目のマスカットのホテルだけは予約していこうと思い、『歩き方』に紹介されてあるアドレスにメールを送ったのだが、リターンされてしまったため、ホテルさえも決まっていなかった。マスカット22:30着。30日の観光VISAをその場で購入(OR 6。空港のレートでOR 1≒334円)、入国審査、荷物受け取り等終えた頃には23時半を回っており、「今日はうちに泊まったら?」というYinmiaoさんのお言葉に甘え、彼女のお宅に泊めさせてもらった。上海から電車で10時間あまりかかるところの出身の彼女は、ご主人や10歳になる息子さんを中国に残し、2年前からオマーンの病院で働くシスター&看護士さん。「年に30日あまりの休暇しか家族と過ごせない。オマーンに戻ってきた今日は、寂しさがいっそう募る。今日はあなたが一緒にいてくれるからいいけど」と言ってくれた。オマーンの後は、アメリカかイギリスで働き、更にスキルアップしたいと言っていた。結婚しているのに、自分を高めるための努力を怠らない彼女の生き方はかっこいい。それに会ったばかりの、それも中国人の彼女から見て日本人の私を家に泊めてくれるのだもの。すごい人だ。私が逆の立場だったら、そうできるかどうかわからない。。。彼女のシングルベッドで、互い違いになって就寝。(2005年08月20日 10時59分23秒)
July 27, 2005
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