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夏の甲子園真っ盛りですが、“もう1つの甲子園”をご存知ですか?私が子どもの頃、欽ちゃんがドキュメンタリーをやってきた記憶があるのですが。定時制通信制高校の野球部の子たちは、甲子園ではなく、神宮球場をめざして頑張っています。3月までお世話になっていた学校でも、私が赴任した1年前に赴任されていた先生が、大学までばりばりの野球部だったこともあり、彼によって創部されました。定時制と言って一般的にイメージされる? 勤労苦学生は少ないです。地区によってやんちゃな子が多い学校や、外国籍の生徒も多くいる学校もありますが、私が最後に勤めた学校は、小・中学校で不登校だったり、低学力の生徒が多くいました。私が赴任した当初、創部間もない野球部も、バットやグローブを握るのも初めての子もいて、キャッチボールさえもおぼつかない有様でした。試合を観に行っても、ストライクが入らない、相手チームのバッターが少し飛ばせば、後逸でランニングホームラン、初戦コールド負けが続きました。それが昨年の秋、ようやく県大会で準優勝(★)、今年の春の大会では優勝し、念願の全国大会初出場を遂げました。全国大会でも勝ち進み、昨日、準決勝進出が決まったという朗報が届き、私のむち打ちも吹き飛ぶような気がしました(★)。せっかく唯一の私のお休み、日曜に試合があるのですから、東京まで応援に行こうかと思いましたが、水曜までに提出すべき外泊願を出していなかったことと、日曜の朝6時30分までは外出しては行けないことから、とても朝8時からの試合には間に合いませんでした今、ネットで結果を知りました。残念ながら、準決勝にて敗退。昨日の試合がのため途中4時間半の中断があり、計7時間くらいの試合でしたから、その疲れも残っていたのでしょう。でも本当によく頑張ったと思います。試合速報の画面を見て、うるうるしてしまいました創部した先生もきっと喜んではるでしょう。それに弱小野球部をここまで盛り上げたのは、元気で、運動能力は高いけど、ルールはあんまり守れない、あほだけど、愛おしくてたまらない、3月に私と一緒に卒業した学年の生徒たち(★)の頑張りも礎となっています。いろんな感情が沸き上がってきました光と陰? 人気blogランキングへ
August 13, 2006
担任をしていた生徒が3人、仕事が終わった後に、私の最寄り駅まで遊びに来てくれたので、一緒に晩ご飯を食べました近況を聞かせてもらったり、在学中には気づかなかった人間模様を垣間見せてもらったり、思い出話にも花が咲きました私がもうすぐ神戸を離れるからと、こうして集まってくれたことがすごくうれしかったです先週、野球部が県大会で優勝し、全国大会への出場を決めたとのこと野球部のOBの子たちだったので、「むっちゃ感激した」と言っていましたまた、私が退職した後、私のクラスだった子の進学が決まったとのこと。悲しいのは、そういう連絡が一切入ってこないんですよね試合の応援にはほぼ毎回かけつけていたのですが・・・歓送迎会の席でも、それまで「先生」と呼んでくれていた人が、いきなり「さん」付けになり、退職したらただの人になるのだとは感じましたが、連絡さえ途絶えるのは、かなり淋しいものです生徒の方がよっぽど情があるわ~。さすが私の教え子。なんちゃって前日の日記にも書いた通り、前の前の学校では先輩に恵まれたけど、この学校では、生徒に育ててもらいました。彼らが1年生の時は授業中の中抜けや携帯、私語、校内での喫煙等々、自由奔放にすごしていたのが、2年生から私が担任となり、「授業中は席についていなさい」「学校に煙草を持ってきてはいけない」「机の中や教室に、ゴミは捨てるな」などと口やかましく指導するようになったため、2年生の時には多くの生徒が反発し、大変でした。通勤途中、生徒に刺されるかもしれないと本気で思ったこともあります。でもその時、「刺されてもしゃーない」と肝が据わって以来、自分自身、覚悟が決まったというか、強くなれた気がします。その後も、人を傷つける言動や、自分のしたことをごまかそうとしたり、生徒同士のトラブル等、折に触れ、真剣に生徒たちと向き合ったことで、私自身、人間的に大きく成長させてもらいました残念ながら、まだまだ不十分だったことを生徒たちから聞かされ、ちょっとへこんでいますが完璧な人間などいないし、少しずつ、ちょっとずつですよね。かわいい生徒たちという宝を与えてもらったのですから、これ以上、欲張りすぎてもいけませんよね♪探し物は何ですか? → 人気blogランキングへ山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・
June 17, 2006
金曜、前の前に勤めていた職場の先輩と、お茶しました神戸を離れる前に会っておきたかったお一人なので、連絡下さってうれしかったです現況や当時の思い出、今後のことなど時が経つのも忘れて、あれこれお話ししておりました。話しながら、その先輩は、生徒が全国大会で味わった感動体験に共感したり、生徒の頑張りやセンスを讃え、管理職に対しても、主張すべきところは主張する。十くらい年下で、講師の私のことも、決してさげすむことなく、対等に接して下さるんですよね。年齢や社会的地位などで、接し方を使い分けるのではなく、誰とも対等に接する。そんな当たり前のことを自然にできる方だったのだと、改めて気づきました。だから居心地がよく、お付き合いさせていただけるのですね。私もそんな風になりたいと思える、素敵な先輩との出会いに感謝です当たり前、だから大切なこと → 人気blogランキングへ山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・
June 10, 2006
一昨日も紹介した、江原啓之さんの本の中に、仕事には天職と適職があるというお話があります。食べるため、お金を稼ぐための仕事は適職。天職というのは、本当に心、たましいを輝かせるための仕事。かといって就きたい仕事に執着するのではなく、自分を見極め、分をわきまえなさい。 江原啓之、『苦難の乗り越え方』、パルコ出版局、2006年、134~143頁昨日、紹介したA先生は教え上手で、まさに天職だと思います。仕事の面でも細やかな気配りをしてくださり、生徒指導上でも信頼でき、A先生とご一緒させてもらった時が、一番安心して、のびのびお仕事できました。私は学生時代、子どもをキャンプに連れて行くアルバイトをしていました。子どもをひきつける、教師になるために生まれてきたような諸先輩方と接し、人のいいところを見つけ、伸ばしてあげられる人たちと比べ、私は物事のマイナスを見てしまう傾向が強く、教師向きではないと思っていましたたましいの法則で絶対にしてはいけないのは、人と比べること。これほど時間のムダ、無意味なことはありません。と、上記の本で江原さんも書いていますが(55頁)、随分、時間をムダにしてしまいました。学費を稼ぎ、食べていくための、まさに「適職」として、教壇に立っていました。生徒に「先生、家庭科嫌いやろ?」というツッコミにたじろいたこともでも担任をもたせてもらい、生徒たちと真剣に対峙するようになってから、随分変わりましたね。生徒指導を見逃せば、目の前の自分の仕事も増えないし、生徒に迎合すれば、一時的な人気取りはできたとしても、それが本当に生徒のため、人を育てることにはならない。結果的に問題が大きくなり、生徒指導が増えることもあるし、何より、生徒と真剣に向き合うことこそ、教師のお仕事だと感じました。一方で、講師だからと、バカにされることがままありました。もし仮に、私のことをバカにしはる教諭が全校生徒の担任をできたらその先生は満足なのかもしれませんが、そんなことはあり得ないし、いろんな経験や考えをもった、人生の先輩たちに囲まれて育つことで、生徒たちは刺激を受け、自分に必要なものを選び取っていくんじゃないかな。サラリーマン先生たちに比べれば、生徒の成長という視点をもつ私はおこがましくも、教職向きだったのかもしれません。(あ、また人と比べてしまった)未だ自分の適職も天職もわかっておりませんが、とりあえず、マラウイで家庭科を楽しんできます山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・お仕事、楽しんでますか? → 人気blogランキングへ
June 9, 2006
前夜飲み過ぎ、二日酔いの私のカラダベッドでぐうたら、チャンネルをかちゃかちゃしていたら、秋山仁さんのNHK高校講座「数学基礎」が始まり、思わず見入ってしまいました。最初は、ん? “高校”数学?と思うような導入でしたが、すごくわかりやすい「文字と方程式」のところでしたが、文字を使うことで一般化できることや、途中の計算を省き、思考を簡略化できることなどを具体例とともに説明してはりました。私は、数学もずっと苦手でした。公式が覚えられなかったんですよね。高校数学などまったく理解しておりませんでもこの番組のように、地球の円周を測るとか、ようかんの曲線や楕円、双曲線を公式で表すことができるなど、具体例とともに提示してくれれば、もう少し興味をもって、数学に取り組めたんじゃないかと思いました。1年間、一緒にお仕事させてもらったA先生の専門が数学でした。そのA先生はわかりやすいと、生徒たちに大好評でした決して学力の高くない生徒も、A先生に教えてもらって思わず、「数学、おもろいなぁ」とつぶやいたのには、とっても驚きました数学をB先生から習っている生徒が、試験勉強で苦労していたので、のぞきこんだところ、その生徒は、公式がなぜそうなるのかがわからないんですよね。私自身、それで苦労したので、説明したところ(私でも説明できる程度でした)、「あ、そうか! そういうことか!」と。とってもよくおできになるそのB先生は、公式は覚えるものだと彼が、なぜ覚えられないのかが、理解できない。できすぎる人は、できない人がどこでつまづいているかが、理解できないのでしょう。優秀な成績をおさめた生徒が、いい先生になるとは限りません。最近は理科も、でんじろう先生のような実験など、理数科目への興味を持ちやすくなっていますね。語学講座や、にほんごであそぼなどの子ども向け番組をはじめ、教育テレビが頑張っているのかな?山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・数学、お好きでした? → 人気blogランキングへ
June 8, 2006
日曜は、前日の疲れでぐったり起きあがれませんでした。大したことしてないのに、この2ヶ月、すっかり怠惰な生活をしていたせいですね。こんな調子で、社会復帰できるのでしょうか?夜、Hさんからメールをいただき、近くの焼鳥屋さんでおごってもらっちゃいましたあんな立派なハレの舞台を作り、生徒さんやそのご家族を幸せにしているだけでなく、こうして気配りしてくださるHさん、本当に素敵です舞台では、すごくいい気が流れていたとおっしゃっていました。照明さんの例をあげてはりましたが、スタッフの方々それぞれその道のプロなのだし、プロとしてのアイデアを出してもらって、舞台を作り上げているそうです。「サラリーマンとしてでなく、芸術作品を作らせてもらえる」と喜んではるそうで、そんなみんなのいいパワーが集まって、より良い舞台になっているのでしょうねHさんは芸術家として素敵なだけでなく、人を育てるのもお上手だと改めて感じました山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・今日も「美味しい」お酒を飲みませう → 人気blogランキングへ
June 5, 2006
バレエの発表会でした。数ヶ月間頑張ってきた練習の成果を・・・ってちゃうちゃう半年ぐらい前に、バレエ教室の先生とお知り合いになり、その教室の発表会のお手伝いをしてきました。20~30人くらいの保護者やスタッフに混じり、舞台に立つお子ちゃまたちの顔や体にドーランを塗る塗る塗る・・・メイクは最初、他の方がされていましたが、お化粧直しの時には私も参加し、どきどき「さっきと違う」と、保護者の方からツッコミが入ることもあり生まれて初めてバレエを生で見、裏方を垣間見させていただき、いろんなことを感じました。まず、バレエ音楽の発表会では、無意識にプロの方たちの演奏と比べてしまい、聞いていてツライことがままありますがバレエは生まれて初めて接したせいか、見ていても楽しかったです。自分の体を使っての表現、素晴らしいですね私は中学の時の創作ダンスや、高校の時の器械体操等大嫌いでしたが、自分の体にコンプレックスが強すぎたからだと、改めて思いましたもちろん、プロとしてやっていくには恵まれた体躯が必要ですが、素人、それも強制的にさせられる学校体育の場面では特に、足が短いとか、背が低いとか、自分の力では変えられないことを責めるのは理不尽であり、自分の体を使って表現することの楽しさを味わいたかったと思いました。それにしても皆さん、気持ちよさそうでした次に、子育て裏方で、色んなお母さんに接し、あれこれ考えさせられました。何よりも自分の子が大切で、必死になってしまっているお母さんもいれば、謙虚に、周りに気配りできるお母さんもいて、人それぞれでした。幼稚園や学校の先生、そして習い事のお教室の先生方も、こういうお母さん方を相手に、大変だろうなと想像しました。「日焼けでついた、水着の跡をドーランで隠してください」とおっしゃるお母さんもいました。この時期に水着の跡って、どちらにおでかけだったのでしょう?私は定時制高校に勤務していたので、家庭的に恵まれない生徒たちに接する機会もままありました。こんなきれいな衣装を着せてもらうことも、お母さんが自分のために必死になって、時間を割いてくれることも味わったことのないだろう生徒たちも多く、格差社会の一端を、ひとりかみしめておりました・・・最後に、Hさんご夫妻Hさんご夫妻と飲むと、いつも笑顔をわけてもらえます仕事でぐったり疲れた時にも、Hさんご夫妻とお話しして、リフレッシュさせてもらったことが何回かありましたこうやってたくさんの人たちを幸せにしているHさん、それを細やかな気配りで支えてはるご主人も素敵なお仕事、そして生き方をされているなと改めて感じました 山下さんが笑顔でいられる時間が増えますように・・・Shall we dance? → 人気blogランキングへ
June 3, 2006
山下久仁明、『ぼくはうみがみたくなりました』、ぶどう社、2002『ぼくはうみがみたくなりました』この青くきれいな表紙と、タイトルには見覚えがありました。最初、ピンと来なかったのですが、山下久仁明さんのブログでリンクしてはる、自閉症の子をもつ親御さんのHPを見て納得。当時、初めて担任をもたせてもらった生徒たちは自分の席に座っていられず、授業中の私語や携帯、飲食、化粧等が止められず、授業を受ける態勢ではありませんでした。学校のルールが守れず、暴力事件や生徒指導も重なり、職員室でも誰を信頼、相談したらいいのか、ワケがわからなかった頃、「おまえなんかより、もっと苦労してる人がいるんじゃ!」と人から教えられたHPで、この本のことが紹介されていました。苦労の比べっこをしたところで、解決策が見えるわけじゃない。その励まし?罵倒?はどうかと思いますが、すっかり余裕をなくしていた頃の自分を思い出しました・苦笑愚痴ですが・・・先日の飲み会(★)の席で、そのように崩壊状態の学年に私を入れた管理職から、私宛には転勤の挨拶状が送られていなかったことを知りました。転勤の挨拶って、この業界では当たり前の礼儀です。それを、講師と教諭で区別するのって、講師を一人の人間としてさえ見ていないのだと思います。教諭と変わらない仕事をさせておきながら、身分で差別するのって、教育者として一体どうやねんそんな環境のなか、自閉症をもつA君を担任させていただくことになった時には、ほんまに不安の方が大きく、逃げ出したかったです。保護者の話を聞き、自閉症に関する本を読みあさり、自閉症の子を持つ先輩や、A君の主治医に話を聞きに行ったり、私にできることはさせてもらったつもりですが、普通学級ですし、学校側の受け入れ態勢も十分ではなく、崩壊状態の学年で、自分の教科指導にも追われ、残念ながら、A君とすごす時間を満喫する余裕はありませんでした。それでもA君とその保護者と、まわりの生徒たちと同じ時間を共有できたのはいい経験でした。『ぼくうみ』を読み、A君も、主人公の浅野淳一くんと同じように繊細で優しく、豊かな内面世界をもっていることと想像しています『ぼくはうみがみたくなりました』、130頁より引用↓「自分のすぐ下あたりのレベルに線を引きたがる。そういうところが、日本人の大多数が持っている中流意識の原因なのかもしれない。自分だけは無理をしてでも上のレベルのグループに入りたがる。ボクが一番嫌いなのは、その無理やりの線引きなんだ。」私はそんな線を引く人間にはならないゾ! にほんブログ村 教育ブログ 人気blogランキングへ
May 2, 2006
山下久仁明、『ぼくはうみがみたくなりました』、ぶどう社、2002先日、本屋さんに探しに行った本が、これです。残念ながら、神戸で一番大きな本屋さんは2軒とも在庫切れとのことで、楽天さんで注文したところ、早速届きました。自閉症の息子さんを持つお父さんが書かれた、自閉症を題材にした小説です。沢村光さんのブログで、映画「ぼくはうみがみたくなりました」製作準備実行委員会のHPにリンクしてはります。そこからレインボーおやじさんこと、山下久仁明さんのブログにたどり着き、2004年5月開設時の日記から一気に読ませていただきました。ある場面ではくすっとふき出し、またある場面ではうーんとうなり、そして、涙が止まりませんでした。ブログによれば、この本の出版化にあたり、山下さんの知人の著名な作家の方に読んでもらったところ、「登場人物の誰にも感情移入できない」と、酷評されたそうです。きっとその作家の方は、これまで自閉症の人と接する機会がなかったのだと思います。私は2年間、自閉症の生徒の担任をさせてもらいました。担任をする前は、正直、不安の方が大きく、自閉症に関する本を何冊か読んだり、彼のかかりつけのお医者さんにお話を聞きに行ったりしました。それでも学校としての限界や、私のゆとりのなさ等々、十分なことができたとは言えませんが、貴重な経験をさせてもらったと思います。この小説は、自閉症の子の内面を垣間見させていただいたようで、私は何度か涙したし、買って良かった本です。ブログでは、誤植を訂正するためにも早く版を重ねたいと何度か書いていらっしゃいますが、初版を入手できたのもラッキーでした^^映画「ぼくはうみがみたくなりました」制作準備実行委員会トップページより引用 私の長男・大輝(ひろき)は15歳。どちらかというと重い方のタイプの自閉症。3月には地域の中学校の障害児学級を卒業し、この4月から養護学校の高等部の仲間に入学……する予定でした。 が、映画の企画をスタートさせようと思ってこのホームページを仲間と作成し、正式公開をする直前の3月28日の夕刻、長男は散歩の途中にJRの線路に入ってしまい、電車に轢かれて命を落としてしまいました。(詳細は私のブログの2006/3/28以降を読んで頂けたらと存じます) 私は今、長男が「15年間ありがとう。いっぱい世話かけたけど、これからはもういいから、ボクのためにも映画をつくってよ」と私の背中を押してくれていると信じ、企画を進めていくつもりです。 みなさん、お願いします。映画制作にご賛同・ご協力を頂けたら嬉しいです。私も賛同し、微力ながらブログにて応援させていただきたいと思います。 にほんブログ村 教育ブログ 人気blogランキングへ
May 1, 2006
昨夜は、前の職場の人たちと飲みに行きました。4人集まったのですが、2人は転勤し、今も同じ職場に残っているのは1人だけ。それぞれの新天地でのお話を聞きました一方で、元の職場。なんだか予想以上の展開になっているようで・・・私がいたところで大したことはできないかもしれませんが、生徒のためを思って行動できる、生徒と真剣に向き合うことのできる人が減ってしまったようです。もし仮に、私がそこにいたところで、昨年度以上にストレスを抱え、余裕がなかったかも知れないけど、今の状況は、生徒がかわいそうだなと思いました。今のこの悔しさを、マラウイで活かしてきます!↓ぽちっとお願いします にほんブログ村 教育ブログ 人気blogランキングへ
April 30, 2006
近くの韓国料理屋さんから、パソコンを貸して欲しいと電話があり、持っていきました。お姉さん、4月いっぱいでお店を辞めて、韓国で新規ビジネスに参入するのだそうです。その製品を扱っている会社の紹介DVDを見るため、パソコンが必要とのことでした。私のパソはmacのためか、残念ながら見られなかったのですが。そのため、お姉さんをリクルートに来ていた営業さん?の説明を私も一部、聞かせていただくことになったのですが・・・。(もちろん私に勧められたわけでなく、隣で聞いていただけです)そのジャンルは、韓国でも日本でも今後、拡大する市場であり、韓国のみならず、日本でも同時に営業活動をしていったらいいとのことでした。話を聞いたのは途中からであり、会社のシステムを理解していなかったためか、DVDがコピーであり、win専用といった注意書きさえなかったことや、その人の身なりの怪しさが気になりました。発展途上の業界だからこそ、DVDもコピーなのかもしれないし、今こそチャンスなのかもしれません。でも私は、人体への安全性が確かめられていないその製品を、先行投資で数百万円かけて取り組むのは、危険じゃないかと危惧しました。こういうところで勝負にでれない私は、一生、小市民なのかも知れません・苦笑でもいくら便利でも、人体への安全性が確かめられていない製品で、お金儲けをしたいとは思わないし、何に人生を賭けるのか、その人の価値観や生き様が投影されるのだろうなと思いました。お姉さんの韓国料理が食べられなくなってしまうのは寂しいけれど、次の人生で花開くよう、お祈りしています大好きだったお姉さんのじゃがいも鍋→ ソウルのチェーン店や、東門街(=神戸の繁華街)をはじめ、どこで食べたものよりもお姉さんのじゃがいも鍋が好きでした 共感していただけたら、↓ぽちっとお願いします にほんブログ村 ポータルブログ 人気blogランキングへ
April 18, 2006
土曜は歓送迎会でした。北野のおしゃれなイタリアンで、美味しいお食事と飲み放題を満喫しましたが、後半はお酌に回ったため、残念ながらメインのステーキと、デザートを食べていません・・・美味しそうだったなぁ。ステーキ・・・先生方からたくさん餞別をいただき、感謝です。なかでも一番感動したのは、離任式に来られなかった卒業生がことづけてくれた、卒業式の写真とスティッチの写真立て、オレンジのカーネーションでした。送り主は、すごく友達思いの優しい子です。ある子が持っていたスティッチのシャープがあまりにもかわいくて、私が喜んでいたのを覚えてくれていたのだと思います。オレンジも私の大好きな色ですし、バイト先のメモ帳いっぱいに書いてくれたお手紙にも泣かされちゃいました。私の宝物です♪ 良かったら↓ぽちっとお願いします ブログランキング にほんブログ村 人気blogランキングへ
April 16, 2006
昨日は離任式でした。通勤路沿いの民家の軒先に咲いていた桜。 同じ枝から、白やピンクの花が咲いていただけでなく、同じ花のなかにも花びらの色の違う物があり、不思議な桜でした。学校の桜。 最初、泣きながら通っていた頃には、”学校へ行けば、桜が見られる”と、自分を奮い立たせていた桜たち。満開で、私を送り出してくれました^^離任式は、生徒たちがすごく静かに、真剣に聞いてくれてうれしかったです^^一緒に転出した先生も、「生徒たちのあんな立派な態度が、最高のはなむけ」と、感動してはりました。私が転勤した4年前は、集会で、前でしゃべってはる先生の声が、マイクを通しても聞こえないほどでしたし、授業中も立ち歩いたり、私語、飲食、携帯、化粧等、横行していました。その先輩とは3年間のお付き合いでしたが、「生徒を守ってやるだけでなく、社会に出て通用する力をつけてあげることが仕事」という教育観をお持ちであり、自分がぶれそうな時や、困った時など、常に頼りにしていました。彼女と一緒にお仕事できたのは、恵まれていたと思います。彼女をはじめ、生徒たちと真剣に向き合うことのできる先生たちが集まり、たった3年間で、本当にいい学校になったと思います。3年前、ほんまに大変だった頃を懐かしみながら、美味しい韓国料理とお酒をご一緒させていただきました^^私が退職することを知った卒業生たちも何人か、顔を見せに来てくれたのもうれしかったです^^
April 13, 2006
今日がお勤め最後の日です。同僚から、「転勤と退職では、違うと思う」と言われ、改めてことの重大さに気づいた私^^;それまではあんまり実感なかったんですけどね。学費を稼ぐために教壇に立ち始め、学生と講師、そしてボランティアに明け暮れた6年。その後、常勤の講師として8年。最初の頃は、自分の学業を生活のメインにしていましたし、ほんまのアルバイト先生でした。今思えば申し訳ない限りです・陳謝教師としてのスタートも、定時制高校でした。自分より年上の生徒さんたちや、やんちゃな生徒たち、ニューカマーで意志の疎通さえ困難な生徒、しょうがいを持つ生徒などなど、ごった煮のようなあの学校でスタートしたからこそ、今の自分があるのかもしれません。次に、全日制の学校でお世話になりました。ここの家庭科主任さんは、教科書の著者のお一人であるほど研究熱心であり、自分にも他人にも厳しい方でした。私はここでも不適応を起こしていましたが^^;この先生に鍛えていただいたことも、自分の肥やしとなりました。学校を卒業した後、定時制高校で働き始めました。まだ自分自身の学業や、他の興味・関心の方が強く、腰かけだったと思います。でも、良き先輩方に恵まれ、社会人としての心構えや、生徒のことを第一に考え、行動する、教師としてのスタイルを学びました。そして、今の学校へ転勤。望まぬ転勤だったこともあり(★)、最初の頃はほんまに泣きながら通っていました。“(通勤路で)須磨の海や桜が見られるから、今日も頑張って学校に行こう。”そんなことで自分を奮い立たせていました。生徒と会った2日目に「お前、誰やねん。(私と入れ替わりの)○○(先生)、返せや!」とすごまれ、殴られそうになったり、校内で暴力被害にあった生徒が職員室ではなく、交番に助けを求めたり、なんだかとんでもないところに来てしまったな、というのが率直な感想でした。そんな環境の中、自分自身やる気を失っていたんでしょうね。生徒から、「先生、家庭科嫌いやろ?」と言われ、ハッとしたことがありました。2年目からは担任をさせていただきましたが、ほんまに大変やったし、退学せざるを得なくなった生徒に、刺されるかもしれないと本気で思いました。正直、怖かったけど、刺されてもしゃーないなって思ったし、そこで肝が据わったような気がします。やる気のある管理職と、生徒と向き合うことのできる先輩や同僚たちに恵まれ、学校も大きく変わったし、ほんまに色んなことにチャレンジさせてもらって、やりがいのある職場でした。生徒たちと真剣に向き合い、私自身、大きく成長させてもらったことに感謝しています。寂しさや不安もありますが、しばらくは歯医者さんや美容院に行ったり、自分のために時間を使おうと思います。まずはお部屋の大掃除からだわん♪
March 30, 2006
派遣会社に登録に行きました。(西梅田が大都会に変貌していたことに大変驚きました^^;)まず、書類を数枚書いた後、仕事の適性やパソコンのスキルチェックがありました。適正チェックでは、ストレス度「0」! 自分でもびっくり!もちろん、このような場ではあえて選んだ項目もありますが、「脳天気すぎる」とのコメントもありました^^;自分の性格傾向に関する質問にも、以前なら、こうは答えられなかったなと感じるものがいくつかあり、少しずつ変わり始めている自分を再確認しました。パソコンのスキルチェックは、自分が思っていた以上にテンキーも、ワードもエクセルも使えず、ちょっとへこみました (>_< )でも自分の足らない部分を再確認することができたし、これもいい機会だったかなと思います。朝のカウントダウン占いでは、うお座は1位で「今まで迷っていたことも解決へ。 長年の夢が遂に実現するはず。」とのことだったので、いいお返事がもらえたら良いのですが、技術力も経験も乏しいですし、不採用でもやむを得ません。また別のお仕事探します。ちなみに朝見た夢では、以前、勤めていた職場の、尊敬できる先輩たちとまた一緒に働けるようになり、私のことを大切にしてくれる彼氏もできるという、なんとも幸せな夢でした^^占いのメッセージは、この夢のことだったりして^^;
March 28, 2006
今月いっぱいでの退職が決まったので、5月以降、実家に帰っていいかどうか実家に電話したところ、あっさり却下されました・・・6月まで神戸にいます。さて、職探し。とりあえず派遣会社数社にメールを送ってみました。
March 23, 2006
私もいつかはこんなママさんになりたい、素敵なしおん4621さんがパラリンピックの成田真由美さんを紹介してはりました(こちら→★)。リンクしてはる小学校での講演会の様子を見て、こういう機会を提供することも教師としての大きな努めであると感じました。私が、今の学校に未練を感じている一つに、「総合的な学習の時間」があります。ゆとり教育の結果、基礎学力が低下したと批判の大きいカリキュラムですが、今の学校では、教師が自分の得意分野を活かし、好きなことをさせてもらえました^^;私も試行錯誤の結果、「アジア文化」という講座を開講し、国籍の異なる人や海外で活躍している日本人、在日コリアンの人たちをお招きして、話を聞かせてもらったり、料理や音楽、民族衣装の試着、造形などの体験をしました。生徒たちが戸惑いながらも異文化と接するなかで、普段の授業では見る機会の少ない、彼らの優しさや思いやりを感じることもできました。在日コリアンの方に対し、無意識で差別的な言葉を使った生徒に対し、他の生徒が「それは人を傷つける言葉だから、使ってはいけない」と、冷静に諭す場面も見られました。私が“指導”するより、より効果的だったと思います。この講座での出会いは、生徒たちが違いや多様性を認めるきっかけになったのではないかと思います。私が旅好きなのも、そこなんですよね。自分にとっての常識や当たり前がシャッフルされる。驚き、戸惑い、時には腹立たしく、意義を申し立てたり・笑、笑ったり、泣いたり、感動したり・・・違う文化と接することで、自分の考えや容量の枠を広げてもらったと感じています。自分自身のそんな経験を、少しでも味わって欲しいと思い、開講した講座でした。生徒たちが人生のいつかふと、この講座のことを思い出したり、経験を活かし、自身の肥やしにしてくれたらいいなと願っております。
March 20, 2006
卒業式が終わった後、参列してくれた去年までの上司たちと飲みに行きました。閉店まで1時間あまりしかなく、慌ただしかったですが、ほっこりしました。気のおけない人たちとの飲み会^^その後、同じ方面に住んでいる同僚と2次会に行きました。二人で飲むのは久しぶりだったこともあり、あれこれ話に花が咲きました。酔っぱらった勢いで、私が協力隊に合格したことを彼女に告げました。ぽろぽろ大粒の涙を流しながら泣いてくれて、なんだか申し訳なかったです。一時は気持ちが通じないように感じたこともありましたが、こんな風に私のことを思ってくれていることを知り、うれしかったです。結局3時過ぎまで飲んでまして、翌朝、もとい、翌昼起きたら、出勤時刻の20分前^^;卒業式に配られた紅白まんじゅうを食べながら、ここ数日、卒業式関係で忙殺され、できていなかった在校生の成績処理に励みました。手を休める時には卒業アルバムや文集をひらき、ほっこりしています^^
March 2, 2006
参加同意書は、3/2必着。期限ぎりぎりまで迷って、3/1の朝、速達で送りました。前日の日記(★)でも、みなさんの温かいコメント、ありがとうございました。読んでてうるうるしちゃいました。改めて、自分のことしか考えていない身勝手さを実感しつつ、父に感謝しました。きっと本心とは違うでしょうが、言っても聞かない娘に、ふさわしい言葉をくれたと思います。母にも申し訳ない限りですが、うるま かれんさんご紹介の新月へのお願い(★)に「私は母と仲良し♪」と書きました。きっと温かく見送ってくれることでしょう・・・甘えっぱなしの、ほんまに親不孝な娘です・・・涙さて、2006年3月1日は、私のかわいい教え子たちの卒業式でした。2年生から担任をさせてもらったのですが、1年生は奔放にすごしていたので、授業中、自分の席に座っていなさいとか、授業中の飲食や携帯、化粧はいけないとか、テストの時、しゃべったり、携帯をさわってはいけないとか、自分の食べた給食(パンと牛乳が支給されます)は自分で片付けなさいとか、教室や自分の机の中にゴミを捨てるなとか、そんな基本的なルールを伝えるところから、衝突の連続でした。後半の2つは、身につけられずに卒業する子も何人かいます^^;また、人や自分を傷つけてはいけない、自分の行動や言動に責任をもちなさいということもくり返し伝えてきましたが、やはり完全には伝えきれませんでした。などとエラソーなことを言っている私も、失敗のくり返しですが^^;最初の頃はほんまにしんどかったです。通勤中、生徒に刺されるかもと、本気で心配したこともありました。でも途中からは生徒がかわいくて仕方なかったです^^この学校では慣例のなかった卒業文集を作ったり、卒業アルバムに使えなかった写真をCDに焼き、ケースにそれぞれの顔写真を入れたり、自分にできるだけのはなむけをしてあげたいと思い、2月は慌ただしくすごしました。もともと涙もろい私。卒業式には泣いちゃうかな?とも思いましたが、意外にも気丈に、一人ひとりと握手しながら、はなむけの言葉を添えることができました。最後に、江原啓之さんの「経験、感動、成長」という言葉を引用し、しんどい時こそ自分が成長するチャンス。しんどいことから逃げるなと伝え、「卒業おめでとう!」と言ったところ、自然と拍手がわき起こりました。いい笑顔のクラス写真が撮れました^^
March 1, 2006
普段、音楽にはあまり縁のない生活を送っておりますが、なぜか大好きなんですよね、チャング。私が韓国に興味をもった最初のきっかけもチャングでしたし、ソウルの貞洞劇場でもチャングの音を聴くと、体の奥からふつふつと、魂が反応しているのを感じました^^(★)先週、チャングに触れる機会があったので、その写真です。 先週は、チャングのみならず、エイサーにも触れる機会がありました。 エイサーも大好きなんです♪エイサーって、中国っぽいリズムや踊りもありますよね。沖縄はアジアだと感じます。(日本もアジアなんですけど^^;)友人に、東南に出逢いがあるらしい(★)と話したところ、「東南アジアに行って来たら?」ですって・笑私の住んでいるところからは「東南」の方角ではないけれど、確かに「東南アジア」の方が私らしいかも。
February 9, 2006
公民館で給食サービスをしてはるところにお邪魔する機会がありました。月に2回、地域のお年寄りにお弁当を配達したり、お元気な方には公民館に来てもらって会食しているボランティア団体だそうです。「私もほんまなら、してもらう方なんですけどね」とおっしゃる年輩の方もボランティアしてはりました。会食に来たお年寄りの方もいい笑顔でしたし、誰かとお話ししたり、外に出かけるいい機会になっているのでしょうね。 日常的にこういう活動を維持しているのは素晴らしいことだと思うし、地域の人とのつながりを大切にしなきゃと改めて思いました。仮設住宅にお邪魔していた頃を思い出しました。私にもできることがあるんじゃないかなと思いました。
February 8, 2006
昨夜は飛行機が遅れ、かつ関空がとても混んでいたこともあり、夜11時頃帰宅。帰宅直後に電話が鳴り、てっきり韓国の友人から無事に着いたか確認の電話だと思い、「よぼせよ~」と応じてしまいました。たまたま韓国料理教室のお友達だったので、通じたんですけどね^^;おそばせながら、今日から仕事始めです。2週間あまりのんびりさせてもらって、リフレッシュできました。
January 10, 2006
昨夜は職場の忘年会でした。今回の目的は、何といっても超豪華景品の当たるビンゴ大会!型番は不確かですが、こんなんとか↓ IXY DIGITAL職場のmacユーザーは私だけなので、私に当たるしかないんじゃないかと思ったのですが、winでも使えるそうで^^;↓ 【即納】iPod nanoiPod nano 2GB - ホワイトダイエット中の私にぴったり! オムロン体重体組成計カラダスキャン今から年賀状作るのにとっても役立ちそうな↓ デジタルカメラで撮影した画像をパソコンなしで簡単にプリントできるホームフォトプリンター 筆王2006これでおこたがつぶれても大丈夫! 送料無料+消費税込!速暖ハロゲンヒーターパートIIDXなどなど、豪華賞品が目白押しのなか、私が当たったのは、 【USBフラッシュメモリ】 ELECOM MF-PU2256SVとほほ。もっと仕事せいってことかもね・泣宴会でのふるまいって、人柄があらわれますよね。
December 11, 2005
昨日、出勤したところ、想定「外」のトラブルが起こっていた。直接の担当者は私だが、私の出勤がいつもより30分ほど遅くなってしまったため、その間すでにいろいろな人が対応されていた。言い訳をして、リカバリーしようとした人、組織のメンツにこだわった人、とにかく誠意を持って謝ることが大切だと、一緒に相手先まで行ってくれた人・・・3番目の人と道中お話しして、あれこれ考えさせられた。50代の彼いはく、失敗やトラブルが起こった時、その人の人間性が試される。逃げるのか、言い訳するのか、誠意をもって謝るのか・・・失敗やトラブルは起こるものだし、そこでどう対処したか、その後、失敗をくり返さないよう、自分がどう変わったか、そんな積み重ねで、信頼は深まるものだし、あいつなら信用できるといわれる人間になりたい。大人というのは、将来を見通せること、そして自分の決断や行動で周りの人たちにも影響を与えるのだから、周りの人たちの気持ちに配慮できることなどなど。昨日の日記にも通じる部分が多々あり、私自身、すごく反省させられたし、いい勉強になった。その後、帰社したところ、想定「外」、それも会社始まって以来というありえないトラブルがさらに2つ続いた。なんだか慌ただしく、通常業務の間にそれらをこなし、やっと自分のデスクに戻ったところ、来年の4月以降、私とは再契約しない旨の印刷物がぽんと机の上に置かれていた。(私は1年ごとに更新する契約社員です)これまで契約に関しては、社長と何回か面談し、話し合いで決めてきたが、こういう大切な書類を、誰の目にも見えるかたちで机の上にぽんと置かれたのは初めてだった。偶然が重なっただけだと思うが、トラブルを責められているようで、辛かった。打たれ弱い私は、むち打ちがでてしまい、痛み止めが手放せなくなってます^^;
December 9, 2005
今朝のテレビで、ヤンキー先生こと義家弘介さんが、自立支援施設にいる子どもと熱く語っていた。「生きることって何なんだよ?」「オレの答えはな、『生きることは探すこと』なんだよ!」熱すぎる人にはどうも照れてしまう私だが、この台詞には納得してしまった。人間関係が希薄になり、家族や恋人でさえきちんと向き合えていないこともままあるこのご時世、彼や夜回り先生こと水谷修さんのように真剣に向き合ってくれる人を、子どもたちは求めていると思う。「真剣に向き合う」のってお互いエネルギーが必要だし、大変。熱く語って、向き合っているように見せかけたり、自己陶酔することはできてもね。相手の気持ちを引き出し、これからのことを一緒に考え、その子の行動や考え方に少しずつ変化が起こり始める。そのプロセスの中で、向き合った大人であるはずの自分の考え方や生き方にも変化が起こりうるしね。現状維持を望み、変化を恐れる人や、固定観念の強すぎる人、あきらめている人・・・は、人と向き合うのも難しいんじゃないかな。今また、仕事でストレスをためつつあります。でもグチや悪口での発散は、できるだけしたくない。悪い言霊を引き寄せたくないから。マイナスオーラをどうはねのけていくか。これが最近、私が探していること=生きている証ですね。
December 8, 2005
今日は、先週の雨で延期になった、草野球観戦に行ってきました。 球場近くのヨットハーバー阪神高速湾岸線 野球観戦の差し入れ、バナナと、ケーニヒスクローネのクローネとシュークリームをいただいちゃいました。美味しかった~~~♪ 案の定? 夜はビール&ワイン・・・今は泡盛行ってます・・・恥『リセットダイエット』、明日からリセットします!・・・大恥サムスン、頑張れ~~~!イ・スンヨプ頑張れ~~~!
November 13, 2005
昨日は、スポーツの秋を満喫しました。と言っても、自分がするのではありません。見る専門です^^;休日出勤のお仕事を済ませた後、剣道の観戦。そして、夕方からは、鳴尾浜の球場へ行きました。と言っても2軍の球場の隣の、鳴尾浜臨海公園の方です。公園の中に、白球の森? なるものがあり、第65回高校野球出場校のプレートと、各県の木が植樹されていました。私にとっては、因縁の対決(★)。 今、調べたところ、65回大会は1983年、私が観に行ったのは60回、1978年。ともにPL優勝・泣ハナノキのひ弱さに比べ、イチョウはたくましく、木でも負けてるなぁ。ちなみに65回大会は、KKコンビが高1の時らしい。桑田と清原、プロ野球人生の始まりも、そして今年の契約更改も、明暗をわけてますね・・・阪神武庫川駅にて撮影↓(画面下に水面が写っている通り、 武庫川駅のホームって、ほんまに武庫川の上にあることにびっくり)セ界連覇 & 来年こそは日本一!
October 31, 2005
出張で、兵庫県の中央、多可郡中町というところに行ってきました。加古川駅からJR加古川線に乗り換え。昨年の12月に電化したばかりで、西脇市出身の横尾忠則さんがデザインしたラッピング車両もあるそうですが、私が乗ったのは普通のタイプ。ワンマン電車のため、駅によっては先頭部のドアしか開きません^^;高校駅伝で有名な、西脇工業高校のある西脇市駅で降り、そこからバスは1時間~1時間半に1本しかないそうなので、迎えにきてもらいました。西脇市駅では駅員さんが切符を受け取ってくれました。一緒に行った若い子は、自動改札のない駅に降りたのは初めてだと、感激していました。私が子どもの頃には、紙の切符に駅員さんがはさみを入れてくれましたが、そんな経験のある私は、どんどん時代の遺物になっていくことを実感した瞬間でした^^;車の中では、お迎えに来てくださった方から、西脇市出身の長谷川穂純選手は多可高校中退であることや、ピーターラビットは初回で、お父さんは隣家のマクレガーさんに食べられちゃったから、隣家に近づいてはだめよという話から始まる、母子家庭であること、キティちゃんは双子などの豆知識を教えて頂きながら、目的地に到着。久しぶりに彼岸花も見ました。神戸から2時間弱で、あまりにも違う風景。なんだか、韓国の田舎を彷彿とさせました。JRのパンフレットには、「中町は山田錦のふるさと」と紹介されていますが、中町のみならず、東条、小野など、播磨地区では山田錦が多く作られているそうです。この田んぼも山田錦かな?
October 6, 2005
先週の土曜、淡路への出張がありました。その時から、ストレスがたまっています。当日も、どう消化したらいいのかわからず、もやもやした気持ちを抱いたまま、連休明けて出勤したところ、ストレスはピークに。以前、うるまさんが日記で、ネガティブ思考では、ますますネガティブなモノを引き寄せてしまう「磁石の法則」や、「思った通りのことが現実となる」、「口に出したことが現実となる」と、書いていらっしゃいました。ほんま、その通りだと思います。今回は、前向きな悔しさは表明しても、自分の不快感を口には出さないでおこうと思いました。でも、ごっくん飲み込んだはずの不快感がもやもやと増幅し、ストレスは高まるばかり。消化できないイライラを抱えたまま、仕事帰りに飲みに行きました。いつもはマスターに愚痴を聞いてもらうのですが、今回は、口にしなかった自分を誉めてあげようと思います。
September 20, 2005
休日出勤で淡路に行って来ました。
September 17, 2005
久しぶりに、選挙に関心もっています、ワタクシ。今週はばたばたしており、残念ながら、各党のマニフェストを熟読できないと思います。(慌ただしい時、yahooの政党マニフェスト比較のようなページは助かります。)でも投票日までには、自分の1票をどう使うか、じっくり検討するつもりです。 * * *今日のネタは、お昼休みのできごと。かなり気の早い話ですが、お正月休みのプランをしゃべっておりました。今年は12/23の天皇誕生日が金曜のため、26日から3日間有休をとれば、長めのお正月休みを確保できます。でも、うちの会社では例年、12/25~26に外部向けのイベントがあります。「22日に出発できれば、エアチケットも随分安いんよね・・・」と私がつぶやいたところ、上司が、こう言ってくれました。「面倒みてあげるから、行ってきたら?」えっ???てっきり、「僕がエアチケット買ってあげるから、高い時期でも気にせず、行ってたら?」という意味かと思い、小躍りしちゃいましたよ。もちろん?「面倒みてあげる」=仕事は引き受けたという意味だそうです・泣上司いはく、「僕はアンタの“パパ”かい!」向かいの席の人いはく、「なんちゅー、都合のいい変換ですか^^;」・・・自分のおめでたさに、我ながら呆れました・・・。
August 31, 2005
駒大苫小牧の野球部長が、部員に暴力をふるった件に関し、高野連は、優勝も取り消さないし、秋季大会への出場も認める決定をした。正直、釈然としない。◇「暴力」に関して最初の 6/2 については、生徒の父親は30~40発、生徒は20発以上殴られたと言い、学校側は当初3~4発平手打ちと言っていたのが、10回くらいは…と訂正。「あごが外れ、外傷性顎(がく)関節症と診断」("信濃毎日新聞" 2005/8/26 社説)されるほどの怪我をしたのだから、激しい「暴力」があったのだろう。怪我をさせるほど殴るのは、「体罰」の域を超えた「暴力」だし、非難されてしかるべきだと思う。私も小学生の頃、忘れられない経験がある。忘れ物をした私は、帰りの会、級友たちの前で、担任の教師から数回平手打ちをくらい、教科書やランドセル等が、みるみる自分の鼻血で染まった。教師にしてみれば、私の腐った性根をたたき直してやるという、教育魂に燃えた行為だったのかもしれないが、正直、今も納得はしていないし、教師の行きすぎた「体罰」や「暴力」には、絶対反対だ。しかし「2回目の暴力」とされる、8/7に関しては「スリッパで頭を1回殴った。」"朝日新聞" って、それは「暴力」なのか?子どもが、ほんまにあかんことをした時、例えば、人を傷つける発言や行為をしたり、自分をごまかした時などに、止める大人は絶対必要だと思う。自分の子どもにさえ向き合っていない親も多いと思うし、地域はもちろん、学校の先生も向き合えていないことが多いのではないか。「あかんもんは、あかんのや」と、最低限のルールさえ学ぶことができずに、成長する子どもたちは不幸だし、日本の将来さえ危ぶまれる。今回の8/7のケースでは、ご飯を3杯食べなかったくらいで「殴られ」てはタマランと思う反面、「スリッパで1回」を、「殴る」「暴力」というのは、過剰反応すぎるような気がしている。◇事件の発覚、学校の対応、そして和解に関して殴られた回数を3~4回にすれば、秋季大会に出場できるかもしれないとか、甲子園での試合が終わってからにして欲しいとか、学校側の隠蔽工作はいやらしい。しかし、なぜ今、なのか。6月、怪我をするほどの暴力を受けた直後に、なぜ表面化させなかったのか。昨日のお昼のTBSでは、殴られた回数や学校側の隠蔽工作に関し、激怒している父親のインタビューを流していたが、同日夜のニュースでは、すでに「和解」 。「4時間30分を超える長い協議の末」"日刊スポーツ" とはいえ、あれだけマスコミで大騒ぎをしたわりには、あっさりすぎやしないか?明徳義塾OBの方によれば、明徳の事件が表面化した背景には、さまざまなオトナの思惑が絡んでいたらしい。今回、どのような「和解」だったのか。オトナたちの利害関係が見え隠れする、いやらしさを感じる。◇高野連の決定に関して生徒間の暴力だった明徳義塾のケースとは異なるし、「指導者の行為の責任を選手に負わせるのは適当でない」("朝日新聞" 同上)という判断だったようだ。しかし明徳の場合には、暴力をふるっていない生徒たちまでもが連帯責任を問われ、夏・春の甲子園出場の機会を奪われているのに対し、バランスを欠いていると、私は思う。学校や部の体質に、少なからず問題はあったと思うし、やはり優勝旗は返還すべきであり、秋季大会の出場も辞退すべきではないか。こんなこと言ってたら、極楽浄土に連れてってもらえないかしらん。
August 27, 2005
シングルマザーをしている知人の娘さんが、学校での友人関係で、ストレスを抱えているらしい。それに対し、知人は「ありがたいこと。社会に出て、会社に勤めたら、ややこしい人間関係なんて、なんぼでもある。学校でそんな経験させてもらえるなんて、ほんまありがたいこと。ミルクティーもお抹茶も濃い方が美味しいし、目も覚める。人間関係も、どろどろ濃い方が成長できんねん」後半の例えはともかく、娘さんのトラブルを成長の機会として、「ありがたいこと」と受け止められる彼女は、豪傑&素敵だなぁと思った友人たちの子育てを見ていて、子どもを大事にしすぎているというか、なかには子どもと同じレベルで、「○○ちゃんいややなぁ。もう遊ばんとき」などと言っている子もいる。それに比べ、この知人のような考え方の方が、きっとお子さんにいい影響を及ぼすだろうし、気持ちのいい女性だなと思った。私もいつか母になれるのであれば、こんな母親になりたいなと思った瞬間。
July 14, 2005
今日は月に1度の会議。先月同様、重大な懸案がいくつか上がったが、質問したのは例によって私のみ。そしていつものように、会議が終わった後、不満の声がいくつか聞かれた。・・・会議を活かしましょうよ。月に1度、仕事の手を止め、時間を拘束されるわけです。今後の私たちの仕事の方針がそこで決まるわけです。実際には管理職が決め、現場が動かしているとはいえ、一応「会議」でみなさんの「合意」を得ているわけです。会議の場で発言できない&しない今の職場って、「民主主義」社会とは到底思えず、暗澹たる気持ちになりました。
July 13, 2005
仕事の捉え方、とりくみ方も人それぞれだなと思う。今の会社では、期限のある仕事が定期的にまわってくる。その時期が近づくと、「もうやってるん?」「いやいや、まだまだ」と、まるで高校生のような会話が繰り広げられる。私は学生時代から宿題をためてしまうタイプで、決して、仕事の早い方ではない。でも、限られた有休を有効に使いたいと思う。有休をできるだけとらないことを良しとし、有休の日さえも出勤しているおじさまもいる。仕事の時は仕事に集中し、有休はきっぱりとって、自分の時間を満喫したいと、私は思う。今も期限のせまったお仕事を、人目も気にせず、せっせせっせとこなしている。このような場面では目立たず、みなさんと仕事のペースを合わせるのが慣例なようで、「早いな~」「今からそんなことして、来週から何するん?」などど嫌味っぽく冷やかされるが、 私は休みたいのだ。 ・・・げ。今日の占いカウントダウンで、「強気な態度はマイナスに。仲間と歩調をあわせよう」ですって・汗
July 8, 2005
今年の2月、数年ぶりに会った大学時代の先輩と痛飲する機会があった。数軒ハシゴし、翌朝気づいたのだが、マフラーがなくなっていた( ̄Д ̄;) ガーン高価なものではないが、ペルーで買った物なので、ちょっとショックは大きかった。その後、多分あの店だろうと思うお店に探しに行ったのだが、残念ながらなく、道で落としたのかな?今度いつペルーへ行けるのかな?と落ち込んでいた。先日、数ヶ月ぶりに泡盛を飲みに南風坊へ行った。席について早々、店長さんがやってきて、「こないだ来られた時、白いマフラーを忘れてはりませんでしたか?」と、奥から私のマフラーを持ってきてくれた。!('0'*)!(・・*)(・・、)。・゚゚・(>O<)・゚゚・。感激した。こないだって、もう5ヶ月も前のことですよ・・・。とにかくこのお店は居心地がいい。このお店で、スタッフからイヤな思いをしたことが一度もない。以前、一緒に行った友達が、「煙草ありますか?」とたずねたところ、銘柄を聞かれた。このような場合、「うちは○○しか置いてないんですよね。△△に売ってますよ」などと言われ、自分で買いに行くのが、大抵のお店での対応だと思う。ところが、このお店では「ちょっと待ってくださいね」と、店員さんが近くのコンビニまで買いに行ってくれた。おまけにその友達はライターも持っていなかったのだが、その店員さんはにこやかに「ちょっと待っていてくださいね」と、別の店員さんからライターを借りてきてくれた。帰り際、返そうとすると、「いいですよ。帰り道でもお使いになるでしょ? お持ち帰り下さい」いつもこの調子なのだ。とにかく、お客さんの居心地の良さを第一に考えてくれる。どの店員さんもいつもにこやかに対応してくれて、イヤな顔を見たことがない。このお店のオーナーは和田さんといって、今は焼酎専門店・遊屋にいらっしゃる。(その時々でいらっしゃるお店は変わる)とにかくこの和田さんの、人の育て方が上手だと感心している。以前、和田さんにどのように人を育てていらっしゃるのか聞いたところ、ミーティング等で徹底的に、自分の目標等を話してもらうとおっしゃっていた。自分はどうなりたいのか、では今、どうしたいのか・・・。みんなのやる気や活気が、このお店の居心地の良さになっているのだと思う。とにかくサービスの鏡のようなお店です。その辺のイタリアンやビジネスホテルなんかより、はるかに質のいいサービス=おもてなしの心を提供してくれます。神戸へお越しの際は是非、泡盛専門店・遊食屋南風坊 or 焼酎専門店・遊屋へ♪日本酒専門店・遊食屋をはじめ、他にも姉妹店はありますが、特に私のお気に入りは最初の2軒です。私がフリーページで紹介している泡盛や焼酎のほとんどが、和田さんのお店で教えてもらった銘柄です。
July 3, 2005
これまでいろんな人たちと一緒に仕事をさせてもらってきて、私のいいところを伸ばしてもらった上司もいれば、逆に萎縮してしまった上司もいた。以前お世話になった上司は、すごくプライドが高く、自分の仕事に専念していた。自分はたくさんの仕事を抱えているからと、雑用を部下に押しつけ、しかしそれらの成果物は、すべて自分の名前だけで発表するようなところがあった。いわゆる昔気質というか、職人流の人の育て方かもしれないが、当時の私は若気の至りか、納得できないと口にしてしまった。私たちの提案も聞き入れて欲しい。雑用は一緒にして欲しい・・・それが彼女の逆鱗に触れてしまった。その後、彼女のとった行動。決して対話を試みることもなく、その日以来、私とは目も合わせず、私の存在を一切無視した。出社拒否症になりかけながらも自分の仕事をこなしていたが、彼女は社長に、私を退職させるよう涙ながらに直訴したらしい。(かなりの剣幕だったと、隣の部屋にいた人たちから聞いた)上司とはいえ、管理職ではない平社員の彼女が、通常あり得ない人事権を行使し、私は退職することになった。(それが通ってしまうほど、当時はその会社も混乱期にあった。)そして今、同じ業種で、以前よりも悪い条件で、契約社員として働いている。非常にプライドの高い女性だった。今思えば、彼女から学べることもあっただろうし、私の言い方・言うタイミングもまずかったと思う。でも、彼女は私に対してだけでなく、別の気に入らない人の存在も無視し続けている。そちらの方はご主人がかなり力を持っていらっしゃるので、退職には至らないが。対話を拒み、意見の違う人を抹殺するようなやり方は、ほんま大人げないと思うし、一人の社会人として、尊敬できない。失った物も大きかったが、ここでの挫折が、今の仕事へとつながっている。昨日書いた、昨年までの上司は、自分の仕事をすいすいとこなすだけでなく、気配りのできる人で、契約社員の私とも対等に接し、尊重してくれたので、彼のもとでのびのびとお仕事をさせてもらった。
July 2, 2005
これまでわりと上司に恵まれていた方だと思う。勤め始めた当初から、楽しく仕事をし、自分らしさを発揮させてもらえることが多かった。2年前からそれなりの責任ある仕事を任せてもらえるようになって、これまでとは違った仕事の楽しみを感じつつある。そんななかで出会った昨年までの上司は、今思えば、かなり恵まれていた。すいすいと仕事をこなされるため、自然と私も刺激を受ける。彼のもとで仕事をするようになってから、仕事への取り組み方が変わったと、自分でも思う。わからないことを聞けばわかりやすく教えてくれるし、困った時に相談すれば、納得できるアドバイスをしてくれるため、全面的に頼り切っていた。苦手な人や価値観の違う人の存在を否定して生きることは大人げないが、たやすいことだ。私はそうしたくはないけど。自分のペースと尊厳を守って、お仕事頑張ろう!
July 1, 2005
帰りの電車の中、職場の人たちの年齢の話になった。いつも仕事中に阪神戦を見ているおじさまと、私が信頼している先輩が同い年であることを知り、「○○さん(=おじさま)、若く見えますね」と口走ってしまったワタクシ。「悪かったわね(怒)」と先輩。ひえぇぇぇ・・・。「いえ、そうじゃなく、あんなにお仕事されていないのに・・・(しどろもどろ (@Д@; アセアセ・・・ ・・・(゚_゚i)タラー・・・)」こんな時は何を言い繕ったところで、墓穴なわけで。はぁぁぁ・・・(ノ_-;)…。早く忘れてもらえますように・・・(-人-;)お許しを...((((*ToT*) 乂 ( ̄x ̄)バツ!
June 25, 2005
昨日の続き。Aさんは以前、Cさんのもとにいた。Cさんは普段から寡黙な人で、何を話しても「うんうん」と聞いてくれる。仕事の段取りを相談しても、具体的なアドバイスは滅多にないので、自分で考えて行動しなければならない。いい意味で捉えれば、自主性が育つと言えなくもないが、誰かが暴走していても止めることもない。Aさんからすれば、Cさんは自分のやりたいようにやらせてくれたのに、Bさんは考えを押しつけてくる、うっとおしい存在なのかもしれない。人はあるがままの自分を受け入れてもらったら安心できるし、のびのびと自分らしさを発揮できるだろう。でも「あるがままの自分」には至らないところもあるし、足りないところを補い、間違っていたところを正しつつ、もちろんいいところは更に伸ばしつつ、成長しているのだと思う。Cさんは、「何でも聞いてくれる」というより、聞き流しているのであり、「自分のやりたいようにやらせてくれる」結果、指導をしていない。人と向き合っていないと思うのだ。Bさんみたいに相手の意見も聞かず、説教だけでは、心を開きにくいだろう。(もちろん、説教から学びや気づきを得る人もいるだろうが、私は苦手)かと言って、Cさんのように聞き流し&ほったらかしも、結果として人の成長の機会を奪っていると感じたできごとだった。Aさんが人の話に耳を傾け、前向きになってくれることを願うばかり。話を聴くというのは、聞き流すことではなく、お互いの考えを整理し、次のパワーが生まれてくる機会でありたい。私もどちらかといえば、語り過ぎなので、自戒。
June 24, 2005
仕事で、Aさんの非生産的な行動が続いており、Bさんが話をすることになった。2人で1時間あまり会議室にこもり、じっくり話をされたようだ。会議室から出てたBさんは「いい話ができた」と非常に満足げだった。後学のためにと思い、Bさんにどんな話をされたのか尋ねたところ、15分あまりかけて、BさんがAさんに語った内容の概略を教えてくれた。・・・長い。きっと1時間のうち大半は、Bさんが語っていたのであろう。Aさんがどんな気持ちでBさんの話を聞いていたのか、まだ確認していない。でも概略は、Bさんが"何を語ったか"であり、"Aさんの気持ち"は全く見えなかった。概略を聞いただけの私も、Bさんの熱き思いや、Aさんに対する思いやりは感じつつも、かなりboringだった。"語り”がいくら熱くとも、きっとAさんの心には響かなかっただろうし、Aさんの行動も変わらないのでは?と危惧している。今回、仕事の手を止めて、二人きりでじっくり話し合ったのは、Aさんに前向きになってもらうためであり、なぜ彼が非生産的な行動をくり返しているのか、彼の本心、真意を聞き出すとともに、今後の方針をともに探ることが有効だったのではなかろうか。気持ちを聞き出すのは、難しいと思う。「なぜ?」と聞いたところで、きっとAさん自身答えられないだろう。Aさんの真意をじっくり引き出すことで、Aさんに対する理解が深まるとともに、Aさんも聞いてくれた相手のことを信頼し、安心感を得て、変わるきっかけになるのではないか。さらに積極的な行動へと変えていくためには時間がかかる。Aさんのことを信頼し、ともに歩むことも必要だろう。自分の思いを一方的に伝えることと、「話をすること」はかなり違うと思うし、独りよがりのお説教では、変化は起きにくいんじゃないかな。今、drop_offさんのページにお邪魔してきた。勉強になること満載なページだが、奇しくも「叱って営業マンを育てる」という話題だったので、ふむふむと、今日もコピペしながら拝読。上のBさんはまさに「自分のために」語っていたのであり、Aさんを叱りきれていない。人と向き合うこと、関わることって難しいね。でも、だからこそ、おもしろいんだろうな。
June 23, 2005
今週は会議続きだった。まったく、会議はどういう位置づけなんだ??最初の会議では、イベントの実施に関し、かなり強引な提案があった。たまたま私が進行役だったのだが、あまりに無理があるのにも関わらず、誰も何も発言しないため、思わず私がいくつか質問してしまったが、孤軍奮闘。その後も提案者以外は何もおっしゃらないため、そのまま決議された。終わった後、実際に陣頭指揮をとる若いスタッフたちは、「実際に組んでみて、無理だったら、変えればいいんですよ」・・・おいおい。会議で決議されたことですよ?他の、会議では一切発言しなかった人たちも、会議の終わった(決まった)後に「あんなん無理や」「どないなっとーねん」などと、ぐちぐちぐちぐち・・・。だったら、会議の場で発言しましょうよ・怒つくづく、会議が活かされていないと感じる。会議の席で何も発言しないことが、この職場では良しとされているようだ。私も含め、「対話」に慣れていない人が多いと思う。人と意見をぶつけあうことで、お互いに分かり合い、助け合えるんじゃないかな。職場をよりよくするチャンスが、会議にはあると思うのだが、そこをないがしろにして、ぐちってたって、しゃーないやん・・・。
June 18, 2005
仕事でしょーもないミスを2つも重ねてしまった。こういう時に限って、ケータイを家に忘れ、公衆電話を探したのだが、見つからず、上司に連絡のしようもなく・・・。こんな時、前の職場だったら「何しとーねん」と笑い飛ばしてくれる先輩がいたが、今の職場では、なにやらヒソヒソ話・・・。そりゃ、ミスした私が悪いんだけど、直接責めて欲しいなぁ。その後回ってきた雑用も、能なしと言わんばかりに奪われ、針のムシロ。ま、いっか。と自分の仕事をしようとしたのだが、今度はマイmacが超不機嫌。何度か再起動したのだが、フリーズをくり返す。寿命がきてるんだろうけど、あともう1年は使いたいから、頑張っておくれよ。・・・結局昨日1日は仕事にならず。朝の断水騒動に始まり、とんでもない厄日だった。そんな日もあるよね。気にしいの私は4時頃目が覚めてしまったけど、軽くもう一寝入りして、今日はいい日にしよう♪
June 14, 2005
退社時刻間際に、とんでもない雑用が入った。直接関わりのない部署とは言え、そこは零細企業の哀しさ。手の空いている者で、その雑用に取りかかることとなった。とても数時間でさばききれる量ではなく、明日に持ち越しとなった。私も自分の仕事を終えてから参加したため、エラソーなことは言えない。がしかし、人海戦術が必要なこの場面で、当該部署でありながら、退社時刻に帰ってしまう人や、自分の席にどっしり腰掛けたまま作業に加わらない若者、口だけ出して、動かない責任者などなど、ついつい他の人のことが気になってしまった、ちっぽけなワタクシ。その後、遅い夕食をとりに入ったお店で、異業種の人とお話しした。彼は1日何時間労働か考えたこともないくらい、朝から深夜まで働き、週に1度の休みは寝て過ごすほど、忙しいらしい。思わず、仕事が楽しいか、仕事は好きか、尋ねてしまったところ、「楽しくはないけど、やり終えた時には、何とも言えない達成感や充実感がある」とのこと。雑用に関われば、達成感や充実感を味わせてもらえるわけで、私も頑張りましょう。と言いつつ、虚しさも感じる今日この頃・・・
June 7, 2005
職場の人を誘って、飲みに行った。この2ヶ月あまり、関係がぎくしゃくしており、誘うのをためらっていた。結局ぎくしゃくの原因にはふれられなかったが、久しぶりにあれこれお話しし、ためらいがずいぶん減った。同じ空間にいるから、時間が少しずつ解決してくれるけど、時間を共有しなくなったら、切れてしまった関係だろうな。ちっぽけなプライドが高すぎる自分を猛反省。
June 2, 2005
サッカーを見に行きました。サッカーって、ルールも応援の仕方もよくわからずどぎまぎでしたが、楽しかったです。
May 28, 2005
駅で偶然、昔の同僚に会った。彼は今の職場でイキイキと、やりがいを感じているようだ。私は・・・?これからどう生きていくのだろうか?胸をはって、同窓会に出られるようになりたいものだ。
May 23, 2005
なんだか・・・。人を振り回す人、振り回される人たち・・・。どうやって止めたらいいのだろうか?それで心煩わされている私も、振り回されている一人かな・・・。
May 13, 2005
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