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これは2009年春の一般公開の時の写真です。 日華門
のところで参観者が並んで順次、南庭に入っていくところです。この箇所はいつも大勢の参観者が並んでいますので、今春も日華門は撮りませんでした。
日華門を通り 南庭
に入ります。門のところで北側を見ると、回廊の北に連なる 宜陽殿と紫宸殿を繋ぐ廊下
が見えます。
「宜陽殿」は「天皇受禅のさい、諸臣に饗宴を賜ったところである。ここから 紫宸殿に通じる敷石廊下を『軒廊 (こんろう)
』
といい、大嘗祭の前に悠紀 (ゆき)
・主基 (すき)
の斎田の候補地を卜なった『亀卜の座』という石がある」 (資料1)
そうです。
南西側に広々とした 白砂の南庭と回廊および承明門と掖門
が見えます。
紫宸殿前、東側の 「左近の桜」
紫宸殿
即位・朝賀などの重要な儀式が行われた最も格式の高い正殿です。
建物は南面していて、正面九間、側面四間、単層で、屋根は入母屋造り・檜皮葺です。
四方に廂 (ひさし)
を設け、簀子 (すのこ)
の縁をめぐらし、柱間には蔀戸 (しとみど)
がはめられる等、典型的な寝殿造りの建物です。高床式宮殿建築です。 (資料1,2)
三間幅の十八段の階段を上がると、建物の中央に天皇の御座「高御座 (たかみくら)
」、その東に皇后の御座「御帳台 (みちょうだい)
」が置かれています。
正面中央に掲げられた「紫宸殿」の額は、岡本保孝筆だそうです。 (資料1)
「高御座」をズームアップで撮ってみました。
大正天皇・昭和天皇の即位礼はこの紫宸殿で行われ、現平成天皇の即位礼に際しては、この高御座・御帳台が東京の宮殿に運ばれて使用されたのです。現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際して造られたものといいます。 (資料2)
紫宸殿前、西側の 「右近の橘」
紫宸殿の西側面
の眺め
紫宸殿の西側面を眺めながら北に進み、「清涼殿」に向かいます。
清涼殿は紫宸殿の北西に位置し、東面しています。清涼殿の東は白砂敷のかなりの広さの中庭です。紫宸殿の背面の庭でもあります。
「清涼殿」を南東角から眺めたところ
縁の欄干の左側にのガラスのカバーが反射しているところに 「年中行事障子」
が置かれています。この背後の場所が 「殿上の間」
です。
「殿上の間」は、もっぱら宮中の事務をつかさどり。五位上・六位の蔵人以上の殿上人が侍ったところだそうです。 (資料1) 右の写真は2014年春に撮ったもの。通常の清涼殿内部の展示でした。
「清涼殿」の全景
です。 (2009年4月撮影)
清涼殿は平安時代に天皇が日常生活の場として使用された御殿で、現在の建物は古制に則って建てられてはいますが、その規模は小さくなっているそうです。
日常生活の場として使用しなくなってからは、主に儀式の際に使用されたといいます。 (資料2)
平面図でみると南北が九間、東西は五間の母屋( もや
身舎)が中央にあり周囲に廂がつくられ、建物の東側には吹き放しの弘廂( ひろひさし
孫廂)を設けています。さらにその外側に簀子の縁先がめぐらされているという建物です。 南廂には「殿上の間」
が設けられています。 (資料1,3)
弘廂の場所は諸臣が列座して重要な政務やおごそかな儀式を行ったところです。 (資料1)
今春の清涼殿には、 「清涼殿十月更衣」の行事の様子
が等身大の人形で再現されて展示されていました。
この 儀式展示の全景写真
で、手前の左の柱の斜め後に屏風が置かれています。
「 屏風前の漆喰で塗り固めたところを『石灰壇 (いしばいのだん)
』
といい、地面になぞらえてここから伊勢神宮等を遙拝された」 (資料2)
という場所だとか。
2010年秋の展示の一部
2011年秋に撮った 「御帳台 (みちょうだい)
」
この時は、清涼殿内部が通常のままで公開されていました。
この御帳台のあるところから 母屋と東廂の南半分が「昼の御座」
と呼ばれる区域で、御帳台の前に、 「昼御座 (ひるおまし)
」
という天皇の座す大床子 (だいしょうじ)
の御座が設けられていたようです。
御帳台の北側の部屋が天皇の寝室である 「夜の御殿 (おとど)
」
だったとか。
弘廂(東孫廂)に置かれているのが、 「昆明池障子 (こんめいちのそうじ) 」 と称されるものです。
中国雲南省の昆明の南方に、昆明池という別名で呼ばれる湖があるのです。漢の時代に武帝がこの湖をまねて、長安城の西に池を掘らせ、そこで水戦訓練をさせたといいます。ここでは武帝が掘らせた昆明池を意味するそうです。 (資料4,5)
この写真には写っていませんが、写真の右側、つまり弘廂の北端には、布張りの衝立 (ついたて)
、荒海障子 (あらうみのそうじ)
が置かれています。
清涼殿の東面の南北には簀子に沿って御溝水が流れ、その前に 「漢竹 (かわたけ)
」
(南)と 「呉竹 (くれたけ)
」
が植えられています。
清涼殿の北側にある 「滝口」
辞典を引くと、「滝口」には2つの意味があります。一つは「清涼殿の東北、宮中を流れる溝の水の落ち口」 (『日本語大辞典』講談社) という意味です。もう一つは、「中世以降、蔵人所に属し、滝口に詰めて、御所の警衛・雑役に当たった武士」 (同上) をさします。この辺りの庭に警護の武士たちが詰めていたのでしょうか・・・・。
そこで連想するのが、「滝口入道」の話です。高山樗牛 (ちょぎゅう)
が明治17年(1894)に『滝口入道』と題する小説を発表しています。『平家物語』に題材を得て悲恋物語に潤色した作品です。平安末期に滝口の武士だった斎藤時頼が建礼門院の女官(雑仕)横笛を愛してしまいます。父の怒りをかい出家し僧になった人物。高野山に登り「高野聖」と呼ばれるようになります。
『平家物語』の巻十には、「八 横笛の事」として、横笛と斎藤滝口時頼としてその悲恋のエピソードが語られています。
「高野に年頃知り給へる聖あり。三條の斎藤左右門茂頼が子に、斎藤滝口時頼とて、もとは小松殿の侍たりしが、十三の年本所へ参りたり。建礼門院の雑仕横笛と云ふ女あり。滝口これに最愛す。父、この由を伝へ聞いて、・・・・・」という一節からその後の展開が物語られるのです。平家物語には、相聞歌が収録されています。
そるまでは恨みしかども梓弓まことの道に入るぞうれしき 滝口入道
そるとても何か恨みん梓弓引きとどむべき心あらねば 横笛
その後横笛は奈良の法華寺に入り、しばらくして亡くなったと記されています。 (資料6)
尚、寺の名を記さないもの、あるいは横笛が桂河に身を投げて死んだという伝承もあるそうです。
京都嵯峨野にある祇王寺の近くに、「滝口寺」がひっそりと存在します。 (資料7)
脇道に入ってしまいました。
元に戻りましょう。
清涼殿東面、つまり建物前から 白砂の庭を東方向に眺めた景色
左の写真の右端に、建物の1階部分が通り抜けの通路になっている箇所があります。
この漆喰塗りの白壁の建物の内部に紫宸殿と清涼殿のそれぞれと小御所や御学問所とを結ぶ廊下を兼ねた建物になっているようです。建物内部の構造は資料がないのでわかりません。
右の写真が、 紫宸殿の背面(北面)
です。
上掲の廊下を含む建物ほ檜皮葺きの屋根の一部は、2009年・2010年の一般公開で訪れた時には、この記録写真の通り、かなり老朽化していました。それがすべてすっきりと修復されていました。文化遺産としての御所のメンテナンスが営々と続けられているのです。
この写真は、紫宸殿の北面を、清涼殿南廂側の「殿上の間」に近い通路から撮ったものです。この時は蔀戸 (しとみど)
がすべて閉ざされていました。今春はそこが開放されていました。
簀子縁の欄干越しに、建物内の障壁画を少し庭から眺めることができました。
白砂の庭を紫宸殿北面に沿って、通り抜けるときに見上げた 連子窓
建物の1階開口部の通路を通り抜けたところの建物の繋がり
通路の南側は、紫宸殿への東廊に当たる区域です。
この東廊に 「陣の座」
がありました。御車寄の展示説明に記載の「陣の座」です。
狭い板敷の間です。当初は左近衛府の武官が陣を設けた所です。「近世は親王宣下・改元などの重要な会議室とされた」 (資料1)
そうです。
陣の座、小庭、軒廊(石敷廊下)の先に、朱塗りの回廊が見えます。
反対に、北側に目を転じると、小御所の建物の南側にある小さな庭があります。
仕切り部分には、右の写真の垣根が設けられていて、ちょっと風情が生まれています。
仕切り箇所を抜けると、宜陽殿の北側に抜けます。
紫宸殿への東廊、つまり「陣の座」のある方と先ほど紫宸殿の北面から通り過ぎてきた通路側の回廊への分岐の入口が見えます。戸を閉じれば通行を分断することができる形になっています。
ここで、一旦、宜陽殿の東側、つまり日華門のある広い区画に戻ってきたことになります。
つづく
参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p16-18
2) 「京都御所 一般公開」 宮内庁京都事務所 リーフレット
3) 清涼殿
:「コトバンク」
4) 昆明池
:「コトバンク」
5) 昆明池障子
:「コトバンク」
6) 『平家物語 下巻』 佐藤謙三校注 角川文庫ソフィア p143-146
7) 滝口寺
:「京都観光 街めぐり」
滝口寺
ちょっと言いたくなる京都通 :「伊藤久右衞門」
補遺
昆明池障子
:ウィキペディア
高山樗牛
:ウィキペディア
高山樗牛
近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
滝口入道
:「青空文庫」
高野山別格本山 大圓院
ホームページ
滝口入道旧蹟 横笛 ゆかりの寺院です。
唐長安図
資治通鑑 唐紀 :「中国歴史世界」
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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
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