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2017.05.23
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カテゴリ: 歩く [再録]

ウォーキングで常楽寺を訪れる時に通りすがりに撮った 「三聖神社」 です。

こちらは長寿寺に向かう途中で見た 「西教寺」の本堂 。            [歩く&探訪時期:2015年9月]

後で調べて見ますと、 三聖神社 は、もとは「天台宗常楽寺の境内にあって、山王三聖と称される日吉大社の上七社のうち大宮(西本宮)二宮(東本宮)聖真子(宇佑宮)を祀り三聖権現と称し同寺の護法神であった」 (資料1) という神社です。祭神は「伊弉諾尊 速玉之男神 事解男神」だそうです。

西教寺 は天台宗のお寺で山号は常楽寺と同じ「阿星山」。寛平2年(890)十行法印により開山され、もとは庵だったところが、回向寺院となったようです。長年常楽寺住職がこの寺を兼務されているといいます。現在の建物は平成15年(2003)に茅葺きから瓦葺き屋根に改修され、景観も回復された結果、通りからこのように本堂だけのお寺ですが眺めることができる状態になったそうです。 (資料2)


      キバナコスモス                エーデルワイス
西教寺の前を通り過ぎ、道端に咲く花々を楽しみながら、長寿寺に向かった道は緩やかな下り坂となっていきます。 常楽寺から長寿寺への地図(Mapion)はこちらからご覧ください。わかりやすい道筋です。
 カワノギク 
 途中で栗も・・・。
2563,2567
歌碑が建立されている傍を通過。

      契るとも逢ひみんことやかたからん 石部の山の松の千年は  香川景継

香川景継は、江戸時代中期に元武士で出家し、宣阿と改名して二条派の歌人となった人のことでしょうか。 (資料3)


「ひろのはし 」を渡ります。               田園風景の中の彼岸花

長寿寺のバス停のところに、「長寿寺」への道路標識が立っています。道を左折したところでみかけた民家。江戸時代にタイムスリップするようなイメージを抱かせてくれる屋敷構えです。


長寿寺門前
山門には「阿星山」の扁額が懸かっています。バス停から約100mほど進んだところにあります。
常楽寺が西寺 と称されるのに対し、 「長寿寺」は「東寺」とも呼ばれます


山門を入り、拝観受付所を通ってすぐ左側に、 「長寿庵」 と掲げられた門があります。

建物玄関までの前庭に石臼をオブジェ風に並べてあるのがおもしろい。

その隣には、 「内佛堂」という扁額が懸けられたお堂 があります。

堂内には 「子宝祈願の石」が厨子に収められて祀られています。 霊験あらたかそうな感じ・・・・・。
「子宝開きます」ということばがいいですね。

参道を少し先に進むと、 進行方向左側は一段高くなり、「白山神社」の石鳥居があり、神社への参道 となっています。 右側が長寿寺本堂に向かう真っ直ぐの参道 です。
参道の両側がモミジの並木になっていますので、ここの紅葉はすばらしいです。ここは紅葉の季節に、一度訪れたことがあります。

受付所のすぐ傍にある、たぶんもとは燈籠。火袋内に小さな地蔵菩薩石仏が置かれています。
この参道の両脇には小物の飾りを含めて、いろんなものが置かれていて、実に遊び心があって、楽しいのです。


             こんな具合に・・・・。これは一部なんです。

参道の途中、右側に「日本大最大級」と銘打った「石造多宝塔」が安置されています。
鎌倉時代の多宝塔だそうです。

多宝塔への参道右側には、五輪塔が一列に並んでいます。五輪塔の建立時期はかなりの幅がありそうです。

正面に本堂が見え始めると、手前に石灯籠が参道の左右に立ち、右の石灯籠の傍に、
  鐘楼があります。

本堂(国宝)
鎌倉初期の建造で、桁行と梁間がともに五間の寄棟造・檜皮葺、和様建築の建物です。
本堂の正面には三間の向拝があります。境内の説明板によると、「内部は内外陣にわかれて 礼堂造 (らいどうづくり) の名残をとどめ、構造・意匠的に質の高い密教本堂の代表建築」なのです。

           白山神社の境内からの眺め 正面から見て左側面

本堂右手奥の小高いところにある収蔵庫側からの眺め 正面から見て右側面側と背面が見えます。こちらから屋根を見ると、寄棟造であることがよくわかります。

建物正面は、向拝の三間分が桟唐戸の入口、その左右は上部が連子窓になっています。 建物の両側面には二間に桟唐戸、背面には中央一間に桟唐戸が設けられていて、建物の周囲に高欄付きの廻縁がめぐらされています。
この向拝部分は後世に付け加えられたとも考えられているようです。


向拝の頭貫の先端部はそのまま組物の一部となっています。蟇股の意匠もシンプル!
建物本体の組物は平三ツ斗の形式です。そのため外観はいたって簡素です。

長寿寺の開創伝承では、奈良時代に活躍した無名の山林宗教者が存在していたのが基となり、良弁または禅師と称された古代山林宗教者が開創した寺だそうです。
聖武天皇に皇子がない時、陰陽師の占いで近江路に勅使が派遣され、阿星山の中で修行僧に皇子誕生の祈祷が懇願されたと言います。その効験があったのか、皇女が誕生したそうです。そこで、聖武天皇が「安穏谷 (あんおんたに) に七堂伽藍24宇の坊舎を建立され、行基菩薩に命じて5尺の地蔵菩薩を造らせ、天皇自ら長寿寺を号し給うた」といいます。
長寿寺と常楽寺は、聖武天皇が紫香楽宮に遷都の時に建立され、鬼門守護の寺という位置づけでもあったようです。 (資料4)

本堂内部は手前が礼堂(礼拝を行う外陣)で、格子戸と菱欄間で区切られた奧に内陣があります。内陣が礼堂より一段低くなる平安時代の様式を残しているようです。内陣はもとは土間形式だったらしくその痕跡が残されているそうですが今は板張りです。貞治5年(1366)に改造されたと推定されています。 (資料4)
堂内で上を見上げると、礼堂・内陣ともに天井ははられていなくて、棟木や垂木がそのまま見える化粧屋根裏となっています。さらに、礼堂の屋根組は寄棟で、内陣の屋根組は切妻という方式です。お寺のガイド嬢が説明してくださいました。

内陣には、須弥壇上に春日厨子が置かれ、その中に本尊の子安地蔵尊(秘仏)が祀られています。本尊は50年周期で開帳されるだけ。この春日厨子は、墨書から文明12年(1480)に建立されたことがわかるそうです。厨子に向かって右側に木造阿弥陀如来坐像、左側に木造釈迦如来坐像が安置されています。これらは平安時代の作で、ともに国重文です。 (資料4,5)   堂内は撮影禁止です。

弁天堂(国重文)
本堂に向かって右側に池があり、その中に弁天堂が設けられています 。天文19年(1550)の建築です。一間四方、入母屋造・檜皮葺きで正面に軒唐破風がついています。 (境内説明板、資料5)
ちょうどアメジストセージが咲き誇っていました。
三重塔跡
本堂左後方の高台にここに三重塔があったという場所で、礎石が残っているだけです。
この長寿寺の伽藍配置は常楽寺(西寺)と同じであったそうですから、常楽寺での本堂と三重塔の位置関係をイメージしていただくとよいでしょう。
三重塔は信長により、安土に移築されてしまったのです。摠見寺に三重塔が現存します。
本堂の右後方の高台には、最近になって建てられた収蔵庫があり、ここには丈六の阿弥陀如来坐像が安置されています 。3mほどの大きさで、金箔が貼られているので全身黄金色です。開扉されていますので外から拝見できました。本堂内と同様に、ここも撮影禁止でした。

本堂正面に向かって、左側には石段があって、少し高台になっています。

本堂と横並びの状態で、この高台に白山神社がありますが、高台からさらに石段で一段高い位置に社殿が建てられています。

                   石段下からズームアップして撮ってみました。
祭神は白山比咩神 (しらやまひめのかみ) です。 もとは長寿寺の鎮守社として建てられた神社 です。

白山神社の拝殿


拝殿の屋根の棟の瓦は、お寺の本堂の棟の積瓦の様式とはことなり、私の見聞の範囲ではめずらしい形です。鬼瓦もちょっと異色な感じです。おもしろい。

比較的ゆっくりと拝見した後、最後の善水寺をめざすことになります。

長寿寺に入るときは気づかなかったのですが、山門を出て、道路の反対側が同じく天台宗の 「阿星山十王寺」 です。

後で調べて知ったことですが、十王寺と長寿寺は同じご住職が兼務されているのです。
十王寺は神亀元年(724)行基菩薩が開基されたお寺。寺名は、十王経にのっとり、本尊脇に十王像が祀られていることに由来するそうです。本尊は阿弥陀如来像。
天慶2年(938)に憲際上人が、村中の減罪寺とされたのだとか。その主旨からすると、こちらが現在は地元の人々の日常に直接結びつくお寺なのでしょうね。 (資料6)

                    十王寺の門前にある石仏群
左の方に三体の石仏が並び、右の方は箱仏群となっています。一体が彫られた箱仏と二体が彫られた箱仏が混在しています。長寿寺の本尊のことを考えると、これらの石仏はたぶんすべて地蔵菩薩像だろうと推測します。

興味を持ったのは、右側中央の坐像石仏の台座に、 「六十六部」 という語句が彫られていることでした。調べてみると、回国巡礼僧を意味する言葉のようです。「法華経を六六部書き写し,日本全国六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行。江戸時代には,諸国の寺社に参詣(さんけい)する巡礼または遊行(ゆぎよう)の聖」 (『大辞林』三省堂) (資料7) だそうです。

ここから、善水寺に向かいます。

長寿寺からしばらく歩いたとき、道路に跨がってこんな飾りが吊されています。
道路の左端に、石標があり、説明も付されています。
これは、 「勧請縄吊」 と称するものだそうです。次の様に説明がされています。
「集落の結界に位置し五穀豊穣、村内安全、病気祓いなどを願う注連 (しめ) 縄として現在に至る」

ネット検索でリサーチすると、湖東から湖南地域にかけて、 「勧請縄」年頭行事 として受け継がれているそうです。 (資料8)
さらに、京都や奈良でも「勧請縄」を吊るしきたりが維持されているところがかなりあるようです。例えば、京都新聞で「サカキ飾り勧請縄作る 長岡京・走田神社」、「勧請縄の木札へ石投げ息災願う 滋賀・近江八幡でまじゃらこ」という記事が載ったことがあります。
(掲載当時にネット検索で入手した情報ですが、記事へのアクセスが切れています。)
一つのきっかけが波紋を広げていきます。おもしろいものです。

つづく

参照資料
1) 三聖神社    :「滋賀県神社庁」
2) 西教寺     :「天台宗滋賀教区」
3) 宣阿   :ウィキペディア
4) 本堂内に掲示されている3つの額に入れられた説明資料
5) 『滋賀県の歴史散歩 上』 滋賀県歴史散歩編集委員会編 山川出版社 p171-172
6) 十王寺     :「天台宗滋賀教区」
7) 六十六部   :「weblio辞書」
8) 近江の祭礼行事   左欄のシリーズ一覧参照 :「サンライズ出版」 

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
三聖神社   村の鎮守さま :「万葉集を携えて」
長寿寺・湖南市東寺    :「滋賀文化のススメ」
  堂内の写真が1葉掲載されています。
湖南三山 長寿寺 ぶらりこなんTV  :YouTube
  本堂と収蔵庫に安置されている仏像が動画に一部登場しています。
長寿寺本堂   :「閑古鳥旅行社」
長寿寺本堂 滋賀県 鎌倉時代前期 社寺建築逍遙  :「日本建築の底流」
悪霊追放と家内安全を願う奇祭「鬼ばしり」 長寿寺(東寺)  :「滋賀の風景」
滋賀県 湖南市(旧甲賀郡石部町)東寺 長寿寺石造多宝塔   :「石造美術紀行」
摠見寺  :「近江の城郭」
 このブログ記事に、三重塔の写真が掲載されています。
「六十六部」とは何か  :「徳島県立博物館」
十王経   :「コトバンク」
十王経物語絵図(冥途旅行絵物語)  :「奧三河の古刹・釣月寺」
木津川市銭司・春日神社の勧請縄   :「歴史探訪京都から」
京都府和束町 白栖の勧請縄     :「愛しきものたち」
京都近辺の勧請縄 滋賀県の勧請縄  :「Tagawa3の自転車と一緒」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.05.24 07:46:03
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