遊心六中記

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2017.07.04
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カテゴリ: 探訪 [再録]

次ぎに向かったのが 「清源寺」 です。 山号は祥雲山。臨済宗永源寺派のお寺 です。              


お地蔵様がお出迎えくださってます。


参道の途中の説明板と山門傍の説明板で、大凡このお寺の概略が窺えます。
蒲生定秀の別邸桂林庵がこの地に設けられていたそうです 。天正7年(1579)に定秀が没し、その桂林庵が寺院と成って定秀の位牌が安置されたのが始まりと伝えられているそうです。それが、 江戸時代に日野が仁正寺藩の領地となり、藩主市橋氏がこの寺を菩提寺にした のです。 元禄期に臨済宗永源寺派の寺に なったとか。それ以前は何宗だったのでしょうか。

いずれにしても、 蒲生氏郷に係わる足跡周辺の地としての接点 がありました。直接には江戸時代を通じて日野を支配した仁正寺藩、市橋氏ゆかりの史跡だという事になります。馬見岡綿向神社のT字路に建っていた燈籠の「仁正寺家中」の大本になる藩主・市橋氏が、陣屋跡よりも史跡としてはここで明瞭に姿を見せてくることになりました。

山門を入ると、 「昇天橋」 を渡ります。ネーミングがいいですね。
 すぐ左手に 天神様が寺の鎮守として 鎮座しています。


                    斜め右手には 鐘楼 の建物があります。

そのすぐ近くに見えるのが、 「仁正寺藩藩主廟所(市橋氏三代の廟所)」 です。
ここには第3代(信直)、第6代(長璉・ ながてる )、第8代(長發・ ながはる )藩主の墓が宝篋印塔の形式で建てられています。塔身側面に藩主名が陰刻されていました。

本堂


本堂の近くに、本堂の屋根瓦葺き替え記念として、宝暦4年(1754)作の本堂鬼瓦が置かれています。瓦には 市橋氏の家紋「菱の三つ餅」 が陽刻されています。現在の本堂の屋根の獅子口にもその家紋が見えます。


本堂に入りますと、本尊を安置した内陣は奥の部屋にあり襖を閉じることができる形式でした。私は初めて拝見する形式でした。

本堂には歴代藩主の肖像画が掛け軸として掲げられていて、さらに仁正寺藩・市橋氏ゆかりの説明パネルが解りやすく準備されています。

こういうプレゼンテーションがなされていると、解りやすくて参考になります。
私は、日野に仁正寺藩があったことすら、今回の探訪まで知らなかったのですから。
「神祖営趾之碑」  先祖の功績を顕彰する碑の拓本も。
これは現交野市の星田に、第7代藩主・長昭が建立したものだとか  (補遺の最後の項目をご参照ください)






本堂の本尊に向かって左側の襖には虎図、右側の襖には龍図が描かれています 。龍図が前面に置かれたものの陰になるのが少し残念ですが。
この襖絵は、昭和前期の 日本画家・加藤修(雅号・穎泉)作 です。

この虎図の襖を境として左側、つまり、本尊に向かって左隣になる部屋に 「半僧坊大権現」 が祀られています。これまた、 私は初めて目にした権現様の名称でした。
ご住職にお尋ねすると、 まあわかりやすくいえば天狗様ですね、 ということでした。この天狗様、 奥山半僧坊大権現からの御分身をお祀りされているのです 。時間が無くて記録写真だけ撮らせていただいたものを後で見直すと、詳しい説明パネルが置かれていました。この画像にも写っています。拝観されたときにでも・・・(関連としては補遺をご参照ください)。


本堂の裏手にも、宝篋印塔が祀られています。塔身背面を見ると
「市橋長富室墓 行年五十二歳」と陰刻されています。
第9代藩主・長富は隠居し、養子長和に家督を譲り、55歳で没したそうですので、この宝篋印塔は、長富の奥さんのお墓なのでしょう。
 本堂裏手側の境内には 十三重石塔 が建てられています。
             その前に小さな石仏が石の上で禅定に入られています。
 こういう風に、何気なく置かれている感じの石仏と、
境内の靜かな佇まいの中で出会うのが、私は好きです・・・・。

蒲生氏郷の周辺足跡とは少しそれますが、清源寺では数々の新しい発見が私にはありました。
清源寺もまた短時間の拝観になりました。いつかまた再訪したいと思っています。
そして、いよいよ最後の探訪地・音羽城跡に向かいます。

つづく

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
日野の清源寺 -除夜の鐘-  :YouTube
近江 仁正寺(西大路)藩  :「歴史の勉強」
市橋長富  :ウィキペディア
奥山半僧坊大権現  のホームページ
「奥山半僧坊について」 をご覧ください。   
半僧坊大権現~建長寺の鎮守~  :「鎌倉手帳(寺社散策)」
星田の旧領主市橋家の足跡を近江に訪ねる  :「星のまち交野市」
    ネット検索すると、思わぬ切り口からの関連情報が得られるものです。
    キーワード検索のおもしろさです。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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Last updated  2017.07.10 11:39:11
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