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ウチの子供は、この4月から小学校に入学したわけですがこれを期に、妻も今やっている仕事の勤務時間を延ばしたいと前から話していたので子供には悪いけど、放課後は学童保育施設で預かってもらうことにしました。今は昔と違って、授業が終わった後に児童を預かってくれる施設が小学校の中にあるんですね。でも、このような場所にある施設は児童が移動することなく小学校にずっと滞在することが出来るので安心感があるためかとても人気がありあっという間に希望者でいっぱいになってしまうようです。ウチの子供も、小学校内にある施設に募集したのですが枠に入ることが出来ず仕方ないので、ちょっと離れてはいますがある幼稚園内に併設されている学童保育施設に入ることとなりました。そこで預かってくれる児童の数は20人程度の、小規模な施設なのですがこの前、保護者説明会があったので妻が出席し、いろいろな資料を貰ってきました。それらに1つずつ目を通していたら、あるプリントに目が留まりました。それにはタイトルが『ホームページ・ライブカメラ閲覧のお知らせ』と書かれていました。なになに?「ホームページから保育室の画像をご覧になれるライブカメラの操作手順は以下の通りです。」だって?へーっパソコンから子供が居る保育室の様子を映像で見ることが出来るんだぁ。しかもカメラの操作がパソコンから出来るのかぁ!でもねぇ、保護者からの要望なのかそれとも保育室側が施設の売りとして導入したのか知らないけどそこまでして子供の様子を把握したいのかなぁ?もしくは先生の行動を監視したいとかイジメが無いかチェックしたいといったリクエストもあるのだろうか?もっとも、最近では携帯を使って子供が居る位置を知らせてくれるサービスやICタグを用いて子供の居場所を検知しようという実験もされているぐらいだからこれだって特別驚くことでは無いのかもしれませんね。しかしながら子供に対する犯罪が増えているので自分(親)達が率先して守らなければいけないという気持ちも分かるけど子供の立場からしてみたら、どういう気持ちなんだろうか?低学年の小学生ぐらいにはプライバシー云々は関係ないのかもしれないけど子供の行動を把握したりする事が簡単に行われるようになると親が安易な方向に頼るようになってドンドンと歯止めが効かなくなり子供達の主体性が失われてますます閉塞感の漂う世界に子供達が置かれることになりゃしないかと私なんか心配してしまうけど、これって大袈裟なのかなぁ?もっとも私の子供が事件に巻き込まれたりしていないからこんな呑気なことが言えるのかもしれないけど。でもよく考えてみると、こういうのって私達大人の世界にも忍び寄ってきている問題でもあるんですよね。プライバシーに対する問題が世論ではかなり敏感なのに安全対策や犯罪抑止といった名目で、こういった状況が入り込んでくる環境は容認せざるをえないのでしょうか?ここまでしなければいけない時代になったんだと言われるとそれまでですが何か複雑な気持ちにさせられてしまった一件でした。************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.16
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さて、久々に家関連の話題で更新です。まずは今月も電気料金の請求がやってまいりました。下の図をご覧ください。 月分19/319/4夜間(kWh)392352(夜間率)37%36%朝・晩(kWh)496469昼間(kWh)182161合計(kWh)1,070982請求金額(円)19,85718,316 あぁぁ~…今回も同じ契約容量の平均値を下回ってしまいました。全体的に使用量は減少しましたが、まだまだ節電の努力が足りないようです。図を見て分かるように、ここ3ヶ月間の傾向としては同じ契約容量の平均値より我が家は使用量が約10%多いようですね。私なりに原因を分析しますと入居した10月は朝晩と夜間の使用量が3月より極端に少ないし電気機器の構成は、入居して暫く経ってから50インチのプラズマを買ったぐらいでここ数ヶ月はあまり変わっていないのでやはりTVの消費電力がかなり大きいような気がしてきました。となると、節電するにはTVを見る時間を大幅に削減しなければならないってことに…。これは無理だろうなぁ。やはり贅沢するには高い代償を払わないといけないってことですね。(大袈裟?)************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.09
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一昨日は、ウチの息子がこれから通うことになる小学校の入学式がありましたので私も妻と一緒に出席してきました。小学校は自宅から歩いて約5分ほどの場所にあるので通学するには良い環境だからとココを選んだのですが私達が住む区では学校選択制が導入されていて区内なら基本的に何所の小学校でも入学可能なので遠くても評判の良い学校へ通わせている家庭もあるようです。私が子供だった頃とは違うので、何かピンと来ないのですが学校間で競わせて、質を向上させようという思惑から導入されたのでしょう。成果が分かるのはまだまだ先の事でしょうが競争原理が、果たして子供達に良い影響を与えてくれるのでしょうか?教育改革って、とても難しいですよね。3人一緒に家を出て、プラプラと歩いて校門の前に着くとなにやら校門の前に長蛇の列が。「ん?ここで受付でもやっているのかな?」と思ったら"入学式"の看板前で撮影する順番待ちの列でした。定番でもあるので、私達も人並みに列に加わって撮っちゃいました。桜も全部散らずに、かろうじて花びらが残っていたので良かったです。学校の中に入り受付を済ませると、6年生の子が息子の手を引いて子供達が待機する部屋へ連れて行ってくれました。ここの学校では上級生が下級生の面倒をみるようにこのように色々と積極的に先生の手伝いを生徒にさせているそうです。学校内の風通しがよくなって、なかなか良い習慣なのではないかなぁ?ここで保護者達は体育館にある席へ先に行って、座って待つことに。ここは私も通った小学校なのですが30数年前の当時と様子がほとんど変わっておらず席に座った時は何か妙な気分でした。入学式はごく普通の内容で、校長先生の挨拶から始まって来賓の紹介と挨拶、先生の紹介と担任の発表在校生から歓迎の言葉と進行し、1時間ほどで終了。ウチの息子を担任してくれるのは若い女性の先生でナカナカの美人でした。学校の行事に参加するのがチョット楽しみです。新入1年生全体の名簿が配られたのですが全部で3クラスあり、総数が94名。日本の統計通り、男性が53人に対し女性が41人で男の数が多い。う~む、これでは私のように国際結婚でもしない限り結婚出来ない男性が増えるのも自然な感じですねぇ。そして保護者も一緒にこれから学ぶ場となる教室に入るとおおっ、やはり居ました、フィリピン人の母親が!我が家の近所にはフィリピン人が多く住んでいるので特別驚くこともありませんでしたが地域社会にかなり浸透している現実を垣間見たような気がします。同級生で、その母親の子供は女の子なのでウチの息子と将来結婚することにでもなったら面白いなぁ...なんてあぁ、また私のくだらない妄想がぁぁぁ。来週の月曜日から、もう学校へ通うのですがこれから、どうなることやら。とにかく病気や怪我が無く、元気に小学校生活を楽しんで欲しいものです。************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.08
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3月30日、妻の姉の息子が日本にやってきました。彼は、日本に来日するのが初めてで今回は日本語学校へ通うのが目的なので、学生ビザで入国。妻の姉は以前、日本人と結婚していました。その旦那さんとの間には子供がありません。私が16年前に初めてフィリピンへ行った時妻とその姉、姉の旦那さんと一緒で、妻の家族の家に泊めてもらいその時に今回来日した甥と初めて会ったのですが妻からは弟と紹介されていました。別に疑うことなく、そのままずーっと弟だと思っていたのですが姉が日本人と離婚した後、弟と紹介されていた彼が実は姉の子供であると知らされました。まあフィリピンではよくありがちな(?)事情なのかもしれませんが姉が結婚しないで、また若くして彼を産んだので両親の子供として育てていたそうです。もちろん、彼もずっとそう思って生活していて最近になって彼にカミング・アウトしたそうです。離婚した旦那の日本人ももちろん姉に子供がいることを知らずに結婚したみたい。この事実を知ったからというわけではなく、ずっと前からなのですが私は妻の姉があまり好きではありません。我が儘で自分勝手、さらには浪費家でそのくせフィリピンにはほとんど送金することなく偶に送金を依頼されると1万円!(爆)フィリピンにある家は、妻が働いたお金で全額支払い(私も援助してない)家族の生活費も面倒みていたので、姉妹でこうも違うものかと驚くことばかり。そんな状態ですから優しくて人のよかった旦那さんも大変だなぁとずっと思っていて離婚すると聞いた時も、やっぱりそうなったかと姉にはあまり同情する気になれませんでした。そして今回、甥を日本に呼びたいと妻から相談があった時妻の肉親を大事に思う気持ちに、反対は特にしなかったのですが妻が60万円近い学費の半分を貸す形で捻出し学校が終わるまでウチに滞在させるという話に姉が離婚して生活が大変なのはわかるけど一事が万事あのような性格の人なので、何か釈然としません。甥も根はマジメでいいヤツなのですが大学を卒業した後、何度か就職をしたけど上司が気に入らないとか、何かと理由をつけては辞めちゃったようでちょっと根性無しなんですよ。フィリピンでは就職も難しいんだから、と妻が説教してもあまり効果がないみたい。そんな状態で、果たして大丈夫なのかと心配もありますが無事にビザも発給されて日本に来ることが出来たので頑張ってくれることを信じて、しばらくは様子を見てみます。ただ、もし生活が乱れるようだったら、妻には悪いけど容赦なくフィリピンへ帰国させるか姉に身柄を引き取ってもらうつもりでいます。彼ももう大人なんですからね。一体、どうなることやら…。************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.06
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父が亡くなる前に書き溜めた日記がいくつかありますので話が前後してしまいますがアップさせていただきます。*********************3月24日に行われた世界フィギュア2007での浅田真央ちゃんのスケーティングは素晴らしかったですねぇ。その前日は滑りがあまり良くなかったし、結果が5位と同じ16歳である韓国のキム・ユナとは対照的なスケーティングだった。キム・ユナが前日、あれだけ完璧な演技をしていたしこの日も前半までのスケーティングを見ていたら「あぁ、これはこのまま金メダルを取っちゃうな。」と思っていたけど2回もジャンプを失敗しちゃった。逆に浅田真央は、というと前日と打って変わり、危なっかしい場面があったもののあとは素晴らしい滑りでフィニッシュ!演技を終えた後の、彼女のガッツ・ポーズと涙に不覚にもジーンときてしまいました。やっぱり様々な期待とプレッシャーの中苦しい練習をしてきた演技やスケートの技術が土壇場で出し切れたということが素晴らしいことだと思うし見ている側も素直に感動させられてしまう。スケートとタップ・ダンスでは話の繋がり的には苦しいけれど(笑)3月18日(日)に、ここ1ヶ月間仕事が忙しくて子供を構ってあげられなかった罪滅ぼしに見たがっていた、映画『ハッピー・フィート』を鑑賞してきました。正月に行った、亀有の"Ario"へ行こうとしたけど5分差で上映の時間に間に合わず、結局お台場の"メディアージュ"へ。妻は場所が遠くなったことでブーブー文句を言っていましたが子供は、初めて"ゆりかもめ"でしかも最前列の席に座れたのでとてもご機嫌でした。ロード・ショーが始まって2日目だったので混んでいるかなと思ったら意外にも空席がかなりあって、やや拍子抜け。TVのCMを見たことがあるぐらいで、予備知識がほとんど無く見たのですがまた例によって、ディズニーのファミリー向けアニメだろうと高を括って見始めたら、あらビックリ!オープニングからいきなり、k.d.LangがカバーしているBeatlesの"Golden Slumbers/The End"が流れてくるではありませんか。そして、アニメにありがちな動物(ペンギン)を擬人化したストーリーなのですがこのペンギンが可愛らしくデフォルメされたものではなく妙にリアルで生々しく表現されていてディズニーのそれとはかなり違った雰囲気の映画でした。そしてPrinceの曲、"Kiss"が流れる中主人公の両親が求愛ダンスを踊り「心の歌が歌えなきゃ、ペンギンじゃない!」なんてちょっと子供には分かり難そうな話が続き上映中も子供のことをチラチラ見ていたら案の定、少々退屈そうにしていて途中で飽きないかと、ちょっとハラハラ。それでも、話が進むにつれ、Queenの"Somebody To Love"Stevie Wonderの"I Wish"、E.W.&F.の"Boogie Wonderland"などなど中年親父には懐かしい曲が次々と流れて意外な展開に子供そっちのけでオジサンがワクワク。(爆)話の後半では、環境問題や動物愛護など社会風刺も盛り込まれていました。これはチョット人間の傲慢な部分が見え隠れして私的にはいかがなものかと思いましたがそれでもこういう子供が主に見るであろうアニメでこういったシリアスな問題提起を話の中に織り込むのはとても大事なことなんだろうなぁ。オジサンは、ついついウルトラ・セブンを思い出してしまったのでした。以上、オジサンの私も楽しめた『ハッピー・フィート』のご紹介でした。************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.04
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たくさんの方から、父へのメッセージを頂戴致しまして本当にありがとうございました。今回は誠に申し訳ありませんが、個別へのレスはご容赦いただき皆様への感謝の気持ちは、こちらのメッセージにて代えさせていただきます。ここで、亡き父を偲びながら父への思いを綴って最後のお別れをしたいと思います。生前の父は、幼少の頃に母親を病気で亡くし父親が再婚相手に選んだ義母が、自分の連れ子ばかりを可愛がって父親の子供達には酷い仕打ちの連続で、相当苦労したんだよ・・・と父の親族からはよく聞かされていました。ですので、高校を卒業すると飛び出す様に田舎を出て東京へ行き就職をして、働きながら夜間大学に通い、頑張って卒業したそうです。その後、国家試験である資格を得るために脱サラし資格と関連する仕事に従事しながら、独学で国家試験の勉強をして苦労した末に資格を取得。独立開業してからは、それはもう典型的な仕事人間で事業を拡大させようと、ほとんど休まず仕事に付き合いにと、かなり無茶な生活をしていたようです。その証拠に、私が子供の頃は父と一緒に遊んだ記憶がほとんどありません。腎臓病になったのも、そんな無茶が祟ったのかもしれませんね。父は、このように努力家で苦労人でもあり、自分にとても厳しい人間でした。ですが同時に、とてもワンマンな人でもあり母や子供の私達にも非常に厳しかった。だから自分の考えを、有無を言わさず押しつけたり自分の思い通りにならないとイライラして家族に当ったりまた、自分が努力して数々の困難を乗り越えてきた人なので例えば、私が希望していた大学に合格出来なかったとするとそれは酷い言葉で罵ったり人が傷つくようなことを吐き捨てたりする人でした。母も家事をこなしながら、父の仕事を手伝っていましたがそんな母に対して、とても辛く当たったり子供の出来が悪い部分を母のせいにしたりする人でもありました。ですので、家の中は父の顔色を窺いながらいつもピリピリした状態で私はそんな父に対してずっと反発していたし正直言って父のことを好きではありませんでした。そんな私も大学2年生の時に、いろいろと悩みましたが父と同じ仕事の道を歩むことを決心し大学卒業後、何とか資格を取得することが出来ました。この時が、私の事で父が一番喜んでくれたのではないかなぁ?そして一緒に仕事をするようになったのですがやはり家庭と同様に、仕事のやり方や考え方で相反する部分があり父とは仕事場でもよく衝突しておりました。でも仕事を一緒にするようになってからは周囲の父に対する評価や、また父の仕事に対する情熱や誇りはスゴイものがあり今まで父親の見えなかった一面が見えてきて父に対する感情もだいぶ変化したのは事実です。その後も父とは諍いが時々はあったものの、仕事を一緒にしていましたが父と親子の縁が切れそうになるほど一番遣り合ったのはやはり今の妻と結婚する話になった時。妻が外国人で、しかもフィリピン人であることに対外的なメンツを最優先に考えたのか、猛反対されました。もちろん、こちらも負けるわけにはいかない。とりあえず先にフィリピンで結婚式を済ませて入籍し長男も誕生して、着々と外堀を埋めながら父に対抗しました。それでも日本で籍を入れるのは両親に許しをもらってからにしたかったので妻にも理解をしてもらって、暫くフィリピンで待ってもらうことに。そして父に結婚を認めてもらえるよう説得を続けている矢先に突然、父が脳梗塞で倒れたのです。なんとか一命を取りとめ約半年間の入院生活で半身は不随となってしまったものの退院して自宅で療養出来るまでになりました。それまでは仕事場でも家庭でもいつも凄い形相でいて人を寄せ付けない感じの父でしたがまるで憑いたものが取れたように穏やかな表情になって、別人のようでした。そして、退院して初めて迎えた父の誕生日にどうしようか迷ったけど、思い切って妻が贈ってくれたバースディ・カードを父に渡したら「早く(妻と子供を)日本に連れてきてあげなさい。」と父の口から思わぬ言葉が。それからは、急いで日本での入籍を済ませ準備もソコソコに、妻と子供に急いで日本へ来てもらいました。今まで結婚に反対していたウチの両親と妻がうまくやっていけるか子供も日本の生活になれてくれるかとても心配しましたが、そんな事は直ぐ杞憂に終わり妻も母を手伝って父の面倒をよく看てくれたし子供も父が元気になる源になってくれ、よく一緒に遊んでくれました。父と最後に接したのは、亡くなる2日前で病院で食事を終えた後、トイレに行きたいというので私と母で病院の便所へ車イスで連れて行き私が父の固くなった身体を担いで便器まで運びました。願わくば、もっと長生きしてもらいたかったけど人一倍プライドの高い人だったので私なんかに面倒を看てもらうのが耐えられなくなってしまったのかな?または、亡くなる際も苦しむことがなく、本当に寝ているような顔のままだったのでもういい加減、闘病生活から開放されたかったのかもしれません。私も家族と一緒に生活するようになってまだ1年半しか経っておらず子供が6歳なので、子育てもまだまだこれからです。これから夫として、父としての役目を果さねばなりませんが世間でよく言われるように、父の、今まで私達に見せてきてくれた姿を少しずつでも理解出来るようになるのかもしれませんね。父が脳梗塞で倒れた後、父が私に対して「今まで酷いことをしたり言ったりしてすまなかった。」と謝罪の言葉を口にしていたことを母から聞いた時父の、あの厳しかった態度は、決して本意ではなかったのかもしれないなぁと思い直すようになりました。私は父のように厳格な父親にはなれないけれど父とは違う道であっても、家族や会社を頑張って守っていこう。その評価は私が死ぬ時に周りが下してくれるだろうから。************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.03
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ご無沙汰している間に、もう暦が4月へと変わってしまい東京は桜が満開と、とても良い季節になりましたね。実は今からちょうど1週間前、3月25日のことなのですが私の父親が息を引き取り、この世を去ってしまいました。3月29日に葬儀も無事に済ませる事が出来、気持ちも落ち着いてきたのでようやくブログを書ける様になりました。 亡くなる2週間位前、夜中に急に呼吸の調子がおかしくなったので病院へ連れて行ったら、肺に水が溜まっていると言われ即入院。 でも治療をしてもらい、肺から水が引いて暫くすると元気になってきて「もうすぐ退院出来るね。」なんて先生から言われるほど回復し私達も安心していました。亡くなる当日も朝ご飯は普通に食べていたようそうです。 で、その日も母親が11:00時頃、介護のために病院へ通常通り行ったら病室には父の姿がもう無く、治療室へ移されてしまっていたそうです。その時には、もう既に心臓が停止状態だったそうで母から連絡を受け、私達も急いで病院へ。先生が心臓マッサージを懸命に施してくれたのですが意識は戻らず、そのまま逝ってしまいました。父には持病があったので、いつかはこの日が来るとは覚悟が出来ていたけれど容態が急に変わってしまったので誰も死に目に立ち会えず実にあっけない死でした。父は、今の私とほぼ同じ年の42歳で慢性腎不全を患い以来約30年、仕事をしながら人工透析を続けてきました。そして4年前に脳梗塞で倒れてからは、半身不随となってしまいほとんど寝たきりのような状況でした。父の享年は73歳なので、人生のおよそ半分は闘病生活だったことになるんですねぇ。父が脳梗塞で倒れ、入院して落ち着いた頃に面会へ行った時「もう歩くことが出来ないだろう。」と医師から宣告され父が「何でこんな目ばかりに遭わなきゃいけないのか。」と号泣していたのが、今でもとても印象に残っています。だから「父の人生、幸せだったのかなぁ…?」なんて病院のベッドで、まるで寝ているかのように横たわっている父の顔を眺めながらふと思ったりもしましたが身動きが不自由になってしまった後の4年間は母がそれこそ付きっきりで父の介護を一生懸命にしていたのでそんな母がそばにいてくれた父は幸せ者だったと思います。亡くなる際も苦しむことがなくようやく闘病から開放されてホッとしているのかもしれません。 父に対しては悪いことも良いことも、本当にいろいろな思いがありますが『今までホントにありがとう。』************ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m面白いと思っていただけましたら、応援よろしくお願いします! ↓↓人気blogランキングへ
2007.04.01
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