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9月4日(月)から9日(土)まで5泊6日で島根県と鳥取県を車で旅したジィジの旅行記です。私は今度の日曜日(17日)のダンスパーティーに向けて今週はサンバの練習に集中したいと思いますので、写真が多いですが、お付き合いください。ちなみに写真は約550枚撮ってきてくれました。一眼レフなので画素数を7パーセントぐらいに縮小するのが大変で不揃いになりました。午前4時に自宅を出て、ちょうどお昼の12時に出雲大社に到着しました。この写真は中国道をひたすら西に向かって走っている時に西の空に月が見えたので非常駐車帯に入って撮ったものです。では出雲大社からご覧ください。境内にはウサギの石像が60体以上あるそうですが、一体として同じポーズはしていないそうです。読みにくいと思いますので少し補足します。幸魂(さきみたま)奇魂(串御霊)の説明です。「時に海を照らして依り来る神あり・・・古事記・また日本に述べてある出雲大社の御祭神・大国主大神はこの「幸魂・奇魂」のおかげをいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。」松の参道を抜けると両側に大国主大臣の像が出現。こちらは御慈愛の御神像です。「因幡の白兎」の神話のシーンが再現されています。銅の鳥居こちらも読みにくいと思いますので補足します。「縁結びの碑」の説明です。古事記に綴られた大国主大神が須勢理毘売神が出雲大社に仲睦まじくお鎮まりになられた由縁を語る神話の一文です。こちらはムスビの御神像です。大国主大神が海から寄り来る「幸魂奇魂(さきみたまくしみ」」と対話する神話の情景です。角度を変えて撮ってきました。そしてやっと出雲大社のご本殿前にやってきました。大きな注連縄がかかる拝殿で参拝しますが、出雲大社の参拝作法は二礼四拍手一礼なんだそうです。西側から仰ぎ見たご本殿が左奥に見えます。国宝指定の荘厳な大社造と呼ばれる日本最古の神社建築様式です。1744年に再建されました。ご本殿を覆う大屋根の面積は約180坪で檜皮が敷かれています。破風(はふ)板を覆う銅板には緑青「緑ちゃん」が塗られています。千木(ちぎ)は銅板を保護するため油煙(炭)を混ぜた「黒ちゃん」が塗られています。勝男木(かつおぎ)にも「ちゃん塗」が施されています。参拝を終えた人が御守所(おまもりしょ)でお守りやお札、絵馬を買っています。珍しい大砲が置いてありました。ここにも兎がいますね。(つづく)今日は朝一番に胃癌と大腸癌の集団検診に出かけます。お昼に、ダンスレッスンに出かけ、そのあと午後2時から整体師の方に自宅まで出張施術に来てもらいます。夫は朝早く、映画を見に出かけるので、中学生二人を雨降りなら送迎しないといけません。ミラ君の水泳教室までには帰ってきてくれるかしら?
September 11, 2023
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2日目はお宿を出てからまっすぐ帰るのもちょっとねということで、南知多のお店を2店だけ立ち寄りました。まずはプリンのお店です。チータープリンでプリンを買いました。画像はありませんが、プレーンと塩キャラメルと桃ジュレとブルーベリーのプリンです。とてもおいしかったです。次に訪れたところは「まる伊」さんです。暑いのでアイスクリームを食べました。アイスの上にシラスと佃煮が載っていました。どちらも珍しい味でおいしかったそうです。お土産の買い物も終えたし、お宿を出てきたのが午前11時過ぎでしたので、そろそろ昼食タイムでした。魚太郎へ寄りましたが、駐車場は満車、お店も大勢の人たちで混雑していたので、買い物だけして次のお店に向かいました。まるは本館です。刺身盛り合わせや岩ガキフライやエビフライをみんなでシェアして相方とペコちゃんは海鮮丼を食べました。サーモン丼と鉄火丼だったような気がします。私は鯛とヒラメとカレイの3種盛りです。この後、帰路につきました。(旅の写真をすべてスマホで撮りましたが、最後の昼食だけ相方の一眼レフの写真です)こうして1泊の楽しい家族旅行は終わったのでした。(おわり)昨夜8月31日のスーパーブルームーンをスマホと一眼レフで撮りましたので記録として載せておきます。スマホの画像です。こちらは一眼レフで撮りました。なんだかスマホの画像のほうが幻想的ですね。月の周りに虹の輪が見えました。スマホには写りませんでしたが。
September 1, 2023
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2時間余りの夕食の後、部屋に戻ると雷がひどくて、目の前の全面ガラス窓からは稲光が絶えず走り、雷鳴も迫力満点で稲光というより火柱が海に向かっていくつも落ちるようで、怖くて部屋の露天風呂に入れませんでした。(東海地方は天候が不安定で、どこでも雷や風雨がひどかったようです。岐阜のわが家も朝顔の支柱が倒れ、一瞬留守の間に泥棒でも来たのかと疑ったほどです)翌朝は嘘のようにピーカンの快晴。船が行き交う様子がよく見えました。朝食は午前8時半からゆっくりと。自分で魚を焼いていただきました。前夜の給仕は女性でしたが、翌朝は若いイケメンのお兄さん。御飯も味噌汁もおかわり自由ですが、そんなに食べられません。ゆっくり朝食を済ませた後は部屋でまったり。何しろここのお宿はチェックアウトが11時ですので。それじゃあ昨夜雷で怖くて入れなかった露天風呂に入りましょうとシャワーの後は、孫、娘、私の女性3代で海を眺めながら露天風呂でおしゃべりを楽しみながら癒しの時間。(撮影はジィジです)午前11時近くになり、帰る時間になりました。庭の風鈴がチリン、チリンと涼しげでした。↑ロビーに飾ってあったお花です。お宿の前で全員で記念撮影。下は8年前の7月に当時87歳の今は亡き母親とお宿に来た時の記念の写真です。この時も娘が旅を企画して招待してくれました。それではお宿を後にしましょう。(つづく)
August 31, 2023
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令和五年 葉月 「金魚がすいすい泳ぐ頃」とお品書きに書いてある通り2時間かけてゆっくりと食事を頂きました。煮物椀の清汁の中に人参の金魚が2匹泳いでいました。窓からはどこかの花火が見えました。伊勢海老のお造りはお宿から娘へのプレゼント↓ (支配人さんがわざわざ運んできてくださいました)お祝いの器に盛りつけられています。飛騨牛A5等級ロースト知多牛5等級フィレが舌の上で柔らかく溶けてとても美味しかったです。 炙りアワビと枝豆の炊き込み御飯も美味しかったです。お品書きの「金魚がすいすい泳ぐ」はこちらでわかりますか?最後のデザートタイムにサプライズがありました。前もって娘がお宿に頼んでおいたようです。チョコレートでお祝いのコメントが書いてありました。まず今月誕生日を迎える自分のために(左)自分の娘(私たちの孫)に向けて(右)父親に向けて(左下)そして私に向けて(右下)もうこれだけで感激でしたが、もう一つサプライズがありました。私達は昨年金婚式を迎え、祝ってもらいましたが、今回もまたお祝いのお花を頂きました。最後は4人で記念撮影。本当は満50歳の娘にお祝いをあげないといけない立場なのに、娘がすべて段取りを企画して祝ってくれて、今回の旅を何もかもプレゼントしてもらったのでした。こちらこそどうもありがとう。そしていい気持ちで部屋に戻ったのでした。(つづく)
August 30, 2023
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えびせんパークで「ぺったん体験」をした後は一路お宿に向かいました。車1台がやっと通れる細い山道を上がっていくとお目当てのお宿がありました。ペコちゃんは早速やぎを見つけました。やぎは人に慣れているようでしたが、ペコちゃんは慎重に近づいていきました。そしてツーショットを記念に撮りました。黒やぎさんはどこへ行っちゃったんでしょうね。ロビーからの眺めと部屋からの眺めです。見えるのは青い空に白い雲が浮かび、見渡す限り大海原が広がっている景色でした。夕日が海に沈んでいくところも見えました。夜のとばりが下りて、所々に明かりがついた庭を見ながら夕食に向かいました。このお宿は食事は個室でします。「食前酒はいかがですか?」と聞かれ、部屋で娘と甘口の赤ワインを1本空けた後なので、躊躇していると相方が「乾杯のシャンパンを飲む。」と言ったので大人3人は食前酒にシャンパンで乾杯!稲庭うどんの先付を酒の肴に。部屋が寒かったので、私だけブランケットを羽織り足腰にもブランケットをまきましたが、次第に体が温まってきました。乾杯も終わり、いよいよこれから2時間の夕食が始まりました。午後7時に始まり9時過ぎまでかかりました。目で楽しみ、舌で味わい満足、満足。(つづく)
August 29, 2023
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8月26,27日で出かけた一泊の旅を振り返ります。お宿に行く道中、面白い看板があちらにもこちらにもありました。「ぺったん体験しませんか?」というフレーズが書いてあります。「ぺったん体験って何?」と4人全員が興味をひかれたんです。えびせんパークに到着して建物の中に入ってやっと疑問が解けたのでした。愛知の娘はカメラマンになるので、3人で体験してみてと受付で申し込みをしてきてくれました。結構大勢の人が体験していました。まあ若者が多かったですが。私たち3人も早速ぺったん体験をすることに。3人がそれぞれ好きな具(甘エビ、イカ、おおあさり)の入った器を選んでからトッピング(しょうが、黒と白胡麻、青のりなど)も好きなように入れて店員さんの説明を聞いてからぺったん体験を始めました。説明書を読みながら相方から順番にやりました。次は私の番でした。鉄板からはみ出したのもすぐに乾きました。出来上がったのを網に載せて待ちます。次はペコちゃんの番でした。3人ともなかなかうまくできました。完成したら袋に入れて持ち帰るなり、休憩所で食べるなりご自由にという事で少し食べてみましたが、とっても美味しかったです。自分で作ったという事もあるでしょうが、紅ショウガや黒、白ゴマや青のりなど味付けが良かったんでしょうね。屋外で出来立てのえびせんを食べて満足し、隣の売店でぶらぶらした後、この体験がとても面白かったので全員満足してえびせんパークを後にし、お宿に向かったのでした。(つづく)
August 28, 2023
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昨朝自宅を出て愛知の娘家族の家に着き、家族と昼食後、ポコ君だけ一人留守番でペコちゃんと娘、私達夫婦の4人で車で南知多に向かいました。途中、「ぺったん体験」という面白い看板を見て面白そうだと寄り道して、姿焼きを焼いて楽しんでからお宿に向かいました。三重の母親と8年前に女子旅をしたことがあるお宿で、娘が仕事でよく利用しているのでおなじみのお宿・海のしょうげつです。ウェルカムドリンクお宿のロビーと部屋からの眺めメゾネットタイプで私たちは2階ヤギさんも2頭いてのどかな雰囲気です。黒と白のヤギさんです。早速娘と私は赤ワインで乾杯❣甘くて口当たりがいいのでついつい飲みすぎちゃいました。まだ夕食前だと言うのに…夕食は午後7時から9時過ぎまで2時間たっぷりかけて美味しくいただきました。途中で窓から花火が見えるし、雷の稲光がし始め、部屋に戻ると、稲光が目の前の海に向かっていくつも走り、雷鳴が近づいてきて火柱が落ちたりで、露天風呂にゆっくり浸かりたいと思っていたけれど、危険なのでやめて部屋から眺めてました。帰ってから詳しく振り返りますね。
August 27, 2023
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6月1日(木)に出かけたバスの旅、中山道太田宿草鞋の会視察研修の旅も今回で最終回です。大樹寺から向かったのは蒲郡市竹島水族館です。昭和37年に建築された古い建物で、日本で4番目に小さな水族館ですが、展示は充実しています。三河湾、遠州灘の生物を中心に、熱帯地方の淡水魚、深海の生物など500種4,500点が飼育されています。深海の生き物は全国一の展示数です。ここは何度もバス旅で訪れた場所ですが、ここ数年訪れなかった間に水族館の周りはシャッター通りになって見る影もなく寂しい感じがしました。車で訪れるのは小さな子供連れの家族だけ。それでも水族館の中に入ると目を見張ります。ほんの一部ですが紹介します。館内からは子供さんたちが驚く声が聞こえて来ました。そしてちょうど午後3時からアシカショーが始まるというアナウンスがあったので移動しました。すると3段ある見物席はもう親子連れで満席でした。私達は立って見ました。アシカちゃんの大活躍に会場全員が拍手喝采でした。ここだけは大盛況でした。バスの集合時間までにまだ時間があったので海が見える所まで散策しました。向こうの方に竹島が見えました。隣のクラシックホテルもきっと皐月が咲いて綺麗だったことでしょう。帰りのバスは恒例のビンゴゲームがありました。参加者全員にお土産がいただけます。相方は2位でしたが、私はというとなかなかビンゴにならず、結局23人中23位のビリだったのでした。これもまた旅のいい思い出になりました。(オシマイ)
June 9, 2023
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カクキュー八丁味噌の味噌蔵を見学後、食事処で八丁味噌の「味噌煮込みうどん御膳」を食べた後、バスは大樹寺を目指しました。慌て者の私と相方はタクシーでみんなよりも一足早く大樹寺を見学してきたんですが、再度念入りに見学できました。池には水連が咲き、1641年三代将軍家光公が建立したという山門も歴史を感じる古い門でした。楼上に後奈良天皇の筆による「大樹寺」の勅額【重要文化財)が掲げてありました。(逆光で暗くて見えませんが)屋根瓦には葵の御紋が見えました。鐘楼(県指定文化財)も1641年三代将軍家光公が建立。九代将軍家重公の名鐘が木の扉の内側に隠れてました。最近できたであろう家康公の石像本堂には「厭離穢土欣求浄土」の文字が以上が最初にタクシーで見学に行った時の写真です。これからはご一行の皆さんと見学に行った時の写真です。80歳の元気のいいガイドの男性の説明を聞きながら見学しました。境内から山門を通して家康公生誕の地、岡崎城が見えました。直線で3キロ以上ありますが、視界を遮る建物が立っていません。岡崎城とを結ぶ「ビスタライン」と呼ばれています。岡崎城が見えますでしょうか。山門の奥にある室町時代の末期に建てられた多宝塔は国の重要文化財です。この後、ご一行様全員の記念写真を撮りました。こちらが大樹寺の本堂。徳川家の先祖・松平氏と徳川将軍の菩提寺です。家康公の座右の銘で旗印にも用いた「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」はこの寺の住職・登誉上人が若い家康公を諭した言葉です。桶狭間の戦いで今川軍が敗れ、敗走した家康公がこの寺で自害を果たそうとした折に住職の登誉上人が諭した言葉で有名です。ここで家康公が亡くなっていたら天下統一は出来ず、長く続いた江戸時代はやってこなかったですからね。「欲にまみれた世を厭き、平和を求める」という言葉です。本堂の奥に進みました。家康公お手植えの椎(しい)の木です。幹が太く根元から枝分かれしていました。こちらは宝物殿です。「位牌は三河の大樹寺に祀るべき」という遺言を家康公が残したので、宝物殿には家康公の位牌をはじめ、日本で唯一14代までの徳川将軍の等身大の位牌が安置されています。15代将軍の徳川慶喜公は1867年に大政奉還をして政治の実権を江戸幕府から朝廷に返し、明治時代になって平民になられたのでお寺にご位牌がなかったのです。歴史の授業ではここまで教えてくれませんのでとても興味深かったです。また背の高い将軍や小さい将軍など等身大の位牌でそれぞれの体格がよくわかりました。(続く)
June 8, 2023
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岡崎城見学の次に訪れたのはカクキュウ八丁味噌の郷、工場見学です。徳川家康公生誕の岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村に味噌づくりを始めたために「八丁味噌」と呼ばれています。工場見学と言っても味噌蔵見学をしました。こちらでは昔の建物が多く残っています。こちらの看板もずいぶん古いものでした。こちらでは昔の味噌づくりの様子が再現されています。女性が案内してくれました。次にみんなは味噌蔵の方へ移動して実際に杉桶の上に3トンもの石を積んである味噌蔵を見学しました。このような状態で2年間寝かすんだそうです。中山道太田宿草鞋の会の男性の皆さんは法被姿です。味噌蔵で味噌を作る人は納豆菌など他の菌が混じらないように三度の食事で納豆を食べてはいけないんですよね。味噌蔵見学の後は、みそ汁をカップに1杯に飲んでから工場内の食事処へ移動して、「味噌煮込みうどん御膳」を頂きました。団体旅行の人たちはこのメニューに決まっているそうです。大した量でないと思うでしょ。ところがお腹いっぱいになりました。食後ゆっくり休憩してから次の目的地に移動しました。(私たちは先ほどタクシーで行ってきたので二度目ですが)(続く)
June 7, 2023
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岡崎大河ドラマ館を出て、ちょうど午前9時半のからくり時計を眺めた後は岡崎城公園内を歩いて岡崎城に向かいました。実は私たちは以前バスの旅でここを訪れたことがあり、家康像は見たことがあります。しかしこの像は初めてのような気がします。龍城神社の案内石像が立っていました。岡崎城を背にして家康と竹千代の石像があります。毎年石垣の測量をしているそうで、廊下橋の東面も歪みやずれがあったとか。※ この橋は通行止めにしてあり渡れなくなっています。本丸へ通じる細長い通路部(帯曲輪)です。史跡岡崎城には高木が1490本も生育していたので石垣を毀損する樹木を伐採してよく見えるようにされました。岡崎城の天守閣まで上がりました。天守閣石垣や礎石などの遺構に関するものからジオラマやプロジェクションマッピングで岡崎城の成り立ちや武士と庶民の暮らし、岡崎の文化や伝統産業などが紹介されていました。以前の岡崎城の写真です。プロジェクションマッピングで花火が何度も上がってました。外に出て顔はめをして遊びました。笑わないでね。徳川家康と竹千代です。そのすぐ近くにある龍城(たつき)神社です。龍城神社の天井を見るといいと教えられて、見上げると木彫りの龍の彫刻が施されていました。その後、すぐ近くの本丸茶屋へ入り、抹茶ラテとお団子を食べたのでした。※ 実は岡崎大河ドラマ館と岡崎城見学をするだけで集合時間までに約2時間半もの時間の余裕がありました。大河ドラマ館も真っ先に見学して出てきましたし、岡崎城内でもほとんどご一行の皆さんと顔を合せなかったのでてっきり次の大樹寺まで出かけたのかとなぜか思い違いをしてしまい、場内のガイドさんに大樹寺へ行く道を聞くと、「約3キロほどあるのでとても歩いて往復はできませんよ」と言われ、駐車場の守衛さんにタクシーを呼んでもらって御一行様より先に大樹寺を見学してきたのでした。当日の旅行参加費よりも高くついたことを幹事さんにこぼすと、「大樹寺は昼食後にバスで行きます」と言われて、「アッチャー!いつもの慌て者の癖が出てしまった」と反省しきりなのでした。(続く)
June 6, 2023
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6月1日(木)の事です。太田宿草鞋の会視察研修の旅に参加してきました。総勢23名のバス旅でした。バスは一路岡崎を目指し、最初に着いたのが「どうする家康」大河ドラマ館でした。岡崎公園内の岡崎城近くにあり、1階フロアではドラマに登場する衣装や小道具、作品紹介パネル、オリジナル映像シアターなどがあります。ストーリーや人物紹介のパネルなどが展示され大河ドラマの世界観を楽しめる施設になっています。「どうする家康」の出演者全員の写真と相関図、色紙なども展示されていました。(色紙の写真撮影は禁止)ここは写真撮影ができる所とできない所がありました。これらの甲冑は写真が撮れました。家康公の像まで3点は撮影可でした。そしてこちらのコーナーからも撮影できました。挽いて粉にして使った香辛料?だったような気がします。(記憶がおぼろげです)地階では史実に基づいた家康の一生と三河武士について展示されています。大河ドラマ館を見て回って出てきたところで、暇を持て余していた武将たちに声をかけ、記念撮影をしてもらいました。御一行様も他の観光客も皆さんスルーしていくので、声をかけたのは多分私だけでした。ちょうど午前9時半を知らせるからくり時計が動き始めたので撮りました。10時や11時ジャストだと倍の長い時間、舞い(踊り)を見せてくれるんだそうです。またしばらく「どうする家康」岡崎の旅が続きますのでよろしくお付き合いください。(続く)今日は朝一で大学病院を受診してから午後自宅へ帰ります。
June 5, 2023
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朱塗りの春日大社と緑の木々のコントラストを楽しみ、スイーツと抹茶で一服をしてから最後の目的地である新薬師寺に向かいました。本当は車で遠回りすれば行けるんでしょうが、春日神社から歩いて行くことにしました。ところが、鎮守の森を歩かなければなりません。しかも歩いているのは私たち二人だけ。鬱蒼と木々が生い茂る森の中を歩いていると少しだけ不安な気持ちになってきましたが、ボディーガードがいるのでただ黙々と歩き続けました。「夕方から夜は通らないでください」と立て看板がありました。やっとのことで民家が見えてきてほっとしました。案内標識に従って歩を進めました。最初に着いたお寺はどうも新薬師寺ではありません。そこからもう少し進むとやっと見えてきました。こちらが新薬師寺です。747年(天平19年)聖武天皇の眼病平癒を祈り、光明皇后が建立しました。こちらが本堂です。本堂内は写真撮影禁止でした。(以下3枚の写真は頂いたリーフレットから拝借しました)ご本尊の薬師如来坐像(国宝)が祀られています。右手のポーズは「大丈夫だよ」という意味を表す施無畏印(せむいいん)。ご本尊を守るために十二神将像(国宝)がぐるりと回りを囲んでいました。実は相方が十二神将立像の内、一番人気がある伐折羅(ばざら)大将像の実物が見たかったんです。炎のように髪を逆立たせ眉を吊り上げ、歯をむいて敵を一喝する勇者です。ご本尊の向こう側でこちら側からは見えません。これが伐折羅大将像(国宝)です。そして自分たちの生まれ月の神将の所へ蠟燭を献灯した後で、新薬師寺を後にして、また森の中を歩いて春日神社の参道へ戻ったのでした。最後に紹介するのは2日目に滞在したホテルのロビーです。奈良駅の近くという利便性もあってか外国からの観光客の皆さんが本当に大勢滞在してました。そして朝食はビュッフェのモーニングです。柿の葉寿司が食べたくてほんの少し盛り付けたつもりなんですが…他の皆さんは朝から食欲モリモリで圧倒されました。これで2泊3日の奈良の旅を終え、帰宅の途に就いたのでした。奈良の旅をご覧いただきありがとうございました。(オシマイ)昨夜は先日選ばれた10名のオーストラリア派遣生の第1回派遣研修会に出かけました。今朝は早朝に三重県に向けて出かけます。実家の母親の一周忌法要が行われるからです。早いもので母が亡くなってもう1年になります。時間が経つのは本当に早いですね。法要と食事終了後、愛知へ移動します。明日朝一で大学病院を受診するので娘家族の家に泊めてもらうからです。PCを持参しますが、落ち着いてみることができるのは遅くなるかもしれません。では行ってきます。
June 4, 2023
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雨の中、東大寺を参拝した後でやってきたのは春日大社です。平城京ができた頃、常陸国(茨城県)の鹿島から都の守り神としてお移り頂き768年に社殿を造営しました。手水舎で清めて歩きました。参道には約2000基もの石灯篭が並んでいます。やっと見えてきました。南門です。本殿が少しだけ見えました。しかし、その日は幣殿にずらっと座っている人たちと外で順番を待つ長蛇の列ができているので、どうも何か神事があるようでした。それで特別参拝受付には行きませんでした。重要文化財の朱塗りの美しい回廊には金色の釣灯篭も吊るされています。ここまで来ると、観光客は足止めをされました。どうも珍しい行列が始まったので相方は外の石段下から写し、私は内側から写しました。最初に山伏のような方々がほら貝を吹きながら現れました。その後ろに続く人たちは以前載せましたので省きます。そして神官さんたちが続きました。行列の最後を見送りました。珍しい行列を見せてもらえたことだし、雨の中を歩いたので、国宝殿1階にあるのカフェで一服しようと私は抹茶クリームあんみつセットを頂き、相方は鹿音クーヘン抹茶セットを頂きながらしばらく一休みしました。そして最後の目的地、新薬師寺へ行く道を検索したのでした。(続く)
June 3, 2023
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奈良滞在3日目は朝から雨ふりでした。(最終日)最初に向かったのは東大寺です。聖武天皇が早世した息子のために建てたのが始まりとか。国宝 南大門の扁額「大華厳寺」は聖武天皇の筆跡です。正倉院に残る聖武天皇直筆の文書から文字を集めて写したものだそうです。南大門の左右に向かい合って立つ阿吽(あうん)の仁王様は金剛力士像(国宝)です。南大門向かって左側には「あ」と口を開いた阿形像(あぎょうぞう)。高さ8m36㎝あります。金剛力士像(向かって右側)は「うん」と口を閉じた吽形像(うんぎょうぞう)。高さ8m42㎝あります。中門中門を入ると左側に東大寺ミュージアムがありました。大仏殿は現在混雑しているので待ち時間が長いとアナウンスがあったので、東大寺ミュージアムの開館を15分ほど待って東大寺との通し券を買いました。中は撮影禁止なので表に貼ってあった仏像を写しました。中央が千手観音菩薩立像(重要文化財)木造・平安時代(9世紀)左は月光菩薩立像(国宝) 右は日光菩薩立像(国宝)どちらも奈良時代(8世紀)の塑造です。国法 四天王立像も奈良時代(8世紀)の塑造です。ではこれから大仏殿に向かいましょう。雨降りでも大勢の学生さんたちがいました。人の大きさと比較するといかに大仏殿が大きいかがよくわかりますね。大仏を安置する東大寺の金堂(本堂)で世界最大級の木造古建築です。創建以来2ぢ焼けているので現在は江戸中期に建てられた3代目。ご本尊の大仏(廬舎那仏坐像)さまは国宝で高さ15mの世界最大級の銅造の仏像です。持国天像頭部と増長天像頭部の二天の頭部のみ残ったそうです。多聞天如意輪観音私達が拝観を終えて大仏殿を出る頃にはもう長蛇の列ができていました。雨がかなり降っているので、さすがの鹿さんたちも雨宿りをしていました。木の下で鹿さんたちと記念撮影をする私です。ではこれから春日大社に向かいましょう。(続く)
June 2, 2023
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薬師寺を拝観した後で、車を走らせ、やっと駐車場に車を入れて興福寺にやってきました。先ず右手にあるのが興福寺国宝館。阿修羅像で有名ですね。そのほかにも金剛力士など国宝仏像の宝庫です。次に向かったのは東金堂です。聖武天皇が建立し現在は室町時代に再建した6代目。五重塔は奈良時代に光明皇后が建立。やはり5回の消失と再建を繰り返し現在は室町時代再建の6代目で高さ50mの塔は奈良のランドマーク。矢印に沿って進みました。こちらが南円堂。そしてこちらは木造建築として屈指の大きさを誇る中金堂です。興福寺の中心となる中金堂は現在入れなかったので外観を写してきました。江戸時代中期に焼失後、本格的な復興は行われてなかったんですが、2018年に約300年ぶりに再建されました。屋根の両端に金色に輝く「しび」は高さ2mもあるそうです。瓦は約7万枚で日本だけでなく世界から寄進されたとか。柱も太かったです。帰り道で、笹竹で舞台を作っている男性に会いました。明日薪能があるので見に来てねと言われましたが、私達は翌日はもう帰らねばならなかったですし、翌日(金曜日)は雨の予報が出ているんだけどなぁと思いながら通り過ぎました。鹿せんべいを買っている姿をこっそり撮っている人は誰ですか?鹿にせんべいをあげました。ホテルのテレビでちょうど奈良公園の鹿の事をやっていました。鹿がせんべいを食べる前に何度も頭をペコペコ下げますが、それを研究した方(奈良女子大学の方)がいてコロナ禍で山から公園へ下りてくる鹿の数が減ったそうです。そして餌をもらう時に頭を下げる回数も減ったそうです。こういうところにもコロナ禍の影響が出ていることがとても面白いなぁと思ったのでした。やはり何でも体験するとよくわかりますね。(続く)今日はこれから「どうする家康」で有名な岡崎城など家康に関する場所を観光してきます。午前7時15分集合で午後6時過ぎに帰る予定です。それでは行ってきます。
June 1, 2023
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法隆寺の西院伽藍、東院伽藍、夢殿と中宮寺を参拝した後で向かったのは薬師寺です。駐車場がわからず、私一人だけおりて池のそばの細い道を歩いて薬師寺ヘ向かいました。鷺が一羽だけ羽を休めていました。なんとか薬師寺に到着。東塔と西塔が見えました。南門(重要文化財)の脇から入ることにしました。相方は駐車場を探して走りまわり、車で待っているとの事でした。手水舎でしょうか。誰も近づかないので私も遠くから眺めただけ。中門の両側には彩色された金剛力士像でしょうか?中門をくぐると目の前に金堂が見えました。薬師寺は7世紀後半、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈り建立を発願。藤原京に創建され、平城京遷都に伴い718年現在地に移されました。(藤原京跡を訪れた時に持統天皇の碑を見たばかりでした)後の火災などで東塔以外創建時の建物を焼失。昭和から平成にかけてお写経勧進によって中心伽藍を白鳳様式で復興し、玄奘三蔵院伽藍を造営しました。2021年には10年以上かけて東塔の大修理が完了。大勢の中学生が修学旅行中でした。向こうに見えるのは東塔(国宝)高校生も大勢いました。こちらは西塔国宝・東塔落慶記念で東塔と西塔の特別公開をしているので共通拝観権を買って東塔から参拝しました。東塔は奈良時代の創建で平城京に残る最古の建物として国宝に指定されています。私が東塔と西塔で最も印象に残ったのはお釈迦様の生涯を表した「釈迦八相像」でした。創建時は粘土で作られた塑像がありましたが、多くが破損してしまったので中村晋也氏によって平成27年から令和5年にかけてすべて彫刻で再現されました。八つの像は見る価値があると思いました。その後金堂の薬師三尊像(国宝・白鳳時代)を拝顔しました。中央は薬師如来、向かって右が日光菩薩立像、左が月光菩薩立像で薬師三尊像です。金堂も東塔、西塔すべて写真撮影禁止だったので頂いたリーフレットから拝借しました。駐車場に戻ると、中高生がバスを何台も連ねて大勢来ているので,ずらっと並んだ自販機はすべてどれもお水とお茶が売り切れで買えませんでした。(続く)
May 31, 2023
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斑鳩町にある法隆寺の西院伽藍から東院伽藍に向かって長い参道を歩き、夢殿(国宝)を拝観した後はさらにその先にある中宮寺を訪れました。左に表門と本堂、太子殿を外から眺めながら進むと中宮寺の入り口が見えてきました。ご本尊の如意輪観世音菩薩(国宝 木造菩薩半跏像)の写真が展示されていました。前日に上皇様ご夫妻が中宮寺を訪れたニュースが流れましたが、入場券売り場の女性二人は「昨日は警備の関係でこの場所に入ることも座ることもできなかった」と言われました。翌日は静かで訪れる人もそんなにいなくて静かに拝観できました。但し、菊の御紋の建物を正面から撮るのは止めてください、斜めの方向から撮ってくださいと言われました。それで斜めから1枚だけ撮って、中に入り参拝しました。中宮寺は聖徳太子が母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御所を寺に改めたのに始まると伝わる尼寺です。高松宮妃殿下の発願で昭和43年(1968年)に建立され、2021年春に本堂が修復されました。それで旧斑鳩御所と呼ばれます。ご本尊の菩薩半跏像(寺伝:如意輪観音菩薩)は右手の指先をそっと頬に当てまなざしは慈愛に満ち、唇の両端を軽く上げた優美な微笑古典的微笑(アルカイックスマイル)をたたえ、エジプトのスフィンクスやモナリザと並ぶ「世界の三大微笑」の一つに数えられます。(入口の写真をご覧ください)そして太子が往生した天寿国の様子を刺繍で描いた天寿国曼荼羅刺繍(国宝・拝観できるのは複製)も説明入りで、すぐ間近で拝見してきました。(リーフレットから拝借)聖徳太子二歳像もしっかり拝顔してきました。(リーフレットから拝借)その後、裏道の住宅街へ出てしまい誰も通らない道をとぼとぼと歩きました。おかげでめったに目にしない発掘調査中の場所を眺めることができました。やっとのことで法隆寺の南大門に到着しました。(続く)わが家の庭で咲いたカーネーションとスカシユリと紫陽花です。
May 30, 2023
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聖徳太子と推古天皇が7世紀初めに創建したとされる法隆寺にやってきました。南大門から入る前に、五重塔を遠くに見ながら茶店でソフトクリームを食べながら少し休憩。まだ両足に痛みがかなり残っているので早く歩けなかったんです。南大門にはすでに小学生の学外研修の子供たちがたくさん。南大門は1438年に再建されました。南大門から入るとさらに子供たちの人数は増えました。中門は飛鳥時代の建築で重厚な扉と左右に立つ塑像の金剛力士像(奈良時代)が睨みを利かしていました。(向かって右側)(向かって左側)深く覆いかぶさった軒、その下の組み物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱は飛鳥建築です。東西に延びた回廊の連子窓が塔と金堂を包み込んでいます。拝観入り口の左の方へ進みました。五重塔が見えています。五重塔(飛鳥時代)は釈尊の遺骨を安置するためのもので、7世紀後半~8世紀初頭の建築です。金堂と並ぶ世界最古の木造建築で地上からの高さは約34mで日本最古の五重塔です。小学生のグループが次から次へと入っていきます。待ち時間はどうも長くなりそうです。座る所もなさそうで今回は金堂拝観をあきらめることにしました。金堂(国宝)は西院伽藍の中心で、世界最古の木造建築です。頂いたリーフレットから写真を拝借しました。堂内には聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代・国宝)、父君、用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代・国宝)、母君穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来像(鎌倉時代・国宝)、樟で作られた日本最古の四天王像(白鳳時代)が邪気の背に静かに立っています。木造吉祥天立像、毘沙門天立像(平安時代)が安置されています。鏡池のそばには正岡子規の有名な句碑、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」が建っています。樹齢がありそうな木を眺めながら東大門に向けてひたすら歩き続けました。門をくぐると目の前に夢殿が建っています。東院伽藍の中心の八角円堂です。聖徳太子が住んでいた宮殿跡に、739年(天平11年)に行信僧都が大使を偲んで建てました。堂内には本尊の救世観音立像(国宝)、行信僧都坐像(国宝)が祀られています。私達は拝観できる最後の日(5/18)に見ることができました。拝観できるのは4月11日~5月18日と10月22日~11月22日までだけでした。内部は写真撮影できなかったんですが、スマホで撮っている人が数人いました。救世観音立像は聖徳太子の肖像と伝わります。豪華な宝冠は精密な透かし彫りで瑠璃色のガラス玉が散りばめられています。飛鳥時代の仏像の特徴である体の左右に伸びる天衣と神秘的な表情は「アルカイック・スマイル」は(古拙の微笑)と言われ唇の両側が上がり微笑しているように見えのが飛鳥仏の特徴の一つです。鐘楼を見ながら中宮寺に向かいます。(続く)
May 29, 2023
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高松塚古墳と高松塚壁画館を見学した後で、向かった先は国営飛鳥歴史公園です。特別史跡 キトラ古墳が見たかったからです。キトラ古墳は藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域にある小円墳です。7世紀末から8世紀初頭に造られたと考えられます。先ずキトラ古墳壁画体験館 四神の館に入りました。1階と地下1階を見学できると思っていましたが、この日は1階の文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設は閉館。入り口を入るとここは地下1階なんです。キトラ古墳壁画の4面マルチ高精細映像や原寸大のキトラ古墳石室模型、古代飛鳥の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、キトラ古墳の発見から調査・研究、修理、墓道の埋め戻しに至るドキュメンタリー展示がしてありました。キトラ古墳壁画は石室内部に塗った漆喰の上に描かれています。南壁には四神「朱雀」、北壁には四神「玄武」、東壁には四神「青龍」、西壁には四神「白虎」、そして天井には「天文図」が描かれています。四神の下には獣頭人身の十二支、日月の壁画があります。2019年に国宝に指定されました。そこから歩いてキトラ古墳に行ってきました。緩やかな坂道を登っていきました。太陽が反射してうまく写せませんでしたが、古墳の前に壁画のレリーフがいくつもありました。これがキトラ古墳です。2段の墳丘は下段の直径が13.8m、上段の直径9.4m発掘調査前は全体に木々に覆われてたそうです。1983年から発掘調査して2013年に石室を再閉塞し、2016年に築造時の大きさに復元して整備されました。シロツメグサはよく見かけますが、赤ツメグサもたくさん群生していました。(続く)最近わが家の庭で咲いた花です。カーネーションとノコギリソウ、スカシユリと紫陽花です。友人の庭で咲いた花です。お花は日常生活のアクセントになりますね。今朝は7時から始まる中山道の小松屋のお掃除にこれから行ってきます。
May 28, 2023
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奈良滞在2日目は明日香村へドライブ。飛鳥は7世紀の日本の中心地ですが、今はのどかな景色が広がっていました。朝9時前にホテルを出たのでまだ観光バスも来ておらず、駐車場に車を入れて歩きました。案内板のように階段を登りました。高松塚古墳が見えてきました。約1300年前に作られた2段式の円墳です。一体は国営飛鳥歴史公園として整備されています。周りを歩いて円墳を眺めてきました。その後、下へ降りて高松塚壁画館を目指しました。山を横穴式に掘って作られたような壁画館でした。西壁の女子群像は「飛鳥美人」の名で親しまれています。(模写ですが迫力十分でした。)この壁画は2022年に発見から50周年を迎えました。上皇様ご夫妻も拝見されたそうです。精密な模写や石室復元模型が見られました。まるで私たちも高松塚古墳の中にいるような感じがしてきました。実は私たちが訪れた翌日に全国から応募した人たちの中から抽選で選ばれた人だけが、壁画の実物を近くの施設で見られると言われました。(年に4回そういう日があるそうです)私はこれで充分でした。館内は撮影自由なのでたくさん写してきました。高松塚古墳の墳丘版築層(実物標本)です。発掘調査の様子です。男女の群像の他にも青龍などの四神(四方を守る中国の霊獣)などを極彩色で鮮やかに描いた石室の壁画は国宝です。野辺に咲く山法師の花やサクランボの実を写しながらまた来た道を引き返したのでした。山からは鶯のような鳴き声を何度も聞きましたが、それがオオルリの声なのか鶯の声なのかはわかりませんでした。(続く)PS) 今日は1日予定が詰まっています。朝9時からダンスレッスンを受け、10時半過ぎに岐阜へ向かいます。長良川国際会議場で開催の行事に参加して午後4時過ぎに帰宅します。その後、午後6時受付の国際交流協会の総会に出席し、自宅へ戻るのは午後8時ごろになるかもしれません。
May 27, 2023
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奈良滞在1日目は気温が高く暑い中、橿原神宮、本薬師寺跡、藤原宮跡、飛鳥寺、石舞台古墳と5か所を観光した後、その夜宿泊するホテルに到着し、ウェルカムドリンクを頂き、少し休憩。そして夕食の時間になりました。最初に飲物のお酒を注文して冷酒を頂きながら、お料理を堪能しました。先付:春味のサラダ仕立て焜炉:鯛と一葉目若芽のしゃぶしゃぶ造里:海の恵み 古代宮廷盛り御椀:季節の真薯 煮鮑 春の野菜を添えて焼八寸:旬菜楽盛り~春の味覚盛り合わせ(鰆菜種焼き、空豆、インカの目覚め蕗味噌、柿の葉寿司、烏賊ワラビ雲丹焼き、吉野桜、蛍烏賊の沖漬物け、稚鮎から揚げ、メバル香草揚げ、海老、子持ち昆布)強肴:黒毛和牛と筍ステーキ食事:ふきと油揚げの炊き込み御飯 香の物:三種盛り 留椀:赤出汁水菓子:デザート(目玉焼きのように見えますが、水ようかん?、黒糖ゼリー?、ナタデココ?でひんやりしてとても美味しかったです。ほろ酔い気分で説明を聞いたのですが、何だったか記憶がありません)目で楽しみ、舌で楽しみお腹いっぱいにななりました。下戸の相方はいつになく私と同じ量の冷酒を飲んだので部屋に戻ってすぐに2時間ほど爆睡しました。翌日の朝食です。2人分ではないですよ。朝からよく食べる私です。そして2日目の観光に出かけました。(続く)こちらは家族のお土産です。どちらもとっても美味しかったです。
May 26, 2023
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蘇我馬子が創建した飛鳥寺で7世紀初めに造られた日本最古の仏像、飛鳥大仏と呼ばれるご本尊の釈迦如来坐像を見学した後に向かったのは石舞台古墳です。途中で車を降りて私一人とぼとぼ歩いて行きました。飛鳥は平城京の前、100年余りにわたって都がおかれた地です。たくさんの万葉歌が詠まれた所として知られていますね。やっと石舞台古墳に着きました。7世紀初めに造られたものとみられています。被葬者は不明ですが、当時の大権力者・蘇我馬子の墓ではないかと言われています。地表に露出しているのは巨大な横穴式石室の一部で天井石が露出した姿をしています。昔、女に化けた狐がこの上で舞ったという伝説もあるそうです。大きさがわかるように記念撮影をしている人物を入れました。玄室の長さ7.7m、幅約3.5m、高さ4.7mで大小30数個の花崗岩が使われています。学生さんや大人の団体の見学者が大勢いました。最も大きな石で南側の約77t、北側が約64t石材の総重量は2,300tという大規模な古墳です。ぐるっと周りを写してきましたのでご覧ください。※ ここで蘇我馬子について少し補足します。飛鳥時代の大豪族で,皇室と結びつきを深めて権力を拡大し、当時の国政を主導した人物です。また仏教を篤く敬い、飛鳥寺を建立した人物です。これで飛鳥寺と石舞台古墳がつながったのでした。その後ホテルに行く途中で両足のふくらはぎが攣ってしまい助手席でもんでもたたいてもこむら返りを起こして固まったふくらはぎは痛くて痛くてしばらく泣いていました。この日の奈良は33度で真夏日。水分補給を充分していたつもりでしたが、長い距離を歩いたのと、脚の酸素不足で攣ってしまったのです。その後、奈良滞在中3日間は靴を履くのもつらいほど脚の筋肉痛は治りませんでした。ホテルにやっと到着してウェルカムドリンクで一休みそして夕食までしばらく休憩し、1日目の夕食が始まったのでした。その様子は明日載せますね。(続く)
May 25, 2023
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曽我入鹿の首塚を見学した後は、本堂内を見学しました。本堂内の撮影は出来ました。本堂前に残る礎石は当初の金堂のものだそうで本堂の位置は創建当時から変わっていないそうです。飛鳥寺は6世紀末に曽我馬子が本格的寺院として創建しました。当時の壮大な伽藍は残っていないけれど、本尊の釈迦如来座像が残っています。7世紀初めに造られた日本最古の仏像で「飛鳥大仏」の名で親しまれています。そして1400年以上前から同じ場所に座ってらっしゃいます。ご本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)の神秘的なお顔は右側からと左側からでは表情が違いました。向かって右側の仏像阿弥陀如来座坐像(木造 藤原時代)写実的表現は藤原時代の特色をよく伝えています。向かって左側の仏像聖徳太子孝養像(木造 室町時代)聖徳太子十六歳の時、父用明天皇の御病気回復を祈願されている姿だそうです。全体像です。さらに進みますと、ここまで見学して外に出てきました。ではこれから石舞台古墳に向かいましょう。(続く)ここでちょっと記録として載せます。母の日のプレゼントが旅行中に届きました。奈良の旅から帰っておいしくいただきました。どうもありがとうございました。
May 24, 2023
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橿原神宮、本薬師寺跡、藤原宮跡と回って、ちょっと一休みがてら昼食。この日の奈良は気温が33度と高く水分補給を十分しましたが、塩分補給も十分に。橿原オークホテル1階の売店で埴輪まんじゅうを買いました。埴輪の形をした埴輪饅頭は甘さ控えめで北海道小豆の餡をふんわりしたカステラで包んであります。形は武人、馬、壷、鈴の4種類入っていました。食後のおやつも食べた後は、飛鳥寺へ向かいました。では中に入りましょう。境内には見どころがたくさんありましたが、あまりにも多かったのでこれだけ載せます。本堂前にはバス何台も連ねて学外研修に来た小学生が大勢いて順番に本堂に入って見学しているので、本堂は後にすることにしました。裏の方に回り寺の境内西側に出ました。するとこの看板に目が行きました。飛鳥寺西門跡が残っていました。そしてこれが曽我入鹿の首塚です。小学生に説明している男性の話に聞き耳を立てていると、645年に起こった歴史上有名なクーデター、大化の改新につながる曽我氏の暗殺計画で、政権を私物化した曽我入鹿を中大兄皇子、中臣鎌足らが殺害し、その首をはねたらその首が600メートル飛んできた所だと話してました。(飛鳥板蓋宮ではねられた入鹿の首は宙を飛んで藤原鎌足を執拗に追い掛け回したため、ここに埋めて供養したという説もあります)小学生たちはそれぞれのノートに一生懸命メモしていました。中大兄皇子が皇太子となり曽我氏一族は滅んで一連のクーデターは終わったのです。(詳しくはネットで検索してくださいね)私たちも飛鳥寺へ戻りました。そして本堂へ入りました。(続く)
May 23, 2023
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橿原神宮を参拝した後、ナビが言う通り元薬師寺跡を探しましたが、「えっ、ここ?」というところにありました。しかも駐車場はロープが張ってあり入れない状態。近くも駐車禁止の立て札が立ち、仕方なく相方を車に残し、一人で草の茂る畦道を奥の方へ歩いて行きました。薬師寺創建の地ですが、平城京の遷都で西ノ京へ移った後、旧寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれました。往時の東西二つの塔や金堂の礎石が残っていました。薬師寺の前身寺院跡の巨大な礎石をご覧ください。夏草?が生い茂る本薬師寺跡です。次に向かったのは藤原宮跡です。平城京の前の都・藤原宮の中心部の遺跡です。駐車場に車を置いて歩きました。この鬱蒼と木々が茂る場所が大極殿跡だと思います。持統天皇、文武天皇藤原宮跡と書かれていました。ちょっと判読が難しかったです。約1キロ四方の敷地に大極殿があったそうです。そして目の前に緑地が広がっていました。耳成山、畝傍山、天香久山の大和三山を三方に眺められます。建物跡を示す構造柱が立っています。向こうの方にも模造柱が立っていました。ここでも古代ロマンを感じられたのでした。ちょうどお昼時が過ぎ、この辺りで少し休憩しなくては・・・この日の奈良の気温は33度でした。(続く)
May 22, 2023
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5月17,18,19日と2泊3日で出かけた奈良の旅をもう一度振り返ります。最初に訪れたのは橿原神宮です。第一代天皇の神武天皇と皇后が祀ってあります。先ず手水舎で手指を清めて境内の南にある深田池は憩いの場で、女性が池の畔に座っておしゃべりを楽しんでいました。相方はしばらくカエルを眺めてました。神武天皇は畝傍山の東南の橿原宮で即位したとされ、明治23年(1890年)に創建されました。重要文化財に指定されている京都御所の内侍所(賢所)を移した本殿をはじめ、社殿は広いです。境内には上皇后様のお歌の碑がありました。そして拝殿に参拝しました。私たちが橿原神宮に参拝するのは二度目で、以前はもう少し奥まで行けた気がしますが、今回は外拝殿から参拝しました。(正月期間は内拝殿に進めるそうです)大和三山(畝傍、耳成、天香久山)に抱かれた橿原は平城京の前の都・藤原京があった所です。この後、本薬師寺跡、藤原宮跡を探して車を走らせたのでした。(続く)
May 21, 2023
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昨日奈良は朝起きたらすでに雨が降っていました。朝食を終え、午前9時前にホテルをチェックアウト。雨が本ぶりになって風もある中、まず向かったのは東大寺でした。小学生、中学生、高校生と大人の団体、外国からの観光客で混雑しているので、入場券売り場も長蛇の列。私たちは東大寺大仏殿と東大寺ミュージアムの両方利用できる券を最初にミュージアムの方で待たずに買えたので先にミュージアムの方を見学し、その後、大仏殿を参拝。詳細は後日載せますね。その後、春日大社へ向かいました。そこで珍しい行列を見ました。先ず山伏がほら貝を吹いて先導しました。これだけでもう充分でした。喫茶店であんみつとお抹茶を頂き休憩。その後、1キロ余り鬱蒼と茂る林の中を新薬師寺へ歩きました。相方が以前テレビで見てどうしても実物を見てみたいと、新薬師寺の本堂を訪れたのでした。それは怖い顔をしたバサラ(伐折羅)でした。私たちはクビラ(客毘羅)に献灯して参拝したのでした。その後、相方は車で他の寺社へも行こうと言いましたが、雨模様の中、今回はもうこれで充分だと思い、京滋バイパスと名神高速を走って帰途に就いたのでした。次回からは奈良の旅をもう少し詳しく振り返ります。(続く)今日はお昼の12時過ぎに出かけ、12時半から5時半までかけてオーストラリアへ派遣する中高生の選考審査のお手伝いをします。疲れている暇はありませんね。
May 20, 2023
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奈良滞在2日目もあちこち巡ってきました。午前9時にホテルを出て斑鳩へ。先ずは高松塚古墳へ。そして高松塚壁画館へ。ここまでは時間が早かったので、私たち二人だけでしたが、駐車場へ戻る頃には観光バスが何台も連なってやってきて小学生、中学生、高校生の学外研修の生徒たちで混雑してきました、その後はどこへ行っても大勢の生徒さんたちと一緒になりました。次に向かったのはキトラ古墳壁画体験館四神の館。そこから歩いてキトラ古墳へ。次に日本最初の世界文化遺産である法隆寺へ移動。そして東院伽藍(夢殿)へ。その後、前日に上皇様ご夫妻が訪問された中宮寺へ。中宮寺は旧斑鳩御所なのです。受付の女性お二人が「昨日はもう本当に大変だったようです。私たちはここに座ることはできませんでした。(中略)菊の御紋の建物は写真撮影はできませんからこの売店の写真を写してもいいですよ。」と言われたので、 お言葉に甘えてご本尊 如意輪観世音菩薩(国宝 木造菩薩半跏像)を写させてもらいました。次に向かったのは薬師寺です。詳細は後日載せますね。その後、興福寺へ行きました。最後に奈良公園で鹿に鹿せんべいをあげました。その後、ホテルのチェックインの時間も近づいたので観光はここまでにしてホテルへ直行。ホテルで少しリラックスした後、奈良駅へお土産を買いに散歩。2日目の夜は奈良駅の近くのホテルに滞在しました。(続く)
May 19, 2023
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昨夜奈良のホテルで夕食に秋田の超辛口のお酒と奈良の純米酒うねびを飲んだら酔いが回って、相方は即ベッドでダウン。私は何とか旅行記をまとめて少しだけ載せますね。帰ったらまた詳しく旅行記を載せますので。昨日は早朝3時過ぎには目が覚めて、午前6時に自宅を出て名神高速、京滋バイパスを通って午前10時には奈良に着きました。先ず参拝したのが橿原神宮。二人ともこれで2度目の参拝です。次に訪れたのは史蹟本薬師寺跡(元薬師寺址)。駐車場が閉鎖していたので、私一人畦道を歩いて参拝してきました。次に訪れたのは藤原宮跡。ちょうどお昼時になり、まずホテルで埴輪饅頭(はにわまんじゅう)を買ってから昼食を食べてしばらく休憩。その後、飛鳥寺へ参拝に。御本尊の飛鳥大仏を拝顔しました。その後、相方を車に残し一人で1kmか2kmぐらい歩いて特別史跡明日香村にある石舞台古墳へ行ってきました。この後、ハプニングが起こり、私は両脚のふくらはぎが攣って痛くて痛くて何をしても治らないので、ここで史跡見学を断念してホテルへ直行。そして部屋でしばらく休憩したのでした。途中、水分とミネラル補給に麦茶を買ってペットボトル1本飲んだんですが、全く効果なしでした。昨日の奈良の気温は32度でした。取り急ぎ昨日(17日)の行程をざっと振り返りました。(続く)
May 18, 2023
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今日で静岡の旅も最後です。国宝久能山東照宮の社殿(拝殿)を拝観した後、また切り立った石段を登り家康公の御廟を拝観しました。奥にあるのが家康公の御廟です。※ 家康公は元和2年4月17日駿府城内で75歳で他界すると、遺言によって遺体はその日のうちに久能山に運ばれ埋葬されました。(※旅行案内リーフレットより拝借)家康公お手植えのみかんだそうです。いかにも幹が細すぎると思ったらどうも最近、駿府城から分木したんだそうです。こちらはテレビの「どうする家康コーナー」で竹の光アートが綺麗でした。向こうに日本平ロープウェイ乗り場があります。日本平夢テラスを設計したのはオリンピック会場を設計した隈研吾氏です。静岡県の木材を使ってあるそうです。実は日本平夢テラスからは富士山はもちろんのこと、遠く駿河湾、伊豆半島、南アルプスが見えるはずでした。ところが、あいにくの曇天で厚い雲に覆われ、駿河湾以外は何も見えませんでした。久能山東照宮と日本平夢テラスの見学で2時間を過ごし、バスは一路浜名湖SAを目指してひた走り、途中最後の買い物と休憩をして帰路に就いたのでした。これで静岡の旅を終わります。(完)
May 3, 2023
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楼門を通り抜け国宝久能山東照宮の社殿を目指して登りました。右手に見えたのは神楽殿です。どの建物も屋根まで金ピカでした。そして至る所に動物の彫刻が施されていました。この階段は使えず、右側の横道へ誘導されました。こちらは神庫だと思います。格子の間から家康公を写してきました。そこから上がっていくと日枝神社があります。神社から左へまっすぐに進むと国宝久能山東照宮の社殿がありました。周りの建物です。社殿の正面は拝殿です。本殿は拝殿の奥にあります。柱の彫刻も素晴らしかったです。今年の干支、兎の彫刻を写してきました。こちらは横面を写しました。石の間なのかどうかはわかりません。多分本殿はこの向こうにあるような気がします。社殿の裏側から本殿の方を写しました。豪華絢爛な造りになっていました。※ ここ久能山東照宮は日本全国にある東照宮の創祀でもあり、家康公が願った天下泰平の世を象徴する神社です。創建当時には最高技術を使って建てられました。(旅行社のリーフレットより拝借)さあ、それでは家康公の御廟に行きましょう。これからまた切り立った最後の石段を登ります。(続く)
May 2, 2023
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久能山東照宮の社務所の横から石段を楼門まで上がってきました。楼門の向かって左側には金剛力士像ではなく、弓矢を持った武士が睨みを効かせていました。右側です。そして裏に回ると向かって左側に金の獅子がいました。真ん中には家康公の手形がありました。家康公が38歳の時のもので推定身長は155センチから159センチと書いてありました。家康公はそんなに背が高い人ではなかったようです。右側は一角獣のようでした。門を見上げると色彩が綺麗でよく見ると至る所に動物の彫刻が施してありました。八重桜は葉桜になりかけていましたが、オオデマリが花盛りでした。そして至る所に葵の御紋がついてました。灯篭にも葵の御紋が付いてました。では先に進みましょう。(続く)GWが始まりましたが、私は旅行にも出かけず、庭の草引きをしたり、床のワックスがけをしたりしてまったりと過ごしています。4月29日は太田宿中山道会館まで山野草展を見に出かけました。今回は岩チドリでした。後日載せますね。4月30日は夏時間で中山道小松屋の掃除がありました。冬時間は午前8時開始でゆっくりで良かったんですが、7時から始まると6時45分には会場入りしますので、遅刻しないように早朝から目が覚めてしまいました。私が一番乗りで、まだ誰もいらっしゃってなかったです。3月から10月までは夏時間ですので早起きします。
May 1, 2023
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今年のGWはどこにも出かける予定はなくのんびり過ごそうと思っています。それで4月25日(火)に出かけた静岡の旅を振り返ろうと思います。当市の人ばかり49名のバス旅で午前8時過ぎに出発しました。当日のキャンセル待ち参加できた人が20名弱いらっしゃいました。顔なじみの方々が多かったです。バスの乗車条件が厳しく、身分証明書(免許証、健康保険証)とコロナワクチン接種証明書がそろってないと乗車できませんでした。バスは一路、焼津に向かって走り、焼津さかなセンターで海鮮づくし御膳を頂きました。桜エビとしらすのこぼれ寿司が珍しかったです。新鮮な海の幸が盛りだくさんの70店舗で早速皆さんお買い物。その後、わさび工場を見学して土産物店でわさびのソフトクリームを食べました。黄緑のソフトクリームの上にわさびの粉末が降りかけてあり舌にピリッときて美味しかったです。その後、バスは久能山東照宮を目指しました。先ず日本平ロープウェイに乗りました。ロープウェイで久能山へ向かいます。やっと到着。江戸時代の石垣が残っています。推定樹齢500年のクスノキです。社務所の横から家康公の御廟に向かって石段を上がっていきました。先ず楼門に向かって登りましょう。この石段はまだ足にやさしかったです。これから先はどうなることでしょう。(続く)
April 30, 2023
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曼陀羅寺の藤と芍薬と石楠花も今日で最後となりました。ぐるっとお庭を回って帰りましょう。そしてすぐ隣にある小さなお寺の庭に立ち寄りました。ツツジが綺麗でした。石楠花も綺麗でした。このお寺には地元の名物のお菓子が売ってましたが買わずに、毎年立ち寄るお店で木の芽田楽を買って帰りました。今年もこの時期に曼陀羅寺の藤と牡丹、石楠花を見に来られて良かったと思います。こちらは週1で訪れるエステシャンのお庭です。庭の至る所でアヤメ、菖蒲?が咲いていました。アヤメと菖蒲の区別が今でも難しいです。また湿地や沼ではなく築山ですが、カキツバタだと教えてくれた方もいます。わが家にはあまり花がないので、いつも彼女の家のお庭をゆっくり散策して季節のお花を楽しませて頂いています。さて、私も身体がすっかり回復しました。一昨日に年末から来年に向けて踊る予定のダンスの振り付けを付けてもらい始めました。昨日もその続きを付けてもらいました。しっかり覚えていきたいと思っています。
April 29, 2023
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曼陀羅寺の藤と牡丹、石楠花を紹介していますが、その間にわが家のつる薔薇が咲いてきましたので少しだけ紹介したいと思います。たくさん蕾もついています。まるで小鳥の赤ちゃんが空に向かってくちばしを向けているように見えます。ではもう一度牡丹の花と藤の花を紹介します。先ずは牡丹から鉢植えの藤もありました。藤棚の白い藤です。手前は八重の黒龍で遠景に白い藤紫色から淡いピンク色へとグラデーションが綺麗だなぁと思いました。綺麗な花を鑑賞するのに言葉はいりませんね。次回はすぐお隣にあったお寺さんの庭を紹介します。
April 28, 2023
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愛知県江南市の曼陀羅寺の藤の花を紹介していますが、実はシャクナゲも色とりどりで綺麗に咲いていました。今日はどちらも紹介したいと思います。先ずは藤の花色が紫、薄紫、そして向こうの方に白い藤が見えるのがわかりますでしょうか?3尺藤だと思います。白い藤も見事に咲いてました。次にシャクナゲを紹介します。赤と白のシャクナゲがコラボしていました。純白もいいものですね。この花色のシャクナゲは珍しいと思いました。先週の土曜日から今週火曜日まで予定がびっしりで、毎日めいっぱいこなしていたら、とうとう5日目にして気が緩んだのか、疲れがどっと出てきてしまいました。それでもダンスレッスンだけは出かけてきました。多分久能山東照宮の切り立った石段は一段が30センチほどの高さがあって、急でした。頂上にある家康公の御廟まで登って行ったので両足の太腿とふくらはぎが筋肉痛になったんだと思います。ダンスレッスンで両足が筋肉痛になることはめったにないです。まあそのうちに治っていくと思います。睡眠不足も一因だと思うので少し昼寝をする時間を確保して眠ればしばらくして元通りの生活に戻れると思います。私は自分の年齢を忘れがちなのが玉に瑕です。
April 27, 2023
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ひとまず4月のダンスパーティーが終わったのでダンスレッスンはお休みをして、一昨日(24日)藤を観に江南市の曼陀羅寺までドライブ。今年は季節が早く訪れているので牡丹の花はほとんど見頃を過ぎていましたが、ツツジやシャクナゲが綺麗に咲いていました。藤で有名なお寺なので、大勢の人が訪れていました。これから少しずつ載せようと思います。先ずは八重の黒龍からまるで藤棚からぶら下がるブドウのようでしょ。牡丹の見頃は過ぎてましたが、少しだけ載せます。ツツジは満開でした。昨日(25日)はバス旅で静岡まで出かけました。その様子はまた後日載せますね。
April 26, 2023
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ぎふ清流里山公園の最終回です。園内を歩いていると山躑躅があちこちにハナズオウ(マメ科 ハナズオウ属)です。リキュウバイ(バラ科 ヤナギザクラ属)です。椿も満開でした。こういうのは斑入りというのか、絞り模様というのか、何と呼ぶのでしょうね。赤い椿は別の木なのか源平咲きなのかちょっとわかりませんでした。向こうの山の上にあるアドベンチャーパークから小学生が頭の上を一気に通過していきました。親子で体験している家族もいました。結構スピードが速いんです。登り窯が作ってありますが、最近使用された形跡はありませんでした。以前は日本昭和村という名前がついていたのですが、今でも懐かしい昭和のレトロなお店があります。入り口のカフェで一服しました。このお店も改築してハイカラなカフェに代わっていました。綺麗なチューリップもネモフィラも見ることができて、まだ八重桜や枝垂桜も綺麗でしたし、他の植物もたくさん花を咲かせていたので、日曜日の午前中、さわやかに気分転換ができました。(終わり)昨日から岐阜県でも黄砂が観測されています。今日もまだ黄砂が飛んでいるようなので、なるべく屋外に出ないようにしたいと思います。花粉症の人や気管支喘息の人は要注意と言われてますので、サングラスをはめマスクをしてダンスレッスンに出かけたいと思います。
April 13, 2023
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次にぎふ清流里山公園・セントラルガーデンのネモフィラ広場を紹介します。見渡す限り可憐なネモフィラが広がっていました。チューリップとコラボしているネモフィラも素敵でした。そしてここは山の中にあるので平地よりも少し涼しく9日(日曜日)でも桜はまだ葉桜にならずに八重桜も枝垂桜も綺麗でした。八重桜は花色が淡い色から濃いピンク色までいろいろ。枝垂桜もあちこちに枝垂桜とチューリップのコラボです。子供たちも春の小川に入って遊びたいようでした。観光客を写さずに写真を撮りましたが、実はいくつもある駐車場すべてが満車になるほど遠方からも大勢の人が訪れていました。ぎふ清流里山公園はもう1回続きます。(続く)
April 12, 2023
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昨日はお天気が良かったので以前から行きたかったぎふ清流里山公園までドライブ。広い園内を散歩してきました。入り口でハート型をしたお花が出迎えてくれました。季節は枝垂桜からチューリップへ移り変わりますね。藁で作ってあるのはイタリア・ローマにある「真実の口」そして今年の干支の兎です。体長10センチはあろう大きな金魚がゆったりと泳いでいました。そしてエントランスガーデンに広がっていたのは見渡す限りのチューリップ広場でした。お天気も良く、青空の下で色とりどりのチューリップが綺麗に咲いていました。駐車場の車も大阪や奈良、静岡ナンバーがあり遠方からも訪れているのがわかりました。この公園は猫はだめですが、犬は連れてきても大丈夫なのでワンちゃんもたくさんいました。飼い主さんがリードを付けて散歩させるか抱っこして入園できます。(続く)
April 10, 2023
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昨日の続きで一昨日(4月1日)の事です。一色保木山のかたくりの里を見終えると、それまで駐車場で雑談していた相方が桜が綺麗な所があるらしいぞと言って先へ進むことにしましたが、ナビにその場所が出てきません。仕方なくそちら方面へ進んでいくと窓から枝垂桜が4本見えました。集落の細い道すれすれを通って山の方に向かいました。そして4本の桜を順番に写してみました。どれもよく似ているんですが、微妙に違いました。枝垂桜の左側に背の低い白い花色の桜が植えてありました。ズームアップするとこんな感じそして枝垂桜がまるで滝のように流れ落ちているようでした。その後、奥長良川県立自然公園に向かってくねくねと曲がる山路を上っていきました。そして寺尾ヶ原千本桜公園と書いてある立て看板を見つけ車から降りて、私一人さくら街道をしばらく歩きました。しかし、ノア君のテニス教室の時間を考えてこの辺りで引き返すことにしました。道中、道路沿いに生えている桜並木や里山のあちらこちらに今を盛りに咲いている満開の桜の木々を遠くに眺めながら、ドライブしながらもお花見ができたことに満足した気分で帰途に就きました。(終わり)
April 3, 2023
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昨日その気は全くなかったんですが、社交ダンスのレッスンが先生の都合で休みになったので、相方が前日NHKテレビで見た場所へ行こうかと言い出し、東海環状で関市武芸川町一色までドライブ。一色保木山のかたくりの里を訪れました。実は中京テレビでも紹介したらしく、地元の人によれば去年まではこんなに訪れる人がいなかったのに、今年はとても混雑しているとの事でした。お店の駐車場に入れさせてもらい、私だけ歩いてカタクリの花を見に行ってきました。【相方は屋外のお店でコーヒーを飲みながらお店の人たちとおしゃべりを楽しみ炊き込みご飯、赤飯、煮豆の他に私用にマスクチャーム(スワロフスキー)とファスナーチャーム(スワロフスキー)などわんさと買って待っていました。】そんなこととは知らずに、のんびり山麓を歩いてカタクリの花、猩々袴、ぎふ蝶を見ながら写真を撮ってきました。山麓の広い範囲にカタクリが群生していました。これは山に入ってすぐに見つけた猩々袴です。猩々袴も広い範囲に群生していました。これはほんのごく一部だけを写しました。この山麓にはぎふ蝶がたくさん飛んでいました。アゲハ蝶よりも少し小さな身体をした蝶ですが、すばしっこくてあっという間に飛んで行ってしまうので写真に撮るのが難しかったです。大勢の人がぎふ蝶を撮ろうと望遠レンズ付きのカメラで狙っていましたが、なかなか難しいので、ほとんどのカメラマンが撮れてないようでした。それで私もため息をついていると、優しいおじいちゃんが(同い年か若い方かもしれませんが)綺麗に撮れた写真を見せてこれを写していきなさいと言われました。何でも地元の人は皆さんよくご存じで、小学6年生の女の子とおじいちゃんがいつも山に入って写真を撮っているけれど、おじいちゃんよりも小6の女の子の方が腕が上で上手にぎふ蝶を撮っているそうです。5枚ほど見せてもらって写してきましたが、その中でも2枚だけ載せますね。とてもこんな写真は撮れませんでした。駐車場に戻る途中でお話をしたご夫婦は名古屋からいらっしゃったそうです。そして駐車場に戻るとお店の人や地元の人たちと大笑いしながら楽しそうに話をして相方はご機嫌でした。(続く)
April 2, 2023
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ここ数日どうしようかと迷っていましたが、一昨日ちょうどテレビで桜祭りを見たので、やっぱり五条川へ桜を観に出かけました。あまり街中へは行かずに、田んぼ道を走り、あぜ道に車を止めて誰も人がいない所で写真を撮ってきました。なぜか相方がカメラに日付を入れてしまっていたので写っているのもありますが、お許しください。桜の花びらが散って、川面に花筏をあちらでもこちらでも浮かべて流れとともに下っていきました。そして桜の下ではタンポポやシロツメグサが群生していました。「糸桜 こやかへるさの 足もつれ」松尾芭蕉私も芭蕉の句のように枝垂桜があまりにもきれいなので見惚れていたら帰ろうとして足がもつれてしまいました。
March 30, 2023
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3月21日の夜は17階で夜景を見ながら夕食を済ませ部屋に戻ってリラックス。私はPCをやっていたので御前様になってしまいましたが、相方はさっさと寝てしまったので午前3時頃にはもうお目覚め。それから朝までうつらうつらしただけで完全に寝不足ですが、旅行はいつもこんな感じですから仕方がないです。翌朝の食事は日本食レストランではなく、日本庭園が見えるビュッフェの方へ行ったので、広くて大きな部屋はほとんど外国からの観光客でした。朝からよく食べるでしょ、私。食後は日本庭園を散策。ロビーの豪華な花に魅せられました。12時半までチェックアウトはOKでしたが、11時前にはチェックアウト。目的地まで私はタクシーで行きたかったんですが、相方が運動、運動というので仕方なく、重い荷物をもって坂道を下ったり上がったりしながら地下鉄の駅まで結構な距離を移動。途中東京都の花、桜がマンホールの蓋の絵になってました。市ヶ谷の駅で降りると目の前に満開の桜並木が広がっていました。お店で集合時間まで1時間ほど待ちました。会場入りをするとお弁当とお茶が用意されていました。今回全国で表彰された方々の記念撮影。北は青森県から南は鹿児島県までいらっしゃいました。長年にわたってあることの発展向上に尽力してきた功績を今回表彰してもらったんです。そして全国から集まっている代表者の方々の臨時大会でも皆さんの前で一人一人紹介されました。滞りなく式は終わりいったん1階まで下りて場所を移動し、今度はエレベーターが混雑していたので待たずに階段を3階まで上がったのでした。最後の方でもうフラフラになりました。部屋に戻り、閉会の挨拶が終わり解散になりました。この後、もう観光する気分にはなれず、東京駅に戻ってお土産を買って新幹線で帰ったのでした。(終)
March 27, 2023
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夕方午後5時40分出発の2階建てオープンバスで皇居、日本橋、浅草、墨田川、東京スカイツリー、千鳥ヶ淵、上野公園、靖国神社、アメ横、原宿、竹下通り、秋葉原などの夜景を巡るコースを90分間見物してきました。どこにも下車をせず、バスで巡るコースです。ただしオープンバスはまだ時期尚早でとにかく寒かったです。相方は頭が、私は腰から下がスースー冷えました。簡易ブランケットを巻いてもあまり変わりませんでした。まあめったに行けない所をすべて回ってくれたので良しとしましょう。2階建てバスでも最も背が高いバスらしく、ガードレールの下すれすれをわざとスピードを上げて数回もスリル満点で走りました。東京駅の八重洲口よりもずーっと南の市街からバスが出たので東京駅を通過して、昼間のコースとよく似た皇居前を通ってから進みました。東京スカイツリーがオープンの天井から見えてきました。浅草を通り、墨田川を渡り写真が撮れたのはここまでです。とにかく神田町の書店が多く連なる所や仏壇屋さんが多い所、そして原宿、竹下通りなどテレビによく出てくるにぎやかで眠らない街のような所を横目で見ながらバスは通り過ぎました。(今でも言うかどうかわかりませんが)ネオンサインがキラキラと昼間のような明るさで色鮮やかに輝いていました。身体が冷え切って午後7時過ぎ八重洲口のかなり南の方へ到着。そこから駅まで速足で歩いて赤坂見附の駅まで地下鉄で移動。ホテルまで速足で長い距離を歩きました。途中夜桜が綺麗でした。なんとか夕食の時間に間に合ったので、17階へ上がって夜景を見ながら夕食を摂ることにしました。17階は外国人の観光客がほとんどで大勢が長テーブルの席でパーティーをしていました。楽しそうなご一行様たち大勢を横目に私たちは二人でシャンパンで乾杯!天ぷらはその場で好きな具材を揚げてくれますし、お寿司も好きなネタを言えば握ってくれました。そしてビュッフェ式の料理を好きなだけ持ってきて頂きましたが、どれも味付けが美味しかったです。私はサーロインステーキやホタテをお替りしてしまいました。お寿司も2回も握ってもらいました。そしてデザートも美味しかったです。お腹いっぱいになって満足しました。午後9時でクローズドでしたので、私たちは8時半過ぎには帰りましたが、外国の人たちはまだまだ宴もたけなわという感じで大いに盛り上がっていました。(続く)
March 26, 2023
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3月21日(祝)のお昼頃に新幹線で東京駅についてすぐに東京駅丸の内南口からはとバスを予約。祝日でほとんどのツアーが1日中満席の所、2階建てバスTOKYOシティドライブの最後の2名に滑り込みセーフ!午後1時20分出発に間に合うように簡単な昼食を駅まで買いに行き、黙食ならOKと言われ、出発前に簡単に済ませて、バスは出発。しかしバスの中から景色を写すのは難しかったです。バスのライトが写りこんでますが、ご容赦ください。コリント式建築の明治安田生命保険株式会社の建物。皇居・富士見櫓昔はここから富士山が見えたのでこの名前が付いたそうですが、現在ではもう見えませんね。お堀の周りを大勢のランナーが走ってました。桜が綺麗でした。皇居の周りを通過して国会議事堂前へバスの座席が反対側だったのでトップが切れてしまいました。参議員会館、衆議院会館、国土交通省やら各省庁、両院の議長会館前を通過して工事中の迎賓館が遠くに見えました。ラグビー場を通過明治神宮野球場を通過、小さな子供さんたちが五輪のマークで遊んでいました。東京オリンピックのメインスタジアム神宮前のイチョウ並木も今は幹だけ。乃木希典氏の自宅と聞きました。東京タワーが見えてきました。すぐ下を通り桜が綺麗なところをあちこち写しましたが、バスが動いているのでなかなか難しかったです。そして明治生命ビルに戻ってきました。コリント式建築がよくわかりますよね。東京駅に戻ってきました。70分のTOKYOシティドライブが終わり、夜の予約を旅に出かける前に既にPCでしてあったけれど、バス会社と集合場所がわからず、あまり親切でないのでガッカリしてあちこちで聞き合わせた所、親切な別のバス会社のスタッフが二人、スマホであれこれ検索して、やっとわかったので今度は八重洲口の方へ行って、街中をあちこち探してやっとわかりましたが、1時間以上時間をロスしました。そして重い荷物を持ちながら本当によく歩きまわりました。夕方の出発時間までに赤坂見附まで地下鉄で行き、ホテルニューオータニにチェックイン。ウェルカムドリンクとドルチェを頂きました。ワインやシャンパンなどのアルコール類もありましたが、私たちはこれから夕方の観光に出かけるのでパス。やはりホテルのグレードが上がるとサービスもスタッフの物腰も親切で丁寧だなと感じました。11階の部屋にキャリーバッグや重いバッグを置いてまた地下鉄で東京駅に取って返しました。東京の地下鉄構内も街中も本当によく歩き回りました。(続く)
March 25, 2023
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21日、22日と東京へ出かけてました。その様子はまたゆっくり載せることにして今日はとりあえずざっと振り返っておきますね。東京の街中を重いキャリーバッグを引きながらバッグを片手に持って地下鉄の構内からホテルの中のとても長い距離を速足で歩きまわったので足腰が筋肉痛で疲れてしまいました。21日(祝)は東京駅丸の内南口からはとバスに乗って70分間東京シティドライブを楽しみ、赤坂見附のホテルまで移動してキャリーバッグだけおいてまた東京駅に戻り、バス会社と乗り場を探して街中を歩き回り夕方から2階建てオープンバスで90分間都内の桜の名所を巡ってきました。天井がオープンのツアーはまだ寒いこと寒いこと。ぶるぶる震えてしまいました。赤坂見附にあるホテルニューオータニの日本庭園です。ホテルで一泊した翌日朝食を済ませてからゆっくり散策しました。ホテルのロビーに飾ってあるお花です。草月と書いてある花車に活けられたお花は本物の桜とレンギョウが活けてありました。実は今回の東京行きは相方の表彰式に同伴していったのでした。長年続けてきた仕事で全国で表彰されたのでした。写真を見て、ダイエットをしなくてはいけないなと痛感したのでした。これから1か月ダイエットをしようと思っています。そしてこちらは東京へLINEで送られてきた写真です。先日の駐日モロッコ王国特命全権大使の講演会でまた会った仲良し3人組です。私が最年長で一番若い方は15歳年下で、ちょうど真ん中ぐらいの年齢の方となぜか気が合う3人です。両脇のお二人は有名人ですから顔出ししました。
March 23, 2023
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昨日中山道小松屋の掃除が終わってから愛知県犬山市にある大縣(おおあがた)神社まで出かけました。そろそろ梅が咲いているかなと思いながら。いくつかある駐車場が満車になるほど見物に来ている人達で賑わっていました。お目当ての梅園の梅はまだ蕾が多く、3月に入ってからの方が良かったかもしれません。小高い丘を上がって行くと、太陽に近いからなのか上の方だけ満開の木がありました。梅の花を写してきましたので紹介したいと思います。毎年干支の彫刻をチェンソーでされる方の作品です。(全国大会で優勝されたこともある方の兎の作品)では梅園を上っていきましょう。白梅も咲いてました。そして私が夢中で梅の写真を撮っている姿を後ろから写している人がいました。もちろん相方です。梅の木が低いのでついこういう格好になってしまいました。はるか向こうの方には雪をかぶった伊吹山が見えました。3月になって満開の頃にもう一度訪れることができたらいいですね。
February 27, 2023
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昼にランチクルーズをして居心地が良かったので、一旦歩いてホテルに戻り午後6時過ぎにもう一度港まで歩きました。午後7時からのディナークルーズに乗るためです。乗船してすぐにカクテルをオーダー。前菜アサリのサフランスープお魚料理お肉料理途中で写真を撮りに来てくださいました。デザート&コーヒーこの後、港が一斉にブルーになりますよと言われてほとんどの乗客はデッキに上がりました。「ブルーライト 横浜♪」の歌のようでした。ブルー一色になったのがわかりますでしょうか。「田舎者の横浜滞在」ではスマホの写真でしたが、こちらはカメラで写しました。こうして120分のディナークルーズは終わったのでした。翌1月2日の朝食では雑煮を頂きました。大根や人参などの野菜と共に。そして5泊6日の旅もそろそろ終盤で、新横浜から新幹線で帰途に就いたのでした。横浜は暖かかったですが、岐阜に入った途端、伊吹おろしなのか風が冷たく、寒さをひしひしと肌に感じたのでした。長らく旅行記にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。(完)
January 16, 2023
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