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レンタカーで180キロ移動した2日目の旅もいよいよ最後の目的地にやってきました。それは岡山桃太郎空港です。駐車場に車を入れて1階から3階まで上がりました。3階の展望ロビーに出て行くと中国の航空機(CHINA EASTERN 東方航空)が1機いただけです。向こうの方に滑走路が見えました。ロビーにあった桃太郎と家来のステンドグラスです。そのすぐ下には外にも桃太郎と家来の銅像がありました。大きな石の桃が数個ありました。朱塗りの橋を渡ったところに島が作ってありました。鬼が島なんでしょうか。帰りはヘヤピンカーブの山越えをせずに岡山駅裏にあるレンタカー屋さんまで走りやすい道路で帰れました。これで2日目の150キロ遠征?は終わりました。まだまだ旅は続きますが、先週ダンス教室へ届いた写真を少し紹介します。昨年12月に名古屋の大きなホテルで踊ってきたサンバの舞姿です。お粗末様でした。
January 17, 2024
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吉備津神社を参拝してから向かったのは天守が現存する山城、備中松山城です。雲海が見える天空の山城として有名です。最も高いところに天守が現存する山城で標高430mあります。遊歩道の途中で車を止めさせられ、1車線の細い山道なので山から下りてくる車をしばらく待って2台だけ出発しました。そして途中の駐車場へ車を止め、そこからは歩きで登りました。しかも舗装された上り坂を利用すればもっと楽だったのに、すぐに山の中に入り、昔の山道を登りましたので、足元が悪く、切り立った石段もほとんど壊れていました。こちらは中太鼓の丸跡です。かつて御根小屋と天守との伝達をした太鼓の丸で中継点で太鼓の合図で連絡を取り合ったそうです。これから先は息をするのも辛くて写真はこの1枚だけ撮っただけです。とにかく山から足を踏み外して転げ落ちないように気を付けながらふらふらしながら登ったのでした。どれだけ時間がたったでしょう。やっと大手門跡が見えてきました。これから先、たくさん撮ったんですが、少々多くなりますので省きます。こちらは大手門跡で、次は足軽箱番所、大手櫓、土塀、二の平櫓跡、路地門跡などの石の道標がありました。土塀がぐるりと張り巡らされています。国指定重要文化財です。(土塀の一部は現存のもので、残りは復元されたものです)こちらが現存する古い土塀だと思います。三の丸、厩曲輪(うまやぐるわ)、御膳棚(ごぜんだな)、二の丸と通って歩きました。「国指定史跡 備中松山城国指定重要文化財 備中松山城建造物 天守建造物 二重櫓建造物 土塀」と書いてあります。二の丸に登ってきました。そしてやっと本丸にたどり着きました。ところが、せっかく苦労して登った備中松山城でしたが、残念ながら年末年始の休みに入って入城することはできませんでした。天守は外から見上げるだけでしたが、二層二階の典型的な山城です。1683年水谷勝宗によって大修復されたものです。与謝野寛・晶子夫妻が1915年の秋に松山城を詠んだ歌です。「松山の渓を埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる」と書かれた碑が庭の片隅にありました。そしてまた来た道を駐車場まで引き返し降りて行ったのでした。(つづく)ミラ君の水泳教室の記録として載せておきます。
January 16, 2024
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やっと吉備津神社本殿に参る参道にやってきましたが、ふと目をやると、「桃太郎」「きびだんご」が目に入りました。鬼が甘酒を売ってました。早朝8時前からレンタカー屋さんまで歩いて、鷲羽山にドライブして山登りをしたのでちょっときびだんごでお腹を満たしましょう。お腹も満たし、では手を清めて参拝しましょう。ではこの石段を登っていきましょう。今回の旅では山登りや石段昇りが多かったです。途中の踊り場でしばし休憩してもうひと頑張りここは通過点でまだまだ石段は続きました。最後の石段をもうひと頑張りしました。やっと本殿まで登りました。【本殿には第10代崇神天皇の御代に四道将軍として吉備の国に派遣された吉備津彦命を祭神として祀られています。現在の本殿も拝殿も1425年に完成しました。1357年再建の南隋神門と1543年再建の北隋神門は国の重要文化財です。1612年建築の鳴釜神事の御釜殿は岡山県の重要文化財に指定されています。】本殿で参拝してから境内をぐるりと回って太いイチョウの保存樹と開運招福の大きな辰年(龍)の絵馬を写して祈祷所の傍を通り可愛い桃太郎のおみくじがありました。吉備津神社へ参拝できて境内でしばらく寛げたので帰りはなだらかな回り道を降りて次の目的地へ向かいました。(つづく)
January 15, 2024
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倉敷3日目の朝の事です。倉敷駅裏まで歩いてTレンタカーを借りました。瀬戸中央自動車道をひた走る途中で高速道路上で車の前部から火が出て火の塊が道路上へぼとぼと落ちているのを座って眺めている若者を見過ごしながら、車の流れに沿って通過していきました。(帰り道で消防車2台、パトカー他たくさんの車が出動して消火作業を終え、車が全焼して枠組みだけになっていました。)実はこの日1日で150キロを移動しました。先ず向かったのは鷲羽山。私たちは本当に山登りが好きですね。駐車場に車を止め、石段となだらかな坂道を頂上に向かって歩きました。坂道に咲いていたピンクの山茶花やっと瀬戸大橋が見えてきました。姉妹橋縁組締結記念碑瀬戸大橋-金門橋 姉妹橋と書かれていました。次に向かったのは吉備津神社です。この辺りが吉備津神社とカーナビに案内され、狭い空き地に車を止め参拝しました。しばらく歩くと参拝客は向こうから大勢歩いてきます。この頃になってどうもおかしいと気づき、相方はもう一度車を取りに引き返し、私は道路で待つことにしました。どうも吉備津神社の右手の端の神社を参拝したようです。駐車場の端に犬飼毅氏の大きな銅像がありました。ほとんどの人は気づかずに行かれましたが、私は車を待っている間に犬飼氏の銅像と道路を挟んで向かいにあった神社を写しました。そしてこちらが吉備津神社のご本殿に入る門でした。庭と広い駐車場を横切り吉備津神社のご本殿入口の方へ歩いて行ったのでした。(つづく)
January 14, 2024
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倉敷美観地区を充分見て回り買い物をしてから右手に阿知神社を見上げながらえびす通り商店街を歩きました。(数回この通りを通りました)この商店街にはえべっさんがあちこちにいました。歩いて歩いて倉敷駅に着きました。駅裏のモニュメントです。勇ましいバイキングのような姿をしていました。アンデルセンの世界も広がっていました。そして駅裏のショッピングモールを散歩してから隣の三井アウトレットにも足を延ばしました。昼食を食べて休憩してからまたとぼとぼとホテルまで歩いて帰ったのでした。ホテルで一休みしてから夕食を食べに出かけましたが、ホテルの近くのお店は早々と年末閉店のところが多くたまたま開いていた中華料理店に入りました。この夜は十六夜の月が綺麗でした。ホテル8階からの眺めとイルミネーションです。イルミネーションはスマホもカメラもうまく写せず、やはり肉眼で見るのが一番きれいでした。こうして倉敷2日目の夜は更けていきました。(つづく)
January 13, 2024
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旅2日目倉敷民芸館の次に訪れたのは倉紡記念館です。英訳も横に書いてありましたが、省略しました。では中に入りましょう。向かって左側です。しかし右側はこんな感じです。実は代官所跡なんです。今回は日本遺産の倉紡記念館に入りました。1888年(明治21年)当時のクラボウ創業当時の建造物(原綿倉庫)を企業博物館としてリノベーションされました。2023年倉敷アイビースクエアにてG7倉敷労働雇用大臣会合が開催されたそうです。G7のメンバーたちは倉紡記念館も見学したそうです。入り口から中へ入りましょう。ここは写真撮影ができました。明治期の紡績機械や創業当時の文書などが展示されていました。消防用蒸気ポンプと消防機具綿からごみを除去するための混綿機(1906年英国製)大正時代、第2代社長、大原孫三郎が労働理想主義のもと、従業員や社会のために取り組んだ活動を紹介しています。従来の集合宿舎を改善し、従業員のために分散寄宿舎にして清潔でプライバシーも保てる家庭的な生活ができました。大原孫三郎社長の執務机と椅子こちらは昭和時代(戦前・戦中)に不況と戦争期の時代背景とクラボウの変遷が展示してありました。棟方志功の「襖絵」です。昭和から現代へ、戦後の復興以後、倉紡産業とクラボウの事業の多角化、グローバル化の歩みが展示されてました。倉紡と言えばバレーボールが強かったですよね。最後は年表コーナーで明治から現代までの総まとめコーナーで、ビデオと写真映像、書籍が空間に展示されていました。すべて見て回り外に出てきました。アイビースクエアというのはこの「つた」と建物が四角形に建てられているところから来ているんですね。では次にまいりましょう。(つづく)
January 12, 2024
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今日はもう1/11です。あっという間に時間が過ぎていきます。ここで武下さん制作の今年のカレンダーを紹介します。表紙は亡き母親が愛知の娘家族(孫とひ孫たち)の庭に植えたのを引っ越しの際に我が家へ移植した思い出のスカシユリです。1月のお花はパンジーとナデシコ添えられた言葉は「受けた恩に感謝」です。・・・・・2日目の旅の続きです。大原本邸を後にして、今橋を渡り、休館中の大原美術館を眺めながら倉敷川に沿って歩きました。中橋を渡ったところに倉敷考古館があるのですが、どうも閉まってるみたい。親切な人力車のお兄さんが観光案内所まで聞きに行ってくれて年末のお休みに入ったと教えてくれました。この建物が倉敷館で観光案内所でもあり川舟乗船券販売所です。↓川舟にも乗りたかったのに残念でした。仕方ないのでもう一度じっくり眺めて諦めました。それで倉敷民芸館へ行くことにしました。先客の外国人カップルは1階だけ見て帰っていきました。私たちは入館料を払って2階へ上がりぐるぐると見て回りました。ここは館内の撮影が禁止でしたので、頂いたリーフレットを拝借しました。館内には本当にたくさんの民芸品が展示されていました。二階から中二階を上がったり下がったりしながら日本だけでなく世界の民芸品を鑑賞してきました。(つづく)
January 11, 2024
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倉敷に移動して一夜明けました。2日目は倉敷美観地区をゆっくり回ることにしました。昨日は急ぎ足で回っただけですので。午前9時過ぎに観光客もすでに歩いていました。足元にちょんちょん動いているのはシジュウカラ?大原美術館は2/26~2/29まで休館中。最初に訪れたのは倉敷川にかかる石橋を渡って大原美術館の向い側にある大原本邸(旧大原家住宅)です。では中に入りましょう。館内は写真撮影ができました。土間の天井から吊るされたオブジェ風の中で記念撮影。降り注ぐ言葉は5代、6代、7代、8代目当主が語った言葉です。次の土間には大原家の代々が並び、その周りに各代の関係者が明りになってつるされていました。大原家を支え、協力した方々だそうです。よく見るとカラヤン(左)とも交友があったようです。中倉1、中倉2、内中倉に入って回ってきましょう。中倉1では大原家の歴史を年表で紹介していました。中倉2では7代当主を紹介していました。内中倉では8代当主を紹介していました。8代当主の書斎をイメージしたカフェスペースには約2,000冊の蔵書がありそのブックカフェのカフェスペースでオリジナル珈琲とケーキを頂きました。その後、部屋の奥の方へどんどん進み、離れ座敷からゆっくりお庭を眺めました。7代目はお茶、8代目はレコード鑑賞をしながらくつろぎ思索をした間だったそうです。離れ座敷から出てくると、内倉1軒、中倉が2軒見えました。そして外に出たのでした。この辺り一帯にはなまこ壁の土蔵や建物が多かったです。明治中期に現在の形になった倉敷の町屋建築(倉敷窓、倉敷格子)は1971年に全10棟が国の重要文化財に指定されました。(つづく)
January 10, 2024
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倉敷民芸館を見学した後、ホテルへチェックインする前にもう少しだけ倉敷美観地区をぶらぶら散策しました。面白いなぁと感じたところを写真に撮ってきました。どうぞご覧ください。倉敷川がここから始まっています。白鳥がゆったりと羽を休めていました。倉敷川の両側には柳の木が並び石橋の欄干には龍の絵が彫られていました。橋の反対側です。倉敷川が続いています。大原本邸を左手に見ながら進みました。翌日再びゆっくり訪れましたので。児島虎次郎記念館だと思います。ステンドグラスが綺麗でした。12/27には門松が飾られていました。古びた内科医院の看板です。今回は阿知神社の石段を登りませんでした。阿知神社は本当に大きな神社で一山全体が神社になっていました。古い杉玉と新酒ができた杉玉とが飾ってありました。鬼太郎の店の前を倉敷滞在中に数回通りました。2時間ほど美観地区をぶらぶらと散策してからホテルに戻り、部屋でリラックスした後、夕食に出かけ味噌カツ定食と熱燗2合を二人で食べて飲んだのでした。空を見上げると、四季桜が満開!酔ってないのにぶれていましたが、とにかくいい気持ちでホテルに戻ったのでした。(つづく)
January 8, 2024
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年末年始の旅の続きです。この辺りは倉敷川畔に伝統的建造物が保存されています。大橋家住宅を見学した後、倉敷物語館に入りました。倉敷物語館は江戸時代中期(1760年頃)に建築された旧東大橋家住宅を改修した観光・文化施設です。東大橋家は大橋家の一族で倉敷村の年寄役を務め村の発展に貢献しました。庭の一角に多目的ホールがあり二松学舎大学の備中漢学資料室があったので入りました。二松学舎大学145周年記念の企画展として「渋沢栄一と三島中洲」をやってました。渋沢栄一(1840~1931): 日本資本主義の父と称される実業家で三島中洲(1831~1919):現岡山県倉敷市の豪農層出身の儒学者、教育者です。詳細は省きます。長屋門や白壁の土蔵など当時の景観を美しく保存してあり庭も風情がありました。そして次の場所に移動しました。(つづく)
January 6, 2024
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年末年始の旅の続きです。岡山駅から在来線で倉敷に着き、チェックインにはまだ少し早いのでホテルのフロントで大きいスーツケースを預かってもらい、身軽になって少し観光をすることにしました。最初に向かったのは国指定重要文化財・大橋家住宅です。読みにくいかと思いますが、「江戸時代後期から干拓による新田開発や金融業で財をなした大橋家の住宅です。」と書かれています。リーフレットによると、先祖は豊臣氏に仕えた武士で、1615年大阪城落城後、京都五条大橋辺りに住み、幕府の追及を逃れるため大橋と名乗ったそうです。江戸時代に倉敷に住むようになり、水田塩田を開発して大地主となり傍ら金融業も営み財を成しました。天保の飢饉で金千両(当時の時価で1千億円)を献じて苗字を名乗ることができるようになり、讃岐(現香川県)に塩田を38,100坪(東京ドーム3個弱)を開いた功で帯刀を許され江戸時代末期には倉敷村の庄屋をつとめました。倉敷町屋の典型的な建物をご覧ください。(写真撮影は自由でしたので)母屋、長屋門、米蔵、内蔵の4棟が1978年(S.53年)に国の重要文化財に指定されました。これで大橋家の裏門に出てきました。では次の場所へ移動しましょう。(つづく)
January 5, 2024
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今日はもう1月3日。昨日倉敷と岡山の旅を終えて帰宅しましたが、後片付けと疲労回復に努め、今朝は平常通りの活力に回復したので、地元の氏神様にお参りしてきました。そして昨年度のお札様を燃やしてきました。参拝客は少なかったです。大晦日に旅先へ友達が送ってくれたのは参拝客にふるまわれた甘酒でした。彼女は甘酒作りを手伝ったそうです。さて、年末年始7日間の旅をもう少し詳しく振り返ります。旅先で掲載したのはすべてスマホで撮った画像でした。自宅へ戻って写真をパソコンに取り込んだところなんと600枚ほどになりました。その中から選んで少しだけ載せようと思います。新幹線で岡山駅に到着後、駅前では桃太郎と家来たちの銅像が出迎えてくれました。その足でバスに乗って岡山城へ行くことにしました。駅のコインロッカーの大きいボックスはすべてふさがっているので、仕方なくキャリーバッグを引きながら向かいました。烏城公園では水鳥がスイスイ泳ぐのを横目に見ながらお堀にかかる橋を渡って進みました。岡山城の築城は1346年ー1369年ですが、戦災で焼失したので1966年に天守が再建されました。黒塗りのお城で「烏城(うじょう)」とも呼ばれます。また「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれます。これからは写真と共にお進みください。では中に入りましょう。やっと岡山城が見えてきました。2022年に天守が改修されたので真新しいお城に見えました。この日は重いキャリーバッグを持っているので外観を眺めただけでした。そしてまたバスに乗って岡山駅に戻り、そこから在来線で倉敷に向かったのでした。(つづく)
January 3, 2024
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元日の午後4時10分ごろに石川県で最大震度7の地震が発生しました。マグニチュード7.6の大きな地震でした。地震の被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。午前中に神社へ参拝し、昼食を済ませホテルの4階に戻って一息ついてPCに向かっていると急にクラクラと揺れ出しました。最初は自分がめまいを起こしているのかと思いましたが、いつまでたっても揺れが収まらないのでこれはおかしいと思ってテレビをつけるとNHKのアナウンサーが「津波が来るので今すぐ避難をしてください」と何度も大声で叫びながら石川県輪島市で震度7の地震が発生したことを報じてました。その後、緊急地震速報が何度も何度も出されました。その都度「津波!非難!」が出されて、大津波警報が何度も発生しました。岐阜県は震度4で京都も奈良も震度4でしたので、家族に連絡を取りました。朝食後、元日なので神社を参拝しようと思い、岡山駅の近くの神社を検索して歩いて回り、ぐるっと一周してやっと着いたところは小さな神社。知らないうちに相方が写真を撮っていました。次に向かったの小さな稲荷神社でした。商売繁盛をお願いしました。次に検索すると岡山後楽園の近くにも神社があると知り、バスに乗って後楽園に到着。元日は入園無料で大勢の人が訪れていましたが、私達は大晦日に訪れたので今回はパス。そして橋を渡って岡山城が見える堤防を歩いて岡山神社に到着しました。ところが、こちらは参拝客と参拝客の車で大混雑でした。↑こちらは今年の干支、辰(龍)の前で記念撮影する人達です。ところが、岡山神社の社殿を参拝する人の波は境内から表の通りに出て高いビルの周りをぐるっと1周して後ろの方まで続いていました。最初はその列の後ろに並んだのですが、これでは1時間かかっても参拝できないと思ったので、遠くからお参りして引き返したのでした。バスに乗って岡山駅に戻る途中で見えたんですが、参拝を待つ人の列はより後ろへ長く続いていたのでした。その後、駅のショッピングモールで昨夜食べられなかった年越しそばを食べたのでした。今日は午後2時過ぎに新幹線で帰る予定でしたが、午前中に変更して帰ることにしました。のぞみの指定席は満席で取れないのでわずかに席があるグリーン車で帰ることにしました。(つづく)
January 2, 2024
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皆さま、明けましておめでとうございます。新しき2024年が皆様にとりまして素晴らしい年になりますよう願っております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。木曽川の向こうから昇ってくる初日の出を写して市内の友人が送ってくれました。さてブログは1日遡って12/31大晦日の事です。出かけようとすると雨がポツポツと降り始めましたので、ホテルの傘を借りて出かけました。この日も午前9時ごろにTレンタカー屋さんへ行き、車(プリウス)を1台借りました。(先日12/28は倉敷でヤリスを借りました。)そして向かったのは鬼ノ城(きのじょう)でした。鬼城山(きじょうやま)の山登りをしたのです。後でわかったのですが、標高400mしかありませんでした。しかし山登りは登りがやはり辛かったです。角楼跡から写しましたが、遠くは霞んでいました。山の天気は不安定でした。鬼城山の頂上へ到着。お天気が良い日の鬼城山からの展望です。下りは足元にさえ注意すれば楽でした。そして次に向かったのは備中高松城址でした。ここは秀吉が水攻めをしたお城です。築いた堤防の跡も残されています。城跡からは秀吉の本陣の場所も確認できました。スマホ画像なので少ししか紹介できません。足守川を堰き止め高松城に流すことで本丸周辺を湖としたため、孤立無援となり、清水宗治が切腹することで幕引きとなりました。(高松城水攻築堤跡は標識だけ写してきました。)そこから秀吉の中国大返しのスタートとなり、わずか2週間での仇討となった歴史の転換場所の一つです。そこから秀吉軍は姫路城へ駆け抜けました。こちらがその高松城水攻めの跡地です。そして次に向かったのは年中無休の動物園でした。ところが今年に限って12/31と1/1が休みになっていました。他に前方後円墳の造山古墳(作山古墳)も見たかったのですが、レンタカーを午後3時半までに返さないといけないので、途中で昼食を食べ、予定より1時間半早い午後2時に車を返しに行きました。倉敷では180キロ走りましたが、今回岡山では50キロドライブしただけでした。その後はホテルでリラックスして過ごし、夜は年越しそばを食べに街へ出かけたのでした。帰ってからは年末恒例の第九のオーケストラ演奏を聴いたのでした。そして2023年も暮れていったのでした。(つづく)
January 1, 2024
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12/30の事です。倉敷を後にする前に12/27~12/29まで3日間休館だった大原美術館を朝一番に見学することにしました。午前9時から開館しているので朝食後すぐに出かけたのですが、入り口にはもう長蛇の列。ギリシャ神殿のような外観は創立当時のままでした。本館から順に見学しました。西洋の近代美術から古代エジプト、西アジアの美術品、西洋の前衛的な作品、日本の明治以降の洋画などを本館から順に観てから工芸・東洋館を巡り、濱田庄司室、バーナード・リーチ室、富本憲吉室、河井菅次郎室、棟方志功室、芹沢けい介室、石仏室、東洋館と回ってきました。余りの作品の多さに目が眩むほどでした。外に出て庭園・新渓園を散策して気分転換をしてきました。向かい側の分館は工事中のため休館中でした。ホテルから重いキャリーバッグを引きながら在来線で倉敷駅から岡山駅へ移動しました。駅のコインロッカーはすべて使用中のため、仕方なくホテルに前もってあずかってもらう事にしました。そして軽装でバスに乗り岡山後楽園へ行きました。日本三名園の一つと言われています。向こうに岡山城も見えていました。詳細は後日自宅に帰ってから説明しますね。バス停の近くの郵便ポストには江戸時代に大名庭園が造られて300年の歴史記念として丹頂鶴が2羽舞っている姿の彫像がありました。お休み処の茶店で白桃ソフトクリームを食べ、広い庭園を一周してからまた茶店できび大福とお抹茶を頂いてきました。実は吉備津神社できび団子を食べてきたので、今回はきび大福にしたのでした。一息ついてから岡山駅近くのショッピングモールでホテルのチェックインまでの時間をつぶしたのでした。(つづく)あっという間に2023年も終わろうとしています。最近1年の過ぎるのが本当に早く感じます。今年、私の拙いブログにお寄りいただきまして本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
December 31, 2023
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今の所、スマホの画像しか載せられませんが、昨日の報告をざっとします。昨朝8時前に歩いて駅裏にあるTレンタカー屋さんに出かけ、次々に訪れる予約の人たちが済むのをじーっと待って普通乗用車を1台借りました。いつも自宅で大きな車種に載っているので、大きいのを借りたかったんですが、家族連れの方たちが予約を入れているのでダメでした。皆さん3日間ぐらい借りていかれました。私達は日帰りで夕方5時に返すと言う契約で出発。そして結局その日1日で180キロのドライブをしました。まず向かったのは鷲羽山。途中で瀬戸中国自動車道を走っていると高速道路上で1台の車の前方が燃えてその火が道路上に落ちて燃えていました。一人の若者はただ眺めているだけでどこかに連絡するわけでもなく、車の下をのぞき込んだりしながら道路上に座っていました。結局通り過ぎてしまいましたが、どうなったのかが気がかりでした。私達は鷲羽山に向かい山頂に着きました。そこから瀬戸内海が一望できました。そして帰りの高速道路のことですが、気になっていた車は消防車が2台とパトカーや他の車両が止まって火は消えてましたが、車は骨組みだけになっていたので、あれからすべて燃えてしまったようです。若者は少し離れた所で呆然として車を眺めてました。次に向かったのは吉備津神社。これまたたくさんの石段を登って参拝してきました。次に26キロほど離れた備中松山城へ向かいました。山越えをした感じです。山の中のヘヤピンカーブのような細い道をくねくねと走りましたが、どの車もスピードを出しています。1台の軽トラがスピードの出しすぎなのか運転操作のミスなのかわかりませんが、センターラインをオーバーランして私たちの車と正面衝突しそうになりましたが、幸い相方がとっさに左へよけたのでぶつからずに済みました。本当にヒヤッとしました。やっとたどり着いた備中松山城ですが、駐車場へ車を置き、そこから山の中の上り坂を30分ほど登りました。途中から山の中の切り立った石段の方を選んだので膝がガクガクしてしまいましたが、やっとのことで登り終えました。やっと登り終えたのは良かったのですが、昨日29日から1月3日まで年末のお休みに入り、入城できませんでした。残念!下からお城を見上げただけで来た道を引き返したのでした。途中道の駅で遅い昼食をとり最後に向かったのが岡山桃太郎空港でした。そして午後5時までに倉敷に戻って車を返すことができたのでした。その後歩いてホテルに戻り、少し休憩。夕食はまた街へ食べに出かけたのでした。(つづく)
December 30, 2023
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旅2日目もカメラで撮影してスマホで撮ってないので簡単に説明だけしておきます。朝ホテルで朝食を完食。朝から食欲旺盛な私。この後コーヒーも頂きました。午前9時にはホテルを出発し、その時間から空いてるところを見学。まず向かったのは国指定重要文化財・旧大原家住宅です。見どころ満載でした。倉敷発展の礎を築いた大原家代々から現当主までの歴史や貴重なものがすべて展示されていました。広い邸内のブックカフェでコーヒーとケーキを頂いてきました。詳細は自宅に戻ってから写真とともに説明します。離れ座敷で庭園を眺めながらゆっくりしてきました。次に昨日訪れた倉敷美観地区まで歩き川下りをしようと思ってましたが、年末のお休みに入ってしまい残念ながらできませんでした。それで倉敷民芸館に入ることにしました。日常生活で使うものにも用途に結びついた美があると考えられ、倉敷ガラスや焼き物、備中和紙、倉敷段通、倉敷本染手織り研究所の織物などが展示されていました。アイヌの織物や韓国、イギリスなど外国の物も展示されていました。次に向かったのは倉敷アイビースクエアの中にある倉紡記念館です。日本遺産(文化庁)近代化産業遺産、登録有形文化財(文化庁)、日本労働遺産になったクラボウ(倉敷紡績株式会社)の発展を明治、大正、昭和、現代と変貌していった姿を見学。代官所跡もありました。昨日も歩いたえびす通り商店街を通り抜け倉敷駅の方へ歩き、駅裏まで足を延ばしました。大きなショッピングモールやアウトレットモールを見学し、昼食を食べ休憩。朝から歩き続け腰がガクガクしてきたので、ホテルに戻って休憩。夕食もホテル近くのお店に入って中華料理を食べました。こうして2日目は過ぎていったのでした。(つづく)
December 29, 2023
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年末年始7日間の旅に出かけました。出発前に色々と準備をしてきたんですが、うっかりカメラからPCに写真を取り込むコードを忘れてしまい、結局、写真は自宅に帰ってからという事で旅行中はスマホで撮った写真を少しだけ紹介します。朝、名古屋駅から新幹線に乗り岡山駅へ到着したのが昼前。駅構内で昼食を済ませ、岡山を少しだけ見学することに。岡山と言えば桃太郎ですよね。駅前のバスに乗り、県庁前で降り二人は重いスーツケースをゴロゴロ引きながら岡山城へ向かいました。はるか向こうの方に岡山城が見えてきました。これからスーツケースを持ち上げて石段を登るのが大変でした。スロープはついていませんので。岡山城はカメラで撮ったので画像はありません。その後、バス停を探してかなり歩いて行くと目の前に市電が見えました。岡山駅行きと書いてあったので出発間際に飛び乗りセーフ。その後、岡山駅から在来線で倉敷駅にやってきました。駅からホテルまで500mほど歩き、ホテルに到着。そしてロビーで30分ほど待ってチェックイン。部屋でしばらく休憩した後は観光することに。先ず立ち寄ったのは国指定重要文化財・大橋家住宅。次に二松学舎大学・備中漢学資料室を。最後に倉敷美観地区へ出かけました。残念ながら大原美術館は26日から29日まで休館。ここもほとんどカメラで撮ったので画像は少ししかありませんが、こちらは阿智神社。美観地区を午後3時半から5時過ぎまでぐるぐると相当歩きました。途中のお店で買い物をしながらホテルに帰る前に途中で夕飯を食べました。日本酒を二人で2合飲んで、味噌カツ定食を注文しました。。フィレ肉で柔らかかったんですが、やはり名古屋名物の味噌カツとは一味違いました。この後、もう一度倉敷美観地区の夜景を見に行きましたが、観光案内誌に書いてある幻想的な灯りは先程とあまり変わらなかったので、ホテルに戻りゆっくりしました。(つづく)
December 28, 2023
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海遊館で620種、約3万点の海の生き物を眺めた後はあべのハルカスへ移動しました。近畿日本鉄道の高さ300mの複合商業高層ビルです。2023年現在、日本では東京都港区にある麻布台ヒルズ森JPタワー(325m)に次いで2番目に高いビルです。ここの最大の見どころは、高さ300mを誇る超高層ビルからの眺望です。展望台は58階、59階、60階の三層構造です。先ず2階まで行って、エレベーターで16階まで上がり、そこから超高速エレベーターで60階まで上がりました。地上288mの60階の天井回廊です。ガラスの床の上に乗ると高さがよくわかりました。東西南北360度に足元から天井までガラス張りの屋内回廊を歩いて遠くに見える景色を写しました。気象条件が良ければ明石海峡や大橋、淡路島、生駒山系、京都タワー、そして関西空港も一望できるんですが、お天気は良かったんですが、遠くが霞んでいたので撮れるところだけを写してきました。北東の奈良方面には生駒山、信貴山、吉野山などが見え北の方を見ると大阪城が見えたので望遠で撮りました。その向こうに万博記念公園の太陽の塔が見えました。こちらは西の神戸方面でユニバーサルスタジオジャパンや先ほど見てきた海遊館・天保山が見え、夢州・舞州にある2025年大阪・関西万博予定地が見えました。現在工事中で、2025年の万博が終わると取り壊してカジノになるところです。こちらは南の和歌山方面で長居公園が見えました。最後に59階の有名なトイレを使ってきました。和歌山方面を見ながら眼下には大阪の街が広がってました。(トイレのドアは木製なので安心)これですべての見学が終わり帰る予定でしたが、参加者35名のうち男性5名で残りは女性、(小学生の子供さん2名を除いて)しかも平均年齢72歳で、80歳以上の女性が10名弱。単独行動をしていた高齢女性が集合場所へ戻らず、慌てて男性陣はあべのハルカスの中を探し回りやっと見つかり40分遅れで帰れることになりました。しかも途中の高速で渋滞に引っかかりノロノロ運転。帰る途中バスの車窓から満月にほぼ近い(1日早い)月が綺麗に見えました。最後のSAで休憩中に月と木星を撮りました。予定より1時間遅れて帰ることができましたが、でもまあ無事に全員帰ることができてほっとしました。(終わり)
November 28, 2023
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このところ遠出ばかりしておりますが、昨日11月26日(日)は太田宿草鞋の会で視察研修の旅に出かけました。東海北陸道から名神に入り、多賀SAと草津PAで休憩を取り、京滋バイパス、第二京阪、近畿道、阪神高速を通り天保山ICで降りて天保山マーケットプレイスで少し早めの昼食をとりました。特別やわらぎ弁当です。食べ終わったころに天ぷらが出てきました。食事の後、海遊館へ全員そろって入館し、約1時間ほど海遊館を見学してきました。飼育展示されている生き物の数は620種、約3万点にのぼり、水族館としては珍しい地上8階にわたるスペースに常設展示、新体感エリア、企画展など工夫を凝らした生き物の展示がされていました。入館後一気に最上階まで上がり、展示スペースを眺めながら徐々に降りてきました。大きなジンベイザメが泳ぐ巨大な水槽「太平洋」や、3種類のペンギンが展示されている「南極大陸」、色鮮やかな熱帯魚が泳ぐ透明な海底トンネル「アクアゲート」など様々な趣向を凝らした14の水槽で生き物たちを眺めました。あまり鮮明な写真が撮れませんでしたが、一部を紹介します。こちらはクラゲです。ペンギンも3種類いたんですが、集団でいたのを紹介しました。(つづく)
November 27, 2023
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北大路魯山人寓居跡のいろは草庵を後にしてさて、次はどこを観光しようかと考えましたが、腰も痛いのであまり遠くへは行かずに集合場所の近くへ戻ることにしました。道端にツワブキが咲いていました。石燈籠に描かれた絵が面白かったので写してきました。温泉街なので三味線の音も聞こえてきそうでした。そして古総湯に戻ってきました。古総湯は明治時代の総湯を復元して、外観や内装だけでなく入浴方法も当時の雰囲気のままで、石鹸、シャンプーは使用できないと書いてありました。ステンドグラスや壁や床の九谷焼のタイルも忠実に再現しています。「湯の曲輪(ゆのがわ)」と「総湯」の説明です。江戸時代の温泉場は共同浴場を中心として街が作られていました。共同浴場の周りに温泉宿が立ち並び、湯治客は共同浴場に通ったり、長逗留をしていました。この共同浴場が「総湯」です。そして総湯を中心とした周囲の街並みを「湯の曲輪(ゆのがわ)」と言い北陸独特の呼び方らしいです。ゆせん玉子のお店です。紅葉が綺麗だったのでパチリとこの後、日本海さかな街で買い物をしました。地元敦賀の水産業者を中心に70店舗あまりが軒を並べ、日本海側最大級の海鮮市場には蟹や魚介類、海産物や越前若狭のお土産品がずらりと並んでいるので、各自2,000円のクーポンを頂いたこともあって皆さんどっさりお土産を買ってました。そして雲間から天使の梯子が見えたり、夕日が沈む景色を眺めながら帰途に就いたのでした。夕飯用にひつまぶしも買ってきました。これで加賀・越前のバス旅を終わります。(完)
November 24, 2023
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入館料を払って「いろは草庵」に入りました。母屋は1870年代に建てられ木造二階建て、瓦葺、72平方メートルのこじんまりした庵です。(外壁に塗ってあった紅殻は鉄分を含み、耐久性が強いので加賀地方の建造物によく用いられています。)まず最初は「囲炉裏の間」です。ここで魯山人は山代温泉の旦那衆たちと語らい、加賀の豊富な食材を使った料理を味わいました。次の部屋はロビーです。魯山人と山城温泉との関係がよくわかるDVDを見ながらお茶と和菓子を頂きました。山代温泉に窯を築いた初代・須田青華(実際は青の上に草冠がついてます)、九谷焼窯元・須田青華の茶器で献上加賀棒茶を頂きました。地の香はきな粉とマカダミアナッツの和菓子でした。昔懐かしい味を感じました。そして和菓子と茶器の下には山中塗の茶托が使われていました。庭を見ながらしばしくつろぎました。この後、展示室に入りました。土蔵を改装し、魯山人が彫った刻字看板やゆかりの作品が展示されていましたが、すべて撮影禁止だったので拝見して回りました。次に仕事部屋に行きました。魯山人が刻字看板を掘るために仕事場として利用していました。ここから茶室になります。水屋陶芸家 原呉山 作であり、魯山人滞在時には茶会が開かれていました。ここから急な階段を上って二階へ。大正期に山城の旦那衆たちが好んだ謡の本などが展示されてました。山城へ来て初めて製作したのが「吉野屋」の看板でした。吉野家の子息、恒(ひさし)との交流は晩年まで続いたそうです。書斎には法学全書や謡の本が展示されていました。北大路魯山人のいろは草庵を全て見学し終えました。では次にまいりましょう。(つづく)
November 23, 2023
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月うさぎの里で昼食後、うさぎと触れ合った後、バスは山代温泉に向かいました。山代温泉は1,300年の歴史がある温泉文化で有名ですが、外が寒いので、湯冷めしてもと思い観光をすることにしました。他の方々は明治時代の総湯を復元した共同浴場である古総湯や広くて新しい熱交換システムを導入した加水なし100%源泉の総湯へ行かれた方々もいました。古総湯では石鹸やシャンプーは使用できなかったそうです。(後日説明します)私と相方は散策に出かけました。左側に見えたのは薬王院温泉寺です。万松園 四国八十八ヶ所加賀霊場霊方山薬王院温泉寺と刻まれています。山代温泉を発見した行基が温泉守護のため、薬師如来などを掘ってお堂を建立しました。明覚上人の碑(五輪塔)はずーっと山の上にあり、腰痛のある私には登るのは無理なので入り口で説明を写してきただけです。五十音図の説明です。↑「五十音図」についての説明です。『五十音図を1103年に明覚というお坊さんが作りました。人が正確に日本語の発音ができるように、そして人が正確にお経に書かれた文章を発音できるように。お経は当時の人の願いを叶えてくれる魔法の言葉でした。五十音図は山代温泉で生まれた日本語の魔法陣なのです。複製を行ったのは現在、大東急記念文庫に所蔵される「半音作法」に見える明覚の五十音図です。』通りから向こうを見渡すと魯山人の寓居跡があるという事でそちらに向かって歩きました。途中左側に縣社服部神社がありました。この石段も本殿までかなり登らないといけないので下の門の前で拝礼だけして通過しました。そして魯山人寓居跡の「いろは草庵」へ到着しました。庭の木々には雪囲いがされていました。ではいろは草庵に足を踏み入れましょう。2001年に「北大路魯山人寓居」として国登録有形文化財になり、2002年より「魯山人寓居跡 いろは草庵」として一般公開されました。では中へ入りましょう。(つづく)PS) 実は今日から3日間京都へ出かけます。京都の孫たち、トコちゃんとミミちゃんの七五三を23日(祝)に祝うためなんです。夜ホテルに戻り、時間がありましたら皆さんの所にお寄りできるかと思います。では行ってきます。
November 22, 2023
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さて、19日(日)のバス旅を振り返りたいと思います。48名の乗客を乗せたバスは雪の郡上市を右手に、九頭竜湖を左手に見て一路北陸を目指しました。途中積雪15センチほどありましたが、峠を越えたら雪は全くなく福井県に入りました。先ず向かったのは昼食会場の月うさぎの里でした。ズワイガニ一杯、甘えび刺身、天ぷら、豚みそ鍋、ご飯、香の物で私は相方の分まで蟹を食べて満腹になりました。食後はウサギと戯れました。みんな手袋をはめてウサギに触ったり餌をあげていました。どれぐらいいるのかといいますとこの写真に全員写ってますのでご覧ください。ところが本物のウサギか置物なのか見わけがつかないのもいました。これからは面白い彫像を紹介します。前日まで何を言っても半袖半ズボン姿でしたが、北陸は寒いよとうるさく言ったら、やっと上着と長パンツ姿で出かけてくれた相方の記念写真。(足だけ素足です)自販機にもうさぎが描かれていました。(つづく)
November 21, 2023
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昨日は福井、石川県へバス旅をしてきました。今日は先ずざっと紹介します。自宅を7時20分に出て集合場所へ。バスは全員で48名の満席で北陸目指して出発。郡上のあたりで窓外は雪景色になりました。大和PAで休憩した時に撮りました。そして峠を越えて九頭竜のあたりまで15センチほどの積雪がありましたが、福井県に入るとほとんど雪はなくなりました。遠くには雪山が見えていましたが。先ずは月うさぎの里で昼食です。蟹満喫膳で一人ズワイガニが1杯ついているんですが、相方が食べなかったので、持ち帰りはできませんと言われ、私が2杯食べることになりました。満腹で満足しました。食後は月ウサギの里でウサギと戯れました。(後日載せますね)次に石川県に入り、山代温泉街を訪れました。山代温泉は1300年の歴史ある温泉文化を始め、薬王院温泉寺(山代温泉を発見した行基が温泉守護のため建立)や稀代の芸術家・北大路魯山人の寓居跡(いろは庵)がありました。温泉卵のお店もありました。ここで温泉に入る人と観光をする人に分かれてそれぞれがそれぞれの楽しみで過ごしました。私たちは温泉に入らず観光をしました。温泉は古総湯と総湯がありました。最後は日本海さかな街へ立ち寄り土産物を買いました。買い物券が一人2000円ついてましたので皆さんお土産をたくさん買ってらっしゃいました。帰りのバスの窓から見えた天使の梯子と沈んでいく夕陽です。途中休憩をしながら、所々で渋滞に巻き込まれてそれでも日曜日にしては順調に帰れました。明日から少しずつ旅の様子を振り返ります。(つづく)
November 20, 2023
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昨日は午前中エステに出かけただけで、午後のダンスレッスンはお休みなので自宅で静かに過ごしました。すると娘から無事に韓国に到着しましたとLINEが届きました。実は仕事で韓国に出かけたのでした。いつも仲良くしているお友達と一緒でした。彼女は世界中の国々へ出かけているので旅慣れています。私が知っているだけでもポルトガル、ベルギー、スペイン、アメリカ、台湾、チリ、ニュージーランド等々とある分野で有名な方(教授)なので、とても頼りになります。無事に韓国へ到着してホテルの周りの景色を写して送ってくれました。象さんがひっくり返っている所はアートスペイスと書いてありますね。ホテルの部屋からの眺めです。今週いっぱい韓国に滞在する予定です。パパは二人の見守りご苦労様です。私はあと1日だけゆっくり過ごします。今朝はやる気が出てきたので、1階の居住スパースを全てモップがけとワックスがけをしました。窓から見えた庭の木々の紅葉です。蔦の葉も八重桜の葉もやっと紅葉してきました。
November 9, 2023
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文化のみち 二葉館からバスが待機している場所に戻る途中にあったお寺の塀にも徳川家の御紋が、そして白壁には織部焼の焼き物が埋め込まれていました。そして最後の見学場所である名古屋城へやってきました。ここから本丸御殿へ歩きます。名古屋城本丸御殿は尾張藩主の住居かつ藩の政庁として慶長20年(1615年)徳川家康の命によって建てられました。昭和5年には天守閣とともに城郭として初めて国宝に指定されました。昭和20年の空襲で建物のすべてを焼失。平成21年から復元工事が始まり、平成30年6月に完全公開になりました。近世書院造の建造物で総面積3,100㎡、13棟の建物で構成されます。史実に忠実な復元を実現し、築城当時のままによみがえった絢爛豪華な御殿建築です。(名古屋城本丸御殿パンフレットより)室内は花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られていました。欄間の金細工も素晴らしかったです。名古屋城天守閣木造復元募金箱も豪華でした。これで研修旅行はおしまいで帰路に就いたのでした。(完)
October 21, 2023
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昼食後、向かったのは「文化のみち 二葉館」です。名古屋城から徳川園に至る「文化のみち」、旧川上貞奴邸がかつて東双葉町にあったので「二葉御殿」という名で知られています。「日本の女優第一号」として名をはせた川上貞奴は女優を引退した後、大正9年ごろから電力王と呼ばれた福沢桃介とともに約2,000坪の敷地に建つ和洋折衷の建物に暮らしていました。その斬新さと豪華さから「二葉御殿」と呼ばれ、政財界人や文化人のサロンになっていました。平成17年に現在の場所に移築・復元されました。※ 福沢桃介は福沢諭吉の次女の婿さんです。電力事業に乗り出し、名古屋を拠点として木曽川水系に大井発電所をはじめ7か所の発電所を建設し、電力王と言われました。(文化のみち 二葉館パンフレットより)では二葉館に入りましょう。先ず全体でボランティアガイドさんの話を聞いて、その後、46名が3つのグループに分かれて部屋を案内してもらいました。1階の大広間で目を引くのは大きなステンドグラスです。赤色を出すのは難しいそうです。色に金を混ぜないと出ないそうですので。1階展示室には中央アルプスがステンドグラスで表現されています。左から2枚目の高い山が槍ヶ岳だそうです。廊下の下の土台が見えるようになっていました。こちらは大きな邸宅の配電盤です。1階の廊下は木材をモダンに組み合わせてあります。(新しい色は後で補足したもの)貞奴さんの部屋です。和室は創建当時のままで、この部分は国の文化財として登録されました。貞奴さん愛用のものです。櫛や歯ブラシ(手前)、コーヒーカップなどです。女中さんを呼ぶ呼び鈴(インターホン)です。下のインターホンを押すと上の札(?)がパタンと倒れました。こちらのステンドグラスも綺麗でした。螺旋階段です。まるで鹿鳴館を思い出させてくれます。貞奴さんは時の首相、伊藤博文に可愛がられたそうです。家の中の灯りもおしゃれでした。川の流れと紅葉した楓の葉のステンドグラス換気口の柄もモダンでした。電気の笠もモダンでした。網代編みの天井です。ガスストーブです。銀糸で織られた貞奴の着物です。実はピカソをも魅了した女優で貞奴をモデルにしたピカソのデッサン画がありました。屋根の形が鳥の羽のようでモダンな造りでした。外から見たステンドグラス PS) なお、旧川上別邸という川上貞奴さんの別荘が岐阜県鵜沼市にあります。すぐ近くには貞照寺という菩提寺があります。(真言宗智山派寺院 貞照寺は芸事の関係者が参拝に来ます。)当市から車ですぐの所にありますので桜の頃には毎年のようによく訪れます。別荘の紹介は私のブログの2020年1月23日と24日に川上別邸(萬松園)で紹介してあります。興味のある方はご覧ください。では最後の目的地に向かいましょう。(つづく)
October 20, 2023
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昨日は坪内逍遥博士顕彰会の親睦旅行で名古屋市にある「徳川実術館」と「文化のみち、二葉館」、「名古屋本丸御殿」を訪れました。総勢46名のバスの旅でした。今日はまず徳川美術館を紹介します。当地を午前9時出発でしたが、早く集合できたので9時前に出発し、一路名古屋へ向かいました。先ず訪れたのが徳川美術館でした。美術館のロビーに飾ってあったのはこちらこれから先の館内は写真撮影禁止でした。頂いたパンフレット(リーフレット?)徳川美術館は尾張徳川家に伝えられた数々の重宝、いわゆる「大名道具」をそっくりそのまま収めています。所蔵品は徳川家康の遺品を中心に、初代義直(家康の九男)をはじめ歴代の遺愛品やその家族が実際に使用した物など一万件余りに及びます。「源氏物語絵巻」をはじめ国宝9件、重要文化財59件、重要美術品46件を含み、種類の豊富さ、質の高さ、保存状態の良さを誇っています。(徳川美術館パンフレットより)第1展示室は武家のシンボル ー武具・刀剣ーかつて大名家で使われていた「具足飾り」が再現され、武士が武具に対して抱いていた尊崇の想いや武家の故実をしのぶことができます。第2展示室は大名の数寄屋 -茶の湯ー名古屋城二乃丸御殿にあった「猿面茶室」が復元されています。茶の湯は江戸時代になると「御数寄屋」の接待として武家の公式行事となりました。第3展示室は大名の室礼 -書院飾ー名古屋城二乃丸御殿の「広間」と「鎖の間」の一部が復元されています。各室の床の間・違棚・書院床には武家の故実に従って各種の道具を飾っています。その他第4展示室には武家の式楽 -能ー第5展示室には大名の雅 ー奥道具ー第6展示室には王朝の華 -源氏物語絵巻ーなどの展示室がありました。園内のいたるところで秋明菊が満開でした。その後、バスは昼食の会場、「魚鉄」に向かいました。大広間で46名が昼食。デザートが出ておしまい。次の目的地に向かいました。 (つづく)
October 19, 2023
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長らくお付き合い頂いた5泊6日の旅の最終回になりました。米子城跡の続きです。1591年(天正19年)に富田城主となった吉川広家が築城を始め、広家の周防国岩国へ転封に伴い、新領主となった中村一忠によって完成されたと伝わります。標高90mの湊山の山頂に、大小2つの天守が並立する優美な城郭でしたが、明治維新後の明治12年(1879年)に天守は売却されて解体されました。山頂からは日本海や中海、島根半島、大山が一望できます。米子市街も見渡せます。残された石垣とわずかな遺構をご覧ください。かつては山陰随一の規模を誇る名城と言われた米子城の名残です。「行きはよいよい帰りは恐い」の歌の文句じゃないですが、降りるのも一苦労したそうです。自宅まで戻るのにガソリンが心もとないのでガソリンを満タンに入れました。ほとんどのガソリンスタンドがレギュラーガソリンが187円とか189円なのに、珍しくそのガソリンスタンドはレギュラーが183円となっていました。車はいつもハイオクなので191円でした。山陰地方にしては本当に安かったそうです。出雲大社の近くで入れた時は207円だったそうです。あまりの値段の高さにその時は驚いたそうですが、燃料が少なくなっていた時なので仕方ないのでした。家に帰る前に立ち寄ったのがこのお店お菓子の壽城です。「米子IC」を降りてすぐの所にありました。お客さんが大勢みえていたそうです。おいしそうなお菓子(とち餅、バームクーヘン、フロマージュフォンデ、モンブランフォンデなど)を購入し帰路につきました。「米子自動車道」に入り、「大阪・津山」の標識が出ているところで「米子自動車道」から「中国自動車道」に入り、「勝央SA」で休憩、中村屋のアンパンとバニラアイスを買い、外の「くだもの王国」のテントで「ピオーネ」と「シャインマスカット」を購入。「中国自動車道」から「新名神高速道路」へ入り、鳥取県から岡山県に入り、そこからは兵庫県へ。大阪府を過ぎて京都府へ入り。今度は「名神高速道路」を走り、あとは一目散に自宅を目指しましたが、「湖東三山PA」で休憩、トンネルを抜けて「関ヶ原」と書いてあるところから岐阜県に入り、「養老A」を過ぎてからは愛知県に入りましたが、途中でまた岐阜県になり、「岐阜羽島IC」から工事区間で交通渋滞にはまりました。そこで、ナビに「東海北陸道」へ向かうよう指示が出ました。やはりそちらはすいていました。おかげで自宅に午後5時半に到着しました。やっと長距離運転と5泊6日の旅が終わりました。(完)ながらくお付き合いありがとうございました。今夜は午後7時から9時まで中山道草鞋の会で日曜日の姫行列の衣装の準備に出かけます。力仕事は男性がされ、女性はアイロン持参で衣装にアイロンがけをする予定です。日曜日のお天気が曇から雨になっているので心配です。
October 13, 2023
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最終日の朝もやはり午前2時過ぎには目が覚めたようです。旅の間、毎日こんな感じで目が覚めたそうです。そのまま日記を書いて、午前5時から6時までNHKニュースを見て「ラグビー・フランス大会」は見ずに大浴場で湯船にゆっくり浸かって気持ちよくなり部屋に戻ってまたニュースを見て8時まで待って朝食に行きましたが、旅館なので朝はビュッフェではなくパンが食べたくなったそうです。やはり朝食時間は15分。午前10時にはホテルを出るため9時半には部屋を出て1階のお土産物コーナーでお土産を買いました。自分用に鳥取のラッキョウを4袋すべての種類を購入し、最初に行きたかった「米子城跡」に向かいました。20分ほどで到着しましたが、「城跡」までは急な坂で登るのが大変だったようです。20分かかると書いてあり、やはり汗をかいたそうです。呼吸もえらくて、さすがにマスクを外して登ったそうです。その様子をご覧ください。ソフトテニスの試合をしているらしく、パコーン、パコーンと可愛い音が聞こえてきたそうです・そろそろ頂上が見えてきました。あともう一息です。(私は御伴をしてなくて本当によかったと思いました。)(つづく)
October 11, 2023
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前述のように9月8日(金)も朝から晩までよく巡りました。後からスマホの画像が出てきましたので少し紹介します。朝、先ず向かったのが「島根県立美術館」でした。「住友コレクション名品選・フランスと日本近代洋画」で「はじまりはモネ」がちょうどこの日から始まったのでしっかり鑑賞してきました。その後、安来市に向かい「足立美術館」で魯山人、横山大観などの作品と美しい庭園を鑑賞。その後、月山富田城跡に隣接している「歴史資料館」へ行き、模型と説明を読みました。そしてその後、山を登って月山富田城跡を見学したのでした。この日はかなりの距離を歩いたので、さすがに足の強い相方も山登りで余計に疲れが出てきたようでした。でもこの後、昨日載せた「米子鬼太郎空港」まで車を走らせ、昼食を済ませ、鬼太郎キャラクターの写真を撮り、「境港さかなセンター」まで紅ズワイガニを買いに行ったのです。後期高齢者にしてはずいぶんエネルギッシュでしょ。そして30分ほど車を走らせ、やっとホテルに到着したのでした。この日のホテルは皆生温泉にあるこのホテル。ウェルカムドリンクはすべてセルフです。部屋に入りシャワーを浴び、ニュース番組を見てしばし休憩。夕食は午後7時30分から1階レストランで90分のバイキングですが、アルコールも飲まないし、あまり食べないので15分で終わったそうです。部屋で大好きな読書をしてニュース番組を見てこの日の行程をすべて終わりました。翌日はもう帰る日なので、予定を立てて眠りについたのでした。(つづく)
October 9, 2023
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境港は漫画家・水木しげる先生の出身地として有名ですね。相方は昨年5月に鳥取県を一人旅した時に水木しげるロードを訪れました。ところがその日はお天気が悪くて雨風がひどくて、車から出られなかったそうです。今回は「米子鬼太郎空港」に行きました。バスのラッピングに「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターが描かれています。ここにも鬼太郎が父親の目玉おやじと一緒にいます。空港に着いたのが午後1時半ごろだったので、先ずは2階の喫茶店で昼食です。エビフライ定食を食べました。もう少し空港内を散策しました。とにかくいたるところが鬼太郎と妖怪たちばかりです。こちらのバスにはまた違った妖怪たちが描かれています。警備派出所にも鬼太郎の絵米子鬼太郎空港を後にして次の場所に移動しました。昨年鳥取旅行をした時に「境港さかなセンター」を訪れ、紅ズワイガニをたくさん買ったお店に今回もまた立ち寄り、紅ズワイガニの水揚げが始まっていたのでたくさん買って発送しました。そしてその夜宿泊するホテルに向かったのでした。(つづく)
October 8, 2023
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安来市へ移動してまず足立美術館を見学して次に向かったのは「月山富田城跡」です。相方は今まで出かけたどの旅行も本当によく歩きましたが、今回の旅行もずいぶん歩いたようです。足は強くなるかもしれませんが、かなり疲れを感じたそうです。特に「月山富田城跡」は山に上がっていったので余計に疲れを感じたのでしょうね。戦国時代を代表する難攻不落の山城であった月山富田城。千畳平が向こうにあります。最も城下に面している曲輪の一つで、斜面に張り出しを持つ大規模な石垣が築かれています。周辺から鯱瓦や鬼瓦を含む大量の瓦が出土したので張り出しの上には櫓が建てられていたと考えられます。山中鹿助幸盛の説明です。山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)の像。毛利元就に中国地方の覇権を奪われた尼子氏の再興を志した忠臣で不屈の精神の持ち主であったと伝わります。月山富田城は標高190mの月山を中心に飯梨川(旧名・富田川)に向かって馬蹄形に伸びる丘陵上に多数の防護施設を配した広大な山城です。山中御殿平(さんちゅうごてんひら)は月山、城主山腹にある、城主の居館があったとみられる場所で、周囲を石垣に囲まれた広大な曲輪です。多門櫓跡山中御殿平です。戦国時代、山陰地方で権力をふるった尼子氏。その本拠地となったのが月山に築かれた月山富田城で、二度にわたる外敵の襲来にも耐えた城跡には曲輪や石垣が残っています。月山富田城は国の史跡にも指定されており、2006年(平成18年)には「日本100名城」にも選ばれました。(つづく)
October 7, 2023
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ジィジの旅日記にお付き合いいただいてますが、いよいよ旅も終盤に差し掛かり、9月8日(金)になりました。残り2日です。前回載せた「ハートの石畳」は実は8日の午前6時に歩いて探しに行って見つけたものです。前日は道を1本間違えていたようです。いつものように7時40分に本館9階で朝食を。その後、部屋で休憩して9時50分にチェックアウトして、島根県立美術館へ行きました。その日から「住友コレクション名品選・フランスと日本近代洋画」が始まったそうで、「はじまりはモネ」だそうです。多くの人が鑑賞していたそうですがすべて見て回り、私にはこの本を買ってきてくれました。120ページあります。島根県立美術館で「フランスと日本近代洋画展」を鑑賞している気分になりました。そしてその後、安来市に向かいました。そして名だたる美術品と美しい庭園の「足立美術館」を訪れたのです。私には本を3冊お土産に買ってきてくれました。こちらは180ページもある読み応えのある本です。そして実際の庭園の写真を写してきてくれました。日本庭園は約5万坪もあり、白砂青松庭(はくさせいしょうてい)と枯山水庭(かれさんすいてい)が広がっています。こちらは魯山人館です。陶芸家で書家で美食家など多芸で有名な魯山人の約500点の作品を所蔵しており、随時展示替えをしているので陶芸作品、絵画や書、漆の作品等を常時約120点鑑賞できます。こちらも本を買ってきてくれました。196ページあります。庭の続きです。実は「足立美術館の庭園」の本の後ろの方に庭園の手入れについて書いてありました。日本庭園は専属の庭師さんたちが中心となって管理していて、水やり、苔はり、松の剪定、芝生の刈り込み、サツキの刈り込み、木々の植え替え、施肥、白砂の補充、池や滝の清掃など一年を通して作業を行っていますし、また毎朝の開館前には庭師だけでなく全職員で庭の掃除を行っているそうで、これは足立美術館創立当時から続いているそうです。だからこんなにきれいなお庭を見ることができるんですね。アメリカの日本庭園専門誌の庭園ランキングで20年連続日本一に選ばれています。広大な枯山水を眺められる喫茶室もあります。横山大観特別展示室もありました。足立美術館に約120点の大観コレクションがあり、常時20点ほど展示されています。所蔵されている横山大観の作品が載っている本も買ってきてくれました。これも195ページあります。創設者は安来市出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)という方で郷土への恩返しと文化発展のために1970年(昭和45年)に近代日本画を中心に展示する足立美術館を創設したそうです。(つづく)
October 5, 2023
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一息ついたのでもう少し観光しました。おかげ天神です。街中をぶらぶら歩きました。向こうに松江城が見えました。ミートショップの前の置物珍しいコロッケの自販機実はミートショップの前にコロッケの自販機がありました。夕方の商店街何を写したのかと聞くと電線ではなく鳥を写したとのこと。さて、それはどれでしょう。そしてついに石畳のハートを発見しました。京屋小路(きょうやしょうじ)の説明です。伊能忠敬が1806年松江地方測量のため、1か月間逗留し、療養しながら測量の基地とした場所です。これも鳥を写したんだそうです。↓ わかりますか?(つづく)
October 4, 2023
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ジィジの旅行記の続きです。「松江ホーランエンヤ伝承館」、「松江歴史館」を見てぜんざいと和菓子で一息ついた後、松江駅に戻る前に八重垣神社を訪れました。小泉八雲の「知られぬ日本の面影」第14章に八重垣神社のことが載っています。明治24年4月5日西田千太郎とともに行楽と取材を兼ねて松江郊外の神社巡りを人力車で行ったそうです。特に「鏡の池」に興味を示したようで、八重垣神社のお札類をイギリス・オックスフォード大学の博物館に贈っているそうです。↑「鏡の池」は稲田姫が飲料水を得、また姿を写されたといわれています。次に松江駅の地下駐車場へ車を入れ歩いて白潟天満宮へ行きました。学問の神様・菅原道真公を主祭神として天神さんの愛称で親しまれています。毎年7月24・25日に行われる夏祭り(例大祭)は松江の夏を告げる風物詩で、勇壮な神輿が繰り出し露店も並び、多くの人でにぎわうそうです。私たち二人に「ボケ防止のお守り」を買ってきました。この後、駅まで戻りホテルへ帰りました。お天気が良い中、かなり歩いたのでしばらく休憩をして、シャワーを浴びてからまたお出かけしたようです。ケーキのお店が前日夕食を食べた西洋軒の隣にあるのでそこまで行ってケーキを色々と買い、2階の喫茶店で一息つきました。ケーキをたくさん買ってホテルへお持ち帰りです。お店ではイチジクのショートケーキとジンジャーエールでほっと一息相方は和菓子も洋菓子もどちらも好きなんですよね。(つづく)
October 2, 2023
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昨夜は中秋の名月で満月でした。次に中秋の名月と満月が一致するのは7年後だそうです。煌々と光る中秋の名月を時折見上げて眺めておりました。とても明るかったですね。さて、旅の続きです。「松江ホーランエンヤ伝承館」を見学後はすぐ隣にある「松江歴史館」を訪れました。では中に入りましょう。(少し傾いてしまいましたが、)松江藩松平家7代藩主・松平治郷(はるさと)は1806年隠居し、号を不昧(ふまい)としました。大名茶人「不昧公(ふまいこう)」は禅の道での称号です。書画や和歌、陶芸など多彩な教養にあふれ、茶人として「不昧流」を創始した大名茶人です。形式や華美な道具に固執しない不昧公の茶の湯は武士や町民にも浸透したそうです。歴史館の中の喫茶店で温かいぜんざいと和菓子を食べました。不昧公好みと呼ばれる三大銘菓もあるそうです。洋菓子の好きな相方ですが、やはりたまには松江の歴史や季節感を味わえる和菓子もいいものですね。(つづく)
September 30, 2023
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9月4日、5日と休業だった洋食レストラン「西洋軒」に出かけ、夕食に「ビッグハンバーグ・250g」とスープ、ライスを食べてきました。その日の夜は珍しく22時からの「国際報道2023」を見て夜更かししたけれど、翌朝は午前5時からの「おはよう日本」を見てゆっくりテレビを見て過ごし、本館9階へモーニングに。いつものように窓際の席で宍道湖を見ながら朝食でした。外は通勤ラッシュで車がせわしなく行き来をし、宍道湖のシジミ獲りの船がたくさん出ていたそうです。シジミ獲りの船9月7日(木)の午前のことです。昨日のブログに書いたように京店商店街を散策し「カラコロ大黒」「ハートのパワーストーン」「京店ギャートルズ広場」「小泉八雲の後ろ姿」などを写真に撮った後、車に乗って「松江ホーランエンヤ伝承館」を訪れました。「ホーランエンヤ」は正式には「松江城山稲荷神社式年神幸祭」(まつえじょうざんいなりじんじゃしきねんしんこうさい)と言います。松江城内にある城山稲荷神社の御神霊を約10キロ離れた東出雲町の阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)まで船でお運びをし、7日間にわたり出雲国内の安定や豊作をお祈りしかえってくる船神事です。十年に一度、約百隻の船が大船行列が繰り広げられる全国でも最大級の船神事です。櫂伝馬船と乗組員(櫂方)について櫂伝馬船は神様の乗った船をお供しお守りする役目をします。乗組員はそれぞれの地区の男性がなり、ホーランエンヤの歌や剣櫂(けんがい)と彩振り(さいふり)と太鼓による櫂伝馬おどりは先輩の師匠が指導して伝統が受け継がれていきます。「ホーランエンヤ」の由来は漕ぎ手の掛け合いの音頭からきています。一番船は馬淵二番船は矢田三番船は大井 ↓ 左は剣櫂(けんかい)、右は采振り(さいふり)↓四番船は福富五番船は大海崎始まりは1648年、出雲国は大凶作の危機に見舞われ、心を痛めた松江松平家初代藩主・松平直正が城山稲荷神社の神職を兼務していた阿太加夜神社の神主の元へ城山稲荷神社の御神霊を船でお運びし、長年にわたって豊作を祈らせたことがホーランエンヤの始まりです。豊作の祈りは見事にかない、以後370年もの間ホーランエンヤは脈々と守り受け継がれています。(つづく)
September 28, 2023
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松江市に大雨警報が出て、雨の勢いが強く、せっかくここまで来たのにあわや中止かもと気をもんだ「堀川めぐり・半周コース」も無事に終わりました。やはり安全管理を充分行っているのだとよくわかりました。水上観光船は毎年表彰してもらっているようです。お昼時をとっくに過ぎていたのでまずは昼食に出発しました。ナビを頼りに走り、2か所目のお店に入りました。udon dining cafe 安菜蔵という名のうどんがメインのお店です。14時までランチタイムで13時半過ぎに滑り込みセーフ。少し高台にあるお店で回りの景色がとても良かったそうです。「野菜天うどん」がおいしかったようです。9月7日(木)の午前中のことです。京店商店街を散策中に面白いものを見つけました。こちらは「カラコロ大黒様」です。出雲大社のご神体である大国主大神(別名・大黒様)が祀られています。石畳に埋め込まれたハートのパワーストーンを発見。紺屋小路のハートの石畳は探せなかったそうです。カラコロ広場にある小泉八雲の後ろ姿です。小泉八雲の著書で描かれた、松江大橋を渡る人々の「カラコロ」という足音が広場の名前の由来になっています。こんなのも面白いですよね。↓園山俊二さんは松江市出身だそうです。京店ギャートルズ広場にこんなものがありました。相方はギャートルズがわかる世代です。園山俊二さんの世界を体感できます。あそこのシャッターにも小泉八雲が描かれていますね。マンホールの蓋も松江らしいですね。松江市内の面白いものを見ていったんホテルに戻りました。(つづく)
September 27, 2023
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国宝松江城(城山公園)を見学後、松江神社を通りました。松江藩初代藩主・松平直正を祭神に楽山神社として創建され、徳川家康を合祀した翌明治32年(1899年)この地に移され、松江神社と改名しました。そののち、松平治郷と堀尾吉春を合祀しました。次に興雲閣を訪れました。国宝松江城二の丸に明治36年(1903年)に迎賓館として建築されました。木造2階建ての擬洋風建築です。皇族のご宿泊所として使用されていたこともあります。大広間では堀川めぐり乗船場に行ってみましょう。実は小泉八雲記念館の後、堀川めぐりをしたいと「松江堀川ふれあい広場乗船場」まで行ったんですが、急に雨が強く降りだし、乗船場で雨が激しいので(松江市には大雨警報が出ていたので)船が出せないといわれ、お茶処で休憩して待ちましたが、小雨になりませんでした。その日の降水量は午前中が50%、午後は60%でした。(18時からは20%と低くなったそうですが)11時半を過ぎて小降りになりましたが、(宍道湖へ流す)堀川の水位が下がりません。(水位が下がらないと橋の下が通過できないので)船を出すのが難しくなってきました。後ろに来られたご夫婦は既に大手前広場乗船場から半周船に乗ってこられたそうで、松江城に行きたいとのことで、3人は車で松江城に送ってもらい、先に松江城を見学したのです。お城見学後、相方は大手前広場乗船場から半周コースで堀川めぐりをしてきました。堀川の水位が下がらないので全周コースには乗れませんでした。長々と書きましたが、堀川めぐり半周コースの様子です。そして元の乗船場に戻ってきたのでした。(つづく)
September 25, 2023
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松江城に入り天守閣まで登り、周りの景色を見てきたそうですが、やはり国宝松江城の階段はものすごく急で登りにくかったそうです。昔ながらの国宝のお城はどこも階段が急ですね。(松本城、犬山城、彦根城、姫路城もそうでした)では附櫓・地階から見学していきましょう。ちょっと見えにくいですが、旧鯱(きゅうのしゃちほこ)1階の説明天守最大柱(半分切れましたが)↓1階からの眺めです。2階に上りました。松江城東側内堀沿いの石垣の刻印です。3階3階からの眺めです。東の方南の方北の方東の景色西の景色南の景色北の景色文部科学大臣の松江城天守一棟 国宝指定書4階・5階の説明この後、また急な階段を降りて行ったのでした。実は松江城天守に登る前に色々と事情があったのでした。そのことは次回に説明します。(つづく)今朝7時から中山道小松屋の掃除に行ってきました。今月まで夏時間で午前7時からですが、10月からは冬時間で午前8時からなので楽になります。例会を終えて8時半に解散になりました。午後は愛知の娘家族の家まで移動します。明日の朝一番に大学病院を受診するので今夜泊めてもらうのです。では行ってきます。
September 24, 2023
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武家屋敷から松江城に移動する途中で見かけた祠です。次は大太鼓の「鼕・どう」の説明です。鼓の下に冬と書いて「どう」と読みます。大きさは150センチ前後から大きなものは200センチもありこれを宮造り座台(鼕台)に2~3つ乗せ叩きながら市内を練り歩きます。これが大太鼓「鼕・どう」松江開府の祖・堀尾吉春(ほりおよしはる)の像国宝松江城は堀尾吉春とその孫で第2代藩主の忠晴により慶長16年(1611年)に築かれました。では松江城の見学に参りましょう。松江城は城山公園になっています。二之丸地区解説版には「本丸南側の一段低い平地で、江戸時代は中央に御書院があり、松平家二代藩主・綱隆(つなたか)の時まで藩主の居宅となっていた。」と書いてあります。「松江城は松江開府の祖・堀尾吉春が1607年から5年の歳月をかけ、1611年に完成させた。松江城は住居というより、実用的な望楼型の砦の例の一つである。」と書かれています。江戸時代の姿のまま残る国宝の天守は千鳥が羽を広げたように見える入母屋破風(いりもやはふ)が設けられていることから千鳥城とも呼ばれます。それでは松江城の中に入りましょう。(つづく)
September 23, 2023
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小泉八雲記念館から先へ進んでいくと江戸時代初期から塩見縄手の名前にゆかりがある塩見小兵衛など松江藩の上級・中級武士が住んだ武家屋敷があります。享保18年(1733年)の大火で焼失したものを再建してあります。たくさん写真を撮ってきてくれたのでどうぞご覧ください。市の文化財に指定されています。座敷では主の人形が出迎えてくれます。生活用品も展示され、当時の武士の暮らしぶりがわかります。湯殿(浴室)です。(つづく)
September 22, 2023
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ジィジの一人旅も3日目になりました。9月6日(水)のことです。いつもの時間に起きて「国際報道2023」等を見て、午前7時からのモーニングに出かけるまでに旅の記録を書いたり写真を取り込んで本館9階へ移動し、窓際の席で外の景色を眺めながら朝食。(写真を省略)ホテルのすぐ下に神社が見えたので朝食後散歩がてら訪れてみたそうです。有名な神社ではなく、地元の氏神様のような感じだったそうです。9時前にホテルを出て松江方面に向かいました。この日は精力的にたくさん見学、見物してきたようです。先ず小泉八雲旧居(ヘルン旧居)を訪れました。明治24年(1891年)6月から11月の熊本赴任まで八雲がセツ夫人と新婚生活を送った屋敷です。著書「知られぬ日本の面影」で屋敷と庭の魅力を記してます。どうぞご覧ください。小泉八雲旧居の外観を遠方から撮ったものです。そしてすぐ近くに「小泉八雲記念館」がありました。小泉八雲記念館の中は撮影禁止だったそうです。「耳なし芳一」など怪談の著者で知られる小泉八雲の関連資料を収蔵して陳列してあります。八雲の生涯を編年で紹介してあったり松江市出身の俳優・佐野史郎さんの朗読が聞ける「怪談ルーム」があったそうです。ギリシャ生まれのアイルランド人、ラフカディオ・ハーンは英語教師として松江に赴任し、この地の伝説や怪談話を再話し、多くの本を書きました。(つづく)今朝は地元の小学校へ読み聞かせに行ってきます。小学1年生の教室に入ります。
September 20, 2023
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昨日の続きです。龍源寺間歩の中を進んでいき、左折して、約116mの栃畑谷新坑の中にある電照板の「石見銀山絵巻」展示の残りをもう少しだけ紹介します。さあこれで出口にやってきました。この出口の中に入ったところが先ほど通ってきた約116mある「栃畑谷新坑」で、その説明です。龍源寺間歩の出口からすぐの場所にあるのは佐毘売山神社で地元では「山神さん」の名で知られています。16世紀中ごろに創建されました。(現在の社殿は1819年に再建されました)鉱山の守り神である金山彦命(かなやまのみこと)を祀り、鉱夫達がこぞって安全祈願に訪れました。約100段の石段が神秘的だそうです。ここまで見学を終えると、もうお昼時間を過ぎていました。駐車場の前にあるカフェで焼きそばを食べました。昼過ぎに雨も上がり、よかったと思って車を進めていると帰り道で所々強い雨が降ってきたそうです。雨の中を「出雲縁結び空港」に向かって山陰自動車道や国道を進み、到着。駐車場は満車で、運よく1台出ていったのでそこに停め、傘をさして空港へ入りました。レストランは予約の人だけしか入れなくて、仕方なく2階のショップでお土産を買ってから雨の中、ホテルまで戻ったのでした。そしていつものように時間が過ぎ2日目が暮れていったのでした。(つづく)今日は1日愛知でダンスパーティーです。新しい振り付けのサンバを笑顔で踊ってこようと思います。帰りは遅くなると思います。
September 17, 2023
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次は銀山地区を紹介します。銀が採掘された現場や坑道(間歩)が当時のまま残っています。間歩(まぶ)というのは銀を掘るための坑道のことで、坑夫は間歩を掘り進め、鉱脈に当たると左右にひおい坑を掘りました。龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)というのは江戸時代に開発された代官所直営の坑道跡で、全長600mのうち、手前の157mを公開しています。手作業で掘られたノミの跡や鉱脈跡を間近に見ることができます。そこの写真をたくさん撮ってきてくれたので載せたいと思います。さぁ皆さんもご一緒に坑道(間歩)へ入りましょう。天井にノミの跡が残っているのがわかりますね。竪坑(たてこう)坑内で湧く水を排出するために掘られた竪穴で深さは約100mあります。ひおい坑間歩の左右に広がる穴で、鉱脈に沿って掘られていて、ここで採掘した石を製錬し、銀を抽出しました。突き当りを左折し、約116mの栃畑谷新坑を電照板の「石見銀山絵巻」の展示をたどって上がっていきます。もう少しありますが、長くなりますので次回に続きます。(つづく)いよいよ明日はダンスパーティーで新しい振り付けのサンバを踊ってきます。昨日から忙しなくなってきましたが、今日はダンス以外に夕方からある団体の大会に出席してきます。夏に岐阜県大会に出かけましたが、今回は市の大会です。立派な肩書のある方の講演会を聞いてから懇親交流会があります。あまり食べすぎないように気を付けないと明日のドレスが着れなくなってしまいます。
September 16, 2023
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旅2日目、9月5日(火)のことです。この日はあいにくの雨。午前3時ごろには降っていなかったのに、時間がたつにつれ雨が降り出し、大雨警報が出ていたそうです。いつものように午前4時からNHKの番組、「持論公論」「国際報道2023」「おはよう日本」を見たそうです。朝食は本館9階で7時45分から。ホテル本館の9階からの眺めです。宍道湖には早朝からしじみ採りの船がたくさん見えたそうです。午前9時半に出発して山陰自動車道へ乗りましたが、途中、途中で工事中で対面通行が多かったそうです。午前11時半ごろに着いた「歴史資料館」や「いも代官ミュージアム」「ベッカライコンディトライヒダカ」などすべて休館でとても残念でした。記念に写真だけ撮ってきたようです。かろうじて「羅漢寺」と五百羅漢だけは見ることができたそうです。但し世界遺産の五百羅漢は撮影禁止なので、周りの景色だけ写してきてくれました。羅漢寺の五百羅漢は銀山で働いて亡くなった人や祖先の供養のため、約25年かけて造られたそうです。羅漢像が501体ひしめいています。全体が完成したのは1766年ごろだそうです。龍の天井絵がある羅漢寺本堂参拝の後、石橋を渡って石窟へ行くとこの中に五百羅漢は安置されています。↓龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)公園入口まで300mという看板が立っていました。銀山とともに栄えた街、大森地区は江戸時代の武家屋敷や石見銀山で栄えた歴史的な建造物が当時の面影を残していました。やっと石見銀山公園に到着しました。しかし車はそこまでしか行くことができません。登りの道が3キロ近くあるのでレンタサイクルで行った方が良いといわれ、電動レンタサイクルで一生懸命こいでいくと、前に借りて出発した3人組を追い抜いて走っていったそうです。登りは電動なので楽に走れたそうですが、帰りは下りが多いので電動スイッチを切ってきたけれど、速く走りすぎて、何度も何度もブレーキを使ったそうです。(つづく)
September 15, 2023
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長くなりましたが、9月4日(月)の島根県立古代出雲歴史博物館の最終回です。国宝 加茂岩倉遺跡出土銅鐸国宝の青銅器群荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣の実物と模鋳品、16本の銅矛の実物が壁一面に展示。馬上の大首長の説明です。今回の旅の楽しみは出雲そばをいただくことでした。昼食は「出雲の国麺屋」に入り「3色割子蕎麦」を食べてきたそうです。夜寝るだけに泊まったホテルの別館にチェックイン夕食は俳優の佐野史郎さんがお気に入りのお店へ出かけ、チキンフライとかぼちゃフライを食べたら満腹になったそうです。出雲大社と出雲大社宝物殿と島根県立古代出雲歴史博物館を訪れることができて満足して、夕食後はホテルの部屋でいつものように読書をして9月4日(月)は暮れていったのでした。(つづく)
September 13, 2023
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出雲大社に参拝した後は、徒歩3分にある島根県立古代出雲歴史博物館へいにしえの出雲を見学に行きました。まず目に飛び込んできたのはこちら。2000年に出雲大社境内遺跡より出土した宇豆柱(うずばしら)【重要文化財】と重要文化財の古代ご本殿心御柱【複製品】です。出土状況を再現しながら展示してあります。ガラス張りで反射して見にくいかもしれません。でも歴史は十分感じられますよね。それでは常設展の方に進みましょう。古代神殿の復元模型平安時代の出雲大社本殿10分の1の推定復元模型です。出雲大社本殿豊受大神宮(伊勢神宮外宮)正殿住吉大社本殿(第一本宮)宇佐神宮本殿(第一殿)賀茂別雷神社本殿春日大社本殿平安時代の出雲大社本殿復元模型です。出雲大社の屋根にあった千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の説明もう少し古代出雲歴史博物館が続きます。(つづく)
September 12, 2023
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