私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2023年04月11日
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カテゴリ: 認識の歩み


鎌倉時代の特徴として、
公的な歴史書が書かれなくなったことがあります。

『今鏡』『水鏡』『愚管抄(ぐかんしょう)』
などが書かれていますし、
『吾妻(あづま)鏡』という
鎌倉幕府の一貫した流れを書いた歴史書も出てきます。

しかし、これらは鎌倉という
関東の新たな勢力の歴史を書きとめたもので、
六国史のような天皇を中心とした
宮廷の歴史を書いたものとは異なります。

そこでは天皇の存在は無視されています。

権威としての天皇の存在は依然として強いのですが、
そこに幕府が介入するようになったのです。

そのきっかけをつくったのが
後鳥羽上皇の起こした承久の変でした。

この事件以降、皇位継承問題に幕府が介入し、
実質的に支配するようになりました。

これは皇室の力を失わせる結果になりました。

ただ、先の話をすれば、
ここから大覚寺統、持明院統という
二つの皇統の争いが生じ、
鎌倉幕府の終焉を早める結果になっていきます。

地頭となった武士は、
荘園の年貢を取り立てる権限をもち、
土地の支配をめぐって荘園主と争うようになり、
しだいに管理者になって
農民に田畑を耕作させました。

貞永元(一二三二)年、北条泰時のとき、
武家社会のおきてや裁判の基準をまとめた
御成敗式目(貞永式目)が制定され、
武士の間に定着しました。





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最終更新日  2023年04月11日 05時10分07秒
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