私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2023年04月12日
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カテゴリ: 認識の歩み


鎌倉時代、源頼朝が鎌倉殿として
武士の頂点に立ちました。

平氏は朝廷に入り込み、
朝廷を通じて支配しようとしましたが、
鎌倉幕府は、
京都の朝廷、地方の荘園や公領はそのままにして、
幕府と主従関係を結んだ御家人を
守護・地頭として地方に送り込んで
治安を維持する形をとりました。

しかし朝廷が送った
国司や郡司はそのままだったため、
二重支配の構造になったのです。

土地をすべて召し上げてまったく新しい
武家政権をつくるのではなく、
地方を武家中心に守り、
争いを防ぐことを考えたのです。

その一つとして、
土地争いや財産争いなどを収めるための
問注所(もんちゅうじょ)と呼ばれる
訴訟受付機関をつくりました。

土地の支配権をめぐる争いが
当事者同士の武力闘争に発展しないよう、
武士の騒乱に幕府が仲介する
制度を立ち上げたのです。

これが鎌倉幕府の
新しい統治の原則となりました。

これまでは、
所領の問題を天皇や将軍が直接裁断すると
負けたほうは恨みをもち、
それが主従関係の解消につながるようなこともあり、
それを回避するため訴訟の解決を図る一方で、
公家や天皇にまで影響が及ばないような
仕組みをつくつたのです。

無用な混乱を招かないというのが
頼朝の方針でした。

武の力を背景にしながらも
土地所有を法的に安定させる方法を選んだのです。

この時代に文化芸術が盛んになるのも、
そうした幕府の方針によって社会が安定したためです。





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最終更新日  2023年04月12日 05時00分06秒
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