2021年08月13日
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カテゴリ: お証し



 四)果てしなき闘い「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より

 既に人々が退去したあとの、南崗の満鉄宿舎に分散して一泊した私達は、翌十六日隊列を整えて哈璽浜陸軍病院へと向かった。
 軍司令部の方針通りに南下したのか、病院内は巨大な空洞のようにがらんとしていた。しかし将校用個室などには半分食べかけのカレーライスが放置されていたり、スリッパの片方がトイレのドアを半端に止めて、如何にもそのあわてふためいた様子が窺われた。
 我々部隊は当分ここに落ち着くことになり、大体の配置も決めて病院の形態を整えたところで武装解除となった。しかしこれにはソ連軍の立会いはなく、軍司令部からの指示により自主的に実施した。私も父がその前年送ってくれたばかりの軍刀を地上に置いて深々と敬礼した。まことに屈辱的な行事なのだが、何かほっとした気がしないでもなかた。 
 ソ連軍が実際に哈璽浜に入ったのはそれから更に二、三日後のことであった。全員集合の命を受けたが、患者や看護婦、軍属、家族ら全ての女子は彼らの目から避けるために院内に残した。
 通訳を連れたソ連の将校が中央の壇に上がり、「我軍はこの病院を接収した。今後は我々の指示に従って行動をするように」と、下手な通訳が片言の日本語で伝達した。
 日本側は病院長以下が整然と整列しているが、彼らは何となくぞろぞろと集まった感じで、隊長の命令伝達の最中もうろうろと歩き回ってめぼしい者を物色している。
 衛兵所の裏のあたりの兵隊が、車両用のアルコール缶を両手で持ち上げてごくごくと飲み始めた。ピンク色のメチルアルコールである。

 哈璽浜に最初に入ったソ連兵は、その大部分がシベリア流刑者による囚人部隊と言われたから、彼らの手の甲には夫々青い数字が刺青で埋められており、人種も雑多で、正に広大な土地からかき集められた集団と言った感じであった。
 その日から病院には警護と称して、ソ連の軍曹以下十名ほどの衛兵が置かれた。彼らは殆ど衛兵所に屯していた。軍曹は農村出身らしい人のよさそうな無骨な男だが、部下には意外に厳しく、従って院内も数日間は平静を保った。
 ところがそれも正に最初の数日だけであった。間もなく衛兵を無視して外からの侵入者が増え、朝から酔いどれ兵隊がところかまわず歩き回り、手当たり次第に発砲し、略奪するようになった。一階から二階に向けて乱射するのである。弾は二回の床を通してその天井まで突き抜けた。するとそれにつられて衛兵の態度も一変し、我々を警護するどころか、逆に衛兵が看護婦を追い回すと言う事件が頻発した。無骨だが部下には厳しいはずの軍曹もやがて同じ暴漢に成り果ててしまった。衛兵は一週間位で交替するから,交替間近になると、その特権を最大限に利用しようと躍起になる。正に彼らにとって病院は天国で、そこに住む多くの女性は彼らが夢にまで見た闘いの代価なのだ。
 日曜日の朝、ふと二階の窓から見下ろすと、正面玄関の門扉の外には今日も朝から漫然と落ち葉を踏んで群集が屯している。そんな群れの中から忽然と、こざっぱりした日本人らしい女性が門扉に手を当て、何か衛兵に呼びかけている。衛兵は面倒くさそうに近寄ると、自動小銃を肩に掛け直してギィーと無造作に門扉を開けた。
 女性は中に入り、衛兵の後ろから衛兵所を見上げると手招きでもされたのか、風呂敷包みを胸に抱えておずおずとうす暗がりの衛兵所に入った。すると突然独りの衛兵が今まで開け放してあったドアをピタリと閉めた。
 やられた、私は瞬間的に二階の窓を開けた。女性の叫びが急に増幅されて聞え、どたばたと椅子の倒れる音がし、控室のこちら側のカーテンが激しく揺れ、やがてそれが急に静まりかえってしまった。
 早速日直軍医と通訳が衛兵所に走ったが、彼らは自動小銃の安全装置をはずして銃口を突きつける。その銃口に小突かれては後ずさりよ仕方がない。不気味な静けさがこの乾いた空間に流れた。
 やがて汚れた顔の兵隊が、少々頬を紅潮させて出てくると小さくあごで会釈した。すると代わりに少年のような兵隊が永い外套を引きずるようにして中に入った。もう声も叫びも聞えてはこない。まことにつらい時の流れを只管祈るだけであった。

 何人目かの兵隊が外に出て扉を閉めると、その扉がはじかれたように内から開き、彼女は三段ほどの石段を転げるように突き出され、
その侭ばったり倒れると、声にならない叫びを上げて乾いた地面を両手で叩いた。やがて彼女は一緒に放り出された風呂敷包みをつかむと、よろよろと立ち上がり、こちらに向かって走り出した。すると衛兵が慌てて左右から駆け寄り、銃剣を突きつけて門扉の方に追い払おうとする。彼女の抵抗が其の侭引きづられて門扉の陰に消えた。
 門扉の外には群集が群れていたが、彼女は鉄の格子の向こう側からこちらを向いて狂気のように扉を叩いた。すると衛兵は彼女に向かって銃剣を突き出す、彼女は逃れるように左に移動して、又激しく門扉を叩いて泣き叫ぶ、門扉の続きは壁となり、その更に左にはグランドの鉄条網が続いている。
 駆けつけた衛生兵が鉄条網の一部を切断して待っていると、彼女が転がるように倒れこんだ。彼女は既に失神状態であった。
 そんなある日我々に同行した芸者の一人が自殺したらしいと伝わった。一時は、芸者を同行するとは何事だ、と、我々も激怒し、それを糾弾しようとする不穏な空気も流れたが、考えてみると彼女らも戦場に放り出された日本人には違いない。間もなく彼女等の行動の実につつましやかなこと、雑用を一手に引き受けてぎすぎすした生活の中の潤滑油的な役割を果たしていることに気付くのである。
 そんな四人の中の一人が自殺したのは、若干男女の問題の絡みはあったにしても、こんな先の見えない生活で、単に生きていることに抵抗した一人の女性の行き方だったと思う。
 万一ソ連の兵隊に襲われたとき、最後の一線を守るために飲むはずのカプセルを、彼女はベッドの上で静かに飲んで手を合わせた。
 私が行ったとき、密室には眠ったような彼女の遺体が、布団の上に手を合わせたまま安置されていた、真っ赤に目をはらした朋輩は三人夫々自分の生き方を問われたように,瞬きもせずその青白く化粧された顔を見つめていた。
 その夜もソ連の兵隊が酔った勢いで進入した。一階の通路から上に向けて発射する自動小銃の弾が、廊下の天井を突き抜けて、二階の天井に突き刺さった。この密室の前にも何度かどたどたと靴の音が響き扉を叩いたが、ローソクの灯が僅かに揺れただけで、やがて諦めて遠ざかった。
 そんな日の深夜、たまたま配膳室に行った女性が襲われた。愚鈍な飢えた狼どもは二人りがかりで、猿轡をかませて裏庭に引きずり
出した。ついに彼女は力尽きてしまったという。彼女は死人のような青い顔で自室に戻り長い間空間を見詰めていた。
 ところが、次の日も深夜同じ配膳室で同じような事件が起きた。そして被害者は昨日と同じ女性だと聞いて耳を疑った。そんなことが本当にあるのだろうか、更に何度か同じ事件が続いたので彼女は終にここを出され、香坊の収容所に移された。最初の歯車が狂ったことが彼女にいったい何を与えたのだろうか。

 やがて秋の気配となり、そろそろ空気も冷たくなり始める頃,発疹チブスが猛烈な勢いで流行り始めた。衣服が不自由で風呂にも入れない。発病源の虱は、哈璽浜市中の至るところで猛威をふるった。市内の日本人学校や寺院は早速難民集容所と化したので、ここでは幼児がばたばたと死んでいった。私が知る限り幼児は殆ど死滅したと思う。だから当時難民として哈璽浜にいた一~二才までの幼児が今も生き延びて日本に帰っているとしたら、私は是非ともその方々にお会いして、当時の事情を説明してあげたいと思うのである。
 市内の収容所がそんな状態だから、病院にもチブス患者がどんどん送られてくる。普通の患者は後回しにして、取敢えずチブス患者を収容せざるを得ない。従って院内伝染病室はチブス患者で埋まり、看護婦,衛生兵、軍医までがこれに罹患する。
 病院横のグランドに回復患者が掘り続ける穴も忽ち満杯になり、更に掘る。夜になると担架を抱えた看護婦の提灯が、よたよたと何回もグランドを往復する。
 私が発疹チブスに罹患したのはそんな年も押し迫った頃であった。その前夜食事の後で「おい、いたぞ」と、わき腹から探し出した一匹の虱に何か不吉な予感がしたのだが、その翌朝からの発熱であった。何人もの職員が罹患した後なので、やっぱり来たかと、伝染病棟へ入院した。四十度越す熱が一週間も続くのである。病気と心と体力との持久戦である。
 生死の境から漸く回復期に向かったある日、ソ兵が窓から侵入した。「ダワィ・ダワィ」と毛布を引き剥がす。その声が徐々に近づいてくる。ふと、回復期のいたずら心が鎌首を持ち上げた。若い兵士が二人、患者の毛布を引き剥がしながら近づいてくる。私は空をつかむように細い手を上げ、弱々しく咳き込んだ。今度は更に弱々しく胸をさすりゼーゼーとのどを鳴らし、痰壷を持ち上げるとゲぇーボーとやる。そして周囲の患者を指差して「アジナーク・アジナーク」「みんな同じ」と身振りする。侵入者は気味悪そうにきょとんと私を見詰めていたが、その中の一人がこそこそと何かを話すと、急に汚い物を捨てるように抱えた毛布をその場に置いて逃げるように外に出た。「演技賞ものだね」と、遠くで見ていた軍医が言った。日本人には結核患者が多い、それが何よりも怖い、と、彼らは予備知識として吹き込まれていたのである。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)

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最終更新日  2021年08月13日 00時34分39秒
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