2021年08月14日
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カテゴリ: お証し

七)哈璽浜の二月「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より

 二月に入り、今日まで行動を共にした女子軍属数十名が院外退去を命ぜられるに及んで、看護婦、衛生兵らも櫛の歯が抜けるように院内から消えていった。
 院内を去るものにはそれなりの危険があったのだが、先の不安を見通してその危険覚悟で出ようとするものと、既に街に出た女子軍属や看護婦を何らかの形で助けようと、あえてその危険に立ち向かった者とがあった。
 また、院内に残るものにしても、単に外に出ることの危険を恐れて二の足を踏む者と、長年訓練された団体意識の結果として、自らを犠牲にしても指揮者と行動を共にしようと覚悟する者とがあった。

 看護婦や兵が院外に出るときは、病院を脱走するという形になるので、勿論営門から堂々と出る訳にはいかず、病院の周囲を巡回するソ連衛兵の目を掠めて密かに出ることになる。万一これに遭遇すると自動小銃が情け容赦もなく火を吹くので、慎重の上にも慎重を期する必要があった。だから脱走を決意すると、まず一時院内の何処かに身を潜め、暗闇に乗じて鉄柵を越えるということになる。
 それにはボイラー室が格好の隠れ家となり、ボイラー室の片隅の暗がりに、二日も三日も身を潜め、糞尿にまみれて時機到来を待ちわびるのが通例であった。そして食物の差し入れ、移り変わる院内外の状況の説明、巡回衛兵に対するさり気ない対応など、ボイラー室勤務者の腹の座った献身的な援助が必要であった。
 私の周囲からも、何人かの戦友や軍属や看護婦達が去っていった。そして彼女らがあの危険極まりない混乱の最中で生活することが出来た陰には、既に街中に居た日本人や、当時としては数少ない親日中国人の助けが大きかった。特に自段街で戦前から幅広く経営していた日本旅館「大和」のおかみ寺田利子氏の男勝りの度胸と、包容力に救われた日本人男女は予想外に多かったのではないかと思う。
 街では日毎に風が冷たくなるにつれて、生活はいっそう苦しくなっていった。だから、屈辱的だが安易な方法として、自らを二号三号婦人として売り込む道を選んだり、自分の子供を売ることにより、親と子双方の生命を維持することを考えたり、単純に子供を捨てて、その子が誰かに拾われること念じて、自分は身一つで生き延びようとする者が増えていった。
 だからと云って当時の彼女等を責めることが出来るだろうか、みすみす手元でわが子を死なせるわけにはいかなかったのであ。
 勿論中国の知人に子供を預けて生き別れた者もあったし、混乱の中で見失った子供もあったが、今はるばる中国から、故国を尋ねてやって来る孤児といわれる人々が、実の親に巡り合う割合が少ないのは、実はその辺に起因するところが多いのではなかろうか。
 私は、幼児を売ることによって、両者の生命を全うしようと考えた哀れな親の心、そしてまた子供を死から守るために捨てざるを得なかった親としての心情を、今更ながら心に痛くわかるのである。
 その頃私は自段街の救済会本部で母と二人で頑張っているという少年杉山君に会った。彼は十四歳だと言ったが、毎日牛乳配達に駆け回っていた。私は彼に病院にも来てみてはどうかとすすめた。病院の牛乳必要量は彼の一日分の働きよりもはるかに多いし、栄養源に乏しい病院としても願っても無いことであった。
 しかし、彼は病院の衛兵の前を通るのが苦手であったらしい。あるとき折角持ち込んだ牛乳を全部衛兵に横取りされたと言うこともあった。早速憲兵隊司令部に申し入れて、「これは貴重な病人のための栄養源である。」と、訴えると、さすがにそれからは彼の通過は安全になった。
 彼は私の所にくるとほっとした様に入り口の土間に座り、街の状況などを事細かに話してくれた。私は彼が来る度に病院の食事を提供したが、その後の、うとろうとろと居眠るさまは、まだ十四歳の童顔そのものであった。
 彼は、「近くのおばさんが肺結核で寝ているので入院させて貰えないだろうか」と、大人じみた申し出をした。結核では無理だとは思ったが、その翌日彼と一緒にその病人を見舞った。あの寒気の中、物置小屋の片隅で莚の上に襤褸にくるまった姿には見るも無残な妖気がただよっていた。私は既に施す術が無いことを直感して、持参した万頭を枕元に置いて彼を促して外に出た。
 病院はチブス患者で満杯だが、もし生きる可能性があるならば頼み込む手が無いでもない。とは思ったのだが、こうして医者に診られることもなく死んでいった人々が如何に多かったことかと思うのである。
 さて、ここで街に出た多くの軍属や、看護婦や、兵らがお世話になった「大和旅館」について言及して見たいと思う。

           中島よしの氏談
 終戦後間もなく、突然大和旅館の女主人寺田利子さんが病院を訪れました。既にこの頃日本軍はその殆どがシベリアに送られた後でしたから、一応軍隊の形式を保つところというと、この病院くらいのものでした。彼女は経理主任の荒井五一郎氏に面会して次のことを提言しました。「まだ奥地には終戦を知らずに軍隊として集結している日本兵が沢山います。これらの方に終戦を知らせて無事に救出してあげたいのです。それには実情を理解させる説得能力のある人物が必要なのです。資金や機材は私が揃えますから協力して頂けないでしょうか」
 しかし、病院としても多くの患者や同行した軍属、家族を抱え、一日もおろそかには出来ない状況であったから、他に適任の方が必ず居るはずだ。と、お断りせざるを得ませんでした。彼女もチブス患者に溢れた院内の状況を目の当たりに見て諦めたらしく、「何れ皆さんもシベリア送りになるでしょう、もしそれを逃れて街に出るようなことがあったら、是非私を訪ねて下さいね」と、言い残して帰って行きました。

 実はこの一言が、後々ソ連軍に強制退去をさせられて病院を出た女子軍属や家族、更に脱走して街に出た看護婦や兵の、先ず最初の心のよりどころとなり、更にその後の想像も出来ない苦しくてつらい生活の、力強い後ろ盾となってくれたのである。
 病院では食糧と共に主要薬品が底をつき、自活の道を模索せざるを得なかった。チブス患者は一向に減少の兆しを見せないし、患者の栄養状態の微妙なところが、其の侭生と死との分かれ道となっていった。
 だから、豆もやしを作って僅かながらの栄養源とすると共に、街に持ち出して売ることも考えた。納豆も豆腐も作った。
 薬局では、化学的手腕を発揮して水飴を作ったり、葡萄糖等薬品の試作も始めた。しかし、完成した薬品は、患者に与える前に自らが先ずテストしなければならなかった。たった今まで走り回っていた数人の看護婦や衛生兵が、あっという間に、真っ黒い血を吐いて死んだのは、その為の尊い犠牲でもあつた。
 いよいよ院長以下病院の主力に移動命令が出され、加藤老大尉の指揮下に、中田中尉や若干の軍医や衛生兵と共に、看護婦や事務員等全ての女性を残して、ソ連監視下の収容所に移されることになった。
 突然のことなので仕事を引き継ぐにも相手が居なかった。そんなとき、例の杉山少年が牛乳を運んできた。私はとっさに彼の衣服を脱がせ、新品の下着を二枚三枚と重ねて着させ、靴下も三枚重ねにして新品の軍靴を履かせた。よれよれの彼のシューバーを脱がせて、羊毛の深い将校用のシューバーを重ね着させ、その上から彼のよれよれのシューバーを引っ掛けた。
 殊更話す間もなかったが、今日まで頼り切っていた彼の目を見るのもつらかった。「母さんと頑張れよ、早く帰らんと一緒に引っ張られるぞ」と、脅すと、彼は黒いかさかさの両手を出して私の右手をそっと握った。その黒いかさかさの両手には彼の万感がこもっていた。
 いつか又又会うことがあるかも知れない、そして又二度と会うことは無いのかも知れない。私は彼をドアの外に突き出すようにして、ドアを閉めると大きく息を吸った。
 指定の集結時間までには三十分もない。私は常々用意して置いたリュックを肩に引っ掛けると、院内を地下から順に一巡した。
 各階に残された看護婦や残留の衛生兵が、みんな別れの手を差し伸べてくれた。私は殊更平気を装って「あとを頼むよ」と、意味の無い笑顔を作った。
 営庭に出ると、既に出発する者の整列が行われていた。階級章と武器を持たない軍服姿の整列は、何か頼りなく、如何にも敗戦を象徴していた。
 既に老齢の加藤大尉が曲がった腰のまま直立して、「留守隊長として職責を全うします」と、原院長に申告したが、その顔には軍人とは程遠い、農村出らしい好々爺の皺が深く刻み込まれていた。
 斉々哈璽当時からの人事係飯島中尉の、この人らしい人の良さを、自らが打ち破ろうとするかのようなドスの利いた号令で出発した。
 街道には民衆が溢れ、道の両側からかぶさるように覗き込んだ。その中には病院を脱走した兵の、黒い満衣をまとった姿も目についたが、せめて最期は日本人らしくと、長い隊列の一人一人が暗黙のうちに心を決めて、行進は整然と、哈璽浜街を寒さに向かって進んでいった。


(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)

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最終更新日  2021年08月14日 19時54分33秒
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