2021年09月04日
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二十三)中田光次氏の証言「哀しき夕陽(本は17章で完結しています。)能瀬敏夫」より

― 中田光次氏について ー

 終戦後、哈璽浜に転進した斉々哈璽陸軍病院には、病院職員や収容された患者の他、陸軍看護婦、日赤救護班の第二六八班( 島根) 、第四五六班(島根・新潟)、第六三三班(東京・全国) 、それに哈璽浜市内の満赤、満鉄病院の看護婦、更に各地の軍人軍属の家族、軍司令部の女子職員等夥しい数の人々が合流した。
 そんな中、我々三名は、夥しく膨らんだ在院者のための食糧調達に日々専念せざるを得ない状態になったが、中田光次氏はその時、庶務係として病院の事実上の渉外担当者となった。そしてそれは其の侭ソ連軍司令部との折衝窓口でもあった。日本軍人の全てがシベリアに去り、領事館も撤収した当時としては、哈璽浜市内の全ての日本人を代表する唯一の対ソ折衝窓口でもあった。
 中田氏は、本隊がシベリアに出発後、残留隊長加藤大尉を補佐して対外折衝に当たったが、やがて中国政府と中共八路軍との激しい内戦の狭間に揺れ、結局病院残留者全員と共に、当時勢力を回復しつつあった中共八路軍の要請を請けることとなり、後の中国解放軍の野戦病院要員として内戦に参加する道を選び、その後凡そ八年から十年もの年月を中国全土で転戦することとなったが、帰国に際し、当時の日中友好協会副会長であった趙安博氏の尽力で、病院の関係書類を持ち帰ることが出来たのも、彼等の野戦病院要員としての功績に対する代価であった事は紛れもない事実である。
 筆者らは、帰国して確認するまで、全く彼等ハルピンに於ける残留部隊のその後の行動を知らなかったが、帰国後結成された斉友会( 元、斉々哈璽陸軍病院の会) の第二十九回大会を前に、中田氏の郷里を探して其の存在を突き止め、数回に渉って長距離電話で、私等本隊がシベリアに去った後の、残留部隊の行動を聴取したが、その全て状況を理解する間もなく、その数日後の大会当日、開会の直前に氏の心筋梗塞による突然の急逝を知ったのである。

    鹿児島県加世田市、享年八十八才

(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)

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最終更新日  2021年09月04日 22時14分39秒
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